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プーチン露大統領の政敵、次々裁判に  AFP
http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/575.html
投稿者 ダイナモ 日時 2013 年 7 月 16 日 16:50:18: mY9T/8MdR98ug
 

【7月16日 AFP】ロシアではウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領の政敵が次々に裁判にかけられ、長期の禁錮刑に処される可能性に直面している──18日には、反政権運動の指導者アレクセイ・ナバルニー(Alexei Navalny)被告が、横領の罪に問われた裁判で評決を下される。

 ロシア西部キーロフ(Kirov)の裁判所は18日、材木取引をめぐり横領の罪に問われている反政治腐敗運動のカリスマ的な指導者、ナバルニー被告に対する評決を言い渡す。検察側は禁錮6年を求刑。ナバルニー被告側は、クレムリンの命令で「白い糸で縫われた(あからさまにでっち上げられた、の意味)」罪状だと主張している。

 だが、活動家らが旧ソ連時代の弾圧の再来だと非難の声を上げる対象は、ナバルニー被告の裁判に限ったことではない。プーチン大統領の政敵らは、任意の口実で次々と投獄されている。

 2012年5月のプーチン氏の3回目の大統領就任の前に起きた反政権デモで暴動を起こしたとされている人物らに対しても、犯罪捜査や刑事裁判はすでに始まっている。またこれまでにも、反プーチン派の実業家で富豪のミハイル・ホドルコフスキー(Mikhail Khodorkovsky)氏や過激なアート集団プッシー・ライオット(Pussy Riot)のメンバーらに実刑判決が言い渡され、大きな注目を集めた。反プーチン派は、これらが「政府の高いレベル」から命令されたものだと主張する。

「これら一連の裁判の目的は、誰がボスであるかを明らかにすること…社会の中の行動的な人々を怖がらせ、反対運動が時間の無駄でしかないことをはっきりさせることだ」と、反対運動を支持する政治アナリストのドミトリー・オレシュキン(Dmitry Oreshkin)氏はAFPに語った。

 7月初頭には、モスクワ(Moscow)の北東約300キロメートルにあるヤロスラブリ(Yaroslavl)の野党系の市長が、ある実業家から42万ドル(約4200億円)を奪い取ったとして部下らとともに逮捕された。

 ヤロスラブリ市長のエフゲニー・ウラショフ(Yevgeny Urlashov)氏は、与党の統一ロシア(United Russia)を離党して野党勢力に加わった人物。ウラショフ氏は容疑を否認し、立候補を計画していた地元での選挙を前に、圧力をかけられたと非難している。

「どのような手段かを問わず、私のことを排除するつもりだと警告された」と、ウラショフ市長はテレビ番組で語った。市長によると、金を奪い取られたと訴えた実業家は統一ロシアの党員だったという。(c)AFP/Nicolas MILETITCH


http://www.afpbb.com/article/politics/2956104/11044056  

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01. 2013年7月17日 00:45:50 : niiL5nr8dQ
JBpress>海外>Financial Times [Financial Times]
英国政府はロシアの力とカネに屈してはならない
2013年07月17日(Wed) Financial Times
(2013年7月16日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 エドワード・スノーデン氏は聡明な人物のようだから、自分は米国の法制度から迫害を受けているという訴えをモスクワの空港の敷地から発することの皮肉にいずれ気づくだろう。ウラジーミル・プーチン氏のロシアほど容赦なく、かつ冷笑的な態度で政治のために法律を悪用する政府はほとんどない。

スノーデン氏がロシアから米政府を批判する皮肉

 皮肉はこれにはとどまらない。スノーデン氏が内部告発を行ったそもそもの動機は、米国のスパイがあまりに強大な力を持っていることを暴露することにあった。だが、ロシアは事実上、諜報機関によって運営されている国だ。プーチン氏は旧ソ連国家保安委員会(KGB)の工作員だったし、彼の側近はスパイやその仲間たちで占められている。

 スノーデン氏を一時的に保護することになったこの国は、諜報機関に支配された国家は恐ろしいところになるだろうという同氏の主張の完璧な実例なのだ。

 公正さというものをロシアが危険なほど侮辱していることを浮き彫りにした出来事が、この2週間で3件あった。いずれも犠牲者はロシア人か元ロシア市民だったが、その影響は世界全体に及ぶ。

 ロシアの裁判所は先週、セルゲイ・マグニツキー氏に被告不在のまま詐欺の有罪判決を言い渡した。実際、同氏はただ裁判を欠席したわけではなく、死んでいた。ロシアの警察に拘留されていた時に殴打され、2009年に亡くなっていたのだ。

 同氏の本当の「罪」は、汚職についてあまりにも熱心に調べを進めたことと、そのために死後に国際的な注目を集めたことだ。米国はこれを受けて「マグニツキー法」なるものを制定し、同氏の殺害に関わった政府職員の米国への渡航を禁じている。

 ロシア側はこの法律に非常に強い怒りと警戒心を覚えた。それゆえ、死者の見せしめ裁判を行ってマグニツキー氏が犯罪者だったことを「証明」する必要があると考えたわけだ。

死者の裁判の次は反プーチン主義運動のリーダーへの有罪判決か

 ロシアの不公正なシステムによる次の犠牲者は、アレクセイ・ナワリニー氏になる公算が大きい。2011年と2012年のモスクワでの抗議行動以来、ナワリニー氏は反プーチン主義運動の、最もカリスマ性を備えたリーダーとして頭角を現してきた。

