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裸の縄文人
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/558.html
投稿者 中川隆 日時 2014 年 12 月 20 日 14:43:16: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 松岡正剛の千夜千冊 小林達雄 縄文人の文化力 投稿者 中川隆 日時 2014 年 11 月 29 日 11:23:53)


http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub8..html

                 ◆ 倭の水人の裔
   
                   縄文中期以来、そこに屹立(きつりつ)していたとされる、長野県・佐
                  久北沢の巨大石棒は、千曲川岸から4〜500m離れた、水田の農道
                  路肩に立っている。全長2.23m。
                 
                   平均身長170cmを更に上回る、今の日本の成人が、行きずりに眺
                  めて通るだけなら、さほどのこともないかもしれない。だが、平均身長
                  160cmに届かぬ中期縄文人が、ことに大石棒を見上げる角度に膝
                  を折ったとき、亀頭頭頂と亀頭冠、そしてわずかにしなうペニス・シャ
                  フト、これら三つの曲線がはらむ量感、緊張感は、圧倒的な迫力をも
                  って、仰ぎ見る眼に映ったはずだ。
                  
                   更にもし、前景に朝焼け、夕映えが置かれるなら、当然ながら男根
                  崇拝は、太陽信仰と合体し、縄文原始宗教に至福の時が訪れる。

                   それにしても、2mにも及ぶペニス・シャフトは、長すぎて疲れる。巨
                  大石棒は、立ち上げられて数千年、裸のままで立っていたのだろうか。
 
                   そんなはずはない。土器の表面を数千年の間、しつこく紋様で飾りつ
                  づけた縄文人が、無装飾の、裸の石棒の前にぬかづくはずはない。現
                  に、先端に彫刻を施した大石棒も、多く発見されているし、彩色された
                  石のペニスも出土している。野天に屹立する巨大石棒も、当然、聖性・
                  威光を示す彩色なり、装飾なりを備えていたはずだ。

                   くたびれるほど長いペニス・シャフトのどこか、多分亀頭冠の直下あ
                  たりに、浄めの輪飾りが締められていたのではないか。輪飾りからは
                  幾すじか、下がりのようなものも、垂らされていたかもしれない。竪穴
                  住居それぞれに祭られた、小型の石棒も同じだろう。聖呪(せいじゅ)
                  を唱えながら編まれた輪飾りが、ファルスの聖性・威光の標示として
                  巻かれ、これがしめ縄の原型になる。
                   
                   昭和20年代半ば、房州白浜海岸の夏――
                   地引き網を曳き終わり、浜に働く漁師たちはみな、丸裸だった。一
                  糸まとわぬ、と言えばしかし、嘘になる。ペニス・シャフトがそれぞれ、
                  わら一本でくくられていた。網をかつぎ、網を干し、水際を歩く漁師た
                  ちの、浜風に縮んだペニスが揺れ、くくったわらの端が揺れる。
  
                   私はそれをジョークだと思った。素っ裸ですみません、でも、まるきり
                  の裸じゃない。ちゃんとわら一本を身につけています、という。

                   しかし無論、ジョークなんかじゃない。『魏志倭人伝』に「今、倭の水
                  人、好んで沈没して魚蛤(ぎょこう)を捕る。文身して亦(ま)た以て大
                  魚・水禽(すいきん)を厭わしむ」とあり、文身(いれずみ)には、まじ
                  ない効果があった。それと同じく、房州漁師のペニスのわらも、魔除
                  け、水難予防のまじないだったと、後に思い直すが、これも正確では
                  なかった、と、いま、縄文の石棒について考えながら思う。

                   竪穴住居の中でも外でも、あれほど公然と男根が崇拝されていて、
                  生身のペニスを隠すとしたら、そのほうがおかしい。厳寒期を除き、縄
                  文人の男はほとんどいつも、全裸だったのではないか。漁労に従う沿
                  岸部の住民なら、なおさら。

                   そして特に、石棒信仰が盛行する後期以降、生身のペニスにも、浄
                  めの縄が結ばれた、と考えるのは自然だろう。無論、縄というより、紐
                  だったのだろうが、それぞれ所属の共同体ごとに、微妙に結びや、か
                  たちを変えていたかもしれない。

                   パプア・ニューギニアの高地人は、今も裸で、めいめいのものを、立
                  派なペニス・ケースに収めている。それから見れば、輪飾りを結ばれ
                  ていようと、またたとえ、真っ赤に彩色されていたとしても、縄文人の
                  聖標識は、遙かにつつましいものだった。

                   つまり、1940年代半ば、今はどうだろう、当時、房州白浜・漁師の
                  ペニスのわらは、略式のしめ縄だったのだ。

                   4000年前、中期縄文時代の石棒が、しめ縄を通して、房州漁民の
                  ペニスにつながる、と書けば大笑いだろう。だが、ふざけているのでは
                  ない。
   
                   『倭人伝』にいう「倭の水人」とは、文身(いれずみ)が示唆しているよ
                  うに、九州、弥生の国家体制に組み込まれた、縄文・漁労の民だった
                  と思われる。当然、全裸で「沈没」していたはずだ。弥生時代に入って
                  も、漁労は主として、縄文系の生業だったのではないか。

