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国家と企業 ノーム・チョムスキーへのインタビュー (Zネット・ドイツ 2005年5月18日)
http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/602.html
投稿者 長間敏 日時 2013 年 3 月 02 日 23:47:19: 2ZipGG.4HfBgM
 

法に守られた人格「法人」=企業とはいったいどのような存在なのか。チョムスキーが明らかにしてくれています。少し長いですがTPPを考える上で非常に参考になれば幸いです。

引用元 http://www42.tok2.com/home/ieas/interview050518state_corp050903.htm
国家と企業 ノーム・チョムスキーへのインタビュー
(Zネット・ドイツ 2005年5月18日)
翻訳:寺島隆吉・岩井志ず子・寺島美紀子、公開2005年9月3日

Q:
 
 現代における二つの支配的権力構造、つまり、国家と多国籍企業についてお話ししていただきます。まず最初の質問ですが、この国家という概念の発生についてお伺いします。国家がなぜ生まれたのか、そして、その結果はどうであったかということです。

チョムスキー:

 そうですね、国民国家は多分にヨーロッパ的な発明です。つまり、同じようなものはあったのですが、近代的形態の国民国家は何世紀にもわたってほとんどヨーロッパで作り出されました。

 国民国家は不自然で人工的なので、極端な暴力によって押しつけられなければならないものでした。

 実際、ヨーロッパが何世紀にもわたって世界で最も残酷な地域であったのは、主として、そのような理由からです。

 それは、変化する文化や社会に国民国家というシステムを押しつけようとしたためであり、見ればわかるとおり、変化する文化や社会は、この人工的構造とは何の関係もなかったのです。

 実際、その派生的効果もまた、この概念を他の場所に広げる主な理由となりました。というのは、近代的国民国家を作る過程で、ヨーロッパは残酷な文化と暴力の技術を発展させ、そのことによって世界を征服することができたのですが、世界を征服しながら、その行く先々で同じく人工的で暴力的な国民国家を押しつけようとしたのです。

 今日の世界の主要紛争を見ればお分かりのように、そのほとんどは、ヨーロッパが意味もない国民国家システムを押しつけようと努力した残りかす(後遺症)です。そんなものが至る所に残っているのです。

 このわずかな例外は、米国やオーストラリアのようにヨーロッパ人の移住による植民地です。そこは、原住民を全く絶滅させました。だからそこではより同質的な社会ができあがっています。

 一方、ヨーロッパの野蛮な紛争が一九四五年に終わった主たる理由は、もしこのゲームをこれ以上続けたら自分達を絶滅させてしまうということがわかったからでした。だから一九四五年以来ヨーロッパ内部の平和があるのです。もはやドイツ人もフランス人も、お互いを殺しあうことが人生最高の目標であるとは思わないのです。

 国民国家体制が発展するにつれて様々な経済的整備も進み、それは一世紀ほど前に今日の企業資本主義に変化しました。たいていは議会による立法ではなく裁判の判決によって押しつけられたもので、国家と密接に結びつき、強力な国家体制に統合されています。

 だから今日、強力な国家G8をこの歴史から切り離すことはできません。G8は今エディンバラで会合を行っていますが、他の参加国は小さなものですから、実際には、G1とかG3とかというようなものです。

 多国籍企業システムは支配的国家に依存する巨大複合企業(コングロマリット)であり、現代の支配的国家を多国籍企業システムと区別することは不可能です。支配的国家に依存すると共に、支配的国家支配するという関係を持っているのです。

 事実、二世紀前、近代資本主義萌芽期にジェイムス・マジソンは、政府と企業との関係を「道具と暴君」と述べています。企業は政府の「道具であり暴君」である、と彼は言いました。現在それは実際に世界的定義となっています。多国籍企業は強力な国家の道具であり暴君です。したがって、企業と国家を区別することは非常に困難なのです。

Q:

 国民国家の初期、背後の社会的諸勢力は何であり、なぜ彼らはそうしたのだと思われますか?

