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村議会6月定例会 「国旗と国歌について村長の認識は」との一般質問を頂きました。
http://www.asyura2.com/12/senkyo131/msg/474.html
投稿者 wordblow 日時 2012 年 6 月 15 日 15:46:28: 0b5D99uguBdUI
 

村議会6月定例会 「国旗と国歌について村長の認識は」との一般質問を頂きました。
http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/index.php?f=hp&ci=10685&i=11049

 中川村議会6月定例会で、高橋昭夫議員から、「国旗と国歌について村長の認識は」という一般質問を頂いた。
 一問一答方式のため、受け答えはやりとりの流れに応じた“アドリブ”になっていき、正確に再現することは難しいので、頂いた通告と私の答弁原稿を以下に掲載する。

<一般質問通告>
 小・中学校の入学式や、卒業式の席で、村長は(壇上に上る際、降りる際に)国旗に礼をされていないように思います。このことについて村長のお考えをお聞きしたい。

<答弁原稿>
 たいへんありがたい質問を頂戴しました。ご質問の件については、村民の皆さん方の中にも、いろいろ想像して様々に解釈しておられる方がおられるかもしれません。説明するよい機会を与えていただきました。感謝申し上げます。

 私は、日本を誇りにできる国、自慢できる国にしたいと熱望しています。日本人だけではなく、世界中の人々から尊敬され、愛される国になって欲しい。
 それはどのような国かというと、国民を大切にし、日本と外国の自然や文化を大切にし、外国の人々に対しても、貧困や搾取や抑圧や戦争や災害や病気などで苦しまないで済むように、できる限りの努力をする国です。海外の紛争・戦争に関しても、積極的に仲立ちをして、平和の維持・構築のために働く。災害への支援にも取り組む。
 たとえて言えば、日の丸が、赤十字や赤新月とならぶ、赤日輪とでもいうようなイメージになれば、と思います。
 世界中の人々から敬愛され信頼される国となることが、安全保障にも繋がります。

 これは、私一人の個人的見解ではなく、既に55年以上も前から、日本国憲法の前文に明確に謳われています。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 そして、憲法前文は、次のような言葉で締めくくられています。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

 しかし、現状はまったく程遠いと言わざるを得ません。日本国は、名誉にかけて達成すると誓った理想と目的を、本気で目指したことが、一度でもあったのでしょうか。

 東京電力福島第一原発による災害では、国土も、世界に繋がる海も汚染させました。たくさんの子ども達が、かつての基準なら考えられない高汚染地域に放置されています。そしてまた、安全基準も確立しないまま、目先の経済を優先して、大飯原発の再稼動を急いでいます。放射性廃棄物をモンゴルに捨てようとしたり、原発の海外輸出まで模索しています。
 明治になって日本に組み入れられた琉球は、抑止力のためという本土の勝手な理屈で多くの米軍基地を押し付けられ、さらにまた美しい海岸をつぶして新たな米軍基地を造ろうとする動きがあります。イラク戦争に協力し、劣化ウラン弾で子どもたちが苦しめらることにも、日本は加担しました。兵器輸出の緩和さえ模索しています。
 他にも、福祉を削り落として、貧困を自己責任に転嫁するなど、言い出せばきりがありません。ともかく今の日本は、誇りにできる状態から程遠いと言わざるを得ません。

 しかしながら、誇りにできる状態にないから、国旗に一礼をしない、ということではありません。完璧な理想国歌家(twitterで誤字を指摘頂いた。多謝)はあり得ないでしょう。しかし、理想を目指すことはできる。しかし、そのそぶりさえ日本にはない。それが問題です。
 
 もっと問題なのは、名誉にかけて誓った理想を足蹴にして気にもしない今の日本を、一部の人たちが、褒め称え全面的に肯定させようとしている点です。この人たちは、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています。
 声高に主張され、人々を従わせようとする空気に従うことこそが、日本の国の足を引っ張り、誇れる国から遠ざける元凶だと思います。
 人々を従わせようとする空気に抵抗することによって、日本という国はどうあるべきか、ひとりひとりが考えを表明し、自由に議論しあえる空気が生まれ、それによって日本は良い方向に動き出すことができるようになります。
 人々に同じ空気を強制して現状のままの日本を肯定させようとする風潮に対して、風穴を開け、誰もが考えを自由に表明しあい、あるべき日本、目指すべき日本を皆で模索しあうことによって、誇りにできる日本、世界から敬愛され信頼される日本が築かれる。日本を誇りにできる国、世界から敬愛される国にするために、頭ごなしに押しつけ型にはめようとする風潮があるうちは、国旗への一礼はなるべく控えようと考えております。
<以上、初回答弁の原稿>


