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若者たちがデートで訪れる国立チェルノブイリ博物館 (日経ビジネス)
http://www.asyura2.com/13/genpatu31/msg/254.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2013 年 4 月 12 日 08:38:32: tZW9Ar4r/Y2EU
 

若者たちがデートで訪れる国立チェルノブイリ博物館
「ここで福島展をやりたかったの!」

宮腰 由希子

2013年4月12日(金)

 「みなさん、聴いてください。私はチェルノブイリ原発から40キロのところで暮らしていました。だから、今日はみなさんにしっかりと博物館の人の説明を聞いてチェルノブイリのことを考えてほしいのです。いいですか?」

国立チェルノブイリ博物館にやってきた小学生たち
 私がチェルノブイリ博物館を訪問した時、ちょうど小学生たちのグループが到着した。
 国立チェルノブイリ博物館はウクライナの首都キエフにある。ここにはチェルノブイリ原発の立ち入り禁止区域である30キロ圏内には入ることのできない18歳未満の子どもたちが毎日のように何グループも訪問している。駅前でチェルノブイリ博物館はどこかと何人かの年配の方に聞いてもわからなかったが、チェルノブイリ原発事故当時は生まれていなかったような若者たちの間ではよく知られている博物館らしい。
 博物館に入ると左手に、チェルノブイリ被災者による福島原発事故被災者へ向けられた詩と日本の新聞社から譲ってもらったという事故当時の写真のスライドショーが展示されていた。

博物館のエントランスに飾られているチェルノブイリの被災者による福島の人々への想いを込めた詩


事故を知らない小中学生が次々と訪れる

 「日本から来ました」
 と、私が言うと、
 「オーディオガイドは日本語のものもあるんですよ」
 と、チケット売り場の係の人に案内された。福島原発事故後、日本人が多く訪れるようになったため、日本語のオーディオガイドも用意したのだそうだ。
 1992年4月26日、チェルノブイリ原発事故からちょうど6年がたった日に、チェルノブイリ博物館はオープンした。事故後、巨大な共産主義国だったソ連が崩壊し、ウクライナはチェルノブイリ原発という負の遺産を抱えての独立となった。そのウクライナの首都であるキエフに博物館がオープンしたばかりの頃は展示物も200点ほどしかなかったが、被災者やリクビダートル(事故収束作業員)らの協力を得て、今では7000点以上の展示物を見ることができる。

作業員による事故収束活動の記録

作業員らの写真。放射能のマークがついた人は亡くなったことを表している
 博物館の価値が認められ、1996年には国立博物館として登録された。博物館には延べ90カ国以上、年間7万人以上の来館者がある。博物館はチェルノブイリ原発事故の経緯や避難の過程、事故収束活動や除染活動、極秘資料、被災者の悲劇の数々を紹介するだけではなく、支援を通して築かれた外国人との友情や、結婚や出産といった被災者たちのその後の幸せの1ページも紹介している。その中にはもちろん、広島の原爆のすさまじさや、日本人による医療支援を伝えるコーナーもあった。
 私が見学している間にも、小学生や中高生のグループが何度かやってきて、博物館の10代と思われるガイドが丁寧に説明している様子に感心した。事故を知らない世代なのに、とても詳細に説明できるのだ。また、美術館でよく見るような腕を組んだり手を繋いだりしながら見学している恋人たちも多く訪問していた。ウクライナ人に関しては、年配の人よりも若い人が多く来ているようだった。そして、もちろんヨーロッパ人や、日本人観光客の姿も見かけた。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130410/246428/?mlp

 「どうでしたか? 満足でしたか?」
 数時間たってようやく2階の展示室から降りてきたので、チケット売り場の女性は少々驚いていたようだった。

2階の常設展示ルームへ続く階段にはウクライナで立ち入り禁止となった76の市や村のプレートが掲げられている。電光掲示板の向かって左側の数値は空間放射線量。毎時0.11マイクロシーベルト。
 「ええ、もちろんです。10年前に来た時はロシア語もそんなにわからなかったのですが、今回はいろいろ展示してある資料が理解できて、とても見応えがありました」
 私はそう言うと、バッグから南相馬の貝雛を取り出した。
 「これを博物館にプレゼントしたいんです。福島原発に近く、今も避難生活を強いられている住民が多くいる南相馬という町で作ったものです。海が汚染されていて貝は採れないので、今は作られていません。これは震災前の貴重なものなので、ぜひ博物館に置いてほしいのです」
 チケット売り場の女性は大喜びで、すぐに副館長に内線で伝えた。副館長のアンナ・コロレフスカさんの連絡先は主人から事前にもらっていた。事前に連絡してから訪問しようと思ったのだが、アンナさんが日本へ渡航する直前だったと聞いていたので、この日は博物館の見学だけして帰ろうと思っていたのだが、会えることになったのだ。