チョムスキー:

 そうですね、それは領主がいた封建時代に始まり、領主や国王や法王や他の権力者との権力争いを通して、徐々に国民国家システムへと発展したのですが、その国民国家システム中で政治的権力と経済的利益が集中・結合し、画一的な体制を多様な社会に押しつけようとするまでになったのです。結局、ヨーロッパで国家システムが実際に固まったのは非常に最近のことで、記憶に残る範囲なのです。

 ヨーロッパには言葉が違うため祖母と話せない人々がたくさんいます。これはまさに政治的文化的経済的な力が新しく合体した結果であり、したがって現在それが壊れつつあるのは極めて当然なことです。したがってヨーロッパにおける最も健全な発展のひとつは、私の見解では、ヨーロッパのさまざまな地域でさまざまな度合いで進行しつつある一種の逆行・退化です。たとえばスペインでは、カタロニアやバスク地方が、そして程度はもっと限られていますが、他の地域も、実質的な自治を発展させています。

 私はここへ来る前、ちょうどイギリスにいました、いや本当はイギリスEngland ではなく、スコットランドです。スコットランドは今では一定の自治権をもっていますし、ウェールズも一定の自治権をもっています。これらは、実際の人間の利益や必要性と深い関係がある社会組織形態へ戻るという自然な発展だと、私は思います。

 実際、私はトルコ政府の治安法廷によってずっと捜査対象になっていました。多分今でもそうです。トルコ政府が分離主義と呼ぶものを私が説いたためです。確かに私は、トルコ東部の南にある都市ディヤルバクル[クルド人にとって実質的首都]で講演したとき、オスマン帝国についていくらか好意的な意見を述べました。

 私が述べたのは、オスマン帝国復活を望むものがいるということではなく、オスマン帝国が多くのことについて正しい考えを持っていたということなのです。そのひとつは、オスマン帝国が人々に干渉しなかったということです。それは或る部分、腐敗と弱体のためでもありますが、また、教義上の理由による部分もあるのです。

 オスマン帝国支配下全域には国家システムなど全くありませんでした。だから各都市では、ギリシャ人が自分達のことは自分達で行い、アルメニア人も自分達のことは自分達で行い、他の人々も自分たちの都市で自分の役目を果たしていたです。そしてそれが一体となっていたのです。国境とか検問所などを越えたりせずに誰でもカイロからバグダッドやイスタンブールまで行くことができたのです。

 多分それが、世界のその地域にとって、また世界のあらゆる地域にとって、組織というものの正しい形態なのです。その傾向は、ヨーロッパにおいては文化的レベルだけでなくある程度まで政治的レベルでも、かなりはっきりしています。それは、しばしば非常に独裁的であるEUの中央集権的傾向、特に中央銀行の巨大な力にたいしての反動であると私は思います。

しかし、このEUあるいは中央銀行は経済的政治的社会的権力の高度な集中と完全に結びつき、それらは「国家権力と密接な関係を持ち、国家権力に依存している、不可解で私的な暴君」の手中にあるのです。

Q:

 企業がどのようにしてそれほど力を持つようになったのか話してください。

チョムスキー:

 どのようにしてそれほど力を持つようになったのか?それについては我々にはよく知っています。

 一九世紀後半には巨大な市場の倒壊、市場惨事がありました。それは極めて短期間でしたが、部分的ですが真の意味で何かしら資本主義的実験でした。つまり本当の自由市場を実験してみたのです。それがまったくの失敗だったので、自由競争ではビジネスはやってゆけないとしてやめてしまいました。一九世紀後半には、こうした根本的な市場の倒壊を克服しようという動きがおこり、それがトラスト、カルテルなどのような様々な形態の資本集中につながったのです。そのなかから出てきたのが現代の企業形態なのです。

 企業は裁判所から権利を与えられたのでした。私は英米の歴史はかなり知っていますが、他のところでもほとんど同じようなものだと思いますので、以下はその例に沿ってお話しします。英米の制度では、立法者ではなく裁判所が、企業の存在に並はずれた権利を与えました。裁判所は企業に人間の権利[法人としての権利]を与えたのです。つまり、企業が言論の自由をもち、自由に宣伝したり広告を出したりすることができ、選挙なども行うことのできる権利です。また企業は国家権力による監査からも保護されています。ですから警察があなたのアパートに入ってあなたの書類を読むことが技術的にはできないのと同じように、大衆はこれらの全体主義的存在の内部で何が行われているのか見つけることができないのです。企業は大衆にはほとんど説明責任を持たない存在なのです。

 もちろん企業は本当の人間ではありません。ですから不死身であり、集産主義的な法的存在です。事実、企業は我々のよく知っている別の組織形態と酷似しています。二〇世紀に発展した全体主義のひとつの形態です。全体主義は滅びましたが、企業は依然として存在し続け、のちには本当の人間の場合なら病的状態だと呼ぶようなものになるべく、法律で規定され保護されたのです。

