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中東の地に平和な日が訪れるのはいつのことなのか パレスチナの地に禍根を残していった国々
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投稿者 MR 日時 2012 年 11 月 22 日 06:24:17: cT5Wxjlo3Xe3.
 

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中東の地に平和な日が訪れるのはいつのことなのか
パレスチナの地に禍根を残していった国々
2012年11月22日(Thu) 竹野 敏貴
 イスラエル軍のガザ地区への空爆が続いている。国連、欧米そしてアラブ諸国などから要人が次々とイスラエル、ガザを訪れ、停戦への仲介を試みているものの、この原稿を書いている日本時間20日深夜の時点では実現しておらず、地上戦への展開が懸念されている。

 こうして多くの国、機関が仲介にあたろうとするのも国際社会の危機感が強い証拠だが、そのどこもがこの地の歴史に関与してきた過去もある。

パレスチナを混乱に陥れた英国の三枚舌外交


「アラビアのロレンス」
 その紆余曲折の道程は、聖書、ディアスポラ、十字軍などの昔から、現在のハマスとファタハの対立に至るまで、語るべきことがあまりにも多い。今回は100年ほど前から話を始めることにしよう。

 1913年、バルカン半島から中東に至るまで広大な地域を長年支配してきたオスマントルコ帝国は瀕死の重症だった。そんななか、同じイスラム教徒とはいえ、トルコ人に支配されていたアラブの人々は自治権拡大を求めるべく会議を開く。

 ところがその翌年、第1次世界大戦が勃発、トルコが掲げるジハードと自らの独立との間で板挟みとなるなか、英国が申し出たのが独立を支持する用意があるという「フサイン・マクマホン協定」。

 その一方で、ユダヤ人がパレスチナにナショナルホームを建設することを支援するという「バルフォア宣言」、さらには英仏露での戦後の領土の取り決め「サイクス・ピコ秘密協定」まで存在することなど知るはずもなく、英国に協力することに同意したのだった。

 そんな三枚舌外交の本意をいかほど知ってのことか、その地へと送り込まれた英国人トーマス・エドワード・ロレンスが、アラブの人々を率い大活躍を見せる姿は大作『アラビアのロレンス』(1962)でお馴染みのものだ。

 戦後、こぢんまりとしたものとなったかつての巨大帝国は、世俗イスラム国家トルコ共和国として再出発を遂げた。

 一方のアラブも、ロレンスとともに戦ったファイサルを王に据え大シリアの独立を宣言したものの、英仏は、シリア・レバノンをフランスの、イラクとパレスチナを英国の委任統治にすることを決定、フランスがダマスカスに侵攻し、武力でファイサルは国外退去させられてしまう。

 のちにファイサルは英国の政策転換により委任統治領から国家へと昇格したイラク国王となるものの、「民族自決」が欧州で標準となっていくなか、約束を反故にされたアラブの地では反英反仏運動が起こるようになる。

ドイツによるユダヤ人迫害で大量の移民がパレスチナへ


イスラエル建国を描いた映画と言えばまず「栄光への脱出」が思い浮かぶ
 そんななか、パレスチナでは、イッズ・アッディーン・アルカッサームに率いられたグループが武力闘争を宣言。まもなくアルカッサームは絶命するが、そこから生まれたゲリラ組織を中心として、パレスチナ民族運動の礎が築かれていく。

 その闘争の対象は英国のみならず、ユダヤ人にも向けられていた。

 19世紀末からパレスチナの人口は急激に増加していたものの、主にロシアのポグロムから逃れてきたユダヤ系移民の占める割合はあまり高いものではなかった。

 しかし、ドイツでユダヤ人迫害が進む1933〜39年の間だけで20万人あまりが流入、対立が顕著となっていたのである。

 そのため、1939年には、英国もユダヤ系移民の制限とアラブ国家の樹立を目標に掲げた「マクドナルド白書」を発表、焦りを見せるシオニストは交渉相手を米国へと代えていく。

英国の移民流入阻止策がさらなる混乱を招く


エルサレムの旧市街
 第2次世界大戦勃発後、次々と強制収容所へと送られたユダヤ人の身に降りかかった悲劇については数多くの映画が語っている。

 迫害は二度と御免、とばかり、戦後、「約束の地」パレスチナへと向かったユダヤ人も少なくなかった。

 ところが、苦難の末たどり着いたその地には、長年パレスチナ人が暮らしており、結局、侵入者、迫害者の立場となってしまう現実をアモス・ギタイ監督は『ケドマ 戦渦の起源』(2002/日本劇場未公開)で描いている。

