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東芝病院告発レポート第30弾 ジャーナリスト 本澤二郎 「ジャーナリスト同盟」通信
http://www.asyura2.com/13/senkyo157/msg/567.html
投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2013 年 12 月 08 日 12:03:50: 4hA5hGpynEyZM
 

<“我が子が命を懸けて遺した”宿題と父の苦悩>
「不可解な東京第6検察審査会」「検察不起訴を1回審議で追認議決の暴挙」「命の尊厳を理解しない素人判断か」


 プロではない市民の目線による判断、という民主主義の原理の下に設置されたはずの検察審査会。実際は11人のド素人審査員ゆえに、検察の暴走判断を チェックする能力などない。検察判断を追認するだけの甘い組織だ。息子・正文に対する業務上過失致死事件に対する検察の不当不起訴を正当化させただけの、 たった1度の審議で幕を閉じてしまった。(敬称略)
<松本検事は2度の事故で、気が動転する遺族を理解しない>
 多くの市民は、病院や医師の治療内容など医療全般について無知である。初めて遺族を経験させられる側は、葬儀をどうするのかも含めて、その場で気が動転 する。頭が真っ白になって途方に暮れる。担当検事の松本朗は「司法解剖をしなかったため、死亡原因は不明だ」と開き直ったが、同じような体験をすれば、自 己の判断の誤りに気付くはずだ。まともな人間は、そんな場面で正常な判断など出来ない。

 正文に対する2度に渡る医療事故を、こうして記録する理由の一つは、加害者の心を覚醒させて繰り返させないとの思いと、もう一つは同じような悩みを抱え ている、あるいは、将来同じ苦悩を強いられる被害者に、貴重な教訓を伝えるためである。もう一つある。人権派弁護士に教えられたことだが、それは市民・被 害者が馬鹿にされ、舐められているこの国の体制打破のためだ。恥を忍んでペンを走らせる本当の事情なのだ。
 不正・不当な仕打ちに泣き寝入りする医療事故の被害者である限り、業務上過失致死傷事件の多発は続く。繰り返し嘘と隠ぺいの医療文化に変化は起きない。
<中尾医師らは人間性を取り戻せるか>
 警視庁に告訴した東芝病院の被疑者である中尾彰秀・藤江俊秀・三好由里子・犬山枝理香の4人が、いつの日か覚醒して反省と謝罪という、当たり前の心を、 人間性を取り戻せるか、そしてまた、日ごろから内外に社会的責任を吹聴する財閥企業と病院が、言葉通り実行するようになるのか。この1点を引き続き注視し てゆきたい。遺族ジャーナリストの務めなのだ。
<東芝の悪徳弁護士の策略か>
 正直なところ、警視庁告訴の時点で4人の自己批判があるはずだ、との期待を抱いていた。その場面で起訴取り下げという事態が、双方に申し分ない解決法と も考えていたのだが、甘かった。無念にも東芝関係者はその片鱗さえも見せなかった。告訴の時点でのマスコミ取材に対して東芝病院は「適切な治療を行った」 と開き直る回答を出した。看護師などへの面会さえも断ってきた。週刊誌「週刊新潮」に手記を載せても反応はなかった。恐らく、東芝病院の悪徳顧問弁護士が 関与したものだろう。日ごろの嘘と隠ぺいと、不正義の検事に結論を委ねたと推論できる。あるいは検事判断をコントロールしている、東京地検お抱えの悪しき 医師団と取引をしたものだろうか。
 疑問は深まるばかりだ。
<冷たく静かな検察審査会>
 かくして、6月中旬に東京地裁3階の検察審査会の扉を開けて、検事の不当判断を覆そうとして申し立て書類を事務局員に手渡した。既に書類を受け取るため に1度訪れた場所だ。検察審査会室は、異様とも思える冷たい静けさが漂っていた。数十人の職員は一言も発していなかった。まるで空気が凍えているように、 その時もシーンとしていた。このような職場で生きてこなくて済んだ自らの幸運に手を合わせたくなった。
 入り口での小さな会話が、部屋の隅々まで伝わるのである。「人間の血が通っている」という職場ではない。そのことだけで、暗い前途を予感させた。
<淡い期待が消える議決>
7月12日になって、東京第6検察審査会から申し立てを受理した、との通知が自宅に届いた。それが8月を過ぎ、9月を過ぎても議決の通知が届かない。「素 人の目線で、真面目に審議してもらっているのかな」と淡い期待を抱いてしまった。「素人の目線で真剣に繰り返し、繰り返し審議を開いているのかもしれな い。そのうち遺族にも説明を求める呼び出しがかかるかもしれない」と思い、心ひそかに待ち構えて秋を迎えた。しかし、結果は、やはり期待外れに終わった。
<ド素人の無責任・無能の検察審査会>
 誤嚥性肺炎による気道閉塞で義弟を奪われた中原義正は、自らの検察審査会議決の経験から「いい結果は出ない」と最初から筆者に告げていた。彼の事例は神戸であるが、所詮、ド素人の審査員が検事判断を覆すことはありえない、というものだった。
 中原は「検察審査会は単に民主主義の衣をまとっているだけの組織。一人として専門の知識がない。特に医療分野になると、まるでわからない。検察判断を鵜呑みにするだけの機関」と決めつけていた。
 無責任きわまりない無能組織というのだ。秋田県の安東義夫も同じ体験者として筆者に手紙で「公平性を装っているが、実際は暗黒裁判そのもの」と断罪していた。現在は、2人の体験者と同じ思いを抱く筆者である。
<小沢事件の議決と正反対>
 森ゆうこ著「検察の罠」(日本文芸社)では、この検察審査会の不可解な議決内容の正体をあぶり出している。小沢事件にからんで、東京第5検察審査会は、 正文事件とは正反対の対応をしていたことは、まだ記憶に新しい。小沢事件もまた、実に不可解な議決となったのだが、興味のある日本人は、このベストセラー 本を読むといい。

