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自衛隊が派遣されている南スーダンは米国が石油目当てに内乱を起こし、ダルフールはイスラエル 櫻井ジャーナル
http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/257.html
投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2013 年 12 月 25 日 10:44:59: 4hA5hGpynEyZM
 


南スーダンへ派遣されている自衛隊の部隊が韓国軍に銃弾1万発を提供したという。それだけの銃弾を持ち込んでいたということ。
 かつて南スーダンはスーダンの一部だったが、1983年から2005年まで続いた内戦で自治権を獲得、2011年に独立している。この内戦のキーワードは石油。1974年にアメリカの巨大石油会社シェブロンが油田を発見したのだが、その場所が現在のスーダンと南スーダンの国境周辺。スーダン西部のダルフールにおける戦闘も資源争いが原因である。
 1980年代に入ると反政府軍が活動を開始するのだが、その集団、SPLM(スーダン人民解放軍)を率いていたジョン・ガラングはアメリカのジョージア州にあるフォート・ベニングで訓練を受けた人物。この基地は特殊部隊の本拠地でもあり、ガラングはアメリカ軍の指揮下にあると考えるべき存在だ。
 なお、フォート・ベニングには現在、ラテン・アメリカの軍人に暗殺や破壊工作のテクニックなどを教えるWHISCもある。この施設はかつてSOAと呼ばれ、パナマにあったのだが、1984年に現在の場所へ移動、2001年に名称も変更された。
 スーダンでは1990年代の終盤になると自国の石油企業が成長し、アメリカの石油会社は利権を失っていき、中国やインドなど新たな国々が影響力を拡大し始めた。そうした最中、2001年9月11日にアメリカではニューヨークの世界貿易センターにあった超高層ビルへ航空機が突入、アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃される。
 それから間もなくしてジョージ・W・ブッシュ政権は先制攻撃計画を作成しているが、そのリストに載っていたのはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、そしてスーダン。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官が統合参謀本部で聞いた話だ。
 ブッシュ・ジュニア政権はイギリスやノルウェーと手を組み、スーダンの南部を拠点にしていたSPLMとスーダン政府を「飴と鞭」で停戦させ、油田地帯が両者で分け合う形になった。そして南部は南スーダンと呼ばれるようになるわけだが、その歴史を考えるとアメリカの傀儡国家としての色彩が濃いと言わざるをえない。
 一方、ダルフールでの戦闘は2003年から激しくなったと言われている。当初、欧米諸国がダルフールの殺戮を無視していた一因は、南スーダンの石油利権に関する話し合いに影響することを恐れたからのようだ。
 それに対し、アメリカのネオコン(親イスラエル派)やキリスト教原理主義(聖書根本主義派)はダルフールへの介入に積極的。この2勢力は「ユダヤ系シオニスト」と「キリスト教系シオニスト」で、1970年代から同盟関係にある。
 そのダルフールの地下にも膨大な石油が眠っていると見られている。隣国チャドの政府が反スーダン政府軍へ武器を供給しているのも、石油利権が絡んでのことだ。チャドの支援を受けていると言われているのはJEM(正義と平等運動)。チャドの背後にはイスラエルがいるともスーダンでは報道されている。生前、リビアのムアンマル・アル・カダフィもダルフールにおける戦闘の背後にはイスラエルがいると主張していた。
 イスラエルがガザやシリアへ強硬な姿勢を示している一因は、地中海の東側で天然ガスが発見されたことにあると言われている。サウジアラビアやカタールも資源の存在、そして石油パイプラインの建設などが軍事侵略の動機になっている可能性が高い。
 スーダンにおける資源争いの背後では中国も重要な登場人物。アフリカを植民地にして収奪を続けてきた欧米に対する反発もあり、中国の影響力が拡大していることへ欧米諸国の支配層は危機感を抱いてきた。カダフィ体制を倒してアフリカ自立の道を絶ってから、欧米諸国は中国の影響力も弱めようと反撃中だ。
 2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事によると、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの3国がシリアやイランをターゲットにした秘密工作を始めたというが、その年にブッシュ・ジュニア政権はAFRICOM(アフリカ統合軍)の創設を発表している。言うまでもなく、アフリカの資源支配が目的。
 しかし、当時のアフリカはリビアのカダフィを中心にして、欧米からの自立を目指していた。そこで、AFRICOMは司令部をアフリカ大陸でなく、ドイツの置かざるをえなかったのである。
 そのカダフィは2011年にNATOとペルシャ湾岸産油国がイスラム武装勢力を使い、排除している。地上部隊の主力だったLIFGはアル・カイダ系。カダフィ体制が崩壊してからベンガジでアル・カイダの旗が掲げられたのは、そうした背景があった。その様子を撮影した映像がすぐにYouTubeにアップロードされ、デイリー・メイル紙もその事実を伝えている。
 そのリビアではカダフィ体制が倒された後、カタール系(ムスリム同胞団)とサウジアラビア系(サラフ主義者/アル・カイダ)が対立、サウジアラビア系が勝利し、戦闘員の供給拠点になっている。
 ブッシュ・ジュニア政権が2001年の終わりに作成した攻撃予定国リストは、戦争ビジネスやネオコンの意向が反映され、エネルギーの影も見える。スーダンも例外ではない。日本政府が自衛隊を派遣した下心も見える。押し込み強盗の仲間になりたいのだ。


自衛隊が派遣されている南スーダンは米国が石油目当てに内乱を起こし、ダルフールはイスラエル 櫻井ジャーナル
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201312240000/
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コメント
 
