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従軍慰安婦が高給取りの戦時売春婦である証拠の「尋問調書」は本物だった事が発覚!2ch
http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/590.html
投稿者 木卯正一 日時 2013 年 7 月 23 日 23:32:25: xdAt6v.ugMgqA
 

1 : 16文キック(やわらか銀行):2013/07/23(火) 03:40:10.06 ID:j83AClq70 ?PLT(12511) ポイント特典

http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4

以前より慰安婦問題に関して様々な事を調べているテキサス親父が最近発見したネット上に上がっている1944年に報告された「尋問調書」に注目した。
しかし、ネット上にあ-る物の中には、捏造された物が多く存在し、その米軍の報告書とされている物が本物であるかという疑問を持った。
そこで、以前も竹島問題で「マッカーサー電文」が本物であるかどうかの確認を依頼したワシントンDC郊外にある「国立公文書館」へ問い合わせた。
約2週間後にそこから一通の手紙がテキサス親父に届いた。
その中には、そのネット上に上がっていた内容と同じ物の原本のコピーが同封され、間違いなく米軍が慰安婦の捕虜達に尋問した一部始終が記載されている書類だった。
この中には、次のようなことが書いてあった。

この書類はこちらからご覧頂けます。→ http://texas-daddy.com/comfortwomen.html
http://texas-daddy.com/comfortwomen/Coverletter.jpg
http://texas-daddy.com/comfortwomen/comfort%20women%201.jpg
http://texas-daddy.com/comfortwomen/comfort%20women%202.jpg
http://texas-daddy.com/comfortwomen/comfort%20women%203.jpg
http://texas-daddy.com/comfortwomen/comfort%20women%204.jpg
http://texas-daddy.com/comfortwomen/comfort%20women%205.jpg
http://texas-daddy.com/comfortwomen/comfort%20women%206.jpg
http://texas-daddy.com/comfortwomen/comfort%20women%207.jpg

・慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた。
・待ちへ出かけて化粧品や洋服など好きな物を買っていた。
・時間の関係で全てのお客(兵士)にサービスができない事を悔やんでいた。
・日本人の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックをしたり宴会をしたり様々なイベントを一緒に仲良くやていた。
・借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば国へ帰ることも出来た。
・日本の兵士と結婚する者もいた。

さらにこの尋問をした米兵の主観として「慰安婦達は、日本人の基準でも、白人の基準でも綺麗な女達ではない」と書かれている。
要するに慰安婦は「不細工」だったと言う事が書かれている。

2 : チキンウィングフェースロック(東京都):2013/07/23(火) 03:40:28.72 ID:4GsGpxcH0
ttp://blog-imgs-48-origin.fc2.com/k/o/r/koreamatome/20130517091517.jpg


156 ラダームーンサルト(埼玉県) :2013/07/23(火) 12:55:09.72 ID:wQ5kiP9E0

だから従軍慰安婦は捏造だったで終了しているだろ

197 トペ コンヒーロ(福岡県) :2013/07/23(火) 16:30:55.21 ID:Qcm4Ojmz0

チャンネル桜あたりが音頭取ってカンパ集めてアメリカで新聞広告打てよ

9 ハイキック(チベット自治区) :2013/07/23(火) 03:53:26.89 ID:8vB7BB7i0
これはあかん、特定アジア人がテキサスおやじシバキ隊結成してまうで…

17 ムーンサルトプレス(愛知県) :2013/07/23(火) 04:03:25.22 ID:+uxSvYlZ0
>>9
ショットガンで撃退されるだろw

173 キャプチュード(SB-iPhone) :2013/07/23(火) 14:05:39.19 ID:G35kPUaki
>>9
この人州兵の名誉大将だかなんだかで、自宅も散弾銃とかで武装してるから問題ないと思う

178 ファイヤーバードスプラッシュ(千葉県) :2013/07/23(火) 14:19:02.95 ID:S279ZzQE0
>>9
SSどころかつべ見てる全世界の人に自分の番号晒すくらいだし
自宅は恐ろしいほど武装されてると思う

35 ムーンサルトプレス(愛知県) :2013/07/23(火) 04:32:12.93 ID:+uxSvYlZ0
朝日新聞はマジでどう責任取るつもりなの?

232 エルボーバット(東京都) :2013/07/23(火) 19:21:11.99 ID:ayVIaWQJ0
>>35
朝日に突きつけて聞いてみたいわ

49 アンクルホールド(京都府) :2013/07/23(火) 05:08:02.00 ID:JdOz4FTW0
つーかこの人初めて見たけど凄いな

アメリカの元諜報員かなんかなのか?

63 ブラディサンデー(青森県) :2013/07/23(火) 06:41:11.44 ID:ztIwoAZK0
>>49
テキサスのステーキ屋のおやじ

84 ミラノ作 どどんスズスロウン(庭) :2013/07/23(火) 08:23:58.95 ID:YlLmw2+v0
慰安婦問題は日本人慰安婦の実態が全然語られないのが怖い

91 ストマッククロー(チベット自治区) :2013/07/23(火) 08:50:18.42 ID:DOxdcFlq0
>>84
男は国から人殺しを強要させられた事は当たり前に受け入れられ
女が慰安婦雇用されたことには全力でファビョる風潮

108 サッカーボールキック(関東・甲信越) :2013/07/23(火) 09:57:05.92 ID:CtAqCIEgO
>>84 御本人の心情第一だけど証言記録を得る手段があったにも係わらず機会に恵まれなかったのは惜しいね

192 パロスペシャル(東京都) :2013/07/23(火) 16:05:39.87 ID:5FsLMgVc0
>>108
吉原で戦前から茶屋をしていた人の本によると
吉原の遊女にも慰安婦募集がかかって応募した人がたくさんいたらしい
馴染みのお客が戦地に行くからついていきたいとか
年季を短縮できるからとか理由はいろいろ
前線の部隊についてく慰安婦は無事帰れるなんて思ってなくて
兵隊さんと一緒に死ぬって覚悟を決めてたんだって

