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エドガー・ケイシー日本人への最後の警告
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/460.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2013 年 5 月 18 日 08:54:12: KqrEdYmDwf7cM
 

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1753392.html
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library516.html

エドガー・ケイシー日本人への最後の警告  
誰も正視できないこの国の終末
五十嵐康彦・著  廣済堂  1990年刊


  リーディングで明らかにされた転生の法則

  「カルマ」とは仏教でいう「業」にほかならない。長く仏教的な考え方をベースにして生活してきた私たち日本人の多くは、日常的に意識しているかいないかの違いはあるにせよ、この“業(カルマ)”を信じている。
  霊魂の転生――つまり「生まれ変わり」は、この業=カルマと密接に関連しており、このことは著名な丹波哲郎氏の霊界にまつわる話で、もはや私たち日本人の間では常識化しつつある。一方、キリスト教を信じる西洋人にとっては、「生まれ変わり」は異端の考え方なのだ。
  ところで、エドガー・ケイシーの場合はどうか……。
  1923年8月10日の午後、オハイオ州デイトンのホテルの一室でエドガー・ケイシーのリーディングが行なわれた。いつもと同じように、催眠状態に入った彼が妻ガートルードの質問に答え、秘書のグラディス・デービスが速記をした。その形には何の変化もなかった。しかしその内容は、目覚めた彼自身が大きなショックを受けるものであった。
  いつものように、グラディス・デービスが速記録を読み返すのを聞きながら、彼はしばし呆然とし、それが過ぎると強い恐怖感に襲われた。
  敬虔なプロテスタントで、年に一度は聖書を読み通すほど神を至上のものと信じてきた彼は、自分が気がつかないうちに悪魔の手先にされてしまったのではないかと疑ったのである。
  催眠中の彼は、至って冷静に、当然のことであるかのように「生まれ変わり」の事実を語っている。人間が地球上に生まれる前に“別の生”を持っていたこと、地球上に生を得てからも、人間は何度も生まれ変わりながら現在に至っていること――そんな荒唐無稽なことを考える人間は、当時のキリスト教徒には異端者としか考えられなかったはずだ。
  クリスチャンなら誰でも、父なる神が人の住むべき家を用意してくれるというキリストの約束を信じている。もちろんケイシーも、それを固く信じてきたのである。その自分が無意識の中で語っていることは、神に背き、悪魔に魂を売り渡したとしか言いようのないことだった。
  彼の混乱をよそに、このリーディングを依頼したアーサー・ラマーズは喜びで興奮していた。アーサーは印刷業を営む傍ら、心霊現象とか東洋の宗教を熱心に研究していた人物である。このリーディングをするために、わざわざケイシーをアラバマ州セルマから呼び寄せたのだ。
  自分の考えが間違っていなかったことを保証してくれたこのリーディングに、ついはしゃぎたくなる気持ちもわかろうというものだった。
  エドガー・ケイシーは、この時、生涯で最も大きな転回点にいたと言ってよいだろう。彼は何よりも、この場に背を向けて帰ってしまいたいという気持ちでいっぱいになったが、自分の知らないことは一切受け入れないというほど頑迷ではなかった。
  そんなことを言えば、そもそもフィジカル・リーディングでさえ、彼の確認しようのない分野のことであった。リーディングができるようになったのは“神の意志”によると考える以上、それぞれの時点ではどんなに“常識”に反するように感じられたとしても、謙虚な気持ちで受け止めるべきであるという結論を、彼は出していたのであった。
  このエドガー・ケイシーの大決心によって、われわれは、人類誕生の謎も、現代の人類が抱える危機をも知ることができたわけである。
  ところで、自分の前世を知ると何の役に立つのだろうか? 前世がどんなに良いものにせよ、逆にどんなに悪いものにせよ、もはや手の付けようがない以上、今さら知っても意味がないと思われて当然である。にもかかわらず2,500人以上の人々がリーディングを依頼し、ほとんどの人がそこから何ものかを得、その後の人生をより良いものにしようとしたのであった。
  リーディングによれば、すべての人間は、利己的な心を捨て、自分より不幸な人を助けたいという気持ちを持ち続けることによってのみ、自分の可能性をフルに開花させることかできるというのである。

 リーディングが教えるカルマの法則とは

  人間はなぜ平等ではないのだろうか? ある者は金持ちの家に生まれ、ある者は貧乏な家に生まれる。またある者は生まれつき才能に恵まれ、ある者は生まれついての身体障害に苦しむ。さらにある者は温かい家庭に恵まれ、ある者は生まれて間もなく家庭から放り出される。こうした不公平はなぜ起こるのか? しかも、それは、生まれてきた子ども本人にはなんの責任もなく、手の及ばないことではないのか。
  人は誰でも固有の性格を持って生まれてくる。その性格は善悪が入り混じっており、物心がつかないようなごく小さい頃から、すでに性格的な特徴が出てくるものである。これらはみな、前世から引き継がれてくるからなのだ。
  これがカルマである。カルマは、行為の因果関係についての法則で、たとえば「汝が他者になせしごとく汝も他者からなされん」といったものである。リーディングはこれを平たく、「他人を牢に入れた者は自分も入ることになる。剣で他人を殺した者は自分も剣で殺される」と表現している。
  「神はだまされない。人は蒔いた種は自ら刈りとらねばならない」
  このキリストの言葉も、カルマの法則にほかならないのだ。
  リーディングは「どんな霊魂もそれぞれに特有のカルマ的パターンを持っている」と言っている。人々は、どんな場合でも、自分が形作ってきたカルマ的パターンの中で生きている。さらに、家族、友人、民族、さらには人類全体も、それぞれカルマ的パターンの中で生きているのである。リーディングでは、それが「他国に戦争を仕掛けた国は、他国から戦争を仕掛けられる」と述べられている。
  カルマには2つのタイプがあり、それが人間としての誕生の際にもたらされる。一つは霊の心の内部の衝動で、肉体の外で宇宙的世界において体験したものから生まれてくる。もう一つの感情や情緒は、地上における生存の中で形作られたものである。
  ただし、地球上で人間の肉体に宿っているときの体験でなければ形を成さないから、結局は地上における生存だけが問題になる。
  人間のどのような考えも、言葉も、行動も、それは彼の基本の性格に付け加えられるとともに、彼自身のカルマ的パターンの一部になっていく。つまり、一つ一つの考え、一つ一つの行為が、現在の自分の性格を作るとともに、将来の自分を形作る材料になっていくのである。自分が現在置かれている環境は、実は過去の自分自身が作り出したものなのだ。逆に、今していることが、同じようなやり方で、将来いつの日にか、自分自身に返ってくるのである。

