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福島の避難者の一部は故郷に戻らないだろう(DW English)
http://www.asyura2.com/13/genpatu30/msg/775.html
投稿者 無段活用 日時 2013 年 3 月 19 日 17:57:09: 2iUYbJALJ4TtU
 

(Some Fukushima evacuees won't go home: DW English)
http://www.dw.de/some-fukushima-evacuees-wont-go-home/a-16664145


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原子力

福島の避難者の一部は故郷に戻らないだろう



福島の大原発事故から2年、費用のかかる除染の取り組みにも係わらず、被災地住民の多くは戻りたがらない。

小さな街・川内の小学校校庭にある電子表示板は、0.09マイクロシーベルト毎時を示している−それ以上は外遊びには危険すぎるとされる、1ミリシーベルト毎年をずっと下回る放射線レベルだ。

しかし、避難命令が解除されて以降、学校に戻った児童は114人中たった16人。13人の教師は皆戻っているのにだ。ただ、高島仁校長は、原発事故がまた発生することを心配している。「原子炉がどれだけ近いか、私は忘れることができない」と、同氏は語る。

「私は、放射線は心配じゃない」と、10歳のマリコが語る。

川内は谷合いに位置し、海のような水田の中にある。1年のこの時期、丘の頂上はまだ雪に覆われている。

2年前、地震と津波が引き金となり、20km離れた福島第1原発で放射能事故が発生した。いくつかの原子炉が爆発し、大量の放射線微粒子が、目に見えないマントを被せるように、この地域一面を覆った。

谷の住民たちは何世代もここで土地を耕してきたが、地域を離れることを強いられた。


実生活を取り戻す

今日、街はゆっくりと実生活を取り戻しつつある。車で20分の距離にある、5年間の帰還禁止を宣言した富岡などといった他の街ほど、放射能レベルは高くない。


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遠藤雄幸氏は、川内のためにすばらしいプランを持っている


遠藤雄幸村長は、人々が戻れるようできる限りのことをしている。「川内は私の遺伝子の中にある」と、彼は語る。「故郷は人生の物語と同じだ。」

ウクライナ・チェルノブイリ近郊に住む人々に対して行われたように、2年前に避難した160,000人の人々を再移住させることは、選択肢にないと彼は語る。「ここでの生活の中に誇りがあり、私たちがそれを失うことはあり得ない。」


費用のかかる除染の取り組み

しかし、川内の除染には既に8300万ユーロ相当の費用がかかっている。福島県全体を再び居住可能にするために、総額80億ユーロが投入された。誰もがそれを欲しているわけではない。戻るか否かを決心するのはその人次第だと、村長は語る。

今のところ、川内の住民2,800人のうち、4分の1が帰還を拒否している。500人ほどが戻っており、700人が毎日働きにここに来る。

「放射能の恐怖があり、壊れた原子炉はまだ制御不能だ。そして何よりも、川内には大都市の楽しさがない」と、遠藤氏は理由を挙げる。

帰還した人の大部分は、別の土地で改めてスタートするリスクを背負いたくない年金生活者だ。「ここで子どもたちの声をもう聞けないのはとても悲しい」と、シライ・ケイコ氏(64)は目に涙を浮かべて語る。それでも彼女は、娘と2人の孫に戻ってこいと言うつもりはない。「もし放射線のために孫が病気になったら、娘は私を責めるだろう。」


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災害が襲ってから、多くの住民が家に戻ることが全くできなくなった


それでも帰還を選択したという人全員には、放射線レベルを測定する線量計が与えられた。

しかし、4月1日以降は、村から離れて生活することがあまり容易でなくなるかも知れない。当局はその日から、特定区域の除染を済ませた土地から避難した人たちの家賃補助を、打ち切ることになっている。樹木や灌木が切り倒され、一部の区域で放射線レベルが3分の2減少したが、全域でそうなったわけではない。

「玄関や勝手口などの前でまだ1マイクロシーベルト毎時が計測される」と、除染作業を担当するイデ・ジュンイチ氏は語る。これは法定上限値の4倍で、そのために第2の除染運動を求める人たちもいる。


戻る理由

それでも、今年は再び田植えができると、農業委員会のワタナベ・カズオ会長は安堵する。「これでやっと、若い農家が戻る理由ができた」と、彼は語る。「政府が収穫物の全量買い上げに同意したので、この地域で穫れた米を誰も買わないだろうという恐怖が和らいだ。」


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汚染された土の一時保管場所はわずかしかない


それでもやはり、ワタナベ氏はまだ怒っている。「この災害の責任は、エネルギー企業の東電にある。」

それにもかかわらず、東電がなければ、ここの若い人たちは副業となる米を栽培するだけで、職を得ることができないだろうと、彼は認める。

農作業もせず、福島第1・第2原発の10基の原子炉で働くこともない人々は、学校・病院・老人ホーム、そして、現在立入禁止になっている海岸の火葬場で働いてきた。


原子力でなく太陽で

そのため、遠藤氏は他の避難者を川内に引き寄せるような、新たなインフラを創りたいと考えている。福島第1の原子炉から12km南にある第2原発の運転再開に向かうような安直な解決策を、彼は拒否している。「もし、私たちがここで原子力エネルギーの生産を再開すれば、私たちは世界の笑いものになるだろう」と、彼は語る。「私たちはこの災害から教訓を学ぶべきだ。そうでないと、災害が無意味になってしまう。」

