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実話オムニバス 第一話 瞑想
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投稿者 日 日時 2013 年 10 月 20 日 10:03:37: IR1H95zbmUf8k
 


 …………………………………………………………………………………………………………………

……………………………………………………………………………………………………………………


……………………………………………………………………………………………………………………


………………………………………………………………………………………?…………………………

……………………………………………………………………………………………………………………


……………………………………………………………………………………………………………………

……………………………う…………………う〜ん……………………………………?…………………

……………………………………………………………………………………………………………………

……………………………………………………………………………………………………………………

……………………………………………………………あ………………ああ……………………あああ…

……………………………………………………………………………………………………………………

……………………………………………………………………………………………………………………

………?……………………………?………今声を出したはず……………………………………………

…………………………………………………………………………………聞こえない……………………
……………………………………………………………………………………………………………………
いや、聞こえなかった。
……………………………………………………………………………………………………………………
…………………………………何故だ?………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………………………
もう一度やってみよう。

……………………………………………………………………………………………………………………

やはり聞こえない。

……………………………………………………………………………………………………………………

ところでここはどこだ?

目を開いたはずなのに、何も見えない。

なのに………視界がなんだか眩しい。

眩しいってことは光……………………そうか、光があるのか……………………

けれど何も見えない……………………光に当たる物が無いからか?……………………

何も無く、何も見えない。

映し出す物体が無いから闇も無い乳白色の世界。

……………………………………………………………………………………………………………………
泣きたいが、声も出ない。

いや、確かに声は出したはず。

何処にもその音が反響しなかったのだ

反響すべき景色すらない

環境すら無い世界

これは世界と呼べるのか?

そして息苦しい

透明の鋳型にハマリ込んだ様に、一ミリも体が動かせない。

動かせない目線はいったい何処を向いているのだろう?

前か?上か?右?左?後ろ?下?


口と眼球だけが動かせても、反響すべき、視るべき、景色が無い。

故に口と眼球の存在すら実感出来ない。証明出来ない。無いのと同じだ。

脂汗か?冷や汗か

何かが肌を通り過ぎた

そうだ、動きたくて、動きたくて、どうしようもなくて

気が狂いそうになっているのだ。

しかし力んでも力んでも、この透明の鋳型からは出られそうもない。


この息苦しさ、気も狂う程の恐ろしさはいったい何時まで続くのだろう?


何処かに光速で移動中な様でもありながら、景色も流れず、風も感じない。

飛行しているのか、落下しているのか、上昇しているのか、後退しているのか、何も分からない。

確認出来ない。


もしかすると微動だにせず、ずっと一点に留まっている様な気もする。

同時に、素粒子よりも小さく縮んだかと思う、その次の一瞬。

いきなり反転して体が銀河系大に膨張する感覚にも悩まされている。


それにこの無音が静寂と呼べるのだろうか。耳鳴りがする。

それが気になりだしたら、止まらない。

やがて轟音となって耳をつんざき、鼓膜を破り、激しく脳を打ち叩く。

そうしてもうどれ位の時間が流れたかも分からない。

一秒の永遠、百億年の一瞬が、矛盾しない時の流れがある事を知った。

この無景色、無反応の世界からいいかげんに開放してくれ!

