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飯場日記 2003年8月19日から9月1日 (みいらかんす)
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/825.html
投稿者 五月晴郎 日時 2014 年 6 月 14 日 21:03:59: ulZUCBWYQe7Lk
 

http://www.geocities.jp/miirakansu/hanba.htm

このコンテンツはみいらかんすが2003年8月19日から9月1日にかけて、奈良のとある人夫出し飯場で経験したことのまとめです。

一応日記形式をとっていますが思い出しながら書いたものであり、まとめるまでに時間がかかっているので時制がめちゃくちゃだったり文章が統一性を欠いていたりで読みにくいものであることはご容赦下さい。

このコンテンツがあなたのなにかの役に立てば嬉しいです。役に立たなくても面白いと言っていただけたらもっと嬉しいです。[2004年1月18日完成]





■8月19日(火)

午前5時過ぎに起きる。とりあえず睡眠は取れた。JR線を乗り継ぎ新今宮駅に降り立ったのは6時ごろだった。

前日に作業服と軍手と帽子を買った。作業服上3着、下2着、タオル3枚、携帯の充電器、クシ、小さい鏡、歯ブラシ、スーパーのビニール袋数枚、折り畳み傘、普通の軍手4つ、ゴム手1つ、下着とTシャツ、靴下数枚ずつ、筆箱をリュックサックに詰め込んだ。それから暇な時に読もうとスピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』とブルデュの『実践感覚1』、難しい本ばかりだと嫌になるかなと思って養老孟の『バカの壁』を持っていった。そして新品のフィールドノート一冊。

Tシャツに作業ズボンで安全靴、帽子、ウェストポーチをつけてリュックサックを背負ってセンター(註1)を目指す。

6時だと遅すぎるだろうかと少し焦っていた。3月に現金(註2)の仕事に行った時は午前4時にセンターに行かなければ仕事は得られなかった。5時に行っても駄目だった。あろうことか今回は6時だ。

しかし今回の目的は契約(註3)だ。そもそも今回飯場に契約で入ろうと思ったのは公園の知り合いにすすめられてのことだった。それもケタオチ飯場(註4)に入れというすすめだ。「今の飯場は誰も入りたがらないから昼間に行っても大丈夫だ。むしろ昼間に行け」とまで言われていた。

「飯場に入ってみないとわしらがホームレスをしている理由はわからん」という言葉を引きずった5ヶ月の念願の飯場入りなのだ。

というわけで少しくらい遅く行っても大丈夫だろうと思った。いや正直早起きしんどかったし。だってさー、4時にセンター行こうと思ったら3時前に起きないといけないんだよいつもの寝る時間じゃないか(註5)。

5ヶ月前を思い出しながら車にかけられた札を見てまわる。やっぱり車の数が少ない。時間が遅いせいなのか、時期的にもう仕事がなくなるからなのかわからない。まず10日契約の車が見つからない。「仮枠職人限定」とか書いてあってもどうしようもない。日雇いの王道といえば土工という個人的な思いがあって理想は土工で行くことだったがなかなか難しい。

契約期間は書いていなかったが「土工・入寮者募集」という車の人に話し掛けてみる。「10日契約で行きたいんですけど」と言うと「兄ちゃんアルバイトか?」と聞かれる。「土工の経験あるんか?」と聞かれる。もちろんない。「仕事分からん人間が入ったら一人ついて教えてやらんといかんやろ?1ヶ月契約ならともかく10日契約じゃ仕事覚えられんやろ」と言ってあしらわれた。「土工なめとったらあかんで」と言われてしまう。

次に「工場作業・10日契約」というところへ行ってみる。「作業わかるんか?」と聞かれる。さっぱり分からない。正直に分からないと言ってしまう。「それじゃあかん」と言われる。

ここまで簡単に断られてしまうのは正直意外だった。釜ヶ崎をうろうろしていると「兄ちゃん若いから仕事あるやろ。わしらはもうあかん」と溜め息まじりに言われることがある。初心者でもとりあえず行くだけは行けるだろうと思っていたのに結構苦労している。

もう条件に合うところがない。そもそも選択肢が少ない。実はそれでも声をかけてくれるところはあった。「兄ちゃん契約いかんか?」「何日ですか?」「1ヶ月や」「じゃいいです」「何日やったらええんや?一週間か?」と笑われる。何でそこで笑うか。声をかけてくれたのは1ヶ月契約のところばかりだった。これはいわゆるケタオチ飯場というやつではないだろうかと思った。

初心者はどこへ行ってもまずは断られ、食べるために仕方なく1ヶ月契約のところへ否応無く行って苦労しながらも仕事を覚えていくのが寄せ場のルールなのだろうかと思い始める。これがあの有名な正統的周辺参加というやつで、1ヶ月契約というのは寄せ場における最周辺なのだろうかとか思う。とりあえず僕にでも参与する道は開けているわけだ。

しかし、今回僕にはあまり日にちが無い。いや、正直に言おう。いきなり1ヶ月契約というのは怖かった。仕事分からないし体力も無い。契約だと実働契約日数の3倍かかるというふうに聞いていた。学校始まったら契約破棄して1円も貰えなくてもいいから帰ってくればいいとも考えられる。金を稼ぐことが目的ではないのだから。10日契約なら3倍かかっても10月には帰ることができる。いや、だから、まあ、びびってた。踏み込みが甘い。及び腰。逃げ腰。押しが足りないねまったく。

さすがに今日はもう駄目かと思う。少し若い人(といっても30代半ばか後半、あるいは40代)がいたので話し掛けてみる。「もっと早い時間にこないと駄目なんですかね。契約に行きたいんだけど」と言うと「いや、僕あまりくわしくないんで」と言われる。こんな朝早く何してる人なんだ。

今日はドヤに泊まって明日4時に来てみようと決めた。とにかく知り合いに会って少し相談に乗ってもらおうと思いセンターの裏の路地へ歩いているところで声をかけられた。

十字路の角のビールの自販機の前でビールを飲み始めたばかりのおっちゃんが二人。黄色いシャツのおっちゃんが言う。

「仕事見つかったか?」

やけに馴れ馴れしい。知り合いではない。しかし僕もいいかげんこういうノリには慣れているので普通に話す。もう一人のでっかいおっちゃんが言う。

「山登りでも行くんか?」

「自分その格好ではあかん、作業服持ってないんか?」

作業服はリュックサックの中だ。おっちゃんたちのレクチャーを受けて服装を直す。まず帽子は脱ぐ。ウェストポーチも外してリュックサックの中へ。作業服を着てタオルを首に巻く。さらにカバンは必ず片方の肩にかけるか片手で何気なく持てと言われる。

「これでもう一回行って来い!駄目やったらわしがもう一回レクチャーしたるわ」

「なんでわしがここまでレクチャーしたらなあかんのや」というおっちゃんの笑い声を背にもう一度センターに戻る。気持ちはありがたいのだがもう行けそうなところには一度声をかけて断られているのだから格好を変えたところで今日のところは意味は無い。しかし犬も歩けば棒にあたるというか棚からぼたもちというか手が尽きたところでまた道が開けてきた。仕事には行けなくても今日はあのおっちゃんたちの話を聞かせてもらうことができそうだ。

もしかすると新しい車が来ているかもしれないしと一応センターの周りを一回りしておっちゃんたちのところへ戻る。

「だめやったんか!」黄色いシャツのおっちゃんが言う。10日契約で飯場に入りたいということをおっちゃんたちに言う。すると「仕方ない、ついて来い。わしらがなんとかしてやる」と言う。今度はおっちゃんたちと3人でセンターへ向かう。しかしおっちゃんたちに口をきいてもらうにしても僕はバカ正直に経験がないことを手配士(註6)に話してしまっているのだから望みは無い。自分の間抜けさが露呈するようで少し憂鬱になった。

一度声をかけられて断った1ヶ月契約のところへ行く。

おっちゃん「この兄ちゃん連れてってくれや」

手配士「わしもさっきから行こういうとるんや。でも1ヶ月はいやや言うから仕方ない」

おっちゃん「お前(僕のことだ)そんなこと言わんと行けや。ぜいたくな」

再び自販機の前に戻る。「何で1ヶ月はあかんのや。嫁さんに仕送りでもするのか?」「いや、そういうわけじゃないんですけど。やっぱり経験がないと駄目なんでしょうか?」さりげなく話題を変える。寄せ場で働いた経験は無いに等しいと言うことを打ち明ける。すると

「よし、なんとかしたるわ」

とおっちゃんたちに連れられて環状線沿いへ出て国道43号を東へと歩く。

「西成はもう情が廃れたとか言うけどな、そんなことないんや」

「仕事紹介したからといって何かよこせとか何かしろいうやないで。誰にでも初めてはあるんや。わしにだってあった。そういうことや」

センターから離れてどうするのだろうか。僕が知らない求人がどこかにあるのだろうか。先行き不安を感じながらおっちゃんたちに着いていく。

センターから離れたところにもポツポツと大型のワゴン車が停まっていた。その車の運転手におっちゃんが交渉してくれる。

運転手「今日は無いで」

おっちゃん「わしやないんや。この兄ちゃん一人でええから飯場連れてったって。10日契約や」

本気で僕のために仕事を探してくれるようだ。驚いた。会ってすぐの僕のためになぜそこまでしてくれるのだろう。これがおっちゃんの言う「西成の情」?カマ兄弟とかそういう言葉で語られるアレなんだろうか?ちょっとこれは感動もののエピソードではないか。

おっちゃんたちが頑張ってくれたがどうにもうまくいかなかった。やっぱり時間的なものがあるのだろうか。(註7)もう今日はいいですってと思う。申し訳なくなってきた。

「あそこ行ってみよう」

と釜ヶ崎内へと戻る。おっちゃんたちが言うには今日ある会社の仕事にいけるはずだったのだそうだ。ところが手配士の手違いで1人多いということになった。おっちゃんたちはそこの仕事は初めてだったということもあり、2人が仕事を辞退することにしたのだという。それで手配士の方はちょっとした借りが2人にできたはずだと。

おっちゃんたちはそこの車のところへ行って頼んでくれた。道すがら「土工の経験無いとか言うなよ。経験無くてもあるある1年くらいあるいうとけばええんや。行ってしまえばこっちのもんや」と言い聞かせられていた。「行ってしまえばこっちのもの」「車に乗ってしまえばこっちのもの」とは過去にも言われたことがある。しかし僕はそういうはったりがめちゃくちゃ苦手なのだ。

2人を見つけた手配士が言う。

「今日はすまんかったな、明日は入れとくわ」

「すんませんお願いします。ところでこいつ10日契約で飯場入れたってくれませんか。よう働きます。真面目なやつですよ」

さっきあったばかりの人間を「よく働く」とかよく言うなあと思う。手配士が僕に聞く。

手配士「土工の経験あるんか?」

僕「あります」

手配士「どのくらいあるんや?」

僕「………」

「どのくらいあるのか」という質問は想定していなかった。ごめんなさい嘘ってすぐ分かりますよね。はあ。おっちゃんたちが必死でフォローしてくれる。

手配士「とりあえず2人は入れとくわ。明日の朝来てや」

結局僕は行けるのか行けないのか曖昧なままその場を去ることになった。

「アブレたもんはしゃあない。行くか」

どこへ行くのか分からないままおっちゃんたちについていく。行き先はビールの自販機だった。おっちゃんたちにビールを買ってもらい路上に座り込んで飲みはじめる。この時午前8時くらいだったと思う。この時間から飲み始めて一体一日どう過ごすのだろう?

黄色いシャツの人はGさん、大きい人はBさん(註8)だ。この自販機の前でよく呑んでいるようだ。ここで呑みながら僕は自分が大学院生で釜ヶ崎を研究していること、研究の一環ととして飯場に行きたいのだということを話した(註9)。

Gさんは「西成なんて研究しても意味ないぞ。もっと役に立つことを研究せえ」と言う。Bさんはそういうことには全く興味がないようで相変わらず僕の格好を「山登りのようだ」とからかってくる。

公園に住んでいる時も「ホームレスなんて研究しても意味ない。どうしてこんなところにいるんだ。ボランティアとでもいうなら別だが」と言われたことがある。結局今にいたるまでこういった問いかけにはうまく答えられない。

路上で呑んでいるといろんな人が2人に声をかけていく。一緒に呑んでいく人もいた。酒はおごったりおごられたりだ。とてもではないがここで書くことができないような話もたくさんあった。Gさんはふざけて「書くなよ!」とその都度言っていた(註10)。

地元がどこかという話もお約束のようにした。僕の地元で働いていたことがあるという人もいた。僕が子どものころにこの人はあそこで働いていたのかと感慨深かった。本当にいろんなところへ行ったことがあるんだなあ。一生の間ほとんどその県内から出ない人だっているのに。

10時くらいに2人の知り合いのドヤ(註11)の一室を訪ねる。何か儲け話があるのだそうだ。その知り合いのSさんとセンターへ出かける。どうやらここで先方と待ち合わせのようだ。何の儲け話か知らないが、お金が入るのが一週間先だということにBさんは興ざめしたらしい。「一週間後にここにおるか分からんのに」と言っていた。

僕はもう酒は呑みたくなかったのだがセンターでも3人で呑んだ。

「飯場なんかいかんでも熟女マッサージやったらいいよ。自分ならいける」

とSさんが言う。熟女マッサージ…そういうのもこの界隈ではあるのだろうか。「ダイスポ」というスポーツ新聞に求人が載っているそうだ。いや、やらないけど。

ずいぶん待ってやっと先方がやってきた。交渉は成立したようだ。今度はBさんの泊まっているドヤに移動する。みんなでドヤの風呂に入るという。僕も誘われたが酒がかなりまわっていたので部屋で待っていた。

何をするでもなくみんなで競艇の中継を見る。Bさんが競艇のうんちくをたれる。Sさんはちゃんと相槌をつきながら聞いていた。Gさんが出かけ、Sさんが競艇をやりに出て行きBさんと2人になった。特に話すことも無い。そろそろ僕もドヤを探しに行きたい。帰り際、

「明日仕事行く気があるなら朝4時40分にこの部屋に来い」

とBさん言われた。この期に及んで僕はまだ「あ、本当の本当に仕事紹介してくれるんだ」と思った。

とりあえず行き当たりばったりでのんだくれた一日は終わった。どうなるか心配だったが明日には飯場に行くことができそうだ。遅れて行ったおかげで知り合いが増えていろんなことがあってかえってよかった。

