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Re: 天皇とアメリカを繋ぐもの  −ノモス主権説から
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/309.html
投稿者 影の闇 日時 2015 年 11 月 08 日 20:05:37: HiXvZf/FmwPNU
 

(回答先: 「証言」と「調書」を繋ぐもの 投稿者 影の闇 日時 2015 年 11 月 08 日 20:02:44)

が、しかしながら、これまでの数々の事例を見れば分かる通り、「裁判」や「証言」に多くを期待出来ないのも又歴然としている。 取り分け<核>は「国策」と絡んでるが故に、肝心の部分にベールが覆われることになるであろうことは予想され得るのである。 即ち現在の法体系においては解明不能の問題なのかも知れないのだ。

だとすればこの問題は、菅首相への批判と官邸に対する東電・保安院等、朝野の主管・属僚どものサボタージュ、そしてそれとは裏腹の米軍への姿勢、更には事実上の主管を米国人に委ねた政府中枢への進駐が指し示すものと同様、この国の<主権><主権者>について、フクシマからもう一つの真実を突き付けていると見るべきだろう。
 議会や政党の機能不全等、民主主義の跛行的な形骸化が指し示しているのは、我々は最早この国の<主権者>ではないということだろうが、戦後初めての想定外の事態=正真正銘の例外事態(非常事態)である原発事故に現れた此等の事象に対して、例外事態(非常事態)において決定を下す者とするC.シュミットの<主権者>の定義に従うなら、そもそもが<主権者>ではなかったーということなのだろう。 何故なら、本来<主権者>=国民の代表たる首相に従うべきこれらの者共の掛かる態度は、彼等の忠誠の対象が<主権者>=国民ではなく、またそうした態度への国民の反応は、自らを<主権者>と見做していないー或いはそういう<擬制>を信じてないーということを示しているのだから。 そうだとすれば、我々が、長い間、自分自身を偽って来た事の負性がこういう形で顕れてる、ということだろう。 
フクシマも又、我らの自己欺瞞の中から生じたのである。 

9.11と3.11  ー暗喩としての日米戦争
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/673.html


私はそれを、明治の選択を絶対視し、不動の前提としたとこからとしていたが、この問題は更に掘り下げて考えるべきなのだろう。
この国が、事実上、属国状態に在ることはかなり感じ取られるようになった来たというものの、それへの反発や屈辱を示す向きは少なく、多くの人が気に留めてる風でもない、ましてやそれを主体の問題として立ち入って論じてる人は殆ど居ない。 精々が”安保ムラ”の連中がガナリたてる「中国や北朝鮮の脅威」をオウム返しする位だが、これとて本気でそれを信じてる訳ではなく、イソップの「狐と葡萄」と同じく、自分の無為(仕方がない、やむを得ない)のエクスキューズってやつだろう。 強いられた状況を、強いられたとは感じず、自然と見倣す(或は諦める)倒錯した感覚の根っこに何が在るのだろうか?  我々は何を以て<主権>と為し、誰を<主権者>と見做しているのだろうか? ーこういった問題を追及して行くと、必ずや、<天皇制>の問題と重なってくる。 <天皇制>が何故廃れず今日まで続いて来たのか?ひょっとしたらそれは掛かる問題と同根から出て来てるかも知れないと考える時、それを<天皇制>の問題として見るのではなく、<天皇制>をも生み出す同一のものとして捉え直すべきではないだろうか? つまりは、ノモス(社会生活の根幹に在る規範)主権説の問題である。 我々にとって何故この視点が必要かというと、喫緊の問題として、TPPがあるからである。 TPPは単なる経済の問題ではなく、<主権>の問題であり、その本質は「主権の委譲」に在る。
そうして、掛かる意味で「集団的自衛権」の問題と全く同一である。 従って、経済にせよ軍事にせよ、主権を売り渡すことを何故やるのか?ということである。
 無論これは所謂「売国奴の所業」というやつであり、実際、批判の多くはそういったモノだが、翻って考えるなら、上で言った通り、敗戦後一貫して属国状態に在ったことを考えるなら、何を今更、という反論も有り得るだろう。 しかしながら、やはり何処か違うと言わざるを得ないのは、軍事的には隷属していても、数々の”貿易摩擦”や”経済戦争”と呼ばれる事象が在った様に、経済主権を譲ることはなかったのであり、又その軍事的な隷属にしても、占領状態の継続=軍事的制圧下に置かれた中で、軍事行動を自国周辺に限定し、憲法9条の縛りを掛けることによって、その隷属を最小限に抑えるー事実上の軍事的サボタージュ=所謂「吉田ドクトリン」ーだったのであり、その意味においては国家主権の行使だった、とも言えるのである。

