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田中森一氏が特捜検事を辞め、刑事事件で有罪となった背景には佐藤栄佐久福島県知事と同じ構造があるのでは?!
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/597.html
投稿者 taked4700 日時 2018 年 5 月 01 日 17:14:14: 9XFNe/BiX575U dGFrZWQ0NzAw
 

田中森一氏が特捜検事を辞め、刑事事件で有罪となった背景には佐藤栄佐久福島県知事と同じ構造があるのでは?!

 「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」田中森一著 から引用します。この本からの引用であることを ページ数:> で示します。なお、この本以外からの引用は>を使わず、「」で示します。

田中森一氏の主な経歴は次の通りです。
1971年4月:検事任官
1987年12月:検事退官
1988年2月:大阪経済法律事務所開設
2000年3月:石橋産業事件で逮捕
2002年6月:石橋産業事件で許永中らと共謀して手形をだまし取ったとして東京地裁で懲役4年の実刑判決
2006年1月:石橋産業事件で東京高裁で懲役3年の実刑判決

田中森一氏が弁護士となり、逮捕されるまでの間に、日本社会では様々な事件が起こっています。例えば1997年には東電OL殺人事件が関東で発生し、同年関西(神戸)ではサカキバラセイト事件が起こっていました。

「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」 は2007年6月に出版されたものですから、石橋産業事件に関して東京高裁から懲役3年の実刑判決を受けた後に書かれたものということになるはずです。

なぜ田中森一氏は逮捕されたか?

24ページ:
>実際には一七九億円の手形の被害は出ていない。許永中たちは、京都のノンバンク「キョートファイナンス」へこの手形を差し入れていたため、ノンバンクから石橋側に代金請求の民事訴訟が起こされていた。下手をすれば、石橋産業側が一七九億円もの手形の額面金額を払わなければならなくなるおそれがあったのは事実だが、その民事訴訟は、二〇〇三年四月の最高裁で、ノンバンクの請求が棄却された。手形そのものを石橋産業側へ返還することが決定している。つまり、手形はそのまま石橋産業側に戻ることになり、実害は出ていないのだ。実害のない詐欺事件なのである。

566ページ:
>「おまえは利用されただけなのだから、許永中とわかれて公判に臨むべきだ。こっちで弁護団を組むからな。」
>検察時代の同期や先輩から、そんな暖かい言葉ももらった。実際、事件で許永中とは共謀なんてしていないのは明らかだった。検察側が主張していた私と彼の密会・謀議は存在しないし、それを立証することはできない。だから、その一点に絞って公判に臨めば無罪を勝ち取れる。それは分かっていた。
>だが、私は許永中に詐欺行為はない、という立証方針で公判を闘った。その結果、懲役三年の実刑判決を受けた。それは甘んじて受け入れなければならない。
>なぜそうまでして彼をかばおうとしたのか。よくそう聞かれる。
>その理由は私にもわからない。あえていえば、
>「田中森一はあれほど親密にしていた許永中を裏切った」
>世間からそう言われるのが嫌だった。彼からそう思われるのが我慢ならなかった。

佐藤栄佐久元福島県知事の事件も、実態のない事件であったとされ、それで佐藤栄佐久氏は有罪判決を受けています。佐藤栄佐久氏の事件の裏には、彼が知事として、福島第一原発での事故隠しに厳しく対処しようとし、またプルサーマル発電に反対していたていたことがあった様子です。

では、田中森一氏の場合、何が問題だったのでしょうか。多分、田中森一氏は、社会的な影響を与えるような問題に関わる前に、検事退官へ追い込まれ、更に逮捕されてしまったのだと思います。それのことは次のような経緯から推測できるのです。

532ページ:
>私は、ずっと検事と言う職業を天職だと思ってきた。大阪地検特捜部時代は、同僚検事や事務官に、
>「日本国中の検事が辞めても、俺だけは続けるで」
>とまで口にしていた。(途中略)
>ひょっとすると、あのまま東京地検に移動にならず、大阪にいたままだったら、検事を辞めていなかったかもしれない。ふとそう考えたりもした。
>むろん、三菱重工のCB事件や福岡の苅田町長の汚職捜査を無理やり止められたという思いもある。だが、検事を辞めたのは、そんな綺麗事だけでもない。
>あのころは、母が脳梗塞で倒れ、経済的に大変な時期でもあった。八七年の八月だ。(途中略)
>母は右半身が不随になり、私が引き取って世話をする以外になかった。その場合、検事より自由のきく弁護士の方が都合がいい。

