★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK139 > 129.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
田中大臣の不認可問題の影にあるもの「市場と大学」の利益相反   大学が多すぎる
http://www.asyura2.com/12/senkyo139/msg/129.html
投稿者 MR 日時 2012 年 11 月 17 日 12:23:34: cT5Wxjlo3Xe3.
 


田中大臣の不認可問題の影にあるもの
田中真紀子文科相は秋田公立美術大など3大学の2013年度開校を不認可とした問題について6日に大学設置認可に関するあらたな検討委員会を発足させる意向を表明した。
文科相の諮問機関である大学設置・学校法人審議会の見直しをこの委員会で行い、改めて3大学の設置認可を判断することとして、来春の開学への可能性を残す考えである。
大臣は設置審議が「許可されてから工事をするならわかるが、ビルが建って、教員も確保してから、認可申請をするというのは筋違いだ」と批判した他、設置審議会の構成が委員29名中22名が大学関係者であることを咎めて、「多くのジャンルの方の意見を聞きたい」とした。
不認可という爆弾を放り投げてみたものの、世論の袋叩きに遭って、あわてて引っ込めたということである。
政治的にはそれだけの単なる失策に過ぎないが、この失策の背後には大学教育をめぐる本質的な問題点がいくつも透けて見える。
ひとつは文科相が「大学は多すぎる。もっと減らせ」という主張にはおそらく広範な世論の支持があるだろうと事前に予測していたということである。
この予測はある意味で間違っていない。
少なくとも文科相本人はそれを願っていたはずだし、彼女の周囲の政治家や財界人も同じ意見だったはずだからである。
「大学はこんなに要らない。大学生といえぬほどの低学力のものたちを4年間遊ばせておくのは資源の無駄だ」というようなことをビジネスマンはよく口にする。
これから彼らからすればごく当然の要請である。
この6月に、首相召集の国家戦略会議で、財界人代表のある委員が「大学が増えすぎて学生の質が下がった。専門知識はおろか一般教養も外国語も身についていない。大学への予算配分にメリハリをつけ、競争によって質を上げよ。校数が減って、大学進学率が下がってもいい」と主張した。
大学生の学力が低下しているのは事実である。
別にそれは大学が増えすぎたせいではなく、中等教育で基礎学力が担保されていないからである。
ほんとうに日本人の学力低下を懸念しているとしたら、「さらに教育機会を減らせ」ということを主張することは話の筋目が通らない。
知性的な成長のチャンスは、どう考えても、教育を受ける時間の長さと相関するからである。
どれほど学力が低いとはいえ、中卒、高卒で学業を終えるより、大学まで出た方がまだましである。
四年長く学校に通っているうちに、思いがけないきっかけで爆発的に知性的活動が活発化するということは少なくない。
それは大学教員として確言することができる。
大学が増えすぎて学生の質が下がったというのは事実であるが、それは「大学が増えすぎて日本の若者の知的な質が下がった」ということとは違う。
大学が増えたことによって、日本の若者たちの高等教育を受けるチャンスは明らかに増え、全体の学力は(わずかなりとはいえ)底上げされてきた。
たしかに大学を減らせば、淘汰を生き延びた少数の大学への入学は困難になり、入学者については「平均学力が前より上がった」という結果が見込めるだろう。
だが、それは「日本の若者たちの平均学力が上がった」ということを意味しない。
若者たち全体の平均学力は下がる。
必ず、下がる。
では、なぜ若者たちの平均学歴が低下し、平均学力が低下することを財界人は要求するのか?
もちろん、それが彼らに大きな利益をもたらす可能性があるからである。
中等教育の内容を理解していないものは大学に入学させないという縛りをかければ、おそらく現在の大学生の3分の2は高卒で教育機会を終えるだろう。
そうすれば毎年数十万の低学力・低学歴の若年労働者が労働市場に供給されることになる。
財界人たちはこれを待ち望んでいるのである。
この最下層労働者群は信じられないほどの時給で雇用できる可能性がある。
生産拠点の海外移転が進むのは、国内では人件費が高いからということが最大の理由であった。
人件費が大幅に下がってくれるなら、何も海外に出ることはない。
海外は、言葉は通じないし、インフラは不十分だし、政情も不安定である。
政情の不安定がどれほど巨大な損失をもたらすか。
そのことは中国に生産拠点を移した企業が今回の反日デモで骨身にしみたことである。
中国も人件費が高騰してきたので、目端の利く企業はすでに工場はインドネシアやマレーシアに移し始めている。
いずれインドネシアやマレーシアでも中産階級が形成されれば人件費が高騰する。
そうすると今度はミャンマーかスリランカか、あるいはアフリカか。さらに人件費の安い地域を求めて工場を移転させなければならない。
この「引っ越しコスト」はすでに侮れない額に達しつつある。
それなら、社会的インフラが整備され、政情が安定している日本国内に「超低賃金労働者」を組織的に生み出す方が企業の国際競争力は増す。
スマートな考え方である。
だから、この10年、財界人たちはずっと「日本の大学教育は国際競争力がない」ということを言い続けてきた。
そこにはもちろん「だからもっと教育研究のレベルを上げろ」という激励の気持ちがこめられていた。
だが、同時に「だから低学力の大学生は低学歴・無資格状態で労働市場に大量に放出しろ」という人件費の算盤も弾いていたのである。
誤解して欲しくないが、私はそれを責めているわけではない。
先方はビジネスをされているのである。
どうすれば儲かるかを考えるのは当然であり、その筋からすれば、「大学を減らせ」というのは「選択と集中」戦略からも、「低学力=低賃金労働者の大量供給」戦略からも一石二鳥のきわめてスマートな政策なのである。
