★阿修羅♪ > 番外地6 > 626.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
ミノア文明はヨーロッパ起源だった
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/626.html
投稿者 中川隆 日時 2015 年 7 月 20 日 16:10:40: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 「モンゴロイド系」 vs. 「アーリア系」 投稿者 中川隆 日時 2014 年 10 月 24 日 09:01:33)


【古生物学】ヨーロッパ最古の高度文明はヨーロッパ起源だった 2013年5月15日

ヨーロッパで最初の主要な文明であったミノア文明がヨーロッパ起源であることが判明した。ミノア文明の遺跡は、エジプトとリビアの要素との類似性があり、英国人考古学者アーサー・エバンス卿による発見以来、ミノア文明はアフリカ起源だと考えられていた。

ミノア人は、クレタ島に居住し、そのまま滅亡を迎えたが、それが、紀元前2,000年頃に起こったと推定されているサントリーニ島での火山噴火と結びついていると考えられてきた。今回、George Stamatoyannopoulosたちは、クレタ島の洞窟で発見された保存状態のよいミノア時代の遺骨から遺伝的データを採取し、そのDNAフィンガープリントを現在と古代のアフリカ、ヨーロッパと中東のヒト集団に由来するDNAを比較した。その結果、古代ミノア人が、新石器時代と現代のヨーロッパ人集団、それに、現代のクレタ島ラシシ高原の住民と強固な結びつきのあることが示唆されている。

ミノア文明の起源は、約9000年前にヨーロッパに移動した新石器時代のヒト集団であった可能性が最も高い。また、トルコのアナトリア地方からヨーロッパに広がった古代ヒト集団が、クレタ島にも広がって、初期ミノア文明の創出に寄与した可能性も非常に高い。
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/8452  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 2015年7月20日 16:18:43 : b5JdkWvGxs

10-7. Y-DNA「J 」   セム度・メソポタミア農民度調査 rev.4
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/10-7.htm


世界の主要な宗教であるユダヤ教も、ユダヤ教から生まれたキリスト教もイスラム教も全てセム系Y-DNA「J 」が興した宗教です。ただしヤーヴェやキリストが「J1 」か「J2 」かは現在の遺伝子調査では定かではありません。 イスラム教のムハンマド(マホメット)は成立年代から見てアラブ系のY-DNA「J1 」と思われますが。


Y-DNA「J2」 メソポタミア農耕文明民度調査

↓Y-DNA「J2」遺伝子の現在の分布です。チグリス・ユーフラテス川の肥沃な三角地帯で農耕革命を興しヨーロッパに農耕を伝えた集団なのでほぼヨーロッパ全土に浸透しています。


↓ローマ帝国の最大版図です。

ローマ帝国の拡大とともにY-DNA「J2」メソポタミア農耕文明の農民が拡大していったことが良くわかります。


↓ローマ時代のキリスト教徒の分布図だそうです。

Y-DNA「J2」の分布と重なります。「J2」農民がローマ帝国の拡大とともにキリスト教を拡大していったことが分かるそうです。つまり先住民がキリスト教に改宗したと言うより、ローマ人が進出したと考えられるようです。
(現代の中国の少数民族政策に似ています、漢族を大量に少数民族の多い地域に送り込み、地域ごと漢族で乗っ取るやり方です。)

  Y-DNA「J2」は、最後の氷河期の終わりごろ15000年〜22000年前に間で、中東のどこかに現われたと思われます。

  その現在の地理的な分布は、肥沃な三日月地帯からの新石器時代の拡大を支持していると議論されています。

  この(第一次の)拡大はY-DNA「G2」とY-DNA「E1b1b」に関連ずけられるレヴァント地域での穀物農業の開発より、むしろ紀元前8000年〜9000年ごろから始まったZagros山脈および北メソポタミアからの牛およびヤギの飼育法の拡散と恐らく関連付けられます。

  第二次の「J2」の拡大が、銅の製作という冶金法の到来(ドナウ谷の低地、アナトリア中部および北メソポタミアから)と最も古いいくつかの文明の興隆で生じたのかもしれません。

  ほとんどの古代の地中海・中東の文明はY-DNA「J2」が優勢だった領域で繁栄しました。

  これはハッチ人、フルリ人、エトルリア人、ミノア人、ギリシャ人、フェニキア人(とそのカルタゴの支流)、イスラエル人の場合と、より低い程度ですがローマ人、アッシリア人およびペルシャ人もです。

  中期青銅器時代から鉄器時代までの偉大な船乗り集団の文明はすべてY-DNA「J2」男子によって支配されました。


  雄牛崇拝を伴った古代「J2」文明の別の関連付けがあります。

  雄牛のカルトの最も古い証拠は、新石器時代のアナトリア中部、特にCatalhoyukおよびAlaca Hoyukの遺跡に遡ることが出来ます。

  雄牛描写はクレタでミノア文明のフレスコ画およびセラミックスに遍在しています。

  雄牛仮面のテラコッタ小像および雄牛角のある石の祭壇は、キプロス(新石器時代までさかのぼった西アジアからのY-DNA「J2」の第一次と思われる拡大)で見つかりました。

  ハッチ人、シュメール人、バビロニア人、Canaait人およびカルタゴ市民にはすべて雄牛崇拝(インドヨーロッパ語族か東アジアの地方と対照的に)がありました。

  シヴァ神またはパールヴァティー女神に専心的なすべての寺院で示されるヒンズー教の脅えた雄牛、白い雄牛、はインドヨーロッパ語族に起源を持っていないが、インダス渓谷文明までさかのぼることができる。

