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日本海に浮かぶ「散骨島」に行ってみた 無葬社会――彷徨う遺体 変わる仏教 墓を持たずに遺骨を撒く人が増える理由とは
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 11 月 07 日 13:46:57: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

(回答先: 「あなたの体が燃やせない」 無葬社会――彷徨う遺体 変わる仏教 火葬場現地ルポ、迫り来る多死社会  投稿者 軽毛 日時 2016 年 10 月 31 日 23:20:32)

日本海に浮かぶ「散骨島」に行ってみた

無葬社会――彷徨う遺体 変わる仏教

墓を持たずに遺骨を撒く人が増える理由とは
2016年11月7日(月)
鵜飼 秀徳
 隠岐は、島根半島から北に40から80キロメートルの沖に位置し、約180からなる群島を形成している。日韓で領土対立が続く竹島も、行政区分上は島根県隠岐郡に属する。

 有人島としての隠岐の歴史はとても長い。縄文時代以前から人が居住していたとも伝えられている。隠岐は石器に使用された黒曜石の産地でもあり、紀元前5000年前のものと見られる遺跡もある。

 島では古くからの自然信仰が根付き、現在まで多くの神事が続けられてきた。中世は遠流の地になり、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流されたことでも有名だ。


隠岐群島にある「散骨島」で知られるカズラ島(中央の小島)。対岸の慰霊所から撮影
 隠岐群島には4つの有人島がある。一番大きく、円形をしているのが道後(隠岐の島町)。さらに島前と呼ばれる西ノ島(西ノ島町)、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)の3つの島のまとまりがある。海岸全域が国立公園に指定され、近代的な人工物がほとんど見当たらない、実にのどかな島である。

日本唯一の葬送の島

 島前の中ノ島に、「カズラ島」と呼ばれる無人島がある。上空から見れば、ひょうたん型をしている。島全体がカズラ(つる植物)で覆われていることから、いつしかこの名が付けられた。広さはおよそ800坪。船で3分もあれば島を1周できる大きさだ。

 カズラ島を含む一帯は、大山隠岐国立公園の第1種特別地域に指定されており、一切の建造物が認められていない。だから、固定の桟橋が造れず、通常は船の発着ができない。ある島人は言う。

 「その場所に無人島があることは分かっていたけれど、カズラ島なんて名前が付いていることは知らなかった。たまに近くの島人がサザエを獲りにやってくるくらいかな。でも、この10年ほどで、島は皆が知る場所になったね」

 散骨島──。カズラ島は、島全体が散骨の聖地になっている。いわば、「葬送の島」である。散骨専用の島は、日本ではカズラ島を除いて他にはない。2016年9月、筆者は散骨の参加者とともに、島を訪れた。

 この日、散骨しにやってきたのは2組、計6名の遺族だった。同行した業者によれば、今回の参加者は少ないほうだという。平均で6組程度、多い時で20組が散骨に訪れたこともある。

散骨にこだわった理由とは

 参加者の一人、島根県出雲市在住の花田良子(54歳、仮名)は、夫とともに3カ月前に亡くした母の遺骨を抱えてやってきた。花田がカズラ島での散骨を決め、業者に連絡したのがわずか半月前のこと。島での散骨は、春と秋の年に2回しか実施していない。今期を逃すと次回は半年先になってしまう。花田は思い切って、参加を決めた。

 花田の母は、高齢者施設で亡くなった。本人が生前に散骨を希望したわけではない。それでも花田が母の遺骨を散骨しようと考えた理由は、晩年、母がキリスト教を信仰していたことによるという。

 「最期の時、母の枕元には聖書が置いてありました。散骨にこだわったのはキリスト教徒らしい送り方をしてあげたいと思ったからです。キリスト教の考え方の中に、死後、本人の魂は天国へと行き肉体は自然に還る、という理念があるのを知りました。私や夫はキリスト教徒ではありませんが、散骨で母を送ってあげるのが一番だと考えました」

 実は花田は過去、夫の転勤で、隠岐の島に2年間、住んだことがある。カズラ島での散骨には、「縁」を感じていた。

 花田は、当初は海洋散骨を考えていた。インターネットを使って業者を片っ端から探したが、地元では見つからなかった。島根県の近海に散骨しようと思えば、東京の業者のチャーター船を日本海まで持ってくるしかなかった。

 「そうなると費用がとても高くなります。しかも、海洋散骨業者はどこかビジネス臭が漂っていて、また、海洋散骨は地元といろいろな問題を起こしているということも分かり、まともに散骨してくれるのだろうかと悩み始めました。どの業者にしようか、思案していたところ、隠岐での散骨を知ったのです」