ドヤは昔よく泊まっていた600円のところではなく、800円でクーラーとテレビ付のところにした。

(註1)
▼僕は未だにセンターの正式名称が覚えられません。だってあれ何種類かない?それに正式名称で言う人なんていないだ。▼要するに職安です。でかい建物です。1回見るといいです。朝早く行くといろんな会社の車が来ていて、労働条件を書いた札をワイパーにひっかけているのでそれを見て行きたいところに行きます。行けない場合もあります。

(註2)(註3)
▼現金とは要するに日雇いのこと。その日働いたらその日のうちに賃金が支払われる。契約とは10日、15日、20日、1ヶ月の実働契約をして、その実働日数が終われば賃金が支払われるというもの。別に僕が説明しなくても知ってる人は知ってるし本にも書いてあるんで読んでください。

(註4)
▼「ケタオチ」っていうのは関西ではよくある表現なのだろうか?要するに一桁落ちる酷い飯場だという意味だと思う。あと酷い飯場の俗称に「朝鮮飯場」という言い方もある。飯場の経営者には在日朝鮮・韓国人の人が多いらしい。在日外国人蔑視とあいまってこういう俗称ができたのだろうか。知らない。

(註5)
▼??ということは寄せ場で働く人たちはいつも朝4時前に起きて仕事を探すわけである。その挙句アブレたりするかもしれないのだからたまらない。たまらないと思う。僕はうんざりだ。朝4時にセンターに行って仕事にありつけたとしても仕事が始まるのは8時からで、4時から8時までは車の中とか会社の事務所とかでぼんやりしているしかない。人によっては寝ている。▼「ここで働く人たちはそれ(仕事が始まるまでの数時間で睡眠を取ること)ができないとやっていけません」という言葉をある人から聞いたことがある。連日働こうと思えば寝れる時に寝ないと保たない。そして仕事が終わるのは午後5時である。現場が遠ければ釜ヶ崎に帰ってくるのは8時くらいになったりもする。それから寝て翌日4時にまた仕事に行こうと思ったら大変だ。毎日は働けないって。


(註6)
▼日雇い労働者が欲しい会社に代わって必要なだけの人間を集めてくる役割をする人たちのこと。中間マージンを取って収益を得ている。▼会社から手配士に支払われるマージンは労働者に支払われる給料から予め引かれている。一人当たり1,000円というところだろうか。もっと高い場合もあるのかもしれない。▼だから手配士を通さずに現場に行くことが出来れば貰える賃金は多くなる。

(註7)
▼ところで、どうして会社の車は朝早く来るのだろう。手配士だって早起き大変じゃん?(いや、そもそも一日のうち大半はヒマで早起きと言っても好きなことやったうえで早寝なのかもしれないか)景気がいい頃なら人出がたくさんいるから出来るだけ早く行って早く人を集めなければということがあると思うけど、景気悪くて買い手市場の今どうして早く来るの?

(註8)
▼Bさんは名前が3つある。ひょっとするともっとあるのかもしれない。バレバレなのにどうして偽名を使うのだろう。名前ごとに相手との付き合い方が違うのかもしれない。今度会った時どの名前で呼べばいいのだろう。

(註9)
▼以前九州から出てきたばかりのフリーターのふりをして仕事に行ったことがある。わざわざ研究しているとか言って関係がこじれたりするのが面倒だったからだ。しかし、この嘘をつきとおすのが僕にはきつかった。▼これだけ世話になればこの人たちとはおそらく飯場から戻ってきても付き合いがあるだろうと思った。あとになって「実は…」と話すなんてしんどすぎる。

(註10)
▼本当は書いてもいいのかもしれない。しかし、よくよく考えるとそれを書く意味はあるのだろうかと思う。その出来事に意味はあるのだけれど、ここでわざわざ書くことではない。▼ただ僕の中でひっかかっている。あれはなんだったのだろう。

(註11)
▼宿のこと。釜ヶ崎には500円から3,000円弱のドヤがある。こないだ山谷に行ったら2,200円からしかドヤがなくてショックだった。


■8月20日(水)
昨日は16時ごろドヤに入ってすぐに寝た。フィールドノートを書くのも億劫だった。午前0時に起きてコンビニにご飯を買いに行き、フィールドノートを書きまくった。まだ飯場に行けてもいないのにノートは細かい文字でいっぱいだ。これから一体何が待ち構えているのか少し不安だ。大体まだ調査が助走の段階というのはフィールドノートを書きまくるものなのだ。

2時くらいに書き終わって少し寝ようとしたのだが無理だった。3時くらいに廊下のクーラーが止まる。何故止める……。暑いよ。

4時になってもう待ちきれず荷物を抱えてドヤを出る。Bさんのドヤの前で20分ばかり時間をつぶし、ドヤの中で10分ほど時間をつぶした。顔を洗いにきたBさんに会って挨拶する。自室で準備をしながらBさんは「眠いな」としわがれ声で笑った。

そういえば昨日センターからBさんのドヤへ移動している時、前から来た自転車がBさんにぶつかった。ぶつかった人は気弱にあやまっていたが、Bさんは去ろうとする彼に木の棒を持ってケンカを売ろうとしたのでびびった。

GさんとSさんが、特にSさんが必死で止めていた。これはいつもの3人の役回りなのだろうかと思った。通りのわきで屋台をやっているおばちゃんに「早く向こうに行って。迷惑やから」と心底迷惑そうにささやきかけられた。

ぶつかられてそんなに怒っているふうではなかったのにBさんは結構怒っているようだった。不可抗力なんだしそんなに怒らなくてもと思う。いつも笑っているがこの人は基本的には怖い人なんだろう。

Bさんの準備が終わってドヤを出る。BさんはGさんに携帯で連絡を取っていた。BさんとGさんは携帯をビニール袋に入れている。汗でぬれないようにだろうか。僕も真似をすることにした。

Bさんと合流して昨日の車のところに行く。まずBさんとGさんが「2人は現金やったな」と認識される。僕のこともちゃんと覚えていてもらえた。「今日解体の仕事あったやろ。今日から働けるな?今日現金でその後飯場入れ」ということになる。

解体の仕事なら以前にしたことがあるし、初日のウォーミングアップには最適だ(註1)。

「それじゃこの車に乗って待っといてくれ。まだだいぶ時間あるからな」

暑いからもう少し外にいようとBさんが言うので車の裏の自販機の前にたむろする。すると僕の知り合いが自販機に偶然やってきた。

「仕事行けたんか!Wさんに伝えとくな。100万くらい稼いできいや」

Wさんというのも僕の知り合いで彼の雇い主だ。仕事に行く前に知り合いに偶然出会えて嬉しかった。これが朝5時くらいで彼は今は肉体労働はしていないはずだ。ずいぶん早起きなんだな。

彼と僕のやりとりを見てGさんが「なんやお前釜ヶ崎顔広いやんか。やっぱり警察のスパイとちゃうか?」と言う。実は昨日自販機の前で呑んでいる時にも知り合いと出くわしていた。これまでは同じ釜ヶ崎内で別々に出会った人たちと同じ場面で一緒になることなんて無かった。前より釜ヶ崎に巻き込まれることができたような気がする。

手配士の人に声をかけられて車に乗り込む。Gさんが遅れてBさんと僕に缶コーヒーをくれた。こういう貰い物をすることには重要な意味があるような気がする。自分だけが飲んではいけないという規範がある。この規範をどういうふうに説明すればいいのか分からない。

昨日呑んでいる時、さすがにアルコールばかり摂るのがきつくて缶コーヒーを買って飲んだ。するとGさんに「自分のだけかい」と冗談まじりではあったが怒られた。実は僕も自分のコーヒーだけ買うことには少し躊躇したのだ。案の定怒られた。

しかし、みんな次から次に呑んでいるところにコーヒーを買っても仕方ないと思ったのだ。うーんどう解釈すればいいんだ。

6人の人夫を乗せてワゴン車が出発した。現場はどこかわからない。とにかく車は走り出したのだ。初めて仕事に行った時に知り合った人が僕を気遣って言ってくれた「とにかくケツわらんように一日がんばろうや」という言葉を思い出した(註2)。

ワゴン車は都市高速を果てしなく走る。現場が遠いのか飯場が遠いのか。答えは両方だった。

着いたのは奈良だった。連れてこられたのは飯場だった。これが飯場か、と初めてみた飯場はめちゃぼろい建物だった……。プレハブに毛が生えたようなものが飯場だった。壁の前面にジグザグの鉄板がくまなく張られている。何故??壊れたテレビや自転車、車が端っこの方に寄せてある。すさんだ空気が漂っている。どんな山奥にあるんだろうと不安になったが近くにコンビニもあるし駅も近いようだった。これだったら足りないものは買いにいける。生活に必要なものは飯場で買えると聞いていたが、とんでもない値段でぼられたりするかもしれないという不安があった。コンビニが近くにある以上そんな心配はいらない。

着いたらまず食堂に通された。朝ご飯を食べさせてくれるらしい。白ご飯とみそ汁そして漬物が朝食だ。食堂は古い宿泊訓練所みたいだ。床はところどころ軋んでいる。食べ終わったら壁際のテーブルに積んである弁当と割り箸を取って各々が新聞紙で包む。これが昼食らしい。

ここからそれぞれ迎えが来て現場に向かうらしい。現場から車がやってきて名前を呼ばれた者が乗り込む。釜ヶ崎からいっしょの車で来ても人によって現場は違うらしい。

車を待っているとき、GさんとBさんが鍵の空いているバンのドアを空けて中で堂々と座り込んでくつろぐのでびびった。余裕がある、というかちょっと図々しくない?僕はこの後飯場に入るのに、悪い印象ついたらどうしてくれると少し思った。それから彼らが研究や調査についておおっぴらに喋りださないかとひやひやした。

ずいぶん待って迎えに現れたのは普通の車だった。車の中で世間話が始まる。大学院生であるということはこの人には話さなかった。聞かれなかったからだ。「若い」ということに違和感を持った人には基本的に自分が飯場に入った理由を話した。しかし全然気にしない人もいた。僕としてはかなり異邦人のつもりでいて正直面倒くさかったのだが思っていたより意識しないで済んだ。

車の中で10代〜30代の若い人間ばかりの飯場があるという話も聞いた。この人はずっと奈良でやっているのだろうからその飯場も奈良か奈良近辺にあるということだろうか。……そういう飯場を知っているから僕が飯場にいてもそう違和感を覚えなかったのかもしれない。

「解体」という言葉から前に行ったようなものしか想像していなかった。僕一人だけがその現場に行くというのも驚いた。もしかしたら現場には他の飯場から来た人がいるのかと思ったが僕だけだった。現場は建造中の家屋。庭に散らかっているゴミを拾い集めてブルーシートを洗う、とりあえず指示されたのはそれだけだった。それだけ指示すると彼は車で去っていった。

初め面食らった。作業自体は言われたとおりの簡単なもの。雑用も雑用、子どもでもできる雑用だ。これは僕が初心者であることを思いっきり配慮してやられた現場なのだろうかと思った。でも実際はそういうことではなかった(全く無いわけではないだろうが)。手元という仕事にはこういうものもあるのだということを知った。この仕事をやって「手元」という言葉の意味がよーく分かった。本当に手元だ。何の技術もいらない。職人や社員にやらせるほどのものじゃない。下働きの中の下働きだ。家を建てるという過程においてほとんど意味のない役割。「僕って何?」と疑問を覚えずにはおれなかった。「これが下層労働か〜」と心底思った。

誰もいない現場でとにかく言われたことを始める。上の庭からガレージ部分に置かれた鉄枠の中にゴミを運ぶ。ブルーシートをはがしてまとめる。あまりに単純な作業過ぎる。「もしかしてこれを単純な作業と思ってしまうのはとんでもない落とし穴でこれはこれで配慮しなければならないことがたくさんあるのかもしれない。僕が知らないだけで……」という不安がよぎりっぱなしだったが間違ったら間違ったで怒られるしかないと自分を納得させ続けて作業をした。こんな単純な作業でヘマをしていたら「やっぱりお前飯場に入れられんわ。帰ってくれ」と言われるんじゃないかとめちゃくちゃ不安だった。それはそれで「手元は奥が深い」というデータにはなると無理やり納得した。つーか僕はかなりの心配性だな。

1時間くらいして大体片付け終わってしまった。あとはシートを洗うだけだ。早めに終わったらどうしたらいいんだ、あの人ちゃんと戻ってきてくれるのか?それとも実はこれは「とりあえず」の作業に過ぎなくてさっさと片付けなければいけない作業なのだろうか?他にもやることは山積みなのだろうか?そうだよな、こんな単純なことだけでお金が貰えるはずないもんなと思い直して作業を続ける。

(しかし実際のところ「こんな単純なこと」が僕の仕事の全てだった。ブルーシートを洗う作業も簡単なようで結構時間がかかった。現場で行われている作業の手順が分からないと疲れる。これは飯場にいる間ずっと感じていたことだ。契約の後半で少し楽に感じたのは同じ現場で続けて使ってもらえたからかもしれない。よく「作業の手順がわかってないときついぞ」と言われることがあった。本当にそうだった。ヘマをするほど難しい作業はあまりないのだが、「単純な作業を単純にこなせばいい」ということすら初めての人間にはわからないのだ)。

9時過ぎてようやく他に人がやってくる。塗装会社の人だった。やっぱり手元は僕一人らしい。塗装会社の人たちの作業とは全く関係なくもくもくと片づけをする。この人たちも委託されているだけで僕に作業の指示をするという立場ではないらしい。こんなにほったらかしなのってあり?怠けるよ???とか思っていると「手元は言われたことを言われたとおりにやればいい。自分のペースを守ってとにかく倒れないように一日そこそこで働くこと」という言葉を思い出した。

ブルーシートを洗い始める。ここでも迷う。どこまできれいにすればいいのか分からない。軽く流すだけで大丈夫だろうと思って適当に洗う。しかし乾いてみるとこびりついた砂が目立つ。これじゃやばいかなと思って手でこすって洗いなおす。しかしいくらこすっても乾けば汚れは目立つ。こすりすぎて指の皮がはれてしまった。このブルーシートを洗うという単純な作業であっても結構手間がかかる。それでも必要な作業ではあるのだろう。「下層労働って……」としみじみ思う。

