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排外主義を強める欧州  行き場を失うロマ族〜北欧・福祉社会の光と影(29)  イタリアの政治:ベルルスコーニ元首相の誤算
http://www.asyura2.com/13/hasan82/msg/914.html
投稿者 SRI 日時 2013 年 10 月 09 日 03:50:21: rUXLhToetCnYE
 

JBpress>海外>欧州 [欧州]

排外主義を強める欧州  行き場を失うロマ族〜北欧・福祉社会の光と影(29)

2013年10月09日(Wed) みゆき ポアチャ
 スウェーデンの第2都市ヨーテボリの公立美術館で、「私たちはロマ――伝説の背後の人々に会う」が開催されている。催しに対する市民の関心が高いため、同館は週に1日、開館時間を夜8時まで延長して対応している。

 ほぼ連日、先生に引率された多くの小・中学生がぞろぞろと中に入っていっているようだ。私が行った時も、たくさんの小学生が展示された写真やビデオに見入り、館員の説明を聞いていた。

ヨーテボリ・コミューンの一大プロジェクト 


美術館の前で開館を待つ小学生
 これは、ヨーテボリの職員が数カ月がかりで同市内に住むロマの人々数百人にインタビューして彼ら個々の素顔を写真に収め、半生を聞き取って文章にしていったという一大プロジェクトだ。

 「伝説の背後の人々」という形容は、言い得て妙であると思う。欧州においてロマは至る所にいるので、特に珍しい人たちというわけではないのだが、しかし一般の人にとっては「異質・異教徒・異端」、つまり「得体の知れない、理解できない人たち」であり、「地域の秩序を乱すもの」と見られている。

 ロマとは、かつてジプシーと呼ばれていた人たちであり、欧州内で数百年、数千年にわたって住む地を追われ、差別され、迫害され続けてきた民族だ。そしてこの受難の歴史は、現在いっそう過酷な形態を取りながら依然として続いている。

 この連載で時々、「北欧では路上の物乞いが増えている」ということを書いてきたが、その多くはルーマニア、ブルガリア、そして旧ユーゴスラビアから貧困と差別を逃れてきたロマだ。


館内に展示された写真
 スウェーデンに来て住居を得、一般市民と同様に学校へ行き、職を得ているロマも多いが、最近は路上で物乞いをしたり売春行為を行ったりするロマが激増した。

 そして最近筆者自身が悟ったのは、北欧にこの1〜2年非常な勢いで彼らが流入してきたのは、もちろん欧州全体の不況といった経済的な要因が大きく影響しているからだが、もっと直接的な原因は、欧州の他の国々ではすさまじい勢いで彼らの住居が破壊され国外に追放されているからだということだ。

クロアチアやセルビアの路上から消えた物乞い

 このことを、夏に旧ユーゴ国であるセルビアとクロアチアに行った時に確信した。以前は路上にあふれていた物乞いが、今年は一人残らずいなくなっていたのだ。

 クロアチア人の義母は「欧州連合(EU)に加盟して、クロアチアにはロマがいなくなったのねえー」とあっけらかんと言っていたが、彼らは「いなくなった」あるいは「生活が良くなり、物乞いをする必要がなくなった」というわけでは全くなく、今までいた場から「強制的に立ち退かされた」というのが実情だろう。


http://www.tradingeconomics.com/croatia/productivity
 クロアチア経済は、この7月にEUのメンバー国となって以降もさっぱり回復しそうな様子はない。

 ロマへの迫害の背景には、彼らをスケープゴートにして国内の危機から国民の目を逸らさせようといった側面もあるのかもしれない。

 こうして行き場を失った人たちが、北へ北へと逃れてきているのではないかと想像できる。

 今や、物乞いはスウェーデンの路上の至る所で普通に見られるし、さらにレストランやバスの中に入って顧客や乗客からお金を集めようとする人たちも増えてきた。

 手に紙コップを持ち、通行人の前に立ちふさがって「プリーズヘルプ、プリーズヘルプ(助けてください)」「アイ・アム・シック、マイ・ドーター・イズ・シック(私は病気です、私の娘は病気です)」などとつぶやきながらコップを突きつける人もいる。

