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投稿者 ダイナモ 日時 2012 年 6 月 20 日 23:17:44: mY9T/8MdR98ug
 

(回答先: 投稿者 ダイナモ 日時 2012 年 6 月 20 日 23:16:09)

シリア 2011年3月17日から2011年4月1日までの詳細な経過  シリア・アラブの春(シリア革命2011)顛末記 より


2011年3月15日

 フェイスブック上の「シリア革命2011」、「シリア怒りの日」などのページが、3月15日12時から各地で自由、改革、腐敗撲滅を求め、「シリアのすべての都市、カナダ、米国、英国、フランス、ドイツ、オーストラリアでの平和的」デモの実施を呼びかけ、これに呼応するかたちで、各地で数千人が反体制デモを行う。「アラブの春」発生以来、シリアで反体制デモが発生するのはこれが初めて。デモは治安当局の介入により排除され、『アフバール・アッ=シャルク』(3月16日付)によると、各地での逮捕者は約300人に達した。

 ダマスカス県アル=ハミーディーヤ市場およびアル=ハリーカ地区は最大規模の約200人が集まった。デモ参加者は「アッラー、シリア、自由のみ」、「シリア国民は馬鹿にされない」、「シリア人よ、どこにいる」、「自由なシリア、専制は出ていけ」、「平和的に、平和的に」といったシュプレヒコールを連呼した。人権活動家筋がAFPに明らかにしたところによると、「デモはウマイヤ・モスク前で5人が集まり始められ、ハミーディーヤ市場を通ってハリーカ地区へ向かった」。複数の消息筋によると、治安当局は当初、デモの解散を求めたが、まもなく数台のバスが到着し、バッシャール・アル=アサド大統領を支持するカウンター・デモを開始し、反体制デモの排除に乗り出した。その際、3人が逮捕され、携帯電話を押収された。

 また『アフバール・アッ=シャルク』(3月18日付)によると、ムルーワ・ハッサーン・アル=グムヤーン氏(17歳)、ラーマー・ハッサーン・アル=グムヤーン氏を治安当局が逮捕。両名はダマスカス県での15日のデモに参加していた。なお同デモに参加した別のグループ(アラー・キヤーリー女史ら)も逮捕され、晩にはムハンマド・アッルーシュ氏がインターネットカフェで治安当局に連行された。

 アレッポ市のサアドゥッラー・アル=ジャービリー広場、アル=ウマウィー・モスク近くでも同様のデモが実施された。サアドゥッラー・アル=ジャービリー広場はまもなく治安当局によって強制排除されたが、参加者はアル=カビール・モスク近くでもデモを行った。複数の目撃者によると、シャイフ・マクスード地区、バーブ・アル=ファラジュ地区では晩に激しい銃声が聞こえたという。またアイン・アル=アラブ市でもデモが発生したが、治安当局が催涙ガスを発射し排除した。

 複数の消息筋によると、ダルアー市および周辺の村々では、治安当局が若者たちの集会の摘発が相次いだ。ダルアー市ではアッ=サラーヤー広場で反体制デモが発生し、「シリア国民は馬鹿にされない」、「マフルーフよ、出て行け」と連呼。治安部隊はダルアー市と執念の村々を結ぶ街道を閉鎖し、デモ拡大を抑止しようとしている。またダルアー市郊外のナワー村は軍・治安部隊に包囲された。

 こうしたなか、ダルアー県のアバーズィード部族は、政権打倒を呼びかける落書きをして逮捕された子息が釈放されない場合、デモを断行すると当局に迫った。

 デイル・ゾール市のアル=バースィル広場、アル=カーミシュリー市のアル=アンバル広場などでも同様のデモが実施された。ラタキア市ではアッ=シャイフ・ダーヒルでデモが計画されたが、治安当局に阻止された。ダイル・アッ=ザウル県、アル=ハサカ県では電話、インターネットは一時不通となった。

 16日に内務省前での政治犯家族による反体制デモを計画しているスハイル・アル=アタースィー女史はアル=ジャズィーラやBBCなどの取材に応え、各地でのデモに関して、突発的な要因によるものであり、デモ実施の日程などが予め宣言されることはないだろう、と述べ、デモがフェイスブックなどの呼びかけによって発生したというよりは、むしろ人々の恣意的な運動によるものだとの見方を示す。

アル=ジャズィーラにおいて、アル=アタースィー女史は「シリア国民は、エジプトやチュニジアと同様、反体制運動よりも先に行動に出た」と述べた。彼女はシリアでのデモが「今日突然組織された。我々がこのデモを組織したのではないが、その始まりは火花のようだった」としたうえで、「今日デモを組織した自由を希求する人々が誰なのか我々は知らない」ことを明らかにした。また彼女は「約150人から200人が参加していた。3人の若い男女が逮捕されたが、我々は彼らがどうなったか今のところ分からない。デモは包囲され、逮捕が断行された」と指摘した。そのうえで、デモ参加者が「社会のあらゆる集団に属する人々から構成されていた。政権が宗派を分断するために行っているこの恐怖政治は徒労だった。彼らはすべての宗派から輩出されていた」と付け加えた。

 アル=アサド大統領はダマスカスを訪問したスペインのトリニダード・ヒメネス・ガルシア=エレーラ外務大臣と会談。中東地域諸国への外国の軍事的介入に関して「問題を複雑にし、危険な結果をもたらす」との見方を示す。

 ファールーク・アッ=シャルア副大統領は15日、定例の記者会見を行い、アラブ諸国における政変が、「1948年以来、アラブ諸国民のなかでフラストレーションがつもってきたことが原因」との見方を示し、事態に対処するため「抜本的改革と期待されている改革のバランス」をとることが重要だと述べる。


2011年3月16日

 3月16日にカマール・アッ=ルブワーニー氏、アリー・アル=アブドゥッラー氏ら政治犯20人以上の家族が12時から、ダマスカス県アル=マルジャ地区にある内務省前で家族の釈放を求めるための座り込みを行う。彼らは3月11日に声明を出し、内務省を訪問し、家族の釈放を求めるとの呼びかけに対して「幼児、女性を含む政治犯の家族、多数の若い男女、政治犯家族との連帯を訴える人々」約200人が参加した。

 彼らは逮捕者の写真、言論犯の釈放を求めるプラガードを掲げ、またサイード・サンムール内務大臣と面談し、釈放を求める書簡を提出したが、治安当局によって強制排除された。

 その後、参加者はアル=マルジャ広場に向かい、「アッラー、シリア、自由のみ」と連呼し、抗議行動の継続を試みたが、数台のバスに乗った私服の治安要員とシャッビーハが現場に到着、バッシャール・アル=アサド大統領を支持するカウンター・デモを実施。「アッラー、シリア、バッシャールのみ」と連呼。政治犯釈放を求めるデモ参加者、とりわけ女性を罵倒。また参加者を殴打。

 最終的には、10歳の少年1人を含む、35人が身柄を拘束される。『アフバール・アッ=シャルク』(3月16日付)によると身柄拘束者は以下の通り以下の通り。

 1. ウマル・アッ=ルブワーニー、2. ヤースィーン・アッ=ルブワーニー、3. リバー・アッ=ルブワーニー、4. ライラ−・アッ=ルブワーニー、5. アンマール・アッ=ルブワーニー、6. フサイン・アッ=ルブワーニー、7. サバー・アル=ハサン、8. アーミル・ダーウード(ラグダ・アル=ハサンの夫)、9. ハーンニバール・アワド(ラグダ・アル=ハサンの息子)、10. マーズィン・ダルウィーシュ(その後すぐ釈放)、11. スィーリーン・フーリー、12. ナーヒド・バダウィーヤ、13. ナーラト・アブドゥルカリーム、14. マフムード・グーラーニー、15. バドル・アッ=シャッラーシュ、16. カマール・シャイフー、17. ウサーマ・ナッサール、18. マイムーナ・アル=アンマール、19. ムハンマド・アディーブ・サイード、20. サアド・ジャウダト・サイード、21. ガッファール・ムハンマド、22. ツィー・マイムーナ・アル=アンマール、23. ダーナ・アル=ワジャービラ、24. ワファー・アッ=ラッハーム、25. タイイブ・ティーズィーニー(思想家、大学教授)、26. スハイル・アル=アタースィー、27. アール・ダーウード、28. カーカー・ダーウード、29. ナビール・シュルバジー、30. ヒールフィーン・ウースィー、31. アブド・アッ=タンムー、32. ムハンマド・ダルウィーシュ、33. ラヤーン・スライマーン、34. フサイバ・アブドゥッラフマーン(作家)、35. バラー・クライズィー。

 『アン=ナハール』(3月17日付)によると、内務省道徳指導局長のムハンマド・ハサン・アリー准将は、内務省が政治犯・言論犯の恩赦を求める33通の要望書を家族から省本舎内での面談後に受け取ったと発表した。アリー准将はまた「内務省の扉は対話のために開かれており、この方針はバッシャール・アル=アサド大統領の指示によるものである。国の安全を乱す者がいれば、内務省は彼らに対処する」と発表した。しかし「政治犯の家族はデモというかたちをとって内務省に迫った」ことについては否定し、「彼らの電話番号を控え、その要求に対する結果が出次第通知する」と述べた。また「複数の不審者が、内務省前にいた市民を挑発するような扇動的なスローガンを叫び、政治犯家族を貶めようとしたが、彼らはすぐにこれらの不審者に対抗した」ことを明らかにした。

 一方、『アフバール・アッ=シャルク』(3月16日付)は、内務省の関係部局の責任者が、一部の市民や周辺の商店主たちがデモを呼びかける人々に自発的に対抗した」と述べ、またデモ参加者逮捕に関して、デモを行うことなく内務省で面会を行い、関係部局に苦情を申し立てることができる現状を踏まえ「きわめて自然なこと」と答えたと報じた。

 目撃者によると、事態が収拾するまでダマスカス中心部につながる道路が一時閉鎖されたため、デモ発生後に交通渋滞が発生した。

 なおシリア各県の状況に関して、内務省は「衛星放送で耳にすることはすべて事実無根で、この種の事件(民衆デモ)が発生したとの報告は受けていない」と発表している。


2011年3月17日

 フェイスブックの「シリア革命2011」などのページが、正午に各地でデモを行うよう呼びかける。 この呼びかけに呼応するかたちで、ダマスカス県などでデモが発生した。アル=フッラ・テレビによると、ダマスカス県アル=マイダーン地区でデモが発生し、治安部隊がデモ参加者を弾圧、3人を殺害し、20人を負傷させた。またジスル・アル=アブヤド近くのムフイーッディーン・モクス前でもデモが発生した。しかし、反体制デモ開始以来初の死者が出たものの、デモの規模は15日に比べて散発的なものにとどまった。


2011年3月18日

 シリアの複数の都市で、モスクでの午後の礼拝後にデモが発生し、自由と腐敗撤廃が要求された。デモ参加者は治安当局と衝突し、ダルアー県では複数が殺害された。治安当局は強制排除に際して、放水車、催涙ガス、棍棒などを使用したほか、実弾を発射した。

 もっとも激しい衝突はダルアー県で発生した。SANA(3月19日付)が伝えたところによると、「金曜日午後にダルアー県にあるウマリー・モスクの近くに多くの市民が集まっているなかで、潜入者がそれを利用し、無秩序と暴動を発生させた」。また「公共財産や私有財産が被害を受け、多くの自動車、店舗が破壊・焼き討ちに遭ったことを受け、治安維持部隊が市民とその財産を保護すべく介入した。暴動の扇動者たちは治安維持部隊に攻撃を加えたが、排除された」。同通信はこの事件と「時を同じくして、(地中海岸の)バーニヤース市でも多くの人々が集まったが、上述のような事件もなく収束した」と述べた。複数の住民らによると、デモには200人以上が参加、治安当局は消防車が放水し強制排除を試み、汚職撲滅を叫ぶデモ参加者と治安当局が衝突した。