慰安婦のリストは残ってなくて、兵隊さんには年金があるけど
慰安婦には何の手当も出てないのが気の毒だって書いてた

157 トペ コンヒーロ(福岡県) :2013/07/23(火) 13:15:09.92 ID:Qcm4Ojmz0
これ田嶋が見たら何て言うかな

159 栓抜き攻撃(大阪府) :2013/07/23(火) 13:25:58.39 ID:0LC297230
>>157
『そんなこたぁ知らないよ。げんに被害者の人がいるだろ。勉強しな』

160 フランケンシュタイナー(西日本) :2013/07/23(火) 13:29:50.55 ID:uHCbW4/c0
>>159
言いそうでコワイ
てか、確実に言う

http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1374518410/」  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2013年7月25日 00:59:04 : W18zBTaIM6
慰安婦の平均年齢が25才だった

という所だけ消してるね


25才まで生きられた慰安婦なんていないだろ


02. 2013年7月25日 09:30:26 : mgJJ3elqpI
>01 
根拠は何?妄想?

03. 2013年7月25日 21:32:00 : niiL5nr8dQ


Google翻訳

囚人:20韓国のコンフォートガールズ
キャプチャの日付:1944年8月10日
到着日:1994年8月15日
柵で
はじめに
このレポートは、20韓国の "慰安女の子"と8月の第十の周り捕獲二人の日本人民間人、ビルマでMyitkyin崩壊後掃討操作で1944年尋問から得られた情報に基づいています。

報告書は、日本人がこれらの韓国人 "慰安女の子"、彼らが住んで働いていた際の条件、との関係や日本兵への反応、および軍事情勢への理解を募集する方法を示しています。

"慰安女の子は"売春婦や兵士たちの利益のために日本軍に添付 "プロのキャンプフォロワ"以外の何ものでもありません。単語 "慰安女の子は"日本人に特有のものである。他のレポートは、それは戦うために日本軍のために必要だったどこに "慰安女の子"が発見されて表示されます。このレポートでは、しかし、日本とビルマの彼らの軍に配属によって募集韓国人 "慰安女の子"でしか扱っています。日本人は1942年にビルマにこれらの女の子の一部703を出荷したと報告されている。

RECRUITING;

1942年日本の薬剤の月の早い段階では、東南アジアで新たに征服日本領土で "慰安サービス"の韓国の女の子を入隊する目的のために韓国に到着した。この "サービス"の本質が指定されていませんが、病院、ローリング包帯で負傷し、一般兵士が幸せにを訪れると接続作業であると仮定した。これらのエージェントによって使用される誘因はお金をたくさん、家族の借金、簡単な作業、新しい土地で新しい生活、シンガポールの見通しを完済するための機会となりました。これらの虚偽の表現に基づいて多くの女の子は、海外勤務のために入隊し、数百円の進歩で報われた。

少数が前に "地球上で最古の職業"と接続されていたが、少女たちの大半は、無知で無学だった。 6ヶ月から、彼らは高度であった家族の借金に応じて年に軍の規制との期間のための "ハウスマスター"のための戦争に彼らを束縛、彼らが署名した契約書..これらの女の子の約800は、この方法で募集し、彼らは1942年8月20日を中心ラングーンに日本人 "家の主人"で上陸した。彼らは8二〇から二までのグループで来た。ここからは、それらは通常、日本軍収容所の近くに公正サイズ町に、ビルマの様々な部分に配布しました。
最終的には、これらのユニットの4つのミッチーナに達した。彼らは、協栄、錦水、Bakushinro、そして桃屋だった。共栄家は "丸山クラブ"と呼ばれていましたが、女の子はCol.Maruyama、ミッチーナで駐屯地の司令官としてミッチーナに達したときに変更された、彼の名前に類似性に反対した。

PERSONALITY;

尋問は、約25年間、古い無学、幼稚な、そして利己的なるように平均的な韓国人 "慰安少女"を示しています。彼女は白人基準の日本でかなりのどちらかではありません。彼女は自己中心的であることが傾斜して自分の話をするのが好きさ。見知らぬ人の前で、彼女の態度は静かで控えめですが、彼女は "女の策略を知っている。"彼女は彼女の "職業"を嫌いと主張し、むしろそれまたは彼女の家族についてのどちらか話をしないでしょう。彼女はミッチーナとLEDOでアメリカ兵から捕虜として受け取った親切な治療のために、彼女は彼らが日本兵よりも感情的であることを感じている。彼女は、中国とインドの軍を恐れている。

LIVINGと労働条件;

ミッチーナで女の子は通常、それぞれの女の子のための別の部屋で大きな2階建ての家(通常校舎)で四つた。それぞれの女の子があり、住んで眠って、ビジネスを取引。 Myitkinaで自分の料理はして調製し、それらが日本軍からの定期的な配給を受けていないとして "家マスター"から購入した。彼らは他の場所と比較してビルマに近い贅沢に住んでいた。これは、ビルマでの2年目は特にそうだった。彼らの食べ物や材料が重く配給及びそれらが所望の物品を購入するとお金をたくさん持っていなかったので、彼らはよく住んでいた。彼らは自宅から "慰安袋を"受け取っていた兵士たちによって彼らに与えられた多くの贈り物を補完するために布、靴、タバコ、化粧品を購入することができました。

ビルマにいる間、彼らは将兵の両方でスポーツイベントに参加することによって自分自身を面白がって、ピクニック、娯楽、社会的ディナーに出席した。彼らは蓄音機を持っていた町で、それらは買い物に行くことを許された。

前にシステム;

彼らはビジネスの取引条件は、軍によって規制され、混雑した地域で規制が厳密に施行された。陸軍は特定の領域で動作する様々なユニットの価格、優先順位、およびスケジュールのシステムをインストールするために混雑した地域では、それが必要と認められる。次のように尋問によると、平均的なシステムであった:

1。兵士
10は午後5時までです
1.50円
20〜30分
2。下士官
午後5時〜9時
3.00円
30〜40分
3。役員
午後9時〜12時
5.00円
30〜40分
これらは中央ビルマの平均的な価格だった。役員は20円のために一晩滞在させた。ミッチーナ大佐丸山では平均価格のほぼ半分に価格を引き下げ。