途中で家の壁に立てかけてあるモップの存在に気づいた。しかしこれは使ってもいいものなんだろうか。どこの会社の所有物か分からないではないか。とりあえず塗装会社の人に聞いてみた。「おお、ちょうどいいやんけ。上等や」と言われた。どうやら塗装会社のものではないようだが、使っていけないものでももなさそうな感じだ。怒られたら怒られた時だ(不安でいっぱいです)。モップを使うと作業が格段に楽になった。塗装会社の人には「そんなもん適当に水で流すだけでええんちゃうか」と言われるが信用できない。雇い主は彼ではないのだ。モップを使ってもやはり汚れは残ってしまう。これはこういうもんだとやっと納得できた(難儀なやつです)。

12時を回るが昼食を食べていいものかどうか迷う(またかよ!)。塗装会社の人が昼食に入ったのでまあいいかと昼食にする。弁当はあるのだが飲むものが無い。ジュースの自販機が近くに無いか塗装会社の人に聞く。かなり遠いらしい。「お茶だけやで!」と言ってお茶をくれた。ありがたかった。近くに自販機がないことを先に教えて欲しかった。「Fさん(僕を迎えに来た人)にお茶買わせんといかんぞ」と言われる。この辺でやっとこの塗装会社は僕と同じように契約で雇われている外部の会社なのだと分かった。建築現場というのはいろんな会社が必要に応じて委託される仕事場なのだということをここで知った(考えてみれば当たり前のことだ。すみません、サラリーマンの息子なんで疎いです。多分それ以前に常識に疎いということもあります)。そしてFさんの会社のように、作業全体を見渡していろんな委託業者を手配する会社があるのだ。そのFさんの会社の上にはさらに大きな会社があるのかもしれない。一体どれだけ高いのだこのピラミッドは。建築業界自体もともと分業が前提で、スーパーバイザーのように上に、上の上にと元請け会社がいるのだ。この元請け下請け孫請けのピラミッド構造についてはいろんな現場でいろんな人から聞いた。ピラミッドの下の方の人間ほどこのピラミッドにうんざりしている。

塗装会社の兄ちゃんと少し話す。高校を出てからずっと塗装の仕事をしているそうだ。大学院生で研究をしているんだということを話すと「さっさと就職した方がええで」と言われる。あーそうかこの人は大学という場所で学んだ時間が無いんだよなと思った。大学でさえ縁の無い場所なのに大学院までいくともう何やってんだこいつという世界かもしれない。労働の場に出てみると学問なんて意味ないのかもしれないと思う。だって少なくともこの人には関係なさそうだ。この人にも関係あることってできるんだろうかとも思う。自分で稼いで自分で生活していることに比べたら僕のやっていることなんてどんなに格好つけても道楽だ。格好つけると格好悪い。

飯場にいる間ずっと考えていた。本読んでるより社会に出て働いてる方がいろんな発見があるだろう。でもここで道楽だと思えてしまうところが僕の駄目なところかもしれない。1回社会に出てから研究始めた方がいいのかもしれない。

昔、フィールドワークを始める以前は肉体労働なんて嫌だと思っていた。できないと思っていた。今では辛いながらも肉体労働もいいなと思う。僕が住んでいるマンションも道路もビルも大学も全部建築労働で作られたものだ。この日本中の道路、日本中の建物全部彼らが作ったものだ。そう考えると素晴らしい仕事だと思う。僕もこの街を少し作った。そのことがちょっと嬉しかったりするのだ。「僕にもこの街が作れるのだなあ。実際作っちゃったよ!」とほんのり気持ちがいいのだ。

ブルーカラーとホワイトカラーと言う。どっちもあって世の中回っている。いろんな仕事をしている人がいて世の中は出来上がっているのだ。自分の知らないところで重要な仕事をしてくれている人がいるのだ。知らずにいたことがバカみたいだ。

ぼちぼち午後の作業に入る。ひたすらブルーシートを洗う。途中でFさんがやってくる。この頃になると他の作業をする人たちも来ている。一枚だけ10メートルくらいのブルーシートがあって苦労した。途中からFさんに手伝ってもらってなんとか洗う。

最初作業服を着て仕事していたが午前中にもう上着は脱いでいた。作業は長袖でなければいけない。しかしブルーシートを洗うだけだからいいだろうと思いTシャツになっていた。おかげで日焼けした。

16時を少し回る。労働時間は17時までだから用事を言いつけられれば働く。Fさんから室内から手渡してくるものを運んで捨てたりトラックに積んだりする。もうこの時は疲れていてしょっちゅう時計を見ていた。もう5時だ、もう終わろう、もう終われとイライラする。17時を過ぎてもまだ作業は続く。ふざけるなよ残業手当出るんだろうなつーか残業手当なくていいからもう仕事やめさせろと思う。

本当に心底思うのだが残業手当くれるよりちゃんと17時で仕事終わって欲しい。いつまで続くか分からない雑業で延長しないで欲しい。疲れる。この辺労働組合とかしっかりしてるところだとキチっと終わるんだろうか。サービス残業とかありえないよねと思う。

やっと仕事が終わってトラックに乗り込む。あとは帰るだけのはずだ。まさかと思うがこのトラックに乗せた荷物を降ろしにいくとか言わないで欲しい。残業代貰ったとしてもいやだ。

「残業代忘れたから事務所に寄らせてもらうよ」

とFさんが言う。よかった、残業手当は出るのだ。何だかんだ言って働いた分は貰いたい。30分に満たない延長でもオーバーした分は貰いたい。くれないと嘘だ。

疲れているとイライラする。現場の近くに自販機が無かったせいで今日はほとんど水しか飲んでいないのだ。ジュースのいっぱいでもおごらんかいと図々しいことも考える。疲れるとキレたくなる。もうお腹も減って死にそうだったし、些細なことでも大声上げて怒る自信があった。教訓。疲れてる人間をいらだたせるようなことはしてはいけない。

車がどこを走っているのか分からない。もともと知らない道だ。飯場までどれくらいかかるのだろう。

やっと飯場に着いた。ブルーシートを洗っていたせいで靴の中はぐしょぐしょだ。とりあえず飯場に入る手続きをしようと事務所に顔を出す。現金の分の給料を貰って、契約の書類を書く。印鑑とか押さないでいいんだろうか。

番頭のおっちゃんに飯場の中を案内してもらう。部屋は3畳ほどの個室だった。清酒の通し函の上にダイヤル式のテレビが乗っている。アンテナは室内アンテナだ。このテレビがボロくて最初は白黒テレビかと思った。あとは扇風機と布団がある。前の人が置いていったのか細かいものが通し函の下に落ちている。よく見ると髪の毛がたくさん溜まっていた……掃除してないだろこの部屋。布団もシーツがかかっているわけではないのできっと前の人の汗が染み込んでいる。めまいがした。

風呂、トイレ、食堂、コイン式の洗濯機が共同だ。食堂にはボードがかかっていてそこに会社名の札がかかっている。19時までに翌日の派遣先の札のところに自分の名前が並べてかけられる。かけられていなければ仕事は休みだ。そのボードの横に事務所に通じるカウンターがある。そこで仕事道具や生活用品を売ってもらったり、給料の前借りをしたりする。

初日の夕飯はまずかった。変な野菜炒めが冷え切っていた。

風呂に入って部屋でストレッチをして寝た。フィールドノートはほんの少しだけ書いた。少ししか書けなかった。

(註1)
▼しかし実際には一言に解体と言ってもいろんなものがあるようだった。建物を一から解体していくものからゴミを出す程度のものまでの「後片付け一般」が「解体」と思っていた方がよい。

(註2)
▼「ケツをわる」というのは途中で音を上げること。これは方言なのだろうか。▼ちなみに仕事の途中でこっそり逃げ出すことを「トンコ」と言い、逃げるために持っておくお金を「トンコ銭」と言う。


■8月21日(木)
何をどこまで書くべきなのだろう。誰も教えてくれないからとにかく書く。

飯場の個室には南京錠がかけられるようになっている。しかし僕は南京錠を持ってきていなかった。事務所で南京錠を売ってくれるよう頼むと貸してくれた。「無くさんようにな」と言われた。めちゃくちゃごつい南京錠。鍵には鈴とプラスチックの札がついている。

風呂に入る時に身に付けていられるように鍵のヘアゴムをつけた。

さて今日からいよいよ契約労働の始まりだ。やっと始まる。今日の仕事が終わってもあと9日あるんだなあと思うとうんざりするので考えないようにしようと思う。

目覚ましで5時に起きる。最悪の気分だった。あれだけストレッチをしたのに筋肉痛が残っている。

特に酷いのが腰痛だった。腰のストレッチなんてどうすればいいんだ?あまりのばせない(註1)。それから腕の筋肉痛もきつかった。腕が細い分いくらストレッチをしても追いつかない気がした。腕の筋肉全部筋肉痛に違いないと思った(意味不明)。

この日はGさんたちも現金で来ていた。

食堂のボードの「本社」の札のところに僕の名前はかかっていた。「本社」って何なんだろう?水場にたまっているおっちゃんたちに聞くと本社の仕事は楽だと言ってた。しかし内容については教えてくれなかった。結局本社が何かよく分からなかった。

この日は大工のTさんの手元だった。迎えに来るのが遅かったからまた現場の人と1対1の仕事かなと思ったらやっぱりそうだった。仕事の性質として大勢人がいるような大工事は田舎で、田舎だと現場が遠い分迎えも早くなるということだろうか。そうだとは言い切れないがまあそんなところだろう。7時くらいに迎えにきたかな。

1対1の現場だと誰かがやっているのを真似するということができないから辛い。それにもし僕が使えなかったらその日は全く作業が停滞してしまうかもしれない。そう思うと怖い。自分が仕事を知らないことは充分分かっているし。

車の中で「T言います」とTさんに自己紹介された。丁寧に自己紹介されたので驚いた。最初はこの人は迎えに来ただけで現場にはもっと会社の人がいるのかと思った。「奈良って本当にお寺が多いんですね」とか他愛ない話をする。途中自販機に寄ってコーヒーをおごってもらう。そう言えば昨日はFさんがおごってくれるというのを遠慮したんだよな。

他にもお昼のお茶やジュースをおごってもらったりした。

柱が剥き出しの建設中の家が今日の現場だった。2階建てで屋根裏くらいついているんだろうか。妙な作りの家だと思ったら「伝統工法で作る」が売り物の、有名な建築家設計の家だそうだ。普通の家なら2ヶ月3ヶ月で建つのだが、この家は7ヶ月かけて作るのだそうだ。作りかけの家を見て僕はもう5割くらい出来ているのかと思ったらまだ1割程度、まだ2週間くらいの作業だと言われた。まだまだまだまだこの家は完成しないのだ。僕が関わるこのたった1日って小さい。

自営業って大変だ。一つの仕事が終わったら次の仕事見つけないといけない。7ヶ月もかかると思うと気が遠くなるけど7ヶ月間は収入の保証はあると思うと心強いな。早すぎず、遅すぎず、きっちり仕上げる。いやよく分からんけど僕にはなじみのない世界なのだ。

足場の板を剥がすように言われて、釘の抜き方が分からずに別のことをするように言われた時は恥ずかしかった。Tさんが道具を使うのを見てなるほどそう使うのかと感心した。道具というのはよく考えて作られている。

「大工の手元かー」と最初どうしようかと思った。この時僕は大工と鳶をごっちゃにして考えていた(註2)。

午前中はほとんど掃除をしていた。ノコギリで出た削りカスとかをほうきで掃く。家の周りに落ちた木材やゴミを拾ってた。足場にするベニヤ板を上げるのを手伝ったり。

途中でコミセン打ち作業をする。ハンマーでモクセンという木の栓を柱と柱の継ぎ目に空けられた穴に打ち込む。途中からハリヤというでかいハンマーを使うように言われる。

ハリヤを使うのがきつかった。というよりモクセン打ちそのものがきつかった。Tさんがやるとスルスル入っていくのが不思議でしょうがない。一つには集中力の問題がある。Tさんに見てもらっているときはうまくいく。一人でまかされるとなかなか出来なくなる。緊張感による集中力が助けになっているのだろう。もう一つは筋力不足。筋力が無いぶん打つところがずれてしまうのだと思う。あげくコミセンを割ってしまう。

初めてにしては上等だったのだろうか。それともダメダメだったのだろうか。分からない。あまりのできなさにこれはもうここには呼んでもらえないかなと思った。モクセン打ちというのも「伝統工法で作る家」が売りだからやっているだけで今はほとんどやらないことらしい。であれば熟練の手元でもできなかったりする部類のことかもしれない。わからんけど。

2階の方のモクセンは午後からだったと思う。

「とにかく足元だけは注意してな」としきりに言われた。落ちたら怪我するしかないもんな。注意するしかないし。こういう時安全帯は使わないんだな。まあ即座に生死に関わるような高さではないわけだが。

途中で雨が降って大変だった。2回雨が降ったかな。最後は雨が降ってもう今日はやめようということになった。

この日の仕事でまた少し手元のことが分かった気がする。屋根の板を打ち付けたり、ベニアを2階にあげたりというように、一人ではできないことがある。そういう時に必要なのは素人でもいいからもう一つの身体なのだ。機械や道具より少し融通の利く人間の身体。誰でもいいが誰かいないとできないことをするために手元を雇う。また、掃除をしていて思った。しょっちゅう掃除をさせられた。これは2人でしなければできない作業がその段階ではないからで、遊ばせておくよりは何かやらせておこうということ。手元というのはそういう存在なのだ。必要な時にどうしても必要な存在だ。

2階のモクセン打ちはきつかった。足場は頼りない、高いというだけで怖い、疲労はたまってる、ハリヤは重い。それにきりが無い。他に用事の無い限りはずっとモクセン打ちを続けるのだと思うときつかった。ブルーシート洗うよりは意味のある作業だとは思うけどきつい。ああ、意味のある作業ってきついもんなのかもしれない。頭の中に家を作る全工程が入っているというのは凄いよなと感心した。プラモデルだって説明書見ながらでないと作れないのに。……いや設計図はあるのか。しかしあれだけでかいと材料がきちんとはまるようにするのも大変だよ。仕事だから絶対完成させないといけないし。

