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弁護士の伊藤真氏に聞く「日本の選挙制度」 「格差是正」という言葉に潜んでいる不平等が分からない人たち
http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/701.html
投稿者 MR 日時 2012 年 10 月 05 日 01:14:48: cT5Wxjlo3Xe3.
 


弁護士の伊藤真氏に聞く「日本の選挙制度」 「格差是正」という言葉に潜んでいる不平等が分からない人たち
2012年10月5日(金)  金野 索一

 日本政策学校代表理事の金野索一です。
 「日本の選択:13の論点」と銘打ち、2012年の日本において国民的議論となっている13の政策テーマを抽出し、そのテーマごとに、ステレオタイプの既成常識に拘らず、客観的なデータ・事実に基づきロジカルな持論を唱えている専門家と対談していきます。
 政策本位の議論を提起するために、1つのテーマごとに日本全体の議論が俯瞰できるよう、対談者の論以外に主要政党や主な有識者の論もマトリックス表に明示します。さらに、読者向けの政策質問シートを用意し。読者自身が持論を整理・明確化し、日本の選択を進められるものとしています。
 今回は【選挙制度】をテーマに弁護士の伊藤真氏(伊藤塾塾長)と対談を行いました。伊藤氏は、1票の不平等の問題をスタート地点の置き方によって解決の方向性が違うと語り、「1票の格差」という票数に差があることを前提にした議論を否定しており、人は皆同じという立場で「1人1票」の絶対平等を唱えています。
 対談の中で、国会議員の定数削減についても「国民に向けてアピールしているようで、実際は、自分たちが仕事をやっていないぞということを自白してしまっているようなものです。」と指摘し、定数削減は立法権を縮小することになり、行政監視という国会の重要な役割を果たす力が縮小されてしまうと警鐘を鳴らしています。
 「いろいろな価値観の人がいて、そのせめぎ合いの中で、世界の趨勢は民主主義という制度にしていくべきだという方向で来ている」と伊藤氏は語っています。選挙制度は民主主義が成り立つための仕組みであり、民主主義に対する理解の違いにより、制度の在り方に相違が生まれます。来たる衆院選に備え、読者自身が選挙制度、ひいては民主主義を見つめなおす機会となれば幸いです。
(協力:渡邊健、宇田幸生)
*  *  *
伊藤真
「伊藤塾」塾長/「法学館法律事務所」所長/「1人1票実現国民会議」発起人
東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、司法研修所入所。
1982年、司法研修修了と同時に弁護士登録。
その後、真の法律家の育成を目指し、司法試験の受験指導にあたる。
2009年より「1人1票実現国民会議」の発起人となり、多くの弁護士、著名人と共に、日本に真の立憲民主主義を実現すべく活動している。
「1票の格差」という表現は誤り。「1人1票」の絶対平等
金野:まずは、1票の格差についてお話を伺いますが、私は、そもそも1票の格差の存在については、これを是正することに誰もが異論がないのではと考えていましたが、実は、格差を容認する考え方もあるそうですね。伊藤さんはどのようにお考えですか。
伊藤:容認するという考えが出てきてしまう1つの大きな理由に、「1票の格差」という問題提起の仕方、日本語での言い方に問題があると思います。
 私たちは「1票の格差」という言い方をしません。「1人1票」、「1票の平等の実現」、「1人1票の実現」という言い方をします。格差というのは、差があることを前提にした議論です。その格差が、例えば、今までの議論であれば、3倍の格差がある、それが2倍の格差まで縮まればいいのではないかということで、『格差』という言葉を使えば、その差が小さくなればそれは成功である、要するに、前へ進んだと考えるわけです。
平等というものをどう考える
