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Re: 金融危機最強の貯蓄法
http://www.asyura2.com/13/hasan80/msg/808.html
投稿者 金剛夜叉 日時 2013 年 7 月 07 日 22:06:52: 6p4GTwa7i4pjA
 

(回答先: 金融危機最強の貯蓄法 投稿者 金剛夜叉 日時 2013 年 7 月 07 日 22:04:48)

http://ameblo.jp/kokkahasan/entry-10983502422.html

URLをつけ忘れたので上記に追加いたします。  

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01. 2013年7月09日 15:49:11 : niiL5nr8dQ
http://president.jp/subcategory/%E3%80%8C%E6%82%A9%E3%81%BF%E3%80%81%E5%BE%8C%E6%82%94%E3%80%81%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A7%A3%E6%94%BE%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%80%9D%E8%80%83%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF

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そもそも幸福とは何なのか? −頭の中にひそむ「幸せ泥棒」撃退法【1】

2013年07月08日(Mon) 奈良 雅弘

同じくらいの豊かさやステータスでも、幸せの感じ方は人によって大きく違う。幸福を感じやすい人とそうでない人の違いとは何だろう。心理学的に分析しつつ、少しでもそこに近づく道を探ってみた。
ブータンにあって日本にない「方程式」
最近、幸福論といえばブータンということになっている。イケメンのワンチュク国王夫妻の来日もあって、世界でいちばん幸福な国である(らしい)ブータンに学び、その国が採用しているGNH(国民総幸福量)なる考え方を、ぜひわが国でも導入しましょう、といった話で盛り上がっているようだ。

こうした話自体は、べつに悪いことではない。巨大震災の深刻な後遺症の中で、行くべき道を見失ったこの国には、確かに何か新しい指針が必要だからである。ただ、よくわからないのは、こうした議論のほとんどは「政策論」になっていて、本来的なテーマであるはずの「個人の心の問題としての幸福」にほとんど関心が示されていないことである。

もともとGNHは政策形成の手段なので、最終的に政策に議論がいくのは当然である。しかし、政策によって物理的に何かを変えれば人々は幸福になるだろうという考え方は、本質的には、これまでの政治家や官僚たちの発想と何ら変わるところはない。結局、この手の人たちの体のいい道具になって、利権づくりに利用されるのではないか。正直、そんな懸念を抱かざるをえないのである。

ブータンという国に何か範を求めようとするなら、それはどう考えても「個人の心の問題」のほうではないだろうか。

人が幸福であるためには、一定の収入とか、一定の衛生・医療環境とか、一定の教育とか、そういうものがあったほうがいいことぐらい、誰だって知っている。客観的な尺度だけでいえば、どう考えても、日本のほうが「幸福」なはずなのだ。

にもかかわらず、私たちは十分な幸福を感じることができず、ブータンの人たちは、より多くの幸福を感じているという。私たちが見つめるべきは、まさにこのパラドクスであり、そのカギを握っているはずの「心の問題」というテーマに挑まなくて、いったい何の意味があるというのだろうか。

ブータンの人にあって私たちにない心のメカニズム。昔あったかもしれないが、現在に至る道筋のどこかで忘れてしまったかもしれないメカニズム。最終的に何をどう変えていけばいいかも含めて、短い文章であるが、ここで考えてみようと思う。

そもそも幸福とは何なのか?
幸福を論じるにあたって、最初に必要な作業は、そもそも幸福とは何なのか、その定義を明らかにすることである。辞書を見れば、こんなことが書いてある。

「満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま(大辞泉)」

また類語辞典などでは、「福」「幸せ」「幸い」などとの違いを明確にするため、以下のような定義をしている。

「精神的または物質的に心の満たされる境遇にあることで、やや長期的な状態をいう(類語例解辞典)」

わかりにくいが、それが「満ち足りた心の状態」を示す言葉だということは、何となくわかる。具体的な形をした「幸福」というものが存在しているわけではない。何らかの出来事(刺激)の結果として、ある人物の中に「満ちたりた心理状態(反応)」が生まれること。それが幸福なのである。

これは一般に「感情」と呼ばれるものの生起の仕方と同じであり、その意味では、幸福は「感情」の一種といえるだろう(感情であることを強調すれば「幸福感」であろうが、本稿では「幸福」で統一する)。