 ダルアー市の人権活動家の一人はAP(3月18日付)に対して電話で、シリアの治安部隊によるデモ排除で4人が殺され、数百人が負傷したと述べた。同活動家によると、治安部隊が「デモ参加者に実弾を発砲し」、「現在までのところ、アクラム・ジャワービラ氏、フサーム・アブドゥルワーリー・アイヤーシュ氏、アイハム・ハリーリー氏、アブー・アウン家の若者1人が死亡したとの確かな情報を得ている」と付言した。また「数百人の負傷者がおり、(治安機関は)ダルアー国営病院に搬送された負傷者の多くを摘発し、ヘリコプターでどこかへ連れ去った」と続けた。なおこれに先立ち、デモに参加していたフサーム・アブドゥルワーリー・アイヤーシュ氏とアクラム・ジャワービラ氏の2人が殺されたことを住民が明らかにしていた。デモ参加者はいずれも「アッラー、シリア、自由」や腐敗撤廃を求めるスローガンを叫んでいたという。この住民によると、重武装の治安部隊が複数のヘリコプターで派遣され、ダルアーのサッカー場に着陸した。

同様の反体制デモはヒムス市のハーリド・ブン・ワリード・モスク前でも発生した。『アル=ハヤート』(3月19日付)によると、デモには数十人が参加し(『アフバール・アッ=シャルク』[3月19日付]によると約2,000人)、「アッラー、シリア、自由のみ」と連呼したが、治安当局によって強制排除された。『アフバール・アッ=シャルク』(3月19日付)によると、その際約70人が逮捕された。

 ラタキア県では、複数の人権活動家筋がAPニコシア支局の電話取材に対して「約5,000人がそれ(バーニヤース市でのデモ)に参加し」、市内にあるラフマーン・モスク前では、「著名なシャイフ・アブドゥッラフマーン・アイルートの子息のウンス・アイルート氏がデモを指導した」と語った。なお『アル=ハヤート』(3月19日付)は「数百人」が自由と改革を要求するデモを行ったと報じた。

 また『ダマス・ポスト』(3月20日付)によると、18日のバーニヤース市でのデモは約50人が行い、反体制的なシュプレヒコールも行っていなかったが、やがて市街地で数百人に拡大し、公共物、私有財産などを破壊する暴動に発展した。

 一方、ダマスカス県では旧市街中心にあるウマイヤ・モスクの中庭でデモが発生し、AP通信記者が伝えたところによると、「民間人の衣服を着た複数の治安要員が中庭やモスク周辺(アル=ハミーディーヤ市場やアル=マサキーヤ広場)に多数展開し、デモ参加者は暴行を受け、排除され、約30人が逮捕された。反体制デモに対抗すべく、アル=マサキーヤ広場では、政府支持者約200人がシリア国旗とバッシャール・アル=アサド大統領の写真を掲げて、カウンターデモを行った。


2011年3月19日

 ダルアー市でのデモ参加者と治安当局の衝突で犠牲となった2人の葬儀に約10,000人が参列。しかし当局での葬儀を認めず、遺体はそのまま墓地に埋葬された。その後、会葬者はダルアー市中心に向かって抗議行進を行い、治安当局は催涙ガスを使用して対抗し、複数名が負傷した。会葬者は「アッラー、シリア、自由のみ」など自由を求めるシュプレヒコールを連呼した。
 負傷者を搬送する映像(http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=sUIzLmOffSI)。

 SANAは、内務省が18日のダルアーでのデモとその弾圧に関して、シリア当局は調査委員会の設置し、「不幸」な事件の発生に関与した人物の処罰などを含む必要な措置を講じると発表。

 ラタキア県バーニヤース市とバイダー市の市民は、反体制デモへの強制排除による物的・人的被害に対して、大統領府が行った一世帯あたり補償金30,000シリア・ポンドの支払いの提案を拒否し、責任者の処罰、両市に対する治安部隊の包囲解除を求める。


2011年3月20日

 ダルアー市での反体制デモは継続・エスカレートし、デモ参加者と治安当局が衝突で、1人が死亡、複数が負傷した。複数の住民によると、デモ参加者は、自由、腐敗撲滅を要求、近隣の村々からも参加者が加わり、市内のバアス党ダルアー支部本部、裁判所、ラーミー・マフルーフ氏が経営する携帯電話会社2社の支局に火を放った。AFP(3月20日付)通信によると、デモ参加者は、市内に集中的に展開する治安部隊との衝突直後、昨日の午後に裁判所をはじめとする施設に火を放った。

 AFPによると、数百人からなるデモ行進がダルアー市の旧市街から県知事邸に向かって行われ、治安部隊が催涙弾や空砲を通じて排除を試みたが阻止できなかった。また、デモ参加者は途中に、裁判所施設および施設前に駐車していた複数の車に放火し、その後、携帯会社のシリアテルとMTNの建物2棟にも放火した。目撃者によると、デモ参加者は県知事邸に到着すると敷地前の木々に放火した。

 ある人権擁護活動家がロイターに述べたところによると、「治安部隊は数万人のデモ参加者に向かって実弾を放った」。また「デモ参加者の最初の死者ラーイド・カッラード氏は実弾によって倒れ」、2人が頭を負傷し「危篤状態にある」という。カッラード氏は、金曜日にダルアーでデモが始まって以来、治安部隊によって殺された5人目の民間人となった。

 アル=ウマリー・モスクで負傷者に応急手当を施す映像(http://www.youtube.com/watch?v=mDhqvXy6zlM&feature=player_embedded

 『アル=ハヤート』(8月21日付)によると、ダルアー市でのデモは、市内で反体制スローガンを落書きした少年の逮捕で市民の不満が鬱積するなかで、インターネットで政治的発言を行ったとの容疑で3週間前に女医アーイシャ・アバーズィード氏が逮捕された、また16日のダマスカス県の内務省前での抗議行動でダルアー市出身のディヤーナー・アル=ジャワービラ女史が逮捕されたことで一気に火がついた。同時に、秘密警察は今月に入って、複数の学校や穀物粉の壁に、「人民は政権打倒を望む」という落書きをしたとの容疑で多数の市民を逮捕している。

 ダマスカス県旧市街のアル=ハリーカ地区で、シリア国旗を身体にまとい、自由を求めるシュプレヒコールを独り連呼した女性が治安要員に取り押さえられる。

 シリア人権監視団は3月21日の声明で「治安機関が3月20日日曜日晩、ダルアー県ダーイル市近くにある青年ラーミー・スライマーン・イクバール氏の自宅を家宅捜査し、ダルアーの状況に関してBBC Arabicの電話取材に答えたとの理由で同氏を逮捕した」と述べ、「彼の消息もいまだ不明である」ことを明らかにした。

 当局は壁に反体制スローガンを落書きして逮捕されていたダルアー出身の少年15人を釈放すると発表、また18日のデモでの犠牲者の葬儀に政府代表の派遣し、事態の沈静化を試みた。

 一方、複数の高官がダルアー県の複数の著名人と次々と会談した。これらの著名人はさまざまな要求を提示しており、そのなかには、政治犯の釈放、ダルアーにおける秘密警察本部の解体、県知事の罷免、デモ参加者殺人の責任者に対する公開裁判の実施、秘密警察への財産売買の許可取得規定の廃止などが含まれている。


2011年3月21日

 ダルアー市でのデモは4日目に入ってさらに拡大、南部のジャースィム市、インヒル市にも波及する一方、が参列した。

 ダルアー市内では、20日のデモでの犠牲者(ラーイド・カッラード氏、23歳)の葬儀に約1,000人が参列、一昨日死亡した犠牲者の写真を掲げ、「恐れていない…恐れていない」、「平和的に、平和的に」、「君に血と魂を捧ぐ、殉教者よ」と連呼した。同目撃者によるとデモは平和的に行われていた。ダルアー市入口などには、軍が同市を包囲するかたちで展開、また市内ではカラシニコフを携帯した警官隊数百名が街道の両脇に配備された。しかし、葬儀後のデモ参加者数千人に対して、軍・警官隊が介入することはなかった。

 ダルアー市の現状に関して、住民の一人が述べたところによると、「デモ参加者は、カッラード氏の埋葬後、「革命、革命」、「アッラー、シリア、自由のみ」と連呼して、墓地からウマリー・モスクへと行進を始めた」。また「旧市街の入口には武装部隊が結集していた」。別の目撃者がAFPに語ったところによると、ウマリー・モスク近隣では、「催涙ガスが原因の窒息状態が散見され、集中的に展開する治安部隊が複数名を逮捕した」。また「治安部隊は葬儀に多くの参列者が参加するのを阻止しようとしたが、数千人が参列した」。一方「治安部隊はまた、ダルアー市入口にも集中的に展開した」。デモ参加者の一人はAFPに対して「自由を求める我々の要求が実現するまで街頭で座り込みを続ける」と述べた。

 他方、ダルアーの複数の著名人が、政治犯の釈放、秘密警察本部の解体、県知事の解任、(デモでの市民)殺害の責任者の公開裁判、秘密警察への財産売買の許可取得規定の廃止を求めた。

 目撃者の一人によると、デモはダルアー市北部約50キロに位置するジャースィム市に波及した。治安当局はデモに対して実力行使を控えた。

 一方、ダルアー市から40キロの距離に位置するインヒル市でも数百人が集会を行い、シュプレヒコールを繰り返し、警察署を襲撃した。

 ダルアー市中心にあるアル=ウマリー・モスクのシャイフ、バッサーム・ミスリーが21日晩に逮捕される。
 ダルアーでの事件に巻き込まれて日曜(20日)に負傷したムンズィル・ムウミン君(11歳)が21日に死亡した。

 フェイスブックの「シリア革命2011」、「シリア怒りの日」といったページが各地でデモを行うよう呼びかける。

 またクルド人シャイフ、マアシューク・アル=ハズナウィー師の息子でシャイフのムルシド・アル=ハズナウィーはフェイスブックでシリア国民、そしてクルド人に対して、ナウルーズにあたる3月21日に決起を呼びかける。

 シリア・ムスリム同胞団は声明を出し、アル=アサド政権を「手遅れになるまえに目覚め、国民の要求に応える」よう求めた。

 一方、ムハンマド・アフマド・ユーヌス法務大臣が事態収束とデモ参加者との対話のためダルアー県庁入りした。ダルアー県内の緊張が緩和することが期待されているなか、当局は、壁に反体制的スローガンを落書きし、逮捕されていた少年15人を釈放した。

 シリア人権委員会は、3月17日にサイドナーヤー刑務所から釈放された元政治犯の証言として、3月16日の内務省前での政治犯家族の要求に応えるかたちで、当局は「判決が下されていないすべての政治犯の刑期が8年とされた」、「既に判決が下された政治犯の刑期が大統領の指示で4分の1軽減になった」と発表する。

 『クッルナー・シュラカー』(3月21日付)は、シリアの治安当局は、ジュンド・シャーム、ファタハ・イスラームがダルアー市などでの反体制デモに関与していると疑っている、と報じる。

 アル=マシュレク・チャンネル(本社UAE)のオーナーでビジネスマンのガッサーン・アッブード氏は、ダルアー市での反体制デモとその弾圧に関する同チャンネルの報道に関して、シリアの治安機関高官から自粛するよう脅迫を受けたと述べる。


2011年3月22日

 ダルアー市と近郊のナワー村で抗議行動が行われ、『アル=ハヤート』(3月22日付)によると、数百人、『アフバール・アッ=シャルク』(3月21日付)によると数千人が参加、「自由、自由…、平和的に、平和的に」と連呼し、自由を要求した。