SCHEDULES;

兵士たちは、多くの場合、家に混雑不満。多くの状況でそれらが務め、軍がオーバーステイについて非常に厳格だったので残していませんでした。この問題を克服するために、軍は特定のユニットのための特定の日を取っておく。通常日のユニットから2人は兵士を識別するために、家で駐留した。ロービングMPが秩序を保つために手でもあった。以下はNaymyoながら18部門の様々なユニットのための "共栄"家によって使用される予定です。

日曜日
18本部。 Hdqs。スタッフ
月曜日
騎兵
火曜日
エンジニア
水曜日
休みの日と毎週身体検査。
木曜日
メディックス
金曜日
マウンテン大砲
土曜日
輸送
役員は、7泊以上の週に来て許された。女の子はさえスケジュール混雑とこうして兵士の多くの間で病気感を引き起こし、彼らはすべてのゲストのために気にしないことができるように大きかったことを訴えた。

兵士たちは、家に来て代金を支払うと、左側に先立って、反対側の家の名前を持つ正方約2インチ段ボールのチケットを得るだろう。各兵士の身元またはランクは、その後、彼は "行に自​​分のターンを取った"した後に設立されました。少女たちは、お客様を拒否の特権を許された。人はあまりにも酔っていた場合、これはしばしば行われていた。

PAYと生活条件;

"家の主人は" 60彼女は契約を締結したときに、各女の子が被っていたどのくらいの借金のに応じて女子総収入のパーセントに50を受け取った。これは、平均的な月に少女は百15円程度儲けるであろうことを意味した。彼女は "マスター"に750をめくっ。多くの "マスター"は食糧および他の記事のために、彼らに高い価格を充電することによって女の子のための非常に困難な生活をしました。

1943年後半に軍は彼らの借金を支払っていた特定の女の子が家に戻ることを命令を発行した。少女たちの一部は、このように韓国に戻ることが許された。

尋問はさらにこれらの女の子の健康が良好であったことを示している。彼らはよく避妊薬のすべてのタイプに付属していた、としばしば兵士は軍によって供給されていた自分自身をもたらす。彼らはよく衛生の問題で、自分自身と顧客の両方の世話に訓練された。正規の日本軍の医師は週に一度の家を訪問し、病気の発見された少女は静かな治療を与え、最終的に病院に送られた。これと同じ手順が陸軍自体のランクの中で運ば、それは兵士が彼が限定されていた期間中に賃金を失うことはなかったことに注意することは興味深いた。

日本兵に対する反応;

日本の将兵との関係では、任意の結果の2つだけ名前が尋問から出てきた。彼らは大佐丸山、ミッチーナと援軍に持ち込ま少将Gen.Mizukami、で駐屯地の司令官のものであった。二人は正確な反対だった。彼の下で働いていた人のための最大限の配慮と、後者の良い、親切な人と罰金兵士、前者は、ハード利己的とその部下のために無償で反発しました。一般、それらを訪問していることが知られていないのに対し大佐は家屋の一定常連だった。彼は人を避難させることができなかったので、将軍水上は自殺しながら、ミッチーナの立ち下がりに、大佐丸山はおそらく捨て。

SOLDIERS反応;

平均的な日本兵は、 "場所がパックされたとき、彼は自分のターンのために並んで待つ必要がある場合恥ずかしいしがちです"と言った女の子の一項に記載の "慰安家"に見られて恥ずかしいさ。しかし結婚の提案の多数のインスタンスがありましたし、一定の場合には結婚は実際に行われた。

すべての女の子は、それらを見に来た最悪の将兵が酔って、翌日フロント用に残していた人たちであったことに合意した。しかし、すべて同様に合意した、非常に酔った日本兵は、軍事項またはそれらの秘密を論じたことがないにもかかわらず。けど女の子が役員または下士官兵は話さないだろうが、実際になるいくつかの軍事的問題についての会話始めるか​​もしれない "の科目のようなそのような未女性を議論するために私達を叱っています。でも大佐丸山ような問題を議論することはない時に酔った。"

兵士たちはしばしば、彼らが家から雑誌、手紙や新聞を受け取る楽しんいくら表現でしょう。彼らはまた、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチ、歯ブラシ、ミニチュア人形、口紅や木製の服でいっぱい "慰安袋"の領収書を受け取ったことを言及した。口紅と布がフェミニンあっと自宅での人々はそのような記事を送った理由の女の子が理解できませんでした。彼らは、送信者が自分自身だけや "ネイティブの女の子"を持ったかもしれないと推測した。

軍事情勢;

"Myitleyna上の初期攻撃200日本人は約滑走路では、町を守るために200程度残して、戦闘で死亡した。弾薬が非常に低かった。

"大佐丸山は部下に分散。次の日の間に敵がでたらめにどこでも撮影していた彼らは、特定のものを目指していないようでしたので、それは無駄だった。一方、日本兵が注文していた時にワンショットを発射する彼らはヒット確信していただけの時間と。 "

敵が西の滑走路に攻撃する前に、ミッチーナ周り駐留兵士は北と西の連合軍の攻撃を突進する、他の場所に派遣された。約400人は、主に第114連隊から、後ろに残っていた。明らか大佐丸山町が攻撃されることを期待していなかった。その後少将つ以上の連隊の援軍に持ち込ま56師団の水上が、これらは町を保持することができませんでした。

それは、連合軍爆撃が激しいと恐ろしいあっ、それらのために、彼らは塹壕で彼らの最後の日の大半を費やしている女の子の間で合意しました。 1つまたは2つさえそこで働く上で行った。家屋が爆撃された快適さと女の子のいくつかは負傷し死亡した。

リトリートとキャプチャ;