  ミノア人のクレタ、ヒッタイト人のアナトリア、レヴァント、バクトリアおよびインダス渓谷は、さらに雄牛を飛び越える伝統(雄牛の突進をよける儀式)を共有しました。

  それは、Y-DNA「J2」頻度の高い頻度の2つの地方、スペインのアンダルシアおよびフランスのプロバンス地方で伝統的な闘牛として今日まで残存しています。

  Y-DNA「J2」の世界で最も高い頻度は、北東のコーカサスのイングーシ人(男性のY-DNAの88%)およびチェチェン人(56%)に見られます。

  両者はNakh民族グループに属します。彼らは少なくとも紀元前3000年以来その地域に居住しています。

  彼らの言語は他の言語のグループではなく、離れているダゲスタンの言語と関係があります。

  しかしながら、ダゲスタン民族(Dargin人、Lezgin人、アバール人)は、Y-DNA「J1」(Dargin人では84%)に属し、ほとんど完全にY-DNA「J2」は欠損しています。

  Y-DNA「J2」の他の高い出現頻度は、Azeri人(30%)、グルジア人(27%)、Kumyk人(25%)およびアルメニア人(22%)を含む他の多くのコーカサス民族中に見られます。

  しかしながらこの地域の低い遺伝的多様性のために、コーカサス一帯でY-DNA「J2」が始まったとはほとんどありえません。

  ほとんどのコーカサス民族の人々は同じY-DNA「J2a4b」(M67変異)子亜型に属します。

  観察された高い局所的な頻度は、むしろ創始者効果(例えば一夫多妻の長い伝統による首領および王の血統の増殖、ロシア人が19世紀にコーカサスの征服以来抑えこもうとしたこと)の結果になるでしょう。

(貧民が自由に結婚できる現代と異なり、古代は権力者のみが女性を独占し自分の子孫のみを世に送り出してきた事実、このため権力者のY-DNAのみが長い間受け継がれてきた。中央アジアのジンギスカンの子孫1500万人現存が良い例)


  コーカサスの外で、Y-DNA「J2」の最も高い頻度は、

キプロス島(37%)、
クレタ島(34%)、
イラク(28%)、
レバノン(26%)、
トルコ(マルマラ海沿岸地域およびアナトリア中部ではピークで30%)(24%)、
ギリシャ(23%)、
イタリア(23%)、
シシリー(23%)、
南イタリア(21.5%)中部北部)

等で観察されます、

そしてアルバニア(19.5%)、ユダヤ人の人々(19〜25%)も同様です。

  ワラキア人の人々の4分の1(バルカン諸国のロマンス語話し手の孤立したコミュニティー)はY-DNA「J2」に属します。彼らが住んでいるマケドニアおよび北ギリシャでは平均以上になります。

  これは彼らがラテン語から伝わった言語を話すという事実に組み合わせられます、ということは彼らの大部分がバルカン諸国の他の民族グループよりローマ人(あるいは少なくともイタリア人)を祖先に持つことを示唆します。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/10-7.htm


2. 中川隆[-4725] koaQ7Jey 2021年5月18日 06:40:03 : Ru7jTCeWgM : LzB5ZE9zSkhoS28=[5] 報告
雑記帳 2021年05月18日
エーゲ海地域青銅器時代人類集団のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/202105/article_19.html

 エーゲ海地域青銅器時代人類集団のゲノム解析に関する研究(Clemente et al., 2021)が公表されました。本論文は、最近公表されたイタリア半島における銅器時代〜青銅器時代の人類集団の遺伝的構造の変化に関する研究(関連記事)とともに注目されます。ユーラシアの青銅器時代(BA)は、社会的・政治的・経済的水準の重要な変化より特徴づけられ、最初の大規模都市センターや記念碑的宮殿の出現に明らかです。ギリシア本土とアナトリア半島西部とクレタ島に囲まれた地中海の湾であるエーゲ海(図1A)は、とくに最初の記念碑的都市センターの一部がエーゲ海沿岸に形成されたため、これらの革新の形成に重要な役割を果たしました。

 エーゲ海文化とよく呼ばれるエーゲ海の青銅器時代文化は、クレタ島のミノア文化(紀元前3200/3000〜紀元前1100年頃)、ギリシア本土のヘラディック文化(紀元前3200/3000〜紀元前1100年頃)、エーゲ海中央部のキクラデス諸島のキクラデス文化(紀元前3200/3000〜紀元前1100年頃)、アナトリア半島西部文化(紀元前3000〜紀元前1200年頃)を含みます。ヘラディック文化の最終段階がミケーネ文化(紀元前1600〜紀元前1100年頃)です。これらの文化化は土器様式や埋葬習慣や建築や芸術において異なる特徴を示します。しかし、これらの文化は手工業や農業(果実酒や油)の専門化、大規模な貯蔵施設や再流通体系の構築、宮殿、集約的交易、金属の広範な使用に関連する共通の革新を共有しています。

 青銅器時代エーゲ海で発展した経済的および文化的交流の増加は、資本主義や長距離政治条約や世界貿易経済など現代の経済体系の基礎を築きました。後期青銅器時代(LBA)には、線文字A(ミノア文化)と線文字B(ミケーネ文化)というエーゲ海地域最初の文字が出現しました。線文字Aはまだ解読されていませんが、紀元前1450年頃の線文字Bはギリシア語の最古の形態で、インド・ヨーロッパ語族内では最長の歴史が記録されている現存言語の一つです。これらの新規性は、都市化の初期形態を定義しており、伝統的に都市革命と「文明」の出現として記述されており、ヨーロッパ史の重要な事件を構成します。

