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歌舞伎見物のおさそい―妹背山
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投稿者 あやみ 日時 2013 年 4 月 21 日 09:08:32: oZZpvrAh64sJM
 

つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-118.htmlより転載


いにしへの 賤のおだまき繰りかへし むかしをいまに なすよしもがな

「伊勢物語」にあるこの古歌が縦糸となり、遠い神代からこの世が繰り返してきた業を横糸に織りなした衣のような、そんな芝居がある。「おだまき」とは糸巻きのこと。糸を巻きかえすように昔を今に巻き戻すことができたなら、と思うのは、昔も今もかわらない。

正しくは「妹背山婦女庭訓―いもせやまおんなていきん」、古代の王朝交代を江戸の戯作者たちは冷徹に見抜き我々に供じていたのである。しかしすっかり鈍くなってしまった日本人はそれを受け取ることがままならなくなってきた。下手をすればこの戯作のもつ意味はこのまま埋もれてゆくだろう、それはあまりに惜しい。
しからば野暮を承知の悪あがき、何卒ご容赦のほど御願い奉りそうろう。

  

背景

蘇我氏は物部氏をおさえ、さらに崇峻天皇を暗殺、姪の推古女帝を立てると朝廷の実権はいよいよ蘇我馬子の手に落ちる。その子の蝦夷、さらにその子の入鹿の代まで専横をつくすもやがて中臣鎌足と中大兄皇子により討たれ(乙巳の変)、時代は律令国家の形成へと動いてゆく。

序段、二段目、

病で失明した帝は臣下の者たちに操られ、腹心であった藤原鎌足は謀反の疑いをかけられて息子の淡海とともに行方知れずとなってしまう。蝦夷は自らの娘・橘姫を皇后に立てようとしていたため、鎌足の娘で帝の愛妾でもあった采女の局も宮中から姿を消してしまった。蘇我入鹿は朝廷から帝を追放し自らが帝位につこうとする父・蝦夷の行状を仏法にかなわぬ非道だとし、父を諌めんがために即身仏となる入定修行にはいる。これに怒る蝦夷は入鹿の妻めどの方に詰め寄り、お前たちは味方ではなかったのか、では謀反の連判状を返せと斬りかかると、めどの方はその連判状を火にくべて燃やしてしまう。が、じつは偽物であり、そこにめどの方の父・安倍行主と大判事(司法官)が勅使として現れ本物の連判状を出して蝦夷を追い詰める。蝦夷はもはやこれまでと腹を切り自害する。大判事が蝦夷の介錯をしようとした瞬間、安倍行主が矢に倒れ息絶える。切腹も介錯も武士の風習であり古代豪族のものではないが、芝居の上では豪族たちを武士として描いている。


矢を放ったは蘇我入鹿、法衣を纏う入鹿が現れ、大判事にむかいこれまでの悪行をいけしゃあしゃあと言い聞かせる。父の器では帝位を奪うことはままならぬと、謀反の罪を父一人に擦り付けて自害させ後から全てを奪おうとのはかりごとであった。三種の神器を盗もうとしたが鏡と勾玉は見つからず、仕方がないのでこの「村雲の宝剣」だけは手に入れたと豪語する入鹿は、白塗りの二枚目から青隈取りの「公家荒れ」にかわり豪胆かつ陰鬱な恐ろしさをかもす。


いつまでも子が授からなかった入鹿の母は「白い牡鹿の血」を飲むことで入鹿を身篭ったのであった。鹿の入りたる蘇我入鹿、大悪党の由縁ここにありき。


入鹿を退治するには「爪黒の鹿の血」が要るという。そしてもうひとつ、「凝着の相のある女の血」が要るという。凝着とは嫉妬のことで、この両方の血を注いだ笛を吹くと入鹿の中の鹿の本能が暴れだし己を失う、そのときにこそ入鹿を倒すことができるという。