しかし、ただそれだけの定義でいいかと言われると、ちょっと違う気がする。幸福は、怒りや喜びなどの一般的な感情とは、異質な側面を持っているからだ。

異質性の1つは、持続時間である。類語辞典では「長期的な状態」と呼んでいるが、通常の感情とは異なり、明らかにその持続時間は長いという特徴がある。

2つ目の異質性は、その「総和性」ともいうべき側面である。一般的な感情が、個々の出来事への単発的な反応であるのに対し、幸福は、さまざまな出来事が寄せ集まり、その結果として生じるという点で性格が異なっている(たとえば家族旅行に行くことは「楽しい」のだが、それだけで「幸福」が生じるかといえば、そんな簡単なものではない。それをも含めた、さまざまな「充足を生む出来事」が寄せ集まり、その総和として「幸福」という感情が生まれているのである)。

こうした「さまざまな出来事の寄せ集まり」によって生じる感情は、もはや個々の出来事に対する感情ではなく、「生」、つまり生きることそれ自体への感情となる。そして、その「総和としての感情」がおしなべて肯定的である場合に、私たちはそれを「幸福」と呼ぶのではないだろうか。


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図1 幸福とは何か?
こうした認識を踏まえ、幸福に関する私なりの定義を示すと、こんな感じになる。

「幸福とは、さまざまな欲求が満たされた結果として、生への肯定感が持続している状態である」(図1参照)

わかりやすくいえば。さまざまな欲求が満たされ、「生きていてよかった」「生きているって素晴らしい」と思えている状態。それが幸福なのである。

「幸福の感じやすさ」を知る診断 −頭の中にひそむ「幸せ泥棒」撃退法【2】

2013年07月08日(Mon) 奈良 雅弘

同じくらいの豊かさやステータスでも、幸せの感じ方は人によって大きく違う。幸福を感じやすい人とそうでない人の違いとは何だろう。心理学的に分析しつつ、少しでもそこに近づく道を探ってみた。
個人の感じ方に大きな差がある理由
幸福とは心の状態であり、きわめて主観的なものである。したがって、その感じ方には大きな個人差がある。

個人差が生じるのは、主に2つの原因による。1つは欲求パターンの違い。もう1つは思考(認知)のあり方の違いである。

第1の原因である「欲求パターンの違い」とは、人によって欲求ごとの強弱が異なり、それによって幸福の感じ方の差が生じる、ということである。

たとえば、誰にでも「人から認められたい」という欲求はあるだろうが、誰よりも高く評価され、組織のトップまで上り詰めたいという強い欲求を持つ人と、周囲の人にちょっと褒めてもらえればいいという、ささやかな欲求の人とでは、同じ地位を与えられても、幸福の感じ方はまったく異なるはずである。欲求(の強弱)パターンによって、生じる感情、つまりは幸福を感じるか否かは、まったく変わってくるのである。


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図2 人間の欲求は変化していく
こうした「欲求パターンの差異」を生むのは、1つは生来的な資質である。近年の研究で、脳の構造は男女で予想以上に大きな違いがあることが判明してきているが、男女間だけでなく、個人間にも多様な資質の差異があり、それが欲求パターンの差異を、さらには幸福の感じ方の差を生む一因になっていると考えることができる。

一方、その人の「境遇」もまた、幸福の感じ方の個人差を生む一因であると考えることができる。マズローの「欲求段階説(図2参照)」が示すように、豊かでないときには、食べ物を手に入れることなどが中心的欲求となるが、それなりに豊かになれば、社会的に承認されるとか、自己実現をするとか、そういう欲求のほうに重点は移ってくる。つまり、人の欲求パターンは境遇によって変化するものであり、多様な境遇の人が世の中にいる以上、幸福の感じ方が多様なのも、当然のことである。

個人差が生まれる第2の原因は、「思考(認知)のあり方の差異」である。

人間の感情は思考の産物であり、同じ出来事であっても、その人がどのようにそれをとらえるかによって、生じる感情は大きく変わってくる。つまり、「思考のあり方」の如何で、幸福の感じ方もまったく変わってくるということである。