 ダルアー市でのデモはアル=ウマリー・モスク近くで行われた。しかし、匿名の活動家によると、「軍と治安部隊がアル=ウマリー・モスク前で始まったデモを排除し」、「デモ参加者はモスクに退却した」。また治安部隊の「突入を警戒し、デモ参加者はモスクの周りに人間の盾を作った」としたうえで、モスクが負傷者を受け入れる「野戦病院」と化していると述べた。同活動家はまた、「反体制のスローガンを掲げるデモ参加者は数千人に及び、その後、数を増していった」と述べ、シリア政府が「(午後)5時以降、モスクへの援軍を増派した」と指摘した。

 なお『アフバール・アッ=シャルク』(3月21日付)によると、アル=ウマリー・モスク前に数千人が集まり、人間の盾を作り、治安部隊の突入に備える。

 『アフバール・アッ=シャルク』(3月22日付)は、ダマスカス県のアッ=サーリヒーヤ地区、ダマスカス郊外県のドゥーマー市、マアダミーヤ・アッ=シャーム市、ハジャル・アスワド市でデモが発生し、治安当局と衝突したと報じる。

  また政治犯の家族たちが午後2時にダマスカス県の裁判所前で政治犯釈放を求める座り込みを呼びかける。これを受け、ダマスカス県裁判所周辺に民間人の服を着た治安要員が多数展開。座り込みには数十人が参加したが、治安要員に強制排除された。

 複数の消息筋によると、アレッポ市でダルアー市の反体制デモを支持するデモを組織しようとした10代後半の少年4人が治安当局に逮捕される。逮捕されたのは、マスアブ・シャイフ・アミーン(14歳)、アブドゥッラー・アミーン(17歳)、サーリフ・アブー・ガールーン(18歳)、ラーフィウ・アブー・ガールーン(16歳)。

 シリア人権監視団によると、治安当局は「3月22日火曜日に、作家で活動家のルワイユ・フサイン氏を(ダマスカス郊外県の)サフナーヤー地区にある自宅で逮捕した」との声明を発表した。同声明によると、フサイン氏の家族はこのとき「外出中で、帰宅してドアが壊されているのを見て驚いた」という。また現在までのところ、彼の「行方は不明である」。

 同声明によると、フサイン氏(1960年生まれ)は「昨日(月曜)、平和的デモと表現の自由の保障を求めて、ダルアーの住民およびすべての国民との連帯を呼びかける声明への署名をインターネットで呼びかけた」。また彼は「1984年から1991年にかけて共産主義行動党員として投獄されていた政治犯として経歴を持っている」。

 そのうえでシリア人権監視団は「作家ルワイ・フサイン氏、青年ラーミー・イクバール氏、シリアの刑務所に収監されているすべての政治犯・言論犯の即時釈放と逮捕に係る問題の解消」を求めた。

 『カースィユーン』(3月22日付)は、共産主義者統一委員会メンバーのワリード・ファーリス・ファーリス氏がダルアーで逮捕されたと報じた。

 シリア人権国民機構は声明を出し、当局がダルアー市および郊外、ダマスカス県マダーヤー市、ヒムス市、アレッポ市、バーニヤース市、ヒムス市、ダマスカス市で主に19代後半から20代半ばの青年を無差別に逮捕していることを批判、すべての政治犯・言論犯の即時釈放を求めるとともに、戒厳令解除、例外的法廷の廃止、亡命者の帰国、政治的権利の保障、一般的自由の保障、司法の独立、1980年法律第49号、組合活動の自由の保障、クルド人の国籍回復、汚職撲滅、選挙法制定などを要求。

 『ハキーカ・ドゥワリーヤ』(3月22日付)は、在アンマン・シリア大使館前で21日から自由を求めるための座り込みを行ってきた芸術家のムハンマド・イブラーヒーム氏がシリア大使館職員に殴打されたと報じる。

 『クッルナー・シュラカー』(3月22日付)は、ダルアー市でのデモと弾圧を調査する内務省の調査委員会は、ファイサル・クルスーム県知事解任と、身柄拘束中の青年の釈放を行うべきとの暫定的決定を下した、と報じる。

 『アル=ワタン』(3月21日付)は、ダルアー県名士たちが3月20日にバアス党シリア地域指導部使節団と行った交渉で提示した要求の詳細を報じた。使節団はダルアー県出身のルストゥム・ガザーラ少将などからなる。同紙によると、要求は抗議運動を停止し、事態の正常化に向けた条件として提示されている。具体的な内容は以下の通り。

 1. ダルアー県知事、同県の治安機関責任者の解任。
 2. 犠牲者およびその遺族への謝罪、ダルアー県民を「潜入者、破壊分子」と非難したことへの謝罪。
 3. デモ参加者に発砲した者、発砲を命じた者の処罰。催涙ガスなどで市民を死傷させた者、それを命じた者の処罰。
 4. 平和的デモ参加者の逮捕の停止。
 5. すべての政治犯の即時釈放。
 6. 最近逮捕された大学生の釈放。
 7. 非常事態の解除。
 8. 不動産売買、経済活動にかかる治安当局の認可制の廃止。
 9. 減税。
 10. 汚職撲滅に向けた断固たる措置の実施。
 11. (ニカーブ着用を理由に)解雇された女性教員の復職。
 12. 亡命者の帰国許可。
 13. 所有権の剥奪を認めた1979年法律第60号(2000年法律第26号による改正)の廃止。
 14. 土地価格の見直し。
 15. ダマスカス県にあるダルアー県方面の旅客バス・ターミナルのアッ=スーマリーヤからの移転。
 16. ヒジャーズ鉄道公社のスーク・アッ=シュハダーの店舗の処遇改善。
 17. 社会福祉部門への非常勤労働者の採用。

 しかし、『アフバール・アッ=シャルク』(3月22日付)は、名士たちの話として、バアス党シリア地域指導部の使節団がダルアーの市民を虐殺すると脅迫したと報じる。

 ファールーク・アッ=シャルア副大統領は記者会見を行い、「ダルアーで発生した不幸な出来事」に対して遺憾の意を示すとともに、「政府がこの事件を収束させるべく迅速に対処し、混乱を発生させようとする試みを遮断しようとしている」と述べた。またアラブ諸国のデモに関して、「祖国建設のためのインセンティブでなければならず、市民の統合や結束に抵触すべきでない」と述べた。

 一方、ムハンマド・ナージー・アル=アトリー首相はアッ=ドゥンヤー・チャンネルで「国民統合を解体しようと計画している者がいる」としたうえで、「ダルアーの市民が求めている愛国的要求を利用して、それをまったく別の問題にすり替えようとする集団がいる」と指摘、こうした動きが近隣諸国などからもたらされていることが明らかになりつつあると述べた。

 ラタキアの有識者ら数十人が共同声明を出し、国内での破壊行為に反対の意思を表明するとともに、アル=アサド大統領に対して、国民対話開催のイニシアチブをとり、民主的市民国家建設に向けた議論と計画の策定を行うよう呼びかける。

 同声明に署名したのは、ナビール・スライマーン氏、ムンズィル・ミスリー氏ら。


2011年3月23日

 ダルアー県では、複数の通信社が人権活動から得た情報によると、ダルアー市のアル=ウマリー・モスク前で座り込みを行う人々とデモ犠牲者の葬儀に参列した人々に治安部隊が発砲し、少なくとも15人が死亡した。

 この二つの事件に関して、SANA(3月23日付)は公式筋の話として、「外国勢力」が「嘘を放送」し「虐殺が行われたと主張」することで、市民を煽動しようとしている、と報じた。同報道によると、「武装集団」がアル=ウマリー・モスク近くで救急車に乗った医療スタッフを襲撃し、医師1人、衛生士1人、救急車ドライバー1人を殺害した。これに対して現場近くの治安部隊が応戦し、武装集団の多くを負傷させ、数人を逮捕したが、その際兵士1人が殉職した。また武装部隊が「ダルアー市で市民を脅迫し、殺戮、窃盗、放火を行う武装集団の追跡を行った」としたうえで、武装集団がアル=ウマリー・モスク内に武器弾薬を隠し、子供たちを誘拐し「人間の盾」として利用したと報じた。

 またシリア・アラブ・テレビは押収した武器、爆弾、装備を公開し、それらがモスクで発見されたと報じた。しかし活動家らは、デモが平和的で武器は存在してないと反論している。一方、SANA(3月23日付)によると、「外国勢力がダルアーの状況に関して嘘を広め…、住民を扇動、脅迫しようとした。しかし住民は武装集団を追跡する治安部隊と協力している」。公式筋が伝えたところによると、「100万通以上の携帯電話のメッセージが外国から送られてきた。そのほとんどがイスラエルから発信されており、シリア人に、モスクを利用して暴動を行うよう呼びかけていた」。

 しかし活動家らは、治安部隊がモスクで座り込みをする人々を排除するために攻撃したと非難した。ある人権活動家はAFP(3月23日付)に「シリアの治安部隊がアル=ウマリー・モスク前で座り込みを行う人々に対して早朝に行った攻撃による死者は6人で、その内訳は女性2人、幼児1人、医師1人、治安部隊隊員2人である」と語った。また早朝に殺害された犠牲者の葬儀から戻る途中で「参列者に治安部隊が発砲して6人が殺された」と述べた。一方、別の活動家によると、「アル=ウマリー・モスク前で13人が死亡し、そのうちの少なくとも5、6人が参列者に対する攻撃の犠牲者である」という。さらにもう一人の活動家は、死者が「ダルアー市で11人、近隣の村々で2人」と述べた。一方、目撃者によると、早朝に民間人が殺害されたのを受け、住民と連帯するために北部からダルアー市内に行進してきた若者数百人に対して、治安部隊が発砲した。

 また活動からはシリア公式筋の報道を否定し、電話回線、電気が攻撃前に遮断されたと指摘し、シリア治安部隊がダルアー市内のアル=ウマリー・モスク前で座り込みを行う人々を排除するため攻撃したと非難、犠牲者の一部の氏名を公表した――「アリー・アル=マハーミード博士、ターヒル・アル=ムサーラマ氏、マーヒル・アル=ムサーラマ氏、ウマル・アブドゥルワーリー・アル=ムサーラマ氏、アル=ムサーラマ氏(女性、名前は不明)、マーリク・アクラード氏、アシュラフ・アル=ミスリー氏、アリー・アッ=ラワーシド氏、ハーティム・アル=マハーミード氏、アブー・ヌブード氏(女性、名前は不明)」。

 住民の一人によると、犠牲者のなかに、アリー・ガッサーブ・アル=マハーミード氏も含まれているという。同氏はダルアー市の名望家出の医師で、早朝に発生した攻撃での負傷者治療を支援するため旧市街のモスクへ向かっていた。

 なお、複数の消息筋によると、ダルアー市で自由を求めるデモが発生し、数百人が参加した。ダルアー市のデモはアル=ウマリー・モスク前で行われたが、治安部隊が強制排除に乗り出し、「デモ参加者はモスクに退散した」。シリア人権監視団によるとデモ参加者の数は1,000人に達した。

 また複数の消息筋によると、ナワー市でも自由を求めるデモが発生し、数百人が参加した。

 国内の反体制活動家がダルアー市などでの反体制運動に対する武力弾圧を非難する声明を出す。声明は「シリア国民への声明」と題され、「シリア国民の権利、そして自由、公正、民主主義を求める若者の平和的インティファーダに対する弾圧行為」を非難し、アル=アサド政権に、戒厳令解除、政治犯釈放、一般的自由の保障、複数政党制の実現、汚職撲滅などを実現するための早急な改革を求める。

 声明にはハイサム・アル=マーリフ、ジャウダト・サイード氏、マアーッズ・アル=ハティーブ・アル=ハサニー、ガッサーン・アン=ナッジャール、ダアド・ムーサー、ムハンマド・アル=アンマール、ヤースィル・アル=アイティーが署名。

