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ゆきにおもへば
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/666.html
投稿者 あやみ 日時 2013 年 12 月 28 日 09:30:50: oZZpvrAh64sJM
 

つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-134.htmlより転載
雪の中をゆく。西も東も、朝も夕も知れず、ただ真白き雪の中をゆく。
色は消え、あしあとも消え、音も消え、時も消え、我も消えゆく、雪の中。


「雪」の語源を調べれば、決め手はないが諸説ある。筆頭にのぼる説は「ゆきよし(斎−潔し)」から来ているとあり、書いて字のごとく潔斎、斎み潔め(=忌み清め)ることを意味する。醜い穢れはこの世で最も白いものに覆い尽くされる。穢れはもはや目にも耳にも鼻にも届かない。雪に触れれば洗い清められ、その冷たさに肌は凍み穢れを遠ざける。
確かに雪が降らないとおかしなことになる。動物や植物に病気が流行る。作物の収穫が減る。井戸や湧き水が枯れる。水や土の微生物の均衡が崩れたり地下水が減るためだが先祖はこれらを「穢れ」と呼んで恐れ、神とのつながりの中で雪が穢れを祓う存在でありその生物界に与える恩恵を知りえたのだろう。
それに異存はないのだが、「ゆきよし」説はどうも腑に落ちない。まわりくどいというか、やまとことばらしからぬもどかしさを感じるのである。

「雪」は特殊な現象ではなく誰もが知り得るものである。まして、やまとことばの草創期はまだ最後の氷河期の影響下にあり今よりもずっと寒い時代であった筈、日本列島で雪を見ずに生きることはなかったと思われる。それだけ身近なものに「ゆきよし」という四音節の語句の後半を略して「ゆき」の名をあたえるだろうかという疑問、そして「潔し」の接頭語として同じような意味の「斎」を頂くのも疑問である(清められた清きものという意味の妙な日本語になる)。
漢字を知る前の日本語は純朴で明快であった。いや日本語を複雑にしたのは漢字である。大陸式の政治と経済を導入するにあたり生じた、それまでの日本になかった概念をやまとことばだけでは置換しきれなかったという不都合を解消するために漢語を外来語として輸入した。たとえば貨幣のなかった日本に銅銭を輸入することで漢語の「銭−セン」も同時に輸入され、のちに「ぜに」と日本語化して「銭」の訓読みとなったものである。漢語とやまとことばの混用が日本語を一気に複雑にした。もちろんことばたけでなく、まつりごとも人の心も複雑になった。


「雪」という漢字はふたつのやまとことばに充てられた。名詞の「ゆき」、そして動詞「すすぐ、そそぐ」である。冬に空から降る「雪」の字が「辱を雪ぐ」などの意味に使われるのはこの字がもとより両方の意味を持つことに由来する。ならば大陸においても「雪」に清める力があることを大昔から知られていたという事になる。中国語での「雪」は「拭い去る(wipe out)」に近い。しかし日本語の「すすぐ」は口の中や布を「水で洗う(wash)という風合いである。これは信仰と習慣の違いからくるもので、水に恵まれたわが国では穢れを身から離すためには流れる水の力を借りてきた。それを今も「みそぎ(禊、水灌ぎ、身灌ぎ)」という。水に削がれた身の穢れは土に川に注がれ黄泉の国へと流れ行く。

