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森本敏防衛大臣が何も出来ずに終わるこれだけの理由  天木直人 
http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/874.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 6 月 05 日 08:51:26: igsppGRN/E9PQ
 

森本敏防衛大臣が何も出来ずに終わるこれだけの理由
http://www.amakiblog.com/archives/2012/06/05/
2012年06月05日 天木直人のブログ


 野田首相が今度の内閣改造のサプライズだと胸を張った
森本敏氏の防衛相起用の裏を6月5日の毎日新聞が書いている。

 実は野田首相は五百旗頭真・前防衛大学校長に打診して
断られていたのだ。

 「死に体」内閣に付き合ってもろくなことはないと見透かされた
のだろう。

 その代わりに起用された森本敏氏の人選だが、私はこれが裏目に
でると思っている。

 なぜか。

 その理由は3つある。

 一つは、彼が自他共に認める日米同盟最優先論者であるが故に、何を
言っても、何をやっても、対米従属だという色眼鏡で見られるのが落ち
だということだ。

 それでも森本氏にそれを跳ね返せる力量があれば別だ。

 しかし彼にはそれがない。

 まず彼は本当の意味での親米保守、日米同盟論者ではない。

 イラク開戦時に米国の攻撃を支持したかと思えば、それが上手く行かなくなって
米国が立ち往生するや、米国は間違っていたなどと言う。

 普天間基地移転問題がどうにもならなくなったのを見て、もはや普天間基地移転
の強行は無理だと言いだして起きながら、防衛大臣に就任するや普天間基地移転しか
ないという事を言い出す。

 要するにその場の雰囲気を見ていう事を変えるテレビ解説者なのだ。

 それ以上の弱点が彼にはある。

 彼はその官僚としてのキャリアにおいても、学者としての実績・地位においても、
この国の支配体制の中では決して一流でないという厳然とした事実だ。

 官僚といい御用学者といい、この国の親米保守の者たちの間の競争意識は
凄まじく、卑しいものがある。

 彼らの多くは、政治任命されて防衛大臣になるのは真っ先に自分だと思って
四股を踏むものばかりだ。売り込もうとしている連中ばかりだ。

 それを差し置いて森本氏が任命された。

 それに対する嫉妬心と反発心は想像にあまりまる・・・・


 

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コメント
 
01. 2012年6月05日 09:10:38 : xiDl6ZrNYg
自民党の有力次期総裁候補である石破も自衛隊出身だから、森本は石破と良い勝負をすると思う。
石破には何かと貶されてきた民主党の防衛大臣にたいして自民党は攻撃目標を失うことになる。
防衛大臣が政治家ではなく民間人であることに批判があるが、最近の防衛大臣が政治家であったことが良かったのかと言いたい。

02. 2012年6月05日 09:46:57 : 9MQ30RH6vI
森本は、麻生内閣で防衛大臣補佐官をやっていた人。
与謝野が菅内閣で入閣したり、これを見ても分かる通り、
自民党と民主党に派閥以上の違いはない。

もうみんな、自民党と民主党がお仲間だって分かっていると思うが、
この同類の二党しか議席が取れない小選挙区制が今の腐った政治状態を生んでいる。

今のままの小選挙区制で何度選挙やっても何もよくなりはしない。

民意が議席に公正に反映される比例代表制に改革して、
ズル、傲慢、専横、欺瞞、猿芝居が利かない公正な議会を作りましょう。
 


03. 2012年6月05日 10:08:57 : PsRFOGd4iw
02を3行もよんでしまったよ。

04. 2012年6月05日 10:33:36 : 9MQ30RH6vI
03は自民党か民主党の工作員なの?

05. 2012年6月05日 12:05:36 : DcxDg6lzRM
森本敏…(苦笑)
自民党時代に戻っちゃった。
野田ブタは自民党と一緒になりたいわけだから当然といえば当然か。

06. 2012年6月05日 12:37:41 : VoHQXX9kmw
森本って。すっかり自民党だな、野田内閣は。
どうしようもないわ、マジで。

07. 2012年6月05日 14:48:34 : DiDb5Qc5EA
田中さん、気の毒やね。人間的には良い人やのに。
「もしもし」発言なんか、テレビで連続に繋いでお笑いにしていたし。
山本一太なんか、後ろの議員の机に頭を打ち付けて、その机をバンバン
叩いて笑い転げていた。学校のいじめを見ている様やった。人間性の問題や!

確かに慣れてないんやけど、良いところも有った。
現場からの苦情が無いんやね! (案外、親分肌かも?)

しかし、打たれ強かったな〜


08. 2012年6月05日 14:51:34 : arDM6dhDWw
>普天間基地移転問題がどうにもならなくなったのを見て、もはや普天間基地移転
の強行は無理だと言いだして起きながら
>防衛大臣に就任するや普天間基地移転しかないという事を言い出す。


あれ、これ鳩山由紀夫じゃね
どうなろうとも、その日の最後に会った人に意見を合わせる
鳩山を超える逸材ではないと思うが


09. 2012年6月05日 14:55:45 : SV0bXd9WQ6
 素人批判を封じただけ。

 専門家かもしれないが米軍基地辺野古移設問題の解決には役に立たないだろう。

 県外および国外移転の考えは無いようだから辺野古移設を沖縄に納得させるしかない。
 日米安保の重要性や東アジアにおける沖縄の戦略的重要性で説得できると思っているのか?

 結局、経済支援を名目に金で沖縄に負担を押しつけておしまいか。


10. 2012年6月05日 15:01:02 : maxkpWHZCo
与謝野のコメントききたいな

11. 2012年6月05日 15:31:06 : h5fBTvQR4U
>>02

2009年衆院選比例配分獲得議席数

自民55、公明21、民主87、その他17、計180

もしこれが全議席で、菅・仙谷系が20人も消費増税に寝返れば、もうとっくに通ってるし。


あんた、ほんとに消費増税反対派? 


12. 2012年6月05日 15:52:02 : gTgjF7Yx2A
表向きは何も出来ないだろうが
裏では色々と進むぞ、これ
天木は、森本のことを風見鶏という評価なんだろうが
元祖風見鶏の中曽根も含め実際は違う

基本は田母神となんら変わらない

立場上カメレオンやってるだけでね


13. 2012年6月05日 17:24:25 : UPdFbAR04Q
何時も石破が何か恰好つけて話すが石破が防衛大臣で何か仕事したか?普天間問題も何もせず、イージス艦事故の時2時間も所在不明で遅れて官邸入りしたではにか。守屋事件で何か責任取ったか?何時も「あってはならない事」と言いだったら「こうします」と一度でも言ったか。あってはならない事をほったらかしが石破ではないか。田中直樹の方が人間が良いだけまし。

14. 2012年6月05日 17:33:23 : jl5OFs1C82
石破は元自衛官じゃないよ。元銀行員だよ。
自衛官ぽいよね〜。クスっ。
野田豚は父親が自衛官だったでしょ?位もたいしたことない父親と森本が
ダブったんだろうね。しょぼ。

15. 2012年6月05日 19:34:38 : 8CYIP2OzWI
石破は慶応卒の会社員。

高知の元防衛大卒自衛官が防衛庁長官になった。建設会社のボンボンだった?名前?顔は覚えている。二枚目だ。この人。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