 複数の弁護士たちが明らかにしたところによると、当局はダマスカスの内務省本舎前で先週政治犯釈放を求めて行われた平和的デモの参加者6人を釈放した

 アル=アサド大統領のいとこで亡命中のリーバール・アル=アサド氏(民主主義・自由のための機構代表)は、「アル=アサド政権には改革か、崩壊しか選択肢はない」と述べる。

 シリア・ムスリム同胞団のアリー・サドルッディーン・アル=バヤーヌーニー前最高監督者は『シャルク・アウサト』(3月23日付)の電話取材に応え、「エジプト、チュニジア、リビアで革命を発生させた要因はシリアにも存在する。自由の欠如、専制、腐敗、貧困、失業はシリアにも存在する。また反体制活動家の逮捕も続いている。改革の約束は全く実現されてない」としたうえで、「改革はシリアではあまりに遅れている。国民の前には現状に対するインティファーダしかない。改革要求が実現するまで各都市での民衆のインティファーダは止まないだろう」と述べる。

 治安当局はアフマド・アブ・アル=ハイイル(本名アフマド・ムハンマド・フザイファ)氏(バーニヤース市出身、ダマスカス・イスラーム・アル=ファトフ学院学生)をダマスカスの自宅で逮捕した。フェイスブックを通じてダルアー市での反体制デモを支持する活動を行ったのが逮捕の理由。

 治安当局は人権活動家のマーズィン・ダルウィーシュ氏を尋問ののち逮捕。

 シリア・クルド人権委員会、シリア民主的自由人権擁護諸委員会、シリア・クルド人権・一般的自由擁護機構(DAD)、シリア人権機構(Maf)は共同声明を出し、3月半ば以来の活動家らの逮捕を非難、釈放を求める。

 シリア・アラブ・テレビはアル=アサド大統領が政令第120号(2011年3月23日)を発令しダルアー県のファイサル・クルスーム県知事を解任したと発表した。DPIなど複数のメディアが3月20日にすでに解任したとの報道を流していた。


2011年3月24日

 ダルアー県では、ダルアー市でアル=ウマリー・モスクでの弾圧の犠牲となった9人の葬儀が行われ、数万人が参列し、その後、市内で街頭行進を行った。

 外国メディア特派員の市内での取材は制限され、AP通信記者が午後に散発的な銃声を聞いたと報じただけである。これらの特派員は軍・治安部隊高官が随行するかたちでアル=ウマリー・モスクへの訪問を許された。道中、市内の店舗はすべて閉められ、幹線道路には車はほとんど走っていなかった、という。また兵士と警官が市の入り口に検問所を設置し、道路は閉鎖されていた。

 ロイター(3月24日付)は、前日までにアル=ウマリー・モスクを制圧した軍・治安部隊が同モスクからの撤退を開始したと報じた。

 3月23日早朝にアル=ウマリー・モスクで殺害されたハーリド・アル=ミスリー兵卒(ヒムス県タッルカラフ市出身)に関して、『アフバール・アッ=シャルク』(3月24日付)は、モスク襲撃命令を拒否したために殺害されたとシリア人権委員会が発表したと報じた。

 ブサイナ・シャアバーン大統領府政治情報補佐官が死者数を「10人」と述べたのに対して(後述)、人権活動家のアイマン・アル=アスワド氏はAFP(3月24日付)の電話取材に対して、(23日までのダルアー市での弾圧で)「100人以上が殺害された…。ダルアー市では殉教者を埋葬するのに1週間はかかるだろう」と述べた。

 また別の活動家は、「死者は150人を越えるだろう…。犠牲者の多くは、ダルアー市の近隣の村々から葬儀に参列するためにやってきたが、治安部隊が彼らに発砲した」と述べた。

 さらにもう一人の活動家は、「数万人が周辺の村々からやって来て、アル=バリード交差点と県知事邸交差点にさしかかったところを治安部隊に発砲された」と述べた。同活動家によると、ダルアー市には、タフス村、ヒルバト・ガザーラ村、アル=ヒラーク、ジャースィム村、インハル村などから人々が訪れたという。

 複数の消息筋によると、負傷者、行方不明者の多くは、政治治安局ダルアー支部やバアス党のビル前で抗議行動を行っていた、という。

 シリア・クルド人権委員会、シリア民主的自由人権擁護諸委員会、シリア・クルド人権・一般的自由擁護機構(DAD)、シリア人権機構(Maf)は共同声明を出し、ダルアー市などで行われている抗議行動への支持を表明、市民の殺戮・暴行の真相を調査するための委員会設置、非常事態令・戒厳令解除、すべての政治犯・言論犯・良心犯の釈放、例外法廷の廃止、平和的デモを保障する法律の制定、クルド人の権利回復、政党法制定などを求める。

 シリア・クルド・イェキーティー党が声明を出し、ダルアー市などでの反体制デモへの支持を表明。

 ゴラン高原住民46人が声明を出し、「祖国がそのくびきから解放されることなく、ゴランの解放はない」と述べ、反体制デモへの支持を表明した。

 バッシャール・アル=アサド大統領は24日夜、給与引き上げ、国境地帯への国民の往来手続の簡略化などに関する政令を発令した。またこの措置に先立って、ブサイナ・シャアバーン大統領府政治情報補佐官が「戒厳令施行停止の早急の検討」、「情報法および政党法の制定」、「司法の強化、恣意的逮捕禁止」など、政治に関する一連の決定を発表し。さらに、これらの決定に加えて、生活福祉状況改善に関する複数の決定がなされたことを明らかにした。そのなかには、ダルアー住民の意見を聴取するための「最高指導委員会の発足」が含まれており、ダルアーでの「事件の状況、曖昧な点の究明、そして事件発生に関与した者の処罰が行われるという。

 シャアバーン大統領府政治情報補佐官は、午前中と晩に二度にわたって内外の記者団を前に会見を行った。

 バアス党シリア地域指導部の会合後に行われた午前中の記者会見において、シャアバーン補佐官は同会合で「政治情勢の進展、国民福祉の現状、政府の施政」を審議されたとしてうえで、以下の通り述べた。

 「党指導部は二段階からなる一連の決定を下した――第1段階は「生活・福祉の領域」に関する決定で、そのなかには最高指導委員会の設置が含まれている。同委員会の任務は、ダルアー市民と連絡をとり、意見聴取を行い、事件の状況、その曖昧な点を究明し、事件発生に関与した者、任務を行った者の処罰することにある。またこれ以外にも、公務員の賃金の即時引き上げおよび福利厚生のための資金調達、青年層失業者への雇用先の創出や臨時雇用者の正規雇用などを通じた就労機会増大のため必要な資源の確保、政府および地方自治体の施政の広範な矯正の実施とそのための早急な決定が行われる」。

 「第2段階の決定は「政治レベル」に関するもので、腐敗一掃のための新たな効率的しくみの構築、戒厳令施行停止の早急の検討、祖国と国民の安全を保障するための法制定などが含まれる。また同決定のなかには、政党法案の準備、さらなる自由、透明性を求める国民の意思に合致した新たな情報法の制定、国民の往来手続の簡略化するための国境地帯に関する政令第49号の改正およびその適用への不満の解消」も含まれている。また政治決定の6番目の項目として、司法の強化、恣意的逮捕禁止、国民が抱える案件の迅速な処理があげられている。

 シャアバーン補佐官は『アル=ハヤート』(3月25日付)などの質問に対して、一連の決定は発令とともに実施に移されると述べた。

 また最近発生した事件の調査は「進行中」と述べたうえで、「ダルアー市民をはじめとするシリア国民が行い得る当然の要求があり、それは平和的且つ期待に添うような速度で対処されるべき問題である」としつつも、「シリアの安定を乱そうとする者の意見とは相容れない」かたちでこれらの決定が成されたことを明らかにした。また「外国からシリアへ武器や資金が流入している確かな証拠がある…。武装活動が行われており、モスクが武器庫として利用され、治安部隊や医師が発砲を受けている…。外国がダルアーを選んだのは、資金や武器を流入させるに好都合な国境付近に位置するという地理的な理由であろう…。アラブ諸国や外国のメディアが「シリアを標的とすべく…、メディアを動員している」と述べた。

 またダルアー市での死者数に関して「昨日晩の段階で9人が死亡したが、今日重傷を負っていた1人が死亡し、犠牲者数は10人になった」と述べた。

 『ニューヨーク・タイムズ』(3月24日付)は、ある顧問の話として、アル=アサド大統領がダルアー市でのデモ参加者に対して発砲しないよう命令していたと報じる。

 ムハンマド・ナージー・アル=アトリー首相はアッ=ドゥンヤー・チャンネルのインタビューに答え、ダルアーでのデモに関して、県民の要求のなかには当然のものがあり、内閣は、適切な対処方法を検討し、正当な要求については内閣のプログラムの枠内で対応すると指摘した。


2011年3月25日

 AFP(9月25日付)によると、ダルアー県アッ=サナマイン市で金曜の礼拝の直後にデモが始まり、デモ参加者と治安部隊が衝突、10人が殺害された。また同消息筋によると、ダマスカス県、ヒムス市、アレッポ市、バーニヤース市、ラタキア市など複数の都市でダルアー市との連帯を求める抗議デモが発生した。

 ダルアー県では、人権活動家がAFP(9月25日付)に明らかにしたところによると、アッ=サナマイン市からダルアー市に向かっていた17人のデモ参加者が治安部隊の発砲で殺害された。また「治安部隊はダルアー県庁前で集会を行ったデモ参加者に集中砲火を浴びせた」。一方、別の目撃者によると、「20人以上が殉教者」となり、治安部隊は無差別に発表したという。AP(9月25日付)がもう一人の目撃者の証言として伝えたところによると、「10,000人以上がダルアー市内の広場でデモを行い、参加者はハーフィズ・アル=アサド前大統領の銅像を倒し、焼き撃った」。また「治安要員とバアス党(ダルアー)支局本部にいた何人か要員がデモ参加者に発砲し、少なくともその一人が反撃にあった」。

 ダルアー市住民の一人が電話でAFP(9月25日付)に述べたところによると、「数十人の葬儀参列者」がアル=ウマリー・モスクで行われた、市内での衝突で犠牲者2人の葬儀の礼拝後に「君に魂と血を捧げよう、殉教者よ」と叫んだ。AFPはまた、ダルアー市に隣接するアズラア地区で軍の大部隊が展開し、市内に向かう各村の分岐路に軍用バスが配置されたと付け加えた。

 ダルアー市で3人の青年がハーフィズ・アル=アサド前大統領の銅像を破壊した。

 ダーイル市では、「デモ参加者300人がオートバイ数十台に乗って街頭に出て、『ダーイルとダルアーは恐れない』と連呼し、児童たちがクーフィーヤを振った。また「シャイフ・ミスキーン村では数十人が集まり、車に乗ってダルアー市に向かっていった」。

 ダマスカス県では、AFP(9月25日付)によると、約300人が旧市街の中心に位置するウマイヤ・モスクでの金曜礼拝の後、アル=ハミディーヤ市場に向かって「アッラー、シリア、自由のみ」、「ダルアーはシリアだ」、「我々はみなダルアーの殉教者だ」と連呼しながらデモを行った。また「少なくとも5人が逮捕された」。インターネット上にはダマスカス市内にあるアッ=リファーイー・モスクでの別のデモの映像が公開された。またAFP(9月25日付)が複数の目撃者の証言として伝えたところによると、治安部隊がダマスカス中心のアマーラ地区でのデモを強制排除した。

 ダマスカス郊外県では、複数の目撃者によると、治安部隊はアル=マアダミーヤ市で3人を殺害した。住民の一人は「ダルアーでの殺人を非難する住民のデモが発生したら、(政権支持者が乗った)車列がアル=マアダミーヤに入ってきた」と述べている。またAFP(9月25日付)が複数の目撃者の証言として伝えたところによると、アッ=タッル市ではダルアー市との連隊を求める約1,000人がデモを行った。