 カズラ島での散骨は、花や木などの樹木を墓石の代わりとした自然葬である樹木葬に近い。だが、青い海に囲まれた無人島を“墓標”としているので、遺族心情的には海洋散骨に近いのかもしれない。

 もう一組の参加者にも話を聞くことができた。

 田畑よし子(68歳、仮名)は島根県江津市在住。夫を2015年12月にがんで亡くした。散骨には娘夫婦と3歳になる孫の計4人で参加してきた。

 亡き夫は地元海士町出身。しかし、夫は三男なので島の一族の墓には入れない。闘病生活は長かったが、「墓のこと」は死を連想させるため、夫に切り出せなかったという。田畑は言う。

 「私の実家の菩提寺に、新しく墓を造り、夫と私がそこに入る、ということも考えました。しかし、娘夫婦は転勤族なので、管理をお願いするのも申し訳ない。永代供養墓を求めることも考えましたが、管理料がずっと発生する煩わしさがありました。それに一般的な墓も永代供養墓も、最終的には墓を守れなくなり、無縁仏になります。そこで私は、知人に相談してみました。10人中4人から『自分は散骨がいい』という意見がありました。『そんなに? 散骨することは今の時代では普通のことになっているんだ』と分かったことで、吹っ切れたんです。島全体を墓と考えれば、永久的に存在し続けます。散骨でも供養の場が残るというのはいいですね」

 ただし、散骨する上で、田畑が躊躇したのが粉骨だ。散骨する際には、遺骨を細かくパウダー状に粉砕しなければならない。前述の花田は散骨の前に、海士町の火葬場が所有する「自動粉骨機」を利用した。田畑の場合は、遺骨が長年連れ添った夫、ということもあり、どうしても粉骨の現場に立ち会いたくはなかったという。田畑は日本郵便のゆうパックで夫の遺骨を業者に送って、予め、粉骨を終えていた。

いざ、散骨島へ

 この日、散骨島へと向かう朝は、真っ青な空が広がり、海は凪いでいた。島に渡るには絶好のタイミングである。

 花田と田畑の2組は、港から業者がチャーターした漁船に乗り込んだ。出航して5分。こんもりと茂みに覆われた小島が前方に見えてきた。カズラ島だ。溶岩の断崖に囲まれ、普通であれば人が立ち入れるような島ではないことは一目瞭然だ。


浮き桟橋が設けられた散骨島。ここから崖を上がって島の上部で散骨する。
 現場にはこの日のために浮き桟橋が設けられていた。上陸すると、島の上部へと続く遊歩道が整備されている。遊歩道を上りきった林の中が、散骨場所になっていた。ふと見ると、お地蔵さんが一体置かれている。散骨場は木道が整備されているが、辺りはほぼ手付かずの自然のままだ。

 参加者は、業者の誘導に従って、決められた区画に遺骨を撒き始めた。散骨後は、土の上に雪が積もったように真っ白になる。だが、それも1年もすれば土に同化してしまことだろう。前回のツアーで撒かれた遺骨は、すでに土色に変化していた。散骨から数年経った場所に目を転じると、ヤマブキなどの草木が覆い、完全に自然に還っている印象だ。死者は、時間をかけて、隠岐の島の一部となっていくのである。

 一団は、散骨後に柄杓で水をかけ、手を合わせると、島を後にした。対岸には慰霊所が設置されている。慰霊所からは、お椀を伏せたようなカズラ島を前方に捉えることができる。島に渡れない時や個人で供養に訪れたい時は、ここで島に向かって手を合わせるという。慰霊所が「墓前」なのだ。

 2組の遺族はこのように感想を述べた。

 「母の遺骨をちゃんと散骨できて、安心しました。一区切りつけられた思いです。思えば、母の死をきっかけにして、初めて死や墓のことを考えるようになりました。そしてこの頃、夫婦で余生の送り方をどうするかという話をよくします。母を送るということを通じて自分たちが今後、積極的に生きる道を探れるようになった気がします」(花田)

 「隠岐は、私の住んでいる江津市から対岸にあります。日本海に向かって、叫べば夫に声が届きそうな気がします。今日という日を経験し、私も死後、散骨してほしいと思いました」(田畑)