 つまり平等というものをどう考えるかというところにかかわる問題でもありますし、憲法の基本原則である「個人の尊重・尊厳」をどうとらえるのか。という違いからくるのだろうと思います。憲法は13条で、「すべて国民は、個人として尊重される」と規定しています。個人の尊重、または個人の尊厳という言葉の意味合いは、人は人間である以上、だれもが皆同じ価値を持っている。ただ、そうはいっても、誰1人として同じ人間はいないのだから、人は皆違う。すなわち、『人は皆同じ、人は皆違う』という、この2つが個人の尊重の本質になるわけです。
 私たちはもちろん、人間の存在価値は同じであり、そこから生まれてきたものが、この選挙権という権利、人権だと考えています。「人格的価値の平等」と憲法の教科書では表されるのですが、人は誰もが皆同じ価値を持っている。1人ひとりが持っている政治的意見の価値も絶対平等だという考えをベースにしています。
 それに対して、「人間は皆違う、姿形が違う、住んでいる地域も違う、文化・伝統にそれぞれの地域でいろいろ違いがある。違いがあるから当然、選挙権の価値にも違いがあっていい」という考えの人たちもいれば、そういう政党もあるということです。
 そういう考え方の皆さんたちは、様々な違いがあるから、1票の重み、すなわち投票価値にも不平等があって当然だという発想をとるわけです。その考え方をとるならば、人間の違いは住んでいる場所の違いだけではない。年収の違い、性別の違いなどもあるわけです。
「違いがある以上、選挙権も違っていい」との発想。でもなぜ住んでいる場所だけ?
 歴史的には、そのような違いがあるから選挙権も違っていいという発想があった時代もありました。でも、そういう違いに着目して選挙権の有無や価値を変えるということは、果たしていいのだろうか。かつては性別という違い、納税額という違い、身分という違いによって選挙権を与える、与えない、または一定の人には二票与えるという制度もあったりしたわけです。そういうことをやってきて、今は住んでいる地域、人口が違う、だから、選挙権の価値が違ってもいいという考えを持っている人たちがいるわけですが、その発想は、その延長線上にあると考えていいわけです。
 ですが、私が疑問に思うのは、そういう皆さんたちは、住んでいる地域、いわば人口の違いだけに着目していますが、もし人は違うから選挙権の価値が違ってもいいというのであれば、例えば、身体障害者の方や生活保護を受けている方など、社会的な弱者と言われる人たちには二票、三票与えてもいい、どうしてそういう違いに着目しないで、住んでいる地域だけに着目するのか、なぜ住んでいる地域の違いだけに着目して選挙権の価値を不平等にすることを正当化するのかと言いたいわけです。
 そもそも選挙権、言いかえれば民主主義の流れが、歴史的には、人は皆違うから選挙権という権利の行使、権利の有無やその価値も違っていいだろうというところからスタートしてきたわけですが、それは違うのではないか、そうやって人の違いに着目しながら選挙権の有無、または1票の重みに差をつけるというのは、どうも本来の民主主義とは違うのではないかというのが、世界の民主主義の進化の流れです。
民主主義の基本について説明しておきましょう
 民主主義の基本は、権力に従わされる側の人間が権力を行使する側に回って、自分たちのことは自分たちで決めるということです。統治される側にいる人間には、能力・学歴・年齢など、個性の異なる様々な人達がいます。しかし、その人達が皆、等しく統治する側に回れるような、少なくともそこに平等に意見を述べることができる制度が、民主主義が機能する上では不可欠です。
 これを法律の世界では「治者と被治者の自同性」という言葉で表します。統治される側の者が統治する側に回る、権力を行使される側の者が権力を行使する側に回る、もしくは少なくとも意見を述べる、権力を行使する者を選べるという制度、その循環が何よりも民主主義であると考えられたわけです。
 なぜそうなのかというのは、それは私たちが「より自由でありたい」、「より平和でありたい」と考えたからです。より自由であるため、つまり、自分の自由を制限することが不当にならないようにするためには、自分で自分を制限することが、最も不当な制限を招かない方法なわけです。
 私たちが自分たちで自由に生きたい、そのために、誰かが決めたことに従うのではなくて、自分が物事の取り決めに参加したい。少なくとも自分が選んだ人に決めてもらいたいというのが、民主主義の本質になります。そしてそのためには、統治される側の様々な人達それぞれが持っている政治的な価値や政治に対する影響力も対等でなければならないという、いわば絶対平等の考え方が必須になるのです。
