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(正常な頃の)副島隆彦の『ダヴィンチ・コード』論(後半)
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投稿者 仁王像 日時 2020 年 10 月 24 日 09:28:43: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

(回答先: (正常な頃の)副島隆彦の『ダヴィンチ・コード』論(前半) 投稿者 仁王像 日時 2020 年 10 月 24 日 09:24:34)

副島隆彦の『ダヴィンチ・コード』論(後半)

 私は、自分のこの『ダ・ヴィンチ・コード』論はものすごく重要なのだ、と私自身がよく分かっています。たとえ、この国(日本)では、私、副島隆彦の言論などは、体勢から相手ににされずに、学問道場の会員たちに向けて、ひっそりと書かれているものに過ぎない。しかし、私の文章が、読み破った真実の重要性は、世界基準であって、それはやがて、じわじわと日本国内の知識人、読書人階級に衝撃と共に広まって行くでしょう。そのことに私は自信があります。

  小説・映画「ダ・ヴィンチ・コード」からは、ものすごい量に知識を、今も、私は吸収している(ピンと来て、思いついている)最中です。ですから、以下の「後半部」だけでなく、今後、気になったことや私が大発見した理論を、どんどん追加でここに書きますので、お待ち下さい。 副島隆彦拝

以下は、今から一週間前の書きかけのままです。

 副島隆彦です。2006年5月25日です。
 映画の封切り当日の5月20日の夜に、私も「ダ・ヴィンチ・コード」を見に行きました。予想通り、原作(小説)にほとんど忠実に作ってありました。どうもはじめから、映画化することを予定して、原作の小説の方も書かれていた、のではないか。映画が先で、小説があとの場合を、ノベライゼーション(小説化)と言いますが、そういう感じでさえありました。それでも、原作の方が、映画よりもやはり出来がよかったなあ、という感じはあります。

 映画は、2時間30分間ぐらいあった。これは映画としては長い方だ。途中で飽きた人もいただろう。ヨーロッパの中世の教会めぐりツアーのような、感じもあった。場面がたくさん移って、多くの内容がほぼ小説のとおりに、凝縮されていたので、どんどん場面が展開して、めまぐるしいので、小説を読んでいない人には、ドタバタ劇の連続に見えたのではないか。

 短い時間の中に、歴史知識やいくつもの舞台(場面)を詰め込むことは映画や演劇が本来持つ苦しみだろう。一般庶民向けの恋愛もの、あるいは大冒険もの(コンピュータ・ゲームのロール・プレイングもの)のような遊びの感覚がすくない映画だった。だから大衆向けの大ヒットはしないのではないか。きっと世界中の大衆はこの映画を愛さないだろう。なぜなら内容は宗教批判であり、カトリック教会の長い歴史の背後の真実を暴いているからだ。だからあくまで知識層、読書人層向けの映画である。

 小説(原作)は、この3年間で世界中で4千900万部も売れたそうだ。日本国内でも500万部を売ったという。この事実が何よりも重い。ウソやフィクション(作り話)では、これほどに本が売れることはない。

 聖なる杯(さきづき)、の聖杯伝説を扱った学術書で、この小説の原型を作った『ホーリー・ブラッド・アンド・ホーリー・グレイル』(初版は1982年)の 邦訳(日本語訳)の題名は、『レンヌ・ル・シャトーの伝説』 だが、こっちの方も、日本で2万部を超えて売れただろう。

 私も読んで、さらに知識を深めた。こっちの研究書の方が、先々重要な問題の提起となるだろう。今後の、これらの本の影響が、今から世界中のキリスト教会、あるいは、カトリック教会に対して、静かにじわじわと出てくることを、私は神経を尖(とが)らして観察することが大切だと思っている。

 それでも、世界中の各国の、民衆の生活習俗と、民俗宗教と、伝統的な信仰の強固さは、こんな映画一本の登場ぐらいでは変更しないぐらい頑強なものであろう。世界中の民衆、大衆というのは、もっと頑丈なものであって、宗教教団内の秘密結社(信者の団体)の存在や蠢(うごめ)きぐらいではどうにもならないものだ。

 私にとって、この映画で目新しく感じたのは、ロズリン礼拝堂 Rosslyn Chapel (ロズリン・チャペル)というお城(砦、とりで)のような、かつての小修道院が有った場所が、小高い山の上にあって、ここに、マグダラのマリアの棺(ひつぎ、コフィン)が、はじめのうちは、長く安置されていて、周囲の村人たちが、密かに、一千年間、シオン修道会の秘密のメンバーとして、代々守ってきた、という最後の方の場面だった。ここは、実在の古い教会でいまは、Roslin  とだけ綴(つづ)るようで、Rose Line(ローズ・ライン、フランス王家の血筋はイエス・キリストからつながるの意味) が語源らしい。これが薔薇の流れ(血筋)という意味だ。このロズリン礼拝堂は、イギリスの北のスコットランドのグラスゴー市の南のはずれあたりにあるという。

 1307年の大弾圧(大虐殺)のあとも、ここまでテンプル騎士団は逃れてきて、この地の異教徒 (Bagan ベイガン) の教会だった場所を、自分たちの聖なる場所として、マグダラのマリアの棺をパリからここに移して、一千年にわたって安置したらしい。1400年代(15世紀)のことらしい。

 このスコットランドの、ロズリン礼拝堂 Roslin Chapel は、小説『ダ・ヴィンチ・コード』の原作の研究書の方で研究されている、レンヌ・ル・シャトーという、南仏のピレネー山脈に近い小さな村にある、聖杯伝説を今に伝えているお城=修道院=教会の跡地とどういう関係にあるのかが私には分からなかった。 南仏のレンヌ・ル・シャトーの方はこの映画には全く出てこなかった。 この映画の最後の方で、ソフィーとラングドンは、ロズリン礼拝堂の、小高い丘の上のこの教会の前で別れた。

