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2012.6.24ミヤネ・クリステルTV8番組に渡辺恒三が馬鹿言っていた。原発放射能にビビって逃げたのはお前だろ!
http://www.asyura2.com/12/senkyo131/msg/865.html
投稿者 アサマタロー 日時 2012 年 6 月 24 日 23:02:25: UiY46YlCu.Moc
 

ミヤネが鼻に付き、クリステルは見たいが、見ない日が多い。今日は26日採決で気になり回したら、渡辺恒三がまだ出ていた。フジはまだ渡辺を黄門と読んでいた。福島原発の推進者:県議渡辺が切り盛りし、それで東電に支援されて衆議院議員になり通産大臣を手にした彼は、原発の父:中曽根の使い走りだった。福島県民は知っているか!!息子が出れたら、福島県人はお人好しだ。

知人の福島出身者に阿修羅を見る様3〜4人に言っているが、郷里の親戚学友に年賀状で知らせてくれたか?特に会津!

そんな彼が黄門様?フジサンケイは見る目が無い。夕刊フジも10万部を切ったか!?
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渡辺が言う事は再現不能。レベルが低すぎ批判対象外だ。政治や憲法も知らない様なので、経歴見たら、こいつも文学部だ出だった。三宅久之と同じ事言うと思っていた。引退記念に掲載する。飛ばして頂いて結構です。
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【渡部 恒三】(わたなべ こうぞう、1932年5月24日 ‐ )は、日本の政治家。民主党最高顧問。衆議院議員(14期)。勲一等旭日大綬章。復旦大学経済管理学院名誉教授。元の姓名は渡部恒蔵であった。
衆議院副議長(第70代)、厚生大臣(第68代)、自治大臣(第39代)、国家公安委員長(第70代)、通商産業大臣(第48代)、無所属の会代表を歴任。自由民主党所属時は竹下派七奉行の1人だった。
目次 [非表示]1 概要1.1 青年時代1.2 政治家への道1.3 竹下派七奉行1.4 衆議院副議長
1.5 民主党時代1.5.1 国会対策委員長1.5.2 国対委員長辞任後2 親族3 人物3.1 人柄
3.2 電源開発・道路族3.3 民主党の重鎮4 不祥事5 所属議員連盟6 略歴6.1 経歴6.2 政歴
7 文献7.1 著書7.2 論文7.3 関連文献8 脚注9 関連項目10 外部リンク概要 [編集]

