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亡命者が明かした文化大革命の実相(日本が好きなだけなんだよ) 東京裁判で初めて出てきた南京大虐殺のルーツがここにある
http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/584.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 10 月 29 日 09:22:11: 8rnauVNerwl2s
 

「著者が、「天安門事件」で指名手配中に執筆した、凄惨な事実。「広西大虐殺」、「天安門事件」という過去の残虐行為を報告している。食人という現象も狂気ととらえるのか、中国共産党秘密文書が暴く、現代史。」

共産主義による虐殺、食人のオンパレード。生きたまま腹を裂き、肝臓や心臓を取り出し、扇動された民衆が、我先に争って肉を切り取っていく。


最近、紅衛兵の懺悔というニュースが出てきているが、文革時代の大虐殺の真実を知ったら、唖然。人間がこんなことできるのだという驚きで卒倒しそうになりながら、共産主義独裁の狂気に心底恐怖した。


日中戦争中の賓陽県の死者は三百余名に対し、文化大革命での死者は3,951名。(鄭義)

国籍不明の左翼や日本中国友好協会といった外国の工作機関が、南京大虐殺と騒ぐが、東京裁判で初めて出てきた三光作戦や南京大虐殺の本当のオリジナルはここにあるのだと改めて認識した。

「日本が好きなだけなんだよ」から
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-818.html


参考サイト
http://5960.iza.ne.jp/blog/entry/537019/

(以下 食人宴席より引用)

プロレタリア独裁とは「階級の敵」を殺害することだ。賓陽県史は文革後、新しく編集されてこう述べている。 

「一九六八年七月未、県革命委員会王建k主任(6949部隊副師団長)、王貴増副主任(県人民武装隊副政治委員)は『73指示」を貫徹するためにあらゆる人員を動員して、労働者階級の敵に対する猛烈な攻撃を展開した。全県で迫害され、殺害された者が三千八百八十三人、『73指示」を貫徹するために、それ以前に殺害された者が六十八人で、合計三千九百五十一人である」

一九六八年七月二十二日、県革命委員会は「73指示」を徹底的に実現する会議を開いた。「賓陽大虐殺」はこのときから始まった。総指揮者は王建kである。賓陽県は二十六日、プロレタリア独裁大会会場で二人を殴殺した。二十七日、街頭ひき回しデモで「四類分子」(反動、地主、富豪、悪質分子)十四人がつるし上げ糾弾闘争のあと、殴殺された。

同日、県武装部は、幹部たちが殺人現場を見学した。二十八日夜十時、蒋河公社の呉某民兵連隊長が、各村の民兵に呼びかけ、四類分子を逮捕して公社に集合させ、二十四人を集団銃殺した。同日、王建kは紅色恐怖をつくるために、いちばん賑やかな中心地区で、「二十三種分子」の批判糾弾大会を開き、群衆をそそのかして、棍棒、石ころを持って、七、八十人を殴殺した。そのなかに、県立病院院長、副院長、および内科、外科、産婦人科、薬剤師主任などの知識分子が含まれていた。

二十九日午前、王建kは、県軍管区会で、政治法律幹部会議を招集し、殺人を推進するために、殺すべき対象、時間、手段、方法と目標などの具体的な指示をした。

彼は会議の席上でこう述べた。

「この一戦は七月二十六日から八月十五日までを一段落としてもらいたい。主要な闘争対象は、裏切り者、特務、死ぬまで悔い改めない走資派(資本主義志向派)と、いまだうまく思想改造されていない地主、富農、反革命分子、右派分子、さらに投機分子などである。県の重点は、新賓、盧墟の二ヵ所である。新賓は現在すでに幕を開いた。この任務を執行しなければならない。公然とは大会を開いてはならない。ただ、個別的に火をつけるだけでよろしい」

「群衆は、悪い人と思えば、彼らを『専制』しなければならない。『専制』とは、本来はプロレタリア独裁という意昧だが、ここでの『専制』という意味は殺人、処刑である。あなたたちは、人民のやりたいことを阻止してはならない。運動が始まったころには、積極分子が何人かを銃殺することは大した問題ではない。しかしわれわれは彼らを銃ではなく、拳骨、石ころ、棍棒を持って殴り殺すのが、群衆に対する教育の効果が大きい。賓陽県には現在、四千名の四類分子がいる。あなたたちは彼らを十数年かけて改造しても、私が見たかぎりでは、彼らは一人も改造されていなかった。人民があれほど精力をつくして彼らを監督しても、われわれがあれほど精力をつくしても、とうてい彼らを改造することができなかった。こんどの運動では、敵の三分の一か、四分の一を打ち殺さなければならない」

同じ日、王建kは、県革命委員会で、招集された全県各地区武装部長と、人民公社の民兵隊長の緊急会議で、消極的な幹部に対して圧力をかけた。地獄の門はこのようにして開かれた。紅い嵐はアッという間に、全県に吹き荒れることになった。民衆は歴史上、かつてなかった大虐殺の恐怖に陥れられた。殺人モデル会が開かれ、その後、全県百七十二個大隊で、大虐殺の嵐がうずを巻いたのである。

この間、公安幹部の一部は、監察員として、全県各地で幹部の虐殺ぶりを監督し、しかも毎日、殺人の進展状況を報告させたのだった。県公社の指導部は絶えず電話をかけ、闘争の進展を報告し、指導部は闘争のあまりにも進まない大隊に対して圧力をかけた。弾薬をやたらに使うな、拳骨と棍棒と石だけ使え。そのために何千人もの罪のない哀れな人間が、大虐殺の嵐の中で、殴られ、骨を折られ、血を流し、殺害されていった。

なぜ、「賓陽大虐殺」裁判は、行なわれないか。
この「賓陽大虐殺」事件は、賓陽県史上、空前絶後で理解ができても決して許すことができない。賓陽県文革では、虐殺者の人数が広西全区で第一位である。抗日戦争のとき、日本軍に殺された人々は、全県で三百余人であった。これは民族の戦争である。中国革命の初期、匪賊が三百余人を殺した。これも銃を持つ敵に対する作戦であった。しかし、なぜ平和のときに、アッという間にその十三倍もの人間が人民の私刑によって殺されたのか、これは考えなければならない問題であり、避けては通れない問題でもある。

「賓陽大虐殺」事件は一九八三年、やっと十五年後になって、賓陽県当局が文革期間中に無実で殺され、あるいは迫害で亡くなった三千九百五十一人の全員を名誉回復し、県政府名義で死者の家族に対して名誉回復通知書を出した。しかし、この通知書だけで数千人の亡霊をなぐさめたことになるのであろうか。さらに遺憾なのは、共産党の政策が法律に優先したことである。つまり広西当局が、重ねて歴史問題はなるべく寛大に処理すべきであると指令したのだ。その通知が全県でわずか五十六人を裁判にかけ、そのなかでたった一人の死刑という結果を生んだ。そのことは、一人の人間の命と三千九百五十一名の命とが同じだということであって、これはあたかも社会と法律を皮肉るかのようなものであろう。

しかし、李増明書記は、私にもう一つの意外なことを教えてくれた。裁判にかけられた人々は、自分たちが無実であるということを主張しているというのである。「賓陽大虐殺」事件の主犯は王建kであるが、今日にいたっても彼の裁判が行なわれていないのだ。この人物は、みずから大虐殺計画を実行した。彼は賓陽県の民衆を大虐殺しながら、共産党員としての地位がだんだん上がり、広州警備区の第一副司令にまでのし上がったのだ。最終的には光栄ある身分で引退し、今日は大きな邸宅で悠々自適である。裁判にかけられた人物はすべて小物である。もし火つけ役のそそのかしがなかったら、あれほど人々は殺害されなかったはずである。
 
最近になって、王建kが「賓陽大虐殺」事件の主犯であるということを証明するために、当時の日記、電話、会議記録が提出され、王建k指揮の、大量殺人犯罪が事実であるとの資料がまとめられて、中国共産党賓陽県委員会の名で提出されている。

この資料は、二十八ページにわたり、最後につぎのように書いてある。
「……以上の大量虐殺の事実は、王建kが十分に殺人事件の主犯であることを証明することができる。被害者の数が多く、手段は残酷で、民情はきわめて憤慨し、その人物についてはすでに殺人罪を構成している。われわれの意見としては即時、逮捕して厳罰に処すべきである。中国共産党賓陽県委員会。一九八四年九月十五日」
 