 その表れが選挙権という権利ですから、その選挙権の1票の重みは、どこに住んでいようが、どんな学歴であろうが、社会的弱者だろうが、強者だろうが、皆同じであるというのが基本で、そこを出発点としなければいけないということです。
絶対平等を体現しているアメリカの判決。日本の最高裁は相対的平等の考え
金野:諸外国では1票の平等という部分は、現状どのようになっているのでしょうか。
伊藤:民主主義の先進国と言われているような国においては、1票に近づけるための制度なりシステムなどを持っています。よく私たちが例に出すのは、アメリカ合衆国ですが、アメリカだけでなく、イギリスやドイツやフランスであったとしても、システムとして1人1票に近づけるべきであるという基本的な考え方は持っていて、問題が起これば、裁判などで是正することもあります。
 米国では上院、下院がありますが、あそこは連邦制の国で、いわば独立国家が50集まっている、まさに合衆国なのです。ですから、EU全体のようなイメージがアメリカ合衆国であり、それぞれの州という名の国の代表が集まる上院と、そうではない下院とでは、全く選挙の制度も違います。下院の方は、できるだけ1人1票に近づけるということになっているものですから、例えば、ニュージャージー州の下院議員の選挙では、1対0.993の差であっても、それは不平等だ、憲法違反だという判決が連邦最高裁判所で出ています。
 1票に近づけられる余地が残っている限りはもっと近づけないと、それは憲法違反だという判断をアメリカではするわけです。アメリカは民主主義のためにつくった国ですから、そういうものをより徹底しようと考えているのだと思います。
 このように、1人1票にするべきだ、しなくてはいけない、でも、現実問題としていろいろな障害があるから、今のところ仕方がないけど何とかそちらに近づけたい、というのであればまだわかります。しかし、残念ながら日本の反対論は、そもそも1人1票である必要はないという前提からスタートしてしまっており全く質が違う、根本の発想が違うということが言えます。
金野:そういう意味では、今の0.993ですら違憲だというアメリカに対して、日本は最高裁で衆議院では2.0未満、参議院では6.0未満の格差の範囲内であれば憲法には違反しないという判断をしていますね。
伊藤:冒頭で申し上げたように、最高裁でも1票の格差というスタートに立ち、余りにもひどい格差は駄目だが、それが少しでも是正されればいいのではないか、どの辺まで是正されればいいのかという観点から判断がされてきました。最高裁は、衆議院では3倍を超えると駄目とは言わないけれども、結果的にはそう見えるような基準を持っていたのではないかと思っています。
 一方で参議院では6倍を超えると違憲という判断をし、5倍を超えていても、「著しい不平等ではない」ということを言い続けてきました。最高裁は、差があって当たり前という従来の平等論を前提にし、「著しい」という非常に曖昧な主観を伴うような線引きで判断しようとしてきました。私なら5倍も差が開いたら「著しい」と思いますが、最高裁の判事たちは5倍では著しくはないと考えていたわけです。
「2倍以上が違憲で、2倍未満ならば許される」世界
 ここで言う従来の「平等論」は、相対的平等といって「人は皆違う。だから、違うものは違って扱っていい」という考え方です。憲法14条の平等権の一般的な考え方です。所得が違うから所得税の税率も違っていい、初犯か再犯かが違うから刑罰が違っていいというように、人の違いに着目して違った扱いをしていいというのが憲法の平等論の基本にあって、それを相対的平等といっています。
 最高裁は、この考え方をベースに、この1票の問題も考えてしまっていたので、先ほど言った、違いがあるから差があって当たり前であり、ただ、著しい不合理な不平等は許されないとしているのです。そして、その上で、著しい不平等、不合理な不平等はどの辺かという線引きをしていたのです。それが衆議院ならば3倍を超えたらまずい、2倍がせいぜいではないかという議論だったわけです。