<一問一答のやりとりの最後(要旨)>
Q:村長は子供たちが国旗に礼をしないようになる方がいいと考えているのか?
A:教育内容について行政から口を挟むことは控えるべきだと考える。なにをどう教えるかは、教育委員会の管轄である。国旗に対して、どういう態度を取るべき、とか、取るべきでない、とか、これまでも申し上げたことはないし、今後も申し上げるつもりはない。

<新聞記者(信濃毎日新聞、長野日報)との取材でのやりとりの最後(要旨)>
Q:子どもたちには、どうあって欲しいと思っているのか?
A:いろいろな人がいて、いろいろな考え方があるのだな、と感じてもらえれば嬉しい。その上で、自分はどう考えるのか、じっくり検討して欲しい。こういう態度を取らねばならないと、ただひとつの形しか提示しないのは問題。型にはめようとするのはよくない。「まぁ、この場は空気を読んでこう振る舞うのが大人だし…」というような対応を積み重ねた結果、曾て、場の空気に絡め取られ戦争に向けて後戻りできない状況に陥り、後悔したのではなかったか。どういうものであれ、自分の感じ方、思いを気安く表明できる「空気」を創っていくことが大事。それによって、互いに議論が深まり、理想の日本、あるべき日本、目指すべき日本が模索され、その結果が皆に共有されていけば嬉しい。

2012年6月12日 曽我逸郎


==引用おわり===


投稿者にはコメントの余地すらない。
阿修羅に集まる賢者のみなさんは、どうお読みになるだろう。  

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コメント
 
01. 2012年6月15日 18:18:49 : eLTWmH5V4s
この村長の発言は何もかも間違っており、まともな箇所が一つもない。嘆かわしきは、かかる幼稚な考えを得意げに披露する日本人の精神年齢の低さである。

一体この国は、どこの猿の惑星か。


02. 2012年6月15日 19:14:24 : vWdID5IVFI

 >問題なのは、名誉にかけて誓った理想を足蹴にして気にもしない今の日本を、一部の人たちが、褒め称え全面的に肯定させようとしている点です。この人たちは、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています。

 曽我村長の言うとおりだな。俺も旗に頭を下げるのは御免こうむりたいね。偉い人たちは、壇上の旗に頭を下げるようだが。そのうち桜や菊(国花)・雉(国鳥)・水晶(国石)などにも頭を下げるようになるのだろう。

 ぜひ聞いておきたいのだが、旗に頭を下げる人たちは、業者の作った大きく立派な布の「日の丸」だけでなく、子供の作った小さな紙の「日の丸」にも頭を下げるのだろうな。あははは。


03. 2012年6月15日 19:38:56 : esmsVHFkrM

戦前ご真影(天皇の肖像画)、いまや国旗か。

そんなものに頭を下げなくちゃいけないような国にいつ成り下がったというのだ。

頭を下げたいやつは勝手に下げればいい。それはそいつの趣味だ。頭を下げたくない人間は下げない。当然だ。なにものにも命令されないし強制されない。それが民主主義だ。

日本国は日本国憲法による民主主義国家だ。これが気に入らないやつは出て行け。民主主義が嫌いなやつは出て行け。

そんなに思想信条の自由を踏みにじって他人を強制して何かに頭を下げさせたりしたい人間は、北朝鮮へ行け。北朝鮮なら今でもそれをやっている。

右翼保守の連中はどういうつもりだ。いったん国を滅ぼしたくせに、まだ足りないと言うのか。お前らの言う通りになってたまるか。また300万の日本人が死に2000万のアジア人を殺してたまるか。

そんなに民主主義が嫌いならこの国から出て行け。



04. 2012年6月15日 19:50:39 : Q5D5fFKwyw
長野県の中川村村長の蘇我逸郎氏であるところまで行き着くのに、苦労しました。
ここは共産党の議員が二人、後は全部無所属。大飯町の議会を思い出しました。