中谷 元(なかたに げん、1957年10月14日 - )は、日本の政治家、元陸上自衛官(二等陸尉、レンジャー)。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自由民主党高知県連会長。元防衛庁長官(第67代)。
戦前に立憲政友会に所属し衆議院議員を務めた実業家の中谷貞頼は祖父。
目次 [非表示]1 来歴2 人物3 著書4 所属団体・議院連盟5 関連項目6 外部リンク
7 脚注来歴 [編集]

高知県高知市生まれ。土佐高等学校、防衛大学校本科理工学専攻卒業(24期)。陸上自衛官を4年間務め、二等陸尉を最後に退官。その後加藤紘一、今井勇、宮澤喜一衆議院議員の秘書を務めた。
1990年、第39回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で高知県全県区から出馬し、初当選を果たした。小選挙区比例代表並立制導入後、1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は高知県第2区から出馬しており、自民党に猛烈な逆風が吹き荒れた第45回衆議院議員総選挙を含め、対立候補に一度も比例復活を許さずに再選を続けている。
2000年の加藤の乱では、第2次森内閣不信任決議案に賛成票を投じる意向を示した加藤紘一に同調。結果的に加藤派・山崎派の造反は不調に終わったが、中谷は不信任案の採決では欠席した。
2001年に発足した第1次小泉内閣では、史上最年少で防衛庁長官に抜擢された。防衛大学校・陸上自衛官出身者で防衛庁長官に就任したのも中谷が初めてであり、文民統制に関連して一部で議論を呼んだ。
2011年3月、自民党高知県連会長選挙への出馬を表明するが、現職の山本有二も出馬を表明[1]。2004年に会長を公選する規定が導入されていたため、初の会長選挙が実施され[2]、中谷1904票・山本938票で中谷が当選した[3]。
人物 [編集]

陸上自衛隊にいた頃は普通科で部隊勤務した。幹部レンジャー課程を修了、レンジャー教官も務めた。
防衛庁長官在職当時に訪米した際、氏名を「Gen Nakatani」と表記したが、「Gen.」は軍隊での将軍を指す略語で、中谷の事を将軍だとアメリカ側に誤解された、と報道がなされた。また、新聞などでフルネームで役職名を記載する際は誤読防止のため、「中谷元・防衛庁長官」と表記していた。
元秘書にジャーナリストのアレクサンドラ・ハーニーがいる。
著書 [編集]

右でも左でもない政治―リベラルの旗(2007年11月、幻冬舎)ISBN 978-4344014237
誰も書けなかった防衛省の真実(2008年3月、幻冬舎)ISBN 978-4344014770
所属団体・議院連盟 [編集]

日韓議員連盟(常任幹事)
日米平和・文化交流協会(理事)
日朝国交正常化推進議員連盟(幹事)
日本会議国会議員懇談会(副会長)
ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟(副会長)
海事振興連盟(副会長)
公益財団法人日本国防協会(会長)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


16. 2012年6月05日 19:48:14 : 8CYIP2OzWI
半月眼のオタク顔の人:三井だった!名前は中国系渡来人。中国に多い名前。ウイキペディアは為になります。鳥取の石破二朗、米子の赤沢正道、共に国家公安委員長経験者だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

石破 茂(いしば しげる、1957年(昭和32年)2月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。
防衛庁長官(第68・69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)、自由民主党政務調査会長(第52代)などを歴任した。
父親は建設事務次官、鳥取県知事、自治大臣兼国家公安委員会委員長などを歴任した石破二朗。
目次 [非表示] 1 経歴1.1 生い立ち1.2 学生時代〜銀行員時代1.3 政治家として
2 政策2.1 防衛2.2 農政2.3 経済2.4 外交2.5 教育2.6 皇室2.7 外国人参政権
2.8 夫婦別姓2.9 人権救済機関創設に意欲2.10 他党の政策に対して2.10.1 子ども手当3 総裁候補4 発言5 政治資金6 人物像6.1 父・二朗との関係6.2 信仰6.3 趣味・嗜好など6.4 交友関係6.5 その他7 主な所属議員連盟8 略年譜9 家族・親族
10 系譜11 著作11.1 単行本11.2 雑誌12 参考文献13 脚注14 関連項目15 関連人物
16 外部リンク経歴 [編集]

生い立ち [編集]
鳥取県八頭郡郡家町(現八頭町郡家殿)出身[1]。幼少の頃、父・二朗は鳥取県知事を務めていた[2]。
学生時代〜銀行員時代 [編集]
鳥取大学教育学部附属小学校、鳥取大学教育学部附属中学校、慶應義塾高等学校を経て1979年、慶應義塾大学法学部卒業[1]。同年三井銀行に勤務[1]。
政治家として [編集]
1981年、父・二朗が死去。一周忌が済んだ頃、二朗の友人だった田中角栄に呼ばれ、田中から「おまえがあとに出ろ」と強く薦められたことが政界入りのきっかけである[3]。
1986年7月の衆院選で鳥取全県区から立候補して初当選(本来は田中派新人として出馬を希望していたが同区に同現職平林鴻三が居た為、同派内の創政会会長竹下登を頼り中曽根派幹部渡辺美智雄を頼り同派新人として初出馬初当選。)。以後連続当選8回。93年に政治改革法案をめぐって自民党から役職停止処分を受けて笹川尭と共に離党。改革の会、佐藤敬夫属す新党みらいや佐藤静雄 (衆議院議員)や新井将敬属す柿沢自由党含む自由改革連合を経て新進党結党に参加するも、小沢一郎の安全保障政策に失望し、新進党を離党。1997年に自民党に復党する。
もともとは農水族として地歩を築いたが、自身が「国防がライフワーク」と語るとおり、「新国防族」などと呼ばれる安保通として頭角を現し、防衛政務次官、防衛副長官、拉致議連の会長などを務めた。
2002年8月に小泉純一郎首相が翌月の訪朝を決めた際、「拉致被害者全員を連れて帰らなければ倒閣に動く」と発言した[要出典]。訪朝の際の交渉により、拉致被害者のうち5人までが帰国した(北朝鮮による日本人拉致問題を参照)直後に発足した第1次小泉内閣第1次改造内閣において防衛庁長官に指名され、拉致議連の会長を辞任して初入閣した。
その後、有事法制の制定に尽力し、防衛庁長官在任中にイラク戦争が勃発すると自衛隊イラク派遣を決定した。防衛庁長官の在任期間は、坂田道太に次ぐ歴代第2位。2007年、福田康夫内閣で防衛大臣に就任し、2度目の入閣を果たす。翌2008年、福田康夫首相の電撃辞任を受けて実施された自民党総裁選に出馬するも麻生太郎が圧勝し、石破は最下位の5位に終わった。続いて成立した麻生内閣では、前任者たちの多くが不祥事に見舞われ、「鬼門」とされていた農林水産大臣に就任した。
2009年9月29日、前日に自由民主党総裁に選出された谷垣禎一の下で、政調会長に就任(党鳥取県連によると、県選出国会議員からの党三役就任は初めて[4])。
2010年4月14日、会見でたちあがれ日本について、「私自身、新党「たちあがれ日本」に参加した与謝野馨と園田博之とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」「たちあがれ日本とは、「民主党の過半数を阻止しなければならない」という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」[5]と述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、講演でも「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ[6]」と述べ、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。
2010年9月、自民党政調会長に再任。当初、谷垣は石破を退任させ、参院政策審議会長(政調会長代理)の林芳正参院議員を昇格させる人事を構想したが、党内の反対論を受け、石破を政調会長に留任させた。
党役員人事後に設置された自由民主党シャドウ・キャビネット(影の内閣)では、「影の内閣官房長官」に就任した。
自民党が下野した後は、予算委員会などで質問に立つことが多く、首相をはじめとする閣僚に「文民統制が有効に成立する条件とは何か」など様々な質問を行っている。答弁の不十分な点や認識の甘さを指摘しつつ、教え諭すように持論を展開する姿から、「まるで大学の講義のようだ」とインターネットの動画投稿サイトなどを中心に話題となり、新聞・テレビなどのメディアにも取り上げられた[7]。
2011年9月30日、自民党政調会長を退任。(後任は、茂木敏充)。その後、衆議院予算委員会野党筆頭理事、自民党安全保障調査会会長に就任。
政策 [編集]