 ソフィーは、村人たちに守られるようにしてこれからの人生を生きて行く、という感じで映画では描かれていた。ジェームズ・ボンドあるいは、ハリソン・フォード映画の、一緒に生き延びた連れの女と、最終場面では、愛し合うという形にはしなかった。全体は、ヨーロッパ人が嫌うアメリカ(ヤンキー)映画であろうにここの作りだけはまじめだった。

 ほとんどが小説に忠実に再現されていた。場面によってははしょってあった描き方をしていたが。オプス・デイの会員で、フランス司法警察の警部(ジャン・レノが演じた)のベズ・ファーシュ が、最終場面で、「自分は、オプス・デイの総長(グランド・マスター)のマヌエル・アリンガローサ司教に騙されていた」と気づいて、暗殺犯の修道僧のシラスに撃たれたが死にはしなかったアリンガローサを逮捕して救急車で連れていった。自分が、自分の属する組織であるオプス・デイから指令されて、この主人公のハーヴァード大学教授を、はじめから犯人として捕まえてしまうように動かされていたと気づいたと描いていた。

 このオプス・デイ総長のスペイン人のビショップ(司教)を演じていたのは、アルフレッド・モリーナという俳優だが、いかにも、スペイン人の泥臭い役をやっていた。こういうギトッとした感じのギョロ目の小太りのイタリア人やスペイン人(ラテン人)は実際に居る。

 このアリンガローサ司教を犯罪の首謀者として、最後は、傷ついたまま逮捕するという、ここだけは、いかにもアメリカの犯罪探偵ものの安っぽい作りになっていて、ここで欧州人は興醒めしただろう。秘密結社や、新興宗教の長年の熱心な信者が自分が騙されていたと言う程度で、すぐに態度を変えて、法と正義に忠実になり職務をまっとうに追求するというのは、やや子供じみている。

 法的な正義判断(justice ジャスティス)というのは、やっかいなもので、宗教的な信念を本当に超えられるほどのものだろうか、と、法学研究者でもある私は、近年、疑っている。法律学(法学)というのは、法の解釈学(ヘルメノイティーク、ハーマニューテッィクス)なのだが、本当にどのようにでも正義解釈できるのだ。正義は、アメリカ人たちが考えるようには客観的に実在することはない。正義はどのようにでもなるものなのだ。

 法学や法律実務は、正義判断(ジャスティス)をどのようにでも変更でき、判断は、偏向しており、実務ではどうにでも正義を変形、変質させることができるものなのだ。

 だから、法的な正義は、汚(きたな)らしい現実政治(リアル・ポリテックス)の道具になって、その場その場で判断を変えることが、実に多いのである。欧州人は庶民であってもそのように感じている。アメリカ人は、今は世界帝国臣民であり、自分たちの感覚が世界の基準となっているのだという、傲慢さと、逆からの思想洗脳にかかっているから、単純に正義の法(正義判断、justice ジャスティス)を信じている者が多い。欧州人が、知識人層を含めて、この映画に対して感じる反発は、そういうところから出てくるのだろう。

 以下に載せるのは、私が、この『ダ・ヴィンチ・コード』論を書こうと思い立った時に、新聞社の映画書評(movie review ムーヴィー・レヴュー)を私にやらせてほしいと思い立ち、編集記者にお願いした時のメール文である。ここに私の発想のはじまりが見られますので載せます。

(転載貼り付け始め)
(1)Sent: Tuesday, April 18, 2006 8:14 PM
Subject: 次の映画「ダヴィンチ・コード」の批評は私にやらせてください。
毎日新聞社 志摩様へ 2006年4月18日

 副島隆彦です。私は映画「ダヴィンチ・コード」が気になって仕方がないのです。これが、5月20日に、世界中で一斉に公開されますので、これの書評は私にやらせてください。私が、この映画の原作となる小説の中身を自分で追いかけて分かった事実は、以下のようなことです。

 ここに、出てくる、秘密結社 のオップスデイ Opus Dei という団体は、今もニューヨークに本部があって、カトリック教団に所属するです。それなのにどうも教団の総本山(ヴァチカン)に反抗的で、司教や、枢機卿(カーディナル)まで抱えているのに、イエズズ会と同じように、独立のセクト(sect 宗派)を名乗らないで、そうすべきなのに、在家の平信徒(ひらしんと)のままの団体なのです。

 ここに、秘密結社というロッジ Lodge (お講、法華講のような)とヴァチカンのカトリックの総本山との闘いがある。 欧米の宗教思想の中の、ロッジの思想(在家の思想)のことを日本人は、誰もだま知らないのです。

 オップスデイ Opus Dei (英語読みすれば、オウパス・デイ)というのは、the work of God で「神の仕事」とか「神の仕業」という意味です。
 私以外は、日本ではこういうことは誰も知らないのです。理解できないでしょう。ほんとうです。私は、こういうことを、一生懸命分かろうとして、そして、それを日本人に伝えようとして生きてきた人間です。おそらくこれが私が神(天帝、天主、ゼウス、プロヴィデンス providence=自然の摂理とも言う)から授かったミッション (使命)なのでしょう。

 そして、どうやら、これらの秘密結社とよばれる、Order(オーダー=修道会=騎士団とも訳される)の在家の信徒の団体の中に、深い、言い伝えがそれぞれ残っていて、この小説と映画では、シオン修道会、Priory of Sion とその下部組織であるテンプル騎士団 The Order of Templars 「ジ・オーダー・オブ・テンプラーズ」の出生、誕生以来の歴史が明らかにされている。

