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<北朝鮮>情報機関が一部日本人の帰国希望を調査 石丸次郎(アジアプレス・ネットワーク)
http://www.asyura2.com/14/asia15/msg/638.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 6 月 28 日 01:21:05: igsppGRN/E9PQ
 

香川県坂出出身だという日本人女性。在日朝鮮人の夫に先立たれ子供と暮らしている、81歳だと語った。暗い部屋は敷物が剥がれコンクリートむき出し。相当に困窮しているようだ。2010年6月平安南道 撮影 キム・ドンチョル(アジアプレス)


<北朝鮮>情報機関が一部日本人の帰国希望を調査 石丸次郎
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140627-00010000-asiap-kr
アジアプレス・ネットワーク 6月27日(金)23時24分配信


日本人妻の消息調べ続く 子供は除外か

北朝鮮に在住する日本人のうち、帰国事業で朝鮮人の夫ともに北朝鮮に渡った日本人妻に対する消息調査が進行している。担当しているのは国家安全保衛部(情報機関)で、一部では日本への帰国希望についても調べている模様だ。

アジアプレスの北朝鮮内部の取材協力者たちが調べたところによると、咸鏡北道、両江道、平壌に住む日本人妻のもとを、保衛部員が直接訪ねて所在確認を行っており、日本への帰国意思を訊いているケースがあることが分かった。

両江道に住む行政職員の取材協力者は、今月中旬の電話で
「調査をしている保衛部の人間に話を聞いてみたところ、『本人の意思に応じて日本に行きたい人は日本に送り、行きたくない人は送らない。そのための(意思確認のための)調査をやっている』と述べた」
と伝えた。この取材協力者が会ったのは両江道の保衛部の幹部だ。

咸鏡北道に住む取材協力者は6月後半、次のように伝えてきた。
「近隣に住む日本人妻の家庭を訪ねたところ、『6月に入って保衛部員が家に来て、我が家の(日本人妻の)おばあさんの様子について尋ねていった』と言った。深刻な内容ではなく安否を訊く程度だったようだ」

両江道に住む別の取材協力者も、6月初旬に居住地の担当保衛部員と会って、保衛部が日本からの帰国者家庭の調査を担当しているとして、
「保衛部員たちは人民班を通じて『いなくなった帰国者』らについて、いついなくなったか、いつまで生きていたかを聞き歩いている」
と述べた。

さらに、6月27日に平壌から中国に出てきた貿易関係者も「日本人妻の調査を保衛部が行っている」と語った。

◆ 日本人妻の子供の調査が必要

1959年に始まった在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業で、9万3000人あまりが北朝鮮に渡ったが、うち7000人弱が日本国籍者だった。その多くは朝鮮人の夫について北朝鮮に渡った日本人妻及びその子供たちだ。

5月29日に発表された日朝合意文では「全ての日本人に関する調査」を実施すると明記された。日本人配偶者(妻)も調査対象である。北朝鮮当局が日朝合意に基づいて、日本人妻の消息調査を始めているのは確実だと思われる。

しかし、帰国事業で北朝鮮に渡った日本人妻は亡くなった人も多い。一方、日本で生まれて北朝鮮に同伴した子供や、北朝鮮に渡ってから生まれた子供は、はっきりした数字はわからないが相当数が生存しているはずだ。日本あるいは北朝鮮で生まれたこの「二世」たちも、当然日朝合意に基づく調査の対象に含まれるべきだが、現在まで調査しているという情報はない。

咸鏡北道に住む別の取材協力者は、知人の「二世」の女性に会い、次のように報告してきた。

「彼女の母親の日本人妻は20年以上前に、父親とともに保衛部に連れて行かれてそれきりで、生きているのか死んでいるのかもわからないそうだ。彼女は母の故郷の日本に行きたがっているが、今のところ自分に対する保衛部の調査は何もない、と言っていた」

7月1、2日両日、日朝当局者は北京で、北朝鮮が立ち上げる「特別調査委員会」について協議する。日本妻とその家族の消息確認についても話し合いがされるべきだろう。


※アジアプレスでは中国キャリアの携帯電話を北朝鮮に投入して取材パートナーと連絡を取り合っている。


 

