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とき、とこ、ところ
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投稿者 あやみ 日時 2013 年 3 月 07 日 11:25:39: oZZpvrAh64sJM
 

つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-111.htmlより転載


遠い昔の日本人は「時空」というものをどう心得ていたか、やまとことばを道しるべに思いを馳せてみたくなった。


延々と移ろう時は「うつつ―現」といわれ、うつろう時をすらりと切った切り口(断面)が「とき―時」だとされていた。時と時のあいだに仕切られた領域は「ま―間」であった。

幕末以降、近代思想の輸入とともに西欧諸語と対比させやすい合理的な日本語語句の「和製漢語(明治の新語)」がおおく造語された。そして「ま」には「時間」と、そしてそれを刻んだ「とき」には「時刻」という造語を充てられた。「うつつ」を表現できる単語は新語には見当たらないが、強いて言えば「過去現在未来」とせねばならぬ。

「うつ―空、虚、内、移、遷、映、写、現、打…」この「うつ」の音の持つ深くも広い意味は以前の記事で触れている。目には映るが不変ではない、儚いものをさしていう言葉である。人々はその虚ろな器の内に何かを打つ(充填する)ことで姿をとどめようと試みるが、それとてやがては空しくなる。

「うつつ」を「う―つつ」に分けると、「う」は大いなる、という意味の接頭語になる(例・うみ―海―大いなる水)。そして「つつ」にもともとある次のような意味が浮き上がる。
「思ひつつ」「嘆きつつ」がそうであるように、ひとつの動作を継続するときに「つつ」をつける。この解釈は「思いながら」だけでは不十分で、「思っては、また思い」というように動作や現象が絶え間なく「つく―付く」ことでもある。(「つつく―続く」の語源)
「うつつ」、大いなる時の流れである。

中が空洞の「つつ―筒」状の入れ物の中を現象が流れている、時の移ろいをこのように思い描いていたのではないだろうか。その「つつ」をどこかで斬るとその切り口に「つ」が現れる。この「つ」は「いつ―何時」の「つ」、と思われる。

竹を取りつつよろづのことに使いける竹取の翁がいた。その翁がかがやく竹をふしぎに思い切ってみると、そこから現れたのはちいさなちいさな姫だった。この世ならぬどこか別の世からやってきた姫は、竹という筒のその節と節にしきられた「ま―間」にいましたのである。「ふし―節」もまた、季節や人生の変わり目などの時を示す言葉である。この世で限られた「ま―間」を過ごしに来た姫を運ぶ器はやはり「竹」でなければならなかったのだろう。では別の世とは、である。

「ま―間」は時間と空間の両方を表す言葉である。もしかするとその両方の境がなかったのかもしれない。

「ときは―常磐」という古い日本語がある。古語辞典を引けは「トコイハ(常磐)の変形、永久不変」とあり、岩(磐)の不変さのなかに永遠を見出したゆえにこの意を得た言葉であることがわかる。
「とこ―常」はそれ自体が不変を意味するが、上述の「とき―時」の変形でもあり、時間の概念から流れを除いたものと考えられる。そして「いは(わ)」とは古代の日本人たちがその霊性を見出し畏れ敬った「岩、磐、巖」であり、その原義は「いは(わ)ふ―祝、敬、斎ふ」という動詞にある。さらにその語源か、あるいは語源を共にする動詞「いふ―結ふ」にもつながる。

やまとことばは単純な動詞から枝葉のように言葉がうまれ、広がった。

動詞「いは(わ)ふ」からはまた別の名詞「にわ―庭、わ―輪、は―端、ば―場、わ―和」などが生まれた。これらはいずれも「領域」をさす。その周囲から切り取り区別した処のことである。「わ―輪」を描いたり、そのまわりを「まわる―廻、周、回る」ことは領域を決定する原初的な方法で、そこから結界を「いふ―結ふ」などの呪術の手段に発展する。
「不変である」とする「場」を周囲から切り取ったとき、そこが「常磐」となる。神社の境内などがそうであり、三輪山や厳島のような場もそれにあたる。そしてその不変たる場はあの世を垣間見せる。

この世は時のうつろいとともに変わり続ける。不変と見立てられた岩でさえ不変不滅ではなく、万物はその姿を変えやがては塵となる。時のうつろうこの世は「うつしよ―現世」である。そして時のうつろわぬあの世を「とこよ―常世」といった。

「とき」と「うつつ」、「とこよ」と「うつしよ」、これらはそれぞれ相対の関係にある。それでは「ときは―常盤」とその関係にある言葉はあるだろうか、あるとすれば「うつは―器」をそれとするべきである。
体は魂の器である。家は親子兄弟と先祖の器、里も、国もまたそれぞれ器であり、さらにその器である「この世」のその中にあるのは時のうつろいとともに変わり続ける万象である。


