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シリア:国連安保理はホウラでの虐殺を調査すべき 生存者たちが語る家族の処刑の様子  ヒューマン・ライツ・ウオッチ
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/389.html
投稿者 ダイナモ 日時 2012 年 6 月 02 日 21:06:27: mY9T/8MdR98ug
 

(ニューヨーク)−コフィ・アナン特使は、少なくとも108人が殺害された5月25日のホウラでの虐殺事件の調査/捜査のため、国連の調査委員会のシリア入国を同国政府に求めるべきだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、アナン特使率いる国連代表団のダマスカス訪問に先立つ本日、このように述べた。これまでシリア政府は国連の調査委員会の入国を拒否している。また、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、国連安全保障理事会に対し、シリアの事態を国際刑事裁判所(ICC)に付託するというかねてよりの要請に応えるよう再度求めた。

国連監視団は虐殺の翌日26日に、反体制派の拠点ホムス市の北東約20キロに位置し、複数の村落から成るホウラ地区を訪れ、事件を確認。「残虐な悲劇」を非難した。シリア監視団の責任者ロバート・ムード少佐は報道機関に、砲撃による死亡者と至近距離からの銃撃による死亡者がいると述べたが、至近距離から殺害をした者が誰かについては言及しなかった。ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じた生存者と地元活動家らによると、シリア軍が5月25日に同地区を砲撃、武装した軍服の男たちが郊外の家々を襲撃し、家族全員を処刑して回ったという。

目撃者らは全員、武装した男たちは政府支持派だったと話す。ただ、シリア軍兵士だったのか「シャビーハ」と呼ばれる親政府民兵だったのは分からないと言う。スンニ派が圧倒的多数を占めるホウラ地区は、アラウィ派とシーア派の村々に囲まれるようにして位置しており、昨年来宗派間の緊張が高まっていた。シリア外務移民省の報道官は5月27日の記者会見で、虐殺に関する軍の責任をきっぱりと否定し、調査のために軍事司法委員会を設置すると表明した。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ中東・北アフリカ局長のサラ・リー・ウィットソンは、「政府支持派部隊による犯行を示唆する証拠が多数ある中で、軍の調査委員会が信頼に足る調査を実施するわけがない」と指摘。「アナン特使は、この事件はもちろんその他の重大犯罪の捜査のために国連調査委員会の入国を認めるよう、シリアに強く求めるべきだ。」

住民と虐殺の生き残りの人びとは、ヒューマン・ライツ・ウォッチに、ホウラへの攻撃がいかに行われたかを詳述した。5月25日の正午に、ホウラ地区で一番大きな町タルドウ(Taldou)にデモ隊が集結。ある目撃者によると午後2時ごろ、軍の検問所の兵士たちが近くにいたデモ隊を解散させようと発砲したが、負傷者や死亡者が出たかどうかは分からないという。ホウラ出身のある活動家がヒューマン・ライツ・ウォッチに話したところによると、シリア軍の検問所からの発砲に対し、反政府勢力の武装メンバーが検問所への攻撃で応え、軍がそれに応えてホウラ地区の住宅地各地に集中砲火を加えた、という。

タルドウのある住民の証言:

「午後2時半ごろ、町の郊外にいた軍が居住区に砲撃し始めたんです。最初は戦車だったけど、2時間もすると迫撃砲を使い始めました。砲撃はホウラの入り口にある空軍学校の方向からでした。午後7時ごろに砲撃が激しくなって、建物全体が震え出しました。ある種のロケット砲を軍が撃ち始めたら、辺り全体が振動していましたよ。」

生存者3名はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、ホウラ各地の砲撃が激しくなった午後6時半ごろに、銃で武装した軍服の男たちが、町郊外のホウラ・ダムに続く道上に点在する家々を攻撃した、と語る。殺害された人びとのほとんどがアブデル・ラザク家のメンバーだった。地元活動家らはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、アブデル・ラザク家で殺された62名のリストを提供した。生存者らによると、一族は国営の水道会社やタルドウのダムに隣接する土地と農地を所有していた。2家族がひとつの家で暮らし、8−9軒の家が隣接して建っていた、という。

アブデル・ラザク家の生存者(高齢女性)の証言:

「その日は孫の男の子3人と女の子3人、義理の姉妹、娘、義理の娘、いとこと家にいました。[5月25日]午後6時半ごろ、日の入り前に銃声がしました。私は独りで自分の部屋にいたんですが、男の声が聞こえてきて、家族に何やら大声で叫んでいました。私は戸の後ろに隠れました。玄関の外にもう1人、家の中にも1人いました。軍服姿でしたが、顔は見ていません。家宅捜索したいんだな、と思いました。家に歩いて入ってきましたが、戸に鍵を掛けたことはないので、押し入ったような音は聞こえませんでした。3分後には家族皆の悲鳴と叫び声が聞こえました。10歳〜14歳の子どもたち全員が泣いていました。私は何が起きているのか見ようと、床に伏せて這いましたが、戸に近づいた時に銃声が何発か聞こえて、恐ろしくて立てませんでした。兵隊たちが去った音を聞いたので部屋の外を見たら、家族が皆撃たれていました。体も頭も。怖くて生きているかどうか見に近づくこともできませんでした。裏口の戸まで這って外に出て逃げました。ショック状態だったので、その後に起こったことは覚えていません。」

アブデル・ラザク家の10歳の少年の証言(軍服を着た男たちが13歳の友人を撃ったところを目撃):

「僕はお母さんといとこたち、それからおばさんと家にいたんだ。突然鉄砲の音が聞こえた。あんなにたくさんの鉄砲の音を聞いたのは初めてだよ。お母さんは僕をつかんで、納屋に隠れた。男たちが悲鳴を上げたり叫んだりしてるのが聞こえた。窓の外を見たよ。何回か覗いたけど、見つかるんじゃないかって怖かった。軍の兵隊みたいな、緑と他の色[迷彩色]の[制服]姿をした、白い靴の男たちが家に入ってきたけど、2分もしたら出て行った。その時、通りの向こうに13歳の友達シャフィーク(Shafiq)が独りで立っているのが見えたんだ。軍服の鉄砲を持った男がシャフィークを捕まえて、ある家の角に立たせ、銃を抜いてシャフィークの頭を撃った。シャフィークのお母さんとお姉さん、確か14歳だったと思うけど、2人が外に出てきて泣き叫び出したよ。同じ男がその2人も何度も撃った。それからその鉄砲を持った人たちはいなくなって、(反体制派の)自由シリア軍(FSA)の兵隊たちが来たんだ。」

少年の母親の証言(少年の証言の多くを裏づける内容):

「午後6時半〜7時くらいに銃声が聞こえ始めました。すごく近くで。私たちは走って納屋に隠れました。武装した男たちが家から出て車で走り去る音を聞いて、姉(妹)と一緒に外に出ました。[息子の友達で13歳の] シャフィークが地面に倒れて死んでいました。家族3人が撃たれているのも見ました。女の人3人で、そのうち2人は子ども連れ。頭を撃たれている人もいたし、体中撃たれている人もいました。14歳の女の子が1人、足を2発撃たれたけれど生き残っていました。いとこが胸を撃たれたのも見たし、マヒのある13歳の男の子も同じように胸を3発撃たれました。」

前出のウィットソンは次のように述べる。「武装した男たちが処罰もされずに活動できる限り、シリアでの恐怖の状況は続くだろう。ロシアは国連安保理でシリア政府をかばうのをやめ、事態を国際刑事裁判所に付託することに同意すべきだ。」

国際刑事裁判所は、シリアで続く人権侵害に最も責任ある者たちに対する効果的な捜査と訴追を行う最も適切な能力を有する法廷である。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、その他の国々にも、国際刑事裁判所への付託を支持し、アカウンタビリティ(真相究明・責任追及)実現に向けた動きに加わるよう強く求めた。

シリア政府は従前より捜査を開始すると表明したものの、目に見える結果に全く結びついていない。2011年3月31日、動乱開始から1カ月もたたないうちにシリア政府は、「市民や軍人の全死傷事件と関連する全犯罪に対する即時の捜査を開始し、それら事件に関する被害届を処理する」ために司法委員会を設立。しかし、同委員会の活動は今も継続中で、何人かの容疑者が逮捕・捜査されたというバッシャール・アル・アサド大統領の短い発言を除くと、その活動と結果についてほとんど不明なままとなっている。


http://www.hrw.org/ja/news/2012/05/28
 

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コメント
 
01. 2012年6月02日 23:58:30 : iBuPLx8UAU
>アブデル・ラザク家は国営の水道会社やタルドウのダムに隣接する土地と農地を所有していた。2家族がひとつの家で暮らし、8−9軒の家が隣接して建っていた、という。

ここがなぜ狙われたんでしょうかね?