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コメント
 
01. 2014年6月28日 13:06:55 : nJF6kGWndY

一つの選択によって、大きく人生が変わる好例だな

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%B8%B0%E9%82%84%E4%BA%8B%E6%A5%AD
在日朝鮮人の帰還事業

当時は、北朝鮮の実情について現地取材に乏しく、ソ連の援助もあって急成長する北朝鮮と、日本国内に密航して日本赤十字社、列車、船舶を爆破しようとする韓国政府によるテロ工作員の摘発事件が明らかになり(新潟日赤センター爆破未遂事件)テロ国家の韓国というイメージがあった。吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」、さらに1960年2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。
“ 帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ[17]。 ”
現在では「帰国事業は日本政府による朝鮮人追放政策だった」(2004年5月18日付朝日新聞[18])と主張するマスコミもある。

http://tanakanews.com/971121nkorea.htm
北朝鮮から帰国した「妻」たちが背負う重い歴史

97年11月21日  

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に住んでいる日本人女性15人が、30年以上の時を経て、日本に一時帰国した。11月8日から14日までの一週間という短い期間で、マスコミのカメラに囲まれながらの、あわただしい母国訪問だった。
 親族と会ってみると、再会できると思っていた親兄弟が実は何年か前に亡くなっていることを初めて知らされ、ショックを受ける人もいるなど、歴史の流れの重みを感じさせるシーンもあった。だが、全体的にふりかえると、来日中の注目度がやたら高かった反面、彼女たちが北朝鮮でどんな生活をしているのか、北朝鮮はどんな国なのか、といった部分は、ほとんど分からなかった。

 そこでこの記事では、彼女たちをはじめとする、日本から北朝鮮に戦後渡った人々の歴史を調べることにより、分からなかった部分について考えてみたい。

●朝鮮戦争後の方針転換で始まった「帰国運動」

 北朝鮮にいる「日本人妻」と呼ばれる人々が日本から北朝鮮に渡ったのは、1958年(昭和33年)から朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が中心になって進めた、北朝鮮への「帰還事業」によるものだ。彼女たちの夫は在日朝鮮人で、祖国に帰って北朝鮮の国家建設に貢献しよう、という希望に燃えていた。

 「帰還事業」が始まる5年前の1953年に朝鮮戦争が休戦になった。北朝鮮の国家的な目標は、朝鮮半島を武力で統一することから、経済力で韓国を圧倒することに変わった。(北朝鮮の現状からすると、この計画は大失敗したわけだが) それとともに、北朝鮮が在日朝鮮人に期待する役割も変化した。

 朝鮮戦争中は、韓国を支援するアメリカ軍の後方基地として機能していた日本で、撹乱活動や反政府意識を高めるための運動を行い、背後から韓国側の戦力を削ぐことが、在日朝鮮人に期待されていた。当時、在日朝鮮人は朝鮮統一民主戦線(民戦)という組織を作り、日本共産党の傘下に入って、革命運動の最先端を行く人々であった。

 ところが、朝鮮戦争の休戦後、民戦は朝鮮総連に組織替えし、日本共産党とは一線を画すとともに、祖国北朝鮮との結びつきを強めた。総連の活動の中心は、祖国の建設に貢献することであり、在日朝鮮人が日本で経済的な成功をおさめ、貯えた資金を祖国に送ることも奨励されるようになった。

 朝鮮戦争で多くの国民が犠牲になった北朝鮮では、それ以前の日本による植民地支配の影響もあり、経済基盤を復興させるための技術者や、その他の高学歴の人々が不足していた。そのため金日成主席は1958年、日本からの帰国を奨励するとの声明を発表し、帰還事業が始まった。

 実務は日朝の赤十字が行い、帰国は1984年まで続いた。この間に9万3千人が北朝鮮に移住した。そのうち約1800人が、在日朝鮮人の夫とともに渡航した「日本人妻」と呼ばれる人々だった。このほか、子どもや「日本人夫」も含めると、合計で6300人の日本人が、在日朝鮮人の親族として北朝鮮に移住した。