280ページから281ページ:
>苅田町事件がつぶされた二カ月後の一九八七年八月、私は東京地検に辞表を出した。(途中略)
>一九八七年八月。私は東京地検から大阪地検に戻され、同年一二月、検事を辞めた。検事生活一七年目のことである。

上にある苅田町(かんだまち)事件とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%BD%A2%E6%99%BA%E7%9F%A9
>1987年 苅田町長時代の1982年から1985年にかけて、徴収した住民税約8000万円が使途不明になっていた問題が判明、一部を花房正蔵収入役が町の収入に組み入れず、裏帳簿を作って役場の裏金として蓄え不正経理を行い、更にその裏金を尾形個人の選挙資金に流用したとの疑惑が持ち上がる。後任の苅田町長沖勝治(革新系)は花房と「住居不明の氏名不詳者」(尾形)を業務上横領の罪で東京地方検察庁特捜部に刑事告発、尾形は重要参考人として事情聴取を受ける。

というもので、明確に事件として立件できるものであったようです。

三菱重工のCB事件とは、三菱重工転換社債贈収賄事件のことで、
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14154150899
にある程度詳しい説明があります。

上の引用から、田中森一氏が検事を辞めた原因は二つあり、一つはお母上の病気、もう一つは明確に事件として立件できたものを検察内部の力関係でつぶされたことだと分かります。

三菱重工のCB事件と苅田町事件があった東京地検へは「八六年三月、私は予定どおり東京地検へ赴任」(同219ページ)とあり、東京地検在職はたった1年と5カ月ですから、田中氏を辞めさせるための東京地検への移動であったと思えます。

なぜ、そう思うかと言えば、次のようなことが起こっていたとされるからです。

227ページ
>「アンタのだんなは浮気しているから、気をつけろ。嘘だと思うなら、いま官舎へ電話してみろ、デートの最中だから」
>一九八六年(昭和六一年)4月頃のことだ。東京へ単身赴任し、最初に手がけた撚糸工連事件については、先に書いた。ちょうど捜査の最中、こんな電話が、家内のいる兵庫県の自宅へかかってくるようになった。

228ページ
>「浮気相手は同僚の上田ミサ(仮名)検事だ」
>そう浮気相手の実名まであげて毎晩のように、かかってきた。むろん濡れ衣だが、名指しされた女性は、本当に特捜部に在籍している一期後輩の女性検事だ。
>「彼女はこのところ休んで、おたくのだんなの面倒をみているから、確認してみろ。いっしょに住んでいるぞ。」
>実際、彼女は仕事を休んでいた。むろん、私の身のまわりの面倒をみるためではない。健康診断でガンが発見され、入院していたのである。

こういった嫌がらせの原因について、田中氏は

229ページ:
>東京地検に赴任して間もない私が、撚糸工連という大事件で手柄を立てたことへのやっかみ、それ以外、嫌がらせの理由が思い当らなかった。

としています。しかし、やっかみなら、基本的に個人的な感情に基づくものであり、上の電話は、田中氏の移動に伴う家族関係の隙を突いたもので、かなり異質ですから、この電話自体が彼の辞任を誘導するものだったと考えるべきだと思います。

では、なぜ、田中森一検事の辞職が仕組まれたのでしょうか。ヒントはなぜ東京地検へ移動になったかです。

11ページ:
>伊藤が始めた大阪・東京交流人事の二期生として東京地検特捜部に赴任

この「伊藤」とあるのは伊藤栄樹検事総長です。検事総長としての任期は1985年12月19日から1988年3月24日です。まさにバブル真っ盛りの時期に検事総長の地位につかれていたのが伊藤栄樹氏でした。

田中森一氏の検事退官にあたり、文藝春秋ではかなりのページ数の特集記事が書かれた様子で、その記事からの引用が、「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」の冒頭部分にあります。