入鹿の暴挙は止まるところを知らず宮中に乱れ入り帝位を宣下する。三笠山に造営した御殿を大内裏と称し、その勢いに適わぬと悟った諸国の豪族たちは貢物を手に入鹿の元にに参内し恭順の意を表すのであった。
伊勢の神風吹き止んで天下がいよいよ傾こうとしていたその頃、愛妾の采女の局が池に身を投げて自害したとの噂を信じ、嘆きのあまりその池に行幸していた帝はまだ三笠山でのことを知らずにいた。知らせを受けた鎌足の息子・藤原淡海は帝にそれを気取られまいと猟師の芝六の家に匿うのであった。この芝六、じつは藤原家の家臣であり、主人鎌足の入鹿征伐のために黒爪の鹿を射止めていた。しかし神鹿のいる葛籠山は禁足地、ここで鹿を射ることは死罪に値した。芝六の息子の三作は鹿殺しの罪を被り石子詰めの刑(地面の穴に入れられ石で埋められる)を言い渡されそのための穴が掘られるが奇跡がおこる。掘った穴からは紛失していた三種の神器のうち鏡と勾玉が見つかった。その瞬間に帝の目は治癒し、自害したと見せかけて父親の鎌足のもとに身を寄せていた采女の局とも再会を果たす。三作はご赦免となる。

神鏡と勾玉の出現で光が戻る、それはアマテラスの天岩戸神話が元になっている。


藤原淡海とは日本古代史の立役者、藤原不比等その男である。中臣氏が壬申の乱で大友皇子の側についたことが仇となり政治の表舞台からは一時遠のいていたが、王族の妻を寝取り間にもうけた娘たちを次々と宮中に送り込み天皇の外戚としての地位を築いた。不比等にはじまり平安時代の終わりまでつづく藤原氏の外戚政治こそが日本史の基礎といっても過言ではなく奈良時代以降の皇室の血は最初の数滴を除けば藤原氏に由来する。さらにはわが国最初の国史書たる日本書紀の「立作者」として不比等から神代に遡る日本の足跡を「編纂」したのも不比等である。それまでに書かれていた「旧辞」「帝記」とよばれる史書は鎌足の入鹿暗殺を知らされた蝦夷が屋敷に火をかけ自害したおりに消失したとされている。が、そのことが記されているのも日本書紀でしかない。


この芝居において、藤原淡海(=不比等)と名付けられた役は史実での不比等と鎌足の両者を兼ねている(仕立ててある)。謀反の疑いで親子ともども政界から姿を隠すとある段は壬申の乱の結果、中臣氏が蟄居状態に陥ったあたりを示唆しているのだろう。ちなみに「淡海」は不比等が死後に諡られた国公(等級の名)である。


「帝」も一応は天智天皇という設定であるが裏がある。見えぬ目で亡き愛妾を求め彷徨う帝の女々しい描かれ方は少なくとも豪傑で知られる天智帝にはそぐわない。
645年の乙巳の変の後に続く改革を「大化の改新」と呼ぶ。この改革は孝徳帝の代で行われたが中心になったのは当時皇太子であった中大兄(後の天智帝)であった。鎌足は最初、入鹿暗殺の共謀者を帝位につく前の孝徳に考えていたが「器ではない」と断念、よって中大兄に持ちかけたとの説がある。
652年には日本初の首都といわれる難波長柄豊宮に遷都、しかし改革を進めるうちに孝徳帝と中大兄の対立が深まり中大兄は飛鳥河辺宮に群臣・皇族・皇后を連れて移ってしまう。皇后まで奪われた失意の孝徳帝は病に憑かれて崩御する。蘇我入鹿が役の上で三笠山に御殿を立て帝位を奪ったのは中大兄の行動を指しているのだ。


すなわち、「妹背山」の帝は天智帝ではない。天智帝に背かれた孝徳帝であり、入鹿の本性こそが天智天皇である。さらに入鹿が共謀していた父・蝦夷を見限る筋書きはどうやら鎌足の仕業をなぞらえたものである。

三段目

美しい仕掛けが有名で「妹背山」の外題の由縁でもある大事な場面であるが西洋のシェイクスなにがしの芝居に似ていて巣晴らしいなどの馬鹿馬鹿しい評価が付きまとう場面であり、胸くそ悪いので思い切って省略したい。しかし役者泣かせの難しい場面である。

