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52年前の核爆弾落下、あわや大惨事 米南部:「あわや大惨事」という“軽い”レベルでは済まない話
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/781.html
投稿者 あっしら 日時 2013 年 9 月 22 日 01:41:12: Mo7ApAlflbQ6s
 


[関連記事]

「スペイン:66年米軍機事故で水爆落下、土壌放置進む汚染 (毎日新聞)」 
http://www.asyura2.com/12/warb10/msg/439.html

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52年前の核爆弾落下、あわや大惨事 米南部
2013/9/21 20:40


 英紙ガーディアン(電子版)は20日、米南部ノースカロライナ州ゴールズボロ上空で1961年1月、飛行中の米軍爆撃機B52から核爆弾が外れて地上に落下し、奇跡的に起爆を免れた事故の詳細を伝えた。爆弾は広島に投下された原爆の260倍の威力があり、大惨事になる恐れがあったという。
 機密指定を解かれた米公文書を基に報じた。事故の存在は一般にも知られていたが、同紙は核惨事の瀬戸際だったことを初めて裏付けた「決定的証拠」としている。
 同紙によると、61年1月に飛行中のB52がトラブルを起こし、搭載していた2発の水素爆弾が機体から外れ、同州ゴールズボロ郊外の牧草地などに落下した。機体は付近に墜落したとされている。
 このうち1つは、落下時の衝撃などで4つある安全装置のうち3つが解除された状態となり、最後に残された「低電圧の単純な構造のスイッチ」が起爆を止めたという。
 爆弾はTNT火薬で400万トン相当の威力があり、同紙は爆発していれば首都ワシントンやニューヨークまで被害が及び、数百万人の生命が危険にさらされたと指摘した。もう1つの爆弾の状態については触れていない。
 事故が起きたのはケネディ大統領の就任直後。米政府は事故が知られるようになってからも、深刻な事故ではなかったと説明していた。(ワシントン=共同)

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2100N_R20C13A9CR8000/?dg=1


 

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コメント
 
01. 2013年9月22日 10:36:57 : pbGtlhns2o
あっしらさん、こんにちは。当方の投稿記事が関連記事にありますので、こちらもお願いします。
http://www.asyura2.com/12/warb10/msg/439.html#c1

さて本題になりますが、この水爆がもし爆発していたら、このようになっていたでしょう。

史上最大の水素爆弾、ツァーリ・ボンバ
http://www.youtube.com/watch?v=wIU_jd_HtNg

ソ連の水爆実験の動画です。起爆しなかったのは、奇跡としかいいようがありません。このB52の水爆落下事故ですが、ケネディ大統領が就任した直後なので、1961年1月20日〜31日の間に起きたのかな。あの当時、東西冷戦はベルリンの壁建設で極度に緊張していました。いつまでこの世が続くのか、分からなかったくらい。

ケネディ大統領は暗殺されましたが、その背景にはアメリカを支配していた軍産複合体や国際金融支配勢力の意向があったとされ、平和主義者のケネディ大統領が邪魔になったからだと言われています。当然、このB52の水爆落下事故も、圧力をかけて発表できないようにしたのでしょうね。小渕首相みたいに脅迫の毎日だったのかも知れません。

ケネディ大統領は1961年5月31日〜6月3日にフランスを公式訪問しますが、父親のような年のドゴール大統領と気があったらしく、意気投合していますな。ジャクリーン夫人が息子の妻みたいに見えたのか、ドゴール将軍はいたく気に入られたようです。

May 31, 1961 - President John F. Kennedy arriving in Paris, France
http://www.youtube.com/watch?v=vXsPrlNJPvQ

当時のフランスの政府公用車は、シトロエンDS19でした。当時のシトロエン社の広報誌「タブル・シェブロン」の特集をリンクします。

http://www.citronpaper.it/

LE DOUBLE CHEVRON n°9 (ancienne serie) Juillet 1961
http://www.citronpaper.it/Echoes/DCo09%2007-61/37.JPG

LE DOUBLE CHEVRON Numero special (ancienne serie) Avril 1962
http://www.citronpaper.it/Echoes/DCospec62-04F/63.JPG
http://www.citronpaper.it/Echoes/DCospec62-04F/64.JPG
http://www.citronpaper.it/Echoes/DCospec62-04F/65.JPG
http://www.citronpaper.it/Echoes/DCospec62-04F/66.JPG

軍産複合体の圧迫と恐怖から解放された、本当の意味での息抜きの旅行だったに違いありません。この蜜月関係は長く続くと見られましたが、アメリカの巨大企業によるフランス、西ドイツ等の企業買収が盛んになり、1962年5月のアメリカ・クライスラー社によるフランス第四位の自動車メーカー、シムカ社の買収で将軍は激怒。国際電話で厳重抗議した上で、反アングロサクソン政策が加速していったのです。


02. 2013年9月22日 11:58:13 : TOoCzWsCUk
半世紀もまえのニュースにいまさらどのような現代的意義があるのか?
日本の核汚染事態とつなぎあわせてみてもなんの意味もない。
せいぜいアメリカとはそういうデタラメで雑な国だという程度でしょ?

03. 2013年9月24日 11:02:46 : nJF6kGWndY

爆発して数百万人死ともなれば少なくとも米国の核戦略は大分後退していただろうが

単純な落下程度で核爆弾が効果的に起爆するのは簡単ではないので、実際の被害は、TNT400万tとは行かなかったろう


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