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日本の中のCIAエージェント(浮世風呂)
http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/224.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 5 月 24 日 06:38:53: 8rnauVNerwl2s
 

日本の中のCIAエージェントの話は日本の政治の基礎知識です。

よくまとまってますが、日本の左翼に対するCIAの工作が漏れてますね。


浮世風呂から
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/31b8776d983469bad82ffec40288122b


日本の政界、財界、マスコミ、学者、評論家、右翼・暴力団などあらゆる分野に張り巡らされたCIAのスパイ・エージェントの数は一体どのくらいになるのであろうか

日本で活動する実行部隊(オペレーション担当)は工作員指揮官として、まず3人の現地工作員の指揮に当たる。そして、工作員はそれぞれ3人の配下(協力者)を抱え、3人の配下もさらに3人の部下を抱える。つまり、1人の指揮官が3×3×3=27人の工作要員を指揮して情報収集などに当たっている。CIAエージェントとされる中には、本人が意識せずにCIAに対して情報提供をする者も含まれる。

外交官や軍人に偽装するOCS(Official Covers)と民間人に偽装するNOCS(Non Official Covers)とに分かれ、それぞれ活動しているというが、最近はNOCSを増やしつつあると分析されている。その理由は、2001年9月11日、米国で起きた同時多発テロが関係する。

 要するに、通常総勢、数百人もの工作要員が活動しているというのである。それが東日本大災害による福島原発の破壊に伴うデーター収集や、混乱に乗じたる各国のスパイの増員により、CIAも当然増員されているものと思われる。ようするに、スパイ防止法すらない日本はまさにスパイ天国というわけである。

★吉田茂

幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。

天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。

吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。

元自民党総裁=麻生太郎の祖父。

★辰巳栄一 (1895年1月19日ー1988年2月17日)

コードネーム「POLESTAR―5」

元陸軍中将
戦後の連合軍占領中は旧軍の反共主義工作機関「河辺機関」を率いた。警察予備隊の幹部人選に駐英武官当時からの上司であった吉田茂の腹心として関与。
内閣調査室や後の自衛隊の設置に関わる資料をアメリカ政府に流していた事が2009年10月、有馬哲夫・早稲田大学教授のアメリカ国立公文書記録管理局における機密解除資料調査で確認された。1975年1月から1978年12月まで偕行社会長を務めた。

★緒方竹虎 (1888年1月30日 - 1956年1月28日)

コードネーム「POCAPON(ポカポン)」

ジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。三男の緒方四十郎は元日本銀行理事。

緒方は12月にA級戦犯容疑者指名、1946年8月に公職追放、1947年9月戦犯容疑解除、1951年8月に追放解除となっている。A級戦犯容疑者指名がなければ、敗戦で社内の緒方派と反緒方派の対立が再燃して自らも調停に乗り出し、村山長挙社長が辞任していた朝日新聞社の社長に就任するはずであった。

追放解除の翌年にあたる1952年10月、第25回衆議院議員総選挙で福岡1区(当時)から出馬し、中野正剛の地盤を引き継いだうえに地元財界の支持を得て当選する。

第4次吉田内閣で当選1回ながら、国務大臣兼内閣官房長官、さらに副総理に任命され、翌1953年5月成立の第5次吉田内閣でも副総理に就任した。この政界での急速な階梯昇段の要因には、吉田茂の政治指南役だった古島一雄の紹介や、吉田が重光葵の後任として東久邇宮内閣外務大臣に就任したのが、近衛文麿と緒方の推薦によるものだったことなどが挙げられる。

なお、緒方は政界復帰前の1952年4月、吉田茂、村井順とともに、アメリカのCIA、イギリスのMI5、MI6などを参考にして、内閣総理大臣官房に「調査室」という小さな情報機関を設立した。これが現在の内閣情報調査室の源流である。

緒方は、これとは別に強力な情報機関、いわゆる日本版CIAを新設する構想を持っており、吉田内閣入閣でこの構想は一挙に表舞台に登場したが、国会や外務省、世論の激しい批判を浴び、第5次吉田内閣の下で内調の拡充・強化を図るにとどまった。しかし、このときの緒方の動きを、アメリカCIAは高く評価した。

★岸信介 (1896年11月13日 - 1987年8月7日)

言わずもがなスパイ。岸の『系譜』の政治家は、CIAのスパイである。
政治的に岸は日本の歴代首相のだれよりも右寄りだった。岸は、APACL(アジア人民反共連盟)、MRA(道徳再武装
運動)、統一教会など、右翼組織やCIAのフロント組織に深く関わっていた。

 首相をしりぞいた二年後の1962年9月には、東京で5日間にわたって開催されたAPACLの会合で基調演説を行なっている。また、日本郷友連盟や祖国防衛同士会など、民主主義の粉砕と天皇の政権復帰を擁護する極右団体の顧問もつとめた。
 岸は首相在任中に、日本を訪れたMRAの代表達に次のように挨拶している。「諸君は全世界に対して道徳的バックボーンを与えるようにしておられる。私はMRAが6週間にわたって(1960年5月から6月までの期間)我が国に与えた圧倒的な影響力に対して感謝の気持ちを表明したい」時あたかも、岸打倒を叫ぶ運動がピークに達しており、MRA代表団の訪日のタイミングのよさには目を見張るものがあった。

 岸は日本でもっとも反動的な首相だった。1957年から60年までの短い首相在任中に、岸内閣は史上まれに見る反進歩的な法案を提出した。一つは1958年、警察官の権限を拡大強化する警職法(警察官職務執行法)改正案であり、もう一つは1948年に廃止された紀元節の復活であった。統一教会といえば、CIAの命によりKCIA(韓国中央情報局)が組織し、操る宗教団体であることが後に明らかになった。岸と教会との密接な関係を示す一例として1974年5月、東京の帝国ホテルで開かれた『希望の日』実行委員会主宰の大晩餐会がある。『希望の日』とは、教会の世界的宣伝キャンペーンの一環の集会名だが、同実行委員長が岸信介だった。(『週刊新潮』1974年5月23日号より)>

★ハリー・カーン

ニューズウィークの元編集長。岸信介の英語の教師。ハリー・カーンはGHQの「アメリカ対日協議会」(ACJ)のエージェントだった。ACJはA級戦犯の釈放、公職追放された旧官僚の復職、解体された財閥の復興を仕切ったことで、戦後の日本に「ジャパン・ロビー」ともいうべき組織を作り上げていた。その中心メンバーなのに、その実態は本当に闇に包まれ日本国民には知られていない。日本のニューズウィーク編集部は今でもCIAのたまり場。

★児玉誉士夫 (1911年(2月18日 - 1984年1月17日)

日本の右翼運動家、黒幕、CIAエージェント。
暴力団・錦政会(後の稲川会)や東声会の顧問で、これら反社会勢力はCIAの行動隊。

朝鮮戦争(50年―53年)当時、CIAの前身である米戦略サービス局(OSS)の旧幹部グループは、右翼の児玉誉士夫氏らと組んで、日本の貯蔵庫から数トンのタングステンを米国に密輸、ミサイル強化のためタングステンを必要としていた米国防総省に1000万ドルで売却。これを調べている米メーン大学教授の資料によると、CIAは280万ドルを児玉にその見返りとして提供したという。

アメリカの国立公文書館が公開したCIA・中央情報局の機密文書に記されていたものによると、東西冷戦の初期、CIAは「右翼の大物」と言われ、戦犯の疑いで逮捕されたあと釈放された児玉誉士夫氏や、元陸軍参謀の辻政信氏らと接触し、中国など、共産圏の情報収集活動に当たらせたということだ。 しかし、文書の中でCIAは、こうした試みは、工作資金を持ち逃げされたり、情報をねつ造されるなどしてほとんど役に立たなかったと分析している。特に、児玉氏については「自身の富や権力を得ることが目的で、母国の将来には関心がなかった。諜報員としての価値はないに等しい」と酷評している。

★笹川良一 (1899年5月4日 - 1995年7月18日)

日本の政治運動家、右翼活動家、社会奉仕活動家。CIAエージェント。

★正力松太郎 (1885年4月11日 - 1969年10月9日)

コードネーム「PODAM」
読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍の、コードネーム・スパイ組織暗号名は、「ポハイク POHIKE」