防衛 [編集]
自民党きっての防衛政策通として知られる。また、「軍事マニア」[8]「防衛オタク」[9]などと呼ばれる。
2003年3月に情報収集機関の調査隊を改組し、防衛庁長官直轄部隊として情報保全隊を組織した。この隊は同月に勃発したイラク戦争に関する世論動向(主に市民団体)の調査をおこなっていたとされる。
徴兵制度の利点を認める発言をしているが、現在の軍隊にはそぐわない制度だとして実際に採用することについては否定している。自民党の憲法改正草案で当初「徴兵制度の禁止」を謳った条文が想定されていたが、石破などの「国家のために生命を懸けることができないような国家を、果たして国家と呼べるのか?」という批判で消滅した。一方で徴兵制導入への反対を主張している[10]のは、ハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに慣れない素人の一般国民を戦闘員として参加させた場合、デメリットの方がはるかに大きいという理由による。
防衛問題を扱った著書『国防』で、論壇から高い評価を得ている[要出典]。ただし、京都府職員労働組合は機関紙『京都府職新聞号外』2005年6月3日において、京都府船井郡丹波町(現・京丹波町)で発生した浅田農産鳥インフルエンザ事件における自衛隊出動についての記述が事実と異なると主張している。
『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』では、しばしば太田光と激しい論争を繰り広げつつ、専門的知見を噛み砕いて解説を行っている。国防政策において太田によく噛み付かれており、番組内では山本一太と共に「天敵」と呼ばれたこともある。太田を特集した『情熱大陸』(2010年5月23日)には、太田を評するコメントを行った。この番組では、国家の安全保障について考える際はあらゆる非常事態を想定せねばならないと発言している。日本と米国が戦争状態に突入したらどうするか、との太田からの質問に対しては「それはありえない」と回答し、日米間の戦争は起こらないと想定している事を示した。また、アメリカの原爆投下については、「日本も原爆を開発する計画があった」「仮に本土決戦が行われていたら相当の犠牲が出ていた」と米国側の認識に一定の理解を示しながらも、2発目(長崎への投下)については「許容範囲を超えている」として米国を批判している。石破は『太田光の私が総理大臣〜』の「アメリカに原爆被害の賠償金を請求します」では原爆被爆者への補償に反対を表明した。
『丸』を愛読し、国防関連の知識を吸収している。『週刊アサ秘ジャーナル』で『丸』から引用した問題を出題されると次々に正解した[いつ?]。「災害派遣時に自衛隊が実弾を発射した相手とは何か」の一問だけは解答できなかったが(正解は海獣[11]、つまりトド駆除)、石破は知らなかったため不正解となった。石破は当初初耳だったため、出題文に衝撃を受け、何度も「災派で撃った!?」と確認し、正解を聞いて驚いていた。
自衛隊を機動的に動かせるような法改正を繰り返し主張しており、特に北朝鮮有事の際の邦人救出の必要性を強調している。2008年の自民党総裁選の際には「動乱が起き、北朝鮮の(日本)国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は(国内法の制約で)助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べた[12]。また2010年5月6日のテレビ番組では、社民党の福島瑞穂に対し、「(朝鮮有事の際に)ソウルやプサンにいる日本人を自衛隊が助け出しに行く。反対ですか?賛成ですか?」「『輸送の安全が確保されない限りは行けない』と書いてあるでしょ。何回この法律の改正を提案しても、反対したのはあなた方じゃないですか。」と質問し、自衛隊法の改正を主張した[13]。 2010年5月23日、テレビ番組で「将来的に日本のような島国に海兵隊が無いのはおかしなことだと思っている」と述べ、日本も海兵隊を持つべきだと主張した。また、日本が海兵隊を持った場合、日本の海兵隊がアメリカ海兵隊と共同で動くことがある可能性にも言及した[14]。