カズラ島での散骨の様子。遺骨をパウダー状にしてまく
散骨がはらむ問題点

 カズラ島で散骨を手掛けるのは、東京都板橋区の火葬場、戸田葬祭場のグループ会社で、その会社名も「カズラ」である。戸田葬祭場グループは、カズラの他にも火葬炉のメーカーの日本炉機工業、ペット葬を手掛ける東京動物霊園など、葬祭事業を広く展開している。そして、昨今の散骨の潮流を捉え、立ち上げたのがこのカズラだ。カズラは、「地球環境にやさしい散骨」を目指している。

 「カズラ島は国立公園内ですから将来にわたって開発の手が入らない。永遠の静けさが約束された、究極の埋葬法といえます」

 カズラの社長、村川英信はこう説明する。現在までで100霊以上の散骨が行われてきたという。しかし、この辺鄙な島が、どういう経緯で散骨の場になったのか。

 村川は説明する。

 「当時、役員の中に隠岐出身者がいましてね。2001年、この役員の発案で社員旅行先が隠岐になったのです。現地を船で回っていると、彼は『死後は故郷の隠岐で眠りたい』とつぶやきました。同行した我々も一緒になって、『無人島での散骨なら、散骨の問題点がかなり改善でき、理想に近い散骨が実現できそうだね』などと話しているうちに、どんどんアイデアが具現化していったのです」

 当時は散骨が社会で認知され始めた頃。「死後、自然に還る」イメージを抱き、散骨を希望する者が続々と出始めていた。

 散骨は、現在でも様々な問題を抱える埋葬法ではある。散骨は主に2つの種類がある。「山野での散骨(地上型散骨)」と、「海洋散骨」である。

 「樹木葬」「自然葬」などの名称で呼ばれる地上型の散骨の場合は、霊園内に造られた特定の場所でのみ、散骨が許される。霊園外の山野などに個人が勝手に遺骨を撒けば、刑法190条で定めている死体(遺骨)遺棄罪(3年以下の懲役)に觝触する可能性がある。

 この樹木葬の場合、霊園内の敷地の隅に樹木を植え、大きなドラム缶のような容器に骨をどんどん入れていくスタイルが一般的だ。「自然に還れる」とのイメージと大きく乖離しているので、遺族が失望するケースが多い。


以前、まかれた場所には造花が置かれていた。既に完全に土に還っている。奥のほうに今、撒いたばかりの散骨場が見える
散骨を熱望する芸能人たち

 一方、海洋散骨のほうは、確かに「自然に還れる」埋葬法ではある。

 海洋散骨の歴史は、「NPO法人 葬送の自由を進める会」が1991年に静岡県沖の相模灘において実施したのが最初と言われている。海洋散骨はしばしば著名人が実施して、話題になることがある。

 近年では1996年に亡くなった漫才師の横山やすしが、無類の競艇ファンだったことから、遺骨が広島県の宮島競艇場の海に撒かれた。同年にはほかにも、女優の沢村貞子やその夫の映画監督の大橋恭彦の遺骨が相模湾に海洋散骨されている。1998年には自殺したロックバンド、X JAPANのギタリストhideの遺骨の一部が米ロサンゼルス近海に流された。

 2011年に亡くなった落語家の立川談志は、生前より散骨を希望していたことから、翌2012年に米ハワイの海に撒かれた。日本では芸能人が先行する形で海洋散骨が始まったが、一般化したのは、ここ10年ほどのことである。

 海外では中国の周恩来元首相や、相対性理論を構築したアルベルト・アインシュタイン博士らの遺灰が海や川に撒かれている。海外ではずいぶん昔から散骨が実施されてきているのである。

 この海洋散骨、実は地上型散骨ほど需要が伸びていない。最大の理由は、遺族が手を合わせる場所がなくなってしまうからである。

 大衆からあまり支持されていないもう一つの理由は、海での散骨が違法性を帯びている可能性が、長年指摘されてきているからだ。

 1948年に制定された墓地埋葬法では、海への遺骨の埋葬については、一切、規定がない。これはただ単に、当時、海洋散骨を想定していなかったから条文に盛り込まれなかっただけである。墓地埋葬法に規定されていないからといって、自由に海に遺骨を撒いてもいいということにはならない。やはり、一定のルールを守らなければ、刑法の死体遺棄罪に觝触する可能性がある。

 このことは1987年に亡くなった俳優の故石原裕次郎の遺骨の散骨の際に、ちょっとした議論になった。

 「海を愛していた弟。遺骨を湘南の海に還してやりたい」と、当時、衆議院議員だった兄の慎太郎が告別式の場で発言した。ところが、法務省より法律上の問題が指摘され、国会議員という立場もあって断念した経緯がある。