 広範な考古学的データに基づいて、これらの文化の起源と発展に関するいくつかの仮説が提案されてきました。第一に、局所的革新を想定する見解で、変化は在来新石器時代集団の遺伝的および文化的継続に基づいていた、とされます。第二に、アナトリア半島とコーカサスからの前期青銅器時代(EBA)における新たな人口集団の移住を想定する見解です。第三に、前期青銅器時代の始まりにポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)から到来したかもしれないインド・ヨーロッパ語族話者の影響を想定する見解です。

 ヨーロッパ中央部・北部・西部では、ほとんどの青銅器時代個体のゲノムは、在来の農耕民と在来の狩猟採集民(HG)の混合です(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。古代DNAデータは東方からの大規模な人口集団移動を明らかにし、コーカサス狩猟採集民構成要素とヨーロッパ東部狩猟採集民構成要素とを類似の割合でもたらしました(関連記事1および関連記事2)。これらの構成要素は、後期新石器時代および前期青銅器時代(紀元前2800年頃まで)におけるポントス・カスピ海草原人口集団の移住の波に起因するかもしれません(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。最近、草原地帯関連祖先系統が青銅器時代のバルカン半島北部(ブルガリア)やバレアレス諸島やシチリア島(関連記事)で報告されましたが、サルデーニャ島では報告されませんでした(関連記事)。しかし、この草原地帯関連祖先系統が時間的もしくは地理的にヨーロッパ南東部にどれだけ拡大したのか、不明なままです。

 西洋「文明」台頭とインド・ヨーロッパ語族の拡大を理解するための重要性にも関わらず、エーゲ海の青銅器時代個体群の全ゲノムはまだ配列されていません。したがって、新石器時代から青銅器時代の移行の背後にある人々の遺伝的起源とギリシア現代人口集団への寄与については議論が続いています。現在のギリシアとアナトリア半島西部の新石器時代個体群の全ゲノム配列データはほとんど区別できず、エーゲ海全域に拡大した共通のエーゲ海新石器時代人口集団を裏づけます。

 コーカサス狩猟採集民関連祖先系統は後期新石器時代エーゲ海個体群と後期青銅器時代ミケーネ文化個体群と前期〜中期青銅器時代(EMBA)ミノア文化個体群の一部に存在し(関連記事)、東方からの遺伝子流動の可能性を提起します。後期青銅器時代ミケーネ文化個体群も、ポントス・カスピ海草原もしくはアルメニアからの遺伝子流動に起因する祖先系統の証拠を示します(関連記事)。現代ギリシア人は、これら以前に報告されたミノア人およびミケーネ人とは遺伝的にかなり異なっている、と明らかになりましたが、この違いの原因は調査されていません。

 エーゲ海における新石器時代から青銅器時代の移行期のゲノムデータの不足により、ヨーロッパにおける青銅器時代の特定の側面を理解するための重要な問題が部分的に未解決となっています。そこで本論文は、以下の問題を検証します。第一に、青銅器時代への移行の契機となったエーゲ海人は同じ地域の新石器時代集団と関連しているのか、という問題です。第二に、ヘラディック・キクラデス・ミノアの青銅器時代文化間の遺伝的類似性はどのようなものだったのか、つまり、それらの文化の違いは人口集団構造を伴っていたのか、ミケーネ人のような後期青銅器時代人口集団とどのように関連していたのか、という問題です。第三に、一部の新石器時代および銅器時代アナトリア半島人で観察された東方(コーカサスもしくはイラン)祖先系統はエーゲ海人において青銅器時代まで存続したのか、そのような遺伝子流動の時期はいつだったのか、という問題です。第四に、ポントス・カスピ海草原からヨーロッパ中央部への大規模な移住はエーゲ海青銅器時代人口集団に影響を及ぼしたのか、もしそうならば、この遺伝子流動の時期はいつで、どの程度だったのか、という問題です。第五に、青銅器時代全体のエーゲ海個体群は同じ地域の現代ギリシア人とどのように関連しているのか、という問題です。

 これらの問題に答えて、エーゲ海青銅器時代の洗練された宮殿と都市センターの背後にある人口集団を特徴づけるため、前期青銅器時代4個体とキラディック文化期の2個体を含む、青銅器時代エーゲ海人の全ゲノムが生成されました(図1)。表現型予測に既存の手法を用いて、標準的な人口集団ゲノム手法を適用し、古代と現代の人口集団間の関係が特徴づけられます。新石器時代および銅器時代から現代までのエーゲ海の人口統計を推測するため、全ゲノムデータが活用され、古代ゲノムに特徴的な典型的な網羅率の低さと損傷と現代人の汚染を考慮して拡張した、ABC-DLと呼ばれる深層学習と組み合わせた近似ベイズ計算の手法(関連記事)が利用されました。以下は本論文の図1です。
画像


●資料

 新たに青銅器時代エーゲ海の6個体分のゲノムデータが得られ、網羅率は2.6〜4.9倍(平均3.7倍)でした。内訳は、ユービア(Euboea)島(エヴィア島、エウボイア島)のマニカ(Manika)遺跡の前期青銅器時代ヘラディック文化期の1個体(Mik15)、クレタ島のケファラ・ペトラス(Kephala Petras)埋葬岩陰遺跡の前期青銅器時代ミノア文化期の1個体(Pta08)、コウフォニッシ(Koufonisi)島の前期青銅器時代キクラデス文化期2個体(Kou01とKou03)、ギリシア本土北部のエラティ・ログカス(Elati-Logkas)遺跡の中期青銅器時代2個体(Log02とLog04)です。