 したがって、法律は権力と利益を最大限にするよう企業に要求しています。他にどのような影響が出ようとも構わないのです。法律は損失を他者の転嫁するよう企業に要求しているのです。もし企業が大衆や未来の世代に企業コストを支払わせることができるならば、そうすることを法律は求めているのです。経営陣がそれ以外のことをするというのは、むしろ法律違反なのです。

 現在、いわゆる通商協定(本当は通商とはあまり関係がないのですが)と呼ばれるものの中で、企業は人間の権利をはるかに越えた権利を与えられています。企業はいわゆる「内国民待遇」という権利を与えられています。人間にはそのような権利はありません。もしメキシコ人がニューヨークへ行っても、「内国民待遇」を要求できませんが、もしジェネラルモーターズがメキシコへ行けば「国家的待遇」を要求できます。事実、企業は国を訴えることさえできます。しかし、あなたや私にはできません。

 このように企業は人間以上の権利を与えられているのです。企業は不死身で、並はずれた力を有し、法的保護によって病的体質をもち、それが全体主義の今日的形態なのです。それらは本当の競争などはせず、互いに連携しているのです。だからシーメンスとIBMと東芝は共同事業を行うのです。どの企業も国家権力に強く依存しています。現代経済の活力は、たいていは国家部門から来ていて、それが民間部門に移行するだけです。「新経済」と呼ばれるもののほとんどすべての側面が、公共の費用と公共のリスクで開発・企画されたものです。コンピューター、電気一般、遠距離通信、インターネット、レーザーなど全てです。

 ラジオを例にとってみましょう。ラジオはアメリカ海軍によって計画されました。大量生産、現代の大量生産は兵器工場のなかで発展しました。一世紀前に戻ると、電気技術や機械技術の主要な問題は、動く作業台すなわち船にどのようにして巨大な大砲を据え付けるかということでした。目的は動く物体すなわち別の船を撃てるようにというもので、それが海軍の砲術でした。それが冶金術や電気技術、機械技術などの最も先進的な問題でした。イギリスとドイツはそれに莫大な努力をそそぎ、米国はそれほどではありませんでした。関連した革新の中から自動車産業などが生まれました。事実、経済において、厳密には国家部門に依存していないものを見つけることは大変困難です。

 第二次大戦後、これは特にアメリカにおいて飛躍的に質的発展をとげました。そして、連邦準備制度理事会(FRB)議長アラン・グリーンスパンや他の人たちが「企業家の主導権」だとか「消費者の選択」だとか、ビジネス大学院などで学ぶようなことについていろいろ演説していますが、これは現実に機能している経済とはほとんど類似点がありません。事実、このすべての顕著な例は、最近の助成金の変化です。その例を主要な工科大学であるMITで非常に明瞭に見ることができます。私が五〇年前MITに入った時、それは百パーセント、ペンタゴンの助成金でした。一九七〇年頃までそうでしたが、それ以来、ペンタゴンの助成金は減少してきて、国立健康研究所(National Institutes of Health)や他のいわゆる保健関連の国家機構からの助成金が増えているのです。

 理由は、何人かの理論的経済学者を除くすべての人にとって明らかです。理由は、五〇年代と六〇年代の経済の最先端が電子工学にあり、したがって防衛という口実で大衆がその費用を払うのは意味があったということでした。現在では経済の最先端は生物学になりつつあるのです。生物工学(バイオテクノロジー)とか、遺伝子工学とか、薬学とか、そういったものに大衆が費用を支払うとか、あなたもご存知のように、癌だとかその他の病気の治療法を見つけるという口実のもとにリスクを負うことが意味あることなのです。

 実際、今起こっていることは、ただ、生物学にもとづいた未来の私企業のために社会基盤と見通しを発展させているだけなのです。私企業は幸せにも、大衆に危険と費用を支払わせ背負わせ、その後その成果を私企業へと移譲して利益をあげさせるのです。企業エリートの観点からすれば、この国家と私企業との相互交渉は、完璧な仕組みです。他にも同様な相互交渉はたくさんあります。たとえば、ペンタゴンは経済発展のためだけにあるのではなく、世界が確実に企業の「友好的な」規則に従うようにするためにあるのです。したがって、その結びつきは全く複雑なものです。

Q:

 企業の性格のほうに話を戻したいと思います。私の質問は、ドイツ型多国籍企業と英米型多国籍企業との違いはあるのだろうかということです。私がなぜこのような質問をしているかというと、ドイツ銀行が来年六千人を解雇するつもりだと発表したからです。年間利益が二〇億五千万ドルを超えたと発表した直後のことで、ドイツのあらゆる政治的方面で厳しく非難されました。ドイツ銀行は自らをもはや「ドイツ人」とは呼べないだろうと言われました。ドイツ銀行は社会的責任を欠いているとも非難されました。私の質問は、社会的責任のある企業というような概念が可能なのかということです。