では、どのような「思考のあり方」をしていると、より幸福を感じやすくなるのだろうか。言い換えれば「幸福を感じやすい人の条件」とは何なのか、ということだ。

その条件は、前述の定義に立ち返れば、意外とあっさりと判明する。それは、以下の2つに集約することができる。

第1の条件は、当然のことだが「欲求を満たしやすい思考特性」を持っていることである。何でも「人より多くないと嫌だ」と考える人は、「そんなに多くはいらない」と考える人と比較して、どう考えても充足感を感じにくく、幸福は感じにくい。できるだけ後者のような思考特性を持っていることが、幸福を感じるには必要である。

第2の条件としては、生への肯定感の持続を可能にするものとして「負の感情に陥りにくい思考特性」を挙げることができる。


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図3 幸福の感じ方の個人差を生む要因
どんなに欲求を満たす出来事があり、瞬間的な喜びがあったとしても、負の感情が日常を支配しているような状況では、いくらそうした瞬間を総和しても、「生きているって素晴らしい」ということにはなりえない。その人物に「負の感情に陥りにくい」という思考のベースがあって、はじめて幸福への道は切り拓かれるのである。

基本的には以上の2つが「幸福を感じやすい人」の条件となるわけであるが、まだ少し抽象度が高いかもしれない。次の段で、より具体的に考えてみることにしよう。

なお個人差を生む要因を図3にまとめたので参照されたい。

●欲がないこと(幸福の条件1)
最初に、第1の条件である「欲求を満たしやすい思考特性」に注目して、人物の具体像を考えてみよう。

こうした思考特性を持つ人とは、簡単にいえば、あまり欲のない人である。「毎日ご飯を食べられれば、それで満足」という人ならば、今の日本では、おそらく幸福を感じることもたやすいはずである。

ところで、ひと口に「欲がない」と言ったが、そのかたちは1つではなく、以下のようなバリエーションを想定することができる。(1)欲求の水準が低い(2)欲求の数が少ない(3)欲求の柔軟性が高い

(1)の「水準が低い」とは要するに高望みをしないということである。高い給料もいらないし、高級マンションに住めなくてもいい。身の丈にあった暮らしができれば十分に満足。そういう種類の「欲のなさ」である。

(2)の「数が少ない」とは、「あれもこれも」と欲しがるのではなく、「ただこれだけあればいい」と考えることをいう。学者さんなどがよく「生涯この研究ができれば、ほかには何もいらない」などと言うが、1つのものに心があり、結果としてほかのものに目がいかなくなるタイプの「欲のなさ」といえよう。

(3)の「柔軟性が高い」とは、こだわりがないということである。「これ以外はダメだ」と思っているより「だいたいこんな感じであればいい」と思っているほうが、満たされる可能性は格段に高くなる。物事を柔軟に考えることもまた「欲のなさ」であり、幸福を感じやすくさせるのである。

以上の3つが「欲のなさ」のバリエーションであるが、逆にいえば、こうした特性にあてはまらない人、つまり高望みをする人・あれもこれもと欲しがる人・こだわりの強い人などは、なかなか欲求が満たされにくく、幸福を感じにくい人ということになる。

●負の感情に陥らない(幸福の条件2)
次に第2の条件である「負の感情に陥りにくい思考特性」について考えてみよう。

最初に確認しておかねばならないのは、負の感情といってもいろいろあり、「陥りやすい思考特性」にもいろいろあるということだ。怒り・嫉妬・悲観・後悔・不安などが代表的な負の感情というべきものであるが、その生じるかたちは一様ではない。以下、それぞれの感情ごとに、発生させる「思考のかたち」を見てみることにしよう。

まずは「怒り」。この負の感情は、その人があらかじめ「当然だ」と考えていたことが否定されたときに生じる。

「知人に挨拶をしたのに無視をされた」のように、本人が「かくあるべし」と思っていたことが裏切られたときに生じる感情であり、その特性からして、「物事はこうあるべきだ」と決めつける傾向の強い人ほど、強く感じることが必然となる。

「嫉妬」は、他人と自分とを比較し、相手のほうが優位(自分が劣位)にあると感じたときに生じる、相手への敵意を含んだ悪感情である(相手によって自分は危害を加えられているという感覚が根底にはある)。

嫉妬を生むのは、他人と自分を比較し、優劣を明確にしないと気が済まないという、凝り固まった思考様式である。それに物事がうまくいかない理由を他人のせいにしようとする無意識が加わったとき、増幅されると考えられる。