 これらの個体は、ヘラディックマニカEBA(Mik15)、ミノアペトラスEBA(Pta08)、キクラデスコウフォニッシEBA(Kou01とKou03)、ヘラディックログカスMBA(Log02とLog04)と呼ばれます。さらに、4個体(Mik15とPta08とKou01とKou03)はまとめてEBAエーゲ海人、2個体(Log02とLog04)はMBAエーゲ海人と区別されます。同様に既知の個体群も分類されます(表1)。さらに、11個体のミトコンドリアゲノムも得られました。


●異なる文化的背景のEBAエーゲ海全域におけるゲノムの均一性

 エーゲ海の青銅器時代個体群の全体的なゲノム規模の遺伝的関係は、古代および現代のユーラシア人口集団の文脈で調べられました。EBAのヘラディック・キクラデス・ミノアは、それぞれ異なる文化にも関わらず、全ての分析で個体群のゲノムは類似しています。外群f3統計(ヨルバ人、Y、X)では、Xが現代の人口集団、Yが本論文の古代人で、ヘラディックマニカEBA(個体Mik15)とミノアペトラスEBA(個体Pta08)とキクラデスコウフォニッシEBA(個体Kou01とKou03)は類似の特性を有すると示され、ヘラディックログカスMBA(個体Log02とLog04)とは対照的です。

 EBAエーゲ海人(個体Mik15とPta08とKou01とKou03)はヨーロッパ南部現代人、とくにサルデーニャ島現代人とより高い遺伝的類似性を示します。古典的なMDS(多次元尺度構成法)分析では、個体間の遺伝的非類似性は、EBAエーゲ海個体群(Mik15とPta08とKou01とKou03)とMBA個体群(個体Log02とLog04)がf3特性と一致して2集団を形成します(図2)。これらの結果と一致して、ADMIXTUREにより推定された祖先系統の割合(K>2)からは、EBAエーゲ海人は遺伝的に相互に類似しており、MBAエーゲ海人とは異なる、と示唆されます(図3)。以下は本論文の図2です。
画像

 他の古代ユーラシア人口集団と比較して、EBAエーゲ海人は他のエーゲ海BAおよびアナトリア半島人口集団と類似していますが、全てのバルカン半島人口集団とはかなり異なります。たとえばMDS分析では、EBAエーゲ海人はミノア文化ラシティ(Lasithi)遺跡MBA人口集団やミケーネ文化ペロポネソスLBA人口集団やアナトリア半島のテペシク・シフトリク(Tepecik_Ciftlik)遺跡のようなアナトリア半島人口集団の範囲内に収まるか、その近くに位置します(図2)。同様に、ADMIXTURE分析では、EBAエーゲ海人は、ミノアEMBAやアナトリア半島クムテペ遺跡集団やアナトリア半島の銅器時代からEMBAの人口集団など、他のエーゲ海人口集団と類似の祖先系統割合を示します(図3)。

 エーゲ海と一部のアナトリア半島の文化全体におけるEBA集団のゲノム均一性から、エーゲ海人口集団は文化的だけではなく遺伝的にも相互作用する海上1経路を用いた、と示唆されるかもしれません。これは、考古学的水準ではよく報告されており、「エーゲ海の国際精神」と呼ばれてきた、エーゲ海の通交の強力なネットワークの結果だったかもしれません。さらに、ミノアペトラスEBA(個体Pta08)とキクラデスコウフォニッシEBA(個体Kou01とKou03)との間の高い遺伝的類似性を考えると、ゲノムデータとキクラデス諸島からクレタ島への居住地の形成と関連する議論に情報を提供します。以下は本論文の図3です。
画像


●EBAエーゲ海人の祖先系統構成要素

 ADMIXTUREの結果は、EBAエーゲ海人口集団がおおむね新石器時代エーゲ海人と共有される祖先系統で構成されている(65%超)一方、残りの祖先系統のほとんどはイラン新石器時代・コーカサス狩猟採集民関連人口集団に割り当てることができる(17〜27%)、と示唆します(図3)。これらの結果は、qpWave/qpAdmで再現されました。初期新石器時代人口集団と狩猟採集民人口集団を起源とみなすと、EBA個体群は一般的に、アナトリア半島新石器時代関連人口集団に由来する祖先系統が大半であること(69〜84%)と一致する、と明らかになりました。これは、新石器時代から青銅器時代の移行期の人々が、おもに先行するエーゲ海農耕民の子孫だったことを示唆しており、EBA変容の考古学的理論と一致します。qpWave/qpAdmにおける第二の構成要素は、イラン新石器時代・コーカサス狩猟採集民関連人口集団に割り当てることができます(16〜31%)。この結果と一致して、MDS分析(図2)では、エーゲ海EBA個体群は新石器時代エーゲ海人とイラン新石器時代・コーカサス狩猟採集民(CHG)を結ぶ軸(コーカサス軸)に位置します。

 エーゲ海の外部からの遺伝子流動事象をさらに検証するため、D統計が計算されました。とくに、H3人口集団、たとえばADMIXTUREでは青色の構成要素のイラン新石器時代もしくはCHG(図3)が、H1(アナトリア半島新石器時代人口集団)と、もしくはさまざまな期間のエーゲ海・アナトリア半島人口集団(ギリシア新石器時代やエーゲ海・アナトリア半島青銅器時代やギリシアとキプロスの現代人=H2)とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有するのか、古代エチオピアのモタ(Mota)個体(関連記事)を外群Dとして用いて、検証されました。

 その結果、EBAエーゲ海人は相互に類似している、と明らかになりました。EBAエーゲ海人は、他の分析(図3)では「イラン新石器時代・CHG的」構成要素を有していますが、イラン新石器時代もしくはCHGからの遺伝子流動の統計的に有意な証拠は検出されませんでした。しかし、明らかな傾向からは、紀元前4000年以後のエーゲ海人(アナトリア半島銅器時代からミケーネ文化期)は、アナトリア半島新石器時代集団とよりも、イラン新石器時代・CHGの方とより多くのアレルを共有します。

