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誰も助けに来なかった 吉田調書、所長が「恨み」吐露(朝日新聞)
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/327.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 5 月 22 日 16:21:45: igsppGRN/E9PQ
 

誰も助けに来なかった 吉田調書、所長が「恨み」吐露
http://www.asahi.com/articles/ASG5Q427XG5QUEHF00X.html
2014年5月22日12時31分 朝日新聞


 朝日新聞デジタルは特集「吉田調書」第1章3節「誰も助けに来なかった」を配信しました。調書に残された言葉や、福島第一原発3号機の爆発の直後に東電本店に投げかけた言葉などから、「原発は誰が止めるか」を考えます。URLは次の通り。http://www.asahi.com/special/yoshida_report/1-3.html



写真|福島第一原子力発電所の免震重要棟で、報道陣の質問に答える吉田昌郎所長(白の防護服姿)。右は細野豪志・原発担当相(当時)=2011年11月12日、福島県大熊町、相場郁朗撮影


 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午前11時01分、福島第一原発の3号機が爆発した。


 分厚いコンクリート製の建屋を真上に高々と吹き飛ばしたところを無人テレビカメラに捉えられ、ただちに放映された、あの爆発だ。


――― 水が欲しいときっとなるだろうから、そうだったら、何はともあれ外との間のパイプラインをつくってしまえという指示をどこかで出したのかなと思っていたんですが、パイプラインを何でもいいからつくってくれと、そんなことまでは頭が動かないのか、それとも、言っても先ほどのように。


吉田「それはわからないです。私はこの中にいましたので、外からどういう動きをしていたかはちっともわからないんで、結果として何もしてくれなかったということしかわからない。途中で何かしてくれようとしていたのかどうか、一切わかりません」
 
――― わかりました。私はそこまででいいです。


吉田「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」


――― それは誠にそうだ。結果として誰も助けに来てくれなかった。


吉田「後でまたお話が出ますが、消防隊とか、レスキューだとか、いらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかったということだけは付け加えておきます」



写真|爆発した3号機の原子炉建屋=2011年11月12日、福島県大熊町、相場郁朗撮影


 3月12日午後の1号機の爆発に続き、日本史上2度目の原発の爆発も、ここ福島第一原発で起きてしまった。


 外で作業にあたっていた人が怪我をした。当時、原子炉への注水は、3号機の海側にある逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を、消防車で汲み上げておこなっていた。その屋外作業に大勢がかかわっていた。


 また、自衛隊がちょうど給水車で原子炉に入れる水を補給しにきていた。作業をしていた6人は被曝し、何人かは怪我もした。


 福島第一原発では所長の吉田昌郎以下、所員の落ち込みようは激しかった。吉田はサイト、すなわち発電所のみんなの声を代弁し、午後0時41分、テレビ会議システムを使って、声を詰まらせて東電本店に次のように訴えた。


 「こんな時になんなんだけども、やっぱり、この……、この二つ爆発があってですね、非常にサイトもこう、かなりショックっていうか、まあ、いろんな状態あってですね」
 社長の清水正孝の答えは、次のようなものだった。


 「あの、職員のみなさま、大変、大変な思いで対応していただいていると思います。それで、確かに要員の問題があるんで、継続につき検討してますが、可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっと頑張っていただく」


 東電本店はヒトだけでなくモノの面でも福島第一原発を孤立させていた。


 福島第一原発では、いまや原子炉の冷却の主軸である消防車のポンプを回すための軽油も、中央制御室の計器を動かすのに必要な電気を発電するためのガソリンも、ベントなどの弁を開けるのに必要なバッテリーも足りなかった。


 所員はこれらの必要物資を、10km離れた福島第二原発、20km南のスポーツ施設Jヴィレッジ、場合によっては50km南の福島県いわき市の小名浜コールセンターまで取りに行っていた。


 東電本店は福島第一原発まで運ぶよう運送業者に委託するのだが、3月12日に1号機が爆発し、避難指示の区域が拡大してくると、トラックがその手前までしか運んでくれなくなったのだ。


 トラック業者だけでない。福島第一原発は、同じ東電の福島第二原発からガソリン入りのドラム缶をもらうときも、中間地点にあるコンビニエンスストア、通称「三角屋のローソン」や、ホームセンター「ダイユーエイト」の駐車場にそれぞれが運搬車で乗り付けて、引き渡してもらっていた。


 福島第二原発としては、福島第一原発に直接行ってしまうと、運搬車が放射性物質に汚染され、除染しないと乗って帰れなくなるからだった。


――― この注水の作業なんかについては、消防車の運転操作なんかの委託をしていた、日本原子力防御システムですかね、そういうところだとか、南明興産というところですね、こういうところも協力していただいている?