 この秘密結社の成り立ちの背後には、イエス・キリストが処刑されたあと、その血脈が、信徒たちにかくまわれて逃げ延びて、そして、フランスの南で、ひっそりと生きているという秘密あるいは、伝説です。キリストは、マグダラのマリアと結婚していて、二人は夫婦であり、キリストが処刑された時に その子供の血筋が今も続いている、というのが、この秘密結社に伝わる秘密らしいのです。

 ここには、カタリ派やドルチーノ派、ヴァルド派、リヨンの貧者たち、などの弾圧された異端(heresy ヘレシー、heretic 異端派の人間たち)の宗派のこともそれとなく出てきます。この異端の諸運動のことは、私は拙本『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』で説明しました。ところが、私には、カトリック教団内部の、内部抗争のことはこれまで解明できないままでした。

 それと、1096年からはじまった1300年頃までの、十字軍の頃のことが気になっていました。フランス南部のアビニオンへの法王庁(教皇庁)と法王の強制的な連行である、アビニオンへの遷都(アビニオン捕囚)のことも関わります。
 「ダ・ヴィンチ・コード」の作者の、ダン・ブラウン Dan Brown は、つい最近、原作の盗作の疑惑で訴えられていた裁判で、勝ちました。訴えていた聖書研究学者3人の、研究所からの、ただの「剽窃」ではなくで、その学問知識を使って、小説家としての才能による文学作品としての独自の付加価値( value - added 、ヴァリュー・アッデッド)を裁判官に認められました。 この小説は、historical thinking (人間学の研究)だから創作物だからではなく、アイデアの無断盗用には当たらない、 だから著作権違反ではない、として裁判に勝ちました。 訴えていた宗教学者、聖書研究家3人の研究書の方も、日本でも翻訳本が沢山売れて、世界中で売れて、それで両者が、win-win game(ウイン・ウイン・ゲーム)だということで和解したようです。

 こういう小説・映画は、Forward (Onward ) into the past 「過去(の歴史事実)に向かって(前向きに、未来に向かって)前進して行く」という考え方を採用されて、積極的に欧米社会では受け止められています。これが今の世界的な話題になっている背景です。

 このあとシオン修道会=テンプル騎士団と兄弟組織の薔薇十字団、やマルタ騎士団、ドイツ騎士団などの話になって、それが、やがて、フリーメイソンとイルミナティの話につながります。これらすべては、実は、教団や本山の僧侶の集団と、在家・平信徒(ひらしんと)、氏子(うじこ)の集まりとの、構造的な対決の話なのです。

 このことをなんとか日本人に分かるように、私が先鞭を付けたいと思っています。私も、まだ全部が分かったわけではないのですが、私が分からなければ日本では誰も分からないし、それを平易な日本語で説明することはこの国では、私以外には誰も出来ないはずです。志摩さん。今は、こういうことを考えています。   副島隆彦拝

(3) Sent: Sunday, April 23, 2006 10:04 AM
Subject: Re: 映画「ダヴィンチ・コード」の批評をやらせてください。

毎日新聞 志摩さんへ  副島隆彦です。
 私は、別にプレビューを見に行かなくてもいいです。どうせ業界人で混雑するでしょうから。志摩さんが行ってください。私は、5月20日の封切からすぐの自分の時間が空いている日に行きます。書評さえできればいいのです。そんなに急いで報道するような映画でも、連中でもありません。裏のあるおかしな俳優であるトム・ハンクスとロン・ハワード監督です(謀略映画の、映画「アポロ13号」もこのチームです)。

 このことからしても、アメリカの金融財界の思想、(レイシオ、とリーズンの思想、企業経営者の思想。冷酷な金銭・商業法則、誰も逆らえない売り上げ・利益至上主義)が、カトリックの愛(グレイス)の思想(人間を大事にしろの思想)と、激しく憎しみあっていて、それが世界舞台で、象徴的に火花を散らしていることの現れがこの映画だと思います。

 カトリックにも悪い面があって、愛(グレイス grace 、アガペーAgape )の思想を作ったのはすばらしいのですが、その他に、オーダー(order 、秩序、体制)というのを作って、この体制・秩序の思想で、全ヨーロッパ世界を二千年間にわたって、自分たちの支配下におきました。

 この「オーダー」=体制・秩序という思想をつくったのは、カトリックです。だから、カトリックの側にも悪い面があるのです。 こういうことを私は考えています。 副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)

 副島隆彦です。それでは、ここからが、すでに3週間前に弟子たちに録音で話してあった、「後半部」です。

 ローマ教会の枢機卿が全部で700人ぐらいいる中の200人ぐらいがイエズス会である。最大派閥だと思う。今の法王のゼネディクト16世もイエズス会である。ところが、イエズス会というのは、英語でいえば、ザ・ソサエティ・オブ・ジーザスthe Society of Jesusという。「イエスの結社」という意味である。だから、イエズス会は、幹部たちにたくさん上級の階位の僧侶がいるのだけれども、しかし本来が平信徒の団体である。

 上智大学の渡部昇一(わたなべしょういち)教授は、結婚していますから、決してジェズイット、イエズス会のプリースト priest、司祭にはなっていない、なれない。しかし彼は在家の信徒以上の存在である。彼が、イエズス会の中でも、より保守的なドイツ人の系統のイエズズ会士たちに、抜擢され敗戦後の日本で特別に育てられて、ドイツのミュンスター大学に留学したり、上智大学のなかでもくもくと黒ずめの服を着て礼拝しているとかしていた。