青年時代 [編集]
福島県南会津郡田島町(現・南会津町)出身。
父・渡部又左衛門は福島県議会議員や福島県田島町長を務めた。父の死後、又左衛門を襲名した長兄は福島県田島町長を2期務めている[1][2]。
福島県立会津高等学校時代、後に評論家となる小室直樹、弁護士の渡部喬一(第二東京弁護士会所属)と知り合う。この3名は校内で「誇大妄想狂」と呼ばれるほど目立つ存在だった。
早稲田大学在学中は雄弁会に所属。同期に藤波孝生、同じ学部の2年先輩に政治評論家の三宅久之がいた。
早稲田大学時代には、早稲田大学野球部に在籍していた福嶋一雄(旧制小倉中学校出身、戦後初の夏の甲子園連覇の投手)、廣岡達朗(後に東京讀賣巨人軍選手)を故郷に招き、二人に自らの母校である福島県立会津高等学校野球部のコーチを依頼した[3]。その縁で廣岡と現在でも親交が深い。
政治家への道 [編集]
八田貞義国会議員秘書を務めた。
1959年4月の福島県議会議員選挙に出馬し、初当選。尚、県議初出馬の際には『選挙で名前を書きやすいように』と、出生時の名であった『恒蔵』から『恒三』に改名し、後に戸籍名も『恒三』とした[4]。
福島県議会議員時代には自由民主党福島県支部連合会政務調査会長も務めるが、公職選挙法違反のため有罪判決を受け県議会議員を辞職する。
1969年、第32回総選挙に「県議ならばカムバックできる。衆議院は無理」という後援者の説得を振り切って無所属で立候補。「会津のケネディ」(「ワタスは東北のケネデイダす」)を自称して、初当選した。
自由民主党から公認を得られなかったが、当選したのち田中角栄が不明を恥じて渡部を追加公認した。渡部は佐藤栄作に対しては批判的であり無派閥だったが、田中派が結成されると、すぐにこれに参加した。
竹下派七奉行 [編集]
通産政務次官、衆議院商工委員長などを歴任し、商工族としてキャリアを積む。厚生大臣、自治大臣、国家公安委員会委員長、通商産業大臣、自民党国会対策委員長を務めた。経世会では竹下派七奉行の1人に名を連ねる。
厚生大臣在任当時の国会答弁で『少子高齢化社会』というキーワードを使い、年金法や医療保険法改正に取り組んだ。渡部自身は『少子高齢化という言葉を最初に使った政治家は私だろう』と語っている[5]。
衆議院副議長 [編集]
新生党から新進党結党参加、幹事長代理、政務会長兼国会運営委員長、総務会長、副党首を歴任し、1996年に衆議院副議長に就任。2000年に再任された。副議長在任日数2498日は衆議院創設以来最長記録。当初、副議長就任には前向きではなかったが「早稲田大学雄弁会の後輩の小渕恵三が衆議院議長に就任するので」と説得され、副議長就任を引き受けた。しかし、当の小渕は地元後援会や同僚議員の説得により、「上がりポスト」の衆院議長就任を固辞し、結局伊藤宗一郎が衆院議長に就任した。
副議長として党籍を離脱中に新進党が解党し、自由党・新党友愛・新党平和・黎明クラブ・改革クラブ・国民の声の6党に分裂したが、渡部は無所属の会(会派は民主党・無所属クラブ、選挙では与党の公明党や保守新党の推薦も受ける)に参加した。
2000年、衆議院副議長に再任。野党側から選出されるのが慣例の衆院副議長人事において、野党側が石井一を推したのに対し、与党側が唐突に渡部の擁立を表明し、渡部が副議長に再任された。
渡部の副議長続投は当時の自民党、特に幹事長の野中広務の強い意向であった。これは大の公明党嫌いで知られる石井が、自自公連立政権を強く批判していたためである(ただし石井は新生党時代、公明党も参加する非自民連立政権の一員であり、羽田内閣では入閣している)。野中の主導による渡部擁立に対して野党4党は一斉に反発し、「野中幹事長の私怨によって、暴挙がおこなわれようとしていることを看過できない。私たちは大人の政党として責任を果たしたい」(鳩山由紀夫)、「国会は与野党あっての国会。与党のため、自民党のため、ましてや野中幹事長のために存在するのではない」(佐藤敬夫)などとして野党4党は石井一に揃って投票するとともに、賛成で臨むはずだった議長選挙では白紙で投票し、抗議の意思を示した。しかし結果は渡部恒三287票、 石井一189票で渡部が当選し、副議長に再任された。
2005年9月の第44回衆議院議員総選挙前に民主党に入党し、同党公認で福島4区から立候補。渡部は小選挙区制導入前から会津地方で強固な地盤を築いていたが、この選挙では自民党の渡部篤(血縁関係はない)に約7000票差まで迫られる猛追を受けた(渡部篤も比例復活)。また渡部恒三陣営の選挙違反が摘発され、運動員が逮捕された。
民主党時代 [編集]
国会対策委員長 [編集]
2006年2月、堀江メール問題で前原誠司民主党代表の側近である野田佳彦国会対策委員長が辞任すると、鳩山由紀夫幹事長の要請を受けて後任の国対委員長に就任した。菅直人や山岡賢次ら国対に精通したベテランが相次いで就任を固辞したための苦肉の策であった。
衆院副議長を経験した党内最長老の国対委員長就任は異例のことであり、与党・自民党からも驚きの声が聞かれた(過去には園田直が衆院副議長経験後に自民党国対委員長に就任した例があった)。渡部の国対委員長就任について、当時の小泉内閣の一員である麻生太郎外務大臣は、平均年齢の若い前原執行部を引き合いに出して「貫禄が違う」と渡部を持ち上げた。
