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学校に「民意」いらない、必要なのは教師自らが自立的に改革を行える環境だ
http://www.asyura2.com/12/senkyo125/msg/587.html
投稿者 鴉 日時 2012 年 2 月 01 日 20:20:28: .W2VWf9VHr9Js
 

 東京や大阪は今「教育改革」に熱心だ。「民意」による教育への政治的介入は一見正しいように見える。私も、官僚による介入よりは、「民意」を背にした政治家による介入の方がまだマシだとも思う。
 が、どちらにしても、教育に関して全くのド素人には変わりない。
 教育のことを最もよく理解しているのは、生まれつきの教育の天才か、でなければ経験豊かな現場の教師だ。
 政治家や官僚などはある意味、教育から最も遠いところにいる。なぜなら政治とは、民主主義つまり多数決の原理に則って、その時々の現実に対応していくことであって、物事の本質を自由にどこまでも追求していく学問とは根本的に違うからだ。

 さて教育の質は、教師の質で決まる。では誰が教師を作るのか。教師自身しかいない。教師自身の自己教育しかない。それがきちんんとできる人こそ教師に相応しい。
 では教師の優劣を誰が判断できるか。教育の専門家である教師、中でもとりわけ優秀な教師、その人が校長に選ばれて判断するのが望ましい。もちろん、保護者、生徒の意見も十分考慮されねばならない。
 つまり本来学校とは、教師、保護者、生徒の三者の完結した世界で運営されるべきであって、基本的にはそれで必要にして十分なのだ。 
 そこに部外者であるド素人の官僚や政治家がのこのこやってきて、学問の本質(すべての主観を排して事実にのみ従う)とは無関係の、単なる一時的な世論の過半数という政治的正当性しか持たない「民意」でもって、学校の中を引っ掻き回していいとするなら、教師、保護者、生徒たちは、自らが好ましいと思える教育環境を実現するためには、授業を一旦中断させて、外に出て政治活動をするしか方法がないが、これはおかしくないか?

 以上の理屈から、私は教育への政治の介入は原則的に反対だ。そもそも教育は公権力から自由であるべきで、今すぐは無茶だが、いずれ数十年後には完全に民営化されるべきで、よって政治が今すべきは、その移行をどうやってスムーズに実現するかということを検討することなのだ。
 前回の投稿の主張と、そのコメント欄での若干の訂正と捕捉で言いたかったことも、結局は上記につきる。
 http://www.asyura2.com/12/senkyo125/msg/150.html

 最後に断っておくが、私はべつに全面的な反石原でも反橋本ではない。部分的に反対しているだけだ。あいつらダメだから私が代わりにやる、とはとても言えない。
 が、例え相手が「民意」の代表であったとしても、最低限の礼儀を弁えてさえいれば、彼らに対するどんな批判も許されるはずだと思っている。   

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コメント
 
01. 鴉 2012年2月01日 20:34:42 : .W2VWf9VHr9Js : FWb7rbCIBQ
 タイトルをミスった。「民意」いらない、ではなく、「民意」はいらない、としたかったのに・・・
 日本語が変だからといって、私を中国人だとか朝鮮人と決め付けないように。

02. 2012年2月01日 20:37:16 : wP6DA4GlB2
な〜にをアホウなことをいってるんだ。
寝言は寝てから言え。w
概念論だけで何ひとつ問題意識がない。
おまえが現行の教育の何を問題と考え、
どうすれば良いかを語ればいいのだ。
総論はもうたくさん。
失せろ!

03. 2012年2月01日 20:51:49 : wP6DA4GlB2
教師が即、「教育」の専門家なのではない。
厳予備校の講師は「教育」の専門家ではない。あれは「受験」の専門家だ。「教育」の専門家ではない。
今の学校の教師のほとんどは「学科」を教える職業人でしかない。
では「教育」の専門家とはなにか?
それは親であれ、道をゆくそこらの路傍の人であれ、教育を真剣に考え始めた人はすべて教育の専門家になりうる。
教師が教育の専門家であるという意味はあくまでも「学科」を効率よく教える職能人という意味だ。
そしてほとんどの教師が落第である。
もちろん教育の専門家なんかであるはずもない。
橋下はまずは「学科」を効率よく職人肌に教えることのできる教師の養成をめざしている。
大学の教師しか務まらない内田樹のような、元窃盗事件を起こして神戸女子学院大学以外のすべての大学で面接に落ちた御仁のタワゴトによれば、教師であれば何か無前提に教育者であるかのような錯覚に陥っていることが歴然。
このバカ投稿者もそんな錯覚に陥っているようだ。
冗談ではない。こんな低能がいるから教育の荒廃が蔓延するのだ。

勘違いもはなはだしい投稿だ。
小学生からやりなおせ!


