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メモ3
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/309.html
投稿者 中川隆 日時 2013 年 11 月 28 日 00:04:38: 3bF/xW6Ehzs4I
 


北九州一家監禁殺人事件


北九州一家監禁殺人事件でも、松永太が、嫁の母親や、妹を 嫁の父や、妹の旦那の前で犯して、そのときに、

「私は、松永の性奴隷です。松永のチンポが欲しくてたまりません」

と何回も言わせていたらしい。

親族同士の暴力、性行為というのは、マインドコントロールの常套手段なんだろう。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1350881970/


 2002年3月6日、17歳の少女が小倉北区にあるマンションの一室から逃げ出し、祖父母宅へ助けを求めに駆け込んだ。 少女は怯えながら、

「お父さんが殺された。私もずっと監禁されていた」

 と語った。少女の右足の親指は生爪が剥がれており、

「ペンチを渡されて、『自分で爪を剥げ』と言われたので剥がした」

 とのことであった。


 これら大量殺人の主犯である松永太は、1961年4月に小倉北区で生まれた。
 父親は畳屋であったが、松永が7つの時、実父(松永にしてみれば祖父)の布団販売業を継ぐため一家で福岡県柳川市へ引っ越した。

 高校2年の時、松永は家出少女を拾って自宅へ入れたことで退学となり、公立から私立の男子校へ転校。 高校卒業後、松永は父親の営む布団販売業を手伝うかたわら、19歳で結婚し翌年には子供をもうけている。

 さらにこの年、布団販売業の有限会社を設立し、代表取締役としておさまった。だが、中身は粗悪品を訪問販売によって高値で売りつける詐欺まがいの会社であった。

 松永は契約のとれない社員に暴力をふるって虐待し、信販会社のセンター長に「接待」と称して昼間から酒を飲ませ、その姿を写真に撮って脅した。これにより信販契約の審査を甘くさせ、立替払金を着服するなどのメリットを狙ったのである。

 なお、のちの一家殺害事件にも使われた「通電リンチ」(電気コードの電線を金属のクリップに付け、腕などにテープで固定して通電する)は、この頃からすでに社員への虐待方法として使用されている。


 対する緒方純子は、1962年2月に久留米市に生まれた。

 兼業農家で土地をかなり所有していた緒方家は由緒もあり、地元の名士とも言うべき存在であったようだ。純子は村会議員の祖父や兼業で会社員の父のもと、何不自由なく育っている。

 そんな彼女のもとへ松永から連絡があったのは、短大を卒業し保育士となって半年ほど経った頃のことであった。

「俺、フトシちゃん。覚えてる?」

 と、高校時代ほとんど面識のなかった純子に、松永は最初から馴れ馴れしかったようである。だが目的は彼女の卒業アルバムだったらしく、松永は卒業写真を見て気に入った女性たちに電話をかけまくっていたという。

 そのかたわら、彼は純子に色気を出すのも忘れなかった。

 「会社の業績は順調で、しかも芸能界からのスカウト話も来ている」

と松永は嘘を吹きまくった。そしてすぐに彼女と関係を持つに到る。

 しかし妻子ある男との交際は、じきに純子の実家にバレた。松永は緒方家を訪れ、

「妻子とは別れます。緒方家の婿養子になります」

 としおらしく宣言し、その場で『婚約確認書』なるものを提出した。

 俗に「口約束」と言うが、その反面どんないい加減な話でも書面にされた途端、人はなぜかそれに信憑性があるような気になってしまうようだ。そしてこの手の無意味な書面を作って嘘に説得力を持たせるのは、松永のもっとも得意とするところだった。

 松永は純子に

「莫大な利益を上げている会社だが、お前の婿養子になって緒方家を継ぐからにはつぶさなくちゃいけない。芸能界の話も、残念だがお前のために諦める」

と言って、彼女に自責の念を抱かせた。

 純子の母はこの『婚約確認書』なるものをあまり信用しなかったようだが、この会見によって父の誉(たかしげ)さんはすっかり松永が気に入ってしまったようであった。

 松永はこの時、わずか23歳である。その年齢にしてこの人心掌握の上手さ、口車の巧みさは珍しいと言えよう。

 彼のついた嘘は上記の通り、たわいないと言えるものばかりである。しかし彼の周囲の人物――特に緒方家の人々――はまるで糸に操られるようにして、いともたやすくその嘘に踊らされていった。


 純子の母、静美さんはある日、松永に「純子と別れて下さい」と頼みに行った。 しかし松永はこれを言いくるめたばかりか、静美さんを言葉たくみにラブホテルに誘い出し、関係を持ってしまう。当時静美さんは44歳であった。


 だがもちろん土地持ちの豪農である緒方家の娘・純子を松永が離すはずはない。松永は嫉妬妄想にかられたふりをして純子さんを殴打し、胸に煙草の火で「太」と焼印を押し、太ももにも安全ピンと墨汁を使って同じく「太」と入れ墨を入れた。さらに肉体的暴力だけでなく、家族や親族に無理やり嫌がらせの電話をかけさせるなどして孤立させ、精神的にも追い詰めていった。

 耐え切れず、純子はある日自殺未遂をはかった。しかしこれがまた松永の思うつぼであった。松永は純子に仕事を辞めさせ、両親に向かって

「婿養子などもらって緒方の家の犠牲になるのはいやです、縁を切ってくれないならまた自殺します」

 と宣言することを強要した。松永はその上で、

「今となっては純子はお荷物でしかないが、私もまさか放り出すわけにもいかない。彼女が自殺しないよう面倒をみていきます」

 と恩に着せた物言いをして、このときも例の如く緒方家側に『絶縁書』なる書面を作らせている。この騒動により、純子は緒方家から分籍。次女である理恵子さんが婿養子をもらうことになった。

 徹底的に虐げられ、親兄弟からも孤立させられた純子は、以降なすすべもなく松永の従順な手足となって生きていくことになる。


 1985年、銀行融資を受けて松永は布団販売会社を新築。この頃が(詐欺商法まがいだったとはいえ)彼のもっとも羽振りの良かった時期かもしれない。

 しかし酷使と虐待により、従業員は1人逃げ2人逃げ、2年後には従業員は純子を含め2人だけとなってしまう。その上、1992年には詐欺や恐喝などを重ねた末、経営が破綻して石川県へ夜逃げする羽目となった。

 収入がなくなった松永はたった1人残った従業員に、母親に金を無心することを強要。しかし約3ヶ月後、その送金も途絶え、虐待に耐えかねた従業員は逃走した。

 しかし松永がこの会社経営その他詐欺行為によって得た利益は、一億八千万にものぼるという。

 1993年、純子は第一子を出産。しかし相変わらず収入はなく、松永は結婚詐欺を思いついた。ターゲットにされたのは、松永がまだ羽振りが良かった頃交際していた女性だが、当時すでに結婚して子供(3つ子)もいた。

 松永は彼女を口説き落とし、

「離婚して俺のところへ来い、子供のことも俺が引き受ける」

 と言いくるめて、彼女に家出をさせた。そして北九州市小倉のマンションを、彼女名義で賃貸契約させている。純子のことは姉として紹介した。

 彼女は貯金のすべてを松永に吸い取られ、前夫からもらう月々の養育費まで奪い取られ、親にも金の無心をさせられるなどして、合計1000万円以上を搾り取られた。なお金蔓としての価値がなくなった頃、彼女と子供のうち一人は不審死をとげている。

 一連の事件発覚後、この死と松永との関連が浮かび上がったようだが、残念ながら事件性が立証されぬまま捜査は打ち切られたようである。


 1994年、松永は新たな金蔓を見つけた。

 今度は男で、不動産屋の営業をしていた虎谷久美雄さんである。彼は松永と同い年で、離婚して10歳の娘とともに暮らしていた。

 松永は

「新会社を設立するから共同出資者にならないか」

と持ちかけ、連日酒の席へ連れ出して、言葉たくみに些細な軽犯罪の過去等を聞き出した。計画がうまくいくまでの生活費は、純子に実家へ電話させ、泣き落としで送金させた。この金額も1997年まで63回に分けて、1500万以上にのぼったという。

 虎谷さんは松永に言われるがまま、新会社の事務所として小倉にあるマンションの一室を自分名義で賃貸契約する。

 そして純子が保育士をしていた経歴を大袈裟に吹聴して、10歳の娘を預かり同居させた。この少女が、のちに冒頭で警察に駆け込むことになる少女である。

 この時期から松永の虎谷さんへのマインドコントロールが始まった。

 虎谷さんが酒の席で口をすべらせた軽犯罪について問い詰め、お得意の書面(『事実関係証明書』と題され、私は〜の犯罪を犯した事実を証明しますと書かされたもの)を作成した。松永のやり口は、内容は言いがかり同然でもとにかく執拗で、何度も何度も繰り返し相手の弱いところを長時間にわたって突いていくというものである。これをやられると被害者は次第に消耗して、自分の言い分さえ見失ってしまうのだった。

 これによって虎谷さんはやってもいない犯罪にまで『事実関係証明書』を作られ、それが弱みとなり、がんじがらめになっていった。

 虎谷さんは1995年2月、不動産会社を退社。いつの間にか新会社設立の話は消え、共同経営者どころか奴隷同然の身分になっていく。

 この頃から、虎谷さんへの「通電リンチ」が始まった。食事も制限され、一日中純子による監視がなされるようになった。虎谷さんは松永に命令されるがままに消費者金融から限度額いっぱいに金を借りては渡し、親族、知人など考えられる限りのツテから借金してはそれを渡した。

 しかしそれも1996年1月あたりまでであった。もう虎谷さんに金を作れるあては尽き、一目見てもわかるほどの栄養失調になっていた。松永は虎谷さんの殺害を決心するかたわら、新たな金蔓を探し当てる。次は女性で、また結婚詐欺であった。

 この女性も消費者金融、親族などすべての手段を使って金をぎりぎりまで搾り取られた上、「通電」を受け監禁された。だが彼女は命の危険を感じた末、アパートの二階から飛び降り、腰骨骨折や肺挫折を負いながらも何とか助かっている。

 しかし、虎谷さんは生き延びることはできなかった。

 虎谷さんが受けたリンチは凄惨なものである。

 食事は一日一回で、インスタントラーメンもしくは丼飯一杯。10分以内に食べ終わらないと通電を加えた。また、つらい姿勢や直立不動を長時間強要し、少しでも動けば通電。季節は真冬だったが、一切の暖房器具も寝具も与えず、ワイシャツ1枚で風呂場で寝かせていた。

 栄養失調のため嘔吐や下痢を繰り返すようになると、その吐瀉物や大便を食べることを強要した。その他にも裸にして冷水を浴びせる、殴打する、空き瓶で脛を長時間にわたって執拗に殴るなど、飽かず虐待を加えたという。もちろん「通電」はもっとも頻繁に行なわれた。

 2月20日頃になると、虎谷さんは腕を上げることもできなくなるほど衰弱した。この頃、松永は虎谷さんの実娘である少女に、歯型がつくほどきつく父親の体を噛ませている。

 2月26日、虎谷さん死亡。

 松永は少女に、

「お前がつけた歯型のことがあるから、お父さんを病院へ連れていけなかった。病院へ連れていったらお前が殺したことがすぐにわかって警察に捕まってしまうからな」

 と言い聞かせ、まだ小学校5年生の少女に『事実関係証明書』を書かせた。内容は

「私は、殺意をもって実父を殺したことを証明します」

というもので、長い間少女はこの書面に縛り付けられることとなる。

 松永は死体の処理を、純子と少女に一任した。二人は包丁、のこぎり、ミキサーなどを使って死体をバラバラにし、鍋で煮込んだ上、塊は海へ、肉汁は公衆便所へ廃棄するなどして処理した。

 なおこの死体解体の直後、純子は第二子を出産している。


〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・


 またも金蔓を失った松永は、今度は純子に金を工面することを命じる。

 純子は実家に連絡し泣きついて送金してもらうものの、額が大きくなってきたこともあり、心苦しさに出稼ぎを決心した。

 1997年4月、純子は1歳になった次男を久留米市の伯母へ預け、湯布院でホステスとして働き始めた。長男はマンションに置いたままで、世話は虎谷さんの娘にみさせていたようである。

 しかし純子はいつになっても帰ってこなかった。

 殺人の共犯者でもあり奴隷でもあった純子に逃げられた松永は、取り戻すべく一計を案じて純子の母・静美に連絡をとった。松永と静美さんの肉体関係はまだ続いており、彼は以前より

「純子のせいで殺人や詐欺の片棒をかつがされた」

と静美さんに吹き込んでいた。

 そのため、緒方家の世間体を案じた父・誉さん、静美さん、並びに妹の理恵子さんが話し合いのため松永のマンションへ出向くことになった。

 これは大きな間違いであったが、松永の口車に乗せられ、純子を殺人の正犯だと思い込んだ緒方家の人々は唯々諾々とこれに従うしかなかったのである。

 面と向かってしまえば、マインドコントロールは松永の真骨頂とも言うべきところである。

 明け方まで寝かせず同じことを何度も何度も執拗に繰り返す、相手の一番弱い所(名家の緒方家にとって、これは世間体だった)を突く、自尊心をくすぐって持ち上げては落とすことを繰り返すなど、一連の手口はもう手馴れたものだった。

「緒方家から殺人犯を出してもいいのですか、マスコミの餌食にされますよ、家の名誉を何だと思っているのですか」

 と松永は彼らを逆に責め、

「私が死んだということにして葬式を出しましょう。そうすれば純子は帰ってくるだろうから芝居に協力して下さい」

 と言いくるめた。

 そしてこの芝居にひっかかり、純子は小倉に帰ってくることになる。帰ってきた途端、それまで押入れに隠れていた松永に取り押さえられて殴られ、彼女は家族の前で通電リンチを受けた。純子にとってはこの時、騙されたことよりも、家族が松永の味方をしたばかりか彼の膝下に置かれてしまったことの方がショックだったという。

 松永は純子に命じて、湯布院で世話になっていた人々に電話をかけさせ、罵倒させて絆を断たせた。味方と逃げ場を失くすためである。もう逆らう気力もなく純子はこれに従い、見ず知らずの自分に親切にしてくれたスナック経営者や紹介者に

「あんな安い給料でこき使いやがって、バカにしてるのか」

「親切ヅラして私をスナックへ売り飛ばしただろう」

 と松永に命じられるがままに悪態をついた。

 松永はその後、純子がマンションで死体をバラバラにしたことを緒方家の3人に告げ、

「家の名誉のため、証拠を隠滅しなくては」

と言って配管工事をさせている。これによって彼らに共犯者の負い目を感じさせることが目的だった。 その上で彼は緒方家の人々に

「純子は詐欺、殺人などで指名手配となっています。なんとか私が彼女の面倒をみながら逃げ切ってみせますから、さしあたり5年分の逃走資金を調達して下さい」

 と言った。この5年分の逃走資金として呈示した額は、3000万円である。緒方家の人々はそんな金はないと言ったが、松永は土地を担保に借りろと強要。しかし土地の名義は、祖父のものになっていた。

 1997年6月、妻の理恵子さんが毎晩外出していることに気を揉んだ主也さん(緒方家の婿養子)は、彼女を問い詰めた。理恵子さんは渋々、姉の純子が犯罪者であることを打ち明けた。

 元警官である主也さんはそれを聞き、

「松永が義姉をたぶらかしたに違いない」

として、次回は自分も同行すると言い出した。 しかしこれもやはり、取り返しのつかない誤りであった。

 松永は一目で主也さんの性格を見抜いた。公務と農協しか社会経験のない純朴さ、婿養子であることのわずかな心の引け目、隠された男のプライド。松永は彼に酒を飲ませ、

「あなたが跡取りなのに未だに土地の名義は先々代さんらしいじゃないですか。バカにされてるんですよ」

「緒方家の中じゃあなた、単なる種馬扱いだと言うじゃありませんか、人をなめるのもいい加減にしろという感じですねえ」

「理恵子さんは意外に男癖が悪いそうで。静美さんといい緒方家の女性は発展家の血筋のようですな」

 とさんざん吹き込んだ。静美の相手とはもちろん松永本人のことなのだが、これは実際地元でも相当噂になっていたらしい。そして理恵子さんとも、松永はもう関係を持っていた。

 赤子の手をひねるように松永に乗せられてしまった主也さんは、

「あなたがお人よしなのをいいことに、こんなにコケにされ続けて腹がおさまらないでしょう。あんな人たちは殴ってやったってバチは当たりませんよ」

 との松永の言葉のままに、緒方家の人々を順繰りに殴ったという。もちろん酔いが醒めてしまえばただちに後悔し、自己嫌悪することになるのだが。

 こうしてやすやすと松永のかけた罠に捕らえられた主也さんは、二人の子供までも松永に預けてしまうことになる。そしてこの直後あたりから、松永の緒方家一同への「通電リンチ」も始まった。

 供述によると、静美さんと理恵子さん母子を並べて仰向けに寝かせ、同時に性器へ通電するというリンチまで行なっていたそうである。

 母と娘2人を犯し、その関係をそれぞれの夫の面前で吹聴し、なおその性器へ電流を流す。松永は彼らの上に絶対的に君臨し、それを誇っていた。まさにローマ皇帝並みの暴君ぶりだったと言えよう。

 8月、緒方家は誉さん名義で、農協から3000万を借り入れた。担保はもちろん祖父名義の土地である。

 主也さんはこの借入書の保証人になっているが、その前に松永に

「これ以上、緒方家の奴隷になっていることはない」

と唆され、住民票の住所を変えていた。それを忘れてもとの住所のまま書類を作成してしまったことを松永は「文書偽造だ」と責め、それを何度も何度も明け方まで眠らせずに繰り返す得意の手口で、彼を追い詰めていった。

 発端は些細な、くだらないことでかまわないのだ。とにかく責める糸口さえあればいい。あとは思考能力を奪ってしまう一手だった。

 睡眠不足と心労により、主也さんは9月以降、職場へ出勤できなくなった。そして主也さんへの通電も、ほぼ同時期に始まっている。

 彼らは自由に外出することも禁じられ、完全に松永へ精神的に隷属した。彼の促すままに農協から金を借りては渡し、まだ残っている水田を売却すべく手続きに奔走した。

 その一方、松永は例の「書面作成」の腕前を発揮し、彼らに

「我々が失踪したのは土地の売却を親族に邪魔されたせいである」

「私(主也)は妻の首を絞めて殺害をもくろんだ事実を認める(※松永みずからが理恵子さんとの肉体関係を暴露し、彼の嫉妬心を煽った果ての行為である)」

 など何通もの書類を作らせては署名させた。精神的に支配されきっていた緒方家の人々は、これに法的拘束力があるとたやすく信じた。

 しかし祖父や親族が簡単に土地の売却にうんと言うはずはない。

 親族に強硬につっぱねられ、警察が動き始めたことも知らされた松永は、緒方家はもう金にならないと判断した。なおそれまでに彼が緒方家から搾り取った金は、6300万円にのぼるという。

 1997年12月、松永は言いがかりをつけて緒方家の大人たちを並べて正座させ、その場で純子に命じて父・誉さんを通電によって殺させた。死体は残された緒方家の面々が処理せざるを得ない。虎谷さんの死体と同様の手段で、解体し海に捨てたという。

 翌年1月、通電と心理的負担によって精神に異常をきたした静美さんが殺害される。もちろん松永が手を下すことはない。しつこく何度も殺害をほのめかされ、追い込まれた被害者たちの中から主也さんが暗に指名されて絞殺させられたのである。遺体は同じく解体されて処理された。

 2月、度重なる通電によって難聴になっていた理恵子さんを

「頭がおかしくなった、邪魔だ」

と言い、夫である主也さんに絞殺させる。

 4月、主也さんを虎谷さんの時と同じく、浴室へ監禁し食パンだけを与え、1ヶ月半かけて栄養失調で死亡させる。

 5月、理恵子と主也の子供2人(姉弟)を絞殺。弟を絞殺する際は、わずか10歳の姉に手伝わせたという。

 松永はこうして緒方一家を皆殺しにしてしまったのちも、純子に向かって

「お前が由布院へ逃げたせいで、全員を殺す羽目になった」

 と、この期に及んでさえすべてを彼女のせいにするのを忘れなかった。


 しかし2002年に少女が逃げ出し、警察へ駆け込んだことで一連の事件はようやく明るみに出ることになる。

 祖父母宅へ少女を連れ戻しにやってきた松永と純子を、張り込んでいた捜査員が緊急逮捕。また、少女が長らく世話をしていた四人の子供が児童相談所に保護される。このうち2人は松永と純子の実子であり、残る2人は、母親から養育費を巻き上げるため松永が言葉たくみに預かっていたものであった。
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/ikka.htm


【通電とは何か?】

100V30A家庭用交流電源(俗に言うコンセント)から電線を 裸にしてワニクリップで性器、乳首や顔に電気を流す行為。身体が痙攣(けいれん)し、脳に直撃して頭の中が真っ白になる。スタンガンと同じ効果。


【松永 太】

・1961年生まれ。98年逮捕時37歳。

・この事件の最重要人物。暗示的な言葉で殺人を強要した。直接、手を下さず殺人を実行した。

・公立小学校の時は、大した勉強もしないのに全学年を通して全ての科目が5で、学級委員長を何度も務め、生徒会の役員に就いたこともあった。

・福岡県立三潴(みずま)高校(ここで純子と同学年になる)

・2年の時に生徒会の風紀委員長に立候補、当選。

・三潴高校2年の時、家出少女を拾って自宅へ入れたことで不純異性交遊により退学。

・この前後、すでに緒方純子の妹・理恵子とは、久留米市の花火大会を通じて出会い、短期間 交際、すでに肉体関係にあった。このときは、理恵子が純子の妹とは知らなかった。

・三潴高校中退後、私立筑邦高校(現久留米学園高校)へ編入、そして卒業。

・卒業後、父親の営む布団販売業を手伝うかたわら、19歳で結婚。翌年には子供をもうけている。


・精力絶倫。
一晩に三度、身体を求めるなどセックスが強く、女性器への入念な舌戯から多くの女性をセックスで溺れさせ、性奴隷にしてコントロールする才能を持つ。

きわめて強いサド志向 で、旦那の見ている前で人妻を犯すことが何よりの快楽。

抵抗できない旦那を前に、抱かれている人妻に何度も「松永の性奴隷である」と告白をさせ、また松永が 妻の媚態を指摘して、夫婦の絆・自尊心を崩壊させる。
また、家族間で近親相姦をするよう暗示(強要)して家族関係を崩壊させる。


【布団販売の事業】

・布団販売業の有限会社を1983年に設立し、代表取締役となる。

・粗悪品を訪問販売によって高値で売りつける詐欺まがいの会社であった。

・1985年、実家の敷地内に鉄骨3階建てのビルを建てた。壁に白っぽいタイルを施したぜいたくな造り。

・近所の目には「羽振りの良い若社長」に見えたが、詐欺まがいの布団販売の他には、ヤミ金融が実態だった。

・従業員が協力して反撃しないように相互不信・監視させるシステムを20代で構築

・ ビルの3階には、従業員らが「電気部屋」と呼ぶ一室があった。従業員らは月々の販売ノルマが果たせなかったり、松永被告の機嫌が悪かったりすると、そこに 呼ばれた。

幹部社員に押さえつけられ、金属部分がむき出しになった電気コードを手や足首に巻きつけられた。松永被告自身が手を下すことはめったになかった。

「でんき!」
「なぐれ」

と、ソファにふんぞり返ったり、床に寝転がったりしながら、口走るだけ だった。
幹部社員がコンセントにつなぐと、 通電の衝撃で両腕がバネのように跳ね上がり、2、3メートルも後ろに吹っ飛んだ。

「脳のシンを鉄棒で打たれたような衝撃。
一 瞬、気を失うが、手足の焼けるような痛みでいつも目覚め た」

という。通電が終わっても、体には電気が帯電し、ドアのノブを握った瞬間、ビリッとはじけ飛ぶ こともあった。


・1992年には詐欺や恐喝などを重ねた末、経営が破綻して石川県へ夜逃げ。


【監禁中の緒方一家、虎谷一家の待遇】

・支配者・松永の武器は卓越した話術。相手を油断させ、信用させると同時に、恫喝する二面性によりマインドコントロール下におき支配する。

・ 支配するため「食事・排泄・睡眠・セックス」を重視した。通電により脳を空白にして新しい価値観を植えつける。それを持続させるには生理的欲求を管理・制限することが重要という結論を得たのであろう。

・食事は白米〜下痢便まで奴隷階層により違う。一例として、
食パンの耳だけ、
白米にラードまたは生卵、
具のない即席ラーメンだけ など。

・粗末な食事が日常化すると、おかずが一品増えただけでも感謝するようになった。

・食事は13分で食べ終えないと通電。

・最下層の奴隷に落ちると、下痢便を無理やり食べさせることもあった。

・排泄は一日一回。大便は便座に腰かけずに腰を浮かせて排泄。
小便はペットボトルに排泄。

・過酷な監禁生活が日常化すると、支配者・松永から優しい言葉をかけられると、奴隷たちは慰めになった。

・布団を与えず立ったままで寝かせる。

・家族間での会話は禁止。

・シャワー、歯磨きは何日も禁止。


・女性は松永と寝ると奴隷階層の地位が上がる(シャワー、歯磨き、ベットでの睡眠ができる)ため、自ら積極的に松永の性奴隷となった。

・近親相姦をさせ、行為中の写真を撮り、自尊心を剥奪する。特に主也は義理の母・静美、実 の娘・彩10歳とのセックスを強要された。


【監禁中の緒方一家、虎谷一家への虐待方法】

・ 主な虐待は通電。

コンセントからコードをワニクリップでつなぎ、性器・乳首に電流を流す。

通電されると、痙攣(けいれん)状態となり、ぐっ たりして意志がなくなる。

頭の中が真っ白になり、自分を失い、支配者の言いなりになる。

限度を超えると廃人寸前、糞尿の垂れ流し状態に なることも多々あっ た。


・常につま先立ちで深く腰を降ろす、土俵入りの力士の姿勢”そんきょ”を長時間にわたり命じられる。


【論告書より】

緒方一家の暮らしぶりは昼夜の逆転した生活。一家六人は台所で雑魚寝させられ、平均睡眠時間は3、4時間だった。

起きている間は台所に立ち続けなけていなければならない。

トイレの使用は松永の許可制で、しかも一日1回。

小便はペットボトルにさせられ、大便する際、便座に尻をつけることは許可されなかった。

食事はごく少量で一日1回。時間制限されたうえ食事する際は全員、床に尻をつけることも許されなかった。

違反すると通電暴行をあえて他の緒方一家の面前で行い、見せつけていた。

通電を受けているものをかばった者は松永の次なる対象とされた。松永は誉氏に塩を山盛りにした米飯を食べさせたり、優貴君をのぞく全員に対しサディズムの象徴ともいえる乳首や性器への通電行為を行った。


【緒方純子】

・1962年生まれ。元幼稚園教諭。短大を出て、1982年ごろから自宅近くの幼稚園に教諭として勤務。約3年で退職。

・松永より、胸に煙草の火で「太」と焼印を押し、太ももにも安全ピンと墨汁を使って同じく「太」と入れ墨を入れられた。

・松永と出会う前は、男性経験は一度だけ。男性が一方的に腰を振るだけで感じなかった。

・松永によりセックスに目覚める。以後、積極的に松永を求め、マインドコントロールとともに、 松永のセックスから逃れられない身体になる。

・悪質布団販売の事務員になり、この頃から従業員に通電など虐待に加担していた。


【緒方理恵子】

・98年2月10日(静美殺害から20日後)殺害。享年33歳。

・純子の妹。姉・純子より気が強く、美人。

・純子が殺人を犯したことを聞かされ、主也が交渉に乗り込む時には、すでに松永との愛欲に 溺れる身体になっていた。

・夫・主也が交渉に乗り込んだ際、逆に主也は松永に言いくるめられ、酒の勢いもあり、主也が理恵子を含む緒方一族の頭部を殴る。さらにその後、夫・主也は妹・純子、母・静江と共に 妻・理恵子の女性器に通電してしまう。

・酒に酔い、松永と意気投合した夫・主也に殴られ、通電に心が砕かれ、理性的で気丈な性格 が一転して松永に屈服し、さらに服従するようになる。

・ シャワー、歯磨きを許可され、優しく接してきた松永が寝室へ招く。主也のいる初夜の当初は夫への罪悪感、羞恥心から泣き震えていたが、やがて、女性器への舌戯の快楽に溺れるようになる。

妻の初夜の情事を目撃した主也はやめるよう反撃を試みるが、逆に純子に通電され主也は自尊心を砕かれる。快楽に溺れている中、そんきょの姿勢で見ている主也の前で自ら積極的に松永を求め、媚態をさらし、媚声を発するようになる。

・(主也のいる)初夜の後も、そんきょして屈服している夫・主也の前で、自ら松永を求める告白を何度もさせられる。

このように母・静美と同じ心理的変化を経て松永の性奴隷に変貌し、夫婦関係を破壊される。


・ 妹・純子、母・静美、少女A(仮称・虎谷礼子)はライバルとなり、互いに正妻の座を得ようとする。

正妻はセックスの前にシャワー、歯磨きを許可され、事後も殿様である松永とベットで睡眠。

側室に落ちると寝る場所がソファ、板の間、浴室、立ったまま寝ると、ランクが分かれる。 食事も差がつけられる。


・松永の指示で純子が母・静美、理恵子を全裸で仰向けに並べて寝かせ、同時に女性器へ通電されていた。


【少女A(仮称・虎谷沙織)】

・1981年生まれ。98年当時17歳。2010年現在29歳。

・小学生の頃から松永に犯され性奴隷に。そのため、緒方純子の虎谷沙織に対す る憎悪はすさまじく、最後まで最も仲が悪かった。

セックスに関しては松永の最もお気に入りだった。

https://docs.google.com/document/d/15THHgxepPxfB3ybRf3PWSJr0MA16MQGLq-jwZ651mMg/edit?pli=1&hl=ja


事件関係者の相関図
http://kenken.rossa.cc/wp-content/uploads/2009/11/200910281157569b7.jpg

北九州監禁殺人事件は、松永太という男が首謀して行った7人の人間に対する監禁・殺害事件である。 松永は自ら7人もの人々を直接殺害することはなかった。虐待して暴力による支配をすることによって、他人にターゲットの人物を殺害させる手法を取った。

7人の犠牲者のうち、最初に殺された人物を除き、6人は家族であり、子供がふたり含まれていた。 殺されたのは、不動産仲介業の男性、逮捕された緒方純子の父親、母親、妹、妹の夫、妹の子供ふたりである。


松永は頭の回転が速く、異常に口がうまい。それでまず他人に自分を信用させ、取り込む。その後、その人物の負い目を探る。自分がやっている犯罪の手伝いや、その人物が漏らした過去の過ちなどだ。松永はそれにつけ込んで、その人物を虐待を始める。その際、その人物の家族や友人など、全ての知り合いに電話をかけさせ、相手を罵るなどさせて険悪な関係にした上で、松永への依存が高まるようにし向けている。

松永がこのようなことをするのは、全て金のためだ。最初はうまいことやって金を巻き上げ、用済みになると虐待して殺すのだ。


松永が特に好んだ虐待は通電である。松永は電化製品などに使われる電気コードを使う。途中で切った電気コードの被覆を剥き、その先端にワニ口クリップを付ける。そのワニ口クリップをターゲットたる人物の体に取り付け、電気コードをコンセントに抜き差しして電気ショックを与える。

手足の指が多かったが、何度も通電されることで常時火傷を負ったような状態になる。最初に殺された男性は肉が削げ、骨がむき出しになるような状態になっても繰り返し通電されていた。通電箇所は化膿し、体液がしみ出るなどして指同士が癒着して離れなくなったりした。


この通電でもっとも強力なのが、両乳首への通電と上下の唇への通電である。

両乳首へ通電すると、心臓にまで電気ショックが届き、心室細動を起こして心停止状態に陥ることがある。また、唇への通電は、湿った口内から脳幹、脳に電気ショックが伝わり、脳に異常を来すことになる。

最初の殺された男性、3番目に殺された緒方純子の母親は、腕が不自由になるほか、脳に異常を来し、正常な思考を保てなくなるばかりか、前後不覚の状態に陥ることになった。


この通電は、あらゆることへの罰として行われた。監禁している人間に与えられる食事は、1日1回、食パン8枚で、相撲のそんきょの姿勢を取って7分以内に食べなければならないなどというルールがあった。それを守れなければ通電だ。

また、松永は監禁して虐待している人に用便の制限をした。小便は決められた数のペットボトルに出し、大便は1日1回、松永の許しを貰ったときだけできた。万が一大便を漏らしてしまった場合、その大便を家族が見ている前で食べさせられ、汚れたパンツはきれいになるまで吸わされることになる。

それ以外にも、松永は就寝の自由も奪った。監禁されている人は狭い風呂場などに押し込められ、体育座りのまま寝かされた。
また、日中は全員台所に何時間も立たされた。


松永のその虐待は緒方純子の一家7人のうち、緒方純子の妹の4歳の息子以外に全て行われ、9歳の長女の例外ではなかった。

この北九州の監禁・殺害事件でもっとも忌まわしきところは、通電という恐怖で緒方の家族を支配した松永が、家族通しで殺人をさせたことにある。特に、緒方純子の妹の娘は、母親殺しと父親殺しにも荷担させられた。家族で家族を殺した後は、残された家族に殺された人物の解体をさせる。体を解体し、肉をそぎ落とし、内蔵を取り出してバラバラにした上で、人体を鍋で煮込んだりミキサーにかけるなどさせる。

このとき、松永は一切何も手伝わない。ただ指示をしているだけ。

ただ、なぜ一家が松永にいいように支配されたのかという疑問がどうしても残る。

きっかけは、松永と緒方純子の詐欺や暴行などの犯罪を隠すためであった。松永にいいように操られていた緒方純子が罪を犯したかのように松永に言い寄られ、いいとこの旧家である緒方家はそれをひた隠しにしようとして、松永に取り込まれた。

全財産を奪われた挙げ句に、金が調達できない用済みと見なされてからは、次々と殺されるハメになった。緒方純子の妹の夫は、元警察官であったにも関わらず、松永に支配され、洗脳され、奴隷となった。
http://subzero.iza.ne.jp/blog/entry/906887/

297:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 23:52:40.58 ID:gPvhUzzf

静美が性奴隷の時点で、緒方家はアウトだったと思う。
なんとかして、金引っ張りにかかっただろうから。


589:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 18:21:19.58 ID:???

新潮文庫の殺戮者は二度笑うとかいう本読んだけど
緒方母と姉妹と松永の四角関係のあたりはおいおいって感じだった

母は初めのうちはかなり松永を怪しんでたのに
結果的には、緒方家で最初に貢ぎ始めてるんだよね

人間関係の掌握テクニックすげえわ

815:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 17:42:21.88 ID:UvbVCV7/

松永による緒方静美と交際中の言葉


静美「私たちの関係をお父さんが疑っているから、お父さんには純子と結婚すると言って
(純子との婚約確認書作成のきっかけ)」

静美「純子はあんたにいかれてしまってとるね。私のことがばれたらどげんなるんじゃろうか」

静美「ばれたときは、そのときたい」

静美「もう私は純子にこうしなさい、ああしなさいと言える立場じゃなかやんね。
あなたと男女関係にあるのに、お母さんとしてどうして純子を説教できるとね。
純子のことに私はかかわり合うことはできんよ」

225:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 10:55:11.33 ID:o413FotF

妻の母も妹もやっちゃうって、男には分からないフェロモンが松永にはあったのかな


256:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 23:04:00.13 ID:aiJ1xd40 >>225
松永と交際していた女によると
松永はマメな男でどんな愚痴も聞いてくれたとか。

371:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 14:05:58.38 ID:???

これは報道規制がかかる訳だわ。
家族が分断され、もう外の世界に助けを求めることなど出来ない。


・女性は松永と寝ると奴隷階層の地位が上がる(シャワー、歯磨き、ベットでの睡眠ができる)ため、
 自ら積極的に松永の性奴隷となった。

・近親相姦をさせ、行為中の写真を撮り、自尊心を剥奪する。
 特に主也は義理の母・静美、実の娘・彩10歳とのセックスを強要された。


632:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/09(火) 20:51:47.21 ID:oyU71l7h

最初に犠牲になった不動産会社・社長の娘(最後に逃げ出して事件が発覚するキッカケになった娘) って松永に強姦されなかったのかな?


633:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 06:01:39.76 ID:E0aoxbsL
>>632
中尾幸司「絶望裁判」(小学館)P20にはこうある。
沙織さん(注・第一死亡者の娘の仮名)自身もまた日常的な虐待を受け、父親への暴行や嫌がらせにも加担させられていた。 当時、沙織さんは松永の情婦も同然の立場に置かれていた。


396:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 22:03:33.98 ID:???

少女に二女の夫を誘惑しろと指示してたのは消された一家に出ていたよね。
誰の発言だったか・・・


399:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 04:32:12.91 ID:Zmz/wZZ6

中尾圭司の「絶望裁判」では

・松永が高3時に理恵子と交際して肉体関係があった

・少女は松永の情婦同然の立場


とか書いているな・・・。

それと確か「消された一家」だと思うが、緒方は松永から

「理恵子とは俺の好みじゃないから肉体関係を結びたいとは思わない」

とか言ったことなど、緒方は妹と松永の性行為を見ていないんじゃなかったっけ?

ただ、取調べと裁判では松永は理恵子との肉体関係について話し、緒方は理恵子が殺されるちょっと前から生理がなかったことから松永の子を宿していた可能性を言ってたんじゃなかったっけ?


605:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/17(日) 17:29:26.50 ID:???

消された一家に出てきた、元妻の発言が結構興味深かったな

元妻が本妻、緒方が愛人という時期、松永に暴力を振るわれたとき元妻は泣き叫んで、緒方は無言で耐えていた
我慢が限界に達したとき、元妻は子供をつれて警察やDV駆け込み寺に逃げ込んで、離婚を成立させた

緒方は逃げ出しても結局警察や保護してくれる団体に相談できず、連れ戻された
この差が運命を分けたんだろうなーと思う


308:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 19:38:19.77 ID:???

松永の子供ってどうしてるんだろうね?

祖父母が育ててるんかな。その子も松永に命じられて母親である純子や17歳少女に暴力を振るってたって…恐ろしいガキになってそうだな。


309:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 20:23:46.45 ID:???

施設から通学してるらしい
今およそ18歳と15歳
当時松永は学校に通わせてなかったけど
(出生届を出していたかもあやしい)
それで子供の将来をどうするつもりだったんだかね


310:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 21:25:08.82 ID:???

イシマルカツキって仮名つけられてたっけ松永の子供
出生届は出してない
松永息子兄弟と他から預かってた双子達を大きいの小さいのって呼ばせてたらしいね
愛情なんか全く無かったみたいだね


312:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 05:00:36.26 ID:???
>>310
松永みたいな奴らがどうしてよその子供なんて預かってたんだろう。
実子の子育てもろくにしないような奴らがさ。


313:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 08:37:55.33 ID:???

よその子どもの母親に、風俗で働かせてそのお金を巻き上げてたんだよ。
言葉巧みに子どもをあずかって、人質みたいにしてたんだよ。

494:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/12(日) 02:08:31.92 ID:eKsstX36

松永に深く関わってる人が全員奴隷状態かなのがなあ…
松永は対等な人間関係築けないんだろうな

学級員風紀委員や社長業やってきた松永にはそれが当たり前になってたのかね
効率的な生き方っちゃ生き方だけど


610:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/19(火) 09:26:34.73 ID:DorP8T+r

松永のようなパシリタイプの小物に何故洗脳されたのかが凄く不思議です。

どう見ても どう考えても松永に人を惹きつけるものが出てないんですよね。

611:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/19(火) 21:14:15.49 ID:???

当事者にしか分からない何かがあるんだよ
婚活殺人事件の女とか結婚詐欺師とか、何でこんなのとって思うようなの多いよね


612:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/19(火) 23:40:10.90 ID:???
>>610
調べればわかると思うけど みんな会って即洗脳されたわけじゃないから

通電と証明書、序列と肉体関係その他すごい緻密にやってる

惹きつける物は実際に会ったり見たりしないとわかんないと思うけど
自分の想像では一見優しそうでユーモアがある感じだったんじゃないかな


836:sage:2011/10/20(木) 21:26:30.64 ID:???

それにしても、松永の冷酷さや残虐さ・狡猾さは人智を越える。
被害者の方々は共同生活を始めるまでの松永の上辺のキャラクターの印象が強すぎ松永の底に潜む本性など想像すらできなかったのでは?

松永と緒方家は10年来の付き合いがあったようだが、その長い付き合いが逆に松永の本性を見誤ったとも言える。

あと共同生活に誘い込むまで連日連夜、酒盛りをしながら将来の話をしていたらしいね。 酒宴で上辺の親交を結びながら、相談にのる振りをし酒で軽くなった口からターゲットの秘密を握り、社会との関係を悪化させる。

最初の被害者は度重なる二日酔いのせいで会社をくびになったらしいね。

842:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/21(金) 20:14:29.09 ID:???

キーになる共同生活を容易しめたのは連日連夜の深夜・早朝に及ぶ酒盛りではなかったのではないかと推測する。 最初の被害者は預けていた娘さんを毎日迎えにいく度に、緒方家は純子の処遇についての家族会議と言う名目で松永のマンションに呼びつけられていたらしい。

夜はアルコールの力で理性的な判断力を奪い、昼は酒疲れと寝不足で仕事もままならない状況に追い込む。

両者とも共同生活の前段階において、松永のマンションから職場に出勤という半ば共同生活の様な環境に持ち込まれたいたようだ。

そんな状況の中、最初の被害者は失職、緒方家は出勤途中の交通事故等、新たなストレスになる出来事を起こす。 そこで、しばらく共同生活をしないかと持ちかける。違うかな?


664:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 23:23:58.35 ID:vGK6zWCx

不動産屋も緒方家も、脅される前から松永に操られてるよね
やっぱ他人を盲信しちゃうのはいかんな

896:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/31(月) 22:19:21.05 ID:???

通電される前にすでに松永に支配されてるのがおかしいだろ。


897:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/31(月) 22:34:31.31 ID:???
>>896
その前にすでに酒盛りして洗脳してるの
松永はもっと周到なの


898:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/31(月) 23:01:24.84 ID:???
>>896
通電される前はすでに緒方家は家も金も職も失ってる状態だったからな。
静美は松永と不倫関係になり、誉は松永を気に入っていた。
このアンポンタン二人さえまともだったらよかったんだがね、、、

873:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/28(金) 20:29:42.41 ID:???

それなりに金持ちで社会的地位のあった老人が、一日中パンツいっちょで台所に立たされてたんだろ?

しかも、目の前では並んで寝転んだ自分の妻と娘が、下半身をあらわにされて娘の内縁の夫から陰部に通電を加えられてたって・・・。

この異常としか言えない光景をこの老人はどういう思いで見てたのか。

あと松永に命じられて、両親と妹夫婦が車で熊本に荷物を取りに行くって記述があったけど、車の中で四人はどういう会話をしていたのか。 もう何かを感じたり考えたりできない状態だったのかな。


932:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 01:59:17.27 ID:???

緒方家や虎谷さんは、強い催眠術にかけられたような状態だったのかもね。
オウム真理教や、連合赤軍や、ジジィの詐欺師に催眠術かけられてジジィと結婚した女たちって状態と酷似しているように思える。


665:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 13:47:07.50 ID:???

監禁されて通電されるころにはもう手遅れだもんな
逃げ場をなくして松永以外何も信用できない状態にしてから虐待開始するから反抗できない

反抗できる気概があるうちはまだ本当の手の内は見せないからね
そのあたりのさじ加減が上手すぎて恐ろしい
http://2chnull.info/r/archives/1294312866/1-1001

682:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/16(金) 19:46:21.59 ID:???

緒方家って、一家全滅するのって監禁が始まって何ヵ月くらい?


683:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/16(金) 21:14:04.84 ID:???
>>682


H9年
4月 一家全員を監禁する。
12月 緒方誉、死亡

H10年
1月 静美、 死亡
2月 理恵子、死亡
4月 主也、 死亡
5月 優貴、 死亡
6月 彩、 死亡


4月から監禁と書いてあるが緒方家が仕事もやめてマンションに移住して本格的に監禁生活が始まったのは12月から。
http://2chnull.info/r/archives/1327598130/1-1001

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 20:00:50 ID:???

その会話…、父親も母親もこの世になく、弟と二人だけになった(監禁されていたマンションで)彩ちゃんをこうして弟の優貴君を殺害するように仕向けたという。

松永  「これからどうするね?」

彩ちゃん「優貴とふたりでお父さんの実家に帰ります。」

松永  「帰ったらいろいろ聞かれるけど、どうするね?」

彩ちゃん「何も言いません。」

松永  「彩ちゃんは言わないかもしれないけど、優貴くんは大丈夫なの?
     優貴くんは、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お父さんが死んだことを何も知らないから、
     帰しても害はないという楽観的な見方もあるけど、知らないからこそ正直に答えてしまうと思うよ。
     優貴くんが何も言わないという責任を彩ちゃんは持てるの?」

彩ちゃん「何も言わせません。」

松永  「彩ちゃんがそう言っても、もし優貴くんが何か言って、それをきっかけにして警察が動いたら、
     彩ちゃんも犯罪を犯しているんだから、警察に捕まってしまうよ。それでも彩ちゃんはいいの?」

彩ちゃん「…」

松永  「俺にとっても警察に捕まるという不利益が生じるんだよ。その責任を彩ちゃんは持てるの?」

彩ちゃん「…」

松永  「優貴くんだって、お父さんとお母さんがいないし、生きていてもつらいだけだし、
     お母さんになついていたんだから、お母さんのところに帰してあげたほうがいいんじゃないかな?」

彩ちゃん「…」

松永  「もし彩ちゃんがお父さんの実家に帰りたかったら、優貴くんを殺したほうがいいんじやないかな?」

彩ちゃん「…」

http://valevalen.blog98.fc2.com/blog-entry-253.html

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/06(水) 05:39:04 ID:nJwww6Ce

ヤツ(松永)は確かに人身掌握の術には長けているんだろうけど、
虎谷氏や緒方家の人々はその前に弱みを握られているからな。


 虎谷氏⇒過去の軽犯罪(消毒代の着服)、

 純子⇒虎谷氏を虐待・殺害、

 静美・理恵子⇒松永と寝た、

 誉⇒純子のことが世間体や自分の出世のネックになる


といった具合に。


950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/16(日) 15:06:44 ID:???