 機知に富み、勇敢で、インターネットにも通じ、ポピュリストやナショナリストの傾向もある同氏は、プーチン主義にとっては明らかに政治的な脅威だ。

 ナワリニー氏は現在、こっけいに聞こえる横領の疑いで裁判にかけられており、その背景に政治的な動機があることはロシア当局も率直に認めている。

 判決は7月18日に言い渡される予定だが、有罪となることは確実だ。政治活動でプーチン氏の機嫌を損ねたほかの囚人たちのように、恐らく収監されるだろう。

リトビネンコ事件の公式調査を拒否

手足を縛られた英捜査班、元スパイ変死事件捜査で当局が厳しい制限 - ロシア
アレクサンドル・リトビネンコ氏は放射性物質ポロニウムで毒殺された(写真は2006年、ロンドンの病院に入院していたリトビネンコ氏)〔AFPBB News〕

 もう1つの不公正は先週、ロンドンでなされた。2006年にロンドンで毒殺されたアレクサンドル・リトビネンコ氏の死因について公式調査を行うことを、英国政府が拒否していることが明らかにされたのだ。

 英国は、リトビネンコ氏を殺害したと見られるアンドレイ・ルゴボイ氏(現在はロシアの国会議員)の身柄引き渡しを何年も試みた。その影響でロシアと英国がお互いの外交官を追放し合う場面もあった。

 しかし英国は、リトビネンコ事件全体と、同事件がもたらした英ロ関係の冷たさに嫌気が差したようだ。

 リトビネンコ氏の死因審問を行うことになっている検死官は先日、国家の安全保障にダメージが及ぶため機密に関わる証拠を公の場で審理することが許されておらず、それゆえこの仕事をきちんと行うことができないと述べた。

 検死官は、そうした証拠を非公開の場で審理する形で審問を行うことも提案したが、英国政府はそれでもダメだと思っているらしく、ボールを検死官のコートにすげなく打ち返した格好になっている。

英国政府の打算

 リトビネンコ氏の殺害についての適切な調査を妨害するのは、純粋に政治的現実主義的な理由によるものだと思われる。ロシアは重要な国だ。2014年とされている英軍のアフガニスタン撤退からシリアの内戦、反テロ対策、貿易に至るまで、様々な問題において英国はロシアの協力を必要としている。

 英国企業はロシアで多額の投資を行っている。また、ロシアと英国の諜報機関同士の暗闘に関わる細かい理由もある。リトビネンコ氏は、死亡した時、英国の諜報機関のために働いていた。どんな諜報活動をしているかを明らかにすれば、ロシアにとっては思いも寄らぬプレゼントになるだろうと英国政府は考えているのだ。

 こうした主張は真剣に受け止めなければならない。英国政府の第一の仕事は、市民の命と利益を守ることだ。時には、実利主義があまりに理想的過ぎる原理原則の追求に勝ることもある。

 だが、リトビネンコ事件の適切な審問を潰そうとする英国政府は、自国が使える切り札を過小評価している。

 ロンドンは、ロシアのエリート層の多くにとって第2の祖国だ。マグニツキー法に対するロシア人エリート層の苦悩が浮き彫りにしているように、彼らは今や、良い学校から独立した裁判所に至るまで、西側の生活の利点をすべて自分たちが享受できると考えるようになっている。

 英国はマグニツキー法を制定していないが、同法のリストに名前が掲載されている60人の政府職員にはビザを発行しないと述べている。しかし、マグニツキー事件はロシアで起きた殺人が問題となっている。となれば当然、ロンドンで実行された殺人の後は、もっと厳しい対応策が正当化されるのではないか?

法の支配を尊ぶ英国の評判に傷

 リトビネンコ事件の審理を嫌がる英国は、自国の国益について、あまりに狭過ぎる見解を抱いている。英国最大の資産の1つは、法の支配に関する名声だ。ロシアのオリガルヒ(新興財閥)がロンドンで互いを提訴するたびに、彼らは公正な扱いに関する英国の評判に敬意を表している。

 これに対し、リトビネンコ事件の公式調査を阻止することは、最も冷笑的なプーチン風の本能、すなわち、法の支配、あるいは真実のための真実の追求などというものは存在せず、最終的に重要なのは、力と恐怖心とカネだという見方に屈することになる。英国はもっとましな国のはずだ。

By Gideon Rachman


 


 


 


 
国民を震撼させたドイツ赤軍の悪夢が蘇る
シュトゥットガルトの歴史博物館で始まった特別展
2013年07月17日(Wed) 川口マーン 惠美
 シュトゥットガルトの歴史博物館(Haus der Geschichte)で「南西ドイツの赤軍テロ」という特別展が始まった。

 ドイツでは、1960年代終わりから20年以上にわたって、ドイツ赤軍のテロが続いた。テロの嵐は市民を巻き込み、全国で荒れ狂ったが、その中心地となったのが南西ドイツ、つまり、私の住むバーデン=ヴュルテンベルク州であった。