 カルマは時の流れに沿って働くとは限らない

  善いカルマもあれば悪いカルマもある。健康、才能、家族、友人、幸福などは善いカルマであり、病気、貧乏、不運、身体障害などは悪いカルマである。
  人間は、自分にとって都合のよいカルマは「当然の権利」だと考えるものである。しかし、悪いカルマにあうと、とたんに憤慨することになる。そのカルマを生み出したのが、ほかならぬ自分だということに気づかないからだ。
  すべての結果には原因がある。もし、人が現在の自分の考えや行為は、前世の代償を払わされているのだと感じたとしたら、カルマの法則に諦めを感しるのではなく、将来(来世)のために正しい生き方をしようという勇気が湧いてくるに違いない。カルマの法則の目的は、モラルを高め、精神的な成長を助けることにあるのだ。
  人間は、自分が行なう選択や決断のたびに、自分自身の新しいカルマを作り出している。その反作用は、時にはすぐやってくることもあるが、多くの場合、何年も何十年も経ってからやってきたり、生まれ変わった後の次の人生でやってきたりする。
  悪いカルマの中には、借金を背負い込むこと、生まれつきの身体障害、多くの不幸に見舞われることなどがある。これらは、前世でその人が何らかの悪をなした結果として生まれてくるのだ。そしてこの悪いカルマは、その人か償うか、その背後にある悪いきっかけが除かれない限りは、何回生まれ変わりを繰り返しても消えることはない。
  カルマの法則の働きは、必ずしも時計の針のように時間の順序で働くとは限らず、いくつも後の人生において結果が現れることもあるというのは、その霊魂が、それにぶつかるべき条件が整った時を待つということがあるからである。霊魂がグループとして一つのカルマを共有している場合や、他の霊魂との関係がカルマとなっている場合など、条件が揃うのにはたいへんな時間を要するが、それでも状況設定は正確になされていく。
  人種、宗教なども、生まれ変わりの中で変化することがある(また、性も変化することがある。たとえば、極端な黒人差別主義者が、その前世では南部の奴隷であり、次には白人に対する憎悪の強い黒人に生まれ変わったという例がある。彼はその時々ではきわめて真面目なつもりでいるのだが、その経緯を知ったとしたら、自分の行為が恥ずかしくてたまらないだろう。こうしてみると、性、人種、宗教のいすれに対する偏見も、愚かなものであるということがわかろう。

 カルマの法則は変えられぬ“宿命”ではない

  長期的な視点で見た場合、本当はカルマには“悪いカルマ”というものは一つもない。すべてが“善いカルマ”である。というのは、カルマの法則の目的は、人間の悪業を懲らしめることにあるのではなく、人間の精神的な成長を助けることにあるからだ。
  したがって、現在、どのように悪いカルマを抱えているように感じられたとしても、それでくじけるようなことがあってはならない。忍耐、親切、理解、献身、勤勉、寛大さ、思いやり、明るさなどといった精神的美徳によって、善いカルマを増やしていくことが大切である。
 世界には、希望を失い暗い気持ちで生きている人々がたくさんいる。その原因が物質的なものであろうが精神的なものであろうが、われわれは彼らが求めているものから目をそらすべきではない。われわれは人類という兄弟の保護者なのだというのが、ケイシーによるリーディングの教えである。
  他人の重荷を分かち合い、悪いことを正そうとすることは、ただ他人のために善いことをしているというだけではない。同時に、自分のためにも善いカルマを作っているのである。すべての人間がこの考えに従って生きていけば、それは、よりよい世界を作ることにつながるはずである。
  悪いカルマを取り除くとか、善いカルマを作るという考え方は、カルマが宿命的なものではないことを示している。カルマは“生きる条件”を作り出しはするが、そこから自分に相応しいものを選択して行動に移すのは人間の意志である。その意志の力によって、その霊魂が前世で作り出したカルマ的パターンも変えることができるのだ。
  よりよい人生や、よりよい世界を求めて努力をしている人間にとっては、転生(生まれ変わり)やカルマの法則は、決して諦めをもたらすものではないというのは、このような理由による。カルマは常に、人生と世界のあり方に新しい希望を与え、新しい理解の仕方を教えてくれるものなのである。

 神は常に人類に救いの手を伸ばしている

  エドガー・ケイシーが催眠状態に入って語ったことを“リーディング(Reading)”と呼んだのはけっして偶然ではなかった。
  彼はリーディングの中で、「父」なる神が「心の子たちI(霊魂)を作り出したとき、この姿を持たない「心の子たち」の個々の考えや行動は、彼ら自身の心の中に記録されていったが、それだけではなく、時間と空間の織りなす四次元の世界にも記録されることになったと述べている。
  そこにはまた、この「心の子たち」に関係することなら何でも、もれなく記録されている。これが「アカシック・レコード」と呼ばれているものだ。
  この記録は文字が用いられているわけではなく、霊魂たちの共通の「記憶」として、無数の情報が蓄積されている状態を言うのである。何か“もの”に書き込まれているわけではないから、紛失するようなこともないわけである。
  人間が考えたり行なったりしたことはすべて、このような意味で「記録」され、永久に保存されるのである。この記録を、エドガー・ケイシーは透視的に「読む」ことができたのであった。この「読む」という言葉から、象徴的に“リーディング”と呼ばれたわけである。
  そして、この記録を読めるかどうかは、もっぱら、その読み手の能力にかかっている。この記録は、文字が用いられていないだけではない。言葉さえ用いられてはいない。ある意味で共通語である“イメージ”のようなものが用いられているのである。
  だからこそ、医学の知識もイタリア語の素養もなかったエドガー・ケイシーが、イタリア人の患者に対してはイタリア語で、医学用語を駆使しながらフィジカル・リーディングをやってのけるということもできたのである。また、そのために、そのときのエドガー・ケイシーの体調がかんばしくない場合など、情報を性格に読み取れなかったり、表現し切れなかったりということがあったのである。
  エドガー・ケイシーは言っている。
  「この記録は、各人の生命的実体(霊魂)が忍耐をもって時間と空間の中に書き記したものである。やがて自己が永遠なる存在(神)と同調一致できた時に開かれるのである。そして、この神の意識に同調することができた人たちにも、それは読み取ることができる」
  また、アカシック・レコードにより未来を知ることも可能になる。なぜなら、すべての時間は一つであり、過去・現在・未来は一体であるからである。

 人生は霊魂の成長のためにある

  エドガー・ケイシーは、リーディングの中で繰り返し主張した。
  「永遠なる法則である根本法則は、蒔いた種はいつか必ず刈り取らねばならないということである」
  これが、霊魂の不滅性とカルマの法則について述べたものであることは明らかだ。実は、この2つは同じ金貨の裏と表の関係にあるのだ。そもそも、霊魂が有限なものだとしたらカルマの法則は意味を持たないし、カルマの法則が成り立たないのなら霊魂の不滅性はあり得ないことになる。
  そしてこれは当然のことだが、この法則は、現世ばかりでなく、前世や来世にも当てはまるのである。なぜなら、現世は前世の“結果”であると同時に、来世の“原因”でもあるからなのだ。
  さらに、人生の本当の目的は次のようなものだと、彼は言う。
  「人間の生きる目的は、自分自身の心を完璧な一つの『全体(the whole)』と協調できる高さにまで高め、進化させることにある。そして、そうなった段階は、同時に自己の独立した個体性を認識している状態でもある」
  人間の運命とは、自分の創造者と一つのものになり、創造者の同伴者としてふさわしい存在になることである。そうなることは可能であり望ましいばかりでなく、いくら時間がかかってもそうならなければならないのだ。
  永遠の世界に通じることで、人間の有限の力も最後には「全体(the whole)=宇宙」の力と一つになることかできる。
  ここに至って初めて、霊魂もカルマの法則から解放されるのである。
  しかし、このような完全に近い状態に達するまでには、肉体を持った人間としての生まれ変わりを、少なくとも30〜50回は繰り返すことになる。その生まれ変わりによって、人間は進化の過程を検証するのである。

