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民主主義は多数決か  田中 良紹 
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投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 12 月 10 日 11:31:00: igsppGRN/E9PQ
 

民主主義は多数決か
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20131209-00030509/
2013年12月9日 20時50分 田中 良紹 | ジャーナリスト


参議院の特別委員会で特定秘密保護法案が強行採決された翌朝の読売新聞が、「民主主義 誰が『破壊』? 多数決の否定はおかしい」と題する政治部次長の論説を掲げた。この見出しを見て民主主義に対する余りの無知に驚き、内容を読むと憲法の観点から民主主義を論じているのでさらに驚いた。多数決も憲法も民主主義とは何の関係もない。それも知らない人間が大新聞の政治記者をしているのが今の日本のレベルである。

初等教育の授業のような話で恐縮だが、ヨーロッパに「議会」や「憲法」が生まれたのは13世紀と言われる。それは民主主義のため、すなわち国民主権のためではない。当時は国家も国民も存在しなかった。武力で他を圧する王様が家来である封建領主から税金を徴収するために「議会」を作り、税金の取られ過ぎを防ぐために封建領主たちが王様の権力を縛る契約を結んだ。その契約が「憲法」である。

そして「多数決」の由来は、全員一致の原則で物事を決めてきたヨーロッパ社会の中で、いつまでも結論が出ないのは困るとローマ教会が12世紀に多数決の方法を取り入れ、それが税金の徴収を決める議会にも取り入れられた。そして多数決で決まったことが正しいのではなく、「一応の総意とみなす」という便宜的な約束事というのが当時からの解釈である。

やがて国民国家が生まれ、階級や身分、財産、男女の別なく選挙で国民の代表を選べるようになった。民主主義が本格化するのは欧米が20世紀に入ってから、日本では戦後の話である。税金を納める国民が国家の主役となり、国会に代表を送り出し、「国民の奉仕者」である官僚を監視するようになった。

民主主義では「憲法」は国家権力を縛るが国民を縛るものではない。大音量で右翼が街宣しても市民がデモをしても憲法違反にはならない。しかしそれを国家権力が弾圧すれば憲法違反になる。しかし民主主義の日が浅いためかこうした理解には勘違いが多い。

これまで自民党は多数決で決めない事を党の基本方針にしてきた。部会や総務会では当選回数や年齢に関係なく誰でもが自由に発言して侃侃諤諤の議論をする。しかしいつまでも議論を続けるわけにはいかないので最後は部会長や総務会長に一任する。一任された者は全員の意見を考慮して最も不満が少ないと思われる結論を出す。それで全員が納得する。

このやり方が非民主主義的であるかと言えばそんなことはない。民主主義の基本は「少数意見の尊重」にあり、少数意見を十分に聞いて結論を出す方が、多数意見を強行するより民主主義的である。だから小泉総理が郵政民営化を巡り総務会で初めて多数決を採用した時、党内から「民主主義の破壊」、「独裁政治」という反発が出た。

英国は日本と同じ議院内閣制で、しかもマニフェスト選挙を行う国である。国民は選挙で議員個人を選ぶのではなく、政党のマニフェスト、すなわち政策を選ぶ。その結果、国民の支持で過半数を得た政党が内閣を組織する。多数決原理に従えばその政党の政策はすべて実現されることになる。それなら議会を開いて議論する必要はない。

ところが英国議会は第一読会、第二読会を開いて法案の修正を行う。つまり国民の過半数が政策を選んでも、それが正しいとは限らないからである。議会では野党の意見を聞き、より良い法案にするために議論が行われる。これが民主主義の政治である。

アメリカは政策よりも議員個人を選ぶ選挙をする。地域の代表になるための資質が問われる。そのため議員に党議拘束はかからない。共和党議員が民主党の政策に賛成しても選挙区の有権者から支持されれば問題はない。だから議席の数であらかじめ法案の成立が見通せることはない。国民は議員が何に賛成するかを見て次の選挙の判断材料にする。これも国民が主役の政治である。