チョムスキー:

 それは慈悲深い独裁政権という概念のようなものです。つまりそれは可能です。慈悲深い独裁政権をもつことは、無慈悲な独裁政権をもつことよりは良い、と言えます。もし独裁者を持たなければならないならば、貧しい子供たちにキャンディを与えるような良い人を持つ方がよいでしょうが、それでもなお、それが独裁政権であることには変わりありません。ですから、大衆が企業にいくらか人間的な行為をするように強制するという意味において、社会的責任をもつ企業を持つことはできます。

実際これは英米法にも同様に組み込まれています。だからご存知のように、司法判断=法律は企業に力と利益を最大にするよう要求していますが、また特に企業はテレビカメラがそばにいれば、つまりそれが純粋に偽善的であれば、少なくとも人間的な行為をすることが可能です。だから、もし製薬会社が貧しい隣人たちに薬を与えたければ、それが利益を上げると断言できるPR目的であるかぎりは、良いのです。それは企業利益を最大にすることであり、ちょっぴり良いこともできるというわけです。

 さらに法廷は企業に人間的な行為を行うようにと促しさえしました。さもないと(引用しますと)「目覚めた大衆」が企業の本質は何なのかを発見し、企業の権利や特権をなくす運動をするかもしれません。そこで「目覚めた大衆」を増やさないために、親切で慈悲深いイメージを打ち出すのは良い考えなのです。同じことは政治的独裁政権や国王などにも言えると思います。

 ですから、社会的責任をもつ企業というのはありえますし、残酷で殺人的な企業よりはましです。さまざまな種類の全体主義の場合とそっくり同じです。そして大衆はそちらのほうを好むでしょうが、本当の問題はそういうことではありません。問題は説明責任のない私的権力の集中なのです。それはともかく、そうですね、大衆の圧力のもとでは多少は慈悲深くなるでしょうね。

Q:

 多国籍企業は、ときに「事実上の政府」や「実質的議会」だと呼ばれています。今日、多国籍企業はかなりの程度まで国家を支配しています。しかし国家は「エリート」の利益ではなく、人々の利益を守るものと考えられていました。国家は実際に死んだと思われますか?

チョムスキー:

 そうですね、それは大衆次第です。つまり、伝統的に国家は私的権力の守り手です。国家が権力であるか、それとも国家が私的権力を守るかのいずれかです。これをめぐってはつねに戦いがあり、それゆえに大衆のたえざる戦いによって我々はかってよりも多くの自由を得ているのです。

 第二次大戦の終わりまでには、ほとんど世界中に一種の急進的民主主義、実際には革命的民主主義の傾向がありました。戦争は巨大な影響を与え、実際に英米(戦勝国)の戦後最初の政策は、反ファシスト抵抗運動を潰そうとすることでした。つまりそれがヨーロッパと日本の戦後史の第1章だったのです。

「反ファシスト抵抗運動をつぶし、今度は勝利者に従う伝統的社会を取り戻せ。」それが多くの地域で相当な残酷さをもって起こりました。たとえばギリシャでは、英国と(主には)米国がおそらく約十五万人を殺害し、残ったのは元ファシスト残党でした。実際に、ファシストのクーデターが起こり、七〇年代半ばまで続きました。

 イタリアでは米国がただちに介入し、大衆の民主主義運動を妨害し、イタリア総選挙を潰そうとしました。事実、イタリアは少なくとも一九七〇年代まで、CIA破壊破壊工作員の主要な標的であり、軍事クーデターやテロなどを支援したのです。同じようなことはドイツやフランスや日本やその他のところでありました。

 したがって最初の目的は、伝統的社会の基本構造を回復し、反ファシスト抵抗運動を壊滅させ、大衆の労働運動を弾圧したりすることでしたが、それは完璧にはなしえませんでした。そこで急進的な民主主義の攻勢を、米国でも、幾分かは受け入れざるをえませんでした。だから「福祉国家」の制度すなわち社会民主主義制度の時期があるのです。この制度のもとで、国家が大衆の要求に応じる振る舞いを強いられたというのは事実です。そしてそれがヨーロッパの社会的市場や、米英などの福祉国家につながっているのです。

Q:

