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血沸き肉躍る小沢一郎という男 (山崎行太郎「ヘーゲルとマルクス――唯物論的転倒の哲学」より)
http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/879.html
投稿者 大塩 日時 2012 年 8 月 05 日 12:41:40: .cSQld2Pk8LuA
 

 ここ20年の日本の政治は、小沢一郎を中心に動いてきた。そして、常に批判を浴びてきた。小沢一郎を批判する声の多さは、逆説的に、小沢一郎がどれだけ権力を握っているかを物語っている。
 政権交代、民主党分裂、新党立ち上げ…この一連の動きを見て血沸き肉踊らない人間に、政治を語る資格はあるまい。

山崎行太郎「ヘーゲルとマルクス――唯物論的転倒の哲学」より
http://gekkan-nippon.com/?p=4188


■「世捨て人」の政治評論を排す
 文学は政治であり、政治は文学そのものである。人間存在の謎に迫る文学と、人間の欲望と権力、権謀術数……という人間存在のすべてが集中する政治とは、メダルの表と裏の関係にあると言っていい。政権交代から民主党分裂、小沢新党立ち上げにいたる政治ドラマは、まさしく文学である。言い換えれば、この政権交代から小沢新党立ち上げに至る政治ドラマは、文学や哲学の眼を通して見ない限り、なかなかその本質や深淵を覗き見ることは出来ない。政治学者や政治ジャーナリストたち、あるいはエセ文化人たちの語る、薄っぺらな政治評論や政治家論では、その本質や深淵は決して見えてこない。
 「目的のためには手段は正当化されるか」(『罪と罰』)、「政治運動に裏切りやスパイ、同志殺しなどの権謀術数は不可欠か」(『悪霊』)を追求したドストエフスキーの文学は、まさしく「政治文学」であった。政治や革命の「欺瞞性」や「悪」を描いたドストエフスキーは、「人間は政治的動物である」(アリストテレス)ことをよく知っていたと言える。そもそも、ドストエフスキーは、青年時代には過激な革命結社の一員であり、革命運動家でもあった。そして、それ故に、逮捕、死刑宣告、シベリア流刑といった経歴の持ち主であった。『地下室の手記』という小説で、革命の偽善性と欺瞞性を暴き、いかにも反革命的、反政治的な作家、文学者のごとく見られるが、しかし、その内部には激しい革命的、破壊的な情熱を秘めた作家であった。この二重性こそが、文学と政治との関係である。文学は反政治的で、反革命的というのも間違いなら、文学は政治であり、政治の手段、政治や革命の道具ということも間違いである。政治が卑俗で、文学が高尚なわけでもない。政治も文学も卑俗であり、かつ高尚である。政治も文学も、人間性そのものと深く関わっている。
 「権力闘争」「壊し屋」「金権政治家」「権謀術数」……これらの言葉が、「小沢一郎批判」の言葉として、マスコミなどの「政治評論」で盛んに使われているが、まさしく、その種の政治評論は、「政治を語る言葉」となっていないと言っていい。「権力闘争」「壊し屋」「金権政治家」「権謀術数」……は政治に不可欠のものであり、まさしく政治そのものであるからだ。「権力闘争」「壊し屋」「金権政治家」「権謀術数」……を否定的な言葉として使うとすれば、その人は、「政治を語ること」を拒否した人である。言い換えれば、政治とも文学とも無縁な人、つまり「世捨て人」ということが出来る。「世捨て人」の政治評論が蔓延しているのが、テレビや新聞というような巨大マスコミの世界である。むろん、それこそ欺瞞であり、幻想であり、現実からの逃避である。
 政権交代から民主党分裂、小沢新党立ち上げにいたる政治ドラマに、胸躍り、血が騒がない人がいるだろうか。少なくとも、私には面白い。何故、面白いのか。そこに、ホンモノの人間がいるからだ。

■ヘーゲルとマルクス─唯物論的転倒の哲学
 ヘーゲルとマルクス 、あるいはヘーゲルからマルクスへ、という言い方が、かつてはよく使われたが、今は、あまりそういう言い方が、使われないように見える。ヘーゲルやマルクスの思想そのものが、ポスト・モダンの時代ということで、人気がなくなったことが原因しているかもしれない。あるいはマルクス主義というイデオロギーが失墜したからかもしれない。しかし、ヘーゲルからマルクスへ、という問題が消滅したというわけではない。


『月刊日本』8月号より
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%88%E5%88%8A-%E6%97%A5%E6%9C%AC-2012%E5%B9%B4-08%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B008HH10GG/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1344138030&sr=1-1  

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コメント
 
01. 乃依 2012年8月05日 13:37:57 : YTmYN2QYOSlOI : dGobFkBoKY
>権力を握っている
慕われているんだと思う
>血沸き肉躍る
落ち着いた感じの人だと思った

菅と一緒にやっている理由が分からなかったので訝しんでしまったが、
別れてくれたので納得した。


02. 2012年8月05日 14:00:16 : wg0uHayZHY
> 政治も文学も、人間性そのものと深く関わっている。

政治はあまりにも人間性の探究をおろそかにしすぎる。
マスコミも政治家、議員も。特にマスコミは。


> 「権力闘争」「壊し屋」「金権政治家」「権謀術数」……

悪い意味で、これらを使ってきた菅や野田をマスコミは たいして批判しない。
そして総理、首相になったが、、、


03. 2012年8月06日 10:16:11 : HK9xIZSamU
「ヘーゲルからマルクスへ」という言い方は、物事の一面しか捉えていないのでは?
弁証法的に言えば、「マルクスからヘーゲルへ」という見方も必然としてありうるのではないですかね?

04. 2012年8月06日 13:53:07 : ELO9jsPmJE
要するに、小澤さんを越える、もしくは肩を並べる事の出来る政治家がいないだけのこと。いれば、小澤さんは道を譲っているさ。

05. 2012年8月06日 16:11:48 : bkH6wFaqxQ
今言われている哲学的潮流のひとつは再封建化です。

06. 2012年8月08日 00:34:59 : yTC8GF2RhU
小沢一郎氏こそ、今の日本の政治の真の主役でなければならない。

霞ヶ関もワシントンも、日本国主権者と小沢氏がその優れた能力を発揮できないようとてつもなく邪悪な力を注いできた。

小沢一郎を第二の田中角栄にしてはならない。

21世紀の日本国民の幸福がかかっている。


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