ところが読売新聞の政治部次長が展開した論理はこうした考えとまるで異なる。「法案が衆参両院の過半数の賛成で成立する事は日本国憲法が定めている」として、まず多数決を「憲法」が認めているから正しいと言うのである。そして自公にみんなと維新を合わせれば三分の二の「国民の代表者」たちが賛成しているとして、三分の一以下の少数者の言う通りにするのは「憲法の規定を無視せよ」と言うに等しいと主張する。

安倍政権は日本版NSCと特定秘密保護法案をセットで成立させる事を国民に問いかけて選挙に勝利した訳ではない。仮にそれを問いかけて勝利したとしても衆議院選挙の自民党の得票率は4割程度、参議院選挙の得票率は3割程度である。議席数と国民の「総意」との間には大きなギャップがある。そして世論調査によれば多くの国民が慎重審議を求め、法案に不安を感じているのである。

自公政権はそれを無視して法案の採決を強行した。その動きに反対した事を読売新聞は「民主主義の破壊」と主張した。私は議会制民主主義は死滅したと感じたが、全く逆の話である。特別委員会の審議を見て強く感じたのは、政府が質問にまともに答えない姿勢である。紙に書いた同じ答弁を繰り返す不誠実さと、成立させた後でいろいろな措置を講じますという国会無視の答弁が繰り返された。

読売新聞はアメリカのNSCとは似て非なる組織が日本の安全保障を担いうると本気で考えているのだろうか。しかし政治部次長の民主主義に対する理解がこの程度であるから、日本の安全保障に関する理解もその程度なのだろう。日本版NSCと同じで新聞社「の・ようなもの」が読売新聞という事になる。


田中 良紹
ジャーナリスト

「1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材。89年 米国の政治専門テレビ局C−SPANの配給権を取得し(株)シー・ネットを設立。日本に米国議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年からCS放送で「国会TV」を放送。07年退職し現在はブログを執筆しながら政治塾を主宰」


 

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コメント
 
01. 2013年12月10日 12:08:24 : BIgfJMRMNE
多数決であることは間違いないが、いくらなんでも審議時間は短いし強引過ぎるだろ。
こんな形での強行多数決は望んでない。

02. 2013年12月10日 12:11:10 : puMup5ZIao
先ずウソを言わないい事

憲法の禁止規定に従う事

アベウソミクスは売国奴


03. 2013年12月10日 13:11:42 : wXw1pnAJgc
ちょっと待って!

でたよ! 日本人お得意の「言葉遊び」が!

日本人って「形式」に弱いよね?

勿論、多数決も正しいが、物事に何でも「常識の範囲」っていうものがある。

必ず最低限の条件が必要・・・・・その証拠に選挙でも年齢制限がある・・・・なんでもかんでも多数決が正しいのなら年齢制限なんて必要ない。

これが成文法の危険なところ。


04. 2013年12月10日 13:24:59 : xORunowiYo
靖国参拝は長州藩への忠誠・恭順の意を問う単なる踏み絵。それに従う者による議会内の多数派とそうでない者による議会内の多数派では質が違う。読売の考えといえば大体こんなところだろうと思う。これは政教分離が図られていない国家で正統な宗派による執政のみを礼賛してそうでないものを弾圧・排除するのに等しい。英国で清教徒・名誉革命が起きてから日本で明治維新が起きるまで200年くらいの差がある。日本はまだまだ相当に遅れている。

05. 2013年12月10日 14:17:47 : 1geRdsjJSg
代議制においては、つまり少数者が多数者になりかわることができればいいわけだ。選挙制度を含めてそういうことが可能な仕組みを作り上げてきた。

06. 2013年12月10日 20:13:30 : YxpFguEt7k
浅井久仁臣氏
「安倍晋三氏をファシストと指摘する論者が増えている。私は当然、それは極論であって欲しいと願うひとりだ。だが今回、ナチスがかつて言論の自由を奪い、文学や芸術を弾圧した事を知る文学者や芸術家の研ぎ澄まされた感性が鋭く反応したのを見て、“極論”が現実味を帯びてきたと思う様になった。」
https://twitter.com/asaikuniomi/status/410223824601227264