次に「悲観」。悲観とは、明確な根拠がないのに「とにかくこれから事態は悪化していく」という思考に占有されてしまうことである。失恋した、財布を落とした、上司に叱責された……だからもう、自分の人生にいいことがあるとは思えない。そんな思考の流れが生む、悲しみと無力感と絶望とがからみあった暗い感情である(ここに見られる思考は、認知心理学では「過度の一般化」などと呼ばれている。少ない出来事をもって一般的な法則と見なしてしまうというのが、その特徴である)。

「後悔」の場合は、思考の対象が、もっぱら過ぎ去った過去である点が特徴である。過去に犯した過ちや失敗などについて、「あのときこうしておけばよかった」と考えたときに生まれる感情。もちろん、過去は変えようがないので、考えるたびに暗い気持ちになるのは、避けようがない。

最後に「不安」。これは、その人が「将来起こるかもしれない事態」に関して、そのマイナス影響を考えすぎることから生じる負の感情である。「会社がつぶれたら……」という事態を頭の中で想定し、「住宅ローンが払えない→路頭に迷う→一家離散」のように、マイナス方向の影響イメージを頭の中で増殖させていく。これが「不安」という感情を生む思考様式といえる。

このように、負の感情にはそれとセットになる思考様式があり、こうした思考傾向が強いほど、負の感情が生まれやすく、肯定的感情が維持しにくいために、幸福を感じにくいことになる。

このことは、逆にいえば傾向が弱い人は、幸福を感じやすいことを意味する。物事を決めつけない人、他人と自分を比較しない人、過度の一般化をしない人、過去のことを考えすぎない人(未来志向の人)、マイナス影響を過大視しない人、などがそうした条件に適合する人ということになる。

次ページの診断は、ここまでの考察をもとに、幸福を感じやすいか否かを評価するものである。チェックしてみてほしい。

「幸福の感じやすさ」を知る診断

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「幸福の感じやすさ」を知る診断
この診断は、あなたが幸福を感じやすい人かどうか、感じにくいとすれば、それがどのような「思考傾向」に由来しているのかを診断するものです。

(1)1〜24の質問につき、5段階評価の該当欄の数字に○をつけてください。
(2)質問はA〜Hの8区分に分かれており、各3問ずつあります。区分ごとの合計点を出し、最高得点の区分を特定してください。
(3)8区分を合計し、総合点を出してください。
(4)総合点による評価はコメント表1を、最高得点区分による評価はコメント表2を参照してください。
コメント表

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コメント表
【コメント表1】総合点から、あなたの「幸福の感じやすさ」のレベルを4段階で評価しています。低得点であるほど、幸福を感じやすいことを示しています。

【コメント表2】どのような「思考傾向」があることで、あなたが幸福を感じにくくなっているかを評価するものです。最高得点の記号の個所を中心に、比較的高得点の記号の個所のコメントを読んでください。

結局、問題は自分の心の中にある −頭の中にひそむ「幸せ泥棒」撃退法【3】

2013年07月09日(Tue) 奈良 雅弘

同じくらいの豊かさやステータスでも、幸せの感じ方は人によって大きく違う。幸福を感じやすい人とそうでない人の違いとは何だろう。心理学的に分析しつつ、少しでもそこに近づく道を探ってみた。
あふれ出る情報が新たな欲求を生む
ここまで幸福の感じやすさというテーマを考察してきた。ここからは、その成果を活かし、冒頭に述べた「ブータンの人と比べて日本人が幸福をあまり感じていない」というテーマにアプローチをしてみよう。

考察を踏まえていえば、ブータンと比較して日本の国民が幸福を感じにくい理由は、おそらく2つである。1つは「欲求が満たされにくい」ことであり、もう1つは「負の感情に陥りやすい」ことである。

最初に「欲求が満たされにくい」という点から考えてみると、考察をもとにすれば、ブータンの人よりも日本の人たちのほうが「欲がある」ことが、その理由ということになるだろう。より仔細にいえば、「欲求の水準が高い」「欲求の数が多い」「欲求が硬直している」ということだ。

しかし、このことは別に日本人が生来的に欲深いことを意味しているわけではない。以下に示すように、日本人のほうが、資本主義という、より「豊かな」世界に住んでいること。ただそれだけのことなのである。

