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高木正雄の娘、朴槿恵(パク・クネ)は由緒正しい高靈朴氏=新羅の始祖朴赫居世=壱与の子孫。
http://www.asyura2.com/13/cult12/msg/569.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 11 月 10 日 16:57:13: 8rnauVNerwl2s
 

新羅の始祖、金・朴・昔は正真正銘倭人だが、高靈朴氏の祖先は、高靈=孝霊天皇に遡る。

韓国初の女性大統領、朴槿恵(パク・クネ)の本貫は、高靈朴氏。


漢字の読めない韓国人は知らないが、金富軾の書いた朝鮮の国史「三国史記」には、新羅の歴代の王や高官が倭人であると明記してある。

13歳で即位した新羅の始祖朴赫居世(カコセ)の経歴と壱与の経歴を比較すると男に書き換えられているが、同一人物と分かる。

壱与の故地、九州久留米には玉垂命と豊玉姫を祀る高良大社があり、高霊朴氏の歴史を記している。

高木正雄を父に持つ、朴槿恵(パク・クネ)大統領も、祖先が日本人(高皇産霊神、高木神)であることに思いを致し、日韓友好に尽力してはどうだろう?


■歴史徒然:ウバイド・倭人(ウワイト)・オリエント遷都から
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/29259916.html

天孫降臨の真相(1)

ウィキペディア百科事典によれば「天孫降臨(てんそんこうりん)は、アマテラスの孫であるニニギが、葦原中国平定を受けて、葦原中国の統治のために降臨したという日本神話の説話である。」と書かれている。

 ※出典:Wikipedia:天孫降臨
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E9%99%8D%E8%87%A8

 『日本書紀』の一書にはニニギの尊が大勢の神々に守られて高天原を出発し、
 天のやちまたにさしかかると、
 猿田彦の大神が出迎えていて尊の道案内をし
 「天神(あまつかみ)之子は筑紫日向襲高千穂槵触(くしふる)之峯に行かれよ、
  吾は伊勢之狭長田(いせのさなだ)五十鈴(いすず)の川上に行かん」といい、

 それぞれに天降ったとある。

 この一書がいちばん地名が多く出てくるので、これを比較の基礎にしてみよう。

 『三国史記』の[新羅本紀]始祖赫居世の条と

 『三国遺事』の新羅始祖、赫居世王の条とに、

 赫居世の建国以前にやはり山に天降った六部の人々の話が出ている。

 ここでは詳しい方の後者を使うことにする。

 『遺事』の地名をまず写してみる。

 1 閼川楊山村、 はじめ 瓢ー峯 に降る。

 2 突山高墟村、 はじめ 兄山  に降る。

 3 茂山大樹村、 はじめ 伊山  に降る。

 4 觜山珍支村、 はじめ 花山  に降る。

 5 金山加利村、 はじめ 明活山 に降る。

 6 明佸山高耶村、はじめ 金剛山 に降る。

 一見しただけでは、
 さきのニニギの命の降った所とこの6部の降った所とが関連があるようには見えない。

 しかし、この両者は同じ話から分裂したのだから、一致するところがあるはずである。

 違うようにみえるのは方言差や用字の違いによるものである。

 それを考えに入れて比較してみると次のようになる。

 ツク シン  ヒュウガン ソ    チ オ
 筑紫の 日向の  襲の   高千穂
 ツク セン  ガン ソ キオ
 突 山 瓢 ー 兄(衣)の 高 墟
 ツク サン ヒョウ ガン エ エ チオ

 クワン サフン カン サフン
 槵 触の(槵 触の) 峯
   サン カヌ サン
 花 山 金 山   峰(瓢ー)
 クワ サヌ カヌ サヌ

 イ セ ン サ  サ ナガ タ イ スズ カワアゲ
 伊勢の 狭 狭長 田五十鈴 川上
 イ セ ン シ  シ ナカ タ イ ズ アゲ
  伊 山 觜 珍支 大  樹 川揚
 イ サン シ チヌキ タ イ  ジュ

 残りの地名もすべて日本神話に関連がある。

 こんなふうに地名を対照してみると、当て字がバラバラになったときに起こる混乱を、
 案外簡単に復元できることがわかる。

 地名の対比によって、こうした神話部分だけでなく、新羅景徳王が改めさせた地名でも、一見して日本式の訓読だとわかる。

・・・・

■第1260回:新羅始祖の名は”鹿児島王”
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/54935922.html


出典:言語復原史学会・加治木義博(歴史言語学者)
    JINMU:ジンム・プロブレム
    KKロングセラーズ<ムック>の本
   【真説】日本誕生:誰が巨大古墳を造ったのか:159〜161頁