 なぜ2倍なのかというと、1人2票与えてしまうのと同じことになってしまう。複数投票になるからおかしいという考え方がベースにあったのです。実は私も、この大間違いに気がついていませんでした。私自身、かつてはこのような考え方に沿った意見を講義でも言っていました。
 でも、2倍以上が違憲で、2倍未満ならば許されるというのは、言葉をかえれば、0.50票の価値しかないのは違憲だけれども、0.51票の価値なら合憲だということを意味することになります。しかし、0.50は駄目だけど0.51ならよいという合理的理由がない、それはどう考えてもおかしいということに、数年前に気づいたわけです。
 これまで最高裁が、3倍超なら憲法違反だと判断すると、国会では、じゃあ3倍以内におさめよう、例えば2.9倍にすれば、是正したということになっていました。今回も2.3倍が駄目なら2倍未満ぐらいに是正すればいい、1.6倍、1.7倍といったところに是正すればいいという発想になってしまう。それは1票の格差という発想が前提にあるからです。でも、それでは0.6票ぐらいにしかならないということになるわけです。もっと1票に近づけられるのにそこまでやらないというのは、やはりおかしいのではないかというのが、私たちの主張です。
憲法(1人1票)はOS、選挙制度はアプリケーション。最適なのは比例代表
金野:ここでもう1つのテーマであります選挙制度に行きますけれども伊藤さんは、選挙制度についてどのようにお考えですか。
伊藤:そもそも選挙は民主主義が成り立つための仕組みなわけです。主権者である国民が治者の側に回って意見を述べ、代表者を自分たちの意思で選ぶという、いわば民主主義の要なわけです。このような民主主義が成り立つためには、担い手である主権者自身が、主体性を持って必要な情報を入手し、主体的に考えて、主体的に行動できることが必要です。それから、その主体性を発揮できるようなシステムが構築されていて、そのシステムが適切に運営されていること、この2つが必要なことだろうと思っています。
 このうち、国民、主権者が自らの問題として主体性的に動くにあたっては、前提として適切な情報を主権者が入手できる必要があります。例えば、選挙の場面等で適切な情報を入手できるような選挙運動─インターネットでの選挙運動などは不可欠だと私は思っていますし、戸別訪問という選挙運動も認め、自由な選挙運動をやはりきちっと認めるべきと考えています。 
 それとともに、選挙を通じて意思表明をするときのシステム自体が成り立っていることが必要です。そのときの基本システムというのは選挙ということになりますが、そのときに重要なのは、憲法という基本的なシステムの上に選挙制度などがのっかっているという、その構造も覆してはいけないということです。憲法があって次に法律だという構造と同じように、憲法という、簡単に言えばOSがあって、その上に選挙制度というアプリが動いているというようなイメージです。どんなアプリ、選挙ソフトにしようが、あくまでも憲法というOSの上で動くようなものでないと駄目です。
 もちろん、そのOSそのものを、時には改憲という形でバージョンアップするということは必要かもしれませんが、少なくとも現在のOSの上で動くような、それに適合するような選挙制度アプリでないと駄目だということが言えます。
 そこで、憲法というOSが何を要求しているかを知る必要があります。それが先ほど言った1人1票の実現です。ですから、1人1票という要請はOSレベルの話なわけです。憲法レベルの話ということは、OSレベルの話であって、どんな選挙制度を構築するにしても、1人1票ということに適合するような選挙制度でなければ、そもそも認められない、そもそも民主主義というものが動かないということになります。
 ですから、例えば、小選挙区制、中選挙区制、大選挙区制、比例代表制、その併用制、連用制、並立制、いろいろな選挙制度があるわけですが、基本はまず1人1票というOSのもとで動くものでなければいけない。そこをスタートラインにして、いかなる選挙制度にすべきかという議論をしていかなければならないのです。
主権者の多様な民意を忠実に反映できる制度に