 人間の最終目的は何なのか

  このように、成長・進化によって「霊魂」そのものになった人間は、再び創造者と同一化することが可能になる。人類の兄たるイエスが教えたのも、そういう道であったのだ。彼も、さまざまな欲望を持ち、誘惑に陥る人間としての生まれ変わりを経て、肉体的にも精神的にも、また霊的にも救世主になり、それによって自分は創造者とは別のものでありなから、その心と意図は同一化するに至ったのであった。
  神である「父」や「母」と同一化するのには、霊魂は自分が創造されたときと同じように、完全な状態に戻る必要がある。そのときより知識も豊富になっているはずであるが、それでも同じ状態に戻らねばならないのである。
  ただし、これは、霊魂が自分の個性を失うことを意味するものではない。「同一化」と言っても、人間は、それぞれ独自の個性、自由意思、理性を持ち続けるのである。
  しかし、これらの性質は神の意志と協調するものでなければならない。霊魂は他の霊魂とともにほぼ完全な調和を保ちながら「全体(the whole)」の一部として存在しながらも、独立した別個の存在として、自分の個性にも気づいているのである。
  そのように高度に進化した霊魂は、創造の知恵と力を備えており、その意味でも神と同一比している。したがって地上や他のどこにおいても兄弟たちの霊魂を導くことができ、中には自らの選択によって、そのような指導を目的として地上の人間として戻ってくるものもある。
  どんな道を辿ろうが、人間は、最終的には自分の根源=「父」や「母」なる神のもとへ戻らねばならない。それが最終ゴールであり、その過程の中には、すべての人々に、より気高い存在のし方を教えるものが示されている。
  人間の法則とは、結局のところ、神の法則と一致しているのだ。
  成長の過程は遅々としているように感じられるかもしれないが、少しずつ神の光に向かって上っていくものであり、よりよい世界になっていくことは確かである。
  人間は、しばしばつまずいたり後退したりもする。地球が検証の場として作られたものである以上、やむを得ない面もあるだろう。
  だが、いずれにせよ自分のうちなる火花に導かれて、一歩一歩、闇から光に向かっていることは、信じなければならない。

★ なわ・ふみひと の ひとくち解説 ★
  この本が出版されたのは今から30年以上も前のことになります。当時は、『ノストラダムスの大予言』が話題になっていました。「1999年7の月」に地球に何かが起こる、ということで、「1998年に日本が沈没するだろう」というエドガー・ケイシーの予言も、終末に関係する予言として真実味を帯びていました。
  私のようにさまざまな予言の解説書を読みあさっていた人間にとっては、エドガー・ケイシーは教祖的存在でした。当時は、この世界がどうなるのか、日本はどうなるのか、人類は滅びるのか……といったことが話題の中心でしたので、私自身もこの種の本はそのような観点から読んでいたのですが、今になって読み返してみますと、人生で最も大切なカルマの法則についてもしっかりと述べられていました。1998年の日本沈没を予言したケイシーの予言は外れましたので、そろそろこの本も処分しようと思ってさっと読み直してみましたら、本当に読むべき内容がちゃんと書かれていたというわけです。
  すでに当サイトや拙著『2012年の黙示録』(たま出版)で述べてきた内容ではありますが、「あのケイシーも同じことを言っていた」ということで、当サイトに収録することにいたしました。大切なポイントは赤い文字に変えて強調しておきました。ケイシーの予言も、2012年の予言も外れてしまいましたが、今が終末の時代であるという認識は変わりません。何度も読み返していただきたい内容としてお勧めします。

 

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コメント
 
01. 2013年5月18日 10:28:02 : lsE1GVgFME
>人生は霊魂の成長のためにある
>人間としての生まれ変わりを、少なくとも30〜50回は繰り返す
>成長・進化によって「霊魂」そのものになった人間は、再び創造者と同一化すること>が可能になる

>長期的な視点で見た場合、本当はカルマには“悪いカルマ”というものは一つもない>。すべてが“善いカルマ”である。というのは、カルマの法則の目的は、人間の悪業>を懲らしめることにあるのではなく、人間の精神的な成長を助けることにあるからだ>神は常に人類に救いの手を伸ばしている
 ↑
カルマ教…だよねぇ。
しかしながら、現生の過酷な実態を知るにつけ、このカルマの法則とやらを素直に受け入れることは難しいワ。
このカルマ教を信じ、魂の成長を遂げようと努力した者は、次世では病気、貧乏、不運、身体障害はもとより、イスラム過激派の自爆テロにもならないで済むっちゅう免罪符みたいなもんなのかしら。


02. 2013年5月18日 13:42:15 : jxZFRv3P5c
01.カルマ教、でも免罪符でもない、仏教でいう因縁因果、まいた種は自分で刈り取り、経験により学習するという意味。転生があるとすれば、いわゆる、肉体(物質、入れ物)は壊れて死滅するが、霊魂は死なない、次の生に向けて生まれ変わるというもの(チベットの死者の書などにしめされている、すなわち受胎のとき霊魂が入り生命が誕生する=人間は肉体+霊魂でできている というもの)霊魂は転生しながら学習し、だんだんと向上していくその過程では浮き沈みもあるが、自分で撒いた種、現世で自覚してなくても、前世で撒いたものを刈り取っている、だからよいことをしなさい悪いことするなと言う考え、というよりも真理。

03. 2013年5月18日 14:24:37 : jxZFRv3P5c
おまけ、転生、生まれ代わりの原動力はなにか?それは欲望だそうです。たとえば、ビ−フステ−キが大好きな人が死後、あの世(霊魂の世界)いって、ビ−フステ−の味がわすれられなくて、その欲望が消えてない場合、あの世にビ−フステ−キはないので、娑婆にもどって(生まれかわって)くるという考え、わかりやすく説明すればこんな感じで、娑婆にまたもどってくる。欲望を満たすため、お釈迦さまは欲望がなくなった悟りの境地に達して亡くなられたのでもう娑婆にはもどらないそうです。

04. 2013年5月18日 20:46:38 : RLmtenrza2
難しいですね。
転生輪廻、輪廻転生。
信じる人は信じてます。私は信じてます。が、
疑う人、信じられない人達のほうが多い。

人生観が180度違います。
倫理観も違ってきます。

あの世情報や高次元情報、宇宙人情報などは、残念ながら、中継者個人のフィルターを通してしまいますので、偏ります。
そのへんを割り引いて冷静に判断出来る人は稀有です。

難しいとしか言いようがない。


05. 2013年5月18日 20:52:15 : RLmtenrza2
コメントしようとしたら弾かれました。
あの世、高次元、宇宙人は、全てイコールだよ、みたいな、
私は信じててるけど、偽情報が多いよ、みたいな、コメントがいれられませんでした。