田中文科相の「大学を減らせ」はこの財界の意向を承けて述べられた。
だから、彼女は世論の圧倒的な支持が得られるだろうと思ったのである。
だが、世間の人たちは一般論としては「大学は多すぎる」という主張に賛同はしても、各論的に「じゃあ、お前勉強できないんだから、大学行かずに働け」と言われたら、「それは嫌」なのである。
大学を出ても正規雇用にありつけるかどうかはわからない。
でも、大学を出ないと正規雇用にありつけるチャンスはさらに減る。
だったら、どんなにレベルの低い大学でもいいから、数が多い方が「オレ的」には助かる。
そういう各論的な「切ない事情」があるせいで、「大学を減らせ」という一般論が財界人たちの朝食会の話題以上には拡がらないのである。
理論的には、大学を減らして、学生の学力を上げることは簡単である。
中卒者・高卒者に正規雇用と高い賃金を約束すれば、「大学行くより働きたい」という若者はいくらでも出てくるだろう。
企業の方々が高卒者に厚遇を約束すれば、お望み通りに、大学生の学力は急カーブで上昇し、不要な大学はばたばたと淘汰されて消えるであろう。
なぜ、国家戦略会議の委員たちの誰一人それを思いつかないのか?
彼らが全員致命的に愚鈍であるという可能性を除外すると、理由は一つしかない。
「人件費コストが上がる」という選択肢はいついかなる場合でも彼らにとっては「論外」だからである。
そういう雇用環境だからこそ、現に若者たちは大学に「逃げて」いるのである。
それが現実との直面を4年間先送りにしているだけのモラトリアムだとわかっていても、ひとりひとりにとっては4年間は貴重な時間である。
雇用環境が劣化すればするほど、若者たちは就業機会を先延ばしにする。
現に大学院への進学者は過去20年で6・8%から13・4%に増えた。
これを「日本の若者たちの研究志向が高まった」と解釈する人はいないだろう。
みんな「逃げて」いるのである。
劣悪な雇用環境との直面を先送りしているのである。
田中大臣は財界人と飯を食う機会はあるが、就活している学生の愚痴を聞く機会はなかったので、同じ問題に二つの面があるということを知らずにかかる放言をなしたのである。
これが問題の第一。
もう一つは、設置審のメンバーに大学人以外の「多くのジャンルの人」をという発言である。
「多くのジャンルの人」と言ったときに大臣の頭の中に、武道家とか能楽師とか小説家とか精神科医とかは浮かんでいないと私は思う。
彼女が設置審に入れたいのはビジネスマンである。
ワタミの社長とかユニクロの社長とかローソンの社長とかを呼んできて旧弊な教育観にしがみついている大学人に「がつん」と活を入れてやらねばと思ったのである。
いや、言い訳はよろしい。
それくらいのことはわかる。
どの大学が生き残りどこが退場するかは市場が決定するのだという理屈を大学人たちにたたき込んでやってくれ、と。
大臣はたぶんそう願ったのだ。
彼女が忘れているのは、どうしてこんなに大学が増えたのか、その理由である。
91年の設置基準大綱化以来の設置基準の緩和の流れが何を意味していたの、もう一度思い出して欲しい。
そのとき文科省はそれまでの「護送船団方式・親方日の丸」の教育行政から舵を切って、大学設置基準を緩和した。
大学を始めたい人はどんどん始めてよろしい。教育プログラムも好きに編制していい。教員数や図書数や校地面積についても設置基準を引き下げる。
うるさいことはもう言わない。
その代わり、潰れても自己責任だ。
そういうロジックである。
設置の門戸を広く開放すれば、ビジネスマインデッドな人々が大学経営に参入してきて、旧弊な教育観にしがみついている時代遅れの大学を市場から叩き出して、さっぱり淘汰してくれるだろうと考えたのである。
大学を減らすために、競争原理を導入したのである。
その結果、91年の510校から2012年の780校にまで大学が52%増えた。
教育機関には強い惰性がある。
学校というはある種「プリミティブな生き物」である。
一度命を吹き込まれると、必死で生き延びようとする。
大学数が増えた結果、淘汰が激化すると思いきや、各大学は進学率を上げたり、社会人入学枠を拡げたり、市民講座を開いたり、リカレント教育をしたりして、生き延びようと必死になった。
生物は生き延びる道を自分で探し出す。
『ジュラシック・パーク』でイアン・マルコム博士もそう言っていたではないか。
でも、潰れた大学もある。
ビジネスマンが作った大学である。
2004年に小泉内閣時代に構造改革・規制緩和路線の中で「株式会社立大学」が構造改革特区に認可された。
その後についてご存じだろうか。
LECリーガルマインド大学は2004年に開学、全国14キャンパスを大々的に展開したが、まったく学生が集まらず、2009年に定員160名のところに18名しか志願者が来ないで募集停止となった。
2006年開学のLCA学院大学も志願者が集まらず2009年に募集停止した。
TAC学院大学は2006年に開学申請したが、記載不備で却下されて消えた。
実務に通じたビジネスマンたちが旧弊な大学を叩き潰すために登場したビジネスマインデッドな大学はどこもたちまちのうちに市場から叩き出されてしまった。
その理由について、私は誰からも説得力のある説明を聞いたことがない。
たぶん株式会社立大学のことは関係者全員がもう忘れたいのだろう。
その気持ちはわからないでもない。
だが、「ビジネスマインドで大学経営をする人々が次々と出てくれば、要らない大学は淘汰されるだろう」という命題は「ビジネスマインドで経営をする人々の大学は要らない大学だったので次々淘汰された」という皮肉なかたちでしか証明されていないということは繰り返しアナウンスすべきだろう。
もし大臣が大学教育にかかわる教育行政にビジネスマンを関与させようと望んでいるのであれば、その前にまず「株式会社立大学はなぜ失敗したのか?」についての説明責任があると私は思う。
以上二点、田中大臣の「失敗」の背後にある「市場と大学」の利益相反について思うところを記した。
日時: 2012年11月07日 16:01
http://blog.tatsuru.com/2012/11/07_1601.php

