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若い頃に知りたかった、「勉強できる人」と「勉強できない人」の決定的な違い/現代ビジネス
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投稿者 仁王像 日時 2025 年 7 月 25 日 05:11:48: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

若い頃に知りたかった、「勉強できる人」と「勉強できない人」の決定的な違い/現代ビジネス
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E8%8B%A5%E3%81%84%E9%A0%83%E3%81%AB%E7%9F%A5%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F-%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E4%BA%BA-%E3%81%A8-%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA-%E3%81%AE%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E7%9A%84%E3%81%AA%E9%81%95%E3%81%84/ar-AA1oShpl?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=1f308e90e38a4f7fbe24783f1bc2b14d&ei=63

わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。
勉強は経営でできている
図書館や喫茶店などにおいて一心不乱に教科書や参考書を蛍光ペンでカラフルに塗りたくっている人に出くわすことがある。

みるみるうちに三、四、五本と次々に新しい蛍光ペンが登場して彩りが足されていく。ときどき「ああっ、ピンクがもうないじゃん」などと愚痴をこぼしている。どうしようもなくなって、充血させた目をひん剥いて「だめだ、ピンクがなきゃ」と、インクが切れた蛍光ペンを買いにダッと駆け出すことも珍しくない。

こうしてようやく出来上がった充血と腱鞘炎の結晶の「作品」は確かに美しい。だが果たしてその人は本当に色彩豊かな現代アートを作りたかったのだろうか。それとも本当は「勉強」をしたかったのだろうか……。
きっとカラフルな教科書・参考書を作っている最中の脳波を測定してみれば、記憶をつかさどる海馬よりも視覚をつかさどる後頭葉が活性化しているだろう。

誰がために紙を貼る:注意喚起におけるグレシャムの法則
もちろん教科書等の重要箇所を蛍光ペンで強調すること自体は意味がある行為だろう。しかし「強調されていない箇所を見つけるのが難しいほどに」強調箇所が多くなればもはや何も強調していないのと同じである。

注意を向けるべき場所が多くなりすぎれば、注意の総量は変わらないのだからひとつひとつに対する注意の量は減り、かえって注意散漫になって暗記は難しくなる。
これを傍証する例として実在する温泉浴場の例がある。脱衣所から洗い場につづく戸には「すべります! 転倒注意」という古い張り紙がしてある。その温泉の泉質には特有のヌメリがあり過去に転んで大けがした人が何人もいるそうだ(何を隠そう私もその中の一人だ)。

いざ洗い場に入ってみると、ボイラー機器のところには「高温のためタオルを置かないでください!」。湯船のところには「段差があります!」。挙句の果てには「洗面器はゆずりあって使いましょう!」とか「サウナ内での大きな声での会話はお控えください!」といった、あまり重要性がないものまで同じ大きさの張り紙がしてあることに気が付く。

張り紙の古さから推測するに最初は本当に重要な転倒注意の張り紙だけだったのだろう。しかし、張り紙の効果によって転倒事故がなくなってくると、より軽微な問題が目につくようになる。そこで次にそうした軽微な問題に対処するための張り紙が増え、段々とほとんど意味のない張り紙であふれていく。

ただし、それぞれの張り紙に配分される注意の量は変わらない。そのため「どうでもいい問題への注意が重要な問題への注意を締め出す」という、注意における「グレシャムの法則(悪貨は良貨を駆逐する)」というべき状況が生まれる。こうして大事故は繰り返されるわけだ(何を隠そう私もそうして頭にたんこぶをもらった一人だ)。

このように本来の目的だった大けがの予防は「手段のひとつであるはずの張り紙の増加によって妨げられる」わけである。これは温泉客に入浴上の危険について勉強してもらうはずが本末転倒の結果に終わった事例とも解釈できるだろう。
これも経営失敗の喜劇だ。事故に遭った当人からすれば悲劇ですらある。

その温泉で頭を打った私は後日心配になって脳外科に駆け込んだ。その結果「私の妄想癖は温泉で頭を打ったせいではなく元々の性格だ」という、知らずにすんだはずの真実を知るという悲劇に見舞われた。
純粋勉強批判:理解一辺倒の罠、暗記一辺倒の罠
考えてみれば、我々は一生さまざまな場面で勉強を続ける。