06. 2013年5月19日 12:25:57 : egyl42NySA
人は生まれながらに不平である。この根本的な問への解答の1つだな。

07. 2013年5月19日 19:03:39 : q931E3NW4E
カルマと云うものは存在しません
それは古い価値観による方便です
他人を恐れの対象としてしか視られないものが生みだした考え方です
人を信頼出来ないからこそルールと強制的な罰則というものをつくり出すのです
それに慣された結果それ無しの世の中が考えられないのです
人々が欲するのは経験というものであって、固定化された様式ではありません
人々はそうしたルールを守る為に自らの欲する経験を変えてしまっています
改善されるべきはそうした部分です
そうしたところにネガティヴなものとの分離といった歪みが生じているのです
そもそもきまりや約束事が何故誰もに守れるものとして、そしてまた守られるべきだと強制して考えることができるのでしょう
そして何故それらは破られつづけるのでしょう
本来そのように守れないことを前提として、作るべきでないものが作られているようです
守れることを前提として、作るべきでないものを認可して乱立してしまっているのでしょう
そのやり方ではいつまでも人々が信頼の絆で結びつく方向性になど、
導かれる事はないということを我々は今知っている筈なのです
敵対心と罪悪感こそが自身に恐れと不信感を齎します
そしてあなたを過去に縛り付け身の自由を奪います
魂は本来時間を超越したものですのでそのような罪や罰といったものは在りません

リーディングとは、時間の概念の中に浮かぶ「現在」の意識にて
術者が対面する被術者の意識エネルギーを読み取るものです
つまりなんらかの刺激によって被術者の現在の意識が変化すれば、
当然その時点で見える未来の予想図も、そして勿論過去の、所謂前世の姿も違って見えることになります
我々が物質界の属性を真に理解すれば、過去のものを現在に作っていると云う事にも気づく筈です

あなたの未来と現在のあなたの意識は直結しています
現在の経験を望まないものと感じていれば、未来もまたそのように変化することは在りません
未来を信頼するものとして感じていれば、あなたの現在の意識が変化していると云う事になります
しかし、現在に於いて不都合な過去の出来事に心を病んでいれば、その現在でのエネルギーに応じた未来が作られ、体験するものとして生まれます
我々の意識は常に無限に分岐点を生む"あみだくじ"のように、体験による心境の変化で、
数々の分岐を通過する度違った自己へとシフトし続けています
心境を保ち続ければ、同じ人格であることになるでしょう
つまりあみだくじの一本の縦線は、ひとつの時点における過去と未来の全情報を結びつけたひとつの経験の本質に該当すると視ることが出来ます
よって現在のエネルギーの質が変化すれば、未来に経験する内容も、実際に過去の経験も、変化することになります
それでも大きく変化をするには、現時点でのエネルギーを表す、受け容れている観念、そして信念化された情報が変化しなければなりません
つまり、突如として人生を変える人とは、実際に夢と想像力と自己への信頼とやる気によって変わるのです
それを量子飛躍と呼ぶことが出来ます
そのような大きなシフトでは完全に人格全体、つまりその人格に付随する未来と過去もが入れ変わります
人はより自己を内省する経験をし、そこにネガティヴな性質を理解すれば、それを変化させたいと強く願うものです
しかしそうしたものは時間にして、非常に刹那的なものである筈なのです
罪と云った認識をいつまでも引きずる必要など在りません
しかし人は過去に縛られ、肉体の中にひとつの人格だけが閉じ込められているかの様に捉えれば
そのような理解に至ることは在りません
時間の経過が人々の罪と呼ぶものを解消する様に考えられていますが、本当にそのような考え方を人は出来ていません
そうした狭小な考え方が跋扈する限りそれは続きます
繰り返しますが、魂に時間などと云うものは存在しません
罪の意識をもてばそこに支配され続けます
そのような物質界で受け容れた経験様式を肉体から離れたあとも受け容れていることは可能です
気付きを得る迄その考え方による影響は続きます
つまり所謂地獄というものの存在です
変えれば変わる、ただそれだけです
誰かに監視されているように感じていれば、そのように変わりたくても変われません
この物質界で何を受け容れてくるかによるのです
ですから赦しなどと云う考え方の教えもがあらためて必要になっているのです
あなた方はそのように解釈をする迄に、いくつもの不要な物語を耳にし、信じ込んできています
実際様式というものには伝統や格式美が存在しますが、単なる慣習が美麗さをもつ訳ではありません
表現の自由とはそれぞれの個性的なあり方です
個性がひとつに統べられることはありません
個性とはそれぞれとして認められる生き方です
価値観というものはそれぞれに違います
何かを許せない様に何故あなたが感じているのか考えてみることです
それぞれの生き方を認めることができないからこそ反発や権力争いなどが生まれるのです
自由とは、不自由さに抗う様にして謳われるものなどでは在りません
対照的なものとの対比に浮かび上がる自由など自由とは呼べません
自己と呼べるものの本質と云うものを捉え直すことが出来なければ、こうした考え方は理解出来ません
例えば仏教で言う千手観音をあなただと捉えてみて下さい
一度きに同時に複数の自己的存在、さまざまな時代に於ける人生を通して、多くの経験を得ています
それが別次元でのあなたの姿です
各時代にあなたの転生と呼べるそれぞれの経験をもつ別個性としてのなあなたがいるとします
それらは過去世、未来世と呼ぶあなたです
そしてまたそれら過去と未来世のあなたの人生は、現時点のあなたのあり方と結びつき、無限と呼べる程に存在します
それら経験の本質は、同時に発生し、そして同時に経験されていますが、
物質界での生物的な経験様式に合わせて、ひとつひとつ経験されている様に感じているのです
あなたの人体の細胞のそれぞれもまたあなた同様過去と未来の記憶を持った存在だと観ることができます
そしてまたこれは例えですが、千手観音としてのあなたでさえ、さらにその上位部分の一部に属しています
本来意識も無意識もなく、そこに垣根は在りません
あなたがどうした思い込みを持ち込んでいるかによって、現実の認識は変わります
「空」を見つめる様にして、一点に集中することなく、意識を全体に向ければ
普段とは違った気配や感覚を感じることが在る筈です
そのように意識の使い方を変えてみることでありもしない意識の垣根を乗り越えることはある程度迄出来ます
それら存在はそれぞれに個別でありまたひとつです
これはあくまで例えですが、そのようにあなたの可能性とは不自由さの中に生まれたものではけして在りません
制約を与えているのはあなたの意識、あなた自身です
どうした経験も受け容れている考え方に影響を受けます
自らに制約を与えることにより、意識を一点に集中して個性ある経験を生み出しているのです
病気に対して投薬や医療措置が不可欠だと感じればそのように、
自らの肉体の細胞の絶対的治癒力を信じれば、そのような経験をつくり出すこととなります
生物的な細胞の記憶もまたあなたの持つ観念に影響を受けて変化します
現在のあなたが強い欲求衝動と想像力に依って、求める自己像にシフトすれば、
そこからその過去と未来の記憶としての知識をも利用することが出来ます
動植物の進化、そして人間の進化の為のインスピレーションとはそのように"与え"られます