やまとことばは子音という「体」に母音という「心」を打ち込むことで命を得る。だから母音が変わればそのことばの振る舞いが変わる。「とこ」と「とき」は母音の違いが用法に微妙な違いをあたえた類義語である。「とこ」はさらに母音が変わると「つき」になり、「たけ」にもなる。ふしぎだ。
鬱蒼と繁る竹薮は常盤の庭、かぐや姫はそこに降り立った。姫が来たとされる別世界とはやはり「とこよ」であった。そして翁のもとで美しい姫となるものの、月をみてはしきりに嘆くようになった。「とこよ」の者である姫にこの「うつしよ」で過ごすことの許された束の間が「つき―尽き」たとき、「つき―月」へと往かねばならなかった。

(「竹取物語」は純粋な伝説ではない。いくつもの伝説を巧みに組み合わせた「物語」であり、全体よりも細部を凝視することでその厚みを知ることになる。これは古事記から脈々と続く、能や歌舞伎にもみられる我が国ならではの表現方法で、あくまで全体評価しようとする西洋式の見方をすると荒唐無稽なものに映る。民話や童話が「子供たちにもわかりやすいように」と書きかえられているが、これは子供たちのためにではなく西洋化してしまった大人たちのためにである。)

前回の記事で触れたように、古代人の生死観は今とはいささか違うようであった。肉体が滅びると魂がそこから離れて別の世界にと旅立ってゆくというものであった。
やまとことばには「死ぬ」に当てはまる語彙がないこともそれを裏打ちしており、その代わりに使われていた言葉として「ゆく―行・逝・往く」「ゐぬ―去ぬ」「うす―失・亡す」「かくる―隠る」「たぶ―旅・渡・度ぶ」などがあった。

もちろんこれらの言葉は死ぬときばかりでなく物事のありきたりの動作をあらわす動詞である。ここを「去に」てそこへ「行く」、月が雲に「隠れ」て光の「失す」ことなどをも語ることができる。そのなかで「たぶ―旅・渡・度ぶ」がやや特別な意味を帯びて見える。

名詞「たび―旅」は動詞が「たぶ」からうまれた。「旅をする」の意であるが、そのもとの意味は「ゆく」にちかい。が、どこが違うか。

「たぶ」の語源は「とふ―訪・問ふ」であった。おとずれる、様子をきく、病を見舞う、などの使われ方をした語で、「つまどひ―妻問ひ」とは男が女の許をたずねることや求婚することをさす。かぐや姫を悩ませたのも男どもの「つまどひ」であった。
それが変化し「たぶ」になった。なにせ昔のはなしである。ちと様子を聞こうにも人づてにでは心もとなく、恋しい相手に手紙をしたためるのはもっと後の時代を待つことになる。心が疼けば野山を越えて行ったのであろう、旅をしたのだろう。

「ひとたび」「ふたたび」の「たび」もここに語源を持つ。「回、度」を意味するこの言葉はすなわち旅をさしていた。たとえば春が来て去ってゆく、そして年を一回りしてふたたび訪れる。月も日も然り、これも「たび」である。回り周るのはなにも人だけではないことに、また繋がる。


「サファリ」は遠い遠い砂漠の国の民が話すアラビア語だが、その原型の「サファル―سفر」の意味も「旅」そして「回、度」である。彼らにとっての旅とは駱駝に乗っての隊商であり、イスラム化してからは巡礼であり、布教や戦のための遠征でもあり、砂漠の旅を生涯のうちいくたびとなく果たした。風に任せて姿を変え続ける砂丘は人をはぐらかし、彼らの道しるべはその季節の空を回る月と星と日であった。

森と海の民である我々と、砂漠の民たちの遠い先祖のことばの間に繋がりがあったとは考えにくい。しかしこの接点は偶然ではないだろう。ことばがじかにつながるのではなくその作られ方に同じ思いがはたらいたのであろうと思う。アラビア語もまた「体」の子音にが「心」の母音を宿す言語である。このことは別の機会に書いてみたい。
天体は道しるべであり、時しるべでもある。自らの在る時と所を月や星そして日という「しるべ―知る辺」に頼み導き出すのである。天体の位相を読んで処を知り、天体を暦に照らして時を知り、人のさだめをも読むことができた。とき―とこ―ところ、これはもともと切り離しては捉えることはできない。遠く離れた先祖たちは同じ思いで空を眺めていたことだろう。だが西の国ではその後、空が回るか大地が回るかで大騒ぎになったという。どちらも回るというのにご苦労な話である。


空も、時も、人々も、回りまわって会い、別れる。いつか、どこかでまた出会う。月日は百代の過客、いまここにある我にとれば月日こそが旅人であり、それを出迎え見送るのが我である。そしてこのうつし世のだれもがいつの時か、見送られて常世のたびにつく。
 

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コメント
 
01. okonomono 2013年3月07日 16:53:46 : ufgCmUGS6CG6M : nQ38OXoNpA
前の記事もそうなっているけど、「いぬ―去ぬ」ですよね。
とくにやまとことばの語源の話を興味ぶかく読ませてもらっています。