脱したい。

何らかの反応が欲しい。


反応してくれるもの、それが何であれ、今は受け入れる事が出来る。

それがどんなに醜悪でも、どんなにおぞましくて、恐怖の妖怪であろうとも、歓迎するだろう。

それが地獄であろうとも、行けるなら、そこに喜んで行くだろう。


絶望し、いつしか意識が朦朧となって来た。


何時終わるとも知れぬ孤独な永遠の一人旅です。

寂しくて苦しくて発狂しかかりながら、何時しか絶望し、

やがて疲れ果て、自我を保有し続けられなくなり無に溶け込もうとする時に、

ある種安らぎすら感じつつリラックスし始めました。

するとその時、遂にその時が訪れる。

遥か彼方に微かな点が視界に現れました。

まだ物体は点でしか無いというのに、それが何だかは当然の如くにすぐに悟ることが出来ました。

それは寸分違わぬもう一人の自分。

同じ境遇で全く同じ孤独な飛行をして来たことが痛いほどに判り、

同時に互いの存在に気づいたことすらも理解し合っていました。

両者はやがて接近し目を見交わすと、
「やあ、ようやく遭えたね。でもこれが永遠のさよならだね」と心で挨拶し、

再び点となって遠ざかりやがて視界から消え去った。

涙が溢れてしようが無かったけれど、それがあたかもこの旅の終わりを告げるものだと分けも無く感じつついると、

やがて何かを語りかけるような見知らぬ顔や見覚えのある親しい顔達が、

パッパとフラッシュバックで浮かびだし交差する映像が出現し、その最中で毎回目が覚めるのでした。

これを当時繰り返し夢見て、覚めてはその度に、傍らには両親がいて泣き叫ぶ私をあやすのです。

「よっぽど怖い夢を見たんだね。でもほらお母さんも父さんもここにいるよ。一人じゃないよ」

しかし私は泣き止まなかった。

(それが何だ。父母が何だ。そんなもので癒されはしない。)

それが3つの幼児の感じた孤独と絶望。

そこがスタートです。

やがて高校生にもなった頃、その夢が母親の胎内から出産した時の記憶であることを理解しました。

フラッシュバックで現れた映像は、肉親やその交友関係者の笑顔だったのです。

あの時に受けた衝撃はその後の現実を測る価値観になりました。

全てを疑いざるを得ない。

何事もまやかしで、永遠足りえない。

愛と自由も100年と持たない幻。

ならば帰着すべき場所に妥協は無い。あの苦しみは2度とごめんだ。

瞑想なんてもうたくさんだ。

起きていたい。動きたい。動いていたい。

生きている今の内に。

次に又に死ぬ時、次のステーションまでは嫌でも瞑想させられるのだ。


そこを目指して見れば、この世の生活などはひと時の瞬く間の遊びに過ぎない。

この世の一生などは、何ほどのことも無い。

この世の栄華盛衰も来世の途上へのひとコマに過ぎない。

視線はその遥か彼方に向いている。  

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コメント
 
01. 2013年10月20日 13:26:02 : J1K9W8RP9Q
Knock.knock特別でもなんでもないアナタ。
通常意識へとお帰りんなさい。

だれもあんたを、騙そうとなんてしてない。
ただ一人、アナタ以外には。
瞑想の仕方が宜しくない。

漂いつくせ。さまよいつくすべし。
日本流の、神道流の、
瞑想法ってもんも、あるもんだ。


02. 2013年10月22日 02:12:02 : q931E3NW4E
「地獄の方がまだマシである」とする考え方は面白いかもしれませんね
あなた同様世界の全ての人がそのようにこの地上に舞い降りたとして
かくしてこの世界はそのもの達の求めに応じて
このように過酷な環境の成立を見せてしまっている
という考え方も出来るかもしれません

そのタイプの人間はむしろ逆境を楽しむ余裕すらある筈です
そこでは自らの死すら楽しめる筈ではないでしょうか

あなたの核心に在るとするその寂しさそして不安は
一体いつ何故どのような経緯を経て産まれたものであるのでしょうかね

核となる観念というものがあります
人のつくり出した自然の理に反した道理や
罪に対しての懲罰
神々と下々のものといった関係性
そして良心や恥と云った概念等々
今あなたがどういった考え方(ルール)を受け容れているかによって
そのおかげであなたは様々な感情を紡ぎ出す事が出来る訳です

何故あなたは激怒できるのでしょうか
何故あなたは怖がれるのでしょうか

あなたがみたイメージに対して意味を与えるのはあなたです
それが何か意味を与えるにもあなたがある種の観念を受け容れている必要が在るのです

視たものに対してあなたの感じ受けた印象や意味は全てあなたが与えたものです

すべてあなたがある種際立った経験を求める為に
あなたがそこに同意して受け容れた観念というものが在るのです

そこにあなたは絶えず反応を繰り返し感情を紡ぎ出すことができます
そしてそこに受けた印象を更にあなたは感情を利用して
加速度的に体験内容を強めていく事が出来
やがてそこ(臨場)に呑まれて行くことができます