ペンタゴンの資金提供で、日本テレビは創立される。
読売新聞と日本テレビはフル稼働で原子力のイメージアップに努め、CIAは原子力に対する日本の世論を転換させたのは正力の功績だと認めている。

日本の警察官僚、実業家、政治家。元読売新聞社社主。従二位勲一等。富山県高岡市名誉市民。京成電鉄OB。長期わたって、CIAエージェント。 正力松太郎や、読売ジャイアンツとの関係で、野球は警察利権。CIAの管轄下にある。

マスコミ操作を通じアメリカが常に「善」であると日本の市民を洗脳し、アメリカを批判する言論をマスコミに「登場」させない。アメリカ映画、音楽を大量に流し、アメリカが「すばらしい」国だと連日宣伝することが目的だとアメリカ国立公文書館 米国政府の心理戦争局の内部文書に書かれている。

★渡辺恒雄

読売新聞経営者。敗戦当時、日本にはテレビ局はNHKしか存在しなかった。米軍は3S作戦実行のため、戦前からのCIAスパイである読売新聞の創立者、正力松太郎とその部下渡辺恒雄(現在の読売新聞・経営者)に「命令」し、CIA直営のテレビ局として日本テレビの創立を命令する。CIAスパイエージェント正力松太郎は、CIAの資金で読売新聞を日本最大の新聞に育て上げるが、戦争中読売新聞は、日本の中国侵略と日米戦争を大々的に「アオッタ」新聞である。日本に中国侵略と日米戦争を行わせる事は、CIA新聞である読売新聞を使った米国の戦略であった。

正力松太郎と渡辺恒雄がCIA工作員として、読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍を創立し、その経営資金がCIAから出ている事実は、米国政府の心理戦争局の内部文書Records Relating to the Psychological Strategy Board Working Files 1951-53に明記されている。

米軍が武器を持ち日本に駐留し、日本を支配下に置いているように、読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍は、米軍の「兵器」として「作られた」。

 政治部の渡辺記者は大野番として出発したが、大野伴睦や児玉誉士夫に密着して子分役を務め、暴力団の東声会のクラブの運営委員に連なったり、ロッキード事件の前にワシントン特派員として、児玉の対米窓口を果たしたとも噂された。また、児玉が乗っ取った出版社の「弘文堂」では、若き日の中曽根と共同経営者に名を連ね、その時の株主仲間には児玉や中曽根の他に、大橋富重、萩原吉太郎、永田雅一、久保満沙雄のような、戦後の疑獄史の裏面に出没した政商たちが、読売の現役記者だった渡辺と共に名を連ねている。

★船橋洋一

朝日新聞が親中、新ロ論陣と左右に別れていた時代には、世論調査の信頼度も一定の範囲で存在したが、朝日新聞が小泉純一郎政権以降、船橋洋一主筆を筆頭に急速に親米化一色になった時点で、マスメディアが持ち続けるべきジャーナリズム精神は失われた。
人民日報提携紙、同じ住所に東亜日報を置く朝日新聞は、CIA資料からCIAエージェントと明らかにされてから、記事内容も支離滅裂である。過去の高飛車な断定報道を無かったかの様にスルーし、追いつめられると言い訳ばかりで決して謝罪もしない低レベルのゴシップ新聞社である。

★東久邇稔彦 (1887年12月3日 - 1990年1月20日)

旧皇族、陸軍軍人、陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。

第二次世界大戦後、敗戦処理内閣として憲政史上最初で最後の皇族内閣を組閣した。連合国に対する降伏文書の調印、陸海軍の解体、復員の処理を行い、一億総懺悔を唱え国内の混乱を収めようとしたが、歴代内閣在任最短期間の54日で総辞職した。

★辻政信 (1902年10月11日 - 1961年に行方不明)

元陸軍大佐。政治家。衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)。

旧軍人グループとの繋がりで反共陣営に参画。著書を次々出版しベストセラー作家としての知名度を確立した。旧軍の参謀だったという要素がプラスに働き、追放解除後の1952年に旧石川1区から衆議院議員に初当選。自由党を経て自由民主党・鳩山一郎派、石橋派に所属。石橋内閣時代に外遊をし、エジプトのガマール・アブドゥン=ナーセル、ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトー、中国の周恩来、インドのジャワハルラール・ネルーと会談している。衆議院議員4期目の途中だった1959年に岸信介攻撃で自民党を除名されて衆議院を辞職し、参議院議員(全国区)に鞍替えして第3位で当選した。

2005年(平成17年)に公開された、米中央情報局(CIA)極秘文書には『辻政信ファイル』が存在する。しかし、経験不足で諜報活動は失敗に終わった」としているほか、日本の再軍備をもくろんでいたとしてアメリカ側が警戒していたことが記されている。

★五島慶太 (1882年4月18日 - 1959年8月14日)

1944年(昭和19年)、東條英機内閣の運輸通信大臣に就任し、名古屋駅の交通緩和や船員の待遇改善などに貢献する。終戦後の1947年(昭和22年)、東條内閣の閣僚だったという事で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって公職追放者指定を受けた。公職追放後も影のご意見番として事実上企業活動に参加。大東急分割騒動の際も、むしろ自ら企業分割を推奨し大東急再編成の推進役を果たした。東急電鉄創業者。

★秋山浩
(旧731部隊情報提供者)

★有末精三 (1895年5月22日 - 1992年2月14日)

元陸軍中将 駐留米軍顧問 日本郷友連盟会長
CIAの記録によると有末とその部下は在日中国共産党員に情報を売っていたとされている。戦時中から、アメリカと中国共産党の二重スパイか。

★麻生達男 詳細不明

★福見秀雄 (1914年4月20日 - 1998年12月19日)

昭和時代後期の微生物学者。(旧731部隊関係者)
昭和22年創設の国立予防衛生研究所入所、細菌部長をへて、53年所長。55年長崎大学長。
藤野恒三郎と腸炎ビブリオを発見。インフルエンザワクチンの開発、集団接種などに力をそそいだ。死去。84歳。愛媛県出身。東京帝大卒。

★服部卓四郎 (1901年1月2日 - 1960年4月30日)

戦時中からアメリカのスパイであることが疑われる。
元陸軍大佐。
1942年(昭和17年)8月に始まったガダルカナル島の戦いにおいては、現地を視察した際、「補給路が確立されつつあり、この点について問題なし」と実情とかけ離れた報告をした。結果、陸軍は3万人以上の部隊を投入したが、撤退できたのは僅かに1万人足らずだった。

終戦後は、チャールズ・ウィロビーの元で日本の再軍備にかかわる。当初は、創設される警察予備隊の幕僚長に任じられる予定であったが、公職追放された人物を入隊させることはできないと民政局及び吉田茂首相(吉田に進言したのは辰巳栄一元中将を中心としたグループ)が反対したため、服部の幕僚長就任は実現しなかった。

1952年(昭和27年)10月31日付のCIA文書によると、服部らは、自由党の吉田茂首相が公職から追放された者や国粋主義者らに敵対的な姿勢を取っているとして、 同首相を暗殺し、民主党の鳩山一郎を首相に据える計画を立てた。辻政信が「今はクーデターを起こす時ではない」と服部らを説得し、服部らはクーデターは思いとどまったものの、政府高官の暗殺を検討したという。

★今村均

元陸軍大将。戦場で将兵の守るべき教訓を列挙した訓示、いわゆる「戦陣訓」を作成 した。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」。
インドネシアでは、民族独立を目指すスカルノとの友情を貫き、ラバウルでは陸軍7万人の兵を統率して、米軍の攻撃をもの
ともせずに、玉砕も飢えもさせずに敗戦まで持ちこたえ、無事に帰国させた。

オーストラリア軍の禁錮10年の判決により、1949年(昭和24年)に巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)に送られた。だが今村は「(未だに環境の悪い南方で服役をしている元部下たちの事を考えると)自分だけ東京にいることはできない」として、1950年(昭和25年)には自ら多数の日本軍将兵が収容されているマヌス島刑務所への入所を希望した。

積極的にスパイ活動に関与したとは思えない。

 戦犯として捕まった部下を救うために、自ら最高責任者として収容所に乗り込み、一人でも多くの部下を救うべく奮闘した。帰国後は、部下や、遺族の生活のために奔走した。その姿はマッカーサーをも感動させたのである。政治家や官僚、企業経営者の責任が問われる今、責任をとるとはどういうことか、今村将軍の生涯を振り返えれば答えが出るであろう。