就任直後から生放送のテレビ、ラジオ番組に相次いで出演し、9月に行われる民主党代表選の前倒しや、永田議員へ辞職要求などを発言、鳩山幹事長はその火消しに追われた。
堀江メール問題に関して、2006年3月15日放送のTBS系「みのもんたの朝ズバッ!」で涙を流して謝罪した。
国対委員長辞任後 [編集]
ウィキニュースに関連記事があります。
民主党・渡部恒三氏、党最高顧問を辞任
2006年9月に国対委員長を辞任し(後任は木義明)、民主党最高顧問に就任した。
2006年11月12日に投開票された福島県知事選挙において、渡部の秘書を長く勤め、当時参議院議員(民主党所属)だった渡部の甥(姉の長男)である佐藤雄平を擁立。佐藤は当選を果たした。前任の佐藤栄佐久も、渡部の盟友的存在の一人であった。
『週刊新潮』において賭けゴルフ疑惑を報道されている横峯良郎議員らが2007年8月31日の民主党両院議員総会を欠席したことについて、「公人である以上は説明責任をキチッと果たさなければならない、総会を欠席するのもけしからん」と苦言を呈した。
2007年10月3日、関連政治団体である新時代の会が、1993年から2004年の政治資金収支報告書で甥の佐藤現福島県知事のマンションを事務所として使っていなかったのにもかかわらず、「主たる事務所」として総務省に届け出ていたことが明らかになった[6]。また、会の代表者は2000年に、会計責任者は2004年にそれぞれ死亡していたにもかかわらず、後任者への変更の届け出がされていなかったこと、さらに、収支報告書に死亡した会計責任者の署名・捺印がなされた宣誓書が添付されていたことが明らかになった。渡部の秘書は「事務所の実態は議員会館にあり、実態に即していないと言われればそうかも知れない」とコメント。党の若手議員からは「与党の追及がやりにくくなる」と不満の声も出始めた。そのため、渡部はこの問題の責任を取る形で、翌4日付で党最高顧問などの役職を辞任した。
2008年1月8日、民主党最高顧問に復帰。無役であった期間は約3ヶ月にとどまった。復帰が認められた理由について、党幹部の1人は「年が改まったので」とコメントした。
2008年春に、日本銀行総裁人事において、政府側が示した、元財務事務次官である武藤敏郎副総裁を昇格させる人事について、民主党としては「財務省幹部の天下り人事である」・「財金分離の観点から不適切」として反対したが、テレビ朝日系列の『サンデープロジェクト』において、「小沢一郎は武藤氏に賛成だったのか」と問い詰められた渡部は、「それはいえません」と答えていた。なお、西岡武夫は後に「財金分離を理由に反対したのは今でもおかしいと思っている」と述べている。
2009年10月26日、民主党の両院議員総会で最高顧問に再任されなかった。このことについて、小沢一郎幹事長は同日の記者会見で「功成り名を遂げて高いレベルでアドバイスするのが最高顧問だ。ところが、最高顧問だった藤井裕久さんは引退宣言もしていたのに、一番大事な国務大臣(財務大臣)になった。現役でやれる能力のある人は最高顧問のイメージと違う。渡部氏はまだまだ現役として、前線でやれる能力も意欲もある」と、再任に至らなかった経緯を説明した。が、小沢と渡部との間には以前から確執が噂されているため、恣意的人事という声も上がっている。これについては、渡部本人も「小沢の意向により衆議院議長になれず(横路孝弘副議長が議長に昇格)、最高顧問もクビになった」と述べている。鳩山由紀夫首相辞任後、菅直人新執行部で再度、最高顧問に就任した。
2009年12月、天皇特例会見問題で、「政治主導は天皇陛下の問題では全く関係ない。これは日本の国体に関する問題で、慎まなければならない[7]」「太平洋戦争の歴史を考えれば、政治家はどんなことがあっても天皇陛下を自分たちの都合のいいことに利用するなんてことは考えてはいけない」と述べ、会見を宮内庁に要請した鳩山由紀夫内閣総理大臣や、仲介したとされる小沢一郎民主党幹事長の対応を民主党内部から批判した[8]。
2010年1月に小沢の元秘書である石川知裕衆議院議員が逮捕された問題について、記者から質問を受けた際「かわいそうじゃないか石川君は。君ら、誰が悪いのかくらいオレが言わなくたって分かるだろ」と答え、遠回しながら小沢の責任に言及した。また小沢幹事長以下、党執行部を批判した生方幸夫副幹事長を、小沢の意向を受けた高嶋良充筆頭副幹事長が解任した際は「とんでもねぇ話だねそれは。民主主義の国じゃなくなっちゃうよ。秘書が3人逮捕された人の方が重い責任がある」とコメントした。
北海道教職員組合(北教組)から民主党の小林千代美議員陣営へ違法な献金行為が行われ北教組幹部3人が逮捕されたことについて、2010年3月5日にTBSの番組の収録で「心の教育が明日の日本のために一番大事だと訴えているのに、わが党の議員が心の教育を一番粗末にするような形で、本当に恥ずかしく残念だ」と述べた[9]。
INESレベル7に相当する福島第一原子力発電所事故の後も、地下式原子力発電所政策推進議員連盟(略称 地下原発議連)の顧問に就任し、原子力発電を今後も推進することを鮮明にしている。
親族 [編集]