吉田「最初は協力してくれる」


――― 途中からは。


吉田「線量が出てから」


――― 線量が上がり過ぎて、その人たちの作業はできなくなったと。それ以降は、東電の。


吉田「自衛で」


――― その自衛消防隊の方だけでやっていたんですか。


吉田「はい。何人か奇特な方がいて、手伝ってくれたようなことは聞いているんですけれども」


――― それは。


吉田「南明さんとかですね。ほとんど会社としては退避されたような形で、個人的に手伝ってといったらおかしいんですけれども、そういうことは聞いております」 (中略)


――― 3月16日以降とかは、がれきの整理などのために、例えば、がれき撤去のための作業用の車両みたいなもの、ブルドーザーなり何なり、そういうものは届いていたんですか。


吉田「バックホーが数台もともとこちらにあったのと、間組さんがどこかから持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけれども、間組さんが線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」


――― これは何で間組なんですか。


吉田「たまたま、私もよくわかりません。そのときは線量が高いんですけれども、間組が来てくれたんです」


――― この辺周辺の撤去などの作業をしてくれたんですか。


吉田「それもやりましたし、6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です。なぜ間組に代わったかというのは知らない。結果として間組がやっているという状況だったので、たぶんいろいろお話をして、一番やろうという話をしてくださったんだと思います」


 東日本大震災発生当日の2011年3月11日午後9時44分、新潟県にある東電柏崎刈羽原発を1台の化学消防車が福島に向けて出発した。消防関係の業務を東電から請け負っている南明興産という会社の社員3人が乗っていた。


 交流電源をすべて失った福島第一原発で、原子炉を緊急に冷やすポンプがすべて使えない状態になっていた。吉田らが代わりに思いついたのは、消防車を使って外から原子炉に注水する方法だった。過酷事故時の対応を定めたアクシデント・マネジメント・ガイドには書かれていない世界初の試みだ。


 ところが、福島第一原発の消防車3台のうち、使えるのは1台だけだった。1台は津波にやられ、もう1台は構内道路がやられて1〜4号機に近づけないところにあった。


 消防車を操れる人間はもともとごく少数。それもそのはず、東電の社員は誰も消防車を運転したことがない。ホースを消火栓につないだり、ホースとホースをつなぐなどの消防車周りの作業もしたことがない。


 南明隊は到着するやいなや、あちこちにかり出された。


――「実質的な、効果的なレスキューが何もない」


 福島第一原発では、消防車から原子炉への注水の経路がめまぐるしく変わった。防火水槽やタンクの淡水を入れていたかと思うと、次は逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を入れる。その次は海の水を直接汲み上げて入れる。そのたびに消防車を動かし、ホースをつなぎ変えた。南明隊は途中、東電の要請で部隊増強を図った。


 消防車周りの仕事はたいてい屋外作業となる。そのため、常に高い値の放射線にさらされたし、1号機や3号機が爆発した時はがれきの雨に打たれた。


 吉田も気遣ってはいたが、なにせ彼らの代わりができる人間が東電にいなかった。


 一方、がれきの撤去作業では、一部のゼネコンが一肌脱いだ。


 福島第一原発では15日以降、各号機の核燃料プールの冷却が大きな課題になっていた。特殊な消防車で地上から放水することが考え出されたが、がれきが、各号機へ消防車が近づくことを拒んでいた。


 がれきは、1、3、4号機の相次ぐ爆発で発生したもので、がれき自体が高い値の放射線を発していた。


 それを人と重機を投入して片付けた。これもまた高い値の放射線量のもとでやってのけた。



写真|消防車による原子炉への注水=2011年3月16日、福島第一原発で、東京電力撮影


――― こういう爆発があって、例えば3月13日とか14日というのは、保安院の方というのはどうなんですか。


吉田「よく覚えていないんですけれども、事象が起こったときは、保安院の方もみんな逃げて来て、免震重要棟に入られたんです。それから即、オフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに全部出ていった。私の記憶がなかったので、先ほどDVD議事録を見ていたら、武藤が途中で大熊にあったときのオフサイトセンターから保安検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかったんです」