Tさんはタンクトップで仕事してた。僕は相変わらず冬用の作業服だった。脱ぎたくて仕方なかったが長袖でないといけないんだろうしと暑いのにずっと長袖で作業していた。「暑くないか?」とTさんが言う。どうもTシャツで作業してもいいらしいと思って途中から上着は脱いだ。

雨で床下浸水した。大丈夫かこの家と思った。

帰りの車の中でTさんが飯場に電話して「明日も彼にお願いします」といってくれた時は嬉しかった。こんな手元としても素人の人間でも役に立てる余地があるということを認められた気がしたからだ。

前に知り合いのホームレスの人たちと呑んでいる時、「明日も来てくれと言われたよ」と言ってよろこんでいるおじさんがいた。誇らしげだったし、周りの人も称えていた。だから「明日も来てくれ」いう言葉は言われてみたかった。

結果的にTさんとの仕事はもう無かった。でも考え様によってはそれでよかったのかもしれない。もしかするとずっとTさんのところで仕事だったかもしれない。それよりはいろんな現場で仕事できた方が経験としてはよかった。

帰りの車の中で奈良っていいですねえという話をする。Tさんも賛同して「住むなら奈良やで!」と力強く断言。奈良最高。

Tさんに言われてコーヒーを買いに行った。ジョージアのエメラルドマウンテンを買っていくと「コーヒーはこれが一番うまいな!」「そうですよね!」と意気投合。何やってんだか二人で(笑)。僕も嬉しかったりするんだよな。

Tさんはいい人だった。格好いいし、器量もありそうに見えた。まあ一日だけの付き合いだったからどうとでも思い込めるのだけれど。


(註1)
▼腰痛は一ヶ月間くらいずっと引きずったように思える。そんなわけないのだが腰がズキっとする感じはしつこいぐらい残った。

(註2)
▼鳶の手元だけは絶対やめておいたほうがいいとよく聞く。


■8月22日(金)
今日もTさんと仕事だとうきうきしてたのに番頭のおっちゃんに言われて違う現場に行くことになる。舗装の仕事になる。

舗装会社の人に「舗装の経験あるんか?」と聞かれる。もちろんない。3人行くうちで舗装の経験があるのは1人だけだった。舗装会社の人は「社長に怒っとったっていっといてな!」と番頭さんに言っていた。めちゃくちゃ不安になる。これこそ僕の思い描いていた日雇い労働者っぽい日雇い労働なのだがこんなアクシデントに巻き込まれる形で行きたくなかった……。

現場まで結構遠かった。1時間半くらいかかった。

現場はどこぞの材木会社の材木置き場で、そこのアスファルトの張り替えだった。アスファルトがめくってあるところが今日の作業だろうか。めちゃくちゃ広い。フィニッシャーというアスファルトをまくための巨大な車がある。しかしこの巨大な車が小さく見える。何往復かかるのか。考えたくもない。作業工程もわからん。しんどい。

現場には同じ会社の正社員の人たちが10人くらいいた。そのうちの一人がこんなことを言う。「暑いから倒れるなよ。俺たちも病院連れて行くの面倒やからな。倒れたらゆんぼう(註1)もあるから埋めて舗装するからな。どうせこんなところ20年ははがさんのやからその頃には俺は時効や」

まあこれも自分で倒れないように気をつけて働けということを言っているだけなのだがその言い方はないと思う。腹が立ったのは事実。

舗装の現場に限らずいろんな現場でただがむしゃらに働いたあげくぶっ倒れてしまう人がいるのだろう。倒れてしまうとその日の日当が貰えないので倒れた本人は働き損だ。しかし苦労をするのは雇う側もいっしょで、作業半ばで倒れられてしまうと病院に運ぶために人手は割かれるわ、作業の進行は遅れるわでかなりの迷惑をこうむる場合もあるのだ。いくらその日の日当は払わなくてもいいと言っても、一番いいのは滞りなくその日の作業が終わることなのだ。わざと倒れさせても何もいいことはない。

……ただ人夫出しにしてみれば契約終わりごろにわざときつい仕事に回して逃げ出すように仕向けるという手段はあるだろう。かなりあくどい。派遣先にとっても迷惑な行為だと思う。まとまな飯場経営者ならやらないだろう。派遣先の信用を失いかねないのだから。

飯場の経営者もそうそう無茶な派遣はしないだろう。飯場に入っている人間は労働力で、そこそこうまくスケジュールを組んでつぶれないようにしないと赤字が出てしまう。給料から飯場代が天引きされるとは言え、使えない日が長期に渡ると足が出る。そうそう何人も病院送りにするわけにはいかない。毎日ある程度の労働力は派遣先に供給しなければならないのだ。需要に対してきちんと供給できなければ信用は失われていく。信用を失うと契約先がなくなる。結果的に自分の首をしめることになるのだから。

最初水を汲みにいかされた。結構重労働だった。台車か何か使わせて欲しかった。水場まで遠い。

結構頻繁に休みを取った。1時間に一回は取っていた。普通は午前午後に一回ずつの休憩だ。これだけでも舗装の仕事のきつさを物語っている。舗装の現場はみんなきつい。

午後の休憩中に僕の来ている作業服のことを指摘された。「それ冬服じゃないか?」と言われて「やっぱり冬服だったのか」と分かった。どうりできついと思った。西成の古着屋で買う時に「これは冬服じゃないのか?」と疑問に思ったのだがまさかこの真夏に冬服を売っているわけもないだろうと思い買ってしまった。服装ひとつとっても僕はアホなくらい素人だ。

どうして飯場なんかにいるのか、リストラでもされたのかと聞かれる。危ういところを適当にごまかす。「飯場に入ってみたかったんですよ」と答えると「変わっとるな」と笑われた。一緒に来たおっちゃんたちも笑っていた。ふう。

この休憩の前にいっしょにきたおっちゃんに名前を聞かれた。何かと思ったら「人の仕事を見てばかりじゃ分からんぞ。分からんかったら聞け」と言われた。むっときた。分からんかったら聞けと言われても僕には何が分からんのかさえ分からん。スコップだってろくに使ったこと無いんだから(威張ることじゃない)。そもそも僕は別に人の仕事を見ているつもりも無かった。分かっているつもりだったのだ。未だにおっちゃんがなぜこういうことを言ったのか分からない。

思い当たるとすればゆんぼうで降ろされたアスファルトをすくって広げる時の手際が悪かったせいかなと思う。「こっちでやったら邪魔や!」と怒鳴られたことがあったからだ。……いや、確かに同じ未経験者同士と思っておっちゃんの動きを見ることが多かったかもしれない。おっちゃんにすれば自分の分からんのに自分を頼られても困るというところがあったのだろうか。それはうっとうしいよな。見るならもう一人のおっちゃんの方だろう。しかしもう一人のおっちゃんは別の作業をしていたから参考にならない。だったらやっぱり聞くしかなかったな。

やることが分かっていても本当にあってるのかどうか自信なくてためらいがちになるというところがあった。そういう思考自体間違っているかもしれない。とにかくやってみて、間違っていたら指摘されるだろうぐらいの気持ちの方がいいのかもしれない。頭の中で葛藤していても他人から見たらボヤボヤしてるようにしか見えないだろう。

自分で思っている以上に僕は現場でおろおろしているのかもしれない。怒鳴られる時もあまり気にしないようにしようと思っていた。「どんなにきつく怒鳴られても自分から帰ってはいけない。帰れと言われたら、じゃあ帰るからここまでの日当を寄越せくらいのことを言わないとだめだ」とか「きついこと言われても気にせんと一日働くことだ」とか飯場に入る前に言われた言葉から失敗をしたり怒られたりしてもとにかく一日働ききって日当を貰うことが第一だと決めていたのだ(註2)。

ヘルメットなんかいるのだろうかと最初思ったが後半の作業ではよくゆんぼうに頭をぶつけた。そんなに強くぶつけたわけではないがヘルメットをかぶっていなければたんこぶくらい出来ただろう。作業中は周りが見えなくなっている。いったいどれだけ見えていないのだろうか。

身体の使い方が悪いのか周りが見えてないのかペンキが塗られたばかりの鉄筋の周りを舗装する時に上半身がペンキだらけになった。そういうことになったのは僕だけだった。

仕事が終わり、車の中で会社の人を3人で待っているときにいっしょにきたおっちゃんに「今日は足引っ張ってすみませんでした」と謝った。すると「別にそういうふうには思っとらん」と言われてほっとした。スコップもほとんど使ったこと無いというと「初めてやったんならしゃあないな」と言う。この言葉と怒鳴られた時の印象にギャップがある。彼は僕の使えなさに相当忌々しさを感じているように感じていたのだ。これについては今でもよく分からない。

舗装経験者のおじさんは「舗装だけは何度やっても一番きつい」と言う。そういいながらこの人は舗装の現場ばかり行っている。偉いと思う。

舗装は本当にきつい。一番きついと思う。物凄く暑いのにさらにアスファルトの熱がくる。社員の人たちもきつそうだった。人間身体がきついと余裕が無くなって怒鳴るようになる。手元をやっていて怒鳴られるのはその人がいやな人なわけでもこちらがミスをしているというばかりでもなく、その人もきついからだ。きつい時にきついことを言われるが、僕がきつい時には雇い主もきついのだ。同じ作業をしているのだから。

帰りに会社の人がビールをおごってくれた。なかなかアルコールが醒めなくて大変だったけどおいしかった。怖い人だと思っていたが仕事が終わってみるといい人だった。舗装の現場ではこの人も僕たちと同じようにアスファルトの上で仕事をしていた。同じ辛い仕事を終えた同志という共感のようなものがあるのかもしれない。本当、お互い「暑かったなあ」と声を掛け合いたい気分だった。

飯場に帰って事務所で借りていた安全長靴を返そうとしたら女社長に言われた。「今日ごめんな、おっちゃんの勘違いやねん」……しっかりしてくれ。

(註1)
▼言うまでもなくショベルカーのことなのだが僕はショベルカーのことをゆんぼうだということを飯場に入って働くまで知らなかった。素人全開である。

(註2)
▼しかしこの日は倒れるかと思った。結局この日は予定されていた場所全てを舗装することはできなかった。最後の休憩で「あと2本で終わりだ」と会社の人が言う。しかし「あ、違うか3本や」と言われて死にたくなったがこれはこの人の冗談だった。▼一度くらい倒れてみるのも経験かと思ったが倒れるほど働くのは地獄の苦しみであろう。


■8月23日(土)
本社のところに札がかかっていたので改めてTさんのところの仕事だと思っていたら吉野の山奥で土工だった。Tさんのところだと思ってのんびりしていたらおっちゃんに呼ばれてびびった(註1)。現金で来た人が2人と通いで来ている人が一人だった。

突然だったので食堂から弁当を取ってくるのを忘れたいことに途中で気づく。コンビニによってもらう。お茶と弁当、ウィダーインゼリーを2つ買う。ウィダーインゼリーは1つ車の中で飲んだ。現金のおっちゃんがC1000タケダを買っている。車の中で「これをお茶に入れるんや」と話している。疲れが取れるんだろうか?野球部名物レモンの蜂蜜付けの要領か?

最初にはったりで土工の経験が3ヶ月あると言ってある。社長もまさか本気にしてはいないだろうがもしこれ土工経験がないことを現場でとがめられたらどうしようと気が気ではなかった。契約違反と言われてしまうかもしれない。現場でまず書類をかかされた。そこに土工経験を書く欄があった。そこは空白にして渡したら確認の時にやはり経験について聞かれた。仕方ないので無いということを言うがとがめられるということもなく、もう一人の現金できたおっちゃんに「教えてやってくれ」と言って同じ場所にしてくれた。助かったと思った。これで1回土工をやったことになるのでまったくの初心者ではない(まあ次に行っても初心者に違いは無いのだが)。

高台の小中学校とプールを作る仕事だった。僕がやったのは体育館の基礎作りだ。

Wさんという人に教えてもらう。初心者は熟練者に教えてもらえばいいという日雇いのセオリーに沿うことができるなと思った。

作業はまずハリの中に砕石を敷き詰めてならす作業だった。石が足りない時はゆんぼうの人に頼んで石を入れてもらう。基礎の部分、土を掘り崩して段々にしてあるところのことを「ハリ」というのだとWさんに教えてもらった。他にもいろいろ教えてもらった。ハリのくぼみのところに鉄の棒を打つ。その棒のことを「鉄筋」ということ、鉄筋にビニールテープで印を付ける時、印の下に基準をあわせることを「したば」ということ。基礎のコンクリートを流し込んで固めるために使う箱のを「ばっかん」ということ。これは仮枠のようなものだろう。仮枠と違うのは何度も使うというところだろうか(いや一回しか使わないのか?)。

満遍なく平らになるように二人で砕石を撒いていく。石が足りなかったり、ゆんぼうが石を下ろす位置がずれていたりすると少しイライラする。作業開始場所から作業が終わる場所までが50メートルくらいあってうんざりした。途中で他の作業にまわされたので結局全部埋めるのではなかった。しかし、途中で他の作業にまわされることなど最初はわからない。今日は一日穴埋めかと思うとうんざりした。それが手元というものだと身にしみるように思ったがやはりつらかった。逆に今日はずっとこの作業をやっていればいいんだと思い込んでいるところで別の作業にまわされるのもつらいかもしれない。

知り合いから聞いた「一日穴掘りやらされた時はきつかった」という言葉が思い出された。しかしそれでも土工をこなせれば日雇いとして成長できるような気がしていた。土工経験のない日雇いなんて格好悪いと思ったのだ。ここには何か日雇いの世界の価値観のようなものが僕にも反映されているのだろうか。

ばっかんをゆんぼうで吊り上げてハリの中に落とし込む。タンクローリーで錬ったコンクリをゆんぼうで受けてばっかんの中に流し込む。時々吊り上げてバランスを見る。この時手元としてはあまりすることはなかった。たまに吊り上げる時にワイヤーをよけたりかけたりしたがそれも手元の僕たちがわざわざ出ていかないほうがいいような段取りに思えた。Wさんは積極的に動いていた。熟練のはずなのに無駄な作業をわざわざするのだなと思った。それとも本当はするべきなのだろうか?