虎谷氏の場合、弱み(入居者の退去時の消毒代の着服)を握られ
やってもいないこと(娘への猥褻行為、会社の100万円を着服)をやったことにされてしまい篭絡されてしまった。


緒方一家の場合は、もっと複雑、

松永との肉体関係(純子の母と妹)、誉氏が事件当時職場の理事長の有力候補(最右翼)であったこと、そして純子が虎谷氏の殺害に関与したことといったように。

でも松永が過去に警察にお世話になっていたことをこの人たちが知っていたかどうかはしらないけど、普通相討ち覚悟で通報するさね。

だから、騙されやすいのに加え、必要以上に世間体を気にしてしまい、また金や出世に目が眩んでたのだろうさ。この事件を教訓に「性善説」なんて信じないことだね。

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/06(水) 13:06:59 ID:???
>>688
その弱みを手に入れるところから松永の人心掌握が始まってる。

奴は偶然弱みを手に入れているのではなく、
何かしらのネタを手に入れるための誘導尋問的な会話をするのだろう。
http://valevalen.blog98.fc2.com/blog-entry-253.html

351:sage:2012/03/02(金) 20:51:00.89 ID:???

被害者たちはお互い肛門が汚れてないかチェックさせられてたんだよね


113:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/10(金) 03:41:35.75 ID:qZUo/VOi


純子「ウンコ漏らしたでしょ」

虎谷「も、漏らしてません」

純子「じゃあこれは何?ウンコじゃなかったら食べられるよね」


虎谷さんに食糞をさせたのはこういう追い込み方。


365:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 17:13:39.69 ID:qgQwHeoi

どうして肛門調べられてたの?
ウンコ付いてても別に困ることないのに。


367:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 20:14:12.58 ID:???
>>365
人間性剥奪行為の一環だろうなあ

序列の優劣がはっきりするというか、自信を失うというか
刑務所に入るときの儀式的なもので有名だね
http://2chnull.info/r/archives/1327598130/1-1001

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/19(金) 19:07:45.13 ID:tTwlB0ss

松永に関しては女好きも金銭欲もストレートではないんだよね

本当に女が好きなら少なくとも飽きるまでは多少は大事にするだろう。
そういうところがない。知らないからそういうケースもあるのかもしれないが
美人に執着している話もないしね。

なんか女をものにする過程、金をだまし取る過程、そういうのに興奮するではないかな?

また虐待に関しても興奮するみたいだな、支配欲を満足させるからかな。

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/21(日) 14:59:48.15 ID:4JchBOc4

純子曰く、被害者の誰も松永を恨んでなかったっていうのが何だか悲しい
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1338492561/

松永太 法廷名言集


−被害者に通電したことについて
「学校の先生がげんこつで叩くようなこと」


−7人の死について
「哀悼の意を表しているが自分の周りで死亡して迷惑」

−自身の性格について
「(サザエさんの)カツオ君がバージョンアップして大人になった。ちゃっかり狡猾」


「松永は悪いやつだ。あいつが(緒方)純子を支配し、緒方家の人たちを殺させたに決まってると、(世間が)かっての『天動説』の信者のようになってしまっていると思われてなりません」


「印象や直感により『天動説』に与するのではなく、客観的に、科学的に、合理的に証拠を分析、検討して事実を発見する努力を、どうかしていただきたいっ」


「死刑になるのを覚悟して供述しているのだから緒方純子の言うことは信用できるという『純子神話』が作られた。この裁判はイメージが先行し、判決も出来上がっているのではないでしょうか。裁判が証拠に基づいて判決を行うものであることをはっきり示してほしい」


434:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/07(水) 14:12:36.29 ID:???

裁判官「主也殺害についてどう思う?」

松永「天ぷらうどん食っておかしくなった」

291:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/27(月) 15:17:54.04 ID:???

こんな酷い事件なのに松永のふざけた証言で法廷が笑い声に包まれたって凄い状況だよな
被害者の関係者もその場にいたと思うけど笑ってた奴らは最低


297:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/27(月) 20:51:06.31 ID:Zw2dhIxk
>>291 
以前、この裁判の公判を傍聴したらしい人の書き込みがあった。

それによるとこれほど残虐で陰惨な事件にも関わらず、松永がしゃべり出すと今まで張りつめていた緊張感が解かれ、不謹慎だが寄席を見ているような錯覚に陥るこおうとが度々あったそうだ。

松永は口が上手い上に場の空気を変えてしまう演技力もあるのだろうか?
http://2chnull.info/r/archives/1327598130/1-1001


554 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/12/15(木) 12:59:00.72 ID:???

しかし、ワールドの社員は通電されてまでしてなぜ会社を辞めないのか理解できない。緒方家の家族と同じ心理なのだろうか。


559 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/12/15(木) 15:40:35.98 ID:???

>ワールドの社員は通電されてまでしてなぜ会社を辞めないのか理解できない。


「仕事して一人前」

「職についていない人間はクズ、生きる価値がない」

「お前が働き出してくれて、お母さんほっとしています」

「辞めても次の就職先が見つかる保証がない」


こういう地盤がある日本で、口のやたらと上手い松永みたいなやつに、


「辞めてもお前に先はないぞ、根性なく勝手な理屈で辞めるお前なんかどこの会社でも雇ってくれるわけないだろう」

と延々言われたあげく、

「だからこの電気おしおきさえ受ければ、うちでさらに働かせてやる」

と言われたら、拒否できない人間がどれほどいるか。

で、電撃くらって苦痛にのたうち回っているところを

「ほら、ありがとうございますは!?」

と強要されて、

「根性のない自分を指導してくれてありがとうございます!」

「これからもワールドで全力で働きます!」

と頭真っ白のまま言わされて。

「全力で働かせてくれてありがとうってこの間言っただろうが!」

と次からそれをネタにさらに責められるわけだ。


「ひどい職場だったんで退職を申し出たら会社から「損害賠償請求するぞ」と脅され、退職したら本当に約2000万円の賠償請求訴訟を起こされた」

なんて事件が今年の5月に起きてる。

そうやって脅されたら、辞めることができるかどうか?


「会社に収益もたらすことのできないお前が辞めるだぁ!?
ふざけんじゃねえぞ、お前の親んとこ行って請求するからな!」


とすごまれたら?

それでも「辞めます!」と言うやつを、言えない社員に命じて押さえつけさせて電撃だ。

電撃の苦痛で屈服した相手を、会社に監禁して、徹底的に責めて、泣きながら謝ってこれからは全てを尽くしてワールドのために働きます、と宣言させる。
そして、宣言させた人間を、今度は宣言しない人間を責める時の手先とする。

「あいつは全て捧げるって言ったぞ!」

持ち上げたり、

「あいつはこれを耐えたんだ、だからお前も耐えられる!」

と他の人間に電撃くらわせるダシにされたり。

そうやって絡めとられ、松永の言うことをきかなければならない、と洗脳されていった果てが、緒方一家さ。
http://logsoku.com/thread/ikura.2ch.net/archives/1320853144/


824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 21:54:13 ID:Ds12YALA


中国の洗脳方法 

外部からの隔離
尋問
自己批判
巧妙な賞罰
罪の意識の植え付け

松永のやってたとと一緒でワロタ


829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 20:17:51 ID:AhIPvL53

チベットはペマギャルボのチベットホームページ、これについては「ゴー戦」にも漫画で描かれている。電気棒による通電。

業田良家 チベット漫画 「慈悲と修羅」
http://www.geocities.jp/my_souko/goda_01.htm


洗脳はまずその個人の信頼関係と価値観を徹底して破壊することから始まるみたいですね。

さらに、公衆の前で僧に犬の糞をたべさせ、宗教観を破壊(チベット)

電気棒で拷問(ホ宇林高)

ソフトな洗脳テクは耶麻技師会のセミナーに継承。終了後、眼がとろんとして薄い膜が張る。 映画ラストエンペラーで溥儀が収容所でベテラン洗脳エキスパートに改造されてゆく。


882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 22:55:47 ID:y0RS488r

「北九州監禁連続殺人事件」と「スタンフォード監獄実験」には共通する何かを感じるんだが

スタンフォード監獄実験
http://x51.org/x/06/04/2439.php
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93


885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/30(火) 22:30:48 ID:???
>>882
松永は刑法関係や拷問に関する書籍(どういう書籍だよ)を読み漁っていたらしいが、 その中にコレに関係した文献もあったんだろうな。


892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/12(日) 09:43:35 ID:???

ミルグラム実験 というキーワードもオススメ。この実験がスタンフォード監獄実験の元になったようだ。

人間の尊厳について考えるきっかけを与えてくれる実験だと思う。役割として与えられた権威が人を暴走させる恐ろしさもね。


ミルグラム実験
http://jhpa.info/material/column/Milgram.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93

http://valevalen.blog98.fc2.com/blog-entry-253.html


430:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/07(水) 12:17:41.31 ID:???

純子には適当に付き合って、

俺様が犠牲になったのはお前のせいだからな!

って嘘ついて掌握。


母はいつの間にか肉体関係も出来、その弱み+家がズタズタになるって恐れ+純子逮捕(嘘)があった。

父には家と純子逮捕を盾にして、更に母との関係も少しづつ暴露して絶望させる。

妹は中絶+自分との肉体関係+その他家へのマイナス感情を利用されて手玉に取られ、

警官には婿養子としての立場、妹の過去の男遍歴(嘘有)を利用され、更に子供二人を盾にされた。

子供二人は、花火大会を餌に家に呼ばれて以後戻れる事は無く、親の殺害に関与させられた挙句殺害。

母、純子、妹(+A子)は、セックス奴隷にした。

人心掌握術というか、支配することの天才ってこうまで怖いんだなあ…
http://2chnull.info/r/archives/1327598130/1-1001

590:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 22:33:36.44 ID:???

緒方母と松永が肉体関係があったかが事実かどうかは重要なことだよ。

純子が松永に洗脳されてたと同時に母、妹への憎しみが大きくて、松永の命令に従ったといえる。


524:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/12(月) 00:26:14.89 ID:???

緒方静美はカンもよく、行動力があったが、純子と別れてやってくれと松永に頼んだら、そのまま肉体関係になってしまった。

ここらへんの過程は分からんけど、無理やりだったのかも。


無理やり迫る → 夫に言われなくないならもう一回 → 徐々に性奴隷に。


って事なのかねえ


531:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/12(月) 01:06:06.93 ID:???
>>524
純子の母は松永に純子と別れるように頼みに行ったら別れる代わりに付き合ってくれとか口説かれて関係を持ってしまったとか

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 22:05:42 ID:???

緒方静美 44歳
軽さに味がある


643 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/12/22(木) 15:17:06.53 ID:OeKhbnoh [1/2]
母は当初は娘が交際している松永が妻子ある身というだけでなく
母の実家の資産を調べていることを知って、私立探偵を雇って松永を調べるほど松永を不審に思っていたのに。


503 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/12/13(火) 20:40:08.73 ID:???

関連本によると、母親って美人で通ってたんだってね

普段から誉められたりしてて、まだまだ女性として自信持ってたからこそ娘と同年代の男に口説かれてあっさりはまったんだろうというのは想像できる

女性として終わってる感覚の人は、そう簡単には引っかからないもんだ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1338492561/


429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 19:38:47 ID:???

松永と腕を組んで歩く静美さんの写真 upして


431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 20:22:12 ID:???

静美さんは松永にメロメロだったらしいけど、松永ってそんないい男かな?

若い頃の画像見てもとくに印象に残った特徴はなかった。
背も低いっぽいし、サイコパスの能力がなければ並みだったろうなと予想。


434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:22:40 ID:???
>>431
年齢差があるからな。

おっさんから見たら、20も年下の女だと少々ブスでもかわいくてしょうがない。
男女が逆でも同じだろう。


436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 02:45:43 ID:???
>>431
相手の外見じゃ無いんだよ
快楽に溺れたオバサンはそうなんだって

SEXしてくれる若い相手を捕まえると放さないからw
http://valevalen.blog98.fc2.com/blog-entry-253.html

577:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 20:28:32.53 ID:???

緒方家は手切れ金まで用意したけど松永に子供を取られたくない純子が別れるのを拒否した

この時点で純子の罪を隠さなければと思っていた緒方家は松永の言いなりになるしかなかったんだろ


574:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 18:56:23.12 ID:???

緒方父は松永を利用しようとしてたんじゃない?
純子を時効まで逃がしてくれるって意味で。

もちろん松永の方が何枚も上手で、金を搾り取った後は殺すつもりでいたみたいだけどね。
http://2chnull.info/r/archives/1327598130/1-1001

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/29(日) 17:49:59.88 ID:???

元警官の人も最初は

「松永が義姉をたぶらかしてるに違いない、俺が一言いってやる」

と毅然とマンションに向かったらしいけど、 隠された男のプライドを見抜いてた松永がいきなり礼儀正しく出迎えて、彼を他のメンバーと別格のような対応をして、酒盛りして少しずつ自分は理解者で味方だと信用させてったらしい。

小説とか創作の中なら分かるんだけど、現実でここまで絵に描いたようなぶっ飛んだストーリーが出てくるのがこの事件の凄い所

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/19(金) 09:35:09.91 ID:0eB4cl7+

主也って人、ホモ虐待受けてたんじゃないかとおもう。

死んだ時、腹から黒いものとか、異臭とかだったよね。
ケツからなんでもかんでも入れられて、入れさせられて腸が破れてたんじゃねーのかな?

オウムでも自衛官や警察官の信者が、ホモsexさせられてビデオにとられて、脅されててんだよね。

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/20(土) 12:16:37.55 ID:???

コンセント刺したままテレビの修理してて指を通電したことがある。
ほんの0.5秒くらいだけど、激痛が走った。
暫くは指がジンジンしてた。

ワニクリップで左右の大陰唇を挟まれて通電されたらまさに地獄だろうな。

女性器に通電する時は裸で仰向けにしてたらしいが、その時はスノコに手足を縛り付けてたんだっけ?

いくら恐怖支配しててもあの激痛には拘束してないと逃げ出すと思うが。


287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/04(金) 09:39:11 ID:???

僕も女性の乳首に電流を流してみたいです。

女の子はどんな顔するんだろうなあ。
松永は目を輝かせて見てたらしいけど。


457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 23:48:11 ID:???

静美さん、理恵子さんを両方仰向けに寝かせ。女性器に通電。

主也はそんきょで見ているだけ。

緒方家の女性はたまたま、マゾでよかったけど、普通の女性は二階から飛び降りて複雑骨折。
精神もやられているよ。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1338492561/

240:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/25(土) 01:49:28.38 ID:3szttDW5

消された一家をまた読みなおしてみたけど本当に酷い事件だな

10歳の彩ちゃんはガリガリに痩せ細り当時二歳だった松永の次男のオムツがはけるほどだった。

毎日通電され顔や性器にも通電されていた。

241:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/25(土) 01:52:57.90 ID:3szttDW5

恭子の証言

「彩ちゃんは簀の子の上に全裸で仰向けに寝かされて手足をひもで縛られていました。

松永が太股につけろ!

と言って緒方がクリップを太股の外側と内側に取り付けて松永が電気を通しました。

彩ちゃんは体を痙攣させました。声はあげていませんがヒクヒクとしゃっくりをする感じで音を出していました。」


417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/18(日) 23:18:07 ID:???

裸にエプロンで家事させてたんだっけ?


892:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/30(月) 18:52:12.55 ID:Qn1/CljE

純子や少女の証言によると


・監禁していた人間に対しては(緒方優貴を除き)男女を問わず性的サディズムな通電をした

・純子と理恵子は奴隷ランク下位時に上半身裸(両乳首に小さく切ったガムテープを貼るのみ)・下半身パンティーのみの姿だった

・少女は主也を誘うように松永に言われたこと(弱みになるから)

698:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/17(土) 16:18:59.56 ID:???

親から子どもへの通電もあったよね。

結婚詐欺で監禁され逃げ出した女性は、三歳の娘を殴るよう命令され、手加減したら、通電された。

通電が怖くて力いっぱい叩いた。と、証言している。
http://2chnull.info/r/archives/1327598130/1-1001

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/06(月) 23:39:14.01 ID:o1IA2qda

赤ちゃんを叩き殺され別府で入水自殺した女性は松永らと宿に入ったところ
を逃亡して海へ。

曽根のアパートから飛び降り骨折打撲した女性も重度のPTSD

凄い恐怖だったんだろうな。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1338492561/

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/06(水) 23:05:59 ID:???

弱みというか、実際にはある程度の支配をしてから弱みをつく感じだな。
いきなり、弱みを指摘しても、開きなお慣れたら終わり。むしろ「何だ、お前」となる。

理恵子を抱いたのも、排泄・食事や睡眠もコントロールされ、心身が疲れ、そこで神である松永に屈服して畏敬の念から身をささげたのだろう。そして、それが弱みになる。

浦沢直樹の「モンスター」というのが、自分では殺さない点で似ていると思った。


738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 12:24:53 ID:???

通電虐待が始まる前は徹夜で酒宴やってたらしいけど、
ここで取り込まれたら後は奴隷へまっしぐらなのかな?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/19(金) 01:43:48 ID:???

サイコパスは親の教育じゃないからな。親も手を焼いたと思うね。


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/19(金) 12:50:17 ID:???

宅間家は、兄貴が自殺で母親は気が狂ったからな


9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/20(土) 00:43:21 ID:6VV+pAVW

類は友を呼ぶってマンマ 友人だけじゃなく、恋愛関係もそう すべてに通じる
よく考えりゃ学校時代のいじめっ子もそうだけど、そいつに媚びへつらう取り巻きもマジろくな奴いなかったような・・・

あの「監禁王子」も資産家のイケメン坊だったが、父親が酒乱の女好きの暴力男でそれで母親自殺してるし(母親も相当イカレタ女だったらしいけど)
父親も何でも金か暴力で生きてきたロクデナシ男なんだろう

こいつは父親が大嫌いで「父親に復讐してやる 一生苦しめてやる」つってあんな事件ばっか起こして、その度に父親が被害者に多額の示談金払って尻拭いしてた
そういやこいつの餌食になった女も、出会い系とかキャバクラ(安いとこ)とかの女ばっかだったね

傑作だったのが、女脅迫して自分の家に来さすのに、律儀に交通費送ってやってたとこ(2・3万程度だったけど)
んでまた女もその金で新幹線のってノコノコやってきたっつうからマジ笑える

やっぱこんな男にひっかる女もそんな程度のモンなんでしょ


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/20(土) 11:48:16 ID:6VV+pAVW

倉田真由美の「ダメンズウォーカー」って漫画読んでみ
プチ松永とプチ緒方のケースがゴロゴロ
 
まさしく馬鹿男と馬鹿女のギャクオメデタ恋愛
浅はか女のおメデタサも ヤクザ男のロクデナシさと同程度

私の周りでも ここまでひどくなくても


気がついたら他の女と結婚されてた(勤め先の上司の娘とか 自分より若くて綺麗なスチュワーデスとか)
それでも
「どんな事があっても私は彼を信じて彼への愛を貫くわ!」


自分の他に何人も女がいるの知ってても

「私は彼の事本当に好きだから!」
(ってか彼が本当に愛してるのはこの私だけ 本命の彼女は自分だと疑わないんだろうね こういう女は)


お金貸したらそのままドロンされたとか 全く音信普通になったとか それでも

「私のことすごく愛してくれてて 大事にしてくれたからだわ!」
(どうやら全くカラダの関係がなかったらしい ってか付き合った期間もたったの2ヶ月だったり)

んでまた類は友を呼ぶで こういう女ってこういう女同士でたまるのよね(なぜかしら?)

お互い

「そうよねそうよね これこそ真実の愛よ!」

とかいって 恋愛映画のヒロイン気分で自分にひたすらウットリと酔いしれる
他は 自分より綺麗な女とか いい男と付き合ったり結婚した女とか 女芸能人の悪口とかで盛り上がるだけ(自分のほうが上だと勘違いしている)

悪徳新興宗教とか自己啓発セミナー(トシがひっかかったようなやつ)いったらこういう奴らばっかり

こんな奴らといるとアタマおかしくなると思うよ マジで

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/27(土) 18:53:46 ID:???

いろんな本を読んだけど、どうしてもわからない。
大の大人が4人もいて、どうして「反撃」できなかったのか?

「電線クリップ」を取り付けられるまでおとなしくそのまま待ってる光景を想像すると、滑稽に感じてしまう。誰かに抑えられても無いのに。


26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/27(土) 21:43:28 ID:???

女を味方につけてたんでしょ


28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/27(土) 23:56:37 ID:???

洗脳の専門書読んで知識つけてたんだよな


29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/28(日) 17:34:20 ID:???

毎晩、嫁と太のSMショーを見せつけられて、敗北感を焼き付けられたんじゃね?ハーレム状態だって言うし。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/24(水) 20:30:46 ID:???

松永に監禁されてた女性は、逃げ出すことに成功したけど
その後精神病院に入院してるね。

少女も、普通の精神状態で生活は無理なんじゃないかなあ。
絶対病むよ。


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/28(日) 12:29:38 ID:pUTsjtxj

せめて静美さんがしっかりしていたら(松永と寝なかったら)、
あんなことにならなかったと思うんだが…。


101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/28(日) 15:36:01 ID:kQOTONCE

ネットでは松永は殺害された虎谷久美雄の姉(監禁少女の伯母)とも寝たという情報まであるが…


>どっちにせよ、二人(誉、主也)がもう少しシッカリしていればよかったのか。
父は松永にかなり心酔してたっぽいがな。
松永は人たらしで弱みを見つけて脅迫するのが上手かったんだろう。


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/24(土) 22:23:59 ID:3XU3GqTQ

少女と緒方が協力すればもっと早く抜け出せただろうけど
確か二人は犬猿の仲でめちゃくちゃ仲が悪かったんだよね
逆に、そこまで仲が悪いのに証言一致してるから
多分証言の信頼性上がってるんだろうけど

これも恐らく協力されたら困る松永が操って少女と緒方の仲を悪化させていたんだろう
緒方は本来であれば子供好きだったはずだし

あと少女は恐らく松永に気に入られてたんだろうね
脱出して連れ戻されたこともあるのに、7年生き残れてるのは奇跡
虐待はされてるけど、緒方よりも軽い

松永は、緒方の後釜に少女を据えるつもりだったのかもしれない
だから余計に緒方は少女のことが嫌いだったろうし、
少女も、自分をコキ使う緒方が嫌いだったんだろう


158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/03(月) 18:47:44 ID:???
>>129
この事件の基本は「被害者同士を争わせること」。

階級社会で最下位をイジメ殺すような感じ。順位を上げるために他人をいかに陥れるかを考えさせるように洗脳する。

純子は流布院に逃げるまでは少女よりランク上、その後は少女よりランク下。この時に純子を見張ったのが少女なんだから。

少女は純子の死刑を望んでいる。純子もだが少女も殺人犯であり犯罪者なんだぞ。
おそらく今でも少女は松永のところにいたときのように、詐欺まがいを繰り返している。

被害者を犯罪実行者にして罪の意識を植え付けるのが松永流。


130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/24(土) 22:35:07 ID:0RaLfnNe

少女が法廷で自分の父親が水を欲しがっているのを
冷淡に突き放した純子が忘れられないと証言していることからも
この二人の仲の悪さが窺い知れる。


137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/26(月) 02:55:38 ID:???

少女が緒方を嫌いになるのは仕方ない 必然だよ、親を殺されたんだから

緒方は少女を競争相手と思ってたんだろうな
あと、少女のことを

「ある程度外出も許されてたのに通報してくれなかった!許せない!」

と逆恨みしてそうだ


183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/15(土) 23:25:01 ID:???

最初の被害者の男性も、緒方家婿養子も、虐待のすえ衰弱死している。
緒方家母は、キチガイになったし。

純子は、やはり加害者側の側面が強いんじゃないかな。
本当にすごい虐待されてたら、衰弱死してると思う。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/15(土) 23:47:23 ID:bEK45vQ2
>>183
重要な手駒だったと思うよ。 異常な状況下で、絶対的支配者が親衛隊長みたいなのを任命して、そいつに色々やらせて自分の労力を省くやり方。

これの一般的にあるバージョンが、バイト先なんかによくいる威張った古株。
責任者からおだてられてたり使命感を植えつけられて、リーダーとして振舞って
責任者の人の代わりにみんなを統制して、憎まれ役まで引き受けてくれる存在。


185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/16(日) 08:22:23 ID:???

自分の彼氏と自分の母親がSEXしてりゃ憎みたくもなるだろw


186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/17(月) 01:21:00 ID:???

でも純子だって松永に妻子がいることを知りながら付き合ってた。
それにしても田舎の女はなぜこうもガードが緩いのか。


187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/18(火) 22:01:18 ID:???

田舎は娯楽がないからねえ。
男女の営みくらいしか、楽しみがないんだろ。
結婚も早いし子どもも多いじゃん。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/09(金) 20:02:45 ID:???

この事件て・・、
家族や身内同士でセックスさせてたって本当なの?


385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/10(土) 00:25:14 ID:???

緒方家の女たちは全員松永のセフレだった
最後生き残った少女も中学生ごろからそういう扱いを受けてたらしい
彩ちゃんは不明


416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/18(日) 23:10:20 ID:???

気の強い理恵子さんが、松永に屈服して亭主の前で犯され、感じるところはエロ小説的でいいね。
http://valevalen.blog98.fc2.com/blog-entry-253.html


335:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/01(木) 17:21:17.11 ID:???

松永(上司)に、自分の妻(ある意味所有物)を公然と寝取られる

反抗を試しみるも、義姉純子(上司)による電気ショックで心が折れる

自己嫌悪の末、精神崩壊

後日松永に誘導されて、静美(義母)、彩(娘)と性交


344:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/01(木) 20:02:38.24 ID:???

一時の劣情にかられて、娘、義母と性交

自己嫌悪と松永の嘲笑で、自尊心剥奪

松永の意向、圧力がかかり、みずからの恥のもとである義母、妻、娘を殺害、さらに精神崩壊

魂の抜け殻状態にされてから殺害される


というコンボじゃないかと思う
http://2chnull.info/r/archives/1327598130/1-1001


736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 09:59:59 ID:thir46jw

夫の目の前で理恵子を孕ませたなんて最高だな


737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 11:36:39 ID:k6w+3Guo
>>736
その頃は旦那達と別のマンションに松永と理恵子は移ってチョメチョメしてたらしい。
旦那が嫁が結婚時処女じゃなかったことを松永に聞かされて、取り込まれていくんだよな。処女厨は…


518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 10:14:24 ID:???

女たちは松永の正妻の座をかけて争ってたらしいが
最終的に正妻となれたのは?


519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 11:52:16 ID:gp7pWk9G
>>518
正妻は様々な状況や松永の気分で変わりましたし
全ての監禁された女性と(小学生も含む)と関係がありましたが
最終的な正妻は純子です


520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 12:08:54 ID:???

何かと優遇されてた少女が正妻っぽく見えるけど(実際少女>純子な扱いだった)
労の中でも一緒な純子が妥当でしょう。

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/14(土) 00:59:52 ID:6swLSZuq

親子丼でしかも、姉妹でとは
そこには、男の浪漫が詰まってるもんな!


544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 16:23:48 ID:???

純子
純子母
純子妹
前妻
純子と付き合い始めた頃の愛人×10人前後
第二の金主(別府湾飛び込み)
恭子の父死後の第四の金主・貴子(入院)

主也が死ぬ前に会いに行った愛人
恭子の伯母・雅子
(恭子?)

消された一家に出てくるだけで
これだけの女と関係持ってるもんなあ。


545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 18:05:30 ID:???

はっきり言ってうらやましいね。
彼女、彼女妹、彼女母、3人並べてぶち込めるんだぜ。

しかも彼女妹、彼女母の亭主を前にして。


611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/08(水) 22:16:08 ID:???

静ちゃん、純ちゃん、理恵ちゃんでトリプルフェラ
純ちゃん、理恵ちゃんのキャットファイトもいいな
熟女の静ちゃんにはオナニーショーでも見せて貰おうかw


546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 22:26:36 ID:???

前妻との婚姻期間中にも女は絶えなかったらしいよ。あいつそんなにいい男か?


548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 23:47:51 ID:???

どうせ緒方家の女以外でも脅迫しつつ関係を持ってたんだろ?


551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 10:34:02 ID:???
>>548
あいつは獲物を見定める能力と獲物をその気にさせる詐欺師能力は ずば抜けている。

ギリギリで難を逃れたが恭子の伯母もすっかりその気になってたし、あいつと
関係があって、本性を見る段階まで行ってない女は口を揃えて
「まさかあの人が!?信じられない」と言う。


552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 11:05:05 ID:???

流石だぜ。松永。


554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 18:03:03 ID:???

松永さん、カッケー


556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 11:10:55 ID:???

松永はサイコなんだろうが 先天なのか後天なのか。

対等な人間関係とか作れないんだろうな。
うんとガキの頃ならまだしもある程度の年齢になってからは主従関係(無論自分が主)でしか物事を考えられなかったんだろう


557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/20(金) 06:07:53 ID:???

松永はマメ男ですよ。
女遊びに慣れてるだけあって気の使い方は素人ホストw
嘘もうまいけど教養がないのが残念。


558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/20(金) 16:49:54 ID:???

それも結局、最後に自分の しもべにする為の演出だからね


566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/21(土) 17:21:26 ID:???

親友、恋人、家族などとも支配する側とされる側とか、上下関係とかそんな考え方しか出来ないのか。


567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/21(土) 18:00:17 ID:???

田中真紀子も似た様な事言って騒がれてたじゃん
世の中は「敵と味方と使用人」だと

まぁ、君なら使用人だろうなw


574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/22(日) 20:41:58 ID:???

消された一家に、家族間で序列があったか知らないけど、
少なくとも松永と関わるようになってからは、変な序列ができてしまってたね。

序列が一番低い人間が通電等の対象になるし、序列は松永の気分で容易に入れ替わる。

家族間で序列争いは熾烈を極め、家族愛は消されて、松永に対する忠誠心しかなくなって・・


712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 14:11:36 ID:???

変な話、この少女が逃げて来なければ、一生、この事件は露呈しなかったね。
よく松永はこの少女を殺さなかったと思う。


722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 12:43:51 ID:???
>>712
最後は純子にすべて押し付けて自殺させ、松永は虎谷に成りすまし、少女Aと親子関係という名前の夫婦になる予定。
で、初期の純子みたいに詐欺に加担させるつもり。


714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 19:13:10 ID:???

純子も少女も逃げたけど殺されなかった。
たぶん松永は二人に代わる人材育成できる自信がなかったんだろうな。
だから緒方家の人も、絶対服従してたにも関わらず殺した。
http://valevalen.blog98.fc2.com/blog-entry-253.html


164:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/20(月) 23:12:04.83 ID:???

松永は最後に純子を殺すつもりはあったのかな


166:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/21(火) 00:40:36.14 ID:???
>>164
純子に子供達を処分させてその後に自殺しろと言ってた
その後は少女の父親に成り済まして生きて行くつもりだったらしい
http://2chnull.info/r/archives/1327598130/1-1001

371:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 22:26:27.24 ID:KDcpdZ2h

松永の実家とか幼少期の話が出てこないけど、どんな育ち方したんだろう。


372:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 22:29:12.31 ID:???

金持ちのボンボンだよ。確か。


587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 15:36:22 ID:???

そういや松永の家庭の詳細は全然出てこないのね
商売を営んでいたなら、近所の町会あたりに出没してるはずだけど
鬼女板でまったく話題になってない所を見るとやはり○なのかな?と思った


596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 22:27:12 ID:???

松永の母は部落民、婿養子の父は朝鮮人。

初婚の相手は部落民、嫁の父親は部落利権運動幹部。

地元では有名w

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/08(水) 03:33:30 ID:???
>>596
今はそういう事も名誉毀損になるから気をつけてね。


599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/31(火) 23:22:47 ID:???

松永の裁判で、被害者が

「わたしが頼めば同和資金から借りられる」

と発言したと証言してるよね。 同和資金からの借り入れなんて一般人は知らないよね。 これは松永の知識と考えて間違い無いよね。

松永は同和と繋がり有るよね。
http://valevalen.blog98.fc2.com/blog-entry-253.html


454:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/09(金) 14:39:07.37 ID:44tb6k2o

佐木隆三本によるとワールド社員が

『松永の実父から「実弾付きのチャカだ」とピストルを見せられたことがあった」

と裁判の証人として証言したことになっている。

松永の実父は拳銃を入手できるくらい暴力団と親しかったんじゃないか?
http://2chnull.info/r/archives/1327598130/1-1001

92 :可愛い奥様:2012/10/22(月) 16:46:06.46 ID:ZJ07mE1o0

これだけの凶悪事件を起こした重大犯罪人にしては、こいつの過去が一つも晒されていない。

犯人が日本人の場合は、親戚、何十年も前の同級生、会社関係、全てを晒して追及するハズ。


348 :可愛い奥様:2012/10/22(月) 20:10:38.73 ID:+HRne/s/I

民事不介入を盾に見て見ぬ振りをしてきた警察もだらしないけど
所謂『被差別者』に対して強行な捜査をすると、人権派やマスコミがうるさいんだよね
こういう事件が発生するようなシステムが着々と作り上げられてきた

350 :可愛い奥様:2012/10/22(月) 20:12:54.41 ID:BlIlLPpE0

日本人なら微罪でも逮捕するのに、ZやBなら殺人などの重罪でも野放しって
なんかおかしくない?

この国は異常だと思う。


252 :可愛い奥様:2012/10/22(月) 19:06:36.79 ID:WDfpNV++0

自分が住む部屋でよく殺すよなあ
その辺の神経がやっぱり日本人じゃないって感じ

199 :可愛い奥様:2012/10/22(月) 18:25:38.57 ID:nmbOKVO+0

北九州でも、松永が、嫁の母親や、妹を 嫁の父や、妹の旦那の前で犯して、そのときに、

「私は、松永の性奴隷です。松永のチンポが欲しくてたまりません」


と何回も言わせていたらしい。

親族同士の暴力、性行為というのは、マインドコントロールの常套手段なんだろう。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1350881970/


24 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/10(金) 05:28:27 ID:ir+d1hLgO

なんか理由のわりには殺し方が酷すぎるし
場所柄、犯人達はBかと思ったけど実際そこら辺どうなんだろう


25 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/10(金) 10:30:02 ID:8v87lpOHO

男は水巻じゃなかったか?
片野、東篠崎あたりはどうなんだろう?
俺が今、東篠崎に住んでるけどこんな静かで住み良い町はないぞ
前住んでた田舎より治安も便利さも何倍もいい。


186 名前:本当にあった怖い名無し[sage]:2009/07/22(水) 23:26:44 ID:Kh4fZyav0

松永が借りてたマンションは3軒あって、1軒は片野であとの2軒は東篠崎。
東篠崎の方もパトカーが止まってたり、お巡りさんが立ってたりした。


50 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/13(月) 23:06:29 ID:P4M6SHcHO

やっぱり犯人は在日か部落?


64 名前:本当にあった怖い名無し[sage]:2009/07/14(火) 09:01:47 ID:KJOmIU1h0

北九州って、生活保護おにぎり事件もあったし、ヤクザ多いし、部落多いし、
大阪に負けないくらいヤな土地柄だね


178 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/22(水) 07:59:48 ID:QsaR/pBwO

九州というか福岡がやばすぎる
強姦発生率は毎年のようにトップで暴力団も部落民も朝鮮も滅茶苦茶多い


156 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/20(月) 11:05:29 ID:1+y0XOqt0

松永は日本人だと思う。
日本人は朝鮮、中国と比べて凶悪犯罪者が出る確率は低いが
本当にごく稀に突然変異のようにこういうやつが出てくる。

そもそも本当の日本人は恐ろしく頭の回転が速く好戦的な民族
アメリカの様々な政策によって日本人の凶暴性はだいぶ失われたと思われたが
ここ数年の日本の犯罪を見ていると昭和後半くらいから隔世遺伝として蘇ったように感じる。

166 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/21(火) 18:01:21 ID:UBHo02ZWO

松永の場合は朝鮮の血とかではないだろ
そっちじゃない

日本人だと思うよ
だけど非人

九州は日本で一番 部落民が多い所だよ
報道の規制のされ方もいかにもじゃないか

187 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/22(水) 23:30:16 ID:mF4Hkvok0
>>166
>九州は日本で一番 部落民が多い所だよ

日本最多の同和区民は今も昔も大阪だ


189 名前:本当にあった怖い名無し[sage]:2009/07/23(木) 01:05:08 ID:yJGryrCG0
>>187
福岡だよ
20万ぐらい居るらしい


190 名前:本当にあった怖い名無し[sage]:2009/07/23(木) 01:08:27 ID:yJGryrCG0
ごめん兵庫だった
 
大阪府人権ホームページ
同和地区人口は兵庫県の16万3,546人が最も多く、福岡県の11万4,482人、岡山県の5万8,635人、奈良県の5万6,130人、三重県の4万8,238人、和歌山県の4万6,316人、愛媛県の4万4,685人、高知県の4万3,552人、埼玉県の4万1,496人がこれについでおり
http://www.pref.osaka.jp/jinken/measure/kunidowa/d1_2.html


最も多くの同和地区人口を抱えるのが30万5051人を擁する福岡県、続いて、21万3819人の長野県、20万6156人の兵庫県となっており、最も少ないのは長崎県で2293人とされている。

一般に西日本に多いとされるが、東日本にも存在している。

以上wikiより。福岡だね。

168 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/21(火) 21:43:12 ID:FmpkqYyo0

松永の残酷性は確かに稀に見る日本人犯罪者特有かも。

チョン系の犯罪者とは違って
火病起こして怒りに満ち溢れてるって感じじゃない。
ゲームのようにあくまでも冷静に犯罪を楽しんでいる。

逮捕されたときの報道陣に会釈しながら笑ってた映像見たけど
目つきがやたらと怖かったな。
「在日か?」とも思ったけどあの様子見てすぐに「日本人だな。」と思った。
http://grocult.blog34.fc2.com/blog-entry-175.html


名無しさん@ニュース2ちゃん 2012年10月17日 00:09

同和と在日のコンボの事件だから報道も過熱しないだろうな。


名無しさん@ニュース2ちゃん 2012年10月17日 17:35

捕まってだいぶたってるのに主犯の情報がほとんどでてこない

いつもなら犯人の過去を喜んで暴くマスゴミに在日か同和団体から圧力がかかってるのだろう


名無しさん@ニュース2ちゃん 2012年10月17日 17:47

警察はともかく役所には強制執行の権限が無いから、ヤクザやらこの手の頭のおかしい連中には何も出来ないのが実情だよ。下手すりゃ役所の職員だって同じ目にあう。

名無しさん@ニュース2ちゃん 2012年10月17日 17:50

昔は確かに警察は民事不介入、家庭内のいざこざも原則不介入だったからな

親族のおっさんが警察に何回も言ったがほとんど相手にされなかったらしい。

今では、DVがらみも犯罪になるから通報されれば警察も動ける。
ここまでひどいと即逮捕になるケースだろう。
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-2754.html


21 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/09(木) 08:45:23 ID:6TINrS7TO

これって最終目的は何?
皆殺しして金品取ったとかの強盗殺人だったの?


23 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/10(金) 04:53:49 ID:5PfFb4yL0
>>21
働きたくなかったから、内縁の妻の家族を騙し金をいろんなとこから借りさせて その金で生活していた。足りない分は外で愛人作って貢がせた

208 名前:本当にあった怖い名無し[sage]:2009/07/24(金) 05:25:19 ID:l9XdgykUO

福岡のローカルニュースで

「松永に毎月25万送り、子供二人を預かってもらってた」

という女性がインタビュー受けてた。二人の子供は竪林あたりのアパートで生き残りの少女が面倒みてたはず。

もしかするとそうやって複数の子供を預かり、親が失踪あるいは仕送りを止めると殺したりしてたのかもね。

他人に子供を預けるくらいの母親だから男と逃げたりとかもあるだろうし。
http://grocult.blog34.fc2.com/blog-entry-176.html

29 名前:本当にあった怖い名無し[sage]:2009/07/11(土) 21:15:00 ID:O6L2f+J10

しかしこの野郎(犯人)と女1人だけなのにどうして皆抵抗とか出来なかったのかね


30 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/11(土) 23:42:29 ID:F4AQe5790

みんなが殺害に関与していたから
主犯の男に、バレたら全員死刑になると脅され全員それを信じていた。大人たちも。


39 名前:本当にあった怖い名無し[sage]:2009/07/12(日) 18:17:38 ID:+INziaTu0

例え殺人罪でなくとも家族が揉め事などに巻き込まれている事を
ご近所とかに知られたくなかったんでそ

それほど世間体を過剰に気にする一家だったということ
そこを外道に付け込まれた

49 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/13(月) 15:30:17 ID:j4Jhhlho0

被害に遭った一家は世間体を気にしてたそうだが
家族みんな松永のため上限まで借金して家も土地も売り飛ばして人殺ししてってなったらもうその時点で世間体崩れてると思うんだが
一家にとっての「世間体を保つ」って何だったんだろうな

82 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/07/14(火) 22:35:34 ID:4SFIo1ZEi

電気ショックによる恐怖による支配と、犯罪を共有させることによるマインドコントロール。

長期間の監禁下に犯人に被害者が共感的な心理を抱いてしまう心理状況、なんて言ったっけ?それを上手く利用したんじゃないかな。
http://grocult.blog34.fc2.com/blog-entry-175.html


439 名前:本当にあった怖い名無し[]:2009/08/11(火) 07:58:30 ID:L+xgQuDx0

緒方家の人たちも少女も、世間体(緒方家の)、松永との肉体関係(緒方家の女たち)、殺人や死体の処理に実行・加担という弱みを握られてて手も足も出なかったのさ。それが松永の絶対的な自信になったんだけどね。

加えて、間断なく繰り返される通電などよる学習性無力症…
だれもが、そうされたらそうなるとは言わないけど。


438 名前:本当にあった怖い名無し[sage]:2009/08/11(火) 06:15:31 ID:k0nGN/V+O

年頃の少女は性処理に最適だったのかな…
奴隷期間も長く反抗された事がないからって油断してたんじゃないかと思う。
http://grocult.blog34.fc2.com/blog-entry-178.html

_朝鮮人が大便好きというのは本当で、在日が主犯である北九州監禁事件では


_大便排泄を1日1回に限定し

_全裸のままトイレに座らせることなく、がに股で排便させてそれを観察した

_勝手に漏らした場合、大便は口で食わせた

_言うことを聞かなければ通電といって性器に電極を取り付け電機拷問を行った

一瞬で皮膚が熱傷で破れ脳まで衝撃が来て記憶を失うほどの拷問であったそうだ


_朝鮮民族はこういうことを好むのである

_ゆえに、監禁されれば飲尿食糞を余儀なくされ、監禁された日本人は
拷問されながら大小便を食べるという地獄の監禁拷問生活をおくる羽目になります


_朝鮮人が残酷なのは当然で大陸の人は日本人とは文化背景が違います

チンギスハーンの拷問好きは有名ですし、中国も拷問文化でした朝鮮人の李氏朝鮮もそうです。よって在日に監禁されると大変なことになります


殴る蹴るの基本的なものから、

タバコの火を押し当てる、

ハンダコテで体中焼く、

尿道にマッチ入れて火をつける、

在日が起こした北九州監禁事件のように電撃を与える

大小便を食べさせる


など拷問の種類には事欠きません


女性であれば、激しく輪姦・撮影されたあげく、

全身にピアスを通され

穴という穴は拡張され、


在日が起こした女子コンクリ事件では

鉄アレイを膣と肛門にいれ蹴飛ばしていた有様です


在日を日本人と同じと思ってはいけません、農耕民族と大陸の殺戮民族では文化が違うのです

x・かわいい娘がいるとこうなります

x・全裸首輪で性奴隷家畜便器として完全監禁

x・少しでも反抗したらタバコの火を押し当てたりしていうことを聞かせます

x・何回も犯されてガバガバになり腕が入るまで広がりきります

x・尻の穴もそうなります、

・栗には太いピアスがされるでしょう

・SMビデオやスカトロビデオ撮影もあるでしょう、

・厳しい拷問生活で かわいい娘は大便と小便を喜んで四つん這いのまま食べるようになります

・こうして肉便器になり、最後は利用価値がなくなったらスナッフビデオといって
拷問して殺すところを撮影してお金にしますので、それからドラム缶でコンクリ詰めにします


↓このままではこうなるでしょう↓

_おまえら日本人は1つ1つ家庭を破壊されて

_在日に裸で鎖に繋がれて監禁されて

_食事は小便と大便や1日500キロカロリー制限食にされ、

_睡眠時間は3時間で排便は1日1回など制限され、


男は何度金玉を蹴られて泣き喚く羽目になり、

見せしめにペンチで玉袋を片方つぶされるなどされて からだも動かないように徹底的に痛めつけられ


女は毎日強姦と拷問されてSMスカトロエロビデオ撮影の上、親族はお金奪われ 先祖伝来の土地を渡して最後はスナッフビデオ撮影に使われてドラム缶に入れられて死ぬしかないねん