時間の概念とはこの生物学的な人類の認識と価値観の中に育ったものです
我々の大元の存在のエネルギーとはこの物質世界に入射した際に、屈折を起こし、その領域独自の概念を生み出す波動として変換されます
それが生物的な経験様式としての前後の時間の繋がりといった感覚を生み出します
経験の本質にはそうした前後の繋がりなど当然なく、あくまでも人生と云う中に繋がりを感じているだけです
地球もまたあなたの本源のエネルギーが物質界に入射して生まれたあなたと分つことの出来ないエネルギーそのものです
生物学的なリズムとの一体性が地球環境のあらゆる面で一致をみるのは当然です
すべては現在に同時に生まれています
各時代は今も尚同時に存在し、すべての面で尚も変化を続けています
過去世としてのあなたも現在に継続中です
あなたの現在の変化は過去のあなたや未来のあなたに影響を与えます
本源のエネルギーが物質的様相に変換されて生まれる波動のリズムが各時代を作ります
人類に大きな変化を起こすエネルギーは時間的な概念下で2000年毎となります
2000年毎に人類が再びひとつの意識に結ばれます
次に小規模な変化は400年毎です
更に個人毎にも数年毎に大きな変化の時期として巡ってきます
数字のもつ力とはこうした大元の存在のエネルギーの物質領域下に波動として変換されたリズムに刻まれたものです
今はその再び人類全体の意識として結ばれる2000年の節目であり
そうした時期に人類全体にとって大きな変化が起こります
何を経験したいかを現在に呼び起こせば、あなたがその変化を喜ばしいものとして受け容れることが出来ることは確かです
過去というものや望ましくない状況に意識を集中しつづけていれば、そのような経験を体験することとなります
いずれにしても自己の存在の本質をエネルギーであると認識し理解すれば、あなたは本来の自分の自由さを取り戻すことが出来ます
夢の中での自分をそのように肉体下での現実的体験と変わりなく受け容れる事が出来、
夢の中に現れるそれぞれの存在の本質がエネルギーの情報の具現化であると視れば、
あなたもまた夢の中で変わらず主観的な行動を起こし、制限無く振る舞うことが出来ます

そしてそこで覚醒時の物質的現実世界に役立つ情報を得る事も出来、
そしてまた現実もまた夢の中同様、なんら現実世界の創造方法に違いはないと云うことを理解することが出来る様になります
違いがあるのは時間の概念的な感覚だけです
最終的にはこの世界でも自分と云うものを信じることが出来るということです
それはつまり神という概念的な存在に頼らず、自分の力だけを信じる事が出来るようになると云うことです
自然に繋がれば、不自然なものは淘汰されて行くだけであるのです
抑圧や不信がなくなれば病気もなくなります


08. 金十字架 2013年5月19日 22:43:01 : mfAWtS4GF8MpY : q931E3NW4E
>07
改訂します
 
カルマと云うものは存在しません
それは古い価値観で在り,理解のしやすさが手伝って、一頃流行った方便のひとつです
それは他人というものを信頼出来ず、不可解なる出来事に恐れを抱くものにとって必要だった考え方です
故に自己、そして人、そして神をもまた怖れの対象として捉えたのです
そうしたものにとって、宗教は理解のバランスを取る為に効果的でした
不可解なもの、つまり人を信頼出来ないからこそルールと強制的な罰則というものをつくり出したのです

人々が生まれながらに欲するのはあくまでも経験であって、固定化された安定や決まりきった様式などではありません
多くの人々はそうしたルールに慣された結果、危険であることを不自然に意識し過ぎて、自己の安全を守ることに意識を奪われて、自然であれば望ましい筈の状態を自ら不安定にしています
そして自ら欲する経験を外からあてがわれた枠に納めて限定してしまっています
そうしたところにネガティヴなものを生み出し、危険と看做したもの、つまり不可解なものとの差別を生み出し、分離を進行させているのです
そこにあらゆる不自然なあり方にに繋がる魂とも神とも呼べる、本源のエネルギーの歪みが生じているのです
基本的に古い考えが改善されるべきとするのはそうした部分です
そもそも、きまりや約束といったものが、何故誰にでも守れるものだと押し付け、そして強要し、守れなければ罰則を与えることなどが出来るのでしょうか
何故それらが誰にも守られるべきだと強制することができるのでしょうか
そのような権利がいつ、誰から誰に与えられたというのでしょうか
神がそのように監視していると誰が言ったのでしょうか
そして何故それらは破られつづけるのでしょう
本来はそのような約束事などというものは、「いつ」まで強要されるものなのでしょうか
守れる筈だという前提があって、作るべきでないものとは作られているのではないでしょうか
現在迄に、守れる筈であることを前提として、作るべきでないものはいくつも認可されて乱立してしまっている訳でしょう
そうしたやり方では、いつまでも人々は人を信頼することなど出来ませんし、無理矢理そのようにくっつけてもまとまる筈が無いのです
そうしたやり方で信頼の絆が生まれ、ひとまとまりに結びつくことなどないということを我々は既に知っている筈です

敵対心と罪悪感こそが自身に恐れと不信感を齎します
そしてあなたを望まない過去に縛り付け、未来を閉ざし、身の自由を奪います
魂は本来時間を超越したものですのでそのような罪や罰といったものは在りません
そうしたものを読み取る、所謂ここで言うリーディングとは、時間の概念の中に浮かぶ被術者の「現在」の意識を
術者が対面してその意識のエネルギーにより全体の情報を読み取るというものです
そこで、なんらかの出来事により、被術者の観念が変化し、現在の意識が変化すれば、
当然その時点で見える披見者の未来図も、そして勿論過去の、所謂前世とされる経験内容も違って見えることになります
我々が物質界での我々の真の属性を理解すれば、過去で在る筈のものもまた、現在にすべて作っていると云う事に気づくことになります