 もう1つは、民主主義という観点で考えたら、主権者の多様な民意をできる限り忠実に国政レベルに反映できるような制度であるべきだろうと私は考えています。そして1人1票の実現ということで考えると、比例代表という選挙制度が最も適切であると思っています。その場合、本来ならば全国一区の比例代表が最も単純明快なわけです。
 もっとも、この場合には、全国的に有名な人しか当選できないとか、選挙運動に費用がかかり過ぎてしまうとか、いろいろな現実的な問題点が生まれてきます。そこで場合によってはブロックに区切った形の比例代表や、みんなの党が主張しているようなブロックごとに候補者は出すけれども、議席配分自体は全国レベルで政党ごとの議席配分をするというような仕組みが出てくるわけです。
 なお、比例代表はその沿革から政党本位の選挙と言われています。ただ、政党に属さない無所属の候補者のために、1人政党のようなものも設けて構わないだろうとも思っています。比例代表という枠の中であれば、そういった1人政党的なものも認めた上で選挙をすればよいと思っています。
 政権交代を可能にするということで現在の小選挙区比例代表並立制が採用されてきたわけですが、これだけ民意が多様化してきた時代に、小選挙区、2大政党制というものが果たして適切かどうかということは、やはりきちっと検証しないといけません。私は余り適切ではないと思っています。
 なぜなら、民意が多様化したということは、2大政党にのらない声もそこにはあるはずであって、そういった意見を一旦は代表として吸い上げた上で、国会の中の審議、討論の過程でその意見も反映させるべきだからです。
 2大政党制、小選挙区制ということになったら、少数意見はどうなるかといったときに、それは選挙のレベルのところで淘汰されることになるわけです。そうすると、小選挙区だからその選挙区の中で十分な審議、討論を有権者レベルで行って、その審議、討論の過程の中で、有権者それぞれが少数意見にも配慮した上で投票して、そして選挙区から1人当選するということがうまく機能すれば、2大政党制、そして小選挙区制でもいいのかもしれません。
 しかし、なかなかそれは難しいと思っています。ならば、少数意見を吸い上げて淘汰するということは、選挙のレベルではなく、やはり議会の、国会の審議、討論を経た後の採決の場面で行われるべきではないかと思っています。
 ですから、一旦はそれぞれの少数意見を持っている人たちの代表者が、1人でも二人でも国会に送り込まれて、その国会の審議、討論の過程の中でオープンな、国民の目に見える形で、その少数意見の代表者も発言をし、議論をし、そしてその上で多数決によって物事が決まっていく。そこで、少数意見だからある意味では切り捨てられてしまったとしても、オープンな公開の場での議論として、そのときの少数派や少数意見というのは、国民の目にさらされますので、次の選挙のときに、こっちの方がいいなといって、そのときの少数意見が多数意見に変わる余地はあるわけです。
2大政党制、政権交代、議員定数削減。現在の常識は本当に正しいか
金野:政権交代の可能性という意味で2大政党制だ、小選挙区だというけれども、それはそもそも選挙制度の問題ではない。小選挙区制でない国でも政権交代は起きているわけなので、そういう意味では先ほどおっしゃった小選挙区制や2大政党制のようなものは、世界の中でもイギリスとアメリカぐらいのものですね。
伊藤:ごく少数になってしまいました。イギリスでも最近、小選挙区制を見直そうという動きがでているようです。民意が多様化してきた今日の時代に合う選挙制度を考えたときには、19世紀以来の小選挙区、2大政党制、政権交代というモデルがこれからもふさわしいかというと、ちょっと違うような気はします。逆に比例代表のようなものであっても、その組み合わせ方やその政党が独自性を出すことは幾らでもできるわけです。
 昔は比例代表だと不安定になる、安定政権にならないと言われていましたが、比例代表制を採用しているヨーロッパの多くの国の政権は安定していて、結局は政治家の資質なり、そこでの政策をどう国民にアピールして、国民がその政策を理解してどう判断するかというところの問題ですから、比例代表制だから何か不安定になってしまうとか、政権交代が不可能になるというような話ではないとは思います。
議員定数削減に関しては・・・