★石井四郎 (1892年6月25日 - 1959年10月9日)

(旧731部隊長)
元陸軍軍人、軍医。関東軍防疫給水部長、第1軍軍医部長を歴任する。階級は陸軍軍医中将功三級医学博士。731部隊の創設者として防疫活動に従事した。多くの人体実験を行い細菌兵器を開発したとされる。

★賀屋興宣 (1889年1月30日 - 1977年4月28日)

コードネーム「POSONNET-1」

広島県広島市出身の大蔵官僚〜政治家。
大蔵(現財務省)官僚は、アメリカCIAのスパイである。

戦後A級戦犯として極東国際軍事裁判で終身刑となり、約10年間巣鴨プリズンに服役。

1955年(昭和30年)9月17日に鈴木貞一、橋本欣五郎らと共に仮釈放。1958年(昭和33年)赦免。同年第28回衆議院議員総選挙に旧東京3区から立候補し当選(以後5回連続当選)。岸信介首相の経済顧問や外交調査会長として安保改定に取り組んだほか、池田内閣の法務大臣、自民党政調会長などを歴任し、自由民主党右派・タカ派の政治家として有名だった。

1972年(昭和47年)、政界引退。「自由日本を守る会」を組織、中華民国擁護など独自の政治活動を続けた。

アメリカ共和党、中央情報局(CIA)や中華民国の蒋介石政権と強固な人脈を持ち、日本遺族会初代会長となる等、国際反共勢力、自民党、右翼のトライアングルを結ぶフィクサーとして国内外の右翼人脈を築いた。2007年(平成19年)に開示されたアメリカ国立公文書記録管理局所蔵の文書に、CIAの協力者(日本反共化のためのスパイ)だったことが記されている。

★小宮義孝 (1900年 2月18日埼玉県にて出生。

元東京大学医学部助教授国崎定洞(ドイツ共産党日本人部創設者で、旧ソ連に亡命後スターリン粛清の犠牲になったコミュニスト)の親友であり、東大医学部助手時代に治安維持法違反で検挙され、上海に渡った経歴を持つ。七三一部隊の石井四郎・秋山浩・福見秀雄と同様に細菌戦関与を疑われたが、もともと治安維持法で検挙され東大医学部助手から上海へ左遷された左翼。この小宮義孝を唯一の例外として、今回機密解除されたCIA個人ファイルには、左翼関係者は公開されていない。

★久原房之助 (1869年6月4日 - 1965年)

明らかにスパイ。
衆議院議員当選5回(16、17、18、19、25回総選挙)。逓信大臣、内閣参議、大政翼賛会総務、立憲政友会(久原派)総裁を歴任。日立製作所創立の基盤となった久原鉱業所(日立銅山)や久原財閥の総帥として「鉱山王」の異名を取った。義兄の鮎川義介と共に「政界の黒幕・フィクサー」と呼ばれ、右翼に資金を提供して二・二六事件に深く関与した。戦後はA級戦犯容疑者となり、公職追放となった。

明治の政商として活躍、藤田組を創業した藤田伝三郎は父・庄三郎の実弟にあたる。なお、庄三郎は伝三郎が「藤田伝三郎商会」(後の藤田組、現在のDOWAホールディングス)設立の際には共同経営者として名前を連ねている。

2回結婚しており(最初の妻が鮎川義介の妹・キヨ)、妾腹の子を含めると3男10女計13人の子に恵まれた。長女は元衆議院議長・石井光次郎に、三女は大隈重信の孫・信幸に、四女は元東京急行電鉄社長・五島昇に、八女は元スタンレー電気社長・北野隆興に嫁ぎ、九女と十女は米国人と結婚している。孫にシャンソン歌手の石井好子と元東急建設社長の五島哲、スタンレー電気社長の北野隆典がおり、曾孫に詩人・フランス文学者の朝吹亮二が、玄孫に小説家で第144回芥川龍之介賞を受賞した朝吹真理子がいる。

★前田稔 (1945年3月1日 - 1945年10月1日)

元海軍中将。航空艦隊司令長官。
「親ソ」でコミュニストの可能性。海軍内で暗躍したさほどの形跡はない。

★野村吉三郎 (1877年12月16日 - 1964年5月8日)

日米開戦時の駐米大使。
昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。

終戦後の1946年(昭和21年)8月に、野村は公職追放となるが、ACJ(アメリカ対日協議会)の面々は積極的に野村に近づき、定期的に(違法ではあるが)食料や煙草を送り、経済的に苦しい野村の便宜を図った。メンバーの一人であるウィリアム・リチャーズ・キャッスルは、野村を「日本を正しい道筋で、再び重要な国家となるように再建するのに役立つ人物の一人だ」と評した。

1953年(昭和28年)3月24日、同郷の松下幸之助に請われ、松下電器産業の資本傘下となった日本ビクターの社長に就任。空襲による会社や工場施設の焼失、戦後の労働争議などでの危機的経営を創生期の親会社で疎遠となっていたアメリカRCAと技術支援契約を結び再建の道筋をつける。

追放解除に伴い、吉田茂の要請で再軍備問題の調査にあたり、海上自衛隊の創設に深く関わる。これが縁で1954年(昭和29年)の第3回参議院議員補欠選挙(和歌山選挙区)に出馬・当選し、参議院議員となり、続く第5回参議院議員通常選挙(和歌山選挙区)にも当選した。
自由民主党に参加して、防衛政策を担当した他は、外交調査会会長を務め、松野鶴平の参議院議長就任に伴い党参議院議員会長に就任した。鳩山内閣・岸内閣で防衛庁長官への起用が取り沙汰されたが、日本国憲法における文民統制の観点から見送りになった。その後の人事では旧軍・自衛隊の士官経験者の防衛庁長官も誕生しているが、当時としてはまだ時期尚早で、なによりも野村が旧海軍軍人として大物過ぎたこと、そして日米開戦時の駐米大使としてあまりにも有名でありすぎたことが逆にたたる結果となった。

★大川周明 (1886年12月6日 - 1957年12月24日)

積極的にスパイ活動に関与したとは思えないが、CIAは、満鉄の情報を収集していたのではないだろうか。

日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。晩年、コーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究でも知られる。

★小野寺信 (1897年9月19日 - 1987年8月17日)

元陸軍少将。
スウェーデン公使館付武官に発令され、翌年1月、ストックホルムに着任し太平洋戦争を迎えた。1943年(昭和18年)8月、陸軍少将に進む。
この頃からSD国外諜報局長であるヴァルター・シェレンベルクと共に和平工作に従事する。敗戦後の1946年(昭和21年)3月に日本に帰国復員したが、同年7月まで4ヶ月間戦争犯罪人として巣鴨プリズンに拘留された。

★重光葵 (1887年7月29日 - 1957年1月26日)

第二次世界大戦期の、日本の外交官・政治家。
1943年(昭和18年)11月の大東亜会議を開くために奔走。人種差別をなくし亜細亜の国々が互いに自主独立を尊重し対等な立場での協力を宣言した。

公職追放解除後、改進党総裁・日本民主党副総裁を務めた。鳩山一郎派と合同して日本民主党を結党させる。1955年(昭和30年)の保守合同で自由民主党結党に参加。

★下村定 (1887年9月23日 - 1968年3月25日)

元陸軍大将。政治家。
終戦時下村は満州におり、下村の帰国まで東久邇陸軍大将宮が陸軍大臣を兼務している。第5回参議院議員通常選挙で全国区から出馬、当選し参議院議員を1期務めた。

★和知鷹二 (1893年2月1日 - 1978年10月30日)

元陸軍中将。1946年(昭和21年)1月、戦犯容疑(橘丸事件)で逮捕され巣鴨拘置所に拘留。1948年(昭和23年)4月13日、重労働6年の判決を受け、1950年(昭和25年)8月に仮釈放された。

★和智恒蔵 (旧姓・大野、1900年7月24日 - 1990年2月2日)

元海軍大佐で、硫黄島では海軍警備隊司令を務めた。
1946年4月25日から9月まで巣鴨プリズンに拘禁された。戦争から生還したことに責任を感じて出家し、天台宗の僧侶になる。硫黄島協会を設立して、慰霊と遺骨収集に生涯を捧げた。

★土肥原賢二

★中曽根康弘

ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。

 この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写し。米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。