李増明書記が私にこの告発状を手渡してくれたとき、私は、その資料の署名の月日が一年半前のものであることを発見した。つまり、案陽県委月会は、この長い一年半の間、みずからこの告発状をつくっていながら、その受取人がいなかったのだ。ここは全く言論の自由、新聞の自由、出版の自由のない国である。私は、ただ一人の文化人に過ぎず、何の力もない。私は、ただこの 六月二十六日、県革命委員会が階級闘争の新しい情勢の展望を研究、分析する会議を開いた。

各地区革命委員会の主任、区武装部の部長は、殺人の進め具合を報告した後、つぎからつぎへとエスカレートした階級闘争 − これ以上の街頭引き回しデモ、つまり糾弾闘争はやめたいと要求した。この階級闘争の後退するような雰囲気のなかで、県武装部の政治委員、県革命委員会の孫瑞章第一副主任は非常に不満で、こう反論した。

「恐れることはないのだ。諸君は何を恐れているのか、さっぱりわからない。こうしなければ、絶対に、階級の敵を抑えることはできない。人民の闘争意欲を育てることはできない。決して、われわれは恐れてはならない。続けて街頭引き回しデモ闘争をやり、糾弾大会をやるべきだ」 

この会議が終わってから、武宣県の惨劇はまさに高潮期に入ったのである。
 
これは生きているままで、人肉を削ぎ取られ、食べられた典型的な食人事件である。一九六八年七月某日。通挽区大園村。第七生産隊の甘克星が糾弾大会を指揮し、甘大作の糾弾大会を開いた。その後、甘大作は近くの畑まで引きずっていかれ、ひぎまずくように命令された。そのあと、甘大作は棍棒で頭を殴られ、昏倒したが、まだ絶命していなかった。このとき甘祖揚が甘大作のズボンを脱がせ、生殖器を切ろうとしたところ、甘大作は、息絶え絶えでもがきながら彼に哀訴した。

「私が絶命するのを待ってくれ、死んでから切り取ればいい」

しかし、甘祖揚は全く開かずに、性器を切断しようとした。甘大作はわめき、もがき、絶叫したが、甘維形らは競って大腿部の肉を削ぎ落とし、甘徳柳は腹を切り裂いて肝を取った。またその他の人々はどっと歓声をあげて、甘大作に殺到し、人肉をすっかり削ぎ落として持って行った。この生きたままの人間の肉に襲いかかった状況は、きわめて残酷であって、見てはいられない残虐さである。

この事件には、もう一つ余談もあった。甘祖揚が手を下すまえに、「七寸(生殖器のこと)はおれのものだ。だれも切り取ってはならん」と大きな声でわめいたのだ。競って人肉を切り取っているとき、この叫びはまことに恐ろしく、また生々しい状況の一つである。甘祖揚という人物は生産隊幹部でその後、七年の刑を判決されたという。

典型的な《人肉宴会》とは、どんな様子か。
もうーつは、《人肉宴会》の典型的な例である。一九六八年四月十日。三里区上江郷門前で糾弾大会が開かれた。この糾弾闘争では、四人が棍棒で殴殺され、四人の死体が肉を切り取られ、二つの大きな鍋で煮て、約二、三十人がその《人肉宴会》に参加したのだった。衆人環視のもと人肉を煮て食べるという集団会食事件が、地方政府所在地で開催されたということは、きわめて衝撃的な影響を与えた。

この日、群衆が競って人肉を切り取り、熱気むんむんの殺人現場で、一人の髪の毛が真っ白の老婆が興奮して群衆の間に割り込み、ひと切れの肝を切り取って、かごに入れて、得意揚々、満足そうに家に持って帰った。その日はちょうど霧雨が降り、雨水が肝の血とともに地面にしみ込んでいた。またこの糾弾大会のエピソードとして、もう一つの逃亡事件もあった。三里中学教師の陳金吾は、右派分子として学校のある空部屋に監禁され、次の日の三里の市の日に、引き回してから殺して食べられる予定だった。そのとき、運よく、中学の、同じ右派分子の炊事係・楊光槐の妻にひそかに縄を解かれ逃げ出したのだった。しかし、陳金吾は慌てふためいて逃亡したものの、髪の毛が鮮明な十字に剃られたままなのでどこへも逃げることができない。

実際、彼は逃げ道がなくなっていた。ちょうど、彼は武宣中学から出て釆たところを、武宣農場の民兵に捕えられた。 農場の謝開年武装部長は朝鮮戦争に参加した軍人で、湖南省の人であった。陳は謝開年から尋問を受けている間、彼のなまりが湖南人に似ていることに気づいた。そこで陳はひざまずいて「自分も湖南人である。救ってくれ」と哀訴した。謝は彼に同情して、一計を案じた。陳は空からもぐり込んだ特務工作員であると偽って告白して、県武装部の監獄の中に入れられたのだ。

この特務工作員事件が偽りであるとはっきりしたころ、人食い風潮も過ぎ去った。陳金吾は幸いにして生き残ったのである。陳は謝開年によって監獄に入れられたわけだが、おそらくこのことを終生、忘れられないだろう。読者諸君は、おそらくまだあの男性性器を食べることによって、共産党中央から怒られた革命委員会・王文留副主任のことを忘れてはいないであろう。私は政府関係資料の中で、つぎのような簡単な資料を見つけた。一九六八年七月十日、殺人と食人の嵐の中で、東郷区の中で三人の小派の人間が駕馬山に逃げた。東郷区武装部長・兼糾寮隊長、覃忠蘭は、糾察隊三隊、および金崗郷民兵隊に命令して、山狩りを行なった。逃亡者のうち、一人は逃亡し、一人は洞穴に落ちて死亡し、一人は撃たれて死亡した。そのとき、この人物は刀で心臓と肝臓をえぐり取られ、竹網に入れられ、背負われ、区役所に帰ってきて、その晩、糾察隊員によって区役所の炊事場で煮て食べられたのだった。

このとき、女子民兵・王文留は、ふた切れの人肉を家に持って帰り、彼女の母に食べさせた。王文留は人肉を食べたことによって、共産党から認められ、だんだんと地位が上がり、最終的には武宣県革命委見合の副主任になったわけである。

近来の中国の進歩的文化人が官吏、つまり役人の出世を非難する場合は、つねに血塗られた冠″という言葉を使ってきた。しかし、それは王文留、および武宣県の幹部たちに対してはふさわしくない用語であろう。彼らは人殺しから出世しただけではなくて、人間を食って出世したからである。

(引用ここまで)

人肉宴会が行われた、文化大革命

■毛沢東が、権力回復の為に起こした政治闘争。内戦。
■学生をあおり、軍隊を出し、教師など知識人や、中国国民党と関わりのあったものを言いがかりを付けてリンチ。1000万人〜3000万人を虐殺。
■孔子や文化財を否定、破壊する極端な「左」傾偏向主義運動に発展。
■朝日新聞は、これを褒め称える記事を書いていた。日本の学生運動も、これの影響を受けている。
■文革の頃、たくさんの人肉食記録が残っている。
■知識人などに「階級の敵」とレッテルをはり、糾弾集会をみんなで切り刻んで喰った。そんな事が流行った。
■中国・広西省武宣県では文化大革命の間に、共産党の迫害によって死んだ人間は524人。その内、食われた者は百数十人。
武宣県において食人行為を行った者は推定1万〜2万人にのぼる。
■1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は、糾弾大会につるし上げられ殺された。学校の食堂や廊下、区役所の炊事場でや教員宿舎や女子学生宿舎で、人肉を煮たり焼いたりしての人肉料理の宴会が行われた。


※左翼 スパイ 共産主義 虐殺 正しい歴史認識

<参考リンク>

◆「食人宴席」抹殺された中国現代史
 http://www.youtube.com/watch?v=f0AUfo49VBs&feature=player_detailpage


◆文革の悲劇、元紅衛兵が謝罪=47年経て、つるし上げた元教師に−中国
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201310/2013101500723

【北京時事】1966〜76年、中国を大混乱に陥れた文化大革命を発動した毛沢東主席を崇拝する学生の造反組織「紅衛兵」の元リーダー、陳小魯氏(67)が、当時つるし上げた北京第八中学(北京市)の元教師と再会を果たし、謝罪した。文革では批判され激しい暴力を受けた教師らが自殺する悲劇が相次いだが、50年近くがたち、元紅衛兵の「ざんげ」が関心を集めている。


◆【中国ネットウオッチ】元紅衛兵たちの相次ぐ懺悔 ... - MSN産経ニュース
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130811/chn13081112010002-n1.htm