02. あやみ 2013年3月07日 22:13:14 : oZZpvrAh64sJM : tju1st56Sc
okonomonoさま

こんにちは。古語辞典を見ました。ご指摘のとおり「いぬ―去ぬ」です。ありがとうございました。

じつは「い―ゐ」「わ―は」「え―ゑ」はまだ勉強中です。文字を使い始めたころ以降は流動的ながらも決まりごとがあったようですが、万葉仮名よりも昔はこれらの音をどのように使い分けていたか、あるいはどれほどの差があったのか、語源や類義語から予測するしかないのですが今のところまだ整理できていません。「去ぬ」の場合は「い」に違いないです。失礼いたしました。


03. 矢津陌生 2013年3月08日 11:22:53 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
あやみさま

こんにちは
興味深く拝読しました。

「う」は「うし(大人)」がありますね。
「う」おおきい+「し」(→「しと」≒「ひと」)
「うし」≒「ぬし(主)」

連想で余計なことを思い出しました。
日本書紀の「つぬがあらしと(都怒我阿羅斯等)」またの名を「うしきありしちかんき(于斯岐阿利叱智干岐)」=大加羅王子。額に角のある者が、崇神天皇の時代に越の国の笱飯の浦、けびうら(気比浦)ついた。それで角鹿(つぬが=敦賀)という地名になった。

「うめ=う梅」「うま=う馬」などの「う」とはまた別なのでしょうか?

ところで、ここでの「やまとことば」はどう理解したらいいのでしょう。
単に外来語と漢字語を除くでいいのでしょうか?
上記の「うめ」「うま」などはやまとことばにはいるのでしょうか?

すみません、ややこしい質問で。
よろしくおねがいします。


04. あやみ 2013年3月08日 16:44:06 : oZZpvrAh64sJM : T1qGXQWcac
矢津さま、こんにちは。

こりゃまた答えるのが難しいご質問です。

私などがお答えできることかどうかはわかりませんが、一般の定義では漢語・外来語を除いた日本固有の言語ということになり、漢字を訓読みしたときの音が即ちやまとことばということになります。しかし当然不十分な説明です。

日本固有というのであればどこまでを日本と呼ぶのか明確にしなければなりませんが、一言でそれは不可能と言えます。今でこそ島国ですがやまとことばの黎明期は氷河期にあたり、海面は低く列島と大陸は陸続き同然だったでしょう。そうなれば、くにざかいになるものはなきにおなじ、言語の波を遮るものはなかったのです。(しかし異民族が怒涛のごとく押し寄せたかといえばそうでもなさそうです。)現日本人よりも、大陸方面から移動してきた民族のほうが数の上では多かったと予想されます。日本列島は原始の文明圏の辺境にあったであろうからです。

やまとことばは(日本語もですが)膠着語と分類されます。単語の組成の際にひとつの単語に接尾辞が付いて、また付いて、付きつついろいろな語句が生まれました。元になるのは二音節の単純な動詞です。イザナミとイザナギから島や神々が生まれた様子と似ています。

膠着語の兄弟たちには韓国語、トルコ語、フィンランド語、エスキモー語、などがあります。

きわめて少ない動詞からはじまった基本言語に、遠隔地から来た人々の言葉、おもに名詞が交わり少じずつ成長していったと考えられます。その成長は漢語の流入とともにほぼ停止しました。(最近の「海江田る=男のくせにすぐ泣く」などもやまとことばに数えるべきなのかも?)

「馬」は顕著な例です。「うま」は訓読みですが純然たるやまとことばではなく、漢語の「マー」の訛りであることは明らかです。アイヌ語の「ウンマ」は東北弁の「んま」と境があるとは思えません。縄文人の祖先と思われる北バイカル人が馬のことを「ma]と呼んでいたのかもしれません。またきたバイカル人は馬がある以上は移動がたやすいゆえ、「ma]をつれて中国大陸にも至ったのではないかと思われます。(私の予測の域を出るものではありません。)
南方からは船をよく使う民族が日本に訪れました。「わた―洋」などの単語もおそらく彼らのものですがやまとことばのなかに数えられています。

仕事の迎えが来てしまったので、続きはあとで書かせていただきます。



05. あやみ 2013年3月09日 09:07:28 : oZZpvrAh64sJM : T1qGXQWcac
つづきです。

以前この雑談版の読者の方から、古語において「うま=むま」であったとのご指摘をいただいたことがあり、私も昔そのようなことを聞いたことがあったため調べてみました。本題に入る前に前置きさせてください。

万葉集(上代)では「うま―宇万」「うめ―鳥梅」
倭名類聚鈔(中世)では「むま―无万」「むめ―无女」

となっており、これだけみて「うま、うめ」がより古いと考えることもできるのですが、もっと多くの資料をあたらなければ断言はできません。
やまとことばにおいて重要なのは表記よりも実際の音です。音が変わればその音霊が変わるからです。ならば、「う」と「む」の間の交錯が許されていたと考えるべきでここでの音霊の上で重要なのは母音の「う」でしょう。

「うま」と「うめ」に着目されたことは重要です。第二音の「ま」と「め」はともにマ行で、生産、増加、繁栄の意をあたえる音です。

本題です。
>「うめ=う梅」「うま=う馬」などの「う」とはまた別なのでしょうか?