――― 来なかったんですか。


吉田「はい。私は記憶がないんだけれども、今みたいに24時間駐在で来られるようになったのは、もうちょっと後だと思います」


――― 保安院の方が来られると、例えば情報を得ようと思ったら緊対室に来ますね。


吉田「はい」


――― そのときというのは、所長に何かあいさつなりというのは、向こうからするんですか。そのまま本部の円卓の辺りにいるんですか。


吉田「我々別に保安検査官を拒絶するつもりもないし、来られるようなときに来られればよくて、彼らは保安院の制服を着ていらっしゃいますから、いらっしゃるということで、ごく普通に会議の中に入ってもらえばいい、という形で対応しています」


――― それは円卓に保安院用の席があるんですか。


吉田「もともとはなかったんです。そんな話があって、保安院の人に座っていてもらえという話をしたんです」


――― それはいつごろですか。


吉田「最初に武藤から電話があって、保安院さんが来るという話のときに、短期間で1回来られたかも知れないんです。14日ごろにね。そんな記憶もあるんです。ちょこっといらっしゃった。オフサイトセンターが福島に引き揚げるとなったときに、みんな福島に引き揚げられて、結局、16日、17日ぐらいまで、自衛隊や消防がピュッピュやっているときはいなかったような気がするんです」


――― サイト内に来られたとすれば、例えば保安院の事務所の方にずっといるわけではないんですか。


吉田「住むところは免震棟しかないわけですから、事務所には行きようがないんです。線量もあるし、被曝もあるしね」


 各原発には、原子力安全・保安院、今なら原子力規制庁に所属する原子力保安検査官が、常駐する制度になっている。


 東日本大地震発生時、福島第一原発内にも当然いて、地震後一時、免震重要棟に入っていた。だが、しばらくして南西5kmのところに福島オフサイトセンターが立ち上がると、そこへ移動した。


 2日後の3月13日午前6時48分、そのころオフサイトセンターに詰めていた東電原子力担当副社長の武藤栄が、吉田に、保安検査官が福島第一原発に戻ると連絡してきた。


 「保安院の保安検査官が、そちらに4名常駐をしますと。12時間交替で1時間ごとに原子炉水などプラントデータを、報告をするということになります」


 吉田は即座に「保安検査官対応!」と受け入れ態勢を整えるよう部下に指示した。


 保安検査官はその後しばらくしてやって来たが、3月14日夕方、2号機の状況が急激に悪化するとまたオフサイトセンターに帰ったとみられる。そして、15日朝、オフサイトセンターが原発から60km離れた福島市へ撤収すると、いっしょに行ってしまった。


――「みんな福島に引き揚げられて」


 一方、原発から5km離れたところにあるそのオフサイトセンターだが、原発事故があったら、10以上の省庁から40人超が集まり、原発や周辺自治体と連携して、情報を収集・発信する拠点になると定められていた。甲状腺がんを防ぐ安定ヨウ素剤の配布指示でも大きな役割を担っていた。


 それなのに、今回の事故では半数強しか来なかった。班が七つ立ち上がり、それぞれが班長の指揮のもと作業にあたることになっていたのだが、班長が3月末近くまで来ない班もあった。


 最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。


 これが多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。


 

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コメント
 
01. 2014年5月22日 17:30:27 : TGgfYEbPRU
免震重要棟の無い原発では今回以上に悪い結果になるってことだね・・・。

東電社員も役人も更なる状況悪化を恐れて安全地帯に待避・・・。
これらの行動を検証せずに原発再稼働なんてよく言えるよね・・・?
原子力規制委員会で適合基準に含めるべきものがごっそり抜け落ちてる訳だ・・・。


02. 2014年5月22日 17:51:13 : eCd1GFTXQc
石破が言ってますね。
「戦争に行かない者は死刑か懲役300年」って。

原発事故の際に原発から逃げ出した電力会社職員は懲役100年、役人は即死刑、そして原発を推進した政治家は市中引き回しの上、打ち首獄門ですね。

石破は今でもさらし首みたいな感じですが・・・


03. 2014年5月22日 18:31:16 : cUchBPexSM
いざという時、奴らは逃げ出すことが分かった。
そういう奴らがサイカドウサイカドウわめいているわけだ。