 ロッキード事件は76年2月4日に米議会で暴露されたが、ロ社の裏金が渡った日本政府高官の名前は伏せられた。

 与野党いずれも政府に真相解明を要求。三木首相は2月18日、「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に要請すると決めた。

 文書によると、中曽根氏はその日の晩、米国大使館の関係者に接触し、自民党幹事長としてのメッセージを米政府に伝えるよう依頼した。中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。
さらに中曽根氏は翌19日の朝、要請内容を「もみ消すことを希望する」に変更したとされる。文書には、中曽根氏の言葉としてローマ字で「MOMIKESU」と書いてある。中曽根氏はその際、「田中」と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得たと明かした上で、「三木首相の判断によれば、もしこれが公表されると、三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と指摘したとされる。

 文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明だ。

 結果的に、事件の資料は、原則として公表しないことを条件に日本の検察に提供された。

★池田勇人

★佐藤栄作

2007年に公開された日本占領中のマッカーサーの諜報活動を詳述しているCIA文書など5万点に上る機密解除文書には、岸信介の弟である佐藤栄作元総理大臣が米国に対し「共産主義と戦うためにアメリカからの財政援助を願い出ていた」ことが書かれている。
また、佐藤栄作大臣(岸政権下の大蔵大臣)が当時の米国駐日大使館S.S.カーペンター大使館一等書記官と東京グランドホテルで秘密裏に会談し、資金援助を要請したことがS.S.カーペンター大使館一等書記官作成の覚書の中に書かれている。

米国のエージェントであった岸信介総理大臣が日本国民の反対運動を弾圧して調印した1960年の「日米安保条約」および米国のエージェントの佐藤栄作総理大臣が国民の反対運動を弾圧して調印した1970年「日米安保条約」は、調印した二人の日本国総理大臣が米国に買収されていたエージェントであった事実が暴露された時点で法的根拠を失い無効となるのは当然である。

なぜなら外国に買収された一国の総理大臣が買収した外国との間で調印した条約は無効となるからである。

★小泉純一郎

★竹中平蔵

★飯島勲

小泉元首相の秘書官だった。

★麻生太郎

第二次世界大戦後、中国とロシアが共産主義国になったため、日本を共産主義への防波堤に使おうと米国政府は考えた。日本が共産主義にならないよう米国は日本を豊かな国に育て、また巨大な米軍とCIAを日本に置き、日本を暗黙の「監視下」 に置いた。

その任務を担ったのが、初代CIA日本支局長ポール・ブルームであった。

ブルームは東京の渋谷区神山町22番地に住居を持ち、その近所には2008年現在の麻生太郎元首相の生家があった。当時の総理大臣吉田茂は麻生の祖父であり、麻生の家で、CIA日本支局長ブルームと吉田首相は、日本の経済成長や米軍駐留の政策について深夜まで話し合った。

やがてブルームは麻生太郎を自宅に引き取り、自分の「後継者」として、CIA日本エージェント=工作員として育てる。

★佐野忠克

鳩山由起夫政権時の政務担当首相秘書官。
首相秘書官の内訳は、慣例的に政務担当1名、事務担当4名の計5名で構成され、それぞれ外務省、財務省、警察庁、経済産業省の各省庁から1名ずつ出向する形で就任する。財務省出身者が事務秘書官の中で筆頭格とされ、他の事務秘書官よりも年次が上の者が就けられる。

佐野忠克氏は、1969年(昭和44年)4月 通商産業省入省、 1993年(平成5年)8月 総理府 細川護熙内閣総理大臣秘書官(事務担当)につき、鳩山総理と接点ができている。

当初、鳩山総理は、小泉元首相の秘書官だった飯島勲氏のように、芳賀大輔氏を首相秘書官に起用する予定だったようだが、偽装献金事件で潰されてしまった。だから、旧知の佐野氏に白羽の矢が立った、ということだ。

平野博文官房長官は14日午後の記者会見で、鳩山由紀夫首相とともに訪米して米国に残っている佐野忠克首相秘書官が、スタインバーグ国務副長官と会談することを明らかにした。米国務省「ナンバー2」が日本の首相秘書官と会談するのは極めて異例。米軍普天間飛行場移設問題について、佐野氏は日本側の検討状況などについて説明するとみられる。(時事トッドコム  2010/04/14-17:23)≫

また、記事の主旨には賛成できないが、「現代ビジネス」に「徳田虎雄との会談を仕掛けた佐野忠克首相秘書官」と題し、田崎史郎が書いている。(参照)

≪ 鳩山が動きだしたのは4月28日、徳之島出身の元衆院議員・徳田虎雄との会談からだった。そもそも徳田と会談したことがまず疑問だ。 徳田虎雄が1980年代に衆院奄美群島選挙区(定数1)で保岡興治と「保徳戦争」と呼ばれるほど激しい選挙を戦い、選挙違反で逮捕者が続出したこと、徳洲会の病院経営、彼の政治活動などを多少知っていれば、接触することにもっと注意を払っただろう。

案の定、会談内容は、同席した衆院議員の二男・毅からマスコミに公表された。毅は自民党に所属している。毅がマスコミに、あるいは自民党にすべて話してしまうことは容易に想像できたはずだ。
徳田が会談を受けた時、「これはトラップ(罠)かもしれない」という懸念を抱かなかったのだろうか。
 
この会談の設定は政務担当の首相秘書官・佐野忠克を中心に進められた。・・・佐野は鳩山と徳田との会談を他の秘書官はもちろん官房副長官・松井孝治らともほとんど相談しなかった。時期もまずく、住民の反対集会が4月18日に徳之島で開かれた後では、地元を説得しようとしてもできるはずがない。≫

★勝栄二郎 (元財務省事務次官)

★松元 崇(財務省)
★清水 治(財務省)
★竹歳 誠(財務省)勝栄二郎と東大時代からの盟友
★太田 充(財務省)
★宇波弘貴(財務省)
★小宮義之(財務省)
★吉井浩氏(財務省)
★井藤英樹(財務省)
★宇波弘貴(財務省)
★大串博士 衆議院議員(財務省出身)

★東京地検特捜部

東京地検特捜部の歴代トップは、全員CIAに留学し、CIAの対日工作員としての徹底的教育を受け、日本に帰国する。この教育を受けた者でなければ、東京地検特捜部、そして日本の警察機構の中で、上層部に出世する事は出来ない。

時には、防衛省の守屋事務次官の事件のように、米国CIAから東京地検への直通ファックスによる「摘発指令」が来ることもある。

★マイケル・グリーン CSISの日本部長

★ジェラルド・カーチス(コロンビア大学教授)=CIA工作員。

その妻・深井翠の父は深井武夫

日本を経済植民地にするためにマスコミに暗躍。要注意人物。大学教授、自民民主議員はCIA工作員多い。小泉純一郎と同じく、日本属国化の手先である。郵政民営化、消費税=法人税減税、外資による日本企業買収法、TPPは、米国の命令によってなされた。

 CIAエージェントリスト

★深井武夫 米国による日本情報統治の父。時事通信社

昭和24年(1949年)に当時アメリカ占領軍のC I E の調査担当のハ−バ−ト・パッシング博士等の推薦で、アメリカ、ミシガン大学のサ−ベイ・リサ−チ・センタ−に招かれた。そこで知ったことは、世論調査とともに科学的な市場調査の重要性であった。帰国後そのことはいち早く時事通信社にもたらされた。すぐにこの事が話題になり、市場調査研究会が結成され、日本で初めて世論調査を導入する。(時事通信社と共同通信はCIAによって設立された。)

★稲盛和夫

「アブシャイア・イナモリ・リーダーシップアカデミー」をCSIS内に作った。稲森は、生前から松下幸之助と昵懇で政経塾の世話人となってきた。その稲森が典型的な「ジャパン・ハンドラー」であるCSISに、政経塾メンバーを送り込むという構図。

★江口克彦

江口は松下幸之助の側近中の側近。松下の意向を受けで、松下政経塾の司令塔であるPHP研究所の社長になっでコントロールしていた。その人物が最高位に就任している以上、「みんなの党」は松下政経塾政権の別働隊と分析できる。