 小沢事件は明らかに政治捜査である。そして政治裁判だった。このことで、それまで小沢批判本を数冊も書いた筆者は、この政治捜査と政治裁判に批判的に なった。政治をかじった人間であれば、誰でもこの不当な対応を認識できるだろう。本来は、そのことを新聞テレビが指摘しなければならなかったのだが、現実 は彼らは検察のお先棒をかついでしまった。当然のことながら、見込み捜査ゆえに証拠がない。検察によるねつ造証拠発覚で、軍配は小沢一郎に上がった。検察 は公判維持が困難なために不起訴にして、検察審査会に委ね、そこで新たな締め付けを行うのである。それが検察審査会の起訴議決だ。しかし、新たな証拠がな い。再度、検察は不起訴にした。検察審査会は2度目の「起訴せよ」と息巻いたが、この間に新たな証拠どころか、検察の証拠のねつ造事件が発覚してしまっ た。
 小沢事件の教訓は、検察と対峙するはずの検察審査会が、裏では連携関係にあることを国民に知らしめたことだ。これが成果といえる。
<民主の衣をまとう腐敗組織か>
 民主的な衣をまとっている検察審査会、だが本当の正体は?時に猫を被ることも出来る機関なのである。民間人を盾にして、お上の意向を貫く組織といっていいだろう。

 小沢抹殺を謀るこの事件経緯は、最高裁事務総局を巻き込んだ壮大な司法の腐敗を裏付けている。「検察の罠」の著者は、そのことを見事に暴いている。彼女 は勇気ある有能な弁護士と思い込んでいたのだが、実はそうではなかった。司法人間でないからこそ、この一見してまともに見える闇の腐敗組織を暴くことが出 来たのだ。
 彼女の勇気には、改めて脱帽するばかりである。

 筆者も正文事件によって、政治権力を壟断する闇の権力、財閥・東芝の不正と腐敗の実態を知ってしまった。財閥無知ジャーナリストゆえに、結果的に財閥の腐敗を暴く原動力たりえたのだ。政界と官界を司法界の3権をコントロールする財閥である。
 韓国では財閥首脳が年中、獄につながっているが、日本では戦後、これが1度もない。ずっと不思議に思っていたが、今はその理由がわかる。