毛沢東を崇拝し絶対視していた紅衛兵だった張氏は、母親の発言は許せないと思い、密告する手紙をしたため、近くに住む軍代表に渡した。間もなくして母親が逮捕され、約2カ月後に「反革命犯」として銃殺された。


◆反日の国際ネットワークを暴く!「中国民間・アジア平和文化交流の会」という工作機関
http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/816.html


◆性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られ・・・(中川某)
http://www.asyura2.com/13/senkyo149/msg/108.html


 

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コメント
 
01. 2013年10月29日 09:29:25 : W18zBTaIM6

南京大虐殺のルーツは旅順虐殺事件だよ:

かつてこのような虐殺があった。「旅順虐殺事件」これは真実です。


歩兵第二連隊を主力とする将兵が旅順に突入してからの一部始終を、市街がよく見渡せる白玉山の山頂に立って、外国人従軍記者たちが見ていた。そこで各人が目にしたものは、のちにそれぞれの新聞に記事となって掲載されることになった。

ジェームズ・クリールマンは、「ワールド」(十二月二十日付)に書いた。

--- 日本軍が旅順になだれ込んだとき、鼻と耳がなくなった仲間の首が、紐で吊るされているのを見た。また、表通りには、血のしたたる日本人の首で飾られた、恐ろしい門があった。

その後、大規模な殺戮が起こった。激怒した兵士たちは、見るものすべてを殺した。

自分のこの目で見た証人として私は、憐れな旅順の人々は、侵略者に対して如何なる抵抗をも試みなかったと断言できる。

いま日本人は、窓や戸口から発砲されたと述べているが、その供述はまったくのでたらめである。

捕虜にするということはなかった。

兵士に跪き慈悲を乞うていた男が、銃剣で地面に刺し通され、刀で首を切られたのを、私は見た。

別の清国人の男は、隅で竦(すく)んでいたが、兵士の一分隊が喜んで撃った。

道に跪いていた老人は、ほぼ真っ二つに切られた。

また、別の気の毒な人は、屋根の上で撃たれた。もう一人は道に倒れ、銃剣で背中を何十回も突かれた。

ちょうど私の足元には、赤十字旗が翻る病院があったが、日本兵はその戸口から出て来た武器を持たない人たちに発砲した。

毛皮の帽子を被った商人は、跪き懇願して手を上に挙げていた。兵士たちが彼を撃ったとき、彼は手で顔を覆った。翌日、私が彼の死体を見たとき、それは見分けがつかぬほど滅多切りにされていた。

女性と子供は、彼らを庇ってくれる人とともに丘に逃げるときに、追跡され、そして撃たれた。

市街は端から端まで掠奪され、住民たちは自分たちの家で殺された。

仔馬、驢馬、駱駝の群れが、恐怖に慄く多数の男と子どもとともに旅順の西側から出ていった。逃げ出した人たちは、氷のように冷たい風のなかで震え、そしてよろけながら浅い入り江を渡った。

歩兵中隊が入江の先端に整列させられ、ずぶ濡れの犠牲者たちに絶え間なく銃撃を浴びせたが、弾丸は標的に命中しなかった。

最後に入江を渡ったのは二人の男であった。そのうちの一人は、二人の小さな子どもを連れていた。彼らがよろよろと対岸に着くと、騎兵中隊が駆けつけて来て、一人の男がサーベルで切られた。

もう一人の男と子どもたちは海の方へ退き、そして犬のように撃たれた。

道沿いにずっと、命乞いをしている小売商人たちが撃たれ、サーベルで切られているのを、私は見ることができた。戸は破られ、窓は引っ剥がされた。全ての家は侵入され掠奪された。

第二連隊の第一線が黄金山砲台に到達すると、そこは見捨てられているのがわかった。それから彼らは逃げる人でいっぱいのジャングルを見つけた。

一小隊が埠頭の端までひろがり、男や女、それに子どもたちを一人残らず殺すまでジャンクに発砲した。海にいる水雷艇は、恐怖に打ちのめされた人々を満載したジャンク十隻をすでに沈めていた。

五時頃、退却する敵を追って行った乃木以外の全ての将軍が、将軍大将とともに集った操練場に音楽が流れた。何と機嫌よく、何と手を握りあっていたことか!楽隊から流れ出る旋律の何と荘重なことか!

その間ずっと、私たちは通りでの一斉射撃の響きを聞くことができ、市街にいる無力な人々が、冷血に殺戮され、その家々が掠奪されているのを知ることができた。 ---

クリールマンはこの文の前に、「旅順占領の物語は、歴史の最も暗い頁のひとつになるだろう」と憂え、日本に対し、「東洋の暗闇のなかで、目下のところかくも穏やかな光を放っていた、アジアの光明が消えるのを見るのは辛いことだ」と記した。


抜粋終了


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旅順と聞けば日露戦争を連想される方が多いと思うが、ここで語られている「旅順虐殺事件」は、日清戦争下で起こった事件です。

この記事を書いたジェームズ・クリールマンは当時ニューヨークも最も売れていた「ニューヨーク・ワールド」の記者で、正式に日本から許可を得て従軍していた記者です。

しかし、当時の外務大臣陸奥宗光はこれらの旅順での日本兵による民間人への虐殺が、外国で記事にされて公になったことに焦り、他の外国新聞社をお金で懐柔したりと、その火消しにやっきになった様子が当時の資料などを基に精緻に書かれてあります。

南京大虐殺にしても、この旅順虐殺事件にしても、反対派の論拠として多くみられるのが

「当時まったく外国でも騒がれてなかった問題が、なぜ今ごろになって噴出してくるのか、それは外交のカードとして当時の事件を利用しているだけだろう!」

と、右寄りのTV番組などで知ったげに喚いている奴を見かけますが、それは大きな間違いで、

南京大虐殺にしても、旅順虐殺事件にしても、当時世界でも大いに騒がれていたのです。

しかし、そんな情報は日本国民に知られるはずもありません。あたりまえでしょう、政府が大本営がそんな自分たちに都合の悪い情報を国民に正直に伝えるはずもありません。

当時はインターネットもケイタイもない時代ですし、メディアはほぼ政府の統制下にありますので、情報を隠蔽、捏造することなど簡単なことでした。今更言うまでもない話しです。

知らないのは、そいつの勉強不足なのです。調べればいくらでも資料はある。

自分の無知を一般論で語っているアホな「識者」がなんと多くいることか。

そしてもうひとつ、

「清兵は負けそうになると、軍服を脱いで民間兵に紛れるので、仕方なく自分の身を守るために日本兵は民間人も殺さざるをえなかった」

と、確かにそういう状況は多々あって、その行動は清(中国)側も多いに非難されることではありますが、だからといって、女子供、跪いて命乞いをしている老人を手当たり次第に殺してもいい理由にはならない。

正当防衛で許される常識の範囲を超越した人殺しだから「虐殺」と呼ばれるのだ。

戦時下で緊張状態に置かれた兵隊が、人を殺してしまうのは、ある意味で仕方のないことでしょう。憎むべきは‘戦争‘であって兵士ではない、のかもしれない。それは分かっている。

しかし、許せないのは

「皇軍に限って、そのような非道な行いをするわけがない」

などと何の根拠もないのに、バカな右翼思想家に洗脳されているバカどもの存在だ。

そういうバカな奴らが大多数になれば、また愚かな戦争が起きることになります。

だから、見たくない、認めたくない事実でも、それが真実ならば、認めなければいけない。

真実を知ることが大切なのです。
http://ameblo.jp/toseinin-tora/entry-11360041812.html


02. 2013年10月29日 09:37:16 : W18zBTaIM6

旅順虐殺事件と南京大虐殺の間にあるのが済南事件

小平義雄連続殺人事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kodaira.htm

小平義雄は戦地より帰って以来、性的に突如放縦になった。

放縦なだけでは留まらず海軍被服廠の軍属であった戦争最後の年に、同じ職場の女子工員を強姦した上殺害している。以後、終戦直後の混乱の中で女性を食料をエサに誘いだし、次々と6人も、犯しては殺していった。

小平が女性を犯して殺す、その味を覚えたのは、中国の前線だった。

予審調書の中で小平は言っている。

「大怙では強姦のちょつとすごいのをやりました。…父親を縛り上げて戸棚の中入れ…
クーニャン(娘)を出せと言って出させました。

…強盗強姦は日本軍隊には付き物ですよ。
銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で突き刺して子供を出したりしました。 私も5,6人はやっています」