人間が生来的に持っている欲求は、そもそもそれほど多いものではない。生理的欲求・安全欲求が満たされれば、後は小さなコミュニティの中でささやかに承認欲求などが満たされると、それなりに満足できる生き物なのである。

だが、欲求は生来的なものだけではない。そのものにふれることによってはじめて喚起される、後発的な欲求というものもある。たとえば、ほんの数年前まで、私たちはスマートフォンを欲しいとは思わなかった。この世に存在しなかったからである。そのものがこの世にあり、その存在を知り、それが手に入るとわかったとき、スマホを欲しいという欲求ははじめて自覚されたのである。

日本に限らず、資本主義と情報化がある程度進んだ社会、つまり「豊かな社会」においては、この後発的な欲求が、人々の内面で爆発的に増殖していく。欲求の対象はさまざまであるが、時々刻々とメディアからあふれ出る情報は、日々私たちの心の中に新たな欲求を育てていくのである。

こうした「豊かさ」を生きる私たちが、資本主義の揺籃期にさえ至っていないブータンの人たちより「欲がある」のは、避けがたいことである。そして皮肉なことに、まさにその「豊かさ」のために、常に欲求が満たされにくい状態になっているのである。

また、資本主義が持つ性格は、もう1つの問題である「負の感情」とも密接につながっている。資本主義とは、より多くの富を生み出すシステムでもあるが、同時に富の偏在を前提とするゲームでもあり、格差を生み出すことをその本質とする。したがって、社会のどこかに怒りや嫉妬を抱えることは、逃れがたい宿命なのである。

「達成型」にはなぜ限界があるのか
前段で資本主義や情報化がもたらす必然として「日本人が幸福を感じられない理由」を語ってきたが、それだけで事の本質を語れたかといえば、あまりそんな気はしていない。実際、今や資本主義は旧社会主義国(ロシアなど)の多くも含めた世界のスタンダードであり、それらの国の熱気を思えば、今この国を覆う、何ともいえない「暗さ」を説明するには、ちょっと不十分な感じがするのである。

思うに、今日本で起きているのは、もっと「深い」何かである。ブータンよりも欲求が多いとか、そういう量的なものではない、より本質的な何か、なのだ。

私見では、それは「幸福のかたち」そのものに関わる問題である。資本主義の最先端をいくがゆえに、いち早く直面することになった、近代的な「幸福のかたち」の限界。それこそが、「欲求の満たしにくさ」や「負の感情への陥りやすさ」を生み、日本人の不幸感を高めていると思うのだ。

少し話は難しいかもしれないが、しばし考察にお付き合いいただこう。

現在の日本人にとって幸福とは「なる」ものである。いい会社に入って、お金を稼いで、美人のお嫁さんをもらう。そうした営為の先にあるのが「幸福」なのだ。つまり、あらかじめ設定した「到達水準」があり、それを達成できたときに、私たちは満たされ、幸福に「なる」のである(図4のBを参照)。

こうした「達成型」の幸福のかたちは、それ自体は昔から存在したが、支配的になったのは、おそらく近代以降である。アメリカはその典型であり、若くして仕事に成功し、稼いだ財産で悠々自適なセカンドライフを送るという「幸福イメージ」は、まさに「なる」ものとしての幸福像を示している。


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図4 近代化による「幸福のかたち」の変化
では、それ以前はどうだったのか。推測になってしまうが、自分が幼少期を過ごした日本の村落共同体のあり方などから想像していえば、そこにおける幸福とは、あらためて「なる」ものではなく、すでに「ある」それを感じるという類のものだったのではないかと思われる。

近代化以前の社会とは、一部の富裕層を除けば、常に食べることで精一杯な社会であった。大多数の人にとっては、必要な最低限の食べ物と生活必需品が手に入るという日常(ミニマムの生活水準)が維持できれば、それはもう十分に満足すべきものであった。つまり、幸福とは、何か特別なことをして手に入れる類のものではなく、現に今生きていられるということ、そのこと自体の中に「ある」ものであり、結果的に「満たされていた」ことに気づくような、そういう性質のものだったのである。言い換えれば、幸福とは日常の中に遍在するものであった(図4のA参照)。