詳しい人解説お願いします


02. 2012年6月03日 13:44:32 : CR8P7OPzOg
石油の出ない北朝鮮や、アフリカの独裁国家には、儲からないので
欧米は軍事介入しないが

石油が出る国には、
大量破壊兵器がある!
独裁者は許せん!
国民の為に民主化すべし!

といって、反政府組織を軍事的に訓練し兵器を流し、内戦をおこさせたり
侵略したりする

欧米、特にイギリスと米国の言う綺麗事は、全てウソ


03. ダイナモ 2012年6月03日 15:42:16 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>01

この記事のなかに説明されています。

「スンニ派が圧倒的多数を占めるホウラ地区は、アラウィ派とシーア派の村々に囲まれるようにして位置しており、昨年来宗派間の緊張が高まっていた。」


04. 2012年6月03日 17:51:30 : 6kuobrWeYc
>ヒューマン・ライツ・ウォッチ中東・北アフリカ局長のサラ・リー・ウィットソン
>は、「政府支持派部隊による犯行を示唆する証拠が多数ある中で、軍の調査委員会
>が信頼に足る調査を実施するわけがない」と指摘

では逆に反政府的な人に証言を求めたら政府系の人間がやったと言うにきまってるじゃない。
このウィルソンていう人馬鹿?


05. ダイナモ 2012年6月03日 18:35:33 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>04

ホウラ地区の被害者自身がアサド派の犯行だと証言している以上、アサド派の犯行だと考えるのが自然だ。
それなら被害者達全員が反アサド派から本当のことを話すと殺すと脅迫されて、全員がウソの証言をしている可能性もゼロとは言えない。
こういう事件が起きた場合、当事者の証言が第一に尊重されなければならないね。


06. 2012年6月03日 18:37:26 : a6VBYXEYFY
>3
01が言いたいのは、犠牲者はむしろ政府に近い人間ではないのか?という点。
その点について何も触れない後ろ暗いダイナモはすでにぼけ始めているのだろうか?
そういえば、何かといえば他人をボケ老呼ばわりする有害存在があったが、後ろ暗いダイナモもちゃんとボケ老呼ばわりするのだろうか?

07. 2012年6月03日 18:44:47 : l1NPjWZAfD
シリア:虐殺被害者の隣人が犯人 ジャジーラのカメラマンまでいる

>

シリア国営テレビは6月1日、アル・ハウレ虐殺事件の証人2人の声を流した。前の記事

(記事の導入部分)
証人2人は、虐殺は、政府支持で、反政府デモへの参加、武装、テロリストへの献金を拒否した、特定の家族を標的にして行われた、と語った。

安全確保のため身元を明かさない2人の証人は6月1日、シリア国営テレビとのインタビューで、テロリストはいくつかの地域からやってきて、高度な兵器を使って、治安部隊の検問所複数を同時に攻撃したと語った。また、海外衛星テレビで流された映像は、テロ被害者と、最初の衝突で殺害されたテロリストの遺体で、被害者の人数を実際より多く見せかけるため、並べて写したものであると語った。

【1人目の証人】(武装集団のメンバー)
自分は武装集団と一緒に行動していたので、彼らの仕事の詳細を承知している。虐殺の3日前、武装集団は金曜日(5月25日)に、何か特別で大きなことが起きると話していた。

5月25日金曜日の正午の礼拝のあと、武装集団が、(町の)時計台ロータリーの近くに現れた。別の大きな集団が、トリポリ道路の名で知られるal-Saddアッサッド地区を下った。最初の集団が空中に向け発砲し、ロータリーの検問所を忙しくし、攻撃が始まるとの印象を与えた。

自分は、2番目の集団に属していた。大きな混成部隊で、サラフィー系のKhaalid Abu al-Waahidハーリド・アブル・ワーヒド組、'Abd al-Malik al-Saalihアブドゥル・マリク・アッサーリフ組、Nidaal Bakkourニダール・バックール組、Haitham al-Hassaanハイサム・アル・ハッサーン組、'Akrimahアクリメ(地名)組、'Aqrabアクラブ(地名)組、Kafr Lahaカフル・ラーハー(地名)組、Tall Dahabタッル・ダハブ(地名)組、その他のよそから来た男たちだった。全員が重装備していた。地区の治安部隊、隊員、近くの民家、民間人に向け、手当たり次第に発砲した。