 新羅の場合はさらに、もっと直接的な出身地証明がある。

 始祖王・赫(かく)居世の時の大臣はさきにも話した瓠公だが、彼以外の家臣の名は出てこないから、彼が最高の地位にいたことは間違いない。

 この人物は『三国史記』編集時にはもう族姓がはっきりしなくなっていたが、もと倭人で、瓠(ひょうたん)を腰につけて海を渡って来たから瓠(こ)公と呼ばれた、と明記してある。

 ところが王様の赫居世もまた<瓠>という名の変化した<朴>という名をもっている。

 その理由を、辰韓の人たちは<瓠>を<朴>というので、<瓠>のように大きな卵から生まれたから<朴>を姓にしたのだと書いている。

 人が卵から生まれることはないので、これは理由にはならない。

 <瓠>は瓠公とまぎらわしいので、だれかが同音の<朴>という字を当てたのだとみる方が、より合理的である。

 ということは、赫居世と瓠公は二人でなく同一人で、乏しい古記録をよせ集めたとき、

 二とおりの史料があったために分化が起こつたのである。

 それを証明するのは、赫居世(カコシ)の名である。

 これは赫居世と読める配列になっている。

 これに古代の国称、国を<マ>と呼んだものを下につけると赫居世国は<カコシマ>となり鹿児島と当て字しても無理ではない。

 とすれば<瓠>と<朴>が同音だというのは日本語、少なくとも鹿児島方言でなければならないことになる。

 <瓠>は<ヒサゴ>、<ホウ>。

 <朴>は<ボク>、<ホウ>の音をもっている。

 <瓠>は『倭名類聚鈔』巻一六の六、杓(しゃく)の中に、「瓠は匏(ハウ)也、匏薄交(ハクコウ)反可為飲器者也」と書いてあり、包(ホウ)と薄(ハク)の音があることを示している。

 朴の方は巻二〇に和名「保々(ホホ)」であると説明している。

 ということは、 瓠と朴は<ホー>という発音でだけ一線になる字で、この鹿児島王が別に<ホホ>という名をもっていたことを示している。

 いま鹿児島神宮の主祭神は彦火火出見(ひこほほでみ)の尊(みこと)(日子穂穂出見命)である。

 <火火>も<穂穂>もまさに<ホホ>である。

 さきの新羅の地名が南九州のものと合い、今また始祖の名が日本の皇祖と一致する。

 これはけっして偶然ではない。

 新羅にはもう一人始祖といっていい人物がいる。

 それは四代・脱解王である。

 [脱解紀]のはじめは次のようなものである。

 「脱解は倭国の東北千里にある多婆那(たばな)国の生まれである。

  その国の王が女国の王女と結婚したところ、妊娠したのに子どもが生まれず7年もかかってやっと生み落としたものは、なんと、大きな卵だった。

  王はいやな顔をして『人が卵を生むとは不吉なことだ。棄ててしまえ』と命じたので、女王は卵を布でつつんで宝物と一緒に箱に入れて海に流した。

  箱ははじめ金官国に流れついたが、その国の人は気味悪がって取らなかったので、

  また流れていって辰韓の阿珍浦についた。

  浜辺にいた老婆が箱を明けてみると、男の子が入っていたので家へ連れて帰って育てたところ、背の高い、知識も人なみすぐれた好青年になった。

  −中略−

  老母は『お前は普通人ではないから学問で身を立てなさい』といい脱解も励んだので、3代の南解次次雄王がその賢さをきいて王女の婿に選び、4代目の王になったのである」

だいたいこんなふうに書いて新羅王統の三つの家柄のうち、「昔」という姓の始祖であることこの昔という字は、老婆が箱を見つけたとき、鵠(かささぎ)が鳴いてついて来たからだというが、鵠はを記録しているのである。

 ジャクの音に対する当て字から生まれた物語り上の幻想で、<ジャク>は邪久国、邪古国という当て字で『新唐書』などに記録された屋久島(やくしま)の古名であると仮定すると、その出身地名が姓になるという原則に一致する。

 この<ジャク>は、本来琉球を意味するという説がある。

 その理由はいろいろいわれているが、それより現在も鹿児島弁では琉球を<ジキュ>または<ジク>と発音するという事実の方が、より強い説得力をもっている。

 <邪>の頭音は<ジ>であるから<邪久>は<ジキュウ>とも<ジク>とも読める。

 もちろん<邪>は後世の日本では<ヤ>とも読むようになるから、屋久とも共通である。

 これは屋久島が、琉球の人たちの移住によって地名が移ったものが、後世、<リュウキュウ>と<ヤク>の二つに区分して使われるようになったと考えるのがいちばん当をえている。


■朴 (姓)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4_(%E5%A7%93)