●その後はぷっつり「「消息不明」

 その後、北朝鮮に渡った人々がどのような生活を送ったかについては、急に情報が少なくなってしまう。「2-3年後には日本に里帰りできる」と言い残して北朝鮮に渡った日本人妻たちからも、ほとんど便りが来なかった。日本に残った在日朝鮮人たちの中には、北朝鮮に渡った親族たちの消息を知ろうと北朝鮮に行ったものの、向こうの担当者から「あなたの親族の消息は、こちらでも分からない」などと言われた人もいた。

 断片的な情報をつなぎ合わせてみると、消息不明になった人々は、強制収容所に入れられたり、罪人として処刑されてしまった可能性が強い。それが事実とすれば、なぜ、祖国建設に協力してもらおうと歓迎したはずの人々を、そのような目にあわせたのか、という疑問が湧く。

 その答えとなりそうなのが、朝鮮戦争後、北朝鮮で起きた権力闘争である。北朝鮮の権力中枢にはいくつかの派閥があり、朝鮮戦争後、戦争によって朝鮮半島を統一できなかった原因分析と、その後の国家運営方針をめぐり、対立が始まった。

 金日成氏を中心とし、ソ連や中国に頼らない国造りを目指す「抗日ゲリラ系」のほか、韓国(南朝鮮)で革命を起こそうとしたものの朝鮮戦争後、北に逃れてきた「南朝鮮労働党系」、中国の傘下で国家建設を進めようという「延安派」(延安は中国の革命拠点の地名)、ソ連の傘下に入ろうという「ソ連派」などの派閥があった。

 激しい権力闘争の結果、最終的に金日成氏が勝利し、他派の人々の多くが「アメリカのスパイ」などの罪名で処刑されてしまう。この流れの中で、中ソをはじめとする外国と結びついていると目される人々に対する不信の目が強くなり、「帰国同胞」(帰胞=キッポ=)と呼ばれた日本からの帰国組の待遇にも、マイナスになった可能性がある。

 また、日本から北朝鮮に渡った人々の多くは、社会主義の考え方に影響された知識人であった。こうした人々は、当時の北朝鮮の一般の人々より、意見をはっきり言う傾向が強かった。こうしたことが、帰胞は要注意、という体制を作っていったとも考えられる。

●金正日総書記就任の御祝儀作りと来日の関係

 反対派を粛清してしまったため、その後の北朝鮮は、自由にものが言えない雰囲気となり、トップダウンの政策が間違っていても、それを修正することができなくなる。こうして、最初は韓国よりも勝っていた北朝鮮の経済は、1980年代になると苦しくなっていった。

 北朝鮮政府はニセ札を作ってカンボジアなどで換金しようとしたり(日本でもニセ札疑惑がある)、麻薬取引に手を染めたりと、ダーティーな方法での資金調達も試みたが、人々の暮らしは苦しくなるばかり。

 北朝鮮国家が崩壊し、権力の真空地帯ができることは北東アジア全体にとって危機的なことだ、とアメリカなどが考えていることを見て取った北朝鮮政府は、30年以上続けてきた強固な「自主独立」の姿勢を捨てて、アメリカや韓国、日本などからの援助によって国家体制を維持する方策に転換した。

 援助要請を掲げて近づいてきた北朝鮮に対し、日本政府がつけた条件の一つが、日本人妻の一時帰国であった。北朝鮮では今年10月に金正日書記が党総書記に就任したが、この時のお祝いに国民に少しはうまいものを食べさせる必要があった。日本からの援助米をもらう代わりに、日本人妻を帰国させる、という交換条件と考えることができる。

 北朝鮮政府は本来、国民を外国に行かせると、海外の豊かな生活を見てしまい、祖国に失望することになるため、国民をなるべく出国させない政策を取ってきた。そのため、日本に行く人々は、誰でも良いというわけではない。