 イエズス会も歴史上は、何回もヴァチカンから破門(エクスコミュニケーション)されかかっている。破門されて、異端という烙印を押されますと、最悪の場合は中世なら火あぶりにされるわけで、大変なことです。ローマ法王側も、決して一枚岩ではなくて、その時代ごとに、いろいろな派閥があり、選ばれたローマ法王自身がある特定の派閥に属している。教団内部でもすさまじい派閥闘争を繰り返してきた。

 宗派を、sect ゼクトあるいはセクトという。これは、司祭priests プリーストと訳される僧侶から上の僧侶たちが所属する。平の信徒、門徒たちは、宗派を名乗らない。名乗れない。だから、ロッジなのである。礼拝堂も作れない。教団(本山)から任命された僧侶が居ないと教会は造れない。番古い宗派は、ドミニコ派である。それに保守本流とでも呼ぶべきベネディクト派がある。それから11世紀くらいに、アッシジの聖フランチェスコというイタリアの洋服商人だった男がつくった、粗末な衣服だけしか着ないという、敬虔な信仰を貫くとされるのがフランシスコ派だ。フランチェスカンと呼ばれている。

 イエズス会もフランシスコ会(派)も、戦国時代の日本にやって来ていて、それぞれが別個に、大分や長州や、大坂で、安土・桃山時代にカソリックの一派として教会(セミナリオ、宗教学校)を作っている。

 このように、カトリックは、内部で派閥争い勢力争いをしながら、はるばる日本にまでた来た。イエズス会と、ドミニコ派などの正統の諸派がどう違うのか、ここが重要なところである。イエズス会は、たくさんのカーディナル(枢機卿、カトリックの議会の議員)も出しているのだから、正式な宗派、セクトとなっているべきなのだ。ところが、イエズス会は、セクト(宗派)になっていない。あくまで、ロッジの運動で、平信徒の団体だと名乗っている。ここが前出のオプス・デイと共通する。ここが問題なのだ。

 イエズス会は、1538年にイグナチオ・ロヨラ(聖イグナチオ)やフランシスコ・ザビエル(シャビエル)らによって、パリのモンマルトルの丘で結成された。「清貧(せいひん)と貞潔(ていけつ)の誓(ちか)い」というのを自分たちイエズス会の盟約とした。

 つまり、女性と交わらない(性行為をしない)、ことと、無所有、無一物で、財産や金銭を保たない。この二つを誓って、それで、1517年にマルチン・ルターが北ドイツで、火の手をあげたプロテスタント運動にたいして、それに、反対する、強烈な、反プロテスタントの反宗教改革( counter Reformation カウンター・リフォーメイション)の運動を始めた。イエズズ会運動は、徹底的な復古的な運動で、カトリック教へのたがはめとなる、厳格で保守的なカトリック運動である。

 このカウンター・リフォーメイション(反宗教改革)は、カソリックの教えを厳格に守れという教団内部の内部刷新の運動である。イエズズ会士は、ひとりひとりが相当に優秀な頭脳をもった者たちが結集した鉄の知識人集団でもある。南米や日本、韓国にまで16世紀に宣教師となってどんどん出ていった。それらの未開の地域を「神の国」にする運動である。ところがこのイエズス会の内部にはたくさんの秘密がある。映画『ダ・ヴィンチ・コード』に描かれるよりももっと多くの秘密があるはずだ。

 イエズス会は、本当は、在家の集団(ロッジ)ではなくて、イグナチウス派になるべきなのだ。創立者のイグナチウス・ロヨラの名前から、そうなるべきなのだ。ところがそうはならない。それがおかしいと今でも言われている。その点もカトリック教団内部で指摘されて問題にされている。事実、イエズス会には多くの秘密がある。

 そのひとつは、隠れユダヤ人(クローゼット・ジュウ closet Jews )たちが今もたくさんイエズス会に(他の宗派もそうだが)潜り込んでいる。改宗したユダヤ人たちだ、とも言えるのだが、ここらあたりが複雑な内部の事情を作っている。イエズス会は、正式な宗派ではないのに、実質的には宗派になっている。

 僧侶の思想派閥としての宗派でなければ、前述したロッジの思想となる。ロッジは、出家していない、在家の商業活動を盛んに行う商工業者の団体だから、お坊さんが主体でないわけだ。平信徒の、在家の団体です。

 これが16世紀(1517年)以降は、ローマ教会が、仕方なく、現実の世界に合わせて、金儲けの思想、営利活動を認めざるを得なくなる。それでもローマン・カソリックの僧侶(聖職者、お坊さん)たちは、一般の信者たちの中の金持ちの商工業者、とりわけユダヤ人を嫌い、いじめる。「金利を取って、強欲を実践するお前たちは、汚(けが)らわしい存在だ。神の国にはゆけない」といじめた。いじめられた方の信徒の団体は、僧侶たちにたいして激しい憎しみを抱くようになる。それが在家の平信徒のロッジの思想を作っていって、フリーメーソンなどの秘密結社になってゆく。そして、今にいたる、カトリック教団内部の大きな反目を作っている。

 金貸し業とか、大きな商売をしながら在家信者をやっているの者はどうしてもユダヤ人が多くて、これが内心での反カソリックの動きと一致する。だから、秘密結社を作っての、表面とは違う、反カソリックの思想こそが隠れユダヤ人たちの行動指針となる。

