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国防 被災地で自衛隊がアメリカ海兵隊に後れを取った理由 美談だけで済ませてはいけない「震災と自衛隊」
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/104.html
投稿者 MR 日時 2012 年 3 月 16 日 16:24:03: cT5Wxjlo3Xe3.
 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34746
国防 
被災地で自衛隊がアメリカ海兵隊に後れを取った理由
美談だけで済ませてはいけない「震災と自衛隊」

2012.03.15(木) 北村 淳:プロフィール
「自衛隊との連携は概ね大成功であり、今後発動されるであろうアジア太平洋地域における人道支援・災害救助 (HA/DR活動)における日米共同作戦が順調に実施できることを確信している(注:HA=Humanitarian Assistance、DR=Disaster Relief)。
 自衛隊は大活躍したと思う。とりわけ、震災津波被災地への10万名の緊急動員に対処した折木統幕長のリーダーシップは極めて優れていた。
 また原発事故対処でも、聞くところによると初期対応に逡巡していた政府を説得して果敢にヘリコプターを出動させた決断は見事で、彼こそナショナルヒーローとして高く評価されたのだろう?」
 東日本大震災救援のために自衛隊と実施した共同作戦であるトモダチ作戦に指揮下の第31海兵遠征隊をはじめとする諸部隊を投入したアメリカ海兵隊太平洋海兵隊司令官ティーセン(Thiessen)中将は、このようにトモダチ作戦を振り返って筆者に語った。
 自衛隊とは何の関係もない一個人との私的会話である以上、中将の言葉は「外交辞令」などではなく、強大な太平洋海兵隊を指揮する軍人の率直な感想と考えて差し支えない。
 このような評価をアメリカ海兵隊最高首脳の1人が口にしているからには、国防総省はもとより国務省やホワイトハウスの高官たちも日本側の「しかるべき人々」に対して同様の評価を口にしているはずである。
 そのような賛辞を受けた日本側は「アメリカ軍も自衛隊の活動を高く評価している」と自衛隊の活躍を再評価することになるのであろうが、災害救援活動それ自体に対する評価と、その後の対応に対する評価とは無関係であることまでは、おそらく誰も口にしないであろう。
 つまり、作戦実施後に教訓を引き出し、それらをもとに将来への備えを開始する過程まで含めて、作戦の評価をしなければならないという軍事常識に従うならば、「東日本大震災に対する救援活動は概ね成功であった」と満足できるのであろうか?
 果たして、教訓を真摯に引き出したのであろうか? 教訓を生かすべき施策が具体的に始動しているのであろうか?
米国の真の軍人が抱く疑問、自衛隊は軍事的教訓を得たのか
 上記のティーセン将軍の評価と似通った感想を、実際にトモダチ作戦に参加し指揮を執った海兵隊や海軍の将校たちは口にする。しかし、そのような賛辞と平行して、救援活動から得るべき教訓や教訓に対する対処状況に関する疑問なども指摘している。
そしてイラクやアフガニスタンでの戦闘を体験している真の軍人である彼らは、未曾有の大災害に対して空前の規模で出動し大いに活躍した自衛隊の諸活動や救援態勢や組織構造から、日本の国防にとって有用な様々な軍事的疑問を投げかけた。
 それらの中には、「日本はいかにして防衛すべきなのか」といった大戦略に関するものから具体的な組織論や装備の問題に至るまで幅広い疑問が含まれている。
 いくつかを例示してみよう。
(1)防衛当局による軍事的諸判断を待たずに、政府首脳が一方的に10万人動員を命令したが、そうした統制に対する反省はなされているのか?
(2)自衛隊員に対する食料補給や個人装備の質・量といったロジスティックスが貧弱であり、救援現場の隊員たちの「精神力」と「自己犠牲」に負うと ころが少なくなかった。これでは、まるで第2次世界大戦中に質・量ともに貧弱な装備と食料・弾薬の欠乏のために悲惨な運命をたどった帝国陸軍兵士の現代版 ではないのか?