 この傾向はADMIXTUREの結果(図3)で再現され、CHG的構成要素の低い割合が新石器時代以降に、バルカン半島ではなく、エーゲ海とアナトリア半島の両側の個体群で観察されました。このCHG的構成要素は、たとえばボンクル(Boncuklu)やテペシク・シフトリク遺跡などアナトリア半島の初期新石器時代や、エーゲ海の後期新石器時代や、アナトリア半島青銅器時代において頻度が増加していきます。これはバルカン半島では見られず、新石器時代から青銅器時代への移行は、「ヨーロッパ狩猟採集民的」祖先系統の増加とほぼ関連しています(図3)。

 競合するシナリオを比較し、新石器時代と青銅器時代と現代のギリシアの人口史をともに説明しながらエーゲ海への起こり得た遺伝子流動事象の状態と速度を推測するため、ABC-DLが実行されました。狩猟採集民とエーゲ海新石器時代集団との間の関係を確定するため、まずこれら3祖先人口集団(CHG、ヨーロッパ狩猟採集民、エーゲ海新石器時代集団)の3葉モデル(図4A)が対比されました。この分析では、ヨーロッパ狩猟採集民(EHG)・CHG・エーゲ海新石器時代集団の3葉モデルの事後確率が最高でした(図4A1)。この結果は、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とよりも、CHGとドイツのシュトゥットガルトの「初期農耕民」との間の密接な関係を明らかにした以前の研究と一致します。

 この系統樹はより複雑な7葉モデル(図4B)に用いられました。上記の全結果と一致して、CHG的な遺伝子流動の波がない7葉モデル(図4 B1〜3)は、より低い事後確率と関連していました。対照的に、CHG的な遺伝子流動を含むモデル化は、紀元前5700年頃の推定16%の遺伝子流動モデルで、ずっと高い裏づけが得られました(図4 B4)。まとめると、これらの結果から、CHGと関連する人口集団が移住を通じてエーゲ海人に直接的に影響を及ぼしたか、CHG的構成要素が新石器時代集団のアナトリア半島人口集団との遺伝的交換を通じて間接的にもたらされた、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
画像


●エーゲ海EBA集団においてほとんど見られないEHGの遺伝的影響

 青銅器時代のヨーロッパ中央部・西部・北部では、CHG構成要素は一般的にEHG構成要素を伴い、これは、草原地帯関連人口集団を介して伝わった場合、同様の割合で現れると予測されます。対照的に、EBAエーゲ海人はEHG祖先系統をほとんど若しくは全く有していません。D統計分析に基づくと、ほとんどのEBAエーゲ海人とアナトリア半島新石器時代集団のゲノムはEHGに等しく近くなることを却下できません。さらに、qpWave/qpAdmにおける潜在的な3起源集団を検討すると、EBA個体群の祖先系統の割合は、EHGがわずか1〜8%に対して、CHGは24〜25%です。

 これは、ADMIXTUREの結果(図3)によりさらに裏づけられ、新石器時代からEBAへの変化が、エーゲ海およびアナトリア半島におけるイラン新石器時代・CHG的祖先系統の増加とほぼ関連している一方で、バルカン半島とヨーロッパの残りの地域はEHG的祖先系統の増加とほぼ関連している、と示唆されます(図3)。EBAエーゲ海人の祖先へのEHGの遺伝子流動を含む全てのABC-DLモデル(図4B5・6)は、無視できる事後確率でした。まとめると、これらの結果は、エーゲ海のEBAにおいてEHGと関連する人口集団の影響がほとんどなく、コーカサス構成要素が独立してエーゲ海に到来したことを示唆します。


●エーゲ海MBAにおけるゲノムの不均質性

 EBAと比較してMBAには、エーゲ海でかなりの多くの人口集団構造が観察されます。ギリシア北部のMBA個体群は、全ての分析で見られるように、EBAエーゲ海人とはかなり異なります。たとえばf3分析では、EBAエーゲ海人とは異なり、MBA個体群はヨーロッパ全域のずっと多くの人口集団と遺伝的に等しく離れています。MDS分析(図2)とADMIXTURE分析(図3)では、MBA個体群はEBAエーゲ海人と異なる分離集団を形成し、現代ギリシア人と同じ構成要素を共有します。対照的に、ミノア文化ラシティMBAは、EBAエーゲ海人口集団とひじょうによく似ています(図2・図3)。

 ヘラディックログカスMBAを同時代のミノアラシティMBAと区別する主要な特徴は、「ヨーロッパ狩猟採集民的」祖先系統のより高い割合です。たとえばADMIXTURE分析では、全体的なヘラディックログカスMBAの祖先系統の26〜34%が「ヨーロッパ狩猟採集民的」構成要素で、エーゲ海のEBA個体群で見られる2〜6%の4倍以上です(図3)。同様にqpWave/qpAdmでは、ヘラディックログカスMBA個体(Log04)は3方向混合モデルと一致し、その祖先系統の58%がエーゲ海新石器時代人口集団で、残りはCHG的集団(16%)とEHG的集団(27%)です。これは、EBAエーゲ海人と比較すると、EHGからの寄与がずっと大きくなっています。