彼女はどんな風にチェルノブイリを克服したのだろう

 私はアンナさんのところへと案内された。貝雛を差し出すと、アンナさんは目を輝かせながら手に取った。「私は今週末、日本へ行くことになってるの。南相馬も訪問するらしいわ。南相馬から、こんなにすてきなお土産を持ってきてもらえるなんて、まるで夢みたい」
 私は、昨年南相馬で暮らしていたことや、チェルノブイリがきっかけでロシア語を習得し、モスクワで大学を卒業したこと、アンナさんとも知り合いであるチェルノブイリに関わっていた主人と出会い、最近結婚したことなどを話した。
 「チェルノブイリは確かに多くの人にとって悲劇ですが、私の人生にとっては実に多くのチャンスをくれたものです。チェルノブイリに来て、この国や旧ソ連の自然、人々がすごく好きになりました。明るく力強く生きる人々から、幸せとは何なのかを教わったような気がしました。今、私がロシア語を話せるのもチェルノブイリのおかげですし、チェルノブイリへの共通の想いが私と主人を結び付けました。確かにチェルノブイリは負の遺産ではあるけれど、それでもいろんな形で多くの人の幸せや未来を作っていると思います」
 こう話す私に、アンナさんはとてもうれしそうな表情を浮かべた。アンナさんがチェルノブイリ原発事故当時、妊娠していた子どもを中絶しなければならなかったという話は小耳に挟んではいたが、私はそのことを彼女に確認したいとは思わなかった。それよりも、そういった過去のつらい経験がありながらも、どんな風に彼女がチェルノブイリを克服し、他の被災者たちの支えになってきたのか、また、彼女がどういう形で福島の人々の力になれるのか、ということのほうにむしろ興味があった。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130410/246428/?P=2

 私は福島の地図を見せながら、市町村とおおまかな放射線量や避難状況をアンナさんに説明した。
 「グーグルマップで調べても地名が日本語なので、自分が訪問する予定の町がどこにあるのかもわからなかったの。今日、あなたが来てくれて良かった。これで私はどんなところに行くのかわかったから」
 事故から2年たつが、福島のことは、それほどチェルノブイリの人々に伝わっているわけではない。日本から相当数の訪問団が来ているが、たいていはチェルノブイリについて聞くことに熱心で、福島の状況説明はあまりしていないようである。ウクライナの人々にとっては、たまに流れる福島のニュースだけが情報源だといっても過言ではない。言葉の壁は相当高い。
 私はアンナさんに提案した。
 「実は何人かの日本人と相談していたのですが、ウクライナで福島の特別展をしたいのです…」
 すると、
 「大賛成! 私も福島の展示をずっとやりたかったの!」
 と、アンナさんは目を輝かせてとまどうことなく同意した。こんな風にして、国立チェルノブイリ博物館で福島展を開催することが決まったのだった。
 「運命に偶然はない。あなたが今日私の前に現れたのも、きっと神様が決めたことよ」
 アンナさんはそう言って、その日、私を見送った。