父は元福島県議会議員・渡部又左衛門。
長男は東京財団研究員、戦略国際問題研究所非常勤研究員、三井物産戦略研究所国際情報部主任研究員の渡部恒雄。
福島県知事の佐藤雄平は甥(姉の息子)。
2010年9月21日に母・キイが死去。106歳だった。
人物 [編集]

人柄 [編集]
会津訛りの喋り方が特徴的である。愛称は「おしゃべり恒三」。
民主党の中で最高齢の議員であるため、大御所や水戸黄門などの渾名が付き、テレビで、「政界の水戸黄門」を自称したため、ドラマ『水戸黄門』で実際に小道具として使用された印籠をプレゼントされた。また、ドラマに出演している由美かおるからおしゃれな電報を受けた。また、以来ニックネームが「黄門様」となった。
講演会などでよく「26歳で県会議員に当選するまでは童貞だった」と発言し、聴衆の笑いを取っている[10]。
厚生大臣在任中には「タバコがおいしく感じられるのは健康であるということ」と発言したため、マスコミに「タバコは健康のもと」と誤報され、波紋を呼んだ。また、いわゆる「トルコ風呂問題」が持ち上がったのは、彼の在任中であった。
衆議院議員として自民党の国対委員長だった1986年、秘書に「ケーサツチョウチョウカン」と会津なまりで頼み事をした所、秘書が警察庁長官に電話をつないだ。しかし、当の渡部は「今朝の朝刊(ケサノチョウカン)」と言ったつもりであったので、首をかしげてしまったとの逸話がある[11]。
赤いネクタイを愛用する。しかし、渡部が赤いネクタイばかり着用していると気づいた浅香光代から、青いネクタイをプレゼントされた[12]。
2006年10月に、眼鏡の似合う著名人として第19回日本メガネベストドレッサー賞受賞、同年11月には、ユーモアで楽しい話題を社会に提供したことで、平成18年度ゆうもあ大賞を受賞した。
当選14回は、羽田孜、小沢一郎と並んで民主党内最多。また、県議時代から選挙において一度も落選したことがない。
電源開発・道路族 [編集]
「原発を作って県民は長生き」と発言したことがある。補助金がないと駄目な農業だけの福島と言いたかったのだ。福島県浜通り地方は所謂『原発銀座』だが、渡部の地元の会津地方は日本有数の水力発電の電源開発地帯である(参照:只見特定地域総合開発計画)。
厚生大臣時代の1984年1月に原子力関係者との会合の席で「原発を作れば作るほど国民は長生きできる。日本のエネルギー問題の解決は原発だというのが私の政治哲学だ。」と発言し反原発グループから猛反発を受けた。
民主党の道路族議員で、最高顧問辞任後、党の道路特定財源の暫定税率撤廃方針・一般財源化に反対する署名に協力。渡部が反主流派状態で、署名に参加したことに危機感を抱いた執行部は、渡部の最高顧問復帰への道筋を作った。
民主党の重鎮 [編集]
90年代の政界再編期の旧党の感覚が抜けきっていない幹部が多い民主党にあって、早くからニューリーダーの育成に目を向け、岡田克也や前原誠司、枝野幸男、野田佳彦ら民主党の中堅・若手七人を、かつて渡部も属した竹下派七奉行になぞらえ「民主党七奉行」に指名、七奉行の会として定期的に会合を持っていた時期があった。
「堀江メール問題」で党の幹部が落ち込んでいるなか、激励のために会津名物「起き上がりこぼし」をプレゼントする気配りを見せたが、党代表であった前原誠司の起き上がり小法師だけは起き上がらなかったため、座が凍りつく一幕もあった。その後、前原執行部は責任をとり、総退陣した。こうした経緯があり、渡部は「前原君には一生頭があがらない」と発言している[13]。
第21回参議院議員通常選挙について、党代表が、野党で過半数議席獲得ができない場合、政界を引退すると表明したのに続き、「野党が自民・公明を上回る議席を取れなかったら、小沢代表だけでなく私も辞める」と決意を示し、その結果民主党は大勝するに至った。
民主党内では保守派の重鎮であり、中堅・若手の多い党内の保守系グループの後見人格を自認。党幹部らが前向きな外国人参政権に反対する中堅・若手議員が永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会を結成した際は、代表世話人に就任している。
不祥事 [編集]

自身の選挙において、公職選挙法違反事件で有罪判決を受けたため福島県議会議員を辞職。
2005年の第44回衆議院議員選挙において、陣営の運動員6名が公職選挙法違反(被買収)の容疑で逮捕され、それぞれ罰金刑に処せられた。(内一人は大麻所持も発覚し再逮捕)
2007年に自身の政治団体が、事務所としての活動実体がないにもかかわらず、甥のマンションを主たる事務所として12年間に渡って届出ていた問題が発覚。事務所費として計約9900万円、人件費や高熱水費を含めて計約1億7824万円を計上していた。この問題の責任を取って、渡部は党最高顧問を辞任するが3ヵ月後に復帰した。
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コメント
 
01. 2012年6月24日 23:14:33 : opuSlfFAh2
こいつも文学部出だ。それで政治経済コメント?専門を舐めた野郎だ!!
もうこの番組は見ない。馬鹿集団が言いたい放題の悪い番組の通報が必要だ。医者だってセカンドオピニオンが必要だ。文学部だけなら政治はやるな!
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【竹田 圭吾】(たけだ けいご、1964年 - )は、日本の編集者である。『ニューズウィーク日本版』の元編集長。
人物 [編集]