13ページ:
>文藝春秋では、あたかも当時の伊藤栄樹・検事総長体制への不満から検察庁を去ったかのように描かれている。
><ある検察OBによれば、華々しく登場した”検察のエース”のもと、実はそのイメージを支える実働部隊は、いまや急速に形骸化しつつあるのだという。
>「伊藤検事総長になってから、大きな事件はなにもやっていなんですよ。着手はするけれども、全部途中で挫折している。撚糸工連事件は、着手したのは前の江幡修三総長のときだし、伊藤はそれを引き継いだだけです。しかもちょっと指でつつけばころびそうな代議士を逮捕しただけ。それでもまだましだった。平和相銀事件は政治家へ行く前に終結宣言をしてしまったし、苅田町の公金横領事件も代議士に触らずにやめてしまった。谷川元国税局長は金をもらっているのに起訴留保、共産党の盗聴事件も、検察と警察のボス交で誰も起訴しなかった。三菱のCB(転換社債の乱発)事件も、強制捜査すらできずに終わった。これでは一線の検事たちに何もするなといっているのと同じですよ。」>

文藝春秋でこのように取り上げられれば、世間で評判になるのは当然です。

301ページ:
>事務所には開業改行早々、相談のための訪問客が並んだ。前の年の十二月に発売された「文藝春秋」の<特捜検事はなぜ辞めたか>という特集記事で、取り上げられたおかげらしい。

302ページ:
>「あなたは正義感の塊のような方です」
>そう言って、事務所にやってくる相談者が列をなした。

307ページ:
>社会的に認知されている大企業より、多少世間の評判のよろしくないところのほうが、付き合っていておもしろい。そうやって顧問先を決めていった結果、しぜん社会の裏側を歩いている人たちからの依頼が増えていったのである。

312ページ:
>マムシと異名をとった「アイチ」の森下安道もそんな顧問先のひとりだった。
(途中略)
>彼との出会いは、後輩検事の検察OB、小林英明弁護士からの紹介だった。すぐにアイチの顧問弁護士になってほしい、と要請があり、彼の相談に乗るようになっただが、森下はほとんどのバブル紳士と顔見知りだ。私が数多くのバブル紳士の顧問先を引き受けるようになったのも、森下からの紹介が多い。
>アイチに出入りしていたのは、住友グループの商社「イトマン」元常務の伊藤寿永光や「大阪府民信用組合」理事長の南野洋、リゾート開発「アイワグループ」を率いた種子田益夫、大阪日日新聞代表の北村守、仕手筋「コスモポリタン」総帥の池田保次、それにあの許永中もいた。

結局、こうして知り合った許永中氏のことで田中森一氏は有罪判決を受けることになるのですが、この有罪も仕掛けがあります。

137ページ:
>撚糸工連問題を贈収賄事件と見立てて取り組んだのは、当時の東京地検特捜部の石川達紘副部長である。特捜部にはほかに五十嵐副部長もいたが、陣頭指揮をとったのは石川氏のほうだった。検事の任官は、私より五期早い。特捜部のエースとマスコミにたびたび登場する現場捜査タイプの検事だ。彼が手がけた最初の大型事件が、撚糸工連だったともいえる。事件で私を小田の担当にぶつけたのも、彼である。
>「ブツ読みの達紘」と異名をとるとおり、その捜査資料の読解力と先読みをする力は大したものだ。撚糸工連事件では、国会の議事録を丹念に読み、横手らの不自然な質問に着目した。衆院の商工委員会で、野党である民社党議員が、特定団体に有利な質疑をおこなうこと自体がおかしい。そこにいち早く気がついたのである。
>もっとも私は、そのキーマンである小田から狙いどおりの供述を得て、これで責任を果たした、と思っていた。ところが、そうではなかった。最重要人物のひとり、横手文雄に対する取り調べまで、担当させられてしまったのである。これには違和感を覚えた。
>基本的に検察の捜査では、重要人物の取り調べについては、それぞれ異なる検事が担当する。ただでさえ、重要な被疑者を取り調べ、起訴するには神経を使う。一人で手いっぱいだ。それに、同じ検事がすべての重要被疑者の自白を得たとなれば、公判の際、供述の信憑性が問われかねない。だから、とくに贈収賄の場合、贈賄側と収賄側で、別々に取り調べをおこない、それをすり合わせながら、調書の整合性を高めていく。別の検事が別の被疑者を取り調べても、同じ証言結果だったということが、意外に重要なのである。しかし、このとき東京地検では、それをあえて無視し、贈賄側を担当した私に、収賄側の横手の取り調べまでやらせたのである。