★加藤紘一娘、加藤亜由子
★中曽根康弘の孫、中曽根康隆
★小泉進次郎

 右の女性は、カーチス教授の娘・ジェニー

小泉進次郎 だけでない。3人とも、ジェラルド・カーティス教授とのコネで国際関係(SIPA)に入学。

★浜田和幸

CSISで研究員をしていた、国民新党所属の参議院議員。

★渡辺恒三

CIA指令「小沢抹殺」実行の主役の一人である。原発利権とCIA工作によって寝返った。国のレベルでも地方のレベルでも、渡辺恒三一族は従米ネオコンエージェント活動を主導している。

★渡辺恒三の息子、渡辺恒雄

グリーンの教え子で、肩書きもCSIS(シー・エス・アイ・エス)の研究員である。
鳩山・小澤の政権時、息子の恒雄が、前原誠司や枝野幸男ら民主党内の反小沢グループを何かあるとすぐにそそのかして民主党分裂策動を開始する。「七奉行の会」とかを作って定期的に会っている。ここに、岡田克也までがすぐにひきづられて連れて行かれる。そうして「アメリカとしては、鳩山、小沢のあとはお前たちに日本の政治を任せようと考えている」とマイケル・グリーンが、渡部恒雄と出てきて盛んに扇動していた。

★渡辺恒三の甥っ子、佐藤雄平

福島県知事

★松下政経塾

★前原誠司

★長島昭久

SAIS(ジョンズホプキンズ大学高等国際問題研究大学院)ではプレジンスキー教授のゼミで仕込まれ、防衛省の政務官を経て野田の首相補佐官。マイケル・グリーンの使い走り。

★玄葉光一郎

★長浜博行

★樽床伸二

★創価学会

自民党にCIAの政治資金を流すと同時に、会館に名を借りてCIAの事務所・拠点を建設。

★池田大作

★統一教会

CIAが文鮮明(ムン・ソンミョン)に作らせた教団。公明党が出来てからは創価学会に代わって自民党に政治資金を流すと同時に、統一教会の資金で各国会議員に秘書を提供している。秘書と言ってもCIAの情報網であり議員の監視役である。

★文鮮明(ムン・ソンミョン)

★電通

★NTT

もともとCIAが作った通信網。

★時事通信社

CIAが作った通信社。

★共同通信社

CIAが作った通信社。

★三宝会

竹下登元首相の指示で96年に設立された。新開、テレビ、週刊誌、政治家、官僚、評論家が集まって、自民党にとっで最大の脅威だった小沢一郎をメディアの力で抹殺する作戦が展開された。最高顧問は竹下登、世話人が高橋利行(読売新聞世論調査部長)、後藤謙次(共同通信 編集委員)、芹川洋一(日本経済新開政治部次長)、佐田正樹(朝日新開電子電波メディア局局長付)、湯浅正巳(選択出版)(肩書きはすべて当時)。いま現在は、共同通信、ホリプロ、朝日、毎日、読売、日経、TBS、日テレ、フジ、テレ朝、講談社、文春、プレジデント、選択、朝日出版社が会員だというから、狙われたら抹殺される。中曽根内閣によるバブル経済時代にCIAと結んで日本の核装備のために、原発の建設を財界とともに推進して、現在の破局の基盤作りをしていた。それに協力したのがマスコミという構図。

★田中健五

「諸君!」初代編集長で文春タカ派路線の生みの親。文藝春秋の取材記者を経て、「諸君−!」から「文藝春秋」の編集長を経て、その後は社長にと出世していく。

大量の政府広報が記事のスタイルで、政府の機密費として文藝春秋に流れたことは、誌面を占めた政府提供記事で明白。
右翼の日本文化会議の機関誌が、内閣調査室の資金で文藝春秋から出て、保守的な言論活動を展開したわけである。


 

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コメント
 
01. 2013年5月24日 06:53:40 : ZhVZlvOY62
CIAなどによる、左派への働きかけは、副次的なもの
例えば、右派の力を抑制するためとか、そういう使われ方はしていない。全くしていない

左派への工作は、あくまでも左派内の分断を狙ってのもの
世界中そうだ

このことを理解できていれば
陰謀論的観点からも、左翼の存在など無視できるのだが

お前は、陰謀論者ではなく
「陰謀論」を、陰謀に利用しようとする極右のお仲間か
まんまと引っ掛かっている馬鹿でしかない


02. 2013年5月24日 07:09:53 : ZhVZlvOY62
例えば共産党の存在は、ここ最近のリベラル派からすれば、むしろ邪魔
しかし、右派からすれば邪魔でもなんでもない

分かるかね?(まあ理解できんのだろうが)

あえて温存されているものと
戦後一貫して、アメリカ支配の直接的な道具となったものとでは
そりゃあ評価が違う
どちらをまず放逐しなければならないか

ところがお前の主張を、素直に取ってやっても
お前の頭の中では、勢力は、拮抗しているらしい

しかも本心は、自分の極右的思考の言い訳にしたいだけとくれば
罵倒されて当然


03. 2013年5月24日 08:59:24 : oIhDSecI8c
セコウ
カタヤマ
デーブスペクター
パトリックハーラン
ゴミウリグループ ウジサンケイグループ  犬HK  デンツーグループ
ケイダンレン

04. 2013年5月24日 13:14:56 : hINe5Ywxuk
01さん
この記事都合悪かったの?

05. 2013年5月24日 18:35:53 : qMFaHroeuE
これらの連中は分かりやすいけど、もっと意外なのもいるんだよな
俳優とか歌手とか、スポーツ選手とか

06. 2013年5月25日 00:38:59 : g5TDYopKZI
>岸は日本でもっとも反動的な首相だった。1957年から60年までの短い首相在任中に、岸内閣は史上まれに見る反進歩的な法案を提出した。

>一つは1958年、警察官の権限を拡大強化する警職法(警察官職務執行法)改正案であり、もう一つは1948年に廃止された紀元節の復活であった。

>統一教会といえば、CIAの命によりKCIA(韓国中央情報局)が組織し、操る宗教団体であることが後に明らかになった。

>岸と教会との密接な関係を示す一例として1974年5月、東京の帝国ホテルで開かれた『希望の日』実行委員会主宰の大晩餐会がある。
>『希望の日』とは、教会の世界的宣伝キャンペーンの一環の集会名だが、同実行委員長が岸信介だった。(『週刊新潮』1974年5月23日号より)>

ほう。これが安倍晋三につながってるってことなのか?
http://www.ifvoc.org/sekaisisou/sekai13_03.html
そうだったのか。やっとわかったよ。


07. 2013年5月25日 08:30:46 : 8B1X8u1ocg
「公開」をしたということは「用済み」ということか、または、
「公開」する事でべつの目的を狙ったか、だ。まだ使える奴、使ってる中、は「公開」するだろうか?

中曽根については、吉田よりページ数が多く200頁以上もあり殆ど黒塗りだとか、細川政権当時の、したがって松本サリン事件以前の、雑誌マルコポーロで記事になってた。角影排除の後、日航ジャンボ御巣鷹山事件の時に総理、生前に「大勲位」を昭和天皇が授けた二人のうちの一人。もう一人は焼夷弾で日本人の婦女子非戦闘員を丸ごと焼殺する「戦略爆撃」を実行させたルメイだ(総理佐藤栄作、防衛長小泉純也)。共に飛行機惨事と関係あるニャ〜w

★和智恒蔵〜wiki〜
硫黄島警備隊司令を拝命し、
1944年3月に同島に赴して、海軍中佐として1362名の部下を持つ。大佐に昇進するが、作戦について口論したことが原因で、
1944年10月15日付けで横須賀鎮守府付として内地に転属になる。帰国後、熱海での休養の後、
1944年12月、南西方面艦隊司令部付となり、フィリピン大使館付武官を経て、
1945年2月15日に海軍水雷学校教官として長崎県川棚に赴任する
〜以上wiki〜
硫黄島や比島、決戦前になると内地へ人事異動、一年経たぬうちに!
帝国の軍中枢!スゴイね!他にモットスゴイのがいるだろうな
組織に派閥やコネや付き物。予備隊→庁→省→(国防軍)へ巨大化で何が巨大化するか。


政治家秘書には必ず入れてあるカモネ
有力者の息子の無名時代の"御学友"も、将来のために長期投資してるだろうネ。
スゴイ戦略眼だ。


08. 2013年6月27日 13:17:23 : VpPNTDDAdE
★稲盛和夫

「アブシャイア・イナモリ・リーダーシップアカデミー」をCSIS内に作った。稲森は、生前から松下幸之助と昵懇で政経塾の世話人となってきた。その稲森が典型的な「ジャパン・ハンドラー」であるCSISに、政経塾メンバーを送り込むという構図。