ですが、別とも同じとも解釈ができます。

「うま」が「むす―生す」「ます―増す」と関連のある語彙であれば別と考えることができますが、それならば「馬」が純然たるやまとことばであった、あるいは列島に馬を連れてきた民族がかなり古い時代からやまとことばの生成に一役買っていたことになります。

「うま」が漢語の「マー」を輸入して訛ったものとかんがえれば「大いなるマー」になります。ついでに梅も「バイ」が「マイ」に軟化し「メー」になまったのであれば「おおいなるメー」になったのかもしれません。

個人的には後者はどうも夢がないなあ、という感想ですが、矢津さんはいかがお考えでしょうか。


*04に変な表現をしてしまったところがありますので訂正します。

「ma]をつれて中国大陸にも至ったのではないかと→×

「ma]をつれて今の中国のあたりに南下したのではないかと→○


06. 宮島鹿おやじ 2013年3月09日 19:55:48 : NqHa.4ewCUAIk : XGQASt2yVc
あやみ様

こんばんわ。
関東地方は、いきなり初夏のような気候となりました。
まあ、3月の上旬であればこの程度でしたでしょうか。

ご投稿拝見しました。
大変参考になる内容と思いました。
今後、私のスレッドは、ギリシア−ヨーロッパから日本に帰ってくる予定ですが、その際に、「やまとことば」についての考究が極めて重要な意味をもってくると予想されます。引き続きご教示をお願いいたします。


07. あやみ 2013年3月10日 04:08:27 : oZZpvrAh64sJM : T68f4rNaW2
おやじさま コメントありがとうございます。

関東はそろそろ桜の季節ですね。こちらではアーモンドや杏の花が桜を思い出ださせてくれます。

日本古来の表記文字があった、という議論は江戸時代から続いています。私は以前から「あったが朝廷(藤原氏)によって隠避されたのでは」という方向で考えていましたが最近はその考えが変わりました。

04で書きましたように、漢字漢語の流入により日本語は様相を変えました。やまとことば特有の、子音の体に母音の心を持つという性格は形骸化されてゆき、同じ音、似た音をもつ言葉の間を循環するという自在さが絶たれて閉塞してしまったのです。「ことだま」の恩恵を受けられなくなった古代日本の社会は様々なしこりが生まれてゆきました。
漢字は表意文字であり、極めて視覚的な効果を持つ「記号」でもあり、呪術そのものであるともいえます。やまとことばから日本語に移行することで得た言葉と社会の閉塞は「シュレディンガーの…」のスレッドで出てきた「視覚の牢獄」に合致します。言葉はただの意思表示の記号ではなく、人と国を育て、またその人と国から育てられるという血液のようなものだと思います。漢字漢語という輸血による拒絶反応が出た、それでも千年かけて何とか克服したのでは、と思えるのです。

あとは私の空想です。漢字がやってくるはるか昔に表音文字を生み出してしまった先祖たちは息苦しそうなやまとことば、そしてそれを使う社会の変容を見て(漢字ほどの効果はないにしても)文字の持つ「視覚の牢獄」効果に気づき後悔した、そしてその手で消し去った…(トンデモに限りなく近いですが)

文字が存在しなかったのであればそれまでのことなのです。
やまとことばを知れば知るほど先祖の叡智を思い知らされるのです。彼らであればこれくらいのことはあってもおかしくないなあ、と思えてしまうのでした…。

シュレディンガーの猫の代わりにされたこどもたち


08. 2013年3月10日 10:26:17 : frBbA4JZ8Y
あやみ さん

安芸ガラスです。
「ま〜」(間)は何もないことですね。
この「ま」を使うと、効果がでますね。

感度を高めるには、「ま」を縮めます。
刺戟に使うのは「ま」をあけます。

これは、デモなどの運動と投票をむすびつけるさいの技術です。

私たちは運動を空間としてではなく、ときの流れとして見ているようです。


09. 矢津陌生 2013年3月10日 17:35:08 : fqfGCq6zf5Uas : khk7a2HDck
あやみさま
おそくなりました。

「日本語千夜一話 小林昭美」と言うホームページを読んでいたので質問させていただいたものです。
http://www3.ocn.ne.jp/~ocra

小林昭美氏はNHKを退職後、中国音韻学と西欧言語学を用い、「記紀」や「万葉集」の古代日本語の研究をされている方です。

そのホームページで紹介されていたのが、「スウェーデンの中国言語学の専門家ベルンハルト・カールグレン(Bernhard Karlgren、1889 - 1978年)が中国語ばかりでなく、漢字文化圏の言語も研究し、著作のなかで日本語は中国語からの借用語を受け入れていた。中には明らかに間違っている例や疑わしいものも多いが下記のものは否定できない。」という趣旨です。