 こうした散骨の法解釈を巡って動きがあったのは、先にも述べたように1991年のことである。

 葬送の自由を進める会が同年に1回目の散骨を実施した際に、法務省刑事局が「葬送を目的とし節度を持って行う限り、死体遺棄には当たらない」との見解を述べた。また、厚生省(当時)も、「墓地埋葬法は散骨を規制していない」とした。

 いったん棚上げになっていた石原裕次郎の遺骨は、この法務省・厚生省判断をもって、後に散骨されることになった。

 散骨の法解釈を巡っては、法務省と厚生省見解をもって、一応の決着を見た形だ。

 だが、その後、悪質業者による違法行為や、住民感情を無視した散骨が跋扈し始めた。特に、地上型散骨場になっている地元では、住民による反発が噴出している。また、海洋散骨の場合も、近海で操業する漁業従事者が「風評被害を受ける」として反発する事例がある。

 散骨を巡るトラブル続出を背景に、国は規制に乗り出した。厚生労働省の懇談会は1998年6月、「実施する場所などに一定の規制を設けることが必要」などとする報告書をまとめた。

海士町ならではの共存共栄

 そうした散骨を巡って紆余曲折の問題が生じている中で、カズラ島での散骨事業が始まった。カズラの場合、住民の反対運動はなかったのか。担当者は話す。

 「もちろん島の人の中には『自分は反対』という人もいらっしゃいます。しかし、おおむね歓迎されています。実際、地元海士町などに協賛していただいており、また、2006年の開所式の際には、地元の町長や村長にも出席していただきました」

 海士町の町長、山内道雄が取材に応じた。

 山内は、地域創生の旗手として知られている。2014年、安倍晋三首相は所信表明演説で、海士町が地域創生モデルだとした上で、このように語っている。

 「『ないものはない』。隠岐の海に浮かぶ島根県海士町では、この言葉がロゴマークになっています。都会のような便利さは無い。しかし、海士町の未来のために大事なものは、全てここにある、というメッセージです。『この島にしかない』ものを活かすことで、大きな成功を収めています」

 首相の言う「大きな成功」に導いたのが山内である。山内が町長に就任した2002年当時、海士町は、北海道夕張市と並んで財政再建団体に転落しかかっていた。年間予算が40億円そこそこの町で、1999年には102億円もの借金を抱えていた。人口減少にも歯止めが掛からない。終戦直後は7000人ほどいた海士町だが、2000年には2672人にまで減ってきていた。

 山内は町長就任後、NTTに勤めていた経験を生かし、大胆な行財政改革と新産業創出を推し進めた。たとえば、自身や町職員の給与カットで捻出した財源を出産、子育てに関する原資にあてた。また「島留学制度」を打ち立て、町の高校を進学校に育て上げ、あるいは、岩牡蠣や隠岐牛をブランド化することで若者を島に呼び寄せることに成功した。現在2300人の人口に対して、過去10年間の島外からの移住者は500人を超える。地方創生モデルの町として、全国から注目を集めているのが海士町なのだ。

 散骨島構想も、山内の決断によるところが大きい。

 「よそ者」が島を丸ごと買収し、散骨事業を始める──。カズラ島散骨は、ともすれば、全国各地で見られるような散骨場反対運動の二の舞いになる危険性を秘めていた。だが、山内はカズラ島での散骨を冷静に捉えていた。

 「散骨の話が持ち上がった当初は、一部の漁師たちの中で『風評被害が起きる』と言い出す者もいました。海に撒くのだと誤解していたようです。しかし、それもすぐに沈静化させました。私の中には、祖先を祀ることの大切さが染み付いていましてね。現代社会はもはや、墓が守れなくなってきている時代です。カズラ島での散骨は現代型のひとつの供養のかたちだと思います。何も、島の経済を回すために散骨島を認めたわけではありません。確かに、散骨しに来てくれる人がいれば、町にカネは落ちるでしょう。でもそれは、結果であって、決して手段であってはいけない。
 ただ、散骨島が町にとってマイナスになることはない。散骨島という存在を通して海士町を知ってもらえるのですから。今まで縁がなかった人が海士町に来てくれる。散骨の遺族は、海士町にとって親戚のようなものです。仏様と、今を生きる人の縁が、島での散骨を通じて結びつく。この目に見えざる観念こそが大事なのです」

 地元からの反発がほとんど起きていないのは、町長が反対勢力を力で押さえ込んでいるからではない。町議会でもカズラ島を散骨島にすることが諮られ、合意に至っているという。カズラ島のケースは、他地域での住民問題になっているケースとは状況がかなり異なるようだ。

