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猫っかぶりの「Win-Win」が見落としがちなこと  小田島隆  「猫さん五輪消滅」
http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/117.html
投稿者 ダイナモ 日時 2012 年 5 月 11 日 19:23:03: mY9T/8MdR98ug
 

「猫さん五輪消滅」

 という記事の見出しを見て、ただちに状況を把握できた人は、かなりの事情通だと思う。
 私は意味がわからなかった。
 普通の人間は、最初の「猫さん」でつまづく。

「ねこ?」
「ぬこか?」
「なんで猫に敬称がつくんだ?」

 と、そう思った瞬間に、その先に考えが進まなくなる。

 より軽率な人々は「猫さん五輪」という不可思議な言葉に乗っかったカタチでイマジネーションをふくらませてしまう。

「つまり、にゃんこのオリンピックが企画されていたということなの?」
「あら、かわいいかも」
「ニャンリンピック賛成」
「石原閣下は全力で誘致すべき」

 ちなみに解説すれば、当該の記事はネコリンピック招致合戦の帰趨について報告したものではない。猫ひろしという芸名で活躍しているタレントの五輪出場への可能性が消滅した件について述べている。以下引用する。原文はこちら。

《カンボジア国籍を取得しロンドン五輪男子マラソン代表に選ばれたタレントの猫ひろしさんについて、国際陸上競技連盟は「特例」での五輪出場を認めなかった。背景には婚姻など特別な事情を除いた国籍変更について、国際陸連が以前から厳しい姿勢を貫いてきた事情がある。》

 見出しの曖昧さとは裏腹に、記事は明快だ。記者は、「特別枠」での五輪参加について以下のような感想を述べることで文章をしめくくっている(以下の引用はこちら)。

《国際陸連は、全種目を通じて五輪参加標準記録を突破した選手がいない場合、1カ国・地域について男女各1人の五輪出場を認める特別枠を設けている。男子マラソンで五輪参加標準記録B(2時間18分0秒)を突破していない猫さんが一度はカンボジア代表に選ばれたのも、この特別枠の対象としたからだ。

 だが、特別枠は国際陸連が憲章でうたっている「陸上競技の世界的な普及発展」を目的としたもの。他国の選手が国籍を変更して、一つの特別枠を活用することが普及発展につながるのか。こうした疑問に応える理由を持ち得なかった面は否めない。》(毎日新聞)

 よくまとまった記事だと思う。私が付け加えるべき言葉はひとつもない。

 デスクが見出しに「猫さん」を持ってきたのは、おそらく、その方が面白いと思ったからだ。遊び心といえば遊び心。アイキャッチを意識したという意味では、プロ根性だったのかもしれない。

 別の見方もできる。
 もしかして、デスクは、印象として不真面目であることがわかっているからこそ、あえて「猫さん」の見出しを採用したのかもしれない。

「冗談じゃない。オレは意地でもマトモな見出しはつけないぞ」

 と、彼の記者魂が、このたわけたニュースに正攻法の見出しを付けることを拒否したわけだ。
 なるほど。

 通常のスポーツ記事の基準からすれば、「猫ひろし」のところには、日本名カンボジア名のいずれであれ、本人の公式な名称である本名を書かなければならない。
 事実、共同通信をはじめとするいくつかのソースは、『タレントの猫ひろし(本名滝崎邦明)さん(34)』と但し書きを付けた書き方をしている。

 が、それも一行目だけだ。
 二行目以降は、各紙とも「猫さん」「猫ひろしさん」と、おなじみのタレント名称で呼びかけている。読者にとってのわかりやすさを優先したと言えばそれまでだが、要するに、記者は、生身の一個人としての滝崎邦明の五輪挑戦について記事を書いていたわけではなくて、あくまでもタレント猫ひろしの活動にスポットを当てていたのだ。というのも、滝崎某の2時間30分台の走りには何のニュースバリューも無いわけだし、カンボジア国籍を取得した日本人の物語も、それがタレントの知名度とセットになっていない限り、誰も読まないことはわかりきっているからだ。

 オリンピックはもうずいぶん前から、そういうものになっている。
 つまり、競技としての面白さやアスリート個人の優秀さよりも、読者を連れてくる話題としてのニュースバリューや、広告主を引っ張ってくる映像の商品価値が重視されるイベントになっているということだ。

 東京オリンピックが開催された当時、ホスト国である以上当然といえば当然だったのだが、わが国のメディアは、すべての競技を紹介するべく、あらん限りの努力を傾けていた。

 それまで誰も見たことのなかった不思議な競技や、当時の日本人の生活習慣とはまったく無縁な種目にも、十分な放送時間が割かれていた。で、それらの奇妙でわくわくさせる異形の人々による名人芸は、五輪中継を見ていた子供たちの人生に、有形無形の多大な影響をもたらしたのである。

 東京大会の後も、オリンピックが開催される度に、テレビ中継は、あの東京での興奮をなぞるカタチで、最大限仔細に放送された。日本人が出ない競技でも、世界が注目する人気競技には多くの放送時間が割かれ、その大会の注目選手には最大限の敬意が払われていた。