230ページ:
>撚糸工連事件における現場の捜査指揮は、特捜部副部長の石川達紘検事がおこなっていたが、捜査は難航していた。自慢話に聞こえるかもしれないが、撚糸工連理事長の小田清隆を落としたことから捜査の道が開けたのは、事実だと思う。大阪からやってきた田舎検事は、さらに民社党の横手文雄の取り調べでも得点をあげた。表面的には、捜査指揮をした石川副部長の実績になってはいる。が、特捜部内での評価は本人が思ったほどではなかったのではないか。
>元とはいえば、キーマンたちの取り調べは特捜部内にとって駄目でもともと、できなければ田舎検事の責任にすればいい、という考え方が見え見えだった。その反発もあって、彼らを自供に追い込めた気もするが、この石川副部長とは、以来、どうもしっくりいかなかった。まさか嫌がらせが彼の仕業とは思えない。だが、検事を辞めて弁護士になったあとも、ますます彼とは折り合いが悪くなっていった。なぜなのかはわからないが、ずっとのちのある事件で、彼の怨念めいた私に対する執念を感じることになる。

516ページ:
>「石川さんが相当な執念を燃やしとるからな。なんでお前がそこまで嫌われとるのかはわからんけど、俺自身は捜査に関与できんし、とにかく気いつけよ。」
>この「石川さん」というのは、言うまでもなく、特捜部長や名古屋高検検事長を歴任した石川達紘のことである。撚糸工連事件の主任検事であり、東京地検に赴任したばかりのころの私の上司だった。なにかと因縁の深い検事だ。私が検事を辞め、仕手筋の光進代表、小谷光浩の弁護を引き受けていた折、特捜部の副部長だった彼と対峙したこともある。事件の渦中、部下の取り調べ検事による光進社員への暴行が発覚したのは、先に書いたとおりだ。
>「この暴行事件のせいで石川は責任をとらされて左遷され、田中を恨むようになった」
>検察内部ではそう評判が立った。そのかっての上司が、事実上、親和銀行事件で捜査の陣頭指揮をとってきたともいう。実際、そんな声を検察内部から何度も耳にしていただけに、まさかとは思ったが嫌な予感はした。
>捜査が大詰めを迎えていた、ある夜の九時ごろ、慌てた様子で、元同僚からこう電話があった。
>「お前、なんでここまで石川さんに恨まれとるんや。佐渡も『田中だけは許せん』と言いよるぞ。ずいぶん、固められとる」
>そして、こう言葉をしぼり出した。
>「もう間違いない。悪いけど、もはやどうしようできんのや。観念する以外ないかもわからへんで」

結局のところ、石川達紘という検事が田中森一氏を逮捕へ追い込んだと言えそうです。

撚糸工連事件で田中森一氏が活躍したのは1986年です。石川達紘特捜部副部長は、この3年後の
「1989年に東京地検特捜部長に。経世会支配のなか、金丸信の脱税事件、ゼネコン汚職事件などを指揮した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E9%81%94%E7%B4%98

ということであり、多分、ここに、田中森一氏と石川達紘検事との確執の原因があるのです。

ゼネコン汚職事件で宮城県知事本間俊太郎氏が逮捕されるのが1993年10月、女川原発3号機の電源開発基本計画組入年月は1994年3月であり、。ピッタリのタイミングです。

1994年(平成6年)
3月2日県・女川町・牡鹿町、3号機増設同意を回答
3月17日第126回電源開発調整審議会に女川原子力発電所3号機増設計画を付議(5年度電源開発基本計画に組入れ、公表)
http://www.town.onagawa.miyagi.jp/05_04_04_04.html

という経過であり、3号機ではプルサーマル発電が予定されていました。本間俊太郎知事時代、女川原発では事故が相次いでいて、県議会で何回も取り上げられていたため、プルサーマルを進めるためにゼネコン汚職事件が立件されたと見ることができるはずです。

なぜ、この頃、日本でプルサーマル受け入れが急がれたかと言えば、1980年にセント・ヘレンズ山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E5%B1%B1
の大規模な山体崩壊が起こったからのはずです。セント・ヘレンズ山はカスケード山脈に位置し、カスケード沈み込み帯では1700年にカスケード地震というM9規模とされる地震が起こっていました。