よく働くやつだという印象をつけるために過剰にでも動き回っているのだろうか?そういえばGさんとBさんが言っていた。「一日目は死ぬ気でがんばる。そうすればまた来てくれと言ってもらえる。だから一日目は死ぬ気でがんばる。それで次の日には死んどるかもしれんけど次の日のことを考えるよりそもそも次の仕事に行けることが大切だ」

この発言には矛盾を感じる。実際そこまで働いてはいけないと思う。次の日も働けるようにその日働かなければ。大体この辺はダブルバインドだ。このダブルバインドは何を意味しているのだろう?これをうまく言い表せないだろうか。

途中でWさんは敷き詰めた砕石をプレートでならすように言われた。プレートを動かすのには何か資格のようなものがいるのだろうか?いらないような気はするんだけど。どれくらい日雇いをしていたらプレートをやらせてもらえるようになるんだろうか。昨日の舗装の時にプレートを使った作業を見ていたおかげでプレートに対する距離感はあまり感じなくてすんだ。「ああはいはい、プレートですね」という感じだ(何言ってるんだか)。

途中で円柱の中に落ちている石を落とす作業をする。あの円柱も基礎の一部なのだろう。丸い型に鉄筋を入れてコンクリを流し込んで作るのだと思う。円柱にはスプレーでしるしがつけてあって、そこまではハチリで崩すようだ。現場の人がハチリで崩している傍で崩したコンクリが邪魔にならないように手とスコップで取り除いていく。これもまたストレスのたまる作業だった。次から次へ円柱を崩していく。あと何本円柱があるかと数えていやになった。

言われてもないのにWさんはハチリの手元に行った。それはそれで正しかったらしい。ハチリをしているときに作業がしやすいように砕いたコンクリを取り除いていくというのは割と定番の作業なのだろう。僕も経験を重ねて作業の手順が見えていけば融通を利かせながら動くことができるだろうか。今回の現場は学校という広い敷地の中に大きな建築物がいくつも立つという作業だったが、一つ一つを解体してみていくと小さなビルを建てるのと同じ段取りがいくつも集まっているのだと思う。他のいろんな現場で見て、やって経験した断片的なことを現場現場によって取り出し、応用して作業していくのかもしれない。

スコップの使い方があまりうまくないということに負い目を感じる。もっと豪快にやらないと怒られるのだろうかという気持ち、あまり豪快にやりすぎると途中でばててしまうんじゃないかという気持ち、土工をするときの自分の体力がどの程度であるのかがわからないせいもあってためらいを覚えながら作業していた。

スコップの使い方を何度かWさんに指導された。『こういうふうにガッガッと効率よくさっさとやっていけ』と言わんばかりに実演してくれた。確かに言われてみればその通りだと分かる。しかし、それが自分で自然にはできないのだ。昔からそういうところがある。小学生のころクロールがなかなかできなかった。クロールなんてバタアシに手を加えただけなのに何故か自分にはまだできないような気がしたのだ。「とりあえずやってみる」という姿勢に欠けている。ああ、でもこれは過去と現在のある事例とある事例を結び付けて「自分の性分」というストーリーを作っているだけかもしれない。。

飲料水として斜面下、臨時の階段横に冷水機が置かれていた。長机の下に冷水機、上にポリタンクがおかれていた。コップ代わりにペットボトルを切ったものが置いてあった。途中でこのコップがなくなっていたので冷水機の配水口に直接手を当てて飲んでいたらゆんぼうの上で休憩している人に笑われた。「それの蓋使えばいいやん」と言う。冷水機の蓋?と不思議に思ったらポリタンクの蓋のことだった。

こういう、何か別の用途のものを流用するというところがこの業界にはよくある。ペットボトルを切ったコップからしてそうだ。これは面白い。僕の認知世界にはないものの見方だ。逆に言うとこの見方・感覚を身につけていかなければいけないなと思う。道具というものを僕はどこか既製品のように思っている。はさみ、定規、金槌など誰かがある用途に合わせて作り上げたもの。しかし、何かを何かの用途に役立てればそれはもう道具なのだ。たとえその場限りのものだとしても。「役立てる」とは何だろう。ただ単純にやるのではなく、何か工夫をすることで作業を楽にする。道具を使うということの原点を見たような気がした。

しかし、臨機応変・その場その場で工夫していくというのは僕には少ししんどいのだ。それは作業手順を知らないせいもあるだろう。とにかく言われたとおりに作業をやり遂げなければと一生懸命だ。あと前にも書いた気がするが「自分の持ち物ではない」というところに頭の中に発想の壁ができているのだと思う。いや、「それをそんなふうに使ってはいけない」という規範にとらわれているところもあるのだろう。「そんな乱暴なことをしてはいけない」とか「そんな粗末な扱いをしてはいけない」みたいな。

昼飯。朝来た時に荷物を置いたところでご飯を食べる。よく見ると影を作るために置いてあるこの枠はバッカンだった。流用だ。

ウィダーインゼリーもぬるくなっている。暑い。

隣の枠からは先輩後輩のやりとりをしているのが聞こえた。後輩いびりっぽい感じもした。

午後はWさんと別々になった。

コンクリートの円柱を電動ノコギリで切っていく脇で掃除機を使ってホコリを吸い取る。近所(といっても谷ひとつ挟んでいる)から苦情が出るとかで掃除機でホコリを吸うようにしているという。

それが終わった後は切った円柱の中に詰まった土を取り除く作業を命じられた。もともとあとで切る部分はコンクリとコンクリの間に土を挟んであったようだ。これも結構時間がかかった。土がどこまで入っているものなのか分からなかったからだ。途中で思っていたより奥まで土が入っていること、コンクリだと思っていたところが土だったことに気付いたりして結構時間がかかった。

やりながらこの作業は一体どの程度意味がある作業なのだろうかとか考えた。遊ばせとくのがもったいないからさせとく程度の仕事なのか、必要だがさっさと終わらせるべき仕事なのか。単純で軽い作業なのだがこの炎天下では立っているだけでふらふらする。適当に休みながらクワやスコップ、バールで土をほじくりだす。

午後の休憩の時にWさんや通いで来ているRさんの話を聞く。

Wさんは23歳の女性と最近結婚して5ヶ月だといっていた。親には若い頃勘当されたそうだ。自分の若い頃は「イケイケ」だったと言う。バイクを乗り回していたとか。身体がなまるから認定は貰わないと言っていた。妻のためにも頑張らなければいけない、そういう心持のようだ。

僕たちが世話になっている飯場は「良心的なほうだ」とRさんが言う。Wさんやもう一人の人ともRさんは昔から知りあいらしい。

Wさんは「重機を取れ。そうしたらくいっぱぐれることはない」と強く言う。いくつに見えると年齢を聞かれた。困った。60過ぎのじいさんに思えるがこういう場合カマでは50歳くらいだったりする。50歳くらいですかというとやっぱりそのくらいだった。

作業再開。時計とにらめっこ。ようやく5時近くなる。別の場所の作業より早く終わったようだった。お茶のポットを運ぶ。まだ氷が残っていて、思う存分冷たいお茶を飲めた。

Wさんが着替えてくるという。「現金やから着替えんといかんのや!」と何だか強く言われる。え、着替え持ってきてるの?と少し驚いた。家に帰ってから着替えればいいのに。もう一人の現金の人も着替えていた。

着替えが長くて事務所のプレハブまで迎えに行った。信じられないくらい冷房が効いていてくしゃみが出た。バテるって。終わってるからいいけど。

帰りの車の中で飯場の社長は女だとか親族経営だとかいうことを知った。Rさんは「女社長」が嫌いなようだ。ここで社長は女社長の弟だということも知った。同じところに長くいたらこういう俗な話もだんだん耳に入るようになるのかな。

飯場についたのはずいぶん遅くだった。現場が遅いから仕方ないよね。

(註1)
▼Tさんとの仕事の現場は比較的近いところなので迎えにくる時間も遅い。現場の遠近に関わらず仕事開始は8時なのでそういうことになる。▼のんびりできると思ってのんびりしていたら突然別の現場に行ってくれと言われたりするのであまりくつろげない。▼この日の現場には2時間弱かかった。


■8月24日(日)
日曜で仕事が休みなので研究会に行く。「夜には帰ります」と番頭さんに伝えて駅へ向かう。
新今宮で降りて釜ヶ崎で作業服を買う。やっと長袖のシャツで仕事ができる。これでだいぶ楽になるはずだと思う。知り合いのところに寄って話をする。楽しかった。

それから家へ戻ってシャワーを浴びて、学校に行く。研究会。

給料が出たのでと先輩が焼肉を奢ってくれる。ごちそうさまでした。筋肉になります。あまり遅くなると不安なのでそこそこで切り上げた。

飯場についたのは8時過ぎくらいだったが何事も無く自分の部屋に戻る。風呂は自分ちで入ったからいいだろう。もう寝る。


■8月25日(月)
材料が入らないとかで本社の仕事がキャンセルになる。「遊ばせとくのももったいないから」と社長に会社の車を洗うように言われる。1000円貰って番頭のおっちゃんといっしょに車を洗う。考えてみれば僕は車を洗ったことが無い。子どもの頃、おばあちゃんの家で車を洗ってワックスをかけるおやじを見ていたことはあるが、自分で洗ったことは無かった。

バケツにブラシをつけて、洗剤に浸しながら洗っていった。本当にこれで洗っていることになるのかと不安になりながら洗う。ここまでくるとこれは性分だ。初めてのこと、慣れていないことに尻込みするだけじゃないか。

洗車中に社長から話し掛けられる。「仕事は慣れたか?」と聞かれ、「道具の使い方とかは分かってきましたけど」と曖昧に返す。慣れたかといわれてもどこまで言ったら慣れたことになるんだろうと思う。自分の熟練度を計れないうちはまだ慣れたとは言えないだろう。まだ慣れてないのか僕は。慣れるとは自信が持てるようになるということでもあるだろう。「分からんことは一緒にいっとるもんにきけ」「使えん奴よこしよったと思われたらかなわんからな」「ボウシンの言うことよくきくんやで」というようなことを言われる。気にかけてくれているらしい。

そろそろ洗い終えるかなという頃にA建設の軽トラが来る。約束していた人がこなかったので誰か別の人間を都合してくれということなので僕が行くことになる。これで一日無駄にせずにすむ。ラッキーだ。しかし気持ちの切り替えが面倒くさい。

車がポンコツでエアコンがきかないとかそういう話を聞きながら現場へ行く。二人きりの現場はやはり少し怖い。ごまかしがきかない。話さざるをえない。きまずい。

民家の裏手の側溝の工事だ。既に穴が掘られてU字溝がはめ込んである。この日の僕の仕事はU字溝とU字溝の隙間をセメントで埋めることだ。仕事はゆったりしたものだった。あまり急がなくてもいいと言われたし。奥までセメントを押し込むという手順を一通り説明されたがよくわからなかった。まあ何とかなるだろうと適当に始める。あとでチェックが入るだろうということも分かっていた。

二人きりで話すことも亡いので実は大学院生だという話をする。研究のことを話す。日雇いのおっちゃんたちについて話した。日雇いではなく、普通に就職した方がいろんなことを考えても効率がいい気がするがおっちゃんたちは日雇いがいいのはなぜだろうねという話をする。自由と言うが思い切り不自由な気がするという話。

午後は埋めたセメントがはみ出したのを鉄のヘラでこそぎとっていった。「ぼちぼち急いでください」といわれてちょっとペースをあげる。これもまたどこまでやったものか分からなくてどれくらのペース配分でやればいいのか分からなかった。けずったぶんをほうきではわく(註1)。

明日も来れるかという話になる。先約があるのに約束していいのかと分からなかったがその先約もいったいどのくらいきっちりしたものかわからないし、行けるという返事をする。まあいいや。配置は飯場が考えることだろう。折衝は上の方でしてもらおう。

食堂や風呂で話し掛けられて今日の仕事は楽だったと話す。付き合いの浅い深いは関係なく僕にも話し掛けてそういう話をする。対等な関係というのか、それとも大して関係は深まらないということなのか。知らない。仕事の話くらいしかすることないといえばないな。別に昨日のテレビがどうだったとか、明日の講義の話とかするわけでもないし、アイドルの話をするでもないしな。

(註1)
▼作業しながらこんな楽な仕事には何か裏があるのではないかと考えていた。この現場には続けて何度か通うことになる。楽なのは初日だけだった。最初の日だから抑え目だったのだろうか?これ以前に3人が来なくなったとA建設の社長が言っていた。


■8月26日(火)
晴れ時々雨

ごはんを食べて準備を終えた頃に雨が降り出す。おきてからずっとやる気が無くて休みなら休みでいいと思った。この休みかどうか分かるまでの時間がだるい。僕と同じように連絡待ちの人たちもみんなしんどそうだった。8時を過ぎるとみんなお酒を呑み始めた。番頭のおっちゃんもビールを買ってきて皆に渡し始めた。こういう関係を作るのも番頭の役割なんだろうか。僕にはくれないんだろうかとか思った。欲しいわけではないが仲間はずれはいやだと思う。

「8時半まで待ってこんかったら飯場に入っとき」と番頭さんに言われる。8時半近くなってもう上にあがろうかと思って荷物をとったところで1台のトラックが来た。A建設の軽トラではない。昨日のA建設のように飛び込みで人を探しに来たように見えた。

番頭さんはたまっていた人たちに「○○さん行ってくれるか?」と交渉をするがうまくいかない。どうなるのだろう、休みになるくらいなら僕にいかせてほしいと思った。いくら調査になるといってもできるだけ早く飯場からでたいと思ってしまう。きついことは集中的に済ませてしまいたいのだ。結局階段で鉢合わせた僕に「自分行ってくれるか?」と言ってきたので承諾する。これで「明日も来てくれるか」と言われたところは2回連続行けなかったことになる。どうせ今日はA建設の仕事は無いだろうが、こういう約束不履行は先方にどう取られるのだろうと思う。多分飯場自体そういうアバウトなところがあるのだろうから僕個人を悪く思われるものではないだろうが。

C建設の仕事。相手の人はNさん。作業の説明をトラックの中で受ける。現場は近鉄電車の車庫。仕事はコンクリートの仮枠外し。経験の有無を聞かれる。もちろんない。わからないことは今のうちに聞けという雰囲気だったのでいろいろ聞く。

うちの飯場を使うのは初めてのようだった。飯場の存在は前から知っていたのか、それとも飯場の場所を聞いてきただけなのか。とにかく何のアポもなしに飛び込みで人夫を出して欲しかったようだ。まあ必要な時に必要な人材を派遣するのが飯場だからこれはありなのだろう。