  訓  呉   漢  広   北
馬 ウマ マ   バ  ma ma
梅 ウメ マイ  バイ mui mei
絹 キヌ ケン ケン gyun juan
君 キミ クン クン gwan jun
錢 ゼニ ゼン セン chin qian
蟬 セミ ゼン セン sim chan
竹 タケ チク チク juk zhu
剝 ハ-グ ホク  ハク mok bo
文 フミ モン ブン man wen
麥 ムギ ミャク バク mak mai

また、別の「地球ことば村」というホームページ次のような紹介があります。
http://www.chikyukotobamura.org/forum/salon070317.html

* 日本語・中国語・朝鮮語対訳「万葉集」
有名な万葉集の歌に
「渡津海の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 清明けくこそ」
がある。古代中国語と朝鮮語の音韻から読み解くと、この名歌のほとんどの語は、中国・朝鮮渡来の語であることがわかる。

たとえば、第一句の「わたつみの」は朝鮮語の「海(pada)」+つ(古代日本語助詞『の』)+み(日本語の『海』)

このように見ていくと、次のように分析できる。
朝鮮語:わた(海)はた(海)ひ(日)
中国語:海 雲 入 射 今夜(こよひ)
日本語:豊 月 つ の とよ に

このように、古代日本語にはきわめて多くの中国語・朝鮮語からの借用語がある。しかし、日本語学者はあまりそのことに注意を払わず、古代中国語・朝鮮語をきちんと研究対象にしない傾向がある。しかし、私は、古代中国語と朝鮮語にさかのぼることによって、古代の日本語が解明される可能性はきわめて大きいと考える。
音韻がどのように法則的に変化してきたのか、それがわかると、記紀・万葉の読み方がぐんと違ってくることがわかりました。古代日本の風景だけでなく、古代中国大陸、朝鮮半島の風景も歌のイメージとして広がって、古代人の交流のスケールの大きさに驚きます。


10. 矢津陌生 2013年3月10日 21:40:42 : fqfGCq6zf5Uas : khk7a2HDck
「日本語千夜一話 小林昭美」にさらに詳しい説明がありました。

第65話 やまとことばは純粋か(1)http://www3.ocn.ne.jp/~ocra/065.html
第66話 やまとことばは純粋か(2)http://www3.ocn.ne.jp/~ocra/066.html
第67話 やまとことばは純粋か(3)http://www3.ocn.ne.jp/~ocra/067.html


中国語の原音が[m-] で始まる場合。馬(うま)と梅(うめ)
「馬」、「梅」の古代中国語音(中国の言語学者王力が書いた「同源字典」に基づく)は馬[mea]、梅[muə] であり、弥生音は「うま」、「うめ」 と二音  節になり、前に「う」 がついている。万葉集では馬は(宇摩、宇麻、宇麼、宇馬、宇万、馬、牟麻など)と表記されている。また、梅は(烏米、烏梅、宇米、宇梅、汙米、于梅、 梅など)と表記されている。馬は「うま」とも呼ばれ、「むま」とも呼ばれた。梅は「うめ」あるいは、「むめ」と呼ばれている。記紀万葉の日本語に は古 代中国語音の[m-] の前に「う」がついたと思われる日本語はほか にもある。
味 (うま)くもあらず(万葉集)、
美(うまし)國そ(万 葉集)、
さはに牧(うまき)を置きて馬(うま)を放つ(日本書紀)、
時に伊予の湯、没(うも)れて出ず(日本書紀)。

これらのことばの古代中国語音は味[miuət]、美[miei]、牧[miuək]、没[muət] であり、いずれも[m-]ではじまる。梅、馬ばかりでなく味(うまし)、美(うまし)、牧(うまき)、没(うもる)なども、文字時代以前の中国語からの借用音(弥生音)である可能性がある。古代中国語で[m-]ではじまることばはいずれも2音節になって、「ま」の前に「う」がつくという音韻対応の法則があるという想定が可能である。

中国語の[m-]は日本語のマ行より閉鎖性が強く、「馬」、「梅」 は日本語では馬(ウマ)、梅(ウ  メ)あるいは馬(ムマ)、梅(ムメ)としたのではないかと考えられる。現代の上海語音にその傍 証となる音を発見する ことができる。上海方言では語頭の[m-] の前に喉門閉鎖音である [・] あるいは [h] の音を聞くことができる。馬[Hma]、梅[hme] のごとくである(参考文献、宮田一郎編著『上 海語常用同音字典』光生館)。

古 代の日本語は江南地方の中国語音の影響を受けているから、現代の上海方言が古代の江南音を 受け継いでいるとすれば、中国語の「馬」、「梅」が弥生時代の 日本語に取り入れられて「うま」、「むま」あるいは「うめ」、「むめ」となったとしても不思議はない。日本語はもともと単 音節を嫌い、2音節ないし3音節のほうが安定している。「牧」は「むまき」とも読まれる。「鰻」は万葉集では「むなぎ」と呼ばれていて、中国語の鰻魚[miuan-ngia] に対応する。万葉集の鰻(むなぎ)も中国語か らの借用語である可能性がある。