 キリスト教徒と商業の関係を論じるときに一番大事なのは、1179年の第三回ラテラノ公会議(Concilium Lateranense Tertium コンシリウム・ラテラネンセ・テリウム)です。この宗教会議で、「利子を取る商売人はキリスト教として埋葬しないという」決議が行なわれている。ラテラノというのは、ローマ市のはずれにあって、今もここにサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂という立派な教会がある。キリスト教徒として埋葬されないということは地獄に落ちるという同じ意味で、当時の人間たちにとってはものすごく恐ろしいことだった。

 ところが、第三回ラテラノ公会議が開かれた1179年あたりが、テンプル騎士団や修道会がはびこった、と言うか、一番活発に活動して、組織を広げていった時代である。先ほど話したように、そのあと、フランス王フィリップ4世の大弾圧が1307年にあって、テンプル騎士団全員は全欧州の諸都市で、投獄されて拷問で殺されるというようなひどい目に会っている。そして残党は地下に潜(もぐ)った。

 フィリップ4世は、テンプル騎士団から多額の金を借りていた。それが返せなくなってしまっていたので、弾圧して潰してしまえということでもあったのでしょう。その前年にフィリップ王は、フランスの国中のユダヤ人、すなわち金貸し業者たちを捕まえています。だから金貸しには当時の社会にものすごい反発と、憎しみがあったのだろう。

 そのあと338年後の、1517年には、マルチン・ルター Martin Lutherが「95か条のテーゼ(質問状)」95 Theses というのをヴィッテンベルク市の教会(修道院)のドアに打ち付けて、宗教改革ののろしをあげる。この動きは、もの凄い勢いで全欧州の各都市に広がって行く。ルターは、1525年には、尼さん(正確には、元修道女)と結婚します。カトリックの僧侶は、今も絶対に、妻帯、結婚してはいけまん。彼は、ドイツの選挙公や、諸侯たちに守られながら、プロテスタント運動を起こしていくわけだ。

 これと同じ年の、1517年に、第5回ラテラノ公会議Concilium Lateranense Quintumが行われて、なんと、ここで、「利子を取る商業活動を認める」ことが決議された。だから私は、本当は、1517年をもってヨーロッパ近代の始まりだと今は定義しています。これが副島理論です。今から丁度、500年前です。

 これまでに何冊かの本に書きましたが、私が「近代ヨーロッパ社会の成立の日」はいつだと書いたか、皆さんは覚えていますでしょうか。普通は、1574年に、オランダのライデン市 Leiden で、市民の蜂起が起きて、スペインからの自力での解放、独立運動での輝かしき成果を実現した。この年が、ヨーロッパの近代市民社会の成立の時といわれている。その7年後の1581年が、オランダの都市同盟(ホーランド同盟)がスペイン国王フェリペ2世 Philip II of Spainに対する「忠誠破棄宣言」Plakkaat van Verlatingheを行っている。このスペイン国王への「忠誠破棄宣言」が、近代人権宣言・近代憲法の元祖といわれている。

 1517年の第5回ラテラノ公会議での利子を認めるという考え方、あるいはマルチン=ルターの質問である九五箇条のテーゼが、この「忠誠破棄宣言」よりも5〜60年早いわけです。このことの方が私は最近は重要だと思っています。だから私は近代 modern モダンというのは、ちょうど今から500年前にはじまったのだという説を採っています。

 このことを私は以下の本で知った。ミシェル・フーコーというフランスの思想家の本を学生時代に読んでいて、その本の知識でなんとなくわかった。フーコーの本・・・・・には、このような考えに近いことが、たくさん書いてあった。

 そこで、最近の私の考えの到達点を書きます。一番、大事なことはやはり「利子、金利(インタレスト、interest)というものを取ってはいけない」ということです。

 私が20歳代で銀行員だった頃、上司の中の優れた人が教えてくれたのは、次のことだった。「副島君。いいですか、銀行業は信用だけなのですよ。他には何にもないのです。信用だけなのです。信用というものがなくなったら、銀行ではないのです。銀行は、旨みの大きい商売で、土曜・日曜も黙っていても貸した金の金利が入る。これが銀行業なのですよ。信用だけなのです。」ということです。「だから、立派な銀行の建物は、できるだけ素晴らしい門構(もんがまえ)にして立派な建物にする。そしておおきな立派な金庫が在ること。たったこれだけのことなのです。信用だけで銀行業は成り立っているのです」

 このように私は教わった。だからこそ私は、今こそ、利子(インタレスト)とは何かを日本人としては、はじめて疑って、それを否定する思想が、ヨーロッパや、中東(アラブ世界)には、ずっと有って、今も、利子を取る金融業を、疑い、否定する思想があることを知るようになった。金利(利子)を当たり前だ、というこの「当たり前」を疑っていりことが大切である、と気づいた。利子をとってはいけないのだ、という思想をあらためて自分で発見しようと思う。 日本人でそういうことを言う人は誰もいないだろう。

 本来のイエスの思想も、アラブのイスラム教の世界も、金利(利息)を取ることを否定している。どうも、この考えの方が正しい。「貸した金に対して金利を取るのは当然だ」というユダヤ人の思想(ユダヤ教)を疑ってみることも大切である。

 お金は、困っている人に、貸してあげるもだ。お金を必要としている人を助けてあげるためにお金を貸してあげる。そして、それに対する御礼として、貸したお金と共に、御礼の気持ちとしてのお金を受け取ることは認める。しかし、それは決して金利(利子)ではない。人を助ける(イスラム教でいう、ザカート、喜捨、善行を施すこと)が大事だ。

 お礼金として、貸したお金(元金、がんきん 言われる)と共に返ってくるものは、実質的には、ユダヤ思想から生まれた金利の思想と同じだ。同じではあるが、やはり違う。はじめから冷酷に金利分を計算して、元金に上乗せして、計算することと、たとえ実質的には金利であるとしても、あくまで、お礼金として、あとでもらうのとでは、大変な違いだ。