 民主の衣をかぶっているだけの検察審査会を、魂の入った、民意を反映する組織にする必要がある。検察や最高裁の隠れ蓑であってはならない。これの法改正が急務なのだ。
<おかしな不可解・不当議決>
 10月21日に東京第6検察審査会から郵便が届いた。「平成25年東京第6検察審査会審査事件(申し立て)第7号」とある。申し立て書記載罪名・業務上 過失致死、検察官裁定罪名・業務上過失致死、議決年月日・平成25年10月17日、議決書作成年月日・平成25年10月17日。
 議決の要旨・審査申立人・本澤二郎、被疑者中尾彰秀・藤江俊秀・三好由里子・犬山枝理香。
 不起訴処分をした検察官・東京地方検察庁 検察官検事 溝内克信。

 ここまで目を通して「おや」と思った。不起訴にした検事は松本朗である。遺族は松本から説明を受けているが、溝内を知らない。彼は正文事件を取り調べてはいない。公文書偽造ではないか。繰り返すが、不起訴処分にした検事は、松本朗である。溝内では全くない。
 不可解な公文書を作成する検察審査会である。
<うさんくさい第6検察審査会担当者>
 筆者は11月1日、東京地裁に行き、3度目になる3階の検察審査会に入った。ここには対話をする椅子もない。立ち話を前提にしている。ずる賢い部屋である。堂々と説明責任を果たすとの姿勢が皆無なのだ。お上意識丸出しの場所なのである。
 ここにきて良い感じを持つ市民は、恐らく一人もいないだろう。こんなことを知る機会を作ってくれた正文に感謝すべきだろうか。多くの国民は知らないまま一生を送るのだから。
 この文書に文書作成者の固有名詞が書かれていない。秋田の安東義夫のそれには、審査会事務局長の名前があった。彼は事務局長に議決した内情を問い質し、その上で「検察審査会は暗黒裁判」と決めつけた。
 東京第6検察審査会は事務局長名がない。これ自体、問題で、おかしい。胸を張れないのだ。やむなく審査会入口で「第6の担当者」を呼んでもらった。白い髪の目立つ長身の男が目の前に現れた。感謝をして名刺を出した。
 名刺を出せば、相手も名刺をくれるもの、との習慣が日本人の誰にもある。ジャーナリストにとって、これは必須のものだ。ところが、彼は名刺を出そうとし ない。仕方なく催促するしかなかった。何と「持っていない」と言い張った。本当であるわけがない。都合の悪い相手に名刺は出さないのだ。
 しかし、考えて見るがいい。筆者は東芝病院で最愛の息子を奪われた父親である。怪しいものではない。現に名刺を出して、自らの正体をさらけ出している。しかも、検察審査会に申し立てをした張本人である。れっきとした当事者なのである。

 議決内容を知りたい当事者権利の行使に対して、それでも男は名刺を出すことを拒んだ。そして「名刺はない」「この職場では作らない」と強弁した。自由人は自己の負担で名刺を刷る。しかし、役所や会社では、必ず団体が責任を持って印刷、本人に持たせる。これが日本である。
<杉本泰廣事務局長と判明>
 筆者は子供の使いではない。自らを名乗り、事件の真実を知ろうとする当事者である。相手は血税を食む公務員である。森ゆうこ著「検察の罠」を読むまで、最高裁の管轄だということを知らなかったのだが。
 誰なのか、不明の人物のコメントを記録しても無意味であろう。筆者は執拗に名前を確認しようとした。彼は「杉本」とだけ言った。彼の目の前でノートに書 いた。フルネームを求めた。「やすひろ」というので、漢字名を要求した。彼の名前は杉本泰廣、東京第6検察審査会事務局長だと、ようやく判明した。
 名刺交換で瞬時に確認出来ることが、この冷たい空気が漂う小さな世界では、全く違うのだ。これが戦前の司法の残滓なのか。民主的な開かれた世界では、全くないのである。これは経験者でないと分からない。法曹関係者もここまでは理解していないだろう。
 政治の世界の方がまだ、ましである。応対した相手の名前を確認できたことで、大変な成果だと勘違いしたほどである。
2013年11月7日記 (「財界にっぽん」2014年1月号掲載)

東芝病院告発レポート第30弾     ジャーナリスト 本澤二郎 「ジャーナリスト同盟」通信
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52055585.html


 

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