 選ばれたのは、多くの帰胞が行方不明になる中で、例外的に高い地位と名誉を得ていた15人の女性たちだった。エリートである朝鮮労働党員が少なくとも2人以上含まれていたし、金正日書記からお褒めの言葉をもらった人、夫が病院の幹部や外交官という人などもいた。

 また、帰還事業より前、日本の植民地時代に朝鮮に渡った人や、戦前は樺太にいて、その後北朝鮮に移った人も15人の中に含まれていた。北朝鮮政府がこうした人をまぜたのは、戦前の植民地支配に対する補償要求につなげたいとの意志があったから、とみられている。

 北朝鮮の中では比較的恵まれた生活をしているとはいえ、親族にだけは打ち明けたいこともあったかも知れない。だが北朝鮮は今、それが許される状況ではない。

●外交の下手な日本はここでも・・・

 一方、日本政府にとっても、日本人妻の帰国は、在外邦人に対する援助策というより、外交上のカードであった。そもそも、帰国運動で大勢の在日朝鮮人が北朝鮮に渡った際、日本政府は厄介払いができてちょうど良い、と考えていた。在日朝鮮人は、反政府運動の先頭に立っていたからだ。その経緯からすれば、彼らと一緒に北朝鮮に渡った日本人妻もまた、日本政府にとっては、ぜひとも帰国してほしい人ではないはずだ。

 日本を経由した韓国へのスパイ潜入、日本人の拉致、マネーロンダリング、麻薬持ち込みなど、北朝鮮による日本での活動は、日本の公安警察が最大の監視対象としているものの一つである。日本政府としては、日本人妻に関する情報を北朝鮮政府から引き出したいところだった。

 だが結局、北朝鮮政府が選んだ15人の帰国以外には、得たものは少なかった。この背景には、中国残留孤児の帰国以来、その関係の事業を存在意義の一つにしている厚生省が、日本人妻の帰国事業も手がけたいという意志を持っており、北朝鮮に対して強硬策を取りたかった外務省を押し切ったという経緯がある。両省とも、仕事がなくなると省庁再編で権限を縮小されてしまうから必死である。

 外交面からみれば、日本は北朝鮮にしてやられた、といえる。とはいえ、元をたどれば、朝鮮人が日本に住まざるを得なくなったのは、日本の植民地支配が原因であり、在日朝鮮人を今でも差別しているのは日本政府、そして日本社会の方である。

 日本のマスコミから、北朝鮮における日本人妻一般の生活実態について尋ねられた北朝鮮の外交官は「我が国の公民として、胸を張って生きている」と述べた。この言葉の言外には「在日朝鮮人に対して、何十年住んでも公民権を与えていない日本政府とは違う」という意味がある。この手の言葉を聞くと、植民地時代の補償問題を持ち出されるのではないかと、日本政府も及び腰になってしまうのであろう。

  

 なお、筆者は在日朝鮮人の歴史をルポルタージュによって描いた「マンガンぱらだいす」という本を1995年に書きました。在日朝鮮人の歴史や帰国同胞たちのその後の状況は、この時に関西の在日朝鮮人一世、二世たちから聞いたものです。

 

関連サイト

にらけらハウス
マンガ「GO!GO!正日君」連載中

北朝鮮のゆくえ
新堀家のホームページ

現代コリアオンライン
韓国・朝鮮問題についての情報発信・提言を行う


 

 

http://www.krp1982.com/interview/articles/hirashimafudeko.htm
日本人妻、平島筆子 2003年1月24日


 昨年(2002年)11月、中国への脱出に成功した日本人妻、平島筆子さんは現在も中国に潜伏している。平島筆子さんは、1月6日川口外相に嘆願書を提出し、日本への帰国を懇願しているが、日本政府は中国の了解が得られ次第、日本に連れてくる方針だ。インタビュ−内容は次のとおり。 

 −−どのようにして中国に渡って来たのか?

 川が凍っていたので歩いて渡ってきた。会寧から中朝国境まで徒歩できた。一人で渡ってきたので怖いことは怖かった。幸いなことに検問には会わなかった。河を夜に渡ったこともあって。

 −−なぜ中国に脱出しようと考えたのか?