 しかし、それは民衆が・・・

チョムスキー:

 そうです、民衆がそうさせたのであり、実際には金融取り決めがそれを裏付けました。だから第二次大戦後、英米によって考えられたブレトン・ウッズ体制は、資本の支配と比較的に固定した通貨に基づいていました。そしてそれは、国家が資本の動きを統制する権利をもたないかぎりは、民主主義は保てないとの考えの下に、たいへん意識的に実行されました。さもなければ、投資家や金融業者の「実質的議会」は国の政策を簡単に支配できたからです。

Q:

 この問題に関して、それが実際、我々が得ようとしていることです。国家というものが或る時期には或る意味で強化されなければならないのではないかということについて大変な論争がありました。というのは、私たちは政治家から「よろしい、我々は君たちのために何かをしたいんだが、企業が我々にそうさせてくれないんだよ」と絶えず聞かされているからです。

チョムスキー:

 しかし国家による統制は意図的なものです。戦後の体制は国家が資本の統制を利用できるように設計されました。

それは投資家や金融業者や銀行や企業が国内経済を管理運営できないようにするためです。だからこそ通貨も相互に固定されました。それは投機が政府決定を攻撃するもうひとつの方法だから、それを防ぐためです。

そして、これによって政府が企業支配から比較的自由に政策を遂行できるようになったこと、また今度は逆に史上最大の経済成長につながったということが、とても意識的に理解されていましたし、秘密ではありませんでした。

 第二次大戦後の最初の二五年間は、しばしば「資本主義の黄金時代」と呼ばれますが、空前絶後そのような成長はないであろうというほど、その時代は大変急速な成長があり、それは或る程度、平等主義の成長でもありました。だからその時代には、主要諸国のなかで最も平等主義的でない米国においても、下層の二〇パーセントがトップの二〇パーセント以上の利益を実際には得ていたのです。

それは七〇年代初頭まで続きました。その頃から大きな反動が始まりました。エリートにとって当然のことながら大きな脅威だと考えられている民主主義をつぶすためであり、また福祉国家の制度をつくれというという大衆の要求に応えられる政府の制度を掘り崩すためでした。

最初の動きは実際に、資本への統制をなくすことでした。資本統制の核心はいかなる意味でも政府に独立した決定権を許すことにありますから、その支配権をなくし、通貨を自由に流通させればいいのです。そうすれば通貨に対する投機の巨大爆発がおこるのです。まだ他の方法も多くあります。

 事実、新自由主義のプログラムを見てみると、その中のどの一つの要素をとってみても民主主義を潰すように考えられています。通貨の固定をやめることや資本逃避の自由化もそうです。

民営化ということは、その定義上からして当然、民主主義をなくすことです。それは公共の場から全てを取り去ることです。色々なサービスを私企業の支配のもとに置くように変えるということは、政府がやろうとすることの全てを取り去ることです。

だから、ドイツ人がそう言うのなら、確かにそうなのです。なぜならドイツ人がそう設計したのだから。国家が、市民の要求に応えられる能力を失い、私企業の権力集中に応えるように強要される、そんなシステムをドイツ人は設計したのです。

Q:

 重要なことは、それでもそれを覆すことができるということですね。

チョムスキー:

 もちろん覆せます。事実それは一九四五年に覆されました。ですからブレトン・ウッズ体制に戻ろうということは特に急進的な立場ではありません。つまり誰もそんなことはしたくないのです。それは誰に完全に理解されていることです。ですから、もちろんそれは覆せるのです。事実、企業は存在する必要はありません。どんなかたちの独裁も存在する必要がないと同様です。

Q:

 もしかしたらこれが、アルゼンチンの「ボスのいない労働者」運動が、ここではなぜあまり知られていない理由でしょうか?つまりここでは誰もそれについて知らないのです。主流メディアで論じられていません。

チョムスキー:

 どのような形態の民主主義的参加も抑圧されねばならないのです。だから「反グローバル化」運動と呼ばれるものについての記述を読むと、窓や何かへ投石する人々、暴動をおこす人間のクズどもというように書かれているのです。

 世界社会フォーラム(WSF)についての記事を読むと、まったく面白いです。世界社会フォーラム(WSF)と世界経済フォーラム(WEF)は同時に開催されました。世界経済フォーラム(WEF)は、たいていが立派なレストランへ行ったりする金持ちです。世界社会フォーラム(WSF)は、アフリカとブラジルの関係とか、国際経済政策とか、そうした世界の真の問題についてきめ細かく多方面にわたって論議するのです。

