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社説    週のはじめに考える 言わねばならないこと                          東京新聞
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投稿者 CERISES 日時 2012 年 9 月 12 日 20:52:53: TSAYrSdovqusM
 

桐生悠々の肖像写真(撮影時期不明)

東京新聞 2012年9月9日http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012090902000116.html

 桐生悠々という新聞記者がいました。権力や軍部を痛烈に批判した気骨の人です。大勢に流されず、本質を見極める姿勢は今こそ必要とされています。

 一八七三(明治六)年、金沢に生まれた桐生悠々(本名・政次)は東京帝国大学を卒業した後、新聞社を渡り歩きました。本紙を発行する中日新聞社の前身の一つである新愛知新聞や、長野県の信濃毎日新聞などでは主筆を務め、晩年を名古屋で過ごします。

 その報道、論説の特長は「言わねばならないこと」を書く姿勢を貫いたことにありました。

◆気骨の人、桐生悠々

 悠々が健筆を振るった明治後期から昭和初期は、発展途上にあった政党政治が、軍部の台頭で衰退していく時代です。

 騒然とした中、悠々の論説は、海外にまで視野を広げた豊富な知識に基づいて藩閥政治家、官僚、軍部の横暴を痛撃します。

 例えば一九一八(大正七)年、富山県魚津から全国に広がった米騒動。米価の暴騰は当時の寺内内閣の無策が原因だったにもかかわらず、政府はその責任を新聞に転嫁し、騒動に関する報道を禁止します。憤った悠々は、八月十六日付新愛知社説「新聞紙の食糧攻め 起(た)てよ全国の新聞紙!」の筆を執ります。

 「現内閣の如(ごと)く無知無能なる内閣はなかった。彼らは米価の暴騰が如何(いか)に国民生活を脅かしつつあるかを知らず、これに対して根本的な救済法を講ぜず、…食糧騒擾(そうじょう)の責を一にこれが報道の責に任じつつある新聞紙に嫁し…」

 悠々は、寺内内閣を厳しく断罪し、内閣打倒、言論擁護運動の先頭に立ちました。寺内内閣への批判は全国に広まり、ついに総辞職に追い込まれます。

 時は流れて信毎時代、三三(昭和八)年八月十一日付の評論「関東防空大演習を嗤(わら)う」です。

◆無意味な想定嗤う

 掲載の前々日から行われていた陸軍の防空演習は、敵機を東京上空で迎え撃つことを想定していました。悠々は、すべてを撃ち落とすことはできず、撃ち漏らした敵機が爆弾を投下し、木造家屋が多い東京を「一挙に焦土たらしめるだろう」と指摘します。

 悠々の見立ての正しさは、その後、東京をはじめとする主要都市が焦土と化した太平洋戦争の惨禍を見れば明らかですが、この評論は軍部の怒りや在郷軍人会の新聞不買運動を招き、悠々は信毎を追われます。

 守山町(現名古屋市守山区)に戻った悠々は、「他山の石」という個人誌を発行して糊口(ここう)をしのぎます。軍部、権力への旺盛な批判はやみません。

 悠々は他山の石に「言いたいこと」と「言わねばならないこと」と区別すべきだとして、「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが、「言わねばならないことを言うのは義務の履行」であり、「義務の履行は多くの場合、犠牲を伴う」と書き残しています。

 たびたび発行禁止、削除処分を受けながらも軍部、権力批判を続けた悠々から学ぶべきは、強者の言い分をうのみにせず、自らの知識と判断力でその非を指摘する使命感の強さです。真の記者魂と言い換えていいのかもしれません。

 平成の世の日本にも、言わねばならないことは満ちています。

 まずは消費税増税。民主党政権にとってはそもそも公約違反であり、それでも強行するのは民主主義を危うくします。

 社会保障と税の「一体」改革と言いながら、社会保障の抜本改革は見送られ、増税だけが決まりました。政府や国会の無駄もほとんど削られないままです。速やかに衆院を解散して国民に増税の是非を問うべきなのに、その前に必要な衆院「一票の格差」是正は与野党対立で手付かずです。国会の不作為と言わずして何と言う。

 原子力発電もそうです。いったん事故が起これば取り返しがつかないのに、この暑い夏を「原発ゼロ」で乗り切れたのに、なぜ原発維持の選択肢が生き残るのか。

 事故が頻発する垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを「世界一危険」として返還が決まった沖縄の米海兵隊普天間飛行場になぜ配備するのか。沖縄県民に過重な負担を強いることで成り立つ日米安全保障条約は不平等ではないか。