そこからすれば、明らかな逸脱であり、更なる隷属の強化としか思えないTPPや「集団的自衛権」だが、以下の動きを見れば、それが決して唐突に出て来たものでないことが分かるだろう。
全般的な英語教育の強化や法令遵守(所謂コンプライアンスw)等である。 後者は、それと裏腹の”暴力団撲滅”キャンペーンも含め、その底流にある思想はー仲間の掟よりも法、言い換えれば仲間同士の繋がりー別の呼び方をすれば”絆”!ーよりもアカの他人との約束事、即ち契約を大事にする(合理的)=(功利的)人間になれーということだろう。

つまりはアメリカと同じ様な社会及び人間にすることーこういった動きの上にTPPや「集団的自衛権」が在ると考えれば、そこから得られる結論は、事実上の、属国から属州へというものだろう。

 だから、これまで以上に酷い状態に何故自ら落とし込めようとするのか?ということだが、もし彼らが”悪意”を持ってない、つまりは所謂”売国奴”ではないとするなら、彼らなりの論理や心理とは如何なるものであろうか。 一つ言えることは、<近代化>の帰結、即ち明治の「脱亜入欧」=ヨーロッパの仲間入りから戦後の入米=アメリカの仲間入りすることは論理的、思想的必然であると見做すことー民族とかナショナリズムは克服すべき過去の遺物であって、”人種の坩堝”であれ”サラダボール”であれ、世界はアメリカの似姿になっていき、やがては(実質的には)アメリカ帝国の範図に組み込まれて行く、という信念乃至は思い込みである。 無論彼等こそが、語の本来の意味における、近代化史観=進歩史観の持ち主なのであり、他(左翼)の誰よりも”歴史の必然”というものを信奉しているのである。 こういった連中がそれ程多いとは思われないが、強固な信念(狂信的な思い込み)を持ってる分だけ声は大きく、多くの無定見な者達は彼らに引きずられるだろう。

 しかし、中には、掛かる進歩史観や近代化論者には距離を置く、小林秀雄ばりの懐疑論者も居るであろうし、ひょっとしたら彼らの方が多数派かも知れない。  その彼らが「仕方ない」「止むを得ない」、総じて、そうせざるを得ないと考えてるのであれば、彼等なりの<危機意識>がそこに覗えるはずである。

私は、それは<天皇制>の行方と関係しているのではないか?と思うのである。
即ち天皇制の変容若しくは変貌(衰亡も含めて)をその射程に入れた上で、一連の動きは出て来ているのではないか?
何故なら、そう遠くない将来、稲作を中心とする農業の衰亡が予想されているが、多くの論者が指摘する様に、TPPによって更にその速度は早まるだろう。
とすれば天皇の宗教的な側面である<祭祀王>ーその中心に在る<稲の王>という意味(意義)も早晩消失するであろうし、そうなれば天皇のこの宗教的な機能も存亡の危機を迎えることになる。 

昭和天皇が病の床に在った80年代の終わり頃、折から「米の輸入自由化」の問題が起こり、例によって声の大きい連中がマスコミを独占して、明日にも「自由化」の方に雪崩を打って向かいそうになった時に、”今年の稲はどうか?”という、作況を案ずる天皇の言葉が出た途端、潮が引くように、論議が消えて無くなったということがあった。 <稲の王>としての天皇の威力というものをまざまざと思い知らされた気がしたものだが、同時に、これで益々アメリカは「コメの自由化」に執着するだろうなと、ウンザリしたものだ。 何故なら、文化は、英語のcultureが耕すを意味する様に、自然との係わり方に集約されるもので、その真髄は農業にある。
従って、日本(らしさ)を壊すには、畢竟、農業を壊せばいい、ということになるからだ。 
然るに、「日米貿易摩擦」が最高潮に達しようとしていた90年代前半と異なり、現在では殆ど日米間ではこの問題は取り沙汰されていない。 
その理由はハッキリしてよう。 その従事者の高齢化と共に、農業の衰亡は既定の事実となって来つつあるからだ。 また、東日本を中心に、フクシマで更に農業は致命傷を受けることになった。 従って、日本の農業は、最早、どのように「安楽死」させるのか?の問題と看做されてるのだろう。 他方、日本をアメリカ型の仕組みにするという目論見は、90年代後半の「省庁再編」を切っ掛けに、社会の様々な領域で具体化されつつある。 そういう意味では、単に軍事だけではなく、日本を完全に(最終的に!)降したと言えるのであり、今更問題化するのは寝た子(否、死んで行く子)を起こすが如きの愚策というものだろう。 −そう考えればナットクがいく。