取り調べと裁判の段階で明らかになったことがあるんですね。それは、彼の戦争体験のことだったんです。

「済南事件」:南京大虐殺の先駆けですね。住民の殺戮です。その時にもの凄く多くの中国人の女性が日本兵によって強姦されて殺された。この小平という人物は、その時の兵隊だったんです。

「連続強姦殺人魔」と言われた人の犯罪を重ねる下地が「戦時強姦」で培われていた、っていうことです。そのことが日本が戦争で負けた後に一気に吹き出してきた事件なんですね。

_______


南京大虐殺はこんな感じ:


860 :名無しさん :02/07/04 01:33 ID:03UDq1eg

死んだ人の事を悪く言いたくなかったけど言わせてもらう。
漏れの近所の銭湯で番台やってた爺さん(もう亡くなった)。

漏れが小さい頃よく戦争当時の話を銭湯の番台で自慢げに語ってたバカ。

『チャンコロ(中国人)の妊婦を木に縄で縛って銃剣で刺したら「ボムッ」って鈍い音出して破裂してよー。

ホント面白かったぞー。だから毎日チャンコロの妊婦探して見つけては、それやって遊んでたんだ。あの頃がなつかしいなあ(ニヤニヤ』

______


要するに、日本人は妊婦を見るとお腹を裂きたくなるんだな。


03. 2013年10月29日 09:54:25 : W18zBTaIM6

日本人は股裂きも好きだな:

中国山西省に出征した旧軍人のKさんは3年兵の時、トーチカ(砲台)の一室で、4〜5人の4年兵が現地女性を連れ込み輪姦している場面に出会った。

4年兵の兵隊が終ると、「今度は3年兵の番だ」と言われ、Kさんは、強姦は犯罪だという認識がなく、単に古兵の命令に従わなければならないと思いそれに加わった。Kさんはこういう“戦争犯罪に対する無感覚”は戦時中だけではなくて、戦後も変わらなかったと指摘する。戦友会の席上では、このような犯罪が懐かしい話、面白い話として語られるという。

その中には「股裂き事件」という話もあった。ある旧軍人が1944年の河南戦争前後で見たことだ。

中国人女性の片足を木に縛りつけ、もう片足を馬の鞍に括りつける。そして突然馬のお尻を叩き、驚いた馬が走り出すと、女性の体が二つに裂けてしまうというものだ。

Kさんが駐在していた山西省旧遼県でも、1941年4月に日本軍隊長が中国語で「勒馬分身」(股裂き)という方法で殺人を行ったという。そのことは中国側の資料にも記述されている。
http://www.magazine9.jp/kaigai/dai027/index.html


陸軍第114師団重機関銃部隊所属 田所耕造。

『週刊アサヒ芸能』(71年)の取材に答えた当時、彼は53歳。
彼が語った残虐の限り。しかもこれが「命令」なんだから驚くしかない。
(中川註: もちろん昭和天皇直々の命令)

南京に2ヶ月ぐらいいて、徐州に向かったんだけど、このときだったな、股裂きをやったのは。

ある部落で、みせしめのために女を柳の木に縛りつけ、両足首にまきつけたロープを2頭の馬の鞍に結び、左右からムチをくれると股から乳房のあたりまで肉がさける。骨があとに残るんだ。

股裂きなんぞ、東映のモンド映画『徳川いれずみ師 責め地獄』にて鬼才石井監督が撮っていたけど、その遥か以前に日本軍では娯楽の殿堂として「日常風景」だったとは驚きだ。日本軍って、頭の中が「石井輝男」と同じだったんだな。

「股裂き」の田所耕造が所属していた柳川平助兵団が如何に凄まじい「ならずもの部隊」であったか、従軍カメラマンとして共に行動した河野公輝さんが証言しているな。これも酷すぎて卒倒するぜ。
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/182.html


先の日中戦争での自らの加害体験を語る元日本兵は驚くほど少ない。昭和十五年に徴兵され、5年近くにわたって中国で戦った金子安次さん(86)は自らの加害行為を語る数少ない語り部のひとりだ。金子さんの凄い点は、加害行為の中でも、とりわけ誰も語りたがらないレイプ体験を語る点だ。

 殺人行為については数が少ないものの語ってくれる人はいる。そもそも兵隊の職務は敵兵を殺すことであり、殺人は上官の命令で行ったという自分自身に対する言い訳もできる。子供は将来の敵になる、女は子供を生む。だから殺し尽くせ、という命令は上層部から下されていたそうだ。

しかし、強姦は別だ。どう言い訳しようが、個人の欲望に根差したものだからだ。


 「昼間のうちにいい女に目をつけておいて、夜襲いに行く兵士もいた。

頑強に拒んだ女性には膣に棒を押し込み、子宮を切り裂き、油をつけた綿を押し込み燃やしたこともしばしばあった。」


 金子さんの話によると、民間人に対する殺戮と性的虐待は日常的に行われていて、これに加担しなかった日本兵は、少なくとも金子さんの知る限り、ほとんどいないという。しかし、こうした日本軍の暗黒な側面はほとんど表ざたになることはない。自らの加害行為に多くの人が口を閉ざしてきたからだ。
http://blog.goo.ne.jp/kakatua/e/d819a2515eb72a4f0d5f0f0089a10146


04. 2013年10月29日 11:33:17 : F1Sr2Hx0Nj
http://www.youtube.com/watch?v=p63xt5AlahY

中国の伝統、毛沢東の虐殺、粛清、とても日本人のできるレベルではない、はるかに

大量で桁違いの大量殺戮がなされる。

秦始皇帝、明の朱元璋(しゅげんしょう)、中共の毛沢東など でかいことをした

が虐殺、粛清も人間わざと思えないヒドイもの。

中国共産党が国内でおこなった、大躍進運動、文化大革命をしらべていかに「ひど

い」ことをしているか認識してください。

現在もチベットや新疆でおこなっているのです。


05. 2013年10月29日 11:40:41 : W18zBTaIM6

南京大虐殺を命令したのは昭和天皇

天皇は日本人(縄文人、弥生人)じゃない。

天皇一族は2000年前には朝鮮の38度線近くの某集落に住んでた漢民族。

昭和天皇の腹黒さや残酷な性格は漢民族特有のものだ。

日本人はチャンコロ・チョンの昭和天皇の指示に従っただけさ。


06. 2013年10月29日 14:00:36 : p9Yfmp3rs2
、“ネトウヨの親分=チーム世耕”の 会員番号4153番.....、“ネトウヨの親分=チーム世耕”の 会員番号4153番はチーム世耕の金目当てだ...........、“ネトウヨの親分=チーム世耕”の 会員番号4153番はチーム世耕の金目当てだ...........、“ネトウヨの親分=チーム世耕”の 会員番号4153番はチーム世耕の金目当てだ...........、“ネトウヨの親分=チーム世耕”の 会員番号4153番はチーム世耕の金目当てだ......★世耕弘成は◆自民党謀略工作隊:チーム世耕の代表で★ネトウヨ◇をつかって投稿させています。

07. 2013年10月29日 15:22:11 : CUbvPGtb46
何で東京裁判で公式に認定された南京大虐殺のルーツが、

20年近くあとの文化大革命なんだよ?