 金利を否定すると、そうすると銀行業・金融業が成り立たなくて、潰れてしまう。社会全体もお金と金利で計算されて動いているのだから、とても、「金利を否定する思想」というのは、全く現実味のない思想だ、ということになるだろう。

 それでも、私は、利子を否定する思想、というのは有る、と思う。銀行業など成り立たなくてもいいのです。拝金と強欲の思想をすべて肯定しなければいけない、ということはない。もちろん、商売はやっていい。経済活動は徹底的に重要だ。お金儲けはしていいのだ。しかし、私は「経済活動においてはじめから利子を取る事はいけないことだ。それが人間社会を不幸にした元凶だ」と、ひとまず宣言してみようと思う。

 イスラム教には本当に偽善(ヒポクリシー)がないようだ。4人の女性と結婚できるという一つのことを取ってみてもやっぱりそうだ。女性は怒るだろうが。イスラム社会を見てみるとお判りの通り、シャリアSharia(イスラム法)の中にザカートZakat(喜捨=きしゃ)といって、お金のない人には金持ちが、お金をあげるのです。それは、決してただ恵むのではなくて、貸してあげるわけです。謝礼も要求してはいけない。

 しかし、「お礼」という形で、助けられてその人が、上手く立ち直った後に、お礼の形でお金が戻ってくるということを認めている。そのときには、実質的には儲けの部分も入っている。実際には、お礼という形で元金と利子部分がちゃんと入っているわけである。

 当然のこととして、近代資本主義国家(という事になっている)で生きている私たちは、利子を否定することはできない。おなじく、「イスラム教は金利を認めていない」と言っても、それは、偽善であって、実際はイスラム世界の銀行も金利をとっているではないか、という指摘がある。しかしそれでも、イスラム教徒にしてみれば、それは絶対に利子ではない。お礼の形で借りた人が、すすんで自主的に払うお金のことです。イスラム教が、ユダヤ教と今も闘っているのは、このユダヤ教のもつ強欲と金銭崇拝の思想を否定しようとしてのことだと思う。

 私、副島隆彦は 生来、商売の才能がないから商売(ビジネス、実業)はやりませんし、出来ません。しかしもし私が学問道場を、営利団体だと考えて、これでビジネスや商売を行なうとするならば、次のようになります。

 学問道場の会員たちが遠くからやって来たら「家にただで泊めてあげる。貧しい若者にはタダでお金をあげる」という風にお礼を求めない思想を実践しなければならいない、と思う。しかし、どうしてもそういう家(合宿所、保養所、道場)を維持するためには、経費・費用がかかる。それは何とかしなくてはいけない。それでも、タダで泊める、謝礼を期待してはいけないのだと私は思う。維持費、経費も、お礼金として、会員たちが自発的に置いていってくれるお金を期待して、それでなんとか道場の施設を経営しなければいけないのだと思います。

 いわゆるモダン・キャピタリズム(近代資本主義)を否定するということは、「今後は、利子をとることを否定する思想」となるだろう。これがこれからの日本で生まれなくてはいけないのだと思う。

 日本人はずるずる、ずるずるべったんで、あまり範(きはん、ノルム)のない国民ですから、中国から儒教や仏教が入ってきても、(あるいは、日本古来のもとされる神道だって、本当は、中国からやってきた道教そのものだ)仏教の教えと、厳しい戒律であう、肉食妻帯の禁止の戒律を破って、鎌倉仏教の時代に、さっさと肉食妻帯を実行するような国民です。この融通無碍(ゆうづうむげ)の規範意識の無さが日本人の、「柔軟さ」であり、これで、生き延びてきて、今の繁栄もある。日本人は、現実にあわせて妥協して生きて行く国民だ。

 そろそろ、やっぱり利子を取るべきではない、融資金に対しては、御礼は自発的なものでなければならない、という考え(思想)が日本にも誕生しなければいけない。近代資本主義が、行き詰まりを見せて、地球上の人間が、苦しみを限界的に感じるようになったら、その時は、金融資本(ユダヤ思想が高度に実現したもの)による人間支配を、人間が拒否してゆく時代が、やがて到来するだろう。そんなことは無理だ、という人がほとんどだろうが、それでも、世界中で、そういう動きが出てくるだろう。私は、そのように預言します。

 しかし、それでは商業活動や貨幣経済そのものが成り立たないので、あくまでも自発的なお礼金の支払いの中に、利益分を組み入れるという形で商売活動を行なうのが正しい考え方となるでしょう。世の中の人びとのためになって、助けてあげて、それで初めて利益を得るという思想が正しいと思う。

 初めから100万円貸すと、利子は年率で26%であり、一年後には、126万円になります、これを返して下さい。あるいは、これを月に直すと返済額は、毎月、いくらです、というのは金貸し業の思考(ユダヤ思想)であって、本来の人間世界の商業活動とは区別しなくてはいけないと私は思うようになりました。

 先ほどの、ロッジの思想の話に戻ります。ロッジというのは、在家や平信徒(ひらしんと)の団体です。彼らが、カトリックの坊さん達が持っている根本の思想である、人間への愛の思想、grace(グレイス、あるいは、Agape アガペー、神の恵みの思想)だけを言われて、ロッジに集う、会衆(かいしゅう)する自分達が日々行っている、営利活動をカトリックの僧侶たちに罵られ続けたので、それに怒り出してどうしようもなくて追い詰められてしまった。