20年以上も国に戦争を挑み続けたドイツ赤軍

 赤軍の敵は多岐にわたっている。まず「アメリカ帝国主義」とそれに与する資本主義者たち、ナチの残党とドイツの国家権力の具現者(政治家や警察や裁判所)。それらがすべて「ファシスト」として、ひとまとめにされた。

 特別展の展示室に入ると、そこは真っ赤だった。天井も壁も床も赤。血と暴力、そして、赤軍と共産党を表しているのだろう(特別展の紹介動画はこちら)。

 壁には1カ所、爆発を連想させる大きな穴が開いており、天上からは破片のような鋭角の目立つ形のプレートがたくさん下がっていた。そして、その一つひとつに個別の事件のあらましが書いてある。テロの犠牲者の数は34人だ。

 展示室の入り口に立って奥を見ると、だんだん狭くなっていて、出口のない圧迫感を感じる。

 真ん中にある灰色の展示ケースは、テロリストたちが収監されていた厳戒の刑務所を表している。この厳戒態勢の刑務所で、4人の犯人たちが自殺をした。そのうちの2人はピストル自殺だ。なぜ、彼らがピストルを入手できたかは、今でも分からない。


ケルンにあるシュライヤー(ダイムラー・ベンツ取締役)誘拐殺人事件の犠牲者記念碑(Wikipediaより)
 そして、展示室が一番狭くなったどん詰まりでは、テロの狂気が最高潮に達した事件、ハンス・マーティン・シュライヤーの誘拐殺人事件が扱われている。

 しかし、そこまで行くとようやく、右手に次の部屋への入り口が見える。

 赤軍が事実上解散し、政府と犯人と市民の対話、そして、秩序を取り戻す試みが始まったのだ。部屋は白とグレーのトーンで、悲しみの中に少し希望が垣間見えるような、とても地味な雰囲気だ。

 ここに入ると、今までの圧迫感は消え、心が穏やかになる。しかし、もちろん解決でも浄化でもない。ドイツ赤軍の事件は、今日もまだ、真相が分かっていないことがたくさんある。

 赤軍のテロは、ドイツの戦後史で最悪の出来事だった。特に、1970年から71年にかけてのドイツでは、あちこちで爆弾が炸裂し、銀行が襲撃され、警官が殺され、政治家や資本家が暗殺され、大資本の企業で働いているという理由だけで、ごく普通の従業員までが無残にも巻き添えになった。赤軍は、ドイツ国に戦争を挑んでいたのである。

日本の全共闘と同世代の人々の胸に刻まれた不安

 グループの中心的存在であったアンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフが、どのような心理でこの暴力に突き進んでいき、いかに破滅するのかを描いた『バーダー・マインホフ・コンプレックス』という映画が、2008年に上映された。

 コンプレックスというのは、心理学用語で観念複合体というような意味になるらしいが、たしか邦訳では、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』という題名だったと記憶している。

 この映画を見たあと、少し年上のドイツ人の友人にその話をしようと思ったら、彼女は、「聞きたくないわ。あのころの不安な感情が蒸し返されて、とても嫌な気分になるの」と、すぐさま話をさえぎった。

 高校、大学という多感な時期に起こった多くの残酷な事件は、特にこの州では人々の心に深く刻み込まれているのだ。だからだろう、今回の特別展の客も、その年齢層の人たちが圧倒的に多かった。日本の全共闘世代と、時代がちょうど重なっている。

 ドイツ赤軍は、その名を日本赤軍にならって付けたという。そして、日本赤軍と同じく、バーダーやマインホフもパレスチナ・ゲリラに共鳴し、ヨルダンのPFLP(パレスチナ解放人民戦線)で軍事訓練を受けた。

 最初、ドイツ赤軍は、さまざまな方法で国民を革命に引き寄せようとしていた。宣伝のための赤い小冊子は、見かけが毛沢東語録に似ていただけではなく、そこには語録から引用した詩まで載っていたのだ。

 ドイツ政府は、1972年、容疑者たちの顔写真入りの手配書を何十万枚も刷って、大々的な掃討作戦に入る。ただ、これは、国家権力を見せつけるため、そして、それにより、政府が国民の信頼を取り戻すために行われたプロパガンダであったというのが、のちの評価だ。

 いずれにしても、警察が総力を注ぎ込んで、住宅や人間や交通機関をしらみつぶしで監視した結果、バーダーやマインホフほか、多くの容疑者が次々と逮捕されることになった。

残虐さを増し、市民から見放されていった第2世代

 しかし、すぐさまその後を継いだのが、赤軍の第2世代と言われるブリギッテ・モーンハウプトやクリスティアン・クラーといった活動家たちで、彼らの指揮の下、赤軍の活動は、さらに残虐さを増していった。

 彼らは移動中に検問に引っかかると、容赦なく警官を撃ち殺し、赤軍の事件を担当していた裁判官の車には爆弾を仕かけた。

 1977年4月、連邦刑事総長ブーベックは公用車で出勤の途中、バイクで待ち受けていた射撃手によって、運転手、SPもろとも射殺され、同年7月には、ドレスデン銀行の頭取、ポントが自宅前でやはり射殺された。犯人は、ポントの誘拐に失敗したため、殺したのだった。