  『クッルナー・シュラカー』(3月30日付)は、ドゥーマー市のデモに参加したマムドゥーフ・アドワーン氏(25歳、作家マルワーン・マムドゥーフの息子)が逮捕・拘束されたと報じた。

 ハマー県では、ハマー市でデモが発生し、住民によると、デモ参加者は金曜礼拝の後に街頭に出て、自由とダルアー支持を叫んだ」。

 ラタキア県では、シリア人権機構によると、先週金曜に引き続き「約3,000人が海岸のバーニヤース市でデモを行った」。

 このほか、複数の衛星テレビ局やインターネット・サイトがヒムス市、ラタキア市の街頭やモスクでのデモの映像を公開した。デモには数千人が参加したという。

 なおフェイスブックでは、「誇りの金曜日」と銘打ったデモへの参加が呼びかけられていた。フェイスブック上の「シリア青年連合」と名付けられたページで公開された声明は「政権を完全に一掃し、すべてのシリア国民を代表する暫定政府を発足して国を指導し、自由を保障し、戒厳令を解除し、政治犯を釈放する」ことが求められた。

 また「シリア革命2011」ページは、「シリア革命を収束させ、喜劇じみた方法で国民の要求に応えるのを回避しようとしている。しかし、彼らは国民が自由を手にするまで街頭に出て引き返さないことを知らない」と非難し、24日に発表されたアル=アサド政権の改革プログラムを拒否するとともに、街頭でのデモを主唱した。

 クルド人シャイフ、ムルシド・アル=ハズナウィー氏はユーチューブ(http://www.youtube.com/watch?v=Bn-5iBJZNSk&feature=player_embedded)で反体制デモへの参加を呼びかけた。

 シリア・クルド国民行動統一機構は声明を出し、反体制デモへの支持を表明。

 クルド民族主義諸政党は「シリア・クルド諸政党」(Majmū‘ al-Aḥzāb al-Kurdīya fī Sūrīya)の名で共同声明を出し、反体制デモへの支持を表明。

 シリア・インティファーダ支援国民イニシアチブ委員会(シリア・ムスリム同胞団、バヤーヌーニー)は25日に声明を出し、反体制デモでの犠牲はアル=アサド大統領に責任がある、と非難。

 各地での反体制デモに対抗するかたちで、各県でバッシャール・アル=アサド大統領の改革路線(24日に発表)を支持する行進が組織された。

 SANAによると、ダマスカスをはじめとする各県で、「昨日(24日)に出された政令や決定の意義、アル=アサド大統領の指導のもとにシリアが享受する国民統合、シリアを標的とする外国の動きに断固として立ち向かう政権の姿勢を支持するための行進」が行われた。また参加者が「シリアの治安、安定、国民統合を標的として、外国がシリア国民に対して行う組織的な働きかけを拒否する姿勢を明示した」としたうえで、「経済、政治、福祉、生活にかかわる決定と政令はシリア国民の意思に合致しており、(中東)地域が直面する様々な事件へのシリア国民の政治的・経済的関与を伴うものである」と報じた。

 SANAによると、「複数の県での多くの国民が行った集会のなかには、地元の要求を掲げ、改革政策や腐敗撲滅の早期実施を唱道するものがあった」として、反体制デモがあったことを暗に認めた。しかし外国の「メディアや幾つかの通信社が偽のニュースを流し、シリアの現状に関する偽りの情報を報道し、福祉、経済、政治に関する決定と政令が出された直後にシリア国内を包んだ肯定的な雰囲気を乱すべく無秩序と暴動を喚起した」と非難した。

 ムフスィン・ビラール情報大臣は、「テロリストの逮捕」によって各都市は平静さを取り戻したと発表した。また「彼らが何者だったのか近く世界に公開する」と述べた。

 ブサイナ・シャアバーンは『アル=ハヤート』(3月26日付)の取材に対して、アル=アサド政権が「祖国の屋根の下で行われるあらゆる問題、要求を議論する用意がある」と述べ、国民の要求に応じた「日程」を設けて改革が実施されることを強調した。

 共和国ムフティーのアフマド・バドルッディーン師やムハンマド・サイード・ラマダーン・アル=ブーティーがシリア・アラブ・テレビに出演し、ダルアー市住民に対して、同市での出来事に耐えるよう呼びかけるとともに、「見ず知らずの者に従わないよう」、「内乱(フィトナ)」に荷担しないよう警鐘をならした。


2011年3月26日

 ラタキア県では、ラタキア市で2人が殺害された。人権活動家のアンマール・カルビー氏は、カイロのロイター(3月26日付)の取材に対して、この2人がバアス党ラタキア支部ビルに放火しようとして治安部隊に射殺されたと述べた。

 しかし、SANA(3月26日付)は、シリア高官の話として、「武装集団がラタキア市内の幾つかのビルの屋上を占拠し、通行人、市民、治安部隊に発砲し」、午後に「武装集団の狙撃手」の発砲により、「2人が死者、2人が負傷」したと報じた。

 ダルアー県では、ダルアー市で再びデモが発生した。目撃者によると、同市では、市内の主要な広場の一つで座り込みを行い、「国民は政権打倒を望む」と書かれた旗などを掲げていたデモ参加者を排除するため、治安部隊が催涙ガスを発射した。

 ダルアー市中心部で数百人がデモに参加し、バアス党ダルアー支部や警察署に放火した。

 また、人権活動家によると、タファス村では、「数千人が犠牲者3人の葬儀に参加し、同村内の警察署に放火した」。

 ヒムス県では、ヒムス市のハーリド・ブン・アル=ワリード・モスクでの礼拝を終え、いつも通りに街頭に出た市民約60人が逮捕される。逮捕された市民はデモを行っていなかったという。

 フェイスブックの「シリア怒りの日」や「シリア革命2011」は、すべての都市で26日に「ダルアー市を救援」するため「民衆インティファーダ」を行うよう呼びかけた。しかしダルアー市、タファス市、ラタキア市以外では大規模なデモは発生しなかった。

 ダマスカス宣言在外国民会議のアブドゥッラッザーク・イード議長は『ドイッチェ・ヴェーレ』(3月26日付)のインタビューに応え、シリア国内での反体制デモに関して、「これらの都市は沈黙を打ち破り、恐怖の壁を破壊した」と指摘するとともに、アル=アサド政権による改革プログラムの提示に関して、「時間稼ぎ」に過ぎないと批判した。

 ブサイナ・シャアバーン大統領府政治情報担当報道官は、複数の記者との会見で、「シリア特有の生活様式を標的とすることで、シリアに暴動をもたらそうとする企てがあることは明らか」としたうえで、この動きが「新しいものではなく、シリア国民はその存在を常に意識しており、このような破壊行為や標的は克服されるだろう」と述べた。また「平和的なデモの権利はシリアのすべての国民に保障されている。しかし現在起きていることは宗派主義的な暴動を扇動し、治安、安定、国民生活を標的としている」と指摘し、「シリアはその治安と安定が奪われることを認めない」と強調した。さらに「ほとんどのシリア国民は先日宣言された改革を大胆な改革だと見ている。我々はシリア国民が望む物を支持し、その実現のために働く」と付け加えた。

 SANA(3月26日付)によると、シリア・アラブ・テレビは「シリアの幾つかの都市で発生した事件での逮捕されたのが、シリア人でない様々な国籍の外国人であることが判明した」と報じ、逮捕者のなかに「シリアで就労する米国籍のエジプト国民であることが判明し、この人物が今回の事件に先立ってシオニスト政体(イスラエル)を訪問し、外国から資金を得てシリアに関する写真やビデオを送信していたことを認めた」と報じた。

 SANA(3月26日付)は、ユースフ・アル=カラダーウィーが金曜日(25日)の説教でシリアでの出来事に干渉したことに複数のシリア消息筋が「大いなる不快感」を表明し、「宗教関係者に暴動を扇動する権利などない」と非難したと報じた。

 複数の人権活動家はシリア政府が3月25日晩にイスラーム主義者やクルド人を含む260人の政治犯を釈放したことを明らかにした。

 これはシリア政府が数日前に宣言した一連の措置実施の第一歩と見られる。

 ある弁護士が明らかにしたところによると、釈放者のなかには「イスラーム主義者が含まれ、彼らは刑期の4分の3を減刑されて出所した」。またシリア人権連盟のアブドゥルカリーム・リーハーウィー会長がAFP(3月26日付)に述べたところによると、「釈放された者のなかにはクルド人14人が含まれ…、その大多数がイスラーム組織に属するという理由で逮捕されていた」。彼はまた「この措置は、シリアにおける公共の自由にかかわる状況改善のため先日なされた一連の約束の始まりとなる」と述べた。


2011年3月27日

 複数の住民が述べたところによると、ダルアー市やラタキア市に、軍・治安部隊、ムハーバラートの増援部隊が派遣され、市内制圧を支援する一方、監視態勢を強化し、大規模なデモは発生しなかった。ただし、ダルアー市内には、戦車、兵員輸送車輌は投入されていないという。

 複数の通信社によると、衛星テレビ局アフバール・スーリーヤは、当局が約300人を逮捕し、そのなかにはイラク人、ヨルダン人、レバノン人、アルジェリア人が含まれていたと報じた。彼らは3月26日(土曜日)、ラタキア市で、ビルの屋上を占拠し、通行人に発砲したという。

 『クッルナー・シュラカー』(3月27日付)は、「クルド青年革命」を名乗るグループが、フェイスブックなどでダルアー市との連帯を表明するため、アル=カーミシュリー市での座り込みを呼びかけたと報じる。

 アラブ社会主義連合民主党は声明を出し、「平和的な手段による愛国的、民主的な運動のただ中にを見出す」と述べ、反体制抗議行動支持を表明。

 人民議会の審議で、ユースフ・アブー・ルーミヤ議員(75歳、ダルアー県選出、無所属)が、ダルアー市で治安部隊が「執拗に」デモ参加者に発砲したと非難した。

 アブー・ルーミヤ議員は「ハウラーン地方で起きているのは、大統領ではなく、ヘリコプターを投入して市民に発砲した…ダルアーの政治治安局の無思慮に抗議するものだ」と述べた。

この発言はYoutubeで配信された。

 大統領府声明によると、バッシャール・アル=アサド大統領はクウェートのフバーフ・アフマド・ジャービル・スバーフ首長、バハレーンのハマド・ブン・イーサー・アール・ハリーファ国王と電話会談した。同声明によると、スバーフ首長は「クウェートが治安と安定を揺るがそうとする試みに対抗するシリアを支持するとの意思」を示し、この試みを退けるシリア政府および国民の能力を信頼していると述べた。一方ハマド国王は「アル=アサド大統領に対して、バハレーンが治安と安定を標的とした陰謀に立ち向かうシリア政府および国民を支持し、この陰謀を排除し、克服するシリア国民の意思と能力を信頼している」と述べた。

 SANA(3月28日付)は、公式筋の情報として、「武装集団が2日間にわたってラタキア市民、街区を攻撃し、治安部隊兵士、市民、10人と、武装集団メンバー2人がした。同集団は市内を徘徊し、家々の屋根を占拠して、市民に無差別に発砲、市民をパニックに陥れた…。約200人が負傷した。そのほとんどが治安要員で、武装集団はまた、ラタキア市内の公共施設、私有施設、福祉施設、焦点を破壊し、家々に押し入り、住民を脅迫した」と報じた。またその際、市内の国立病院も襲撃され、多数の救急車両や医療クルーを攻撃した、という。しかし、「ラタキア市民は、すべての地区で治安部隊に協力し、武装集団の居場所を知らせ、メンバー多数の逮捕、尋問に寄与した」。