ほとんどのメンバーは、武器の取り扱いを熟知していなかった。1人はPKC(写真)を使っていたが、発射の反動で自分が後ろへ飛ばされていた。別の人は、RPGを発射したが、プロペラ付きの勢いのよい弾で、治安部隊を通り越してal-Zakaahiアッザカーヒー宅に命中し、民間人2人を殺した。

武装集団の目的は、人民議会議員(マシュラブ氏)の家族を抹殺することだった。なぜならば、彼らは反政府デモに参加せず、政府を支持し、トラブルから距離を置き、お金を持っているのに武装集団のために武器を買わず、献金することも拒んだからだ。また、個人的な恨みに基づく、家族間の古い確執があった。al-Sayyidアッサイイド家は、同議員の血縁である。武装集団は、抹殺を、議員の当選祝いとして送った。

Haitham al-Hassaanハイサム・アル・ハッサーンが率いる集団は、アッサイイド家をとても憎んでおり、殺人集団であって、革命ではない。彼らの職業は誘拐、殺人、窃盗で、さらにはパイプラインから石油を盗み、こうした行為で財をなした。この集団の武器の照準は、治安部隊に向いてすらおらず、むしろ'Uqbah al-Sayyidウクバ・アッサイイド、その兄(または弟)と妻、その子供たちが住む家に狙いを定め、手当たり次第発砲した。

アッサイイド宅の隣には、反体制派グループのリーダーNidaal Bakkourニダール・バックールの家があるのだが、この家の住人は生き残った。同じく隣人のal-Gharruアル・ガッル家、al-Hadduアル・ハッドゥ家、'Ali Bakkourアリー・バックール家も無傷だった。'Abd al-Razzaaqアブドゥッラッザーク家の隣にZaahir Bakkourザーヒル・バックルー家があるが、こちらのバックール家も無傷だった。検問所から5m離れたところにハルムーシュ家があり、その隣に数学の先生であるNa'saanナアサーン家があるが、無傷だった。

結局、虐殺とは、武装集団が特定の家族を狙った復讐だった。

【2人目の証人】(女性)
5月25日(金)、大勢の武装集団が現れた。その多くは、Taldauタルダウ地区の出身ではない、よその人たちだった。武装集団のSayyid Faayiz al-'Ukashサイイド・ファーイズ・アル・ウカシュという人物が、検問所を砲撃し始めた。治安部隊は反撃し、彼の足を撃った。彼は、カフル・ラーハーにある野戦病院に運ばれた。

武装集団は、検問所に向けて一斉射撃を始めた。無線通信機で別の仲間と会話しており、その会話を聞いた。もっと大きな武装集団が、以前放火された検問所に面したal-Naasiriyyahアン・ナースィリーイェ地区とal-Saddアッサッド地区に集結しており、治安部隊をこの場(証人のいる場所)に張り付かせることが目的だった。

彼らが無線通信機で話すのを、私は聞いていた。Kafr Lahaカフル・ラーハー、Tall Dahabタッル・ダハブ、al-Tayyibahアッタイイバなどから武装集団が来ていた。そのうち、自分たちの土地には、Tall Dahabタッル・ダハブ、'Aqrabアクラブ、al-Rastanアッラスタンの集団が派遣されていた(注:地名はいずれもアル・ハウレ周辺の町・村)。

この集団には、村出身ではないよそ者が多く含まれていた。以前にやってきたことがある人の顔もあり、彼らはTalafタラフ、al-Burjアル・ブルジュ(村の名前)出身者だ。しかし、以前来たときは、ずっと少なかった。

武装集団は、この地区の検問所に対し、午後1時30分あたりから一斉に攻撃開始した。攻撃は3時間近く続き、治安隊員と武装集団の双方が多数死んだ。彼らは検問所を占領すると、武器弾薬を盗んで町の北へ運び、仲間の間で配布した。すぐに検問所と、近くの病院、その背後にある林に火を付けた。