 以前は同情的だった街の人たちも、最近はイラついてきているように見える。新聞の投書欄でも「店の前で物乞いをしているので、ベビーカーが通れなくて困る」「施しをするとますますスウェーデンに来るようになるから、すべきではない」「規制すべし」といった意見も散見されるようになってきた。

 筆者が住む人口10万の中都市でも、地元教会とコミューンが主導し、一般家庭が路上のロマを受け入れて宿泊させる、という活動をしていたのだが、最近は地元紙にもその話題は書かれないようだ。このプロジェクトはまだ継続しているのだろうか。


筆者が住む都市で物乞いする女性
 4人の子供がいるというこの女性は、以前にフランスに10年ほど住んでいたが、その間に10回以上の強制立ち退きを経験してきたという。

 最後に住んでいたのはリール地域だが、そこを追い出された後にフランスを出て各地を転々とし、スウェーデンまでやって来た。

 「フランスでは、行く先々でキャンプが撤去され、路上で寝ることも禁止されて、もう私たちには行き場がなくなりました。なぜ私たちは、他のホームレスの人々のように路上で眠ることすらできないのでしょうか。フランス政府は私たちを助けるために何も行うことができず、キャンプを取り上げて、その上なぜ路上で寝ることすら禁じるのでしょうか」

「よそ者」に不寛容なフランス

 私見では、フランスという国は、行くたびに「よそ者」に対する寛容度があまり高くないような印象を受ける。2011年には、公共の場所でのイスラム女性の衣服であるブルカの着用を禁じている。女性の服に関して、「こういうファッションはいけない」と法で禁じる必要があるのか? 

 このようにニコラ・サルコジ前大統領の時代から極端な排斥政策を取っていたが、政権が交代してからもますます移民に対する不寛容度は高くなっているようだ。

 フランス内には現在、約2万人のロマ移民が住んでいるという。

 9月24日にフランスのマニュエル・ヴァルス内務相は「ロマはルーマニアやブルガリアに戻ってそこにとどまるべきである」と発言して批判を受けたが、この翌日にも「前言は間違いではない。私の発言にショックを受けたのは、問題を認識していない人だけだ」と言って自説を正当とし、ロマの大量追放を提起した。その数日後に実施された世論調査では、ヴァルス内務相の提案に関し国民の77%が「同意する」と答えている。

 現在マルセイユなどの各都市で、ロマの強制送還のための準備が進められている*1。

 アムネスティ・インターナショナルの9月25日のリポート「フランス:記録的な人数のロマが追放される」では、「2013年前半に1万人以上のロマが非公式の集落から追い出された」と書いている*2。

 フランス・リヨンでは5月半ば頃に、ロマが居住していた廃工場で火災が起き、2人の女性と子供が1人焼死するという事件があった。火元は彼らが使用していたろうそくの炎と見られている。

 電気も暖房もない、冷たいコンクリートの床で小さなろうそくの灯りを見つめながらの生活はどんなものだったろう。亡くなった子に、楽しかった思い出の一片はあったのだろうか。

 この2カ月前には同じ工場で、居住していたロマの男性が、落ちてきた瓦礫によって死亡している*3。

ブルガリアで職を失い、ドイツを追われ・・・


ドイツに住んでいたというロマの男性
 右の写真の男性は、ドイツにいたと言った。

 ブルガリアのパッキング工場で15年働いていたが、他の多くのロマと同様に、ある日突然仕事を失った。その後ブルガリアに家族を残し、職を求めてドイツに赴いた。   

 到着した日にルーマニア人の男に会った。その男は2〜3日部屋に泊めてやってもいいと言ったので、荷物を部屋に置かせてもらい、仕事を探すために職業安定所へ行った。その夜、その家へ戻ってみると、ドアにも窓にも鍵がかかっていて、中に入れなかった。

