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投稿者 ダイナモ 日時 2013 年 11 月 04 日 18:56:39: mY9T/8MdR98ug
 

ノーベル経済学賞が、またもや物議を醸している。

10月14日に2013年の受賞者が決まり、資産価格の実証分析をたたえ、3人の学者が共同受賞した。そのうちの一人、シカゴ大学のユージン・ファーマ教授は「効率的市場仮説」の提唱者。「証券市場は、将来の出来事を予測し、それを完全に反映した価格形成を行う」というもの。この説では、大きなバブルの発生や崩壊は存在しないことになる。

一方、イェール大学のロバート・シラー教授の研究内容はこれと正反対のものだ。過去の株価と配当の長期的な関係を調べると、株価の変動性があまりに高いため、効率的市場仮説は妥当ではないと指摘した。また、人間の情熱や恐怖が市場に蔓延すれば、合理的に収益率を予想した投資モデルは、簡単に吹き飛ぶとも主張する。さらにもう一人の受賞者、シカゴ大学のラース・ハンセン教授も、さまざまな市場で効率的市場仮説が成立しないことを統計的手法により示した。

あべこべの理論がノーベル経済学賞を受賞することは珍しくない。

古くは1974年のフリードリッヒ・ハイエクとグンナー・ミュルダールの受賞がある。自由市場の熱烈な信仰者であるハイエクと政府主導の福祉国家論を展開したミュルダールは、いわば水と油だ。また、02年に受賞したダニエル・カーネマンの行動経済学は、人間の選好は不合理で、選好の合理性を基礎とする需給の均衡理論(主流派経済学の中核)が成立しないことを示唆した。


前提条件で理論は変わる

しかし、こうしたチグハグが許されてしまうのが経済学なのだ。経済学が対象とする現実社会はあまりに複雑だ。そのため、個々の理論は多くの極端な前提条件を置いて、現実を単純化している。あくまで経済学とは、現実経済に対する一次的な接近でしかない。同じ山の頂上を目指すうえで、さまざまなルートがあるように、異なる前提の置き方で分析すれば、それぞれの経済理論が示す内容も違ったものになりうる。

経済学とはそういうものだから、ノーベル経済学賞に何も罪がないかといえば、答えは否だ。問題なのは、経済学が強い普遍性を持つ物理学などの自然科学と同じ「科学」であるとの印象を世界に与えたことだ。

ノーベル経済学賞の創設は、物理学賞や化学賞など本家のノーベル賞(1901年開始)から68年後。正式名はノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞で、毎年の賞金はノーベル財団でなくスウェーデン国立銀行が拠出している。

出自の違いを補おうとしたのか、スウェーデン王立科学アカデミーは、自然科学と同等の地位に高めるべく、経済学でも理論を高度な数学モデルで表現することを重視した。現在の経済学は精緻な応用数学の世界であり、人々はノーベル経済学賞をほかのノーベル賞と同格の権威として受け入れるようになった。

経済学が自然科学と同等に扱われると何がよくないのか。

それは、“科学である”経済学が「この政策が社会に最も望ましい経済的な成果をもたらす」と説けば、それが正しい政策だと、多くの人に分別なく受け入れられるようになることだ。

先述したように、ある政策の根拠となっている経済理論も、前提の置き方が違えば、別のことがいえる。だが、世間の人々は難しい理論を深く理解するのでなく、経済学の名声などを当てにしている。その結果、経済理論が「つねに正しい」と、思い込む人たちが生まれてしまう。

表のように70年代以降、自由市場を信奉するシカゴ学派関連の経済理論がノーベル経済学賞を席巻した。こうした理論は、世界的な規制緩和や金融市場の自由化、公的部門の縮小の潮流を牽引する原動力となった。だが、リーマンショックを契機に「行き過ぎではなかったか」と見直しの機運も高まっている。



価値観中立を装う経済学

経済学が自然科学と同等に扱われることによって、さらに根の深い問題も生まれている。それは、経済学があたかも政治的な価値判断から「中立」であるかのように認識されるようになったことだ。

70年代当時、欧米では福祉国家のような社会民主主義的な価値観が強かった。一方で、慢性的なインフレと高失業率に苦しめられていた。そのとき、さっそうと表舞台に登場したのが、ノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンに代表されるシカゴ学派だった。

彼らは、社会保障制度など公的部門や規制、官僚の非効率性を“科学的”な事実発見を基に説き、社会民主主義的な政策は経済法則を無視していると反対した。当時の人々には、客観的な科学による新しい処方箋が登場したと映ったに違いない。

だが、経済理論が政治的な価値判断から中立であるというのは幻想だ。先述のミュルダールは『経済学説と政治的要素』において「問いはいやしくもわれわれの関心の表現であり、それらは根底において価値判断である。価値判断は当然、事実を観察し理論的分析を行う段階ですでに含まれている」と指摘している。

シカゴ学派の理論には、「自由市場は社会の利害を自動的に調和させる」という市場万能の価値判断が含まれている。それは政府の縮小、税や社会保障負担の縮小という形で、経済界や富裕層の政治的利益に直結する。今や、「自分はノンポリだ」と考える人々の思考回路にも、何かしら自由市場の価値感が入り込んでいるはず。ノーベル経済学賞の影響は計り知れない。=一部敬称略=

(週刊東洋経済2013年11月2日特大号)


http://toyokeizai.net/articles/-/22930  

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