四段目、「道行恋苧環」

さて大詰め、舞台は急に江戸風俗を醸し出す。造り酒屋の娘お三輪は店子(長屋の間借人)の烏帽子職人の求女とひそかに恋仲である。しかし長屋の衆とお三輪の母親は、やたらに上品なこの店子が実は行方の知れなくなった藤原淡海ではないかと噂する。

赤糸と白糸を巻きつけた二巻の苧環、恋のまじないだといって赤糸のほうを求女にわたすお三輪であった。

しかしその求女の元に通う姫様がいた。求女はお三輪と姫様の二股をかけていた。 二人の娘が鉢合わせ喧嘩になるが、姫様のほうは何か事情があると見えてその場から逃げてしまう。姫の後を追う求女、またその後を追うお三輪であった。
求女は姫の身分を知らなかった。名乗ってくれれば一緒になろうという求女に対し、名は明かせないけれど一緒になれるのならば死んでもかまわないという姫であった。名乗れないのもそのはず、姫は蝦夷の娘、入鹿の実の妹の橘姫なのである。
嫉妬に駆られた三輪が二人に追いつくとそこでまた言い争いになる。恋に貴賎の隔てはないが、橘姫に比べればお三輪はあまりに賤しい生まれだった。しかし熱い血潮をたぎらせるようなお三輪の恋の仕草が見るものを引き付ける。 


お三輪から渡されていた苧環の赤い糸を橘姫の着物の裾に仕付けた求女はそれを辿って姫を追いかける。白い糸を求女に付けて追うはお三輪。その糸の続く先は天下の大悪党の棲む三笠山御殿であった。


「お三輪」の名には何が隠れているのか、それは大和三輪山に祀られる三輪明神、つまりオオモノヌシ(大物主命)である。オオモノヌシはスクナヒコナに去られて途方にくれるオオクニヌシのもとに海を輝らしながら現れ、汝の和霊(魂の一部)であると宣い、自らを三輪山に祀るよう望んだ神である。蛇神、水神、そして酒造りの神であり、お三輪が造り酒屋の娘と仕立ててあるのはこのためである。
「古事記」によるとその昔、イクタマヨリヒメ(活玉依比売)の元に容姿端麗な男が突然あらわれ結ばれたが、子を身篭ったヒメの父母が相手は誰かと問うとどこの誰かもわからないという。そこで父母はヒメに教えて曰く、夫の着物の裾に麻糸を結び付けておき、朝にそれを辿れば夫が誰だか判る、と。その糸は戸の鍵穴から外に通じ三輪山の社にまで続いており、かの男はオオモノヌシであったという神話である。
求女が男でお三輪が女というのが神話と逆転しているが、男らしいとはいえない求女と、逆に火のように激しいお三輪の対比がこの逆転を打ち消している。


「橘姫」、古代史上で「たちばな」といえばこの女あり、犬養美千代またの名を橘夫人である。
王族の美怒王の妻でありながら夫の遠征中に藤原不比等に嫁ぎなおしている。離縁して再婚したのか不比等が略奪したのかは判らない。軽皇子(後の文武帝)の乳母をつとめ、不比等との間に生まれた光明子は後に聖武帝の皇后となる。王族以外の娘が皇后となるのはこれが始めてであった。軽皇子の母の元明女帝に与えられた橘姓を以って三千代は橘氏の祖となった。


そして「求女」、いわずと知れた藤原淡海じつは不比等である。求女という名は「綺麗な男」に使われるもので、二人の娘を恋に狂わせた男にはおあつらえというもの、しかも、この役はただの色男ではなく「色悪」とよばれるもので、己の野望のために寝技を使う卑劣な悪役なのであった。
不比等はまず娘の宮子を文武帝に嫁がせ、その二人の間に生まれた皇子が聖武帝となり帝の外祖父となっている。さらに光明子を皇后に立てることに成功したのである。