 これ以上ユダヤ人が増えることは問題を悪化させるだけであることを見抜いていた英国は、非合法移民流入を阻止する強硬手段に出た。

 しかし、シオニストの反英感情が爆発、手に余った英国が国連に問題を丸投げすると、国連はパレスチナの地に2つの国家を建国することを決議したのである。

4度にわたる中東戦争が勃発


シナイ半島の砂漠地帯
 こうして、さんざん欧州人が迫害してきたつけを払わされることになったのがパレスチナの人々だった。

 彼らが、もともと1割にも満たない土地の所有者にすぎず人口的にも少数派だったユダヤ人に半分以上の土地が与えられるその決議に納得するはずもなかった。

 そして、、そこから1970年代にかけて4度にわたる中東戦争へと突入していくことになるのである。

 なかでも、67年6月、6日間戦争と言われた速攻で、イスラエルがヨルダン川西岸やガザ地区などを占領してしまった第3次中東戦争は、今に至るまで、領土問題の根源となっている。

 さらに南では『アバンチ・ポポロ』(1986)でエジプト兵がその砂漠地帯をさまよったシナイ半島を占領、北ではゴラン高原をも支配下に置くことで、イスラエル軍の戦争能力の高さを見せつけた戦いでもあった。

米大統領による突然の助け舟


「カーター、パレスチナを語る」はパレスチナ情勢を理解するのに実に有用
 エジプト・シリア軍がラマダンにもかかわらずイスラエルへとサプライズ進軍して始まった続く第4次中東戦争では、アラブの意地と石油の威力を見せつけたが、結局領土は返ってこなかった。

 そこで助け舟を出したのが、全くのノーマークから米国大統領に就任したばかりのジミー・カーター。

 「苦しんできたパレスチナ難民に祖国が与えられるべし」との声明を出し、翌1978年にはキャンプ・デービッドにアンワル・サダト・エジプト大統領とメナヘム・ベギン・イスラエル首相を招き、イスラエルからシナイ半島のエジプトへの返還、そしてパレスチナ人自治への道を開く約束をも取りつけたのである。

 しかし、中東戦争を先頭きって進めてきたエジプトがイスラエルと単独和平に合意したことは、アラブの連携崩壊という結果を招いた。

 そればかりか、エジプトの強力な軍事力を排除できることで、安心して入植を進めていけることになったイスラエルがパレスチナの地での約束を果たすことはなかった。

ラビン首相の暗殺で進み始めた和平が頓挫


第4次中東戦争を描いた「キプールの記憶」(キプール 勝者なき戦場)
 この地に負の遺産のないノルウェーの仲介もあって、1993年、イスラエルとPLO相互承認と関係正常化に向けた5カ年計画となるオスロ合意がなされたものの、その当事者であるイツハク・ラビン・イスラエル首相が暗殺されたこともあって、またもや頓挫。

 2003年には、国連、EU、米国、ロシアの「カルテット」によって中東和平に向けての「ロードマップ」も示された。

 しかし、これも、パレスチナ側が受け入れ姿勢を見せたにもかかわらず、イスラエル側が多くの条件を提示したため実現に至らず、仲介者たちの努力が報われることはなかった。

 そうした間にも、入植者は増える一方、そして、未来への希望を持てないパレスチナの人々の『パラダイス・ナウ』(2005)で描かれたような自爆攻撃がイスラエルのさらなる態度の硬化を招いている。

 アラブ過激派の挑発的行為とそれに呼応するイスラエルの破壊的軍事攻撃という悪循環はいまも繰り返されているものだ。さらに分離壁までもが各地に着々と造られ続け、パレスチナ人の生活圏は分断されるばかり。

解決の難しい宗教が絡んだ対立


旧約聖書の世界「天地創造」
 そんな状況を「アパルトヘイト」という言葉を使いながら批判した「カーター、パレスチナを語る(Palestine peace not apartheid)」はジミー・カーター元大統領の著書。

 2006年11月出版されると、イスラエル寄りと言われ続ける米国の大統領経験者としては異例のイスラエル批判が世界中で議論を呼ぶことになる。

 カーター元大統領は大統領退任後も中東をたびたび訪れており、今回の紛争が起こる直前の10月下旬にもエルサレムとヨルダン川西岸を訪問していた。

 そして、交渉が中断している和平プロセスについて「危機的な段階に達している」との批判もしている。

 そんなカーター元大統領は、この著書で、米国が公正な仲介役としての歴史的役割を担うべきだと語りながらも、「どちらかの陣営の言いなりになっているかのように見られてはならない」「両陣営から一定の信頼と尊敬を寄せられなければならない」と、イスラエル寄りと見られることへの懸念も示している。

日本に期待は高まるのだが・・・


第二次世界大戦中のユダヤ人の苦難を描いた「シンドラーのリスト」は、オスロ合意の年1993年の年末公開された
 こうした宗教が関係する対立では、どこの国が仲介に現れても、結局中立ではないという目で見られがちで、成功はおぼつかない。