 私たちの新聞にとって、これらは「言いたいこと」ではなく「言わねばならないこと」です。

◆「志」を受け継いで

 悠々は七十一年前のあす九月十日、太平洋戦争の開戦を見ることなく六十八歳で亡くなりました。

 歴史に「たら」「れば」は無意味ですが、悠々だったら今の日本を見て、何と論評するでしょう。

 碩学(せきがく)の先輩には及ぶべくもありませんが、言わねばならないことを言う志と気概は、私たちが受け継ぎたいと考えているのです。


桐生悠々
wikipedia-http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E7%94%9F%E6%82%A0%E3%80%85
出生
桐生 政次
1873年5月20日
日本・石川県金沢市
死没
1941年9月10日(満68歳没)
愛知県名古屋市
出身校
東京帝国大学法科大学政治学科 卒業
職業
ジャーナリスト
評論家
肩書き
信濃毎日新聞 主筆(1910-14年、1928-33年)
主な業績

「陋習打破論―乃木将軍の殉死」(『信濃毎日新聞』、1912年)
「関東防空大演習を嗤ふ」(『信濃毎日新聞』、1933年)
『他山の石』(1934-41年)

桐生 悠々(きりゅう ゆうゆう、1873年5月20日 - 1941年9月10日)は、石川県出身のジャーナリスト、評論家。本名は政次(まさじ)。明治末から昭和初期にかけて反権力・反軍的な言論をくりひろげ、特に信濃毎日新聞主筆時代に書いた社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」は、当時にあって日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘したことで知られる。

目次
[非表示] 1 生涯 1.1 記者生活の開始
1.2 「関東防空大演習を嗤ふ」
1.3 個人雑誌『他山の石』

2 脚注
3 参考文献
4 関連項目
5 外部リンク

生涯 [編集]

金沢市にて、貧しい旧加賀藩士の三男として生まれる。旧制第四高等学校では小学校以来の同級生徳田秋声と親交を深め、1892年(明治25年)には小説家を志して共に退学・上京するなどもあったが失敗し帰郷、1895年(明治28年)にあらためて東京法科大学政治学科(現在の東大法学部)に入学、穂積八束、一木喜徳郎に学ぶ[1][2]。

記者生活の開始 [編集]

東京府の官吏、保険会社、出版社、下野新聞の主筆などを転々としたのち[3][4]、1903年(明治36年)、大阪毎日新聞に学芸部員として入社するが満足な執筆の場を与えられず退社[5][6]、1907年(明治40年)には大阪朝日新聞に転籍して、大朝通信部詰めという立場で東京朝日新聞社内で勤務、「べらんめえ」と題した匿名時事批評が評判となる[7][8]。

1910年(明治43年)には信濃毎日新聞の主筆に就任した[9][10]。1912年(大正元年)、明治天皇の大葬時に自殺した乃木希典陸軍大将をすぐさま批判した社説「陋習打破論――乃木将軍の殉死」を著し、反響を呼ぶ[11][12]。1914年(大正3年)には、シーメンス事件に関して政友会を攻撃、信濃毎日新聞社長・小坂順造は政友会所属の衆議院議員であったため対立、退社を余儀なくされる[13][14]。

同年には新愛知新聞の主筆として名古屋に赴任し、社説およびコラム「緩急車」で信毎時代と変わらぬ反権力・反政友会的言説を繰り広げるも、新愛知はこれまた政友会系新聞であったことと、同紙と憲政会系・名古屋新聞との激しい販売競争(皮肉にも両紙は太平洋戦争中の新聞統合で中日新聞を形成する)に疲れたこともあり退社する[15][16]。1924年(大正13年)には第15回衆議院議員選挙に無所属で出馬するも落選[17]、落選後は自ら日刊新聞を発行するも1年持たず廃刊[18]負債だけが残り浪人生活を数年送る[19]。

1928年(昭和3年)に、当時の信濃毎日新聞主筆・風見章が 衆議院議員選挙(第一回普選)に出馬すべく退社したため、悠々は同紙に主筆として復帰、再び反軍的な一連の社説を著す。もっとも悠々のこの時代の基本的な立場は、マルクシズム批判であり、これは前任者風見のもとで先鋭左傾化した信濃毎日の社内にも、昭和恐慌で疲弊しつつあった長野県の読者層にも好意的に受け止められてはいなかった[20]。

「関東防空大演習を嗤ふ」 [編集]