 その後、通りがかりの人が彼を地元の福音派教会に連れていってくれた。しかし教会の担当者は、ルーマニア人とブルガリア人はここに宿泊することはできないと言い、彼を中には入れてくれなかった。

*1=http://www.france24.com/en/20130928-77-france-roma-manuel-valls-romania-bulgaria-immigration-integration-assimilation

*2=http://www.amnesty.org/en/for-media/press-releases/france-record-number-forced-evictions-2013-09-26

*3=http://rebellyon.info/Trois-morts-dans-l-incendie-d-un.html

 その後市当局の社会サービスが運営する仮設宿泊施設へも行ったが、そこでも「利用できるのはドイツ人だけだ」と言われた。

 その後いったんブルガリアに戻り、それからスウェーデンに来たと言う。

 2年ほど前の話だが、コソボを出てドイツに10年ほど住んでいたロマの家族が、強制的にコソボへ追い返されたと聞いたことがある。話によると、冬の早朝警察がやって来て、夫婦と14歳の息子に強制退去を通告し、30分以内に荷物をまとめるよう言い渡した。

 一家はデュッセルドルフ空港へ連れていかれ、他のロマ人とともにコソボの首都プリシュティナへ送られた。妻はその時、重度のストレス障害、うつ病や神経痛を患っていたのだが、送還された1カ月後には病気が悪化して亡くなったと聞いた。

 重病患者にとって、戦乱で荒廃した地、目の前で家族や友人を殺された土地への強制送還はほとんど死を意味する、ということだろうか。

 露骨な「ロマ排除」政策は、フランス、ドイツに限らない。欧州中のあらゆる国での彼らに対する迫害は、ますます凄惨を極めている。

 独仏と並んで英国、オランダ、オーストリアが声高に「ブルガリアとルーマニアからの移民の制限」を設けようと、毎度のEU会合で叫んでいるようだ。彼らの言い分は「両国からの貧しい移民が、移動の自由を利用して入国し、社会保障給付を濫用する」ということのようだ。

 こうして欧州中から追い出された人々が北上してきているわけだが、しかし北欧と言っても、ロマの人々にとってパラダイスであるとはとても言いがたい。

ノルウェー・オスロの事例

 ノルウェーでは、昨年にはすでに各媒体が連日ロマのニュースを報じていた。国営放送NRKのオンライン版は昨夏、首都オスロに滞在するホームレスのロマの総数は2000人に達すると書いており、公園などにテントを張っていたロマを警察がたびたび強制排除している。

 市内ソフィエンベリ教会の敷地内にも200人ほどのロマが居住していたのだが、7月には、ここにオスロ市政府のトップ、スティアン・ベリエル・ロスルンド氏がやって来、彼らに対し「政治家やこの近隣住民がイライラしている。教会の、聖なる土地であろうとそんなことは関係ない。今すぐテントをたたんで、ここから出なさい」と言い放ち、「強制立ち退き」を通告した*4。

*4=http://www.nrk.no/ostlandssendingen/romfolket-soker-kirkeasyl-i-oslo-1.8237906, http://www.nrk.no/ostlandssendingen/har-fryktet-aksjoner-mot-romleiren-1.8243926

 その後、この一団は市街から離れた山がちの土地にテントを張って野営していたのだが、この近隣の人たちが陳情し、追い出し運動を組織するなどの動きが見られた。

 多くの嫌がらせも続き、彼らに向けてロケット花火を発射した30代から40代の4人の男性が逮捕されるなどの事件も起きている。当時の世論調査によると、ノルウェー国民のほぼ8割が「路上での物乞いを法的に禁止したい」と答えている。

ブレイビク事件の影響

ノルウェー乱射事件のブレイビク被告に禁錮21年、責任能力認める
2012年8月、オスロの裁判所に出廷し、右の拳を胸に当ててから前方に突き出す「敬礼」をして見せるアンネシュ・ベーリング・ブレイビク被告〔AFPBB News〕