 それから、議員定数削減という問題もあります。しかし、それもやはり先ほど言った憲法のOSのもとで動くような定数、選挙制度のもとでの定数でなければいけないと思いますから、定数を削減するのか、増員するのかということは本質的な問題では全くありません。
 ただ、私はどちらかといえば国会議員は増やすべきだと思っています。国会議員を削減すべきだと国民が感じるのは、仕事していない議員が多過ぎるのではないか、もっと言えば、無能な議員が多過ぎるのではないか、そういう議員なら要らない、もっと少数でいいということなのかもしれません。
 ですが、国会議員の数を減らすということは、立法権の権力を縮小することにほかなりません。これは、三権分立を考えたときに、行政権、もっと言えば官僚の力がどんどん肥大化している中で、その行政権、官僚支配を抑制する力をあえて縮小することになるわけです。
 要するに、行政監視という国会の本来の重要な役割を果たす力が縮小してしまうのです。最近やっと国政レベルでも行政監視委員会や決算行政監視委員会などで仕分けのようなものをやるようになってきました。民主党の1回生議員やいわゆるヒラ議員などが中心になってそういうことをやるようになりましたが、そういった行政監視はもっと必要です。
 ですから、例えば、予算をつけたけれども、その予算がどう使われたのか、本当に効果的だったのかということを、逐一きちっとチェックして、そのチェックを踏まえて予算編成をしていくという正しい財政民主主義を機能させるためには、国会、議会による行政監視が今まで以上に重要なはずです。
 そして、これだけ政治課題が多様化し、複雑化している中で、国会議員の数を少なくすることは、まさに重要な政策課題、国政の問題について専門家が少なくなるということを意味します。多様かつ複雑化した国際社会の中で日本という国家のかじ取りをしていこうとしたら、それなりの専門知識を持った国会議員がそれぞれの分野にどうしても必要です。
議員を減らせば解決するのか?
 かつて自民党時代にはそれが族議員と言われてしまって、利権を引っ張っていくことにつながってしまいましたが、そういうものとは離れて、専門的な部分を深く極めるということは必要だと思っています。議員を少なくすることになれば、例えば、今まで別々の議員が取り組んでいた国防問題、財政問題を1人の議員が両方ともやらなくてはならなくなり、どちらの問題も中途半端になってしまい、結局は官僚の言いなりになってしまう。
 「先生、その問題、本当はこうなんですよ。やっぱり消費税を上げないと駄目です」と言われて、「ああ、そうか。じゃあ、もっと勉強するよ」ということで、彼らの勉強がすべて官僚の言いなりの勉強になってしまうわけです。独自に勉強し、力をつけて監視するという点から考えたときには、国会議員の役割は今後ますます重要だろうと思っています。ですから、国会議員自身が専門知識を身につけ、そして行政監視や重要な政策課題について正しい判断ができるようになる。
 そして、私たち国民がそういう国会議員を選ぶ。言いかえれば、定数の問題ではなくて、適切な、能力のある議員を選べていないというところに問題の本質がある。にもかかわらず、国会議員が身を切るといった一般受けする言葉にすりかえられてしまっていることに私たちは気付かなければなりません。
金野:あとは少数政党を減らすことにつながりますよね。
伊藤:そもそも議員定数を減らすときに、比例代表の数を180から100に減らすという案になっていますね。しかし、それでは先ほど話した多様な民意の反映に全く逆行してしまいますから、行政監視という点でも、民意の反映という点でも大問題になってしまいます。ですから、何の合理性もないというか、いいところはないような気がします。
議員にカネがかかるというのはどういう意味か。理想の選挙制度とは
金野:歳費を減らすというぐらいなら、逆にスタッフを増やすのはどうでしょうか。政治家本人の給料を下げてもと思いますが。
伊藤:政治家に対するカネがかかり過ぎているというのならば、人数はそのまま、適切な人員にして、給料は半分にすればいいというやり方と比較検討する。それだと議員が仕事ができないというなら、議員が仕事をするためのスタッフに予算をつける。1人に対して10人ぐらいの専門スタッフをつける。アメリカのような仕組みにして議員立法をもっと増やさせるということをすればいいわけです。