ネトウヨの頭って、ほんとむちゃくちゃだな。


08. 2013年10月29日 18:43:51 : PRNfbrn9NU
中国史は昔からこんなものでしょう。変態中川隆なんかは中国史大好きだろうし。

ソ連の粛清はちゃんと死刑にするのに、
中国の粛清は上流階級は執行猶予つきの死刑とかにしているのは
将来自分が陥れられた際の死刑を防ぐためなのですかね。
いっぽう下層階級は執行猶予など無しで殺されているのだから不公平。

ケ小平だって死刑にならずに復活して、文化大革命派もボスは死刑にならずに執行猶予。中国の上流階級は全くの屑なわけですが、次回に乱とか文化大革命が
起こったら、最上流でもちゃんと死刑にしてほしいものです。


09. 2013年10月29日 18:54:47 : MqfDU8zF5E
南京大虐殺はなかったなかった、と飽きもせず繰り返し繰り返し言っている日本の右翼は日本をそして日本人を限りなく貶めている。

どこの国の誰もが賛成しないことを日本国内でごにょごにょ言うだけ。


10. 2013年10月29日 18:55:47 : UMLUfE1oTM
ルーツは殷(商)なんじゃないんですか?夏(=夏后)の人間を捕らえて生贄にしたなどの話が伝わっているでしょう。
ちなみに殷(商)のルーツはフェニキア(カイン、人類最初の人殺し)といわれていますね。フェニキアの民が北上して、時代を経て日本に流入したとか。残虐な血のルーツ。検証しましょう。

11. 2013年10月29日 19:34:24 : W18zBTaIM6
>殷(商)のルーツはフェニキア(カイン、人類最初の人殺し)といわれていますね


デマだろ

Y_DNA がフェニキア人と漢民族では全然違うからね


12. 2013年10月29日 19:46:29 : UMLUfE1oTM
11さん、
DNAがどう違うのだか説明してくれませんか?でないと信じられないんです。日本には、フェニキア(カナン)は間違いなく入っていると認識していますが。これは、フェニキア、カナンのことについては、無二の高名なユダヤ研究家、先ごろ死去されたユスタス・マリンズ氏が書いていると聞きましたが。

13. 2013年10月29日 20:17:40 : W18zBTaIM6
地中海やメソポタミアの民族のY-DNA は J と E1b1b の混合だ:

■J
・中東のハプログループで、北方のJ2と南方のJ1に分かれる。


J2の分布図


・J2はメソポタミア北部で誕生し、西はアナトリアからヨーロッパ南部、東はペルシアからインドまで広がっていった。古代のエトルリア人・ミノア人・アナトリア人(南方)・ポエニ人・アッシリア人・バビロニア人がそれに当たる。

・J2はギリシャに数多く見られ、特にJ2bはギリシャで誕生したと思われる。また、J2aが最も集中しているのはクレタ島であり、この地に起源を持つものだろう。興味深いことに、J2aはインドのカースト上位者にも多く見られる。バラモンは主にR1a・R2・J2aで構成されている。これら3つのハプログループがアーリア人の侵入における遺伝子の移動経路を示している。


J1の分布図

・J1はアラビア半島の人々のほとんどに見られ、中でも72%に達するイエメンが発祥の地と思われる。中世のイスラム人の侵攻によって中東・アフリカ北部からスペイン南部まで広がった。


■E1b1b


E1b1bの分布図

・最後にアフリカからヨーロッパへ大規模移動をしたのがE1b1b(公式にはE3b)である。26000年前にアフリカの角あるいはアフリカ南部で登場し、新石器または旧石器時代に中東に進出した。

・ヨーロッパ〜近東で最も多いEのタイプがE1b1b1a(またはE-M78、E3b1a)である。新石器時代初期にエジプトからレバント・アナトリア・ギリシャに進出し、J2と混血した。

・E-V13はレバントで興った農業の伝播を担った部族である。ギリシャ北部のテッサリーが伝播の起点であり(約8000年前)、バルカン半島やドナウ盆地からフランス北部、ロシアまで広がっていった。

・E-V22はレバントに在住していた部族のものであり、フェニキア人やユダヤ人に多い。フェニキア人が地中海沿岸で活発に活動したため、E-V22がその領域に広がった。
http://blog.livedoor.jp/nandeya_umeda/archives/51174468.html


漢民族にはJ はほんの少し有るけど、 E1b1b は全く無いから、

フェニキア人と漢民族とは何の関係もない。


14. 2013年10月29日 20:23:24 : W18zBTaIM6
日本人にはJ も E1b1b も無いからフェニキア人や中近東の人間とは何の繋がりもないよ。

古代史は日本人-ユダヤ人同系説とか、クルクルパーのド素人が嘘八百並べ立ててるから気を付けた方がいいよ。


15. 2013年10月29日 20:49:42 : UMLUfE1oTM
13さんの言われることも、14さんの言われることも、私を納得させることはできないです。ごめんなさい。

フェニキアと殷との関係は疑っています。両方とも商人が活躍した国家です。第一、殷は漢人国家ではありませんでしょう。漢人そのものの実態も、種々の系統の民族の混成体ですし。フェニキア人も、現在は消えているわけですし。フェニキア人とされる遺伝子をどこで得、調査して貴殿の結論に至ったのでしょうか?

フェニキア人は、日本やイギリス方面に行ったのでしょう。エジプト構造船も極東に来ています。九州に壁画があるのはご存知ですね。あるいは北中国に、インドから東南アジア、つまり南から移動し、日本に来たのでしょう。

デマだと断定し切ることは出来ないと思います。必死になってご否定なさるあたり、隠さざるを得ないご事情があるのでは、と逆に勘ぐってしまいます。

ユアヤが日本に来て、国を乗っ取ったという話は、昔からありますよ。


16. 2013年10月29日 21:35:59 : W18zBTaIM6
フェニキア人は元々都市国家を作った農耕牧畜民

殷は遊牧民

生活形態が全然違うよ

それから漢民族は殷、周、漢すべての混血だから、現在でも遺伝子は残っているよ。


17. 2013年10月29日 21:40:23 : W18zBTaIM6
>エジプト構造船も極東に来ています

そんなの来る訳ないだろ

九州の壁画古墳に描かれてるのは長江流域の漁労民が乗っていた船さ

南京大虐殺否定論もそうだけど、ド素人を騙すのは簡単なんだな。


18. 2013年10月29日 23:47:07 : VOGlro5SjI
ユダヤ人とはYDNAでは4系統ある。これは前シュメール国家の証だね。つまりは大きな集団、国家が始めて出来た証。
古代は部族単位だがこれは1系統だけだね。広範囲にすると自然に多数になる。
その一つが中東、ギリシャ代表であるE系統、ナポレオン、ヒットラーはE系統で後者はユダヤ人の血が入ってるといわれてる。人類で一番初期段階で移動した人たちでDとEは非常に近い関係と言われてる。遺伝と言うのは何千年でも反映するね。この両者は比較的小柄だね。また明治天皇と接見したイギリス人は中東の人と誤解してたね。
戦争は残虐行為は色々あるが大陸の城郭のある町での攻城戦は落ちると場内は大虐殺される。攻める側からすると守る側のすべてが敵だよ。この行為を屠場といい将軍にとっては英雄的行為だが日本の戦国時代の戦争は百姓を殺すと非難対象になったのとは大きく違う。自称インテリぶる馬鹿サヨクは日本に対してここをついてくる。通州事件での大陸の残虐性に衝撃を受ける日本人だが日清でもそのきっかけの大暴動での殺し方は日本人には尋常ではない。当然悪の連鎖が始まる。日本人が捕虜になると凌遅刑をやられるが肉を削ぐとかこの記事の内容に近いがこれを見た日本兵は復習に燃えるだろうね。

古代夏王朝の遺跡から(殷の前)BC2000?位か高貴な婦人の陰部に牛の角が入った状態で発掘されたがこの残虐行為は大陸では今に始まったことではないと言う事が考古学でも実証されたね。南京虐殺などで人が鳥かごに入った写真があるがあれが凌遅刑なんだが殆どの日本人には判らないが日本がやったと言ってるんだね。日本人が歴史的にこの刑で処刑された記録で古い人は秀吉の朝鮮出兵時の日本人捕虜で中国でやられた。


19. 2013年10月30日 00:05:35 : VOGlro5SjI
ちょっと誤解になるな?

南京は交渉により安全地帯が設けられ戦いに関係のない民間人を収容した。ここは安全、だが中国兵は民間人の入る事を禁止してて一悶着あったとウイキで書いてるね。また三光作戦という虐殺を日本軍はやったと言ってるが日本人にとってこれは虐殺の作戦の名前とは明らかに違う。中国軍の焦土作戦だよ。

いずれ中国民間人は日本軍に協力すると漢妖で死刑。日本に歯向かったりテロを仕掛けると殺される。結果、国共内戦を通じて中共は2000万人国民党1500万人、日本軍はアジアで400万の民間人虐殺と言われてるね。

殆どの中国人は大きな災いを受け今でもその自由と平和の途上にあるんだね。


20. 2013年10月30日 00:50:56 : W18zBTaIM6
>ユダヤ人とはYDNAでは4系統ある。これは前シュメール国家の証だね。つまりは大きな集団、国家が始めて出来た証。


またクルクルパーが出て来た

ユダヤ人というのはユダヤ教を信じている人の事で、遺伝子はゲルマン人とあまり変わらない


21. 2013年10月30日 05:42:52 : VOGlro5SjI
>>20

このクルクルパは返すよ。
では日本人でもユダヤ教を新しく始めるとユダヤ人か?