東京都生まれ。慶應義塾大学文学部史学科卒業。
スポーツ雑誌の記者を経て、1993年(平成5年)にニューズウィーク日本版編集部に入る。1998年(平成10年)に副編集長、2001年(平成13年)に編集長となる。2010年(平成22年)10月に編集長を退いた。現在は阪急コミュニケーションズ別冊編集部部長。
2010年(平成22年)10月6日より東京都中央区の教育委員を務めている。
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【宮根 誠司】(みやね せいじ、1963年4月27日 - )は、日本のアナウンサー、司会者。島根県大田市出身。現在は、大阪府大阪市在住。テイクオフ(TakeOFF)所属。
目次  [非表示] 
1 来歴1.1 局アナ時代1.2 フリー転身後1.3 「ミヤネ屋」でのエピソード
1.4 新事務所設立2 人物3 詳細情報3.1 テレビ番組3.2 過去の出演番組
3.2.1 ABCアナウンサー時代3.2.2 ABC退社以降3.2.3 映画4 備考・出典
5 関連項目6 外部リンク来歴 [編集]
局アナ時代 [編集]
島根県立大田高等学校を経て関西大学経済学部経済学科卒業。1987年に大阪の朝日放送(以下、ABC)へ入社。同期に加瀬征弘がいる。
1989年には深夜ラジオ番組『ABCラジオシティ』で小林千絵と共演し、1990年4月、ABCテレビで朝に生放送される情報ワイド番組『おはよう朝日です』(以下、おは朝)に出演。2年上の先輩アナウンサーである岡元昇と共に司会を務め、主にスポーツコーナーやスポーツ新聞の芸能面紹介などを担当する。
1994年からは『おは朝』の単独司会を務める。従来、『おは朝』は朝の爽やかな情報番組を掲げていたが、宮根の単独司会を機に、長年使われたテーマ曲やスタジオの変更、芸能情報コーナーの拡大等、大幅なリニューアルをおこなった。その象徴としては、同年4月4日、宮根の単独司会初日に、宮根を応援するためにオカマバーのホステスが、ABC本社前に集結しダンスを披露した。これは「桃の節句」(3月3日)と「端午の節句」(5月5日)の中間である4月4日は「オカマの節句」という宮根のジョークがきっかけだった。
スポーツ実況の機会もあり、フリー転向後も、ABCテレビの阪神タイガース戦中継で副音声を務めることがある。
フリー転身後 [編集]
2004年3月末でアナウンス部課長職を最後にABCを退社。同年4月より、フロム・ファーストプロダクション大阪支社所属のフリーアナウンサーとなる。
フリーアナウンサーになる決定的なきっかけは、やしきたかじんがABC社長の西村嘉郎に宮根がフリーになるための退職話を直談判したことである。その時、当時のアナウンス部長であった和沙哲郎をはじめ社員が宮根を引き止めたと言う。
退社後も、レギュラー番組である『おは朝』『食べて元気!ほらね』にはフリーの立場で引き続き出演。
2005年4月から1年間、毎日放送テレビ『っちゅ〜ねん!』にレギュラー出演。さらに同年11月からは読売テレビ『激テレ★金曜日』で司会を務め、テレビ大阪(TVO)を除く大阪の民放テレビ全局でレギュラー番組を持った。
以降の宮根はキー局発の全国ネットのテレビ番組に、決して頻度は多くないもののゲスト出演するようになる。なおテレビ朝日系(古巣ABC除く)およびテレビ東京系全国ネット番組の出演歴は、TVO制作を含めても今の所ない。
2009年12月25日、2010年3月をもって『おは朝』を降板することが報じられた[1]。
「ミヤネ屋」でのエピソード [編集]
2006年7月31日から、金曜のみの放送だった『激テレ』をリニューアルし、新たに月 - 金の帯番組『情報ライブ ミヤネ屋』(以下『ミヤネ屋』)をスタートさせた。『ミヤネ屋』のスタートに伴い、平日は『おは朝』と掛け持ちで朝と夕方の生番組の司会を務めることとなる。宮根は『ミヤネ屋』の第1回で、東京都のキー局である日本テレビに行って『午後は○○おもいッきりテレビ』本番終了後に、司会のみのもんた本人と対談し、第2回では『ザ・ワイド』(2007年9月末で終了)の司会草野仁と対談した。宮根が、みの・草野と共演した番宣用スポットも制作された。
この番組の影響で、紹介字幕スーパーでは、名前を「ミヤネ」と表記されることが多い。又、番組名である『ミヤネ屋』が本名と思われている節もあるようで、「ミヤネ屋さん」と呼ばれることがしばしばあり[2]、「僕はミヤネです」とか「落語家のような名前やん」などとツッコむ場面が見られる。
2007年10月1日からは『ミヤネ屋』は『ザ・ワイド』の後継番組として13:55 - 16:53の枠に移動し、(独立UHF局を含めた)関東地区を除くほとんどの地方で放送されることになった。そして2008年3月31日からはキー局である日本テレビでも放送開始され、フジテレビ系列とのクロスネットの都合で『ザ・ワイド』を放送していなかったテレビ大分とテレビ宮崎を除いた全ての日本テレビ系列局で放送されるようになった。
2008年の『鳥人間コンテスト選手権大会』では、「チームミヤネ屋」のパイロットとしてプロペラのない機体で飛行距離を競う滑空機部門に出場。300m越えを目標としていたが、301.30mで有名人新記録を樹立。
2009年3月22日、東京マラソンに参加。宮根は参加前に『ミヤネ屋』内で「4時間30分を切らなければ丸刈りにする」と宣言した。しかし結果は5時間56分09秒(正式には5時間40分00秒)。目標を果たせなかったことから、翌日の生放送中にバリカンを入れられ丸刈り頭になった。
2012年1月6日発売『女性セブン』にて、飲食店経営の女性との間に隠し子がいることが報じられた。宮根は番組冒頭で、この報道を認め、謝罪した。[3]
新事務所設立 [編集]
2010年3月末でフロム・ファーストプロダクションとの契約を解消。これに伴い『おは朝』を降板。3月1日に東京都で設立した事務所である株式会社テイクオフ(TakeOFF)へ4月1日付で移籍した。[4]自身は所属第1号タレントとなり、共同出資者としても名を連ねている。[5]フリー転身当初からマネージャーを務めた横山武が代表を務める会社で、宮根はこの移籍について「東京をベースに頑張りたい」「(横山について)フリーになる時に最初に相談した人」「東京での新たな道をこの人(横山)とまた一緒に切り開いていけたら」(「」内一部要約)という発言をしている。[4]
同月より、在京キー局制作番組初のレギュラー番組としてフジテレビ系列にて情報番組『Mr.サンデー』を開始。また、『おはよう朝日です』で共演したクマガイタツロウ・たつをとともに宮根誠司と2Tを結成し、エンディングテーマソング『Hey!Mr.サンデー』の作詞・作曲・歌唱を担当している。
人物 [編集]
「誠司」という名前は、東京大学総長を務めた物理学者の茅誠司にちなむ[6]。
韓国観光大使であるという[7]。
「浪速(浪花、ナニワ)のみのもんた」[8]と称され、ステレオタイプの大阪人像を唱えたり、「大阪のおばちゃん」を強調することがある。だが、父親は大阪府出身であるものの、自身は島根県の出身であり、生粋の大阪人ではないので近畿方言、大阪弁ではない発音をすることがある。これらのことにより、「ニセ大阪人」との批判されることもあり、2009年には週刊文春でその批判に対するインタビューが行われたことがある[9]。
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【滝川 クリステル】(たきがわ クリステル、Christel Takigawa、1977年10月1日 - )はタレント、フリーアナウンサー。本名、滝川・ラルドゥ・クリステル・雅美 (Takigawa Lardux Christel Masami) 、日本名、滝川 雅美(たきがわ まさみ)。 通称は滝クリ、クリステル。
父がフランス人、母が日本人のハーフ。出生地はフランス・パリ。来日後は兵庫県神戸市に在住。母親が神戸市内の出身であった。その後、東京都内へ転居。
弟はモデルの滝川ロラン、母方の従兄弟に、フリーキャスターの目黒陽子、俳優の滝川英治がいる。 祖父は市会議員もつとめた滝川勝三。曾祖母の滝川イネは日本の婦人運動の草分け的存在。
目次  [非表示] 1 来歴・人物2 特徴3 エピソード4 出演4.1 テレビ4.2 アニメ
4.3 CM4.4 ラジオ5 書籍6 同期6.1 共同テレビ6.2 フジテレビ7 脚注8 関連項目
9 脚注10 外部リンク来歴・人物 [編集]