2012年11月08日 17:30 科学/文化
大学が多すぎる
田中真紀子文科相が大学の新設にストップをかけた事件が、いろいろな話題を呼んでいる。JBpressにも書いたように、彼女のやり方は拙劣だったが、「大学が多すぎる」というのは、官僚も大学関係者も認める事実である。ところが内田樹氏は「大学は多すぎない」と主張する。大学の削減は、低賃金労働者を求める財界の陰謀だというのだ。
なぜ若者たちの平均学歴が低下し、平均学力が低下することを財界人は要求するのか? もちろん、それが彼らに大きな利益をもたらす可能性があるからである。中等教育の内容を理解していないものは大学に入学させないという縛りをかければ、おそらく現在の大学生の3分の2は高卒で教育機会を終えるだろう。そうすれば毎年数十万の低学力・低学歴の若年労働者が労働市場に供給されることになる。
これは内田氏の妄想である。この主張が成り立つためには「企業は職種に関係なく大卒には高卒より高い賃金を払う」という前提が必要だが、そんなお人好しの企業はない。大学を卒業して外食レストランのウェイターになっても、賃金は高卒と同じだ。違いは年齢給ぐらいだが、4年間の機会損失(授業料+賃金)のほうが大きい。現に大学生が増えているのに(非正社員を含む)新卒の賃金は下がっているのだから、財界が大学削減を求める必要なんかないのだ。