11. あやみ 2013年3月11日 04:53:00 : oZZpvrAh64sJM : Pk9oTHb05s
安芸ガラスさま コメントありがとうございます。

やまとことばの「ま―間」は新語では「時間」と「空間」に分離されました。
本来は大差のないものであったと私は想像してます。これが前提とします。

いずれにしても「入れ物」ですからもとは空っぽで、何もない。
それに何らかの媒体を「うつ―打つ」すなわち充填することで存在を明らかにしようとしてきたのが人間です。「布団を打つ」「コンクリートを打つ」が空間充填です。「芝居を打つ」は時間・空間両方の充填です。

時空間の充填はその気になればどうとも計画できます。しかし、無限ではありません。限られた領域でのみその存在を維持できます。


12. あやみ 2013年3月11日 06:55:44 : oZZpvrAh64sJM : Pk9oTHb05s
矢津さま こんにちは。

先に申させていただきますが「やまとことばは純粋か」どうかは私にはまったく興味がないことです。ついでに純粋などというものはもとより実現不可能だと認識しております。

引用されている事柄は当然ありうること、またはあったことです。いつもしつこく書いていますように大陸と半島と列島は地続き同然で人と物が行きかう共栄圏であったのです。どこまでが日本でどこからが中国という意識は列島が物理的に海に分断されてから後のことであり、その時点ではやまとことばはほぼ出来上がっており、漢字を読み書きする者も列島に存在していた筈です。だから純粋などという現象はあるはずもなく、純粋だと言い張る日本語学者は右翼団体からの援助をうけているのだろう程度にしか考えておりません。

やまとことばとはやまとことばをはなした人たちの言葉です。それにつきます。

これは○○語の外来語で、これは××語の借用語、と解析することは可能ですが、やまとことばの創世記にどのような要素が混在しようとそれが日本語の、ひいては日本人の要素であることに変わりはないのです。もちろん日本の地から大陸に渡っていった言葉があってもおかしくないと考えます。

私が心を痛めているのは日本と大陸が双方とも常に喧嘩腰なところです。矢津さんがブログで紹介されていた書籍「日本語の正体」にしても、タイトルだけでも反日感情を感じずにはいられないのが正直なところです。出版社の作戦なのかもしれませんがこれは本当に残念なことで、これではせっかくの研究が台無しです。

やまとことばのいちばん大事なところは、語彙の生まれ方とつながりかたです。外的要素として取り入れた語彙からでも新たな語彙は生まれます。南洋語の「ワタ―洋(海)」を語幹として生まれたのがやまとことばの「わたる―渡る」「わたす―渡す」です。「わたつみ」は10の抜粋によれば「海つ海」になっていますがそうではなく「海つ神」または「海つ霊」です。やまとことばの「み」の音は「水、身、巳、三、神、霊…」などの意味を持ちます。漢字で具現化されない代わりに漠然としたイメージでつながりを持ちます。。

「うお―魚」も古くは「いお」ともいいましたがこれは大陸語の「ギョ」の訛ったものですね。思うに我が国では魚類を総称する言葉が無く、鯛や鮭のように品種名でじかに呼んでいたのではないでしょうか。ちなみに「さかな」は「肴」の意味合いのほうが強いです。


13. 2013年3月11日 07:55:31 : IJlfNu2YKA
あやみ さま

安芸ガラスです。
広島では生きているさかなを「うお」と呼びます。
死んださかなは「さかな」です。酒の「さかな」の意味です。
顔を「かを」と呼びます。
学校では「かお」と呼ばせます。
小学生のころ、大変とまどったことを覚えています。


14. あやみ 2013年3月11日 14:44:16 : oZZpvrAh64sJM : Pk9oTHb05s
安芸ガラスさま

>広島では生きているさかなを「うお」と呼びます。
死んださかなは「さかな」です。酒の「さかな」の意味です。

これは本当に興味深いです。日本中の方言を拾って歩くたびを是非したいものです。サイトで調べることの限界は、やはり文字を通しての認識でしかないところです。この耳で聞いて、口の動きを見て、使われ方を肌で感じないことには「おとだま」が現れない、そんな気がします。

学校が「かお」と言い張るのは「顔」の昔の表記が「かほ」であったので、明治のかなづかい変換に倣っただけのことです。

「顔」は09.10で矢津さんが指摘されているような中国語起源のことばである可能性もあります。そうでないにしてもあまり古い言葉ではない筈です。(「かお」から派生した、またはその語源らしき他のやまとことばがあまり見当たらないことから)
むかしは「おも」「つら」「まへ」でした。
語頭に母音が来る場合はそれが接頭語であることも多く、ここでの「おも」は「お+も」と分けられるのではないかと思います。「も」は「みずも―水面」の「も」です。「お」のほうは人代名詞に関係がありそうです。


15. 矢津陌生 2013年3月12日 17:46:52 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
あやみさま

わたしはこのように考えております。
「やまとことばは純粋か」というタイトルは、あまりにも多くの日本人が「やまとことばは純粋」だと教えこまれていることからの‘アンチテーゼ’「やまとことばは本当に純粋なのですか?」だという問いかけだと思います。金容雲/著「日本語の正体」のタイトルの付け方は確かに「あざとい」ですね。これも「やまとことばは本当に純粋なのですか?」と問うていると思います。「右翼団体からの援助をうけているか」「反日感情か」はその本に目を通さないと分かりません。