(3)ちょうど横須賀を母港とする米海軍空母は震災当時に整備中で出動できなかった。だが、運良く、別の空母が日本近海を通りかかったため、救援活 動に参加するとともに、日本周辺に対する睨みを利かせることができた。このような抑止能力の現状についての議論が巻き起こっているのか?
(4)アメリカ軍の「CBRNE被害管理即応部隊」(CCMRF)のような対放射能汚染攻撃戦能力を保持していない自衛隊には、福島第一原発事故周 辺の放射能汚染地域に急行して震災被災者を救出する活動はできず、それらの被災者を見殺しにせざるを得なかった(注:CBRNEとは、化学兵器・生物兵 器・放射性物質兵器・核兵器・高性能爆薬を意味する)。自衛隊ではCBRNE事案対処部隊の構築は進んでいるのか?
(5)「『併用戦能力』(amphibious capability)が全くと言ってよいほど欠落している自衛隊」の救援部隊は、内陸部から沿岸域・海岸線の被災地に到達せざるを得なかった。そのた め、本格的救援活動開始には長時間が必要となった。また、孤島化した離島や陸のスポットでの救援活動はアメリカ海兵隊が駆けつけるまで実施されなかった事 例もある。日本独自の併用戦能力構築に向けての具体的進捗はあるのか?
 これら以外にも様々な疑問が投げかけられたが、本稿では、最も話題の中心となったアメリカ海兵隊の「お家芸」である併用戦能力に関して引き出すべき教訓についてのみ記述する。
アメリカ海兵隊頼みの「併用戦能力」
 「併用戦能力」とは、海に浮かぶ発進拠点(通常、揚陸艦という軍艦)から揚陸艇、水陸両用強襲車、ヘリコプターなどを用いて陸上戦闘部隊を陸地に到達させて、海岸部から内陸部にかけての陸上作戦を実施する能力を意味する。
 陸上戦闘部隊が陸地にアクセスを開始してから陸上での作戦が完了するまでの期間、海上の軍艦からは敵に対するミサイル攻撃を加えたり、ヘリコプターや攻撃機で敵を攻撃したり、海岸や内陸で活動する部隊に対する補給活動を継続的に加える。
 このように、併用戦能力は、陸上戦闘部隊を目的地沖合まで搬送し、作戦中は部隊を支援する能力を持った海軍部隊と、海上から海と空を経由して陸地にアクセスし、作戦を実施し、自前で補給活動も行う陸上戦闘部隊とから構成されている。
 前者は海軍が担当し、アメリカ海軍の場合は、このような作戦に特化した水陸両用戦隊という部隊を保持している。後者のエキスパートは、国によって呼称は様々であるが、海兵隊、海軍陸戦隊、あるいは海軍歩兵と呼ぶ。
 「海から海と空を経由して陸地にアクセスする」併用戦能力は、海岸線や島嶼を有する国家の防衛にとっては不可欠な軍事力である。したがって、それらの国々の大多数が「海兵隊」「海軍陸戦隊」「海軍歩兵」(以下、総称して海兵隊と記す)を保有している。
 ところが、典型的な島嶼国家であり長大な海岸線と多数の島嶼を保有する日本には、海兵隊という組織はもとより併用戦能力自体が存在していない。その軍事的欠缺を穴埋めするために、沖縄を中心にアメリカ海兵隊第3海兵遠征軍の部隊が駐留している。
 逆説的に言うと、アメリカ海兵隊が日本に存在しているから、日本防衛当局は併用戦能力の構築を怠ってきたことになる。
自衛隊はなぜ海兵隊に後れを取ったのか
 「日本自身が併用戦能力を欠いている」という実情が日本の国防にとり重大な不安をもたらすということを素人目にも明らかに示したのが、東日本大震災の救援活動であった。
 海岸線のみならず内陸深くまでの沿岸地域の交通網が地震と津波で壊滅したため、内陸部から沿岸部にアクセスする大陸陸軍的能力を特徴とする陸上自衛隊部隊による被災地への救援活動は困難を極めてしまった。
 実際に、離島部や陸の孤島化してしまった地域に自衛隊の本格的な救援部隊が到達するには、長い時日を要してしまった(東日本大震災に際してのアメリカ軍の救援活動に関しては、拙著『写真で見るトモダチ作戦』を参照されたい)。
 例えば、気仙沼市の沖合に浮かぶ気仙沼大島へ本格的な救援部隊が上陸したのは3月27日であり、その部隊は自衛隊ではなくアメリカ海兵隊第31海兵遠征隊であった。