 「移民が子孫を増やしてノルウェーを征服する」と思い込み、「社会主義からノルウェーを救う」ためにアンネシュ・ブレイビクが社民党青年部の若者ら77人を殺害したのは、約2年前の2011年7月11日だ。

 その場で事件を目撃し、紙一重で銃弾を免れたアリ・エスバティ氏は「テロ攻撃から2年が経過したが、ノルウェー社会がこの事件から何も学んでいないことは明らかだ」と言う。

 代わりにノルウェーで起きたことは、「ブレイビクのテロ攻撃の非常な残虐性が、イスラムや他民族に対する嫌悪や超反動的進歩に対抗することをより困難にした」とアフトンブラデット紙に書いている*5。

 事件後の犠牲者の追悼式典で、イェンス・ストルテンベルグ首相はこう言った。「私たちは、依然として私たちの社会で起きたことに震撼しています。しかし私たちは決して私たちの価値感を手放すことはしません。私たちの答えは、民主主義であり、より開放的で、よりヒューマニズムにあふれた社会です」

 この言葉は全世界のメディアに取り上げられ、世界中の人の心に届けられた*6。

 しかしノルウェー社会に実際に起きたことは、より閉鎖的で非民主的な管理強化と市民に対する監視体制の構築だ。

 事件以降、ノルウェーの公安警察PSTは、警察の取り締まり権限を強化するよう政府に執拗に要求している。事件から数カ月後に、ゴム手袋とスキー帽、通信機器を所持している者を犯罪者と見なすことができることを制度化するよう要求していた。

 そして翌2012年に、政府はブレイビクの名前を冠した法律「lex Breivik」を法制化した。この法は精神障害者収容施設にいる、とりわけ危険であると見なされる収容者に対し、規制を強化し電話の盗聴、身体検査などを許可するものだ。

 これとほぼ同時進行で、各自治体も条例を整備し規制を強化した。オスロをはじめとする自治体は、ホームレスが道端や公園で寝ることを禁止したが、実質的にはロマの排除が直接の目的だ。

*5=http://www.aftonbladet.se/kultur/article17170965.ab

*6=http://www.regjeringen.no/nb/dep/smk/aktuelt/taler_og_artikler/statsministeren/statsminister_jens_stoltenberg/2011/tale-ved-statsminister-jens-stoltenberg-.html?id=651789

 さらに先9月の議会選挙で、ノルウェーは中道左派の連立政権から中道右派陣営へと交代した。勝利した保守党中心の中道右派4党は連立協議に入っていたが、これが不調に終わり、保守党のエルナ・ソルベルグ党首は30日、右派の進歩党と少数連立政権を組む方針を明らかにした。

 この進歩党はブレイビクがかつて10年以上にわたって所属していた、移民排斥を党是とする極右政党である。

 さらにソルベルグ党首は同日、移民に対する規制を強化することをも明言している*7。

他の北欧諸国も取り締まり強化へ

 他の北欧国も大同小異だ。

 デンマークの反移民政策はことあるごとに強化されており、現在では欧州でも最も厳しい部類に入る。イスラム教や移民に関する一般的な論調は敵意をはらんでいることが多い。

 フィンランドでは、「物乞い禁止令」がたびたび議会に提出され、かろうじて否決されている状況だ。一度可決されたら、路上の人たちは警察権力によってたちまち強制排除されるのだろう。

 そしてスウェーデン政府も、物乞い取り締まりに向けた法を導入したい意向をたびたび表明している。警察も執拗に要求している。

 昨年12月にも、ベアトリス・アスク法務相が「物乞い行為を背後で組織し、人々に物乞いをさせて搾取している者を取り締まる必要がある」と発言した。

 この国でも「物乞い禁止」「ロマ排除」という風潮になるのは、時間の問題なのだろうか。

 ますます行き場が狭められたロマは、どこに行けばよいのだろう。彼らの受難の歴史は、今後もいっそう凄惨な形を取って、連綿と続いていくのだろうか。

*7=http://www.svt.se/nyheter/varlden/h-yre-och-fremskrittspartiet-bildar-regering, http://www.aftonbladet.se/ledare/ledarkronika/danielswedin/article17580488.ab
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/38872