あなたとされるエネルギーは常に変化して居り、肉体の容姿外観に納まるものでは在りません
未来のあなた、そして過去のあなたは、現在のあなたの本質的様相と直結して全体像を結んでいます
それは現在におけるあなたの変化に依って、全体像としての経験の本質がすべて切り替わっていると云う事です
過去における経験があなたに違った経験を呼び起こさせ、あなたにそれ迄と違う経験の本質を想定させます
その時、あなたがそこで生まれた新しい自己像に強く惹かれたとしたら、そこにあなたはシフトします
しかし、現在の経験を望まないものと感じつづけていれば、未来のあなたは新しい自己像に辿り着けず、変化することは出来ません
未来のあなたを信頼するものとして感じていれば、あなたは望みを見続けることになり、あなたはそれまでのあなたと全く違った経験の本質に移行することになります
現在に於けるあなたの意識の変化がそれを可能にします
しかし、過去の出来事に心を奪われ、現在に於いて不都合な状況に関心を惹き付けられてしまえば、変わることは出来ません
常に現在に於いてあなたのエネルギーに応じた経験の本質、つまり未来が作られ、類似する過去をも手元に置き続けることとなります
経験の本質とは感情のエネルギーです
現在に於ける感情のレベルが経験の本質を変えます
故に思考、想像力がその力の鍵を握ります
外界に反応するだけでは、我々は自分の力を理解していないと云う事になります
我々の意識は常に無限に分岐点を行き来する"あみだくじ"のように、折々の体験による心境の変化で、
常に数々の分岐を通過し、その都度違った自己へとシフトし続けています
ひとつの心境を保ち続ければ、つまり、例えば素晴らしい感情体験を味わい続ける術を学べば、素晴らしい経験を送り続けるでしょう
つまりこの例えに言う"あみだくじ"の縦線の一本一本は、ひとつの経験の本質を表し、その時点における過去と未来の全情報と看做すことが出来ます
現在のエネルギーの情報、受け容れている観念が変化すれば、当然、未来と同時に過去経験したとされる記憶も変化することになります
例を挙げれば、怪我や病気が消えると云う事は、その記憶が変化した為消えるのです
大きな変化を経験するには、現時点でのエネルギーを表す、受け容れている観念を変えなくてはなりません
そして信念化された情報を新たなものへと入れ換えなければなりません
突如として人生を変える人とは、実際に夢と想像力と自己への信頼とやる気といった量子飛躍によって変わるのです
そのような大きなシフトでは完全に人格全体、つまりその人格に付随する可能性としての未来と過去に入れ変わります
どのような存在も不自然な生き方を強行する程に、反面にある自然回帰願望を強めて行きます
文明が一夜のうちに沈むと云った事が起こるのは、人類全体の意識が起こした自然回帰願望によるものです
人は経験により自己を内省し、より望ましい自己像を描きます
不自然なあり方の中に、ネガティヴな性質を理解すれば、それを変化させたいと強く願うものです
しかしそうした内省は時間の概念に照らしてみても、非常に刹那的であり、自然であればその瞬間に人は望ましい方向に変化している筈なのです
罪と云った不自然な認識をいつまでも引きずる必要など在りません
しかし人は長く受け容れて来た考え方に依って過去に引きずられています
自己とは、肉体の中にひとつの人格だけが閉じ込められているものであるかの様に捉えれば、そのような理解に至ることは在りません
法律と云った規制では、時間の経過が人々の罪と呼ぶものを解消する様に考えられていますが、本当にそのような考え方を人は受け容れることなどできていません
より深刻な状況を長引かせるだけに留まります
そうした狭小な考え方が跋扈する限りそうした問題はなくなりません
繰り返しますが、魂に時間などと云うものは存在しません
罪の意識を抱き、抱き続ける間はそこに不自由さは極まり、不自然で病的な思考に支配され続けます
そのような物質界で受け容れた経験様式は、肉体から離れたあとも受け容れているからこそ、所謂地獄というものの存在が伝わっているのです
変えれば変わる、与えたものを受けとる、ただそれだけです
人を憎しんでいれば、自分もそこに蝕まれる経験をします
誰かに監視されているように感じていれば、そのような支配の目を感じ続けるだけのことです
そのような事を理解しなければ、変わりたくても変われません
ですから赦しなどと云う本来不要な考え方の教えもがあらたに必要となっているのです
あなた方はそのような自然ではない教えや解釈を必要なものとして感じる迄に、いくつもの不要な物語を耳にし、信じ込んできています

表現の自由とはそれぞれの存在の無理のない個性的なあり方のことです
個性がひとつの価値観の基に統べられることはありません
個性とはそれぞれとして認められる生き方そのもののことです
価値観というものはそれぞれに違っていてよいものです
何故なら、それぞれの経験は皆違うからです
何かを許せない様にあなたが感じているのなら、それが何故かを考えてみることです
それぞれのあり方が自然そのものであることを認めることができなければ、不自然な反発や権力争いなどが生まれるのです
自由とは、不自由さに抗う様にして謳われるものなどでは在りません
対照的なものを並べてその対比に浮かび上がる真理など真理とは呼べません
自由と云うものも、善と云うものも、倖せと云うものもまた同じです
自己の本質というものを捉え直すことが出来れば、こうした考え方を理解出来ます
例えとしては不適切ですが、仏教の千手観音を別次元のあなただと捉えてみて下さい
一度きに同時に複数の自己的存在を生み出し、さまざまな時代に於ける自分の人生を通して、多くの経験を得ています
各時代には、あなたの転生と呼べるそれぞれの人生が在り、そこでの経験は大体、現在のあなたの抱える似たテーマ性である筈です
それぞれは別個性としてのものですが、それらは確かに現在のあなたと繋がっています
それらは所謂、過去世、未来世と呼ぶあなたです
それら過去と未来世のあなたの人生は、現時点のあなたのあり方と結びつき、可能性の幅の増加に伴って尚も増え続けています
それら多数の経験は知識として尚も増え続け、それは千手観音の無数の手として現れています
その知識とは、あなたの想像力により創造された知識です
それらは常にあなたの望みの為に役立てられます
千手観音とあなたの関係とは、あなたとあなたの人体の細胞のひとつとの関係と同じだと言い表すことも出来ます

同時にそれぞれの望みは発生し、そして同時にそれが叶っています
それぞれは独自に個性を自由に発揮し、それらは誰かに自由を侵害され、支配されることは在りません
物質界では生物的な経験様式に合わせて、ひとつひとつ前後の繋がりが在る様に認識されているのです

本来、意識と無意識の垣根はなく、肉体を離れた夢の中ではそれら別の自己らとあなたは面会しています
あなたがどうした思い込みを持ち込んでいるかによって、現実の認識は変わるように、夢の中で体験したことを思い出す時にも、あなたの現在の観念が影響します
物質的現実での経験様式を夢に持ち込めば、そのように前後の脈絡といった展開を期待することになります
夢では目まぐるしく感情が変化します
そこではその感情状態がそのまま形を持ちます
夢に物質界の経験様式を期待することは間違いです
夢の世界を不可解なものとして認識し続けるのはそうした理由からです
しかしそれも,今後のあなたの取り組み次第ですぐに変化します
夢の中でのあなたを信頼すれば、そこから現実世界で役立てる情報を得ることが出来ます
そうしてあなた自身を信頼することを学ぶことが出来ます
「空」を見つめる様にして、一点に集中することなく、意識を全体に向ければ
普段とは違った気配や感覚を感じることが在る筈です
別次元のあなたから常にサインが送られています
そのように意識の使い方を変えてみることでありもしない意識の垣根を乗り越えることもある程度迄なら出来ます
それら多次元に跨がるあなたとしての存在はそれぞれに個別であり、またひとつであるものです
そのように、もともとあなたの可能性とは不自由さの中に生まれたものなのでは在りません
制約を与えているのはあなたの現在の意識、あなた自身です
どうした経験もあなたの受け容れている考え方に影響を受けます
自らに制約を与えることにより、意識を一点に集中して個別の経験を生み出しているのです
病気に対して投薬や医療措置が不可欠だと感じればそのように、
自らの肉体の細胞の絶対的治癒力を信じれば、そのような経験をつくり出すこととなります
生物的な細胞の記憶もまたあなたの持つ観念に影響を受けて変化します
現在のあなたが強い衝動欲求に従って想像力を使って望みの自己像に意識をシフトすれば、
その過去と未来の記憶としての自己の知識を利用することが出来ます
動植物の進化、そして人間の進化の為のインスピレーションとはそのようにして自ら"与え"られます