警察も守らないし近所も守ってくれないからなあ


報道規制のあった北九州監禁殺人事件の真相まとめ

北九州監禁殺人事件は、1996年から98年にかけて北九州市のマンションで起こった監禁・連続殺人事件。

男女7人が死亡した事件で2002年(平成14年)3月に北九州市小倉北区で発覚した。
こんな大事件なのにネットを通して初めて知った人も多いんじゃないだろうか。


wikiには犯人の実名とか載ってないんですがここでは実名載せておきます。

この事件の犯人は松永太と、内縁関係にあった緒方純子。

両被告は殺人罪などに問われ一審は死刑となったが、二審は松永被告に死刑、緒方被告を無期懲役とした。

松永被告は上告。緒方被告については検察が上告した。


犯人の2人は

1996年に同居していた緒方の母(当時58歳)
妹夫婦とその子ども2人(当時10歳と5歳)
緒方の父親(当時61歳)
を殺害。

緒方の両親や妹一家は、当初は松永が金づるとして利用していたが利用価値がなくなると口封じも含め、殺害していったとみられている。

更に少女(当時17歳)を監禁し、その父親(当時34歳)を殺害した。
また松永は別の女性にも監禁、傷害、強盗、詐欺などをした。

事件は監禁されていた少女がマンションから逃げ出し、助けを求めたことで発覚した。

殺害された遺体は解体され海に捨てられるなど、日にちも経っており証拠もなかったので、捜査はかなり難航した。

この事件は非常な残虐性・悪質性すぎたためか事件に報道規制がかけられたとかで、事件の知名度自体は高くない。

発覚当初、地元の報道機関を中心に報道をしていたが、あまりに残虐であるため途中から報道機関自らが規制し、全国の報道機関での集中報道には至らなかったと言われている。

この事件の最も異常なところはここからだと個人的には思います。


人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、

家族間でさえ相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせ自分の手は汚さずに

用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。

犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と容疑者男女を厳しく非難した。

かなり複雑なので真相をまとめておきます。

松永 太
1961年4月28日生。北九州市小倉北区出身。実家は畳屋。

高校を卒業して父の店を受け継ぎ、布団販売業に転換するも、1992年に指名手配されるまで詐欺商法を繰り返す。

1980年に結婚して1男をもうけるが、1992年に離婚。その後に内妻、緒方と2男をもうける。

病的な嘘吐きで自意識が強く目立ちたがり屋。

饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心・嫉妬心が強い。

異常なまでに執念深く嗜虐的。神経質で臆病な面もあるが虚勢を張る。

緒方 純子
1962年2月25日生。久留米市出身。実家は農家。

従順で没個性的。殆ど叱られたことがなく、学校の制服や髪型を全て規則通りにする真面目な性格。

高校時代は男性と交際はなかった。短大を出て幼稚園教諭になる。

松永の内妻となり、松永の子を妊娠した際には松永が堕胎を勧めるも、

緒方は1993年1月に松永との間に長男を、1996年3月に松永との間に次男をそれぞれ出産した。

子供好きであったため、「どんなにひどい状況でも子供達に接している時だけ忘れられた」と語っていた。

しかし、逆に子供達の存在が、緒方一家の家族を脅す材料として松永に利用されるようになった。

一連の事件解明における最重要証人の1人。

2002年3月6日、少女A(当時17歳)が虐待から逃れて祖父の家に助けを求めてきて虐待事件が発覚した。

翌3月7日、松永と緒方はAに対する監禁致傷罪で逮捕された。
当初は松永と緒方の2人によるAへの傷害と監禁事件と思われた。

その後、少女Aの証言により、松永と緒方は、少女Aの父親虎谷さん(当時34歳)の知り合いで、
5〜6年前から4人で暮らすようになったが、

暮らし始めて約1年後に虎谷さんが行方不明になり、その後は3人で暮らしていたことが判明。

後日、別の場所で、少女Aが世話をさせられていた4人の子供が発見された。
2人についてはDNA鑑定で松永と緒方の子供と判明した。

残り2人は双子で、別の女性の家庭の不和につけ込んで預かった子供であった。
数日後、少女Aが「虎谷さんは松永と緒方に殺された」と証言したため、殺人事件として捜査される。

さらに少女Aは、緒方の家族6人が殺害され、遺体は解体されて海などに捨てられたと証言したため、大量殺人事件として捜査された。

少女Aの証言を元に「殺害現場と思われる場所の配管」まで切り出し、DNA鑑定を行ったが、松永が配管や浴室のタイルを交換するなどの証拠隠滅工作をしたことや、
7人の遺体がすでに完全に消滅しているために、物的証拠が何もないという状態であった。

押収物自体は1万点もあったが少女A自身全ての殺害現場を見ているわけではなく、

殺害方法も不明であることから、捜査はかなり難航。

しかしここで半年間も黙秘していた緒方が2002年10月23日に自供したことで、改めて事件の概要があきらかになってきた。

物的証拠が殆どない中で間接証拠が集められていく。




ここからは事件の発端から…
_松永は1980年にある女性と結婚して1992年に離婚するまでに、緒方と関係を持っている。

_1980年夏に松永が転校前の高校卒業アルバムから緒方に電話。話したこともなかったが会うことに。

_2回目に会った時に「結婚を考えている相手がいる」と打ち明け緒方を揺さぶり、3回目に肉体関係を持ち交際を始める。

_1984年夏に緒方は叔母に子持ちの妻帯者である松永との交際を打ち明けたため、

_緒方純子の親である誉さんと静美さんの耳に入り、別れるように緒方に求めた。

_さらに松永は誉さんと静美さんの資産状況を調べていたことを静美さんが知り、

_私立探偵に松永の調査を依頼していた。

そんな悪い印象の中、1984年8月に松永が緒方の親の誉さんと静美さんに会った際に礼儀正しく好青年らしく振る舞ったり、

妻と離婚して緒方と再婚して婿養子入りすることを約束する「事実確認書」を作成したことにより、

_誉さんは松永を気に入り静美さんは姿勢を少し軟化。

_そしてなんとこの後1984年秋、静美さんはある日、もう一度松永に「純子と別れて下さい」と頼みに行った。

_しかし松永はこれを言いくるめたばかりか、静美さんを言葉たくみにラブホテルに誘い出し、関係を持ってしまう。

_当時静美さんは44歳であった。

だが、もちろん土地持ちの豪農である緒方家の娘の緒方純子を松永が離すはずはない。

松永は嫉妬妄想にかられたふりをして純子さんを殴打し、胸に煙草の火で「太」と焼印を押し、

太ももにも安全ピンと墨汁を使って同じく「太」と入れ墨を入れた。

さらに肉体的暴力だけでなく、家族や親族に無理やり嫌がらせの電話をかけさせるなどして孤立させ、

精神的にも追い詰めていった。

耐え切れず、緒方はある日自殺未遂をはかった。

しかしこれがまた松永の思うつぼであった。松永は緒方に仕事を辞めさせ、両親に向かって

「婿養子などもらって緒方の家の犠牲になるのはいやです、縁を切ってくれないならまた自殺します」

と宣言することを強要した。

松永はその上で、

「今となっては(緒方)純子はお荷物でしかないが、私もまさか放り出すわけにもいかない。

彼女が自殺しないよう面倒をみていきます」

と恩に着せた物言いをして、このときも例の如く緒方家側に『絶縁書』なる書面を作らせている。

_この騒動により、純子は緒方家から分籍。

_次女である理恵子さんが婿養子をもらうことになった。

_徹底的に虐げられ、親兄弟からも孤立させられた純子は、

以降なすすべもなく松永の従順な手足となって生きていくことになる。

少し時間は遡りますが、

松永は高校卒業から数年後、1985年に有限会社「ワールド」という悪質な布団販売業の詐欺会社を設立し、

少なくとも1億8000万円を荒稼ぎした。

当時から社員のミスに虐待や罰金を課せ、会社を支配していた。

ちなみに、のちの一家殺害事件にも使われた「通電リンチ」は、
(電気コードの電線を金属のクリップに付け、腕などにテープで固定して通電する)

この頃からすでに社員への虐待方法に使用されている。

信販会社のセンター長にも巧妙に取り入り脅迫をしている。

1992年7月、松永と緒方は老女から約350万円を騙し取ったとし詐欺罪で指名手配される。

松永は翌月にワールドを倒産。

緒方と残った従業員の3人で石川県に逃亡した。

その後生まれ故郷の小倉に戻り、 そこで逃亡生活を始める。

最大の課題が逃亡資金のであるが、松永は取り込んだ人間を騙したり脅したりしたりして、

その家族や親類から可能な限りの額を絞り出させた。

1人残った従業員に、母親に金を無心することを強要。

しかし約3ヶ月後、その送金も途絶え、虐待に耐えかねた従業員は逃走した。



1993年、緒方は第一子を出産。
しかし相変わらず収入はなく、松永は結婚詐欺をすることに。

標的は、松永がまだ羽振りが良かった頃交際していた女性だが、当時すでに結婚して子供(3つ子)もいた。

松永はその女性を言いくるめて、彼女に家出をさせた後に、

北九州市小倉のマンションを、彼女名義で賃貸契約させている。

この時純子のことは姉と偽っている。

彼女はすべての貯金どころか前夫からもらう月々の養育費まで奪い取られ、

親にも金の無心をさせられるなどして、合計1000万円以上を搾り取られた。

お金が無くなり利用価値がなくなった頃、彼女と子供のうち一人は不審死をとげている。

一連の事件発覚後、この死と松永との関連が浮かび上がったようだ。

1993年10月29日にその女性の次女(当時1歳)は頭部強打という形で急性硬膜血腫で死亡。

その際に、指名手配中の緒方が当時存命中だった母親を名乗って搬送された病院に付き添った際には

「椅子から転がり落ちて頭を打った」と説明している。

1994年3月31日にその女性(当時32歳)は大分県の別府湾に飛び込み自殺したことになっているが、

この母娘の死亡は「限りなく他殺に近い」と表現された。

1994年、小倉での逃亡生活を送る事を決めた松永達は住まいを探すのに小倉の不動産屋を訪れた。

次のターゲットはそのときに対応した営業マンが次の犠牲者の虎谷さんである。

虎谷さんは徐々に松永に取り込まれていった。

当時、虎谷さんは10歳の娘の少女Aさんと共に内縁の女性と共に暮らしていたが、

松永と知り合って1年9か月後には、その女性と別れ社宅に引っ越してしまう。

当初は虎谷さんと少女Aさんの父娘2人で暮らしていたが、約三か月後には松永の画策により、

緒方が保育士をしていた経歴を大袈裟に吹聴して、虎谷さんの娘を預かり同居させた。

この少女が事件発覚の助けを求めた少女である。

少女Aさんを預けると、虎谷さんの生活は荒廃の一途をたどった。

そして松永は疲労が蓄積していく虎谷さんの弱みを握る機会を窺っていた。

虎谷さんは酔いが回ると「武勇伝」を 自慢げに話しだす癖があり、

虎谷さんが仕事上で行った小さな不正等を聞きだし、

それをダシに「事実関係証明書」なるものを作成し虎谷さんを脅迫。

この「事実関係証明書」は虎谷さんの署名入りで3通作成されている。

このやり口は言いがかり同然でもとにかく執拗で、

何度も何度も繰り返し相手の弱いところを長時間にわたって突いていくというものである。

これをやられると被害者は次第に消耗して、自分の言い分さえ見失ってしまうのだった。

虎谷さんは1995年2月、不動産会社を退社。

いつの間にか新会社設立の話は消え、奴隷同然の身分になっていく。

この頃から、虎谷さんへの「通電リンチ」が始まった。食事も制限され、一日中緒方による監視がなされるようになった。

虎谷さんは松永に命令されるがままに消費者金融から限度額いっぱいに金を借りては渡し、

親族、知人など考えられる限りのツテから借金してはそれを渡した。

しかしそれも1996年1月あたりまでであった。

もう虎谷さんに金を作れるあては尽き、一目見てもわかるほどの栄養失調になっていた。



_松永は虎谷さんの殺害を進めるかたわら、新たな金蔓を探し当てる。次は女性で、また結婚詐欺であった。

_この女性にも夫と子供が3人いて、そのうちの次女と松永と緒方とこの女性の4人で同居。

_この女性も消費者金融、親族などすべての手段を使って金を搾り取られた上、

_ 「通電」を受け次女もろとも監禁虐待された。

_だが彼女は命の危険を感じた末、アパートの二階から飛び降り、腰骨骨折や肺挫折を負いながらも何とか助かっている。

_しかしその後、精神科に長期入院した。

_2002年に事件発覚した頃、

この女性はPTSDを患って摂食障害に苦しみながら生活保護を受けながら生活していたことが判明している。

_虎谷さんが受けたリンチは凄惨なものである。

_食事は1日1回のインスタントラーメンもしくは丼飯一杯。

_10分以内に食べ終わらないと通電を加えた。また、つらい姿勢や直立不動を長時間強要し、少しでも動けば通電。

_季節は真冬だったが、一切の暖房器具も寝具も与えず、ワイシャツ1枚で風呂場で寝かせていた。

_栄養失調のため嘔吐や下痢を繰り返すようになると、その吐瀉物や大便を食べることを強要。

_その他にも裸にして冷水を浴びせる、殴打する、空き瓶で脛を長時間にわたって執拗に殴るなど、

_飽かず虐待を加えたという。もちろん通電はもっとも頻繁に行なわれた。

2月20日頃になると、虎谷さんは腕を上げることもできなくなるほど衰弱した。

_この頃、松永は虎谷さんの実娘である少女Aに、歯型がつくほどきつく父親の体を噛ませている。

_1996年2月26日、虎谷さん死亡。

_松永は少女Aに、

_「お前がつけた歯型のことがあるから、お父さんを病院へ連れていけなかった。

_病院へ連れていったらお前が殺したことがすぐにわかって警察に捕まってしまうからな」

と言い聞かせ、まだ小学校5年生の少女に『事実関係証明書』を書かせた。

_内容は

_「私は、殺意をもって実父を殺したことを証明します」

というもので、長い間少女を縛り付けられるものになる。

_松永は死体の処理を、緒方と少女Aに一任。

二人は包丁、のこぎり、ミキサーなどを使って死体をバラバラにし、鍋で煮込んだ上、

塊は海へ、肉汁は公衆便所へ廃棄するなどして処理した。

なおこの死体解体の直後、緒方は第二子を出産している。

_虎谷さん殺害前後から松永の指示で緒方は母の静子に金の無心をしており、緒方は次男を母の静子の実家に預けて

_1997年4月に大分県湯布院町でスナックホステスとして働くが、緒方が松永の元に帰って来なくなった。

_松永は緒方が虎谷さんを殺したことを口実に、身内に殺人犯がいることを露見すると世間体が悪くなることを盾に

誉さん、静子さん、理恵子さんを松永が住むマンションに巧みに呼び寄せた。

また、松永は緒方を自分の下に置くために、緒方とたびたび逢っていた誉一家3人など通じて

_松永自身の自殺・葬儀を捏造することで緒方を呼び戻す。

_「緒方家から殺人犯を出してもいいのですか、マスコミの餌食にされますよ、家の名誉を何だと思っているのですか」
と松永は彼らを逆に責め、

_「私が死んだということにして葬式を出しましょう。そうすれば(緒方)純子は帰ってくるだろうから芝居に協力して下さい」
と言いくるめて実行。

この芝居にひっかかり、緒方は小倉に帰ってくることになる。

帰ってきた途端、それまで押入れに隠れていた松永に取り押さえられて殴られ、彼女は家族の前で通電リンチを受けた。

緒方にとってはこの時、騙されたことよりも、家族が松永の味方をしたばかりか

彼の膝下に置かれてしまったことの方がショックだったという。

緒方はこの直後の記憶が無くなっている。こうして緒方は再び松永の支配下におかれ、

今まで以上の虐待を緒方に行った。

松永は緒方に命じて、湯布院で世話になっていた人々に電話をかけさせ、罵倒させて絆を断たせた。

味方と逃げ場を失くすためである。

もう逆らう気力もなく緒方はこれに従い、見ず知らずの自分に親切にしてくれたスナック経営者や紹介者に

「あんな安い給料でこき使いやがって、バカにしてるのか」

「親切ヅラして私をスナックへ売り飛ばしただろう」

と松永に命じられるがままに悪態をついた。

1997年4月に松永は湯布院事件で一家の誉さん、静子さん、理恵子さんをマンションに呼び寄せたのをきっかけに

久留米に住む誉さん、静子さん、理恵子さんを夜に頻繁に小倉まで呼び寄せ、

緒方の問題で逃亡資金等を名目に金を要求。

また、誉さん、静子さん、理恵子さんは昼間は仕事をして

夜に久留米から小倉まで通う生活で睡眠時間が少なくなっており、

静子さんは睡眠不足から小倉に通う途中で自動車事故を起こしている。

夜には松永から酒を飲まされながら緒方の問題を話し合う過程で家族同士の愚痴を聞き出し、弱みを握る。

誉さんらが金が用意できなくなると、松永は誉さん一家に対して通電などの虐待を行うようになり、

無理矢理でも金を用意させるように追い詰めさせて金を巻き上げた。

さらに松永は誉さんら3人に

「家の名誉のため、証拠を隠滅しなくては」

と言って虎谷さん殺害現場の配管を交換させ、証拠隠滅に加担させた負い目を負わせた。

そうした上で松永は緒方家に

「(緒方)純子は詐欺、殺人などで指名手配となっています。

_なんとか私が彼女の面倒をみながら逃げ切ってみせますから、さしあたり5年分の逃走資金を調達して下さい」

この5年分の逃走資金として呈示した額は、3000万円である。

_緒方家の人々はそんな金はないと言ったが、松永は土地を担保に借りろと強要。

_しかし土地は祖父の名義になっていた。


1997年6月
_妻の理恵子さんが毎晩外出していることから、夫の主也さんが理恵子さんに問い詰めると渋々、
_姉の純子が犯罪者であることを打ち明けた。

_元警官である主也さんはそれを聞き、松永に原因があると考え理恵子さんに同行して松永と接触。

_松永は主也さんの性格を見抜き、言葉巧みに丸め込む。

_家族に不信感を抱かせ取り込まれた彼は松永の言葉のままに、緒方家の人々を順番に殴ったという。

_さらに母(静子さん)と娘(理恵子さん)2人を犯し、

_その関係をそれぞれの夫の面前で吹聴し、なおその性器へ電流を流す。

松永という人間は彼らの上に絶対的に君臨していたのだ。

1997年8月、緒方家は誉さん名義で、農協から3000万を借り入れた。

担保はもちろん祖父名義の土地である。

その際、借入書の保証人に主也さんがなっているが、

松永のせいで住民票を移していたためうっかりそれを忘れて書類を作成してしまう。

松永から文書偽造と責められ、それを何度も何度も明け方まで眠らせずに繰り返す得意の手口で、彼を追い詰めていった。

これが松永の手口で発端は些細な、くだらないことでかまわないからとにかく責める糸口さえ見つける。

あとは思考能力を奪ってしまう一手だった。

逆らえなくなった主也さんが「子供たちを残して北九州に来るのは心配で中々こられない」と松永に漏らしたのをきっかけに、

松永は主也さん理恵子さんの子供である彩ちゃんと優貴くんを連れてくるよう説得し、

8月の小倉の夏祭りをきっかけに子供2人は小倉の松永のマンションに呼び寄せられたが、それ以降帰さず人質化した。

睡眠不足と心労により、主也さんは9月から、職場へ出勤できなくなった。

そして主也さんへの通電も、ほぼ同じ時期に始まっている。

松永は緒方一家に対して自由に外出することも禁じ、虐待によって自分たちの言うことを聞かせ、

_個々の弱みにつけこんで争わせたり、

_理恵子さんが松永の手先になって密かに盗聴器を仕掛けたことを明かしたりするなどして、

_一家を相互不信に陥らせた。

マンションの狭い一室、通電を含めた様々な虐待により、一家への支配を確立していった。

完全に松永に従うようになった。

彼の促すままに農協から金を借りては渡し、まだ残っている水田を売却すべく手続きに入る。

しかしこれが他の親族や祖父も絡み失敗に。

緒方家はもう金にならないと判断した松永。

ちなみにこれまでに彼が緒方家から搾り取った金は、6300万円にのぼるという。

1997年12月21日
松永は言いがかりをつけて緒方家の大人たちを並べて正座させ、

その場で緒方に命じて父の誉さんを通電によって殺させた。

その際、過去の些細なことから松永はまだ子供の彩ちゃんが原因に仕立て上げ罪悪感を押し付ける。

死体は残された緒方家の面々が処理せざるを得ない。虎谷さんの死体と同様の手段で、解体し海に捨てたという。

死体解体中にクリスマスや松永の長男誕生日の記念撮影が行われている。

1998年1月20日
度重なる通電と心理的負担によって精神に異常をきたした静美さんが殺害される。

しつこく何度も殺害をほのめかされ、追い込まれた被害者たちの中から

主也さんが暗に指名されて絞殺させられたのである。

このとき、緒方純子が実母の身体を押さえつけさせている。

遺体は同じく解体されて処理された。

1998年2月10日
理恵子さんは通電による難聴で「頭がおかしくなった、邪魔だ」との理由から、夫である主也さんに絞殺させる。

1998年4月13日
主也さんを虎谷さんの時と同じく、浴室へ監禁し食パンだけを与え、1ヶ月半かけて栄養失調で衰弱死させる。

そしてこのとき娘の彩ちゃんが

「お父さんが死んだみたいです」

と顔面蒼白で松永に対して主也さんの死亡報告をしている。

1998年5月17日
大人たちが全員死亡すると、彩ちゃんは松永に対して、

「このことは誰にも言いません。弟にも言わせません」

として、自宅への帰宅を願い出ている。

それに対し、松永は
「死体をバラバラにしているから、警察に捕まっちゃうよね。

優貴が何も喋らなければいいけど、そうはいかないんじゃないかな。

優貴は可哀相だから、お母さん(理恵子さん)のところへ行かせてやる?」

と暗に優貴くんを殺すことを命じた。

彩ちゃんは優貴くんに「お母さんのところに連れて行ってあげる」と嘘を吐き、

わずか10歳の彩ちゃんと緒方との2人で優貴くんを殺した。

1998年6月7日
彩ちゃんも殺害される。実行犯は純子と少女A。

電気コードをクビに巻きつかせる際、死を悟った彩ちゃんは巻きやすいように自分から首を持ち上げたという。

こうして緒方家の人間は半年の間に全員いなくなった。

松永はこうして緒方一家を皆殺しにしてしまったのちも、純子に向かって
「お前が由布院へ逃げたせいで、全員を殺す羽目になった」

と、この期に及んでさえすべてを彼女のせいにするのを忘れなかった。

2002年に少女Aが逃げ出し、警察へ駆け込んだことで一連の事件はようやく明るみに出ることになる。

祖父母宅へ少女Aを連れ戻しにやってきた松永と純子を、張り込んでいた捜査員が緊急逮捕。

また、少女Aが長らく世話をしていた4人の子供が児童相談所に保護される。

このうち2人は松永と純子の実子であり、残る2人は、

母親から養育費を巻き上げるため松永が言葉巧みに預かっていたものであった。

2005年3月、福岡地裁において検察は松永、純子の両名に死刑を求刑。

同年9月、死刑判決。

公判中も一貫して、己の「全能感」をどこでも押し通せると信じ、

滑稽なほどたわいない嘘をつき続けた松永は、ただちに控訴した。

真相はこんな感じでした。

かなり複雑でわかりにくいので人物の詳細を以下にまとめます。

被害者
少女A
松永と緒方に虐待され、2002年に脱出した少女。1984年生。
松永の支配下の間は小学生時代から酒を飲まされ、
夜中の4時頃に寝て朝7時に起こされて登校した学校で居眠りをし、
貧血を起こしたり吐き気を催したり、生理が3ヶ月遅れ、
クラスで2番目の高さだった身長が殆ど伸びなくなりクラスで2番目の低い身長になり、
1997年から2000年までの中学生3年間は約180日欠席するなど、
学校に通いながらも身体を含めて生活に悪影響が出ていた。
松永と緒方の子2人を含めた4人の子の子守役をしていた。

_一連の事件解明における最重要証人の1人。
19歳時の2004年に法廷で証言音声が流れたが、司法記者達は「19歳にしては幼い気がした」と語っている。

_被害者であるが死亡せずに生存した。
_報道機関や書籍では実名表記はされていない。

1人目の死亡者
虎谷さん
元不動産会社勤務。
少女Aの父。1961年生で松永や緒方と同学年。
死亡した被害者であるが他の死亡者と異なり、報道機関では顔写真が非公開で実名表記が伏せられており、
顔写真や実名表記は一部書籍のみとなっている。


2人目の死亡者
緒方 誉さん
農協系土地改良区副理事。緒方純子の父。1936年生。久留米の集落一族の本家で、父方の祖父は村議会議員を務めるなど名家。愛妻家。
プライドが高く、心配性で世間体を気にするタイプの一方で、我慢強く、痛くても口や顔に出さない性格。

3人目の死亡者
緒方 静子さん
主婦。緒方順子の母。
誉さんの3歳年下。久留米の農家出身。地元高校卒業後に誉さんの家に嫁入り。
良妻賢母だが、気丈な性格。松永に緒方純子との交際を話し合う際に肉体関係を結んで人生が暗転。
松永による支配下で夫の死体処理に関与。

4人目の死亡者
緒方 理恵子さん
歯科衛生士。緒方純子の妹。1965年1月生。
同級生の友達と比較すると真面目ではあり親の前では大人しかったが、
姉の緒方純子と比較すると親に隠れる場所では活発で遊び好きであった。
また結婚前に妊娠中絶経験をし、結婚後も職場不倫をするなど複数の男性と肉体関係があった。
(このことが夫Fとの夫婦仲を悪化させて事件が早期露見せずに一層深刻化させる要因の一つとなった)
松永による支配下における外出では主に買い物役を担当。
母静子さんの絞殺において足を押さえる役で1人の殺害に関与し、2人の死体処理をした。

5人目の死亡者
緒方 主也さん
農協系土地改良区事務所職員。理恵子さんの夫で、緒方純子からみて義弟にあたる。
1959年4月生。久留米市出身。実家は農家で次男。
地元の高校卒業後に千葉県警警察官になるも、
父親の看病を機に退職して実家に戻って誉さんが勤務する農協の職員となり、
婿養子という形で1986年に理恵子さんと結婚。気がやさしく生真面目な性格。
松永による支配下における外出では主に車の運転手役を担当。
義母静子と妻理恵子さんの2人を絞殺し、3人の死体処理をした。

6人目の死亡者
緒方 優貴くん
保育園児。理恵子さんと主也の長男でGの弟。緒方純子からみて甥にあたる。
緒方純子の家族の中で唯一通電を受けず、事件現場を直接目撃しなかった。

7人目の死亡者
緒方 彩ちゃん
小学生。理恵子さんと主也さんの長女。緒方純子からみて姪にあたる。
緒方純子の家族と親しくなかったAは3歳年下の同性の彩ちゃんとは親しく、
GLAYファンのAはSPEEDファンの彩ちゃんと流行歌について語り合った。
弟優貴を絞殺・母理恵子さんを絞殺の際に足を押さえることで2人の殺害に加担し、5人の死体処理に関与。

生活制限ルール

松永は相手の「弱み」「虐待」「文書」を盾に、「衣服」「移動」「睡眠」「食事」「排泄」「外出」など
様々な生活制限ルールを強いた。

衣服制限
衣服は薄着で防寒にならないものが多かった。
例として「真冬に袖を捲ったカッターシャツと裾を捲った長ズボン」「与えられたジャージとスウェット」がある。
さらに酷くなると上着が使えなくなった。
また1着しか与えられず、ごくたまにしか洗濯が許されなかった。

移動制限
部屋の中を移動するにも、一部において一方向に背を向けながら移動させたり、匍匐前進を義務付けた。

睡眠制限
布団などまともな寝具は使えず、週刊誌を敷いて新聞紙を被せるだけになった。
台所で雑魚寝だが、鼾が五月蠅いと扉と窓に南京錠がかかった浴室に常時閉じ込められた。
昼間に3〜4時間の睡眠で昼夜逆転の生活であった。

会話制限
松永の許可が無い会話は禁止された。

食事制限
食事は1日1回又は2回。
床に敷いた新聞紙や広告紙に「蹲踞」の姿勢を取って食べなければならなかった。
7〜15分の時間制限があり、他の被害者が監視役としてタイマーで測った。
食事の例として
「ラーメンの出前」「コンビニ弁当」「コンビニ白米御飯」「食パン」「菓子パン」「カロリーメイト」「生卵」で、
殆どが簡易な食事だった。

排泄制限
トイレに行くときはXの許可が必要。
小便は浴室か台所にあるペットボトルにすることが義務付けられた。
大便は1日1回で便器に腰掛け禁止。
便座の腰掛け等は他の被害者(異性であることが多い)が監視役を担当した。

物使用制限
基本的に物を使用する際には松永の許可がなければ使用することができなかった。
例として「ファンヒーター」「布団乾燥機」「絞殺道具」「死体解体道具」がある。

外出制限
マンションに来ると運転免許証と車のキーが取り上げられた。
玄関ドアのチェーンに南京錠で施錠されて自由な外出が禁止された。
外出時には携帯電話で頻繁に連絡を入れて、何処で何をしているのか報告しなければならなくなった。
松永には大体の地理が頭に入っていて、想定の時間内に所定の場所に到着することを求めた。
またガソリン代や駐車料金は逐一松永に報告して代金を貰い、
借用書を書かされる等して必要最低限のお金しか持てなかった。
マンションの部屋にも様々な細工をしていた。
全ての窓に遮光カーテンがあるだけでなく、玄関ドアのチェーンは殆どドアが開かないくらい短くなっており、
玄関のドアスコープや新聞受けも物で遮るなどして、外部から室内を覗けないようになっていた。
そしてあらゆる窓やドアに多数の南京錠が取り付けられており、
鍵を開けないと出入りができないようになっていた。

これら生活制限ルールの違反をした被害者は、松永によるさらなる虐待を受けた。
これらによって被害者は精神的に追い詰められることになった。
その一方で、松永は時々外食をさせたり、マンション内の食事に1品つけることがあり、
被害者たちに幸福を感じさせて一層松永に服従するように仕向けたのであった。
http://0.0.0.1/カップニュース記事.jp/297.html



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性奴隷にされた女性の心理とは?

6人の女性を拉致・監禁して秘密地下室でセックスの奴隷に


2011年9月。中国の河南省洛陽市で、ひとりの女性が警察に「性の奴隷にされていた」と駆け込んで奇妙な事件が発覚した。彼女以外にも3人の女性が未だ地下室に監禁されていて、他に2人が殺されて埋められたという。

この通報に仰天した洛陽市警察はただちに特別捜査隊を設置して、通報の2日後、女性を監禁していた男の身柄を拘束し、「性の奴隷」3人を救出した。彼女たちは、地下室のさらに下の地下室に隠されて、長い者で2年以上も監禁・奴隷状態でいた。

団地の地下に秘密の地下室

彼女たちはナイトクラブで働くホステス、あるいはカラオケ屋で働くホステスたちで売春を稼業にする女たちだ。売春ビジネスの途中で連れ出され、そのまま拉致・監禁されていた。

犯人は李浩という名前の34歳になる妻子ある男性だった。監禁していた女のうち、従順な女をひとり連れ出して売春で稼がせようとしたところを逃げられ事件が発覚した。

李浩も女に逃げられたのを知って高飛びするところだったが、その最中を逮捕されている。

最初この男は消防士として報道されていたが、その後、公務員とされ、さらにそれが否定されて技術者とされ、警察発表が二転三転している。

異様なのは、女たちを監禁していたのは男が自分ひとりで作り上げた秘密地下室だったことである。団地の地下倉庫を2007年に友人から買い取り、男は夜になると地下倉庫の下にさらに地下室を作っていた。

一年以上もの時間をかけて秘密地下室を2部屋作り上げられたが、団地の地下倉庫のさらに下に秘密地下室が作り上げられたことに、誰も気がついていなかった。

人里離れた山村や、隔離された特別な大邸宅の地下ではなく、普通の団地の地下にそんなものができるとは、いったい誰が想像できるだろう。

女たちを徹底的に支配し、性奴隷として調教

監禁部屋は2部屋あった。鉄の檻で幽閉されており、特に換気に注意されて作られたわけでもなく、排水設備もあったわけでもないので、地下室はひどい湿気と悪臭で充満していたという。

やがて男は、売春ビジネスをしている女たちを物色してひとり、そしてまたひとりと拉致・監禁していった。

男はここで女たちを徹底的に支配し、性奴隷として調教していったようだ。

男は自分のことを「お兄さん」「旦那様」と呼ばせて服従させ、抵抗を許さず、ポルノまがいの「セックス指導」をしていった。

もともと、男がこの「拉致・監禁、性奴隷調教」を思いついたきっかけがインターネットのポルノ動画だったということからして、男の目的は明白だった。

ポルノ動画の禍々しい空想を、この男は実現化させてしまったのである。

監禁された女たちのほうは、男を憎んでいても逆らったら食事も与えられないので男に依存せざるを得ない。

閉ざされた空間の中でセックスのみに生かされている女たちもやがて現実感を失って男に依存してしまう異常心理に陥っていくのも無理もない。

やがて女たちは、男がやってきたとき、誰が「旦那様」と寝るのか喧嘩するまでになっていったという。自分たちを監禁した人間であるにも関わらず、女たちは先を争ってセックスの相手になろうとした。

部屋には最終的に6人の女性が監禁されていたが、そのうちに誰が男と寝るかで女たちの間で喧嘩が始まり、李浩は反抗的な女のほうを殴り殺し、見せしめにもうひとりの女も殺したという。

殺した女の死体は、地下室の片隅に埋められた。

売春女性の置かれている立場

この監禁事件が発覚したのは、李浩が従順に手なずけたと思い込んでいた女に売春して稼がせようと欲を出したからだ。

監禁された人間を外部に出すのだから、その時点で逃げられると普通は考えるが、恐らく李浩は女が自分に徹底服従して洗脳下にあるから逃げるはずがないと思い込んでいたのだと思う。

従順で、協力的で、まったく抵抗の素振りがなく、「旦那様」「お兄さん」と慕っている。そんな女が逃げるはずがないと過信した。

そして、女たちを使って金を稼ごうとした。それが致命的な失敗になってしまった。

もっとも従順だと思われたひとりの女は何度か外に出されて売春して金を稼いだが、完全にマインド・コントロールされていたわけではなかったのである。

彼女は逃げ出して、警察に駆け込み、そしてすべてを語って李浩は逮捕された。


私がこの事件で注目するのは、被害者の女性が、やはり売春ビジネスに関わっていた女性たちだったということだ。

レイプビデオを100本も撮り溜めていたスティーブン・ニューバーグも、娼婦49人殺しのロバート・ピックトンも、クロスボウを持った殺人鬼スティーブン・グリフィスも、ターゲットに選んだのはみんな売春女性だった。

なぜか。売春女性はもともと世間から切れていて人間関係が薄く、彼女が夜にそこにいることを女性自身が他人には隠しているし、彼女たちがひとりふたりいなくなったところで誰も気にしないからだ。

普通の女性が行方不明になったら大騒ぎになるが、売春女性が行方不明になったところで「どこかで男を見つけてしけ込んでいるのだろう」くらいにしか思われない。

そして、たとえ殺されて死体が見つかったとしても、「自業自得だ」として社会的な大事件にならないのである。新聞にすら載らないこともある。

6人もの女性が行方不明になっているのに、社会は素知らぬ顔をしていたのである。

売春女性の置かれている立場がよく分かる。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20111008T2221480900.html


【邦画】~監禁調教された女~
http://www.youtube.com/watch?v=KUZEvrfw0Ys

都市の女子監禁——春咲あずみ 西野翔 出演
http://www.youtube.com/watch?v=RdnwTrVHHYw

アパートに女性遺体、首には犬用首輪 監禁容疑で男逮捕


ついに 来ました、キチ●イ事件。

リアル調教が事件に発展しました。


 2012年10月5日午後7時半ごろ、「同居の女性が死んでいる」と青森市八ツ役のアパートに住む男から110番通報があった。警察が駆けつけたところ、台所で女性(31)が死亡しているのを発見した。

女性のそばにはワイヤで部屋につながれていた犬用の首輪があった。青森県警青森署は同日深夜、通報者で同居していたトラック運転手〇〇容疑者(38)を逮捕・監禁容疑で逮捕した。

〇〇容疑者は首輪で女性をつないでいたことを認めているという。


31歳女性を丸ハダカ 犬用クビ輪でつないだワケ
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/557.html

イラマチオによって私はヨシエさんの口の中に精液を放出しました。

ヨシエさんはその精液を喉奥でしっかりと受け止めると口を離してからゴクリと喉を鳴らして飲み干しました。そして私の方に向かうと静かに…

「ご主人様の精液…美味しかったです…。
 奴隷のお願いをきいて下さり…ありがとうございました…」

とベッドの上で私に平伏しました。

「ヨシエ、まだここで終わりじゃないんだよ」

私がそう促すとヨシエさんはふと思い出したように…

「あ、申し訳ございません。お掃除させていただきます」

と応えて私の股間に再び顔を寄せました。

「いいか、ヨシエ、掃除はフェラチオとは違うんだぞ」

「違うのですか?」

「そうだ。フェラチオは基本的にヨダレを出してヌルヌルするのが基本だ。
 だが、掃除はその逆だ。SEXやフェラチオでついたヨダレや精液、
 マ○コ汁をキレイにするのが掃除だ」

「あぁ、そういうことなのですね…」

「だから出来るだけ唾液は出さないことだ。わかったか?」

「はい。かしこまりました、ご主人様…」

ヨシエさんは合点がいったような表情で微笑んで答えました。

「では、最初はチ○ポを咥えて残った精液を吸い出せ」

「はい…かしこまりました、ご主人様…」

ヨシエさんは私に命じられると最初にペニスを咥えて強く吸いながら尿道に残った精液を吸い出しました。

「次はチ○ポについたヨダレや精液を拭きとれ。
 舌を出して丁寧に舐めとるんだぞ」

「はい…かしこまりました、ご主人様…」

ヨシエさんは命じられた通りペニスを持つと上下に舌を動かしながら丁寧に付着した粘液を舐めとっていきました。

「周りについているのも全部キレイにしろ」

「あぁ、はい、かしこまりました…」

ヨシエさんはそう言われて陰毛や陰嚢に付着した唾液や精液もキレイに舐め
丁寧に掃除していきました。

「よし、じゃあ最後だ。ついてこい」

「はい…かしこまりました」

私は立ち上がるとトイレへと向かい、そこで用を足し始めました。ヨシエさんは前回教えた通り私の横でメス犬のお座りの姿勢で待っていました。

放尿を終えてポタポタと小水の滴が落ち始めると、ヨシエさんは私を見上げ目配せしてからペニスを口に咥えました。そして尿道に残る残尿を丁寧に吸い出しました。そして、顔を離すとペニスについた唾液と尿を丁寧に舐めとりました。そして最後に…

「ご主人様、ありがとうございました。とても美味しかったです…。
 こんなにご奉仕することで興奮するとは思いませんでした。
 自分でも本当にマゾなんだなぁ…と改めて実感しました。
 ご主人様、本当にありがとうございました」

と微笑んで答えたのです。
http://ryoujokubanashi.blog75.fc2.com/blog-entry-749.html

「いいだろう。本当に出来るならやってみろ」

私は再びヨシエさんを見降ろしながら冷たくそう言い放ちました。

「あぁ…ご主人様、ありがとうございます。奴隷はちゃんと出来ます。
 ご主人様に命令されたことは…かならず出来ます…」

「わかったから、サッサとやってみろ」

「かしこまりました、ご主人様…。ありがとうございます。失礼します」

ヨシエさんはそう言うと股間に顔を寄せてきました。そして口を大きく開いて口に溜めた唾液を舌に絡めてから伸ばすとゆっくりペニスの裏筋に這わせ始めました。

「はうう…ご主人様…ありがとうございます…嬉しいです…
 ご主人様のオチ○チン…舐めたかったです…あうう…」

ヨシエさんは吐息混じりの声を洩らしながら丁寧に舐め始めました。

そして舌先で亀頭のつけ根から先端をっゆっくりと舐め上げると舌の腹を使って亀頭全体を包みこむように舐めました。ジュルッ、ジュルッという粘着質の湿った音と共に舌と口を動かしながらヨシエさんは愛おしそうにペニスをしゃぶり始めたのです。

「いいか、ヨシエ。よく聞けよ」

「はい、ご主人様…」

ヨシエさんは私に言われて私の方を向いて答えました。

「ホラ、誰がやめろていいと言った。命じられたらいいと言われるまで続けろ」

「あ、申し訳ございません…。んふう…あふう…んうんっ…」

ヨシエさんは再び唾液の絡んだ舌を差し出してペニスの筋を舐め上げては
そのまま亀頭を舐める行為を繰り返しました。

「いいか、ヨシエ、よく心得ておけよ」

「んふっ…ふぁい(はい)…」

「私は奴隷を感情や気分で怒鳴ったり痛めつけたりはしない。
 奴隷でも子育てでも部下でも叱られる時は決まりがある」

「んふっ…ふぁい(はい)…」

「それは出来ることをやらなかった時だ。覚えておけ」
「んふんっ…ふぁい(はい)…」

ヨシエさんはペニスを口に含んで飲み込みながら私を見上げて答えました。

「今日もそうだ。フェラチオの仕方は以前の調教の時に教えておいたはずだ。
 その時はお前はちゃんと出来ていただろう」

「んふっ…ふぁい(はい)…」

「そのやり方を思い出せるように教科書と教則ビデオを与えておいたのだ。
 前回ちゃんと出来ていたことを復習しておけば出来るはずだろう」

「んふんっ…ふぁい(はい)…」

「にも関わらず、お前は今日は最初は出来なかった。
 いや、出来るのにやらなかったというのが正しい。それはお前の怠慢だ。
 だから私に叱られた。出来ることせずを手を抜いたからだ。わかったか?
 以前にも言ったが、出し惜しみせず出来ることは全て出し切れ。
 今後もそういう時は容赦なく叱りつける。そう心得ておけ」

「んふんっ…ふぁい(はい)…」

ヨシエさんはそう言われて手と口の動きを更に激しくしました。

「一生懸命やるのは調教を受ける前にしてくることだ。
 私の前ですることではない。私の前に出る時は出来る状態になっておけ」

「んふっ…ふぁい(はい)…んふんっ…」

「私もお前が出来ないと思うことは命令しない。 お前になら必ず出来ると判断したことしか課題として与えない。 だからお前は私の前に出た時は命令されたことを100%出来るようにしろ」

「んふっ…ふぁい(はい)…はひほはりはひは(かしこまりました)」

「そうだ。お前は出来るんだよ。それをしなかったから叱られる。
 これからはもっと淫乱で変態のメス犬になり切れ」

「んふっ…ふぁい(はい)…あいがほうごはいはふ(ありがとうございます)」

私はそう言いながらフェラチオを続けるヨシエさんを引き離すと…

「いいぞ、次はメス犬になってみろ」

と命令しました。

「はい、かしこまりました、ご主人様…。
 いつも奴隷を躾けて下さり、ありがとうございます。
 メス犬になって…ご主人様に喜んでいただきたいと思います…」

ヨシエさんはそう答えると立ち上がって服を脱ぎ紅い首輪を巻いてから
私の前にメス犬の格好で座り、リードを咥えて差し出しました。
http://ryoujokubanashi.blog75.fc2.com/blog-entry-765.html

女縄−裸女を縄で縛る悦楽
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%B2%D6%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%cc%dc%bc%a1%20/%20MENU
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%e6%ea%cc%e7%c5%db%ce%ec
 

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コメント
 
1. 中川隆[-5657] koaQ7Jey 2017年12月16日 08:32:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
ザ ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて・・・ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B6+%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3+%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%81%AE%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB+


『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜・午後2時〜2時55分/関東ローカル)は、普段見ることが出来ない人間の一面や人間関係、生き方、ひとつの職業を深く掘り下げて見えてくる隠された本質、記憶に残る事件や出来事などを取材し、その事柄のありのままの姿、事実をお届けするドキュメンタリー番組。

フジテレビで10月15日(日)と22日(日)の2週にわたって放送した『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…』2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人である夫婦の元に生まれ、「人殺しの息子」と呼ばれながら生きてきた息子(24)が、初めてメディアのインタビューを受けたもので、自身の怒りや悲しみ、そして苦悩の日々などを激白した。

その壮絶な証言の数々に大きな反響が集まった。番組放送後に全国の視聴者の方々から「是非全国放送でやってもらいたい」との声が多く寄せられたため、全国ネットで放送する。今回は、10月に放送した内容だけでなく、放送後、再度息子に敢行したインタビュー、母・緒方純子受刑者による未公開の手紙などの内容を加えて、再編集した形でお送りする。


スタッフ
【チーフプロデュース】張江泰之
【制作】フジテレビジョン


2. 中川隆[-5641] koaQ7Jey 2017年12月16日 12:55:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日の日本人への拷問 2016-01-18 17:25:43 | 日記

北九州監禁事件では


大便排泄を1日1回に限定し

全裸のままトイレに座らせることなく、がに股で排便させてそれを観察した

勝手に漏らした場合、大便は口で食わせた

言うことを聞かなければ通電といって性器に電極を取り付け電機拷問を行った

一瞬で皮膚が熱傷で破れ脳まで衝撃が来て記憶を失うほどの拷問であったそうだ


朝鮮民族はこういうことを好むのである

ゆえに、監禁されれば飲尿食糞を余儀なくされ、監禁された日本人は
拷問されながら大小便を食べるという地獄の監禁拷問生活をおくる羽目になります


朝鮮人が残酷なのは当然で大陸の人は日本人とは文化背景が違います

チンギスハーンの拷問好きは有名ですし、中国も拷問文化でした朝鮮人の李氏朝鮮もそうです。よって在日に監禁されると大変なことになります


殴る蹴るの基本的なものから、

タバコの火を押し当てる、

ハンダコテで体中焼く、

尿道にマッチ入れて火をつける、

在日が起こした北九州監禁事件のように電撃を与える

大小便を食べさせる


など拷問の種類には事欠きません


女性であれば、激しく輪姦・撮影されたあげく、

全身にピアスを通され

穴という穴は拡張され、


在日が起こした女子コンクリ事件では

鉄アレイを膣と肛門にいれ蹴飛ばしていた有様です


在日を日本人と同じと思ってはいけません、農耕民族と大陸の殺戮民族では文化が違うのです


かわいい娘がいるとこうなります

全裸首輪で性奴隷家畜便器として完全監禁

少しでも反抗したらタバコの火を押し当てたりしていうことを聞かせます

何回も犯されてガバガバになり腕が入るまで広がりきります

尻の穴もそうなります、

栗には太いピアスがされるでしょう

SMビデオやスカトロビデオ撮影もあるでしょう、

厳しい拷問生活で かわいい娘は大便と小便を喜んで四つん這いのまま食べるようになります

こうして肉便器になり、最後は利用価値がなくなったらスナッフビデオといって
拷問して殺すところを撮影してお金にしますので、それからドラム缶でコンクリ詰めにします

【尼崎大量殺人】角田美代子4【コンク李ドラム缶死体】


角田美代子

これだけの凶悪事件を起こした重大犯罪人にしては、こいつの過去が一つも晒されていない。

犯人が日本人の場合は、親戚、何十年も前の同級生、会社関係、全てを晒して追及するハズ。

主犯格に韓国籍の李正則がいることから在日犯罪である事は間違いない。
報道機関、特にテレビメディアは印象操作や犯人隠避の罪で放送免許を剥奪するべき。

民事不介入を盾に見て見ぬ振りをしてきた警察もだらしないけど
所謂『被差別者』に対して強行な捜査をすると、人権派やマスコミがうるさいんだよね
こういう事件が発生するようなシステムが着々と作り上げられてきた


日本人なら微罪でも逮捕するのに、ZやBなら殺人などの重罪でも野放しって
なんかおかしくない?