 ついに9月、彼らは、ドイツ経営者連盟とドイツ産業連合の会長で、ダイムラー・ベンツの取締役でもあったハンス・マーティン・シュライヤーの誘拐に成功する。

 シュライヤーは、ナチを指示する家庭に育ち、本人も親衛隊に所属していたうえ、戦後はドイツ産業界の頂点に立っていたので、ドイツ赤軍の恰好の標的であった。当時、おそらく一番厳重に身辺が警戒されていたドイツ人の1人であったはずだ。

 その彼が、車で移動中に襲われ、運転手、SP、護衛の警官2人が射殺され、シュライヤーは連れ去られた。これにより、「ドイツの秋」と呼ばれる暗黒の数カ月が始まる。

 展示室の奥の暗がりに、誘拐犯が撮ったシュライヤーのポラロイド写真があった。産業界の最高峰が、背広ではなく赤いTシャツを着て、「赤軍派の人質」と書いたプレートを持たされて座っている写真だ。

 その陰鬱な表情が、見る者の心に突き刺さる。誘拐犯の要求は、刑務所で服役中のバーダーやマインホフなど、第1世代のテロリスト11人の釈放だった。シュライヤーは、シュミット首相に向けたビデオで、赤軍派のこの要求を懇願させられた。

 しかし、当時のシュミット首相は、テロリストの要求には屈しないと決断し、シュライヤーは見捨てられた形となった。


対テロ特殊部隊によって解放され、モガディシュからケルン・ボン空港に帰還した乗客(Wikipediaより)
 計画が思うように進まず焦ったモーンハウプトらが、パレスチナ・ゲリラに協力を求めた結果、ルフトハンザ機の乗っ取り事件が起こる。

 旅客機は人質を積んで4日間彷徨い、ようやくソマリアの首都モガディシュに着いたときには、機長はすでに射殺されていて、滑走路に投げ出された。

 犯人たちは、赤軍派メンバー釈放の最終期限を延長したが、西ドイツ政府は武力での解決を決めており、その日の深夜、対テロ特殊部隊GSG-9が機内を急襲し、一瞬で犯人たちを制圧した。

 不思議なのは、まだその夜が明けないうちに、服役中だった赤軍メンバーのうち幹部の3人が獄中で自殺したことだ。彼らがどうして乗っ取り失敗の報に接したのかが謎だ。そして、すべてが失敗だと認めた赤軍は、その翌日、処刑という名目で、シュライヤーを射殺した。

 「ドイツの秋」は、国民に深い悲しみと同時に激しい憤りを覚えさせた。各地で沈黙の抗議デモが起こった。それまで赤軍のシンパは多かったと言われるが、これ以後、赤軍は、完全に社会の敵となった。

三十余年後にも黙秘を続ける犯人。事件の真相は闇の中に

 当時の犯人たちは、現在、ほぼ全員が恩赦で釈放されている。しかし、多くの犯人は、今でも自分たちのやったことが正しいと思っているようだ。例えば、シュライヤーの誘拐などの首謀者であったモーンハウプトも自由の身だが、いまだに、犯行を悔いる言葉も、犠牲者の家族に対する詫びの言葉も口にしない。

元ドイツ赤軍派幹部、来年1月仮釈放へ
2007年3月に釈放された元ドイツ赤軍派幹部のブリギット・モーンハウプト元受刑者(ドイツ連邦刑事局提供)〔AFPBB News〕

 それどころか、犯行の詳細については黙秘したままだから、捜査にも協力しなかったことになる。

 釈放された後、自分についての報道で、「殺人犯」、あるいは「テロリスト」という言葉が使われていることに抗議し、訴えようとしたが、ドイツの大衆紙「ビルト」は、「9人殺しの殺人犯は、時間が経過しても9人殺しの殺人犯だ。しかも、犠牲者はいまだに犠牲者であり、元犠牲者ではない」と応酬した。

 なお、通勤中に射殺されたブーベック事件では、最近になって新たな進展があり、それに基づき2010年、すでに釈放されていたヴェレーナ・ベッカーが再びシュトゥットガルト地裁の被告席に登った。

 ようやく事件の真相解明なるかと皆が期待したが、ベッカーは沈黙を続け、1年半の不毛な裁判の結果、事件は永遠に迷宮入りとなった。裁判所でのベッカーの不敵な顔は、はっきり言って、非常に不快だった。

 地元のシュトゥットガルト新聞は、「幕は閉じ、すべての疑問は残る」と悔しさをにじませた記事を載せた。

 シュトゥットガルトの特別展では、その犯行に使われたスズキのオートバイ(本物)が、出口のところに飾ってあった。その後部席からベッカーがブーベックに向けて死の弾丸を放ったかもしれない赤いオートバイである。

 


 


 


 

JBpress>海外>欧州 [欧州]
一大政治イベントに見るスウェーデン福祉国家の行方
社民党は政権を奪還できるか〜北欧・福祉社会の光と影(18)
2013年07月17日(Wed) みゆき ポアチャ
 来年9月のスウェーデン総選挙まで、あと1年余に迫った。

 現在のスウェーデン福祉国家の基礎を築いた社会民主党(以下、社民党)が、7年前の選挙で政権の座を失った時には、日本で自民党が政権交代した時と同じくらいの衝撃があったのではないかと言える。それまで社民党は国民の大きな信頼を勝ち取っており、長期にわたって権力の座をほぼ独占していた。

