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「規制緩和善玉論」という巨大な欺罔(ぎもう)!! 神州の泉 修正
http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/445.html
投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2013 年 12 月 26 日 01:28:04: 4hA5hGpynEyZM
 

欺罔(ぎもう)という言葉は、平成23年(2011年)に、特定秘密保護法案がまだ秘密保全法と呼ばれていたころに行われた政府の政策会議、「第3回政府における情報保全に関する検討委員会」の検討会議(平成23年8月8日)に出ていたので初めて知った。


この中に、特定取得行為として以下の二つが出ていたが、そこに出ていた言葉である。


@ 財物の窃取、不正アクセス又は特別秘密の管理場所への侵入など、管理を害する行為を手段として特別秘密を直接取得する場合


A 欺罔(ぎもう)により適法な伝達と誤信させ、あるいは暴行・脅迫によりその反抗を抑圧して、取扱業務者等から特別秘密を取得する場合


調べると、欺罔(ぎもう)とは人をあざむき騙すことであるが、法律上は詐欺の目的で人を騙して錯誤に陥らせることであるということらしい。



これに似た言葉で欺騙(ぎへん)というものもあるようだが、いずれも庶民レベルには親しみがなく、いかにも官僚作文にふさわしい用語だというイメージが湧く。


最初にこの「欺罔」を知ったときは、いったい誰がこの用語を使うのだろうかと思ったが、特定秘密保護法案など、その手の法案を作る人たちが、この言葉を用いていることで、妙に納得した感じがあった。



だが、最近この「欺罔」が持つ「人を錯誤に導く」というイメージを思うにつれ、これは“偽装”ということにかなり近いかなと思い始めている。


ここ最近は食品偽装が話題になっているが、報道で流れれば流れるほど人々は「偽装(ぎそう)」という言葉に「またか」と慣れてきている。



偽装というのは耐震強度偽装や食品偽装などのように、すでに形として出来上がった物にごまかしが施される場合が多いが、欺罔というのはどちらかと言えば直接に他者を言葉や説明等によってごまかすことをイメージさせる。


とすれば、小泉政権以降、国民や国家を害する内実を持った政策を前面に出すとき、その政策を推し進めようとする政権側が使うカモフラージュをどのように説明するのかと考えたとき、そのことを政策偽装というよりも政策欺罔と言った方が正確かもしれないと、この頃思うようになっている。



アドルフ・ヒトラーは「我が闘争」で「彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ。」と言っている。
嘘は大きければ大きいほど他者を信じ込ませやすいという鉄則がある。



特に政権が国政レベルの説明で大嘘を言ったときは、庶民レベルの日常感覚からは、その嘘を“欺罔(ぎもう)”として見抜くことは難しいのかもしれない。その意味では、竹中平蔵氏が関与したB層市民攻略という選挙対策は実に奸智に長けた作戦だったことになる。


ヒトラーが示唆したように、国民の日常感覚をはるかに超える嘘は自分の思考範囲外であると思いやすいからだ。
国民はB層市民でなくとも、政府のつく大きな嘘には騙されやすい。嘘の構造が大きすぎるからである。



小泉政権の郵政民営化では、百パーセント米国の対日郵政資産の分捕りが目的で行われたにもかかわらず、国民は民営化がバラ色の未来を約束するという小泉氏や竹中氏などの詭弁(きべん)を信じこみ、郵政解散総選挙で彼らの国政欺罔を絶賛した。


野田佳彦政権では、国民は当初、消費税増税が社会保障費の充填(じゅうてん)のためだとの財務省発の詭弁をそのまま信じかけたが、植草一秀氏が拡散した「シロアリ退治」動画が、野田氏の公約反故を鮮明にした結果、この政策はペテンであると見抜かれ、雪崩を打つように民主党の信頼は地に堕ちた。



もし、植草氏がシロアリ退治の件を流布させなかったら、民主党はいまだに政権与党を張っていたかもしれない。


さて、このように国民は新自由主義が堂々と導入された後の政権が放つ政策が、外国資本や大企業の都合だけで設計されているという事実をよく自覚して、政権側の政策説明に対して強い疑念の眼差しを向ける必要がある。



なぜなら、新自由主義が入り込んだ日本の政治中枢は、アメリカ多国籍企業体が推し進める侵略経済体制に組み込まれてしまっているからだ。


その観点から導出される政策を投影した場合、ほとんど全部と言っていいくらい、現今日本の国政は、国民の生活を犠牲にして多国籍企業の収益効率や利便性を与えることだけに収斂している。


この事実を糊塗するために、政権側は国民に向けて偽装や欺罔の説明に腐心する。
はっきり言うなら、政権与党のスポークスマンが語る政策目的は、いかに上手に国民を欺いて、それが国民のためであるかのように見せかけることにある。
つまり、彼らが語る政策指針や目的はほとんどがきれいごとのごまかしなのである。