 


イタリアの政治:ベルルスコーニ元首相の誤算
2013年10月09日(Wed) The Economist
(英エコノミスト誌 2013年10月5日号)

シルビオ・ベルルスコーニ氏は、エンリコ・レッタ政権を崩壊させるという脅しで情勢を大きく見誤った。

伊レッタ内閣信任、ベルルスコーニ氏翻意 党内造反で
長い政治生命も、もう終わりか・・・〔AFPBB News〕

 それは他の欧州諸国の人々に、めまいがするほど不安定なイタリアの政治への絶望感を抱かせるような光景だった。

 10月2日、エンリコ・レッタ首相率いる左派・右派の連立政権は、議会の信任投票に直面した。その結果次第では、政権が倒れ、今なお戦後最長の景気後退にどっぷり浸かったイタリアが解散総選挙に追い込まれ、ともすれば来年度予算が危うくなる恐れがあった。

 レッタ首相は連立政権の過半数が最も当てにならない上院(元老院)で、信任投票での敗北は、待ち望まれるイタリアの回復を妨げる「致命的なリスク」を伴うと述べた。

党内の造反に直面して翻意

 保守派の指導者であるシルビオ・ベルルスコーニ氏は、自身の率いる自由国民は上院でレッタ氏に不信任票を投じると述べた。ところが、いざ自らの意思を表明しようと立ち上がった時には、自由国民は結局、レッタ氏を支持すると述べた。信任235票、不信任70票で、レッタ政権は生き延びた。

 通常、そうした議会の急展開は、戦術的な優位性を得るための意図的な努力を反映している。だが今回の場合は、決断を下せずに苦しむベルルスコーニ氏があがいた証拠のように見える。党内で相当数の議員の造反――自由国民の歴史上初めてのこと――に直面したベルルスコーニ氏は、党内分裂を覆い隠すために造反組と足並みを揃えざるを得なかったのだろう。

 ベルルスコーニ氏は脱税で有罪判決を受けた後、上院からの追放という目前に迫った自身の屈辱に抗議して、危機を引き起こした可能性もある。だが、結局はそれ以上に大きな屈辱を味わう羽目になった。

 危機が勃発したのは9月28日、何カ月も政府に忠誠を誓ってきたメディア王が、自由国民所属の閣僚5人に辞任するよう命じた時のことだ。これはどう見ても、恥知らずで無責任な行為だった。

 ベルルスコーニ氏は、閣僚の辞任は政府が付加価値税(VAT)の1%増税を承認したことに対する抗議だと主張した。もっと広く信じられている説明は、ベルルスコーニ元首相が、自分が最高裁で議会追放の法的根拠を争う間、敵対勢力が決定を先延ばしすることに同意することを期待した、というものだ。相手がゲームに乗ってこないことが分かると、同氏はゲームのボードをひっくり返すことにしたわけだ。

 自由国民の閣僚は素直に辞任した。だが、閣僚は一人ずつ、異議を唱えていった。そして驚いたことに、造反者には副首相のアンジェリーノ・アルファノ氏が含まれていた。これまでは自由国民の創設者に対する揺るぎない忠誠心で知られた政治家で、かつてベルルスコーニ氏が政治の世界における「息子」と見なし、わずか2年前には自身の後継者に選んだ人物だ。

 アルファノ氏は師と仰ぐ人物との決別が不本意であることをにおわせ、「自分は違った形のベルルスコーニ主義者」になる決心をしたと述べた。

 反乱の背景には、いくつかの説明が存在する。最も皮肉な見方は、自由国民の閣僚が大方の政治家と同じように、権力を満喫しているというものだ。だが、そうした見方は単純すぎる。レッタ氏は若手が中心の内閣内にチームスピリットを確立しており、彼らは誰よりも、ベルルスコーニ氏の行動がイタリア経済に与える影響を理解できた。