負け続きの社民党、政権奪還へ3度目の挑戦

 筆者自身も社民党の座は安泰であると信じて疑わなかったので、選挙の際には海賊党に投票しかけて思い直し、高齢者党に入れた。この国の至れり尽くせりの福祉社会に感銘を受けていたので、日本では考えられなかったことだが、すっかり「体制派」になっていたのだ。そして選挙結果が判明して後、社民党に投票しなかった自分をしばらく責めた。

 こうして、2006年の総選挙で社民党は負けた。首相で党首だったヨーラン・ペーション氏は、ほぼ大勢が決した真夜中にテレビに登場して敗北宣言をし、党首をも辞任すると発表した。その後同党は、新党首モナ・サリーン氏を挙げて巻き返しを図ったが、何とその4年後の選挙でも負けたのだ。

 社民党は2期連続の敗北を喫したということだ。また議席数も戦後最低だった。サリーン氏も敗北の責任を取って党首を辞任した。

 そして今、ステファン・ロフヴェン氏を党首に、この雪辱を果たすべく社民党は3度目の挑戦に向けて、エンジンを始動させたところだ。


http://www.henrikoscarsson.com/
 2013年6月に実施された世論調査による、国政に議席を持つ8党の支持率は右の図の通り。

 現在は、穏健党を中心とした保守4党(穏健党、自由党、キリスト教民主党、中央党)の中道右派連合が政権を握っている。

 巻き返しを図るのは、社会民主党、左翼党、緑の党の3党による赤緑連合だ。

アルメダーレン政治ウイーク

 毎年この時期、6月末から7月にかけての1週間、スウェーデン・ゴットランド島では「アルメダーレン政治ウイーク」が開催される。

 ご存じの方も多いかもしれないのだが、この歴史について簡単に説明すると、現職中に暗殺された故オロフ・パルメ首相の在職時、1968年に始まった政治の集会だ。

 ダーゲンス・ニーヘテル紙によると、発端はこうだ。

 この年、パルメ首相がゴットランド島で夏の休暇を過ごし、休みが終わってフェリーで帰ろうとしていたところ、島の住民が滞在を少々延ばしてスピーチをしてくれないかと尋ねたという。そして彼は、近くに駐車してあったトラックの荷台の上に立って、集まった聴衆に演説をした。

 これが今、毎夏恒例となったスウェーデンの一大政治イベントの始まりだ。

 以降の43年間に規模が拡大し、現在はスウェーデンの全政党の政治家がやって来て意見を表明し、ディベートをするためのプラットフォームとなった。

 1週間にわたって、毎日日替わりで各政党の党首がスピーチをする。これがメインだが、その他にも様々なイベントが開催される。

 アルメダーレンの1週間で国家政策の大きい背骨が形成されると書いていた記事もあったし、ここからスウェーデンの民主主義が毎年生まれ変わり、醸成され、国中に広がっていくと書いたものを読んだこともあるが、恐らく半分くらいは真実だ。

 そして多くの人が楽しみにしているのは、夕方から夜にかけての一大交流会だ。夏至のころの、なかなか沈まない太陽の下で、海風に吹かれながらワインやビールを傾け、国の未来について熱く、あるいはリラックスした中で話し合う。島内で首相をはじめ政府の要人を見かけたら「ヘイ!」と声をかけて気軽に話したりできるかもしれない。ヒップホップアーティストやサッカー選手、タレントなどの有名人や各界の著名人も多い。

 今年は、この1週間に2285のワークショップ、講演、セミナーが行われ、有権者、政治家やロビイスト合わせて2万人が島に訪れ、島の内外の1029人が主催者として活躍した。ゴットランドの地方紙によると、この週に8000万クローナ(約1億2000万円)の売り上げがあがったという。

 そして今年も、この島で侃々諤々のディベートが繰り広げられた。来年の選挙の最大の争点は雇用と言われているが、教育、福祉、環境、統合政策(移民・難民)、税制と、問題は山積みだ。

雇用・教育、そして・・・


http://www.tv4play.se/program/nyheterna?video_id=2390165
 今年、特に大きな焦点が当てられたのは、雇用、教育、そして移民政策だ。

 目下、スウェーデンにとっても欧州全体にとっても、最大の焦点は雇用問題だろう。スウェーデンのみならず欧州各国が高い失業率に苦しみ、貧困が拡大し深刻化している。

 スウェーデンの左右陣営が、これにどう対処していくかの覚悟を示せるかどうかが、総選挙の結果を左右する。

 社会民主党と穏健党のどちらがより多くの雇用を創出すると思いますかという質問に対し、社民党と回答した人は40%、穏健党と答えた人は34%となっている。「どちらでもない」が16%、「分からない」が10%だ。

 雇用政策やその他の議題について、各党から様々な提案が出されたのだが、まだ選挙まで日があり議論がそれほど煮詰まっていないので、今回はその詳細については触れないことにする。