 実は、震災発生当時、沖縄に駐留しているアメリカ海兵隊の実動部隊である第31海兵遠征隊と、佐世保を母港とするアメリカ海軍の水陸両用戦隊の主 力は、東南アジアでの人道支援活動に従事中であった。震災発生翌朝にはマレーシアやシンガポールから日本へ向けて急行を開始したアメリカ海軍水陸両用戦 隊・アメリカ海兵隊は1週間後には秋田沖に到着し、ヘリコプターによる救援活動を開始した(これ以前にも、震災発生直後から、在日米海軍、海兵隊、空軍の 航空機、艦艇による救援活動であるトモダチ作戦は実施されていた)。
強襲揚陸艦から海兵隊員を乗せて気仙沼大島に向かう米海軍揚陸艇
 海兵隊部隊は秋田沖から三陸沖に進出して、「海から海と空を経由して陸にアクセスする」併用戦能力を生かした救援活動を実施したが、日本政府側の “調整”が手間取るなどして、海兵隊が気仙沼大島のような孤立地点を“認識”して上陸救援部隊を差し向けたのは3月27日になってからであった。
 これ以前にも、併用戦能力を持たない自衛隊は、北海道に駐屯する陸上自衛隊部隊と多数の軍用車両を、青森県側に海を渡って被災地救援のために移送することができなかった。
 そこで、東南アジア遠征には出動せずに韓国軍との演習のために韓国浦項港に入港していたアメリカ海軍揚陸艦トーテュガ(母港は佐世保)が苫小牧港に急行して(3月17日)、陸上自衛隊員300名と軍用車両100両を青森県へと搬送した。
 要するに、併用戦能力を全く持たない自衛隊には、港湾施設が復旧してフェリーなどが就航するまでは、大部隊の海を越えての移動はもとより、気仙沼大島のような孤島にはある程度の規模の救援部隊を送り込むことができないのである。
 これを軍事的局面に置き換えてみるとどうなるか。外敵侵攻部隊が、例えば宮古島を占拠した場合を想定してみよう。
 気仙沼市から僅か1キロメートルと離れていない気仙沼大島へすら到達できない自衛隊には、那覇港から直線距離でおよそ300キロメートル離れた宮 古島へ奪還部隊を送り込むことなどできぬ相談ということになる。もっとも、海上自衛隊並びに陸上自衛隊合同の併用戦訓練を実施していない自衛隊には、戦時 下において本格的戦闘部隊を沖縄へ急送することすら不可能と考えざるを得ない。
 このように、防衛省などは「島嶼防衛」の重要性を口にしているものの、現状では、アメリカ軍に全面的に依存している軍事的幼児状態なのである。
日本国防当局は自らの責務を果たせ
 大震災に際して発動されたトモダチ作戦は、確かに日米同盟にとっては明るい話題ではあった。しかし、それ以後も各種軍事作戦やHA/DR作戦に多 数の部隊を投入し続けているアメリカ軍にとっては「One of them」の出来事であり、「トモダチ作戦の成功=日米同盟の深化」といった単純な図式とはほど遠い。
 それよりも、トモダチ作戦実施過程や事後の検討によって得られた教訓を将来に生かせる作業を日米双方が進めることこそが、トモダチ作戦を日米同盟の深化につなげるためには必要である。
気仙沼大島に上陸した海兵隊員たち
 しかしながら、大震災から1年を経過したにもかかわらず、防衛当局をはじめとする日本政府は震災救援活動から得た軍事的教訓を生かすための施策を 示した形跡はなく、国会も大震災と国防を結びつけて国民の安全を図ろうとする努力を欠いている。防衛問題と言えばローカルポリティックスないしは不動産問 題と、アメリカ側が考えている普天間・辺野古の問題に終始しているていたらくである。
 いくらアメリカの軍人たちが、東日本大震災後の日本の救援活動を分析して様々な軍事的教訓を導き出しても、それらを日本に教えてくれはしない。日 本防衛当局は自からの分析によりそのような教訓を導き出し、将来の国防に生かすべきであり、それこそが戦闘という軍隊の主たる責務を果たす機会に直面した ことのない防衛省・自衛隊にとって唯一の軍事的責務の遂行である。
 本稿では、東日本大震災救援活動から得られる軍事的教訓のうち「併用戦能力の欠落」という項目だけを指摘したのだが、「日本が自前の併用戦能力を 保持するならば、どのようにして構築すべきなのか?」「どの程度の規模が必要なのか?」といった分析も、日本防衛当局による問題提起がなされていない以 上、引き続き紹介しなければなるまい。
 また、これ以外の「東日本大震災から引き出すべき軍事的教訓」も日本の国防にとっては極めて深刻であるため、引き続き稿を改めて論じてみることにしたい。