 AFP(3月27日付)によると、ブサイナ・シャアバーン大統領府政治情報顧問は、ラタキア市での3月26日(土曜日)の事件に関して「治安要員と市民2人、武装した男2人がラタキア市の住民や市街地に対する武装集団の攻撃によって死亡した」と公式筋の発表を繰り返した。シャアバーン顧問はまた「攻撃の背後には過激派がおり、国内に宗派主義的亀裂をもたらそうとしていた」と疑った。そのうえで「非常事態令解除は決定済みだが、それがいつ実施段階に入るかは分からない」と付言した。

 シリア・アラブ・テレビの報道によると、米国籍を持つエジプト人は外国から金銭を受け取り、シリアで撮影した映像を送っていたという。シリア・アラブ・テレビで公開されたムハンマド氏の証言映像で、同氏はインターネットでコロンビア人からダマスカスでのデモの映像を撮影したら100EPの報酬を与えると持ちかけられたと述べた。

 これに対して、アブー・バクル・ラドワーン氏(エジプト人)が3月27日晩にアル=アラビーヤの電話取材に対して、息子のムハンマド氏がダマスカスで3月25日に逮捕されたと語った。ムハンマド氏はウマイヤ・モスクで発生したデモを携帯電話のデジカメで撮影しただけであるにもかかわらず、シリア当局はイスラエルのスパイとの容疑をかけたという。しかし、アブー・バクル氏は、ムハンマド氏がヨルダン経由でイスラエルに入国したことを認める。

 ムハンマド氏は米国生まれの32歳で、テキサス大学を卒業。米在住。石油技師。

 AFP(3月27日付)はミシェル・シャンマース弁護士の話として、3月16日に内務省舎前で座り込みを行い「ダマスカスで逮捕されたディヤーナー・アル=ジャワービラ女史ら17人の釈放を当局が決定した」と報じた。アル=ジャワービラ女史の逮捕は出身地であるダルアー市でのデモを激化させる原因ともなった。この措置は、3月23日の女性参加者釈放に次ぐ動きである。しかし、シャンマース弁護士は9人が依然身柄拘束中で、そのなかには人権活動家のスハイル・アル=アタースィー女史、ナーヒド・バダウィーヤ女史が含まれていると付け加えた。


2011年3月28日

 ダルアー県では、現地の目撃者によると、シリア治安部隊がダルアー市で非常事態反対を連呼するデモ参加者数百人に発砲した。デモ参加者は市内の広場に表れ、自由を要求し、戒厳令を拒否するシュプレヒコールを繰り返し、治安部隊は数分にわたって空に向かって威嚇射撃を行ったが、デモ参加者は発砲が終わると、再び抗議行動を続けたという。

 ダルアー市内の治安部隊はその後規模を縮小させていたが、住民が明らかにしたところによると、再び増強されたという。ある商人は、ダルアー市でのデモの中心地となったアル=ウマリー・モスクを指さして、治安部隊が「モスク近くのあらゆる群衆に向けて弾丸を浴びせた」と述べた。ダルアー市住民の一人でモスクの近くに家を持つアブー・タマーム氏によると、兵士と治安要員が「ほぼ1メートル間隔で」配置されている。アル=ジャワービラ家の別の市民によると、狙撃手が重要な施設の屋上に再配備されたため、「誰も動こうとはしなかった」。ダルアー市の商業地区は麻痺状態となっており、またシリア・ヨルダン国境の往来も減少しているという。

 しかしインターネット上では、ダルアー市などでハーフィズ・アル=アサド前大統領の像が破壊される映像、アル=アサド大統領および前大統領の写真が破られる映像、マーヒル・アル=アサド大佐を批判するシュプレヒコールを連呼する市民の映像などがアップされ続けた。

 http://www.youtube.com/watch?v=D57SZpiH0Lo
 http://www.youtube.com/watch?v=IsiFxi9uRGg
 http://www.youtube.com/watch?v=9flGn0y2_d0&feature=player_embedded#at=61
 http://www.youtube.com/watch?v=H9_BOjkD2wY

 アフマド・バドルッディーン・ハッスーンがダルアー県のアッ=サナマイン市を訪問し、犠牲者遺族を弔問。

 『アル=ハヤート』(3月29日付)によると、ラタキア市は平静を取り戻した。市内商業地区の中心に位置するアッ=シャイフ・ダーヒル地区には、武装集団と治安部隊との激しい交戦による破壊や放火の痕跡が残っているという。環境社会開発センターのイサーム・フーリー調整役はAFP(3月28日付)との電話で、「市内で次第に普通の生活が戻りはじめ、門を開けた学校もある」と述べたが、「住民は子供たちを通学させることをいまだ恐れている」と指摘した。また「開店している商店もあり、車の往来も各地区で見られる」と付け加えた。

  しかし『シャルク・アウワト』(3月29日付)はラタキア市アッ=スライバ広場で約2,000人が宗派主義反対の集会を行ったと報じる。

 『シャルク・アウワト』(3月29日付)は、ヒムス県ヒムス市のアン=ナーウーラ市場とアル=マスクーフ市場で28日、平和的座り込みを行おうとした市民多数(30人以上)が逮捕されたと報じる。また数百人が参加したこの座り込みに対して、治安部隊が発砲したという。

 シリア人権委員会は声明を出し、3月25日のヒムス市でのデモ発生後、多くの市民が失踪したと発表する。

 シリア・ムスリム同胞団が声明を出し、アル=アサド政権による各地でのテロ弾圧を批判、犠牲者に哀悼の意を示すとともに、「現体制のもとで武器弾薬の貯蔵はゴラン解放のために自由でなされてきたが、国民、子供たちを殺すために用いるためではない」と非難した。

 ファールーク・アッ=シャルア副大統領はアル=マナール・チャンネル(ヒズブッラーのテレビ放送)で、バッシャール・アル=アサド大統領が2日以内に「シリア国民の幸福向上」のための重要な諸決定を発表すると述べた。

 AFP(3月28日付)によると、人民議会のムハンマド・ハバシュ議員は、「政権にどのような措置を講じるのか明示させるよう」人民議会に求めるべきだとしたうえで、「我々は大統領が人民議会に来て、必要な手順について説明するよう求めた」と述べた。また「国民を宗派に分断し亀裂を助長することをねらったシリアに対する宗派主義的陰謀」の存在に関して、人民議会には「宗派主義的陰謀を拒否するという一致した立場が存在する」と述べた。

 当局は身柄拘束していたロイターの記者2人を釈放した。女性テレビ・プロデューサーのアーヤート・バスマ氏とカメラマンのイッザト・バルタジー氏は同僚との電話で話したところによると、2人は現在レバノンに向かって越境中で、ともに無事だという。

 DPI(3月28日付)は、シリア政府に近い消息筋が、一部メディアで報じられていたファールーク・アッ=シャルア副大統領殺害を否定したと報じた。

 『アル=ワタン・オンライン』(3月28日付)は、カタルのハマド・ブン・ジャースィム・アール・サーニー首長の代理としてシリアを訪問したタミーム・ブン・ハムド・ブン・ジャースィム・アール・サーニー皇太子がアル=アサド大統領と会談し、ユースフ・アル=カラダーウィー師の発言に関して謝罪したと報じる。

 国内の政権寄りの有識者、芸術家などが、「祖国の屋根の下で」と題した声明を出し、ダルアー市などで続く自由・民主主義を求める平和的デモへの支持を表明するとともに、混乱、破壊をもたらすような煽動に反対の意思を示した。また改革路線への支持を表明し、戒厳令解除、政治犯・言論犯の釈放、政党法制定、国民対話の開始などを求めた

同声明には、ドゥライド・ラッハーム氏、バッサーム・クーサー氏、バースィム・ヤーフール氏、ニダール・サイジャリー氏ら数十人が署名した。


2011年3月29日

 大統領府が声明を出し、バッシャール・アル=アサド大統領が「ムハンマド・ナージー・アル=アトリー内閣の総辞職を受理し、新内閣組閣までの期間、同内閣を暫定移行内閣に任じた」と発表した。

 アル=アトリー内閣の変遷については「シリア内閣」(現代東アラブ地域の政治主体に関する包括的研究:非公的政治空間における営為を中心に科学研究費補助金(基盤研究(B))」を参照。

 SANA(3月29日付)は「100万人規模の民衆大行進」がダマスカス県、アレッポ市、イドリブ市、アル=ハサカ市、ラッカ市、タルトゥース市、ダイル・アッ=ザウル市、ハマー市、アッ=スワイダー市など、シリア各県で行われた、と報じた。ダマスカス県のアル=ウマウィーイーン広場には数十万人が集まった。同行進は「祖国への忠誠」と銘打たれ、アル=アサド大統領支持、大統領が指導する「包括的改革プログラム支持」、「挙国一致」の確認、外国による「暴動扇動」の試みの拒否が訴えられた。シリア国旗が家々のバルコニーや車に掲げられ、プラガードには「挙国一致は試されるまでもない」、「シリアがめざすものはレジスタンスのプログラムがめさすもの」、「腐敗反対、改革プログラム賛成」、「改革賛成、我々はあなたとともにある」などと書かれていた。

 人民議会は今日予定されているアル=アサド大統領の演説に先だって、マフムード・アブラシュ議長のもと臨時会を招集し、「シリアが享受し、最近の事件で強化された挙国一致」、「シリアに対する挑戦や陰謀に立ち向かう能力、国民の生活状況改善のための決定や立法の重要性、腐敗との戦い、戒厳令解除、政治生活への参加拡大」の必要を確認した。

 複数の人権擁護活動家によると、シリア当局は、ダマスカスの裁判所前で3月27日(日曜日)に逮捕されたフサイン・イーサー氏など、反体制デモを支持した弁護士4人を釈放したと述べた。なおシリア人権監視団はフサイン・イーサー弁護士(ダマスカスの裁判所前で逮捕)、ターミル・アル=ジャフマーニー弁護士(ダマスカスのジャーナリスト・クラブで逮捕、スライマーン・ヌハイリー弁護士(ヒムス市のデモに参加したとの理由で逮捕)、ニダール・アッ=シャイフ・ハンムード弁護士(ヒムス市のデモに参加したとの理由で逮捕)、ムハンマド・イブラーヒーム・イーサー弁護士(ダマスカス郊外県でフェイスブック上での活動が原因で逮捕)されたと発表していた。

 『シャルク・アウサト』(3月29日付)は、ダルアー県で反体制運動が最初に噴出した遠因として、ハーフィズ・アル=アサド前大統領のもとで培われていた政権とハウラーン地方の政治エリートとの関係が、アル=アサド政権のもとで崩壊した事実があることを示唆する記事を掲載した。

 この記事によると、Ḥ・アル=アサド政権のもと、ダルアー出身のファールーク・アッ=シャルア、マフムード・アッ=ズウビー、ルストゥム・ガザーラがそれぞれ外務大臣、首相、レバノン駐留シリア軍治安偵察機構課次長(その後課長)に登用され、政権とハウラーン地方の政治エリートの間に「友好関係」が築かれたいたが、アル=アサド現政権のもと、アッ=シャルア外務大臣は副大統領という閑職に追いやられ、アッ=ズウビー首相は「自殺」に追い込まれ、ガザーラは少将に昇進したものの、「反逆罪」で粛清することを脅迫されるようになった、という。

 DP-News(3月31日付)は、29日にラタキア市内のアル=カルア地区、アッ=スライバ地区などで始まった座り込みの解散を説得するために、ラタキア県のリヤード・ヒジャーブ県知事、県議会議員らが現場で市民と対話を行ったと報じた。