江戸時代の戯作者たちは、不比等がどんな男だったかようく御存知だった。

四段目、「三笠山御殿」

諸国の大名が入鹿のもとに駆けつけ恭しく挨拶を述べる中、明らかに場違いな粗っぽい男が屋敷に上がりこむ。難波の浦の鱶七(ふかしち)、鎌足と意気投合した漁師だという。鎌足が今までの非礼を詫びて仲良くやりたいという手紙をそえて酒を送ってきたという。当然怪しいこの男、侘びを受け入れないのはやましい事があるからだ、などと言うが入鹿はなぜか苦笑い、鱶七を殺さずに人質にとることにした。


屋敷に橘姫が戻り官女が着替えさせようとすると裾に付けられた糸の気づく。それを手繰り寄せれば恋焦がれる男が現れ、官女たちは喜んで囃し立てる。野暮は禁物とばかりにいそいそと散る官女たち。


橘姫の正体を知り驚く求女いや淡海、自らも名乗りかくなる上は生かしておけぬと姫を手にかけようとする。が、叶わぬ恋と諦めるのであれば死んだほうがましだという姫の言葉に刀を納め、兄・入鹿の手にある宝剣を盗み出してくれたのならば夫婦になろうなどという取引きを持ち出す。こんな男に惚れてしまうのも女の悲しい性なのか、求女と添い遂げたい一心で兄を裏切り宝剣を盗み出す決心をする橘姫であった。


求女を追いかけて屋敷の庭に迷い込む三輪は豆腐を買いにいく女中から姫様の意中の男との祝言が今宵内々に取り持たれることを聞かされてしまう。あわてるお三輪、なんとか屋敷に入れてもらおうと官女に頼み込むが、事情に聡い女たちから酷い苛めを受けることになる。髪や着物を乱されて泣きながら馬子唄を歌わされるお三輪は自分の生まれの賤しさを思い知ることになる。


ところでわざわざ豆腐を買いに行くこの女中、その名を「おむら」というが、おそらくは後代の桓武帝の皇后になる藤原乙牟漏(おとむろ)であろう。乙牟漏皇后は橘夫人の血筋であり嵯峨帝の生母である。嵯峨といえば豆腐、語呂合わせにしては意味ありげである。なぜなら壬申の乱以後天智系から天武系に移行した朝廷にふたたび天武系から返り咲いたのが桓武帝なのであるからして。


大化の改新と呼ばれる一連の事業の中には朝廷の勢力圏を東北に伸ばす政策があった。当時この地には朝廷に従わぬ民衆があったことが記紀の記述にあり、その征伐は神武天皇自らが始めたとの「先例」を以って記されている(神武東征)。しかし朝廷の組織が実際に東北に設置されたのはこの大化の時代である。

東北のまつろわぬ民、それは「一人で百人に値するつわもの」ともいわれた「えみし」である。


日本史の謎のひとつでもあるのが「蘇我蝦夷」という名、蛮族と賤しみ朝敵と見下していた「蝦夷」の名を蘇我の家はどうして惣領息子につけたのか、である。諸説ある中で興味深いのは、「蝦夷」は日本書紀の編纂者の側が後から意図的に付けた名前であるというものである。つまり蘇我氏が「えみし」同様に朝廷に害をなす一族であったことを後世にまで知らしめ、同じく東北征伐の正当性を引き立てる役を持たせているという説である(入鹿の名に関しても同様の説あり)。
朝廷がどうしても東北を取りたかったのは、肥沃な土地と海産物、名馬と黄金があるからだった。そして文身し弓と馬を自在に操る屈強な男たちが朝廷に靡かぬという事実はそれだけで脅威であった。


それまでの朝廷は天皇と豪族がよく建議し権限を分担する形で政治が行われていた。しかし遣隋使などを通して大陸の情勢が伝わるようになると大陸に対し独立を維持するためにも強固な律令国家を築きそのためには「中央」にさらなる権力の集中が必要という考えが朝廷内に生じた。そこで起こるのが「誰が天皇にたつのか」よりも「誰が天皇をたてるのか」の争いである。大化の改新の前後の日本はこの内紛にあけくれた。そこで生じた悪名・汚名の全てを蘇我親子に擦り付けて最後に日本を我が物にしたのが中大兄と藤原親子だった可能性は十分すぎるほどある。