小林昭美氏も金容雲氏の著述に納得する部分やおもしろいと思うところがあるので読みました。全面的には賛成しませんが。小林昭美氏の「日本語千夜一話」の中で使われている中国古代音韻は王力氏(1901−1986年 中国言語学者)が詩経や楚辞の韻から古代中国音韻を研究して上古音として『同源字典』に著したものを使っています。

韓国語(ハングル読み)まで入れると、見事につながりそうですね。
  訓  呉   漢  上古  広   北  韓(漢字語のハングル読み)
馬 うま マ   バ  mea  ma ma  마(マ)
梅 うめ マイ  バイ muə  mui mei 매(メ)

この上古音がアジアの言語研究で、ある種のミッシングリングの役割を担うのではないかと思っています。漢字を使用していた周辺国と漢字語を使う地域の古い音韻を調べるときっとおもしろいと思います。千字文の読みの研究など結構手がかりになると思うのですが。日本も韓国(朝鮮)もそれぞれの言語で「文選(もんぜん)読み」という同じことをやっています。東北アジア(今の中国東北三省と内モンゴル・モンゴル共和国)や中央アジアの漢字を使用した言語の研究が進んでいるらしいので、かなり解明されるのではないかと思います。(わたしが生きているうちは無理かも?)

「文選読み」
天地玄黃 宇宙洪荒
てんちは げんこう うちゅうは こうこうなり
하늘 천 땅 지 검을 현 누를 황 집 우 집 주 넓을 홍 거칠 황

いまちょうど「日本語の語源を学ぶ人のために」吉田 金彦/編 世界思想社(2006年)を読み始めたところです。(30人以上の語学研究者の文章を1冊にしたものです。)読み終わったら、いつになるか分かりませんが、ブログに‘感想文’をアップ予定です。

この本の第1章に、金田一京助博士が我が子の金田一春彦に、言語学者になるなら、「1.語源研究、2.詩の韻律の研究、3.国語の系統論の3つは専門にしてはいけない」と言ったそうです。言葉を研究してその難しさを知っているが故でしょうね。しかし、語源を探るのはおもしろいですね。


16. あやみ 2013年3月13日 04:44:25 : oZZpvrAh64sJM : Pk9oTHb05s
矢津さま

「やまとことばは純粋である」との思い込み、あるいは刷り込みの後ろには「日本は単一。民族による単一国家」であるという政治思想がでーんとひかえており、単一国家の言語は純粋でなければならないという「やむを得ない事情」が絡んでいますこれは言語研究が政治の道具に使われているという状況、あるいはもとより政治目的の研究であったといっても過言ではありません。(トルコ政府は20年前までクルド語の存在を認めずあくまでトルコ語の方言であるという態度をとり続けていました。「壊れた常識」の追随による悲劇でした。)金田一京助氏がわが子に言ったことの真意までは解りかねますが、わたしは語源研究の引き起こす混乱に対峙するのは一研究家には荷が重過ぎることだと思います。

もちろん政治的なこと以外にも我々には「思い込み」があるのですが、その殻を自らひとつひとつ壊していくことができれば、先祖が我々に残し伝えかったことに気づき、先祖たちと対話することができます。そしてそれは大きな喜びにつながります。やまとことばに魅せられた者であれば我々の先祖たちが争いを好まなかったことはわかる筈です。少なくとも私はその一人です。我々の住む周辺地域の言語研究をめぐる今日の状況は先祖たちを悲しませているでしょう。

私は研究者ではないため勝手に喜んだり悲しんだりしていてもよいので気楽なものです。

文字以前の中国語{中国地域の言語)というのはどのようなものだったのでしょうか?思うに中国語は世界にまれに見る視覚・具象的な言語です。言語が文字とともに発達したように感じられます。その発達の土壌というものは大変豊かであったであろうと思います。その恩恵を我々は受けています。それを心にとめていたいと思います。


17. 矢津陌生 2013年3月15日 22:43:13 : fqfGCq6zf5Uas : khk7a2HDck
文字以前の中国語が漢字とどう結び付いて、発達したのでしょうかね?
これだけ象形文字の匂いを残しながら高度に発達した言語は中国語だけでしょうね。アルファベットも元は象形文字を集めたものが、表音文字に変化したといわれています。

アルファベットの汎用性は確かに素晴らしいと思います。覚えやすく多くの音を表すことができます。ベトナム語はアルファベットに変わり、中国語の発音はアルファベットを使うことによって識別が容易になっています。日本語の音写もできますよね。

祭祀での呪術に使用した支配者の独占物であった文字は、多くの人が使うようになると音と結びついてその神秘性がすり減っていったと考えます。漢字は習得が難解であるが故に、摩耗の度合いが低かったのではないかと想像します。中国語という大言語の表記文字として、支配者の文字寡占維持を可能にしたのではないでしょうか。