 同報道は、ラタキア県議会議員の一人が匿名を条件に以下のように述べたと報じた。

 「座り込みを行っている人々の要求のほとんどは個人的なものだった。住宅、仕事、ヒッティーン(サッカー・チーム)に関するものなどである。むろんこのほかにも、政治犯釈放を求める声もあったが…」。

 同議員によると、ヒジャーブ県知事が政治犯釈放を拒否する姿勢を示すと、座り込みを行う人々は憤慨し、県知事らに投石したという。

 SANA(3月30日付)は、シリア・アラブ・テレビがレバノンのトリポリ市からシリア国内に武器が密輸されていると報じたと伝える。同報道によると、武器密輸にはムスタクバル潮流が関与しているというが、ムスタクバル潮流のアフマド・アル=ハリーリー報道官はこれを否定している。

 『アフバール・アッ=シャルク』(3月29日付)は、タルトゥース県バーニヤース市で反体制デモを指導しているシャイフ、アンス・アイルート師が脅迫を受けていると報じる。

 『アフバール・アッ=シャルク』(3月29日付)は、経済学者のアーリフ・ダリーラ氏(ラタキア出身)が、宗派主義反対のため、ラタキア市で様々な宗派の識者と会談していると報じる。

 AFPやロイター(3月29日付)は、シリアの複数の有識者と人権活動家が「国民誓約」と題した声明を出し、「民主的民生国家の建設」、「多様性の尊重」、「宗派主義反対」、「あらゆる状況下での非暴力」を主唱したと報じた。

 同声明の署名者のなかには、思想家のサーディク・ジャラール・アル=アズム氏、脚本家のムハンマド・ムリッス氏、同じく脚本家のサミール・ズィクラー氏、風刺漫画家のアリー・ファルザート氏が含まれている。また同声明には政治活動家や人権活動家も署名しており、そのなかにはハイサム・アル=マーリフ氏、アーリフ・ダリーラ氏、ミシェル・キールー氏、フィダー・アクラム・アル=ハウラーニー氏、リヤード・サイフ氏、アブドゥルカリーム・リーハーウィー氏、フサイン・アル=アウダート氏、アブドゥルハミード・ダルウィーシュ氏、ガッサーン・ナッジャール氏、ワッザーン・ザイトゥーナ氏、ムンタハー・スルターン・アル=アトラシュ氏、アフマド・トゥウマ氏、ファーイズ・サーラ氏、ファウワーズ・タッルー氏が名を連ねている。

 アラブ社会主義連合民主党のラジャー・アン=ナースィル氏はシャアバーン顧問の記者会見の内容を「依然として曖昧さがぬぐえない」としたうえで、アル=アサド政権が政治的対話を無視して、治安機関を通じた圧力の行使という対話を認めるのみである」と非難した。

 シリア・クルド政治評議会は声明を出し、各地での反体制抗議行動との連帯、支持を表明するとともに、憲法改正を通じたクルド民族の存在の保障、一般的自由の保障、すべての政治犯・言論犯の釈放を求める。


2011年3月30日

 バッシャール・アル=アサド大統領は人民議会で国民に向けて演説を行った。 大統領の演説したのは、シリアの各都市で反体制デモが始まって以降初めて。

 アル=アサド大統領は、シリアが「大きな陰謀に曝されており、その糸は遠い国々や近隣諸国から伸び、その何本かはすでに祖国に至っている。この陰謀はアラブ諸国で起きていることの形式ではなくタイミングを利用している」と警鐘を鳴らした。そのうえで「暴動の鎮圧は国民的、道徳的、合法的義務であり、鎮圧に寄与できるのに何もしない者はすべて暴動の一部をなす」と明言した。

 大統領は「何者かが暴動、改革、日々のニーズを混同した」と指摘した。また改めて改革への支持を表明しつつ、「最速ではなく最善をめざす、我々は急ぎたいが、急かされたくはない」と述べた。そのうえで「危機的状況は、それを制御でき、勝者として脱却できれば、良いことである」と続けた。

 アル=アサド大統領は「シリアは大きな陰謀に曝されている…。彼らは非常に巧みに暴動、改革、日々のニーズという三つの要素を織り交ぜている。大多数のシリア国民は改革を求めている。大多数のシリア国民にはいまだ応えられていないニーズがある…。しかし暴動がこうした問題に介入し、改革と日々のニーズという二つの要素を支配し、それを覆い尽くし始めた。はじめは善意で街頭に出ていた人々が容易に欺かれたのはそのためである。我々は街頭に出たすべての人々が陰謀者と言うことはできない。なぜなら陰謀者は常に少数だからである」と述べた。

 一方、政党法と非常事態(解除)法の草案は以前からあったうえで、「我々は遅れてしまった。否、遅からずこの問題を国民の判断に委ねるだろう。しかしそもそも我々がこれらの改革を望んでいなかったなら、2005年に改革を実行せず、今日圧力のもとで改革を実行する」という問題ではないとしたうえで「問題はルーティーン、怠慢、遅延に関わる問題であり」述べた。さらに「改革が肯定的であることは疑う余地のないことだが、重要なのは、我々がこの改革の内容を知ることにある。我々は正確には何を計画してきたのか? まもなく選挙が実施されるだろう新しい人民議会があり、地方自治体の選挙があり、現段階で総辞職しようとした内閣がある。バアス党地域大会もある。我々は2011年に新たな血導入されると考えていた。これらの新たな血が新たな段階への至らねばならないのである」と付け加えた。

 また次のようにも述べた。「改革はファッションではない。それが地域に及ぶ波を反映しているものに過ぎないなら、その内容のいかんにかかわらず壊滅的だと言える…。障害はない。延滞はない。反対者もいない。反対する者は利権を握り腐敗した者だ。貴方たちは知っているはずだ。そうした一握りの人々が存在したが今はもういないことを…。現在挑むべきは、我々が到達しようとしている改革の質がどのようなものになるのかということに関わっている。また我々は、逆効果にならないよう一過性の現状に改革の作業を従属させることを回避せねばならない。基本的な挑戦とは、いかなる改革を我々が望むかということに関わっている。近く提示される法律をめぐって議論を始める際にシリア人として創意工夫が行われるだろう」。また、戒厳令解除、政党法、情報法など先週木曜日(3月24日)に宣言された政策実施の決意に関して、「挙国一致、腐敗撲滅、情報、就労機会増大」に関わる措置が検討終了後に実施・宣言されるだろう」と述べ、「前内閣はそれを開始し、新内閣ではそれが優先事項の一つになる」と明言した。

 また「人民議会で今、日程を宣言するよう求める者もいるが、いかなる問題であれ日程発表は技術的なものである」と続けた。

 アル=アサド大統領はさらに「暴動の鎮圧は国民的、道徳的、合法的な義務であり、鎮圧に寄与できるのに何もしない者はすべて暴動の一部をなす」と明言した。聖コーランにも書かれている通り、「騒擾は殺人よりもっと悪質であったのだ」。意図しようがしまいがそれに関与する者はみな、祖国での殺戮に荷担している。また中庸な立場をとる者にも居場所はない。問題は国家ではなく祖国に関わるものだ。陰謀は大きく、我々は戦いを望んでいない。シリア国民は平和と友愛を好む国民である。しかし我々は我々自身の大義、国益、原則の防衛に一時たりとも躊躇しない。もし我々が今日戦わねばならないのであれば、喜んで戦おう」と明言した。

 アル=アサド大統領の演説の全文はhttp://www.sana.sy/ara/2/2011/03/31/339278.htmを、英語訳はhttp://www.sana.sy/eng/21/2011/03/30/339334.htmを参照。

 アル=アサド大統領が人民議会での演説を終え、議事堂前から車で立ち去ろうとした際、女性が大統領に近づき、その場が混乱する映像がシリア・アラブ・テレビによって配信される。http://www.youtube.com/watch?v=oyS3WkwZAjMを参照。

 AFP(3月30日付)は、アル=アサド大統領の演説後、約300人が不満の意を表明すべくラタキア県ラタキア市でデモを行った。市内の複数の目撃者によると、「平和と自由」というプラガードを掲げたデモ参加者に治安部隊が発砲、排除した。

 しかし、複数の目撃者によると、軍も現場の近くに展開したが介入はしなかった。一方、住民によると、1台の車が集会現場の近くを通り過ぎる際に発砲したとのことだが、その真偽は定かでない。

 環境社会開発センター所長でジャーナリストのイサーム・フーリー氏はAFP(3月30日付)の電話取材に対して、「(ラタキア市南部)のアッ=スライバ地区で複数の銃声が聞こえたが、詳しいことは分からない」と述べた。

 シリア・アラブ・テレビ(3月30日付)はラタキア市で「武装集団」が発砲したと報じたが、詳細については明らかにしなかった。

 ロイター(3月30日付)は発砲で負傷者が出たと報じ、BBCアラビア語放送(3月30日付)は複数が死亡したと伝えた。

 『アフバール・アッ=シャルク』(3月30日付)によると、ラタキア市では、アッ=スライバ地区などで抗議の座り込みが恒常化している、という。

 シリア人権委員会は声明を出し、ラタキア市で25人の市民が殺害されたと非難した。

 ダルアー県ダルアー市でも、アル=アサド大統領の演説直後に不満の意を示すデモが発生する。『アフバール・アッ=シャルク』(3月30日付)によると、数千人が参加。

 ハイサム・マーリフ弁護士はAFP(3月30日付)の取材に対して、アル=アサド大統領の演説が「何も言っていない。前にも聞いたことがある。彼らはいつも変革の必要があると言い、何かしなければならないと言うが、実際には何も起きない」と述べ、失望感を露わにするとともに、今後もデモは続くだろうと述べる。

 シリア・クルド進歩民主党(アブドゥルハミード・ダルウィーシュ派)はに声明を出し、アル=アサド大統領の演説内容を不十分と非難、すべての政治犯の釈放、非常事態解除、国籍を剥奪されたクルド人の権利回復、政党法制定を求める。

 ミシェル・シャンマース弁護士はAFP(3月30日付)に対して、3月16日の内務省前で抗議行動を行い逮捕されていた政治犯家族のうち7人が保釈金7,000SPを支払い、釈放されたと述べる。釈放されたのは、ナーヒド・バダウィーヤ氏、バドルッディーン・シャッラーシュ氏、バシャル・ジャウダト・サイード氏、サアド・ジャウダト・サイード氏、ナーラト・アブドゥルカリーム氏、ディヤーッディーン・ダグマシュ氏、ナスルッディーン・イフミー氏。


2011年3月31日

 SANA(4月1日付)はバッシャール・アル=アサド大統領の指示に従い、非常事態解除、ダルアー市とラタキア市などでの事件の調査、クルド人統計問題の解決を目的とする三つの個別委員会が設置されたと報じた。

 三つの委員会の第1の委員会の任務は、非常事態解除に関する決定実施を「目的」とした立法を4月末までに実施することである。第2の委員会は、ダルアー県とラタキア県で民間人、軍人の犠牲を出した最近の事件の「早期調査」に関わっている。一方、第3の委員会は、北東部に位置するアル=ハサカ県のクルド人に関する1962年の例外的統計に基づく国籍剥奪問題の解決に向けた過去の提言を実行することを目的としている、という。

 SANAによると、「シリアの支配政党であるバアス党地域指導部は昨日、アル=アサド大統領の指示により、国の安全と祖国の尊厳の維持、テロ撲滅のための立法の検討と施行を目的に、複数の法律家からなる委員会を設置した。この措置は、1960年代初めに発令された非常事態解除を目的としており」、同委員会は4月25日までに「問題の検討を完了する」。

 またSANAによると、「挙国一致強化のため、アル=アサド大統領は、ハサカ県での1962年の統計(例外的統計)問題解決に関する(バアス党)第10回地域大会(党大会)での提言の実行を検討するための委員会の設置を指示した。同委員会は、4月15日まで問題を検討し、アル=アサド大統領に適切な法的文書発行のための検討結果報告を行う」。