フランス・パリに生まれ、3歳の時に家族で来日し、母親の出身地である神戸市へ移住。小学校6年生の時、父親の転勤で再び渡仏。約1年間滞在し日本へ来る。世田谷区立砧中学校、東京都立青山高等学校、青山学院大学文学部フランス文学科卒業後、2000年フジテレビを受験し、最終選考まで残るも不合格となる。
だが、他社に入社させるには惜しい人材という事で、系列の共同テレビに入社。安藤幸代(現ハーモニープロモーション)、相川梨絵(現セントフォース)と並び、同社にとっては新人を社員アナウンサーとして採用した初めてのケースとなった[1]。なお、フジテレビアナウンサーの梅津弥英子とはフランス文学科の同級生である。
新人アナウンサー時代は和名の滝川 雅美で活動していたが、容姿に対する問い合わせもあったことなどから会社の方針でハーフを強調した名前に変えた。入社後3年間はフジテレビアナウンス室に研修出向し『プロ野球ニュース』『少年タイヤ』『FNNスーパーニュース』(フィールドキャスター)など、同系列の番組に数多く出演した。その後共同テレビに戻ったが、戻った後もフジテレビと専属契約を結んでいた。
2002年10月からは、『ニュースJAPAN』のキャスターを担当。2007年4月から報道番組『新報道プレミアA』を安藤優子とともに担当。2人は、『ニュースJAPAN』の元キャスターと現役キャスターという共通点があった。
2008年10月30日にフジテレビ、共同テレビ、セント・フォースが共同設立したアナウンサープロダクションのフォニックスと所属契約を結び、共同テレビは退職(実質的な移籍)。
2009年9月25日を以って7年間キャスターを務めた『ニュースJAPAN』を降板。『毎日.jp』によると、フジテレビは「秋の番組改編による交代」(フジテレビ側)であると報じている。また、本人は「明日の自分と出会うために新しい一歩を踏み出すことを決意しました」というコメントを同紙に寄せた[2]。2009年9月30日には共同テレビ在籍時代から結んでいたフジテレビとの専属契約を、契約期間満了により解除した。
特徴 [編集]
趣味は、テニス、ゴルフなど。運動が大好きで運動神経もよいとのこと。
日本語、フランス語、英語を話せるトライリンガルである。
社会貢献活動にも積極的で、ルーム・トゥ・リードの新企画「旅するGood Action 〜Baby Yak Around the World by Room to Read〜」を支援している。
好きな食べ物は和食、中華、イタリアンの順番らしい。
嫌いな食べ物はラム肉。(『とんねるずのみなさんのおかげでした』「新・食わず嫌い王決定戦」2010年5月27日放送分より)
エピソード [編集]
小学校6年生での渡仏時、フランス語が上手でなかったので現地の小学校では4年生に編入されたが、吸収が早くあっという間にフランス語を覚えた。
その際、それまで日本語で話していた父親とはフランス語で話すことに決め、今でも父親とはフランス語、母親とは日本語で話す。
少女時代、1990年頃に住友不動産販売のCMに出演したことがある。
砧中学校3年G組ではタッキーの愛称で呼ばれる、男子憧れの美少女だった(『スタジオパークからこんにちは』2010年9月22日の放送で同級生のFAXより)。
高校在学中に『銀BURA天国』(テレビ東京)の美少女を紹介するコーナーに出演したことがある。その時岡村隆史に20歳になったらお台場でデートしようと言われたが、当の岡村はそれを覚えていなかった。[3]
青山学院大学ではフランス文学科に在籍するも、大学では基礎から教えていたため拍子抜けした。担当の教授から「発音を聞かれるのが嫌だから君は来なくていいよ、単位はあげるから」と言われ、授業中は大学図書館で自習していた。英語、フランス語とも独学に近い。
ミスキャンパスに出場し、準ミス青山学院大学に選ばれた。その時の優勝者は梅津弥英子だった。
大学生時代の終わり頃にハーフ(ダブル)である自分のアイデンティティーについて強く悩み、サンフランシスコかフランスのどちらかに行こうと迷った末、フランスに行こうと決めたが、両親に「日本で語学を生かせる仕事に就いてほしい」と反対される。そんな中、サッカーワールドカップの日本代表監督がフランス人のフィリップ・トルシエだったことがきっかけで「自分ならワールドカップで通訳なしの取材ができ、架け橋になれるかもしれない」と思い、アナウンサーを目指す。
フジテレビを受験中に親しくなった同期の政井マヤと、入社前にメキシコへ旅行したが、現地の人に双子と間違えられたことがあると言う(政井はメキシコ出身)。
