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特別読み物 我が社にもいた「海賊とよばれた男たち」大きな仕事をして、会社を変え、そして「伝説」となった (週刊現代) 
http://www.asyura2.com/13/hasan81/msg/194.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 7 月 17 日 08:30:00: igsppGRN/E9PQ
 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36452
2013年07月17日(水) 週刊現代 :現代ビジネス


 常識もコンプライアンスも吹っ飛ばせ! かつて日本には大事の前の小事を軽やかに飛び越え、「仕事」をする豪傑社員が何人もいた。時代が混迷を極める今こそ、彼らの生きざまに学ぶ時ではないか。

■流通革命を起こした新聞記者

 いまでは当たり前の存在であるチェーンストアを日本に根付かせたのは、実は読売新聞の記者だった。'10年に83歳で亡くなった渥美俊一がその人だ。

 商業に関心を持っていた渥美は、当時日本でも台頭し始めていたスーパーマーケットを丹念に取材して回った。一方で、横浜支局時代に輸出入の現場を取材し、アメリカの流通業の先進性を痛感した。渥美の夫人・田鶴子さんが回想する。

「31歳のころに任された『商店のページ』の取材を通じて、岡田屋(現イオン)の岡田卓也さん、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊さん、ダイエーの中内功さんらの若手経営者と知り合います。渥美は『アメリカは150年かけてチェーンストアを作った。だったらわれわれは50年でやってみせる。そのためには30歳代の若手と一緒にやっていかなければ』と思っていたのです」

 渥美は前述の若手経営者ら13名とチェーンストアの研究母体「ペガサスクラブ」を結成。以来、新聞記者とコンサルタントの二刀流で、猛烈に働くことになる。

「事務所にはほとんど姿を見せない。来たかと思うと、特集記事を缶詰になって書き上げ、また取材に消えてしまう。とにかく働きまくり、ついたアダ名が『人間機関車』。43歳で読売新聞を退社するときにもらった記念品は機関車の模型でした」(田鶴子さん)

 '69年にはペガサスクラブの会員は1000社を突破。「流通革命」の伝導師として押しも押されもせぬ存在となる。田鶴子さんが言う。

「地方に行っても大型店ばかり、どこも同じような風景になったと批判する人がいますが、大型チェーン店が成長したからこそ、日本全国どこに住んでいても、質の高い商品を手頃な価格で買えるようになったのではないでしょうか」

 百田尚樹氏の小説『海賊とよばれた男』がベストセラーになっている。モデルは出光興産の創始者である出光佐三。佐三は漁船相手に海の上で軽油を販売する画期的な方法で売り上げを伸ばし、ライバルたちからは「海賊」とよばれた。

 ただ、こうした大胆な振る舞いも、出光佐三が組織のトップだったからできたこと。そう考える向きもあろう。だが、それは誤りだ。サラリーマンの中にも逆境をものともせず、大事を成した「海賊」とよびたくなる豪傑はいる。

 豪快な人物が多いイメージのある商社マンのなかでも、住友商事の鈴木朗夫はスケールの大きさが違う。

 前夜遅くまで仕事をすれば、自主的に出勤時間をずらすなど、鈴木は遅刻の常習犯だった。人事や総務から度々、注意を受けるが、

「何か問題ありますか?」

「就業規則違反だ」

「就業規則には遅参をしたら遅参届を出せと書いてあるので、いつもちゃんと出しています」

 遅参が悪いとは書かれていないことを突いて、黙らせるのである。こんな男が同期のトップを切って常務に昇進したのは驚きだが、鈴木が凄いのは、日本の将来を左右する局面で、後の首相となる三木武夫に持論をぶつ豪胆さにある。

 第一次オイルショックで日本に石油が入らなくなったころ、三木が特使として中東に飛んだ。イラクに赴任していた鈴木は親友・海部俊樹を介して三木に会い、こう直言した。

「単に『日本が困っているから石油を売ってくれ』と言っては絶対にダメだ。『アジアの発展途上の国々は日本を頼っている。日本が中近東の石油を入手できねば、アジアの国々が窮地に陥る』と言いなさい」

 三木は鈴木の言葉を受け入れ、日本は石油の入手に成功。鈴木がいなければ日本のエネルギー事情はいまとは大きく変わっていたに違いない。

■石油の買い方、教えます

 エネルギーといえば、この男も忘れてはいけないだろう。昭和の実業家、山下太郎は、日本人として国家を代表して世界と対抗した人物である。

 1889年、秋田県に生まれた山下は20代半ばでオブラートを発明したり、南満州鉄道の社宅の建設を一手に引き受けたりと、旺盛な事業欲で巨万の富を得るが、敗戦とともに財産は無に帰す。しかし、不屈の山下は石油に目を向ける。

 知識もノウハウもなかった山下だが、国にとって最も重要な資源エネルギーである石油をすべてアメリカに依存していてはいけないという危機意識が、行動に駆り立てた。サウジアラビア政府との交渉に成功した山下は政財界を説いて回り、'58年に「アラビア石油」を設立。60歳を超えてからの大事業を成功させたのだった。山下らの生涯を追った『賭けた 儲けた 生きた 紅花大尽からアラビア太郎まで』の著者、鍋島高明氏が解説する。

