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「パナソニックは君らを捨てた」 ハイアール副社長
http://www.asyura2.com/13/hasan80/msg/605.html
投稿者 金剛夜叉 日時 2013 年 6 月 25 日 23:18:33: 6p4GTwa7i4pjA
 

http://www.nikkei.com/article/DGXNASHD1901M_Z10C13A6962M00/

リストラの末、多くの社員が関西の大手電機メーカーを去った。彼らが新たに直面した現実も、生易しくはなかった。日本メーカーから中国メーカーへ移った男たちの行き着く先は――。

 「君らはパナソニックに捨てられたんやぞ。それが分かってへんのか」

 

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コメント
 
01. 2013年6月29日 23:53:09 : JjNtNbJEr2
パナソニックが捨てたのは社員だけではなかった。家電業界随一と呼ばれた強力な国内販売網「ナショナル店会」も含まれる。

こちらの記事は、まだ調子の良かった時期の話なので、割り引いて読んで欲しい。

中村改革の通信簿〜松下電器の研究
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/panasonic/060407_2nd/index.html
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/panasonic/060407_2nd/index1.html
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/panasonic/060407_2nd/index2.html

●かつてナショナル店会の電器店に行けば、広範囲にわたっていた松下電器の製品を購入できた。他社に比べると高いが、ナショナルの製品は品質が良いと誰もが思っていた。ところが、それに変化が出始めたのが1980年代。アマチュア無線機で八重洲無線やケンウッドに敗退し、音響機器でソニーに敗れつつあった。このため松下電器は事業部の廃止、統合を開始する。この頃は広範囲にわたった事業分野の中でも付帯部分からの撤退であったので、それほど問題にはならなかった。その後、デジタルカメラやノート型パソコンなどに進出している。

問題は2000年代に入ってからだ。2001年に初の営業赤字を出している。これに危機感を強めた経営陣は、2002年〜2003年に社内分社化を行ない、事業ドメイン別に完結した経営を行なうこととした。その後、事業分野の絞込みが行なわれた。石油暖房機、ガス調理器、テクニクスの音響機器などから撤退した。

これが家電業界随一と呼ばれた販売網に打撃を与えた。上のリンクを見れば、中村新体制でうまくいったように書かれているが、日経だって松下電器の悪口を書いて広告を止められてしまったら困るから、あたかも成功したかのように粉飾して書いているだけである。今日の危機は、既にあの当時に火を吹いていたのである。

DVDレコーダーやノート型パソコンのように家電製品のデジタル化が進み、パパママショップを切り盛りする販売店主が困り果てるようになった。「量販店と違って、うちは最後まで面倒を見ます。」でやってきたナショナル店会。顧客は近所の高齢者だ。電話がかかったら、ちゃんと駆けつけてくれる。ところがデジタル機器は、販売店主の手に負えないものになっていたのだ。

「VHSビデオだったら録画も簡単だったのに、DVDはさっぱり分からん。」
「インターネットするのにパソコン買ったのに、変な画面になって動かない。どうしたらいいのか。」
これはウイルスにやられたのだが、それの対策ソフトが必要なことも知らなかった。修理出したら5万〜7万もぼったくり。これで顧客は激怒した。
「お前ら、売っているのに何も分からないのか。今までナショナル、ナショナルって買っていたのに、何だ、このザマは ! 」

「かあちゃん、父親の代から買ってくれていた○○さんが、怒っちゃったよ。もうお前のところからは買わないって。どうしたらいいんだ。」
販売店主は途方にくれたのである。

販売店主は、メーカーに問い合わせた。しかし同様の問い合わせは全国から殺到していた。メーカーはそれの対処に追われ、対応が後手後手に回った。販売店主は、売った後のトラブルを何より恐れるのだ。怒らせてしまったら、もう買ってくれなくなるからだ。

インターネットのためのノート型パソコンは利益も出るが、後のトラブルを恐れて商売に消極的になっていった。しかしこの頃、松下電器本社はナショナル店会を選別しようとしていた。やる気のある店だけを残し、消極的な店を切り捨てる対応を取った。業界でも販売店に対する手厚い処遇で知られた松下電器の方針転換は、販売店を混乱させた。

松下電器の販売網から脱落する店が続出した。子供が後を継いでくれないとか、電気工事専業に切り替えるとか、いろんなことが起こった。以前なら松下電器の販売会社から社員の支援が受けられた。しかし彼らも人を減らされており、販売店主が「自己責任」で顧客対応に当たらなければならなかったのである。疲弊した店から次々と閉めて行った。

その後、松下電器はパナソニックと社名を変更した。販売面も量販店ルートが格段に増えた。しかし彼らは複数メーカーを同時に扱うから、リベートの多いメーカーを中心に売り込む。数を扱う彼ら量販店は、ナショナル店会と違ってメーカーにも意見をズバズバ言う。これはパナソニックにおいても計算外であった。ナショナル店会なら、メーカーの押し付けが100%通用した。主従関係だったからだ。しかし量販店とは違う。相手は一部上場企業。販売のプロとして、強い発言力を持っている。メーカーが握っていた価格決定権を量販店に奪われることとなった。

かつて中内社長が勝手に安売りしたことを理由に、ダイエーに出荷を取りやめた松下電器。「メーカー希望小売価格」等と言うものが堂々と罷り通っていた高度成長時代。いい想いをした時代の感覚が、どこかで抜けなかったのだろうな。自分は偉い。そう思った松下電器の傲慢さが、一方的な販売店切捨てと言う愚行に走らせたのであろう。その結果が今日の赤字体質である。それは改善されることはない。雪達磨式に増え続け、債務超過の日も近い。

松下電器・パナソニックは社員を捨て、販売店を捨て、自らも社会から捨てられるのである。


02. 2013年6月30日 10:48:55 : JjNtNbJEr2
01ですが、戦後松下電器でテレビジョン開発に尽力された久野 古夫先生(くの ひさお、1915年 - 2009年6月22日)の伝記をリンクします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%87%8E%E5%8F%A4%E5%A4%AB

氏は日本ビクター顧問だった高柳健次郎先生(日本のテレビの父)と並ぶ、この業界の偉大なお方でした。どうぞお読みください。


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