非常に大雑把に言えば、原発が数多く立地する北アメリカ大陸やヨーロッパで大きな地震発生が起こり易くなっているとの見通しがされ、核廃棄物処分地として日本列島を早く使いたいという判断が西側の情報機関によってされたため、日本でのプルサーマル導入が急がれたのです。MOX燃料を使うと、使用済みMOX燃料は数百年のプールでの冷却が必要になります。使用済みMOX燃料の発熱量はかなり高く、給水が止まれば、簡単にメルトダウンに至り、高温になったプルトニウムなどが大気中に蒸発してしまうのです。MOX使用は、日本のような地震国に於いては、数百年に渡るプール保管中に事故になってしまう可能性がかなり高いと言えるはずです。

そもそも、1985年のプラザ合意自体が、この1980年セント・ヘレンズ山の山体崩壊を見てのことである可能性が高いのです。1985年当時のアメリカ副大統領がブッシュ父であり、彼の時代にウィンドウズが発展し、現在のインターネット社会の仕組みが形作られていったのです。ブッシュ父時代にメディアの巨大資本による寡占化が進行し、世界の多くの国で盗聴法が成立して行きました。

プラザ合意のために急激な円高になり、その結果、内需拡大が要請され、日銀による金融緩和とバブル発生、そして、その後の総量規制によるバブル崩壊が起こりました。このときに非常に大規模な投機がされたはずで、それがソ連崩壊の工作資金として使われたはずです。なぜこれが言えるかといえば、1980年以降、ソ連共産党書記長の入れ替わりが極短期間で起こっていくからです。

レオニード・ブレジネフ:1964年10月14日ー1982年11月10日
ユーリ・アンドロポフ  :1982年11月12日ー1984年2月9日*死亡による交代
コンスタンティン・チェルネンコ:1984年2月13日 ー1985年3月10日*死亡による交代
ミハイル・ゴルバチョフ:1985年3月11日ー1991年8月24日*ソ連消滅でロシアへ

ブレジネフ氏は1980年セント・ヘレンズ山噴火の2年後に引退を迫られ、その後は2年に満たない期間で病死による世代交代が続き、ゴルバチョフ氏に至るのです。そして、1986年にチェルノブイリ原発事故が発生してソ連崩壊が起こります。ここまで急激なのは、セント・ヘレンズ山の山体崩壊を見て、北米西海岸でのM9地震とそれによるイエローストン噴火をアメリカ軍産複合体が恐れ、それが発生する前にソ連の崩壊を仕組んだということだと思います。

1985年のプラザ合意により、円高による企業の海外移転、人員削減が起こり、それが日本企業から韓国や中国企業への技術移転につながりました。同様に就職氷河期が演出され、これが大規模な入試不正、試験不正を呼び込んだのです。

そして、この大規模な入試不正・試験不正を呼び込むために、土屋義彦埼玉県知事就任が必要であったと思われます。なぜなら、中学校現場での業者テスト全廃を全国の都道府県の内で最初にやったのが埼玉県であり、この土屋知事の動きを受けて、時の文部大臣鳩山邦夫氏が全国規模で中学での業者テスト実施を禁止したのです。これ以降、中学校の成績評価が相対評価から絶対評価へ、中学校での観点別評価実施、公立高校への推薦入試の大幅導入のような、実質的に入試・試験制度が不透明化する制度改変が続くのです。AO入試が大幅に増えたのもこの時期以降です。以前は対立関係にあった文部省と予備校が協力関係になったのもこの時期以降でした。なお、現在、県立高校の推薦入試のやり方は、それぞれの高校が独自に決めていますが、この時期以前は一つの県単位で同じ推薦入試選抜要領が使われていて、同じ選抜方式が取られていました。各高校でそれぞれ違う推薦入試選抜をやり始めたのも埼玉県が最初であるはずです。

この様に、県立高校での入試不正が蔓延する環境づくりを実質的に始めたのが土屋義彦埼玉県知事ででした。そして、土屋義彦埼玉県知事就任を実現させるために金丸信代議士の脱税事件があったことが次のことから分かります。