この国は異常だと思う。


自分が住む部屋でよく殺すよなあ
その辺の神経がやっぱり日本人じゃないって感じ


一部報道では、女性親族が

「女の私からは言えないような猥褻な格好をさせられていた」

と言っていたな。


北九州監禁事件でも、松永太が、嫁の母親や、妹を 嫁の父や、妹の旦那の前で犯して、そのときに、

「私は、松永の性奴隷です。松永のチンポが欲しくてたまりません」

と何回も言わせていたらしいからな。

親族同士の暴力、性行為というのは、マインドコントロールの常套手段なんだろう。


尼崎のコンクリート殺人で捕まってだいぶたってるのに主犯の情報がほとんどでてこない

いつもなら犯人の過去を喜んで暴くマスゴミに在日か同和団体から圧力がかかってるのだろう

もう法律で本当の国籍、本名で報道するようにしないといけないな


☆在日につかまったら若い娘は、舌をかんで自殺するしかないのですね。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/96a6656d746c7425de9a2d31c0b09e19


3. 中川隆[-5773] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:10:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日朝鮮人は何をやるかわからない

朝鮮部落の朝は、酒の臭い。2011-01-03 | 日記

私は、この朝鮮部落に住んでもう8年ぐらいたちます。

あさは、ひとのさぐりあい、ひとのけなしあい、おまけに悪口大会、
そうして、つながりといえば、兄弟姉妹のセックス関係だけです。

あんまり近親相姦がおおいので、ちんば、いざりがたくさんいます。
それに、通名も当たり前で、年賀状も通名らしいです。

この朝鮮部落の臭いは、時にねこのしょんべんのにおい。
ときに、酒の発酵した、いやなにおい、または、たまに洗濯のいいかおり、

朝鮮人が昨年しんでいきましたが、内密に葬式をしたらしく、釣り目のあつまりはみれなかったです。

そのひとは、すこしおかしなひとでした。

いつも、のぞいてました、大家にうその通報はするは、本当にいやなひとでした。
「うえから、みえるんだろう」とか
「おいだしてやる」とか

困っていたら、しんでゆきました。北朝鮮のほうへたぶん灰はとんでいったのでしょうね。

朝鮮部落の若者は、結婚しませんというよりも、できません。
または、朝鮮部落同士まぐわります。

それで、ちかくにある産婦人科でおろします。
生めない子つまり、近親相姦のこどもだからです。

性の関係は、普通の人よりも、はるかにはげしいです。
結婚できないためなのか?

ストレスの多い環境のためなのか?
すごい、年齢まで、近親相姦または、デリヘルなどでやりまくりますね。

この町のいいところは、ひとのさぐりあいですので、
孤独死はありません。たぶん大家が勝手にさぐりますからね。

朝鮮人同士の仲のよさ、それはすごいです。
ほかのものをよせつけないし、臭い部屋でも平気ですね。

孫も、ちょうせんじんなら、かわいそうとしかいいようがないです。
人間のうじですね。

私の住む町は、●●朝鮮部落です。
しかし、みんなは、ひみつにしております。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/fc08fc45f24c9891f107bc50f2a03dd7


裏には裏の道があり  2011/2/25(金)

たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。


だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。


15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。


A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html


在日朝鮮部落の性教育


ヤクザと風俗が在日朝鮮部落民の生業の定番ですが


風俗店を経営している父親から受けた異常な性教育 2013/11/12/ 02:57


我が家は変態家族です。

ネットを開けば、野外での露出やスワッピングなど、変態カップルや変態夫婦が溢れています。俺の両親は、スワッピングや乱交や野外プレイをこなしてきたタイプです。そして、俺はその変態夫婦の子供です(笑)。

両親が一番変態なのが、子供を巻き込む事に一切抵抗感がない事です。
普通はどんな変態夫婦も子供は巻き込みませんよね。

父は風俗嬢の母と結婚し、若くして脱サラをして風俗店を経営しています。
この状況だけでも一般的な家庭ではありません。
まさに変態のサラブレッドのように俺は育ってしまいました(笑)。

父は自分の店の風俗嬢に、最低でも1日1発フェラ抜きをさせている程性欲があり溢れています。
(10分位で済ませるが、1時間分の給金は出しています)

(普通の風俗店では、あらゆる理由から自分の店の風俗嬢とはしませんが、ウチでは男性店員もお金さえ払えばOKなんです)

そして、中出し大好きな変態夫婦(両親)は今時珍しく4人の子供を授かりました。
姉、姉、俺、弟の4姉弟です。そんな我が家の話です。

我が家では、10歳になると性教育との名目のプレイが始まります。
(もしかしたら両親は真剣なのかも…)
俺が10歳になった時、親父が、

「ママには絶対内緒だからな!」

と約束をさせ、俺を自分が経営する風俗店に連れて行きました。

そして、まず待ち構えていたのは勃起の能力の確認でした。

親父の事務室に入るとすぐにエロDVDを鑑賞させられました。

巨乳の女の子達が全裸で犯されながら口内発射されたザーメンを次々と飲んでいく内容を見せられ、すぐに勃起してしまいました。

父「ちゃんとチンコ硬くなったか?」

俺「硬いよ」

父「気分はどうだ?硬くなって気持ちいいか?」

俺「気持ちいいよ」

と答えると親父は店の女の子に電話を掛けました。

父「準備は出来てるから、教育の件今からお願いする」

するとすぐに事務室に下着姿のお姉さんが2人入って来ました。

親父に好きな方のお姉さんを選ばせられると、選んだお姉さんが服を脱がせてきました。

隣では父も服を脱いでいます。

エロDVDを見させられて既に勃起していたので、お姉さんが

「うわ〜っ(笑)」

と笑いました。

全裸になり、腰にタオルを巻かれると、4人でシャワー室に連れて行かれました。

シャワー室に入る時、2人のお姉さんはブラとパンツを脱いでプルッとしたオッパイを丸出しにしました。

この時、俺のペニスはビクビクと脈打っていました。

シャワー室に入ると父が

「即尺からいこっか」

と言い、父と横に並んで立っている前でお姉さん2人が屈み込んで俺の包茎のペニスをジュポジュポしゃぶり始めました。

よく家で母が父にフェラしてたので日常的な光景だったのですが、見るのとされるのは大違いでした。

父「皮を剥くって分かるか?俺と同じ形になるようにチンコをつまんで根元に皮を引っ張ってみろ」

親父は自分のペニスの皮を実際に動かして実演した。

お姉さんにフェラされながら真似して皮を剥こうとすると、キツくて最後まで剥けませんでした。

そして父は、もう1人のお姉さんにフェラを続けさせ、ペニスをわざわざ口から外してお姉さんの開けた口の中に向けてしごいて射精をしました。

父「これが射精な。大人になる為にお前もするんだぞ」

そしてプレイルームに移動し、フェラをされながら皮を剥くように引っ張る事を続けました。

それが毎日1時間です。

徐々にペニスの先の皮が緩くなり、4日目にはカリの半分まで剥けていました。


5日目、シャワー室に入ると父は俺の勃起したペニスを見て

「皮半分剥けてるな。今日全部剥いちまえ」

と言い、お姉さんがフェラを始め、俺のペニスが完全に勃起すると、父が俺のペニスの皮を摘んでゆっくりと強く剥いていきました。

皮が3分の2まで剥け、カリがお姉さんの口の中に触れる面積が増えていき、ゾワゾワした性感をカリが感じていました。

父が

「皮を摘んでしごいて、皮を全部剥いちゃって」

と言うと、お姉さんがペニスの先をしゃぶりながら俺のペニスの皮を摘んで皮を剥くようにシゴキました。

5分もすると皮がさらに緩くなり、お姉さんがフェラしながら皮を剥くようにシゴいていると、あまりにも気持ち良くてギンギンに勃起していました。

もう剥けそう…と思っていると、突然お姉さんの口の中で皮がズルッと全部剥け、カリ全体がお姉さんの口の中に放たれました。

皮が全部剥けた瞬間、また初めての性感を感じました。

お姉さん「全部剥けたよ〜(笑)」

父「じゃあ精通させて、フェラはゆっくりな」

お姉さん「はぁ〜い!」

お姉さんは強く吸いながらしゃぶりつきました。

横では父がもう1人のお姉さんに口内発射しています。

父「気持ちいいだろ?そのまま気持ち良くなっていくと精子が出そうになる感じするが、分かるか?」

俺「分からないけど、フェラチオ気持ちいい」

父・もう1人のお姉さん「ははは!(笑)」

父が、もう1人のお姉さんに俺に抱きついてキスするように言うと、俺はフェラをされながらお姉さんに抱きついてキスをしました。

お姉さんのオッパイが当たってきて、性感が一気に高まりました。

お姉さんに抱きついてオッパイを俺の体に押し当てていると、お姉さんの体気持ちいい!お姉さんの体気持ちいい!としか考えられませんでした。

そして、頭ではお姉さんの体しか考えられなくなり、今まで感じた事のないような込み上げ感が沸き起こりました。

とにかくペニスが気持ち良かったのを憶えています。

何も分からないまま、とにかくお姉さんの体で気持ち良くなっていると、しゃぶられているペニスが凄い勢いでビックン!!ビックン!!と動きました。

激しい快感に包まれ、ペニスがビックン!!ビックン!!と脈打つ度、尿道にゼリーのような物が通り抜けていくのが分かりました。

フェラしていたお姉さんは精液を口に溜めながらゆっくりしゃぶりついて来ました。

お姉さんが口を開けると、精液がタップリ入っていて、射精をした事を知りました。

父に、

「お姉さんが精液を飲んでくれるから良く見てるんだぞ」

と言われ、お姉さんがゴキュッと喉を鳴らせて精液を飲むのを見ていました。

抱いているお姉さん「うわ〜〜〜(笑)」

飲んでくれたお姉さん「あはは(笑)」

父に、

「おめでとう!大人の男だな!」

と言われて嬉しかったのを憶えています。

そして次は、連続で射精出来るようになるまで1週間毎日フェラ抜きをされました。

父にはオナホールとローションを渡され、

「家でも射精したくなったら使いなさい」

と言われ、お姉さんのフェラを想いながら1日に2〜3回射精をしていました。

初めのうちは射精した直後にペニスを刺激されるのは辛かったけど、すぐに慣れていきました。

3週間目には、3分も休めばすぐ次の刺激が出来るくらいになってしまいました。

そして、

「お姉さんに連続で射精してみろ」

と父に言われ、シャワー室で2回口内発射をしました。

さすがに父も

「これは凄いな(笑)」

とお姉さん達と笑っていました。

しかし、精通からひと月近く過ぎた頃の俺は、家での射精を含めると既に100回以上の射精をしており、射精欲が異常に強くなっていくのを感じていました。

そして父は、


「一緒に母に射精する」

と言ってきました。

翌日母はいつも通り、父に出勤前のフェラ抜きをしていました。

18時に部屋に来いと父に言われていたので、父の部屋に行くと父と母と姉2人が下着姿で揃っていました。

姉2人も性教育が済んでおり、処女のままバイブやローターでイク事を覚えていました。

姉2人はローターでオナニーをしていました。

母は既に下着姿で父のペニスをフェラしています。

2人の姉が隣の姉の部屋で毎日オナニーをしているのは知っていましたが、実際にローターでオナニーをしているのは初めて見ました。

異様なこの空間に入ると、風俗嬢のお姉さんの事が頭をよぎり、服を脱ぐ前に勃起してきました。

服を脱いで横になるように言われ、全裸で横になると、2人の姉が見ている中、父にアナルセックスされた母が四つん這いでフェラしてきました。

そして、父と母にフェラまで性教育された姉2人もオナニーをしながら交代でフェラしてきました。

母が父にフェラしているのは風呂場でもリビングでも日常でしたが、姉のフェラは初めて見ました。

この後仰向けに横になっている俺の上に母が乗って来て、母は俺のペニスをアソコに当てそのまま腰を下ろしました。

初めてのセックスです。

ペニスが女の中に入り、フェラとは違う快感が襲ってきました。

母が横になっている俺に抱きついてきたので、姉の体を見ながら母を抱き締めました。

そして父が再び母のアナルにペニスを挿入してきました。

母の膣と直腸の中で父とのペニスが当たり、父がアナルを突く度母の中でペニスが激しく刺激を受けました。

母は突かれる度に喘ぎ声を出しています。

俺は姉の体をオカズにして母の穴を下から突きました。

さすが元風俗嬢。

母は下からも突けるように腰を少し浮かせています。

2人の姉もオナニーが激しくなり、喘いではいませんが遠慮なくよがっています。

母の女の体を抱き締めたまま性感に身を任せていると、すぐに射精感が込み上げてきました。

現役で乱交やスワッピングに参加している母はピルを常用しているので躊躇なく母の体内で射精しました。

精通からひと月で母とのセックスを体験し、精液を母の体内に注ぎ込みました。

射精すると父と母に喜ばれ、女の体内に射精した快感に浸りながら、30分は父にアナルを突かれ、何度も射精されている母にそのまま抱きついていました。

次は姉のフェラ抜きが始まりました。

母がフェラで俺のペニスを再び勃起させると、父と母にローターでクリトリスを刺激された姉2人が交代でしゃぶりついて来ました。

姉の口の中で射精すると、近親相姦独特の満足感がありました。

精液を飲み慣れない姉はオナニーしながら一気に飲み込むと父にバイブでイカされました。

そして、射精したばかりの俺のペニスに母が再び勃起するように丁寧にしゃぶりつき、萎えなくなったところでもう1人の姉にしゃぶらせフェラを指導しました。

「彼氏も旦那もちゃんと朝夜抜かないと絶対浮気されるからね」

なんて母は言っていました。

バイブでイカされて抱きつきながらフェラしている姉に口内発射すると、やはりオナニーしながら精液を飲み込みました。

最後は母にフェラされ、2人の姉を抱き締め、姉のオッパイを感じながら無理矢理射精しました。

父が仕事に出た後も、母の

「無駄な浮気をされない為のフェラ抜き講座」

が続きました。

最初は初めて見る姉のエロい行為に引いてる部分も少しはありましたが、最後はワイワイとヤリまくっていました。

変態夫婦の息子の精通と初セックスの話です。
http://www.h-ken.net/txt/2478/
http://www.h-ken.net/txt/2478/page_1/


近親相姦家族カズの家の告白


僕が母と、妹が父と初体験した日

最初は、母が僕のオナニーを手伝ってくれることから始まりました。もちろん僕から言い出したわけではありません。オナニーをしている時に見つかってそれから手伝ってくれるようになりました。始めの時だけは手でしごいてくれるだけでしたが、次の日からはフェラチオをしてくれました。

すごく気持ちよくて、母の口の中に出したのですが、母が精液を飲んでくれたのでビックリしました。それからも毎日のようにお願いしました。驚いたのは、父が家にいるときでも僕の部屋にきて、精液を飲んでくれたことです。あとで聞かされたことですが、父と母の計画だったそうです。

ある日、まだ僕と妹がファミコンで夢中になって遊んでいる時に、両親の寝室から母のいやらしい声がしてきたのです。妹も聞こえたらしくて、気になったので妹とそおっと寝室に行ったのです。すると、ドアが15cmぐらい開いていたので覗き込むと、父と母がセックスをしている最中でした。妹も昔からエッチな事には興味しんしんだったので、恥ずかしがらずにのぞいていました。ドアからは、父のものが母の中に入っているのがよく見えました。

しばらくして、バックの体位になったのですが、母も父もドアの方に頭を向けたので「見えにくいなあ」と思った時に、父が、「和己も久美も入っておいで」と、びっくりすることを言いました。母もあえぎながら、「恥ずかしがらないでおいで」と言いました。僕も妹もビックリしたのですが、逃げると怒られそうだったので、中に入りました。

セックスを中断して父と母は、僕と妹にセックスは、愛し会う者同士の当然の行為だと言うことを説明してくれました。そして間違った知識でセックスをすると大変な事になることも聞かされました。話が終わって、父が続きをするので見ていなさいと言うので、見ることにしました。そのまえに母がみんな裸の方がいいというので、僕と妹も裸になりました。僕のものは立っていたのですが、父が立派になったなあと褒めてくれました。妹は僕と父のものを見比べていましたが、父のものは立っていなかったので、「お父さんもお兄ちゃんみたいになるの?」と言いました。父は「握ってみなさい」と言って、妹に握らせました。そして母から手の動かしかたを教わり、動かすと父のものも立ってきました。妹は無邪気に「あっ、大きくなってきた!!」と喜んでいました。

完全に立った父が僕のものとどっちが大きいか比べようと言いだしたので並びました。妹は「おとうさんの方がおっきいし、色が全然違う」と言いました。すると母が「今日の記念におちんちんの長さを計ったら?」といい、寝室を抜け出して手にノートとものさしを持ってきました。そのノートは僕が隠してあったやつなのでビックリしました。驚いて母から奪うと、母は「そのノートはお父さんも知っているわよ。」といいました。そのノートは、僕のものの長さを計って折れ線グラフにした成長記録と、オナニーの回数をつけたノートなのです。父が15cm、僕が13cmでした。記録係は妹で楽しそうにノートに書き入れていました。

そしていよいよセックスの続きが行われたのですが、その前に妹と僕にコンドームのつけ方を教えてくれました。妹は父のものにかぶせ、僕は自分のものにかぶせました。セックスが始まったのですが、体位を変えるたびに父が説明してくれました。いつの間にか興奮した妹は自分のあそこを触っていました。それに気付いた父が、妹とお互いに触わりっこしないさいというので、妹が僕のものを握り、僕は妹のあそことオッパイを触りました。僕はがまんできなくなって精液を出してしまうと、妹がコンドームを外してくれました。そして精液の入ったコンドームを捨てていいものなのか迷って、そのまま持っていました。

母が僕のものをきれいにしてあげるからおいでというので、母のそばに行くと、体位を変えて父の上になった母がフェラチオしてくれました。それを見た妹が「お母さんがお兄ちゃんのをなめてる!」といって驚いたのですが、母は「親子だから平気よ」と言いました。やがて父と母が気持ちよさそうな声をあげていってしまいました。父の精液の量は僕の半分くらいでした。母はコンドームに入った父と僕の精液を飲んでしまいました。妹がそんなの飲んで大丈夫なの?と聞くと母は、大事なお父さんと僕のだから大丈夫だといい、妹にも少し舐めてみることをすすめました。妹は少しだけ指先につけて舐めたのですが「変な感じ」とは言ったけど、嫌そうじゃなかったです。母が「そんなに嫌な味じゃないでしょ?」と聞くと妹は「うん」と言いました。父が「男って、精液を飲んでくれるとうれしいもんだぞ」と言うと妹は納得していました。

父と母のセックスが終わったので、もうおしまいと思ったのですが、父が「和己と久美はセックスしたことがあるのか?」と聞いてきました。僕も妹も「ない」と答えました。すると父が、ふたりとももう大きいのだからそろそろ体験しておいた方がいいよといいました。そして母が「そうしなさい、和ちゃんは私と、久美ちゃんはお父さんとしなさい」といいました。僕が「親子でセックスしてもいいの?」と聞くと、父が「セックスは子供を作る目的もあるけど、快楽を味わうゲームみたいなものだから、家族同士で楽しんでもいいだよ」といいました。僕は前から母にフェラチオしてもらいながら、母とセックスがしたいと思っていたのでオッケーだったのですが、妹の気持ちがわからなかったので、どうするのか心配だったのですが妹は「お父さん、優しくしてね」とあっけらかんに言いました。妹は隠し事をいっさいしないあっけらかんとした性格ですごく明るいのですが、エッチのことについても同じなのでびっくりしました。

妹は父に全身を舐められて、気持ちよさそうな声を上げました。僕は父のやっていることを見ながら母に同じことをしました。初めてなのでうまくできなかったはずなのに母はほめてくれました。そして母があえいでくれるとうれしくなってがんばりました。母が気持ちよくなったので今度は、フェラチオをしてくれる事になりました。あとから聞いた話では、妹にフェラチオの勉強をさせるために仕組んだそうです。ギンギンに立った僕のものを母が舐めはじめると、妹が「私もやってみる」といいだしました。そして父のものを口に入れて、母が僕を舐めるのを真似しはじめました。それを見て母が、ていねいに妹に指導しました。いつもならすぐに言ってしまうのですが、一度出していることと、母が説明するためにちょくちょく口を外すので長持ちしました。時には僕をほったらかしにして父のものを母と妹が交互に舐めたりもしました。

いよいよセックスすることになったのですが、最初は僕と母が父と妹に見られながらしました。体位は正常位しかしませんでした。何回か腰をふるととろけそうな感じになって、すぐにいったからです。妹が「気持ちよかったあ?」と聞いてくるので、すっごくよかったと言ってやりました。いったあとも立ったままのものを見て母が「まだできる」と聞いてきたので、何回でも出来ると言うと、「元気ねえ」と感心していました。

次に父と妹がセックスを始めました。入れる瞬間をジックリ眺めました。「痛い」と小さな声をあげましたが、痛みをこらえながらも父のものをしっかり受け止めていました。父と妹のセックスを見ながら、妹の処女が欲しかったなあと思いました。しばらくゆっくりと腰を動かしていた父ですが、妹を気づかって途中で抜いてしまいました。すると「父さんは出るのに時間がかかるから久美がかわいそう」だからということでした。母が僕に妹とセックスするように言うので、妹に入れようとしたのですが、うまくはいりません。さっきみたいに母が僕のものを妹のアソコにあててくれて入れることができました。妹の中は、母よりかなりきつかったので僕はすぐにいってしまいました。父は隣で母の中に出していました。

こんなふうにして、家族みんなでのセックスが始まりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo1.html


1999年夏ごろの日常風景

ふだんの日は、父が仕事で帰ってくるのが夜11時を過ぎるのでセックスするのは、母と妹と僕の3人です。でも毎日3人で一緒にするわけじゃないです。3人一緒にするのは、半分ぐらいです。土曜日の夜や日曜日は、最低でも2週間に1回は4人でします。3人でする時は、最近はジャンケンで順番を決めて順番の低いものが上のものに奉仕します。一番勝ったものは2人から奉仕されますが、1番まけたものは2人につくさないとだめです。

先週やった時は、僕が1番、母が2番、妹が3番でした。最初に要求したのは、服装です。3人とも裸じゃつまんないので、母には裸の上にエプロンを着るようにいって、妹にはスクール水着を着るようにいいました。最初は、全身を舐めるようにいいました。上から順番に舐めさせました。乳首を同時に舐められたときは気持ちよかったです。フェラチオもチ○ポと玉を同時に舐められるとすごく気持ちがいいです。チ○ポも交互に舐めさせました。一番負けた母はフェラチオするのが好きなので、あまり母にはなめさせずに妹に舐めさせました。チ○ポと肛門も同時に舐めさせました。妹がチュパチュパとおいしそうに舐めているのを見ながら、母がうらやましそうな顔で肛門と玉をいったりきたりしていました。

しばらくして、妹も母に奉仕される権利を主張したので妹のオ○コを舐めさせることにしました。妹は僕にフェラチオしながら母にオ○コを舐めてもらうことにしました。母はレズではないらしいですが、妹のオ○コはよく舐めています。水着を横にずらしながら舐めていました。母は妹の感じるポイントを十分に心得ているのと、指をつかっていかせてしまいました。妹のイク顔を見て、入れたくなったので水着をずらせて入れました。

僕が妹をズコズコついている間中、母は僕や妹とキスをしたり、ふたりの乳首をなめていました。正常位から、だっこして最後は正常位にもどしました。妹がいったので、出すまえに母に妹とつながっているところを舐めてもらおうと思ったのですが、水着姿の妹がすごくかわいいのでそのまま出すことにしました。妹が安全日だったので、ひさしぶりに中に出すことにしました。そのことを言うと妹は「飲みたいよ」というので、「久美は兄ちゃんに注文できないんだぞ」と言ってやりました。「でも」というので「わがままいうと抜くぞ」というと、「やんやん」と言いました。そして「いくぞ」と言って中に出しました。ひさしぶりに中に出したのですが、口の中に出すのも気持ちいいですが、あそこの中に出すのはやはり気持ちいいです。全部出たので、チ○ポをぬいて母に口できれいに舐めてもらいました。妹は1番まけた時も自分からおねだりするのに、母はさすがに大人で僕が命令しない時はおとなしく待っています。

母にきれいに舐めてもらっている時に妹が「出てきた」というので、いいことを思いつき、妹をまんぐり返しにしました。そして母に妹のからだを支えさしている間にキッチンに行ってストローをとってきました。「ジャーン」と言ってストローを見せると、母は「ストローはだめよ、久美のカラダに傷がつくわ」と怒られてしまいました。ほんとうなら母には発言権はないのですが、親としておこられると言い返せません。母はそういう時はマジな顔になります。でも数分後には淫乱女性の顔つきになるのが不思議です。アメリカのホームページにそういう画像があったのでやってみたかったのですが残念です。母はそういいながらも、妹をまんぐり返ししたままなので、精液をなんとかしないと行けないことはしっかり思っていたようです。

母を仰向けにして、妹に母の顔をまたぐようにいいました。水着を着たままだったので僕が水着をずらしました。垂れはじめは母の口の中にはいらないで顔にかかりました。途中から母が下から口をつけて吸出していました。母の顔にかかったものは妹に舐めるようにいいました。でも飲んでいいよとは言わなかったので、母も妹も口の中に精液を溜めていました。いろんなビデオを見ると精液がきらいな人がいて、すぐに吐き出そうとしますが、母も妹も飲むのが3度の食事より好きなので、すぐに飲ませると喜ぶだけです。かと言って、しばらく口にいれたままにするのも平気なので、口移しさせることにしました。母も妹もいろんな精液飲みのビデオをみているので心得ています。しばらく母と妹にぐちゅぐちゅやらせていました。つばで量がふえたので、飲ませることにしましたが、抽選することにしました。

母と妹は精液を半分ずつ口に入れたまま、僕がクジをつくるのをまっていました。2個だけじゃおもしろくないので、6個作りました。当たりは1個です。妹から交互にひかせたのですが2回戦で母が当てました。妹は残念そうな顔をして、母の口に自分の口の精液を写していました。そして母はゆっくり味わいながら精液を飲みました。感想を聞くと、「久美のお汁とつばと母さんのつばが混ざっていて、母親としては幸せだったけど、精液らしい味があまりしないわ」と言っていました。母には不満だったようです。

次に、妹に制服にルーズソックスをはくように命令しました。その間に母とセックスすることにしましたが、母がエプロン姿なのでキッチンですることにしました。普段よくするように母が雰囲気作りのために、冷蔵庫からキュウリを出してまないたの上に置きました。包丁は危ないので使いません。演技派の母が「今晩のおかずは、きゅうりしようからし、和己のおちんちんにしようかしら」といいます。すると僕は「比べて見る?」と言って、コンドームをかぶせたきゅうりをオ○コに入れ2、3回つきました。そして「母さんのオ○コさん、おいしいですか?」というと、母は「他も試食するわ」といいます。今度はチ○ポを入れて聞くと「これにするわ」といいます。

しばらく立ちバックで続けていると、妹が制服姿にルーズソックスをはいて、少し化粧までしてやってきました。妹もノリがいいので、演技に参加します。「母さん、そんなことしてないでゴハンつくってよ。学校に遅れるでしょ」と言います。あえぎながら母が「待ってなさい、もうすぐ牛乳ができるから」と言い返します。「牛乳だけなの?」と言うと、母が「好きなものにかけて食べなさい」と言ったので妹は冷蔵庫を開けていました。中からカップに入ったみつまめを出してきました。フタを開けて「ミルクまだかなあ」と言って待っています。

なかなか僕がださないので、「この牛さんはお乳をもんであげないと出ないみたいですね」と言って僕の玉をさわりに来ました。「揉むより舐められる方がいいみたいですね」と言って玉に舌を這わせてきます。いきそうになったので妹に合図するとみつまめを持って待ち構えます。母からチ○ポを抜いてみつまめに振りかけました。すると「おりこうさんですね、こぼれないで全部入りましたよ、ごほうびにきれいにしてあげましょうね」と言って、口できれいにしてくれました。妹は精液がかかったみつまめを食卓でおいしそうに食べていました。精液がとくに多くかかったところを眺めてから食べていました。

たべおわるのを待っている間は、母にフェラチオをしてもらっていました。食べおわったので、最後に母と妹を交互にせめようと思って、場所をかえることにしました。食卓の上に制服姿の妹を横になるように言って、チ○ポを入れました。それから妹を抱き起こして駅弁スタイルのままリビングに移動しました。そして、床に妹をおろしてつきまくりました。母と妹をバックにしたり、母と妹が抱きあっているところを交互につきました。

しばらくついていたら、父からの合図の電話がかかりました。ちょうど母の脚を肩にのせてついていたので、妹に電話に出るようにいいました。少し話したあとで、コードレスを母に渡しました。母は父と会話していました。「食事はどうするの?」とか聞いていました。妹に聞くと早く帰ってくるとのことでした。電話を切った母が僕につかれながら、「父さん帰ってくるから食事の準備するから、母さんもうやめるわ」と言いました。「母さんまだいってないでしょ」というと、「いいからどいて頂戴」というので、しぶしぶ抜きました。「2人でやってなさい」というので、妹に入れました。

制服姿の妹をいろんな体位でついていると、シャワーをあびた母がキッチンに行くのに横を通りました。「そろそろ終わりなさいね」と言いました。そのあとすぐに妹の口に出しました。ペロっと飲んだ妹が「私もシャワーあびる」と言って出ていきました。横になっていると母が料理をつくっている後ろ姿が目に入りました。やりたらなかったので、後ろから入れさせてもらおうと近づくと、母が手で自分のお尻を隠すようにしました。それでも近づいて行くと「いい加減にしなさい」と言ってチ○ポをきつく握ってきました。仕方がないのでその時はそれで終わりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo99.html


僕と母のSMごっこ

母とのSMプレイの話を書きます。SMプレイと言ってもほんとの遊びです。

その日は、僕が最初にSになりました。初めに母を縛りました。縛り方は父から教わって、母や妹で何度も練習したのできれいに縛れます。と言っても跡がつくと大変なので少しゆるく縛りました。そして母に、僕の全身をなめるように命令すると縛られて動きにくそうですが、一生懸命舐めてくれます。チ○ポはすぐに舐めさせません。母はフェラチオが大好きなので、すぐに舐めさせると喜ぶだけなのでいつもじらしていじめます。玉と肛門を先に舐めさせました。

そのあとで母を座らせておいて、母の口の前でチ○ポをぶらぶらさせて「舐めたい?」と聞いてやりました。すると母は、いつも言っているように「ご主人様のチ○ポをしゃぶりたいです」と言いました。すると僕が「みゆきのご主人様は、父さんのことじゃないのか?」というと、「違います。私のご主人様は、和己様です」といいます。今度は「みゆきは、自分が産んだ息子のチ○ポがないと生きていけないです。と言ってみろ」というと、「みゆきは、私が産んだ和己様のチ○ポがないと生きていけません」と繰り返しました。

僕が「じゃあ、父さんのチ○ポは久美専用にしてもいいのか?」と聞くと、今まで雰囲気を出していたのに、多少マジに戻って「それはこまります」というので、「母さん、そういう時は僕のチ○ポだけでいいですと言うんだよ」というと、「だって、ほんとに久美専用になったら困るわ」と言いました。「もう母さんったら、よくばりなんだから」と言うと、「父さんのチ○ポがあったから和己と久美が産まれたのよ。だから大切にしなきゃ」と意味不明のことを言いました。

少しさめてしまったので、母をバイブ責めにすることにしました。バイブは母専用なので寝室に隠してあります。バイブを取ってきて、母のオ○コに入れました。すぐに母は感じだして声を上げ始めました。そして1度母がイッてしまったので、今度はバイブを抜けないようにして、何度も何度もいかせました。

5、6回いったあとで母が「もうだめ、スイッチを切って」と言うので、「まだだめ」と言って、そのまま僕のチ○ポをフェラチオするように言いました。いじわるして母から少し離れたソファに座りました。母が懸命に立ち上がって、僕の所まで歩いてきてフェラチオを始めました。でも手が自由じゃないのでチ○ポが安定しないので、口の中に入れてじゅるじゅる舐めるという感じよりも、玉を舐めたり、チ○ポを舌で下から上に舐め上げるのが中心でした。

途中からは、大きく口を開けさせておいてチ○ポを突っ込んで自分で腰を動かして母の口の中をつきました。そしてそのまま母の口の中に精液をだしました。すぐには飲ませずに、舌の上で何回か転がすように言って、最後にコップに出すようにいいました。そのあとで僕のチ○ポをきれいに舐めさせました。精液は次の僕のSの番の時に飲ませようと思いました。

一度出したのでSとMが交代です。母は女王様の衣装に着替えました。それで、僕に全身を舐めるように命令しました。舐める前には必ず「みゆき様、乳首を舐めさせていただいていいですか?」と言わされました。母の全身を舐めたあと、最後にオ○コを舐めるのですが、僕が仰向けになって母が僕の顔に腰をおろしてきました。母が「舐めたいの」と聞くので「舐めさせてください」とお決まりのセリフをいうと、「いつも同じのセリフじゃ舐めさせてあげない」と言われたので、「僕が生まれてきた女王様の美しいオ○コをじゅるじゅるさせてください」と言いました。すると「いい子ね、じゃあ舐めていいわ」と許可がおりたので、舐めました。

しばらく舐めていると、「上手に舐めてくれたからご褒美をあげましょうか」というので、「ありがとうございます」というと、精液の入ったコップを持ってきて、「口をあけなさい」というので、「それは、次に使う分だよ」とあわてると、「奴隷が生意気なことをいうんじゃありません」と言いました。自分の精液だから抵抗はないのですが、予定が狂ってしまうのでこまったのですが、命令だから口を開けました。すると母が精液を僕の口に垂らしながら「飲んではダメよ」と言いました。全部口に入れると「私の口に垂らしなさい」というので、母の口に垂らしました。母が何度も口移しを要求するので、つばで量が増えて行きました。最後に母がコップに精液を戻し「女王様は今日は、たくさん飲みたい気分なの、だから奴隷は一生懸命出しなさい」と言いました。

そのあとで母が上に乗ってセックスしたのですが、僕がイキたくなったら母は腰の動きを止めました。何回もじらさせたあと、体位を正常位に代えて母の口に出しました。母は舌の上で精液を転がしたあとでコップに移していました。
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父と母の出会い

いつも読んでくださっている方からの質問で「父と母の出会い」と「母が近親相姦を知った時の事」を書いて欲しいというのをよくいただきます。母から取材をしたので書きます。

学校に行かなくていい日の朝、父と一緒に朝食を食べていたら母から「手伝って欲しいことがあるから家に居て」と言われました。いやな予感がしたけど家の用事が最優先なのでイヤイヤ「うん」と返事をしました。そこに制服に着替えた妹がやってきて父の膝の上に座りました。そして父の皿からリンゴをひと切れ取って食べました。僕は用事を妹にも手伝わせようと思って「母さんが用事手伝って欲しいそうだから早く帰ってこいよ」と言いました。すると母は「午前中で終わる用事だから久美はいいわ」といいました。

妹はその後、自分がお尻をこすりつけている間に父のチ○ポが立ってきたのでひっぱり出してフェラチオしようとしました。でもすぐに母から「遅刻するわよ」と言われてやめました。そして父と僕にキスをしてから「お手伝いがんばってね」と言って学校へ行きました。

全部終了して母の所に「終わったよ」と言うと、松山から僕あてに荷物が届いていると教えられました。開けて見ると、僕の大好きな栗と「栗んとん」というふざけた名前のお菓子とビデオテープが入っていました。再生すると従姉さんが美穂さんをいじめながら撮影したビデオでした。ほとんど美穂さんのアップで従姉さんは声ばっかりです。時々従姉さんが美穂さんにバイブを入れる所の手が写る程度でした。美穂さんは従姉さんに質問攻めに合っていました。僕はこのビデオを見ながら「母にもこの手でいこうか」と思いました。

ビデオカメラを持って、家事をしてた母の所に行きました。カメラを回しながら後ろから迫りました。母はカメラを見ると「ハメ撮りしたいの?」と聞いてきました。「ダメ?」と聞くと「化粧してから」ということなのでしばらく待ちました。

待っているとシャワーを浴びて化粧した母が裸でやってきました。僕のズボンを脱がせました。僕は「フェラチオしながら質問に答えて」といいました。母はパンツを脱がせてくれて僕のチ○ポを咥えました。

カメラを見ながら僕のチ○ポの裏筋を下から上に舐め上げている母に、「父さんと母さんってどこで知り合ったの?」と聞きました。母は「それは前に教えたじゃない」と言いました。僕はビデオ用に「ビデオ用に全部もう一度聞くので答えてよ」といいました。

母はチ○ポを舐めながら答えてくれました。父と母の出会いは「アイビー」がきっかけです。昔アイビー少年少女だった父と母は学生自分に別々のアイビークラブに所属していたそうです。その頃、アイビーリーグというのがあっていろんなアイビークラブが所属していてパーテイなんかも開かれていたそうです。そのパーテイで父と母は初対面したそうですが、そこでは何も起こらなかったそうです。

仲良くなったのはアイビーのファッションショーに出た時で、父と母がカップル役に選ばれて「金曜日のデート」というシュチエーションで手をつないだのがきっかけだそうです。最初のデートでキスをして、2回目のデートでHしたそうです。3回目のデートからは会うたびにHしたそうです。

母が僕の先ばしりの液を舌先ですくって舐めました。僕は「母さんのフェラって父さんが仕込んだの?」と聞きました。すると「母さんはね、父さんと知り合うまではお嬢さんだったのよ」と答えました。僕は久美のフェラチオの練習を思いだしました。久美は母が僕のチ○ポを舐めているのを見ながら父のチ○ポを舐めたり、学校から帰ってから僕のチ○ポを母とダブルフェラしながら練習していました。見る見る上達して父が悲鳴をあげたのを覚えています。でも母は見本が無かったのでどうしたのか聞いたら、言われるままにやったそうです。

母にフェラチオの素人の役をやってもらいました。母は僕のチ○ポを握りながら「どうやったらいいか教えて」と言いました。僕が「先っぽをソフトクリーム舐めるみたいにやってごらん」といいました。すると、いきなり根元から先っぽまで一気に舌を這わせました。僕が「それはお嬢さんじゃないよ」というと母は「ソフトクリームが垂れてきたのよ」とボケてくれました。

母が「そろそろ欲しい」というので入れることにしました。質問しながらハメ撮りするので騎乗位でしました。僕が横になると母はパンツを脱ぎました。「舐めようか」と言うと母は「ヌレヌレだからいいわ」と言って、チ○ポを掴んで自分で入れました。僕は下から撮影しながら質問を続けました。

次の質問は、父が近親相姦しているのを知った時の事を聞きました。結婚前に2人で見た映画に近親相姦の話があって、映画が終わってから「もし俺が近親相姦してたらどうする?」と質問されたらしいけど、「そんな事あるわけないわ」と思ってた母は、祖母がきれいな人だったので冗談半分で「あのお母さんなら、いいんじゃない?」と答えたそうです。

映画のタイトルを聞いたけど、母は「わすれたわ。それより、もういいでしょ。4日もしてないから母さんすっごくしたいのよ」と言いました。僕は仕方ないので先にやってから質問を続けようと思って「終わってからも付き合ってよ」といいました。すると母は「何回でも付き合うわよ。今日は何回する?」と言いながら腰を激しく上下しました。

僕はカメラを置いて、下から母のオ○コを激しく突きあげました。母は「アー、いいわ」と声をあげました。僕が下から母のオッパイを揉むと母はドンドン感じていきました。母は4日もしかなった日はめったにないので、いつも以上にすごく感じていました。母に「クリトリスさわってごらんよ」と言うと、カラダをそらせてクリトリスをいじりはじめました。母は「気持ちいい!!」と言いながら腰の上下とクリトリスいじりを同時にやっていました。

だっこちゃんスタイルになると、母は僕の口にむしゃぶりついてきて、よだれで僕の口まわりをべとべとにしてくれました。それから正常位になって母の足を肩にかついで激しくパンパンと突きました。すると母は「ダメダメ!!イク、イク!!」と言って、イッテしまいました。僕はチ○ポを入れたままで母の痙攣がおさまるのを待ちました。

もう一度カメラを持って、イッタ後の母の顔を映していると、トロントした目で僕を見たので「母さん、さっきの話の続き教えてよ」と言いました。すると母は「そんな事どうでもいいでしょ。もう一度して」といいました。僕は質問に答えてくれないのでいじわるしてチ○ポを抜いてしまいました。すると母は「抜かないで!!」と悲鳴のような声を上げました僕が質問に答えてくれたら入れてあげると言うと、母は自分の指でオ○コを開いて「わかったら、入れて」と言いました。でも僕はホームページのネタ作りのためにフェラさせながら答えてもらおうと思ったので「質問が先だよ」と言って入れるのを拒否しました。

母にフェラチオさせながらいろいろ質問しました。母は僕がしゃべっている間はチ○ポを舐めていて、答える時はチ○ポを握らせました。ビデオから音声だけ書き取りました。


僕「もっと、音を立てて舐めてよ」
(母が、激しく音を立てて舐めました)

僕「母さんがホントに近親相姦やってるのを知ったのっていつ?」
(チ○ポから口を外しました)

母「結婚してすぐよ」
(ふたたび口に咥えました)

僕「告白されたの?」

母「見たの」

僕「父さんとおばあさんの?」

母「そう」


全部書くと長くなるのでまとめますと、結婚後に松山の家で泊った時に父と愛しあっている所におじさんとおばさんが「仲良くやってるか?」と言って入ってきたそうです。母がビックリしていると、その横でおじさんとおばあさんがセックスを始めたそうです。それが最初に近親相姦の現場に触れた時だそうです。


僕「ビックリした?」

母「そりゃ、ビックリしたわよ」

僕「じゃあ途中でセックスやめたの?」

母「・・ううん」

僕「母さんの事だから、興奮したんでしょ」

母「わかる?」

僕「わかるよ。それで母さんは見てたの」

母「ちょっとだけね」

僕「どんな体位でしてたか覚えてる」

母「いきなりバックだったわ」

僕「おばあさん、気持ちよそうな顔してた?」

母「ニコニコしながら、母さんたちを見てたの」


そのあと、バックでやっていたおばさんが母のオッパイを舐めにやってきたそうです。その当たりからわけがわからくなって気がついたら、隣で父がおばあさんと座位でやっていたそうです。そして横になって見ていたら、おじさんがおばさんを連れてきたそうです。おばさんは妊娠8ヶ月目で大きなお腹をしていたそうです。


母「おばさんはね『私もビックリしたけど家系だから諦めちゃったわ』と言ったわ」

僕「意外にみんな認めてしまうもんなんだね」


父さんがおばさんに中だししたあとで、チ○ポを抜いて近づいてきた時に母はてっきり自分が後始末するもんだと思っていたら、父さんはおばさんとデイープキスをしてからゆっくり横にしてパンツだけ脱がせてチ○ポを入れたそうです。父はおばさんの大きなお腹に負担がかからないようにしてチ○ポをゆっくり出し入れしたそうです。僕はまだ妊婦としたことがないのでそのシーンを想像してすごく興奮して出したくなりました。


僕「母さん、出したいから舐めて!!」

母「待って、母さんの中に入れて」

僕「1回出してから」
(母が激しく舐めあげてくれて、僕は母の口に向けて発射しました)

僕「まだ飲まないで」

母「すごい、一杯れたわ」

僕「うれしい?」

母「うれひい」

僕「口を開けて」
(母が口を開けると、たっぷりと僕の精液がたまっていました)

僕「終わるまで飲んじゃだめだよ」

母「わかったわ」


精液を口に含ませたままで母に父とおばさんの続きをしゃべらせました。父とおじさんは正常位のままでやって最後におばさんの大きなお腹の上に射精したそうです。母は大きなお腹にの上に出された精液を全部舐め取ったそうです。舐めとっている時に後ろからお尻をつかまれたので振り返るとおじさんがいて入れていいか聞いてきたそうです。母は拒まないで受け入れたそうです。

その質問が終わって、精液を飲んでもいい許可を与えました。母はおいしそうに喉を鳴らして飲んでいました。僕はホームページ用のネタを撮り終えたので、母ともう一度することにしました。四つん這いにしてバックから激しく突きました。パンパンと音を立てて突くと母は頭をソファに乗せて、あえいでいました。母の片足を持ち上げて突くとすごく気持ちよさそうによがっていました。

僕は、一緒にイクつもりだったけど母が我慢できそうになかったのでバックのままでイカせました。僕はすぐにチ○ポを抜くと正常位に変えてもう一度バコバコ突きました。イキたくなったので最後のダッシュをかけて母と同時にイキました。チ○ポを抜いて母の口に向けて発射しました。全部出終わって母に最後まで吸い出してもらいました。
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朝の僕と母と妹の3P

妹がボランティア活動先から大阪に戻ってきて最初の家族乱交のことを報告します。この日の朝、起きてすぐにトイレに行こうと下に降りました。すると、リビングで母と妹が全裸で、父は下半身だけ脱いでいて3Pをやり終えたところでした。父が四つんばいの母のお尻の上に射精したらしくて、妹が口で吸い取っている最中でした。父はチ○ポで飛び散った精液を集めて、妹が吸い取りやすいように協力していました。

父は、僕を見て「父さん、ゴルフだから後は頼む」と言いました。その声で思い出したように母が「お父さん、時間大丈夫なの?」と聞くと父は「あっ」とあわてました。「久美、先に父さんのチ○ポきれいにしてくれ」と言うと、妹は「お母さん動かないで」と言って、口に入れていた精液を母の背中に垂らしました。そして父のチ○ポをパクっと咥えて、オ○コ汁まみれのチ○ポをきれいに舐めました。妹が口をすぼめて何回もしごいたので、父は「またやりたくなるから、舌だけがいいな」と言いました。

チ○ポをきれいにしてもらった父はすぐにパンツとズボンを履いて出て行きました。妹はもう一度母の背中の精液を吸い取っていました。妹が吸い取っている間に、母が「カズちゃん、母さん欲しいから早くトイレに行ってきて」と言いました。僕は妹が父の精液を飲み込むまで見ていたかったけど、朝立ちでビンビンだったのですぐにトイレに行きました。便座に座って朝立ちしているチ○ポを押さえつけてオシッコをしました。

トイレから出ようとしたら母が僕をトイレの中に押し戻してパジャマのズボンをズリ下げました。そして僕を便座に座らせて、その上にまたがってきました。「母さんから先でいいの?」と聞くと、「お父さんが母さんのお尻の上に射精したけど、ほとんど久美ちゃんとやってたのよ」と言いました。母はチ○ポをつかんでそのまま腰を下ろしてきました。母のオ○コの濡れ具合からして、かなり我慢させられていたみたいです。チ○ポが母のオ○コの奥まで入っていく間「ハアー」と声をあげていました。

母は僕と軽くキスしてから、上下運動を始めました。「母さん、かなり我慢したでしょ」と言うと「そんなに濡れてる」と聞いてきました。「グチュグチュだよ」と言うと、「すぐにイキたいから激しくして」と言いました。僕の方からも下から激しく突き上げました。母は「いい、いいわ」と声を出しながら上下運動を続けていました。母の声がだんだん激しくなってきたので、そろそろ妹が乱入してくるかなあと思っていると、予想通り妹がやってきました。ドアを開けっ放しにしてやっていたので、丸見えでした。でも妹は「オシッコしたい」と言うだけで、僕と母のエッチに参加してくる様子じゃなかったので、「母さん、久美がオシッコしたいらしいからトイレからでよう」と声をかけました。すると母は「もうすぐイキそうなの。抜かないで」と言うので、チ○ポを抜かないように立ち上がりました。