女を使って出世を遂げた「色悪」不比等は得意の筆で日本書紀を書き下ろし、開闢以来の大悪党、蝦夷と入鹿を生み出して、ばさりと斬って闇の中。


〽 袖も袂も喰い裂き喰い裂き、乱れ心の乱れ髪、口に喰いしめ、身をふるわせ、

屋敷の中から宴の賑わいがもれ聞こえ、いよいよお三輪は凝着の相もあらわに嫉妬に狂う。そこへ現る鱶七、いきなりお三輪を後ろから刺せば、橘姫の手の者と思い込んだお三輪はますます狂いだす。すると鱶七、「女悦べ」とお三輪を誉めそやす。漁師の衣装を脱ぎきらびやかな侍の姿に早替り、我こそは鎌足の家臣の金輪五郎、求女こそは我が若君の藤原淡海、仇敵・入鹿を退治するには凝着の相の女の血が、おまえの流す血が欠かせない、夫の手柄のために死ぬとはそれでこそ高家(身分の高い)の北の方(正室)、でかしたなあ、とそう言うとすでに爪黒の鹿の血を仕込んである笛にお三輪の血を注ぎかけ、この笛こそは入鹿を滅ぼす火串ならんとふかく拝する。

悦んだのはお三輪であった。恋しい男の妻として、その手柄のために死ねるなど女の冥加につきるもの、それでも最後に一目だけ求女を見たいと願いつつ巻く苧環の糸は切れ、お三輪もそして事切れた。

四段目、大円団

橘姫は宝剣を盗み出すがまたしても偽物、入鹿の知るところとなり姫は本物の宝剣で斬りつけられる。そこへどこからともなく笛の音が鳴り力萎える入鹿、宝剣は竜となり入鹿の手を離れて池にもぐる。そこへ藤原の軍勢がおしよせ入鹿を囲めばなおも大判事や金輪五郎に刃向かい抵抗するが鎌足がかざした神鏡に眼が眩み、ひるんだ入鹿は鎌足に首を取られてしまう。竜になった宝剣は鎌足の足元に舞い降りるのであった。天皇の象徴である三種の神器の宝剣が、帝というものがありながら何故に鎌足を選んでかしずいたかは、その後の日本での藤原氏の位置をよく語る。


史書にある歴史ををひっくり返さずに話を作るという歌舞伎の不文律を壊さずに本当の悪党が誰であったかを仄めかすという、この妹背山は神業に近い戯作である。
聴衆か観て溜飲を下げたかったのは淡海たちの最後であるが、入鹿が鎌足に討たれるという決まりごとは変えようがない。しかし序段から四段目を通して入鹿の見せた悪事はすべて史実での中大兄と藤原親子の仕業であることを語りきった。そして入鹿が頸を斬られる瞬間はすでに聴衆は心の中で入鹿を淡海たちに摩り替えている。だからこそ入鹿の最後の大見得に拍手と掛け声が集まるのである。


不思議な男の「鱶七」は悪役ではない。筋を貫徹させるために登場する、歌舞伎に付き物の神仙的な役である。「鱶=サメ」の名は古代の国つ神に数えられる海神の遣いであることの現われである。朝廷に抵抗した民衆の神もまたこの国つ神たちであり、入鹿の「鹿」も山の神の遣い、何よりもお三輪こそが国つ大神オオモノヌシの化身である。蝦夷と入鹿、そしてお三輪の荒ぶる魂を鎮め、あの世に還すためには是非とも鱶七にお出まし願うことになったのだろう。


「妹背山」の向こうには日本土着の「国つ神」と高天原の神々として知られる「天つ神」のはげしい戦いが隠れている。それは天智帝に始まり桓武帝に引き継がれる蝦夷征伐の序章でもあり、貴賎に囚われ生きる人の悲しさを描くものでもある。

くりかえし むかしをいまになしたとて むかしがいまに なるばかりなり
 

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