本来どうした感情も巧みに観念を利用しあなた自身でコントロールしているのです

それは現実認識というものの枠組みの中でのみ起こっている事ではなく
常時意識の中で起きている事ですので
勿論夢の中でもそれと同一の事が起きています

夢の中では肉体覚醒時と違い
意識体の持つ観念及び感情そのものがそれそのもののイメージの形を纏います

そして時間の概念といったものが無い中に於いて
それぞれの意識は現実同様に出会い
より自由度の高い表現で意見を伝達し合っています

基本的に夢も現実も事象の起こりは同一のものです

よって夢占いなどに見受けられるような特定のイメージに象徴づけられるメッセージなどなく
それらを信じるとすればそれもまたひとつの観念体系に縛られる結果となるだけであり
適切では在りません

夢の世界であなたがどうしたレベル(位置)に居るかは
単にその時の自身の感情がメッセージ理解の助けになります

その感情レベルがあなたの経験する内容の本質を変える訳です

夢と云うものをそのように扱えていない場合は
単に夢の世界と現実を区切るだけと終わってしまうだけです

その場合現実的価値観を持ち込んだまま夢の世界で見るものはすべてあやふやなで不確かなものでしか在りません
故に夢の内容には否定的な立場を崩す事は出来ず
その認識は現実に於ける理解出来ないものと結びつき
それらをあやふやなものと看做してそれらへの理解を容易に断ちます

夢では現実同様不安と疑念を抱きつつ反応を繰り返すだけに終始し
自分は悪夢に振り回されていると感じるか
夢から現実に反映出来る筈の「意味ある何か」を持ち帰る事は出来ないでしょう

状況の好転に関するインスピレーションとは常に与えられています

意識的にあなたが夢の世界を歩こうと決意するだけで
現実に於いても常に自身の感情のレベルに気を付ける事が出来るようになり
それは自身の為だけでなく人類へ望む平和貢献にさえ繋がるのです

現時点でのあなたと言える本質的存在はそのように
ひとつの肉体にひとつの人格というように括られるものなどでは在りません

あなたの本質とはひとつの肉体に縛られるようなものではなく
そうした媒体を通り越えて如何様にも変化します

あなたはまたいくつもの自己を内包し
そしてまたあなた自身もより広大な
又は上層のあなたに内包され見守られています

あなたの対応があなた自身にそのまま還ってきます

かつて人々はそこに神を視
自分をそこに守られるべき存在と感じ
宗教的価値観や理念を生み出し
道理や規範と云った考え方を生み出しそこに執着する様になってしまったのです

ですがひとつの決まりきった考え方で
そうした存在そのものの特徴であるところの本質を覆い隠すことはできません

つまり自身が陰鬱な性格であるとする為にはその為の観念が必要であり
まったく自由にならないと感じる日々を過ごすにも
そうした周囲の人々同様の観念を受け容れて
そう信じ込む為の体験を呼び込むのは自分で在るのです

あらゆるレベルの様々な観念を信じ込まない限り
あなたが地獄に縛り付けられる事は不可能です

それぞれの存在は自身で自身をそのように
一般的に悪辣な環境と言える場所に縛り付けているに過ぎないと言えるのです

故にそのような魂にどんな憐れみを持つというよりかは
私はそうした環境に自ら身を置こうとする存在に対して敬意を覚えるのです

あなたが現在求めている経験とはなんであるのか
そしてまたそれは本当に自分の本心からの望みであるのか
そもそも自身の本心とは何なのか

それすら自己満足の為せる業であり
それらが肯定されない限り何も存在はしないという事

そしてそれが自身で自身を縛る結果となってしまっていないのかを自らに明かし
長らくなんらかの理由により手放せず
受け容れてきたあなたに価値といえるものを齎して来たとする観念を変えたとき
それまでのあなたとは行動も変わり
それ迄のあなたとまったく違ったあなたと言える位置へと瞬時に飛躍するのです