04. 2012年2月01日 21:22:02 : oGt2NtOuC6

>>02. 2012年2月01日 20:37:16 : wP6DA4GlB2
・・・おまえが現行の教育の何を問題と考え、どうすれば良いかを語ればいいのだ。・・・

○同意
 教育を管理するのは国家か、PTA(民意)か? これについては議論するまでもないだろう。むしろ、今の教育問題は、社会に役に立つ人材を育てていない、自立した人材を育てていない、それを解決するにはどうしたらよいか。そこにあるのでないか。
ジャン


05. 2012年2月01日 22:26:56 : lSdRC0hcDc
>東京や大阪は今「教育改革」に熱心だ。「民意」による教育への政治的介入は一見正しいように見える

いや、あれは民意じゃないし
橋下と石原のただのワガママ


06. 2012年2月01日 23:28:07 : iD1j6dLE8w
私が教育に求めるひとつは、国旗、国歌(国)に隷従させることじゃなくて、主権者たる自覚を持たせ、国、権力を疑う心を育むこと。

07. 鴉 2012年2月02日 01:46:24 : .W2VWf9VHr9Js : FWb7rbCIBQ
>>03
 仰ることはよく分かるし、概ね同意する。しかし、一度自分が教師になったと仮定してみてほしい。
 自分ははあくまでも「学科」を効率よく教える職能人でありたいと思ってみても、それ以外にも部活やら生活指導やらたくさん仕事がある。俺は「学科」に専念したいから皆さん後はよろしく、なんて言っていたら他の教師たちから「ふざけるな」となるだろう。橋本氏はそこまで考えて発言しているのだろうか。
 「学科」を教えるのはあまり上手でないが、部活や生活指導に優れている教師もいるだろうが、では彼らをダメ教師として辞めさせたら、逆に学校が困るのではないだろうか。「学科」を効率よく教える能力は教師に求められているあくまで一つの資質にすぎない。そこが塾とは決定的に違うところだ。
 橋本氏が、学校の教科外活動を全面的に廃止して、学校を塾と同じようなところにすると主張するのなら、彼の言うことにも一貫性があるだろう。しかし、そうしたことを何も言わずに、ただ教師を「学科」を教える職能人としての能力だけで評価するのだとしたら、現場の多くの教師は「評価につながらない」として、教科外活動をさぼるようになるだろうが、本当にそれでいいのか。
 現場を知らない、当事者(教師、親、生徒)でもない人間が外から学校に茶々を入れることは、却って混乱を招くだけで、決して根本的な解決にはならない。だから私は、教育への政治の介入は原則的に反対し、教育のことは教師に任せろ、それが嫌なら自分が教師になって模範を示してみろ、と言いたいのだ。
 ちなみに私自身は教師の経験がない。だから、教育の中身そのもをどうすればいいのかは分からないので、投稿の内容以上のことを言う資格はないと思っている。 ともかく、近頃の教師バッシングの風潮には本当にあきれている。教師を叩くことに一体どんな生産性があるというのか。彼ら自身が創造性を発揮して様々な改革を行えるような環境を政治が整えることが重要だということを、なぜほとんど誰も言わないのか。彼らに今一番必要なのはお金でも地位でもなく、精神的な自由を発揮できる時間的体力的余裕なのだ。政治は余計なことをするなと言いたい。

08. 2012年2月02日 05:15:50 : CDhsMWssjs
「民意(国民の意見)を無視して、教師たちの勝手なイデオロギー教育を税金(国民の金)で行いたい。」

 お断りします


09. 2012年2月02日 10:59:57 : BAZeGCEiYk
>>07
>だから私は、教育への政治の介入は原則的に反対し、教育のことは教師に任せろ、それが嫌なら自分が教師になって模範を示してみろ、と言いたいのだ。