これでやっとわかりました。わりーやっちゃ。
あのベストセラーではきれいごとをぬけぬけと並べ立ててます。
なにが陰念仏なんでしょうね。
じごくいきかくてい。


09. をふぃh 2013年10月10日 19:19:45 : rkee3HZR.Kfu6 : UYtMTzbwqc
嘘を嘘と見抜ける人でないと使うのは難しい

10. 2014年4月01日 02:59:21 : ulnCc7MWYk
緒方竹虎氏がそうなら、御子息やその奥方もそうなるのかな。

■ 緒方竹虎自由党総裁もCIAに買収された米国のエージェントだった

2009-08-23 11:35:25 | 政治・社会
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/538fe3fcaf722828ee79376cabfa88ba


CIAは緒方氏を買収して保守合同させ自由民主党の総裁から首相に押し上げて日本政府を米政府の利害に沿って働かせるエージェントにしたのです。

緒方氏は日本政府・政界の情報をアレン・ダレスCIA長官に直接流していました。

当然ながら莫大な工作資金がCIAから緒方氏に払われていたはずです。

しかしながら緒方氏は1955年11月に結成された保守合同の自由民主党の初代総裁にはなれず翌年1月に死去したため、CIAは対日工作の主役を岸信介氏とA級戦犯であった賀屋興宣氏にシフトしたことが書かれています。

不思議なことにこの記事では、機密文書を分析した加藤哲郎一橋大大学院教授(政治学)が「当時のCIAは秘密組織ではなく緒方も自覚的なスパイではない」と言っています。

また記事を書いた毎日新聞後藤逸郎記者も「CIAが工作対象者に一方的につけるもので緒方、正力両氏の場合いわゆるスパイとは異なる」と言っています。

誰が見てもCIAのスパイであり米国のエージェントであり日本を米国に売った売国奴であると分かる緒方竹虎氏を一橋大大学院教授と毎日新聞記者は「緒方はCIAのスパイでなかった。米国のエージェントでなかった。」と主張しています。

なぜ彼らは緒方氏がCIAのスパイであったことを否定するのでしょうか?

学者やマスコミの人たちは、起きてしまった暗い過去は過去として歴史的経過を研究し発表し報道するが、現在とは関係ない過去の出来事としてそのまま「歴史の書庫」に研究対象をしまっておきたいのでしょう。

おそらく彼ら学者やマスコミの人たちは、戦後の日本が米国占領軍GHQとCIAによって基本的な支配構造が決定され、買収された日本人エージェントによって日本国民の独立と資産と生命・安全が米国に売り渡されてきた歴史に関与してきた事実を認めたくないからだと私には思われます。


11. 2015年8月16日 22:30:27 : bMLgq2oiqM

阿修羅の気になること(※ブロガー氏の名前)

吉田 茂という日本国の首相

2011-10-24 17:43:47
テーマ:気になる人物
http://ameblo.jp/ashura0604/entry-11057911190.html?frm_src=thumb_module


12. 2018年8月15日 01:33:19 : LCZ4au2kM6 : xmzuPwKujmo[2] 報告
ようするにアンチトランプ・アンチ共和党か。

ビナードさん、ショウニンヨッキュウっていっておいて、むじゅんしてない??
おやおや、きゅうにかんじにへんかんできなくなった。
さっきからおかしいげんしょうがおきる。

Yahoo!知恵袋

アメリカ人の工作員と言ったら誰だと思いますか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11189659541?__ysp=44Ot44OQ44O844OI44O744Kt44Oj44Oz44OZ44Or44KC57WQ5bGA44Gv5Y%2BN5pel5bel5L2c5ZOh

ara********さん

2018/4/2906:45:55
.

アメリカ人の工作員と言ったら誰だと思いますか?

俺は親米だけど、日本に潜んでいる工作員や、え、この人が!?といった意外な人物等に少し関心があります。

あなたは、あの人はアメリカ人工作員だよね?といった会話が聞こえたら、誰を真っ先に思い浮かべますか?普段日本語を話す対象限定で、お答えください。

いないよと思う人は回答せずに、坐視してください。

腑に落ちる回答があれば即ベストアンサーにするので、その点は悪しからず。

ベストアンサーに選ばれた回答

chi********さん
.

2018/4/2907:44:53
.

●ロバート-キャンベルとパックンです。


ロバート-キャンベル

・年齢60代前半

 ・左翼メディアに荷担

 ・裏の顔は別人

パックン

  ・本名パトリック-ハーラン

  ・年齢47歳

  ・左翼メディアに荷担

●両者共、日本人の自信を喪失させるべく活動しています。『お前らは白人よりも劣っている』を繰り返し、アメリカ人の優位性を何度も何度も言い聞かせ、日々洗脳工作を行っています。

日本とアメリカの友好関係が強くなっている現在でもなお、日本人の闘志を萎えさせるのが彼らの目的です。精神面を圧迫する工作員として働く彼らが、教育されたパシリである事は間違いありません。

彼らに対して憎悪を抱くのは避けたいですが、両者の洗脳工作に嵌まらないように警戒心は向けておくべきでしょう。

●パシリとして仕事の一環として(または正に本業として)彼らは優等な工作員として働いているわけです。



chi********さん
.
2018/4/2907:57:12
.

口先では何と言おうと
●彼らはアメリカ民主党の支持者。アンチトランプ・アンチ共和党である事は疑いようがありません。 

ベストアンサー以外の回答

dam********さん
.

2018/4/2907:28:29
.

デイブ・スペクター


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AERA

ロバート・キャンベルさん「日本人のここが変」問う企画は大嫌い

羽根田真智2017.8.19 16:00AERA
https://dot.asahi.com/aera/2017081600055.html?page=1

(前略)

●「日本人のここが変」を問うような企画は、本当は大嫌いなんです。いつから日本人は、外からどのように見られているかを気にするようになったのでしょうか。●かえって過剰な承認欲求を感じます。●私の専門である江戸・明治時代の文学にはほとんど出てこない考え方です。

 ●ここに通じるのが「空気を読む」です。イメージするのは、お吸い物に浮かぶジュンサイ。ジュンサイは透明の膜に覆われている。この膜が「世間」であり、ぶつかりながらもお互い傷つけ合わないようにお椀という狭い世界の中でたゆたっている。一つの標準化された価値に対し、みんなで歩調を合わせることが求められる。これが現代の「空気」なのです。

(後略)


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ロバート・キャンベル氏、同性愛公表 LGBTめぐる議員の発言に「お粗末」

2018年08月14日 23時24分
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12160-071927/


【ロバート・キャンベル/モデルプレス=8月14日】日本文学者で東京大学名誉教授のロバート・キャンベル氏が12日、自身のブログにて同性愛者であることを公表した。

キャンベル氏は、自民党の衆院議員が性的指向や性自認のことを「趣味みたいなもの」と発言したことについて、「笑ってしまった」とつづり、「同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々をひっくるめて『生産性がない』ので『支援』に値しないという別の議員が発した言葉も、お粗末すぎて、反論する気持ちも起きません」と呆れている様子。

そして「私自身、20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た経験から言うと、この国で、性指向のために身に危険を感じたことは一度もありません。数年前、重い病気で入院した時も、窓口で状況を説明すると事務員から看護師、主治医にいたるまで淡々と治療方法や予後のことをパートナーにも伝え、終始、自然体で接してくれました。それは今でも、感謝にたえないことです」と自身が同性愛であることを明かし、経験を踏まえての見解をつづった。

◆ロバート・キャンベル氏、社会に訴え

●さらに「積極的に排除はしないが『触れてほしくない』が日本の常識で『美風』であるなら、改めるべき時期に来ていると私は信じます」とし、「アンケートにLGBTが『周囲にいない』と答える日本人が多いのは、存在しない、ということではなく、安心して『いるよ』と言えない社会の仕組みに原因があります。ふつうに、『ここにいる』ことが言える社会になってほしいです」と訴えかけた。

キャンベル氏は、1957年生まれ、ニューヨークブロンクス区出身のアイルランド系アメリカ人。日本テレビ系情報番組「スッキリ」(毎週月曜〜金曜あさ8時)の火曜コメンテーターなどを務めている。(modelpress編集部)


_________________________________________

MATOMEDIA,まとMEDIA

ロバート・キャンベルのまとめサイト
http://robatokyanberu.mato.media/#!from=portal_new

(●三分の一から下へスクロール出来ない状態)


13. 2018年8月15日 02:20:05 : LCZ4au2kM6 : xmzuPwKujmo[3] 報告
アーサー・ビナード氏のことを書いたら、急に真っ黒にされた。
あやしいー。
昭和天皇を悪しざまに言ってるから全く信用できない。
おや、また漢字変換できる。変なの。

天皇様は一日も早く戦争を終わらせるべくソ連を介して打診したのに、腹立つな。
裏切り者の策士・スターリンが日本の降伏を遅らせるように工作したことを知らんわけでもあるまいに、このおっさん。
やっぱりCIA工作員?