 EHGとCHGは草原地帯関連人口集団の主要な構成要素で、草原地帯EMBAはEHG的集団(66%)とイラン新石器時代・CHG的集団(34%)としてモデル化され、以前の研究と一致しているので、ポントス・カスピ海草原からの人口集団がヘラディックログカスMBA個体群の祖先系統に寄与した、という仮説が裏づけられます。この組み合わされた祖先系統は、青銅器時代のヨーロッパ中央部・西部・北部の個体群で観察され、「大規模な」草原地帯からの移住の結果として解釈されてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。本論文のADMIXTURE分析の推定値は、バルカン半島を含むヨーロッパのほとんどの地域で、後期新石器時代とEBAにおけるEHG構成要素の増加と一致します。しかしアナトリア半島では、EHG的祖先系統の増加は誤差で、エーゲ海では後のMBA(ヘラディックログカスMBA)でやっと見られるようになり、エーゲ海における草原地帯関連祖先系統のより遅い到来が示唆されます。

 このような草原地帯からの遺伝的寄与の証拠は、たとえばMDS分析(図2)で見られ、ヘラディックログカスMBAは、新石器時代エーゲ海人と草原地帯人口集団を結ぶ「草原地帯軸」上に位置しています。ADMIXTURE分析(図3)では、ヘラディックログカスMBAは、草原地帯EMBAと類似した相対量の「イラン新石器時代・CHG的」構成要素(1/3)と「EHG的」構成要素(2/3)を有しています。また、新石器時代とEBAのエーゲ海人およびアナトリア半島人やミノアラシティMBAとは異なり、ヘラディックログカスMBAはアナトリア半島新石器時代集団と比較して、CHGや EHGや草原地帯EMBAと顕著により多くのアレルを共有します。さらに、ヘラディックログカスMBAの個体Log04は、アナトリア半島新石器時代集団(53%)と草原地帯EMBA (47%)もしくはアナトリア半島新石器時代集団(38%)と草原地帯MLBA (62%)の2方向混合(近似起源)として直接的にモデル化でき、草原地帯からの強い遺伝的寄与と一致します。

 人口統計モデル化では、MBAの分岐前の、草原地帯EMBAと関連するゴースト人口集団からの遺伝子流動(8〜45%)が、データへのモデルの適合性を大きく改善します(図4B1・4)。ヘラディックログカスMBAの祖先へのそうした遺伝子流動の時期は、ログカス遺跡個体群の放射性炭素年代に基づくと紀元前1900年頃までに起きたはずで、ABC-DL分析では紀元前2300年頃と推定されます。これは、草原地帯的集団の移住の波がMBAまでにエーゲ海に到達した可能性を示唆します。サルデーニャ島には草原地帯関連祖先系統が本質的に欠けており(関連記事1および関連記事2)、ミノア人で草原地帯的もしくはEHG的祖先系統の証拠はないので、草原地帯関連人口集団が青銅器時代には渡海しなかったことを示唆しているかもしれません。この仮説の裏づけとして、考古学的記録では、ポントス・カスピ海草原からの青銅器時代人口集団が航海民だったことを示唆していません。

 しかし、ログカス遺跡個体群で観察された草原地帯的祖先系統は、ポントス・カスピ海草原起源の人口集団の移住により直接的に、もしくはかなりの草原地帯的集団からの遺伝子流動を有する人口集団により間接的にもたらされたかもしれないことに、注意が必要です。あるいは、草原地帯的構成要素は、標本抽出されていない、遺伝的に類似の人口集団(たとえば、MBAバルカン半島人)によりもたらされた可能性があります。間接的寄与は、エーゲ海よりもバルカン半島で草原地帯関連祖先系統のより早期の影響を示唆するADMIXTURE分析の推定値と、バルカン半島LBA 個体群を含む2方向混合としてのMBA個体 Log04のqpWave/qpAdmモデル化により裏づけられます。この知見は、青銅器時代におけるバルカン半島と草原地帯の人口集団間の断続的な遺伝的接触の示唆(関連記事)、および紀元前2500年頃のヨーロッパ南東部とポントス・カスピ海草原間の文化的接触の考古学的証拠と一致します。さらにこれは、草原地帯的祖先系統を有する人口集団がヘラディック文化の形成に寄与した、という考古学と言語学両方の証拠に基づく以前の仮説と関連しているかもしれません。


●性的に偏った遺伝子流動とEBAおよびMBAにおける交雑

 青銅器時代エーゲ海人の間の性的に偏った遺伝子流動を評価するため、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体とX染色体が分析されました。17個体の推定mtDNAハプログループ(mtHg)と2個体のY染色体ハプログループ(YHg)はヨーロッパ新石器時代個体群で一般的であり、エーゲ海の外部からの性的に偏った遺伝子流動の明確な証拠を示しません。YHgが決定されたのはペトラス遺跡のEBA個体Pta08とコウフォニッシ島のEBA個体Kou01で、Pta08がYHg-G2(L156)、Kou01がYHg-J2a(M410)です。

 性的に偏った遺伝子流動をさらに調べるため、X染色体と常染色体上の祖先系統が教師有ADMIXTURE分析と比較されました。EBAエーゲ海人では性的に偏った遺伝子流動の証拠は見つからず、イラン新石器時代・CHG的祖先系統の点推定値は常染色体上のそれと重なっていました(図5A)。対照的に、MBAエーゲ海人では、個体Log04はX染色体と常染色体上で草原地帯的祖先系統の類似した量を有していますが、個体Log02は草原地帯的祖先系統を、X染色体上では有さないのに対して、常染色体上では25〜52%有します(図5B)。