こんなこと言ってるから「私立に行け」って言われるんだよな。
公の支配下に置くのに「市民みんなが教師になれ」なわけがないだろ。
もっとも、公の支配という意味では私立も同じ。
公の支配から外れた学校への補助金は憲法で禁止されている。


10. 鴉 2012年2月02日 16:34:25 : .W2VWf9VHr9Js : FWb7rbCIBQ
>>09
>こんなこと言ってるから「私立に行け」って言われるんだよな。

 この人はなぜ私を教師と決め付けるのだろう。教師の経験はないと私が言っているにもかかわらず。教師を擁護する人間は教師しかいない、教師以外の普通の人はみんな教師なんか大嫌いだと思っているはずだ、とでも思っているのだろうか。
 しかし学生時代に一部の問題教師にひどい目に合わされた経験があって、それで教師全体を恨んでいるのだとしたら、その経験には同情する。しかし、もう少し冷静になってほしいものだ。
 ほとんどの教師はいたって平凡な普通の教師だ。それが私の学生時代の経験だ。そしてその普通の平凡な教師であり続けることだって、実際にやってみれば相当大変なことかもしれない。40人前後の生徒とその親を相手にするだけでも大変なのに、世間では一部の問題教師を念頭に、まるで教師全体が悪いかのように言われているのだから、その心労も相当なものだろう。だから私は彼らに対して一定の敬意を払っているし、実態もろくに知らずに他人の意見に乗っかって安易に教師を批判する人を見ると心底情けなくなる。


11. 2012年2月03日 07:46:35 : oLYlS5sGow
この投稿におおむね同意。良い内容。

05さんのコメントに追加すれば、ワガママというよりアメポチが右翼っぽく見せるための演技だと思う。それか自衛隊の米軍傭兵化計画の一部かも。


12. 2012年2月03日 10:47:09 : BAZeGCEiYk
>>10
揚げ足取って誤魔化してます?
それは論に対してのことですよ。自分の身分に拘るなら、
>もし、発言者が教師なら、こんなこと言ってるから「私立に行け」って言われるんだよな。
に書き直してもまったくかまいせんよ。
あなたの8行のレスなんてこんなもんです。
論で批判されたことに対しては、何ら事態が改善してないではないですか?
もっとも私のレスが短すぎてどんな反論なのか分からなかったのかもしれませんが、
簡単に言えば、憲法89条の「公の支配」という理念ついてどう考えてるのかと言ってるわけです。
素人だからと言って、素人たる一般国民の支配(民意)から逃れて「教師にまかせる」では、この理念は満たされません。

この掲示板では司法の劣化が問題にされてますが、組織というものは安寧状況がつづくと経年劣化していくものです。
それを修正するには外部からの干渉(悪しきものの排除・淘汰)しかありません。
あなたのように「とにかく外部のヤツは素人なので干渉はダメ」という独立派がいるから、
排除のシステムがうまく機能せず、組織全体が劣化していくのです。
司法組織だって同じです(国民審査が機能せず、国会審議は干渉だと批判)。
この点、あなたはどう考えますか?
次の二つのいずれかしかないでしょう。

A:予算が安定的に入る安寧な組織であるにもかかわらず、外部からの批判を排除したままでも組織は劣化しない。
 (そもそも教育は劣化してない、あるいは劣化は別の要因による)
B:上のようなシステム以外で劣化を防ぐととができる。