玄界灘の暴れん坊のブログ

詩人アーサー・ビナード氏「日本の真珠湾攻撃は米国が参戦するためのヤラセであり、昭和天皇は原爆投下

2018-08-08 16:53:06
https://ameblo.jp/karateman1942/entry-12396491905.html(一部引用)


http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2076472.html

竹下雅敏氏からの情報です。

 詩人アーサー・ビナード氏の、極めて興味深い発言です。●氏の見解では、日本の真珠湾攻撃は米国が参戦するためのヤラセだったということになります。その可能性は十分にあります。
 ●また、昭和天皇は原爆投下をあらかじめ知っていたと考えているようです。これも、その通りだと思います。
 一部の情報では、昭和天皇はフリーメーソンであり、参戦を命じられていたとのことです。●日本軍の役割は、ニール・キーナン氏によると、アジアにある金塊をかき集め、秘密の場所に隠すことだったようです。

(以下略)


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国際派日本人養成講座


No.1040 終戦を遅らせたソ連の秘密工作 〜 江崎道朗『日本は誰と戦ったのか』から

>
http://blog.jog-net.jp/201712/article_2.html

 今こそ「日本は誰と戦っているのか」を問わなければならない。

■転送歓迎■ H29.12.10 ■ 51,225 Copies ■ 4,434,465Views■


■1.ソ連の工作員が終戦を遅らせた

 ●昭和16(1941)年、ソ連の工作員がアメリカのルーズベルト政権と日本の近衛文麿内閣に潜り込んで、日米を戦争に引きずりこんだことは、弊誌で何度か取り上げた[a]。

 ●しかし、同じくソ連の工作員たちが、日米の講和を妨害した事はあまり知られていない。その結果、終戦が何ヶ月も遅れ、硫黄島や沖縄での激戦で日米双方での多数の軍民が犠牲になった事、さらに空襲や原爆投下、そしてソ連侵攻による満洲・北朝鮮での民間人暴行、将兵のシベリアへの拉致、北方領土侵略など、戦争末期の被害がもたらされた。

 ●このあたりを、江崎道朗氏の最新刊『日本は誰と戦ったのか』[1]がアメリカでの近年の歴史研究成果に基づいて明らかにしているので、本号ではその一部を紹介して、この好著への誘いとしたい。


■2.「ずっと黙っていた。口を開けば的外れなことを言った」

 話は終戦の6か月前、昭和20(1945)年2月4日から11日にかけて、クリミア半島南端、黒海に臨むヤルタで行われた米英ソの首脳会談、ヤルタ会談に遡(さかのぼ)る。

 ●当時、ルーズベルト大統領は心臓疾患による極度の高血圧で、ほとんど執務不可能の状態となっていた。ヤルタへの長旅と時差は、さらなる負担となっただろう。

 ●ヤルタ会談では英国外務次官アレクサンダー・カドガンは、ルーズヴェルトは「会議を主宰するよう呼ばれても掌握も先導もできず、ずっと黙っていた。口を開けば的外れなことを言った」と述べている。ルーズベルトはこの会談の2か月後、高血圧性脳出血で死去している。スターリンはこういう状態のルーズベルトを相手に、交渉したのである。


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■3.「背中に鏡を置いたままポーカーの試合をする」

 ●さらにルーズベルトが連れて行った国務長官ステティニアスは外交に関しては全く素人で、しかも国務長官に就任してわずか二か月しか経っていなかった。

 元駐日大使で国務次官ジョゼフ・グルーや、モスクワでの代理大使を務めたジョージ・ケナンなどは連れて行かなかった。グルーは早期の対日講和を主張しており、ケナンは後にソ連封じ込め政策を立案する人物で、ソ連にとっては好ましい人物ではなかった。

 ●そのかわりにルーズベルトが指名したのは、無名の一官僚アルジャー・ヒスだった。ヒスは戦後、ソ連のためにスパイ行為を働いたとして、告発された人物である。スパイ行為については有罪にはならなかったが、ソ連のスパイとの関係があったのに嘘の証言をしたとして、偽証罪で禁固5年の有罪となっている。

 ステティニアスはヒスに頼りきりで、発言はほとんどヒスが主導した。しかもヒスはアメリカ側のすべての最高機密ファイルを見られる立場にいた。

 ●ソ連のスパイであった疑いの濃厚なヒスが、病人のルーズベルトと素人のステティニアスをリードしていた。ルーズヴェルトは「背中に鏡を置いたままポーカーの試合をする」状況に置かれたようなものだと、戦後、ヤルタ会談の実態を知って怒った共和党のウィリアム・ノーランド上院議員は述べている。


■4.ヤルタ密約

 ●その「鏡を背にしたポーカー」の結果、ヤルタ密約が結ばれた。その原案はソ連側が作成した。ドイツ降伏から2,3か月後にソ連が対日参戦することと引き換えに、多くの領土と権益を与えるという内容だった。日本の領土に関する部分だけを列挙すると:

・千島列島のソ連への引き渡し(南千島(現在、北方領土と呼ばれる北方四島)は1855(安政元)年の日露和親通好条約で日本領土と確認された。明治8(1875)年の樺太・千島交換条約で、日露混住の樺太をロシア領とし、千島列島全体が日本領となった。)

・樺太の南部のソ連返還(樺太南部は、日露戦争の結果、日本に割譲された)

 ●当時、アメリカの国務省はソ連との交渉を念頭に、千島列島に関して次のようなレポートをまとめていた。

__________
 ●南部の諸島に対するソヴィエトの権利を正当化する要因は、ほとんどないように思われる。ソヴィエト連邦へのこのような譲渡は、将来の日本が永久の解決としては受入れ難い事態を造り出すことになろう。それは、歴史的にも民族的にも日本のものである島々と、漁業的価値のある海域を、日本から奪うことになる。
南部の諸島は、もし要塞化されるならば、日本に対して絶えず脅威となるであろう。[1, 2579]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ●現在の日本が抱える北方領土問題を正確に予言している。このレポートはルーズベルトに宛てて提出されたが、ヤルタ会談のための準備資料には含まれていなかった。資料を統括をしていたヒスが外したと推測されている。

 ●そしてルーズベルトはスターリンとの交渉で「サハリンの南半分と千島列島が戦後、ソビエトに行くことについては何らの困難もないと思う」と発言したと記録されている。

 ●ヤルタ密約では、このほかに満鉄と旅順・大連の運営権をソ連に与える事がとり決められた。ヤルタ密約はルーズベルトとスターリンによって署名され、イギリスのチャーチルは同席せず、後に形式的に署名した。文書は一切公表されず、存在そのものが隠蔽された。

 ●アメリカでは外国との条約締結は上院の3分の2以上の賛成による承認が必要である。ヤルタ密約はルーズベルトの越権行為であり、戦後、アメリカ政府から条約としての効力を持つものではないと否定されている。


■5.日本の降伏を遅らせよ

 ●ヤルタ会談で満足な結果を挙げたスターリンにとっての最大のリスクは、ソ連参戦前に日本が降伏してしまうことであった。そうなれば何も得られない。ヤルタ会談の時点では、ソ連はドイツとの激戦を続けており、アジアで日本との戦いに入るためには、もう数ヶ月必要だった。

 ●なんとか日本の降伏を引き延ばしたいスターリンの援軍となったのが、ルーズベルトの無条件降伏要求だった。条件付き講和の道を閉ざされれば、敗色濃厚となっても日本は簡単には降伏できない。ルーズベルトはこの無条件降伏要求を、1943年1月の連合国首脳とのカサブランカ会談で打ち上げた。