普通に考えると判るだろうよ。ユダヤ人は失われた10氏族で人DNAが一番研究されてんだよ。ホグロムの虐殺で異端審問と一緒にしては駄目だよ。もちろん母系と父系があるが父系は明らかに正当性がわかる。ゲルマンR2b?の黒人がいることで判るでしょ。どちらに分類するかは難しいけど間違いなくゲルマンの血は入ってるね。素人感覚でYDNAで混ざる混ざらないの話じゃないよ。

朝鮮半島、大陸では6000年前の縄文遺跡(黄海の一番奥)がでる。この辺りは
ユダヤの痕跡をイスラエルは発表してるね。殷は鯨面の部族が近隣に居たね。
時代は違うが日本文化に直接、間接には新羅、百済、隋には関わりがあるのは簡単に推理できる。現在の中国の紙幣はアラビア語が正式に採用されてる。つまりは隣国は中東と密接な関係なんだよ。


22. 2013年10月30日 10:00:05 : W18zBTaIM6
古代イスラエルのセム系のユダヤ人は一部の祭祀者にしか残っていないよ。

アシュケナジウムの母系DNAは殆どヨーロッパ系で古代の遺伝子は残っていないしね。


23. 2013年10月30日 11:46:19 : VOGlro5SjI
ユダヤを勉強すると1つの仮説を足すと古代史が浮かび上がってくるね。
少し長くなるがその前にセム系とはユダヤなど旧約聖書を信じる人の人類分類で
DNAの考古学とは相容れない。ノアの息子から派生する民族だからね。
ローマではアダムとイブが今から8000年前と言ってたね。つまり人類は8000年前にはいない。ところで東北の縄文土器は14000年前のがゴロゴロ出てるがこれを作った人は人類ではない事になる。

ユダヤの歴史はホグロム。ダークエージには異端審問の魔女狩りで弾圧されてる。
ユダヤ社会はイスラエル王国、とユダ王国に分かれるが先に前者は滅び混血された。この侵略者の建て統治した王をユダ王国のユダヤ人はスメラビコと呼ぶんだね。この辺りから日本との関係が疑われ始めるね。関連が沢山出てくるんだね。ダイハツの元社長がトルコと日本の単語の共通点の多さを不思議がって研究してたがこの辺りに回答があるのかね。そのうちユダも滅びデアスポラが始まる。シリア、トルコはアシュケナジム、北アフリカ、モロッコはセファルディム。東西ヨーロッパのユダヤ社会だね。母系でこの社会が存在しなければユダヤ教は残らない。父系は残る。
またホグロムが起きる最大の原因は現地と文化的に交わらない事。言い換えると一神教を強固に守ったため。原因はシューメールの歴史上初の国家統治からきてる。ナチスだけではないが東欧全体で大弾圧がありご存知のとおりアシュケナジム社会は完全に崩壊した。
振り返った歴史的事実からユダヤがデアスポラした国は必ず強国になるね。不思議だね。今はさしずめアメリカかね。学者の言葉では現在ユダヤ人は史上最大の繁栄をしてるとさ。ユダヤ人の比較的共通点は髪が黒か黒系、中東の顔立ち、イスラエルを見ればわかりやすい。欧米ではユダヤ人でもキリスト教に改宗するとユダヤ人とは呼ばないのと有名人も多いし増えてるね。先祖は異端審問に耐えたんだけどね。チョト勿体無い気もする。


24. 2013年10月30日 13:25:39 : W18zBTaIM6
クルクルパーの相手したくないけど、

ユダヤ人全体としては、セム系Y-DNA「J」が約43%なので

古代ユダヤ人は今のアラブ人と遺伝子が同じセム系Y-DNA「J」

日本人にはY-DNA「J」はいない


25. 2013年10月30日 15:46:41 : VE0EVJYXdg
>>24. 2013年10月30日 13:25:39 : W18zBTaIM6 バカヤロ!!

誰が見たってクルクルパーはお前だ、馬鹿中川隆!! 人の迷惑を考えろ!!

追及すればコピペと言って逃げる妄想狂だろが。何の役にも立たない馬鹿野郎だ!!

[22削除理由]:不適切コメント

26. 2013年10月31日 06:01:46 : VOGlro5SjI
25ばんさん

理解ありがとう。

学問は科学だね。最近の歴史学、考古学は進歩してる。が昭和時代は松本清張が言ってたように古代史は古文書の持ってる数が権威だったね。昨今人DNAの解析が行われ考古学でも利用されてきた。ここで取り扱われてるYDNAの型は現在100万通りの多型が人に存在する。この中で理論化されたYDNAだがAから始まりB,C,D,,,と分類される。要するにこの部位でのDNA変異の少ない順だね。だが考古学、で引用を専門に理解が欠如すると平気で混ざるとか変わるとかの記述がある。こういった学者は批判なしに自然と淘汰される。学会で批判はしないが付き合うと馬鹿がうつるだね。18世紀に思いつきでセムハムの分類はある種の意味があるが科学では理屈が通らないね。おいらみたいな素人が論陣張る時は少なくとも言ってる事を理解して張ってほしいね。

ユダヤつながりで英語だがアメリカ大陸に2000年前渡ったと言ってるね。ここでは縄文人が6000年前に渡ったとも言ってるね。DNAが根拠だよね。チェルキー

http://www.youtube.com/watch?v=LONSKVbLMkg

ところで民放で5年前アマゾン大文明?と言う番組が放映された。ここでは王族の骨が出たが身長が2mが複数体でた。結論は謎だがこの巨人族のYDNAはAかBだった。YDNAでA,Bはアフリカ大陸を出てないので普通に類推するとやっぱり大西洋を渡った人類がいるんだろうな。古代は不思議がいっぱいだよ。
DNAにより学者は誰も言わないが人類は1万年前辺りから足跡=具体的な歴史を考えないといけないね。もちろんミスリードもあるがシュメールのユダヤの歴史=旧約聖書等は盗作といわれてるのでさらにさかのぼるよ。


  相当な板違いになってしまったが秋の夜長を楽しみましょう。


27. 2013年10月31日 07:27:13 : W18zBTaIM6
また嘘言ってる

Y-DNA「C3a」の民族が土器を作っていただけ

縄文人もアメリカ大陸で土器を作った民族もアジアにいたY-DNA「C3a」の民族

べつに縄文人がアメリカ大陸に渡ったわけじゃない


28. 2013年10月31日 07:28:27 : W18zBTaIM6
縄文人は殆どがD2, 土器を作った縄文人は C3a

29. 2013年10月31日 10:57:07 : aHFznFyPMc
中国は人肉を食材をする食人民族なんでしょ!?
ネズミ肉のしゃぶしゃぶよりは旨いのかよ。

同じ民族の人肉を喰いまくって、何が虐殺だって。おぞましい自国の歴史を、食人
食”文化”の事実を知るべきだ。机以外の4本脚の動物と二本足の人間にカドニウムにネズミに毒まで食らう毒食国家。

我々日本人はこいつらに喰われないように気を付けないとな。

以下引用

http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-818.html
関連記事
文化大革命の真実

中国の歴史上、人肉宴会は珍しいことではない

参考サイト
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/177.html

例:17世紀半ば、張献中が四川を食い尽す

■反乱軍を率いて四川省を占領した張献中(チョウケンチュウ)は僅か数年で、当時600万人の四川の人口をほぼ絶滅させた。
■山奥に逃げ、難を逃れた者はわずか1万8千人程度。
■大殺戮の過程で、食料不足が発生すると、殺した住民たちの首を切り捨て、その体は豚肉や羊肉のように大なべで調理し、兵士の食料とした。
■住民が残り20万人程度となったころ、次の食料を求めて軍を移動する。
■張は、残り20万人の住民全員を、燻製や塩づけの兵糧とするよう兵士に命じた。
■成都の街全体が「人肉加工場」に化した。