9ヘクタールの敷地で4月に運転開始することになっている、4.5MWの太陽光発電プラントを、彼は支援してきた。食糧生産を優先させるために、耕作地での太陽光エネルギープラント建設は、日本の法律によって通常禁止されているにも係わらず、日本で日照時間が最長の地域の1つでの、この日独合同プロジェクトは例外的に認可された。

「この太陽光プラントは、耕作地の3%しか占めていないが、プラントはもっと増えるかも知れない」と、ハムに本拠を置く独エコセンター社のCEO、マンフレッド・ラウスヘン氏は語る。

2040年までに、福島県全体が「グリーンな」電気によって運営されるよう、遠藤氏は望んでいる。

それでも、原子炉から放出されたセシウムは依然として問題となっている。現在、汚染された土や枝を入れた巨大な青い袋は35,000袋あり、村境の人里離れた谷で緑色のシートの上に並べられて放置されている。

村長の話では、この廃棄物は3年以内に除去されることになっているが、一時保管場所がないことから、当局がこの約束を果たすことはなさそうだ。



発表 2012年3月11日
執筆 Martin Fritz, Tokyo / act
編集 Sarah Berning


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(投稿者より)

ドイチェ・ヴェレの英語サイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦ください。

3.11以降、他の方々と同様に、私も情報を出してきました。「逃げろ」とも言ってきました。「『食べて応援』など、とんでもない」とも言ってきました。そして、2年が経ちました。結局のところ、どこでどのように生きるか、決めるのはその方自身です。

住民の生命や健康にとって重要な事実を隠しながら、「戻れ」と捲し立てるような手合いは論外ですが、そこで生きるとお決めになった方々には、できる限り豊かな人生をそこで過ごせますよう、願うばかりです。それでも、放射能の脅威は厳として存在しますので、それぞれの方がそれぞれの生命と健康を守ることができますよう、賢くあっていただきたいと願っております。

ドイチェ・ヴェレのドイツ語サイトに、これと同じ話題の記事が掲載されています。切り口は変えてあるかも知れません。私には読めないのですが、ドイツがおできになる方は、お読みになってもいいかも知れません。  

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コメント
 
01. 2013年3月19日 23:31:42 : xEBOc6ttRg

私の知り合いの多くも福島から出てきて二度と戻っていない

ただし、出て行ったのは経済成長期の話

老後は福島の沿岸に住む予定だから、原発の周囲の地価がもっと安くなることを期待しているが

どうなることか


02. 2013年3月20日 00:39:49 : Y3nPO9hCj2
炉から12km南にあるフクシマ第2原発の運転再開に向かうような安直な解決策を、彼は拒否している。「もし、私たちがここで原子力エネルギーの生産を再開すれば、私たちは世界の笑いものになるだろう」と、==================だからといって終息もされていない事故原発のそばで、1日2億4千万ベクレルの放射能を浴びながら、太陽光発電を繰り返しても意味があるとは思えないけれども。一種エートスは洗脳カルトだろ。


03. 無段活用 2013年3月20日 08:29:41 : 2iUYbJALJ4TtU : 6MIcfD8YQs
発表日ですが、「2013年3月11日」が正しい日付です。申し訳ありません。

04. 2013年3月20日 19:33:53 : 4LdzCx7nxw
年金生活ならどこにいても同じ収入のはず。移転の補償をもらって外の土地で生活すればいい。

人間、自分で考える能力と適応能力が必要だ。


05. 2013年3月20日 20:11:41 : GVYsLuFuCE
脱原発を国策としているドイツならではの報道姿勢だ。このドイチェ・ヴェレだが、かつて日本向け日本語放送を短波で行なっていた。財政難のため同局は国際放送を縮小しているが、日本語放送は1999年の大晦日で廃止された。仮に現在も行っていれば、報道姿勢を評価されていたに違いない。同局の解説をリンクする。

ドイチェ・ヴェレ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AC

同局の日本語放送は1969年に開始されたが、当時のポータブル短波ラジオは12MHz(12メガヘルツ)が上限で、15MHz帯(19メーターバンド)を使用していたドイチェ・ヴェレは、「幻の放送局」と仲間内で呼ばれていた。当時、1万円台で購入できるラジオとして、ソニーのイレブンシリーズと松下電器のワールドボーイシリーズなどあったが、これらは12MHzどまりで聴けなかった。これ以上の周波数はソニーならTR-2000か、松下電器ならRF-3000クラスを購入する必要があった。

1973年に発売されたソニーのスカイセンサー5800(ICF-5800)が、受信上限を28MHzまで広く取っていたため、これを購入してはじめてドイチェ・ヴェレを聴いた人が多かったと思う。そのあと、マルタ島中継が開始され受信状態は改善された。現在、1万円以下で中国大陸製の高性能短波ラジオが購入できることを考えると、隔世の感がある。

ラジオは格段に良くなったが、ドイチェ・ヴェレのような放送局が撤退したのが痛い。同局は東西にドイツが分裂していた1970年代でも、公正な報道で知られていた。


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