 日本にいる妹に一目会いたいからです。また亡くなった父母の墓参りがしたくて。私も歳をとり、もうそれほど長生きはできません。せめて死ぬ前に肉親の妹の顔を見たくて。

 −−北朝鮮での生活ぶりはどのような状況だったのか?

 食料もなく、苦しかったです。配給が途絶えてから6年、7年経ちました。正月には少し配給がありましたが、ほとんど無いに等しいです。それで、山に入って、木を伐採し、巻にして売って糧にしていました。それ以外にもセリなんかを採って、市場に持っていき売ったりしまいました。そのお金で、とうもろこしを買って、それを潰し、粉と一緒に混ぜてお粥にして食べたりしていました。以前はそれでも白米も食べられたのですが、ここ10年間は1年に1回、ないしは2回程度しか口にできませんでした。

 −−日本からの仕送りは?

 ありませんでした。あるかないかで随分違います。北朝鮮でもよく暮らしている帰国者は日本の親類から手伝ってもらっているからです。お金さえ送ってもらえれば、北朝鮮でも苦労せず生活できます。援助のない人は私のようにみな悲惨です。私が住んでいたところでは私のところが一番苦しかったです。

 −−日本人なのに?

 日本人でも、帰国者でも、現地の人でも、力のない人は皆同じです。良いところで働いている人はそれなりに良い暮らしをしています。私らのように歳とると、だめです。女一人では何もできません。

 −−日本政府への要請は?

 主人について北朝鮮に渡ったけど当初は3年に1回は日本への里帰りがでると聞いていました。だから子供が生まれて三つになった時は両親に会えると思っていました。それが、3年が過ぎ、また3年が過ぎ、いつの間にか、43年の歳月が過ぎてしまいました。だいたい、日本人妻の場合、朝鮮の夫の先絶たれています。一人で暮らしている人が結構います。子供らは主人の性なので朝鮮人として生きていますが、私らはどうしても親兄弟を忘れることができません。だから、自由に行ったり来たりできる日が来るのを待っていました。日本政府にお願いしたいことがあります。一日も早く妹に会いたいのですが、私一人の力ではどうにもなりせん。お金も一銭もないし、もう北朝鮮に戻ることもできません。何とか、力になってください。

 −−妹さんに会ったら何を話すつもりですか?

 これまで姉らしいことは何一つできませんでした。妹にはお父さんとお母さんが亡くなった時も世話になったし。長女なのに何もできず、妹に迷惑かけてばかりです。それで、一日も早く妹に会って礼が言いたいのです。両親が亡くなったのは妹からの手紙で知りました。お父さんもお母さんも行くなと言ってくれたのに振り切って来てしまい、結果として親の死に目にも会えませんでした。両親は私のために言ってくらたのですが、その時は何もわからず夫について来てしまいました。今は後悔しています。

 −−北朝鮮に行くときはこんなことになるとは想像していました?

 想像もしていませんでした。主人は朝鮮は昔から良く暮らすと言っていました。私のところは、日本でもどちらかと言うと、生活が苦しかったので、朝鮮に行ったら良い生活ができると思っていました。また、結婚した以上、主人について行くべきだと思っていました。その時は私も若かったし。

 −−ご主人は帰国後どうされたのですか?

 私もなにがなんだかわからないのです。帰国してから10年目のある日、職場から帰ってきた所、突然知らない人が来て連れていってしまったのです。それ以来、今日まで何の消息もありません。生きているのか死んでいるのかもわかりません。私は主人だけが頼りでついてきたのです。その人がいなくなってしまったのですからそれはそれで仕方がありません。

 −−それからどうしました?