中国の歴史と人肉食

■中国の史書にたくさん残されている。自分の肉を親に食べさせるというような孝行話が多い。
■紀元前1100年ごろ、殷の紂王が、伯邑考をスープにして、それを父にたべさせた。
■618年、朱粲は「酒を飲んだ後の人間の味は、ちょうど粕漬けの豚に似ている」 (『唐書』朱燦伝)
■882年、黄巣の乱で賊は人々を捕らえて食用にした。一日ごとに数千人をも食べてしまった。(『唐書』黄巣伝)
■902年、人肉市場では「市中人肉を売る、斤あたり百銭(文)。犬肉は五百銭」(『資治通鑑』唐紀)
■1126年、人肉市場では、一斗の米が数万銭、人肉は豚肉よりも安く、若い男の死体が一万五千銭で買えた。
■1587年に書かれた「本草綱目」という漢方薬の本に、「人」の項目が。骨、陰毛、精液、ふけ、大便、尿など。
■1644年、張献忠という盗賊が四川省を占領、3年間で四川省の人間はみんな食べられて全滅。四川大虐殺では人口600万だったのが1万8000人に。
■1894年、殺人鬼アルバート・フィッシュの手紙「清の人肉市場では、ポンドあたり1〜3ドル。12歳以下の子供たちは全て食べ物として売られていた。Cはそこで人肉を覚えた。」
■1965年、文化大革命。白昼堂々人肉宴会が行われ、生徒が教師を食べた。百余の死体が香港に漂流して有名になった。。
■現在も、田舎では胎児のスープ(嬰児湯)が滋養強壮の為に食べられている。

「レイプ・オブ・南京」で、アイリスチャンの書いた「日本兵が人肉餃子をつくる」という所が、自分の国の文化からきている嘘というのがわかる。

参考書

■食人宴席
■支那人の食人肉風習 桑原隲藏
■『中国の崩壊が始まった!』
■ブライアン・マリナー (平石律子訳)『カニバリズム 最後のタブー』(1993年、青弓社)
■K. R. Chong, Cannibalism in China
■『呪われた中国人』(カッパ.ブックス)
■「戦争の歴史 日本と中国」(黄文雄 WAC 二〇〇七年)
■魯迅『薬』


30. 大和狼 2013年10月31日 11:39:44 : 4bXKnGQAUaNEQ : aHFznFyPMc
中国は食人伝統国家。日本軍の虐殺!?
日本には食人文化もなければ、ホロコーストのマインドもない。
日本人は食人民族に喰われなように気をつけないとな。
攻められたら死んでも戦うしかないな。さもなくば人肉になってしまうわ。


例:17世紀半ば、張献中が四川を食い尽す

■反乱軍を率いて四川省を占領した張献中(チョウケンチュウ)は僅か数年で、当時600万人の四川の人口をほぼ絶滅させた。
■山奥に逃げ、難を逃れた者はわずか1万8千人程度。
■大殺戮の過程で、食料不足が発生すると、殺した住民たちの首を切り捨て、その体は豚肉や羊肉のように大なべで調理し、兵士の食料とした。
■住民が残り20万人程度となったころ、次の食料を求めて軍を移動する。
■張は、残り20万人の住民全員を、燻製や塩づけの兵糧とするよう兵士に命じた。
■成都の街全体が「人肉加工場」に化した。

中国の歴史と人肉食

■中国の史書にたくさん残されている。自分の肉を親に食べさせるというような孝行話が多い。
■紀元前1100年ごろ、殷の紂王が、伯邑考をスープにして、それを父にたべさせた。
■618年、朱粲は「酒を飲んだ後の人間の味は、ちょうど粕漬けの豚に似ている」 (『唐書』朱燦伝)
■882年、黄巣の乱で賊は人々を捕らえて食用にした。一日ごとに数千人をも食べてしまった。(『唐書』黄巣伝)
■902年、人肉市場では「市中人肉を売る、斤あたり百銭(文)。犬肉は五百銭」(『資治通鑑』唐紀)
■1126年、人肉市場では、一斗の米が数万銭、人肉は豚肉よりも安く、若い男の死体が一万五千銭で買えた。
■1587年に書かれた「本草綱目」という漢方薬の本に、「人」の項目が。骨、陰毛、精液、ふけ、大便、尿など。
■1644年、張献忠という盗賊が四川省を占領、3年間で四川省の人間はみんな食べられて全滅。四川大虐殺では人口600万だったのが1万8000人に。
■1894年、殺人鬼アルバート・フィッシュの手紙「清の人肉市場では、ポンドあたり1〜3ドル。12歳以下の子供たちは全て食べ物として売られていた。Cはそこで人肉を覚えた。」
■1965年、文化大革命。白昼堂々人肉宴会が行われ、生徒が教師を食べた。百余の死体が香港に漂流して有名になった。。
■現在も、田舎では胎児のスープ(嬰児湯)が滋養強壮の為に食べられている。

「レイプ・オブ・南京」で、アイリスチャンの書いた「日本兵が人肉餃子をつくる」という所が、自分の国の文化からきている嘘というのがわかる。

http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-818.html
日本が好きなだけなんだよ、から


31. 2013年10月31日 11:52:23 : PRNfbrn9NU
>>29
>■1894年、殺人鬼アルバート・フィッシュの手紙「清の人肉市場では、
>ポンドあたり1〜3ドル。12歳以下の子供たちは全て食べ物として売られていた。
>Cはそこで人肉を覚えた。」

こういう講釈、サドのジュリエットかジュスティーヌの主役がやりそうな講釈で
ほぼユーモアの世界ですね


32. 大和狼 2013年10月31日 15:53:02 : 4bXKnGQAUaNEQ : aHFznFyPMc
中国人の”食人文化”はファンタジーでもイリュージョンでもないようですね。

中国共産党員だか”進歩的反日サヨク”だかどちらにしてもこのウソつき残虐食人民族の一員であることに変わりはない。
 食人残虐大国中国。世界に拡散すればよい。何が南京だ。お笑いだ。

法輪功、天安門車炎上でウイグル人はますます食べられるなあ。

中国がなぜ人を殺して臓器売買をするかやっとわかるようになった。

日本人も捕虜になったら惨殺され喰われることまちがいなし。

以下引用先上に同じ

21世紀に、人肉料理文化のある残酷民族は中国だけ
飢饉や非常事態、異常者によるカニバリズム(食人)はどこの国でもある(日本で日本兵が仲間を生きるために食べる、もちろんあった)。しかし、「人肉市場」「人肉宴会」「人肉料理法」「人肉レストラン」があるのは中国だけ。人肉を楽しんでいる思考の隣人。◾中国の史書にたくさん残されている。自分の肉を親に食べさせるというような孝行話が多い。
◾1965年くらいの文化大革命では、人肉食が白昼堂々と行われていた。
◾現在も、田舎では胎児のスープ(嬰児湯)が滋養強壮の為に食べられている。
「レイプ・オブ・南京」で、アイリスチャンの書いた「日本兵が人肉餃子をつくる」という所が、自分の国の文化からきている嘘というのがわかる。また、ネットで、韓国人らしき人物が、日本には食人があるという偽記事を流している噂があります。どうみてもおかしい、日本? のカニバリズムレストラン(ややグロ注意)

人肉メニュー
◾「臠」:生肉をスライスして食べる、刺し身。「凌遅刑」という刑で食べられた。
◾「脯」:干物。刑罰として用いられることが多い。
◾「羹」:肉鍋。
◾「醢」:塩辛。干して麹を混ぜ上 等の酒に漬けて密封して100日で出来上がり。孔子の高弟、子路が醢にされた。孔子の好物でもあり弟子を殺されて以降は食べなくなったといわれる。
◾「炙」:人肉のバーベキュー(『韓非子』より)。
◾「腊」:乾し人肉
◾「血饅頭」:饅頭に罪人の血を浸し、市民に販売した。1860年頃。
北京西郊で罪人を処刑した時、鄶刀手(首切り屋)はその斬り首より噴出する鮮血に饅頭(マントウ)を漬し、血饅頭と名つけて市民に販売した。
「千八百六十五年の頃、北京西郊で罪人を処刑した時、鄶刀手(首切り屋)はその斬り首より噴出する鮮血に饅頭(マントウ)を漬し、血饅頭と名つけて市民に販売したという。」
(Peking and the Pekingese. Vol. II, pp. 243-244)これもまさに魯迅が『薬』で描くところの伝統的風習です。大日本帝国に留学した女性革命家・秋瑾も犠牲となった。
◾「塩屍」:人間の塩漬(『唐書』秦宗権伝より)
◾「嬰児の水餃子」:正式名称は不明。嬰児の肉をミンチにした水餃子。
◾「嬰児のスープ」:正式名称は不明。嬰児湯とも呼ばれる。2004年、遼寧省でのニュースで確認されている。
嬰児のスープのニュース(グロ注意)

「凌遅刑」:人を貼り付けにしてスライスしていく刑。つい最近の清の時代、中華民国時代、中華人民共和国時代でもやっていた。
凌遅刑の写真(グロ注意)


人肉用語
◾「喫人」:チーレン。人食いの事
◾「両脚羊」:人間の肉という意味(二本足の羊)
◾「不羨羊」:若い女の肉(羊より美味い)
◾「和骨爛」:子供の肉(煮れば骨まで食べられる)
◾「想肉」:男の両腿と女の乳房。(懐かしの肉)あまりの旨さにまた食べたくなるから。
◾「易子而食」:(子を交換して食す)自分の子供を食ぺることだけは避けようと、近隣の子供と交換した。


人肉歴史の一例
紹介済み


33. 2013年11月01日 09:29:10 : VOGlro5SjI
>>27

Y-DNA「C3a」の民族が土器を作っていただけ?_?