1933年(昭和8年)8月11日、折から東京市を中心とした関東一帯で行われた防空演習を批判して、悠々は社説「関東防空大演習を嗤ふ」を執筆する。同文中で悠々は、敵機の空襲があったならば木造家屋の多い東京は焦土化すること、被害規模は関東大震災規模に及ぶであろうこと、空襲は何度も繰り返されるであろうこと、灯火管制は近代技術の前に意味がないばかりか、パニックを惹起し有害であること等、12年後の日本各都市の惨状をかなり正確に予言した上で、「だから、敵機を関東の空に、帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」「要するに、航空戦は...空撃したものの勝であり空撃されたものの負である」と喝破した[21][22]。この言説は陸軍の怒りを買い、長野県の在郷軍人で構成された信州郷軍同志会が信濃毎日新聞の不買運動を展開したため、悠々は同9月に再び信濃毎日の退社を強いられた[23][24]。

個人雑誌『他山の石』 [編集]

以後の悠々はその死に至るまでの8年間を愛知県東春日井郡守山町(現在の名古屋市守山区)にて「名古屋読書会」の主宰者として過ごした。彼自身が紹介したいと考えた洋書を翻訳しその抄訳を会誌で頒布するという仕組みであり、悠々の言論活動は『他山の石』と題された会誌の巻頭言およびコラム「緩急車」に限られることとなった。抄訳紹介にはたとえばハーバート・ジョージ・ウェルズ、ハロルド・ラスキ、ポール・ヴァレリー、ポール・アインツィヒなどが含まれ、悠々の読書範囲の広さをうかがわせる(名古屋の丸善書店では悠々は最上顧客だったともいう)。もっとも、これら翻訳も彼自身の執筆部分も検閲の対象であったから、○○○、×××といった伏字や白紙化されたページが『他山の石』を埋めることもしばしばであった[25][26]。

1941年(昭和16年)9月10日、太平洋戦争開戦を3ヶ月後にひかえて桐生悠々は喉頭癌のため68歳で逝去。その直前、死期を悟った悠々は『他山の石』廃刊の挨拶を作成したが、これもまた数年後の日本の敗戦に対する正確な予言となっていた。(下記中公文庫版p.264より引用。句読点は引用者、一部かな書き化)

(前略)さて小生『他山の石』を発行して以来ここに八個年超民族的超国家的に全人類の康福を祈願して孤軍奮闘又悪戦苦闘を重ねつゝ今日に到候が(中略)時たまたま小生の痼疾咽喉カタル非常に悪化し流動物すら嚥下し能はざるやうに相成、やがてこの世を去らねばならぬ危機に到達致居候故、小生は寧ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつゝある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候も、ただ小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候。 昭和十六年九月 日 他山の石発行者 桐生政次」  

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コメント
 
01. 2012年9月12日 21:36:55 : SYSfaGnWBU
桐生悠々かい。大げさな。生活が選挙で勝って増税法案を廃案にすればいいだけのことでしょ。こういうつまらない「メディアの本分に帰れ「的ななナルシステックな社説を書く前に、消費税増税反対のキャンペーンを大々的に正面からやれよ。それを読んで判断してやるから。まさか、消費税増税は不可避だか、筋論としておかしいとか、逃げをうつんじゃないだろうな。毎日新聞がそうだが。何というか、責任回避的左翼ジャーナリズムの典型じゃないの東京新聞は。

02. 2012年9月12日 21:53:06 : FEC1zKK4NY
東京新聞は新聞のなかでは、もっとも報道義務をはたしていると思う。
消費税増税の怒りはわかるが、東京新聞に増税の責任うんぬんは酷だろう。

03. 2012年9月12日 22:02:34 : SYSfaGnWBU
いや、俺は消費税増税賛成派なんだけど。勘違いさせたらわるい。でも、こういう無駄な社説を書くよりも、正面から消費税反対の論陣を張ったほうが、国民にとって有益なんだよ。俺も、そっちの方を読みたいしね。

04. 2012年9月12日 22:19:19 : Zcwfz3g8dU
 こういう先人がいたことを、しっかり思い出すことは、新聞社にとって誇りでもあり、士気を維持するためにも大事であると思う。
 ただし、中日新聞も、増税前の他紙と同じナアナアな態度、小沢議員への評価など、いうべきことを、「いうべき時に」 いわなかった罪は甚大である。他紙が小沢を政治とカネで避難ゴウゴウだったときに、しっかり新聞として論陣を張るべきだった。これは、消費税増税の時もそうである。「日刊ゲンダイ」にやらせてすました顔をしているのでは、新聞としての、存在意義がない。

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