"慰安女の子"の後退と最終捕獲の話は、自分の心の中にやや曖昧と混同されることがあります。さまざまなレポートから、次が発生したことを表示されます7月31日の夜にはイラワジ川を渡って開始3住宅(Bakushinroは錦水と合併しました)、家族、ヘルパーの "慰安女の子"を含む63人のパーティに小型ボート。彼らは最終的にどこかWaingmaw近く上陸、彼らは8月4日まで​​そこにとどまったが、Waingmawに入ったことはありません。敵と別れパーティとの小競り合いがあったときに、そこから彼らは8月7日までの兵士のグループのパスに続いて。女の子は3時間間隔の後に兵士たちに従うことを命じられた。彼らは兵士の兆候や交差点のいずれMEA NSと川の土手に自分自身を見つけるために、これをやった。彼らは英語将校率いるKaahinの兵士によって捕獲されたとき、彼らは8月10日まで、近くの家に残った。彼らはMyitleyinaにして、この報告書の基礎を形成する尋問が行われたLEDOの柵に連れて行かれた。

REQUESTS

女の子はいずれもミッチーナで使用スピーカーを聞いたことがあるように見えませんが、非常に立ち聞き兵士は "ラジオ放送"を言及しなかった

彼らは軍が彼らの捕獲を知っていた場合、それは他の女の子の命を危険にさらすために "慰安女の子"の捕獲を伝えるリーフレットを使用すべきでないことを尋ねた。彼らはそれが韓国のために計画どんな糞で自分の捕獲の事実を利用するのは良いアイデアだと思いました。

http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html
UNITED STATES
OFFICE OF WAR INFORMATION
Psychological Warfare Team
Attached to
U.S. Army Forces
India-Burma Theater
APO 689
Japanese Prisoner
of War Interrogation
Report No. 49Place interrogated: Ledo Stockade
Date Interrogated: Aug. 20 - Sept. 10, 1944
Date of Report: October 1, 1944
By: T/3 Alex Yorichi

Prisoners: 20 Korean Comfort Girls
Date of Capture: August 10, 1944
Date of Arrival: August 15, 1994
at Stockade
PREFACE
This report is based on the information obtained from the interrogation of twenty Korean "comfort girls" and two Japanese civilians captured around the tenth of August, 1944 in the mopping up operations after the fall of Myitkyin a in BurmaThe report shows how the Japanese recruited these Korean "comfort girls", the conditions under which they lived and worked, their relations with and reaction to the Japanese soldier, and their understanding of the military situationA "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower" attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers. The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese. Other reports show the "comfort girls" have been found wherever it was necessary for the Japanese Army to fight. This report however deals only with the Korean "comfort girls" recruited by the Japanese and attached to their Army in Burma. The Japanese are reported to have shipped some 703 of these girls to Burma in 1942RECRUITING;

Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for "comfort service" in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia. The nature of this "service" was not specified but it was assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making the soldiers happy. The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts, easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore. On the basis of these false representations many girls enlisted for overseas duty and were rewarded with an advance of a few hundred yenThe majority of the girls were ignorant and uneducated, although a few had been connected with "oldest profession on earth" before. The contract they signed bound them to Army regulations and to war for the "house master " for a period of from six months to a year depending on the family debt for which they were advanced ..Approximately 800 of these girls were recruited in this manner and they landed with their Japanese "house master " at Rangoon around August 20th, 1942. They came in groups of from eight to twenty-two. From here they were distributed to various parts of Burma, usually to fair sized towns near Japanese Army campsEventually four of these units reached the Myitkyina. They were, Kyoei, Kinsui, Bakushinro, and Momoya. The Kyoei house was called the "Maruyama Club", but was changed when the girls reached Myitkyina as Col.Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina, objected to the similarity to his namePERSONALITY;

The interrogations show the average Korean "comfort girl" to be about twenty-five years old, uneducated, childish, and selfish. She is not pretty either by Japanese of Caucasian standards. She is inclined to be egotistical and likes to talk about herself. Her attitude in front of strangers is quiet and demure, but she "knows the wiles of a woman." She claims to dislike her "profession" and would rather not talk either about it or her family. Because of the kind treatment she received as a prisoner from American soldiers at Myitkyina and Ledo, she feels that they are more emotional than Japanese soldiers. She is afraid of Chinese and Indian troopsLIVING AND WORKING CONDITIONS;

In Myitkyina the girls were usually quartered in a large two story house (usually a school building) with a separate room for each girl. There each girl lived, slept, and transacted business. In Myitkina their food was prepared by and purchased from the "house master" as they received no regular ration from the Japanese Army. They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places. This was especially true of their second year in Burma. They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles. They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics to supplement the many gifts given to them by soldiers who had received "comfort bags" from homeWhile in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners. They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shoppingPRIOR SYSTEM;

The conditions under which they transacted business were regulated by the Army, and in congested areas regulations were strictly enforced. The Army found it necessary in congested areas to install a system of prices, priorities, and schedules for the various units operating in a particular areas. According to interrogations the average system was as follows:

1. Soldiers
10 AM to 5 PM
1.50 yen
20 to 30 minutes
2. NCOs
5 PM to 9 PM
3.00 yen
30 to 40 minutes
3. Officers
9 PM to 12 PM
5.00 yen
30 to 40 minutes
These were average prices in Central Burma. Officers were allowed to stay overnight for twenty yen. In Myitkyina Col. Maruyama slashed the prices to almost one-half of the average priceSCHEDULES;

The soldiers often complained about congestion in the houses. In many situations they were not served and had to leave as the army was very strict about overstaying. In order to overcome this problem the Army set aside certain days for certain units. Usually two men from the unit for the day were stationed at the house to identify soldiers. A roving MP was also on hand to keep order. Following is the schedule used by the "Kyoei" house for the various units of the 18th Division while at NaymyoSunday
18th Div. Hdqs. Staff
Monday
Cavalry
Tuesday
Engineers
Wednesday
Day off and weekly physical examThursday
Medics
Friday
Mountain artillery
Saturday
Transport
Officers were allowed to come seven nights a week. The girls complained that even with the schedule congestion was so great that they could not care for all guests, thus causing ill feeling among many of the soldiersSoldiers would come to the house, pay the price and get tickets of cardboard about two inches square with the prior on the left side and the name of the house on the other side. Each soldier's identity or rank was then established after which he "took his turn in line". The girls were allowed the prerogative of refusing a customer. This was often done if the person were too drunkPAY AND LIVING CONDITIONS;