 ただ、議員にお金がかかるというのは、どちらかというと選挙運動にお金がかかるという意味が強いと思います。もちろん国民に議員としての活動を伝えるということは大切かもしれませんが、政策を立案していくというところにもっと費用をかけて、スタッフに費用をかけていく。そういうお金の使い方ができる議員を選ばなくてはいけないということです。そうすると、結局は1人1票のところに話が戻っていくわけです。今までは地域に利権を引っ張ってくれる力のある人を送り込めばいい、官僚とコネがある人を送り込めれば、それでよかったわけですが、これからはそれでは駄目だということです。
金野:伊藤さんがお考えになる理想の選挙制度は比例代表であることは、先ほど1部おっしゃいましたが、もう少し具体的にはどういうものでしょうか。
伊藤:そうですね。私の理想に近いのは、比例代表をベースに、全国レベルで政党本位に議員定数を配分するという、みんなの党の案です。この案だと、完全に1人1票になります。選挙運動自体は幾つかのブロック内で行っていくということで、政党の考え方や候補者のことを有権者に知ってもらいやすいようにして、議席数の配分は全国レベルの比例代表で行う。
 そして、政党ごとの議席をどのブロックに割り振るかは政党の中で、個人の得票率などに応じて配分していく仕組みです。これは、先ほども言った1人1票と、民意の反映と、あとは現実的なものを、とりあえずはうまく妥協的に調整できている案だと思います。それから、繰り返しになりますが、定数は削減すべきではないだろうと思っています。
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注釈:マトリックス表、論点表における有識者、政党の見解、ポジションについては、各有識者・政党の公表されている資料や著作物、発言等を参考に、著者と日本政策学校専門チームが、独自のフレームワークで分析・推察したものです。

金野 索一(こんの・さくいち)
日本政策学校 代表理事
コロンビア大学国際公共政策大学院修士課程修了。
政策・政治家養成学校、起業家養成学校等の経営、ベンチャーキャピタル会社、教育関連会社、コンサルティング会社等の取締役、公共政策シンクタンク研究員を歴任。
このほか、「公益財団法人東京コミュニティ財団」評議員など。
《主な著作物》
・『ネットビジネス勝者の条件ーNYシリコンアレーと東京ビットバレーに学ぶ』(単著:ダイヤモンド社)
・『Eコミュニティが変える日本の未来〜地域活性化とNPO』(共著:NTT出版)
・『普通の君でも起業できる』(共著:ダイヤモンド社)



13の論点
2012年の日本において国民的議論となっている13の政策テーマを抽出し、そのテーマごとに、ステレオタイプの既成常識にこだわらず、客観的なデータ・事実に基づきロジカルな持論を唱えている専門家と対談していきます。政策本位の議論を提起するために、1つのテーマごとに日本全体の議論が俯瞰できるよう、対談者の論以外に主要政党や主な有識者の論もマトリックス表に明示します。さらに、読者向けの政策質問シートを用意し、読者自身が持論を整理・明確化し、日本の選択を進められるものとしています。http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121001/237501/
 

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コメント
 
01. 2012年10月06日 22:11:57 : WCSkHhyFh0
元々自民党が放置した問題で厳しい説明責任義務があり、まして近親者などに同選挙区地域に世襲継承譲渡行為が根幹の問題である。この事があるからいつまでも選挙改革や国会定員と選挙票の問題が進展がないから。
 次回は公開の場で政権与党の民主党議員と長年放置し無視した責任でもある自民党の現職議員(特に多選議員と族議員や派閥の長など)と自民党元議員(特に重鎮)や少数野党などにも出席させて貰い、特に自民党議員に厳しい詰問と厳しい説明責任義務をさせて頂くようにお願いをしたい。

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