04. 茶色のうさぎ 2014年5月22日 18:49:29 : qtmOTsgWNIsK2 : oPTR2bpv9o

消防隊、レスキュー、自衛隊、の皆さんのその後の健康は補償は?と心配しています。

真実が判り、責任の所在までは、数年、数十年後かな?さきは長いね。

4号機の爆発ビデオのように資料は、削除、隠蔽されないようにしたいですね。

阿修羅に投稿した、みんなの発言は消せない証拠と思います。たくさん発言したいですね。


05. 2014年5月22日 20:57:56 : A4GQ7o9O02
中国の膨脹、北朝鮮の暴発、などなど外国の脅威を煽る前に

原発事故で、最重要の電源車が渋滞に巻き込まれて到着できない事態をなんとかしないと。

集団自衛権以前に、電源車を緊急搬送できる体制を。


06. 2014年5月23日 01:40:11 : ElTyfbL5kw
鉄骨がぐにゃぐにゃに曲がるほどの爆発で死者がでていない。

人が残っていてそんなことはありえないと思うが。


07. 2014年5月23日 08:55:57 : nJF6kGWndY

事実を公開することは重要だな

http://www.asahi.com/special/yoshida_report/
「吉田調書」
• プロローグ
• 第 1 章
• 第 2 章
• 第 3 章
• エピローグ

• 7504

• 33449


冒頭写真|原発4基と海、排気塔=2011年3月12日、福島県大熊町、朝日新聞社ヘリから、山本裕之撮影
プロローグ
 朝日新聞は、東日本大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手した。レベル7の大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であり、事故収束作業の指揮官であった吉田氏の唯一無二の公式な調書である。吉田氏は事故について報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去した。調書も非公開とされ、政府内にひっそり埋もれていた。
28時間、400ページ
 吉田調書は全7編で構成されている。総文字数はおよそ50万字。A4判で四百数十ページに上る分量になる。吉田氏への聴き取りは13回中11回が福島第一原発から南へ20km離れたサッカー施設 J-VILLAGE JFAアカデミーのミーティングルームで、残る2回が吉田氏の仕事場である福島第一原発免震重要棟でおこなわれた。
 政府事故調は772人から計1479時間にわたって聴き取りをおこなった。吉田調書はその一環で作成された。対象1人当たりの平均聴取時間は2時間弱。吉田氏への聴取時間は28時間あまりで、あの瞬間、どう行動し、何を考えていたかまで聴き取った。畑村洋太郎・政府事故調委員長は、ほかに吉田氏の公式の調書がないことから「貴重な歴史的資料」と呼んだ。
怒り、苦悩、分別
 吉田調書の特徴は「吉田氏の言いっぱなしになっていない」点にある。政府事故調は聴き取りを始めるにあたり、「後々の人たちがこの経験を生かすことができるような、そういう知識をつくりたいと思って、それを目標にしてやろうとしています」「責任追及とか、そういうことは目的にしていません」と趣旨説明をした。だが、聴取は決して生ぬるいものではなかった。それは吉田氏への聴取が政府事故調事務局に出向した検事主導でおこなわれたからである。調書は微妙な言い回しも細かく書き起こされている。