「ファシスト」が板についてきた安倍晋三氏。
芸術家のみなさん、とくに文芸関係者のみなさん。出番です。
時代の要請です。


07. 2013年12月11日 00:15:30 : pvxLBMN0ak
読売新聞の問題をきちんと表現してくれてうれしい。

08. 2013年12月11日 07:20:52 : SqINAeyR9Y
民主主義は、人民支配を目的に作られた思想だと思います。
集団を扇動さえすれば独裁状態を作れるからです。
人間が持つ本能である「依存心」、「模倣性」を利用したマインドコントロール手法ですね。

09. 2013年12月11日 16:07:04 : Fs820IFiwU
日本の政治状況は第一次大戦に敗戦後のドイツで総選挙に勝ち、旧連合国への『報復戦争」を目指した、ナチス、ヒツトラー台頭時と似ている。「尖閣戦争も辞さず」の極右タカ派政党とその翼賛野党が「右翼革命実現も即、可能」。と錯覚するほど総選挙で大勝し、逆に「反戦平和政党」は惨敗した。これは国民が戦争への道を選択したとも言えるが?。チャンス到来と日本の「ナチズムとフアシズム」、「軍国主義と国家主義」残存勢力は一擧に、対外「戦争準備体制構築」を目指して暴走をはじめた。手始めに、「特定秘密保護法」を成立させて反戦平和派や平和主義派や自由と人権派を拡大解釈で弾圧、迫害できる秘密保護法を「多数決」で決めた。ナチスが多数決で次々と「反体制派や反戦平和派や自由、民主主義者やユダヤ人や反ナチ、反フアシズム派市民を圧殺するための法体制を手にしたのと同じパターだ。日本のタカ派の主張や論文や著書では、上からの目線で中国を『張子の虎」扱いしているのが大半だが。「アメリカの核の威」があれば戦争で日本が「100%勝てる」と軍事評論家が保証しているので、タカ派は超強気の戦略を取つてうるようだが、タカ派の計算と思惑は、外れると私は見ている。

10. 2013年12月11日 22:50:19 : PTREUToHAU
憲法前文の「専制と隷従、圧迫と偏狭を地 上から永遠に除去」を
英文憲法で読むと、専制政治や奴隷制度の追放が民主主義の原点
であることがわかる。

THE CONSTITUTION OF JAPAN 憲法英語版
http://www.akon.sakura.ne.jp/constitution/index.html

近世の歴史でいえば、老中合議制で、藩主も時により家臣に主君
押込で斥けられた。 奴隷は貞永式目41条の奴婢雑人から、秀吉
時代の伴天連追放令や奴隷購買者破門令と奴隷制度(牛馬のよう

にセリで売買)がなかったとされる。 歴史背景が違うから教えないのか
それとも、知られたくないのか? 幕府も外交秘密で開港を隠し出島が
増えたといえば攘夷がなかったとなる。 

で、英文憲法に自由が二語使われている。 表現の『自由』の21条と
憲法前文や13条の[自由]、前者が『フリーダム』、後者が[リバティ]。
西洋の[自由]は、前文の専制と隷従(スレイブリィ:奴隷制度)から

解放された[リバティ]で、ジョン・ロックの抵抗権からの抗議やデモ。
日本は表現の自由『フリーダム』からのデモとなるんだろう。 リバティ
を耳にしたことがあるのはリバティ・ベル(自由の鐘)くらいか。


歴史背景や権力者により解釈が都合よく作りだされる。

「(略) 其通義トハ人ノ自ノ生命ヲ保シ自由ヲ求メ幸福ヲ祈ル類ニテ
他ヨリ之ヲ如何トモス可ラサルモノナリ 人間ニ政府ヲ立ル所以ハ 
此通義ヲ固クスル趣旨ニテ政府タランモノハ 其臣民ニ満足ヲ得セ

シメ初テ 真ニ権威アルト云フヘシ 政府ノ処置此趣旨ニ戻ルトキハ 
則チ之ヲ変革シ 或イハ 之ヲ倒シテ 更ニ此大趣旨ニ基キ人ノ
安全幸福ヲ保ツヘキ新政府ヲ立ルモ 亦人民ノ通義ナリ (略)」