この2つの「幸福のかたち」のどちらがいいかなどと論じても意味はない。どちらにも歴史的な必然性があり、優劣があるわけではないのである。

確かなのは、近代化によって主流化した「達成型」という幸福のかたちは、逆に人を苦しめるものにもなりうる、危うい「負の性質」を持っていたということである。そしてその性質が、現在の経済環境下で急速に顕在化してきている、ということだ。

経済が上昇基調にあるとき、「達成型」は、確かに社会の発展のエネルギーとしての有効性を持っていた。しかし、経済が下降基調にあり、格差が増大していくような環境下に至って、状況は一変する。

こうした環境下でも、人々はなお過去からの慣性によって「到達水準」を描いてしまい、そのため、多くの人が、欲求を満たせないストレスを、不可避的に抱えることになる。「こんなはずじゃなかった」というストレスが社会を覆うようになるのである。

たとえば雇用問題にそれは典型的に表れている。正社員という、かつては当たり前だった雇用形態は、今やそう簡単なことではなくなってきている。正社員を1つの到達点と考え、それによって「幸福になる」とイメージしてきた人にとっては、幸福を感じにくい時代となっているのである。

また、当然ながら、多くの人がこうしたストレスを抱える状況下では、社会全体が負の感情へと傾斜することは避けられず、それもまた日本人が幸福を感じにくいことの、大きな原因となっている。

実際、今の日本社会は、「負の感情」にあふれた社会である。格差や現実の理不尽に対する怒り、その半面での「うまくやっている人」への嫉妬、経済危機に起因する将来への不安や悲観、さまざまな負の感情が巷にはあふれている。

欲求が満たされないことへのストレスと、どこに向けていいかわからない怒り、先々への不安などの負の感情が充満する社会。それが今の日本の姿といえるだろう。

もちろん、こうした状況を生んだのは、直接的には経済などの外部環境の変化である。しかし、人々の内面の不幸感を増大させたのは、おそらく成長神話の崩壊とともにやってきた、「達成型」の「幸福のかたち」の破綻という事態であった。

バブル崩壊以降、私たちが見つめてきたのは、「達成型」の持つそうした負の側面に苦しむ人々の姿だったのである。

結局、問題は自分の心の中にある
では、こうした時代にあって、私たちはどうすれば、より多くの「幸福」を感じられるようになるのだろうか。

前段で述べたように、「達成型」という「幸福のかたち」の破綻は、経済の行き詰まりという問題と密接に結びついている。すべては経済の没落に起因していると言っても、あながち言いすぎではない。

では経済を何とかすれば、何とかなるのだろうか。私たちは再び「達成型」の幸福のかたちに帰還し、現状よりも多くの幸福を感じられるようになるだろうか。

おそらくそれは難しいだろう。すでに述べたように、それは再び高欲求・多欲求への道に突き進むだけのことだからだ。

もちろん、経済を安定させ、不安を一掃することは、幸福のベースとして不可欠である。しかし、それはまた同じ道をたどるためのものではないはずだ。

同じ道をたどらないために、今私たちは、経済のような客観問題だけでなく、心の問題(私の中ではそれは思考のあり方の問題である)にもアプローチする必要がある。幸福を感じられる「心」をどうつくるか、という大きなテーマである。

そのための課題は2つある。


図を拡大
図5 「幸福のかたち」のバランス転換
1つ目の課題は、もう1つの幸福のかたちである「遍在型」をどう取りこむかということである。「欲求を満たしやすい自分をどうつくるか」というテーマだと言い換えてもいい。あらためて何かを獲得しようとするのでなく、「今そこにある幸福」を見出していこうとすること。そうした思考のありようを身につけるということである。

もちろん、この競争社会にあって、それだけで生きていくのは難しいだろう。しかし、一方で「達成型」を生きつつ、「遍在型」へと少しずつバランスをシフトさせることなら、誰でもできるのではないかと思う。要はやる気だけなのである(図5参照)。

幸福をより多く感じるためのもう1つの課題は、客観的な状況がどうあろうとも、「負の感情」から自由でいられるようなメンタリティを日頃からつくっておくことである。先の考察を踏まえていえば、怒りや不安といった「負の感情」を生み出す思考を、そうでない思考へと転換することである。