 一方、吉田氏のほうも、聴き取りに真剣に応じている様子が調書の文面からうかがえる。調書には、吉田氏が「ここだけは一番思い出したくない」と苦しい胸の内を明かすように話す場面がある。震災当時の社長の清水正孝氏を「あの人」と呼んだり、菅直人氏や原子力安全委員長の班目春樹氏を「おっさん」呼ばわりしたりして、怒りをぶちまけながら話をする場面もある。全編を通して感情を包み隠さず答えていることから、全体として本音で語っていると感じられる。
 吉田氏は、事実と心情や思いとは分けて話そうと努めている。また、事故発生時の認識と、その後に得た情報を加味した自身の考えは分けて話すよう努める様子もうかがえる。
写真|福島第一原発の免震重要棟で、報道陣の質問に答える吉田昌郎所長=2011年11月12日
未曽有の多重災害
 福島原発事故は、複数の原発が同時にやられるという人類が経験したことがない多重災害だった。最初に、注水が止まっているのを見逃された1号機が大地震発生の翌日の12日午後に水素爆発。続いて3号機が注水に失敗し14日午前に爆発。その影響で2号機が格納容器の圧力を抑えられない事態に陥り、15日に今回の事故で最高濃度の放射性物質を陸上部分にまき散らした。同日は4号機も爆発。核燃料プールの水が抜けることが懸念された。もしそうなっていればさらに多くの放射性物質がまき散らされるところだった。
3号機が爆発したときのやりとり。東電テレビ会議の音声から
00:00/00:00
過ちは生かされたか
 政府事故調の最終報告の欠点は、原発の暴走を止めるのは人であり、原発被害から住民を救うのも人であるのに、当時のそれぞれの組織の長、首相、経済産業大臣、原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電社長、そして福島第一原発の所長の行動・判断を一つひとつ検証しなかったことだ。772人もの関係者から聴き取りをおこなったのに、「個人の責任を追及しない」との方針を掲げたため、事故の本質に深く切りこめなかった。政府や電力会社がいま、再稼働に向け、防潮堤のかさ上げやフィルターベントの取り付けなど設備の増強に走るのは、政府事故調が分析・検証を現象面にとどめたからと言っても過言でない。
 未曽有の原子力事故に立ち向かった人間の声は、歴史に刻まなければならない。歴史は人類共通の財産である。第1回の聴取の際、政府事故調は「お話しいただいた言葉がほぼそのままの形で公にされる可能性があるということをお含みいただいて、それでこのヒアリングに応じていただきたいと思います」と説明した。吉田氏は「結構でございます」と即答したことをここに記す。(宮崎知己)
写真|爆発の翌日、白いもや状のものを噴き出す福島第一原発3号機=2011年3月15日、東京電力撮影
全9回で報告
 朝日新聞デジタルでは20日から、今回入手した調書を分析・検証した特集企画「吉田調書 福島第一原発事故、吉田昌郎所長の語ったもの」を配信していきます。政府事故調が吉田氏から聴取しながら報告書ではほとんど言及しなかった「人の行動、判断」の部分に焦点をあて、「原発は誰が止めるか」「住民は避難できるか」「ヒトが止められるか」を考えます。調書の分析・検証にあたっては、東電テレビ会議録、時系列表、および別途入手した東電の内部資料を読み込み、各方面を取材しました。朝日新聞では、吉田調書でわかった新事実を報道します。
ラインアップ
プロローグ