「雪」ということばはどこから思い起こされたのだろうか。
春は歳の始まりである。空は晴れ、映える日差しをうけて気は張り、木の芽も腫れ、霜の融けた土も脹れ、草が生える。これが「はる(春、晴る、腫る、脹る、張る、生える、映える、栄える)」である。
夏は熱に抱かれ穂や木の実は熟し、木々は伸びる。長い一日を親のそばで働きながら子らは伸び、熟す。これが「なつ(夏、熟つ、熱(ねつ)、伸(の)つ)」である。
秋に手に取るあめつちの恵みは歳ごとに同じではない。豊作も凶作も人の手に在らず、これでよし、とあきらめるほかない。「諦め」は「飽きらめ」である。そして「飽きらめる」とは辟易ではない。これでよしとすること、己に与えられた物と事に満足することである。手に入らぬと泣き暮らせば闇、手に入れることに盲執しても闇、しかし「開きらめる」ことができれば闇から開き放たれ明かりを見ることができる。これが「あき(秋、飽き、開き、明き)」である。
そして冬は土が、人が、山が、森が疲れを癒すためにある。古い歳は夜に眠りにつくように休む。雪が降り、ゆく歳の穢れを清める。そうして歳が経る。幾歳も、幾歳も。これが「ふゆ(冬、古ゆ、経ゆ、降ゆ)」である。
そう、ゆく歳は二度とはもどらない。だからこそ穢たままではなく禊ぎ清めて送り出す。ゆきはゆく歳のために降る。これが「ゆき(行き、逝き、往き)」なのであろう。
同じ音を持ちながら、あるいは母音を差し替えながら少しずつ異なる意味に枝分かれするのがやまとことばの特徴でもある。「ゆきよし」の「ゆ(斎)」は「ゆむ−いむ(忌む、斎む)」の名詞化したものであり、「ゆく−いく(行く、逝く、往く)」とは互いに近いことばである。「ゆむ」とは「ゆかす」ことを、そして「生かす」ことを意味し、草木の生える春に繋がる。雪は歳の節目に大地を禊ぐとされていたのだろう。

雪のない東京で育ったせいか、雪への憧れはやまない。カッパドキアはそれほど雪深い処ではないにしても筆者には十分満足のゆく雪加減である。妙に明るい曇り空と、湿り気に和らいだ風に雪の訪れを知らされると心が躍る。
外は雪。こうして降るとなぜか落ち着かぬ気持ちになる。この世と己を繋ぐものが雪に掻き消され、何処の誰とも知れず、時が流れているのかも知れず、ただ忽然と雪の中に在るだけの、いやそれすらも知れぬ、ここちよさ、そしてやるせなさ、昔の俳人が「漂白の思ひ」と言ったのはこれだろうか。

故郷を離れて辛くはないかとよく聞かれるが、有難いことに少しも辛くない。親と国を顧みずにいるという棘が時折さして痛むほかはどうということもない。
日本で過ごした日々は帰国しようがいまさら戻りはしないのである。ましてや幼い頃も、自分が生まれる前の日本も、禊とともに明け暮れた先祖の時代も二度と還らない。今この時すらもみな記憶の淵に沈み時として浮かび上がり、また沈む。ならば同じこと、千年昔もつい先ほども自分からは等距離にある。ならば辛く思うことなどない。しかしこの淵からゆくすえが生まれることを思えばそこに何もかも沈めるわけにはいかない。そして身から雪がれた時を追い求めてもいけない。雪はそれを思い出させてくれる。

しろたへの ゆきにおもへば はらからの ゆくすゑのなほ さちおほからむ

はつはるのごあいさつは節分の頃にいたします。まだまだ続く長い冬をどうかご自愛の上おすごしくださいませ。
 

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コメント
 
01. 2013年12月28日 12:22:42 : z9bpdRYbwk
あやみ さん

安芸ガラスです。
読みましたよ。
私にとっては、な〜んか、切なくなる文章でした。

日曜日に風邪を引いたようです。
小便が色付き、それで気付きました。
経過は月曜日から木曜日にかけてありました。
経過の現象は、朝「弛緩」しており、体が重く、なかなか床から起きられませんでした。
過敏は、動き出しますと、体の節々が痛く、高熱が気持が良かったです。
排泄は、大便で日によって3度便所に通い、明け方は寝汗で、それで残ったのは咳です。
平熱以下は、注意しておりましたが、意識が起きている間にはありませんでした。

ともかく風邪は自然からの贈与で、来年も生きなさい、と云う信号どた思います。
ではまた。


02. あやみ 2013年12月28日 17:28:40 : oZZpvrAh64sJM : g2wTYRvm1s
安芸ガラスさま どうかお大事に。

そういえば、父が風邪を引くと嬉しいといっていましたっけ。お粥がたべられるからだそうです。父の両親は父の幼い頃に離婚しており、父親のもとで育った父は母親というものとの縁が薄かったのです。