『ニュースJAPAN』では机に対して斜めに座っているが、これはスタッフが「モナリザ」を意識し、美しく見えるように45°の角度をとったため。『明石家さんまのフジテレビ大反省会』で「なぜあの角度なのか」という視聴者からの質問に同番組のプロデューサーは「滝川クリステルが最も美しく見える角度だから」と回答している[4]。しかし彼女自身は、「骨盤が歪みそう。できれば正面を向いてニュースを読みたい」「本番中に首がつったことがある」と語っている[5]。また、この姿を林家いっ平(現・2代目林家三平)の高座の元ネタにされていて『新報道プレミアA』の落語特集で聞かされた当人は当惑していた。斜め座りはNHKの『サラリーマンNEO』でもネタにされた。
「普段着感覚で視聴者と向き合う」というコンセプトの『新報道プレミアA』では、より素の様子を垣間見ることができる。
日本という一つの国に収まりたくないという思いもあるが、今は勉強を積み自分の引き出しを増やす時期だと思っている。将来は特派員の仕事などもしてみたいと言う。
『ニュースJAPAN』で松本方哉キャスターが休みの日は滝川一人で進行しており、その日のエンディングではフランス語で挨拶することがあった。
2008年12月23日に『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」へ初登場した際、タモリに『ニュースJAPAN』で机に対し斜め45度に座っていることについて聞かれ、「いろいろあるんです、これが、秘密が、あの、私、話したくて、話したくて、しかたないんですけど」と切り出し、セットのアイデアは同番組キャスターの松本方哉と『踊る大捜査線』を作ったスタッフによるもので『サンダーバード』をイメージしていること、女性が斜めに向いていることが一番綺麗に見えるということを考えて座る位置を決められたこと、また、視聴者がキャスターと時間を共有しているように感じるように、滝川、松本両キャスターとカメラの位置を二等辺三角形にしていること、マグカップも心理的なことを考えて位置を変えているといった秘密を明かした。なお、45度に座っている影響から、松本キャスターの方を向いてしまうとカメラに頭の後ろを向け失礼になるため、最初は松本キャスターの方をきちんと向けず中途半端な方向を向いていたと苦労を明かした。また、前日天野ひろゆきからのお友達紹介の時に、決まり文句の「いいとも」を言えなくて電話を切られた後、知らずに一人で「いいとも」と言っていたので悲しかったと語った。翌日のお友達として安藤優子を紹介。
ミドリガメを2匹飼っており、名前は1号と2号。
2009年9月25日放送分を以って『ニュースJAPAN』を降板。番組終了間際に挨拶をしたが、感極まり涙声で挨拶をした。
アドリブが極度に苦手で、2010年4月18日開始の『Mr.サンデー』でコンビを組む宮根誠司のアドリブに対応できるか心配の声が上がっていたが直ぐに順応し、番組内で宮根と夫婦コントを演じている。[6]
日仏ハーフである事に由来する特徴的な喋りは、真似される恰好の対象になっている(サヘル・ローズやANNAなど)。
2011年5月16日放送のMr.サンデーにおいてロンドン五輪を目指しスパーリング練習に励む南海キャンディーズのしずちゃんを、「スパークリングに励むしずちゃん」と誤って発言し、宮根誠司に番組中終始イジられた。
自然とか動物が大好きで、ダイビングのライセンスを持っている。2011年12月8日放送の『笑っていいとも!』「テレフォンショッキング」のコーナーで他に挑戦したいことを聞かれ、スカイダイビングやパラグライダーを挙げた。震災の後、福島から飼い主がいなくなったラブラドールを引き取った。保健所からのペットのレスキューは前から考えていたが、震災でまた増えたため、このタイミングで引き取ることになったとのこと。
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02. 2012年6月24日 23:15:59 : RsreIIQ23Y
なんか迷っているという中間派
適当な屁理屈いていたが
なんとくなく条件闘争をしといるように
感じた
こんな適当な奸や肛門の言うことを聞く
議員に国政は任せられない
26日の採決は楽しみだが
採決になるのか
武田、一定数を超えれば
赤信号みんなで渡れば怖くないと
反対票が、いきなり増える可能性をいっていたが
それは、その通りだと思う
しかし覚悟のない反対票も
分かりずらくて、困ったものだ