 一方、業者側も住民感情に配慮しながら、慎重な運営を行っている。それは、島全体をカズラが地権者から買い取り、合法的に自然を保全しながら散骨している点だけでなく、遺族らが島に上がるのは年に2回に留め、島内に遊歩道以外の建造物は造成しないことにも見て取れる。

 なお、住民が散骨を支持するには、もっと大きな理由がある。それは観光誘致と結びついているからだ。山内は「島経済ありきではない」と言うが、散骨事業を推し進める町側のメリットは小さくない。

 山内の行財政改革によって、海士町の財政健全化や人口減少への歯止めは一定の効果を得た。だが、残された町の懸案事項に観光対策がある。隠岐全体では観光受入数は年々減り続けている。宿泊施設は10年前は110軒あったが、現在は60軒と約半数に激減している。島外から海士町へ、散骨者や墓参りに訪れる人が増えれば、冷え切った観光産業の起爆剤になり得るし、島の人口流出も多少は食い止められるかもしれない。

増える「墓じまい」が、人と故郷を断絶させる

 島の人口減少とともに増えているのが「墓じまい」である。都会に出た子供は、老いた親を都会に呼び寄せる。その際、先祖の墓を整理してしまう。故郷に墓がなくなり、墓参りする必要がなくなれば、高い旅費を費やしてまで帰省することもない。墓じまいした島民が、島に戻ることはあり得ない。近年、海士町はIターン、Uターンが増え、島の人口流出は緩やかになった。だが、回復基調に乗ったという状況までには至っていない。

 現在、カズラ島での散骨者は、首都圏在住者10に対し、地元島根県民は6の割合だという。

 「今後は島の人に積極的に利用してもらいたい」(カズラの担当者)

 そこで、カズラが打ち出したプランが、島内在住・出身者への大幅割引制度である。

 島外者が散骨する場合、26万5000円(税抜き、旅費は別料金)が必要になるが、島内在住・出身者は21万円、地元の海士町出身者は19万円だという。

 墓という手段を使えば、人口流出を食い止められるのではないか。墓が故郷に残っていれば、そこは故郷であり続けるからだ。

 社会のニーズを捉えた散骨という斬新な手法で、地域再生を試みる。死後、骨は自然に還り、人は故郷に帰る。そんなモデルが隠岐で始まろうとしている。
  =敬称略=

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『無葬社会――彷徨う遺体 変わる仏教』

遺体や遺骨が彷徨う時代――。既に日本は死者数が出生数を上回る「多死時代」に突入した。
今後20年以上に渡って150万人規模の死者数が続く。
遺体や遺骨の「処理」を巡って、死の現場では様々な問題が起きている。
首都圏の火葬場は混み合い「火葬10日待ち」状態。
遺体ホテルと呼ばれる霊安室ビジネスが出現し、住民運動が持ち上がっている。
都会の集合住宅では孤独死体が続々と見つかり、スーパーのトイレに遺骨が捨てられる――。
「無葬社会」が、日本を覆い尽くそうとしている。
そこで僧侶や寺はどう向かい合えばいいのか。
「イエ」や「ムラ」が解体され、墓はどうなる?
現代日本における死のかたちを通して、供養の意義、宗教の本質に迫る。
『寺院消滅〜失われる「地方」と「宗教」〜』の著者、渾身の第2弾。

このコラムについて

無葬社会――彷徨う遺体 変わる仏教
「多死時代」に突入した日本。今後20年以上に渡って150万人規模の死者数が続く。
遺体や遺骨の「処理」を巡って、いま、“死の現場”では悩ましい問題が起きている。
首都圏の火葬場は混み合い「火葬10日待ち」状態。
遺体ホテルと呼ばれる霊安室ビジネスが出現し、住民運動が持ち上がっている。
都会の集合住宅では孤独死体が続々と見つかり、スーパーのトイレに遺骨が捨てられる――。
原因は、地方都市の「イエ」や「ムラ」の解体にある。その結果、地方で次々と消える寺院や墓。
地方寺院を食う形で、都市部の寺院が肥大化していく。
都心では数千の遺骨を納める巨大納骨堂の建設ラッシュを迎えている。だが、そこに隠される落とし穴――。
日本を覆い尽くさんばかりの「無葬社会」の現実。
現代日本における死のかたちを通して、供養の意義、宗教の本質に迫る。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/book/16/102400002/110100007/  

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