もしや「しんぶん赤旗」にも採り上げられたことがあったかもしれませんが、インパクトはなく、驚くことにはここのホームページに顔写真さえも無いのです。
たいていのホームページでは区長やら村長の顔写真は出てきますよね。

ともかく、阿修羅の記事としては、ありがたく、何よりも、言葉を知っている村長さんにはっとしたものです。原発をめぐり、「あ」議長の辞任劇やら金亡者の殺人鬼やらばかりを見せつけられて、正直気がふさぐことばかりの日々に、一筋の光を見た思いです。
 今日は、小出さんの大飯町原発問題の肉声をきき、曽我逸郎村長さを知り、そしてもう一人、村上達也東海村村長を発見し、あらためて、まともな人も自治体のどこかにはいらっしゃると確信した思いです。

できるなら、人間に近づきたい、人間の友達を多く作りたいと思います。


05. 2012年6月15日 20:33:03 : F1kAE6rayw
日本が克服しなければならない根本的問題は、日本民族の宿痾ともいえる「自我の脆弱さ」である。憲法は不磨の大典ではなく、理性によって設計されるべきものだ、ということが、十人並みの日本人はどうしても分からない。日本の大衆は、公私の区別すらつかない。国家の何たるかについても、何らの観念も有さない。

要するに日本人には理性も想像力もない。国家を否定することは、民主主義を否定することである。国家がなければ、本来民主主義もないのである。当たり前の話ではないか。

暴力を法で統御するのが権力であり、その主体が国家であるという当たり前のことが、どうして分からないのか
。国家を否定することは、無制限の暴力の氾濫を招くに等しいということが、なぜ分からないのか。今日まで戦後日本はアメリカの保護国として安閑に暮らしてきたため、日本人は無法無秩序の恐ろしさをすっかり忘れてしまっている。日本の国家を否定することは、日本人の生活を、外国の軍事力に直接さらす事と同じであり、市民社会の秩序を破壊しようとする外国人や左翼勢力を放任することと同じである。そんなことが分からないのか。

国家を否定するのは、市民にテロを加えているのと同じである。国家を否定するものに人権などない。なぜなら、国家なしに人権保障はありえないからだ。憲法を不磨の大典と信じるような奴隷に、主権者たるの資格はない。「日本国憲法」なる文章は永遠の真理などではなく、国民の議論を通じて自由に改変しうるものである。

日本国民は、日本の国家の主権者であるという自覚を持たねばならない。

日本の国家を否定するものは、わが国の国家権力による保護を受けるべきではなかろう。国家を否定するものには、命の保障も財産の保障もないのである。嘘だと思うなら、税金の支払いを拒否し、自分の所有地で独立国宣言をし、税務署や警察を断固として実力排除すればよい。最終的には、警察は君に発砲するであろう。国家を否定する輩は、殺されても文句を言えないのである。日本は主権国家である。わが国は敵を排除し国家主権を防衛する自然権を有する。

主権者という自覚もなく、それ以前に人間らしい理性も想像力もなく、自国を否定して自分の人権を否定するような輩は、刑務所にぶち込めばよいと個人的には考える。そんな猿にも等しい輩が国民面をして存在していることそのものが、まともな日本人にとって迷惑である。


06. 2012年6月15日 23:33:12 : esmsVHFkrM

まったく民主主義国家とは何か、そもそも民主主義とは何かと言うことを理解できない人間がいるらしい。

自由民主主義はアメリカ独立革命とフランス大革命によって実現された。その思想は自然権と人民主権だ。

それを示す歴史文献を挙げよう。

まず、アメリカ独立宣言に影響を与えたヴァージニア権利章典は以下のように規定する。

「第1条 全ての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、一定の生来の権利を有している。それらの権利は、人々が社会のある状態に加わったときに、いかなる盟約によっても、人々の子孫に与えないでおいたり、彼らから奪うことはできない。すなわち、財産を獲得して所有し、幸福と安全を追求し獲得する手段と共に生命と自由を教授する権利である。