 そのロッジの中に、秘密結社が生まれた。それが、1307年のテンプル騎士団への大弾圧があっても、脈々とロッジの思想の中に受け継がれて、それが、1663年からのイルミナティ=フリーメーソンリーの思想となる。それが同時に、近代ヨーロッパ社会の成立でもある。それで、カトリック教会といえども、金利を取ることを1517年にローマ教会自身が認めざるを得なくなくなった。

 ところで、カトリックの僧侶は、妻帯、結婚は今も禁止ですが、同じキリスト教でも、ギリシア正教=オーソドックス・チャーチの方は、僧侶も結婚している。カソリックの坊さんたちは、修道院の中でもお酒は飲めるし、お肉をたべている。チーズやビール、ワインを自分たちで作って食べてきた。修道院(アビー、モネストリー)のなかでの修行僧の戒律に従った生き方から、カルチャー(culture クルツール:Kultur)なるものが生まれた。

 カルチャーという言葉は、今は、「国民文化」と訳すべきですが、このカルチャアは、カルチベーション(耕す、農業をする)からの意味ではなくて、”醗酵(はっこう)させる”という言葉から生まれてきた。修道院の中で、僧侶(モンク、修道僧)たちが、チーズやお酒を作る技術からはじまったのだ。

 カルチャー(文化)というのは、修道院から生まれた。それは、修道僧が、歯を磨いて、沐浴して、体を清めるとか、衛生面に気をつけるとか、あるいは、時計にしたがってきちんとした規則正しい生活するとか、お祈りの時間をきちんと守るなどの、考え方が、やがて、一般の国民にも広がって、それでカルチャアは、国民文化という意味になっていったのだ。修道院の僧侶たち以外には、当時の人間達には、衛生とか健康管理とか、規則正しい生活などどいう考えはなかったのだ。

 どこの国でも、一番一番頭が良い人たちが僧侶になった。日本の中世でも貴族や侍の次男坊、三男坊たちは家にいても、彼らでさえ食べて行けない(あるいは、一生、「部屋住み」と言って隅っこで生きた)ので、仕方なくお寺に預けられる。食べていくためにも坊主になって、そして仏典を読むことを中心にして、文字の読み書きができる人が僧侶になった。

 この感じは、中世のヨーロッパでも変わらない。僧侶というのは、どうしても禁欲生活を強いられるし、家族を持てないようになっている。祈りの生活のような精神性の高い生活を強いられるので、とても家族を食べさせて行くだけの経済力を持たない。それは、今も大学教授という、名前ばっかりで、実質的には貧乏である生活の感じに伝わっている。

 この小説・映画の「ダ・ヴィンチ・コード」で描かれた、秘密結社の萌芽である、テンプル騎士団=シオン修道会、というのは日本で言えば、創価学会みたいな「お講」のことだというものだと理解すべきだと私、副島隆彦が始めて、日本では唱えることとなった。この理解はすさまじい破壊力を、これから日本社会に与えるだろう。この理解を深めることで、フリーメーソンとか、イルミナティなるものが分かってくる。

 そして、現在の世界を頂点で、動かし、あやつっている、CFR(シー・エフ・アール、外交問題評議会、日本の経団連のような財界人団体)と、ローマ・クラブと、ビルダーバーグ会議、と三極委員会(トライラテラル・コミッション)などの地球支配主義者( globalist、グローバリスト)の動きにつながって、それらの発生の根拠からの、全体像が、根本から解明されたのである。

「お講(こう)」というのは、日本にはいろいろあって、たとえば江戸時代には富士山を見に行く講というものもあった「冨士講」(ふじこう)と言う。東京(江戸)には、いまでも到るところの公園や、お寺に、築山(つきやま、富士塚、石で築き上げた小山)が残っているでしょう。それらの山の上に立つと、昔は本当に、富士山が見えたのだ。これが富士講といって、岩がごろごろ集めてあって、積み重ねてあって、高さ20mほどの小山で、これで、富士山に登ったことと同じ意味をもつと当時は人気を集めていた。富士山信仰を、庶民が身近で実現しようとして、それで、こういう「お講」を作った。これでも立派な秘密結社であって、きっと、そこではかなり親密な「寄り合い」が行われただろう。

 あるいは、無尽講(むじんこう)と言うものがうまれた。無尽(むしん)とはみんなでお金を出し合って、くじで当たった者だけが、そのお金を使えることにしたのだ。これが日本における銀行業の発生だ。多くの人が秘密で集まって、お金を出し合って、困っている人、あるいは一番ほしがっている人に貸すというようなことをした。こういった集まりも「講」といったのだ。この無尽講が、本当に銀行業の始まりなのです。

 それらが後に、相互銀行とか、信用金庫、各地方の地方銀行になっていったのであって、、東京相互銀行(今は、東京相和銀行、やがて、買収されて、ロックフェラー系のローンスター銀行になっている)というのは、昔は、本当に、東京”無尽”と言ったのです。

 お金を融通しあうだけではなくて、資金をプールしてどうしても必要な人に貸し与えることをした。これがやがて独立した業者となっていったわけで、日本人も中世からテンプル騎士団と同じような制度・仕組みを持っていたのである。

 テンプル騎士団は、ここが重要なことだけど、金貸し業をやっていた。在家の信徒の集まりであるから、構わないのである。そして、同時に為替業もやっていて、それが、ヨーロッパ中の各都市に、ネットワークを持っていた。この「ネットワーク」なるものの恐ろしさは、現在の私たちにも、すこしずつ分かってきた。ネットワークを持つ者たちが、その国を支配するのである。