 だから、われら昭和の子供たちは、ジャン・クロード・キリーの名前を暗記し、マーク・スピッツのスイミングフォームをまぶたの裏に刻み、フォズベリーやビーモンの跳躍を何十回も反芻したものなのである。
 それが、いつの頃からなのか、五輪放送は、自国選手中心の応援中継のごときものに変質した。

 時期について言うなら、おそらく、ソウル五輪以降、1990年代の半ば以降からだ。この頃を機に、日本人選手の出場しない種目は、よほどのことが無い限り生放送されないようになった。
 そういえば、この件(←五輪中継の国粋化傾向)についてはいつか書いたことがある。トリノ五輪の中継で、NHKが放送中の男子ダウンヒル決勝の中継を中断して、スノーボード女子ハーフパイプの日本選手滑落映像を流し続けたお話だ。

 ともあれ、私は、この「ガンバレニッポン!」の「日本チャチャチャ」の国粋五輪体制が鬱陶しくて、21世紀に入って以来、五輪に対しては冷淡に構えるようになってしまっている。

 愛国だけなら、そんなにたいした問題ではない。
 私とて、日本人選手の出ている種目を見ている時には、一人の日本人として日本人選手を応援することが多い。だから、日本を応援することが嫌なのではない。
 私がうんざりしているのは、メディアの人たちが「ニッポン」という言葉を使いながら、結局のところ特定の商品の宣伝を展開していることに対してなのだ。

 日本人選手にだけ注目が集まる事情の裏には、広告主の意向がある。
 主だった人気選手は特定のメーカーの商品やブランドのCMキャラクターになっている。そうでない選手にも相乗りのスポンサーが付いている。で、その背後には広告会社の意向があり、その広告代理店が用意した相乗りの船の上に、放送局や新聞社や雑誌やゲーム制作会社といった、すべてのメディア関係者が同乗して大会を盛り上げようとしている。
 とすれば、スポンサーと無縁な外国人選手を画面に登場させる理由はなにも無い。

 この種の商業主義は、「Win-Win」という話で免罪されることになっている。
 たしかに、「商業化」という言葉を使うと、いかにもあくどい商売を連想するが、実際には、誰も損をしているわけではない。そう思えば、これは悪いことではないのかもしれない。
 と、そう思わせる筋立てだ。
 実際に、誰も損をしている人間はいない。ギャランティを得るアスリートがハッピーなのはもちろん、カネを出すスポンサーは巨大な広告効果に満足している。放送局も広告会社も営業機会と収入を得ている。無料放送を享受しているわれわれ視聴者も同様だ。みなさんのおかげ。ありがとうありがとう。

 Win-Winという理屈にはとても抵抗しにくい。
 が、私は、この理屈を疑っている。

 当事者や関係者が一つの大きなパイを分けあっている景色の向こうには、指をくわえてそれを眺めている膨大な数の第三者がいる。彼らは直接に損害を被っているわけではないが、なんとなく気分を害している。この「気分」が、バカにできないぞ、と私は言いたいのである。

 おそらく、猫ひろしの件も、Win-Winな事例として企図された絵図であったはずだ。
 まず、猫ひろしおよび所属事務所の立場からすれば、五輪出場は、絶対的なメリットだ。

 五輪選手の称号は、猫に巨大な知名度と営業機会と生涯にわたる名声をもたらす。事務所にも少なからぬおこぼれが約束される。
 カンボジアの陸連にとっても、悪い取り引きではない。

 裏金があったとかなかったという噂は別にして、競技関係者にとって、日本のメディアがカンボジア国籍の一選手に注目することがもたらす効果はとてつもなく大きい。なにより、カネが落ちるし、国の知名度があがる。それにカンボジア国内向けにも、マラソンという競技の認知度(とても低いらしい)を向上させる結果をもたらす。

 その他、日本のメディアにとっても、本番のマラソン中継用に、サブストーリーがひとつ増えることは大歓迎であるはずだ。
 中継そのものが不調でも、猫の周辺には、バラエティーやドキュメンタリー向けの、安価で手頃なネタが大量に発生する。とすれば、こんなにおいしい話はない。まさに誰も損をしないWin-Winのプロットだ。

 よく似た話がある。

 この20年ほど、高校野球の世界では、「野球留学」の問題が時々話題にのぼる。
 たとえば、この春に開催された第84回センバツ高校野球大会決勝戦で、みごと準優勝を果たした光星学院(青森)の場合、ベンチ入り選手18人のうち、地元青森出身の球児は4人に過ぎない。東日本大震災の被災地(八戸)からの出場ということで、メディアはしきりに美談扱いの記事を書いていたが、その実、選手のほとんどは西日本の出身だ。朝日新聞の見出しによれば「光星学院ベンチは浪速っ子10人、親元離れ北国で成長」。決勝戦のスターティングメンバーも、ほぼ全員が西日本出身者で占められている。