第2条 あらゆる権力は人民に与えられそれ故に人民から得られる。行政官は人民の被信託者であり僕であって、常に人民に従うものである。

第3条 政府は人民、国家あるいは社会の共通の利益、保護および安全のために制度化されるものであり、あるいはされるべきである。様々な様式や形態の政府の中でも、最大限の幸福と安全を生み出すことができ、悪政の危険に対して最も効果的に防御されているのが最善である。いかなる政府もこれらの目的について不適切であるとか反していると認められたときには、公共の福祉に最も資すると判断される方法で、政府を改革し、置き換え、あるいは廃止する疑いも無く、不可分で剥奪できない権利を社会の多数派が持っている」。

また、アメリカ独立宣言は同じ思想をこのように述べている。

「我らは以下の諸事実を自明なものと見なす.すべての人間は平等につくられている.創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている.これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ.その正当な権力は被統治者の同意に基づいている.いかなる形態であれ政府がこれらの目的にとって破壊的となるときには,それを改めまたは廃止し,新たな政府を設立し,人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方でその政府の基礎を据え,その権力を組織することは,人民の権利である」。

フランス人権宣言でも同じ思想がこう規定されている。

「第1条(自由・権利の平等)
人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。

第2条(政治的結合の目的と権利の種類)
すべての政治的結合の目的は、人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全にある。これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である。

第3条(国民主権)
すべての主権の淵源(えんげん=みなもと)は、本質的に国民にある。いかなる団体も、いかなる個人も、国民から明示的に発しない権威を行使することはできない」。

これらの文書に述べられた思想を要約すればこうだ。

人間は生まれながらの権利(自然権)として生存と自由と幸福を追求する権利(基本的人権)を保有していてそれは何者によっても奪うことができない。そのような基本的人権をよりよく追求するために人間相互間の契約として国家を組織する(社会契約論)。国家の権威は人民に由来しその権力の行使は人民の同意を必要とする。それゆえに、いったん組織された国家がその目的である人民の基本的人権の保障と増進に反するときには人民はそれを作り直す権利(抵抗権ないしは革命権)を有する。

これは、民主主義以前の政治体制、即ち北米十三植民地に対するイギリスの強権的支配とフランス絶対王政下における暴政、の下での人民の過酷な政治経験に根ざしたものだ。それらの政治体制において人民はその政治的自由を著しく制限され、その生命や自由や財産は国家の恣意的な権力行使により容易に奪われることが日常であった。

自由民主主義思想とはまずこのような国家の恣意的な権力行使から人民の生命と自由と財産を守るための武器として構想され、そのために人民の生存と自由と幸福追求は天与の基本的人権で何者にも奪われないものとして王の恣意的な権力に対抗された。次に、それをより確実にするために、さらに進んで国家そのものも人民が自ら組織するもので国家権力の行使は人民の同意を必要とし、国家がそれに背くときには人民がそれを作り直す権利があるとまでされたのだ。

日本国憲法はこの思想と原則をその歴史的由来も含めて明確に規定している。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」。(前文)

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
 
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。

これが民主主義だ。これが民主主義国日本の国家原理だ。

民主主義はもちろん国家そのものを否定するものではない。しかし国家とか権力は一切の制限を受けないとき恣意性に流れ暴走する。それは中国皇帝政治、ヨーロッパ絶対王政、日本の中世武家支配体制、ヨーロッパファシズム、天皇制超国家主義、ソ連型共産主義国家等々の苛政が良く示すものだ。それだからこそ、民主主義の要諦は、ともすれば専制的になりがちな国家のあり方に対して、いかにそれを制限して国家の示威的な権力行使から人民の生命と自由と幸福の追求を守るかということにある。そのための自然権・基本的人権であり、人民主権と革命権だ。

これをまったく理解しないで、このような民主主義的原理が国家を否定するものだと主張する人間がいる。信じがたい無知と理解力の欠落だ。

民主主義が否定するのは、人民の基本的人権を容易に侵害するような恣意的な権力行使とそれを許すような国家体制だ。日本においては戦前の天皇制超国家主義がそれだ。民主主義が要求する国家は恣意的な権力行使を許さない国家であって、それは基本的人権の尊重と人民主権に基づく国家だ。それこそが日本国憲法が正しく尊重されたときに日本に現れるはずの民主主義国家だ。