 主人がいた時は平壌で暮らしていました。ところが、夫が連行されてから4か月ぐらいすると、急に平壌から出て行け、山奥に行けと命じられました。大きい娘が職場から戻ってきて言うのです「お母さん、荷造りして、どこかに引っ越ししないとだめだ」と。主人の職場の人らが来て、荷造りを手伝ってくれました。列車に乗って着いたところは田舎というよりは山奥でした。一番上の娘は仕事に出ましたが、私は体が悪くて仕事ができませ んでした。


02. 2014年6月28日 13:11:32 : nJF6kGWndY
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B3%B6%E7%AD%86%E5%AD%90
安筆花
(平島筆子から転送)
安 筆花(안필화、アン・ピラ、1938年11月24日 - )は元日本国籍の朝鮮民主主義人民共和国公民。東京都葛飾区生まれ。日本名平島筆子(ひらしまふでこ)。
1959年12月の帰国事業で在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮に渡り、2003年1月に日本に帰国した。北朝鮮を脱出し日本に帰国した日本人妻として初めて名前を公表[1]し、テレビ朝日「報道ステーション」などに出演して北朝鮮に残した家族の救出を訴えた。しかし、2005年4月18日に北京の北朝鮮大使館で記者会見し、北朝鮮に戻る意思を表明した[2]。
この会見で、朝鮮語で話した安筆花は、日本(とりわけ自民党と公明党)を批判し、北朝鮮を賛美した。家族に会いたい思いが募り、北朝鮮に戻る決心を固めたと思われる。この会見の翌日に安筆花は北朝鮮に入った[要出典]。
後に、彼女の北朝鮮への旅費を工面したと衆議院議員の平沢勝栄が証言したが、安筆花の中国にいる家族に会いたいとの要望を受け、中国への航空券を手配しただけで、北朝鮮行きは予期していなかったとしている[要出典]。
その後、2005年6月7日に安筆花から平沢宛てに届いた手紙には、「子供たちと幸福にくらしています。先生ぜひ朝鮮に来てください」などと綴られていた。平沢は、「彼女の筆跡に間違いない。本人の気持ちも一部入っているが、私に訪朝を促すなど北朝鮮当局に書かされたと思われるくだりもある」と述べている[3]。  
北朝鮮事情に詳しいジャーナリストの恵谷治は安筆花の一連の行動について、「安筆花は北朝鮮に戻った後に北朝鮮の公安の尋問を受け、日本の北朝鮮政策や北朝鮮に批判的な日本人、北朝鮮に批判的な団体についての情報を喋ってしまった可能性が高い。脱北者を支援する団体の活動の妨げにならなければいいが」と話している[要出典]。
脚注[編集]
^ “実名公表「子供の安全を」 脱北の日本人妻が訴え”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年7月22日) 2013年12月26日閲覧。
^ “北朝鮮に戻ると日本人妻 「だまされた」と表明”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年4月18日) 2013年12月26日閲覧。
^ “「幸せ、北朝鮮に来て」 日本人妻が平沢議員に手紙”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年6月8日) 2013年12月26日閲覧。

03. 2014年6月28日 15:30:40 : Fz9HdhePO6
81歳の女性の写真?

男の子がトランプ遊びしているように
見えますけど。


04. 2014年6月30日 10:58:11 : gBowwPYJ5w
朝鮮中央通信社の報道

【平壌6月30日発朝鮮中央通信】朝鮮の当該機関では共和国領内に入って敵対行為を働いて抑留された米国人観光客のミラー・マシュー・トッドとジェフリー・エドワード・ポールに対する調査を行った。
調査結果、彼らの敵対行為容疑が証拠資料と本人らの陳述を通じて確定された。
当該機関では、彼らに対する調査を引き続き行う一方、すでに確定された敵対行為容疑に基づいて裁判に起訴する準備を行っている。
調査過程での領事接触、待遇などは関係国法に準じて行っている。
チュチェ103(2014)年6月30日
平 壌

http://www.kcna.kp/kcna.user.home.retrieveHomeInfoList.kcmsf


05. 2014年6月30日 12:09:59 : gBowwPYJ5w
北朝鮮に渡った日本人妻、55年ぶりの帰国なるか

来月1日の日朝局長級会談で日本人妻の帰国問題が懸案に
北朝鮮、先月末から帰国の意思を確認
帰国が実現すれば安倍政権にとって「ビッグイベント」
北朝鮮にとっては制裁措置解除のための「最も簡単で確実なカード」

