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ロジャー・パルパバース著 「驚くべき日本語」 「戦前の植民地化時代、日本語は『世界共通語』になる可能性があった」
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/768.html
投稿者 TORA 日時 2014 年 4 月 19 日 15:32:28: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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ロジャー・パルパバース著 「驚くべき日本語」 「戦前の植民地化時代、日本語は
『世界共通語』になる可能性があった」 22世紀には日本語が世界の公用語になる

2014年4月19日 土曜日

驚くべき日本語 (知のトレッキング叢書) ロジャー・パルバース
http://www.amazon.co.jp/%E9%A9%9A%E3%81%8F%E3%81%B9%E3%81%8D%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E-%E7%9F%A5%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9/dp/479767265X

◆カスタマーレビュー

本書は「商品の説明」(このページの上の方)にあるように、「全く異なる文化的背景から生まれた4ヶ国語を完璧にマスターした外国人作家」による、日本語論である。本書で言う“日本語論”とは、著者がその履歴の中(「ほぼ半世紀を日本で過ごし」たという経歴:巻末著者略歴より)で抱いてきた日本語の本質、換言すれば母国語を日本語としない外国人が観る日本語の素顔を、積極的な姿勢で展開するものである。著者の右論述の前提には、日本語は日本人だけの暗号でも、曖昧な言語でも、外国人が学ぶに困難でもないという基本姿勢がある(8〜9頁)。

著者の右日本語論は、基本的にネイティブである日本人が往々にして抱く“日本語は(外国人にとっては)習熟が難しい”という観念の否定にあり、決して難解ではなくて、むしろ「リンガフランカ」(「世界言語」:62〜64頁)に成りうること、語尾の変化(置換)で微妙な相違を表現できること(以上第2章)、宮沢賢治などの作品を引用参照しつつ、語彙が単純でも擬声語・擬態語・擬情語が豊富で微妙な文章表現が可能なこと、オノマトペによる格変化が不要で単純なこと、自由な切り出し・省略が可能なこと(以上第3章)、外国語(特に英語)との対比において積極的評価を与え、加えて日本語学習は決して難しいものでなく、言語としてその視覚的・音響的効果面から「美しい」こと(第3章)などを考察する。第4章には一部歴史認識の問題も感じられるが、「世界言語」としての日本語の可能性、その理由などにも言及する。

かかる日本語論には、著者独自の宮沢賢治作品への傾倒ぶりが窺われ叙情的な筆致も否定できないが、外国人ならではの視点、例えばオノマトペ、擬態語・擬声語・擬情語の豊富さなどに対する詳細な観察が垣間見え、日本語の利点・表現の精緻さの強調には説得力がある。但し著者の言うところの、日本語が「時制や動詞の変化がきわめてシンプル」(71〜75頁)とするのは解るのだが、「語彙が少ない」(75〜80頁など)と言うのは疑問がある。著者は右論述で動詞の「(結婚)する」の日本語と英語の“表現”例を挙げているが、確かにその点では「する」の日本語表現のバリエーションは単一的と言えるだろう。しかしそれは「語彙」の問題と文脈としての「表現方法」とを混同しているようにも見える。

英語の“私”(代名詞)は“I”しかないが、日本語では“私”、“俺”、“僕”、“朕”、“みども”、“われ”、“手前”、“自分”など枚挙にいとまがない。この辺りは何をもって語彙の多寡を論ずるかであり、相対的な問題かと思う。全体として成る程と思わせる面白い日本語論であるが、著者が「ほぼ半世紀を日本で過ごし」てこれほどの日本語に精通しているのに、本書には「訳者」がいること(原文が日本語でないこと?)の説明がないことが疑問ではある。


◆日本語とは、曖昧で非明確、「省略」が多く、非論理的で直感的な言語であり、外国人にはしょせん理解不可能な言葉。
 おそらく日本人の多くは、日本語をなかば、意識的無意識的に、こんな風に感じているのではないだろうか。
 しかし、著者は「非日本人」の視点から、ある意味、優越感と劣等感がまじりあった、この日本人の日本語に対する複雑でお決まりの「先入観」を見事にくつがえしてみせる。
 思えば、これまで、日本人による非アカデミック、あるいは、外国人言語学者をふくめたアカデミックな立場からの日本語論は無数にあった。
 でも、不思議なことに、日本語を、一般的な「非日本人」の立場=世界という「外側」から捉えた日本語論は、おそらく本書が初めてではないだろうか。
 タイトルはもちろんだが、帯に謳われている「日本語はなぜ『世界共通語(リンガ・フランカ)』にふさわしいのか。」というキャッチは、そんな日本人にとってはきわめて刺激的で、読む前からワクワクさせられる。
 事実、その期待を裏切らず、本書で著者が主張する「日本語のすばらしさ」の数々については、まさに「目からウロコ」なことが多い。
 著者の経歴や本書の主な内容は他のレビューに書かれているので詳述はさけるが、個人的に特に秀逸だったのは、第一章の「言葉とはなにか」で語られる、「言葉とは『コミュニケーション』の道具であると同時に(というより、むしろ)、自己の集団とよそ者の集団とを区別するための『暗号』として発達した」という視点。
 そして、後半で語られる、「戦前の植民地化時代、日本語は『世界共通語』になる可能性があった」という視点と、「それがもし現実になっていたとしていたら、日本語はどうなっていたか」という仮定をもとに、日本語の「世界共通語」としての可能性と妥当性を論じていくくだりである。
 これまでのアニメや和食はもちろん、いまや「AKB48」や「パーフューム」「きゃりーぱみゅぱみゅ」など、日本人にはきわめて「日本的」であると思われながら、でも、だからこそ世界からは自分たちの文化からは生まれえない、きわめてユニークな文化として、彼らが世界で高く評価されつつある。そして、おもしろく、かつ驚くべきことに、アジアやヨーロッパの彼らのファンたちにとって、日本語が、「同じ価値観を共有する仲間」であることを示すために必須の「共通言語」として広まりつつある。
 つまり、日本語こそが、彼らにとって、強力な「共通のアイデンティ」となりつつあるのだ。
 そんな、現在進行している新しい日本文化と日本語の、世界への影響を想定しながら本書を読むと、著者の主張はいよいよ説得力を増してくる。
 この本は従来の「日本語論」本とは一線を画し、疑いなく、わたしたち日本人にとって、非常に貴重な多くの発見と新たな気づきを与えてくれる、画期的な本である。