 もちろんこういうケースは珍しくない。
 私の記憶では、最初に移民組の選手が新聞記事になったのは、島根県の江の川高校(当時。現在は「石見智翠館高校」)のケースで、1980年代の終り頃、広島県出身の谷繁元信選手をはじめとする多くの選手が、島根県外から「野球留学」していたことが大きな話題になった。

 強豪校が集中する広島県出身の谷繁選手にしてみれば、確実に甲子園に出場するためには、隣の島根県に転出した方が有利だ。一方、島根県の高校の側からすれば、広島から優秀な選手を呼んでくればほぼ問題なく甲子園大会への出場権を入手することができる。一石二鳥。Win-Winだ。

 青森のケースもほぼ同様。確実に甲子園の土を踏みたい野球どころの球児たちと、他地域の選手の力を借りて甲子園への切符を手に入れたい雪国の高校の思惑が一致した結果だ。

 一見すると、誰も損をしている人間はいない。誰もが幸せになっているように見える。

 でも、少し離れたところから観察してみれば、Win-Winの輪の外にいる、広い範囲の第三者が、少しずつ不愉快な思いをしていることがわかる。

 まず、「野球留学」は、一県一校という甲子園大会の「地域性」の建前を微妙に傷つけている。このことは、甲子園野球というレギュレーションの根本的な価値をかなり本質的な部分で毀損する。

 地元はなんとなくシラけるし、対戦校も面白くない。
「なんだよ。あいつら、青森なのにみんな関西弁じゃん」
 と、甲子園で対戦した敵方のチームは面白くなかったはずだ。

 より直接的な被害を受けているのは、青森県内で野球をやっている青森県出身の高校球児かもしれない。
 彼らは、レベルの違う地方からやってきた落下傘選手たちとの争いに敗れて、甲子園への道を断たれている。まあ、弱いのだから仕方がないといえばそのとおりではあるのだが、哀れではある。


 猫ひろしの例は、ブラジルから世界各地に派遣されている「サッカー移民」や、高校野球における「野球留学」のケースとは微妙に違っている。というのも、猫氏は、競技力を買われてカンボジア陸連の五輪代表に選出されていたわけではないからだ。

 彼が期待されていたのは、競技以外の力だ。
 メディア召集力、観光客誘致力、スポンサー吸着力などなど、たしかに、地元のランナーが逆立ちしてもかなわない能力ではある。が、これらはそもそもアスリートの能力なのだろうか。
 私がこのニュースを聞いた時にいやな感じを受けたのは、おそらく、このポイントだったのだと思う。
 猫はまっしぐらに走っていただけで、その行く先には、たぶんたいしたものは無かったのだ。

 腕一本で世間を渡る流れ者は、定住者の目から見れば、たしかにうさんくさい存在だ。
 が、同時に魅力的でもある。
 古来、西部劇に出てくるガンマンや変身ヒーロー物の主人公は、皆この類型だった。

 猫は違う。
 彼が買われたのは腕とは別の何かだった。
 猫を売ろうとした人々と猫を買おうとした人々の間で、一度は取り引きが成立していたかに見えたが、最終的に、猫はうまく着地することができなかった。
 誰も得をしなかった。誰も幸せにならなかった。Lose-Loseという言葉があるのかどうかは知らないが、わたしたちは、誰もが皆、少しずついやな思いをした。

 で、いま、私たちの前には、三味線の音色だけが残っている。
 なんという悲しい結末だろう。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120510/231863/?bv_ru
 

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コメント
 
01. 2012年5月11日 20:16:15 : dHyRNpLVEM

三味線って、猫の皮でつくるんですよね?w



02. 2012年5月11日 20:42:27 : 5QQxEhYv72
小田島隆。このバカ、いったい何が言いたいのか。
歯に衣など着せないで堂々と思うところを述べればいいのに、いやはや、
頭のいい人は違う。

03. 2012年5月11日 21:50:33 : BDDFeQHT6I
ちょっと足が速いタレントが売名のためオリンピックに出たがる、レベルは市民ランナーより少しマシな程度、こいつがカンボジャのスポーツ振興をジャマするなど日本の恥になるところだった。
何はともあれ、出場できないのは朗報だ。

04. 2012年5月11日 21:56:20 : addy38DRkU
創価批判が出来ないなら書くな

それと
>猫ひろしの例は、ブラジルから世界各地に派遣されている「サッカー移民」や、高校野球における「野球留学」のケースとは微妙に違っている

これは全然違わない
特にアラブの成金国や日本がブラジル人やアフリカ系を帰化させ、代表に入れてるのは馬鹿馬鹿しい

偽善的ダブスタもやめろ


05. 2012年5月12日 11:58:54 : dHyRNpLVEM

カルト社会でも朝鮮人は負け組に転落しているのですね、わかりますw
日の丸カルトに手も足も出ないと、そういうことですねwww



06. 2012年5月13日 22:18:01 : Sa3BLWYHEI
>>04
いや、「微妙に違っている」で正しいよ。

なぜならば、サッカー移民や野球留学の場合、本来のあり方からすれば歪であるとはいえ、「強い選手が活躍するのは当然」という大義名分はある。
猫さんには、それがない。


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