The "house master" received fifty to sixty per cent of the girls' gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the "master". Many "masters" made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articlesIn the latter part of 1943 the Army issued orders that certain girls who had paid their debt could return home. Some of the girls were thus allowed to return to KoreaThe interrogations further show that the health of these girls was good. They were well supplied with all types of contraceptives, and often soldiers would bring their own which had been supplied by the army. They were well trained in looking after both themselves and customers in the matter of hygiene. A regular Japanese Army doctor visited the houses once a week and any girl found diseased was given treatment, secluded, and eventually sent to a hospital. This same procedure was carried on within the ranks of the Army itself, but it is interesting to note that a soldier did not lose pay during the period he was confinedREACTIONS TO JAPANESE SOLDIERS;

In their relations with the Japanese officers and men only two names of any consequence came out of interrogations. They were those of Col. Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina and Maj. Gen.Mizukami, who brought in reinforcements. The two were exact opposites. The former was hard, selfish and repulsive with no consideration for his men; the latter a good, kind man and a fine soldier, with the utmost consideration for those who worked under him. The Colonel was a constant habitué of the houses while the General was never known to have visited them. With the fall of Myitkyina, Col. Maruyama supposedly deserted while Gen. Mizukami committed suicide because he could not evacuate the menSOLDIERS REACTIONS;

The average Japanese soldier is embarrassed about being seen in a "comfort house" according to one of the girls who said, "when the place is packed he is apt to be ashamed if he has to wait in line for his turn". However there were numerous instances of proposals of marriage and in certain cases marriages actually took placeAll the girls agreed that the worst officers and men who came to see them were those who were drunk and leaving for the front the following day. But all likewise agreed that even though very drunk the Japanese soldier never discussed military matters or secrets with them. Though the girls might start the conversation about some military matter the officer or enlisted man would not talk, but would in fact "scold us for discussing such un-lady like subjects. Even Col. Maruyama when drunk would never discuss such matters."

The soldiers would often express how much they enjoyed receiving magazines, letters and newspapers from home. They also mentioned the receipt of "comfort bags" filled with canned goods, magazines, soap, handkerchiefs, toothbrush, miniature doll, lipstick, and wooden clothes. The lipstick and cloths were feminine and the girls couldn't understand why the people at home were sending such articles. They speculated that the sender could only have had themselves or the "native girls"MILITARY SITUATION;

"In the initial attack on Myitleyna and the airstrip about two hundred Japanese died in battle, leaving about two hundred to defend the town. Ammunition was very low"Col. Maruyama dispersed his men. During the following days the enemy were shooting haphazardly everywhere. It was a waste since they didn't seem to aim at any particular thing. The Japanese soldiers on the other hand had orders to fire one shot at a time and only when they were sure of a hit."

Before the enemy attacked on the west airstrip, soldiers stationed around Myitkyina were dispatched elsewhere, to storm the Allied attack in the North and West. About four hundred men were left behind, largely from the 114th Regiment. Evidently Col. Maruyama did not expect the town to be attacked. Later Maj. Gen. Mizukami of the 56th Division brought in reinforcements of more than two regiments but these were unable to hold the townIt was the consensus among the girls that Allied bombings were intense and frightening and because of them they spent most of their last days in foxholes. One or two even carried on work there. The comfort houses were bombed and several of the girls were wounded and killedRETREAT AND CAPTURE;

The story of the retreat and final capture of the "comfort girls" is somewhat vague and confused in their own minds. From various reports it appears that the following occurred: on the night of July 31st a party of sixty three people including the "comfort girls" of three houses (Bakushinro was merged with Kinsui), families, and helpers, started across the Irrawaddy River in small boats. They eventually landed somewhere near Waingmaw, They stayed there until August 4th, but never entered Waingmaw. From there they followed in the path of a group of soldiers until August 7th when there was a skirmish with the enemy and the party split up. The girls were ordered to follow the soldiers after three-hour interval. They did this only to find themselves on the bank of a river with no sign of the soldiers or any mea ns of crossing. They remained in a nearby house until August 10th when they were captured by Kaahin soldiers led by an English officer. They were taken to Myitleyina and then to the Ledo stockade where the interrogation which form the basis of this report took placeREQUESTS

None of the girls appeared to have heard the loudspeaker used at Myitkyina but very did overhear the soldiers mention a "radio broadcast."

They asked that leaflets telling of the capture of the "comfort girls" should not be used for it would endanger the lives of other girls if the Army knew of their capture. They did think it would be a good idea to utilize the fact of their capture in any droppings planned for Korea.


04. 2013年7月26日 22:50:57 : W18zBTaIM6
慰安婦の平均年齢は16,17才

売春婦として認可できるのは18才以上

従って、そもそも売春婦では有りえないんだな


05. どぶさいら 2013年7月27日 04:26:06 : loFw68yS.9s8U : pgZfRTMknk

キウ
お前は、もう要らんよ。
飽き飽きだ。
阿修羅にいつまでもとどマラず、
速やかに、減退に復帰せよ。

06. 2013年7月30日 00:47:45 : niiL5nr8dQ
慰安婦問題、日本版アルジャジーラで独自の発信を
谷山雄二朗氏に聞く「情報戦」に勝つ戦略
2013年07月30日(Tue) 井本 省吾
 日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長が再燃させた「従軍慰安婦」問題。1990年代初めに大きく表面化して以降、この問題は韓国から世界に広がり、日本は「性奴隷を強制した国」という暗いイメージが定着しつつある。

 橋下氏は「それは事実とは違う」と発言した。だが、米軍に風俗産業の活用を勧める発言が伴っていたこともあって強い非難が起こり、米国政府の怒りを買った。結果として日本は人権を軽視する国という負のイメージが強化された面がある。

 だが、秦郁彦氏の労作『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)などにあるように、韓国人慰安婦について日本軍による強制連行の証拠がないのも事実。また、第2次大戦当時や朝鮮戦争、ベトナム戦争時など、慰安婦制度が日本以外にも幅広く存在したことを示す史料が多数見つかっている。