03. 2012年6月24日 23:36:49 : opuSlfFAh2
漏れていました:

出身校 早稲田大学第一文学部
学位・資格 文学士
前職 福島県議会議員
所属委員会 決算行政監視委員会
国家基本政策委員会
世襲 父・渡部又左衛門(元福島県議)※先代
兄・渡部又左衛門(元福島県田島町長)


04. 2012年6月25日 00:38:04 : WbQVaxr4vw
ダークナイト見ないでこんな裏番組見てる人がいるのか

05. 2012年6月25日 00:48:52 : oNqclzIefs
渡邉恒三は福島へ原発を誘致したヒーローです。

福島から原発取り上げたら何も有りません。

是からは復興税をたらふく頂いて豊になります。


06. 2012年6月25日 01:17:19 : 1lGeOGQzug
選挙違反の常習犯!既得権者の犬!この肛門の腐臭は耐え難い!

07. 2012年6月25日 09:26:57 : FG51BKXnVQ
こんな低俗番組を抹殺するには

@ 記者クラブ制の廃止
A 電波オークション制度の導入
B 新聞とテレビの共同経営の禁止

これしかありませんね。


08. 2012年6月25日 09:32:07 : SYBnefOvOA

明らかに奴は「一方の側」の人間であることが明らかなのに
それを以ってして「黄門様の名裁き」って
視聴者ナメてんのか?


嘘ズバを越えたわ



09. 2012年6月25日 13:03:40 : swlnfR07HU
福島第一原発事故以降、渡部氏は地元福島県のために何かしたのか?
只の小沢叩き評論家なら政界引退したほうがいいのではないか。

10. 2012年6月26日 01:51:49 : Djp6hd5PdY
事故直後ミヤネが原発のことをクリーンエネルギーと口にしたときは自分の耳を疑った。

11. 2012年6月27日 13:44:45 : opuSlfFAh2
渡辺は長男恒雄?に世襲させたい様だ!

福島県人が東電原発の走狗=渡辺親子を叩き切らないと、善良国民は誰も応援しなくなると思う。選挙はコテンパンにしてください。


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