来日したアメリカ合衆国国防長官(当時)のドナルド・ラムズフェルド(右)と記者会見に臨む防衛庁長官時代の石破(2003年11月15日)
来日したアメリカ合衆国国防長官のロバート・ゲーツ(左)と握手を交わす石破(2007年11月8日)
ロバート・ゲーツ(右)と(2007年11月8日)
農政 [編集]
初入閣は防衛庁長官であり、後に防衛大臣も務め、政調会長就任後も予算委員会では主に外交・安全保障を中心に質疑を行っているため国防・安全保障の政策通としての顔が有名だが、元々は農水族であり、農水政務次官を2度務めている。そのため、麻生内閣での農林水産大臣就任は満を持してのものだったという。「農家から防衛しか知らないと思っていたと言われた、農林水産問題を語ってもメディアが報じてくれない」と語ったこともある[15]。
なお、農林水産大臣は松岡利勝の自殺や赤城徳彦、遠藤武彦、太田誠一の相次ぐ辞任により「鬼門」のポストとされていたが、石破は1年間、特に何の問題もなく農水大臣を務めた。ちなみに、農相就任時には、報道のインタビューに対し、「誰から事務引継ぎするの?」と皮肉めいた[16]ほどである。
経済 [編集]
TPP環太平洋戦略的経済連携協定交渉について「参加しない選択はあり得ない」と述べ、交渉参加に賛成する考えを明確にしている[17][18]。
外交 [編集]
外交問題では硬軟織り交ぜた主張をとっており、「タカ派」というわけではない。朝日新聞社の論壇誌『論座』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、北朝鮮への単独制裁に対して疑問を呈している。内閣総理大臣の靖国神社への参拝にも反対を表明し[19]、靖国神社からの「A級戦犯の分祀」を主張している[20]。
北朝鮮問題については、鳥取県が日本海側に位置していることから問題意識が強い。1992年に「見ないで批判するのはいかんだろう」という理由で、自民党・日本社会党・公明党合同の訪朝議員団に参加した。金日成生誕80周年祝賀式典を見た際に、全員が一糸乱れず全く同じ動きをしながら独裁者を賛美する北朝鮮国民の様子に衝撃を受け、以来、その印象の北朝鮮観を抱いている。
教育 [編集]
『論座』において、教育基本法に愛国心を明文化することに反対の姿勢を示した。「愛国心は国が政策面で強制するものではない」というのが理由である(なお、改正教育基本法には「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」と愛国心教育について明記された)。
民主党政権の高校授業料無償化政策については、「いつから高校が義務教育になったのか。中学までの義務教育を充実させることの方が重要ではないか」と疑問を呈している。
皇室 [編集]
2009年12月の天皇特例会見問題では、石破が委員長を務める「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」は民主党政権のとった行動を「陛下の政治利用にあたる」と指摘[21]。石破は民主党政権の対応を「かなり異例[22]」「大事じゃない国はルール通りだが、大事な国はひっくり返して会見するのは政治判断だ。そういうことをしていいのか[23]」「(ルールが)時の政府の意向で左右されることであってはいけない[24]」と民主党政権を重ねて批判した。
2010年(平成22年)2月25日、政府(鳩山由紀夫内閣)が天皇の公的行為に関してまとめた統一見解[25]に関し、官房長官の平野博文(当時)が記者会見で「本来、憲法で言っている概念からいくと、天皇は国政に関する権能を有しないので、政治利用が存在することはあり得ない」と述べ、天皇の政治利用はそもそも存在しないとしたことに対し、石破は「ルールはいらないというなら、憲法の趣旨や陛下の立場を無視した考えられない見解だ」と述べた[26]。
外国人参政権 [編集]
2010年の党大会で日本における外国人参政権について、「憲法上の議論が多く残り、国民的議論も成熟していない。私どもは拙速な法案成立に断固反対する」と述べ、党として法案に反対する考えを表明、また「(憲法上の)住民とは日本国民をさすと考えており、私どもは多くの疑義があると考えている。国の形そのものにかかわる問題だ」[27]、「この問題は国の形そのものにかかわるものだ。憲法のあり方からしても、拙速な法案成立には断固反対していく[28]」と述べた。
夫婦別姓 [編集]
2010年(平成22年)3月3日、記者会見で、民主党政権が目指す選択的夫婦別姓導入を含む民法改正案について「これを待ち望む人々のニーズに応えながら、法案には反対だという姿勢を示したい」と述べた。また、自民党内にある選択的夫婦別姓に賛同する動きについて「党内には(夫婦別姓の)問題点が理解されず、『まあ、いいじゃないか』という風潮があるのも事実だ」と述べた[29]。
人権救済機関創設に意欲 [編集]
2011年(平成23年)3月3日部落解放同盟の全国大会が都内で開かれ、来賓として招かれた各党代表は、解放同盟が求める人権救済機関創設の法整備に意欲を示した。石破は「法律を制定することに与党も野党もない」と述べた[30]。
他党の政策に対して [編集]
子ども手当 [編集]
民主党の政策である子ども手当について、子どもを母国に残した在日外国人も対象になっていることに触れ「(在日外国人であるが)子どもさんは国外にいる。そして、子どもさんは日本国籍を有していない。どう考えても、こういう方々に対して、日本国民の税金を使って支給すべきではない」と述べている[31]。
総裁候補 [編集]
この節には「独自研究」に基づいた記述が含まれているおそれがあります。これを解消するためにある情報の根拠だけではなく、信頼可能な解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。このタグは2009年3月に貼り付けられました。
2006年の自民党総裁選挙では麻生太郎を支持したが、最後まで地元の鳥取県に地理的に近い山口県出身の安倍晋三‎を推薦するか迷っていたようである[32]。2007年の自民党総裁選では福田康夫を支持している。
派内では茂木敏充、伊藤達也といった次代のリーダー候補の中でも経験・知名度とも一歩リードしており、若手を中心に支持を集めているが、かつて離党経験のある「外様」であることも響き、派内の全面的な掌握には至っていない[要出典]。初出馬となった2008年自民党総裁選でも、派は自主投票の方針を決め、一部議員が麻生太郎・与謝野馨を支持した。
自民党が野党となったあとに行われた2009年の総裁選では、与謝野馨から立候補を推されるなど、マスメディアから総裁候補の1人として有力視されるも、前回の総裁選で推薦人となった20人のうち13人が落選するなど、推薦人集めが難航したことなどから立候補を断念し、谷垣禎一への支持を表明した。
2010年の党役員人事では、党組織運動本部長・石原伸晃、広報本部長・小池百合子、そして石破が、それぞれ幹事長、総務会長、政調会長に就任し、党三役は全て50代で占められた。自民党総裁・谷垣は、この人事に関して「次世代のリーダーに三役に入ってもらった」と述べている。
なお、石破は著書『国防』の中で「総理になりたいとは全く思っていない」と述べている[33]。
発言 [編集]
防衛庁長官在任中の2004年3月16日に、自衛隊についての発言で「今まで半分やゆ的に自閉隊と言われていたところがある。自閉症の子供の自閉と書いて自閉隊だ」と述べた[34][35]。石破は、発言について「世間でそのように自衛隊を非難する人がいると言っただけ。自衛隊が内にこもっては駄目だという意図だ」と説明した[36]が、自閉症に対する認識不足であるとの批判を浴び[35][37]、3月19日に発言を陳謝した[38]。
「佐藤正久君の時には大変お世話になった。今後3年後は海、その3年後は空というようにしていきたい。各幕の協力が必要だ」(2007年11月5日、各幕との懇談にて)
防衛大臣在任時、UFOの存在を日本政府としては確認していないという公式見解を出した。
防衛省の航空幕僚長であった田母神俊雄の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。自身のブログでも、かつての部下である田母神を批判した[39]。
イージス艦「あたご」の事故について、事故直後・捜査が入る前に航海長を省へヘリで呼び出し、大臣同席で事情調査をしたことについての民主党の前原誠司の質問「あなたは何をしているんですか?」に、「今はあなたの質問に答えています」と答弁をした。
『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)で核密約について聞かれたとき「秘密をばらすような人間を次官や大臣にするのが間違っている」と発言した。
民主党の選挙対策委員長・石井一の「鳥取・島根は日本のチベット」と発言を聞き、「日本海側の人間はかつて裏日本と言われ悔しい思いをしてきた訳で、地域の人を見下す対応をする人が選挙を仕切っているのが民主党のやり方だ」と批判した[40]。
2010年11月18日に参議院予算委員会にて内閣官房長官・仙谷由人が「暴力装置でもある自衛隊」と述べたことから審議が紛糾して発言の撤回・謝罪に追い込まれた件に関連し、2009年3月30日に当時の現職の農林水産大臣であった石破も民間のシンポジウムにて「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べていた[41]ことが指摘された[42]。この点について石破は、2010年11月19日に自身のブログにて、北朝鮮がなぜあのようなテロ行為を引き起こすのかを説明する上で、政治学上の定義を引用したに過ぎず、自衛隊を名指ししたものではないと釈明した[43]。ただし石破は、清谷信一との共著である『軍事を知らずして平和を語るな』(2006年)にて、暴力装置に自衛隊も含まれるとの旨を以下のように明確に述べたことがある[44]。
「国家という存在は、国の独立や社会の秩序を守るために、暴力装置を合法的に独占・所有しています。それが国家のひとつの定義だろうと。暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察です。日本では自衛隊と警察、それに海上保安庁も含まれます。」
中国共産党系の新聞「世界新聞報」(2008年1月29日)に掲載された石破茂防衛大臣の発言[45]
私は防衛庁長官時代にも靖国神社を参拝したことがない。第二次世界大戦の時に日本の戦争指導者たちは、何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから私は靖国神社に参拝しない、あの戦争は間違いだ、多くの国民は被害者だ
日本には南京大虐殺を否定する人がいる。三十万人も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという。何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ
日本には慰安婦についていろいろな見解があるが、日本軍が関与していたことは間違いない。
日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは、侵略戦争に対する一種の詭弁だ
(中国は日本に対する脅威であるから対中防衛を強化せよという人たちは)何の分析もしないで、中国は日本に対する脅威だと騒いでいる
日本は中国に謝罪すべきだ
事故を起こした福島原発を含め現在ある全ての原発の計画・建設を行い、電力会社や原発を製造したメーカーから多額の献金を受け取っていた自民党の責任が問われる中次のように述べた[46][47][48][49]。
誰が悪い、彼の責任だと言っても詮無き事
東電社員の叱責は事態改善をうながすことにならぬ
福島原発事故は政府による災害だ
人体に影響を与えるような汚染のレベルにはほど遠い
政治資金 [編集]