飯場についても聞いてみる。

やっぱり10日契約くらいだと仕事をまわしてくれるものらしい。飯場に入って間もない頃、「10日契約ぐらいだったら仕事入れてくれるよ」と他のおっちゃんたちに言われた。契約の短い者はもともとお金をためる気でいるから10日の契約期間をできるだけ早く働ききってしまおうとする。しっかり働く気でいるから飯場としては派遣させやすいのだそうだ。長くいる者になると働いてお金を稼ぐという目的がくいちがって休みがちになってしまうのだという。Nさんは表で酒を飲みだした連中のことを例に出していっていた。あとトンコするという話もしていた。これは日雇い労働者に定番の話だな。

飯場にいても仕事は無い。しかし、飯場に長くいる人間は働きたがらない。毎日寄せ場から労働力を仕入れるより飯場にプールしておいた方が使う側、派遣する側としては便利がいい。仕事は確かにないのだと思う。しかし、飯場にいれば仕事に行こうと思えばもっといけるのではないだろうか。実際社長は毎朝寄せ場に現金の人間を探しに行っていた(他に用事があるのかもしれないが)。その分飯場の労働力が遊んでいるはずだ。

飯場に入らないと今は仕事が無いという言説そのものは正しいのだろう。だから飯場に入れというプレッシャーはかかるだろうし、労働力のプールがやりやすい状況にあるとはいえる。

飯場というのは労働力をプールしておいて、その労働力を遺漏なく、時には臨機応変に派遣するためのシステムだ。それがうまくいかない場合困るのは飯場の経営者だ。飯場の経営者も大変だ。最初の日、女社長に「契約で入ってくれるの?ありがとう」と言われて驚いた。「こいつ本当に使えんのか?」という目で見られるのではないかと不安だったのだ。

そういえば今朝、他の人から他の飯場について聞いた。「前日の7時までに休みたいと言わないと休ませてくれない(ひどい)ところもある」という。しかしこれはわりと普通のことなんじゃないだろうか。この辺の意識のずれがある気がする。どういう意味合いの発言として解釈するべきなのだろう。

「暴力飯場」をやるのも大変だと思う。よっぽど人間を無下に扱うのがうまいんだろうなあ。

C建設は仕事の始まりは8時半、4時半ぐらいには仕事を終えて5時過ぎくらいには飯場に戻れるくらいにタイムスケジュールを調整してくれるそうだ。派遣先としてとても良心的だ。「その方がええやろ?」と言われた。それはもちろんそうだ(註1)。

現場につくころには雨はもうほとんどあがり、うっとうしいほどの晴天になった。

仮枠バラシという仕事がやれるのは実は嬉しかった。日雇いの仕事として何度かその名前を聞いたことがあったもので一回はやっておかないといけないと勝手に思っていたものだったからだ。まず最初に鉄のピンのようなネジを外すように言われた。外した木切れはまとめて置けとか、簡単な注意を受ける。ピンを外すのにまた外したピンと留め金そのものを流用する。いい加減こういう瑣末なことはわざわざ教えてもらわなくても自分で応用しようよと今フィールドノートをまとめている段階で思う。だって、教えてもらうにしても本当に、「技術」とも呼べないようなことじゃないか。バカか僕は。

現場にNさんがいなかったので他の会社の人が午前の休みを取っている時も一人で働いていた。これは休んでもいいのだろうか、それとも彼らとはタイムスケジュールがまったく別だと考えるべきなのかと迷った。C建設は小さな会社なのだろう。確か三重県に本社があるんだっただろうか。こういう仕事はどうやって手に入れるんだろう。入札とかあるんだろうか。一回依頼された時にできた縁で次の依頼が来るということもあるにはあるんだろう。ああ、それこそ元請、下請け、孫請け構造があるんだな。仕事を募集し、配分する公共機関があればいいのか。まったく談合のない、仲介所としての役割をニュートラルにこなすような場所。そういうシステムが必要なのかもしれない。

早く帰れるのは確かに嬉しいけど、午後に休憩がなかったのはつらかった。休憩で労働のリズムを取っているところがあると思う。「もう3時の休憩だからあとこれだけ頑張ればいい」とか「3時の休憩までは時計を見ずに働こう」とか。休憩を取らなかったのはそれだけ作業が押していたということだろうか。

そういえば朝、番頭のおっちゃんが昨日社長からもらった1,000円のうち500円をくれと言ってきた。あれはもともとそういう金だったのか?それともおっちゃんの権力行為?

世話役のおっちゃんを「番頭」と呼ぶのだと知ったのはNさんと話していたときだ。僕が「世話役のおっちゃん」と言ったら「番頭とちゃうんか(笑)」といわれた。

今日1日で仮枠バラシがだいぶできるようになった。こんなに釘を抜いたのは初めてだ。ハンマー一つでこうも簡単に釘を打たれた板を解体していけるのかと関心した。正直楽しかったな。(註2)

飯場で働いていると時折公園での生活を思い出す。おやじさんは生活のいろんな場面で日雇いをやっていくための技術を伝授してくれようとしていたのだということが今になって分かる。その頃は「ホームレスをやるための技術」だと思っていた。しかし、「ホームレスをやるための技術」としては解体はあまり重要に思えなかった。モーターの解体もハンマーやレンチのといった道具の使い交野学習と道具を手になじませるという役割を持っていた。そしてその場にあるものを小道具として流用するというスタンスを仕込もうとしてくれていたのかもしれない。あれは明白に「教育」であったのだ。

Nさんはタバコを吸わない人だった。「俺は吸わんけど吸っていいぞ」と車の中で言ってくれた。いろいろと気を使ってくれるのがなんだかぎこちない感じがしたのはやはりそれがトンコ防止という側面を持っていたからだろうか。

仕事が終わって帰る途中、「明日も来れるか?」と聞かれたが他のところの仕事で「明日も来てくれ」と言われているところがあるからわからない、今日はたまたま雨で休みだっただけだろうからと答えた。実は仕事をやっている途中、今までのパターンだと明日も頼むと言われるなと思っていた。自分の働きぶりとしてはろくなものじゃないと思うが、それでも僕の方が使いやすいというところがあるのだろうと思った。いや、でも待てよ?そもそもこの場合初めてうちの飯場から人夫を借りたわけだから、同じ現場の同じ仕事の場合同じ人間を使う方がいいというだけの話じゃないだろうか。僕が決定的なミスをやらかしたということもなかったわけだし。とりあえず明日は雨で中止かも知れないのでまた電話すると言っていた。

帰りの車の中ではあまり会話がなかった。

食堂でEさんの「楽して働く」ためのレクチャーを受ける。この人は僕の顔を見ると「手帳とったか」という。まだ労災が残っているので働く必要がないのだという。しかし退屈そうで哀しそうにも見えた。休みだと言ってもみんな働きに行ってるわけだし。保険を使っていかに楽をするかということを語ってくれる。「かしこいやろ?」「悪賢いんや」という。なんだか悪いこと以外には賢くないという風にも聞こえた。「頭使って楽をせんといかん」とのこと。この人は仕事の話をしないな。他の人とは今日の仕事はどうだったとかそういう話をするのにこの人とは保険の話ばかりだ。正直「それしかないのか」と言ってやりたくなったりする。

アブレ手当てをもらえるくらいには仕事に出られるように飯場も考えてくれるそうだ。この飯場ではこれは重要な信頼関係なのだろう。

今日からGさんも飯場に入ったようだ。僕の部屋の隣の隣くらいがGさんの部屋になったようだ。どうして飯場に入ることにしたのだろうと不思議に思う。いつもつるむ仲間がいるようだし、飯場があまり好きではないタイプだと思っていたから。

番頭のおっちゃんが突然扉を開ける。何かと思ったら「服あるんか?」と聞く。「ズボンがあると助かります」というとニッカズボンをくれた。ちょうどGさんが通りかかって「何や服も持ってないんかい」と馬鹿にして笑う。僕も笑う。おっちゃんも笑っていた。これ以前に舗装の後、作業服は売ってないかとカウンターで尋ねた。すると女社長が番頭さんを呼んで服を部屋まで持って着てくれた。見事な見立てでぴったりだった。古着をくれたみたいだ。

おっちゃんよく見てるんだな。何も言ってないのに服のことを言ってくれた。そしてちょうどありがたかった。


(註1)
▼もしかして過去にトンコされたことが多かったのだろうか?普通にやっていても逃げられるからせめて逃げられないように「配慮」をするようになったののかもしれない。

(註2)
▼これは後に普段やっている引っ越しとゴミ出しのバイトで役に立った。ある日の現場で2階から下ろせないタンスをスパナを使ってばらした。もし仮枠バラシの経験がなければしり込みしてできなかったかもしれない。手頃なハンマーがないところをスパナで代用するということも無かったかもしれない。▼小さなことだが手に技術を持っているというのは嬉しい。


■8月27日(水)
雨のち曇り、晴れ。

二度目のA建設だ。初めて続けて呼ばれた現場に行くことが出来た。昨日のことを聞くとやはり昨日は中止にしたらしい。途中から晴れたことを社長が悔しがっていた。

U字溝の端に排水溝がある。いずれはコンクリを入れて枠をはめたりするのだろう。まだそこには裸のパイプが土に埋まって見えるか見えないかという状態だ。そこをスコップやクワを使って掘った。大きいスコップと小さいスコップと、使い分けが難しい。ここでも僕はどちらを使ったらよいかまごまごするのだった。「正しく効率よく使用しなければならない」みたいな思い込みがあるんだろう。「身体をうまく使えない」という一目瞭然の駄目っぷりをさらすのが嫌だという自意識があるのだと思う。ださい。

今日は昼前に倒れかけた。「暑かったら扇風機使いや」と言われたが曇りだと思って油断して使わなかった。そしたらふらふらきて、これはやばいと思って休ませて貰った。ちょうど休憩時間(午前10時)の前だった。

「だから扇風機使いなさいと言ったでしょ」と言われた。「バカじゃ土工はできんのですよ」と言われて少し恥ずかしかった。

倒れられるよりは扇風機を活用して倒れないように気をつけてもらったほうがありがたい。倒れられる方がガソリン代より高くついてしまうのだという。

休憩のあとは扇風機を使いながら作業した。発電機を始終回しておかなければならないというのは結構ストレスだ。あのうるさい音がいやだ。時に大きくなったり小さくなったりする。指示の声が聞こえなかったりする。

昼飯休憩。1日目の時社長はどこかにごはんを食べに行った。今回は弁当を買って戻ってきた。そのついでに「氷晶」という凍らせたジュースを買ってきてくれた。それで首の後ろを冷やした。グレープフルーツジュースは血圧を下げる効果があるのだということを教えてもらう。土工をした時おっちゃんたちがレモンをとっていたのはそういうことだったのかというとレモンでは駄目だと社長は言う。

おっちゃんたちは「言ってもわからない」と社長は言う。扇風機を使えといっても絶対に使おうとしない。その挙句当然倒れてしまう。「使いにくくて仕方ない」「自分で自分の首を閉めているのに気付かない」のだと言う。その点僕はまだ言われたら改めるから「マシ」らしい。

午後は土嚢袋に詰めた土を捨てに行った。僕が午前中に掘った分の土と僕が来る以前からつめてあった土。「骨材」と書いてあるものだけは残す。土とコンクリートを砕いたものと二種類あって、それぞれ別々の場所に捨てる。アスファルトもあった。

処分料を払って引き取ってもらうようだ。捨てる場所は通勤路の途中、川沿いにあった。ジュースを買う。

普通の土は会社の倉庫の脇の道に捨てた。農家の人に了解をとっていつも捨てさせてもらってるみたいだった。

土を捨てる時に少し軽トラを運転させられた。ペーパードライバーだということは言ったのだが「何でもとりあえずやってみないと身に付きませんよ」ということだった。

学校が無くてヒマな時にはまたバイトに来ないかと誘われた。「今あなたがもらっているくらいのお金は出せるし、奈良駅の近くに事務所があるから奈良駅に来てもらえばいい、いちいち飯場に帰ったり、早起きしたりという必要もないし」と。これって談合かもしれないよね(笑)。だって、飯場を通せば飯場に払う手数料というものが発生する。それを浮かそうと言うのだから。家庭教師の派遣会社が個人契約を禁止するのと同じ理由で裏取引だ。

仕事が終わって「ちょっとよらせてもらっていいですか、積みたいものがあるんです」というのででかい倉庫による。どこかの鉄筋倉庫のようだった。そこで畳くらいの大きさの鉄板を軽トラに積んだ。掘り返してある作業中の道路のふたにするようだ。

明日も7時半くらいに迎えに来るとのこと。今日は一日おろおろしていた気がする。一日目と社長のキャラクターが違うように感じたからだ。作業内容もいきなりきついものになった。めんくらった、と言うのだろうか。

風呂に入って二階にあがると廊下でGさんをみかけた。身だしなみをととのえているようで声をかけにくかったので黙って部屋に入ろうとしたら怒られた。「一日働いたあとにお疲れ様とか今日どうやったんかという言葉もないんかい」と言う。いつもふざけ半分な人なのでまた冗談かと思って「今日どうだったんですか?」と軽く聞いてみたら「もうええわ!」と怒る。今日は現場で何かいやなことでもあったんだろうかと思う。わからない。

近所の自販機にタバコを買いに行ってその帰り道、Gさんとばったり出くわしてしまう。「またお前か」って、仕方ないでしょ一本道なんだから……。「小学生からやり直せ」「こんなこと初めて言うわ。今までいろいろ大学生見てきたけどな、もっとかわいげがあったわ」とまくしたてられる。すみませんとあやまると「すみませんじゃない」と言う。わけがわからない。

長い間飯場にいるとこういうふうに何だかよく分からないいさかいから気を遣わないといけないことがでてくるのかもしれない。最初は居心地がいいと思っていたけど、それは僕が無神経だっただけかもしれないと思い始める。

鵜飼(註1)さんの本を思い出す。劇団の中で理不尽な怒られ方をした話。

それから2年前の夏のおやじさんとのことも思い出す。何をそんなに怒られるのか分からなかった。結局僕はあの頃とあまり変わっていないということだろうかと落ち込む。

洗濯機が空くのを待っていると社長に話し掛けられる。「どうや、なれたか?」「きつかったらまた言いや」と言う。こういうふうに社長が仕事のことを飯場にいる人たちに聞いていることがある。ちゃんと配慮していると思う。わけがわからないまま怒られて気分が重くなっていたので社長の一言はありがたかった。