しかしながらあなたが変わらず同じ状況のみを見つめ続けていれば
あなたは自身の棲む世界の改善と思しき変化を外に期待する事を止められず
あなたは更なる自身の正当性としての主張を強めてゆくだけで
あなたが最も嫌悪する方法で他人をより支配的に操ろうと懸命になるでしょう

そうしていれば世界はいつまでも自らの殻を破れずに
あなたの目で見渡す世界の中では
弱者はいつまでも単なる弱者のままで
悪鬼はいつまでも善心を取り戻せない存在として君臨し
人々はいつまでもうだつの上がらないままに崩壊を待つ身と映ってしまうでしょう

瞑想とは自分の本質を見つめ何故世界の中心に自己が其処にそのように在るのか
何故自分を信じられないのかや
他人を信じられないとするのか
そのように自身の感情を揺さぶる観念を
一体いつどのように受け容れて来たのかを思い出す為にするものです

そして存在の本質とはそのように凝り固まって変化しないものなどではなく
常にユーモアある悪戯で満ちても居るのです

一般に奨められている瞑想とは
自分を為すものと一体となる為に息抜きしつつするのであって
何かから逃れる為に心乱れてするものなどではないのです

すべてのものの核心にあるものとは自己の変化を求めつづける意思であり
物事が分離をしつづけているように見えても元は一つのまま何も変わっていません
一つが二つ二つが四つと増えても永遠性は変わりません
磁力で云うところの斥力はその反対の力によって支持されて常に一体です

自身の持つ観念だけが人をつくり神をつくり競合意識や悲哀やコンプレックスや差別を生み出すのです

人として生まれる前も死した後も
それその者が受け容れている考え方は維持されます

それは肉体のない夢の世界であっても同様で
そこに持ち寄った観念に依って臨場体験は生まれています
状況に対してより素直でストレートに受け容れている観念による感情的反応を生み出します

経験及び記憶はあなたにとるべき行動を促し
あなたの感情を常に刺激し自身の体験を方向付けます

それによって導き出されたあなた独自の考え方はすべてのものたちの真実とはなり得ませんが
他の誰かの壁にもなりえますし
また別の誰かにとっては無視の出来ない価値在るものとなります

あなたという独自的存在を通して経験を求める際には
自身の本質的な存在価値はより限定的に自己を見つめる観念に依って覆い隠されます

当然ながら一度受け容れた考え方は
それを強化する為のさらなる似た考え方(経験)だけを惹き付けていきます
それを信じ込もうとする段階からそれが信念となる迄には
雪だるま式に巨大なものとなって元の核となる観念がどれかなど
思い出す事が困難とさえ感じられるようになるかもしれません

多くの宗教に入れ込む熱狂的な信者と言われる人々はこうして
いずれ事によってはそこから逃れられない様にだけ感じ
その場所に自分が支配されているように感じられるだけになりかねません

ですがそれぞれはより自己の本質に近い所から
常に感情とは別の処にある「求め」に対するインスピレーションや光または刺激を受けとっています

それらメッセージは常にあなたが
より自らの存在の完璧さと確かさを信頼するような考え方に飛び移れば
つまり不安や怖れを抱く考えから離れれば感じられる様になるかもしれません

それとは逆に元の観念を正当化する為だけの更なる経験を呼び込みつづけることも出来ます
ですがそれはあなたをより限定して小さく感じる為のものでしかありません

あなたの意識はマクロでありミクロでありその全てですが
現在の意識は常にその時点で受け容れている観念に従うほか無いのです

すべての人々が体験している一般に道理や倫理観と云ったものになぞらえて
人の世の受け容れがたいとする現状や体験をすべて受け容れられるようになるかどうかは
直にそれら体験を通じて苦痛を感じていくという方法をとる他無いのかもしれません