ウィキの「土屋義彦」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E7%BE%A9%E5%BD%A6
には次のように書かれています。
「1991年10月、土屋は参議院議長を辞し、翌年の埼玉県知事選挙への立候補を表明する。これに対し現職の畑和も同年12月の県議会定例会で6選出馬を明言。大物同士の一騎討ちの様相となったが、金丸信と田辺誠が双方に出馬を取りやめさせようと画策。この背景には歴代首相と懇意で経世会にも近かった佐久間実・自民党県議団長(元県議会議長・元自民党埼玉県連幹事長)が『ポスト畑』に意欲を示しており、既に自民党経世会と社会党との間では、畑を引退させ佐久間を後継者とすることで話がついていたという事情があったといわれる。既に政治家としては『あがりポスト』である参議院議長を務めた土屋の突然の立候補表明は永田町では予想外の出来事であった。土屋は出馬に際して『郷土愛』や『地元に恩返しがしたい』等とその意欲を強調したが、叔父同様参議院議員連続5回当選を果たし、閣僚・議長と国政の場においてまさに位人臣を極めた土屋が一都道府県の知事の職にこだわりを見せることに首をかしげる向きも多く、三権の長である参議院議長が任期途中で辞任して地方選挙に出馬するという行為は国会の権威上相応しくないという声も挙がった。
こうした中、金丸らの意を受けた衆議院議員山口敏夫が両者の説得に当たるも不調に終わり(山口も知事の座を狙っていたといわれる)、金丸本人が双方に出馬を断念するよう申し入れた。 年が改まった1992年、畑知事の実弟を含む建設業者による『埼玉土曜会』談合・献金事件が起き、疑惑が広がる中で畑は出馬を断念。政界引退を表明。一方山口・佐久間らはなお土屋の出馬取りやめを画策した。しかし土屋は清和会の支持や当時大正製薬名誉会長だった叔母上原小夜の後押しを受け、断固出馬の態度を崩さず、結局自民党推薦での立候補に至った。」

同じく、ウィキの「金丸信」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%B8%B8%E4%BF%A1
には次のような記述があります。
「1992年8月、『朝日新聞』の報道により東京佐川急便から5億円のヤミ献金が発覚した。」
「東京地方検察庁特別捜査部は金丸に事情聴取のための出頭を求めたが、金丸はこの要請に応じずに政治資金規正法違反を認める上申書を提出するにとどまった[17]。結局、東京地検は金丸に事情聴取せず、1992年9月28日に同法違反で略式起訴した。翌29日に金丸は東京簡易裁判所から罰金20万円の略式命令を受けた。逮捕もなく事情聴取すらせず、5億円の賄賂に対するわずか罰金20万円というこの決着に、地検は国民から凄まじい批判を受け、検察庁の表札にはペンキがかけられた。当時、札幌高等検察庁検事長だった佐藤道夫が『朝日新聞』に検察の対応を批判する読者投稿をし[18]、異例ともいえる身内の検察からも批判的な意見が公にでた。刑罰の軽さに批判が大きく、こうした世論の反発の強さから、金丸は10月14日に衆議院議員を辞職、竹下派会長も辞任することとなる。
一方、東京国税局は、金丸の妻が死亡した際に受け取った遺産に着目、日本債券信用銀行(日債銀。現あおぞら銀行)の割引金融債『ワリシン』の一部が申告されていないという事実を突き止めた(日債銀内では、金丸を“蟷螂紳士”のコードネームで呼び、申告漏れに協力していた)。1993年3月6日、東京地検は金丸本人と秘書を任意に呼び出して聴取を行い、同日脱税の容疑で逮捕した。後に、自宅へ家宅捜索を行ったところ、数十億の不正蓄財が発覚する。捜索の中、時価1千万円相当の金塊が発見された。」