東京電力や関連企業がパーティー券購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが報じられた。
議員秘書等から依頼に応じパーティー券を購入し、一回あたりの購入額を政治資金収支報告書に記載義務のない20万円以下にして東電からの資金の流れが表面化しないようにしていた[50]。
人物像 [編集]

父・二朗との関係 [編集]
石破が生まれた時、父・二朗は48歳の高齢だった。二朗の秘書をつとめていた高岩迪資によると、石破が誕生した際、二朗は「年寄り子で恥ずかしい」といって病院に行きたがらなかっため、高岩が代理として出掛けていた。病院側では、高岩を茂の父親と間違えることが何度かあったという[51]。
元三井信託銀行社長・土井正三郎(鳥取県米子市出身)によれば、「昭和五十三年初夏の頃石破(二朗)さんから令息・茂君の就職について相談を受けたことがありました[52]。そのとき私は本人の志望会社を認められることを強調し、たまたま入社志望会社の人事担当役員が古くから親交がありましたので、石破(二朗)さんと一緒に訪ねたこともありました[53]。又、令息の学業、クラブ活動の成績等は極めて優秀、希望通り採用内定し、その通知を受けられた、ご両親のご安堵の程が察せられたことを想起しています[54]」という。
信仰 [編集]
母方の曽祖父金森通倫から4代目のクリスチャン(キリスト教徒)であり、日本基督教団鳥取教会に所属している。幼稚園も教会附属で、18歳のときに日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けた。石破は、「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と述べている[55]。
趣味・嗜好など [編集]
高校時代からアイドル歌手グループキャンディーズの大ファンであり、中でもミキ(藤村美樹)がお気に入り。2007年11月15日の守屋武昌元防衛次官に対する証人喚問において、久間章生、額賀福志郎両名の名前が出てきた日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した。キャンディーズの30年ぶりの同窓会では、テレビのインタビューに「キャンディーズは青春そのもの。あの頃を思い出してもっと頑張ろうと思う」と答えている[56][57]。メンバーの一人で解散後女優に転向した田中好子が2011年4月21日に死去した際には「本当の同時代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達を亡くしたような思いだ」とコメントした[58]。
自他ともに認める軍事オタクにして、ミリタリー系プラモデルの愛好家でもある。静岡ホビーショーにおける自衛隊車輌展示も彼の働きかけにより実現したと言われている。少年時代は自動車、タクシー、SLが大好きな車マニア、鉄道マニアでもあった。現在でも戦車や戦闘機のプラモデルを集めるのが趣味のようである。防衛庁長官時代、ロシア国防大臣が来日した際に大臣を喜ばせるために2日間徹夜して空母アドミラル・クズネツォフの模型を組み上げた(この時、「在任中はプラモ制作を我慢する」という自戒を破ったと後に述懐している)。ただ、石破自身は、「子供のころから戦車、戦闘機、軍艦といった、乗り物が好きで、国防や外交について『筋金入りのオタク』という意見や批判はいささか買いかぶりのような気がしてならない」と述べている[59]。また、近頃は「軍艦が好き」「プラモデルが好き」などと言うと、すぐに危ない軍事オタクのように言われるが、それは短絡的な決め付けであるとも述べている[2]。
アニメファン。アニメ専門チャンネル「ファミリー劇場」製作のトーク番組「アニメ問わず語り」(2009年7月16日放送)で、1978年公開の「さらば宇宙戦艦ヤマト」を30分に渡って語っている。中で、「公開後すぐ観に行った。一日4回上映を全て観、それを3日続け、当時、付き合っていた女性に頭がおかしいんじゃないの?と云われた」と告白している。
鉄道ファンでもあり、ブルートレイン「銀河」の廃止の際、寝台券が入手できず残念がった。2010年3月に寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」が廃止された際にもテレビ番組のインタビューに答えている。現在でも鳥取と東京の往復に寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」と特急「スーパーいなば」を利用する姿がたびたび報じられている。雑誌『週刊プレイボーイ』(集英社)2009年2月16日号のインタビュー記事では、「寝台車で過ごす時間は側近にも邪魔されず、好きな事をして過ごせるとても楽しい時間だ」と述べている。
石破自身は喫煙者である。カレーライスとコロッケが好物だが、納豆は苦手であるという。
交友関係 [編集]
コラムニストの泉麻人は、慶應義塾高校での同級生。
民主党の議員では前原誠司と親密。双方とも鳥取県出身[60]で、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝に反対している他、防衛問題でも意見が一致し、共同で本を出版したこともある[61]。鉄道やプラモデルといった、趣味の話題でも話が盛り上がるという。石破が2008年9月に行われた自民党総裁選に立候補したが、これは前原との会話が間接的な原因となったとする報道もある[62]。
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
その他 [編集]
2004年から2005年にかけて、『ULTRAMAN』、『戦国自衛隊1549』、『亡国のイージス』など自衛隊の大規模な協力を得て撮影された映画が公開されたが、これは防衛庁長官を務めていた彼の映画産業への理解が深かったことが大きい。そのため、当時はテロやSFといった大胆なテーマの作品にも自衛隊の協力が得られるのが特徴であった[63]。
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[64]。
2008年12月、政治家をモチーフにした商品を数多く手がける菓子問屋「大藤」から「希望戦士 ISHIDAM」(定価735円)なる商品が、石破の地元である鳥取と秋葉原限定で発売された。同商品は二十世紀梨の果汁入り饅頭で、皮には石破が農水大臣だったことにちなみ、米粉が配合されている。プラモデル風のパッケージには石破をモチーフにしたイラストが描かれており、20種類+シークレット2種類のオリジナル缶バッジが同梱されている。
2010年12月、日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の「絶対に笑ってはいけないスパイ24時」に、防衛問題についてジミー大西と対談するVTRでゲスト出演した。
主な所属議員連盟 [編集]

日本会議国会議員懇談会(副会長)
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
真・保守政策研究会
日韓議員連盟(幹事)
略年譜 [編集]