                   九州、四国の海岸部、更に日本海側の住民には、比較的濃く、縄文
                  人の遺伝子が保たれているという。このことは、形質人類学的にも根
                  拠があり、一方、房州の漁民は、遭難・漂着した土佐の漁民の裔(す
                  え)だとされる。

                   遺伝子の継続とともに、文化が、ことに腐食しにくい性にかかわる文
                  化が、大きな変化をこうむることなく、受け継がれてきた、という考えに
                  それほどの無理はあるまい。

           ◆ 縄文のしめ縄

             くり返し、しめ縄という言葉を使った。縄文時代にしめ縄があったのか
                 と、必ず聞かれるだろう。あったに違いない。
               
                  当時、縄には特別の意味があった。
                  人類が、縄を発明したのはいつ頃だろう。痕跡を残さないから、考古学
                 の対象にはなりにくいが、これはたいへんな発明だった。指を使って材料
                 を継ぎ足せば、縄は、魔法のように、どこまでも長くなる。石器、土器の発
                 明に劣らぬ、凄い技術を人類は獲得した。
                  この技術は、すでに旧石器時代には存在したのだろうか。それとも、新
                 石器時代(縄文時代)を待たねばならなかったのか。

                  などと、大上段にふりかぶることもない。縄には特別の意味があった。
                 意味がなければ、何千年ものあいだ飽きもせず、縄目が土器の表面を
                 飾るわけがない。どんな意味があったか。

                  しめ縄は、2匹の蛇の交尾を表す豊穣のシムボルである、というのは、
                 国際日本文化研究センターの安田喜憲さんの説である。これは卓抜な
                 意見だ。聖と清浄の標識であるしめ縄に、蛇の交尾を見る視点は、尋
                 常じゃない。この視点に立てば、この国の「聖性」の隠れた一面、最も底
                 の部分に光が当てられる。

                  安田さんによれば、蛇は互いにからまって交尾する。その時間がおそ
                 ろしく長い。長ければ、半日以上もからまったままだそうである。その長
                 さが、精力の強さ、繁殖力の強さを連想させ、縄文人の蛇信仰を生ん
                 だ。
             
                  そして、安田さんは7000年前の長江稲作文明の蛇信仰と、縄文のそ
                 れとを対置するのだが、蛇信仰を持ち出すまでもなく、縄が性的結合の
                 シムボルであったことは、容易に想像できる。

                  イグサのような強い草の茎、カバやサクラの樹皮などで、縄文の縄は
                 編まれたという。当初は、素材2本だけの縒(よ)り合わせだったろう。
                 太い素材を使って、太い縄を編むときは、夫婦、あるいはムラじゅうの
                 共同作業になる。

                  力を合わせ、2本の茎材をからませて縒り、縒り合わせが性的結合を
                 連想させ、それを暗示する労働歌なども歌われたかもしれない。あるい
                 は男女のかけ合いで。

                  こうして、縄は性的結合のシムボルとなり、性的結合は、単に快楽の
                 ためだけのものではない。祖霊――「祖」という観念が、どの程度発達
                 していたか――死んだ父母、あるいは死児の霊を、竪穴住居の中に祭
                 った小型の石棒に降ろし、更に妻(たち)の胎へ呼び戻す、聖なる再生
                 の儀式でもあったはずだ。

                  是が非でも、縄文の夫婦は、たくさんの子をつくらねばならなかった。
                 コール&デムニイのモデル生命表というものに、縄文人の死亡率を組
                 み込んで試みた、国学院大学・小林達雄教授の計算によると、縄文の
                 人口を維持するためには、一人の女性が、最低8人の子を産まなけれ
                 ばならなかった。

                  共同体の人口増加を願うなら、当然もっとである。15歳から産み始め
                 たとして、30歳をわずかに越える平均寿命の終わりまでに、9人、10
                 人と産み続けねばならない。そして生まれた子の半数以上は成人せず
                 に死ぬ。縄文の女の胎に、休む暇はなく、竪穴住居の中では、目まぐ
                 るしく生と死が入れ替わった。

                  とめどない生死の交替の中で、死は終わりではない、生死は縄目のよ
                 うに終わりなく循環する、という観念が生まれ、循環をつかさどるのは、
                 祭りを要求する見えない霊の力だが、契機は男女の性的結合そのもの
                 にある、と考えられるようになる。今も、性行為を「お祭り」と呼ぶ言い方
                 がある。これなどまさに、何千年を生き続けた、縄文的表現とは言えな
                 いだろうか。

                  縄は性的結合と、同時に、生命循環のシムボルとして聖性を帯び、縄
                 文信仰の原点を表象し、数千年間、土器表面に聖コードを刻み、やがて
                 安田喜憲さんの言う、蛇信仰とも合体してトーンを高め、祭りの場、神域
                 の標示として使われ、更に変遷して、土俵入りの横綱の腰を飾るように
                 さえなった。

                  部屋の力士が総出で綯(な)うという、あの太く逞しいしめ縄は、安田さ
                 んの蛇交尾説に従うなら、さしずめ大蛇(おろち)の愛の交歓、ということ
                 になる。それでもなお、女が上がると土俵が汚れる、などと主張したりす
                 るのは、何と無惨な倒錯だろう。
                                                  (下 野  博)
                       

                      参考文献: 小林達雄 『縄文人追跡』 日本経済新聞社  2000
                        安田喜憲 『環境考古学から見た日本農業』
                                           研究ジャーナル 23(8) 2000
 

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