「大学生の2/3は中等教育の内容を理解していない」というのは事実だが、内田氏はそれを承知の上で「どれほど学力が低いとはいえ、大学まで出た方がまだましである」という。そのコストがゼロであれば、彼らが大学で4年間遊ぶのは自由である。しかし大学生には、国立・私立あわせて年間1.5兆円(50万円/人)の補助金が支出されているのだ。

特に私学助成は、定員割れになった私大にも学生の数に応じてほぼ一律に配分されており、「悪平等だ」という批判は関係者にも強い。これは「科学技術の振興が必要だ」とか「貧しくて大学に行けない優秀な学生のために補助は必要だ」という反対論にかき消されてきたが、こうした目的は大学に補助金を出さなくても達成できる。

基礎科学の研究には政府の助成が必要だが、それは教育とは関係ない。山中伸弥氏が試験監督までやらされるのも、間違った平等主義である。学生の所得補償は、大学に補助金を出すのではなく学生に出すべきだ。大学の成績に応じて奨学金を貸与し、将来の所得で返済させればいい。以前の記事でも書いたように、大学の私的収益率は高いが社会的には浪費だから、産業としての大学を公的に補助することは正当化できない。

「大学を出たらいい会社に入れる」というのは、もはや幻想である。大企業がいい会社とも限らないし、いま就職する若者が定年までつとめられる確率はきわめて小さい。特に無名私大に行くことは4年間の機会損失のほうが大きいので、高卒で就職するのが賢明だ。人生は学歴では決まらないし、いくらでもやり直せる。むしろやりたいことが見つかってから、社会人教育を受けたほうがいい。
「科学/文化」カテゴリの最新記事
大学が多すぎる
日本政府は「予防原則」を採用していない
「自然」という贅沢品
ペーパーテストをやめたら大学は崩壊する
人はなぜ勧善懲悪を好むのか
心情倫理の「古層」
教育は競争の装置である
日本ではなぜNPOが育たないのか
ルイセンコの教訓
就職協定を廃止せよ
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51822398.html


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2012年11月17日 12:37:09 : qon4Nnuetw

 いまどき 高校しか出ていないのも 雇ってみると 最悪ですよね〜〜

 大学を出てても ダメなのはいるけど ま〜〜 「普通」として考えれば

 ===

 企業としては 「最悪」から選ぶよりも「普通」から選びたい ってことになる
 


02. 2012年11月17日 17:40:33 : Y28uZ2IjEw
本当に何でも悪いのは小泉竹中だ。あの悪二人にはほとほとあきれる。

03. 2012年11月18日 03:31:39 : BnZEbGDBC6
とりあえず
外人学校と留学生への厚遇支援廃止するところからはじめろよ♪

大阪経済法科大学を営業停止させろよ!
どんだけ角栄時代の癒着してきたんだ?

隠し財産持ってんだろまきこのところも♪
温家宝とかいうシナ人同様によ♪


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK139掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK139掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