自分のグループと、al-Naasiriyyahアン・ナースィリーイェ地区のグループを合わせ、総勢約200人を従えたリーダーの名前はHaitham al-Hallaaqハイサム・アル・ハッラークで、手には銃器のほか、斧を持っていた。この集団は、以前から窃盗と誘拐で有名だった。'Aqrabの武装集団のリーダーは、Yahya al-Yousufヤフヤー・アル・ユースフで、Kafr Lahaカフル・ラーハーの集団のリーダーの名前はわからない。

武装集団は、al-Saddアッサッド道路へ向かっていった。夜7時頃になり、彼らがアッサッドで治安部隊を虐殺したと知った。

8時頃に、武装集団は、遺体を、虐殺現場から離れた、町北部にあるal-Raamアッラーム・モスクへ運んだ。地区の検問所は完全に潰され、軍の応援部隊も来なかった。

虐殺の第1の犠牲者は、al-Sayyidアッサイイド家と、警官で離反しなかったMu'aawiyah al-Sayyidムアーウィヤ・アッサイイド氏だった。離反しない人は、常に命を狙われていた。そのため、彼の家の近くに検問所が置かれていた。

第2の犠牲者は、アッサイイド家の別の家族。第3の犠牲者は、'Abd al-Mu'ti Mashlabアブドゥル・ムアティーマシュラブ氏で、総選挙で当選したマシュラブ議員(バアス党)の親戚。第4の犠牲者は、'Abd al-Razzaaqアブドゥッラッザーク家。私は、この家が熱烈な体制支持派であり、4つの家族から構成され、うち1家族は武装していることを、知っている。この家の前にも検問所がある。

武装集団に属するある家族(アル・ハッラーク家、アル・ハッサーン家、バックール家)は、アッサイイド家のすぐ隣に住んでいる。(報道されているように)シャッビーハ(政府系民兵)が虐殺を実行したのだとすれば、武装集団の子供が殺されないはずがない。

武装集団の家の周囲には、al-Halaaqアル・ハッラーク家、al-Hasaanアル・ハッサーン家、Bakkourバックール家(以上3つは武装反体制派)と、'Abd al-Razzaaqアブドゥッラッザーク家(体制派)があるのに、バックール家は誰も死なず、アブドゥッラッザーク家の子供は全員虐殺されるのはおかしい。

Faa'ourファーウール家は全員武装している。この家の1人は、アル・ジャジーラのカメラマンとして有名人物だ。(虐殺犯は政府だと騒いでいるのに、反体制派の)ファーウール家の1人も殺されなかったのはおかしい。

国連監視団UNSMISに、砲撃の犠牲者だとして見せた多くの遺体は、その大部分が武装集団の遺体であり、虐殺された家族に追加された。

6月1日付け記事。
http://www.sana.sy/eng/337/2012/06/02/422915.htm
http://www.sana.sy/ara/336/2012/06/02/422913.htm
シリア国営テレビの映像。冒頭は、男の証人が話す。途中から町の航空写真が画面に現れ、警察の場所、検問所の場所、被害者宅(固有名詞を挙げる)の位置、武装集団の集結場所と通り道を指し示す。次いで、女の証人が話す。いずれも顔は写さず、声質は変えてある。
http://www.youtube.com/watch?v=d4eDNuP2at4


(6月3日4時50分追記)
アル・ハウレ周辺の治安概況、SANAとは別人にインタビューした内容が書かれており、参考になる。

タルダウ、アッラスタンの住民はずっと前から逃げ出してもぬけの殻になっており、武装集団が占領している。武装集団は、よく訓練された狙撃手で、遠くから正確に頭部を狙って撃ってくる。負傷した兵士が語る、襲撃の様子。被害者のアッサイイド家とアブドゥッラッザーク家は、もともとスンニー派だったが、(1980年代に)シーア派に改宗した。・・・など。
http://www.voltairenet.org/THE-HOULA-MASSACRE-Opposition
http://megalodon.jp/2012-0603-0447-44/www.voltairenet.org/THE-HOULA-MASSACRE-Opposition
(追記終了)


(私のコメント)
バックール家といえば、ハマー県出身のバックール元・検事正の失踪事件がある。SANAは、反政府派に誘拐されたと発表していた。彼の失踪事件のあと、ハマー県各地とイドリブ県で、バックール姓の人が随分殺されていたので、気になっていたが、今日のこの記事を合わせて考えると、一族全員が反政府だと理解してよさそうだ。元・検事正については、誘拐ではなく離反である可能性が高いが、離反したものの、彼が中心になって徒党を組むには至らなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日々の感想ブログより転載。
http://hibikan.at.webry.info/201206/article_18.html


08. ダイナモ 2012年6月03日 19:30:06 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>06

>犠牲者はむしろ政府に近い人間ではないのか?という点。

そう疑うに足る根拠は何かありますか?