ウィキの「畑和」(土屋義彦氏が埼玉県知事選に出ようとしていた当時の現職知事)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%91%E5%92%8C
「1991年10月、参議院議長土屋義彦はその職を辞し、翌年の埼玉県知事選挙への立候補を表明する。これに対し現職の畑も同年12月の県議会定例会で6選出馬を明言。金丸信と田邊誠は双方の出馬取りやめを画策したが、この背景には歴代首相と懇意で経世会にも近かった佐久間実・自民党県議団長(元県議会議長・元自民党埼玉県連幹事長)が『ポスト畑』に意欲を示しており、既に自民党経世会と社会党との間では、畑を引退させ佐久間を後継者とすることで話がついていたという事情があったといわれる。参議院議長を務め、既に政治家としては(双六で言うところの)『あがり』と見られていた土屋の突然の立候補表明は永田町では予想外の出来事であったという。
金丸らの意を受けた県選出衆議院議員の山口敏夫が両者の説得に当たるも不調に終わり(山口も知事の座を狙っていたといわれる)、金丸本人が双方に出馬を断念するよう申し入れた。
翌1992年、畑の実弟を含む建設業者による『埼玉土曜会』談合・献金事件が起き、さいたま新都心構想推進を巡り交わされたという金丸信らとの関係や金の流れなどが取り沙汰されるに至った。疑惑が広がる中で畑は出馬を断念し、政界引退を表明した。これは畑が知事選に出馬して以来、どんな大物を対抗馬に据えても大差で畑に敗れ続けた自民党が、自民党自身にも火の粉が飛ぶのを覚悟で、畑を出馬辞退に追い込むためのリークだったと言われている。」

上の引用末尾に「これは畑が知事選に出馬して以来、どんな大物を対抗馬に据えても大差で畑に敗れ続けた自民党が、自民党自身にも火の粉が飛ぶのを覚悟で、畑を出馬辞退に追い込むためのリークだった」とありますが、疑問です。普通、ウィキの記述に付く出典も示されていません。自民党として知事選を畑和氏と戦ったのは一回のみであり、「どんな大物を対抗馬に据えても」という状況ではなかったと思います。

以上のことから、田中森一氏の検事退官とその後の逮捕有罪は、高校入試段階からの試験不正を日本全国規模で開始するための環境作りとして行われたことだと考えられると思います。

県立高校での入試不正は、定員の4割程度の規模で行われていることが普通ですから、結果的に、一般市民の半分ぐらいが入試不正・試験不正に関わることになってしまうのです。30年程度前から始まったこういった不正のため、官僚と言われる人々や、国家・地方公務員、そしてマスコミ関係者の40歳よりも年齢が下の人びとの半分以上が入試不正に関係した人々だと思います。

2014年1月に出てきたSTAP細胞発見とその後のどんでん返しは、インチキ博士論文の発覚という意味を持っていて、非常に大規模に科学的な成果を宣伝しておいて、その後にそれがインチキであり、しかもその成果を上げた人物の博士論文自体がインチキであったことを世間に広く知らしめて、「お前もこうなるよ」(学歴不正が表ざたになるよ)という脅しをかける狙いを持って作り上げられた事件であったはずです。
同様な事件として2008年の夏に表面化した大分県教員採用汚職事件があります。これは小学校教員採用で汚職があり、採用試験の点数底上げがされていて、数十名の方がその後採用取り消しになったというものです。問題は大まかに3つあります。一つは、この事件が全国教育長会議が大分県で開催されていた期間中に発覚し、関係の県幹部の名前と顔がマスコミ報道され、その家族であった教員の方が退職に追い込まれたことです。2点目は、小学校だけでなく、中学や高校でも同様な不正が行われているとの告発があったことが報道に挙がっていたのに、まったく事件化しなかったこと。3点目は、点数底上げで数十名の小学校教員の方が採用取り消しになったのにもかかわらず、点数底上げが本当にあったのかどうか、その証拠は非常にあいまいであり、その動機も解明されていないことです。
この事件は、自分が2007年に埼玉知事選で県立高校での入試不正が大規模にやられていることを述べたことを受けて起こされたものであるはずで、入試・試験不正を公にすると、親族が退職に追い込まれるぞという脅しをかけたものであり、その意味で、STAP細胞事件と同じ狙いを持ったものであったと思います。