 ●自国の国務省に相談することもなく、チャーチルの反対を押し切って、ルーズベルトはあたかも連合国首脳の総意であるかのように発表したのである。

 ●ルーズベルトがヤルタ会談に向けて出発する2日前、マッカーサーからの急報がルーズベルトに届いた。日本側が講和案を5つのルートで打診してきており、アメリカはこの提案を受け入れるべきだと進言するものだった。日本は天皇の安全以外何も求めておらず、これは最終的に日本が受諾した降伏条件と同じものであった。

 しかしルーズベルトは「マッカーサーは最も素晴らしい将軍だが、ダメな政治家だ」とこの進言を却下した。

 陸軍のマッカーサーだけでなく、ウィリアム・リーヒ、チェスター・ニッミツの2人の海軍元帥も、1945(昭和20)年2月のヤルタ会談の時点では戦争の勝負はついており、ソ連軍の参戦は不必要、かつ望ましくないと考えていた。

 これらの陸海軍トップの意見は無視され、逆に「アメリカ陸軍はソ連の対日参戦を必要としている」という全く逆の意見が、あたかも軍の総意であるかのように吹聴された。ジョージ・マーシャル参謀総長の仕業で、この人物は後に国共内戦においてアメリカの蒋介石側への支援を遅らせ、シナ大陸を共産党の手に渡した人物である。[b]


■6.終戦遅延工作による被害者65万人超

 ●ヤルタ会談以降の日米戦争による被害を挙げてみれば、スターリンの終戦遅延工作の影響の大きさを窺うことができる。主なものだけでも以下のようになる。数字は戦死・行方不明者数である。

2月19日〜 硫黄島の戦い 日本軍1万8千、米軍7千
3月10日〜 東京大空襲 以降、各地の空襲により、20〜30万
3月26日〜 沖縄戦、日本軍民約19万、米軍2万
8月6日  広島への原爆攻撃 9〜12万
8月9日  長崎への原爆攻撃 7万
8月9日〜 満洲、南樺太、千島列島へのソ連軍侵攻 日本軍2〜8万、民間人犠牲者多数
8月9日〜 シベリア抑留 6万以上

 少なめの推定数字だけで合計しても、約65万人規模となる。米軍も2万7千人の被害を蒙っている。スターリンの謀略工作によって、これだけの人命が失われたのである。

 人的被害だけではなく、東アジアにソ連と共産主義勢力が入り込んだことによって、シナ大陸や北朝鮮、北ベトナムが共産陣営に取り込まれてしまった。その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、現在の北朝鮮問題、尖閣問題、南シナ海問題など、現代世界で東アジアが最も危険な地域の一つになってしまったのは、ヤルタ密約に源を発するのである。


■7.手玉にとられた日本

 ●日本にとって、まことに迂闊(うかつ)だったのは、このソ連に和平仲介の依頼をしていることだ。事の次第はこうである。

 ●5月2日のベルリン陥落後、鈴木貫太郎内閣は連合国に対して和平を求めることを決め、仲介役としてソ連が選ばれた。交渉役としなった広田元首相は6月3、4日、箱根にてマリク駐日大使と極秘会談を持った。広田はこの会談は友好裡に行われ、ソ連側の受け方も良好で、交渉の前途は有望と東郷外相に報告した。

 ●ところが、その後、いつまで経ってもマリクからの音沙汰がない。昭和天皇からも「なるべく速かに戦争を終結するように取り運べ」とのお言葉があった。6月29日にマリクから日本側の意向について再確認があり、広田が説明したところ、「本国政府に取り次ぎ、回答があり次第、会談を進める」という返答だった。

 ●その後、いくら督促してもマリクは病気と称して出てこない。やむなく、日本政府は近衛文麿侯爵・元首相を特使としてモスクワに派遣することを打診したが、ソ連側はモトロフ外相が多忙との理由で、回答は遅延するだろうとの事だった。この時点では7月17日からのポツダム会談が迫っていたのである。

 ●結局、ソ連はヤルタ会談で対日参戦を約束し、日本からの和平仲介の依頼をあしらって対日作戦準備の時間を稼ぎ、終戦の6日前に日ソ中立条約を破って、対日侵攻を始めたのである。まさにスターリンは見事に日本を手玉にとったのである。


■8.「日本は誰と戦っているのか」

 ●江崎氏は次のように結論づける。

__________
 ●国際政治の世界では、騙された方が悪いのです。そして先の大戦で日本はインテリジェンスの戦いで「敗北」したのです。[1, 3390]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ●過去に欺された事への恨みつらみを語っても、仕方が無い。それよりも大事なことは二度と欺されないことである。そのためには、前回、どのように欺されたのかをよく調べて、日本に何が欠けていたかを分析することだろう。

 ●わが国の弱点は、あまりにも相手の分析が足りないことである。●ソ連に和平の仲介を依頼するなどは、その典型である。

 ●また開戦前のアメリカの国情をよく分析すれば、ルーズベルトやソ連の工作員たちのように、ソ連のために日本を対米戦争に追い込んだ一派ばかりではなく、グルーや陸海軍の上層部のように、ソ連を敵、日本を味方と考える一派もいたことが、分かったはずだ。

 ●たとえば、日本を対米開戦に追いこんだのは、最後通牒ともいうべきハル・ノートであった。●そしてこのハル・ノートは米国内でも秘密にされていた。●日本軍の真珠湾攻撃後、米国共和党リーダーのハミルトン・フィッシュは対日開戦に賛成する演説をしたのだが、戦後、ハル・ノートを知って、こう語っている。

__________
 ●今日私は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後通牒を送り、日本の指導者に開戦を強要したということを知っており、この演説を恥ずかしく思う。[c]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ●したがって日本政府がハル・ノートを世界に公開していれば、間違いなくルーズベルトは共和党や国民の批判にあって、日本を追い詰める姿勢を続けられなかったであろう。

 ●敵の分析が弱いということは、現代日本についても言える。慰安婦問題で世界に反日世論を巻き起こそうとしてるのは、一体どこの国が、どのような狙いでやってる事なのか。沖縄の米軍基地反対は誰の差し金か。朝鮮危機の最中、一部野党とマスコミが「もりかけ」問題で国会を空転させ、内閣の足を引っ張っているのは、何のためにやっているのか。

 ●我々は本当の敵を見極めなければならない。『日本は誰と戦ったのか』とは、江崎氏の著書の卓抜なタイトルであるが、今我々は問わなければならない。「日本は誰と戦っているのか」と。


■リンク■

a. テーマ「大東亜戦争:開戦への罠」のブログ記事
http://blog.jog-net.jp/theme/b532556537.html

b. JOG(441) 中国をスターリンに献上した男
 なぜ米国は、やすやすと中国を共産党の手に渡 してしまったのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog441.ht

c. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog096.html


■参考■(お勧め度、☆☆☆:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 江崎道朗『日本は誰と戦ったのか』(Kindle版)☆☆☆、ベストセラーズ、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/458413829X/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』へのおたより

伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanontheg01-22/
アマゾン「日本史一般」カテゴリー1位 総合61位(H28/9/13調べ)

■☆☆☆☆☆心優しき、清き日本人の心根(isao_keyさん)

 ●本書は人物にスポットを当てて、日本人の業績、人となりを描いている。紹介されている17名には有名な方や、あまり知られていない方もいるが、だれを取っても、「己のために」「名を挙げたい」などの個人的な欲求から何かに取り組んでいるのではなく、「少しでも困っている人たちの力になりたい」という利他の気持ちが自然と行動へとつながっている。

 ●本当に残念なのは、こうした話のほとんどが日本のメディアでは取り上げられず、却って海外のメディアに取り上げられて、初めて日本人が気づかされることが多いことである。

 ●何も確かに昔の日本人は偉い人が多かったといった回顧ではなく、第1章で現代社会で称賛されている日本人”として4名が紹介されているところを見ても著者の真意は「現代にも素晴らしい国際的な日本人はまだまだいる」ことをもっと知って欲しいことにあると思う。

 今一度読み直し、改めて自分の襟を正したくなるような一冊である。


■伊勢雅臣より

 ●最近、大学生たちにお話をする機会があり、この本をテキストにしました。なぜ、こういう人たちがマスコミや歴史教科書に出てこないのだろう、という疑問は何人もの学生から出ていました。


日本は誰と戦ったのか
ベストセラーズ
江崎 道朗

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