 もしその記述を見てみれば(私は実際見て較べたのですが)、世界経済フォーラム(WEF)は、世界の深い知性の持ち主たちが重要な問題を扱う、何か深遠なもののように記述されており、一方、世界社会フォーラム(WSF)は、人々がお祭りをしたりゲームをしたりしていると記述されているのです。実際には文字通り反ユダヤ主義(反セム主義)の中心として記述されています。あなたが二〇〇三年の世界社会フォーラム(WSF)にいらしたのかどうか知りませんが、米国の外交政策誌の記述のされ方では、ネオ・ナチのカギ十字旗であふれていた等々というものでした。

 または最近の例、イラク総選挙をとってみましょう。 事実、選挙は非暴力抵抗の重要な勝利でした。非暴力の大衆の抵抗が、英米に選挙を受け入れるようにさせたのでした。そのように書いた記者を誰か見つけようとしてみなさい。実際ビジネス誌がその点を指摘していますが、他のほとんどどれも書いていません。

Q:

 『クリスチャン・サイエンス・モニター』誌が、「シスターニ・ファクター」という題名の論文で「シスターニ・ファクター」と呼んだものは…。

チョムスキー:

 「シスターニ・ファクター」ですか、そうですね、たまには良識と分別のあるレポーターならそれを知っています。[シスターニ師とはイラクにおけるシーア派の最高指導者]

Q:

 私が言ったのは、あなたがそれをZネットのブログblogで言及されていたからです。

チョムスキー:

 そうです。そこでは、私は自分の気がついたことは何でも言及しています。主に伝えられた話は(それを指摘した人々がいて、皆がそれを知っているということですが)、英米がイラクに民主主義をもたらすために素晴らしい選挙を立派におこなった、というものです。それはまったくばかげたことで、その直前に進行していた事件を見ればわかります。しかしながら同様の理由で、それを「デモンストレイション選挙」と呼ぶことは(多くの私の友人がそのように述べていますが)適切ではないと思います。

Q:

 つまり、英米は選挙をするよう強制されたということですか。

チョムスキー:

 英米は、多かれ少なかれ本物の選挙を受け入れるように強制されたのです。

Q:

 しかし、「デモンストレイション選挙」というような他の記述についてはどうですか?

チョムスキー:

 左翼によってだけそのように記述されています。しかし主流メデイアは、イラクに民主主義をもたらそうというブッシュの救世主的ビジョンによって行われた素晴らしい選挙である、と述べています。そんなものでもないし、また、「デモンストレイション選挙」でもありません。

それは、今でも占領軍が覆そうとしている水準の選挙を、占領軍に許可させたという、人民の抵抗でした。それは、エルサルバドルやヴェトナムで起きたこととは全くちがいます。

エルサルバドルやヴェトナムでは占領が合法であるという雰囲気を与えるために、占領軍によって作り上げられた全くの「デモンストレイションの選挙」がおこなわれました。それはイラクで起こったこととはちがいます。ロバート・フィスクのような最も知識と経験の豊かな通信員の現地レポートからもそれは明らかです。

イラクでは、それは大衆の非暴力的抵抗運動であり、それは彼らが占領軍に受け入れさせた選挙です。それを占領軍は覆そうとしているのです。だからと言って立派な選挙だった、などとは言っていません。立派な選挙ではありませんでしたが、エルサルバドルやヴェトナムの選挙と同じ理由だったわけではないのです。

 つまり、この占領の信じがたい失敗の一部なのです。

 つまり、ヨーロッパを占領したナチスのことを考えてみれば、アメリカが今イラクで味わっているような困難をナチスは経験しませんでした。ナチスのヨーロッパ占領は、はるかに混乱の小さなものでした。  

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コメント
 
01. OVNI43free 2013年3月04日 23:06:15 : IhyfVrYJsi8bA : YWCIGuFF4Q
 このスレいつまでたってもノーコメントなので私が一言。

 チョムスキー氏も多方面にわたって意見を発信しておられますが、元々の専門の言語学はどうなったんでしょう。学生時代に一夏を費やして読んだ、氏のSyntactic structuresとAspects of the theory of syntaxは後で考えるととんでもない時間の浪費でした。生成文法はその後見事に開花して多くの成果を上げてきていますが、元の理論とは大きくかけ離れたものになってしまっています。
 言いっ放しは良くないと思いますよ。自身の発言に最低限の責任は持たないと・・・そういうわけでどうしても氏の発言は素直に聞けない部分があるんですね。


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