学校での試験勉強、受験勉強、資格取得の勉強、昇進審査のための勉強、営業の勉強、話し方の勉強、マナーの勉強、料理の勉強、勉強法の勉強、間違った勉強法を見分ける勉強……などなど、勉強の対象は「勉強」という字がゲシュタルト崩壊するほど多岐にわたる。
先ほど例示した温泉でけがをしないための入浴法もまた勉強の対象である。
そもそも生物としては脆弱な人間がこれだけ栄えたのは、先人の知恵や知識を活用して自然に適応してきたからだ。人間にとって勉強は生き抜くための必須の活動だといえる。

しかし人間がこれだけ勉強漬けの生活を強いられているからこそ、勉強は嫌いだという人もまた多い。
だが、勉強嫌いの多くは、勉強が徒労に終わるから、勉強しても成果が出ないから勉強がつまらなくなったのではないだろうか。そして、勉強が苦痛になるのは勉強にまつわる「経営」に原因がある。

たとえば難しい英文を前にして、あるいは初めて出会う数式を前にして、いつまでもうんうんとうなっているような人がいる。そのうち知恵熱を出して寝込んでしまったりする。
もちろん基礎的な知識が身についた後ならば、問題を解くための実践の場として思考をめぐらす時間も必要である。

だが、英語や数学の基礎知識を蓄積する目的においてはこの悩みの時間は無駄だ。知らないものはいくら悩んでも分かるようになるはずがない。それならば知識をいったん暗記して後から理解に努める方が、無駄に苦しまずにすむかもしれない(といっても、すぐ次を読んでいただければ分かる通り私は暗記至上主義者ではない)。

ところが今度はすべてを暗記するという別の苦行を始めてしまう人もいる。たとえば、英語が読めるようにならないからと単語を丸暗記しようとする。大量の単語を暗記したのに読めない英文に出会う。ちくしょう、とばかりに、もっともっと多くの単語を暗記しようとする。そのうち辞書を丸暗記しようとする。だが「abandon」に到達したあたりで分厚い紙の迫力の前についに気合と根性も尽き果てる。

こうして「単語さえ覚えられれば……」と涙で辞書を濡らす。
よく考えてみれば、イギリス人やアメリカ人でさえ辞書に載っている単語の大部分を知らずに一生を終える。だから「単語を知らないから英語が読めない」わけではないはずだ。

歴史や法律などの一般に暗記科目と呼ばれるようなものでも、分厚い用語集をはじめから終わりまですべて暗記してしまおうとする人がいる。しかし用語集には無味乾燥な解説が並ぶ。こんなものを暗記できる人の方がどうかしている。根性で必死で食らいつく。本当に、文字通り、ヤギ顔負けに用語集を一ページずつ食べながら、メェメェ鳴きながら用語を覚えていく人もいる。

そうまでして暗記しても試験では点数が取れない。負けるか、とばかりにますます細かい用語を暗記するがいつまでたっても結果は出ない。こうして日本史・世界史用語集の前に「無条件降伏」する……。
哲学、社会学、経済学、経営学などの学問に興味を持った人も似たような状況におちいる。そうした人は、興味を持った学問の中で古典/定番とされている大著に最初から手を出す。SNS等で見かけた「○○学をやるなら、難しくとも最初から原著に当たれ」という専門家らしき人の至言に影響される(専門家も大抵は入門書しか読んでいないのは秘密だ)。

こうした人は、その大著を、真面目に、最初から最後まで一ページずつ理解しようとする。分からないところがあると立ち止まって何度でも読み返す。こうしていっこうにページをめくれない。そうこうしているうちにあまりに高尚すぎるとあきらめてしまう。
こうなってしまうと、どんな名著も「お洒落なカフェで読んで周囲に知性をアピールするアイテム」くらいにしか役立たなくなる(この場合「周囲からどう見えているのか」に神経が集中するあまり、ますます書籍の内容理解は進まないというおまけも付く)。

だが、大著が難解なのは著者自身も混乱しているからである。
なぜならば人間の思考は始まりも終わりもなく、行っては戻ってぐるぐる回っている「円環」だが、本は表紙と裏表紙が必ずある「直線」だからである。だから著書の最初に書いてあることが著書の終わりを知らないと一切理解できないことなどはざらにある。

そのため、何らかの学問を学びたいときも、入門書で全体観を把握してしまうか、難解な本は「とにかくページをめくってしまって全体を理解してから二回目に精読する」方が理解しやすい。