時間の概念とはこの生物学的な認識と価値観の中に育ったものです
体感する物事は流動的で、時間もまた感じ方はそれぞれに違います
距離感、スピードもまた同様です
我々の大元の存在であるエネルギーとは、この物質世界に入射した際に、屈折を起こし、その領域に合わせた独自の概念を生み出す波動として変換されます
それが生物的な経験様式としての前後の時間の繋がりといった独自の感覚を生み出します
物質界での経験の本質にはそうした前後の繋がりなど当然なく、あくまでもひとつの人生の中に、記憶に繋がりを感じているだけです
地球もまたそうしたあなたの本源としてのエネルギーであり、あなたと分つことの出来ないエネルギーです
故に、生物学的なリズムとの一体性が地球環境のあらゆる面で一致をみるのは当然です
すべては同時に生まれています
各時代は今も尚同時に存在し、すべての面で尚も変化を続けています

あなたの現在の変化は過去のあなたや未来のあなたに影響を与えます
本源のエネルギーが物質的波動の様相に変換された時にその波動のリズムが各時代を作ります
人類に大きな変化を起こすエネルギーは時間の概念下では2000年毎となります
つまり2000年毎に人類は再びひとつの意識に結ばれます
次に小規模な変化は400年毎です
それ以下の節目も数在ります
個人毎にも数年毎に大きな変化の時期が巡ってきます
数字のもつ力とはこうした大元のエネルギーの物質領域下に波動として変換されたリズムに刻まれたものです
今、その再び人類全体の意識として結ばれる2000年の節目であり、いまから2000年前に起きたことと同じテーマ性が描かれます
故にこうした時期に人類全体にとって大きなイベントが起こります
あなたが現在に何を経験したいかを常に呼び起こせば、あなたは変化を喜ばしいものとして受け容れることが出来ることは確かです
過去というものや望ましくない状況に意識を集中しつづけていれば、そのような経験をいつまでも体験することとなります
いずれにしても自己の存在の本質をエネルギーであると認識し理解すれば、あなたは本来の自分の自由を取り戻すことが出来ます
夢の中での自分をそのように肉体下での現実的体験と変わりなく受け容れる事が出来て、
夢の中に現れる存在は本質的に自分で在り、そして別個の個性的存在であり、それらの容姿がそれ自身の感情を表す情報であると視れば、
あなたもまた夢の中で現実と変わらず主観的な行動を起こし、意識的に想い通りの行動をとることが出来ます

そしてそこで覚醒時の物質世界に役立てられる情報をも得る事が出来ます
そして現実もまた夢の中同様、現実の創造方法に変わのないことを理解することにもなります
違いは概念的に齎される感覚だけです
最終的にはどの世界の自分をも信じることが出来るようになるということです
それはつまり神という概念的な存在に頼らず、自分の力だけを信じて行動する事が出来るようになると云うことです
自然であることにに繋がれば、不自然なもの、不要なものは自己の中から淘汰されて行くだけであるのです
抑圧や不信がなくなれば病気もなくなります
恐れが無くなれば、問題がなくなります
エネルギーの変化は現実の変化なのです


09. 2013年5月20日 09:11:15 : jxZFRv3P5c
07.08>>言えること@エドガ−ケ−シ−は伝記によれば、催眠状態で高級霊(?)の教えにより、患者の病気や生活上のさまざまな問題を解決している例がいろいろある、すなわち 君の能書きと違い実績がある。Aエドガ−ケ−シ自身はキリスト教を信じており、人間の輪廻転生を信じていなかったのであるが、高級霊(?)は仏教の輪廻転生があることを示した、ケ−シ−自身もおどろいた。大事なことは伝記によればケ−シ−には問題解決の実績があり、従い、輪廻の話も頭から否定できないのかも。
高級霊の存在、ケ−シ−の伝記は認めないという前提の人には通じない話。

10. 2013年5月20日 11:53:52 : jxZFRv3P5c
参考; 有名なシルバーバーチの霊訓(第二次大戦中、英国の霊媒に降りた、古代霊シルバ−バ−チの発言集)

の内容を紹介してみます。
シルバーバーチは、
「人類は互いに兄弟であり、霊の本質において一体である」と言っています。
また魂の生まれ変わり(サンサーラ)、輪廻についても説いています。
魂は進化のために輪廻しているということです。

英国はキリスト教でありますから、この輪廻再生(サンサ−ラ)については、スピリチャリストの間でも、肯定、否定の両論があるそうです。


11. 2013年5月28日 21:01:47 : 1laTubqZew

>ところで、自分の前世を知ると何の役に立つのだろうか?
 
A氏: えっ、俺、前はゴキブリだったの? ショックだな...

B氏: ゴキブリならまだいい。僕なんかハエだぞ、ハエ、ハエ!

C氏: お二人が羨ましい。私なんぞBさんがたかっていた犬のウンコの中で繁殖していたのですよ。
 
 
 
自分の前世を知る事は、何の役にも立たないと思われる。


12. 2013年6月02日 08:21:40 : jxZFRv3P5c
前世があるとして、現世での自分の今の状況について、よくある話で自分は生まれてきて悪いことをした覚えはなんにもないのに、大変ひどい惨めな状況にあるとして。ひょっとして現世でまいた種ではなく、前世での行動、行為が原因であった、というように、原因がわかる。すぐれた霊能者でないと(ほとんどはにせもの霊能者)わからないは話しであるが。前世を知ることはむつかしいが、前世があるなら来世もあるというふうに考えられる。仏教で言う因縁因果の世界の理解と現在どのように生きるか、何のために人間は生まれてくるかという根源低問題を見つめなおす契機となる。

13. 2013年6月08日 08:40:25 : zZDIq1mXFs
人間の自我意識を主体とすれば、輪廻は無い。
各人を超えた叡智を視野に入れたならば、輪廻はあるとしか言いようがない。

問題は、いったい何処にあなたが居るかということではないか。

我々があると信じている自我、自我意識は、死をもって消え失せる。それを知っているからこそ、自我は死を恐れる。

自我に居る限り、記事の言う

>自分の創造者と一つのものになり、創造者の同伴者としてふさわしい存在になることである。

は、彼岸である。


カルマ(業)を超えたければ、その原因である“無明”が作り出される現場に立てばよい。
じつは、人間として生まれた者はほぼ皆、その場に立っている。いまこの瞬間にもだ。

仏教ではそれを“空”と言うらしいが、
人間の意識は、その“空”の場と、物質知の場とを、いまこの瞬間も行きつ戻りつ、振動している。
ただ、物質知の場に生じた自我意識が、その“空”の場に居る記憶を失わせているのだ。


14. 2017年2月08日 15:47:20 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[3]

佐倉哲エッセイ集


エドガー・ケイシーのデタラメな予言


佐倉 哲

1998年12月22日
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/cayce.html(全文)


霊能者の予言というものは、しばしばあいまいで、あとからどうにでも解釈できるようなものが多いのですが、あいまいなものばかりでは相手にされませんので、たまには、具体的なことを言わねばなりません。そこで、その部分に注目して調べてみると、事実とあわない予言がいくらでも見つかります。エドガー・ケイシー(1877〜1945)は、人間の霊的能力を信じたい人びとの間では「今世紀最大の予言者」などといわれていますが、今回、わたしが調べたところによると、かれの予言はデタラメだらけでした。ここでは、日本と1998年に関してケイシーが予言したことをいくらか紹介し、かれの予言なるものがいかにデタラメなものであったかを示したいと思います。