物理的に満たされながら、私たちが幸福を感じられない理由は、あまりに多い「負の感情」のためである。これを少しでも減らすことができれば、私たちの幸福の感じ方も、きっと変わっていくはずである。

幸福を感じやすくする思考練習 −頭の中にひそむ「幸せ泥棒」撃退法【4】

2013年07月09日(Tue) 奈良 雅弘

幸福に近づくための思考訓練とは
前回の2つの課題は、基本的には各人がその意識を持ち、日々の思考を変えていくことで実現せねばならない。しかし、そう言われても、何をどう努力していいかわからないという人が多いと思う。

それぞれの思考の転換のあり方を、以下にざっと列挙してみたい。これを具体化した「練習問題」も付してあるので、これらを通じて、「なるほどこういうことか」という感覚を得ていただければと思う。

I.充足を得やすくする
「遍在型へのシフト」という観点から、より「欲求を満たしやすい状況」をつくるには、以下のような思考練習が望まれる。

(1)「そこにある幸福」に気づく
遍在型にシフトするとは、「幸福は今そこにある」という信念のもと、能動的にそれに気づこうと、自分の意識のあり方をシフトすることである。

たとえば、春の頃ならば、街は新緑にあふれているはずで、じっくり見つめれば、一瞬ではあれ、誰もが心穏やかな、ある種の満ち足りた気分を味わうことができるはずである。通勤のあわただしさの中でも、その方向にあえて視線を向けていくこと。そういう意識を持つことが大切である。

(2)「日常の価値」に気づく
東日本大震災が、不幸な中にも意味があったとすれば、「当たり前」と思っていた日常がどれほど貴重なものかを、強烈に再認識させてくれたことである。家族がそこにいること、家があること、電気が使えること、食べ物や飲み物が苦労なく手に入ること……当たり前だと思っていた日常が、いかに危うく、それゆえに大切なものであるかに気づいたことは、この国の未来にとって、かすかな希望であったように思う。

しかし、本来それは、天災によって強いられて認識するようなものではなく、自分自身で能動的に認識しなければならないはずのものである。「今ここにある日常」という奇跡。その大切さに気づく努力は、幸福への重要なステップとなる。

II.負の感情に陥らないようにする
感情は思考の結果として生じるものだ。したがって怒りや不安などの負の感情をできるだけ感じなくするには、それに先行する思考を変えることが不可欠である。以下、4つの観点から、負の感情を抑制するための思考練習を紹介しよう。

(1)「あるべき」を解除する
「物事はこうあるべきだ」と決めつける傾向の強い人ほど怒りっぽいことは、すでに述べた。したがって、その軽減のためには「あるべき」を解除することが必要である。

最初にやらなければならないのは、自分の中にある「あるべき」を知ることであるが、それは「自分がどんなときに怒ったか」を振り返れば、おおよそわかってくる。

たとえば、後輩があなたに「タメ口」で話しかけたとき、強い怒りの感情を覚えるようならば、あなたの中には「目下は目上に対して敬語を使うべきだ」という「あるべき」が強く存在することがわかる。

それが自覚できたならば、後はこれを解除し、怒りを覚えなくなるようなほかの「内面の言葉」に置き換える努力をするだけである(たとえば「若者の言葉は英語と思うようにしよう」のように)。さまざまな状況で、こうした転換ができるようになれば、怒る回数は減少していくはずである。

(2)「トレードオフ」を認識する
トレードオフとは「一方を追求すると他方が犠牲になるような両立しえない関係」のこと。経済用語で使われることが多いが、ここでは嫉妬の感情を少なくするための考え方として提示する。

嫉妬しないためには、他人と自分とを比較しなければよい。しかし、それは常人になかなかできることではない。そこで提起するのがトレードオフの考え方である。

簡単に言えば「嫉妬の対象となっている相手も、実際には多くの苦労を抱えている(犠牲を払っている)ことを認識しましょう」ということである。相手の苦労を知ることによって相手に共感を抱き、それをもって負の感情を中和するのである。

(3)「安易な結論づけ」を改める
ここでの「安易な結論づけ」は、悲観を生む「過度の一般化」のことをイメージしている。少数の出来事から、安易に「一般法則」的なものを導き出し、もはやどうにもならないと勝手に決めつけてしまう。そういう思考のあり方である。