だが、私に言わせれば、既に70年前に、それは決着が付き、答えは出ていたのである。 「国家総力戦による敗北」は何より文化の敗北であり、それは「国家神道の神髄」を直撃したのであって、その結果が天皇の所謂「人間宣言」ー宗教的・超越的機能の喪失の告知ーだったのだから。 しかしながら、見方を変えるなら、それらの事は明治の選択の必然的な道行だった、とも言える。 何故なら、宗教(的権威)の源泉である(稲作)農業だが、「文明開化」=都市化や「殖産興業」=工業化、約めて言えば近代化は、(人材や労働力も含め)農業から収奪し、農業を犠牲にすることにより成り立つ。 従って、近代化の進行は宗教の基盤を侵食する様に働くのである。 そしてこの農業と工業の危ういバランスの上に成立していたのが近代天皇制であり、従って1930年代に現れた所謂「天皇制ファシズム」というのはバランスが崩れ、危機が臨界点に達したことを示すものである。 つまり、宗教的危機に瀕していたのであり、戦後その命脈が尽きた、ということなのだ。
無論これによって天皇制が無くなるという訳ではない。 実は明治以来、天皇制には二つの流れがあって、一つはこの宗教的・超越的な存在として、そしてもう一つは、ヨーロッパの王室と同様、国家統合の象徴機能(天皇機関説)として、その意味でも両者が結び付いていた「国家神道」が敗戦によって分離され、後者が生き残った形になったのである。 戦後過程とは掛かる真実が浸透して行くことであり、反比例する様に進行した世俗化、現世化はその立証でもあった訳である。
宗教的なオーラが残っていた昭和天皇の死は、逆にその事をよりハッキリと示す結果となったように思われるのである。

しかしながら、冷戦終焉に伴う国民国家の形骸化は国家統合の象徴機能の弱体化も意味するのだから、国家(統治機構)を維持・機能させる側からは、近代天皇制に替わるものが(それが補強なのか、新しい衣替えなのか、それとも他の何かなのかは別にして)是非とも必要になって来る。 ”日米は運命共同体”なる官僚の物言いに表れてる様に、冷戦時にも増してアメリカが必須の存在と感じ取られるようになったのは、多分、その辺にある。 ー意識的か無意識か、恐らくそれは、<天皇制>に替わるものとして位置付けられているのである。 だから、正確に言い直すなら、「統治機構にとってアメリカは運命共同体」なのであり、問題は、では我々にとっては何か?ということだろう。 何故なら、統治機構にとって天皇に替わる機能をアメリカが持ってるとすれば、それは、我々にとって、天皇信仰に替わる信仰をアメリカに対して持ってることを意味するのである。

 私はそれは「舶来信仰」であろうと思う。 

つまりは、アメリカは、近代に現れたー海の向こうからやって来たー「外来神」なのである。 その意味で、自らその神性を否定した「人間宣言」の前の、天皇とマッカーサーの写った写真は、<神>の主役交代を日本人の奥底に刻印させるものとなったのだろう。 そうして、ヒト、モノ、情報が海を越えて行き交い、”グローバリズム”が益々猖獗を極めるであろうこれからにおいては、それを司祭するアメリカは、神々の中の<神>、超越神の如く君臨することになるのであろう。 つまり、アメリカへの信仰こそが”グローバリズム”を招き寄せているのである。 他方、考えてみれば、そして改めて振り返ってみれば、そもそもが天皇自体ー海の向こうからやって来たー「外来神」なのである。 稲作農業という点からしても、又「天皇」という命名が唐制に倣った国家に因を持つことからみても。 

−してみれば、アメリカに天皇をオーバーラップさせ、或いはアメリカで上書きすることを許しているのは、我々の中に在る斯かる性行なのだろう。 

そうだとすれば我々は、アメリカをー或いは”グローバリズム”をー原理的に否定することは出来ない、ということになる。 恐らくはTPP及び「集団安全保障」以降、アメリカは、従来にも増して、”ビッグブラザー”の如く我等の上に君臨することになるーその可視化されたのが占領軍の王マッカーサーであろうがー我々にとって、それはG.オーウェルの悪夢の到来を意味するのである。
果たして、此の侭、悪夢の裡に、我々は滅びの道を辿ることになるのか?ーひょっとしたら、とうとう、ギリギリの所まで我々は来て終った、のかも知れない。
 

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