 私、副島隆彦は、今から、6年前の、この学問道場が、はじまったころの文章で、次のように書いている。日本の真のネットワークは、表面のテレビ局などのネットワークではなくて、以下の4つのネットワークだ。それは、部落民系(自治労という公務員の労働組合の全国組織を含む)と在日系と、山口組系と、それから創価学会系の、この4つのネットワークである。私は、そのように書いた。これが、日本の本当のネットワークだ。

 テンプル騎士団が全欧州に張り巡らしたロッジの思想の、ネットワークは、たとえば、次のように機能した。ヨーロッパのあちこちの金持ちや貴族の息子たちや商人たちが旅行するときに、現金を持って移動すると危険なので、行った先々の都市で、生活費(現金)を手に入れることができるように、そのために「為替(かわせ)」の仕組みをつくったのだ。

 為替は、外国送金(レミッタンス、ファンド・トランスファー)とも呼ばれるが、決して、実際の「送金」などはしない。すべて、現地での、信用の連鎖による、資金の用立てである。銀行業というのは、毎日の帳尻を合わせるだけで、本当に移動する資金量は、ものすごく小さいのである。

 為替の仕組みというのはとっても大事で、国際金融とは、為替の仕組みそのものを指すのです。もっと裏の仕組みを暴くと、外国為替公認銀行(江戸時代には両替商)という法律で強制される、厳しい許可制の銀行があって、この信用力が、国際金融を作っている。決して現金が移動するのではない。現金は、まったく移動しない、送ることなどしない。為替の仕組み、あるいは両替というのは、現金を別の通貨に窓口で換えてあげることを言うのではない。

 日本の為替や、両替は、まさしく、三井財閥が握ってきたのだ。たとえば江戸で、江戸の三井の商店の窓口で、「50両を、大阪に住む誰それに払ってくれ」と伝えたら手数料を5両とか取られて45両が大阪の三井の窓口で受取人が受取る仕組みとなっている。両替商は双方の間の信用を取り持った。実際に50両を飛脚が運んでだわけではないだ。これが為替の仕組みだ。

 だから、越後屋(今の三越デパート)=三井商店は、江戸時代を通じて、両替商、為替業で、日本最大の金融資本になったのである。そして早々と、幕末には、上海からやってきた、ロスチャイルド家と組んで、日本の金融を動かす財閥となっていた。テンプル騎士団の後の姿が、ロスチャイルド家の欧州全体に張り巡らした、金融と情報のネットワークである。日本では三井=ロスチャイルドの勢力となった。これが、政治家や官僚のトップを金の力で動かすことは目に見えるようだ。

 このようにまさしく戦前の三井や鴻池(こうのいけ)などは、田畑を担保にとって、借金を返せなくなった農民から田畑をとりあげて農業資本を築いた面もあるけれども、質屋業みたいな金貸し業、為替業のようなもので大きくなっていった。だからロスチャイルド家と全く同じように成立をしている。

 為替(かわせ)は、ゴールドスミスgold smith(金細工師)という職業の人達が始めたと経済学教科書には書いてある。金細工師達が金(きん)を預かっていて、やがて、金そのものの価値よりも、金細工師が発行する約束証書(金の預かり証書)が紙幣の代わりとなったと解説している。それが約束手形や、小切手という信用貨幣(クレジット・マネー)の原型です。

 このように、テンプル騎士団などの秘密結社(ロッジ)に密かに集った初期の商人たちが為替の仕事をしたのである。だからこれが、フリーメーソンの話がつながるのは、火を見るよりも明らかだ。ヨーロッパ中あちこち移動してまわる自由商人の間でその手続きや仕組みが非常に発達した。ここから当時の各国の王権をしのぐほどの莫大な利益がうまれた。

 このテンプル騎士団の為替の仕組みや情報ネットワークの作り方を真似したのが、のちのロスチャイルド家  the Rothschilds と言われている。だからロスチャイルド家は「テンプル騎士団の正統の嫡子」なのである。

 創業者のマイアー・アムシェル・ロスチャイルドMayer Amschel Rothschildは、丁度、西暦1800年に、ナポレオン(との)戦争のころ、その頃の反ナポレオン(反フランス)同盟の、プロイセンの王家の財務担当官の宮廷ユダヤ人となった。そして、反ナポレオン同盟の諸国に、情報と金融をつないだ。為替業務のネットワークを各都市に築いていた。国王や貴族への金貸し業の財政家にもなった。今で言えば、国債(国家の借金証書)である、王様への軍事資金の肩代わりをした。その際の担保(たんほ、プレッジ、コラテラル)として、その国の国民への課税の税目を取った。

 そしてこの税金の徴税も請け負うわけです。ユダヤ商人は、強欲に徹して、税金の徴収という残酷な業務までも自ら請け負うのである。戦争をしたがる王様たちの弱みにつけ込んで、資金を貸し出し、その担保として、国民への負担のしわ寄せである税金の徴収までもを職務とした。これが、宮廷ユダヤ人である。・・・人々に嫌われたはずである。

(中断) 副島隆彦拝
2006年06月01日(木) No. 1
 

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コメント
1. 2020年12月05日 12:04:28 : 4D3OjxhHhg : TEswdkdERG1YZ0E=[309] 報告
副島の欠落ポイントは支配層のペドフィリアだね。アブラハムの息子を人身御供に挙げよというのはこのことを言うのだよ。
ユダヤ人が12世紀英国を追放されたのは赤んぼを食ったからだよ。
イスパニアは1492年ユダヤ人を追放したね。
ユダヤ人を悪者と奴隷にして生き残ったハザールマフィアに焦点を合わさないと
米国不正選挙は読めないよ。
まだ死ぬのは早いから、とっちゃん小僧副島がんばれよ

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