こうした傾向の強い人は、客観的に物事をとらえ、事実に即して合理的に考えることを、強く自分に課すよりほかはない。Q5に示すように、冷静に状況を分析し、適切な判断を下すよう努めることだ。

(4)「今なすべきこと」に集中する
後悔と不安は、思考の向かう先が過去か未来かという違いはあるが、ともに「コントロール不能なものを思考対象としたときに生じるという点で、実は共通している。あまりに未来すぎる話や、経済環境のような大きすぎる話も、コントロール不能という点では、過去のことと同じなのである。

「今なすべきことに集中する」とは、こうした思考のワナに陥らないよう、問題をコントロール可能な範囲に収束させていく努力をいう。過去でも遠い未来でもなく、ちょっとだけ未来に目を向けることだ。負の感情に陥らないための最大の要諦は、「考えても仕方がないことを考えない」ということに尽きる。そんなことを考えているヒマがあったら、実行可能な「目先の一歩」を見出し、行動を起こすべきなのだ。

それだけで、私たちはすでに幸福への道を歩み始めている。

充足感を得やすくする練習問題
Q1.「そこにある幸福」に気づく
ささいな日常の出来事が、幸福を感じさせてくれることがあります。自分の経験を振り返り、そうした出来事をできるだけ多く思い出してみてください。

(例)3歳になる娘と手をつないで散歩をした。風が心地よく吹いていた。

Q2.「日常の価値」に気づく
あなたがもし天災や事故などで家族を失ったとします。家族の命とともに、何を失うことになるのでしょうか。できるだけ多く列挙してください。

負の感情に陥らないようにする練習問題
Q3.「あるべき」を解除する
下記のような出来事があったため、Aさんは憤慨しています。(1)(2)を考えてみてください。

出来事:レストランに予約をしていたが、仕事の都合で行けなくなり、直前にキャンセルの電話を入れた。不機嫌そうな態度で対応され、電話をガチャンと切られた。

(1)Aさんが憤慨したのは、どのような考え方がAさんにあったためでしょうか。

(2)憤慨しないためには、Aさんはどのような考え方に切り替えればいいでしょうか。できるだけ多く考えてみてください。

Q4.「トレードオフ」を認識する
お医者さんは収入がよく、社会的なステータスも高いため、うらやむ人の多い職業です。しかし、そこにトレードオフはないのでしょうか。お医者さんが直面するであろう「苦労」や「悩み」をできるだけ多く想像し、列挙してみてください。

Q5.「安易な結論づけ」を改める
あなたは自分が「ついていない」と感じていますか。感じる人は、下記の(1)(2)を考えてみてください。

(1)そう思ったのは、実際にどのような出来事があったためですか。根拠となった出来事を列挙してください。

(2)(1)で列挙した出来事は、あなたが「ついていない」ためだけに起こったと思いますか。それ以外の理由があると思う場合は、その内容を述べてください。

Q6.「今なすべきこと」に集中する
不安感にとらわれないためには、先々のことを考えすぎず、「今なすべきこと」に集中することが大切です。下記の状況で、あなたならどうするかを考えてみてください。

状況:営業マンであるあなたは、明日重要なプレゼンに臨まねばならない。失敗すれば、今期の目標達成はほぼ不可能となり、上司から強く叱責されることになる。

練習問題の参考解
Q2.「日常の価値」に気づく
(例)家族と過ごせたはずの時間、そこから生まれるはずだった思い出、得られるはずだった癒やしやぬくもりなど。

Q3.「あるべき」を解除する
(1)サービス業である以上、いかなるときでも、客に対しては丁重な対応をすべきだ。

(2)サービス業といえども感情を露わにする権利はある、キャンセルしたら客としての権利は失効するなど。

Q4.「トレードオフ」を認識する
医療過誤のリスクがある、常に忙しい、最新の知識を常に学ぶ必要がある、モンスター患者に対応せねばならないなど。

Q5.「安易な結論づけ」を改める
(1)例:会社の廊下を歩いていて転んだ。そのあと家に帰って料理をしていて包丁で手を切った。

(2)例:たんに注意力が散漫なだけ。

Q6.「今なすべきこと」に集中する
顧客のニーズを再検討してみる、資料の内容を再検討してみる、話の流れを再検討してみる、説明の練習を繰り返しやってみるなど。


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