(私のコメント)

ウクライナ問題を考えるうえで、ロシア人とウクライナ人の違いは何なのかが問題だ。元もとはロシア人もウクライナ人も同じ民族であり同じ言語を話していた。ウクライナに住む人も自分がロシア系かウクライナ系かを分けるのは言葉だけで、ロシア系かウクライナ系かを分ける事はナンセンスだ。

ロシア語とウクライナ語の違いも、ウクライナがヨーロッパに近いので言葉も影響を受けて違ってきた。だからロシア系住民かウクライナ系住民かは言葉の違いだけで、ウクライナ政府はロシア語を公用語から外そうとした。つまり言葉の違いが民族を分ける目安になっている。

民族の違いは、人種よりも言語や文化の違いの方が問題であり、ヨーロッパでも人種は同じでも言語の違いで国が分かれている。東アジアでも日本人も韓国人も中国人も人種的には同じでも、話す言葉の違いで国が分かれている。中国は多民族国家であり、言葉も全く違うが北京語で統一しようとしているが、ロシアもロシア語で統一しようとした。

世界には主な言語だけで6500種類もあるという事ですが、グローバル化の流れで言語は次第に統一されていくのでしょう。しかし何語で統一されて行くのかは分かりませんが英語が有力候補出る事に間違いはない。国際会議などはヨーロッパでも英語が使われるようになり、ドイツ語もフランス語もかつての勢いはない。

ドイツもフランスも世界から留学生を集めるのに苦労しているのはドイツ語やフランス語が世界的でなくなって来たからであり、学術論文などは英語で書かれないと学会で認められなくなってきている。医学や化学なども英語が分からないと最先端の技術が学べなくなってきている。

だから日本でも英語を公用語にしようという政治家が後を絶たない。企業でも社内の公用語を英語にしようという企業も出てきましたが、はたして成功するだろうか? 日本人と中国人と話をするのに英語で話をして意味が十分に伝わるのだろうか? 日常レベルの話なら問題はないだろうが、高度な専門分野の話はどちらも専門家でなければならない。英語が出来れば専門レベルの話が出来るようになる訳ではない。

問題はこれからの日本語がどうなるかですが、アイルランドや南アフリカのように民族語が廃れて英語が母国語になるのだろうか? 英語がはたしてそれだけの実用性に優れた言語なのだろうか? 日本人は中学生から大学生まで10年間にわたって英語を学びますが、英会話一つできない程難しい。

戦前は、日本に中国や韓国やアジアから多くの留学生が集まり、現代では中国語も韓国語も専門用語は日本語が使われている。戦後はアメリカから英語がどっと入ってきましたが、カタカナ英語として定着している。しかしカタカナ英語は日本語でありアメリカ人に話しても通じない。

欧米語をはじめとして世界の主要言語のほとんどは表音文字であり、発音が違って来れば意味が通じなくなる。日本語は中国語のように表意文字が使われているから発音が違っても文字にすれば意味が通じる。つまり世界語にしても発音は違っても文章の意味が通じる言語は世界語になる可能性があるという事だ。

中国語は漢字だけだから、表音文字を取り入れる事は難しく、日本語のように表意文字と表音文字が混ざった言語は日本語だけだ。場合によってはアルファベットも日本語に加えれば欧米人にも読める日本語が出来るのではないだろうか? 漢字を覚えるもの英単語を覚えるのも同じだと考えれば、英語も日本語も難しい事に違いはない。その問題はコンピューターを使う事で解決するのではないだろうか。

 

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コメント
 
01. 2014年4月19日 23:09:49 : m75X23h77U
私が実感したのは、日本人にとって、英語を学ぶより、ロシア語の方が簡単であると言う事です。

何故なら、英語の文法は中国語的で、日本人には難しいからです。

例えば、I Love You.で見てみましょう。

ロシア語では:

ヤ・リュブリュ・テビャ(私は愛しています、貴方を。)でも

ヤ・テビャ・リュブリュ(私は貴方たを愛しています。)でもOKです。


でも中国語ではウォ・アイ・ニー(私は・愛しています・貴方を)で、英語と同じ文法です。

私は中国語について、それほど詳しくはないのですが、日本語は、中国語よりもスラヴ語に関連があるのではないかと考えています。

情報提供できる方を望みます。

SC


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