「彼の行動のバックボーンになっているのは母校・北大のクラーク博士の有名な言葉、『少年よ、大志を抱け』です。山下は大志を持ちつつ、リスクを取ることができた。利益とリスクは背中合わせ、一回きりの人生だから勝負しないと始まらない。しかも、単なる博打ではなく、先読み、計算、人脈の形成などのプロセスを踏んだ上で賭けることができた。これが大事を成す秘訣ではないでしょうか」

 '36年、大阪毎日新聞に入社した小谷正一は新聞社という枠にとらわれず、次々と活躍の場を変えていった。同社OBで彼の評伝を著したノンフィクション作家の早瀬圭一氏が語る。

「記者になるつもりだったのに事業部に配属されてしまい、最初はふてくされていたのですが、奮起。当時13歳だったバイオリニスト・辻久子のリサイタルを企画し大成功させました」

 以降、小谷のプロデュース能力が開花する。戦後、夕刊紙『新大阪』が創刊されると報道部長兼企画部長として出向。

「将棋の升田幸三七段と木村義雄名人の五番勝負を仕掛けて人気を博したり、宇和島から22頭の牛を西宮球場まで運び込んで闘牛大会を開催して会社に大損害を与えたり。毎日新聞の記者だった井上靖が芥川賞を取った『闘牛』は小谷さんをモデルにしたもの」(早瀬氏)

 その手腕を見込まれ、プロ野球球団「毎日オリオンズ」を創設する際には自ら先頭に立って阪神タイガースから若林忠志、別当薫ら主力の引き抜き役までこなし、設立初年度に日本一に導いた。初の民間ラジオ放送局となる新日本放送の設立も彼の手によるものだ。

「新日本放送に残っていれば社長になれたはずですが、開局を見届けると、経営が傾き出した『新大阪』に戻った。自分を慕う社員たちが大勢いたからでしょう。その後、電通の社長・吉田秀雄さんにスカウトされて、右腕として活躍しました」(前出・早瀬氏)

 電通を退社した後は大阪万博などに関わった。アイデアと実行力を武器に、サラリーマンから希代のプロデューサーと呼ばれるようになったのだ。

■米国本社を意のままに

 新聞社や商社と比べると堅いイメージがある銀行だが、ここにも海賊はいた。'36年に日本勧業銀行(現みずほ)に入行した片岡一久。名前は聞いたことがなくとも、彼が発明したものは誰でも知っている。宝くじだ。『取締役宝くじ部長』の著書があるノンフィクション作家の大山真人氏が語る。

「終戦から2ヵ月後の'45年10月に第1回宝くじの売り出しが始まりますが、いまも使われている組番号や下何桁という方式を考え出したのが片岡です。その他に連番でもバラでも10枚買えば必ず1枚は当たるようにしたのも彼のアイデア」

 銀行マンとして顧客を集める方法も独特。新しい赴任地では、まず芸者通い。地元の名士たちの情報を集めた。次は直接交渉だ。

「たとえば『5000万円必要だが、他の銀行は4000万円しか貸してくれない』と言われたら、片岡さんは、『じゃあ、6000万円貸しましょう』と独断即決する。もちろん担保が足りないので、銀行にはウソの報告をする。彼が凄いのは、それでも返済が滞らなかったこと。芸者からナマの情報を得ているから、融資先が伸びるかどうか目が利く」(前出・大山氏)

 時には法に触れることも辞さない。別人名義で口座を複数作って税金逃れをしている顧客が少なくなかった当時、税務署が銀行に調査に来ても簡単にはバレないようにと乱数表を作って、顧客情報を暗号化。あそこなら安心だと顧客をさらに増やした。ちなみに、この暗号化システムは後に防衛庁が、その仕組みを売って欲しいと頼みに来たが、顧客のために片岡はクビを縦に振らなかったという。

 続いて、アメリカ企業に勤めながら、本社に刃向かって、日本人のためのコンピュータを開発させた男を紹介しよう。'75年、45歳という異例の若さで日本IBMの社長に就任した椎名武雄である。元日本IBM社員の山崎宏氏が述懐する。

「ある百貨店で商談中のこと。無理難題を出され、私はその場からある人に電話を入れました。事情を話すと『GOだ。GO andget it!』と言われたので先方に『やります』と伝えた。誰に電話したのか問われて私はこう言いました。『椎名です』」

 困ったら直接俺に言って来い。椎名は入社式でそうスピーチし、社員もまた忠実に従う。このオープンさに百貨店側は仰天した。

「招待されてない業界団体の会食に飛び入り参加して営業したり、とにかく椎名さんは常識にとらわれない人でした」(前出・山崎氏)