エドガー・ケイシー(1877〜1945)は、米国の霊能者で、催眠状態のなかで、過去や未来や遠隔地について語った、と言われています。その中には、古代のエジプトのことや、失われたアトランティス文明のことや、来るべき終末の大いなる破滅や、キリストの再臨などについての言及があります。それらはケイシーの「リーディング」と呼ばれ、かれの秘書が書き取っており、現在でもケイシーのライブラリーに保存されており、一般に公開されています。

●わたしは、ケイシーの全てのリーディングを納めたCDを手に入れ、とくに、日本や1998年に関する予言を調べてみました。以下はその一部です。

(1)日本に関する予言(その1)

1932年2月8日、ケイシーは、ヴァージニアの自分のオフィスにおいて、1936年までに起こるであろう世界的な出来事を予測して、つぎのような質問に答えています。

(質問)これから50年間、人類の繁栄にかかわる重要な出来事を予測していたでけませんか。

(回答)それは、国際関係において現在要因となってい多くの力が分解する形で、36に世界にやって来るであろう大いなる破滅以後を予測するのがもっとも良いと思います。・・・・

(質問)どの力が1936年に分裂するのか名前をあげてください。

(回答)むしろ、1936年までに(起こる)でしょう。ロシア、合衆国、日本、英国すなわちイギリス帝国でしょう。

(質問)だれが支配力となりますか。

(回答)それは力の源に誰がより近いかによります。

(質問)中国と日本の関係はどうなりますか。

(回答)国際干渉によって、中国の一部で人口が復員されるとともに、中国か日本のどちらかが国家としての究極的破滅を迎えることでしょう。
(Edgar Cayce, READING 3976-10)

この予言がなされた1932年の前年の9月には満州事変がおこり、同年10月関東軍は錦州を爆撃しました。32年正月28日には日本軍と中国軍が上海で直接衝突します(上海事変)。ケーシーの予言はこのような時世を背景におこなわれたものです。もちろん、問題のでたらめな予言は、1936年までに中国か日本のどちらかが国家として消滅する、という予言です。

(2)日本に関する予言(その2)

第二次世界大戦が始まって、まだあまり経っていないころ、1940年12月25日クリスマスの日、ケイシーは、ヴァージニアの自分のオフィスにおいて、日本について次のような予言をしました。

シンガポールの崩落をわたしは予言します。また、オーストラリアとインドがジャップによって攻撃されることをわたしは予言します。・・・かれら[日本軍]はおそらくヒットラーの軍と合同するでしょう。東京が戦火に包まれるのが見えます、しかしそれが日本の崩壊をもたらすようには見えません。わたしたちの愛する合衆国においては、わたしたちの飛行機工場が爆撃されるのが見えます。また、労働問題が見えます。・・・この戦争は、目に見えない神の霊の力がこの地には存在するのだという事実がすべての国に啓示されることによって、その終結を見ることになるでしょう。
(Edgar Cayce, , READING 1931-3)

この予言がなされた1940年の前年、9月にはドイツはポーランドを侵攻し第二次世界大戦が勃発しました。同年11月ソ連はフィンランドに侵攻し、国際連盟はソ連を除名処分にしました。40年になると、1月には日米通商航海条約が失効します。4月ドイツはデンマークとノルウエーを、5月にはオランダを侵攻しました。日本は9月北部インドシナに侵攻し、9月22日に日独伊の三国同盟が結成されます。11月にはハンガリーとルーマニアが日独伊三国同盟に加盟します。11月には日本では期限2600年の祝賀行事が大々的におこなわれました。同11月にアメリカは三選したルーズベルト大統領が、民主主義を守るために米国が兵器援助をすることを発表しました。
上記のケーシーの予言はこのような時世を背景におこなわれたものです。もちろん、日本がオーストラリアを攻撃するとか、日本軍とヒットラーの軍とが合同するとか、日本が米国本土の飛行機工場をを爆撃するとか、「目に見えない神の霊の力がこの地には存在するのだという事実がすべての国に啓示されることによって」戦争が終結するとか、これらすべての予言は、まったくのでたらめでした。


(3)1998年に関する予言(その1)

ケイシーは、いわゆる「世の終わり」が、1958年から1998年までの40年間に起こるであろうことを、しばしば予言しています。1934年1月19日、ニューヨーク市のパーク・アブニュー410番地で、この期間の出来事に関して次のような予言をしました。

物理的な変化に関して言えば、アメリカの西側の一部分の大地が分裂し、日本ではより大きな部分が海に沈没するであろう。ヨーロッパの上の部分では一瞬のうちに変化が起きるであろう。アメリカの東側の海からは陸が隆起するであろう。・・・これらのできごとは58年から98年の間に始まるだろう。
(Edgar Cayce, , READING 3976-15)

●もちろん、アメリカ大陸の東側の海からあたらしい陸地が隆起することなどなく、おなじくアメリカ大陸の西側の一部が分離してしまうこともなく、また、日本が海の中に沈没することもなく、あと10日ばかりで、1998年が終わろうとしています。すべて、ケイシーのデタラメの予言でした。

(4)1998年に関する予言(その2)

また、ケイシーは、1932年6月30日、自宅で、1998年に関して次のような予言をしました。

●それが起きるのはこの期間、すなわち1998年に、メシア(救い主)が出現するときです。
(Edgar Cayce, , READING 3976-15)

●これは、ケイシーの予言の中でも有名なもので、ケイシー関連の書にしばしば言及されています。たとえば、カーク・ネルソンの『キリスト再臨の1998年』などでは、星座の関係から特定の日を導きだし、キリストの再臨は今年の9月30日という日だと断定しています(Kirk Nelson, The Second Coming 1998, ARE Press, 82ページ)。

● もちろん、今年の9月30日はとっくにすぎましたが、キリストが再臨するどころか、まったくなにも特別なことも起こりませんでした。これも、ケイシーのデタラメ予言のひとつでした。


(5)結論

予想はしていましたが、「今世紀最大の予言者」などと一部の人びとによって信じられていたエドガー・ケイシーの予言は、今回わたしが調べてみた結果、まったくデタラメだらけであることが、やはり、あきらかとなりました。

多くの「世の終わり」予言者がそうするように、ケイシーも、自分の予言のウソがばれる頃にはもうこの世にはいなくなっているような、そんな時期(1998年)を世の終わりと予言していました。当然のことながら、ケイシーの予言は何も当たることなく、1998年も終わろうとしています。お前の予言はデタラメではないか、と文句をいう相手はもうこの世にはいませんが、いまでもケイシーを「今世紀最大の予言者」などともちあげて、霊能力のようなものがまるで事実であるかのように宣伝をする人達が日本でも後を絶ちません。このようなものが日本において実に軽薄な精神状況(オウムを生み出す精神状況)を生み出しているように思われます。そのため、このくだらないエドガー・ケイシーの予言も、いまもう一度、そのデタラメさを明るみに出してみることも無駄ではないだろうと思います。

もし、ご自分で確かめて見たいと思われる方は、こちら(↓)でその資料が手に入ります。
http://www.edgarcayce.org/cgi-bin/edgarcayce/cdroms.html
Server Error 404 - File or directory not found.)


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