すると妹が便座に座ったので、トイレから出ないで、母を壁にもたれさせて片足立ちにしました。妹が「邪魔」と言わなかったので、チ○ポを動かしました。母のあえぎ声と妹のオシッコの音が同時に聞こえていましたが、僕の耳は妹のオシッコの方を90%ぐらいのバランスで聞いていました。でも母がイキそうになっていたので、オ○コを突くスピードは落としませんでした。母は「アア!アア!」と叫びながら感じまくっていました。

妹のオシッコの音が止まったので、僕は妹の方にむかって「ウォシュレットで洗わないで」という意味で手を出しました。妹は意味がわかっていないみたいで、スイッチを入れてしまっていました。せっかくオシッコしたての妹のオ○コをきれいに舐めてあげようと思ったのですが残念でした。妹はオシッコが終わってもそのまま見学していました。母はそれから1分もしないうちに「イク!イク!!!」とイッてしまいました。

母がイクと妹が「お兄ちゃん、今度あたしだよ」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜きました。母は仲良く3Pしようと主張していました。それからもう一度リビングルームに戻りました。リビングルームに戻ったら妹は真っ先にソファに手をついて四つんばいになって僕にお尻を向けました。母が「久美ちゃんが先でいいから、少しだけ舐めさせてね」と言いながら僕の前にひざまづくと、妹が「あたしも舐める」と飛んできました。

最初はチ○ポの両側から舌先でチロチロ舐められました。次に妹が裏筋を舐めて、母が舌の裏でチ○ポの上側をすべらせるように舐めていました。そのあとは交互に口に入れてチュパチュパ舐めたり、思いっきり吸われたりしました。Wフェラが段々盛り上がってきて、妹が僕のチ○ポを握って母の鼻の穴に入れようと遊んだりすると、母も妹の耳の穴に入れようとふざけていました。それからもう一度、まじめにWフェラに戻って、チ○ポと玉を交代で舐めてくれました。仕上げはチングリ返しさせられて肛門を舐められました。

僕のチ○ポの先から激しく「第1チ○ポ汁」が出始めたので、二人並んで四つんばいになってもらいました。母のオ○コも妹のオ○コもかなり濡れていたので、「すぐ入れるよ」と言うと、ふたり同時に「入れて」と返事がきました。約束通り、最初に妹のオ○コにチ○ポを入れました。僕が妹のオ○コにチ○ポを入れ始めると母は「どう、気持ちいい?」と妹に声をかけていました。妹は「気持ちいい」と言っていました。根元まで入れてじっとしていると妹のオ○コが僕のチ○ポを締め付けてきました。やっぱり妹のオ○コが最高と思っていると、母が「お父さんみたいに味わってないで、動いてあげなさい」と言いました。妹は「じっとしてていいよ。でもお母さんが焦れてくるかな」と冷やかしていました。母は妹の乳首をつまんでいました。

それから妹のオ○コの感触を味わいながらゆっくり突き始めました。妹はすぐに反応して声をあげていました。母は四つんばいのままで僕の腰の動きを見ていました。少しだけサービスのつもりで妹のオ○コからチ○ポを抜いて、見せてあげると母が起き上がろうとしたのであわてて妹のオ○コの中に戻しました。母はそのまま僕と妹の結合部を覗き込んでいました。僕は母を意識しないで普段通りに妹を突きまくりました。すぐにはイカせないでおこうと思ったのでおもいっきり強く突くのは数回だけにしました。それでも妹はオ○コ汁を出しまくってチ○ポが白くなっていきました。

母は段々我慢できなくなってきて僕にオッパイを押し付けるようになってきました。仕方ないので「久美、母さんと少しだけするぞ」と言うと「いいよ」と答えてくれました。すると母は妹のオ○コに埋まっていたチ○ポを強引に引っ張りだして、チ○ポにむしゃぶりついてきました。チ○ポについた妹のオ○コ汁を舐めながら「おいしい」を連発していました。チ○ポを抜かれた妹は僕に唇を求めてきました。しばらくこのままの状態でキスをしていると、母が「入れて」と言いました。

母が四つんばいでお尻を突き出していたので、妹が「入れてあげる」とチ○ポをつかんで母のオ○コに当ててくれました。すると母の方から腰を押し付けてきたのでズッポリ入ってしまいました。母は「今日の母さん、すごくHしたい気分なの。だから用事なかったら1日中相手して」と言いました。用事はなかったのですが、妹が「お昼からお兄ちゃんと梅田に遊びに行くから翔ちゃんとして」と言いました。母は「遊びだったらいつでもいけるでしょ」と言おうとしました。でも僕が激しく突き始めたので、母はあえぎ声をあげるので精一杯になっていました。妹が「お母さんイカせちゃって」と耳元でささやくので、そのまま「パン!パン!」と音を立てながら突きまくりました。

母は「イッてもやめないで!」と言ったあとは「イイ!!アア!!アッアッ!!イキそう」と声をあげていました。僕もイキそうになってきたのですが、1発目は妹でと心に決めていたので耐えました。母がすぐにイッてくれたので耐えられました。「イク!!!」と叫んでお尻をピクピクさせていた母の腰を持ってじっとしていると、妹が「今度はお兄ちゃんを気持ちよくさせてあげる」と言って、僕の手を引っ張って仰向けになるようにいいました。仰向けになって母のオ○コ汁付きチ○ポをそびえたたせると、妹が騎乗位でまたがってきました。

「出そうだからゆっくりして」と言ったのですが、妹はいつもどおりの騎乗位を始めました。妹は僕が耐えている顔を見て「ほんとに出そうな感じね」と言うので「マジで出る」と悲鳴を上げました。目を閉じて耐えていたら母が顔を舐めながら「出したら」と言いました。妹も「出していいよ」と言うので、「中出しする」と言ってから妹のオ○コの中に射精しました。妹のオ○コの中に大量の精液を注ぎこんでいると、妹が「お兄ちゃんの耐える顔ってかわいい」と言いました。

精液が全部でききると、妹がゆっくり離れました。すぐに母が妹のオ○コに口を付けて精液を吸出していました。妹は僕のチ○ポの後片付けをしてくれていました。母は最初は妹を横向きにしてオ○コに口を付けていましたが、最後は母の顔の上に座らせて舐めていました。妹は僕のチ○ポをトコトンまで吸い出していました。玉を揉みながら「思い切り吸ったら、タマタマの全部出てきたら面白いのにね」と言いました。

いつまでも離れないので母が「口開けて」と集めた精液を妹の口に入れにやってきました。妹はチ○ポから離れて、母にむかって口を大きく開きました。母は「飲んじゃだめよ」と言ってから妹の口に精液を流し込んでいました。そして妹を仰向けにしてから最後の仕上げに妹のオ○コを舌全体で「ベロ〜ン」と舐めてきれいにしていました。

妹のオ○コをきれいにした母は妹の上にのしかかって行きました。そして妹に精液を口角から少しずつ出させて吸い取りながら、「このままでいいから母さんに入れて」と言いました。僕はすぐに上下に並んだオ○コの上側にチ○ポを挿入しました。母はオ○コにチ○ポがズッポリ入っても妹との精液の口移しをやめませんでした。しばらく僕はその様子を見ながら母のオ○コを突きました。1分ぐらい突いていると、「久美ちゃんと交互について」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜いて、下側のオ○コにチ○ポを入れました。妹は気持ちよさそうな顔をしながら母と口移しを続けていました。

1分毎の交代を3セットやったら、母が「あと2回出して」と仰向けになりました。そして妹には「お兄ちゃんの精液3回分まとめて味わいたいから飲んじゃだめよ」と言うと妹も賛成のようでした。母のオ○コにチ○ポを入れると今度は妹が上にまたがってきました。妹のオ○コを見ながら、母を突きまくりました。時々妹のオ○コに指を入れて感じさせたりしながらやったので、腰がおろそかになって怒られました。

母はイキそうになってきた時に「久美ちゃんの口に出して」と言ったので、母が一度イッたあとの2回目に一緒にイッて妹の口に射精しました。妹の口の中にはさっきの精液や唾液が入っているので量はわかりにくかったのですが、それなりに出ました。妹の口の中は2発分の精液と母と妹の唾液が一杯だったので、チ○ポの吸出しと後始末は母がやってくれました。母は少しだけ精液のまざった唾液を妹の口に流しこみました。

2発出したあとですが、チ○ポはビンビンのままなので、3発目はすぐに始めました。母が「こぼれるから母さんが口に入れるわ」と言って、口移しを要求したのですが「平気」と言って拒否して、口に含んだままで仰向けになりました。母は「何かの拍子に飲むことがあるからダメ」と言って、母が仰向けになって、オッパイの上に妹の顔が来るようにしてバックからやるように言いました。

言われた通りに、バックからチ○ポを突っ込みました。妹は口を開けることが出来ないので「ウウウ」と唸っていました。母に「この方が久美がこぼす危険性高いと思うなあ」と言うと「オッパイの上だったらいくらこぼしても大丈夫よ」と言いました。「母さんがああいうから、思いっきり突くよ」と言ってから妹のオ○コを突き始めました。

3回目なのでイクまで時間がかかりました。妹はその間に2回イッていました。でも唸り声だけなのでいつもと様子が違いました。僕が射精に向けて腰を早く動かしだすと、下から見学していて心配した母が「お母さんの口に垂らしなさい。思いっきり声あげたいんでしょ」と言って、母はカラダをずらせました。妹は母の口めがけて精液をドバーっと垂らしていました。

それからは今まで我慢した分、大きな声をあげまくっていました。すぐに妹が「またイキそう」と言ったので、「お兄ちゃん、もうすぐイケる」と言うと「一緒にイク」と耐えていました。そして妹と同時にイキました。今度も中出しでした。グッタリしている妹のカラダを支えて母の顔をまたがせました。母は指を入れて精液をかきだして口に入れていました。

3回分の精液と唾液の量は結構ありました。母と妹が口移しをしあっている間にグラスを取ってきてあげました。ケンカしないように半分ずつわけるためです。妹の口から2つのグラスに精液が入りました。半分ずつになるように分けました。妹からグラスを選んでふたり同時に精液を飲んでいました。
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母に口内射精×2+放尿+野外ゴックン

斉藤先生に、登校前に精液を飲ませようと予定していた日に、斉藤先生が都合でこられなくなってしまいました。前の日に、学校の用事で、僕の家のドアにタッチするぐらいしか時間がないと電話が入ったので、「じゃあ、溜まってる分全部、母と妹に出すよ」と冷たく言うと、先生は「行きますから飲ませてください」と言いました。

その日の朝、母が「もうそろそろ先生が来る時間でしょ。起きなさい」と起こしに来てくれました。そしていきなりパンツから朝立ちしてるチ○ポを引っ張りだして、「先生、忙しいんでしょ。先生が着いたらすぐに、射精できるように、お母さんが舐めてあげようか」と言いました。「舐めるだけだよ」と言うと「わかってるわよ。お母さんだって忙しいんだし、今日はかなり疲れそうだから、舐めるだけで十分よ」と言いました。

オシッコがしたかったので、先にトイレに行くと、ドアを開けたら母が待っていて、パンツの上からチ○ポを握ってきました。「先生に電話したら、あと3分ぐらいだそうよ。だから急いで」と玄関に引っ張っていかれました。母はすぐにパンツを脱がせて「味わってる暇なさそうね」とカポっと口に咥えました。軽く口を前後させてから、舌で全体を軽く舐めてから、口の中に戻して、前後運動を始めました。母は「先生を待たせすわけにいかないから、来るまでに出したくなったら出しなさい。口の中で預ってあげるから」と言いました。その時、ちょうど妹が外出するために、やってきて「お母さん、半分ぐらい飲むから出しちゃダメ」と言って、出て行きました。

妹が出て行った直後に、斉藤先生から電話が入りました。いつもと違う道で来たので、渋滞に捕まって僕の家に寄ったら授業を飛ばさないといけないぐらい遅刻になると言いました。「さっき3分って母さんから聞いたよ」「クルマ止めて走った方が速いんじゃないの?」と強引に越させようと思いました。でも母がチ○ポから口を外して「学校優先よ」と言いました。その声が先生に聞こえたみたいなので「先生が来たら、すぐに出せるように、母が舐めてくれてる」と言いました。母が電話を奪って「息子の精液なんて、いつでも飲めるんだから、今日は学校に行きなさい。ちゃんと言い聞かせるから心配しないで」と言いました。

結局、斉藤先生が来られなくなったので、母の手を退けてパンツを履こうとしまいました。母は「出そうになってたでしょ。飲んであげるから出したら」と言いました。僕は「瞳おばさんの下見に付き合うかも知れないから取っとく」と言うと、「それならお母さんに出しなさい」と履きかけたパンツを奪い取られました。母は「当分、姉さんとはエッチしないで。居候も禁止」と言いました。どこかの兄弟も仲が悪いですが、最近母と瞳おばさんが少しギクしゃくしています。原因は竹野のおじさんに再婚話が持ち上がってるからです。

母が少し機嫌が悪くなったので、母の口に射精することにしました。「じゃあ飲んで」と言うと、「いい子ね」と舌を絡めてきました。「さっきは、味わう暇なかったから、ゆっくりさせて」と言って、舌をねっとり絡めてきました。「ジュルジュル」「カポカポ」「チュパッ、チュパッ」と音を立てたり、チ○ポを持ち上げてタマにも舌を伸ばしてきました。タマを舐めながら僕を見つめてニッコリ微笑みながら「玄関で飲むだけのために舐めてたら、昔のことを思い出して来ちゃったわ」といいました。「高校の頃の話?」と聞くと、「そう。カズちゃんの全身に精液詰まってたころね。でもあの頃は、すぐ出してたわよね」と笑いました。

最初に舐めてもらった時は、気持ちよさもあったけど、母が僕のチ○ポを咥えているという光景に異常に興奮したのはあって、ほんとに一瞬で射精してしまいました。でもそれからは、我慢する訓練をしたので、少しづつ耐えられるようになりました。だけど登校前に射精したくなった時や、父や妹が家に居るのに出したくなった時は、我慢しないですぐに射精する時もありました。登校前は絶対に即射精してました。

母はチ○ポを舐め続けながら、「最後までしなくても、お口や手だけで処理してあげてるお母さんって、全国に何人ぐらいいるのかしら。そんな情報入ってこないの」と言いました。「入ってこないよ。体験者の人からメールが来るか、それともこの前みたいに苦情がくるかだよ」と言いました。苦情と言うのは、お母さんに迫った男の子がいて、追及したら僕の影響というので怒られました。母は「挿入は問題あるとしても、包茎と持続力は、母親が責任持って指導した方が絶対にいいわ。じゃあそろそろ面倒みるわね」と少し強めに舐め出しました。

母は、唇で締め付けながら前後にしごいたり、バキュームフェラしたり、チ○ポの先を舌で強めにレロレロしたりして、出させようとしてきました。僕は我慢しないでイクことにして「そろそろイクよ」と声をかけました。母は頭を前後に振り続けました。「イクよ!」と言って、母の口に射精しました。溜まっていたのでタップリ出ました。全部出来きると母は口を外して、精液を含んだままで「たくさん出たわね」と言いました。そして姿見で口の中を見ながら舌で精液を転がしてから、おいしそうに飲みほしていました。

母が精液を転がしている間に、僕はパンツを履いたのですが、チ○ポがビンビンのままなので、パンツが膨らんでいました。母は「1回で我慢出来るの?今日は口でしか相手してあげられないけど、午前中なら、昔みたいに好きなだけ出していいのよ」と言いました。「いいよ」と言うと母は少しがっかりした顔をしました。でも意外にあさり諦めて「朝ご飯食べる?」聞くので「食べる」と答えると、「すぐに出来るから」というので、キッチンに付いていきました。

母は、手際よく朝食を作ってくれて、僕の目の前に置いてくれました。そしてテーブルの下に潜り込んで、パンツの中に手を入れてきました。「もう出さないよ」と言うと、「お母さんもお腹空いたわ」と言いました。左手でチ○ポを抑えようとしたら、「食事中は、両手はテーブルの上!!」と怒りました。仕方ないので左手をテーブルに乗せました。母はパンツからチ○ポを引っ張り出しました。チ○ポがすぐに立ったので母は「まだ出したらないみたいね」と言いながら、食事が終わるまで揉んでいました。

食事が終わったので、食器を洗おうとしたら、「洗ってあげるから、もう一度だけ頂戴」と要求しました。僕が断ると「お母さんのカラダに飽きたのね」と寂しそうに言いました。「母さんのカラダは、飽きるとか飽きないとか超越してるよ」と言うと、「だったらもう一度いいでしょ。抱いてって言ってるわけじゃないんだから」と言いました。それでも渋ると「自分の子と毎日一緒のベッドで寝る母親(瞳おばさん)の方が魅力的なのね。」とチクチク言いました。

「ただ出すだけだったら面白くないから、町内さん呼ばない?」と言うと、母は「ほらあ、やっぱり飽きたのね」と言いました。「違うよ。母さんだって見せるの好きだろ」と言うと「まあね」と素直に認めて、町内さんに電話していました。でもパート中だったので諦めて、イスから立ち上がりました。母はひざまずいて、すぐにパンツを脱がせてチ○ポを握ってきたのですが、握ったままで少し考えごとしてから立ち上がりました。タレの容器が入っている棚を開けたので何をしたいのかすぐにわかりました。

母は「1発目も残しときゃよかったわ」と言いながらチ○ポを咥えました。10分ぐらいたっぷり舐めてもらってから母の口に射精しました。母は容器に精液を流しこみました。そして容器を眺めて「たったこれだけじゃあ面白くないわね」と3発目を要求しました。「出しても薄いから意味ない」と拒否したら諦めてくれました。その代わりに、オシッコを別の容器に入れて欲しいと頼まれました。自分で入れるのは情けないと言うと、母が尿道に容器を当ててくれました。すぐに一杯になったので残りは全部母が飲んでくれました。
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昼はホテルで母に2発、夜は妹に2穴

妹の友達に見せてしまってほんとに良かったのか悩んでいます。そのことを妹に言ったら機嫌を悪くしてしまいました。母は「2、3日したら機嫌直るわよ」と言ってくれたのですが、僕が機嫌を取らなかったので、なかなか直ってくれませんでした。でも今は直っています。だから今週の告白が書けます。

妹の機嫌を損ねて3日目、僕は修行先が休みでした。だから妹を連れて遊びに行こうと思っていました。前の夜にダメ元で父に「明日、クルマ貸して」と頼んだら、父は返事してくれなかったのですが、母に「今晩、付き合いがあるから電車で行く」と言って、クルマを置いていってくれました。母は父が家を出ると、すぐに僕を起こしにきてくれて、クルマのことを教えてくれました。すぐに妹の部屋に行ったら、妹は「ノックぐらいしてよ」と怒っていました。僕が高校生の頃に、全裸で押しかけたら良く怒られたけど、最近はノックもしないで入るのが普通になってたのでビックリしました。それ以上、誘えなかったので諦めました。

妹が外出したら、母が「せっかくクルマあるんだし、どこかドライブに連れてって。お母さん、もうすぐ捨てられる身だから、いいでしょ?」と言いました。僕は妹とのことで悩んでいても仕方ないので母と出掛けることにしました。母が化粧しに2階にあがっていきました。なかなか降りてこないので、露出プレイの用意でもしてるのかなあと思って、覗きに行きました。すると母は鏡台の前でケータイで会話をしていました。母が「うちの子が私とのデート、待ちきれないらしいわ。・・・・休みなの・・・・まだ決めてないわ・・・もちろんするわよ。真昼間だけどクルマの中でもいいかも。・・・・ちょっと待って」と電話の相手に言ってから、僕に向かって「お母さんがカズちゃんのおちんちん舐める音が聞きたいんだって。脱いで」と言いました。過去にも何回かこんなことしたことがあるので、電話の相手は聞かなくてもエアロビの先生ってわかってしまいました。母は「レロ、レロ、ジュルジュル、ちゅぱっ、ちゅぱっ、カポカポ」と音を立てながら、舌で亀頭を舐めまわしたり、裏と表を往復したり、唇でしごいたりしました。「うちの子、毛を剃っちゃたのよ、舐めやすくなっていいわよ」と言ってから、チ○ポを舐めながら、乱交パーティの相談をしていました。

「もうビンビンよ。W先生が見たらすぐに入れたくなると思うわ。・・・まだしないわよ。家の中だったらいつでも出来るわ。・・・たまには2人だけで楽しみたいし、体力残ってたら行くわ。じゃあ」と言って電話を切りました。エアロビの先生は、母が僕のチ○ポを舐めている音を聞いているうちにエッチしたくなって、今から乱交しないかと言ったそうです。母は「この前、浩樹君とほんとの初体験した人いたでしょ?今、ジムにいるらしいのよ。倉庫に連れ込むから来てって誘われたけど断っちゃった。久美ちゃんの機嫌取る方が先だからね」と言いました。

チ○ポをズボンの中に入れて、クルマで出かけました。母は僕のチ○ポをズボンの上から軽く揉んだり、赤信号で止まるとキスを迫ってきました。5回目ぐらいのキスの時に信号が代わったのにキスしてたからクラクションを鳴らされてしまいました。それから、母はまじめに座っていました。行き先は母の希望で京都でした。クルマをパーキングに入れて、母と腕を組んで清水寺から坂をくだって円山公園で少し休憩しました。母は修学旅行生がたくさんいたのにキスを求めてきました。僕が軽くキスすると、年齢差があるのでやっぱり不思議そうに見られてしまいました。

食事をしてから、河原町とか新京極通りで母の買い物に付き合いました。妹に下着を何回かプレゼントしたことのある店に近づいたら「お土産にプレゼントしてあげなさいよ」と言いました。母に連れられて店に入りました。母は店の中でも腕を組んだままで下着を選んでいました。僕が選ばうとしないで付いて歩いてたら「自分の好きなの選びなさい」と言うので、選びました。母は自分用の下着も僕にプレゼントしてと言いました。妹と母のブラとパンツのセットを買って店を出ました。そのまま歩いているとファッションホテルが見えました。母は「さっそく付けて見たいわ」と言って、ホテルの方に引っ張りました。

部屋に入ると、先に母と一緒にお風呂に入りました。母は家を出てからずっと僕に甘えていたので母から言われる前に、カラダを洗ってあげようと思ったら、「お母さんが洗ってあげる」と言って、手にボディソープを付けて、全身を手でやさしく洗ってくれました。チ○ポは、パイズリで洗ってくれてから、「久しぶりに壺洗いしてあげてるね」と言って、チ○ポをオ○コに当てて腰を降ろしてきました。「硬すぎるけど、ここでは壺洗いだけよ」と言いながら、腰をくねらせたり上下運動したりして、チ○ポを洗ってくれました。母は僕の表情を見ながら「感じたらだめよ」と言いながら、自分も感じないように我慢してるみたいでした。少しだけ下から突き上げたら「ダメ」と腰を浮かせて離れてしまいました。その次に肛僕を四つん這いにさせて、肛門を気合入れて舐めてくれました。肛門を舐めてる間、チ○ポも手で軽くしごいてくれていたので、母のオ○コに入れたくなってしまいました。母がお尻から手を離したので、僕は立ち上がって母の手を引っ張って立たせて、キスをしようとしました。でも母は「お母さん、まだ洗ってないわよ」と抵抗しました。僕は「早く入れたいからいいよ」と強引にキスしました。

母は抵抗をやめて僕の舌を受け入れてくれました。キスの刺激で母のカラダから力が抜けたので、母の片足を持ち上げて向き合ったままでチ○ポを入れようとしたけど、母は「せっかくホテルに来たんだから、ベッドで抱いて」と言いました。僕は諦めてバスルームから出ました。そして母をベッドに押し倒してもう一度キスから始めました。キスの後は母の耳とか首筋を舐めてから、乳首を丁寧に舐めました。母は「こんなに丁寧にしてくれるのって久しぶりね」と言いました。僕は「母さんは、丁寧にされるのと、犯されるようにするのとどっちの方がほんとは好きなの?」と聞きました。すると母は「両方とも好きよ。カズちゃんがじっくり気持ちよくしてくれるんだったらそれでもいいし、お母さんの都合無視して、入れたくなったら入れてもいいし、どっちでも好きよ」と言いました。僕は時間がたっぷりあるので、丁寧に舐めました。オ○コの穴にも舌を入れてきっちり舐めました。肛門もたっぷり舐めました。

母のオ○コが濡れまくってから下着のことを思い出しました。今から履いたら汚れるので「母さん、下着着けなくていいから入れるよ」と言うと、「せっかく買ってもらったんだから、付けさせて」と言いました。母はベッドから起き上がって、さっき買った下着を着けました。すごくエッチポイ下着でした。母は「やっぱり濡れちゃったわ」とパンツの股間を触っていました。僕は「着けたままやるよ」と母をベッドに押し倒しました。そしてブラの上から、オッパイを揉みまくりながらキスをしてから、パンツを少しずらせてチ○ポをオ○コに当てました。母は頭を持ち上げて股間を覗きこんで「すごくエッチな感じね。これ気に言ったわ。ありがとう」と言いながら、僕がチ○ポを母のオ○コの奥までゆっくり入れて行くのを見ていました。

チ○ポがズッポリ入ると、母はまたまたキスを求めてきました。僕は腰を動かしながらキスをしました。キスの最中に母がごろんと回転しようとしたので、そのまま上下逆になりました。母は僕のチ○ポをオ○コにガッチリ入れたままで僕の顔が唾液まみれになるまで舐めまくっていました。それから母は上下運動を始めました。母は「すごく硬いけど、出したかったら出してもいいのよ」と言いながら腰を動かしていました。すこしやばそうだったけど「大丈夫だよ」と言うと、母は「ほんと?」と言ってチ○ポを抜いてしまいました。母は今にもイキそうなぐらいにパンパンになっていた僕のチ○ポを見て「我慢しないで出しなさい。焦らせ過ぎてごめんね」と言って、もう一度騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そして母は「出しちゃいなさい」と腰をくねらせてきました。僕は「じゃあ出すよ」と我慢しないで、母のオ○コに中出ししました。

母のオ○コの中にピュッ!ピュッ!!と精液をたっぷり出しながら腰をビクッビクッとさせていたら、上から僕の顔を見ていた母が「カズちゃんのイキ顔かわいい」と言いました。僕は「母さんのイキ顔もかわいいよ」と言うと「ほんとにそう思ってる?」と笑顔で言いました。「ほんとだよ」と言うと「じゃあ今度はお母さんもイカせてもらうわ」と、精液を入れたままで腰を動かし始めました。僕も下から母のオ○コを突き上げました。母は僕が攻めだしてからも腰を動かし続けていたので、僕は母のお尻をしっかり固定してバコバコ突き上げました。母は自分から腰を動かすのをあきらめて、僕に突かれて感じまくっていました。そのまま突き続けると「イク、イク!」と軽くイッてしまいました。

それから母はカラダを反らせて、自分の精液まみれになっているチ○ポが母のオ○コに入っている様子を見せつけてきました。「パンツにも精液ついっちゃってるよ」と言うと「あとで舐めてきれいにするからいいわよ」と言いました。そしてそのままゆっくり回転を始めました。180度回転したらカラダを前に倒して「見える?」と聞いてきました。パンツ脱いだ方が良く見えるので「脱いだ方がいいよ」と言うと、母はチ○ポを抜いて立ち上がりました。そしてパンツを脱いで、パンツに付いた精液をきれいに舐め取ってから、もう一度背面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そしてカラダを少し前に倒しながら腰を動かしてチ○ポをオ○コでこすってくれました。母のオ○コの中の精液も、チ○ポに付いた精液もふき取らないで再開したので精液でグチャグチャになっていました。

そのあとは、バックで母を突きまくりました。ゆっくり出し入れしたり、高速で突きまくったり、グリグリしたり、チ○ポを抜いて、チ○ポでクリトリスを擦ったりしました。バックで母をイカせたら、今度はオ○コと肛門に交互に入れました。僕が「さっき、オ○コに出したから今度は肛門に出す?精液飲んだら、全部の穴に入ったことになるからその方がいいでしょ?」と言うと、「そうして」と答えました。オ○コと肛門をだいたい30秒間ずつ突きました。母は「アアッ!アアッ!!」と叫びながら感じまくっていました。「両方の穴でイカせてあげるね」と言って、最初はオ○コを突きまくり続けました。母はすぐに「イク!イクウウウ!!」とイッてしまいました。

母のオ○コから精液とオ○コ汁のニオイでプンプンしたチ○ポを、肛門に入れました。そして射精するまで肛門にズボズボ出し入れを続けました。母はシーツを掴みながら「カズちゃんもイクの?」と聞きました。「もうすぐイク」と言うと、「一緒にイクわ」と言って必死で耐えていました。耐えている顔が今にもイキそうな顔だったので、僕もすぐにイケるように激しく動かしました。そして「イクよ」と声をかけました。その瞬間、母は「イグッーー」とイッてしまいました。僕は母の腸にめがけて射精しました。

母は余韻に浸りながら「気持ちよかったわ」と嬉しそうでした。そして手を伸ばして僕のチ○ポがまだ硬いままなのを確かめてから、「カズちゃんのおちんちんって、何歳ぐらいまで出しても硬いままでいられるのかな・・」と言いました。そのあと、チ○ポを抜きました。母が頭をあげて口を開けたので、僕は母の口にチ○ポを入れました。母は「恥ずかしいぐらい汚れてるわ」と言いながら、チ○ポを丁寧に舐めてきれいにしてくれました。そのあとは僕が母のオ○コと肛門に付いた精液を自分で舐め取って、母の口に入れてあげました。母は「ありがとう」と言ってから精液を舌の上で転がしてからおいそうに飲んでいました。

喉が渇いたので冷蔵庫からアミノ酸系ドリンクを出して飲みました。母は口移しで飲みたがったので、口に含んで飲ませてあげました。そのままキスしました。「今日、何回ぐらいキスしてるかなあ」と聞くと、母は「10回以上してるかなあ・・」と言いました。このままもう1発やろうと思ったので、舌を母の口に入れようとしました。すると母が「そんなことしたら、お母さんまた欲しくなるわよ」と言いました。僕は「3発出すつもりだったけど?」と言うと、「うれしいけど、下着プレゼントしてお礼に久美ちゃんが欲しがったらどうするの?」と言いました。素直に2発でやめて、もう一度お風呂に入って帰りました。

夜、妹が帰ってきました。買ってきた下着を渡して謝りました。妹は無反応で自分の部屋に入りました。母は「いつまでも怒る性格じゃないから、もう大丈夫よ」と言ってくれました。夕食は3人で食べました。妹は母とは会話したけど、僕を無視していました。でも目はあわせてくれて「イー」って顔をしてきました。今日もダメかなあと諦めたのですが、夜遅くに、妹が僕がプレゼントした下着を着けて入ってきました。そして「下着姿のあたしみながらオナニーできたら許してあげる」と言いました。僕はすぐに下半身だけ脱いでチ○ポを握りました。チ○ポがすぐに立ったので「反応よし」と妹が言いました。僕は妹の下着姿を見ながらしごきました。イキそうになってきたけど、機嫌が直りかけた妹に「飲んでくれる?」と聞けないので、ティッシュの方を見たら、妹は僕の前にしゃがんで口を開けてくれました。僕は、妹の口の中に射精しました。妹は「薄いけど、お母さんに2回で我慢したから許してあげる」と言ってくれました。妹は精液を飲んで部屋から出ていきました。

ほっとしたので、そのままベッドで眠ってしまっていました。気がついたら母がチ○ポを舐めていました。妹の部屋からは「アアン、アアン」と妹の声が聞こえていました。母は「早く、久美ちゃんの部屋に行きなさい」と僕を起こして背中を押してくれました。妹の部屋に行くと、父が正常位で妹のオ○コにチ○ポを突っ込んでいました。父は「やっときたか。久美、サンドイッチしたいらしいから」と言いながら、妹を抱いてひっくり返りました。妹の肛門は、さっきまで父のチンポが入ってたみたいな感じでした。僕はすぐに肛門にチ○ポを当ててゆっくり入れました。

この体勢で肛門を突きまくってイカせたら上下逆になりました。今度は父がオ○コを突きまくってイカせました。父がオ○コからチ○ポを抜くと母が僕のチ○ポを肛門から抜いて、妹のオ○コに入れてくれました。そして妹の手を引っ張って騎乗位にさせてから180度回転させました。父はすぐに妹のカラダを前に倒して肛門にチ○ポを入れました。父がいきなり激しく突きまくると妹は「アアアアアアアアーーーー」と声を上げていました。父は「肛門に出すぞ」と妹と同時にイッてしまいました。妹は僕の顔とカラダによだれを垂らしまくっていました。

母が妹の肛門をきれいに舐め終わるまで待ってから、座位になってキスしながらグリグリと動かしました。隣で母が父のチ○ポをもう一度たたせようと舐めていました。父はチ○ポが元気になると「お前も出すか?今日2回出したらしいな。3回出すなら出してもいいけど、疲れてたら、久美が失神するまでサンドイッチ続けて終わりにするからな」と言って、僕に立ったままやるようにいいました。父は立ったままの妹の足を持ち上げて肛門にチ○ポを入れました。妹は自分の力で立っていられなかったので、僕と父が無理やり立たせながらオ○コと肛門を突きまくりました。妹がイッた時は完全に足の力が抜けていました。妹がイッたので動きを止めたら、母が妹と僕と父の結合部にしゃがんで舌を這わせてきました。母は「洪水ね」と言いながら舐めていました。

射精したかったので、最後は1対1になって、妹をマングリ返しにしてオ○コと肛門を交互に突いてオ○コに中出ししました。母が精液を吸いだそうとオ○コに口を付けたら、妹はカラダを痙攣しながら「感じすぎるから指でかき出して」と母の舌をオ○コから離そうとしてました。母が「きれいにしてあげるだけよ」というと、妹はオ○コを舐めさせました。それから母は指を入れて精液をかき出す前に、クチュクチュとオ○コをこねくまわしてイカせていました。最後に妹は「死ぬかと思った」と満足そうに言ってました。
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妹が種付け再開を宣言した日のこと

9月に入ってから、妹との種付けを再開しました。再開後の妹の方針は
1)まずはオ○コを時間をかけて舐めてイッてから挿入。
2)体位はバック、屈曲位、まんぐり返し突きで、チ○ポの先を子宮口に押し当てて射精すること。
3)射精後は30分間、染みこませること
この3つをしっかり守ること。そして種付け日記をつけると言いました。
これだけなら、大したことはないのですが、週に2回以上はこれを2セット(ようするに2発射精)やって欲しいと言いました。

初日のことです。僕と母と妹とミーちゃんと夕食を食べている時に、妹は「今日から子作り再会するから、お母さんとミーちゃんはお兄ちゃんとのエッチを控えてね」と突然言いました。すると母が「急に言われても困るわ。カズちゃんとはもう4日間もしてないのよ」と今日から子作りに入ることに文句を付けました。
「ミーちゃんは、おとついお兄ちゃんとエッチしてたから平気よね」
「・・・ハイ・・」
妹に睨まれたミーちゃんがしぶしぶOKすると、次は母に「祐君と春樹君のエッチで忙しくてお兄ちゃんとしなかったのはお母さんの勝手よ」と言いました。
すると母は、春樹君のお母さんが生理だから、オナニーさせるのは可愛そうとだし、春樹君が祐君のお母さんとエッチする日は、代わりに祐君を癒してあげないと寂しがるからと、自分の正当性を主張しました。
でも結局、妹が「妊娠するまでの短期間だけだから」と無理やり納得させてしまいました。

母が不機嫌そうに食事を取っていると、めずらしく妹の方から母の機嫌を取り始めました。一応、父は今でも、兄妹で子供を作るのはあまり薦められないと少し反対する気持ちを持っているので、母に協力してもらうために「お兄ちゃんに射精させたら困るけど、そうじゃなかったら10時迄ならエッチしてもいいよ」と言いました。
「ミーちゃんは、どうする?」
「エッチしたいです!!」
母は、ミーちゃんもエッチしたがってることがわかって、「一緒にしよう」と言いました。すると妹が「3Pは、ダメ!お兄ちゃんが出しちゃったら大変だから、別々にして」と言いました。
母も、妹もとりあえず、今日エッチしてイケたら3Pじゃなくてもいいからと妹の命令に従いました。

「両方の穴使いたいから、準備してこいよ」とアナルエッチ大好きなミーちゃんに言いました。ミーちゃんが「あと片付けしてからにします」と答えると、「今日は、サービスしてあたしがしてあげる」と妹が言いました。それを聞いたミーちゃんは、すぐにトイレとシャワーをしに行きました。
そして母が僕の手を握ると、リビングに移動しようとしました。
でも妹が「2階はダメだよ。あたしの見えるとこでして」と言うので、母は僕から手を離して僕を全裸にしました。そして自分もパンツを脱いでその場にひざまずいてチ○ポに顔を近づけてきました。そしてチ○ポの先っぽを軽く舐めながら「10時までは、久美ちゃんは絶対に参加してこないのね?」と聞きました。
「10時からお兄ちゃんにたっぷりしてもらうから、邪魔しないから安心して」と答えると、あと片付けを続行しました。
母は「ほんとに邪魔しないのかしら」と僕に言いながら、先っぽをチュパチュパしてから、チ○ポ全体を舐め始めました。僕のチ○ポはすぐにギンギンになったけど、母は自分の持ち時間の1時間をたっぷり堪能しようと、それから約15分間フェラを継続しました。

テーブルの上がきれいになると、仰向けに寝かされて母は玉舐めもやってくれました。玉舐めしながら母は、僕のチ○ポを軽くしごきながら第1チ○ポ汁をドクドクと出させながら、手のひらに取ってチ○ポ全体にこすりつけてきました。凄く気持ちいいので、舐め続けてもらっていたら、キッチンから一旦離れていた妹が「お母さんだめよ」と言いながら戻ってきました。
「そんなに第1チ○ポ汁出させてどうするのよ」と母の手を掴んでチ○ポから離させてしまいました。
「お兄ちゃんが射精しちゃったら、どうするのよ!!」と少し怒った口調で言いました。「わかったわよ。カズちゃん、もう入れちゃって」と、母はキッチンの床の上で四つん這いになりました。テーブルの上から降りると、フェラだけですっかり濡れた母のオ○コの穴の表面に浮出ていたオ○コ汁をチ○ポの先っぽで全体に伸ばしました。たっぷり伸ばしてから、そのままバックでチ○ポを入れました。
「アアーーー硬くて気持ちいいわあ・・」
背中をピーンと伸ばしながら、最初の刺激に感じた母が声をあげました。そして「今日は、何回もイッたら怒られそうだから、イカせてくれなくていいから、ずっとお母さんの中をゆっくりと擦って欲しいの」と言いました。
「まだ30分以上は、母さんとエッチできるけどいいの?」と聞くと、「いいの。30分間ずっと擦って、それから最後にイカせて」と言いました。

母の奥でじっとしていたチ○ポをゆっくりと動かし始めました。チ○ポの先っぽでオ○コの上側を特に強くこするような感じでゆっくりと擦りました。
「気持ちいいわ〜」
妹は母が気持ちよさそうな声をあげていても、おかまいなしに片付けとか、ミミちゃんや大和の世話をやっていました。
激しくピストン運動しているわけじゃないので、母はまったりと感じてるような声をあげていました。
それからほんとにゆっくりと擦り続けました。擦り続けながら、母のオ○コの構造をじっくりとチ○ポの先っぽでチェックしました。母がオ○コの中で一番感じるポイントをこすりながら、そこに何かあるのかじっくりと確かめました。普通のスピードとかゆっくりしたスピードのピストン運動では発見することが出来なかったのですが、この時は、3mm/s位のスピードでオ○コの上側を探りながら進んだので、オ○コの中の微妙な変化に気づきました。
オ○コの中にカメラを入れてもわからないと思いますが、その場所に当たった瞬間に母のお尻がブルッと震えるます。指で探ってもわからないのに、それより鈍いはずのチ○ポの先でオ○コの中の硬さが微妙に硬いのがわかりました。
たぶん、母のからだが年齢とともに衰えてきたのが原因だと思います。そのポイント中心に擦りました。

「うわああーー気持ちいいーーーー」
ちょうど母の頭の延長線上に妹がいたので、背中を反らせて、気持ちよさそうな顔を妹の方に向けて感じていました。
そのまま、バックで約10分間ぐらいゆっくり擦り続けました。そして後片付けが終わった妹がリビングのミミちゃんと大和のところに移動したので、僕と母は結合したままでリビングに移動しました。
リビングでは、母をソファに座らせて、そしてオ○コを擦りました。ミミちゃんが母の所にきたので、母はミミちゃんを抱きながら、チ○ポの感触を楽しんでいました。
両方の穴の準備が完了したミーちゃんが戻ってきたので、母のオ○コを擦りながら、ミーちゃんのクリトリスを指でいじったりもしました。

ずっと擦り続けて、最後にイキなりイカせるのはしんどいので、ラスト15分が過ぎてからピストン運動を開始しました。すると妹が「お兄ちゃんに余計な体力つかわさないで」と言いました。激しいピストン運動じゃなかったけど、母は「じゃあ。仰向けになって」と、僕に仰向けになるように言いました。仰向けになると、母は自分のオ○コ汁まみれのチ○ポを掃除してから、対面騎乗位でまたがってきました。母のオ○コの奥までチ○ポがズッポリ入ると、妹が勝手に「ミーちゃんはお兄ちゃんに舐めてもらったら」と顔面騎乗するように言いました。
ミーちゃんのオ○コを舐めながら、時々突き上げて母をイカせる準備をしました。そしてラスト5分になると、母が「久美ちゃん、最後はお兄ちゃんに奥深くまで激しく突いてもらいたいのよ。だめ?」と腰をくねらせながら言いました。妹は「お兄ちゃん、さっさとイカせちゃって」とOKを出しました。

そしてもう一度バックで母のオ○コにチ○ポを挿入しました。今度は挿入の瞬間から強くズボッ!!と突っ込んで母のお尻に下腹部を打ち付けました。
「ああーーきたーー!!・・キク!!気持ちいい!!・・そこそこ・・気持ちいい!!!」
母は自分からも僕にお尻をぶつけるように動かしていました。隣でミーちゃんがパンツの上からクリトリスを触っている様子が見えていたし、母も早くイクことを望んでいたので、スピードを緩めずに突きまくりました。
ゆっくりと擦っている時でも、オ○コ汁がドクドクと放出されていて、僕のチ○ポがかなり白くなっていて、擦るのを止めてオ○コ汁を乾燥させたら、母と僕が結合したままで固着されてしまいそうなぐらいでした。そんな状態から激しくピストンをしたので、雰囲気的には指マンで汁をピュッピュッ!と飛ばさせるぐらいの刺激になっていて、妹が「お母さん、濡らしすぎ」と注意を受けていました。

あんまり多いので、妹が「お兄ちゃん、ひょっとして出してないね?」と言いながら、僕と母の結合部に指を伸ばして、オ○コ汁をすくい取って味見していました。「お母さんの味がする」と安心していました。
それから僕は、母の手を取って後ろに引っ張りながら、バコバコ突きまくりました。
「ささる!ささる!!・・・アッ、だめだめ・・いっちゃういっちゃう、あっイク・・イク!!!」
母は上半身を浮かせたままで激しくイッてしまいました。ゆっくりと上半身を着地させると、母はいつもの倍ぐらいの時間、全身をピクピクさせていました。口をポカンと開けたままでヨダレを垂らしていました。
「お母さん、満足したでしょ?」
「気持ちよかったわあーーー」とピクピクしながら余韻に浸っていました。オ○コもぽっかり穴が開いたままになっていました。
母のオ○コ汁チ○ポを掃除させるつもりはなかったのですが、さっきから順番を待っていたミーちゃんがパクッと咥えてしまいました。そして、興奮しきっていたミーちゃんが、バキュームフェラを始めたので、暴発の恐れがあるので慌てて止めさせました。

チ○ポを少し冷ますために、オ○コと肛門をたっぷり舐めてから、まずはV字開脚させてミーちゃんの両足を抱えながら、オ○コに挿入しました。
「凄く硬いです!!」とチ○ポがズブッと入った瞬間にうれしそうな声をあげてくれました。そして奥深くに入れたままで、持ち時間の30分間をどんなふうにエッチしたいか聞きました。
「奥まですごく激しく突いて欲しいです」
「そんなことしたら、30分は我慢できないよ」
「我慢してください」
この言葉を聞いた妹が、いきなり結合部に手を伸ばして、ミーちゃんのオ○コからチ○ポを抜いてしまいました。
「久美さん、ごめんなさい」
妹がいきなりチ○ポを抜いた理由にすぐに気づいたミーちゃんは、妹に向かって謝っていました。妹は「お兄ちゃんとの種付けの前に特別にサービスしてること忘れないで。ミーちゃんがお兄ちゃんと種付けしてる時に邪魔しなかったでしょ!」と注意しました。厳重注意じゃなかったので、妹はチ○ポの先をミーちゃんのオ○コの穴に向けたので、すぐにオ○コに挿入しました。

「うれしいです!久美さんありがとう!!」と妹に感謝をしながら、目を開けて僕のチ○ポが自分のオメコに出入りする様子を眺めていました。
最初は普通にピストンしたけど、ミーちゃんが「お母さんと同じくらいゆっくりがいいです!」と言ったので、ゆっくりとオ○コの内部の構造を確かめながら出し入れを続けました。
挿入開始3分後ぐらいから、それまで余韻に浸りきっていた母が復活してきて、ミーちゃんとキスをしてからオッパイを舐め始めました。その様子を見ながら、15分間ぐらい出し入れを続けました。
それから対面騎乗位に変えて、今度はミーちゃんにゆっくりと腰を動かさせました。母は後ろに回って、ミーちゃんの肛門を丁寧に舐めていました。
「そろそろ、お尻にも入れてあげたら?」と母が言うので、ミーちゃんを四つん這いにして、バックで肛門にチ○ポをズズズーと入れました。
「ハアアアアアーーーーー」と肛門大好き妻のミーちゃんが気持ちよさそうな声をあげました。
肛門も同じようにゆっくりと出し入れしました。時々、ミーちゃんに腰を動かさせたり、肩を床に付け、顔を僕の方に向けるように命令して、そしてズボズボと少し強く肛門を突いて、気持ちよさそうに感じているミーちゃんの表情を眺めて楽しみました。