 IBMは外資。富士通やNECなど国産メーカーはタッグを組んで守りを固めたが、椎名は戦争をしかけるどころか、懐に飛び込んでいった。IBM製品は情報分析に長けたマシンであり、演算向けの国産PCとは棲み分け可能。共存しようと持ちかけた。もちろん、アメリカ本社とは揉めた。

「本社からは日本の店舗には大きすぎて置けない大型マシンを売るよう、矢のような催促が来ていました。しかし椎名は拒否。『小型マシンなら必ず買う』という契約を日本企業から取って、それをタテに、日本用の小型マシンをアメリカに開発させました」(前出・山崎氏)

 伝説は過去にばかり存在するわけではない。現役世代にも海賊はいる。

 古河電工(現ジェフユナイテッド市原)のFW・木之本興三が突然の悲劇に襲われたのは今から38年前、26歳のときだった。難病のグッドパスチャー症候群に罹り、腎臓を摘出。週に3日、人工透析をする生活になった。過去、日本で発症した12人、全員が5年以内に亡くなったと知らされ、木之本は自暴自棄になった。選手生命を絶たれた木之本は古河の健康保険組合で嘱託として働いた後、日本サッカーリーグの事務局に職を得た。

「サッカー生命どころか、サラリーマン人生も絶たれたことで、日本サッカーリーグのプロ化に死ぬ気で取りくむ気になれたのです」

 突然、取り上げられたサッカーへの情熱をプロ化へ向けることで、木之本は生きるモチベーションを得たのだ。彼に言わせれば、当時のサッカー協会幹部の長沼健氏や岡野俊一郎氏らは「プロ化を『やめろ』とは言いませんでしたが、自ら口にすることはなかった。彼らは日本のアマチュアスポーツの総本山・日本体育協会のメンバーでもあったので、その立場もあったのでしょう」

 だが、木之本はそんな幹部の許を何度も訪ね、「近い将来、日本サッカーは立ちいかなくなります」と説き続けた。後にJリーグの初代チェアマンとして活躍した川淵三郎氏でさえ、当初は「日本でプロが成り立つわけがない」と反対していたという。しかし'86年、FIFAのアベランジェ会長が「W杯をアジアで開催したい」と発言したことで風向きが変わる。木之本はW杯招致活動をプロ化推進に利用して'93年、見事、Jリーグ発足にこぎつけた。

 木之本が目を細める。

「プロ化で、一番変わったのは選手の意識。それまで五輪予選で28年間負け続けた日本が5大会連続でW杯出場とはね。香川がマンU、長友がインテルと、日本選手がヨーロッパの名門チームでレギュラーとなって活躍する日が来るとは思いもよらなかったですね」

■世界一速いクルマを作る

 最後に、今年3月まで日産自動車に勤めていた海賊を紹介しよう。水野和敏。世界が"ミスターGT-R"と畏怖した男である。

 '07年、ポルシェやフェラーリが王者として君臨していた世界最速スーパーカーの座を奪ったのが、水野が手がけた新GT-Rだった。

「速くてデカい、速くて高いは当たり前。市販車のサイズで、しかもポルシェの半額で買える車で最速タイムを叩き出したことに価値があるのです」(水野氏と親交の深いフェルディナント・ヤマグチ氏)

 エコの時代に逆行するとして、表舞台から去っていたGT-Rブランドの復活をカルロス・ゴーンCEOが宣言したのが'01年。水野は開発責任者として就任要請されたが拒否した。

「とりあえず作って」という軽さに、違和感を覚えたからだ。そして'03年、再び開発要請を受けて激高する。

 机のひとつでも投げ飛ばして辞めるつもりで乗り込んだ本社で待っていたのはゴーンだった。水野は企画、開発から収益確保まで「GT-R」の全権を任された。

 ノンフィクションライターの西川修一氏が言う。

「もちろん、この人事を良く思わない者もいた。『他の車で儲けが出ているのに、何でわざわざリスクをとるのか』『世界トップなんて、なれっこない』と足を引っ張られた。東大卒のエリートが多い中、水野さんが高専卒なのもやっかみを買った一因でしょう」

 実際に世界最速タイムが出ると、今度はポルシェがクレームをつけてきた。

「信じられない。タイヤに不正をしたのではないか?」

 水野は「ウチのコースまで見に来れば? 運転の仕方も教えてやるよ」と反論。ポルシェ側を黙らせた。

「彼が凄いのは数字を含め、どんな質問にも即答すること。全パーツの図面が引けるほど車を熟知しているからこそできる、プロの芸当です。GT-Rは世界最大径の390ʔのブレーキディスクを使っていますが、当初、世界最高のメーカー・ブレンボに『その大きさだと安全が保証できない』と制作を断られた。ところが水野さんは担当者の前で図面を引き、『こうすればできるよ』と納得させてしまった」(前出・ヤマグチ氏)

「海賊」たちに共通しているのは、上司からの命令を要領よくこなし、順調に出世していったエリートではないということ。日本の救世主となりうるのは、おそらく彼らのようなサラリーマンだろう。そしてそんな人材はあなたの会社にも眠っているかもしれない。


「週刊現代」2013年7月20日号より


 

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