アメリカ独立宣言
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%AE%A3%E8%A8%80

福沢諭吉が訳した独立宣言で、国民は自由・幸福を抑圧する政府は
倒してもよい、革命も肯定している。 これを時の権力者木戸孝允
(桂小五郎)は、福沢諭吉の読みが浅い、同時期の連邦史略

(中国語訳)の過激で無い解釈をとったそうである。 木戸は奇兵隊
を用い権力を獲り、兵制改革(奇兵隊削減)で脱隊兵士を武力鎮圧
した。 薩長政権での維新官僚である。

来年の大河ドラマは吉田松陰だとか? 文科大臣の教育方針と
いい、幕末長州人の素晴らしさが新たな歴史教育になるのかも。
木戸は明倫館で、松下村塾生ではないが権力を獲った塾生は、

攘夷思想を五榜の掲示第四札で全て反古にしてるようである。 
こういうのも歴史教育として教えられないようになるかも。 
歴史もであるが、読売新聞の記者は多数決が民主主義の原理と

教育を受けたらしいから、読売新聞のようになるのかもしれない
中日新聞のコラムはジョン・ロックの引用で民主主義を知っていそう。

現代文の独立宣言
http://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/america/declar.htm

米大使館訳
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-independence.html


因みに、米国の拳銃所持もここからきている。 英国では一般警官の
拳銃所持は、犯罪者との武器均衡論から抑制(一部でTaser銃や
武装警官が出動)されている。 犯罪者より強力な武器所持はより

武器をエスカレートすると考えるからであり、米国は国民が銃所持を
しているから警官も所持する。 日本の徴兵も警察も反体制の鎮圧を
起源で民主主義からではない。 百姓町人は刀狩から武装放棄の国、

それにもかかわらず銃所持である。 幕府軍事政権下で、鉄砲や槍に
刀とあっても町奉行所は十手。 捕縛は投縄のお縄が基本。 今の方が
江戸時代よりも高圧的で人道的ではない。 時代劇や米国銃撃報道

のテレビで洗脳されてるから銃所持を考えさせることもない。 明治の
サーベルや棍棒の延長であるが、明治時代は暴動や一揆が多発して
おり、権力で抑圧させるのが狙いである。 昔から日本人はおとなしく

なかったのが歴史であって、幕府も明治も同様である。 治安維持は
必要であるが、民主主義の原理から考え直す時期がきている。


11. 2013年12月12日 01:42:12 : QBrYpzDGwo
  本来は、直接民主制において有権者一人一人の意志が反映されなければならない。最後の一人が納得するまで話し合うことが必要であり、少数なら可能だが、多数となると困難である。
  特に租税国家では、税金の行方を決めるのに少数の納税者の意見が全く反映されないのでは不公平である。
  ましてや、議員立法ではなく政府の立案が多数を占めるなかで、与党と官僚は常に接触し、会食などをしながら政治的な対話を繰り返している。
  財界も与党との接触は密である。こうした手段も多数決での立法主義の補完として慣用されていると言える。
  しからば、一般庶民、労働者は決してそのような手段は取り得ない。与党政権党から最も遠い位置にあるが、民衆も立派な納税者であるから、決してないがしろにされて良いものではない。そこで民衆は、デモンストレーションなどを通じて間接民主主義の足らざるところを補うのである。
  片や与党議員とのフェイスツーフェイスの酒席や会食、片や国会前のデモンストレーション、どちらの声がより届くのかは、言わずもがなであろう、会食を重ねた官僚や財界トップの声は聞いても、民衆のデモンストレーションは「騒音であり、テロと同様である」、とまで言い切り、与党が完全無視したのはついこの間のことである。
  間接民主制は多数決を採用するため、完璧な民主主義ではなく、便宜上の立法システムであることは明らかである。
  もし、多数決が最良の民主主義であり、これ以上のものは無いというなら、党議拘束の廃止が保証された議会の開催のみに徹底し、政権党トップと官僚や財界人、マスコミトップなどとの会合、ゴルフコンペ、酒席等は全て止めるべきである。
  読売新聞記者は多数決による間接民主制政治が完全な民主主義ではなくあくまでも便宜的で未成熟なものであることを全く知らないか、知っているがとぼけているか、どちらかである。

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