これが裏目に出たのが、中国共産党が実権を掌握した後、漢字の習得の難しさから、大衆のために漢字を捨てようとした時期があり、非常に混乱しました。思いとどまって簡体字を作る方向に向かいましたが、今でも外国人にとっては習得の難しい文字です。


18. 2013年3月18日 10:12:55 : 3gRMRZQa8O
あやみ さん

安芸ガラスです。

>やまとことばの「ま―間」は新語では「時間」と「空間」に分離されました。
本来は大差のないものであったと私は想像してます。これが前提とします。

そうですね。私は「とき」のベクトルが強いのですが、総選挙の反省などでは、総理官邸前と投票行為がむすびついていないと、他の人の主張があります。

これて、空間のベクトルから現象を見ているような気がします。
事故は刺戟です。
この刺戟は時間が経過をしますと、弛んでまいります。
刺戟を刺戟として活用するには、あやみさんの以下の主張になります。

>いずれにしても「入れ物」ですからもとは空っぽで、何もない。
それに何らかの媒体を「うつ―打つ」すなわち充填することで存在を明らかにしようとしてきたのが人間です。「布団を打つ」「コンクリートを打つ」が空間充填です。「芝居を打つ」は時間・空間両方の充填です。

つまり、総理官邸前で「何もない」状態を「打つ」必要があります。
さらに、参加者の感度を高め投票行為にむすびつけるには、「ま」を縮める「わざ」が必要となります。

いずれにしても「わざ」の行使は政治家の仕事ですが、総選挙で総理官邸前のエネルギーが投票行為にむすび付かなかったのは、この「とき」が見えなかったのでしょう。


19. あやみ 2013年3月19日 05:20:45 : oZZpvrAh64sJM : VJMjD149EI
安芸ガラスさま

>、総選挙で総理官邸前のエネルギーが投票行為にむすび付かなかったのは、この「とき」が見えなかったのでしょう。

そうですね。ここにはいろいろな思惑が潜んでいるのでしょう。
テレビという魔物がより強い刺戟を放射し続けるために人々が時空から受けるはずの影響が霞んだり歪んだりしてしまいます。学校教育も手法こそ違いますがテレビと同じような存在です。

「わざ」はおっしゃるとおり、意図をもった行動つまり業です。洗練されたものは同じ「わざ」でも技となります。歌舞音曲も、武芸にも、人同士にも「ま―間」は大変重要なものです。たとえば打楽器の技とは「間」こそが全てといっても過言ではありません。剣士にとっての「間合い」も同様のものと想像します。日本人は「間をはかる」能力に恵まれた民族でした。が、テレビや学校教育にかぶれたために、とことん鈍くなってしまいました。テレビのほうから時空を押し付けてくるのではかる必要がなくなってしまった結果でしょう。


20. 2013年3月19日 12:00:01 : Mxe9rZHDgU
あやみ さん

安芸ガラスです。

>「わざ」はおっしゃるとおり、意図をもった行動つまり業です。洗練されたものは同じ「わざ」でも技となります。歌舞音曲も、武芸にも、人同士にも「ま―間」は大変重要なものです。たとえば打楽器の技とは「間」こそが全てといっても過言ではありません。剣士にとっての「間合い」も同様のものと想像します。

同意します。

「うつつ」をある方向に固定化します。
そして区切ります。これが「とき」ですね。
時と時のあいだに仕切られた領域が「ま」になります。


21. 2013年3月21日 07:53:42 : 0mVFCvtXE6
あやみ さん

安芸ガラスです。

>やまとことばには「死ぬ」に当てはまる語彙がないこともそれを裏打ちしており、その代わりに使われていた言葉として「ゆく―行・逝・往く」「ゐぬ―去ぬ」「うす―失・亡す」「かくる―隠る」「たぶ―旅・渡・度ぶ」などがあった。

「死ぬ」の広島の言葉では「みてる」と云います。
「みてる」は、「風呂の水がみてた」とか「煙草がみてた」とも云います。
このように満杯のものを使いきったことを「みてた」と使います。
「死ぬ」ことは「けさ〜となりのおじさんがみてた」と云います。
つまり、「死だ」現象は与えられたいのちを全部使い切ったと、の意味になります。


22. あやみ 2013年3月21日 13:25:36 : oZZpvrAh64sJM : ARa0tEeuPw
安芸ガラスさま

これも深い意味を持つ表現ですね。方言を忘れてしまってはいけませんね。

おっしゃるように「満杯のものを使い切った」のでしょう、逆に「与えられたいのち」そのものが入れ物のようなもので、それに一生という何かが満ちた、そうとも思えます。

月が満ちる(望月)瞬間は、太陽、地球、月が直列します。大きな力が陽(日)から陰(月)に向かって流れるその只中に地球が居て、その影響を直に受けるときでもあります。かぐやひめの昇天は日から月に向かう力の流れに乗る瞬間を描いたものと考えています。「満ちる」ことは「尽きる」ことでもあります。「月」と「尽き」も切り離せないものなのでしょう。


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