 来月1日、日本と北朝鮮による局長級会談が中国・北京で行われるのを前に、北朝鮮に渡った日本人妻の問題が、拉致問題とともに朝・日間の最大の懸案として浮上した。1959年から84年までの25年間、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業が行われた際、日本国籍を有する妻も北朝鮮に渡った。


 北朝鮮は先月29日、スウェーデンのストックホルムで日本との会談を行った際、日本人拉致被害者だけでなく「全ての日本人」に対する全面的な調査を約束している。北朝鮮が現在約1830人いるとされる日本人妻とその子ども(約6800人)のうち相当数を帰国させた場合、その政治的な影響力は計り知れない、と専門家たちはみている。日本人妻たちが「一時帰国」するにせよ、「永久に帰国」するにせよ、安倍晋三首相にとって政治的な「ビッグイベント」になるとの見方も出ている。


■安倍首相が得られる「最も確実な成果」


 日本が現在、北朝鮮に対し送還を求めている日本人拉致被害者は、2002年に帰還した5人を除く12人だ。日本の警察が「北朝鮮に拉致された可能性が少しでもある」とみている、いわゆる「特定失踪者」も最大で860人ほどとされている。このため、北朝鮮の調査対象の中で最も数の多い対象者は日本人妻とその家族ということになる。結局、北朝鮮にとって、日本が独自に行っている制裁措置を解除させられる最も簡単で確実なカードとして、日本人妻の送還を取り上げる可能性があるとの見方も出ている。


 実際、北朝鮮の国家安全保衛部(情報機関・秘密警察)は先月、日本との合意がなされた後すぐに、日本人妻に関する調査に着手したという。同部の地方組織が上部からの指示を受け、日本人妻たちに対し帰国する意思があるか否かを問う形で調査が行われているとのことだ。


 産経新聞はこれについて「一時的な帰郷ではなく、永久帰国を念頭に置いた調査とみられる」と報じた。在日朝鮮人の帰還事業が始まってから55年がたち、一部の日本人妻はすでに死亡したと推定されているが、夫と死別したあと北朝鮮に残っている日本人妻などの多くが日本に帰国するとの見方も出ている。


■帰還事業の失敗を認めた日本


 日本政府が1959年に在日朝鮮人の帰還を認めたのは、在日朝鮮人の犯罪率や生活保護受給率が高いことが主な理由だった。基本的人権や「居住地選択の自由」を名目としていたものの、実際には「潜在的な犯罪者」とされた在日朝鮮人を追放し、国家の財政負担を軽減するというのが目的だった。


 日本人妻たちは日本国籍を有する日本国民だったが、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)や日本政府にだまされ、北朝鮮行きの船に乗った。後に日本人妻たちが日本の家族に送った手紙を通じ、北朝鮮の実情が日本に知られるようになったが、7万人もの在日朝鮮人と日本人妻が北朝鮮に渡った後のことで、時すでに遅しだった。帰還事業について「北朝鮮と日本が共謀した誘拐」という声が出てきたのはそのためだ。


 日本政府は90年代初めになってようやく、日本人妻の帰還問題に取り組み始めた。97年から2000年まで3回にわたって日本人妻たちの一時帰郷事業を実施し、43人の日本人妻が日本の土を踏んだ後、再び北朝鮮に戻った。


 2006年6月、日本政府は「北朝鮮人権法」を制定し、脱北者に対して、拉致被害者と同程度の保護や支援を明記した。対象者は北朝鮮に渡った在日朝鮮人と日本人妻、その家族となっている。


東京=安俊勇(アン・ジュンヨン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/06/30/2014063001645.htm
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在日朝鮮人帰還事業は朝・日による「事実上の誘拐」

 1959年8月13日、北朝鮮と日本はインドのカルカッタ(現:コルカタ)で「在日朝鮮人の帰還に関する協定」(カルカッタ協定)に正式調印した。労働力不足に直面していた北朝鮮と、在日朝鮮人の犯罪率や彼らに対する政府支援を警戒した日本の利害関係が一致したのだ。