今、国旗に対する礼を強制するかのような議論を聞くとき、その戦前における天皇の写真や肖像画に対する礼拝の強制との類似を思わずにはいられない。どちらも単なる「もの」に過ぎないのにそれに国家神話が付与されることで国家そのものの権威と化す。その国家神話とは何かと言えば、戦前においては万世一系の天皇と言う空虚な観念であり、現在においては、私には理解できない空虚な「愛国」という観念なのだろう。どちらも空虚だ。しかしこの空虚こそが国家権力の恣意的な行使を可能にする。この究極的な無責任こそが国家を超国家主義に導くのだ。

民主主義はそれを許さないはずだ。民主主義とはそのような国家の本質の空虚化に反対し国家をあくまで実体のある形而下の存在、すなわち、基本的人権を守り増進させるための人民の装置とするものだ。民主主義下における人民とは、主権者として自らが作ったそのような政治装置を運用して基本的人権の尊重と増進を実現するとともに、ともすると恣意的になりがちな権力の行使と国家のあり方を適切に防止することのできる、知恵と主体性を備えた自立した市民だ。

人民がそのような主体的な市民でなければ、容易に「空気」に盲従して空虚な国家神話に幻惑され恣意的な権力行使とそのような権力的な国家のあり方を受け入れるばかりかそれに積極的に協力してしまう。それが戦前に起こったことで、天皇制超国家主義の歴史はそのような主体的な個人が確立されていない戦前の人民のあり方を示すものだ。

そして今、民主主義国家の主権者に足る主体的な自立した市民が日本から急速に消えつつあるようだ。

こんなことは一昔前であれば常識であったのに、どうして私は長々と書かなければならないのか。この投稿の村長(長野県中川村村蘇我逸郎町長)の当然の見解がどうして議論を呼ぶのか。

日本の民主主義はどうなってしまうのか。

一民主主義者としての私の嘆きは深い。



07. 2012年6月16日 00:20:15 : i3HbmJSFXw
フランスもアメリカも、軍隊も核兵器もを所有する基本的にタカ派の国家であり、国益の追求が当然のものとされる国である。米仏には、外国人の立場から日本を攻撃するようないわゆる「日本的サヨク」は存在しない。いわゆるサヨクは日本以外のどこにも存在しないであろう。

なぜか?

西洋人は日本人と違い、確立した自我を持っている。「自国の利益」を追求するのは当たり前であり、「自分自身の利益」を追求するのも当たり前であり、宗教哲学思想の領域においても「自分の意見」を主張するのが、当たり前なのである。

自我を確立するとは、物事を自分の目で見ることをである。それが当たり前である西洋社会において、人権思想は発達したのである。

日本人は、西洋的な確立した自我を持っていない。核も軍隊もない日本が、むしろ人権保障の水準において、西洋視点で言えば、後進的なのである。日本のサヨクが言う人権論、民主主義論は根本的に倒錯していることを示している。

西欧人にとっては、「アメリカの正義」「フランス共和国」「ドイツの秩序」などはすべて自明の前提であり、その上で自分の利益を守るために「人権」がある。一方で日本人は、自国の国益さえ考えない幼稚な人種である。人権概念を西洋と同じ意味で理解するためには、まずムラ社会的メンタリティを脱し、公共精神を確立することが前提となる。西欧型社会では個人と公共の関係が法によって規定されることが、まず当たり前の前提なのである。

そういう基本的な差異を理解しない>06の議論はまったく無意意味である。西洋の伝統はもとより、日本の現状すら理解せぬものが、西洋の原典を引いたり「日本国憲法」など引用しても、空想的な議論にしかならない。日本人は、国旗国家を「軍国主義」「「天皇制」などと安直に結びつけ、反民主的なものと観念するようなセンチメンタリズムを卒業するべきである。


08. 2012年6月16日 09:27:53 : vWdID5IVFI
 
 >07 日本人は、国旗国家(歌?)を「軍国主義」「「天皇制」などと安直に結びつけ、反民主的なものと観念するようなセンチメンタリズムを卒業するべきである。

 そうではないのだな。曽我村長が問題にしているのは、「一部の人たちが国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしている」ことだ。つまり、旗に敬礼させようとすることについてだ。

