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『最高裁の罠』とは何か。『最高裁の罠』を読むと国家権力の恐ろしさが分かる!!!ー「小沢裁判」と…(17)(山崎行太郎)
http://www.asyura2.com/12/senkyo138/msg/496.html
投稿者 SOBA 日時 2012 年 11 月 09 日 08:51:05: LVbi13XrOLj/s
 

(以下転載始め)

『最高裁の罠』とは何か。『最高裁の罠』を読むと国家権力の恐ろしさが分かる!!!ー「小沢裁判」と「最高裁スキャンダル」再考(17)
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20121108

僕は、本質的に国家主義者である。アナーキストでも社会主義者でも、ましてや革命主義者でもない。つまり、国家が、危急存亡の危機に直面するような場合、現在の国家体制を維持していくためには、国家権力は何をやってもいいとさえ思っている。しかし、余程の未曾有の国家存続の危機に直面しないかぎり、たとえば戦争や革命、あるいは軍事クーデターにでも直面しない限り、国家及び国家権力は、その「牙」を剥き出しにすべきではないと思っている。国家及び国家権力は、合法的に人を殺すことが許された唯一の存在である。マックス・ウェーバーも言うように、国家は、一種の「暴力装置」であり、ウォールター・ヴエンヤミン的に言い換えれば、「法の下には暴力が秘められている」ということだ。しかし、平和な時代には、その「暴力」が顕在化することはない。国家の暴力装置が発動されるのは、国家が危機的状況に陥った時である。小沢事件や小沢裁判における検察、最高裁、官僚、マスコミ・・・など既得権益層の動きを見ていると、その「危機感」と「必死さ」に、「何を勘違いしているのだろう」と、思わず笑いたくなる。「政権交代」や「小沢一郎首相」をそれほど恐れる必要があったのだろうか。国家権力が、返り血を浴びる覚悟で、その「牙」を、つまり「法的暴力」を剥き出しにして、特定の政治家に対して襲い掛かる必要があったのだろうか。小沢一郎は確かに、保守派政治家というよりは「改革派政治家」かもしれない。しかし、現在の日本の国家体制を危うくするような「反国家主義者」ではない。せいぜい、戦後的な「自民党支配」「官僚支配」「米国支配」体制を打破、改革し、新しい健全な民主主義体制を再構築していくという程度の、かなり穏健な改革派政治家でしかない。私は、小沢事件や小沢裁判という政治的な謀略・陰謀事件は、現在の日本の国家体制を支えている支配層の思想的堕落を象徴する事件だったと思っている。彼らは、「政権交代」と「小沢一郎首相」の登場を、「革命」か「クーデター」レベルの国家的危機と勘違いしたのである。もちろん、彼ら支配層の思想的堕落がもたらした勘違いである。特に、検察や最高裁というような「国家そのもの」とも言うべき暴力装置までが、「政権交代つぶし」「小沢一郎つぶし」に加担したと言うことの意味は、大きい。その結果、国民や一般市民の反撃にあい、大恥をかいたわけだが、検察や最高裁の「暗部」や「恥部」が、これほど暴露されるということは、むしろ、そのことの方が、現在の国家体制の危機を表している。検察や最高裁・・・が、社会的に重要問題として話題になること自体が、日本の国家的危機である。これは、日本という「国家の弱体化」「国家権力の堕落」が進んでいるということである。自民党や、自民党の御用文化人の巣窟と化した保守論壇が思想的に地盤沈下し、脆弱になり、つまり「愚者の楽園化」した結果、勘違いした上に、異常な「小沢一郎批判」「小沢一郎罵倒」に熱中するのは分からなくはない。しかし、検察や最高裁までが、「小沢一郎批判」「小沢一郎罵倒」に加担し、熱中するとは、日本の国家権力の中枢部までが、自民党、保守論壇とともに腐食し、悪臭を放ち始めていると言うことであろう。以下は、志岐武彦氏のブログからの引用である。(続く)



11月6日 『最高裁の罠』で、「国家権力の恐ろしさ」が分かる!
 http://civilopinions.main.jp/

文芸評論家・哲学者山崎行太郎氏との共著『最高裁の罠』の出版が本決まりになった。

 2年間にわたり追及してきた「小沢検察審査会の闇」と、その闇追及の過程で明らかになった「世紀の最高裁スキャンダル」を世間に公表できることになり、正直ほっとしている。

 出版社が、「月刊日本」次号で「検察審査会」特集を組んで盛り上げるそうだ。

 出版を快諾いただいた「月刊日本」の南丘喜八郎主幹の「蛮勇」と「勇断」に、あらためて感謝したい。

 著した内容は、国民にとっては知らないことばかりだ。

 本当かと誰もが疑うほど、その内容は衝撃的だ。

 何故、国民はそれを知らないのか?