 さらにアル=アサド大統領は、最高司法会議議長に対して、「多くの民間人、軍事の犠牲者を出したダルアー県、ダマスカス県での最近の問題すべての即時調査」を実施するための特別司法委員会の設置を指示した。SANAによると、同委員会は「現行法に従って活動し、同委員会が適切と判断した人物に任務遂行を委任する権限を持ち、関係各局に必要な情報、文書の開示を請求できる」。

 アル=アサド大統領のこの指示に従い、ダルアー市とラタキア市でのデモに関する真相究明を任務とする特別司法委員会が設置された。同委員会はタイスィール・カッラー・アウワード検事総長を委員長とし、ムハンマド・ディーブ・アル=ムクタリン司法検査局長、ハッサーン・アッ=サイード・ダマスカス第一裁判所検事、アフマド・アッ=サイイド・ダマスカス第一判事からなる。

 ラタキア市やダルアー市など各地でアル=アサド政権による改革を支持する大規模集会が実施された。

 アル=ジャズィーラは、ストラトフォール研究所の報告書においてマーヒル・アル=アサド大佐が、非常事態解除など、アル=アサド大統領に一連の改革プログラムに反対しており、2005年に(バアス党第10回シリア大会などで)改革を約束したことをを「弱さの現れ」と見ていると報じる。

 『アル=イクティサード』(3月31日号、第114号)は現下のシリア情勢を痛烈に「自己」批判。

 同誌によると、国民の20%は人民議会の活動に満足しておらず、39%は議員の名前を一人も言えない、という。また65%が人民議会議員が現下の問題への解決策を案出できないと考えている。またシリア証券取引所において、約5,700人の投資家が活動していることになっているが、彼らの活動は違法行為から保護されないために実際には50人程度が活動しているに過ぎない。

 DP-News(3月31日付)は、ラタキア市鉄道駅近くで「宗派主義反対」というスローガンを掲げるデモが発生し、数十人が参加した。治安部隊が発砲し、複数が死傷したと報じた。

 フェイスブックの「シリア革命2011」ページは「殉教者の金曜」と銘打って反体制デモの実施・参加を呼びかける。

 シリア・イスラーム民主無所属潮流のガッサーン・アン=ナッジャール氏は、フェイスブックを通じて、「殉教者の金曜日」のデモに参加すると表明した。

 ダマスカス郊外県のアドラー刑務所に収監中の政治犯7人がシリア人権監視団を通じて声明を出し、「民主的変革のため」の反体制デモに参加するよう呼びかける。声明を出したのは、アンワル・アル=ブンニー氏、カマール・アッ=ルブワーニー氏、アリー・アル=アブドゥッラー氏ら。

 シリア人権委員会は声明を出し、3月30日のアル=アサド大統領の演説後、ラタキア市で少なくとも23人のデモ参加者が治安当局によって殺害されたと発表。

 シリア人権委員会は複数の目撃者の証言として、ヒムス市などで、ムハーバラートが市民を無差別に街頭で逮捕し、携帯を調べ、反体制デモに関するSNSなどを見つけたら直ちに逮捕し、何も見つけられない場合は殴打して釈放している、と発表。

 在米シリア・クルド人が組織するシリア・クルディスタン国民評議会は声明を出し、駐ワシントン・イマード・ムスタファー大使が彼らに接触し、クルド問題解決(国籍付与)に前向きな姿勢を示したことを明らかにする。同評議会はまた、アル=アサド政権の立場を見極めたうえで、政権支持の是非を決めると発表するとともに、ダルアー市、ヒムス市、ラタキア市住民との連帯を宣言した。


2011年4月1日

 ダマスカス郊外県各地、アル=ハサカ県アル=カーミシュリー市、ラタキア県ラタキア県、タルトゥース県バーニヤース市、ダルアー県のダルアー市、アッ=サナマイン市など複数の都市で、金曜礼拝の直後に再び数百人規模のデモが発生した。バッシャール・アル=アサド大統領が水曜日(30日)に人民議会で行った演説で示した改革の限定的なイニシアチブを拒否する動きである。

 複数の目撃者と人権活動家が明らかにしたところによると、デモに対する治安部隊の発砲で、ダマスカス郊外県のドゥーマー市で少なくとも8人が、ダルアー県で9人が殺害された。

 クルド人が住民の大多数を占めるアル=ハサカ県では、アル=カーミシュリー市で数百人がデモを行った。これは自由を求めるデモの波が及んで以降初めてのことである。

 クルド人権委員会会長で活動家のラディーフ・ムスタファー氏はAFP(4月1日付)に対して、「アル=カーミシュリーとアームーダーで数百人がデモを行い、自由を求めた」。

 ムスタファー氏によると、3月15日にシリアで集会が始まって以降、この地域で「このようなデモが起きるのは初めて」であり、デモ参加者は「我々は国籍(取得)を唱道するのではなく、自由を唱道する」というプラカードを掲げ、「アッラー、シリア、自由のみ」、「平和的に…平和的に」と連呼した。

 また「治安部隊は彼らに対峙しなかったが、バイクを運転する何人かの体制支持者がデモ参加者を挑発し、衝突を避けるかたちでデモ参加者は排除されていった」。「ハサカ(ダマスカス北東部600キロに位置)でも、約200人が参加してデモが行われ」、「治安部隊によって排除されたが、逮捕者はでなかった」。

 ダルアー県では、目撃者が電話で述べたところによると、約3,000人が金曜の礼拝後にダルアー市の複数のモスクから街頭に出てデモを行い、治安部隊に投石し、催涙ガスでの反撃を集中的に受け、発砲前に強制排除された。

 同目撃者によると、多くの住民は家にとどまり、治安部隊は家々の屋上に狙撃手を配置し、外出するすべての者に発砲した。

 また死者数は10人を越えたが、身元が判明しているのは以下6人だけだという――イブラーヒーム・マビード、アフマド・ラジャブ、フアード・バッラー、ムハンマド・アラーヤー、ナイーム・ムカッディム、アンマール・ティーナーウィー。

 この6人に加え、死者のなかには、イーサー家、フーリー家の子息が2人含まれており、「また数十人が負傷し、数十人が治安部隊に逮捕された」。

 一方、ダルアー県裁判所前でも数千人がデモを行い、自由と「挙国一致」を求めた。

 人権活動家が明らかにしたところによると、ダルアー市近郊のアッ=サナマインでは、ヤースィル・シャムリー氏という20代の青年が治安部隊の発砲により町の入り口で殺された。同活動家によると、死亡した青年は、隣接するアンヒール村、ジャースィム村から他のデモ参加者とともにアッ=サナマイン市に来ており、治安部隊は彼らを排除すべく発砲した。またジャースィム村から来た別のデモ参加者2人も殺されたが、死者の身元は明らかでない。

 なお3月半ば以降デモの中心となっているダルアー県では、当局の発表によると少なくとも30人が、アムネスティ・インターナショナルの発表によると55人が、ヒューマン・ライツ・ウォッチの発表によると70人以上が、活動家の発表によると130人が死亡したという。

 ダマスカス県でも、約600人のデモ参加者がカファルスーサ地区のモスクの門を自ら閉鎖し、治安部隊の攻撃を恐れながら礼拝を行った。参加者の一人がAFP(4月1日付)の取材に電話で応えたところによると、「約600人がモスクのなかにいたが、礼拝者がデモを行い、自由を要求しようとしたのを受け、治安部隊の攻撃を恐れて外にでようとしなかった」。

 またバルザ地区でも自由を求めるデモが発生した。

 ラタキア県では、ラタキア市のサリーバ地区で約200人がデモを行ったが、活動家がAFP(4月1日付)に述べたところによると、治安部隊は強制排除しなかった。

 SANA(4月2日付)は、ダルアー市、ラタキア市で礼拝を終えた人々が集まり、「複数の県の多くのモスク前の広場で、金曜礼拝後に、礼拝を済ました人々が集まり、挙国一致、治安と安全の維持、混乱の根絶を求めて」シュプレヒコールをあげた。礼拝を終えた人々は「暴動発生や、祖国と市民の治安悪化を回避しようとする雰囲気に包まれていた」という。一方、礼拝を済ませた多くの人々がダルアー市、ラタキア市のモスクから出て、「殉教者への哀悼の意を連呼し、改革実施の加速を求めた」。また「この集会で礼拝者と治安部隊との間に衝突は発生せず」、「市民には、扇動者が礼拝後の集会を利用しようとするのを抑える役割を果たそうとする意思があった」と続けた。

 デモ弾圧による死者に関しては、SANA(4月2日付)は武装集団がデモ参加者と治安部隊に発砲したと報じた。

 SANA(4月2日付)はまた、モスクの説教師が「愛するべき我らが国民を特徴づける意思とは混乱を根絶しようとする際に信頼にたるものであり、シリアはアラブ性とイスラームの敵を退ける国家たり続けるだろう。いかなる者もその力、確固たる立場、原則を打ち砕くことはできない。いかなる挑戦がなされ、敵が単一の民族の成員の間に混乱の火を燃え上がらせようとしても…と述べた」と報じた。SANAによると、説教師らは「混乱の根絶は合法的、宗教的、国民的義務であると明言し、もし祖国が全市民にとっての家であるなら、家やその成員に対する攻撃は、祖国全体への攻撃を意味すると述べた」。また彼らは「外国に扇動された者たちによって多くの県の一部の地域が直面し、祖国と国民の安全を標的とし、罪もない多くの犠牲者を出した暴動に反対しており」、「すべての人の要求であるニーズや改革と混同しないよう」呼びかけたと報じた。イマームや説教師は国民に「混乱に反対、挙国一致に賛成」という自らの言葉を伝えた。

 ハイサム・アル=マーリフ氏はAKI(4月1日付)の取材に対して、「シリア政府は人々の要求に応えるようなことは行わないだろう。今行っているのは時間稼ぎに過ぎない…。委員会設置は何の意味もない。なぜ委員会が設置され、それが何らかの結果を導出するまでシリア人が待たなければならないのか…」と述べ、戒厳令の即時解除を改めて求めるとともに、国民の要求が満たされるまで抗議行動は続くだろうと強調した。

 シャーム・ニューズ・ネットワーク(4月1日付)は、3人の若者が、アル=アサド大統領への忠誠を示すため、モスクで礼拝するように正座し、大統領の写真に接吻する映像を公開した。

 シリア・クルド・イェキーティー党の欧州地域委員会は声明を出し、「民衆のインティファーダ」への支持を表明した。

 シリア人権委員会は声明を出し、デモ参加者へのアル=アサド政権による過剰な暴力行使、モスクなどへの突入を非難した。

 ダマスカス大学法学部評議会は、金曜礼拝での演説でシリア国内の宗派主義的亀裂を助長しようとしたとの容疑でユーズフ・アル=カラダーウィー氏を起訴することを決定した。

 なおこれに先立ってユースフ・カラダーウィーはカタルのドーハのモスクで「バアス党はサッダーム・フセインとともに終わった、全体主義政党の時代は終わった」と述べ、シリア政府による弾圧を改めて批判していた。

 シリア・アラブ・テレビは、米国籍のエジプト人逮捕者ムハンマド・ラドワーン氏釈放が「自供する」映像を放映した。同逮捕者は、イスラエルを訪問し、金銭を報酬としてイスラエルの諜報機関にシリアでのデモの写真を送ることを任されたと述べていた。

 シリアテル社は、通話料を60分間無料にするとSMSで利用者に送信した。期間は4月2日から6日までの5日間。


これ以降、シリア全土に反体制デモが拡大していく。


http://www.ac.auone-net.jp/~alsham/ シリア・アラブの春(シリア革命2011)顛末記 青山 弘之
 

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  • ダイナモ 2012/6/20 23:35:21 (0)

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