1957年2月4日 - 建設官僚・石破二朗、和子の長男として生まれる
1969年3月 - 鳥取大学教育学部附属小学校卒業
1972年3月 - 鳥取大学教育学部附属中学校卒業
1975年3月 - 慶應義塾高等学校卒業
1976年12月 - 昭和51年度全日本学生法律討論会第1位
1979年
3月 - 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
4月 - 三井銀行(現三井住友銀行)入行
1983年
1月 - 三井銀行退社
2月 - 木曜クラブ(田中派)事務局勤務
1984年9月 - 同事務局退職
1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙に自民党公認で鳥取全県区より出馬し衆議院議員初当選(全国最年少[1])、政策科学研究所(中曽根派→渡辺派)に所属
1992年12月 - 農林水産政務次官に就任( - 1993年6月)
1993年 - 自民党離党
1994年
4月 - 新生党入党
12月 - 新進党結党参加
1996年10月 - 第41回衆議院議員総選挙で新進党離党。無所属で鳥取1区より出馬し再選、会派「21世紀」に参加
1997年3月 - 自民党復党。小渕派に所属(前年の総選挙では無所属で再選)
2000年7月 - 農林水産総括政務次官 12月 - 防衛総括政務次官に就任
2001年1月 - 防衛庁初代副長官に就任( - 2001年4月)
2002年
3月 - 拉致議連会長に就任
9月 - 防衛庁長官に就任( - 2004年9月)
2004年4月 - 第2次小泉内閣の閣僚の中で麻生太郎・中川昭一とともに国民年金保険料が未払いだったことが発覚
2007年9月 - 福田康夫内閣で防衛大臣に就任( - 2008年8月)
2008年
9月 - 08年自民党総裁選に出馬
9月 - 麻生内閣で農林水産大臣に就任( - 2009年9月)
2009年
1月 - 新設の農政改革担当大臣を兼任( - 2009年9月)
9月 - 09年自民党総裁選に擁立する動きがあったものの自身は出馬せず、谷垣禎一を支援。谷垣のもとで自由民主党政調会長に就任
2010年
4月 - 自民党の政権力委員会(ネクスト・ジャパン)において、谷垣禎一本部長の下、石原伸晃組織運動本部長、小池百合子広報本部長と共に本部長代理に就任
9月 - 党役員人事で政調会長に留任
9月 - 政権力委員会に代わる影の内閣(シャドウ・キャビネット)において、影の官房長官に就任
2011年
9月 - 自民党政調会長を退任。衆議院予算委員会筆頭理事に就任
10月 - 政調会長退任に伴い、影の内閣(シャドウ・キャビネット)における影の官房長官からも退任
12月 - 派閥横断型政策勉強会「さわらび会」を立ち上げる。初会合には38人を集めた
家族・親族 [編集]
父・石破二朗(後列右、昭和14(1939年)夏)
実家
父・二朗(官僚、政治家)
明治41年(1908年)7月〜昭和56年(1981年)9月没
母・和子(官僚金森太郎の長女、宗教家金森通倫の孫)
姉(2人)
自家
妻・佳子(元昭和電工取締役中村明の二女)[65]
長女(東京電力社員)
2011年、東日本大震災の年に東京電力に入社。
二女
系譜 [編集]

石破家(鳥取県八頭郡八頭町郡家殿、鳥取市)


父・石破二朗(後列左端、大正10(1921年)3月、殿尋常高等小学校卒業式記念写真)
家系
石破家は鳥取県八頭郡大御門村大字殿(旧郡家町大字殿、現八頭町郡家殿)の農家だった。八頭町郡家殿は、集落の半数が“石破姓”で、同町は農林業が基幹産業である[66]。
祖父・市造について
祖父・市造は大御門村の村長を長い間つとめた[67]。菩提寺の浄土宗西橋寺住職・河中隆幸によると、「(市造は)自己を飾らぬ豪気不屈な人であったと聞いている」[67]という。鶴田憲治著『因伯青春の譜』によると、「…数期にわたり大御門村の村長をつとめた篤実厳格な人、とくに子供の教育には熱心だった」、「しかし、当時八頭の山村の中農家で二人の男の子を鳥取の中学に出し、さらにそれ以上に進学させることは、それ程容易なことではなかった。」という[68]。二朗は市造について、「若い時から物好きだったと見えまして、他にさきがけて、山を拓いて二十世紀梨を作ったり、御所柿を植えたり、蚕種の製造をやったりなどしておりましたが、どれも成功とまではいかず随分母を困らせていたようでありました。
それでもどこか良いところがあったと見えまして、後年中田政美さんが“君のおとうさんは君より偉かった”と仰言って下さったことがありました。中田さんは御承知の通り、建設事務次官をおやりになり、衆議院議員をなさった方ですが、若い時八頭郡役所にお勤めになった当時、父との御交際があった由であります。事実子供の私の方が出来が悪かったかと思いますが、兎に角有難い父であったと思います。父は昭和十七年冬大東亜戦争勃発前に六十九歳で没しましたが、日米相戦うことになるか否か見極めなければ死ねない、とまで言い、大変な関心を持って居たようでありました。今から考えると若死にのほうだったかと思いますが、大東亜戦争を見ずに亡くなったのは或は幸せだったかもしれません」と述べている[69]。
父・二朗について
父・二朗は東京帝国大学法学部を卒業し内務官僚となり、昭和30年(1955年)11月建設官僚トップの建設事務次官に就任、退官後鳥取県知事を4期務め、昭和49年(1974年)7月参議院議員に当選、昭和55年(1980年)7月自治大臣兼国家公安委員会委員長に就任した。
父・石破二朗
本所厩橋警察署長の正装
昭和12(1937年春)
清貧と努力の人だった[70]。八頭郡郡家町後援会長・平木正男によると、「“家屋敷売っても出来る子には勉強させろ”これは亡父石破市造村長の言葉である[70]。小学校・鳥取一中・高等学校・帝大へ[70]。夏休み帰省の時必らず私の父を訪ねて帰宅、八東川で子供の頃の四つ身の着物に菅笠(すげがさ)姿で魚獲り[70]。破衣破帽で道中饒舌(しゃべ)りまくっての通学姿の石破さん[70]。何処に全甲の頭脳が秘められて居たのか[70]。未だに不思議な性格と頭の良かった石破さんが判らない[70]。将(まさ)にこの親に応えられた此の子石破さんであったかなあ[70]」という。
菩提寺の浄土宗西橋寺住職・河中隆幸によれば、「(二朗)氏誕生の当時家産は必ずしも隆盛であったとはいえないが、両親は青雲の志(せいうんのこころざし).に燃える兄弟の為、祖先から受け継いだあらゆる私財を学費につぎ込み、己の身は倹しく、僅(わずか)な田畑を耕しながら、吾が子の成功を念じておられたものである[67]。両親の苦労に報いるべく苦学に苦学を重ねた彼は、東大法学部を卒業後、内務省、建設省等、あらゆる重要なポストを歴任後、鳥取県知事に立候補したのである[71]」という。
父石破二朗
建設省事務次官当時
1956年(昭和31年)11月)
臼井家(鳥取市)
臼井宗(教育者)は父・二朗の長姉の夫。『続 因伯の医師たち』(森納著) p.88-90によると、「臼井家はもと高田姓を名のっていた。八東郡下私都村峰寺に代々医を業として住み、時には御殿医として藩に仕えたこともあった。臼井家六代目宗順(宋順)の時に峰寺より中私都村市場に移った。宗順に医家を継ぐ男子なく三女のちよに八上郡本角村の医師田淵養玄の二男幾蔵を迎えて婿養子とした。幾蔵の二男宗は教職につき丹比小学校長等をつとめた。宗の子宗雄は鳥取市で眼科医院を開業している。」という。
金森家(熊本県、東京都)
母方の大おじには金森次郎(実業家)、金森五郎(医師)、金森九郎(鉄鋼技師、東大教授)などがいる。ジャパンタイムスの社長、会長、相談役を務め、国際基督教大学の設立に尽力した東ヶ崎潔、元明治学院大学教授浜健夫などは大おばの夫である。元同志社総長牧野虎次長男操の夫人弥生は母和子の従姉に当たる[72]。
            中村明━━━━佳子
                    ┃    ┏女
    石破市造━━━石破二朗     ┣━━━━┫
             ┃      ┃    ┗女
             ┃    ┏石破茂
             ┃    ┃
     浜健夫     ┣━━━━╋女
      ┃      ┃    ┃
     ┏女      ┃    ┗女
     ┃       ┃
     ┣金森太郎━━和子
     ┃
     ┣金森五郎
金森通倫━┫
     ┣女
     ┃┃
     ┃東ヶ崎潔
     ┃
     ┣金森九郎
     ┃
     ┗金森次郎
        ┃
       ┏岸子
 上野吉二郎━┫
       ┗梅子
        ┃
        ┃
        ┃
        ┃  (妻は今里広記の娘)
        ┃   ┏早川二郎
        ┣━━━┫
        ┃   ┗早川一郎
早川智寛    ┃  (妻は牧田与一郎の娘)
  ┃     ┃
  ┃     ┃  (元総理大臣)
  ┃     ┃   ┏佐藤栄作
  ┃     ┃   ┃
  ┃     ┃   ┗岸信介━━━━洋子
  ┃     ┃  (元総理大臣)   ┃        (元総理大臣)
  ┃     ┃            ┣━━━━━━━━━安倍晋三
  ┃     ┃            ┃           ┃
  ┣━━━━早川種三        安倍晋太郎         ┃
  ┃                              ┃
  ┃                ┏女            ┃
  ┃                ┃             ┃
  ┃                ┃松崎昭雄         ┃
  ┃    森永太一郎━森永太平━━┫ ┣━━━━━━━━━━昭恵
  ┃                ┣恵美子
  ┃                ┃
  ┃                ┗森永剛太
┏長子                  ┃
┃                  ┏孝代
┃            城戸崎武━━┫
┃      ┏戸田直温       ┗城戸崎博孝
┃      ┃              ┃
┃      ┣戸田良直 岩間和夫   ┏裕子
┃      ┃      ┣━━━━━┫
┗戸田鋭之助━┻収子  ┏菊子     ┗岩間紀夫
        ┃   ┃
        ┃   ┣盛田正明
        ┣━━━┫
        ┃   ┣盛田和昭
        ┃   ┃
    盛田久左衛門  ┗盛田昭夫
              ┃   ┏盛田英夫
              ┣━━━┫
              ┃   ┗盛田昌夫
      亀井豊治━━━━良子
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