 

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コメント
 
01. 2012年3月17日 13:29:43 : Pj82T22SRI

核に基づく防衛戦略を持たない日本は、ロシアや中国、北朝鮮が本気で上陸してきても、

米国との集団安全保障wが機能しない限り、ほとんど意味がない

衰退し内向きになりつつある米国も、同じく衰退する日本とは、徐々に距離を取りつつある

本気で国防をする意識のある日本人もほとんどおらず、

人口も減っていくことだし、沖縄や北海道など防衛にコストがかかる周辺領域や資源を取られることは諦めて

本土防衛に徹するのが一番、合理的かもね


02. 2012年3月17日 14:23:57 : 6kuobrWeYc
北海道は本土ではないのか?

03. 2012年3月17日 22:20:33 : tLL5rmHw5c

あの地震後の大津波で、空自松島基地でF2戦闘機18機を含め多数の航空機を失った。

地震から津波まで50分ぐらいあったのに、指揮官は天候が良くないなどといって、飛行機を退避させなかった。

あれは戦争と同じだ、戦争に天候もへったくれもない。 それなのに、指揮官も公務員になりきっていて、何かやって責任を問われるよりやらずに責任を問われない道を選んだのだ。

こんな危機管理不在の軍隊で、イザという時に役にたつのか?

但し、被災後の救援活動は賞賛できるだろう。 できれば、もう少し現場の裁量を許したほうが良いのではないか?



04. 2012年3月20日 14:22:13 : VhQ3aHJdfY
>地震から津波まで50分ぐらいあったのに

 結果論ですな。
 離陸中に発生する余震等の影響は考えずに、万が一航空機が墜落した時は、基地周辺等の被災者(又は国民)も巻き込んで死傷しても構わないと?。
 どれだけ特攻・人命軽視の精神主義ですか、成長しませんね、我が国民は?。

>あれは戦争と同じだ、戦争に天候もへったくれもない
 航空機は天候の影響を一番受け易い乗り物です。
防衛と災害救難の区別位つけましょう。

>こんな危機管理不在の軍隊で、イザという時に役にたつのか
>もう少し現場の裁量を許したほうが
 必要とする体制や、装備などに関して、それを「税金の無駄、医療や福祉に回せ」、「軍事優先=軍国主義、侵略戦争の復活」等として、「文民統制」を誤認したままの「文民干渉」を戦後永らく黙認してきたのは、誰が選挙で選んで、誰が政権に就かせたのでしょうか?。
 自衛隊の最高責任者と指揮・監督権を有する政権と政党を?。

 当の有権者=国民の意識から直さないと、幾ら自衛隊等の現場が努力しても、防衛・安全保障は机上の空論のまま、最悪、何も出来ずに終わるかも・・・です。


05. 2012年4月06日 10:45:26 : gFpOokIWao
名前が「池田」ということだけで拷問弾圧される自衛隊の実情。

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=573
空自警務隊の無法捜査――自衛隊内で1等空尉が“拷問”被害

2011 年 2 月 7 日 2:52 PM | カテゴリー: 社会 | by admin |
タグ:USBメモリ紛失, 池田久夫, 神谷正一, 航空自衛隊, 警務隊, 輪島分屯基地, 鶴田眞一


「自衛隊でこんな目に遭うとは。違法捜査で私の人権を侵害した警務隊は、一日も早く事実を認めて謝罪してほしい」

 憤りの表情で語るのは石川県の航空自衛隊輪島分屯基地(基地司令・神谷正一1佐)に所属する池田久夫1尉(四七歳)だ。ベテラン幹部として多忙な業務に取り組んでいたある日、身に覚えのない窃盗容疑をかけられる。潔白を訴えても相手にされず、警務隊によって二〇日間にわたって厳しく調べられた。「任意捜査」とは名ばかりの、ひたすら自白を強要する拷問だった。自衛隊版冤罪の被害者・池田1尉が、このほど取材に応じ、違法捜査の実態を赤裸々に証言してくれた。概要は以下のとおりである。

 ――単身赴任で移ったばかりの輪島市のアパートと、小松市の自宅などが小松地方警務隊によって家宅捜索を受けたのは二〇〇九年五月一四日。捜査令状の容疑は「窃盗」。小松基地管制隊管制班のUSBメモリを盗んだ疑いである。

 警務隊は土足で家に上がる乱暴なやり方で、パソコンや資料など一〇箱くらいを押収した。

 五月一七日から事情聴取がはじまった。「任意」ということだったが、調べのために輪島基地から小松基地(基地司令・鶴田眞一空将補)に臨時勤務を命じられた。

「このまま自白しないと逮捕されて新聞に載るぞ」「子どもが学校でいじめられるぞ」

 取調室の密室で警務隊員は怒鳴りちらした。机をたたき、蹴った。朝から深夜まで、一日一〇時間を超えるときも珍しくなかった。と思うと、一転、猫なで声で同情するそぶりをみせ、揺さぶった。刑事ドラマさながらだった。