09. 2012年6月03日 19:55:19 : GuUM0yMCrM
>08
>国営の水道会社やタルドウのダムに隣接する土地と農地を所有していた。
のは、政府からは不審な人間と見なされて無かった傍証ではないか?という話。
でシリアってのは独裁国家とされるわけだから、「不審な人間」の判断はうるさい
だろうと。

つーか
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/392.html#c1
なんて記事も載せられてるのだが、後ろ暗いダイナモは見事に無視しているようだ。


10. ダイナモ 2012年6月03日 20:08:05 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>09

>国営の水道会社やタルドウのダムに隣接する土地と農地を所有していた。
のは、政府からは不審な人間と見なされて無かった傍証ではないか?

なぜそれが「むしろ政府に近い人間」ということになるのかな。
国営の水道会社やダムは「政府に近い住民」の土地の近くを選んで建設する決まりがあるとでも?
そもそもシリア国民の7割はスンニ派なんだから今回の大量虐殺事件のように近くに国の施設があるなんて普通だと思うが。


11. 2012年6月03日 20:24:53 : PcK0OtbPoE
>10
砂漠地帯の水道施設なんて重要なインフラは信用出来る人間に見張ってもらいたい、というのは十分あると思うが?だから、
>国営の水道会社やダムは「政府に近い住民」の土地の近くを選んで建設する決まりがあるとでも?
というのは話が反対だ


http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/392.html#c1
に載せられた記事のタイトルは
Houla Massacre Victims 'Were Supporters of Syrian Government'
(ホウラ虐殺の犠牲者は 'シリア政府の支持者であった')


12. 2012年6月03日 21:31:30 : ymsN6lbdxA

まあ歴史はこうやって勝者によって紡がれて行く訳だ 驚くこともなかろう

だからこそ 勝者になるべきだ


13. 2012年6月04日 03:51:48 : FJzVpsHtII
>>06>>09>>11
01です
本当に分からないのも事実ですが、まあ半分は皮肉ですw
そこら辺汲んで頂いてありがとうございます

この記事でも「軍服の男たち」が、やたら強調されています
この強調の仕方も胡散臭さを感じるわけです


14. 2012年6月04日 08:47:28 : f9BboV9rR2
>13>>6>9>11です。
>本当に分からないのも事実ですが
所詮安楽椅子探偵ですからわかったと確信できる方がおかしいんですが、それでも与えられた情報から蓋然性をもって推測できることもあるわけで、やりとりしてみた限りではダイナモはそのような推測が可能であること自体が理解の範囲外にあるのではないかと疑ってしまいます。

>この記事でも「軍服の男たち」が、やたら強調されています
生存者達の証言をよくよく見てみると「迷彩服を着た武装集団に襲われ親族達が殺された」以上の話はしてないんですね。そして10歳の少年の証言にある
>その鉄砲を持った人たちはいなくなって、(反体制派の)自由シリア軍(FSA)の兵隊たちが来たんだ。
をみれば、実は被害者達には襲撃者の素性は見当がつかなかったのではないか?と思えてきます。さて、
>目撃者らは全員、武装した男たちは政府支持派だったと話す。
と報告した目撃者は本当に実在したのでしょうか?


15. 2012年6月04日 17:29:47 : rZfjtLWCoM
>国営の水道会社やタルドウのダムに隣接する土地と農地を所有していた

ニュースとしてはここいらない
なぜ入れたかというと
アサド側が、この地域を確保しておきたいからやったと「思わせたいから」なんだろうけど
狙われたのは女子供
わざわざ恨みかうような事しただけでシリア政府にはマイナスになる


16. 2012年6月05日 06:52:58 : vmlOfkMKOQ
シリア軍の軍服ならFSA兵士も持っているはずだしな
偽装工作の可能性も当然あり得る

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