17. 2012年6月05日 21:26:44 : f6FvgRcq3M
石破がオタクの分際で本物のプロの森本氏(アメリカで教授が国防長官なんて普通のことですね)が出てきたら僻んでいるのが笑えた。

三流四流役人の天木が森本を二流と嗤おうとしているのも笑えるが。


18. 2012年6月05日 21:58:04 : AX9RzbOfUg
>彼はその官僚としてのキャリアにおいても、学者としての実績・地位においても、この国の支配体制の中では決して一流でないという厳然とした事実だ。

しかし天木さんもお人が悪いw

ずばりその通りで、森本氏は防衛省時代(当時は3流中の3流官庁、今はやっと2流に格上げ)に、そそのかされて、外務省に入省。防衛省にいた方が、まだ少しは出世できた可能性があるのにも関わらず、欲を出して飛びついた。実は防衛省内でさえもエリート職員の部類ではないのだが。

もちろん、外務省の生え抜きのエリートではない彼は、一流官庁(学歴だけは)の外務省で出世など到底できない。

その後は、拓殖大学で従米路線を突き進む。政府の言いなりとなって、委員などを歴任し、政府に都合の良い言動ばかりを繰り返す。さらに、出世欲以外に、何の信念もなく、まさに学会の風見鶏として、北を向いたり南を向いたり。

一方、天木直人氏は、当時、司法試験と並んで、日本で最も難しいとされた外交官上級試験に、その年、最年少で合格したエリート中のエリートである。当時の外交官試験は、国家公務員試験と違って、20歳になったら誰でも受けられた。

それにもかかわらず、小泉政権のイラク戦争加担に堂々と反対して、信念を通した結果、外務省を追われたのである。彼は現在、TPPにも徹底的に反対している。

日和見で成り上がりの卑怯者(森本)と、超エリートでありながら日本を憂い、信念を貫いて職を辞した天木氏は、まさに、対極の存在。

もっとも、天木さんには、もう少し分析力を付けて頂きたい。経歴の素晴らしさの割には、感情論が多すぎるように思う。日本の外交は米国任せなので、日本の外務省というところは、客観性や分析力を求められないから仕方ないのかもしれないが。


19. 2012年6月05日 22:04:35 : rWmc8odQao
はたともこ氏
「自衛隊に対するシビリアン・コントロールとは

 @内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する
 A防衛大臣は内閣総理大臣の指揮監督を受け自衛隊の隊務を統括する
 B自衛隊の定員、予算、編成及び装備は、国会の議決を要する。

野田総理が言う@があるから良いというものではないのだ。
シビリアン・コントロールとは、国民を代表する国会議員による政治主導。新防衛大臣は防衛政策の専門家で、自民党のクイズ質問はこなせるかもしれないが、政治主導については素人で無資格者。大問題。
 辺野古不可能は日米国会議員の常識になりつつある。政治主導でグアム・テニアンにすべきなのだ。」
https://twitter.com/hatatomoko/status/209982329811251201
https://twitter.com/hatatomoko/status/209982594744455168

森本氏は「無資格者」だそうです。選挙で選ばれた代表でないと「シビリアン」にならないのかもしれませんね。
確かにWikiにも書いてあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%B0%91%E7%B5%B1%E5%88%B6

根拠は「サミュエル・P・ハンティントン、『軍人と国家』、第4章」だそうです。
勉強になります。

ひとつ言えることは森本氏は「文民統制のことを詳しく知らない」ということです。それを自ら証明しちゃいましたね。


20. 2012年6月05日 23:34:07 : eEdDplVwaI
「マスごみにケーション」。

「御用だ〜〜〜」。

今度は、自分で決められるのかな。

国家の仕事は「軍事だけ」、来年度の国家予算は30ちょうでやれ。

普天間そのままが宜し。消費税反対・・・。

以上


21. 2012年6月05日 23:37:17 : f6FvgRcq3M
小出といい天木といい、また団塊か、という他ないのか。

まあそれを支持してる読者も団塊なんだろうけど。


22. 2012年6月05日 23:58:07 : OTagf2huUs
 
h5fBTvQR4Uは、自民党か民主党の工作員。

http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/782.html?c1#c1で完全に論破されてるのに
負け惜しみで何時までも白目充血させて粘着している墓゛
 


23. 2012年6月06日 00:08:36 : f6FvgRcq3M
>>18の伝記は悪意なんだろうが歪んでるな。

防衛大学校に行っていた人が防衛庁に行かなければ詐欺だというのに、防衛庁は三流として、外務省を一流なんて、雅子の親戚か?
しかも防衛庁から外務省への出向とか転省なども普通のことだろう。
40歳時点で在ナイジェリア日本国大使館参事官、外務省情報調査局企画課安全保障政策室長(森本)と外務省中近東アフリカ局アフリカ第2課長(天木)のどちらが偉いのかは知らないが(おそらく20年いた天木のほうが上なのかも)。