ユーチューブ上の英語スピーチで賛否両論の反響

 日本の「汚名」を晴らし国際社会で「名誉ある地位」を得るため、日本はどうしたらいいのか。

 ブロードキャスター、映像ディレクター、海外テレビ番組の司会者など内外で活動する谷山雄二朗氏は昨年9月、「慰安婦問題の真実」について英語のスピーチ(Geisha,Tony Blair & Comfort Women)をユーチューブで発表、賛否両論を巻き起こし今日に至っている。

 「対外広報機関を作り、中東のアルジャジーラのような放送局やインターネットテレビを作り、正確な歴史史料とともに日本の主張を英語で世界に発信することが肝心です」と言う谷山氏に、日本の国益に沿った情報発信のあり方を語ってもらった。

**************************


谷山雄二朗 (たにやま・ゆうじろう)氏
ブロードキャスター。Japan Broadcasting.net Founder CEO. 小学校時代は南オーストラリアのアデレード、中学時代はタイで生活。慶應微塾大学経済学部卒。英国BBCやITV, オランダRTL, 中国 Hunan-TV など海外テレビ番組に司会者・俳優として出演。映像クリエーター、通訳、作家としても活動。2011年、国際化を訴え東京都知事選に出馬。10,300票獲得するも落選。2012年から尖閣諸島、竹島、慰安婦などをテーマに英語スピーチを開始、YouTubeで発表。内外から賛否両論の反響を受けている。http://JapanBroadcasting.net
井本 2007年の第1次安倍内閣で「日本は軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」という閣議決定がなされました。「強制連行はなかった」というのが公式見解なのに、なぜ世界的な非難が収まらないのでしょうか。

谷山 この問題で日本はスタートラインからずっと負け戦なんです。政府、外務省は有効な反論をほとんどせずに謝罪ばかりしてきました。

 慰安婦問題がマスコミで大きく騒がれて以降、1992年に宮沢喜一首相(当時)は韓国で謝罪を繰り返し、93年には有名な河野談話が出た。河野洋平官房長官(同)による軍の関与があったかのような謝罪談話です。これが致命的でした。

井本 河野談話は2007年の閣議決定と矛盾するのに、今も政府は見直しをしていない。

 だから各国の政府やマスコミ、国連は「強制連行の証拠はないと言っても官房長官は軍の関与があった」と言っているじゃないかと反論する。そこで保守派の間から「河野談話を見直すべきだ」という意見が強まっています。

谷山 政府が反論せず謝罪ばかりしてきたツケを今、日本人全員が払わされています。

 福島の原発事故に例えると、慰安婦問題がゆがんだ形で「水素爆発」を起こした後、その「放射性物質」が世界に飛び散ってしまった。「除染」はきわめて困難です。

勝敗の分岐点だったスマラン慰安所のオランダ女性強制売春事件

 最大のポイントは河野談話ですが、実はもう1つ重要なことがあります。1994年1月のオランダ人慰安婦による東京地裁への提訴です。インドネシアのスマラン慰安所の強制売春事件ですね。その前の92年に被害者の1人が体験を公表しています。今から思うと、あれが勝敗の分岐点でした。

 日本は竹島問題で国際司法裁判所(ICJ)に提訴すると言っていますね。そのICJがあるのはオランダです。“国際法の権威が集結する 国”の女性が「戦時中強制連行され慰安婦にさせられた」と訴えた。これが世界に与えたインパクトは大きかった。このケースは売春宿で働いている女性が戦場の慰安婦となった韓国人とは決定的に違います。

 だまされて慰安婦にされた韓国人女性も少なからずいたでしょうが、シカゴ大学のブルース・カミング氏が自著 『Korea's Place in the Sun』でも述べているように、慰安婦集めをしたのは朝鮮人などの民間業者が多く、日本軍が直接、徴用していたわけではありません。

 一方、オランダの場合は強制連行の証拠があります。日本では被害者の人数は35人とされていますが、英語版ウィキペディアの「Comfort women」にはオランダ政府報告書に基づき300人のオランダ女性が監禁、レイプされたと書かれている。それも1ページ目に真っ先に出てくる。「白人女性が日本軍人にレイプされた!」。この衝撃的な事実は瞬く間に欧米に広がりました。

 日本側がこの事件を軽視したことが、日本が悪質な人権蹂躙国家と見られるようになった決定的要因だったと思います。

「ダースベーダー日本軍」という負のイメージに追い討ち

井本 「慰安婦問題は誤解だ」と反発する日本の保守派は、この件について次のように反論しています。「日本軍によるオランダ人女性の強制連行は出先部隊の一部の軍人による行き過ぎた行動で、日本軍の幹部は気付いてすぐに慰安所を閉鎖させた。また軍幹部たちは戦後BC級裁判の法廷で裁かれ、戦犯として処刑されている。死刑になった人もいる」

谷山 戦犯で裁かれたから、責任はすでに果たしたと言いたいのでしょう。その気持ちは分かりますが、慰安婦問題が世界に広がった大きな要因がこの事件にあったことは確かです。日本の有識者の多くは「責任者は戦後、処刑され罪を償った」と決着済みであるかのように述べていますが、それは違う。

 21世紀は人権の時代であり、法的には決着済みであろうと日本軍人がオランダ人女性をレイプした事実は消え去りません。少なくとも国際社会はまったくそのようには捉えていない。

 だからこそ、国連の「戦場の性暴力」ディスカッションがあると、今でも真っ先に出てくるのが慰安婦問題なのです。ただでさえ戦時中の日本は捕虜の人権尊重を定めた1929年のジュネーヴ条約を批准していなかった。泰緬鉄道建設の際にも捕虜を酷使した。これには反論もあるでしょうが、そうした「ダースベーダー日本軍」という負のイメージに、オランダ人慰安婦がレイプされたスマラン事件がボディブローのように追い打ちをかけている。残念ながらそういう構図なのです。

 ここで恐るべきことは、オランダ人女性の事件は韓国人などアジア人の場合とは性質が違うのに、すべてがいっしょくたになって「日本は外国人女性を性的奴隷にした」という話になって広がってしまっていることです。