 朴(ぼく、パク、朝: 박)は、新羅の伝説上の初代王である赫居世居西干を始祖とする由緒ある朝鮮人の姓(英語版)である。帰化人を除く全ての朴氏は建前上は赫居世居西干の子孫であるとされる。赫居世居西干の誕生に纏わる伝説によれば、赫居世居西干は瓠(ひさご)の様な大きさの卵から生まれたため、辰韓の語で瓠を意味する「バク」を姓としたという。

◆新羅 - Wikipedia


新羅(しらぎ/しんら、紀元356年- 935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。 ... 新羅の歴史は、『三国史記』新羅本紀・敬順王紀に記されるように、始祖から第28代真 徳女王末年(654年)までを上代、第29代武烈王(金春秋)即位から .... 卵が瓠(ひさご) ほどの大きさであったため、辰韓の語で瓠を表す「朴」を姓として名乗った。 .... また重臣 に、もとは倭人の瓠公がいた。 .... また、倭の五王のうち珍王と済王が、南朝宋の文帝 から「使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事安東大将軍」という 称号を ...


◆【属国】「新羅は倭の属国」との記述が韓国の古代史研究の第1級資料から見つかる [08/25] ★
http://archive.2ch-ranking.net/news4plus/1314333460.html


◆高皇産霊神の正体
 http://www.geocities.jp/mb1527/N3-09-9takamimusubi.html

高皇産霊神がかかわっている重要な神社を挙げてみると以下のようなものである。

 春日神社(田川市宮尾町6番13号)
 祭神 豊櫛弓削遠祖高魂産霊命(とよくしゆげのとうそたかみむすびのみこと)他、この地は饒速日尊降臨伝承地である。高皇産霊神が最も長い名で祀られている。

 高良大社(福岡県久留米市御井町1番地)
 式内社・名神大社で筑後国一宮である。福岡県久留米市の高良山にある。古くは高良玉垂命神社、高良玉垂宮などとも呼ばれた。主祭神の高良玉垂命は、武内宿禰説や藤大臣説、月神説など諸説あるが、古えより筑紫の国魂と仰がれていることから饒速日尊と思われる。筑後一円はもとより、肥前にも有明海に近い地域を中心に信仰圏を持つ。高良山にはもともと高皇産霊神(高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。高牟礼から音が転じ、「高良」山と呼ばれるようになったという説もある。現在もともとの氏神だった高木神は麓の二の鳥居の手前の高樹神社に鎮座する。

 高木神社(嘉麻市小野谷1580番)
 祭神 高御産巣日神、神武天皇が東遷時ここにやってきて高皇産霊神を祀った。福岡県神社誌には、「本村は往昔、英彦山神社の神領地なりし依て英彦山に於いては当社を英彦山四十八大行事社の中にして本社はその首班に位せり。各地にある大行事社今は皆高木神社という。」 とある。

◆高良大社・玉垂宮(3) 70年に一度の大津波を伝える豊姫
 http://lunabura.exblog.jp/13419445/

70年に一度の大津波を伝える豊姫
シリウス(夜渡星)が津波を教えてくれた・・・・


◆卑弥呼の都、邪馬壱国の住所は、「鹿児島県霧島市隼人町内2496」
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/832.html


 

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コメント
 
01. 2013年11月10日 18:51:52 : g6FLww169k
朝鮮カルト
童話カルト
なればこそ

02. 2013年11月10日 22:13:24 : 7CacKTUh7k
これが仮に事実だとしても、支配層にとって被支配層は将棋の「歩」であり、
死者数より企業売上の数字の方が大事と考える者は少なくない。
事業に失敗したら自分も首吊るから。
彼らにとって国とは道具でしかないし、どこと組んだら得とか、敵対してカネ取るとかそんなのしかない。
日韓の先祖が同じであっても、ネトウヨも反日もなければ作ればいいんだ。実際の血統の近さ、遠さはどうでもいい。
日本の保守陣営でも中韓の反日でも下っ端が気付かない内にいつの間にかトップは手を結ぶだろう。
こんな記事もあった。

遂に食べて応援の黒幕が正体を現す!ロックフェラーJrと安部夫人が魚介類消費を推進!食べて応援の先には癌利権! 
http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/611.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 11 月 09 日 22:40:00: igsppGRN/E9PQ


04. 2013年11月11日 19:30:54 : ANxtq65fVw

細かい論点は抜きにして、
とりあえず大筋をどうぞ。韓国も朝鮮も、中国もつながっていますよ。一部の人達が悪い心を改めて下されば、この世は変わります。


◎豊の秘密


1.日本史の常識
2.豊(とよ)は、新羅が好きだった
3.豊(とよ)は、神功皇后のことである
4.丹後半島の羽衣伝承と伊勢
5.豊(とよ)の秘密
6.語り継がれる豊(トヨ)


http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index7.html


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