その後、植草なんかといっしょにNRIのスタッフをやっていたことも書いてないし、定年後に各種学校の教員をしていたことも無視して拓大のみを強調する。

要するに>>18は古臭い学歴差別とか省歴とかばかりに夢中で、それが説得力があると信じている低能なんだろうな。きっと鳩山由紀夫とか支持してるんじゃないのか?
こんな批判、石破でもできない低レベルで驚いた


24. 2012年6月06日 00:23:47 : AX9RzbOfUg
>23

>要するに>>18は古臭い学歴差別とか省歴とかばかりに夢中で、それが説得力があると信じている低能なんだろうな。

ほう、低脳という言葉を使うのは低脳だね。こんな言葉を使うチンピラに説得力があると思っているのかね?IQが低いな。

学歴差別を気にしているとは、お前はFランか?低学歴のルサンチマンはやめろよ、みっともないぞ。

>防衛庁は三流として、外務省を一流なんて、雅子の親戚か?

当時の社会的評価は、防衛省は3流、外務省は1流である。太田のぶまさ元防衛庁審議官が言っている。日本語が読めないらしいが、わざわざ外務省は「学力では」一流と書いているのに気づかないとは哀れ。

雅子に「さん」くらい付けろよチンピラ。

>こんな批判、石破でもできない低レベルで驚いた

そもそも批判じゃないしな。茶化しただけだ馬鹿。この低IQは救いないな。

こんなに食いついてくるなんて、お前、自衛隊の関係者か?

こんな書き込みに、向きになって低レベルな反論してくる奴は始めて見た。驚いた。


25. 2012年6月06日 06:07:28 : AX9RzbOfUg
>17

>石破がオタクの分際で本物のプロの森本氏(アメリカで教授が国防長官なんて普通のことですね)が出てきたら僻んでいるのが笑えた。

チンピラのお前のほうが笑える。そもそも、軍事馬鹿の石破などを引き合いに出すこと自体が不適切なのであるが、そこまで頭が回らないらしい。

これほどまでにレベルの低いコメントは始めて見た。

>三流四流役人の天木が森本を二流と嗤おうとしているのも笑えるが。

こいつは、社会常識のない低脳だな。 天木は世間的に言えば外務省の一流官僚。森本は3流4流の自衛官崩れのチンピラ。これは社会常識です。勉強しなさい。

しかも、森本は、対米従属の売国奴である。

日刊ゲンダイによると、

森本氏は、自衛隊の準機関紙に記事を寄稿し、鳩山内閣を「米国の対日信頼感をズタズタにしてきた」「非武装中立の社会主義的傾向の強い発想」などと公然と非難しているという。

この点、軍事ジャーナリストの田岡氏は、一般紙ではなく、自衛隊の機関紙で政権を批判するのは間違っており、自衛隊は政治的に中立で政府に忠実であるべきだと言う。

全くだ。自衛隊をけしかけるとは不届きものである。シビリアンコントロールを理解していない素人なのである。このようなチンピラは、f6FvgRcq3M 、というこれまたチンピラくらいしか支持者がいないようだ。

しかも、社会主義がどうとか、全く思想や経済を理解していないようだ。森本氏にできるのは、せいぜい米国にケツを差し出すことくらいである。

f6FvgRcq3Mが、たった一人で森本氏を持ち上げているが、その必死の様は見ていて哀れである。これが信者というものか。彼が立ち直って、まっとうな人生が送れることを望んでやまない。


26. 2012年6月06日 06:12:36 : AX9RzbOfUg
>21

>小出といい天木といい、また団塊か、という他ないのか。
 まあそれを支持してる読者も団塊なんだろうけど。

こんなレベルの低いコメントは始めてみた。

低脳である。

実際、私は団塊世代の子供よりもさらに若い。

思い込みのコメントしかできない低脳は、森本信者の証拠である。


27. 2012年6月06日 11:10:31 : lYqS3YA0vg

森本敏防衛大臣は、
答弁がうまいだけであって、何かが変わるわけではない。

官僚のあやつり人形。
所詮は、前田中大臣と何も変わらない。(笑)

くやしかったら、沖縄米軍基地を解決しろ!
鳩山さんでさえ話題にした。しかし森本敏防衛大臣は・・・・何もしない。


28. 2012年6月06日 11:35:22 : FHVyh15Kso
森本は、普天間騒動の際「海兵隊そのものには抑止効果はない」と海兵隊に抑止効果が無い事を認めたうえで、
「日本が沖縄に米軍基地を認めている状況、日米同盟の存在そのものに『こそ』抑止効果がある」という趣旨の発言をしている。
この発言は、アメリカの自動車や農産物の輸入自由化をすれば、日米関係は良好な関係を維持できる、という単純な忠米ポチ思想ではなく、
日米間が経済関係で利害が対立しても、日米が安全保障体制で一体化できていれば「日米関係は揺らぐことはない」という思想である。
アメリカには面従腹背で経済的利益を与えておけばいい、というものではなく、
アメリカの鼎の一脚にコミットする事で、初めて、アメリカに対し日本の存在意義を示す事もでき、言うべき事も言える様になる、という考えだろう。

問題は、その「思想」が現状では、「憲法における集団的自衛権問題」や「自衛隊と米軍の一体運用」など
「個別の事案として話題になるだけ」で、議論のほとんどが、左側からの憲法9条を含めた
「反対のための反対」しかなく、国家としての「在り方」として議論になっていない。
従来の日本の政治家は、日米間における安全保障問題に関すれば、メアの言う「たかり」ばかりで、
日本として「国家の在り方」を示してこなかった。(非武装中立も冷戦時代のお花畑思想)
だからこそ「政治家ではない人物」として森本が推された、そう考えるべきだろう、米国に推された訳だ。

米国にとって大事な事は、普天間移設ではなく、西太平洋における米軍再編の過程で、日本に「東南アジアにおける米軍の軍事負担の肩代りをして貰う事」にある。
その様な話ができる人物が日本の政治家にはいなかった。
日本では、国の方向性が冷戦時代の思考から抜けられない、しかしアメリカも中国もロシアも世界は動いている、
そのような状況で、森本が防衛大臣に就任した、という事実は結構大きいと思う。


29. 2012年6月06日 14:32:20 : f6FvgRcq3M
>>24
ほう、低脳という言葉を使うのは低脳だね、なんて言ってる奴は低能だね。
めちゃくちゃな伝記も、故意ではなくて低能なゆえだったのか。

外務省のことは良く知らないのだろうが、鈴木宗男の子分をしていた冷や飯組だっていくらなんでもレバノン大使ほどひどい仕事はやらせられないものですよ。
だいたいはもう少しましな国に送られる。
誰でも大使くらいにはなるものだが、レバノンというだけでいかに無能かがよくわかる。

まあ、外務省の親子大使世襲推奨制度を一流とか防衛大学校を出て防衛省に入る
税金非泥棒の悪口とか、もともとの価値観がおかしいのだが、
要するに>>24は 低能 なんですな


30. 2012年6月06日 17:51:31 : duYPjaRE3c
こんなアメポチを大臣に据えたことで野田豚の媚米方針がよく分かる

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