春から秋にかけて痛めつけられた体は風邪に撫でられて回復するのでしょう。


03. 2013年12月29日 07:18:04 : 7CacKTUh7k
あやみさん、どうも。以前から色々と拝見しています。
あやみさんが住んだ町はどんな町がどんな町かは知りませんが、私の住む町は50年前とは違って昔からの家屋・商店がなくなり、味気ないものになりました。
今、日本は益々悪くなっています。やくざのような人間が公然とテレビ番組で他のタレントを恫喝して開き直るような状況です。
それは裏では前からかも知れないが、今は堂々と行われています。
ドリフからお笑いは暴力的になったと非難を受けたが、たけし軍団、伸助が出てから更にお笑いは暴力的になりました。
特に平成になってお笑いウルトラクイズが始まってからは公然と芸人への人権侵害まがいがお笑いとして放映されるようになりました。
日本人の精神は益々荒廃し、劣化していると言えるでしょう。中学校で続発するいじめ問題とは、大人の中学生化が引き起こしているとも言えます。
都市の風景も不況と過疎化で寒々としたものになりました。
今の日本は飽食できるほど食料があり、医療品もあるから北朝鮮よりはましというレベルの国です。
 ふるさとは遠きにありて思うもの どうぞお元気で 

04. あやみ 2013年12月29日 22:45:10 : oZZpvrAh64sJM : g2wTYRvm1s
7CacKTUh7k さま いつもありがとうございます。

私が子供の頃から日本に感じていた息苦しさがより重く酷くなったようです。
「笑い」は人の心と体の凝りを和らげるための治療です。「お笑い」はそのための職業です。お笑い番組が増えたのはそれだけ笑う必要を無意識に感じているのだと思います。でなけりゃいったい誰が大事な時間を割いてまであんな馬鹿げた番組に付き合うでしょう。
殴り、罵倒し、刹那な笑いを強要しているのです。誰かが一方的に虐待されているという可笑しくもなんともない情景をみて反射的に笑うようにされてしまったのです。麻薬と同様、笑わなければやっていけないようになった日本人は、より過激な「笑い」を求めてしまいます。芸人には修行が要るのですがだれひとり「笑わす」修行はしていないでしょう。

蒲田さんの投稿http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/656.htmlを読んで、日本の国は何度か死んで、そのつど別の国に生まれ変わっているのかもしれません。最後に生まれ変わったのは開国で、そのあとは自殺もかなわない不気味な国になったのかもしれないという気がするようになりました。よろしければそちらもご覧ください。


05. 2014年1月13日 05:56:15 : 03yQMbgajY
雪という言葉は、それだけで、
私の涙を誘います。
私の長女と次女は、
共に初雪が降った(それも、出産の間に積もった)日に産まれました。
優しく、丈夫で健康な良い子が二人とも、今では二十歳を越え、期待以上の幸をこれまで私達夫婦にもたらしています。おかげで、不満も恨みも
すっかり吹き飛んだ笑。
それ以外にも雪に救われてきている。人はそれをずいしょうとよびました。
ありがとう、、

06. 2014年1月13日 06:02:17 : 03yQMbgajY
でも、時代はあまり有り難たくないものを、運んできている…

07. 2014年1月13日 06:16:49 : 03yQMbgajY
宮沢賢治の「雪渡り」のように、
狐が案内
してくれた

08. 2014年1月13日 06:20:55 : 03yQMbgajY
私が生まれ変わった朝も、
娘たちが誕生した朝も、
一面の銀世界でした。

09. 2014年1月13日 06:32:20 : 03yQMbgajY
それから、ひかりの素足…

10. あやみ 2014年1月16日 18:26:31 : oZZpvrAh64sJM : ghfLTHdrwY
03yQMbgajYさま コメントありがとうございます。

瑞祥、もう日本人がほとんど使わなくなった言葉です。思い出させて下さったことをありがたく思います。雪の朝に生まれ変わられたとのことですが、なにか苦しいことがおありだったのでしょうか。お嬢さまたちとともに幸(ゆき)深き日々をお送りくださるようお祈りいたします。


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