 慰安婦問題を追及する韓国人や韓国系米国人は、オランダ人女性事件の「効果」を知って意図的に自分たちの慰安婦問題と結びつけ、日本を非難する声明を世界に発信している面も強いですね。今や韓国内だけでなく、米国にも慰安婦像ができてしまいました。民主主義、言論の自由を標榜するアメリカで既成事実ができてしまった以上、撤去はきわめて困難ですね。

アウシュビッツより1ケタ多い「Comfort women」のヒット数

 今、ネットで Comfort women と打つと、何件ヒットすると思いますか。1億7000万件出てきます。片やAuschwitzは1900万件です。ナチス・ドイツが世紀の大量虐殺をした強制収容所であるアウシュビッツのヒット数より1ケタ多いんです。

 Comfort women には慰安婦問題とは無関係な意味、ジョン・レノンの「ウーマン」の歌詞など歌の中に出てくるようなものも含まれているかもしれませんが、それを差し引いたとしても相当な数です。日本の負のイメージがどれほど世界に飛び散っているか、それを示した数字ですね。

井本 では、どうすればよいですか?

谷山 残念ながら勝利の方程式はありません。この問題が持ち上がったころに早めに着手すべきだったのに、河野談話をはじめ政府が謝罪を繰り返した今、負け戦をひっくり返すのは容易ではありません。しかし、このままでは日本の汚辱の歴史は世界に飛散し、それを子孫に背負わせることになる。すでに国民の誇りを傷つけ、活力を奪っています。損失は計り知れません。

世界のいじめられっ子ニッポン、明確な主張で反撃を

 韓国や中国、欧米もそこを狙っている面がある。日本を道徳的劣位に追い込むことで自分たちの優位を保つ。国家間の情報戦は食うか食われるかの戦いなのです。歴史認識で叩かれる今の日本は、まさに世界のいじめられっ子です。各国は自分がいじめられる側にならないように、いじめっ子集団に加わる傾向がある。子供の世界と同じです。

 だから、いじめられっ子は反撃しなければなりません。日本政府はオランダ人慰安婦の強制連行、レイプについては慰安婦だった女性たちとオランダ政府に対し誠意ある態度を示し、従来の姿勢を堅持する。

 その一方、「風俗産業の形で商売をしていた韓国などアジア人の慰安婦はこれとは異なる。もちろん貧しくて慰安婦にならざるを得なかった女性やだまされて慰安婦になった人々は気の毒だったが、軍による強制連行はなかった」ということを明確に主張する。詳細な史料を、特に「欧米に伝わるカタチで」公開する。

 つまり、オランダ人と韓国などのアジア人の問題を切り離すのです。河野談話もそうした形で見直すことが、この情報戦に勝つための要だと思います。

井本 慰安婦問題は日本が黙っていれば収まる。こちらから「寝た子」を起こす必要はない、ヤブヘビになるという意見もあります。外務省などはその方針のようです。

谷山 「No risk、No victory. 虎穴に入らずんば虎子を得ず」です。第一、日本国内にいる自虐的な反日勢力や韓国の反日勢力は沈静化させようと思っていません。だから何かあれば火がつく。橋下発言は典型的で、反日勢力にとっては飛んで火にいる夏の虫だった。いったん沈静化しても、彼らは同様の発言を手ぐすね引いて待っています。

 それでなくても終戦記念日などのタイミングで、反日勢力は靖国問題などとセットにして慰安婦問題を持ち出してくる。「日本は悪い国なんだ」というイメージを再生産するために。これに対抗するにはオランダの慰安婦問題と線引きする、日本側の情報戦略を打ち出さねばなりません。リスクを怖れて対抗策を打ち出して来なかった外務省こそが批判されるべきです。

井本 韓国憲法裁判所が2011年に「慰安婦問題の解決に韓国政府が努力しないのは違憲」と判断したことも火種になっていますしね。しんどいが、粘り強い努力が必要なのですね。

情報戦略に不可欠な英語での説明、批判を恐れては何も変わらない

谷山 50年、100年かけて取り組む。慰安婦問題はそれくらいの長期的な構えが必要です。韓国や中国は長期間かけて日本を弱体化させる情報戦略を取っているのですから。米国も「戦前、戦中の日本は悪い国だった」という負のイメージを日本に押し付ける点では同じです。情報戦略は今や、物理的な軍備の増強と並んで、国家戦略の要となっています。

井本 具体策としては?

谷山 第一に、英語を駆使することです。聖書やコーランを読んできた人と味噌汁を飲んできた日本人が会って、暗黙の了解なんてことはあり得ません。世界共通の言語=英語で説明、説得するしかない。日本の保守派は雑誌やテレビなど国内メディアでは「慰安婦問題で韓国や米国の言っていることは間違っている」と声高に主張します。ところが、海外に行くとチワワのように静かで、ほとんど何も言いません。英会話が弱いこともあるでしょうが、通訳を雇うなどやり方はいろいろあるのですから、内弁慶だと言われても仕方がない。

 最近は英語で慰安婦問題や尖閣問題について海外に情報を発信する人々も出て来ましたが、まだ質、量的とも大幅に不足しています。個人レベルで英語力を磨き、文字だけでなく音声、映像を活用し、ユーモアや興味深いエピソードも交え、欧米など海外に通用する雄弁で明快な主張をふんだんに展開する必要があります。

 私はそう考えて昨年来、ユーチューブで慰安婦や竹島、尖閣、靖国などの問題について論じてきました。8月には、韓国の3大ネットワークの1つであるテレビ局MBCの番組に出演します。テーマは竹島ですが、英語で発信しているからこそ韓国人ディレクターにも伝わるのですね。

 「ヒール(悪役)にされるから出演は控えたほうがいい」と知人の多くは止めましたが、それこそ典型的な日本人的内向き思考でしょう。他人の目ばかり気にして叩かれるのを恐れている。それじゃ何も変わらない。自己主張あるのみです。

内閣府に諜報部門と対外広報部門を結合した部局を作れ

井本 政府のやるべきことは?