「お兄ちゃんの大事な正妻だから、両方の穴でイカせてもいいよ」と妹が言うので、まず最初に肛門をそのままズボズボ突き続けました。ミーちゃんは「気持ちいい!!気持ちいい!!」と連呼していて、すぐにイキそうな雰囲気だったのに、妹は僕の体力のことを考えたのか、もっと早くイカせようと思って、ミーちゃんのクリトリスをいじり始めました。でもミーちゃんは文句を言わずに、さらに感じはじめました。
「お尻気持ちいいです!!・・・アッアッ・・イキそう・・イキそう・・・イキます!!」とイッてしまいました。
ミーちゃんのお尻がブルブル震えている間、ずっと肛門にチ○ポを挿したままでじっとしていました。
「気持ちよかったです」と言ったので、ゆっくりとチ○ポを抜きました。すぐに母がパクッと咥えて、肛門に入っていたチ○ポの掃除を始めてくれました。
でも母は、ここぞとばかりに掃除というより、自分が楽しむためのフェラを始めました。ミミちゃんと大和の世話で忙しくなった妹は、母がかなり強めに吸いながら舌をからめてきたことにすぐには気づきませんでした。
気持ちよかったので、そのまま舐めてもらっていると、妹に気づかれないのが面白くない母が、徐々にバキューム音を立て始めました。
「お母さん!!そんなに強く吸わないでよ!!」とやっと気づいて、あわてて飛んできました。母は口をキュッと締めてチ○ポに吸い付いてきました。
妹に腕を引っ張られても頬を思いっきりへこませながら吸い付いていました。引っ張るのをあきらめた妹は、母のオ○コに指を2本入れて、激しく動かし始めました。
「アッアッ・・気持ちいい・・・」と言いながら、チ○ポを口の中から出しました。妹がオ○コから指を抜くと、「久美ちゃん、気持ちいいから、もっとして!!」と妹の手を取ってオ○コに戻そうとしました。妹は「自分でしたら」と逃げていきました。

母の強烈なお掃除バキュームフェラが終わったので、オ○コに挿入しました。今度は、最初から普通にピストン運動をしました。オ○コでイカせる時間がなくなったら、かわいそうなのでズボズボ突きまくって、最初から激しくあえぎ声をあげさせて、すぐにイカせました。

このあと予定より30分間長く休憩してから種付けを再開しましたが、初日のエッチは、報告して面白い内容じゃないので、今回はパスします。一応、2回中出ししました。
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ラブホで母に気持ちよくしてもらいました

会社の有給ノルマの消化が3月15日迄に迫っているので、有給を取って午前中はミミちゃんと遊びました。そして午後から用事をしに大阪市内に行く母の送迎に付き合いました。帝国ホテルでその用事は行われていて、1時間ほど終わるまで待ちました。そして母をクルマに乗せて家に向けて走り出すと「今日は暖かいから少し散歩しない?」と言ってきました。

橋を渡った直後で、ちょうどそこは、桜ノ宮のラブホ街のそばでもありました。クルマをとめて外に出ると、母がすぐに手をつないできました。そしてしばらく川のほとりを散歩しました。散歩中、母はラブホのことを全く口に出しませんでした。普段なら利用しなくても、フロントの部屋の案内を見に行ったりするぐらいなのに、この時は全く触れようとはしませんでした。でも1万回以上、母のオ○コに挿入した僕としては、母の本音はすぐにわかりました。
「このあと特に予定ないから、エッチして帰ろうか?」
僕の方から誘うと、母はニッコリ微笑みました。
「ちょうど僕も母さんとふたりだけでじっくりエッチしたかったところだから」
「うれしい。お母さんもカズちゃんにいっぱい突いてもらいたかったのよ」
「お尻も使うよ」
「浣腸持ってきてないわよ」
と話していたら薬局があったので、そこでイチジク浣腸を買ってからきれいで広々した感じのラブホに入りました。最初に良く名前のきくホテルを覗いたのですが、部屋が狭そうな感じがしたのでパスしました。というのも、僕と母のエッチは、ベッドの上だけじゃなくて、あちこちの場所でやるからです。

「わあほんとに広いわあ!!」
ラブホサイトを検索しても名前しか情報が載っていないホテルでしたが、部屋はきれいでウェルカムサービスもありました。用事の都合で昼食を食べてなかったので、メンバー登録して無料の食事を頼みました。そして食事の前に、浣腸して腸をすっきりすることにしました。まず母だけを全裸にして、浣腸をしました。全裸にしたのは、浣腸のあとに肛門を清掃するからと、そして食事が来たら全裸で受け取らせようと思ったからです。

肛門清掃が終わった母に、チ○ポを即尺を命じました。母は楽しそうな表情を浮かべながら僕のズボンを脱がしにかかりました。そしてパンツを脱がされかけた時に、チャイムがなりました。「母さん、裸で取りに行って」と命令しました。
母は躊躇なくすぐに飛んで行きました。
「もう置いて帰ったみたい」
食事を頼んだときに「カギは開けておいてください」と言われました。自動ロックしかかけてなかったので、係の方は食事を置いて部屋の外に出てからチャイムを鳴らしたみたいで、母の全裸を見せることに失敗しました。
失敗したのは残念でしたが、女性に女性の裸を見せつけても仕方ないので、そんなにガッカリしませんでした。
それからすぐに食事にしました。昔、エッチを覚えたてで母のからだを常に触っていたかった頃を思い出して、合体したままで食事をすることにしました。

「チ○ポがカチカチになったらご飯にするから」
「カチカチにしたら先に入れて欲しいわ」
「母さんとつながったままでご飯が食べたいんだ」
母は僕に向かって微笑むと、僕の足の途中で止まっていたパンツを完全に抜き取りました。そして僕の目を見ながらチ○ポに舌を伸ばしてきました。僕が母の目をじっと見ていたので、母は目をそらさずに亀頭と裏筋を舐めながら僕を見つめ続けてくれました。
1分ぐらい見つめあったから、母は目を外して玉を舐め始めてくれました。玉舐めは思わず声が出てしまうので、母は僕の声が好きらしくて念入りに玉を舐めてきました。食事のことを忘れて舐め続けてもらいました。
舌が玉からチ○ポの先っぽに戻った母は、第1チ○ポ汁を吸い取ったり、舌で亀頭中に広げたりしました。そしてイカせるためのフェラじゃなくて、チ○ポをいとおしむフェラをずっと続けてくれました。

15分間ぐらい舐めてもらった頃に、お腹が「グウウ」と鳴りました。その音を聞いた母はチ○ポを口に入れたままで「お腹空いてるんでしょ?ご飯にしようか?」と声をかけてくれました。
お皿の位置を結合状態でも取りやすいようにしてから、対面座位でチ○ポを入れるようにいいました。母は「カズちゃんのおちんちんをたくさん舐めたから恥ずかしいぐらい濡れてるわ」と言いながら、僕のチ○ポをオ○コに当てて、ゆっくり腰を下ろしてきました。母のオ○コの中は恥ずかしいぐらい濡れていて「ツルッ!ズボッ」と入ってしまいました。
母は「アーン硬い・・」と声を漏らしていました。
しっかり結合出来たので、一緒に食事をとることにしました。母は「食べさせてあげようか?」と言ってきたのですが、断って、自分で食べ始めました。でもふたりの間隔がそんなになくて食べづらいので、ひとりずつ食べることにしました。僕が注文した焼肉ピラフを母に渡すと、うれしそうにスプーンですくって、僕の口に運んでくれました。そして僕が良く噛んでいる間、母はオ○コをキュッキュッとうごかして僕のチ○ポを締め付けていました。そのおかけでカチカチ状態を継続することが出来ました。母も心配になったみたいで、僕が噛んでいる間、結合部に指を伸ばしたり、抜けない程度にチ○ポを引き出してどの程度カチカチなのか確かめていました。

焼肉ピラフも途中で飽きてきました。母が頼んだ海老ピラフが食べたくなったので、口の中でグジャグジャにした焼肉ピラフを母の口に入れました。「ありがとう」と母はグジャグジャの焼肉ピラフを飲み込みました。
「飽きたから半分ずつにしよう」
そう言うと、母は焼肉ピラフの皿をテーブルに置きました。そしてつながったままで海老ピラフの皿を取って、スプーンですくおうとしました。でもこのまま素直に食べても面白くないので、チ○ポをオ○コから肛門にチェンジすることにしました。
「今度は肛門に入れて」
「もうお尻使うの?」
「どこに入れようが僕の勝手だろ?」
「わかったわ」
母はゆっくりと腰を浮かせてオ○コにズッポリと飲み込んでいたチ○ポを抜きました。当然ながら母のオ○コ汁まみれのギンギンのチ○ポがビターン!!と僕のお腹を打ちました。母はすぐにチ○ポを握ると、肛門にチ○ポを当ててゆっくりと腰を降ろしてきました。オ○コのようにツルッとは入らないので、ゆっくりと押し込みました。
「ハアアーーーー」
肛門を全くほぐさずに入れたので、母は息を吐くようなあえぎ声をあげながらチ○ポを肛門で飲み込んでいきました。
「メニューがカレーじゃなくてよかったね」と僕が言うと、母は笑い声をあげました。
この体勢で海老ピラフを半分食べました。当然、その間も母は肛門でチ○ポを締め上げていました。

母の食事は、焼肉ピラフと海老ピラフをひとつの皿にまとめて、床に置いて四つん這いで手を使わずに食べるように命令しました。
「つながったままで食べないの?」と母が多少不満そうに言ったので、「ちゃんと入れるから。そうそう、オ○コに入れたら焼肉ピラフを食べて。肛門に入れたら海老ピラフね」と言いました。母はオ○コと肛門にチ○ポが入ってくることを知って安心していました。
ウェルカムドリンクは、アイスコーヒーとウーロン茶を頼んだのですが、僕はアイスコーヒーを飲みきってしまっていたので、ウーロン茶を飲みたかったのです。でも母の分を飲むわけにはいかないので、追加で頼むことにしました。
その前に、オ○コにチ○ポを入れました。チ○ポがオ○コの中に入り始めると母は焼肉ピラフを食べ始めました。最初の一口を飲み込むまでオ○コの中でじっとしていました。飲み込んだのを確認するとピストン運動を始めました。
「あん、動かしたらご飯食べられないわ・・ハアハア・・・」
母は早速感じ始めました。僕は母のオ○コの感触を楽しむようなゆっくりしたスピードでチ○ポを出し入れしながら追加でドリンクを頼みたいと言いました。
「冷蔵庫にないかしら・・」
冷蔵庫には当然冷たいものがあるのはわかっていましたが、どうせならさっき失敗したホテルの方との遭遇をやりたかったのです。だから、まずは母にフロントに電話をさせることにしました。
電話は ベッドの所にあるので、四つん這いでつながったままでベッドに移動しました。そして母が受話器を取って、「9」のボタンを押したことを確認すると、ピストン運動を開始しました。最初からかなり強めに突いたので、母の電話での第一声は「ダメ」と言う言葉になりました。
「すいません・・・ウーロン茶を・・ハアハア・・・お願いします・・・ハアハア・・・・はい」
注文が終わった母は、受話器を置くと「エッチ中なのがわかったかしら」と言いました。さっき失敗してるだけに、会話をしている暇がないのでオ○コからチ○ポを抜きました。
そして、ピラフの皿を持って部屋の入口につながるドアを開けて、床に皿を置きました。初めてのホテルだったので、母と僕の結合部をモロに見せ付けたらどんなことになるか想像できなかったので、母が僕にオ○コを突かれながらピラフを犬食いしている姿の上半身だけ見せることにしました。
下半身を隠れるような位置で四つん這いにさせて食事を再開させました。僕がまだオ○コにチ○ポを入れていないのに、焼肉ピラフを食べたのでお尻を叩いて注意しました。

それからすぐにオ○コに肛門を入れました。母は焼肉ピラフを食べ始めました。ウーロン茶が届くまでは、オ○コだけを使うことにしました。食事が運ばれてきた時のことを考えると、静かにドアが開けられるので、オ○コと肛門を交互に使っていた場合に、抜き差しの最中にドアが開いてしまったら面白くないからです。ウーロン茶を部屋の中に置いて出て行くまでに、10秒もかかりません。だから慌てて挿入してピストン運動を開始しようとしたころには出て行かれたあとになるはずです。3回目のチャンスはないので、じっとオ○コを突きながら待つことにしました。
待つこと3分後に、静かにドアが開く音がしました。僕はピストン運動のスピードをMAXまで上げました。
「アッアッアッアッ・・・」
「置いておきますね(バタン)」
一瞬で部屋から出て行ってしまわれたのですが、母のオ○コにチ○ポが入っていることは想像付いたはずです。じっくり見て欲しかったのですが、とりあえずは満足しました。

食事のあとは、まずは部屋のドアに手を突かせて、立ちバックでやりました。ドアの外を通る人に声を聞かせるためだったのですが、オ○コを突いたり、肛門を突いたりして声を聞かせることに成功したとは思うのですが、聞かされた人の反応がわからないので、すぐに飽きてベッドに戻りました。
ベッドでは、まずシックスナインから始めました。僕が仰向けで、母が上に乗ってやるいつものパターンですが、母はドアの向こうの人に声を聞かせて興奮していたみたいで、かなり激しくチ○ポを舐めてきました。それに負けないように僕も母のオ○コを激しく舐めまくりました。指も入れてグジュグジュと音を立てさせました。すると母の口の動きが止まりました。
「だめだめ、いっちゃいそう」
「今日はイキたい放題だからイッていいよ」
「アッ、イク、イク!!!」
母を指でイカせると、今度は肛門に指を入れました。肛門からチ○ポを抜いてからの時間がかなり経つので、普通の肛門に戻っていました。だからほぐすのを兼ねて指を入れました。
「そんなとこ擦ったら、お母さんまたいっちゃうわ」
「だからイキたい放題でいいよ」
「今度は、カズちゃんのおちんちんでイキたいのよ」
チ○ポを要求されてしまったので、僕の上になっていた母をごろんと横に回転させて仰向けにすると、まずはオ○コにチンポを入れました。オ○コに入れる前に肛門にチ○ポの先を擦りつけたので母は一瞬、肛門でチ○ポを飲み込む体勢を取ろうとしたのですが、オ○コに入れました。
「ハアアアア・・・」
気持ちよさそうな表情と声で僕のチ○ポが入って行く様子を見ていた母はズッポリ入ってしまうと「ほんとに何回でもイッていいのね?途中でいじわるしない?」
「いじわるしないけど、いじわるされるのは好きだよね」
「好きだけど、たくさんイッてからにして欲しいの」
「じゃあ、10回までは自由にイッていいから」
そう言うと、僕はまずV字開脚で腰を折り曲げながら、ズボズボと突き降ろしました。そしてさらに腰を曲げていってゆっくりとマングリ返し突きの体勢になりました。
「目を開けてちゃんと見て」
そう言ってから、母のオ○コの中に僕のチ○ポが激しく突き刺さる様子をじっと見るように命令しました。この時点で僕のチ○ポは母のオ○コ汁がベッタリ付いて糸を引いていました。激しくピストン運動をすると、糸を引く様子が良く見えないので、ゆっくりと出し入れしながら母にチ○ポに絡まって糸を引いているものは何かと質問しました。
「お母さんのお汁よ。カズちゃんのおちんちんが入ると、どうしても出ちゃうの」
「実の息子に向かって、こんなに濡らす母親っている?」
「お母さんぐらいよ。淫乱だもん」
母はそう言って自分で興奮していました。僕はさらに興奮させてイキまくらせようと、マングリ返し360度突きを開始しました。

「今日は、かなり小刻みに突き降ろすから、1周するまでに3回ぐらいイキそうかな?」
そう言いながら、まずはいきなりズドーン!!と突き降ろしました。その衝撃で母は「グッ!」と軽くイッてしまいました。母的にはそれは数に入れらたくなかったみたいで「今のはイッてないから」と強調していました。
それから僕は小刻みに念入りにマングリ返し突きをしました。感じまくっていた母は、1回突き降ろすたびにかなりこたえている様子でした。最初の45度に達するまでに10回近く突きおろしました。そしてそのあとすぐに母が「ダメ!イク!!」とイッてしまいました。イッた瞬間にチ○ポめがけてオ○コ全体から汁が放出された感じを受けました。
90度の頃には、母は頭を振りまくりながら「気持ちいい!気持ちいい!!」を連呼しながら激しく感じていました。
180度目に2回目をイッていました。かなり激しくイッたので、カラダが硬直する際にチ○ポが抜けないように必死でおさえました。そのあと300度あたりでもう1回イキました。そのあとは少し手抜きをして360度に戻りました。

1周したので、今度は肛門マングリ返し360度突きにチャレンジしてみました。袋に入ったローションがベッドの所にあったので、それを肛門に塗りこんでから開始しました。母は肛門の場合は奥の直腸のあたりで感じているみたいなので、なるべく奥深くまで突きいれるためにロングストロークで、ゆっくり確実に突きいれました。
「お尻気持ちいい!お尻いい!!お母さんうれしい!!」
母は大喜びでした。僕的には肛門の入口のきつさをチ○ポ全体で味わえたのでそこそこよかったです。オ○コの時のように小刻みに回転しなくて、ザクッと1周しました。1周が終わる直前に母はイッてしまいました。
「どうして今日は、こんなにイカせてくれるの?お母さんうれしいわ」
「どうしてってわけないけど、ラブホ代は母さんが払ってよ」
「わかったわ」
こんな会話をしながら肛門からチ○ポを抜きました。そして肛門が閉じるまで指で触りながら母とキスをしました。

この時のキスは10分ぐらいやってました。母が僕の唇をむさぼるように舐めてくるので、母が離れるまで付き合いました。キスされるとチ○ポがどうしても第1チ○ポ汁が大量に出てしまうので、そのあと母は舌先で糸ひかせながら第1チ○ポ汁を舐め取っていました。そのままフェラになって、そして玉舐めが始まったので僕は大の字になって、母の舌の感触を味わいました。
玉舐めはほんとに天国で玉ばっかり舐められても射精はしないけど、最高に気持ちいいので「ずっと玉舐めていて」と10分以上舐めさせました。僕は目を閉じて、たぶんだらしない顔になっていたと思うけど「母に服従します」というような顔をしたままで舐められていました。
10分以上経過した時に「今日はお母さんの口で精子搾り出したいの。いいかしら?」声をかけてきました。ちょうど僕も射精してもいいかなあって気分になってたので、楽して射精できるフェラで抜いてもらうことにしました。
「すっごく気持ちよくなって、たくさん精子出してね」
そう言うと母は、僕がさっきまで丁寧に攻めたお返しに、肛門の穴、玉、チ○ポの3点を念入りに舌を這わせてくれました。途中で母のオッパイで顔をたぷたぷしてもらっている時に、母はやさしくチ○ポをしごいていたのですが、ほんとに気持ちよくて、このまま漏らすように射精したかったぐらいです。でも我慢して、顔たぷたぷからチ○ポに戻ってもらって「そろそろ出すから」と宣言しました。
「たくさん飲ませてね」と母はチ○ポを唇でシゴキ始めました。そしてシゴかれて1分ぐらいで射精したい気持ちがグググと湧き上がってきて「出る!!」と母の口に思いっきり射精しました。すごっく気持ちいい射精でした。ドクドク出ているようで、なかなか射精がとまらなかったです。
ようやくおさまったチ○ポの先を軽く吸ってから母は口を外しました。精液を含んだ口で「たくさん出たわ」と教えてくれて、口を開けて精液を見せてくれました。
精液は予想より多く出ていて母の舌の上と舌と歯の間の隙間にたっぷりとありました。すぐに舌で転がして「今日のは特別プリプリしてる。すぐに飲むのはもったいないわ」と言いました。確かに精液がダマになっている部分が多くてプリプリという表現通りの感じの精液でした。
「もったいないけど飲むわ」
母は自分の唾液で味が薄まってしまう前に、僕の精液をおいしそうに飲んでいました。

精液を飲み終わった母は、まだビンビンのチ○ポに頬ずりしてからパイズリをして、そしてもう一度フェラを始めました。ねっとりと舐めあげてから、再び玉を舐めてくれました。特に玉の側面が気持ちいいので、玉舐めをして欲しいときは、足を大きく広げなくちゃ舐めにくいので、僕が自分から股を広げた意味を理解してすぐに玉舐めを開始してくれました。またまた凄く気持ちいいので、何回も声をあげてしまいました。10分以上玉舐めをしてもらって、第1チ○ポ汁を出しまくりました。
玉舐めに満足したのでそろそろ母のオ○コに入れたくなった頃に母が僕の気持ちを察知して、玉から口を外して、出まくっていた第1チ○ポ汁を指に付けながら「お母さん、さっき何回もイカせてもらったから、今度はカズちゃんを凄く気持ちよくしてあげるね」と声をかけてきました。
「うん。じゃあ今度はマグロでいい?」
「いいわよ。カズちゃんも好きなだけ出しなさい」
「射精はあとで母さんを攻めながら出したいから、寸止めぐらいにして。気持ちいい状態でずっと続けて欲しい」
「わかったわよ」
僕がそんな注文をすると、母は対面騎乗位でゆっくりとチ○ポをオ○コの奥深くまで飲み込んでいきました。母のオ○コはさっきよりかなり激しく濡れていました。ほんとならチ○ポで激しく突かれて何回もイキたかったはずですが、さっき何回もイカせたので、僕の言うことを聞いてくれました。

対面騎乗位で腰をいやらしくゆっくりとくねらせたり、くねらせながら上下にも動かしたり、前後方向だけに動かしたりしてきました。ゆっくりとまったりした動きだったので、チ○ポが凄く気持ちよかったです。母のオ○コの中で一番気持ちいい部分にまったりと擦られたので、全身が震えるぐらいの気持ちよさが味わえました。だからと言って、射精したくなったわけじゃありません。寸止めの少し手前ぐらいの快感がずっと続きました。
僕がほんとに気持ちいい時は、結構マヌケ顔になるのですが、母の前なので隠さずにマヌケ顔で感じました。
上半身を後ろに反らせた母が僕に結合部を見るように命令しました。いつもと逆で、命令通りに結合部を見ました。母のオメコの中から出てきた部分は、母のオ○コ汁で糸を引いてテカテカ光っていました。硬さはかなりギンギンに見えました。母は腰を戻してオ○コの中にチ○ポを全部しまったり、もう一度からだを反らせたりしてチ○ポを気持ちよくしてくれました。
そしてチ○ポを入れたままでゆっくりと180度回転しました。背面騎乗位になった母は腰をクイックイッと上下に動かして、オ○コから顔を出すチ○ポを見せ付けました。それからさっきと同じように前後に動かしたり、くねらせたりして気持ち良くしてくれました。
「これぐらいゆっくり動かしたら気持ちいいでしょ」
「すごく気持ちいい」
「寸止めよりこれぐらいがいいんじゃないの?」
「こっちの方がいいけど、母さん大丈夫?凄く濡れてきたけど」
「大丈夫よ。カズちゃんが全身で感じてる姿見てたら凄く濡れちゃっただけから」
「もう30分ぐらい経った?」
「まだそんなになってないわよ」
「疲れてない?」
「お母さん、カズちゃんより体力あるわ。特にエッチの時の体力は別腹かしら」
母がそう言ってくれるので、玉舐めを間にはさんでもらってから時間をきっちり計って15分間だけオ○コで気持ちよくしてもらいました。

15分経過してチ○ポを抜くと、第1チ○ポ汁がドクドクと溢れだしていました。母のオ○コ汁の量もハンパなくて凄く濡れていました。
そろそろ射精したくなってきたのですが、母を攻めながらイキたいと言った気持ちが吹っ飛んでしまって、マグロ状態から射精したくなりました。
「射精するまで続けて欲しい。あとでちゃんと母さんをイカせるから」
「気にしないで。お母さんだってさっきから何度もイキそうになったのよ。だからカズちゃんと一緒にイケると思うわ」
そして母はすぐに対面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れてしまいました。これから最後までやるという意思表示の代わりに、母は僕にキスを迫ってきました。つながったままでキスをしてから「母さんの唾液飲みたい」と唾を垂らしてもらいました。
それから母は、腰をくねらせるスピードを上げてきました。トップスピードまではいかないと思っていたのですが、いきなりトップスピードまでイキました。それじゃイッキに射精してしまうので「待って」と止めました。
「もうイキそうになっちゃったの?」
「今度は寸止めを何回かしてから射精したい」
「じゃあ、今のが1回目ね。お母さんもイク都合があるから、あと何回寸止めしてからイキたいの?」
「3回ぐらい」
「わかったわ。イキたくなったら、次はイクって言ってね」
母は対面騎乗位オンリーで、腰を激しく動かしたりオ○コを締め付けたりしてきました。そしてすぐにイキそうになってきたので「母さんダメ!!」と寸止めしてもらいました。
「今度はお尻でね」
オ○コからチ○ポを抜くと、母は肛門にチ○ポを当てて降ろしてきました。そして肛門を締めながら上下運動してきたので、すぐにイキそうになって「ストップ!!」と叫びました。
「早すぎるわよ。次は射精にした方がいいんじゃないの?」
「オ○コの中で3分休憩してから動いて。あと1回寸止めして、その次に出すから」
肛門から抜け出たチ○ポを母のオ○コの中に入れてもらってから、チ○ポを覚ましました。そして最後の寸止めまで腰を振ってもらいました。3分覚ましたつもりだったけど、2分後にはイキたくなってしまいました。母のオ○コの動きを止めてもらうだけでは寸止めできない気がしたので、母の腰を持ち上げてチ○ポを抜いて、自分の手で押さえて耐えました。

そして射精するためのエッチを開始しました。「母さんも一緒にイッてね」と言うと、母は「凄く気持ちよくイケそうよ」と言いながら腰を上下させました。
母のオ○コが1往復するだけの刺激が凄く気持ちいいので出そうになりましたが、母をイカせないといけないので、耐えました。
「ゆっくりした方がいい?このままでいい?」
母が上下運動のスピードを聞いてきたので「このまま」と答えました。そして強い刺激を我慢しました。歯を食いしばって耐えている姿を見た母は「そんなに我慢しなくて出したら」と言いました。「母さんがまだ・・」と答えると、母は思わず早い展開だったので、自分でクリトリスを触り始めました。30秒あればチ○ポで母をイカせることが出来るけど、そこまで持たないと気づいた母は自分で僕にあわそうとしました。
「・・・か・・あ・・・さ・・・ん・・イクよ・・・」
「イッて!母さんもイク!!!」
「イクよ!!!」
「イクッ!!」
母のオ○コの中でチ○ポが爆発したんじゃないかと思うぐらいの勢いで射精しました。母もイッてしまいました。何回も寸止めした影響でドピュドピュと30秒間ぐらい精液が吹き上がっていた感じがしました。凄く気持ちよかったです。

そのまましばらくじっとしていました。そして母は腰を持ち上げてオ○コを手で押さえながら、お掃除フェラをしてくれました。母のオ○コの中の精液は僕が自分の口で吸い出しました。そして母に飲ませました。母は今度の精液もおいしそうに飲んでいました。
この日は、このあと15分ぐらい休憩してから、今度は僕が一方的に母のオ○コと肛門を攻めて、洗面所やソファやもう一度入口付近や床の上とかで、何度もイカせてから2発射精しました。
長い時間いたような気がしたのですが、まだサービスタイムの時間が余っていたので、母にチ○ポを舐めてもらいながら昼寝しました。母はシャワーを浴びる時間を計算して、きっちり僕を起こしてくれました。
凄く気持ちいい一日でした。
http://www.kazunoie.com/memo/memomagusaku.html


失業中の起床は母の担当

無職になったので、朝は自分の起きたい時間に起きるようになってしまいました。母は、僕の2人の妻に対して、そんなだらだらした生活を見せたくないと思っているようで僕を起こしにきます。だから、毎朝、僕はチ○ポに刺激を感じて目が覚めます。
今までも、たまにチ○ポの刺激で起きることはありましたが、毎朝起こされるのは高校生の頃以来です。高校生の頃は、前夜に何発射精しても次の朝には、ギンギン状態で朝立ちしていたので、そのカチカチチ○ポが大好きな母は味わいに来たのでした。

クリスマスの朝のことです。いつもは母の舌の感触で目が覚めるのですが、この朝は母のオ○コの中に入っている感じがしました。母の体重も僕の足にかかっていました。
前の夜に、母と父に子守りも任せて、妹とミーちゃんと3Pしたのです。妹もミーちゃんも何回もイカせたのですが、急に眠気が襲ってきたので僕は射精しないで寝たのです。このことを知っていたので、母は口ではなくて、オ○コでチ○ポの硬度を確かめようとしたのです。

母は、「ハアーー」と声を漏らしながらゆっくりと上下運動をしていました。僕を起こさないようにゆっくりと動きながら朝立ちでビンビンのチ○ポの感触を楽しんでいるようでした。
上下運動のスピードを変えずに動き続けた母は、腰をグルングルンとくねらせてきました。すごく気持ちいいので、チ○ポはさらにビンビンになったような気がしましたが、眠ったふりを続けました。すると、いきなり母の唇が僕の口にブチューという感じで押し付けられました。押し付けられながら「さっきから起きてるのはわかってるのよ」と言われてしまいました。

目を開けると、下半身だけ裸の母が「夕べは出してないんでしょ?出す?それとも、もう少し溜めとく?」と聞いてきました。
「出したら久美が怒るだろ?」
「大丈夫よ。ほら」
母はそう言うと、赤色のリボンを見せてくれました。「何?」と聞くと、妹が母へのクリスマスプレゼントとして、僕の朝立ちのチ○ポにリボンを巻いて、母に譲ったらしいのです。母はリボンを巻いたままでチ○ポをオ○コに入れようとしたそうですが、リボンがゴワゴワしているので、チ○ポとオ○コがリボンのエッジで怪我しそうなので諦めたそうです。

「じゃあ、射精したい」
僕がそう言うと、母は上下運動を一旦中止して、結合したままでキスしてきました。さっきはブチューというキスでしたが、今度はちゃんとしたキスですぐに母が舌を入れてきました。僕はフェラなみにキスが大好きなので、母の舌を吸ったり、絡めたり、お互いの唇を舐めまくったりしながら熱いキスをしばらく続けました。
いつも以上に熱いキスになって、母のヨダレで口の周りがべとべとになりました。そのヨダレを母が自分の舌で舐めたので、僕の顔はテカテカになっていたと思います。
母は口を離すと「カズちゃんのおちんちん、鋼鉄みたいに凄く硬くなったわよ」と言いながら、腰をくねらせてきました。
「上になろうか?」と聞くと、「硬いので、お母さんの奥まで突いてくれるの?」と聞いてきました。
「久美とミーちゃん公認なら、突きまくるよ」
母は腰を上げて、オ○コからチ○ポを抜きました。そして、すぐに上半身も裸になってから、手でチ○ポの硬さを確かめると、僕の腕を引っ張って、からだを起こさせてくれました。
立ち上がると、チ○ポが斜め45度を向いていたのを、母は下から仰ぎ見ていました。そして「少しだけ舐めさせて」と言うと、チ○ポをパクッと咥えました。唇で硬さを確かめるように軽くしごき気味に舐めてから、仰向けにねて膝を立てて股を開きました。

僕は母の両足の間に入って、チ○ポをオ○コに当てようとした瞬間、「オシッコ大丈夫?」と聞いてきました。
「大丈夫じゃないけど、母さんを1度イカせてからオシッコする」と言いました。「無理しなくていいわよ」と言うので、「オシッコ出したら、柔らかくなるかも」と答えました。
「じゃあ、我慢して」と母は挿入を望みました。そのつもりだったので、母のオ○コにチ○ポを当ててズズズと入れました。
チ○ポが入った瞬間、母は目をギュッとつむって「硬いわーーー」と声を漏らしました。僕は母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと動きました。もちろん母もオ○コの中のひだひだを全部使って僕のチ○ポの硬さを堪能していました。

少しずつピストン運動を早くしていきました。母は「気持いい!気持ちいい!!硬い!奥にズンと来る」と嬉しそうな声を上げていました。
母の腰を折り曲げて、両足を肩に当てるようにしながらズボズボと突いていると、妹とミーちゃんが、ミミちゃんと大和を抱いて部屋に入ってきました。
「お母さん、気持ちいい?」
「気持ちいいわよ。お兄ちゃんのおちんちん、凄いのよ」
「良かったね。お母さん、あたし達、町内さんと2時間ぐらい出かけてくるから、2回ぐらい出してもらったら」
「ありがとう。じゃあ、中と口に出してもらうわ」
「じゃあねーー」
この短い会話の最中に、大和が母のオッパイを触って、ミミちゃんが僕の背中を触っていました。

「2時間、イキたい放題だから、我慢しないでイキたかったらイッていいよ」と言うと、「わかってるわよ。オシッコ我慢しすぎたら、膀胱に良くないもんね」と言いました。
僕は、会話の最中に少し緩めたピストン運動を再び強く始めました。
「アッアッアッ・・・いい・・いい・・凄い・・・気持ち!!」
両足を降ろさせてから、母の気持ちよさそうな顔を見ながら、ピストン運動の角度やチ○ポの先っぽが当たる位置を いろいろ変えました。
「うわぁ、そこ!!」
僕は母のオ○コの構造の立体模型を作れるぐらい構造に熟知していることは、母が一番良く知っていますが、一番の感じるポイントにチ○ポが当たると、思わずいつもの「そこ!!」と叫びます。いきなり「そこ」を攻めるのは手抜きに思われるので、周辺を攻めてから「そこ」を刺激しました。オシッコがしたかったので、いつもより少し早めに「そこ」を刺激しました。
母の表情がイッキにイキそうな顔になりました。
「アッ、イキそう、イキそう、イク、イク、イクッ!!!!!」
イッキにイッてしまった母の表情を約15秒間ぐらい眺めてから「抜いていい?」と聞きました。母は甘い息を吐きながら、まだ余韻に浸っていましたが、オシッコのことを思い出して「ごめんね。お母さんも付いていくわ」と言いました。
「飲みたいの?」と聞くと「そう」と答えました。

僕は、トイレに行かずに、母を連れてバスルームに行きました。オシッコをチ○ポから直接飲ませるためです。膀胱に溜まっているので、チョロチョロ出すのは厳しいので、バスルームじゃなければ床が汚れます。
「膀胱パンパンだから、イッキにしか出せないよ。口から溢れても出すよ」と言うと、母は「溢れ出したら全身にかけて」と言いました。
すぐに母がしゃがんで口を大きく開けたので放尿を開始しました。すぐに母の口からオシッコが溢れてきました。僕はオッパイに向けてオシッコを続けて、母が飲み終わったのを見て、再度口にオシッコを流し込みました。
結局、母はオシッコの3分の1の量を飲みました。あとは首から下にかけました。
「母さんってどうしてそんなにオシッコ飲むのが好きなの?」と聞くと、母がお掃除フェラをしながら「だって、久美ちゃんもミーちゃんも、オシッコはあまり飲まないでしょ。だから」と答えました。
妹は昔は何回か飲んだことはあります。ミーちゃんも数える程度しかありません。最近は、ふたりには全然飲ませていません。
だから、ふたりが飲まないものを飲みたがっていることがわかって、可愛く思えました。

バスルームでオシッコまみれの母のからだをシャワーで流しながら立ちバックでエッチをしました。チ○ポの硬度に変化がなかったので、母はうれしそうに声をあげていました。
バスルームから出て、からだを拭き終ると、母を四つん這いにしてチ○ポをバックから突っ込みました。そして結合したままでリビングルームに移動しました。ソファでやろうとしたのですが、「だめよ。11時にはお客さんがくるわ」と言いました。仕方ないので、そのまま結合しながら僕の部屋を目指しました。何回か抜けたので再挿入しながら無事にたどり着きました。

そしてまずは、カーテンを開けて窓の下でバックから母を突きまくりました。四つん這いのままでチ○ポを激しく出し入れしたり、時々母のからだを起こして窓際に手を突かせて立ちバックでやったりしました。
この刺激で興奮していた母は、カーテンを締めてから連続で30秒間ぐらい突きまくると「イク!!!」とイッてしまいました。
この時、僕は余韻を与えずにチ○ポを抜きました。オシッコを飲ませた頃からは、母にマゾのスイッチが入ったからです。
僕はベッドに腰かけて「チ○ポ舐めてよ」と言うと、母は四つん這いで這ってきてチ○ポを舐めてくれました。最初は自由に舐めさせていたのですが、途中からは母の頭をガツと掴んで前後に激しく動かしました。

そしてベッドの上で、マングリ返し突きをしばらくやってからもう一度イカせてから、正常位で今度はイクのを我慢させながら同時にイッて中出ししました。
そのまま抜かずにすぐにエッチを再開しました。母はまたすぐにイッてしまいました。ここで喉が渇いたので、キッチンに移動しました。

キッチンでは、コーヒー牛乳をコップに入れさせて持ってこさせると、ストローを2本刺して、母と一緒に飲みました。先日、古い映画でそんなシーンがあったので、やってみたのですが、母は喜んでいました。
コーヒー牛乳を飲み終わると、テーブルの上に仰向けにしてチ○ポを突っ込みました。
「気持ちいい!!嬉しい!!気持ちいい!!」
凄く喜んでいる母は、この日、100回以上は「嬉しい」を連呼していました。こんだけ嬉しいと言われると、サービスしたくなってくるので、母の感じることを次々にやりました。

テーブルの上の次は椅子に座らせてやりました。2分ぐらいピストンしたのちに、今度は僕が椅子に座って、背面座位で攻めました。オッパイを鷲掴みにしながらガンガン攻めました。
シンクに手を突かせての立ちバックのあとに、対面騎乗位でやって、そして正常位でやりました。
最後は、口の中に直接出さないで、口の周りに顔射しました。母はこの時も「嬉しい」を連呼しながら、指で精液を集めて口の中に溜めて、最後にまとめて飲んでいました。

今年もありがとうございました。13年目の来年、2500万ヒットを迎えます。来年もよろしくお願い致します。
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午前中からの妹との種付け

日曜日の午前中に、妹との第2子誕生への種付けをリビングでやろうとしていた時のことです。日曜日は妹の友達が午前中から家に来ると言っていたので、種付けは夜まで無いと思っていました。だから、土曜日の夜に秘密のパーティの主宰者に頼まれて32歳のバージンの女性に精液を2発飲ませてきたのです。バージンの女性と聞いて、最初の相手になれると思って行ったら、他にも僕ぐらいの男が3人居て、参加者の方のマゾ奴隷たちのオ○コを自由に使って、射精だけをバージンの方に口に出すというものでした。美咲先生が居たので、1発目は美咲先生のオ○コを借りました。2発目の時は美咲先生はオメコにも肛門にもチ○ポが入ってしまっていたので、別のマゾ奴隷のオ○コを借りました。だから、家に帰って妹が「予定変更!明日は朝から種付けして!」と言われて焦りました。
事前に申告しておけば機嫌は悪くなるけど許してくれます。今回はもちろん無断で2発も出してきたので、今さら申告しても遅いです。だから黙っておくことにしました

一応、ばれないために父が精液を増やすために飲んでいるエビオスを飲むことにしました。エビオスは父と母の寝室にあるので、妹がミミちゃんと眠りに付いてから、こっそりと取りに行きました。
寝室には、父と母とミーちゃんと大和がいました。大和はスヤスヤと眠っていて、母が面倒を見ている様子でした。
ベッドの上では、父が大の字になってミーちゃんに玉舐めされている最中でした。
「ミーちゃんとやりたいのか?」
父は、ミーちゃんを奪い返しにきたと思ったらしいのですが、僕は自分の用事だけを言いました。
「エビオスどこ?」
「飲まなくても大量に出るだろ?」
「もっとたくさん出したいからだよ」
僕の態度に不思議に思った母が、いきなり僕のチ○ポを掴んで揉み始めました。秘密パーティの射精は2発だったけど、状況的に結構疲れたのでチ○ポが反応が悪くて母に気づかれてしまいました。
「どこで出してきたの?」
「パーティに呼ばれたんだよ」
「何発出したの?」
「ミーちゃんもいるから内緒だよ」
「久美ちゃんには内緒に出来るでしょ?」
父の玉を舐めながらミーちゃんが、妹には内緒にすると言ってくれたので、2発を口に出してきたことを白状しました。
そしてエビオスをもらって、寝室を出ました。

次の朝、チ○ポの先っぽを「チョンチョン」と触られる感触で目が覚めました。朝立ちしてなかったらどうしようと思ったのですが、ちゃんとフル勃起状態でした。
「オシッコ飲みたい」
パンツの中からチ○ポを引っ張りだした妹は、僕のチ○ポを口に咥えました。僕はまだ仰向けだったので、こんな体勢ではオシッコ出来ないと言うと、チ○ポから口を外してくれました。そして立ち上がって体勢を整えてから妹の口にチ○ポを突っ込んでから放尿を開始しました。

こぼさないように少しずつ飲ませていると母が入ってきました。
「飲みきれないでしょ?お母さんが半分飲んであげようか?」
妹が飲みながら目で「うん」と表現しました。この日の朝一発目のオシッコの量は普段より多かったので、母と妹に少しずつ交互に出したのですが、ふたりともかなり飲みごたえがあったそうです。
だから、出し切ったあとの掃除は母ひとりでやっていました。
「おしまい」
チ○ポの掃除を念入りにやってくれた母は、フル勃起だったのに最後に玉舐めをしながら「たっぷり出るようにマッサージしてあげる」と言いました。母の顔が笑っていたので、前夜に出したことをチクられないかヒヤヒヤしていました。
妹がチ○ポに顔を近づけてくるまで、ずっと玉舐めを続けてくれました。
「今日はお母さんの分は無いよ」
「わかってるわよ」
種付日には必ず行われる会話をしてから、母は玉から離れて行きました。

母が離れると、妹が代わって玉舐めを続けてくれました。でもほんの軽くだけで終わってすぐにチ○ポに戻ってしまいました。

それから約10分間ぐらいチ○ポをねっとりと舐められました。少しでもチ○ポが柔らかくなったりしたら、妹に内緒で種付けの前夜に他人の口に2発射精したことがばれてしまうので、括約筋にギュツと力を入れ続けました。全然気づかない妹は、いつものフェラ笑顔を浮かべながら根元から先っぽまでじっくりと時間をかけて舌を這わせてきたり、チ○ポを奥深くまで咥えたままで頭を激しく振ったり、自分の唾液をダラーーとチ○ポに垂らしたりしてきました。
「お兄ちゃん、2回は出してよ」
「わかった」
妹に2発中出しの約束をさせられた時に、ミーちゃんがミミちゃんと大和を抱っこしながら入ってきました。それを見た妹はミミちゃんを抱っこして、ミミちゃんの手を握って僕のチ○ポを握らせようとしました。ミミちゃんは僕のチ○ポを握るのが結構好きなので、すぐに握ってきました。妹は握らせながらフェラを再開しました。でもほんの一瞬だけで、ミミちゃんが手を外したので、妹はミーちゃんにミミちゃんを託すと、すぐに仰向けになってオ○コを自分の指で広げると、舐めて欲しそうな顔をしました。妹のオ○コは舐める必要がないくらい濡れていたけど、ちゃんと舐めることにしました。


妹のオ○コのそばには、ボディペインティング用のペンで「お兄ちゃん専用」と書かれていました。筆跡はミーちゃんの筆跡でした。僕専用と書かれている理由は、最近、父が眠っている妹のオ○コにチ○ポを突っ込んだり、妹とミーちゃんがレズってる時に入れてくることがあるので、それを阻止するために書くようになったのですが、よく見かけます。
その「お兄ちゃん専用」という文字を消さないように、まずはクリトリスを後回しにして、ビラビラや穴周辺をたっぷり舐めたり、舌を穴に入れて舐めてからクリトリスを攻めることにしました。クリトリスはパンパンに膨らんでいて、すぐにイキそうな感じでした。
「ダメ!ダメ!!」
出産してから、ますます敏感になった妹は、自分からオ○コを舐めることを要求しておきながら、妹が一番感じるクリトリスの攻めるポイントを舌先で押しただけで僕の頭を押してオ○コから離そうとしました。無視してオ○コを舐め続けると、「あーんダメ・・ダメ・・・・イクッ!!」と30秒も経ってないのにイッてしまいました。
「お兄ちゃんは、もっとおまえのオ○コが舐めたいんだぞ」と言ったのですが、妹はクリトリスを自分の手で隠しながら「おちんちん入れて」と要求してきました。

仕方がないので、オ○コに入れることにしました。
「入れるから手を外せよ」
「おちんちんで擦ったりするでしょ?」
「外さないなら入れないぞ」
妹はゆっくりと手を離して、クリトリスを丸出しにしました。パンパンに膨れていたクリトリスを見て、チ○ポの先っぽで一突きするぐらいでイキそうな感じに見えたので、約束を破って突きたい衝動にかられましたが我慢しました。
「あん・・」
クリトリスから手は離したけど、僕が約束を破った時にすぐ対応できる位置で手をかまえながら、目をしっかり開けて僕のチ○ポが入ることを確かめようとしていました。
ビンビンのチ○ポの先をオ○コ汁がとろとろ垂れているオ○コの穴に半分だけ入れたところで止まりました。妹が腰を押し付けてきて、オ○コの奥まで入れて欲しそうにしたのでいじわるして抜きました。
「自分からオ○コ押し付けてくるなよ」
「だって、お兄ちゃん、先っぽ入れただけじゃあ、クリちゃんをおちんちんで弾いたりするもん」
「弾かないから、お兄ちゃんのペースでやらせろ」
そう言うと、もう一度チ○ポの先っぽをオ○コに近づけました。もちろん、穴を狙わずにクリトリスに向けました。
クリトリスにぶつけるつもりはなかったのですが、イッキにクリトリスから2cmぐらいの位置まで近づけようとしたので、危険を感じた妹が自分の手でクリトリスをカバーしました。妹も焦っていたので、防ぐ瞬間に自分の手でクリトリスを擦ってしまって「アッ!!」と声をあげて、カラダを硬直させてしまいました。

「自爆したのか?」
「お兄ちゃん、早く入れてよ!!」
妹が涙目で僕に訴えてきたので、意地悪しないで、ゆっくりとオ○コの穴にチ○ポを挿入しました。先っぽが入った瞬間に、オ○コ汁がジュワと出てきました。
「奥まで入れて」
妹は僕の腰を掴んで、自分から引き寄せました。僕はズーンと入れると奥に押し付けたままでグリグリと腰をくねらせました。
「だめ!!」
妹が上体を浮かせながら僕のグリグリ攻撃を阻止しようとしてきました。油断させようとグリグリ攻撃をやめて、ピストン運動を始めました。妹は「あんあん・・あーーん」と声をあげました。でもすぐにピストンをやめて、再びグリグリ攻撃を再開しました。
「突いて!突いて!!」
頭を激しく振りながら、ピストン運動を要求してきました。妹がそろそろ限界になってきているみたいなので、イキまくりモードに入らせてダウンさせることにしました。
そうした方が、種付け作業が中止に出来るので、精液の量が少ないことがばれなくなるからです。