 で、07氏は当然「日の丸」に頭を下げるのだろうから、ぜひ聞いておきたいのだが、07氏は業者の作った大きく立派な布の「日の丸」だけでなく、子供の作った小さく貧弱な紙の「日の丸」にも頭を下げるのだろうな。 
 


09. 2012年6月16日 13:58:31 : esmsVHFkrM

>>06ですが、

「そういう基本的な差異を理解しない>06の議論はまったく無意意味である」と名指しされちゃったんであえて言わせてもらうけれど、

君が言ってることはおかしくないか。

そもそも君の用語が政治学の普通の理解と異なるしそのうえ論理が飛躍するのでそれを辿るのは困難だが、そもそも私が理解していないと批判された「基本的な差異」とは、「西洋人は日本人と違い、確立した自我を持っている」が「日本人は、西洋的な確立した自我を持っていない」ということなのだろう。

それで、その「確立した自我」とは何かと見れば、「自我を確立するとは、物事を自分の目で見ることをである。それが当たり前である西洋社会において、人権思想は発達したのである」として、その「自我の確立」と人権思想の発達との関係について「西欧人にとっては、「アメリカの正義」「フランス共和国」「ドイツの秩序」などはすべて自明の前提であり、その上で自分の利益を守るために「人権」がある」としている(そうとしか読めないが)。

でもこれって残念ながら歴史的事実に反している。

アメリカについて言えば、人権と民主主義が確立した独立革命当時の北米十三植民地においては、アメリカなどという国家の観念はまったくない。したがって当然「アメリカの正義」などという概念もなく、それがアメリカにおける人権概念成立の前提でなどありえない。1778年の独立宣言後に至っても個別の十三植民地はそもそも単一国家を構成するのかを巡って紛糾し、アレキサンダー・ハミルトンら連邦主義者が州権論者との論争で勝利していなければ十三植民地は合衆国という単一国家となっておらず超大国アメリカも有り得なかったことはアメリカ史の常識だ。アメリカ合衆国がなければ19世紀のマニフェスト・デスティニーとかアメリカの自由(君が「アメリカの正義」と呼ぶのはこれのことだと理解するが)もありえなかったのだから、順序はアメリカでは独立革命による人権と民主主義の確立が先行して君の言う「アメリカの正義」の成立はそのずっと後だ。

「フランスの共和制」についても事情は同様で、1789年のフランス人権宣言当時には革命の帰趨はいまだ定まらず、フランスが共和国となることも国民国家となることさえも既定ではない。そもそも国民国家という概念の世界史への登場はナポレオンの第一帝政まで待たねばならなかったし、共和制は第一共和制として1792年に始まるもののそれは1804年にナポレオンの第一帝政によって倒され、その後は共和制と帝政が短期間に交代して最終的にフランスに共和制が確立するのは第三共和制の成立した1870年以降だ。したがってフランスにおいても「フランス共和制」や国民国家フランスを前提に人権と民主主義が思想として発達したわけではまったくない。人権思想はブルボン王朝の絶対王政下に発達し、大革命以降人権と民主主義が定着するにつれて政体も共和制に移行したのだ。

ドイツについては単なる順序の問題に止まらず真逆だ。国民国家としての統一が19世紀後半まで遅れたドイツではプロシャ専制君主国家による統一としてドイツ帝国が成立したが、その後進国民国家としての強力な国家主義(君はこれを「ドイツの秩序」としているものと理解するが)は後々まで人権と民主主義の確立そのものを阻むこととなる。ワイマール共和国は第一次大戦末期のドイツ革命の結果としてドイツ帝国に代わって成立したドイツ史上初めての民主主義共和国だがこれは国家主義のヒトラー第三帝国によってあっけなく打倒された。ドイツに本当の人権と民主主義が確立されるのは国家主義が完全に放逐された戦後の西ドイツを待たなければならなかった。つまり、君の言う「ドイツの秩序」は人権と民主主義確立の前提とならないばかりかそれを阻むものとして厳と存在し続けたのだ。

これを見ても明らかなように、西欧諸国間においても人権思想と民主主義の確立の過程はさまざまでこれを「自我の確立」で同一視することは困難だ。。「アメリカの正義」とか「フランス共和国」とか「ドイツの秩序」を前提に人権思想が発達したとはまったく言えないばかりか、歴史的に言えばドイツにおける君の言う「自我の確立」である「ドイツの秩序」の政治的意味は「アメリカの正義」とか「フランス共和国」とはまったく異なり人権思想そのものに敵対している。