 さらに、mtDNAでは、ギリシア北部のEBAとMBAのエーゲ海人の間で有意な人口集団構造が見つかりませんでした。まとめると、X染色体とmtDNAにおけるこれらのパターンは、草原地帯的祖先系統からエーゲ海への男性に偏った遺伝子流動により説明できます。同様に、以前の研究(関連記事1および関連記事2)では、ヨーロッパの後期新石器時代とEBAにおけるポントス・カスピ海草原人口集団の移住では、女性よりも男性の方がずっと多かったかもしれない、と示唆されています。以下は本論文の図5です。
画像


 EBAおよびMBAにおける結婚慣行に関する遺伝的手がかりをさらに得るため、現代ギリシア人と本論文で新たに提示された青銅器時代エーゲ海6個体の全ゲノムにおける、ROH(runs of homozygosity)とも呼ばれるホモ接合状態の隣接するゲノム領域が推測されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。個体Log04は、他の古代の個体群より多くて(最大で29対7)長いROH(500万塩基対以上のROHが2ヶ所)を有しています。最近の近親交配を含むさまざまな進化的・人口統計学的過程が、Log04のデータを説明できます。いずれにせよ、Log02は同様に長いROHを有しておらず、Log04のデータの根本的な原因はヘラディックログカスMBAを一般的に特徴づけるものではない可能性がある、と示唆されます。


●LBAミケーネ人の遺伝的構成

 青銅器時代最後の段階は、後期ヘラディック文化であるミケーネ文化です。紀元前1200年頃、ミケーネ文化は衰退し始め、宮殿は破壊され、線文字Bは放棄され、その芸術や工芸品は滅びました。その衰退の原因については議論が続いており(気候変化や侵略など)、LBAから鉄器時代にかけて地中海東部地域で起きた広範な諸文化・勢力の崩壊・衰退には複雑な要因があった、とも指摘されています(関連記事)。以前の研究(関連記事)では、ミケーネ人は現代の人口集団とはかなり異なっていると示されましたが、ミケーネ人とEBA人口集団との関係は不明なままです。

 ヘラディックログカスMBA個体群との文化的類似性にも関わらず、分析結果からは、ミケーネとペロポネソスのLBA集団は遺伝的にかなり異なっており、MDS分析(図2)ではログカスMBA個体群とEBAエーゲ海人およびミノアラシティMBAとの中間に位置する、と示されます。ログカスMBA個体群とは異なり、ミケーネとペロポネソスのLBA集団はADMIXTURE分析(図3)ではEHG的構成要素の割合がより低く、D統計においては、アナトリア半島新石器時代個体群と比較して、イラン新石器時代・CHGもしくはEHGと有意により多くのアレルを共有しているわけではありません。

 しかし、ヘラディックログカスMBAのように、ミケーネとペロポネソスのLBA集団は草原地帯EMBAとより多くのアレルを共有します。ミケーネとペロポネソスのLBA集団は、青銅器時代草原地帯もしくはアルメニア関連人口集団のどちらかを含むqpWave/qpAdmモデルと一致する、と以前に示されました(関連記事)。本論文はこの結果を再現し、さらに、ミケーネとペロポネソスのLBA集団も、起源人口集団としてEBAエーゲ海人とアナトリア半島新石器時代集団を含むモデルと一致する、と明らかにしました。対照的に、ヘラディックログカスMBAは草原地帯的起源集団を必要とし、アルメニア的起源集団を含む単純なモデルで説明できません。

 データと一致するさらなる代替的説明もあります。まず、ミケーネとペロポネソスのLBA集団はMBAログカス人口集団およびEBAエーゲ海人口集団と密接に関連した人口集団の子孫で、ヘラディックログカスMBA(21〜36%)とミノアオディギトリア(Odigitria)EMBA およびミノアラシティMBA(64〜79%)の2方向混合だった、というものです。同様に、ヘラディックログカスMBA個体Log04(34〜36%)とEBAエーゲ海人(64〜66%)の2方向混合も却下できません。次に、アルメニア青銅器時代集団と関連する人口集団が、LBAもしくはその前に地理的に局所的にエーゲ海人に寄与したかもしれません。この想定は考古学の文献で提案されており、ミケーネ人は後の世代の個体群に多くの遺伝的痕跡を残さなかった、と示唆されます。


●現代ギリシア人とMBAログカス集団との類似性

 以前の研究(関連記事)では、ギリシアの現代人口集団はエーゲ海の青銅器時代の後期集団とはかなり異なる、と明らかになりました。対照的に、本論文の結果からは、ギリシアの現代の個体群(ギリシア北部のテッサロニキとクレタ島)は、ギリシア北部のヘラディックログカスMBA個体群と密接に関連しており、MDS分析(図2)では現代ギリシア人の近くに位置し、ADMIXTURE分析(図3)では同じ祖先系統構成要素を共有し、ひじょうに類似したD統計を有します。

 さらに、qpWave/qpAdm分析では、テッサロニキ(Thessaloniki)個体群はログカスMBA個体群関連祖先系統(93〜96%)と、EHGもしくはヨーロッパロシアのコステンキ14(Kostenki 14)遺跡の38700〜36200年前頃となる若い男性個体(関連記事)のようなユーラシア上部旧石器時代人口集団といった、第二構成要素(4〜11%)の小さな割合でモデル化できます。後者はエーゲ海人のゲノムから離れた外群を構成する基底部人口集団で、本論文の全検証で互換性があるようです。これは、ギリシア北部とクレタ島の現代人口集団がエーゲ海EBA人口集団の子孫かもしれず、ポントス・カスピ海草原EMBAと関連する人口集団とのその後の混合を伴う、と示唆します。興味深いことに、キプロス島現代人は分析全体で草原地帯的な遺伝子流動の証拠を示しません(図2・3)。