まずは妹の希望通りに突きまくって5回ぐらい連続でイカせることにしました。
その前に一度、チ○ポを抜いてオ○コ汁の量を確かめました。オ○コからゆっくり引き出すと糸を引いたまま出てきました。当然、チ○ポが真っ白になるぐらいのオ○コ汁が付着していました。
ちょうどそこに、母が様子を見にきました。
「出したの?」
「まだだよ」
「凄く感じてるみたいね」
そう言うと母は、僕の前にひざまづいてチ○ポを握って「舐めさせてね」と言いました。「そんな暇、ないんだけど」と言うと、「お汁だけ味わったら止めるわよ」とチ○ポをパクッと咥えました。
妹は、母のフェラを阻止しないで、僕に話しかけてきました。
「イキまくってもちゃんと精子出してね」
「そんなの面白くないよ。種付けなんだから、久美の意識がないと出さないよ」
この会話を聞きながら、唇で締め付けながらゆっくりと頭を動かして、チ○ポにこびりついたオ○コ汁を剥がしていた母がチ○ポを口から外して言いました。
「久美ちゃんをしつこく攻めないで、さっさと出して終わりにしなさいよ」
母は、僕が射精を後回しにしようとしていることがわかっているのに、こんなように言いました。
「わかったよ。すぐに出すからあっちに行ってよ」
「ほんとに出すかしら??」
意地悪な目で僕を見ながら言いました。すると妹が種付け作業の中断を言い出しました。

「少し休みたいから、お母さんの中で休憩してて」
妹の言葉を聞いた母は、すぐにパンツを脱いで、四つん這いになってオ○コを見せ付けてきました。母のオ○コは、妹のオメコ汁付きチ○ポを舐めた刺激で濡れていました。拒否しても仕方がないので、母のオ○コの中で休憩することにしました。ギンギンのチ○ポをオ○コに近づけると母は腰をくねらせてきました。お尻をつかんで「休憩だけなんだからじっとしててよ」と言いながら母のオ○コに挿入しました。
入れた瞬間に、「ああん」と言うこととともに、ジュワッとオ○コ汁を放出してきて母のオ○コは、すぐに僕のチ○ポにうねうねと絡み付いてきました。そして、キューーと締め付けてきました。
「休憩だけなんだから締めないでよ」
「そんなこと言わずにお母さんだって気持ちよくなりたいわ」
「久美に出して、体力残ってたらイカせてあげるけど、今はオ○コの中で休憩するだけだから」
「そんなこと言っていいの?」
母は後ろを向いて、(そんなこと言うなら昨晩のことバラすわよ)みたいな目で僕をにらみながら腰をゆっくり前後し始めました。すると妹が「お兄ちゃん、出さないんなら先にお母さん、イカせちゃっていいよ」
「久美ちゃんありがとう!!」
妹にお礼を言った母は、すぐに腰を自分からぶつけてきました。
「気持ちいいわ!!」
ドクドクとオ○コ汁を放出しながら激しく腰を動かしていた母は、左手を僕の方に伸ばしてきて「突いてよ」と訴えかけてきました。その左手を掴んで、そして右手も後ろにひっぱって、上半身を宙に浮かせたままの母のオ○コをズボズボズボと激しく突きまくりました。
「アア凄い・・凄い・・・カズちゃん最高!!」
母は髪を振り乱したり、背中を思いっきり反らせたりしながら激しく感じていました。

母がイキかけたところで中断して、そのままの体勢で立ち上がりました。「早くズボズボ突いて」と要求してきたので、すぐに立ちバックで、さっきと同じように母の両手を後ろに引きながら突きました。
「凄い!凄い!!気持ちよすぎだわ!!いい、いいわあ!!アアーーアーー・・・イキそう・・イキそう・・イク、イク、ク、イク!!!」
この3日間、めずらしく誰ともエッチしていなかった母は、かなり溜まっていたらしくて、普段と同じ程度に突きまくっただけなのに、激しく感じていました。母も妹に負けないくらいの量のオ○コ汁を僕のチ○ポに付着させていました。
立ちバックでイッた母の膝から力が抜けてきたので、グッと持ち上げて、そしてチ○ポを奥深くまで入れなおして母のカラダを手とチ○ポで支えました。
「どうする?もうこのまま崩れて終わりにする?」
「もう少しだけイカせて欲しいわ」
精液を少しでも多く生産できるように、妹が何も言わなかったら母をイカせまくりたかったので、聞いてみました。3日ぶりの母はもちろん、もっと続けることを望んできました。妹は特に何も言わずに見ていたので続けることにしました。

その時、ふと窓が視界に入りました。春樹君のお母さんに見せつけようと思って母を腕とチ○ポで支えながら、窓のところに移動しました。そしてカーテンを全開にして、母に窓の桟をつかませました。
バックからのピストン運動を開始したのですが、ずっとバックで続いてきたのでやめました。チ○ポを抜いて、母に右足だけで立たせて、左足は高く垂直にあげさせました。ベランダ側ならオ○コが丸見えになるのですが、小さい方の窓なので微妙でした。
垂直開脚で丸出しの母のオ○コにチ○ポを挿入しました。母はすごっく興奮していて、チ○ポがオ○コに入った瞬間によだれを垂らしました。
少しでも長くこの体位を続けて、誰かが見てくれるまで続けたかったので、母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと出し入れを開始しました。
(母のオ○コは久美ほどの締まりはないけど、どうして気持ちいいんだろう・・)と思いながらオ○コの中をズリズリと擦りました。
「気持ちいい!!」
「春樹君のお母さんに見てもらえたら気持ちいいかな?」
「気持ちいいに決まってるでしょ」
母は、見られることを期待して興奮しだしたので、オ○コを強く突いたらすぐにでもイキそうな感じがしたので、しばらくの間、ズリズリと擦ることを続けました。

「あああーーー気持ちいい!!気持ちいい!!」
あえぎまくった母はオ○コ汁をドクドク出しながら、感じまくっていたので垂直開脚はすぐに断念しました。足を変えて、膝の下に僕が手を入れて持ち上げながら、さらにズリズリ続けました。妹は母が感じまくっている様子を見続けていました。
「お汁垂れてる!!!!」
母のオ○コから汁が垂れるのはいつものことですが、この時の妹の言い方がかなり驚いた様子だったので、亀頭だけオ○コ の中に残してチ○ポを引き出しました。チ○ポの上側にはかなりの量のオ○コ汁が付いていましたが、この程度なら良くある光景なのでビックリするほどじゃありません。
「お兄ちゃん、垂れてる垂れてる」
妹が僕のチ○ポの下に手を差し出して、オ○コ汁を受けるような動作をしたので、チ○ポの裏側に手を伸ばしました。すると、チ○ポから5cmぐらいまで下がった位置までオ○コ汁が垂れていました。確かに出まくり過ぎていました。
「春樹君のお母さんには、2回も見せ付けてるのに、まだ興奮出来るの?」
「春樹君もお母さんもいないのよ。いるのはお父さんと、なつきちゃん(春樹君のお姉さん)なのよ」
春樹君とお母さんは、お父さんに内緒で、木村さんの家で近親相姦しに行ったということでした。だから、母はお父さんかなつきちゃんに僕とのエッチを見せ付けられるチャンスが来たと思って興奮したようです。
だから、この日は僕と妹の種付け日だとわかっているのに、乱入してきて僕のチ○ポを求めたようです。

「お兄ちゃん、そろそろ来て」
「あーん、久美ちゃん、もう少し待ってよ」
「おじさんも、なつきちゃんも見てくれないよ」
「そんなことわからないわ」
「だめ!からだが受精しやすくなってきたから、お兄ちゃんに出してもらうの」
「あと30分経っても、窓から誰も顔を出さなかったら諦めるからお願い!!」
「いーや!!」
そう言うと妹は、母のオ○コからチ○ポを引き抜きました。そしてチ○ポをギュッと握ってベッドまで僕を引っ張っていきました。母はついに諦めてしまいました。
妹がベッドの上で、自分の指でオ○コを広げながら「お兄ちゃん、早く中に出して」と僕を求めてきたので、すぐにチ○ポを入れようとしたら、入れる寸前に「おちんちん、掃除してからにして」とチ○ポを掴んで、自分の口にチ○ポを引っ張ろうとしました。引っ張られるままに、妹の口の中にチ○ポを突っ込みました。妹はすぐに、激しく付着した母のオ○コ汁をきれいさっぱりに舐めつくしてしまいました。母も妹もふだんはお互いのオ○コ汁を味わうように舐め尽すのですが、この時の妹は、チ○ポを消毒するような感じでお掃除フェラをしていました。その様子を見た母は、黙って出て行きました。


ふたりだけになったので、窓を閉めようとしたのですが、「開けといて」と言ったのでそのままにして、種付け作業を再開しました。
休憩を入れた効果で、妹は完全に普通の状態に戻ったので、オ○コをズボズボと激しく突きまくっても我慢してくれるようになりました。
「お兄ちゃん、気持ちいい!!気持ちいい!!」
「すぐにイクなよ。今度は射精させろよ」
僕はこれ以上引っ張らないで、妹がイクのに合わせてさっさと中出しするつもりをしていました。だから、妹に余裕のある間に、射精したくなる直前まで高めようと、射精することを意識しながらM字開脚の妹を激しく突きまくりました。
「お兄ちゃん!凄く気持ちいい!!今日は妊娠しそうだよーー!!」
「もう少しだから我慢しろよ」
「・・・ううう・・・あっあっ・・ううう」
妊娠を意識した途端にイッキにイキそうになってしまったみたいで、突然我慢を始めました。相当ヤバイ状態になっていることはすぐにわかったので、僕はオ○コの奥をなるべく突かないように、入口付近にチ○ポを激しく擦りました。

目をギュッと閉じて、眉間にしわを寄せて、そして僕の腕を何度も握りなおしてきました。
「そろそろイクから」
妹は唇を噛み締めたままで、浮かせていた頭を何度も縦に振りました。
「イクぞ!!!」
射精の瞬間、チ○ポを思いっきり奥まで押し込んで、尿道を子宮口とピッタリ合った瞬間にドピュ!!ピュ!!と射精しました。
「イクッ!!!」
妹のイキ顔を眺めながらチ○ポを奥に押し付けたままで精液が出尽くすまで、搾り出しました。前の晩に射精した影響が全くないくらい大量に出た感じがしました。

妹のイキ顔が、気持ちいいという表情から幸せそうな表情に変化しました。軽くキスしてあげると、「お兄ちゃんの精子が、あたしの卵子にの中入った音が聞こえた」と言いました。
「じゃあ、明日からは種付けしなくてもいいんだな?」
「たぶん妊娠したけど、お医者さんに診てもらうまでは、種付け続けるよ」
「今日はもうおしまいだよ」
「ダメよ。染みこませたらもう1回出して」
妹の要求通り、そのあと30分間、精液をオ○コに染みこませてから、もう1回戦やりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo2ndtane.html

近親相姦見せつけブームの僕の家

近所の人で親しく付き合っている人は、ミミちゃんが僕と妹の間に出来た子だということは知っています。親しくない人は、噂として知っています。
実の兄が実の妹に子供を産ませたことに対して、誰も変な目で見るようなことはなくて、僕の家に遊びに来た時には、ミミちゃんのことも大和のことも可愛がってくれます。

家族が全員家に居た先日の日曜日の午前中のことです。妹が発情したので、ミミちゃんの世話は父と母に任せて、ソファの上で妹とエッチを始めました。
最初は妹が僕のチ○ポを凄く舐めたがったので、僕はソファに座って足を広げて、妹の舌づかいを堪能しました。最初は玉舐めから始めてくれたので、僕は第1チ○ポ汁を出しまくりながら感じまくりました。玉舐めを満足しきったころに妹は、舌先を玉からチ○ポの方に移動してきました。それから裏筋や亀頭を舐めまくられたり、バキュームフェラされたりしてチ○ポはギンギンになりました。

その次に今度は、僕が妹のオ○コを舐めまくりました。チ○ポを入れる前に、舌でイカせることにしました。じっくりねっとり舐めたり、高速でクリトリスを舐めたり、舌をオ○コの中に入れてピストン運動したりして感じまくらせると、約2分ぐらいでイッてしまいました。舐めている最中に、時々、母が僕のチ○ポをしごきに来ていました。僕は拒否せずに、そのまましごかれ続けました。

妹のオ○コから口を外して立ち上がると、母が僕のチ○ポに口を近づけてきました。でもチ○ポまであと10cmの距離に来たところで、インターフォンが鳴りました。母は「あーん」と言いながら立ち上がって、ドアカメラのモニターを見に行きました。
母は「ご近所さんよ。エッチしてても大丈夫よ」と言って、カギを開けに玄関に向かいました。僕は、妹をソファに浅く腰掛けさせると、チ○ポをオ○コの中に挿入していきました。当然ですが、妹のオ○コはしっかり濡れていて、「ああーーん」と甘い声を漏らしながら、チ○ポを受け入れました。
オ○コの奥深くまで入れてから妹とキスをしていると、「こんにちわ」「キャッ!!」と言う声がしました。僕は、近親相姦してることを知っている近所の人達だと思ったので、「キャッ」の声には驚きました。
ビックリして、そっちの方を見ると、隣の家のなつきちゃん、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)、町内さん、舞ちゃん、祐君のお母さんがいました。なつきちゃんは手で顔を覆っていました。

僕はなつきちゃんがいるので、どうしたらいいのか、迷いました。オ○コの中からチ○ポを抜くと、なつきちゃんの目にチ○ポが見えてしまうので、とりあえずはオ○コの中でじっとすることにしました。
でも妹が「お兄ちゃん、動かしてよ」と言うので、ゆっくりとピストン運動を開始しました。妹は「あー気持ちいい・・・アハー・・・ン」と声を漏らし始めました。
なつきちゃん以外の全員は、僕と妹とのエッチから目を外すことなく、じっと見ていました。だから、このまま続けていいんだと思って、ピストン運動のスピードをゆっくりあげました。妹はなつきちゃんまでもそばにいる状況なのに、全然平気な様子で感じていました。
「気持ちいい!気持ちいいよ!!」
妹は全身ピンク色に染めながら感じていました。

母と目があったので、「このまましてもいいの?」と聞くと、「いいわよ。最後まで」と母が答えてくれました。だから、僕はさらにピストン運動のスピードを上げました。
「アッアッアッ・・・・イイ!イイ!・・」
妹は、なつきちゃんに遠慮することなくあえぎ声をあげていました。そのなつきちゃんは、母の説明を聞いていました。
「カズちゃんと久美ちゃんが近親相姦してる噂は、ほんとだったのよ。悪いことじゃないんだから、隠す必要ないから、来てもらったの」
僕達が近親相姦しているという噂はかなり広がっています。でも、不思議なことに蔑視されていません。なつきちゃんは、隣に住んでいるので、当然、その噂のことは知っているはずです。なつきちゃんからは、近親相姦の噂がほんとか嘘か尋ねられたことはありませんが、絶対に知っているはずです。
なつきちゃんは、幼い頃から、母や僕や妹に懐いていたので、なつきちゃんが近親相姦のことを不快に思うはずがありません。

なつきちゃんに見られながら、正常位で妹のオ○コをしばらく突くと、結合したままで妹を抱き起して、そのまま座位になりました。
「背面座位になって」
母が要求するので、一旦妹の腰を持ち上げてチ○ポを抜きました。そのチ○ポを見たなつきちゃんが「キャッ」と声をあげました。
結合中のチ○ポを見ても「キャッ」と声をあげなかったのに、妹のオ○コから抜け出てたチ○ポを見て声をあげました。
「ちょっと待って」
母が妹が後ろ向きになったところで、声をかけてきたので、妹は僕の上にしゃがむことをやめました。母が顔を近づけてきたので、チ○ポを舐めたくなっていることがわかったからです。
「なつきちゃんは、おちんちんを舐めたことある?」
突然、質問されたなつきちゃんはクビを激しく振ってフェラの経験がないことを表現しました。
「じゃあ、見てて」
そう言うと母は、チ○ポに顔を近づけてきました。妹は僕の首に手をまわしてキスをしてきました。

母のフェラが続いている間中、僕は妹と舌を絡め合っていたので、なつきちゃんがどんな反応したのかはわかりません。みんなが平然としているので、なつきちゃんは逃げて行くことなく、じっと見学していたようです。
「いいわよ」
チ○ポから母の口が外れたと思った直後、母は僕と妹のエッチを再開するように声をかけてきました。すると妹は背面座位になってチ○ポを掴みました。
「なつきちゃん、見てて。入れちゃうよ」
妹がチ○ポを握ってオ○コに当てて腰を降ろしてきた時に、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)の方をチラッと見ました。迷惑そうな顔をしていたらどうしようかと心配になったのですが、どちらかと言うと笑顔でなつきちゃんの様子を見ていました。
春樹君のお母さんは、僕達の仲間になってからは、それまで味わったことのない快感を味わうようになったので、完全に僕達に洗脳されてしまったみたいです。

妹は背面座位の体勢で僕の方に背中を向けると、なつきちゃんに向かってVサインを送りました。
「ちゃんと見ててね。舞ちゃんには見てもらったんだけど、なつきちゃんに見せるのが一番最後になっちゃってごめんね」
なつきちゃんに声をかけた妹はチ○ポをオ○コに当てると、腰を降ろしてズニュッとチ○ポを咥えこみました。
「見えるでしょ?私とお兄ちゃんがつながってるところ」
「・・・・」
なつきちゃんは、目を反らすこともなしに、しっかり見てくれていました。妹はズッポリとチ○ポを飲み込んだ状態で、結合部の解説を始めました。
「こっちはお兄ちゃん。ここまでがお兄ちゃんね。ここからがあたし。お兄ちゃんもあたしも毛がないから良く見えるでしょ」
結合部を指先で触れながら説明した妹は、ゆっくりと上下運動を開始しました。
「アハーン・・ハアーン・・・見て、お兄ちゃんのおちんちんが出たり入ったりしてるでしょ。すっごく気持ちいいの」
妹はゆっくり上下運動したり、腰をぐるぐる回したりしました。そして、からだを後ろに倒してさらに結合部を見やすくすると、そのままで首をまわしてキスを求めてきました。キスをすると妹が舌を伸ばしてきたので、きびしい体勢だったけど舌を絡めました。
そのままでさらに妹がもっと後ろに反ってきたので、チ○ポが抜けてしまいました。
「抜けちゃった。お母さん、お兄ちゃんのおちんちんを中に戻して」
妹の要求に母がやってきてチ○ポを握りました。でも母はチ○ポをオ○コの中に入れずに、舞ちゃんを呼びました。
「久美ちゃんの中に戻してあげて」
あとで聞いた話では、母はなつきちゃんにチ○ポを妹の中に入れさせたかったみたいですが、さすがにいきなりは無理なので、舞ちゃんに手伝わせて、その様子をなつきちゃんに見学させて、将来自分も僕達の仲間になる可能性を感じさせようと思ったみたいです。
舞ちゃんは、母に言われて躊躇せずに近寄ってきて、チ○ポを握ってくれました。そしてすぐに、チ○ポの先を妹のオ○コの穴に挿しこんでくれました。興奮で激しく濡れていた妹のオ○コに僕のチ○ポが入った瞬間に「ズボッ」という音が聞こえたように思いました。
「舞ちゃん、ありがとう!!」
妹は、少し感じた声で舞ちゃんにお礼を言いました。この時、妹も「今度はなつきちゃんね」と言いたかったそうです。

妹はゆっくりと上下運動を開始しました。僕はオッパイを揉みながら妹のオ○コの感触を味わいました。
「もし、あたしとお兄ちゃんが兄妹なのに、こんなことしてるのがおかしいと思うんなら、帰ってくれていいから。お兄ちゃんのことが大好きだから、子供まで作っちゃった」
少し感じた声で、なつきちゃんに話かけました。なつきちゃんはもちろんこの場から立ち去る気配はありませんでした。だから僕は、安心して妹を感じさせることにしました。
まずは妹のクリトリスをいじりながら、軽く突き上げました。
「アアン、だめ、あああんあああん」
それからすぐに、妹の腰をがっしりと掴んで激しく突き上げました。少し離れていたなつきちゃんの所まで、僕のチンポと妹のオ○コが激しく擦れる音や、肉がぶつかり合う音がハッキリ聞こえるぐらいの強烈さで突き上げました。
「気持ちいい!!気持ち!!お兄ちゃん、いい・・ああ、もうだめイキそう・・・」
妹がイキそうと言い出したので、僕はオ○コを突きあげるのを中止にしました。いつもならサッとイカせてしまうのですが、なつきちゃんとの距離がありすぎたのです。

「ああーん、イキたかったのに・・・」
妹が腰を動かそうとしたので、「なつきちゃんの前に行く」と小さく告げました。なつきちゃん以外の人達には、自らの足で近寄ってきてもらって、間近で見てもらいました。なんとなく、呼びつけることに気が引けたからです。
僕は結合したままで、なつきちゃんの前に行こうと思ってたのですが、チ○ポを抜いて立ち上がった妹が先になつきちゃんの前に行って、仰向けになりました。僕は妹のオ○コ汁でテカテカ光ってビンビンのチ○ポを隠さずに移動しました。なつきちゃんは、もう顔を覆うことはしませんでした。

妹がなつきちゃんの前で仰向けになっていたので、正常位で結合することにしました。チ○ポをズボッと突き刺すと、すぐにピストン運動を開始しました。

「見えてる?あたしの中にお兄ちゃんのおちんちんが出入りしてるのわかる?」
妹に聞かれて、なつきちゃんはうなづいていました。妹は、すごく興奮していてオ○コ汁を出しまくっていました。

ピストン運動を強めにすると妹は「ああん、いい・・・気持いい・・アッアッアッ・・・見てて、ちゃんと見てて」と声をあげまくっていました。
そして妹が、なつきちゃんの方に手を伸ばしました。なつきちゃんは、どうしていいかわからないので困った様子だったので、「あと10分ぐらいで終わるから手をつないであげて」と声をかけました。するとなつきちゃんが妹の手を握りました。でも体勢的に厳しいので、なつきちゃんはソファから降りて妹の横しゃがみました。

それから僕は、妹の腰を折り曲げて、まんぐり返し突きを始めました。でも激しく突き下ろすことが目的じゃなくて、なつきちゃんに、僕のチ○ポが妹のからだを押しつぶすようにズボズボとオ○コに出入りすることを見せたかったのです。だから2秒に1回ぐらいのスピードで「ズドーン!ズドーン!」と突き下ろしました。

「アーーー・・・・アーーーー・・・」
突き下ろすたびに、妹は声をあげて、なつきちゃんの手をギュッと握りしめていました。
「久美が凄く気持ちよくなってるのがわかる?」

僕の質問に対して、なつきちゃんは少し遅れてうなづいてくれました。このあとは、いつものマングリ返し突きのスピードに戻して、妹のオ○コから汁が飛び出しそうなぐらいの強さで突きました。

「気持いい、気持ちいいよーーーー・・・・凄い、凄い、アアアアアアアーーー・・・イキそう・・・」
妹がまたまたイキそうになったので、チ○ポをサッと抜いてしまいました。

そして最後の体位で、妹を四つん這いにしました。

「最後はバックで出すからな」
「お兄ちゃん、出して、精子一杯、中に出して」

チ○ポをすぐに入れずに、お尻の割れ目で擦るようにしてなつきちゃんに、オ○コ汁付きチ○ポを見せつけてからゆっくりと妹のオ○コの中に侵入しました。
妹のオ○コの中は、なつきちゃんの目の前で僕の精液を受け入れることを想像して、激しく濡れていました。母は近親相姦見せつけが大好きですが、母の血をひいた妹も見せつけが大好きです。

「一緒にイクから、我慢しろよ」
「うん」

チ○ポをゆっくりと出し入れしながら、いよいよ射精までイクことを宣言しました。そして妹のお尻を軽く叩いてから、ピストン運動を開始しました。
なつきちゃんに真後ろからとか、他の人にやったように、仰向けになって結合部を真下から見上げてもらうのはやめました。

「あんあん、アッアッ、いい!いい!気持ちいい!いい!凄い凄い・・・」
僕は射精することに意識を集中しながら、妹のオ○コを突きまくりました。妹は激しく感じまくっていたので、必死でイキそうになるのを我慢しているみたいでした。

「そろそろイクよ」
「出して!中に一杯出して!!イク!!!!」

僕は妹の声に合わせて射精しました。溜まっていたので、妹のオ○コ全体に行き渡るぐらいの量を射精しました。中出し中に、妹は腰をビクンビクンさせながら、僕の精液をオ○コで味わっていました。

精液が全部出ききるまで、結合したままでいると、母が近づいてきて「もう全部出たでしょ」と言いながら、チ○ポを妹のオ○コから抜いてしまいました。そしてチ○ポをすぐにパクッと咥えるとチ○ポに張り付いた妹のオ○コ汁を舌先で剥がすように舐め始めました。

「世間では、兄妹でエッチしたらいけないことになってるんだけど、うちでは全然平気なのよ。ご先祖様から家族同士で愛し合う習慣が続いているのよ」
チ○ポをねっとりと舐めながら母がなつきちゃんに説明してくれました。

この日のなつきちゃんの見せつけは、これで終わりでした。このあと、なつきちゃんは何もなかったように、子供たちと遊んでくれました。
http://www.kazunoie.com/memo/memomisebu.html


4. 中川隆[-5772] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:13:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝鮮人が集まると嫌な国が出来上がる
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


(左: 「理想の美」を手に入れた朝鮮人モデル / 右: 自然な顔面を保つ朝鮮人娘)

  いつからか分からないが、テレビ局が来日外国人を捕まえて、日本の文化や名所、料理を絶讃させる番組が増えたそうだ。日本は高度な文明国家だから低俗な外国人が驚嘆してもおかしくはないけれど、もし一般の日本人が「日本の素晴らしさは?」と訊かれたら何と答えるのか。こんな質問を急に街頭で尋ねられれば、大抵の人は「う〜ん、そうだなぁ」と考えてしまうだろう。我々としては普段通りの生活をしているだけだから、一々外国の事情と比べて何が優れているのか、なんて調べない。応ずる人によって意見はまちまちだろうが、一つだけ簡単に述べれば、「日本人が住んでいるから」と言えるんじゃないか。確かに、我が国の自然環境も理由の一つになっているけど、究極的に日本の素晴らしさは日本人にある。

  ところが、近年、この“素晴らしさ”を台無しにしようとする動きがある。大手「口入れ屋」のパソナを背にする竹中平蔵たちが、少子高齢化と人口減少を口実に、安い外国人労働者を引き込もうとしているのだ。しかも、この大量輸入に加え、朝鮮半島から多くの南鮮人が移り住んでいるという。韓国移民政策研究院の調査資料(2017年度版)によると、過去10年間で大韓民国の国籍を放棄した者は、22万3千611人に達したそうだ。2007年に2万3千528人を記録した国籍放棄者は、2016年になると3万6千404人に増えたそうだから、さすが「地獄の朝鮮(ヘル・コリア)」である。その内訳を見てみると、国籍を棄てた南鮮人は主に米国に向かったそうで、アメリカ国籍を取得した者が9万4千908人と最も多い。多民族政策を取るカナダも人気が高く、3万2千732人の南鮮人がカナダ国籍を取得したそうだ。

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(左: 半世紀前にドイツへ渡った朝鮮移民 / 右: 民族衣装を纏った朝鮮女性)

  問題なのは、日本を目指した南鮮人の方である。もう目が眩んでしまうけど、5万8千870人が日本国籍を取得したそうだ。(「韓国国籍放棄者が急増・・・・『国家競争力の損失』」 中央日報、2017年11月8日) 南鮮の報道機関は「国力の損失だ」と歎いているが、日本人からすれば「反日分子の到来」か「汚染被害の拡散」にしか見えない。あの“穢らわしい”半島から来日してくる連中が、立派で有能な人材なんて考えられないし、どちらかと言えば「棄民」じゃないのか。どうせ、南鮮国内にいたって大半が“穀潰し”か“半端者”なんだから、南鮮の政治家にとったら「日本に厄介払いが出来て良かった」という気分だろう。一方、日本人の南鮮移住者はいったい何名いるのか? 答えは、「分からない」というのが一般的。法務省は帰化申請をする外国人に関するデータなら持っているが、日本国籍を放棄し、南鮮国籍を取得した日本人については統計を取っていないのだ。つまり、祖国を捨てた奴らの行く先には関心が無いということである。

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(左: 黒人と結婚した朝鮮人女性とその子供たち / 右: 朝鮮人の父親と息子)

  でも、日本人で“わざわざ”南鮮人になろうとする者は、“よほど”の事情を抱えた人物に違いあるまい。だって、普通の神経を持った日本人なら、朝鮮人にまで零落(おちぶ)れる道を選ばないだろう。一番考えられるのは、朝鮮人男性と結婚してしまった日本人女性である。例えば、日本に来た南鮮人留学生が日本人女性と恋仲となり、南鮮へ連れ出すというケースが考えられる。もちろん、嫁の両親は大反対。朝鮮という野蛮国に娘が住むなんて恐ろしいし、第一、日本人の誇りが許せない。でも、バカ娘には現実の厳しさが解っていないから、両親の説得にも馬耳東風。いくら鮮人に惚れたからといって、日本でヌクヌクと育った日本人に朝鮮での暮らしは耐えられない。しかも、南鮮の国籍を取得すれば、南鮮人が同胞となり、太極旗に忠誠を誓う破目になるじゃないか。

  ところが、悲劇はこれで終わらない。仲間となった鮮人からは「元日本人」とか「豚の足」と蔑まれ、夫の両親や親戚からも下女のように扱われるのだ。その上、自分の子供は「朝鮮人」として育てられるから、いくら日本語(母語)を話せても、実家の両親や兄弟たちとは違った人間になってしまう。それに、日本人の母親は南鮮国籍を取ったからといって、自分を朝鮮人とは思わない。さらに複雑なのは、劣等国の朝鮮に住むと、日本に居た時には思わなかった「日本人意識」が芽生え、「あんな人達とは一緒にされたくない !」と思うようになる。日本に居る友達にだって、「朝鮮人になりました」とは言いたくないし、格下の人種になったような気がするから、朝鮮での暮らしに嫌気がさす。パリとかロンドン、ベルリンなら、ちょっとした自慢になるけれど、朝鮮人だらけのソウルや釜山なんて格好悪いし屈辱だ。だいいち、チマ・チョゴリを着た姿なんて、恥ずかしくて人に見せられないから、友達に動画や写真を送ることはまず無いだろう。

  朝鮮人は日本人を嫌いなくせに、やたらと日本にやって来る。しかも、何食わぬ顔で帰化申請を行ったり、結婚を切っ掛けにして“いつの間にか”日本人になっていたりするのだ。南鮮に居る時には、やれ「日帝は赦せない !」とか「竹島は韓国の領土だ !」と叫ぶが、日本に移住するや、その威勢は消え失せ、「国籍や民族の違いを言い立てる人はレイシストです !」なんて言いやがる。中には、「私は元韓国人で、朝鮮人ではありません !」とほざく奴もいるから呆れてしまう。朝鮮人に説教しても仕方ないけど、彼らの中には堂々と「チョーセン人は差別用語だ !」と抜かす奴も居るから、その頭を広辞苑でひっぱたきたくなる。在日や帰化、南や北を問わず、日本に於いて朝鮮人は皆「朝鮮人」か、略して「鮮人」であり、我々がどう呼ぼうと我々の勝手である。テレビ番組で「韓国のかた」と馬鹿丁寧に呼んでいるアナウンサーほど、心の底で鮮人を「格下」に見ているはずだ。実際、在日米軍士官に対して反感を持っていているテレ朝の玉川徹だって、自分より劣っているとは思っていないから、「アメリカのかた」なんて呼ばないだろう。日本人ジャーナリストは西歐系白人に対しては遠慮が無い。“対等意識”を持っているせいなのか、アメリカ人にはズケズケと本音をぶつけることが出来る。

アジア人の子供を養う日本人納税者

  今月に入り、不吉な福祉制度が発表された。政府は大学などの高等教育と2歳児以下の保育園の費用について、住民税が課されない世帯(年収約250万円未満)を対象に無償化するとの方向で検討に入ったそうだ。(西村圭史 「高等教育などの無償化、住民税非課税世帯で検討」 2017年11月9日附「朝日新聞」) 安倍首相は、3〜5歳児は全世帯で幼稚園と保育園の費用を無料にし、高等教育と2歳児以下は低所得者世帯に限って無料にする、との案を述べていた。一般国民はこうした提案を聞くと諸手を挙げて賛成するが、その世帯はどんな人物で構成されているのか、とは考えない。「日本国民とは日本人」という定義は過去の話で、現在は帰化鮮人世帯とか支那人かタイ人を娶った混淆家庭、日本人の姦通相手から子供の認知を受けたフィリピン人母子家庭、パキスタン人やマレー人の夫を持つ日本人妻と混血児の家庭など、ゾっとするような世帯が増えている。

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(写真 / フィリピン人の子供たち )

  日系人の庶民は漠然と「我々の国民健康保険制度や年金制度、給食制度は大切だから、みんなで支えましょう」と合唱するが、その「みんな」にはアジア系帰化人が混ざっていることに気づかない。日系日本国民は明治や江戸時代、あるいはもっと遡って、室町や鎌倉時代から日本人なので、つい「日本国民」は総て「日本人」と思ってしまう。だが、裸踊りや酌婦を仕事にして来日したフィリピン人、中古車ディーラーのパキスタン人、民族料理店を営むトルコ人、単純労働や詐欺が専門の支那人などは、「昔ながらの日本人」ではない。朝鮮人はかつて「大日本帝國の公民」であったが、その大多数は敗戦後に帰国しており、現在居坐っている連中は密入国者かその子孫、あるいは仕事を求めての新参者かのいずれかである。現在の日本にある社会保障制度は、我々の両親、祖父母、曾祖父母が心血注いで築き上げた民族的「遺産」である、ということを忘れてはならない。我々は余りにも無頓着であるため、この貴重な相続財産を不注意にも、アジア系帰化人や永住外国人に与えている。これがもし、個人の遺産相続という場合なら、決して外人に分け与えることははないだろう。

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(写真 / タイ人の子供たち)

  考えてもみよ。近所をうろつく朝鮮人が、突然、我が家の庭先にダンボール・ハウスを拵えて住みついたら、どうするのか? たていての日本人であれば、腕ずくでもこの不逞鮮人を叩き出すだろう。ましてや、この朝鮮人を養子にしたり、自分の戸籍に入れるなんて事はまずあり得ない。だが、国家規模になると事情が違ってくる。短期滞在や永住外国人でも「国民健康保険」に加入できるし、在日朝鮮人でも生活保護がもらえたりする。また、不正入国の外国人でも日本で子供を出産すれば、我が子を公立学校に通わせることもできるし、その子供が成長してしまえば、たとえ「不正」がバレても、特別滞在許可をもらえたりする。つまり、ある程度の潜伏期間をじっと堪え忍べば、有り難い「ご褒美」がもらえるということだ。政府は低所得者の家庭に育児手当を与え、保育園や学校の費用を肩代わりしようとしているが、その「世帯」には支那人とかフィリピン人、タイ人の低所得者や母子家庭が含まれている。

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(左: フィリピンの若い女性たち / 右: ショー・パブで働くフィリピン人女性 )

  以前、市議会議員のフィリピン人妻が、スナックで働いていたにもかからわず、生活保護を受け取っていたという事件があった。役所にとって「福祉予算」というのは「他人のゼニ」なので審査が甘い。自分の銭なら100円だって惜しいのに、税金だと数百万円でも無駄にできる。例えば、1千万円の税金をドブに捨てても平気な役人でも、お昼の定食では節約するようで、食堂で注文する時、財布を“ちら”っとのぞき、850円のAセットを650円のBセットに抑え、赤提灯の酒代を計算しながらジっと我慢。節約精神が旺盛な役人だと、「今日は3千円の特上天丼にしようかなぁ」なんて考えない。だいたい、役人は税金を「予算」と呼んで、無駄遣いの正当化をしているんだから、国民は役所の「予算消化(与えられた税金を何が何でも使い切ること)」に目を光らせるべきである。筆者は以前、役所の「闇」を突いたことがあるが、その時、担当した「お役人様」は、筆者を共産党員か左翼オンブズマンと勘違いしたようだ。周りの若い女子職員は、「何か、いや〜な人がやって来た」という雰囲気を漂わせ、緊張した表情で黙々と仕事をこなしていた。後で議員にも直接苦情を述べたので、役所ではちよっとした騒ぎとなったそうだ。役人や議員を相手にする場合、なるべく具体的かつ緻密に、論理を用いて追い詰めることが肝要である。(断っておくけど、筆者は左翼活動家じゃないぞ。)

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(写真 / 酒場で働くタイ人女性たち)

  脱線したので話を戻す。帰化人家族とか永住者世帯には低所得者が珍しくなく、社会福祉金をもらっている人が多い。例えば、日本人の既婚男と不倫の末に身籠もったフィリピン人女性は、その姦通相手とは結婚せず、母子家庭のまま日本に住んだりするから、福祉依存者か生活保護の受給者だったりする。しかも、日比混血児が優等生になる確率はかなり低く、出来損ないか凡庸な子供といったところが関の山だ。規律や品格を示す父親が不在なうえに、だらしない性格の母親に育てられる混血児が、知的好奇心に満ち、自然界や宇宙の神秘に興味を抱くなんて思えない。国語さえ覚束ないのに、理科や数学で頭角を現すのか? まぁ、知的訓練を必要としないスポーツなら一番になれるかも知れないけど。一般の日系日本人は呑気だから、公金を使うのは日本人の子供を助けるためだと考えている。しかし、実際のところ、同胞とは思えない異民族の子供を養っているのだ。

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(左: 朝鮮人の子供 / 右: 支那人の子供 )

  冷酷な現実に目を背ける日本人は、予想される悲劇を回避せず、事件が起きてから後悔することが多い。昼行灯(ひるあんどん)と左巻きが溢れる法務省は、毎日が節分のような役所で、帰化申請をするアジア人に国籍を気前よくばらまいている。日本国籍を与えるということは、日本国を支える正式メンバーを承認することであり、我々と対等な「公民」にするということだ。本来なら、帰化を許す前に、申請者の素性や経歴を一般公開し、全国民がその者を審査し、正当な反対意見があれば帰化申請を却下すべきである。例えば、在日朝鮮人やその子孫を「国家の成員」にするのであれば、国民投票にかけたっておかしくはあるまい。日本人は世間の常識で考えるべきた。例えば、ある片親だけの家庭で、妻を亡くした父親がいたとする。その鰥(やもめ)となった父親が再婚する際、いくら何でも一応、子供たちに話をつけるじゃないか。それをスキップして、いきなり父親が「今度、父さんはフィリピン出身の女性と結婚することにしたんだ。明日から、あの人がお前達の母さんになるんだよ」と言えば、息子だって「えっっ ! 何 ! なんで? 嫌だよぉ、そんな !! だってさぁ、いきなりあんな外人が母さんの代わりだなんてあり得ないよ。オレ、どんなことがあっても反対だからね !!」とヘソを曲げるだろう。一般の日系日本人も基本的に同じで、朝鮮人や支那人、フィリピン人、タイ人を日本国の「家族」とは思わない。

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(左: フィリピン人の祖母と孫 / 右: 支那大陸を去る支那人)

  日本人は日本人同士だから国民的・民族的絆を大切にするのであって、金銭や福祉、あるいは豊かな生活を目的にして帰化するアジア人は何時まで経っても「よそ者」だ。異民族がひしめき合う米国ですら、民族・人種での一体感は無い。例えば、先祖代々アメリカに住むイギリス系国民が、デンマークやスウェーデンからの白色移民を受け容れる事はあっても、皿洗いとしてチャイナタウンに潜り込む支那人とか、イスラム教を信奉する髭面のイラク人、難民枠で雪崩れ込むソマリア人、不法滞在でも永住権を求めるメキシコ人を「対等なアメリカ人」とは思わない。一般的にアメリカ人は団結力が強いと思われているが、それは各人が星条旗を前にするからで、お互いの顔を見つめ合うことで一体感を実感している訳ではないのだ。ハリケーンによる洪水とか土砂崩れで黒人が取り残されたって、一般のアメリカ白人が命懸けで助けることはなく、救助を「職業」というするレスキュー隊に丸投げ。ただ、災難に遭った黒人を哀れに思う白人も居るけど、それは被災者に同情する「自分」の姿に酔っているだけで、自ら進んで助けたいわけではない。(可愛い犬や猫なら別だけど。) 浸水した家に取り残された黒人は可哀想だが、その汚水には屎尿やネズミの死骸とか、犬の糞から大腸菌、未知のバイ菌が混ざっているから、自分の脚を濁流に漬けるのは嫌だ。黒人の災難はテレビで観るだけに限る。

日本国民の遺伝子プールに混ざる異質な精子

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(左: メダルを獲得した浅田真央 / 右: 民間企業のCMに出た浅田氏)

  我々は大量の朝鮮人が日本国籍を取得した世界を想像してみるべきだ。隣近所に不愉快な帰化鮮人が増えるだけではなく、自分の息子や娘の配偶者になるかも知れないんだから、考えただけでも恐ろしいじゃないか。箱入り娘の子宮に朝鮮人の精子が入って、腹が膨れてしまうなんて寒気がする。しかも、生まれてきた孫が亭主の朝鮮人にソックリとなったら気が滅入るだろう。日本社会は急速に変化している。スポーツ界ではこの傾向が強く、日本を代表して国際大会に出場する人物が、総て朝鮮系であっても不思議ではないのだ。例えば、フィギュア・スケートの世界大会で、南鮮のキム・ヨナが金メダルを取ったけど、もし彼女が帰化鮮人の娘であったたら、日本人は熱心に応援するのか? 帰化鮮人の子供は血統的に見れば「朝鮮人」であるが、書類上は「日本国民」である。したがって、キム・ヨナの如き朝鮮系スケーターであっても、成績が良ければ日本代表選手となってしまうだろう。そして、彼女は浅田真央の如き日系人選手と並んでオリンピックに出場することもあるし、場合によっては日系人選手を蹴り落として代表選手に上り詰めるという事態も起こり得る。(実際、短距離を得意とする陸上選手がほぼアフリカ系という未来はそう遠くない。) こうなった時、日系日本人は朝鮮系が独占するフィギュア・スケートの代表団を「日本チーム」と見なすのか? また、代表選手三名が揃って朝鮮系となってしまい、奇しくも金銀銅メダルを獲得した場合、素直に「やったー。すごい !」と喜べるのか?