「白人のアルメダーレンに移民はいない」

 期間中にアフトンブラーデット紙に掲載された一記事が注目を集めた。「白人のアルメダーレンに移民はいない」と題された、エーサン・ファダカル記者が執筆したものだ*1。

 同記者はツイッターと写真で現地の様子を継続的に送っていたのだが、最もセンセーションを巻き起こした彼の記事の書き出しはこうだ。

 「月曜日、アルメダーレンで、もはや最大の偽善者は移民に不寛容なジミー・オーケソンなのか、彼の反対者の全てであるかを私は確信できなくなった」

 ジミー・オーケソン氏は移民排斥を党是とするスウェーデン民主党の党首だ。ファダカル氏は記事中で同党を「全体主義スウェーデン党」とか「スウェーデンナチス党」と呼んでいる。ちなみにこの時の同党首のスピーチは、「未登録、つまり不法滞在者へ無料の医療保障、および子供たちが無料で学校に行けることが決定した7月1日は『恥の日』である」というものだ。

 しかし記者は、この極右スウェーデン民主党に反対する人をも「偽善者」として非難し、このアルメダーレン・ウイーク全体を「誰が最強の移民の擁護者であるかのコンテストだ」と揶揄している。

 この記事の文章をそのまま書き出してみる。

 「クソ排外主義者オーケソン、汚い人種差別主義者」「移民。極左過激派。フェミニズム。不法移民。健康保険。たわごと。たわごと。たわごと。たわごと。たわごと」「クソー、何て偏狭だいまいましい。人種差別主義者らのたわごと。ジャーナリスト。政治家。ロビイスト。ディベーター。白。白。白。白。偽善者。偽善者。偽善者。偽善者」

 そして言う。「クソ、すべての移民はどこにいるのだ?」

日本にいた「ガイジン」なら分かる感覚

 その後彼は、非白人をやっと2人見つけたと書く。周囲にいる数百、数千人もの白人の中で、目にした非白人は2人なのだ。そしてそのうちの1人は「何らかの理由で、アルメダーレンで見かけた移民らしく見える人らにうなずくという。彼は理由が分からない。が、それは彼がこの白人の海で、非白人は自分だけではないと感じられたからではないのか」と書いている。

 一部だけ引用した文章をそのまま訳しただけでは意味が分かりづらいかとも思うのだが、私自身はこの状況が手に取るように分かった。もう10年以上も前だが、私と夫が初めて日本に行った時に、全く同じ経験をしたのだ。

*1=http://www.aftonbladet.se/nyheter/kolumnister/ehsanfadakar/article17064164.ab

 夫(当時はボーイフレンド)と2人で歩いていると、浅草でも新宿でも、新幹線の中でもデパートでも、多くの「外国人」が彼にうなずいたり手を上げたり「ハロー」と言ったり、親しげに話しかけてきたりするのだ。

 夫は驚き、「何なんだこれー。何で全然知らない人がボクに挨拶してくるんだろう?」「こんなこと、今までの人生で初めてだ」と、ほとんどびびっていた。

 そして夫と英語で話していると、じーっとにらまれたり、「うるせえ、ここはアメリカじゃねえんだ!」「日本にいるんだから日本語でしゃべろ!」と怒鳴られたり、ということが何度もあった。しばらく日本に住むのでアパートを借りようとした時、最初の十数軒の不動産屋では「外人はダメです」とほぼ門前払いだった。

 近所の人に「不法滞在じゃないのよね?」と声をひそめて聞かれたり、家の外で見知らぬ人が「ここに外人が住んでる」と言っている声を聞いたりもした。知り合いのおじさんが、夫の顔を見ながら「最近は日本にも外人が増えてねえ。至近距離で頭を撃って人を殺したりとか、そういう凶悪犯罪が増えているんだ」と何度もしつこく話した。

 滞在中はほぼ毎日のように警官に呼び止められ、「国どこ?」「パスポート!」と言われていた。少なくとも東京ではそうだった。

 日本では「ガイジン」は、まだまだ特別だ。外国人が英語で道を尋ねたりして、すぐにある程度の英語で答えてくれる人は、まだそれほど多くはないだろう。

 そしてその中で、やっと自分以外の「非日本人」を見つけて何がしかほっとした外国人は、うなずいたり「ハロー」と言って話しかけたりし、「この海の中で、自分は独りじゃない」と安心するのだ。

何かが内部で腐っているという不信感

 この後、ザ・ローカル紙の記者も「白い肌、黒いマスク」というタイトルで「アルメダーレンでのいくつかのセミナーや議論、イベントは、ごまかしと糊塗であったといういくつかの批判がある――ちょうどゴットランドの漆喰加工が施された白い家のように」と書いている*2。

 こちらの記者は「偽善者」ということばを使ってはいないが、「ここでは何かが内部で腐っているのかもしれない」と書いており、先の記者とほぼ同様の点を指摘していると言える。

 彼は「セミナーや議論に参加している間、非白人はどこにも見えない」と言い、宗教やアフリカに関するセミナーに出席した際、そこで垣間見られた白人側の視点と男性優位主義について触れている。

*2=http://www.thelocal.se/48884/20130704/

 先に上げたアフトンブラーデット紙に掲載された記事は、6000人がフェイスブック上でシェアしている。彼が言う「最大の偽善者は移民に不寛容なジミー・オーケソンなのか、彼の反対者の全てであるかを私は確信できなくなった」という言葉に、共感したり引っかかったりする人が、これほど多いということだろう。