 借り入れコストを抑制するという欧州中央銀行(ECB)の公約は、イタリア財政に対する最悪の脅威を払拭したかもしれない。だが、依然として危険なのは、政府が大規模な改革を行えない限り、経済が不況から抜け出せないことだ。そして改革を行うためには、イタリアは政治を安定させなければならない。

 もしベルルスコーニ氏が倒閣に成功していたら、長引く政治不安を招いた可能性が十二分にあった。暫定政権が予算の成立を見届け、来年の選挙が前回と同じように手に負えない結果を生み、またしても左派と右派の連立政権が誕生する――という展開だ。

 最近の世論調査によれば、ベッペ・グリッロ氏の率いる型破りな政党で、どんな連立政権にも参画することを拒む5つ星運動が、依然として2割以上の票を獲得すると見られている。

自由国民は分裂、ベルルスコーニ氏はさらに厳しい苦境に

 ベルルスコーニ氏の構想は、労働組合と経営者の双方から、愕然としたような抗議の叫びを招いた。そして、数十人に上る自由国民の議員が閣僚たちの反乱に加わった。もはや、ベルルスコーニ氏の方針転換も、同氏が恐れていた党の分裂を阻止できなかった。議会で信任投票が行われた日の夜(レッタ氏は下院=代議院=でも信任を得た)、アルファノ氏が他の造反組と会合を開き、分派を立ち上げることで合意した。

 ベルルスコーニ氏は自党の一部を失い、何より重要なことに、レッタ政権に対する拒否権を失った。同氏を取り巻く状況がさらに悪化するのは確実だろう。脱税で有罪が確定した結果としての議会からの追放と、1年間の自宅軟禁または社会奉仕活動の開始、そして、さらなる有罪や起訴につながりかねない一連の判決が待ち受けている。

 イタリアの政治を10年以上支配し続け、それよりずっと長い間、政治に影響を与えてきたメディア王は、倒閣を試みる前から不快な苦境に立たされていた。今はもっとひどい苦境にある。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38889  

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コメント
 
01. 2013年10月09日 04:47:37 : weoASZQm6g

排外主義を日本もやるべきだ。

経済力が半減しても良い、外国人に日本固有の伝統の、文化文明を攪乱されて
は困る。

経済主義を止めて、文化主義へ。

失業者は国家がすべて雇い上げよ。文句を言う経済主義者は弾圧。
GDP半減ぐらいで良い。人の幸せとは何か、よぉ〜く考えるべきである。



02. 敏 2013年10月09日 07:24:05 : JT4J1baYguJw2 : dwo7s2yr7U
01<同意です!

03. 2013年10月09日 17:15:19 : yy7D5jhcis
たとえばビル・トッテンのように知性と技術を持ち、日本に帰化して日本文化も日本語も学んで社会に貢献する外国人であれば誰だって大歓迎だが..、全くその逆の連中に対して心を開いてとかいってもねえ...ロマ人の多くがこそ泥、スリなど犯罪を生業としていることは周知の事実だし、ロンドンなんかでは3万人そこそこのルーマニア系人口しかいないのにルーマニア系の犯罪件数が年に2万7千件だっていうし、自分たちの子供にまっとうな教育は施さないで、かっぱらいの方法ばかり教え込んで育てている連中を歓迎する国がないのは当たり前だ。

路上で大小垂れ流しにする中国(大陸)人が香港で嫌われるのも当たり前の話。


04. 2013年10月13日 18:17:00 : V7LcjdHQK6
資源が限られてるんだから、排外主義があるのは当たり前だろw
排外主義はやめろなんていってるやつは、頭は大丈夫なんだろうか
自分以外の人は排外主義やめろっていう意見ならわかるけど。
お断りいたします。

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