谷山 内閣府の傘下にDCI(Department of Cyber Intelligence=対外広報局)を作り、米ホワイトハウスのような報道官を置くことです。“サイバー”と聞くと諜報部隊をイメージするかもしれませんが、これからの対外広報はデジタル=サイバー空間で勝つことが必須条件であり、この2つは切り離せません。よって諜報部門と対外広報部門を結合したチームを作る。

 諜報で得た情報を、広報の中に時折織り交ぜつつ発信する広報で流す。宣伝戦で勝つ。そして外国メディアに毎日、英語で情報を流し、質疑応答する。日本だけでなく欧米や韓国の歴史資料、外交・軍事の報告書、写真、映像なども含め正確で具体的な証拠を豊富に用意し、分かりやすく、時にユーモアを含んだ英語で説明することが肝心です。

 後々は、アラビア語やスペイン語の報道にも着手する。海外の有力な歴史家が書いた歴史書も適切に活用し、韓国などの反日勢力が反論できないぐらい、丁寧にスピーチするのです。欧米やアジアの優秀な外国人を高給で報道官に雇ってもいい。中国では自国の国益にかなったことを欧米人に発言させています。

 ユーチューブなどサイバー空間で正確な情報を流す一方、「中東のCNN」と言われるアルジャジーラのように衛星放送も行うべきです。興味深いドキュメンタリー番組も作成し、頻繁に放送することが大切です。

 ぼくは中学時代にタイで過ごしましたが、例えばあそこのパタヤビーチを取材し、同ビーチがベトナム戦争以来、米軍の慰安所として発展したことを正確に、詳細にリポートする。客観性を高めるため、リポーターは日本人でなくてタイ人や欧米人にしてもいい。

 米軍内には今でも性的暴行が横行しており、この5月に国防省が「性的暴行年次報告書」を出しました。そこには、2012年度に性的暴行を受けた兵士が2万6000人もいたことが報告されている。そうした内容も米国人リポーターを活用して詳細に報道すればいい。

 韓国軍もベトナム戦争当時、ベトナム人女性を強姦して多数の混血児「ライタイハン」が生まれたという史実があります。この問題を現地にルポした番組を作ってもいい。戦中の日本の慰安婦制度よりも、もっとひどいことが戦中だけでなく、戦後にも各国で起こっている。そうした情報を発信し続けることが「日本だけがひどいことをした」という誤ったイメージを払拭するのに役立つはずです。

中国のCCTV英語版に見る情報発信力の差

井本 米国をあまり刺激すべきではないという意見もあります。アルジャジーラは国際テロ組織アルカイダから送られた同組織の指導者ウサマ・ビンラディンのメッセージ映像を流すなど一時、米国政府に敵視されました。

谷山 米国に脅威を与えるくらい、独自の情報発信をしているということですよ。いたずらにアメリカを刺激するのは得策ではありませんが、欧米とは違う日本独自の視点で放送すべきです。アルジャジーラや英国のBBCに比べるとNHKワールドを見ている外国人はケタ違いに少ない。主張がないからです。

 キャスターはハワイの日系人などで英語はネイティヴですが、基本的に渡された原稿を読んでいるだけ。日本政府の顔色をうかがい、各国からクレームが来そうな番組作りも避けている。

 それに比べると、中国のCCTV英語版は欧米の優れたジャーナリストやキャスターを高い報酬で雇い、質の高い面白い番組を作りながら、中国の国益に沿った「中国から見た世界」を提供しています。中国に対するアフリカ諸国の好感度がなぜ高いのか、我々はそこを考えねばなりません。

井本 海外との軋轢を嫌う外務省は反対しそうですね。

谷山 ですから、内閣直轄にして外務省の横ヤリを入れないようにするんです。内閣人事局を新設し、内閣が人事権を握り、内閣の考える情報戦略を行う。安倍首相は第1次内閣当時の2007年にその構想を持っていました。参院選の自民党圧勝で、この構想を実現させると思います。その中でDCI――対外広報局を作る。

“Cool Japan”は予算のムダ遣い、お金が足りなければBBC方式も

井本 衛星放送もやり独自取材の番組も作るとなると、相当の予算が必要ですね。

谷山 中国は年間、対外広報予算に9000億円も使っているんですよ。イランやロシアもかなりの予算をかけて国際放送やネット番組を作り、英語などによる自前の番組を作っています。これに対して日本はゼロに等しい。で、何にカネを使っているのか。「クール・ジャパン」構想に500億円もかけている。まったく不毛です。外国人に“Cool Japan” と言っても誰も知りません。アニメや漫画などは活力ある民間企業に任せておけばいい。政府が乗り出すのは予算のムダ遣い、役人の天下りを増やすだけです。

 予算が足りないなら英国のBBC方式を取ってもいい。BBCにはスウェーデンのボルボやスイスのロレックスの時計とか、CMが流れる。オリジナリティがあって面白いから企業がCMをつける。NHKワールドはCMを流さない方針ですが、つまらない番組だから企業がCMを流さないとも言えます。

 アルジャジーラはカタールのTV局で、当初は100億円ほどカタール首長が出したファンドで始めましたが、今では海外に映像を提供し、その使用料収入が多いと聞きます。日本でも当初予算として100億円あれば、衛星放送は可能ですね。それで日本のイメージが高まるなら、安い買い物です。

井本 谷山さん自身の今後の情報戦略は?

谷山 私は先月6月に数名の仲間と共にオンラインTV局&プラットフォーム――Japan Broadcasting.net(JB)を立ち上げました。まだテイクオフしたばかりで手探り状態ですが、今後は日本再生に有益な独自番組を作り、英語を主体に、日本語も織り交ぜながら世界に発信していこうと考えています。尖閣諸島一つとっても、完全に情報戦争に突入しており待ったなしの状況です。このグローバルな時代だからこそ、日本人のオピニオンを“オモシロク”世界に発信していく広報ミッションは急務です。

 政府出資や民間出資などの形で資金が確保できれば、我々自身が日本版アルジャジーラを作って衛星放送も展開してみたいと思っています。ともあれ、今はやれるところからやって行きます。


07. 2013年8月01日 16:52:15 : X8K3Jt2Lhg
高給取りの売春婦が東南アジアの島々に連れていかれるわけがないだろう
あほか
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