なぜ、こういったことが行われてきたかといえば、大きな事故・事件を起こしても、それが自然的なものだ、または不可抗力だと思わせるためでしょう。

例えば、311大地震でその二日前から三陸沖でM5以上の群発地震が起こっていて、M9大地震と大津波の予測は無理でも、明治三陸大津波の再来は明らかに予測が出来、その警告を出すことが出来たはずであるのに、それがそれがされなかったこと。そして、その反省も、単にM9という規模の予測が出来なかったことのみについて行われていて、明治三陸大津波の再来警告が出来なかったことについては行われていないのですが、そのこと自体についても問題化していないのです。
また、311大地震によって起こったとされる福島第一原発事故についても、電源車が3月11日の夜には現場に何台か到着していて、その後も電源車が何台も現場に行っていたにもかかわらず、全てプラグが合わなかったという理由で使われなかったことがあります。それでいて、原発職員が街中のホームセンターで車のバッテリーを買い集めて電源としてと使ったという話が広められているのですから、矛盾は明らかであり、電源車がきちんと使われていれば1号機や3号機の爆発は明確に防げていたはずなのですが、国会事故調・政府事故調と言った数百ページもある事故調査報告書は全く電源車が使われなかったことには触れていないのです。
同様に、福島県で行われている小児甲状腺がんの調査も、1次から2次検査、そして最終的な甲状腺手術による確定至る過程で受診率が1割程度にまで減少し、結果的に約9割の方が調査から漏れているのですが、そのことがほとんど福島県やマスコミによって取り上げられないこと。
巨額の財政赤字が積み上がっていることや首都圏での大地震がかなり近づいているはずであることが明らかであるのに、その対策の必要性がほとんど意識されないこと。

入試・試験不正関係者は、自分たちのインチキを何とか意識外へ隠したいのです。その結果、自分たちの体制が盤石であり、心配ないのだと思い込んでしまうのです。これが危機を感知する、またはそういった危機に対処する気持ちを失わせているのです。

こういったことの全ては、ある一つの目的のためです。それは、日本で大規模な原発事故が起こり、国土が汚染されれば、そこを核廃棄物処分場として世界中の国が使えるということです。

最初に戻ります。1980年セント・ヘレナ山の大規模な山体崩壊により、当時のアメリカ軍産複合体は、地球規模で大地動乱の時代が来ることを予見したのです。太平洋プレートなどのプレートの動きが激しくなることにより、大地震が発生し、また火山噴火が地球規模で激しくなります。プレート沈み込み帯はその多くが海底にあるため、海底火山の噴火が盛んになり、海底からの熱供給が海水に大規模にされるため、短期的(と言っても数十年という期間でしょうが)で海面温度の上昇が起こり、これが地域的な温暖化を起こします。しかし、陸上にある火山噴火に伴い、大量のエアロゾルが大気中へ放出され、これが日射を遮り、寒冷化が始まるのです。

日本の悲劇は、第2次世界大戦終了時には、原発・原爆開発に伴い、大量に出る核廃棄物、それも劣化ウランを含んだ重金属の処分が大陸ではできないため、その処分場には大陸に属さない島嶼国しかなく、その対象として日本が選ばれたことにあります。火山・地震大国である日本にそんな処分などできないという方が居ますが、どこかに処分しなければならないわけであり、アメリカやイギリス、フランス、ロシアと言った国々が自国、それは北アメリカ大陸やユーラシア大陸といった大陸国家ですが、彼らが自国を選ぶかどうかを考えれば自明のことであると思われます。地下300mとか500mの所にしか処分できず、この深さはまさしく地下水利用がされるのです。大陸全体の地下水汚染がいつかは発生してしまう訳で、大陸の地下に最終処分は明らかにできないのです。

日本に埋めても、最終的には海水汚染に至るでしょう。しかし、それでも、大陸の地下水汚染よりはまだましだと考えているのだと思われます。なんと言っても魚やその他の海産物を食べなければいいのであり、地下水汚染がされれば、それこそ、ほぼすべての食料が危険になるのですから、西側諸国がこぞって日本を最終的な核廃棄物処分場にしようと誘導するのは、ある意味、とても当然のことです。

最終的な核廃棄物処分場に金をかける人々は居ません。処分以外に利益を生み出すことがないのですから、究極的には無人がいいのです。財政赤字がいくら大きくなろうと財政破たんはしないとか、首都圏壊滅の大地震はあと数百年は来ないと言った安全神話は、全て、一気に日本社会を滅ぼすための仕掛けではないかと思います。

核廃棄物は地上保管すればいいのです。コストは永遠にかかり続けます。しかし、それしかないのです。

幸いなことに、まだ首都圏大地震は起こっていません。同様に財政破たんもまだです。

今しか、大幅な円安に備えるときはないのです。輸入依存度の高いものの国産化を進めるべきだと思います。

2018年05月01日17時10分 武田信弘  

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