(註1)
▼鵜飼正樹さんのこと。「鵜飼さんの本」とは「大衆演劇への旅-南條まさきの一年二ヶ月」のこと。


■8月28日(木)
というわけで今日もA建設。

仕事中は曇り。昼に少しぱらついた。夕立があり、夜に降り出した。今日はBさんも現金で来ていた。確か飯場に入って次の日の朝もGさんとBさんは来ていた。彼らもここの飯場から仕事をまわしてもらうのは初めてだと言っていた。うまく続けて使ってもらうことができたのだな。

行きに倉庫に寄ってカラーコーンにかけるバー(カラーバー)やコンクリートをまわすやつ(ミキサー?)を積む。「工事中」の看板2枚をつむ。

倉庫から現場に向かう間、建設業界にはびこるピラミッド構造について話してもらう。入札の不平等、談合。最初談合というのがそんなに影響力のあるものだとは思わなかったそうだ。自分も談合してれば大丈夫かと思ったらそんなに単純ではなくやっぱり他のところもしているから単に根回ししただけでは無理なのだそうだ。暴力飯場だとかケタオチ飯場だとかいうが大きく見れば飯場の経営者なんて末端の末端に過ぎないのだと言っていた。

値段をつけることができるということは実は権力なのだと思わされる話もした。

昨日の続きを午前中にした。

憧れの「ハチリ」(註1)をした。こんな使い方をしていいんだろうかと迷ってしまう。結果あまりハチリを使わずにスコップを使っていたら「ある道具は使いなさい。なるべく疲れないように考えてください」と社長は言うのでハチリをとにかく使う。下に通っているパイプを傷つけないよう注意しろと言われる。ハチリを使ってマンホールの方へ掘り進んでいくがどうもうまくいかない。でかい石がある。何をどうやっても砕けなかった(註2)。

剣スコと箱スコ(註3)を使い分けるということも考えなければならない。

軽トラに土を積む時に社長に箱スコの使い方を指導してもらった。僕がやるとあまり土をすくえない。これは土の山に突き刺す時のいきおいが足りないためだったんだと思う。平らな面の上の土をきれいにすくうのはまだ自信が無い。前に舗装の時も何度かやってみせてもらったがよく分からなかった。

午後はもう一方の排水溝の基礎を作った。木で仮枠を作るのを手伝った。明日はコンクリートを入れるのだろうか。

仮枠に穴をあけたり余分なところを切ったりして溝にあわせる作業を手伝う。マンホールの中に入って砂利を取り除く作業をしたりした。マンホールの中は少しひんやりした。くさい。汚水が流れている。電動のドライバーはインパクトドライバーと言うらしい。インパクトドライバーにドリルをつける。仮枠を円状に切り抜くためにふちにドリルで穴をあけていく。ふちは木切れに釘をつけた流用コンパス。

丸く空けた穴にあうようにボイド(紙の筒)を切ってはめる。体裁を整え終わったあと出来上がった仮枠を排水口に入れる。試行錯誤の末に何とかはめ終わる。土嚢袋で固定する。

仮枠を作る手元は大変だった。今日はずいぶん怒鳴られた。道具の名前がわからない。関西弁で怒鳴るな。わからん。社長の作業の進捗状況を見て次に必要な道具を用意して手渡すような機転が手元には必要なのだとうすうす分かり始める。

手元の人間は職人(実際に作業する人)のもう一つの手、もう一つの眼、もう一つの足のようなものなのだ。あの道具がいる、次にしたい、今これから手が離せないがあれをちょっとこっちに持ってくるだけで何とかなるのに、そういう時に絶妙なタイミングでサポートをする。そのためのサポートをさせるために雇う。

今日も少し車を運転させられた。明らかに僕にやらせるためだけにやらせている。もちろん、長期的に見た場合僕も軽トラを動かせた方がいい。例え数メートルでも。そのくらいの小さなことをやるのが手元だとも言えるし、それくらいの小さなことでもできるとできないとでは大きな違いがあるのだろう。

飯場に帰って風呂に入る。風呂に入っている時に先に入っていた人が僕の全身のあせものことを指摘してくれた。2日前くらいから全身にしっしんが出るようになっていたのだ。これは職業病みたいなものなのだろう。何か薬を塗るようアドバイスをくれた。

風呂に入ったあと昨日のGさんとの一件についてわかった。昨日も僕は同じような時間に風呂に入っていた。それは現場が同じだからだ。あのことがあったのは僕が風呂から上がった時だ。その時Gさんは服を直していた。あとで考えると仕事から帰って初めて部屋に入る時は入り口の前で着替えて土を落としてからの方がいい。そういうふうにしている人を他にも見たことがある。Gさんたちの仕事は土工だと言っていたからおそらく僕も一度行った山奥の現場。あの2時間近くもかかる現場だ。現場が遠い時のうんざりする気持ちは僕にもわかる。仕事内容もきついだろう。それが終わって疲れきってやっと帰ってきたところに風呂上りでゆっくりしている人間が来て、おつかれさまの一言もなかったらそりゃあいい気はしないだろう。

ようやく納得がいったので改めてGさんに謝ろうと決める。ちょうど上にあがるとGさんがいた。「おつかれさまです…現場遠いんですか?」返事を聞くとやはり考えた通りだということが分かった。「大変ですね」「昨日はすみませんでした」みたいな感じで謝る。「分かってくれたらええ」と言ってくれた。「その気持ちを忘れるな社会学部」と言う。仲直りできてほっとした。


(註1)
▼電動の掘削機のこと。▼初めて日雇いの仕事に行った時に仲良くなった人に道具のことをいろいろ教わった。その時ハチリのことを聞いた。それ以後もよく聞く名前だったのでいつか使ってみたいと思っていた。

(註2)
▼この大きな石は後日ゆんぼうで取り出すことになる。この石が無ければ手掘りでマンホールまで掘り進む予定だったそうだ。▼この現場でゆんぼうを使うには警備員を雇って車や通行人の誘導をしなければならない。ゆんぼうも借りてこなければならない。ものすごく面倒くさいのだと思う。ゆんぼうを使っている間の社長は殺気立っていて怖かった。▼くわしくは29日参照。

(註3)
▼剣スコ→剣先スコップ、箱スコ→箱スコップ。要するに先が尖ったスコップと先が四角いスコップ。


■8月29日(金)
今日もA建設。いつもより一回り大きいトラックにゆんぼうを積んで現れる。波乱の予感だ。

行きの車の中で昼休みに塗り薬を買いにいかせてもらえるようお願いする。

今日はよっぽど急ぎの仕事なのだろう、コンビニでいったん僕を下ろして先に現場に向かった。(現場はコンビニから近い)

今日はガードマンのおじさんが一人雇われていた。彼も僕と同じような立場だ。ゆんぼうを使っている間の交通整理が彼の役割だ。しかしこの人があまり役に立たなくて社長が僕に「ガードマン怒れ!」「どなったらんかい!」と言うので困った。60過ぎのおじさん怒鳴れないよ。僕と彼は雇用上の上下関係ないし。というより社長の剣幕に僕はびびってとまどっていた。

近所の家から電源を借りる。この日は発電機を持ってきていなかった(これは失敗だったようだ)。

午前中休みなしで道路入り口の溝からマンホールまで掘ってパイプを埋めた。きつかった。僕はほとんど見ているだけだったのだが社長が殺気立っているのでつかれた。何とか午前中で作業が終わる。水道局の人がつけていった水道管が通っているはずの場所が間違っていた。「アホー!ちゃんとみとかんかい」と怒鳴られてなんのことか分からなかった。ゆんぼうを水道管にひっかけてしまったのだった。

水道管を見つけられなかったのを僕のミスだというのはちょっと言い過ぎだと不満もあるのだが、つまりはそれくらい神経を使っていたということだろう。

ゆんぼうで掘った土はトラックの上に下ろした。この土を最後に元に戻す。掘った溝に合わせてトラックを前進させたり後進させたりという作業をやらされた。うまくいかず、結局社長がやった。坂道発進がだめだった。「免許返してもらわんと」と言われた。

荷台を起こして溝に土を下ろす。ちゃんと埋まったかどうかを見なければいけないところを僕は荷台がちゃんと溝の近くまできているかどうかを見るのだと勘違いしていて怒られる。まだまだ作業の流れがわからない。当たり前と言えば当たり前だが。どうしてここまでわからないんだろうと自分で自分がいやになることもある。

溝にいっぱいになった土を踏み固める。土嚢袋をふちにあてがい、鉄板をかぶせる。これでひとまず完成。

僕がバテた日とこの日は依頼主である奈良市の職員が見に来た。2日目の時図面を見ながら建設局の連中が図面を出してくるのが遅い、そんなに時間がかかるなら私にやらせろと思うと言っていた。確かに公務員の仕事は現場の仕事に比べるとずいぶん楽そうに見えた。

午前中休みなしでぶっ続けでようやく終わるがもう社長はバテバテだった。とりあえず昼食休憩。昼食休憩が終わったらぼちぼちでいいから溝の中をはわいてゴミを取って欲しいということをガードマンのおじさんと僕に言付けて社長はゆんぼうを返しにいった。

ガードマンのおっちゃんといっしょにほそぼそとご飯を食べる。

近所の薬局に塗り薬を買いに行く。薬局のトイレで自分の顔をみたらなんともボロボロな顔だった。汗まみれで髪はボサボサで日焼けしている。でもこういう普段の自分との落差は面白い。

社長は昼食の時にビールをあおっていた。もういやんなるくらい大変だったのだろう。

午後は社長がバテてほとんど何もしなかった。社長は車をいつもの会社の軽トラに代えに行った程度でろくに指示もなく、やっつけでやっているようだった。やたら休憩していた。

ゆるゆると社長が仮枠を作るのを手伝った。もともと通っているパイプがあってそれと仮枠とをあわせるのが大変そうだった。もう誘導の必要は無いのでガードマンのおっちゃんは帰っていいと社長は言ったのだがそうはいかないというので軽作業を手伝ってもらった。

社長に言われてボイドを切る。切断面にラインを引く。丸いボイドに線を引くのは難しい。のこぎりで切るのも一苦労だ。「紙というのは一番切りにくいんですよ」と社長が横から言う。ガードマンのおっちゃんに手伝ってもらう。

サンダー(電動のこぎりのこと)の刃の交換がうまく出来ない。押すべきところを押していないせいだった。単に刃を回すだけでは駄目で小さなボタンを押しながらでないと刃は外れない。もうちょっと教えてください……。

「あなたの方が私より頭はいいはずなんですよ」といやみを言われる。僕は頭はよくないです。大学院生だからといって頭がいいなんてラベリングだスティグマだ。ほら大学院生なんて言い訳にじゃーごんを使うだけですよ!

社長に言われて道具を片付ける。ガードマンのおっちゃんを使って片付けるように言われる。ついでにあとで土嚢袋を積むからそれがちゃんと乗るように考えて乗せるようにという注文もつく。頭をかかえる。ガードマンのおっちゃんを使うようにといわれても何をしてもらったものやら。「人を使うのが一番難しいんやで」と横から社長に言われる。なんだかやたら鍛えられている。

仮枠作りは完全には終わらなかったようだった。土曜日は休みだというから月曜日にはいよいよコンクリを入れるのだろう。

「機械というのは偉大ですねえ。あなたがスコップで一生懸命掘ったところを半日で掘ってしまえるんですから」と帰りに社長が言う。おととい手掘りしている時に大きな石が出た時点でもうゆんぼうを使うしかないかと思ったようだ。その石はハチリでも壊れなかった。ハンマーで殴っても駄目だった。そこでゆんぼうを使うことを考えたのだろう。できることならあそこは鉄板をかぶせて全部手で掘っていきたかったのだそうだ。

帰りがけに倉庫で土を捨てる。土嚢袋のまま捨てていいと言われたのでそのまま捨てる。倉庫につく前に社長がビールを買ってくれる。「まだ土を捨てるんじゃないんですか?呑んだら仕事に差し支えると思うんですけど」と言うと「飲んでしまったらいいんです、飲んでしまったら勝ちです(笑)」と言われる。それで呑む。半分酔っ払って土を捨てる。社長は飲酒運転だ。この業界では飲酒運転当たり前なのかもしれない。罰金値上げされたのに……。呑まなければやってらんないというところがあるし、そういう時が多いんだろうな。


■8月30日(土)
今日は休みだと思っていた。朝、番頭のおっちゃんに「社長がよんどる」と言われて下に下りる。「仕事行けるか?」と社長に言われて仕事に行くことになる。番頭のおっちゃんがお茶をくんできてくれた。この時、なんだあのウォータークーラーのお茶くんでいっていいのかとやっとわかる。毎朝コンビニに寄ってもらってお茶買っていた。

H建設。61歳の人との仕事。

飯場の近くに倉庫として空き地を借りているらしい。ゴミがたまっている。トラックの荷台のゴミを降ろす。ゆったりしていた。今日の仕事はそんなにきつい仕事ではないらしい。

今日は枚方市と高槻市と二箇所で仕事があるのだそうだ。大した仕事ではないが現場が遠いから時間がかかるという話を聞く。最初の現場へ向かう途中に過去の職歴を聞く。とわずがたり。

10年前はトラックで枚方市内で野菜の露天売りをして儲けたそうだ。今日のトラックはそのころから使っているものなのかもしれない。はじめは自分だけが露天を出していたのだが、どうしたわけか他の人間も出すようになった。儲かっていたがもうそろそろ規制されるかなというころに自分は手を引いたのだと言う。

20歳の頃、実家の農家を出ててんぷら屋をはじめる。水商売のねえちゃんがよく買っていったという。23歳の頃、いいとこの女性と恋愛をして、結婚しようとしたが家柄がどうとかという理由でできなかった。でもその人とは今もよい話友だちだという。

漬物を売ってずいぶん儲けたり、株をやったりして28歳で家を建てたとか。漬物は台湾にまで仕入先を開拓したようだ。

現在副業でどこぞの観光地のみやげものの指導員をしているという。特産品としての魅力の出し方を自分は分かっているからといっていた。他には左官屋と植木屋もやっている。おくさんもまだ働いていて20万の収入があるという。聞いていて楽しい。こんないろいろやっていて凄い、面白い人が普通にいたりするのだなと感動した。