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(左: ペットを抱く浅田真央 / 中央: 大会で演技を披露する浅田 / 右: 浮かない顔のキム・ヨナ)

  「親近感」というのは自分と同類の者、自分と似ている種族に対して強くなる。多くの日本人が浅田真央に期待を寄せたのは、彼女の才能が卓越していた“だけ”ではあるまい。彼女が見せる表情や、ひたむきに練習する姿、辛い事があっても、それを押しつけがましく視聴者に伝えない慎ましさ、失敗を犯しても他人のせいにしない潔さが好評だったからじゃないのか。彼女が見せる自然な謙虚さとか、成功した時の笑顔は素晴らしかった。日本人は浅田氏のような競技者が好きだ。一方、南鮮人のキム・ヨナはどうだったのか。報道によれば、世界大会に出場したキム選手の評判は芳しくなく、他国のスケーターは彼女に近づこうとしなかったそうだ。見るからに傲慢で、勝者としての品格も無ければ、人間的魅力すら無い。まぁ、下品でがさつな朝鮮民衆にとっては“おあつらえ向き”の選手なのだろうが、日本では歓迎されないタイプだ。ただ、栄華を誇る氷上の女王も、引退すれば徐々に曾ての人気は翳り、厭な側面しか残らないからピンチに陥る。金メダリストのキム(金)選手が頼りにするのは金貨くらいなものだろう。

  ここで再び、日本人は「なぜ朝鮮人は朝鮮を去るのか ?」を考えねばならない。朝鮮人が祖国から逃れるのは、畢竟(ひっきょう)、南鮮が朝鮮人によって構成されているからだ。朝鮮人が何千何万人集まっても、日本の寒村ほどの魅力を生み出すことはできない。朝鮮人は朝鮮人が嫌いで、支那人も支那人が嫌いだ。支那人とソックリな民族であるユダヤ人も同類で、ユダヤ人だらけの地域が嫌いである。彼らに共通しているのは、他民族から疎まれる鼻つまみ者で、その心がねじ曲がっているという点だ。それを民族性と言ってしまえばそれまでだが、できれば彼らとは接触したくない。ところが、現状は逆になっている。かつて日本人は心が清く立派な民族であったのに、朝鮮人を始めとするアジア人を包括したことで、劣化の道を選んでいるんだから自業自得だ。

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(写真 / 幼い頃と成人した時に撮られたキム・ヨナ)

  悪夢はそれだけではない。我々は朝鮮人でさえ嫌う朝鮮人の遺伝子を取り込もうとしている。最近、日本のマスコミがキム・ヨナ選手の肉体的変貌を伝えていた。報道によると、彼女の容姿が激変しており、キム氏を目にした記者の中には、「あの子誰?」と尋ねる人もいたそうだ。科学的証拠が無いので断定はできないが、一部には美容整形じゃないかという指摘もある。筆者は高須クリニックの高須克弥院長のような知識を持たないので自信がない。けど、キム氏の写真を眺めたところ、素人ながらも異変に気がついた。彼女が幼い時に撮られた写真と、花形選手になてからの写真を比べると月とスッポンだ。もしかしたら、南鮮の化粧品は皮膚や骨格まで変形させる超近代的劇薬が使われているのかも知れないぞ。朝鮮人女優なら特殊メイク無しで、映画の『Xメン』に出演できるんじゃないか。(ミュータントの「ミスティーク」を演じたレベッカ・ロメインRebecca Romijnは印象的だった。) それはともかく、南鮮では政府による公共投資額が少ないのか、民間人が自発的に顔面工事を施し、GDPを増やそうとするらしい。しかし、いくら国家主導のインフラ整備が足りないからといって、親からもらった容姿まで再開発しようとするんだから、南鮮人の「変革好き」には目を見張るものがある。

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(左: レベッカ・ロメイン / 「Xメン」でのミスティーク / 右2枚: 顔面工事を行った朝鮮人女性)

  こうした改造熱が南鮮国内に留まっていれば問題は無いが、大量の朝鮮移民が日本に雪崩れ込み、彼らの嫌うツングース的遺伝子が日本人の遺伝子プールに注がれたら堪ったもんじゃない。こうなれば、朝鮮人との混血は単に日系人の容姿を変えるだけでなく、祖先をも変えてしまうのだ。もし、ある日本人男性が朝鮮人女性と結婚した場合、二人の間に生まれる日鮮混血児は、少なくとも朝鮮人の祖父母二名を持つことになる。ただし、この混血児が持つ朝鮮人の肉親は、母方の祖父母に留まらない。伯父叔母、従兄弟、はとこ、曾祖父などに広がり、5代6代7代・・・20代・・・25代・・・50代と遡って、何百何千もの朝鮮人が祖先になってしまうのだ。これじゃあ、まるで天空を背負うアトラスみたいで、乞食より汚い朝鮮人が千人も自分の背中にのしかかっているようなものである。日鮮混血児にとって朝鮮史は「外国史」ではなく、「祖先の過去」となってしまい、自分のルーツを見つめる科目になるのだ。日系人の子供は鮮やかな日本史を学んで楽しいだろうが、日鮮混血児は暗くて“どんより”とした朝鮮史を意識する破目になり、陰鬱を通り越して悲しくなる。しかも、日本の敗戦後にのさばった朝鮮人は見るに耐えない。「日本人」でありたいと望む朝鮮系児童は、第三国人として横暴の限りをつくした不逞鮮人など知りたくはないだろう。だから、拙書『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』を偶然手にし、第五章を読んだ帰化鮮人の親は烈火の如く怒るはずだ。たぶん、本をズタズタに引き千切って燃やしてしまうんじゃないか。在日朝鮮人には、何としても我が子に隠したい過去がある。朝鮮系帰化人の子供が増えれば、学校での歴史教育は、益々闇の中を彷徨(さまよ)うことになるだろう。それにしても、日本では歴史の授業が過去を忘却する教科になっているんだから腹が立つ。

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(左: 生来の顔を持つ朴ミン・ヨン / 中央と右: 外科的変身を遂げ美人女優になった朴氏)

自由を失う日本人

  朝鮮人を始めとするアジア系国民が増えると、もう一つの災難、すなわち日系日本人が自国を失う破目になる。例えば、親子代々「日本人」である日系人が、アジア系帰化人や移民、難民の排斥を訴えると、「ヘイト・スピーチ(憎悪言論)」を行う“不届き者”として非難され、弱い者イジメをする“悪人”にされてしまうのだ。しかし、日系人にしたら、自分たちの祖国に闖入する不逞鮮人や支那人、あるいは売春婦もどきの東南アジア人を駆除したいだけで、ことさら外国人を排除したいわけではない。事実、ハイテク産業や投資会社に勤める西歐系ビジネスマンや在日米軍士官、オーストラリアやカナダからの白人ファッション・モデルを追放しようとする日本人はいないだろう。NHKやTBSは「外国人排斥の気運が高まって危険です !」と報道するが、その「外国人」の正体を具体的に説明しないのだ。例えば、「外国人参政権」を取り上げても、それを「在日鮮人参政権」とは評さない。また、観光地における外人トラブルに言及しても、それが主に支那人によるものとは明言しないし、支那人の仰天行動に不満を漏らすホテル従業員の本音もNGだ。電車内のマナー違反だって、大抵は沢山の荷物を持ち込む支那人観光客だったりする。

  日系人には「言論の自由」があったはずなのに、最近ではそれも怪しくなってきた。例えば、朝鮮人が“あちこち”に住みつく川崎市では、「ヘイト・スピーチ」規制の一環として、「外人排斥団体」に対し公園などの場所を貸さないようにするらしい。でも、どうして日本人が自分たちの郷里を守る為に蹶起(けっき)することが“いけない”のか? 不愉快な侵入者が増えてくれば、自衛意識が高くなっても当然じゃないか。NHKなどは偏向報道を糾弾する日本人視聴者を門前払いする一方で、新華社通信の支那人や民間人を装う工作員なら大歓迎だ。本来、日本は日本人の国というのが前提で、健全な公務員は日系日本人を優先すべきなのに、いかがわしい外国人や図々しい帰化人の方を重視する。もっとも、共産党や公明党、民進党系の左翼議員がアジア人の味方に廻っているので、公務員の中には良心の呵責を感じている者もいるだろう。とは言っても、左翼議員からの叱責が怖いから、厭でも従うしかない。

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(左: 朝鮮人の抗議デモ / 右: アメリカ黒人の抗議デモ)

  米国でも事情は同じだ。例えば、CNNやABCは大規模な街頭デモを報じるが、それを「怒れる若者たちによる抗議行動」とだけ伝える。しかし、実際の映像を観ると、デモの参加者たちは主に黒人であったり、先頭に立って煽るのが極左の活動家という場合が多い。主要マスコミは「黒人暴動」と言えないので、わざと「若者による抗議」と言葉を濁している。でも、これだと「嘘」にはならないから、「フェイク・ニュース」との批判を避けることはできる。しかし、本質的には「詐欺ニュース」に近い。アメリカは元々白人国家だったのに、大手企業が安い労働力を欲したため、移民規制を撤廃してしまい、有色人種が溢れる多民族社会になってしまった。かつて、イギリス系入植者は原住民のインディオを追い払って「少数派(マイノリティー)の土人」に貶めたが、今では自分が移民に押し込められ、「白人少数派」に没落してしまった。なんとも皮肉なものである。日本人は気付いていないが、米国に押し寄せる支那人は一度も発砲せずにアメリカを征服できるのだ。方法は簡単。支那人は“いつも”のように“支那人らしく”振る舞えばいい。つまり、街中で「ペッ」と痰を吐き、ガチョウのようにガァーガアァと喋り、アパートメントを支那人所帯で埋め尽くし、学校にも我が子を送り込めばいいのだ。そうすれば白人が自主的に領土を明け渡す。所謂「白人の逃避」である。

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(左: 公害に苦しむ支那人 / 右: 貧困に喘ぐ支那人 )

  一般国民は薄々分かっていても口にしないが、アジアからの移民は日本を質的に向上させることはない。なるほど、大手の派遣会社は仲介手数料を取って儲かるし、コンビや介護施設は人手不足の解消となる。しかし、大半の日系国民にとっては、アジア移民は厄介者でしかない。日本人は日本人どうして暮らしたい。これが我々の本音だ。朝鮮人や支那人、フィリピン人と混じり合って暮らすのは最悪。彼らと付き合っても楽しくないし、不愉快な場面が増えるだけ。心が優しい日本人になると、劣等民族を傷つけないために、通常以上の気配りが必要となってくる。例えば、美白化粧品を愛用する日本人女性が、タガログ族系フィリピン人や茶色いインド人を前にして、「あの化粧品よかったわよぉ〜」なんて言えないじゃないか。また、黒人との混血児は日傘をさす日系人の母親を見て、「ボクのママには必要ないな」と思うから、周りの日本人は日焼けの話は避けるようになる。多民族幼稚園ではTVアニメ『ジャングル黒べぇ』のDVDなど厳禁だし、名作の『ブラック・ジャック』でも購入しないだろう。支那の名物料理、子供の小便を用いたゆで卵は香ばしいかも知れないが、幼稚園での再現は論外だ。イタリアでは人間の足が混入した支那料理が話題になったけど、日本ではこれから人間の指とか爪が発見されるかも知れない。(Julian Robinson,"Chinese restaurant is accused of serving human FEET to diners in Italy after gruesome image of rotting flesh is posted online by a waiter", Daily Mail, 13 January 2017 / 註 : 筆者はその写真を入手したけど、ライブドア社の検閲があるので載せられません。勇気のある方はネットで調べてね。) でも、支那人シェフなら、「ワタシの店ではそれが目玉料理よ !」と言うかも知れないぞ。実際、牛の目玉や金玉がスープの中に入っていたりしてね。

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(左: 昔の朝鮮人 / 右: 現在の朝鮮人)

  とにかく、色々な理由を述べることができるが、簡単に言って日本人は朝鮮人が嫌いである。朝鮮人は激怒するが、日本人からすると朝鮮人は下品で粗野。彼らは歴史的に支那人やモンゴル人、そして両班階級に弾圧されたり、理不尽な搾取を受け続けてきたので、性格が骨の髄まで歪んでいるのだ。その証拠に、彼らが集まった国を見てみれば解るじゃないか。自分たちが受けたと称する日帝からの屈辱と恥辱を西歐人にアピールし、白人からの同情を買うことで日本人への「当て付け」にしようとする。口にすることさえ忌まわしいが、「慰安婦問題」は典型的な対鮮トラブルだ。実際は醜悪な淫売女でも、朝鮮人は想像と妄想を膨らまして無垢な少女に変換し、米国にまで慰安婦像を造って設置するんだから、馬鹿というより気違いに等しい。日本の保守派は文大統領がトランプ大統領の歓迎式典に元売春婦の老婆を呼んできたことに驚き、その愚行を非難していたが、筆者から見れば、いかにも朝鮮人らしい行動に思える。アホの坂田師匠は「藝」として阿呆を演じているが、朝鮮人は“自然”にアホな行動を取っている。朝鮮人は野生動物や昆虫と同じだ。例えば、サソリに刺されたカエルが、「どうしてボクを刺すんだ?」と質問したとする。非難されたサソリにしてみれば、「刺したかったから」と答えるしかないだろう。だいたい、自分で自分の行動を反省できるくらいなら、あんな国家になっていない。

朝鮮人が集うと最低に

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(写真 / 日本のの恩恵を受ける前の惨めな朝鮮人たち)

  朝鮮人は「魅力」という言葉に無縁の民族である。南鮮にはクズ野菜を漬けたキムチくらいしか自慢するものが無い。余りにも貧しすぎたせいで工業技術すら発達しなかったし、貨幣経済も発展せず、他国民に披露できる文化にも乏しい。日本で育った朝鮮人の青年は、「アリランの詩(うた)」とか「パンソリ」なんて恥ずかしくて言葉に出来ず、「プク」と呼ばれる太鼓すら叩くのも嫌である。朝鮮人が口ずさむ民謡なんて陰気なメロディーで、日本人の友達には紹介したくない。以前、帰化鮮人歌手の錦野旦(あきら)が、歌謡界は朝鮮系歌手がいないと成り立たないと豪語していたが、朝鮮系歌手は日本で生まれ育ったから、有名歌手になれたのだ。朝鮮に住んでいたらデビューする機会さえ得られない。せいぜい一日中、空を眺めて屁をこいているだけの人生だ。例えば、和田アキ子は有名歌手になったが、それとて所属事務所のお陰だろう。彼女には作曲能力が無いから、他人が作った曲を歌っているだけ。もし、彼女が朝鮮で育っていたら、いま手にしている名声と地位は無い。1970年代や80年代の南鮮でも歌謡曲はあったが、それは片田舎の野暮天が夢中になる程度の代物で、日本人が聴いたら大爆笑。朝鮮人は先進国の日本に生まれ育ったから「著名人」になれたのだ。

K-Pop Star 3K-Pop star 4


(写真 / K-Popの人気グループ)

  もし、朝鮮の流行歌が素晴らしいのであれば、なぜ日本のレコード会社は朝鮮名曲集アルバムとか、1970年代南鮮ヒット曲といったCDを発売しないのか? 1980年代の南鮮人は日本の民衆文化に憧れており、こっそりと日本のTVドラマや映画などを観たり、歌謡曲やニュー・ミュージックのファンになっていたそうだ。今でも南鮮では、外国文化を輸入・盗作しており、「K-Pop」というのはアメリカ人歌手の猿まねに過ぎない。朝鮮人は三人寄っても「紛(まが)い物」しか産み出せず、せいぜい日本の文化を“さらり”と盗むだけ。日本人か馬鹿されれば、「何を言うか ! 日帝は我々の“国”を盗んだじゃないか !」と激昂し、羞じらいも無く開き直る。こんな連中が日本に押し寄せ、新大久保や川崎、大阪などに住みつく。かくて、朝鮮人が増え始めると、そこに住んでいた日本人が「よそ」へ引っ越すから、いつの間にか朝鮮人街の一丁出来上がりとなってしまう。

  西歐系白人が住む目黒とか麻布、青山の一等地なら「お洒落な街」となるのに、朝鮮人が棲息する新大久保は賤民のゲットーと化してしまう。現実はまことに厳しい。ナメクジみたいな顔附きの朝鮮人が携帯電話屋とか装飾雑貨店を営み、買い出しに来る客も朝鮮人だから、まともな日本人は目を伏せながら通りすぎるだけだ。(筆者はじっくりと現地の商店街を見物したことがあるので、今でもよく覚えている。) 住み慣れた街を朝鮮人に占拠された日系住民は悲惨なものだ。引っ越そうにも資金が無いし、朝鮮人が群集したことで店や家の資産価値も激減してしまう。「昔は良かった」と歎く高齢者は、朝鮮人の体臭を嗅ぎながら“お迎え”を待つしかない。それにしても、朝鮮からの「疫病神」に囲まれる日本人が、冥途からの「死神」を待ちわびるなんて憐れじゃないか。書店では亭主に不満を抱く奥様が『だんなデス・ノート : 夫の「死を」願う妻たちの叫び』を買っているそうだけど、これからは朝鮮人を呪い殺す『鮮人撲滅デス・ノート』が発売されるんじゃないか。筆者も小遣い稼ぎに一つ出版してみたいなぁ。
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2017年10月31日 北鮮の難民がやって来る ?! / 日本国民になってしまう定住朝鮮人
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ミサイル攻撃よりも怖ろしい難民

  総選挙というお祭りが終わって、日本国民一段落したと安堵しているが、議員選びよりも重要な問題が待ち構えている。すなわち、北鮮危機だ。保守系雑誌は「北朝鮮が我が国に向けてミサイルを発射するんじゃないか」とか、「米軍による北朝鮮への攻撃が始まりそうだ」と騒ぎ立て、各誌が特集を組んでいる。だが、本当の国難はそんなものではない。日本政府が自発的、あるいは渋々ながらも、大量の北鮮難民を受け容れてしまうことなのだ。

  確かに、トランプ大統領は強硬な態度を取り続ける金正恩に対し、安易な妥協を見せず、武力制裁を行う可能性がある。そもそも、ロナルド・レーガン大統領に憧れるトランプとしては、ジミー・カーターのように人権外交を標榜して失敗したくない。イランの人質奪還作戦で大失態を犯した大統領は惨めなもので、現在でも語り草になっている。やはり、「強いアメリカ」を前面に出して、自分に刃向かうゴロツキ国家を倒してこそ、偉大なる大統領として歴史に名が残るんじゃないのか。だから、ソ連よりも遙かに劣る北朝鮮に、自ら譲歩して核保有を許してしまうなんて想像できない。もし、トランプが何らかの裏取引で北鮮の核保有を黙認したら、国内の共和党保守派からの突き上げが噴出し、四面楚歌のトランプは益々孤立化を深めてしまうだろう。


(左: ジミー・カーター / ロナルド・レーガン/ ドナルド・トランプ  / 右: 金正恩)

  ただ、国際政治には不確定要素が多いから、正確に未来を予測することは難しい。したがって、我々は最悪のシナリオを想定し、あらかじめ「腹」を決めておく必要がある。例えば、核ミサイルに対する防禦を整備してこなかった日本人は、多くの同胞が死んでも「仕方ない」と諦め、残った国民が復讐心と克己心を持って国家を再興することだ。まぁ、現実的には日米同盟があるから簡単に核攻撃は受けないと思うが、自国を自力で守ろうとしない国民なんだから、同盟国に裏切られて消滅しても文句は言えまい。国際政治で「他力本願」は愚の骨頂だ。少なくとも米国は日米同盟を守ろうと“努力”するが、法の抜け穴を突いて日本を助けない場合だってある。また、そうじゃなくても、日本を軍事的に助けてやる代わりに、経済協力を“水増し”して求めてくることもあるだろう。どっちみち、我が国は苦難に陥るということだ。

左翼分子を披露するテレ朝

  北鮮問題を扱うテレビ番組はいくつもあるが、テレ朝の『ビートたけしのTVタックル』は支那や北鮮を擁護する番組として知れ渡っている。いつもは下らない内容なので観ることはないが、10月29日の放送では、防衛評論家の桜林美佐と経済評論家の三橋貴明、軍事アナリストの西村金一が出演していたので、仕事をしながら片手間で議論を聴くことにした。しかし、制作スタッフの真意は、これらの評論家が発する警告ではなく、極左ジャーナリストの青木理(おさむ)や「アジアプレス」の石丸次郎を世間に紹介することにあった。ワイドショーで常連客の青木はともかく、北鮮を熱心に取材する石丸には用心が必要だ。例えば、彼の北鮮難民に関しての発言は聞き捨てならない。石丸は戦争に伴って「北朝鮮が特殊部隊を送るなんてあり得ない !」とか、「武装難民が日本に押し寄せるなんてナンセンスですよ !」と言いのけた。石丸の考えによれば、「北朝鮮が消滅してしまうのに、特殊部隊が闘う理由なんてあるんですか?」という訳だ。そんなの特殊部隊員が気にすることではない。戦争が始まる前後に特殊部隊への指令が発令されれば、部隊員は命に代えても自分の任務を遂行しようとするし、日本に上陸した部隊は祖国との連絡が無くても暴れ回るものである。

Ishimaru Jiro 2(左 / 石丸次郎 )

  一般の日本人には軍事が解っていない。特殊部隊員は命令を実行することのみに専念する。だから、国際政治とか任務を終えてからの出世は考えない。たとえ、日本人が「北鮮兵士の皆さん、あなた方の祖国は崩壊しましたよ。もう意味が無いので投降して下さ〜い !」とメガホンで呼びかけても、北鮮の特殊部隊員は出頭しないだろう。だいいち、日本国政府は命令の解除コードを知っているのか? 日本に潜入した北鮮兵は、上官からの正式な停戦命令を受けない限り、死ぬまで戦い続けるんだから、日本人による「降伏勧告」なんて「策略」としか思わない。彼らは日本の自衛隊に殲滅されるまで、殺戮や破壊をやめないだろう。

  仮に、特殊部隊が投入されなくても、北鮮難民の中に便衣兵、つまり民間人を装ったゲリラ兵や長期滞在を目論む工作員が紛れ込んでいる場合だってあるのだ。ところが、日本政府は偽装難民と一般難民を区別できないから、どうしても悪質な北鮮人を国内に招き入れてしまう虞(おそれ)がある。たとえ政府が難民を一時的に離島へ収容し、ゲリラ兵の摘発に乗り出しても、国内の反日勢力が政府に圧力を掛け、「人権無視の隔離だ !」とか「人道主義に反する !」「朝鮮人への差別だ !」と騒ぎ立てるから、いつまでも孤島に閉じ込めておくことはできない。ちょっと考えれば朝鮮人を支援しそうな連中など、直ぐ思いつくじゃないか。 例えば、共産党、立憲民主党、民進党、自民党に潜む左翼議員、帰化鮮人の活動家、韓国民団、朝鮮総聯の残党、全共闘崩れの老左翼、人権派弁護士、移民・難民支援団体など、彼らはマスコミと結託して一大勢力を形成し、北鮮難民を本土に迎入れようと手引きするはずだ。

日本に根づく朝鮮人

  難民というのは、いつまでも難民ではない。日本にやって来た北鮮難民は、必ずや「日本国民」となる。金王朝の下で呻吟(しんぎん)した朝鮮人は、豊かで快適な日本に驚いてしまうから、絶対に“あの”悲惨な半島に帰ろうとは思わない。たとえ言葉が不自由で無職の状態であっても、気前の良い日本政府が食事を与えてくれるし、衣服や住居まで手配してくれる。しかも、子供の教育、職業訓練、医療保障に加えて、お小遣いまでくれるんだから至れり尽くせりだ。難民としてやって来た大人が日本国籍を取ることが無理でも、その子供たちは日本の学校に通い、日本語を覚えるわけだから、成人すれば帰化を申請するし、日本人と結婚してしまえば自動的に日本国民になれる。北朝鮮の崩壊を一番喜ぶのは、日本に定住できた北鮮難民だろう。


( 写真 / 貧困に喘ぐ北鮮人)

  日本人にとって怖ろしいのは、北鮮から発射される核ミサイルではなくて、大量に雪崩れ込む忌まわしい北鮮人だ。北鮮軍による武力攻撃を受けるのは嫌だが、脳天気な日本人が目覚めるのは、本当に目の前で同胞が殺された時でしかない。いくら国会で政治家が軍事的脅威を議論したって、そんなのは所詮「どこか余所の国」で起こる他人事に過ぎないから、大多数の日本国民はたいして関心を示さず、藝能ニュースの方に耳を傾けるはずだ。したがって、いくらJアラートを鳴らしても、有権者は真剣に考えないから、日本国政府に有効な防衛策は無い。日本人は合衆国政府の意向を黙って拝聴するのがせいぜいだろう。


(写真 / 1950年代、戦争を逃れる朝鮮人)

  問題なのは、戦場と化した朝鮮半島、とりわけ崩壊した北鮮で“厄介者”となる大衆である。もし、米軍が斬首作戦を真剣に実行すれば成功するかも知れない。だが、その後が大変だ。誰が北鮮の後始末をするのか? 本来なら、同胞の南鮮人だろう。しかし、只でさえ不景気に喘ぐ南鮮人が、大量の貧民を新たに抱きかかえることができるのか? 当然、南鮮政府は米国と日本に支援を要請するはずで、堂々と物資や金銭を恵んでくれとせがむだろう。老朽化した工業施設とか、未熟なインフラしかない北鮮が自力で経済復興できる訳がないので、ケチな米国はお金を貯め込んでいる日本に「お前が助けてやれ !」と命令するんじゃないか。結局、拉致被害を受けた日本が、加害者側の北朝鮮に税金を貢ぎ、負担でしかない朝鮮人を国内に引き受けて面倒を見る破目になるのだ。

  日本人はシリア難民を背負い込んだドイツやアメリカに、もっと目を向けるべきだ。ドイツの惨状は頻繁に報道されたから多少は知られているが、アメリカの状況も似たようなものである。例えば、2013年、米国は69,926人の中東アジア難民を受け容れてしまったが、国務省に設置された人口・難民・移民局(Bureau of Population, Refugees and Migration)は、難民を定住させるために3億1千万ドル(約341億円 / 1ドルを110円で換算)もの予算を使ったそうだ。 (Steven A. Camarota and Karen Zeigler, " The Hight Cost of Resettling Middle Eastern Refugees", Center for Immigration Studies, November 2015) シリアなどからの難民に対して、合衆国は手厚い福祉を与えたそうで、個人への社会保障補助金(SSI)は平均で年間13,494ドル(148万4千340円)となり、一世帯当たり最初の五年間で平均21,658ドル(238万2千380円)も支給されていたのである。困窮家庭への臨時給金(TANE)だと、一年に月平均5,061ドル(55万6千710円)となり、一世帯当たり9,287ドル(102万1千570円)となっていた。難民の91.4%が受け取っていた食券プログラム(SNAP)だと、個人としては年間4,039ドル(44万4千290円)貰っていて、一世帯当たり平均18,458ドル(203万380円)が支給されていたのである。


(写真 / 米国にやって来たシリア難民)

  難民支援者は「人道主義」を掲げて北鮮人を受け容れろと叫ぶが、その親切な人々は自分のお金を使おうとは思わない。「善きこと」は「他人のゼニ」で行う、というのが彼らのモットーであるから、難民が定住するための費用は総て税金である。難民が受け取る支援金は厖大な額なのに、彼らが払うかも知れない税金は勧めの涙程度。金王朝下で奴隷並みの生活をしていた北鮮人には、先進国で必要とされる技術者などはいないし、大多数が未熟練労働者か、潰しの利かない半端者、何をやらせてもダメな木偶の坊、無教養のタダ飯喰らいで、後はチンケな泥棒か、ひねくれ者、殺人鬼、強姦魔、犯罪予備軍くらいである。日本語も解らず、“コレ”といった特技も無い朝鮮人が、日本で出来る仕事といったら筋肉労働くらいしかない。だが、それとて難しいのだ。というのも、朝鮮人に土方をやらせても、現場監督と意思疎通が出来ないから、どんなヘマをやらかすか分かったもんじゃない。したがって、常に目を光らせておかないといけないから、現場監督は精神が休まることはなく、神経が参ってしまうのだ。それに、鮮人人夫が建設工事でヘマをやらかせば、通行人とかに怪我をさせるかも知れないし、場合によっては大事故を引き起こして多数の死傷者を出すかも知れないのだ。雇い主の建設会社は、こうした時の責任を背負う覚悟があるのか? 安くコキ使えるはずの外人労働者が、結果的には「高くついた」なんて事態も考えられるのだ。

  もっとウンザリするのは、北鮮を併合したことで更なる不景気に陥った南鮮から、没落した南鮮人が脱出を図り、手軽に渡航できる日本を目指すことだ。労働移民を歓迎する日本企業と、人口減少に悩む日本政府は、定住目的の南鮮人を排除しないから、益々日本の朝鮮化が進むことになるだろう。多民族主義の脅威に気付いていない日本人にはピンとこないだろうが、定住型の朝鮮人が増えるということは、日本国民の遺伝子プールの中に朝鮮人の精子や卵子が混入し、朝鮮人の肉体を持つ日本人が増えてしまう事を意味する。昭和の頃までなら、大半の日本人にとって朝鮮は“外国”であったが、平成の日鮮混血児にとっては“ご先祖様の郷里”となってしまい、別の形で日韓併合が再現されてしまうのだ。大都市のみならず、全国各地に朝鮮人が拡散し、“朝鮮顔”の日本人が激増してしまうんだから、考えただけでも怖ろしい。

  保守派の知識人や一般国民は、皇室問題や教育問題、農業問題、グローバル経済化などに直面すると、口を揃えて日本文化を守れと訴えるが、「誰が」守るのかに言及しない。大抵の国民は「我々国民が」と述べるが、その日本国民は「日系」なのか「朝鮮系」「支那系」「フィリピン系」「タイ系」なのかを考えず、全国民に呼びかければ“自然と”賛同するはずだと思っている。しかし、日本の文化や伝統、神社仏閣を守るのは、日本人の両親と祖父母を持つ「日系日本人」だけである。もし、朝鮮人の片親を持つと、日本人としての意識が希薄になり、縦糸の「血統」がぼやけてしまうのだ。確かに、日鮮混血児であっても、「日本が好き」と答えるだろう。だが、その「日本」とは「現在だけの日本」あるいは「住み慣れた土地」を意味し、何千年も前から続く「神州」でも「皇国」でもない。朝鮮人や支那人との混血児が、明治の頃の日本人と同じ「国民意識」を持つのか? 彼らは「ナショナリズム」を否定的に捉えるだろう。なぜなら、自分の肉体の中に異質で恥ずかしい遺伝子が含まれていることを自覚しているからだ。日系日本人が「鮮人駆除」を叫ぶと、彼らが嫌悪感を覚えてしまうのは、体内の朝鮮的血統が反応してしまうからである。


(左: 朝鮮人の生徒 / 右: 「Kポップ」を宣伝する朝鮮人)

  こうした日鮮混血児が増える事は本当に深刻である。昔は、日教組が“日本人の”子供を「反日分子」に改造するため苦労した。しかし、朝鮮系の子供に関しては、そうした努力や洗脳は要らない。帰化鮮人の子供や日鮮混血児は、洗脳せずとも“自然と”日系国民に反感を覚えるし、自ら進んで反日運動に加わったりする。日系日本人なら、たとえ左翼史観や反皇室教育を受けたとしても、何らかの切っ掛けで間違いに気付き、皇室伝統の素晴らしさを理解し、正常な日本人へと戻ることができる。ところが、朝鮮人や支那人の遺伝子が混じった子供は、天皇陛下を目にしても畏敬の念が湧くことはなく、却って「なんだ、あんな奴。いつも威張りやがって。いったい、どこが偉いんだ? 税金泥棒じゃないか !」と思ってしまうのだ。帰化鮮人の全員が反皇室とは限らないが、帰化鮮人の子孫や日鮮混血児で、いったい何人の尊皇主義者がいるんだ? 敗戦から半世紀以上経って、帰化した朝鮮人の子孫はかなりの数に上るはずだ。しかし、彼らの中から立派な伝統主義者とか愛国者が輩出されたとは聞いたことがない。朝鮮系の評論家とか大学教授で、心から日本の歴史や皇室、伝統文化を愛している人物がいたのか? あれだけ多くの朝鮮人が日本の教育を受け、日本人と結婚して子供をもうけ、親子代々日本に住み続けているのに、著名な愛国派知識人すら出現しないのだ。

国内に潜む敵

  先ほど述べた石丸次郎が、特殊部隊の侵入を否定したが、北鮮人工作員を使うのは何も金王朝だけとは限らない。たとえ、彼らの祖国である北朝鮮が崩壊しても、北鮮人が抱く反日感情は消滅しないし、支那人やロシア人が背後で操ることだって考えられるのだ。日本の支那専門家は北京政府の動向ばかり説明しているが、ロシア人とのパイプを隠している北鮮人がどれほど居るのか述べる事はない。もともと、北朝鮮はソ連が創った傀儡国家で、金日成(金聖柱)を首領に据えたのはスターリンである。この独裁者が若き金日成を選んだのは、彼が一番業績が無く、他と比べて操りやすい小僧と踏んだからだ。なるほど、北京政府が北鮮を軍事・経済の面で支援・保護しているが、ロシアが手を引いたとは考えにくい。ロシア人はマフィアと同じだから、一度摑んだ駒は絶対に放さず、徹底的にしゃぶり尽くすし、残りカスまで利用するはずだ。

  したがって、民間人を装って日本に潜入する北鮮工作員の中には、支那人やロシア人の手先が紛れていると考えた方がよい。彼らは直ぐに暴れ回るゲリラ兵とならず、「忍び」として日本に根を下ろし、パトロンの指令を待ちながら「一般人」として暮らすだろう。こうした連中の子供や孫は、やがて日本の官庁や企業、軍隊に浸透し、こっそりと極秘情報を盗み取るかも知れないし、上級幹部になって日本の国益を損なう人材になっているかも知れないのだ。(支那・朝鮮系の警察官や裁判官なんて、考えただけでも身震いする。) それ以上に危険なのは、朝鮮系の子孫が国会議員になって、朝鮮や支那、ロシアのために尽くすことである。現在でさえ、白真勲や福山哲郎といった朝鮮系議員が暗躍しているのに、更なる帰化鮮人議員が増えれば、国防計画でさえ困難な状況になるだろう。例えば、いくら自衛隊が最新鋭の戦闘機やイージス艦を購入しても、こうした反日議員が実戦使用を禁止すれば、単なる模型に過ぎない。つまり、北京政府は日本の議員を最良の「部下」として保有しているわけで、実弾を用いずとも日本の領土を征服できる。


左: 北鮮人
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右: 支那人
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  また、自衛官の中にも支那やロシアに配備された「スリーパー(忍びの草)」がいるから、いざという時は攪乱部隊として起動するはずだ。それに、支那人と結婚した自衛官の息子が自衛隊に入れば、防諜活動にとって別の問題が生じてくる。日本人は建前として民族差別を行わないことになっているから、支那系自衛官への監視が難しくなるだろう。しかし、北京から派遣された工作員は、同じ血を有する「同類」に接触を謀ってスパイに仕立てることが多い。実際、FBIに食い込んだスパイも支那系アメリカ人であったから、支那人の諜報機関は必ず混血児に目を附けてくる。たとえ、日支混血児が最初からスパイでなくても、支那人外交官に対しての抵抗感が薄いので、食事やカラオケの誘いについ乗ってしまうこともある。片親が支那人だと何かと共通点が多い混血児は、何となく支那人工作員に親近感を覚え、交際を続けているうちに“いつの間にか”情報提供者になってしまうのだ。特に、女の工作員が肉体を武器に男性の支那系あるいは朝鮮系自衛官を誘惑したら、結構その手口に嵌まってしまう者も多いだろう。

  難民の受け容れは、日本社会の隅々に損害を与えるものである。我が国の防衛力を低下させるばかりでなく、普段の生活まで食い散らかしてしまうのだ。例えば、難民がもたらす利益などは“ほぼゼロ”に近いが、医療費だけは一人前にかかるし、中には持病持ちもいるから、特別治療を受ける奴もいる。北鮮なら重病に苦しみながら死亡するだけの貧民でも、豊かな日本に来れば最新鋭の医療機器と高度な外科手術で治療して貰えるのだ。また、虫歯だらけの朝鮮人でも、「歯が痛い」と泣きつけば、即座に治療して貰えるんだから、国民健康保険をきちんと払っている日本人は激怒するだろう。日本国民が親子代々長年に亙り、高い保険料を納めながら維持してきた制度なのに、横滑りしてきた朝鮮人が“ちゃっかり”その恩恵に浴しているんだから、頭にきても当然じゃないか。もう説明するのも厭だけど、日本の刑法は犯罪者に甘く、日本の「囚人生活」ですら北鮮の「市民生活」よりも遙かに素晴らしく、“安心して”暮らせる日本の刑務所はサマー・キャンプに近い。


左: 朝鮮人女性
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右: 朝鮮人の少年
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  貧しい外人の到来は、医療費の問題だけではない。難民は子供連れで来るから、日本の人権派は鮮人の児童に対して義務教育を与えろと叫ぶはずだ。しかし、難民の子供は上流階級の私立学校に入ることができないので、必然的に庶民が通う公立学校に配置されることになる。しかし、日本語が不充分な鮮人児童が混入されれば、日本人の児童は大迷惑だ。異民族混淆クラスは、大抵の場合、学力低下に悩む。ドイツでも移民・難民の子供が多く住む地区では、学校の質的レベルが低下し、国家規模の問題となっている。国語(ドイツ語)が分からない移民の子供が、算数や数学、理科を苦手科目とするのは当り前だ。こうなれば、公立学校しか選択肢の無いゲルマン系の親は、移民・難民の流入に不満を募らせ、民族対立の火種となってしまう。日本の親だって、我が子には良い環境で最善の教育を与えたいと望むはずだ。それなのに、政府が勝手に鮮人の児童を日本人クラスに混ぜるから、日本人の親はブツブツと愚痴をこぼすようになる。毎度の事だけど、おっとりした日本の庶民は、自分が招いたわけでもない難民によって苦しむ事になるのだ。(ついでに言えば、日本の給食は北鮮人にとって高級料理と映る。毎日が豪華ディナーとなるから、大人だって学校に通いたくなるだろう。)


(写真 / 大進化を遂げる朝鮮人女性 )
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  難民問題で最大の障壁となっているのは、国内で沸き起こる「人道主義」だ。ユダヤ人が勝手につくった難民条約を締結するから、日本人はその害悪に苦しむ破目になるのだ。国家の将来や国民の日常生活を守るなら、難民条約など廃棄すべきだし、難民がボロ船に乗ってやって来るなら、躊躇せず砲撃で沈めるべきである。国家防衛とは国益を優先することで、流血を見るのが嫌だから、自滅を選ぶというのは愚者の考えだ。撃沈して溺れる難民を見て気の毒に思うのは一瞬の事である。ところが、その苦痛に耐えられないからといって難民を受け容れてしまえば、百年以上、つまり三世代以上の激痛を味わうことになるだろう。

現在の日本人は死刑を「忌まわしい」と考える平安貴族のような臆病者になっている。現実の社会には悪人がいるので、社会を維持しようと思えば、犯罪者に温情を示すべきではない。容赦無く斬首刑にすべし。国家への害悪が予想できるなら、躊躇無く北鮮難民を海の藻屑にすべきである。もし、人権派が文句を言うなら、「じゃあ、お前が日本国籍を捨てて、朝鮮半島で人道支援をすればいいじゃないか !」と言ってやれ。こうした左翼に限って、決して日本から出ようとせず、国内で快適な生活を送りながら「善人」の振りをしているものだ。大量の“みすぼらしい”北鮮人が到来した時、「難民を養いたい」と手を挙げる左翼が何人出てくるのか? 本当に楽しみである。
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9. 中川隆[-5768] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:24:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない

振り返って考えて欲しいことがある。

まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。

それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。

また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。

同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。

マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。


中国では物の価値よりも、価格が重視される

しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。

日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。

日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。

今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。

中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。

しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。

その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。

もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。

安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。

だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。


丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」

これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。

たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。

そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。

しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。

そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。

先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。

しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。

そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。

中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。

そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。

しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。


中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う

欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。

しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。

丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。

「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」

丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。

しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。

中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。

目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。

とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。

カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。

そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。


日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない

「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」

それが、今までの日本人の基本的な認識だった。

しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。

つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。

その認識は間違っていない。

中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。

中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。

今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。

客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。

中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。

しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。

日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html


5. 中川隆[-4988] koaQ7Jey 2021年5月06日 11:22:38 : oXlyLmzQfE : Nzd4UndKeVdKVTY=[15] 報告
「5分以内に爪を剥げ」監禁少女の脱走に激高した男はラジオペンチを手渡した
完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 #1
小野 一光 2020/04/07
https://bunshun.jp/articles/-/30817

 最も凶悪な、との例えを使うことに躊躇の生じない事件というのがある。

 起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」は、私にとってまさにそれに該当する事件だ。

 稀代の大量殺人は、2002年3月7日、福岡県北九州市で2人の中年男女が逮捕されたことにより発覚する。最初の逮捕容疑は17歳の少女に対する監禁・傷害というもの。奇しくも2000年1月に新潟県で発覚した、少女が9年2カ月に亘って監禁されていた事件の判決(懲役14年)が、この2カ月前の2002年1月に出たばかりだった。今回も少女が6年以上(後に7年以上と判明)に亘って監禁されていたとの情報が流れ、同事件の再来を想起させた。


この記事の画像(8枚)
https://bunshun.jp/articles/photo/30817


ただの監禁事件ではなかった

 だがやがて、この事件は想像以上の展開を迎える。まず少女の父親が殺害されていたことが明らかになり、さらには逮捕された女の親族6人も、子供2人を含む全員が殺されていたことがわかっていく。しかもその方法は、男の命じるままに肉親同士でひとりずつ手を下していくという、極めて残酷なものだった。

 主犯の松永太(逮捕時40歳)と内縁の妻である緒方純子(逮捕時40歳)には、福岡地裁小倉支部でともに死刑判決が言い渡され、続く福岡高裁で開かれた控訴審で、緒方は無期懲役に減刑された。そして最高裁での上告審で松永の死刑、緒方の無期懲役が確定。松永は死刑囚として拘置所に、緒方は懲役囚として刑務所に、それぞれ収監されている(2020年4月1日現在)。


逃走の機会があったにも関わらず、みずから犯行に加担

 私は2人が逮捕されて2日後に現場に入り、以来、事あるごとに取材を続けてきた。そのなかには裁判の傍聴や、上告審の期間中に松永との面会や手紙のやりとりを繰り返したことも含まれる。同時に、この事件の取材に携わっていた福岡県警担当記者や司法担当記者たちからも、多くの“表に出ない”情報を収集してきた。

 同事件の最大の特徴は、主犯である松永のもとで、共犯の緒方を含めて被害者たちがみな、それぞれ逃走の機会があったにも関わらず、ごく一部の例外を除き、逃げ出せずにみずから犯行に加わってしまった点にある。


なぜ事件は起きてしまったのか
 こうしたことは、私がその後取材した「尼崎連続変死事件」でも同様に起きていた。そこでもやはり、角田美代子(逮捕後に自殺)という主犯の女の下で、屈強な男たちが彼女に逆らえず、犯行に加担していたのだった。

 なぜそうした、マインドコントロールともいえる状況下に、周囲の者たちは置かれてしまったのか。

 この「北九州監禁連続殺人事件」を主導した松永の生い立ちや、被害者との関係、そこで取られた行動といった、犯行に関わる詳細を知ることこそが、新たに起こり得る同じ形態の犯行の抑止に繋がるのではないかとの思いがある。


 そのため、当時の現場で得た証言や裁判の記録に留まらず、時を経て初めて明かされた新事実なども含めて、同事件について知り得る限りのことを、この場で詳らかにしていきたい。もちろん、なかには目を背けたくなるような現実も含まれている。だが、起きてしまった事件の記録を未来の礎とすることこそが、無辜の犠牲者に対する追悼となることを信じてやまない。


逃走するも再度監禁

〈少女を監禁し、暴行した容疑で男女を逮捕〉との見出しの載った新聞記事を、出張先の熊本県熊本市で私が目にしたのは、2002年3月8日のこと。その内容は、北九州市で17歳の少女をマンションに監禁し、殴ったり首を絞めるなどの暴行を加えていた中年の男女が、3月7日に逮捕されたというものだった。なお、男女は氏名を語っておらず、不詳とある。

 私が現地に入った3月9日までの間には、当時は知る由もなかったが、次のようなことが起きていた。まずはそれらについて説明しておきたい。

 逃走した少女・広田清美さん(仮名)は、彼女が小学4年生だった1994年10月から、「ミヤザキ」を名乗る松永太と、「モリ」を名乗る緒方純子、さらに父親の広田由紀夫さん(仮名)と、北九州市小倉北区片野にある『片野マンション(仮名)』で同居を始めていた。

https://bunshun.jp/articles/photo/30817?pn=4

 清美さんはそれから7年3カ月後の2002年1月30日に、北九州市門司区にある祖父母宅に逃走を試みるも、2月14日に祖父母宅にやって来た松永に連れ戻され、2月15日から3月6日にかけて、松永らが片野マンションと同時に借りていた、北九州市小倉北区東篠崎にある『東篠崎マンション(仮名)』の一室に監禁されてしまう。

虚言で連れ戻した
 当時この事件を取材していた福岡県警担当記者は振り返る。

「松永は由紀夫さんの姉で、清美さんの伯母にあたる橋田由美さん(仮名)に連絡を入れ、事情を知らない彼女に『清美は泥棒して警察に保護されたことを由紀夫に知られ、由紀夫から殴られて逃走した。清美は不良グループに入って覚せい剤の運び屋グループの可能性もある。清美は祖父母の家にいるので、一緒に来てくれ』と虚言を弄して、祖父母の家に2人で押しかけていました。

 そこでミヤザキを名乗る松永は、すでにこの世にいない由紀夫さんのことを“所長”と呼び、彼がヤクザとして羽振りのいい生活を送っていることを匂わせたうえで、『私は所長から娘が18歳になるまで世話を頼むと言われ、その責任があります。お願いですから清美さんを戻してください。約束を守らないと所長に半殺しにされます』と説得。清美さんを連れ戻しました」


書類に署名・押印させ脅迫
©iStock.com
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 押し込まれた東篠崎マンションの部屋で、清美さんは松永から、1996年2月に父親の由紀夫さんが片野マンションで死亡したことについて、「あんたがお父さんを叩いて殺したんやろ」と脅された。

 そのうえで〈事実関係証明書〉として、〈私は平成8年2月26日に北九州市小倉北区片野×−×−× 30×号室において実父由紀夫を殺意をもって殺害したことを証明します〉と白紙に書かされ、署名・押印させられていた。その際に松永は、「今度、門司の祖父母のところに逃げ込んだら、この書面を祖父母に渡す。あんたは、門司の祖母の息子を殺した。それでも祖父母のところに行けるのか」と清美さんに全責任を押しつけて脅迫し、緒方に書面の保管を命じている。

 さらには、「祖父母のところに住んで仕事をしたいのであれば、大金を支払ってもらう」と告げたうえで、白紙に〈生活養育費として借用した2000万円について、毎月30万円以上を支払う。仮に逃走した場合には元金は4000万円に増加する〉といった旨を彼女に書かせ、こちらにも署名・押印させた。

通電による虐待
 2月15日の午前5時頃に始まったこれらの脅迫は、正午過ぎまで延々と続いた。そこでは「今度逃げたら、お父さんのところに連れていく。簡単なことなんぞ。あんたが死んだら、お父さんのところに行ったと言えばいい」「自分が頼めば、伯母はなんでも言うことを聞く。逃げても探偵を使って探し出す。ヤクザに頼んで風俗店も全部調べた。今度逃げても、そいつらに頼んで探し出し、見つけたら打ち殺す」などといった脅し文句が並ぶ。


 じつは清美さんは、祖父母宅から松永に連れ戻される際に、彼の隙を見て祖母に〈(松永が)言ってることはみんなウソ。あとで必ず迎えに来て〉と、広告の裏に走り書きしたメモを手渡していた。その日の夜、清美さんの伯母を通じてそのことを聞いた松永は激昂する。そして午後11時頃に「電気を通しながら聞く」と、緒方に電気コードの先に金属製クリップをつけた器具を、彼女の右上腕部にガムテープで固定させ、100ボルトの電流を流す“通電”による虐待を始めたのだった。

自分の血で血判状を書かせた
 その際、清美さんは「ちゃんと話します。話を聞いてください」などと懇願したが、松永は「電気をつけてから聞く」と、まったく応じようとはしなかった。そうした通電による暴行は翌16日の日中まで続き、その後も連日のように繰り返されることになる。

 また、2月18日の午後10時頃には、通電に加えて腕を足蹴にするなどして、松永が「逃げた理由を5秒以内に答えろ」などと詰問。翌19日未明になると「血判状を書いてもらわんといけん。カッターで指を切って、血で〈もう逃げません〉と書け。書かんのやったら電気を通す」と脅し、清美さんにみずからカッターナイフを使って右手人差し指を切らせ、その血で〈もう二度と逃げたりしません〉と書かせて署名させると、緒方に命じてこの血判状を、部屋の押し入れの引き戸に貼りつけさせた。

©iStock.com
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「5分以内に爪を剥げ」
 加虐心に火がついたかのように、松永は続いて清美さんに向かって、「写真を撮っておく。笑ったときに八重歯が出るから、すぐに特徴がつかめる。逃げたらこの写真であんたを捜してもらう」と、無理やり笑顔を作らせて写真を撮影。その際、緒方に命じて彼女の両眉毛を剃り落としている。


 やがて松永は、緒方にラジオペンチを用意させ、清美さんに手渡しながら言う。

「5分以内に爪を剥げ。ここの親指」

 松永が指差したのは彼女の右足親指だった。

©iStock.com
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 清美さんは左手に持ったラジオペンチで爪の先端を挟み、ゆっくり引き上げて剥がそうとするも、激痛に耐えかねて出来ない。

「できません」と口にした彼女に対し、松永は「剥げんのやったら剥いでやる。あと1分しかないぞ」と、冷酷に言い放つ。その言葉に覚悟を決めた彼女は、痛みを一瞬にするため、勢いをつけて一気に爪を剥がした。

 激痛が走ると同時に、親指から腰にかけてぞっとするような寒気が走り、剥がした部分からの出血で付近は血だらけになった。その痛みと恐怖感に耐えられず、清美さんは大声を上げて泣き出したという。

 だが松永は、「そのままでいい」と放置し、緒方に命じて、さらに清美さんの首を洗濯紐で絞めるなどの暴行を加えたのだった。

6. 2021年5月06日 11:23:40 : oXlyLmzQfE : Nzd4UndKeVdKVTY=[16] 報告
完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 | 文春オンライン
https://bunshun.jp/category/kitakyushu

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