 だからこそ国連のような国際機関が重要なのだが、シリア情勢を見る限り、残念ながら実に無力に思える。

 そうなると、どの一神教でもない国への期待が高まるわけだが、その意味で適任とも思えるのが日本。しかし残念ながら現職政治家たちの力では国内情勢だけでも手に負えないというのが現実。

 内戦やまぬシリア、いまだ混乱状態のイラク、核開発疑惑でイスラエルとも一触即発と言えるイラン、クルド問題で不安定なトルコ、争い絶えぬスーダン、アラブの春以降安定しない北アフリカやペルシャ湾岸諸国等々、問題山積の中東。

 短期政権が続き「元首相」がゴロゴロいる日本のこと、ジミー・カーターのような「史上最強の元大統領」ならぬ国際問題に力を発揮する「史上最強の元首相」は出てこないものだろうか・・・。

(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)

(87)再 アラビアのロレンス (649)ケドマ 戦禍の起源 (650)アバンチ・ポポロ
(651)パラダイス・ナウ
87.(再)アラビアのロレンス Lawrence of Arabia 1962年英国映画


アラビアのロレンス
(監督)デヴィッド・リーン
(出演)ピーター・オトゥール、オマー・シャリフ、アンソニー・クイン
(音楽)モーリス・ジャール

 現代アラブ世界の問題を語る時、外すことのできない事件が山盛りの政治的内容に満ちた作品であるためストーリーを理解しにくいにもかかわらず、その圧倒的なスケールと壮大なる音楽、そして人物描写の秀逸さから、映画史上指折りの名作との評価を得ている。

 謎多きロレンスの人物像を探る人々は今も多く、英国本国には「ロレンス学」なるものも存在しているほどだ。

 本作の撮影も行われ、ロレンスが実際に通った道などが重要な観光資源にもなっているヨルダンには、もう1つ映画がらみの観光地がある。謎の遊牧民族ナバテア人の隊商都市だったペトラの遺跡である。

 もともと、シリアのパルミラ、レバノンのバールベックとともに中東3大遺跡とされる観光名所であったのだが、大ヒット映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1988)の舞台として使われてからは、遺跡になど全く興味のない者も数多く訪れるようになっている。

649.ケドマ 戦禍の起源 Kedma 2002年イタリア・フランス・イスラエル映画(日本劇場未公開)


ケドマ 戦禍の起源
(監督・製作・脚本)アモス・ギタイ
(出演)アンドレイ・カシュカール、エレナ・ヤラロヴァ

 1948年5月。貨物船「ケドマ号」に乗ったユダヤ人たちの目的地はパレスチナ。ホロコーストの悪夢を断ち切り、新たなる自分たちの国をつくるために向かっている。

 ユダヤ人、アラブ人、英国とが戦闘状態にあるその地に到着した彼らを迎えたのは、ユダヤ人ゲリラ。移民たちはエルサレムへと向かっていくが・・・。

 『キプールの記憶』(2000)で知られる社会派監督アモス・ギタイが描く苦々しい中東戦争の源流。同様のテーマを扱った『栄光への脱出』(1960)などハリウッド映画には見られない現実感と重みのある作品である。

650.アバンチ・ポポロ Avanti Popolo 1986年イスラエル映画


アバンチ・ポポロ
(監督)ラフィ・ブカイー
(出演)サリム・ドウ

 第3次中東戦争終戦間近シナイ半島の砂漠地帯を敗走するエジプト兵たち。武装解除し水も食料もないままスエズ運河を目指している。

 途中、死体を乗せた国連のジープで見つけたウィスキーをしこたま飲んだ2人は、ほろ酔い加減。そのため、せっかく乗せてもらったテレビ局の車からも追い出される始末。

 やがて、イスラエル軍のパトロール隊と出会い・・・。

 イスラエル軍に侵攻されたシナイ半島で、敗走するエジプト兵がイスラエル兵を交え、皮肉な世界を見せるロードムービー的風味も持った反戦ドラマ。

651.パラダイス・ナウ Paradise now 2005年フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ映画


パラダイス・ナウ
(監督)ハニ・アブ・アサド
(出演)カイス・ネシフ、アリ・スリマン

 ヨルダン川西岸の都市ナブルスに住む若者2人、サイードとハレド。貧困と未来に希望を持てない暮らしを送る2人は、ある日、自爆テロを決行することになる。チームとして2人は行動することになるのだ。

 ナブルスを囲むフェンスの穴をくぐり、テルアビブへと向かう2人。しかし、2人は離れ離れになってしまい・・・。

 自爆テロへと向かう若者2人の48時間の心の葛藤を通して、パレスチナ自治区の厳しい現実をパレスチナ人の視点から映し出した問題作。

 ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞を受賞した。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36598  

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