妄想もここまでくると、、、何を引用」してるのか不明だがソースがあれば教えてね。

土器の世界最古は縄文土器で1万6千年前と言われてるね。もちろんD2だよ。
中国は対抗して1万8千年前と言ってるがね。縄文土器は製法において極めて特殊
でただの粘土をコネタだけではない。上に書いたが中国大陸で縄文土器と判るのはこのためだよ。
エクアドルの土器もこの系統で突然中期の土器がでる。今確認で動画を見てたが偶然にも落ちたね。ここの主張の主眼が九州の風土病のウイルスが酷似してることだね。移動は喜界カルデラの大爆発と言ってるがこの出土した土器の系統は東北地方だね。またうそと言ってるとの指摘は私の参考になるので具体的に教えてね。クロージングのつもりで書いたつもりがこんなにコメントが増えるとはね。C系統の話は日本ではC1だろうよ。D2に並び日本固有種だね。おいらはこのC1が縄文時代の海を駆け抜けた高技能集団海人だと思うね。拝朝鮮主義かね?ご先祖も情けないと思ってるだろうね。


34. 2015年11月08日 20:47:22 : FxUcssE0UQ
>>07
>何で東京裁判で公式に認定された南京大虐殺のルーツが、
>20年近くあとの文化大革命なんだよ?

の問いについて

文化大革命を行うためのデモンストレーションが加害者不明の南京大虐殺(南京事件)だとすれば?

旧日本軍が撤退した後に平和になっているはずの中国が、共産党の権力闘争の場と化してしまった状況でみれば

しっくり来るはずだが?


35. 2016年9月23日 15:23:30 : Om20olMzCp : XHfGa3fU_vA[3]

相子老婆的山南海北的話

藍染の着物

2007/01/12 (Fri) 08:03
http://aikoqipao.blog47.fc2.com/blog-entry-210.html(コメント除く全文)


 東京自由が丘にある「わたなべ」は藍染愛好者に知られた有名店です。「上海藍印花布館」もまた藍染の展示と販売をする所です。両店を開いている方は久保マサさんという方だそうです。
 上海藍印花布館に行きましたら、私が良く見る中国の印花布とはセンスも違い、製品がきちんとしており、見覚えのある模様も多く、日本人好みの物です。
 額に納められた小型の藍染めの着物が壁に掛けられております。良く見ますと、作家の芥川龍之介の着ていたもので、それを模倣縮小版として作らせた物と分りました。
 
(写真)              

 この藍染の着物は、劇作家・小説家だった久保栄が芥川から譲り受けたものを栄の養女の久保マサさんが、展示した物だそうです。現物は久保マサさんご自身が保存されているそうです。
 上海好日でも取り上げたこの上海藍印花布館の庭では染め上げた生地が干されております。店内では収集された印花布の資料が展示され、また生地・帽子・バックなども販売されております。これら製品は日本で見ることも良くあります。「わたなべ」を通して出てきているのでしょう。
 
(写真)          

 様々な製品を上海で見たとき、オーナーは久保マサさん、また額の着物は芥川龍之介ゆかりの物ということは、知りました。
 その後額の着物や藍染のことが気になっており、上海の友人に問い合わせ、またパソコンで検索しましたところ、この藍印花布館の藍染の型は、文革で失われそうになった時、久保マサさんが必死で確保したものだそうです。この多くの資料は中国の大きな歴史のうねりの中で守られた貴重なものだと分りました。

(写真)

_______________________


藍印花布・ギャラリー わたなべ 
http://www.jiyugaoka-watanabe.jp/about_inkafu.html


36. 2016年9月23日 15:37:27 : Om20olMzCp : XHfGa3fU_vA[4]

あやあやのふらふら旅行記

【文化大革命も一因?】良き文化失った中国、頭脳と富は流失、残るは無恥な人間…

2012-09-17 07:00:00
テーマ:恐るべき中国シリーズ
http://ameblo.jp/ayaaya-hg/entry-11356754763.html(一部引用)

(前略)

中国人は民度が低いといいますが、msnにこのような記事がありました。

------------------------------------------------------------------------------------------------------
<中華ボイス>良き文化失った中国、頭脳と富は流失、残るは無恥な人間…―中国ネットユーザー
http://www.msn.com/ja-jp/news?articleid=1386846 記事削除)


中国はかつてさまざまな優れた文化を持ち、礼節や漢字といった文化は周辺諸国に大きな影響を与えた。

しかし現在の中国は政治や環境、食品など悪いイメージの方が強い。

だからなのだろうか、中国からの人材の流出が止まらず、昨年国家情報センター予測部は人材の海外流出数が約80万人に達し世界最多になったと明らかにしている。


2012年9月8日、中国のネットユーザーは、「中国がかつて持っていた優れた文化は今や国内で感じることは難しい。

しかしそれらの文化は周辺諸国にわたり今なお生き続けている。

たとえば礼儀文化は日本で見ることができ、伝統的な祭日文化は韓国で生き続けている。

美しい文字は香港や台湾に受け継がれ、最も優れた文化は台湾に息づいている。一方で失われたのは

文化だけではない。中国のすぐれた頭脳は米国に渡り、富を手に入れた者はカナダに渡った。良識を持った人間は監獄に入れられ、無恥な人間が表舞台で国を蝕んでいる。

さらに次世代を担う子供たちへも悪影響が及び、我々の将来を担う希望は事故が絶えないスクールバスに押し込まれ、毒入りのミルクを飲んでいる」と中国の現状に憤慨し将来を憂慮する意見を発表した。
------------------------------------------------------------------------------------------------------


かつて礼節の国と言われた中国がなぜ今の様なことになったのでしょう。

その一つの原因に文化大革命があると思います。

以下ウィキペディアより引用。

(以下略)


37. 2016年9月23日 16:06:08 : Om20olMzCp : XHfGa3fU_vA[5]

カンボジアの大虐殺の手本は中国の文化大革命が手本
http://www.asyura2.com/14/china4/msg/830.html
投稿者 浦島 日時 2014 年 10 月 09 日 20:48:54: SatUa8esa6POA

_______________________________


Rinda & Narice Diary

カンチョクトの根っこ
http://roicohi.blog90.fc2.com/blog-entry-1098.html

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荒んでいく世界

市民の党代表「斎藤まさし」の正体と民主党
http://nippon-end.jugem.jp/?eid=2219(対談記事一部抜粋)


荒 毛沢東思想、マルクス・レーニン主義で革命をやろうと思っていた?

斎藤 今もそう思っています。

荒 エッ!今も?(略)

斎藤 そうです。でもぼくは、荒さんたちの言葉でいえば「スターリン主義」、いわゆるソ連型の社会主義というのは最初から信じていない。スターリン主義党のような党組織ではダメだと思ってきたわけです。

荒 毛沢東が好きで、共産党や革共同とは違う、もっと大衆路線の革命思想をやろう
としてきたということですか。

斎藤 そう、革命一筋。この30年間、他に何も考えたことはない。》

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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

共産党より極左の民主党政権!

2011-07-20 07:11:35
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/04a17451b18c9254794aa91156ef46f9(書き出し文抜粋)


菅首相とは30年来の付き合いという斉藤まさしこと酒井剛氏が注目を浴びている。

元日本共産党幹部の筆坂秀世は、たかじんのそこまで言って委員会(11年07月17日放送分 )に出演し、現在の民主党政権のことを「共産党より極左である」と断言した。 (番組開始後15分20分頃の発言)

酒井剛氏は、テロ組織「市民の党」の代表である。 そしてテロ組織「市民の党」の関連団体に、菅直人首相の資金管理団体「草志会」が6250万円もの大金を寄付していた事実を知れば、元共産党幹部の筆坂氏が「民主党政権は共産党より極左」と公言すのも納得である。

(以下略)



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