当世真面目気質:勉強における「つながり」と「ばらつき」の経営
勉強においてこうした徒労が起こる理由は、知識の「つながり」と「ばらつき」から説明できる。
前提として、英語にかぎらずすべての知識は全体を部分に分けることができる。英語力の場合には単語力と文法力と長文読解力と……という具合である。しかし、部分的な能力の総和がそのまま全体的な能力になるわけではない。複数の部分がつながったときにはじめて全体になるためだ。

しかも、部分的な知識の理解度には、ばらつきが生じる。
そのため、部分的な知識のうち理解度が最も低いところが、確率論的に必ず一ヵ所(ごくまれに二ヵ所)存在する。そして、部分は別の部分とのつながりを持つため、上記の「最も低い所」が制約(ボトルネック)となって全体の理解度を決定するのである。

たとえば、単語力がどんなに突出していても文法力が皆無ならば英語は読めるようにならない。あるいは、確率の概念を理解していないと統計学の結果を誤読してしまう。語彙力が乏しければ、鋭い感性があっても長文を書くことはできない。歴史の大きな流れが分かっていなければ史実の背景事情を説明できない。学問分野での議論の展開(学説史)が分かっていなければ理論の面白さは十分には理解できない。

このように、勉強においては「はじめに全体観を把握してから最も弱い部分を補強していく」必要がある。さらに、最も弱い部分を補強した後には別の部分が最も弱い部分となる。こうして次々に補強する部分を変化させることで全体の理解が進む。

勉強をめぐる経営の悲喜劇はこれだけにとどまらない。
たとえば簿記・会計を勉強している人で、ときどき会計基準制定の裏話まで体系立てて理解しているような人がいる。こうした人は、会計学の全体観を把握して部分的な知識をひとつひとつ埋めていって、体系的な知識を得ているのである。それにもかかわらず、こうした人が公認会計士試験、税理士試験、簿記一級に落ち続けて悩んでいることがある。

こうした悲劇は勉強の最終目的を設定し忘れていることから引き起こされる。
百メートル走で「よーい、どん」の合図と同時にゴールとは反対方向に猛烈に走り去っていく人を想像してみよう。足は誰よりも速い。いたって真面目に、誰よりも素早く、ゴールから遠ざかっていく。

こうした場面で笑いださない観客はいないだろう。
しかし勉強においてはこれと同じことを平然とやってしまう。最終目的=ゴールを設定していない、またはゴールの設定が間違っているために、全力でゴールから遠ざかるのである。

たとえば何らかの試験に合格したいのであれば「出題者の意図に沿う解答を時間内に書き上げる能力をつける」ことがゴールになるだろうし、○○学で論文を書きたいのであれば「○○学的想像力を身に着ける」あたりがゴールになるだろう。
ゴールを設定して全体観をもって勉強に取り組んでも、落とし穴はまだある。

大学受験の勉強のために毎日欠かさず机に向かっている真面目な人の姿を想像してみよう。その人は三十分ほど英語を勉強した後に数学の勉強に取り掛かるようだ。そのために英語の参考書と単語帳と辞書を片付けて、数学の参考書と問題集を探し出す。

そうして机をがちゃがちゃかき混ぜていると、思いがけず昔に紛失していたお気に入りのシャープペンが見つかる。「これ、探してたんだよ」とそのシャープペンで勉強を始める。しかしシャープペンの芯がなくなっているようだ。そこで次に芯を探し出す。

机の引き出しをひっくり返して芯を手にしたころには三十分がとうに過ぎている。さあ数学だ、と思ったとたん母親からの「ごはんよ」の声でまた中断である。こうして、「今日も勉強ばかりで疲れたな……」というわけだ。一歩引いてみている読者からすれば、この人物がこの日に何ひとつ勉強していないことは明白だろう。

勉強であれ、仕事であれ、何事にも「本当に取り組んでいる時間」と「取り組むための準備の時間」がある。

人間は本当の取り組みの準備のために時間を浪費することがあまりにも多い。たとえば、勉強の計画を一日中立てている人がいる。毎日のように、教師に、質問するでもなくひたすら勉強計画の相談にいく人がいる。具体例を挙げればきりがない。
そして「はあ、今日も勉強したなあ」「でも、成績が上がらないなあ」とため息をつくのである。
 

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コメント
1. 通りすがり[158] ksqC6IK3gqqC6A 2025年7月29日 22:44:22 : WAQeVKzBLU : YTFVLy9pNllLUTY=[204] 報告
これ書いた人、勉強できないんだろうなと思った。

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