 警務隊は「折り合いの悪い管制隊長を困らせるためメモリを盗んだ」というが、荒唐無稽な話だった。

 無実を訴えても聞く耳はなかった。食事がのどを通らなくなり、夜も寝つけなくなった。ついには下痢・嘔吐をするまで悪化した。衛生隊で点滴を打ち、深夜まで聴取が続いた。「土日も締め上げてやるからな」と週末も休ませてはくれなかった。たまらず弁護士に相談すると「弁護士を頼むのはお前が犯人だからだ」と罵られた。「証拠はすべてそろっている」という言葉はウソだった。

 メモリ紛失当時、池田1尉の職場は小松基地管制隊整備班だった。メモリは「整備班」に隣接する「管制班」の保管庫にあった。整備班の者が管制班に行って物品を持ち出せば必ず人目につく。あり得ない犯行ではないか。そう説明したが無視された。

 調べは六月一八日まで計二〇日間にわたった。一〇〇時間を軽く超える。その間一貫して否認できたのは子どもの将来を考えたからだ。物証ゼロ、アリバイもある。それでも警務隊は書類送検した。

 〇九年九月、石川地検小松支部は不起訴を決定する。喜んだのも束の間。実質的な降格処分は変わらず、賞与査定も最低評価。事実上「容疑者」のままだった。

 あまりにもひどいではないか、と公益通報で警務隊の違法捜査を告発した。金沢地方法務局には人権救済の申し立てをした。

 今も謝罪はない。これが自衛隊だとは思いたくない、と結果を待っている。――

 小松基地のUSBメモリ紛失事件は、発生経緯から疑問だらけだ。 端緒は〇八年三月一九日早朝、石川県小松県税事務所(小松市)のトイレで見つかった一枚のCD。これを機に管制班のメモリ三本の紛失が発覚。さらにCDのデータが紛失したメモリと同じであるとされ、盗難だという話になる。そして池田1尉に濡れ衣が着せられる。

 だが、奇妙なことに肝心のCD発見現場についてまともな捜査をした形跡はない。CDは小松基地の封筒に入っていた。県税事務所の職員は落とし物だと思って自衛隊に連絡した。CDは警務隊が引き取り、以後連絡はなかった。現場検証や指紋採取、写真撮影、聞き込みもしていない。

 本当に「窃盗事件」だったのか。メモリ紛失の責任逃れででっち上げたのではないか、とすら疑いたくなる。

(三宅勝久・ジャーナリスト、1月28日号)


06. 2012年4月18日 20:25:23 : cUqQ10tEi6
>それらの中には、「日本はいかにして防衛すべきなのか」といった大戦略に関するものから具体的な組織論や装備の問題に至るまで幅広い疑問が含まれている。

いや戦後、そういう風にしたのは政治家や平和主義者でしょ。自分達がまいた種なのに、批判してどうするんだ?
東日本大震災救援に関してはまだまし。阪神淡路大震災なんか、政治家達は当初、自衛隊派遣せず、それどころか被災地の左翼は自衛隊救援を断った。
アメリカの船舶も入るなと言ってたし。
結局、阪神淡路大震災の死亡者の大半は、平和主義や左翼のよって殺されたようなものだ。
日航機墜落事件なんかも、たまたま近くに飛んでいた米軍機の落下傘部隊の救援も日本政府は拒否したし。
日本人は結局、危機管理能力が乏しいとしか思えない。


07. 2012年7月05日 12:41:47 : J9vEPUT0Y2
1985年8月12日の日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事では、米軍の救助が日本側に断られ、自衛隊の生存者虐殺部隊がJAL123便の生存者を虐殺した。

2011年の311では、
米軍が強硬手段として救助にあたったた上、自衛隊にも救助命令を下したため、救助が実現したというのが現実だ。

米国の圧力がなかったら、被災地は危険な状況におちいるところであった。
米国及び米軍の重要性ということについて再認識する必要がある。


08. 2012年7月15日 15:54:31 : cUqQ10tEi6
>>07

ここは、妄想を語る所ではありませんよ。
まあ、ものすごい馬鹿がいるというのだけは分かった。


09. 2012年7月16日 18:39:06 : wN2FXIxaNk
そう言えば被災地で
自衛隊は憲法違反だから
自衛隊の配布した食料品は断れ
と言って回ったバカ左翼が居たらしい。

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