 最高裁は、「守秘義務」「非公開」を盾に情報を一切発信せず、そして、大マスコミは、最高裁のスキャンダルについては一切報道しないからである。

 皆さんは以下のことをご存知だろうか。

1.最高裁の中に、強力な権力を持った秘密組織「最高裁事務総局」が存在する。

2.「最高裁事務総局」が裁判官・裁判所事務官等の人事、予算などを握り、「司法行政」を支配している。

3.「最高裁事務総局」が上記の権限を利用し、裁判官を支配し、個別の判決にも影響を与えている。 「鈴木宗男裁判」「陸山会裁判」「原発訴訟」などしかりだ。

4.「最高裁事務総局」は巨額の裏金作りを元裁判官から訴えられ、裁判が行われている。

5.「最高裁事務総局」が、昔から「官製談合」を行っている。

6.「最高裁事務総局」が、昭和23年検察審査会制度発足以来、「検察審査会事務局」の人事、予算、計画、会計などの全ての権限を持ち、支配してきた。

7.「2度の起訴議決により強制的に起訴がなされる」よう法改正がなされ、最高裁は「市民に起訴権を持たせた」と言っているが、実質的に「最高裁事務総局」が起訴権を持った。

8.小沢検審では、検察審査員を選ばず、審査会議を開かず、起訴議決書を創作したことが確定的だ。

 おそらく、大部分の人は上記のことをご存知ないだろう。

 

 ところが、この8つのことは、事実あるいは状況証拠から正しいのである。

 『最高裁の罠』を読んで頂ければ、そのことを理解し、最高裁などの国家権力に対する認識が大きく変わると思う。

2012年11月 6日

(以上転載終り)
 
 
 
 
 
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コメント
 
01. 2012年11月09日 09:54:52 : vQbBv9OPUk
> 6.「最高裁事務総局」が、昭和23年検察審査会制度発足以来、「検察審査会事務局」の人事、予算、計画、会計などの全ての権限を持ち、支配してきた。

『「最高裁事務総局」が、昭和23年検察審査会制度発足以来、「検察審査会事務局」の人事、予算、計画、会計などの全ての権限を持ち』は当然のこと。
この権限を小沢一郎へ与えよと言いたいのか?

> 7.「2度の起訴議決により強制的に起訴がなされる」よう法改正がなされ、最高裁は「市民に起訴権を持たせた」と言っているが、実質的に「最高裁事務総局」が起訴権を持った。

『「2度の起訴議決により強制的に起訴がなされる」よう法改正』を行ったのは、国会である。この法改正に小沢一郎が反対したとは聞いていない。
自分が起訴されると、『実質的に「最高裁事務総局」が起訴権を持った』とケチを付けるのが小沢一郎。

小沢一郎は裁判で「分かりません」「知りません」を連発したが、判決では「知っていた」「分かっていた」と認定されている。
つまり、小沢一郎は裁判でも大嘘を吐いた嘘吐きだと認定されている。


02. 2012年11月09日 11:31:20 : POscEtbz5M
>>01
同じことを、あちらこちらで、何度でも書き連ねずに、ご自分たちのサイトを立ち上げたらいかがでしょう。
または、皆さんのように、御自分の主張を出版なさったら、いかがでしょう。

03. 佐助 2012年11月09日 12:00:46 : YZ1JBFFO77mpI : TUhrPgEJIU
大変難しいですね

「永田町の論理」「霞が関の論理」「司法クラス」では,お互いの既得権益を主張しつつ,既成の国家秩序を護持すると点で一致している。つまり政治家と官僚そしてマスコミクラスは,既成秩序の護持で一致しているために,その対立矛盾は,ベールに包まれてハッキリと見えない。田中真紀子文化相の件でも分かるように,官僚の政治家に対する利己的行動で明らかである。ようするに,それぞれの既得権が侵害されない限り首がすげ替えられることはないが,侵害されると判断すると追放される。その矛盾点は隠れて見えない。

既得権益護持集団のシロアリ駆除していたら,既得権護持のスズメバチに襲われ,皆殺しされてしまう。霞が関の論理=官僚クラスの思考と行動が,社会的個人の論理から遊離しているからである。だから次々とその姿を変え,出没する。永田町とマスコミ,司法のクラスも同じで,社会や国民から遊離してしまっている。これを民主的な社会にすることは大変困難であるといる。


04. yokorason 2012年11月10日 17:17:29 : kZ2KG/bgjrOJ2 : QBrYpzDGwo
法治国家を自称するわりにはあまりにもお粗末な我が国の司法事情。まず、司法と言えば検察、検事のことだと勘違いしている感があるが、彼らはれっきとした行政の人間であり、司法と言えば司法府、イコール裁判所と裁判官を指す。
 ところが、国民の勘違いを良いことに、判検交流などというシステムを考え、判事と検事をたまには入れ替えて仕事をさせている。従って、そういう人事も全て法務省が行うのだから、三権分立には全くなっていないのだ。
 同じ研修所で同じ釜の飯を食った同期生が教官に肩を叩かれて判事になったり、検事になったり、リベラル過ぎて法務省に気に入られなかった者は弁護士となる。従って、彼らが一堂に会する法廷ではどのようなシーンが展開されるか。裁判官と検事は法務省に人事を握られているからあうんの呼吸であり、検事側に鋭い質問を投げかける裁判官など皆無と言って良い。かつまた弁護士は、判事にも検事にも推薦されなかった負い目でもあるのか、完全に腰が引けている。クライアントを守るのが自分の仕事だと思っているような弁護士もなく、クライアントは裁判所という三者の仕事場のカモネギに過ぎない。実際に裁判をやると良くわかるが、三者が対等の立場で火花を散らすような法廷闘争が出来る状況には全くなっていないのだ。法を中心とした正義の追及、丁々発止とした論争など見られることはない。それが疑似法治国家日本の現実だ。
 一度判事出身の弁護士に、「法務省が裁判官の人事をやってますからね」、と言ったら、すごい剣幕で「そんな事あるわけないだろう!」と怒鳴られた。
 庶民だって、知っている者は知っている。霞が関が事務総局という名称で裁判官の人事にまで口を出している仕組みは。庶民は何も知らないだろう、とタカをくくっているのだから、やはり判事、検事、弁護士の世界も狭量なムラ社会なのだ。
 

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