ちゃんと答えてください。


13. 鴉 2012年2月05日 01:30:42 : .W2VWf9VHr9Js : b49xn1moVw
>>12
 返事遅れました。アクセスが少なく、もう誰も見ていないだろうと思って放置していましたので、気づくのが遅れました。
 さて、あなたの仰ることにすべて答える知識、素養は恐らく無学な私にはないと思いますが、できる範囲でお答えします。
 憲法89条、生まれて初めて読みました。前回の投稿のコメント欄にも書きましたが、私の教育観、主張は憲法を完全に逸脱しています。教育が公のものということはつまり国家のもの、ということになると思います。私はそれはおかしいと思っているわけです。
 そもそも国家とは、成人以上の大人だけが責任を有するものであり、子供には何の責任もありません。投票に行けないわけですから。その国家が、民主主義、ある一時点での過半数の意見という根拠でもって、国家に対して何の意思表示もできない子供をどう教育するかということを全国一律で決めてしまっていいのでしょうか? 民主主義が子供の教育を決定する最善の方法でしょうか? 教育とは教育を志した人間による日々の注意深い人間観察、人はどうやって子供から大人になって行くか、その心理的精神的過程、社会環境が人間に与える影響、その他あらゆる認識を総動員して、その教師の人格すべてをかけて行う極めて厳粛な行為であると私は考えます。
 そして選挙とは何でしょうか。選挙で教育問題を戦わせることはあるとしても、それはたくさんある政治課題のほんのごく一部分です。メインテーマになることはまずありません。これだけでもその投票結果がその教育問題に対する本当の民意かどうかは極めて怪しいわけです。教育問題などまったく考えずに投票する人だってたくさんいますからね。しかも、投票の結果どんな教育が子供になされようと、投票した有権者は少なくとも直接的には何の被害も受けず、何の責任も問われることもありません。直接的な被害者は子供だけです。
 そこで私が前回の投稿で提案したように、学校が完全に民営化され、学校が教師、保護者、子供(は殆ど受身ですが)の手作りで運営されるならどうでしょうか? 責任は教師個人、学校、そして保護者にあることは明白であり、それ以外にはありえません。当事者たちが全責任を負わなくてはならないので、当然、彼らは一生懸命協力し合うようになるでしょう。そういう姿を子供たちは見ながら成長していきます。こちらの方が全然素晴らしいとは思いませんか?
 以上が私の考えです。あなたの質問A、Bに対する答えになっているかどうかわかりません。私の考えは憲法改正が前提です。

14. 2012年2月07日 11:39:02 : BAZeGCEiYk
>>13
予想外でしたが丁寧な返答ありがとうございます。
まず、憲法ですが、憲法に否定的な意見を持つことはまったくかまいません。
しかし、憲法がその条文(89条)によって示した理念は憲法とは別であっても評価されるべきです。
公の支配、すなわち、教育の民主化です。

>教育が公のものということはつまり国家のもの、ということになると思います。私はそれはおかしいと思っているわけです。
>そもそも国家とは、成人以上の大人だけが責任を有するものであり、子供には何の責任もありません。投票に行けないわけですから。
>その国家が、民主主義、ある一時点での過半数の意見という根拠でもって、国家に対して何の意思表示もできない子供をどう教育するかということを
>全国一律で決めてしまっていいのでしょうか? 民主主義が子供の教育を決定する最善の方法でしょうか? 

仰るように国家というより民主主義の問題です。この点に関して民主主義も否定されてるようですが、
私は、最善という意味では民主主義しかないと思ってます。
ただ、民主主義の形態もさまざまあるわけで、全て直接民主主義による方法は適切だと思ってません。
なぜかと言えば、あなたが言ってるように一般市民は愚かで無知だからです。
民主主義は統治を被治者自身が行う(治者被治者の自同性)というものですが、
世の中を知らずに統治が行えるはずがありません。もしあなたが、大阪市の行政を任されたとして、
まともな理性をもった人間なら、次のように言うでしょう。「大坂の行政を研究するので時間と手助けをくれ」と。
これも民意であって、民意が自ら直接的に(直ちに)統治するのを拒んでいるわけです。
そして、誰もが行政の全てを知って統治するには、能力も時間も足りないと悟れば直接民主主義ではなく、
間接民主主義を民主的に選択することになるでしょう。これが現行の政治形態です。
つまり、「愚かで無知な市民」が直接教育内容を判断するのではなく、
教育内容(教育方針)や信頼に必要な人物像を表明した代理人を選べばよいわけです。
この仕組みの中で、より詳しい情報による詳細な教育内容を踏まえた選挙を行うか、
何も考えないですむような人物への信頼でやるか、直接間接の程度は大きな幅で設定可能です。
あなたは教育者に任せるという意見のようですが、人物への信頼でやるならこの後者の方が
間違い排除という意味で優れているでしょう。現行の制度も首長を介した民主主義になってますが、
これで不満なのは、反民主主義の意見ととは、反対に選んだ人物が素人同然でであるということでしょう。
つまり、人物を選ぶことで教育内容の選択が行われてないわけです。
従って、首長介入の危険性への解決方法としては首長ではなく教育長を選挙で選べばいいわけです。
何も選択しなければ、不適切な教師や教育機関のトップが出てきても、それに対応できなくなります。
私が「彼はダメだ」と言っても、他の人が「彼は適正だ」と言うかもしれませんが、
それを解決する方法がなければ問題は解決しません。あなたが独裁者なら、民主的手続きなんて
まどろっこしいことをせずに、優れていると思う教育者に任せればいいわけですが、
実際には誰もが等しく意見を言う権利を持っているわけです。意見の対立は民主的な方法以外に
適切な解決方法はないんじゃないですか?もちろん、議論と情報提供を組み合わせた正常な民主主義ですが。