 雇用にしろ教育にしろ、問題は山積みだ。そしてやはり、移民や難民の統合問題は、それ以上に避けて通れない大問題だ。

勝敗はいかに 

 ところで、この期間中にそれぞれの政党名がマスコミや政治家によって何回言及されたか、という調査がある。この結果は、ほぼ世論の支持率の位置を反映していると言われている。

 これによると、社民党がダントツの2359回、次いで穏健党1697回となっている。

 スウェーデン民主党は第3位の1597回だが、「移民排除」を叫ぶこの党だけはその意味で特殊な位置を占めているため、頻繁に言及はされるが特に支持率を反映しているとは言えない。

 しかしスウェーデン民主党についてどれだけ多く話されるかは、移民・難民の統合問題がどれだけ大きく、深刻かを示す明快な指標だ。

 現在のところ、あらゆる指標が社民党の優勢を物語っており、このまま独走を続ければ、政権を奪還する勢いではある。が、選挙戦までにはまだ1年余りあり、依然として予断は許されない状況だ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/38217


 

 

 

 

 

 
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「分断」か「融合」か? 民主主義の死がもたらす多民族国家マレーシアのジレンマ
世界最長民主政権の足元に押し迫る政治の津波(2)
2013年07月17日(Wed) 末永 恵
 マレーシアだけでなく、シンガポールでも、なぜ長期にわたって一党が政権を圧倒的多数で支配できるのか。それは、日本でも問題が指摘されている「小選挙区制」にある(連載第1回はこちら)。

得票数が47%でも、議席数は60%の矛盾はどこから?

 マレーシアでは、選挙区割りなどで、与党連合が自らに有利に選挙が展開される選挙制度を確立している。結果、今回のマレーシア連邦下院の選挙(5月5日実施)のように得票数が全体の47%でも、議席数は60%を確保できる。

 というのは、サバ州、サラワク州といったボルネオ島(東マレーシア)の農村部で与党連合が長年地盤とする選挙区に議席数の多くが配分(約55%)されるため、政権が延命されるというわけだ。

マレーシア首相、2期目の就任宣誓式 下院選勝利で
マレーシア下院選の与党連合、国民戦線の勝利を受け、5月6日に首相2期目の就任宣誓式を行うナジブ・ラザク首相(右)〔AFPBB News〕

 今回も慣例通り、農村部の貧困層への生活援助等の経済的支援のばらまき政策が打ち出され、与党の過半数制覇を誘導した。

 また政府は、多数派のマレー系と少数派の経済的富裕層の中国系との格差による対立を避けるため、マレー系優遇策(プミプトラ*1政策)を採用してきたが、中国系、インド系の批判どころか、近年、マレー系からも「金権、汚職の温床」と追及を受けてきた。

*1 ブミプトラとは、マレー語で「土地の子」の意

 対立は、もうこれまでの「少数派(中国系26%・インド系6%)vs 多数派(マレー系66%)」でなはく、「与党マレー系 vs 野党マレー系、中国系、インド系」と、“マレー人とマレー人の戦い”に様相を一変させている。

 そんな中、選挙戦で与党連合は一貫して「ワン・マレーシア(一つの多民族融合国家)」と主張しながらも、「民族間の亀裂や価値観の相違」をも掲げ、選挙争点を旧態依然の“人種間問題”に当てた。

 それに対し、野党連合は「政治の既得権益、金権主義、汚職の撤廃」「検閲のない主要メディアの報道の自由」で、都市部の中間層、若年層に「レフォルマシ(変革、改革)」をアピール。民族間に共通する「普遍的価値観、利益の共有」に焦点を当て、各民族からバランスの取れた支持を得た。

変革を望む都市部の中間・若年層と、ばらまきを享受する農村貧困層の対立

 マレーシアでは、主要民族のマレー系、中国系、インド系の各民族の利益を代表する政党が連立政権を組んで政治的パワーバランスを微妙に維持してきた。

 しかし、今回の総選挙で野党を支持した都市部の中間層や富裕層には、これまでマレー人優遇政策等で与党を批判している中国系に加え、「レフォルマシ」を求める無党派層の多数を占めるマレー系の若年層が1票を投じたことが、全体の野党の得票数を底上げしたと言えるだろう。

 結果、与党連合・国民戦線が133議席、野党連合・人民連盟が89議席を獲得。与党連合は約60年に及ぶ独立以来の一党支配は維持したものの、憲法改正などに必要な3分の2の絶対安定多数には到達できず、獲得議席は、野党に初めて苦戦を強いられた前回の選挙(2008年、国内では同選挙を「The Tsunami」と総称)の140をさらに7議席下回り、勢力的にも改選前の137から4議席減少させ、過去最低の議席数に甘んじた。

 一方、野党連合は政権交代を逃したものの、改選前の75議席から14議席増やした。

 与党にとって厳しい向かい風の結果を、当のナジブ首相は選挙後の会見で、「華人の津波」にやられたと表現。国の“分断”に懸念を示す一方で、「国家の融合を目指し、政策を進めていく」「選挙には不正はない」と断言し、荒波となる2期目をスタートさせる決意を表明した。