どうして君の議論がこんなになってしまうのかと言えば、それは君の言う「自我の確立」が両義的であるせいだ。

そもそも「自我の確立」は日本における特殊な文学的概念でそれを政治学においてそのまま援用するのは奇異だが、あえて政治学における類似を探せばそれは自立的な市民の登場ということになるだろう。自立的な市民は、神話とか共同体とか国家に依存せずに物事を自分の目で理性的に見る主体(「物事を自分の目で見ること」)であって、それゆえに人権を国家の制約を受けない国家を超える自然権として構想しそれに基づく民主主義を確立した。これなら前提とはならないとしても「アメリカの(自由の)正義」とか「フランス共和制」と親和性があって矛盾はしない。

ところが君は他方においては君の言う「自我の確立」を自己と国家との無条件な同一視ないしは自己やその人権に先立つ存在としての国家を承認する態度を意味するようなことも述べている(君の「公共精神」)。これなら政治学における国家主義でまさに「ドイツの秩序」とはこれだ。このような政治思想は、絶対王政以来民主主義による絶対王政の打倒にもかかわらず王党派等のの保守思想として残存し国家主義として亡霊のように甦っては人権思想と民主主義を脅かしている。

このように、君の言う「自我の確立」の両義性に注意して改めて各国の差を見れば、人権思想におけるアメリカとフランスの共通性とそれに対するドイツの異質性が際立つ。国家主義的精神について言えば、ドイツとの共通性があるのは日本だ。日本もほぼドイツと軌を一にするかのように19世紀後半に国民国家として統一されプロシャ風の国家主義の下に近代化を進めた。違いはむしろアメリカとフランスの民主主義的自然権人権思想ととドイツと日本の国家主義的国家制限的人権思想であってそれは政治学的常識と一致する。

それにもかかわらずドイツをアメリカとフランスと同じものとするには逆に両義的な「自我の確立」という論理のアクロバットを持ち出す必要があったということで、それで無理やりドイツを日本から引き離してアメリカとフランスの仲間に入れたということだ。

このような両義的「自我の確立」概念による日本と欧米の「基本的な差異」を理解していないと言われても、そりゃ当然でしょう、分かる方がおかしいと言うばかりだ。

私には、君が自分の「自我の確立」の両義性に気づかないことも、それをもって無理やり欧米を一緒くたにすることも、それによって日本人は駄目だと言う日本特殊論を立てることも、だから日本人は国家主義に退行すべきだと主張することもまったく理解しがたい。ただただ暴論だと言うほかはない。

あえて言えば、おそらく君の中で人権思想も民主主義も「自我の確立」もこのような政治学的なレベルで考えられているわけではまったくないのだろう。むしろ床屋談義のレベルで、「「自分の意見」を主張する」のが「自我の確立」でその意味で日本は欧米と違い遅れているとした上で、素朴な国家主義から自己主張と国家利益の主張を同一視して日本人がそんな自己(国益)主張を行うには国家意識に目覚める必要があるとでもしているのだろう。人権思想が出てくるのは私の議論への反論とする都合で、そんな床屋談議に無理やり人権思想を結び付けてそれにより発生する両義性に無意識でいられるのも君が人権をせいぜい「「自分自身の利益」を追求する」自己主張としか理解していないからで、そんな人権思想に対する浅薄な理解も床屋談義としては当然でふさわしいと言えよう。

だとすれば、そんな君の床屋談義に対して真面目に反論している私が馬鹿だということだ。ここまで書いてきて後悔している。

私の日本の民主主義に対する憂いは深い。私は日本の戦後民主主義がワイマール共和国のような運命を辿るのを見ることが怖い。

日本の民主主義とこの憲法をなんとか守り抜きたい。


10. 2012年6月16日 23:09:00 : DiDb5Qc5EA
この様に答えられるところが、すばらしい!

私には、この様に答えられないだろう。(どこかで誰かを攻撃してしまうから)
(叱られるかもしれないが、)まるで、陛下の御言葉の様に感じます。
何事にもこの様に話せる様になりたいと思います。
良い勉強になりました。


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