●色素沈着と乳糖耐性

 遺伝子型データを用いると、個体Pta08・Kou01・Log02は茶色の目と暗褐色から黒色の髪と濃い色の肌を有している、と予測されます。これらの予測は、髪と目については、ミノア文化期クレタ島の壁画の男性個体群の視覚表現と一致します。目と髪の色の予測は、青銅器時代エーゲ海の後期段階集団と類似しています。これら3個体(Pta08・Kou01・Log02)全ての全体的な予測は濃い肌の色ですが、この3個体にはより薄い肌の色と強く関連するアレル(SLC24A5遺伝子のrs1426654とSLC45A2遺伝子のrs16891982)もあります。後者に関しては、ヨーロッパ南部の新石器時代以来、皮膚の色素脱失が分離している、という観察結果と一致します。

 成人期の乳糖不耐症は、2ヶ所の強く関連する多様体、つまり古代および現代のヨーロッパ人で選択下にあるrs4988235のTアレル(13910T)と、rs182549のAアレル(22018A)で検証されました。これら3個体(Pta08・Kou01・Log02)全員とログカスMBA個体は、13910T と22018Aの両方でホモ接合型の祖先的状態を有していました。これは、新石器時代ヨーロッパ人およびエーゲ海人に関する以前の研究(関連記事)と一致し、酪農がすでによく行なわれていたものの、当時の人々は乳糖不耐症だった、と示唆されます。この観察は、種や表現型全体で広く観察されているように、変異限定適応のモデルを裏づけます。最近の研究では、ヨーロッパにおける乳糖耐性(ラクターゼ活性持続)の急激な頻度上昇は紀元前4000〜紀元前1500年前頃の間に起きた可能性が高い、と推測されています(関連記事)。


●まとめ

 EBAにおいて、エーゲ海では交易・手工業の専門化・社会構造・都市化で重要な革新が起きました。新石器時代の終わりを示すこれらの変化は、ヨーロッパに消えない痕跡を残し、都市革命の始まりを示します。この文化的変化の始まりにおいて、エーゲ海世界はおもに、3つの象徴的な宮殿文化であるヘラディックとキクラデスとミノアに分かれていき、それぞれ手工芸品や土器様式や埋葬習慣や建築により区別されます。

 この変化の背後にある人々の起源をよりよく理解するため、エーゲ海青銅器時代の3文化(ヘラディックとキクラデスとミノア)全てを網羅するEBA個体群のゲノムと、ギリシア北部のMBAの2個体と、EBAエーゲ海人11個体のミトコンドリアゲノムが配列されました。青銅器時代エーゲ海人の後の期間の以前の一塩基多型データと比較して、本論文の全ゲノムデータによる多様体の数の増加と、全ゲノムを特徴づける固有の無作為多様体選択により、人口統計学的推論と人口史の統計的対比が行なわれました。さらに、本論文で新たに提示された全ゲノムデータは、どのゲノムデータとも容易に組み合わせられ、人口史の将来の研究における多様体の損失は限定的です。エーゲ海人の分析されたゲノムが青銅器時代のキクラデス文化とミノア文化とヘラディック文化を全体としてどの程度表しているのか確定するには、今後の研究が必要なことに注意しなければなりません。

 要約すると、青銅器時代のキクラデス文化とミノア文化とヘラディック文化(ミケーネ文化)の個体群のゲノムからは、これら文化的に異なる人口集団が、青銅器時代の始まりにはエーゲ海とアナトリア半島西部全域で遺伝的に均質だった、と示唆します。EBA個体群のゲノムから、その祖先系統は在来のエーゲ海農耕民が主で、CHGと関連する人口集団にも由来する、と示されます。これらの知見は、新石器時代から青銅器時代の変化に関する長年の考古学的理論、つまりアナトリア半島とコーカサスからの新たな移住と一致します。しかし、在来の新石器時代人口集団の寄与は顕著なので、在来要素と外来要素の両方がEBAの革新に貢献したようです。

 対照的に、MBAエーゲ海人口集団はかなり構造化されていました。こうした構造の考えられる一因は、エーゲ海人への追加のポントス・カスピ海草原関連の遺伝子流動で、その証拠は新たに配列されたMBAログカス個体群のゲノムに見られます。草原地帯関連祖先系統も有する現代ギリシア人は、その祖先系統の90%をMBAエーゲ海北部人と共有しており、現代とMBAとの間の継続性が示唆されます。対照的に、LBAエーゲ海人(ミケーネ人)は、希釈された草原地帯もしくはアルメニア関連祖先系統を有しています。この相対的な不連続性は、考古学的文献で以前に提案されたように、ミケーネ文化の一般的な衰退により説明できます。

 推測された移住の波は全て、線文字Bの出現(紀元前1450年頃)に先行します。結果として、ゲノムデータは祖型ギリシア語の出現とインド・ヨーロッパ語族の進化を説明する主要な両方の言語学理論を裏づけます。つまり、これらの言語はアナトリア半島に起源があるか(アナトリア半島およびコーカサス的遺伝的祖先系統と相関します)、ポントス・カスピ海草原地域に起源があります(草原地帯的祖先系統と相関します)。アルメニアおよびコーカサス地域の中石器時代から青銅器時代の将来のゲノムデータは一般的に、エーゲ海への遺伝子流動の起源と様相をさらに正確に示し、ゲノムデータを既存の考古学および言語学的証拠とよりよく統合するのに役立つ可能性があるでしょう。


参考文献:
Clemente F. et al.(2021): The genomic history of the Aegean palatial civilizations. Cell, 184, 10, 2565–2586.E21.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.03.039


https://sicambre.at.webry.info/202105/article_19.html

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 番外地6掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
番外地6掲示板  
次へ