 調印4カ月後の59年12月14日、在日朝鮮人とその家族975人(234世帯)が「第1陣」として新潟港からソ連(当時)の船に乗り、北朝鮮・清津港に向かった。60年から62年までに約7万7200人が北朝鮮に向かい、84年までの25年間で北朝鮮に渡った人々は合計9万3300人を超えた。この中には在日朝鮮人の夫に付き従って北朝鮮に移住した日本国籍の女性、いわゆる「日本人妻」が約1830人いた。日本人妻やその子どもたちなど、日本国籍を持つ人は約6800人に達した。


 日本は90年代初め、北朝鮮と国交正常化交渉を進める過程で、この帰還事業で北朝鮮に渡った日本人の問題を争点にした。97年から2000年までに朝・日合意の下、日本人妻43人が日本を訪れたものの、その後この問題はしばらく進展がなかった。だが、12年に再び両国間対話が本格的に再開された。


東京= 安俊勇(アン・ジュンヨン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/06/30/2014063001638.html


06. 2014年6月30日 17:17:00 : gBowwPYJ5w
朝鮮総連が1億円供託=売却手続き、一時停止に―中央本部競売

時事通信 6月30日(月)15時54分配信

 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部(東京都千代田区)の土地建物の強制競売で、朝鮮総連は30日、高松市の不動産業者「マルナカホールディングス」(マルナカHD)への売却許可決定を一時的に停止するための条件だった供託金1億円を納付した。総連側の代理人弁護士が明らかにした。
 これにより、マルナカHDへの売却手続きは、売却許可に対する朝鮮総連の不服申し立てについての最高裁判断が示されるまで停止する。
 入札ではモンゴル企業が50億1000万円で落札したが、提出書類に不備があり、東京地裁は売却を認めなかった。地裁は、入札そのものではなく、落札者を決める「開札」からやり直す異例の措置を取り、2番目の高値を付けていたマルナカHDが22億1000万円で落札した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140630-00000088-jij-soci


7. 2017年6月26日 22:14:32 : I3sGc6IIUs : VwFVTvfuShw[2]
日本を愛する日本人のブログ

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朝鮮人は工作員だと認識しろ

Thu, April 20, 2017 09:00:00
テーマ: 北朝鮮
https://ameblo.jp/tyomxt/entry-12267212580.html(全文)

残留日本人。

『日朝国交正常化を期待=在北朝鮮団体の女性』--- AFP BB NEWS(http://www.afpbb.com/articles/-/3125699)

 【4月19日 時事通信社】北朝鮮で暮らす日本人女性でつくったという団体「咸興にじの会」のメンバー6人が19日、東部の咸興を訪れた日本記者団と会見した。このうちの1人は「一日も早く(日朝の)国交正常化が実現してほしい」と語り、両親の墓参りや親類との面会のために日本を訪れたいと述べた。
 同会は、両親が日本人で現在のソウルで生まれたと話す「荒井琉璃子」と名乗る女性(84)が会長を務める。他のメンバーは日本から帰国した北朝鮮人の配偶者らで、昨年11月に社会奉仕をするために発足。会の名称は、日本と北朝鮮に「虹の橋を架けたい」という思いから付けられたという。
----- 以上、記事より

カワイソウな残留日本人。

いかにも反日左翼が描きそうな記事だよね。

ソウルで生まれて北朝鮮で暮らす、社会奉仕をする84歳♀。

怪しくないか(個人の感想です)。

日本人の血が流れているかもしれないけど、84年間も北朝鮮にいれば工作員の可能性が高いだろ。

まるで日本共産党が使うような手口。

身の上話を信じられない民族が朝鮮人だ。

こんな輩と分かり合えるのか。

朝鮮人は工作員だと認識しろ。

___________________________


匿名党ブログとてんこもり野郎ヲチスレ(アメブロ版)


リアル分析が的中し都合が悪くなると安札とか替え玉とか喚き出すバカ〇ョン

2017-06-26 08:00:00NEW !
テーマ:ブログ
https://ameblo.jp/tenkomoriwotisure/entry-12286999170.html



[32初期非表示理由]:担当:アラシ


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