勿論それもそのような考え方を受入れるかどうかに掛かってきます

すべてがそうです

どのような宗教的儀礼も試験もそれそのものの体系に根強く属す者達が支持し支えている力を
そこに参入するものが利用しているだけです

本来何処に進むにも試験もパスも必要なものは在りません

すべての人々のあらゆる経験及び体験は
みずからそのように望まないかぎり現れるものでは無いと云う事を理解する時
我々は真に何を望んでいるのかという命題を
今一度自身に問い直す事が出来ます

そこからようやく自己の本質をより深く理解する為の
進歩と自在なる創造の道を辿る事が出来る様になります

自身というものを紐解けるのは自分以外ないのではないでしょうか

過酷な環境に生まれて命を落とすもの達をよく我々は
人のつくった倫理観なるものに照らして憐れみますが
それは過去世で罪を犯したからでも
神の与える懲罰でもなんでもなく
それら存在自身の持つ性情所以のものです

生まれしすべての経験は無駄ではなく讃えられます
壁をつくらぬ限りそれを乗り越える経験などは存在しないのですから

あなたが求め視たものとは
全てあなた自身より作り為したものです

対峙するものがあるからそれを乗り越えて何かを掴む事が出来るのかもしれません
自身の愛をより強めたいと願うには想定される以上にもっとも醜悪で嫌悪する存在が必要ともなります

何故ならそれはそのように経験でしか
自身の求め得る存在の確証をつかみ取る事は出来ないからです

そうしてあなた方が憐れんで来た存在達は実は
得難い経験を求めてそうした地獄的状況に舞い降りているとするなら
そこに在るすべては讃えられる行為と観る事しか出来ないのではないでしょうか

そうして讃えられるからこそ何ひとつ自らと分つ事なく愛を注げる筈であり
自身を愛すものが自身という存在を憐れむ隙など僅かもなく
ただ素直にしてあげたいと想う事を笑顔で手向けるだけでいい筈なのです

環境が過酷であるかどうかに限らず不安や恐怖といったものは人の行動を制限します

それはより執着することに人々を向かわせます

物事の全ての起点・帰結する場所に不安や激烈な怒りは果たして存在出来るでしょうか


03. 日 2013年10月22日 22:50:58 : IR1H95zbmUf8k : h19kl3bpjc
>>01
一方的な上から目線で、真摯な質問があるわけでも、レスも望んでもいないと思われます。無視でいいですね?あしからず。

>>02
今回は当方の理解力に合わせて、平易な表現を多用していただきました。
おかげで共鳴できるところが多数見受けられましたが、
やはり文が長過ぎて、言わんとするところがぼやけてしまっているのです。

詰まる所、あなたとは重要な点でほぼ共通の認識にあると当方は見ています。
違いも勿論あるでしょう。
それは重要では無いと思います。
よって当方はそれに反論しようとは思いません。
質問しようとも思いません。

違いとはつまり、そこです。
違いがあると思われ、それが重要であると感じた場合、
言葉を探し、言い方を変えたとしても、それが自己認識、見識の開陳であったり、反論となる前に、会話は質問から始めて欲しいのです。

それは当方を見誤って欲しくないからです。
当方も相手を見誤らないためにはそうします。
但し対象相手の主張が曖昧だったり、論点が同時多数で焦点がボヤけていたり、二枚舌だったりした場合、それ自体を糾弾する事が先になり、質問には至らずに終わる場合が殆どのケースかもしれません。

例えばこのスレで実話オムニバスとして第8話まで書くつもりでしたが、
何を隠そう、それは質問をしてくださらないほぼあなた宛てへのものでした。
いや、正確には、不特定の第三者であっても、何かの参考の一助になればとの気持ちも込めてですが。
第二話以降であなたの中の当方を見誤っている部分が解けるかもしれない可能性もあるだろうし、ますます違和感を覚えるかもしれませんが、
最善を尽くせばあとは当方にはどうでもよく、我が道を行くのみです。



04. 2013年11月02日 06:58:12 : J1K9W8RP9Q
g^^d

[12削除理由]:アラシ

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