野党連合のカリスマ指導者、アンワル元副首相率いる「ブラック 505」


抗議集会に支持者は「民主主義の死を悼み」、黒の服装で選挙の不正を批判する(著者撮影、以下同)
 一方、長年の“宿敵”でもある野党連合のカリスマ指導者、アンワル元副首相は、5月5日の選挙結果の不正に抗議するため、マレーシア全国で抗議集会「ブラック(Black)505」を開催すると宣言。

 「不正当選した議員」による6月24日開催の国会直前に決行された6月22日までに、首都のクアラルンプールのほか、ペナン、イポー、ジョホールバルなど各地で開催。

 いずれもアンワル元副首相の呼びかけに応えて黒い服を着た3万人から10万人強の支持者を集め、抗議集会の会場を“真っ黒”に埋め尽くした。


「ブラック 505」を支持する黒いTシャツを着た参加者
 いわゆる“メディア”を持たない彼らは、いずれも党のフェイスブックやツイッターの呼びかけで集まってきた人ばかり。一方、与党連合の強みは潤沢な資金に加え、大株主として新聞、テレビ、ラジオ等の主要メディアを牛耳っていることが大きい。

 強権政治を敷き、メディアを統制してきたマハティール時代は、「『何を取材』し、『どの面に掲載』するかまでが、マハティール元首相の指揮下にあった」(筆者の知人である国内最大紙「スター」の編集上層部)と振り返るほど。

 選挙直後に開催された5月8日の抗議集会「ブラック 505」は、警察当局の「集会は違法で、参加者は逮捕」という警告や、降り注ぐ強い雨にもかかわらず、会場のスタジアムに入りきれない支持者を含め、約10万人が詰めかけた。あまりの混雑に、会場周辺の道路やインターチェンジは夜中まで麻痺した。

野党連合抗議集会「ブラック 505」の夜空に反射する“キラキラ星”の正体は?

 会場は、ブラック一色に“化粧され”、スタジアム席とトラックのアリーナ全体は、まるで日本のラッシュアワーの満員電車さながら。選挙戦中もそうだったが、投票率が約85%(史上最高)と国民の政治参加の高さが示すように、その熱意は、熱狂的と言っていいほど。

 投票率の低さが選挙の当落の行方を左右する日本の政治参加“度”は、まさに「冷」。マレーシアの「熱」との温度差は比較にならない。その「熱度」は本当に暑い。特に、若い人の熱気に圧倒される・・・。


首都クアラルンプールで開催され10万人以上が集まった抗議集会「Black 505」。金権、汚職政治、報道の自由を求め、全国で抗議集会を展開
 そんな身動きが取れないような状況で、集会主催者のカリスマ指導者、アンワル元副首相の来場を皆が固唾を飲んで待った。その間、夜空に照り映えるように、何千、何万という無数の「キラキラ星」が会場で輝き始めた。

 野党連合の行動はメディアが伝えないので、“メディア”を持たない彼らは、自前の携帯やiPadを使い、熱心に会場の様子等をこと細かく“報道、発信”。ソーシャルメディアにアクセスするタブレット端末や携帯のスクリーンが放つ光が、キラキラ輝く会場のキャンドルとなっていたのだ。

 一方、アンワル元副首相は、会場に詰めかける支持者で周辺道路が渋滞し、車では全く身動きができないためオートバイで移動し、出迎えた会場の大きな歓声とともに壇上に登場。

マレー系優先の与党連合 vs 人種間の「共有の利益」追求の野党連合

 「今こそ、不正、腐敗の政治と戦うときが来た。捏造された選挙結果による政府は、『傀儡(かいらい)政府』。我々は勝つまで戦う」と連呼。

 与党連合の支持者の多くがマレー系なのに対し、金権・汚職政治排除という「共有の価値観、利益」「報道の自由」を持つ野党連合の会場は、マレー系、中国系、インド系と、まさにマレーシアという多民族国家を象徴する顔ぶれ。

 また、支持者も支持政党を、マレー系だからマレー系政党、中国系だから中国系政党と偏らない。各党候補者も、マレー系政党から立候補する中国系やインド系などなど、人種に偏らない方針が打ち出されている。むしろ、7割近いマレー系投票だけで政権維持は確実と見なしてきた与党の方が、人種に関する“こだわり”がある。

 例えば、与党連合の政党母体、UMNO(統一マレー国民組織)副総裁のムヒディン副首相が、メディアのインタビューで「当然、私はマレー系ですから、マレー系の権利や利益を最優先に考える」と、政権として「ワン・マレーシア」の多民族融合国家の意義を唱える一方でのマレー系優遇発言で、国内外で物議を醸したこともある。

 野党側は、与党連合の金権汚職政治を糾弾するため、公正な選挙を求めるNGO組織「BERSIH2.0」(共同会長:アンミガ氏)とともに「Bersih(マレー語で“クリーン”)」をスローガンに掲げ、パカタン・ラクヤット(PR、人民同盟)を土台にしている。

 6月22日に開催された国会開始直前の抗議集会には、アンワル元副首相とともに、「BERSIH2.0」の共同会長、弁護士・アンミガ氏も駆けつけ、演説を行い、「不正選挙を見逃し、追及しなかった選挙管理委員会(EC)の総辞職を要求する。法に基づいて裁かれるべきで、我々はその日まで戦う」と力説した。

つづく


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