安倍晋三氏は成長戦略において、岩盤規制をドリルで破砕するとか言っているが、この穏やかならざる表現自体に、規制悪玉論という誤った刷り込みがはっきりと見えている。


安倍氏の言う規制緩和が結果的に経済成長をもたらすというのは、ヒトラーが断言した「大きな嘘」の典型であり、大欺罔なのである。


規制緩和善玉論(=規制悪玉論)は竹中平蔵氏や太田弘子氏などが一貫して唱えている誤った認識である。


 その本音は新自由主義政策による外国資本の日本略奪を支援することにある。


安倍成長戦略が、外資による投資振興と規制緩和に重点を置き、それらが経済の発展を促進するという基本方針は、実は1993年の平岩レポートに端を発している。


1993年と言えば、クリントン−宮沢会談が行なわれたときであり、その翌年からあの悪名高い『年次改革要望書』がスタートしているのである。
だから、この平岩レポートが出てきたとき、これが米系の外国人に賞賛されたことは当然のことであった。


このレポートでは規制緩和に大きな焦点が絞られていて、例えば、経済的規制については「原則自由・例外規制」とし、社会的規制については「不断に見直し、透明、簡素なものとする」になっている。
規制緩和は計画的に実施し、ビジネス・チャンスの拡大、消費者選択の幅の拡大と同時に内外価格差の縮小とそれによる実質購買力の増加を図る等が謳われていた。
現在の安倍政権では、これが外資の投資活動によって景気が浮揚するというように大胆な進化を遂げているが、いずれも政策の要諦は規制緩和至上主義にある。。


このレポートによって、社会的規制や経済的規制を区分けされ、経済的規制の原則自由と社会的規制の最小必要限の原則が打ち立てられている。
だが、実は市場原理至上主義の外国資本から見れば、日本の規制そのものは社会的であろうと経済的であろうと、同質の非関税障壁であり、真っ先に切り崩したい要件なのであった。


平岩氏が社会的・経済的などという区分をあえてして、国民を安心させ、規制緩和の危険性からこの時点で目をそらしていることは明らかである。
彼はこの時点で外国資本の走狗となってこのレポートを作成していたことになる。



この思想が安倍政権の国家戦略特区法や産業競争力強化法に息づいて、究極的な発展を遂げているのである。
その意味で安部政権は日本最大の売国政権・国賊政権に成り下がっていると言えるだろう。


平岩レポートをまとめるに当たっては有力な中心人物がいた。
太田弘子氏であった。


ブログ「彦左の正眼!」さんによれば、太田弘子氏は、この当時の規制緩和議論の過程のなかで、規制緩和の影の部分である「弱者に痛みが集中する」ことに対する社会のセーフティーネットについて、安全や健康、環境を守るための規制も削減し、「必要最小限とする」という冷酷な表現を盛り込むなど、中谷巌元一橋大教授(彼は新自由主義路線の尖兵だったことを反省し、後年、小泉・竹中路線を裏切っている)らとともに規制緩和推進つまり市場原理主義派の中心人物として売出し中だった。


太田弘子氏は、TPPに関する佐藤ゆかり氏のとの対論などを見ても分かる通り、支離滅裂な論理を平気でいう人間である。
この人物の新自由主義への陶酔は筋金入りである。


要は、平岩レポートで冷酷に無視されていた部分、「大企業寄りの規制緩和によって弱者に痛みが集中するという負の側面」が、今回の安倍成長戦略でもよりはっきりと無視されているという事実を強く指摘することができる。


これこそが、安倍政権の唱える“規制緩和善玉論”の巨大な欺罔(ぎもう)と言えるのである。


安倍政権を背後で遠隔操縦する国際金融資本は、この国政詐欺(こくせいさぎ)の構造を隠蔽するために特定秘密保護法案の成立を急いだのである。



「規制緩和善玉論」という巨大な欺罔(ぎもう)!! 神州の泉
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2013/12/post-97b0.html
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コメント
 
01. 2013年12月26日 04:46:54 : SrmPqLSMME

国益のための規制は強化せにゃイカン。外資に規制を掛けよ。

資本主義の暴走を止める為の規制は強化せにゃイカン。

  計画経済、政府統制、国権の強化。

世界は、なにやら推しとどめる事の出来ない、動揺・混乱・大乱の未来を
示しつつある。自由だ平和だ、なんつぅ甘い考えでは危険だ。


02. 2013年12月26日 17:50:12 : Lxxfj43yvY
我々はいつの時代も「富みの駕籠かき」にしか過ぎない。

選挙になる度に駕籠かきは集められる。

その勇ましい掛け声は「民営化」であったり、またあるときは「既得権益打破」

であったりする。

「民営化」と叫ぶときは、富みは「国」から一部「企業」へ、

「既得権益打破」と叫ぶときは「旧既得権益者」から「新既得権益者」

へと運ぶのである。

しかし、未だかつて、その運び賃を我々は貰ったためしがないのだ。


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