息子たちもいい大学を出ていい職についているようだ。娘がベルギーにいるという。旅行会社に勤めていてその関係で海外赴任。ベルギーが気に入って帰ってきてくれない。結婚もしてくれない。まあ本人が楽しくやっているようだから仕方ないかと言っていた。年に一回はおくさんとベルギーに行ったりしているそうだ。

若くてヒマのあるうちに大型免許なり、資格をとっておくことをすすめられる。大型免許は年をとって絶対に役に立つ、年をとるほどありがたみがでてくるという。今は個人で商売をするにはよくない時代。税金が高い。でかい会社に入るのが一番だという。

最初の現場では家と家の間の土をとって砕石を入れる。水はけが悪いので改善措置としてするようだ。

あまりにも楽な仕事なのでまた裏があるのではないかと思ってしまう。多分僕は2つ目の現場のためにおっちゃんに雇われたのだろう。最初の現場はそもそも僕がいなくても事足りていたはずだ。それでも半日だけ使うということはできないからついでに手伝いをやらせておいたのだろう。

現場でいっしょだった兄ちゃん(36歳)と一緒に近くの大型工務店に砕石を買いに行く。車の中で話す。「自分ずいぶん若いな」というお約束の話になったので研究のことを説明する。

「日本はこれからどうなるんやろうなあ」と兄ちゃんが語り始める。「今真面目に働いている働き盛りのもんはみんな日本はろくでもない国だと思っている」という。大林組、竹中組を頂点としてピラミッド構造(重層下請け制度だっけ?)について言っているようだった。いくら働いても働きっぱなし。政治家がだめだ。政治家になりたがるのは金が十分にあって、あとは名声という金で買えないものが欲しい人間だけだと。研究するならそういうのをどうにかする研究をしていってくれと言われる。

H建設のおじさんも言っていたが建設業界の下請けは現状に本当にうんざりしながら頑張っているようだ。

日雇いのおっちゃんたちについての印象も語ってくれた。「本当に仕事できる人はおるで。でもそういう人でもずっと同じ現場にはおらん。休みよる。保険あるやろ?」という。

枚方市での仕事は程なく終わり、高槻市へ向かう。途中建設中の新興住宅地がある。一番最初の仕事も新築の住宅地だった。こういうの多いんだろうか。「こんな田舎に家を持とうなんていう人間の気が知れない」とおっちゃんがいう。自分は駅の近くに家を構えてとても便利だと言う。

高槻市の現場につく。やはり新築の住宅地。仕事は半ば完成している家の床の板はぎ。剥いだ板を壁に何度かぶつけてしまう。やばいなあと思いながら気をつけるがやっぱり危なっかしかった。僕は空間を把握する能力が低いんではないだろうか。

新築の家の中でごはんを食べる。

板を剥いだのは2軒だけ。楽な仕事だった。「楽な仕事だ」とおっちゃんも最初から強調していたとおりだ。しかし2軒目の庭先がまだ工事中でゆんぼうが動いていて出入りがしにくかった。障子を貼っている途中だったし。おっちゃんのイライラが少し見えた。

倉庫にコンパネや資材をしまいに行った時に息子夫婦や孫の話を聞く。孫たちはおじいちゃんの財布をあてにしているだけだという少し後ろ向きな言葉を聞く。今の生活に完全に満足しているということではないようだ。行きの車の中では悠々自適な人生みたいなな語りだったのだが。自分は幸せであるというストーリーを他人に語る満足感というものが人間にはあってしかし実際にはそれが誇張を含んでいると語りきれない。疲れてくると人間は弱音を吐いてしまう…ということかなと思う。

楽な仕事には違いないのだがやはり終わる頃にはバテた。

トラックの荷台をロープでくくった。くくりかたを見せてもらった。一人で今やれと言われると心細いがなんとなくは覚えている。

仕事をしている途中「明日も出られんか」とおっちゃんが上の人に言われて断っていた。「前日に、しかも日曜にいきなり出てくれなんていうやつがあるか」と怒っていた。

最後に倉庫に資材を置きに行って帰る前に工事全体の事務所にある自販機でミツヤサイダーを買ってもらう。「汗かいて仕事したあとの炭酸はこのそのままの炭酸飲料がいいですね」とおっちゃんとわかりあう。本当にうまかった。家の前の自販機の売上がいいという話を聞く。なんか、観光施設が近くにあって観光客がよく買っていくんだって。

帰り道はの話はもう単なる身内自慢・知り合い自慢にしか聞こえなかった。警察署長の知り合いが何人いるとか。そういう話好きな人いるよね。年取るとそうなの?

帰り道は途中から凄く混んでいた。「このトンネルができて○○間は楽になった」とかいう話を聞くが土地鑑がないのでわからない。適当に相槌を打つ。道沿いラブホテルについて「こんなみんなに見られるホテルには入りたくないなあ」と言っていた。確かに入りたくない。

おっちゃんは途中で物凄い迂回をしはじめた。本当に大丈夫かよと凄く不安だった。道が混んでいて不機嫌になって荒々しくなるおっちゃんがわかった。運転も荒くなる。

おっちゃんが最初に行っていたとおり、現場から飯場までが遠くて帰り着いたのは6時過ぎ、仕事が終わって2時間くらいたっていた。

風呂場でGさんといっしょになり男同士の裸の付き合いだ。あと1日で満期だということを告げる。「手元が一通り出来るようになるには5年はかかる」とGさんは言う。「講師になれ!」「彼女を幸せにして自分も幸せになれ」とちょっとくさいことをいう。でも嬉しい。

2階の入り口入ってすぐの左手の部屋は広くてクーラーがついていて、たんすや机などの生活用品もある。少し若い感じの人がいる。どういう立場の人なんだろうか。他にも設備はそこまでではないが広い部屋がある。どういう人が広い部屋に入れるの?契約期間が長い人かなあ?

これで契約はあと1日だ。月曜日仕事に行けたら仕事から帰った時点で精算できるようにしておいて欲しいと伝えてくれと番頭さんに頼む。

明日は日曜だ。仕事は一応ないことになっている。なくていい。何も無い休日を一日ぐらい過ごしてみたい。


8月31日(日)
朝、8時半にごはんを食べに行ったら食堂のおばちゃんに怒られた。「もう8時やで。おばちゃん帰るよ!」

みんなもっと早い時間に朝食を取るんだろうか。休みだというのに。それとも休みの日は朝食とらずに寝てるんだろうか。

誰とも会わない。みんな何をしているんだろう?

午前中は近所の寺にいった。奈良は寺だらけだ。入場料500円もとられた。世界遺産らしい。みやげもの売り場を見るとあの手この手で金儲けしようとしているように見えていやだった。

お寺自体は面白かった。いろんなしかけがある。宗教ってある意味レジャーだなと思う。

昼、食堂でいっしょに舗装に行ったハゲのおっちゃんに話し掛けられる。「昨日は現場遠かったんか」どうして知ってるの?結構見られてるの?「明日は満期で帰ります」ということを言うと「飯場におるんはきついか」と笑っていた。何か知らんけど仲間意識を自然にもちうるような空気があるみたいだ。

近所のジョイフルでドリンクバーだけで3時間くらい居座って本を読んだりフィールドノートをつけたりする。だって飯場暑いんだもん。日中の飯場に居たのはこの日が初めてだったな、考えてみれば。みんなクソ暑い飯場にいるのは嫌なのだろう。パチンコ屋にでも行っているのだろうか。競艇もあるらしいし。ギャンブルというのは勝ち負けはともかく手軽な暇つぶしだと思う。他の人の休みの過ごし方を聞ければよかったな。


■9月1日(月)
最後の日。最後のA建設。「今日で満期です」というのを伝えるのが心苦しかった。この日の仕事ははっきりいってA建設でした仕事の中で一番きつかった。休む間もなし。

夜身体を冷やしてしまったのか軽く風邪気味だった。休み明けということもあるのか気持ちがきつい。そういえば24日の日曜の朝、食堂で話した。「休みの日だと気が緩むのか、疲労が一気にきますね」という会話をした。前の日は「まだまだいけるな」と思っていたのがいざ休みとなるとかなりきつくなる。

というわけで今日は憧れのコンクリ打ちであった。

途中から僕がコンクリを作る役を任された。セメント・水・砕石・砂の順でミキサーに叩き込む。できたらミキサーを傾けてバケツに受ける。午前中に奥のほうの排水口を仕上げた。感無量。しかしまさかとは思うがもう一つの排水口も今日やるつもりだろうかと不安。

体調が悪いせいでふらふらする。社長に心配されたがまさか風邪気味とはいえない。熱中症のふりをする。朝食の時に僕のためにグレープフルーツジュースを買ってきてくれた。血圧が下がるんだそうだ。

昼食のあと会社の事務所に行った。どうして事務所に行くんだろうと思ったがこれは僕の体調をおもんぱかってくれたんだと思う。

事務所によったりのんびりしていたので今日はコンクリはもうやらないのかなと思っていた。甘かった。

仮枠を完成させる。するとやっぱりコンクリだった。午前中の最後に砕石をトラックに積んでいた。砕石を積んだまま帰るわけがない。どう見ても午後のコンクリ打ちの準備だ。読みが甘い!

午後は完全に僕だけでコンクリを作った。「固め」とか「やわらかめ」とか言われても困る。いくらコンクリを作っても「まだいる」「まだいる」でいつ終わるんだろうかと気が遠くなった。水をポリタンクに汲みに行くのがつらい。僕も手元が欲しかった(笑)。急がないと時間がなくなってしまう。時間内に仕上げなければいけないという社長のプレッシャーを僕も感じた。

めちゃくちゃきつかった。

コンクリ打ちが終わって「これで土工の仕事は一通りやりましたね」と社長に言われてえ、そうなの、とびっくりした。それが本当ならちょっと嬉しい。

手前の排水口の周りに黒黄のロープを張る。電柱のワイヤーのカバーの中に蜂がいて、適当に払おうとした社長が襲われてつっぱしって逃げていた(笑)。そういったまとめの作業をしながら社長が言う。

「A建設の仕事はきついんですよ」

そうなの?と思う。あまり比較対象を持たない僕としてはなんともいえないのだ。「この程度できついとか言ってはいけない」と自分を律しているところもあったし。

「だってこの現場だけであなたで4人目なんですから」

という。

道具を片付けている時、発電機を一人で持ち上げて軽トラにつんだら「筋力がついてきたね」といわれた。そうなんだろうか。単に身体を使うということに慣れてきただけだと思っていた。でも実際筋肉はついたのかもしれない。

帰りにビールを奢ってもらう。飯場に戻ったら給料貰って荷物まとめて大阪まで帰らないといけないから遠慮しようと思ったのだが、「今呑まなくてどうするんですか!」と怒られる。一日中クーラーのきいた部屋で事務仕事をしている人が一日の終わりに居酒屋で飲むビールとは全然違うものであるはずだ、と社長は力説する。で結局ビールを飲む。

社長には僕のメールアドレスや携帯の番号、連絡先の書いてある紙を渡しておいた。また行けたらいいが。

飯場に帰って、会計に時間がかかるというのでごはんを食べて風呂に入る。「今日の分の飯場代ももう入ってるんだから」といわれる。せっかくだからそうする。

風呂から上がって一息ついてちょうどいい時に番頭さんが呼びに来る。「また来てね。でもあまりバイトはできないか」と女社長と名残を惜しんだ。また来ていいんだなあと嬉しかった。

駅へ行こうとすると待ち構えていたかのようにGさんがあらわれた。「一杯奢ってやる」というのでコンビニに向かう。荷物を一つ持ってくれた。「荷物増えとらんか!?」「服もらったりしましたから」「けしからん奴だ(笑)」みたいな会話をする。

「どうだ、研究になったか?」と聞かれて「めちゃくちゃ面白かったし勉強になった」と言うと、「お前は楽しかったかも知れんけどな、そのおかげでこっちは大変だったわ!」と言われる。こう言われてひょっとしてGさんは僕のことを案じて飯場に入ってくれたんだろうかと気づく。

橋のところまで行ってビールを飲みながらGさんと話す。現場で気に入られて気持ちが揺らいでいると言っていた。

「わし見た目怖いか」とか聞かれた。とりとめの無い話をした。これは少し別れを惜しんでいる会話だ。

「お前には羽がある。大きくはばたけ。わしらの羽はもう小さくしぼんでしもうた」といういって励まされる。また西成で会う約束をした。

また人と出会ってしまった。出会いはすてきだ。

アルコールが抜けずにふらふらのまま電車に乗り大阪に帰る。家の近くの駅に降りて2リットルの清涼飲料水を買ってがぶ飲みする。飯場から帰ったらその日は行きつけのバーに顔を出そうとずっと考えていたのだが家についてぼんやりしているうちに寝てしまった。クーラーをがんがんきかせた。


■まとめ

たかだか2週間の体験をサイトのコンテンツにまとめるのに4ヶ月以上かかってしまいました。忘れないうちに自分用のまとめは10月半ばには完成していたのですがそれを公開用に直すのは大変でした。こういうことはもうやめようと思います、きつすぎ(泣)。

本調査に入る前に完成させないとこのコンテンツは未完成のまま放置になってしまうと焦って仕上げました。文章として読みにくいと思います。こんな場当たり的なもんを読んで面白いだろうかと不安です。テキストサイトとしてひとつはメインとして読めるものを作りたいと思ってこのコンテンツを作りました。ウェブに「飯場日記」という読み物は他にはないようなので誰かの調べものに役に立てばいいなと思います(しかしこの飯場日記サーチエンジンでやってくる人の検索ワードで一番多いのは「熟女マッサージ」であるようです)。

飯場日記をまとめるのに時間がかかった理由はこの飯場体験を他者に向けての語りとしてどのようにまとめればよいのかということがはっきりしていなかったためだと思います。覚え書きとしてまとめるぶんには雑多に事実関係を書き留めその時々で自分が感じたことを書き添えておくだけでよいのです。これは僕のこれからの研究方針の問題でもあります。

とりあえず飯場日記は完成です。次は修士論文です。飯場についてもっと知りたい読みたいと思う人はどうか応援して下さい。人助けだと思って。

miirakansu  

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