チェルノブイリ博物館の一階部分。福島展はここで行われる予定

広島の原爆を伝えるコーナー


仮設住宅での“その日暮らし”にとても驚いた

 私たちの最初の出会いから数日後、アンナさんは2月末から3月上旬にかけて初めて日本を訪問した。日本の国会議員らによる招待だったため、被災者との非公式の交流や旧警戒区域の見学などはかなわなかったものの、実際に福島県で被災者の置かれている状況を見聞きしたことにより、福島展開催への思いは一層強くなった。
 「実際に日本に行って、福島についての考えは変わりましたか?」
 アンナさんの帰国後、彼女のもとを訪れた私は尋ねた。
 「チェルノブイリでは起こらなかったような問題が福島では起きているのだとわかったわ。被災者が仮設住宅で2年もの間、その日暮らしをさせられていることにはとても驚いた。チェルノブイリでは2カ月後には30キロ圏への帰還は困難という決定がされて、その地域から避難していた人たちには仮の住まいではなく、きちんと新しい住居を与えたから、彼らは新しい生活を再スタートさせることができた」


http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130410/246428/?P=3

「それに、政府はお年寄りが強制移住地区の住み慣れた自宅へ帰還することも黙認した。強制移住地域の村へ帰還した人のほうが移住した人よりも長生きしたという報告もあるし、福島のお年寄りには仮設住宅で先の見えない暮らしをさせないで、何をしたらいけないか、どんなことに気をつけなければいけないかをきちんと説明して、帰還したい人には帰還を認めるべきだと思う。
 若い人には新しい住まいを与えて新しい生活を始めさせればいい。土地が私有地だから、チェルノブイリよりも解決が複雑なのだろうけど、あれでは避難者が精神的に参ってしまう。高線量の地域には住めないとしても、低線量の汚染地域については、そこでの暮らし方を覚えていけばいい。

チェルノブイリ原発の第一報を伝えるソ連の新聞。赤く塗られている部分が記事。事故があったことはとても小さく報じられた
 チェルノブイリの放射能汚染地域での生き方を学んできた経験がウクライナにはある。私たちだって、みんな結婚して、子どもを産んで、内部被曝に気をつけながら、工夫して生活することを身につけてきた。それを私たちからぜひ日本人にも学び取ってほしい」
 アンナさんは熱っぽく語った。
 「私はリアリストです。確かに放射能汚染地からより遠くに避難することは大事で、理想主義は崇高なのだけれども、いろいろな理由で福島を離れられない人がいる。仕事の問題や家族の問題、それぞれの家庭でいろんな問題がある。だから、何が現実的にできるのかを考えたほうがいい」

「福島の伝統や文化も伝えなきゃいけない」

 「福島で屋内に設けられた子どもたちの遊び場を見たけれど、2年間の間に、福島の人たちも自分たちでどうやって被曝を避けながら暮らしていけば良いか、政府に教えられなくても自分たちで見つけだしていっている。彼らだって、私たちと同じように、こんな事故が起こるなんて思っていなかっただろうし、その備えはできていなかったはず。でももう、だんだん経験から多くのことを学んでいっている」
 アンナさんは福島の人々の生きざまを見て、心を打たれた。それは、初めてチェルノブイリを訪問したことをきっかけに、ウクライナや旧ソ連のとりこになってしまい現在に至っている私の経験と重なった。
 そして、すっかり日本文化、特に福島が大好きになったアンナさんは、
 「あなたが貝雛をくれた時に、被害の状況を伝えるだけじゃなくて、福島の伝統や文化も伝えなきゃいけないって思ったの」と言い、文化紹介のコーナーも設けたいと申し出た。日本にいる間に、アンナさんは相馬の武者たちによる野馬追の紹介を見る機会があった。野馬追が震災によって縮小され、昨年には見事に震災前に近い形で開催されたことを知り、感動した。
 できるだけ多くの人に福島展を訪れてもらうために、6月1日の「世界子どもの日」に合わせて開催し、12月末まで展示を続ける予定である。毎年6月から8月にかけて、キエフに住む人たちは自家菜園のある郊外の別荘へ行ってしまう。逆に観光客は夏になると世界中からやってくる。だから、夏も秋も展示が続くことにはとても意義がある。
 チェルノブイリの人々は東日本大震災と福島原発事故をニュースで見て、日本人のことを心から心配し、無事を祈った。そして同時に、チェルノブイリの悲劇から日本には何も学び取ってもらえなかったのだと痛感した。チェルノブイリ博物館は今度こそ世界に向けて、二度とチェルノブイリや福島の悲劇を繰り返さないためのアピールをしていく準備があるのだ。
******
 チェルノブイリ博物館福島展の展示品は4月15日まで公募しています。詳細は公式ブログでご確認ください。fukushimaten.livejournal.com/523.html


http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130410/246428/?P=4

 

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