01. 2013年12月25日 17:54:01 : FpFi1mS2rc
http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/255.html#c2
間違っているとは思わないが
もう一捻りいりそうだ

ここに書いてあることは、ダルフールや南スーダン分離独立までの背景が元になっている
ここら辺は、ウィキペディア読めば大体つかめる
2日ほど前に、調べた。この通りだった
そこから先なんだよ

後で、色々とまとめてみるわ

他のサイトとはどうだ?
もっと情報が欲しい


02. 2013年12月26日 00:41:17 : FpFi1mS2rc
ダルフール紛争や、南北スーダンの内戦は、投稿に書いてあるとおり
石油利権や、宗教対立、民族対立(アラブ系と黒人)
非常にわかりやすい形になっている

で、ダルフール紛争で欧米がスーダンとの接触を避けるなか
中国が接近。もちろん狙いは石油。中国も非難の対象となる
当時はまだ、南スーダンは独立していない

スーダン人民解放軍は1983年結成
面白いのは、当初はソ連とエチオピア、リビアなどが支援していた

余談だが、ウガンダの悪名高いアミン大統領は、当初西側の支援があった
無茶をしすぎて、欧米が手を引いていき、ソ連に近づいた

==================

http://ja.wikipedia.org/wiki/スーダン人民解放軍
1991年エチオピアでメレス・ゼナウィ政権が成立すると支援が弱まり、SPLAはジョン・ガランの主流派(トリット派)と、ケルビノ・クアニン・ボル(英語版)のバハル・エル=ガザル派、ヌエル人のリエック・マチャルのナシル派(のち統一派、南スーダン独立運動/軍)に分裂した。

この分裂は政権側の工作にもよるものだった。

ウィリアム・ニュオンは1992年に統一派に参加し、政府軍に協力しのち主流派に復帰した。南スーダン独立運動/軍などの分派の多くは1997年4月のハルツームでの個別和平合意により政権に取込まれ統一民主救済戦線(United Democratic Salvation Front、UDSF)を結成した。

===
↑やはり、マシャール(リエック・マチャル)は、早くからスーダンと繋がりがあるようだ
1991年、ディンカ族虐殺事件を起こし
上の1997年のスーダン政府との個別和平交渉で真っ先に寝返ってる

===
第二次スーダン内戦を経て

http://ja.wikipedia.org/wiki/南スーダン
南部での内戦は激化していったが、2002年にケニアで南北の和平交渉が成立し、2005年1月9日には南北包括和平合意(英語版) (CPA) が署名された。南部は行政上の自治を6年間与えられ、そして北部で適用されているイスラム法シャリーアも南部で適用しない事となった。さらに2011年1月にはスーダンの一部として北部と統一するのか分離独立するのかを決める住民投票も南部で行うこととなった。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ガラン
ガランは1985年の暫定政権や1986年の選挙への参加を拒否し、反政府指導者であることを選んだ。しかし、2005年1月9日にSPLA とスーダン政府はケニアのナイロビで和平合意に署名した。その日ガランはオマル・アル=バシールと権力分担憲法に署名する式典を経て第一副大統領に据えられた。また彼は分離独立を問う住民投票までの6年間の限定的な自治権を持つ南部スーダンの行政の長となった。それはこれまでにスーダン出身のキリスト教徒や南部の者が手にした最高の地位だった。式典の後ガランは「私はスーダンの人々を祝福する。これは私やアル=バシールの和平ではない。スーダン人の和平だ。」と語った。
===
投稿にも出てくるように自治政府大統領ジョン・ガランはアメリカで教育を受けている
(でも、SPLAを支援していたのはソ連やリビア)

が、スーダン大統領オマル・アル=バシールも和平交渉で自治を認めスーダン第一副大統領に任命しているので、一定の信用はあったのだろう
ただし、2005年7月のヘリ墜落事故死は、陰謀の臭いがする

==================

http://ja.wikipedia.org/wiki/サルバ・キール・マヤルディ
現大統領。ここで一番興味を引くのはこれだ

アメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ大統領と会談した時に、ブッシュ大統領からプレゼントされた黒色のカウボーイハットをトレードマークに身に着けている。
===
しかし、保守的な人間ということ意外は、地味という印象


03. 2013年12月26日 01:07:05 : FpFi1mS2rc
南北スーダン対立に手を焼く中国 現地会社社長が国外追放
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120303/mds12030312010002-n1.htm

南スーダンが分離独立する前から
中国が進出し、油田やパイプラインを整備した
輸出手段はスーダンのパイプラインしかない

単純に考えると
マシャールに権益を独占しても良いと唆して、南スーダンを掌握させ
スムーズにスーダンへの供給をさせる
裏には中国
マシャールは元々裏切り者体質

でも、南スーダンというのは、石油が止まると国自体が止まる
そういう政治状況
そして、内戦が長引けば、中国も困る
マシャール側が勝つとも限らない

このリスクの説明がつかないと、中国首謀者説は説得力を持たない

=================
だから、単に中国への妨害が目的となり得るアメリカ首謀説か
スーダンとビンラディンとの関係、現在の国際情勢から鑑みて、サウジ首謀説

ここら辺が有力だと思うんだが


04. 2013年12月28日 00:29:53 : Wr5cvCffrE
銃弾10000発供与問題

韓国軍は「弾は不足していない」そうだ。
じゃあ、なんで送ったの自衛隊は?

ちゃんと説明してちょうだい、銃弾も税金で造ったんだからね


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