また、子供の権利についても実は同様の理屈が成り立つわけです。
「愚かで無知な市民」が直接教育内容を判断するのは不適切だと言いましたが、
では、子供はどうですか?
教育という子供が経験したことがない大人の世界で生きていくためのことが、
どうして子供に判断できるのでしょう?
もちろん、分からないなら分からないなりにでも意見を言うのは必要でしょう。
ですが、それも間接民主主義的に行えばいいわけです。つまり、親を代理人として言えばいいでしょう。

で、第二の争点は「教育(者)を選ぶのは(有権者は)誰か?」ということですが、
あなたは当事者(教師自身と保護者)が行うべきだという意見ですよね?
でも、これも民主主義の一種でしょ。例えば地方自治です。
地方のことは地方が決めるわけで、他の地方の住民や国が口出しするのは抑制されています。
そして、地方自治が日本のように国が多く口出しする国と、アメリカのように
中央政府はほとんど外交と防衛に専念していて、地方自治には口出ししないという国もあります。
つまり、あなたのように地方(教育)自治を徹底した方がいいか、広く意見を受け入れるべきか、
民主主義という制度のなかでいくらでも幅を広げることができるのです。
が、広い幅の中でどの位置を選択するかは、これまた民主主義で決めなくてはいけません。
この点、あなたは当事者(教師自身と保護者)限定という意見のようですが、
これはやはり私立学校の考え方です。公立高校は、子供は親だけのものではなく地域や国の担い手であるから、
地域や国で子供を育てるという発想であり、少なくとも、それを受け入れない学校への税金投入は
どうしても理屈に合わないはずです。民主主義ですから、これも意見を争わせればいいですが、
税金投入の理屈は否定できないでしょう。

まとめると、「あなたの不満は民主主義そのものを否定するのではなく、民主主義の範囲内で、
民主主義の形態を民主的に変更することで解決可能だし、少なくともそれしか適切な方法はない」です。


15. 鴉 2012年2月07日 19:37:28 : .W2VWf9VHr9Js : gHQtZOFXnY
>>14
 丁寧なご意見ありがとうございます。あなたの意見と私の意見の相違がはっきりしたように思い、大分すっきりしました。
 
>まとめると、「あなたの不満は民主主義そのものを否定するのではなく、民主主義の範囲内で、民主主義の形態を民主的に変更することで解決可能だし、少なくともそれしか適切な方法はない」です。

 私は民主主義の範囲の外、つまり全私学化の方がはるかに適切だと思っています。
 民主主義国家における公教育は、ある意味危険が少なく、無難で、均質にうまく纏まるという利点はありますが、多様性、創造性という意味では私学に二歩も三歩も劣ります。社会の活性化という意味では、多様な何百何千種類の学校がそれぞれ切磋琢磨して、個性豊かな人材を世に送り出していくことの方が、多少危険性が高まるとはいえ、それは保護者の選択によって排除されていくわけですから、はるかに未来的であると考えています。だから問題はそれをどうスムーズに時間をかけて慎重に実現していくか、ということになるわけです。
 
 とはいえ、まだまだ私の主張は説得力が足りないようです。もっとよく考えて、なぜ私が公教育の廃止と全私学化が必要と考えているか、ということをテーマに次の投稿を準備したいと思っています。そのときにはまた、適切な批判をいただけたらと思います。
 


16. 2012年2月08日 16:30:00 : BAZeGCEiYk
>>15
>ということをテーマに次の投稿を準備したいと思っています。そのときにはまた、適切な批判をいただけたらと思います。

了解しました。ではその時に・・。


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