第1章 原発は誰が止めるか
• 1. フクシマ・フィフティーの真相「非常事態だと私は判断して、一回退避しろと」
• 2. ここだけは思い出したくない「チャイナシンドローム…ああいう状況になってしまう」
• 3. 誰も助けに来なかった「ものすごい恨みつらみが残っていますから」
第2章 住民は避難できるか
• 1. 真水か海水か「あの、もう、水がさ、なくなったからさ」
• 2. 広報などは知りません「プレスをするか、しないか、勝手にやってくれ」

•  暴走する原発を止める責務はいったい誰が負っているのか。その人間はいよいよ原発が破裂しそうになったときは逃げてもよいのか。原発の挙動を知ることができない都道府県知事任せで住民はうまく避難できるのか。そもそも人間に暴走を始めた原発を止める能力はあるのか。事故収束作業における自らの行動、判断を反省も交えて語った福島第一原発の事故時の所長、吉田昌郎。吉田の言葉を知ると、ことの真相を知ろうとせず、大事なことを決めず、再び原発を動かそうとすることがいかに大きな過ちであるかに気付く。
 東日本大震災発生から4日目の2011年3月15日午前6時15分ごろ、東京電力福島第一原発の免震重要棟2階にある緊急時対策室。所長の吉田昌郎が指揮をとる円卓に、現場から二つの重大な報告がほぼ同時に上がってきた。
 2号機の「サプチャン」すなわち原子炉の格納容器下部・圧力抑制室の圧力がゼロになったという知らせと、爆発音がしたという話だった。
――― 2号機とは限らないんですが、3月15日の6時から6時10分ころ、その前後の話なんですが、このとき、一つは2号機の圧力抑制室の圧力が急激に低下してゼロになる。それから、このころ、何か。
吉田「爆発音ですね」
――― 音があったと。これは免震重要棟から聞こえたり、感じたりしましたか。衝撃なり音なりというのを。
吉田「免震重要棟には来ていないんです。思い出すと、この日の朝、菅総理が本店に来られるということでテレビ会議を通じて本店とつないでいたんです。我々は免震重要棟の中でテレビ会議を見ながらということでおったら、中操から、あのとき、中操にたまたま行っていたのかよくわからないですけれども、その辺は発電班の班長に聞いてもらった方が、記憶にないんですけれども、要するに、パラメーターがゼロになったという情報と、ぽんという音がしたという情報が入ってきたんですね。免震重要棟の本部席に」
 「私がまず思ったのは、そのときはまだドライウェル圧力はあったんです。ドライウェル圧力が残っていたから、普通で考えますと、ドライウェル圧力がまだ残っていて、サプチャンがゼロというのは考えられないんです。ただ、最悪、ドライウェルの圧力が全然信用できないとすると、サプチャンの圧力がゼロになっているということは、格納容器が破壊された可能性があるわけです。ですから保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性があるということで、ぼんという音が何がしかの破壊をされたのかということで、確認は不十分だったんですが、それを前提に非常事態だと私は判断して、これまた退避命令を出して、運転にかかわる人間と保修の主要な人間だけ残して一回退避しろという命令を出した」

写真|第一原発の免震重要棟にある緊急対策室。左奥にテレビ会議のモニターが見える。室内の放射線量を抑えるため、窓は鉛で覆ったという=2011年4月1日撮影、東電提供
 「1F」すなわち福島第一原発では、2号機の暴走を抑えようと懸命の努力が続けられていた。2号機は前日14日昼以降、状態が急激に悪くなっていた。
 特に原子炉格納容器の圧力上昇への対応は急を要していた。なんとか「ベント」という格納容器の中の気体を外に放出する操作をやって、破裂をふせぎたい。さらに、圧力容器の圧力を下げたうえで消防車を使って炉に水を注ぎ込み、核燃料を冷やしたい。
 15日午前1時すぎ、ベントがうまくいって、原子炉への注水もできたようだという知らせがきた。だが、およそ2時間後の午前3時12分にはこれを打ち消すような知らせが現場から上がってきた。「炉への注水はできてないと推測している」。1、2号機の中央制御室「中操」で運転員を束ねる当直長からだった。
 炉に水が入らない状態が続くと、中の核燃料が、自ら発する高熱でどろどろになって溶け落ちる。さらに手をこまねいていると、原子炉圧力容器の鋼鉄製の壁を、続いて格納容器のやはり鋼鉄製の分厚い壁を突き破り、我々の生活環境に出てきてしまう。
――「保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性がある」
 そんな懸念が持ち上がる状況のもとに飛び込んできた圧力ゼロと爆発音という二つの重大報告。これらが、2号機の格納容器が破壊されたのではないかという話に結びつけられるのは当然の成りゆきだった。
 格納容器が破れると、目と鼻の先にいる福島第一原発の所員720人の大量被曝はさけられない。「2F」すなわち福島第二原発へ行こうという話が飛び出した。
 午前6時21分、まず各号機の中央制御室につめている運転員に、免震重要棟に避難するようにとの命令が出た。少しでも被曝の量を減らすためだ。
 22分には所員全員に活性炭入りのチャコールマスクの着用が命じられた。空気中に漂う放射性物質を口や鼻から吸い込まないようにするためだ。
 27分、退避の際の手続きの説明がスピーカーで始まった。
 ここで、現場から2号機の格納容器の破壊を否定するデータがもたらされた。吉田がいる免震重要棟の緊急時対策室内の放射線量が、毎時15〜20マイクロシーベルトとあまり上昇していないことだった。

写真|記者団に囲まれ、福島第一原発で起きた爆発音について説明する東京電力福島事務所員
=2011年3月15日午前8時9分、福島市の福島県自治会館で、村上晃一撮影
吉田「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」
――― そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。
吉田「いま、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」
――― 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。
吉田「線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に」
写真|白いもやを噴き出す福島第一原発2号機=2011年3月15日午前、東京電力撮影(写真の公表は2013年2月1日)
 午前6時30分、吉田はテレビ会議システムのマイクに向かって告げた。「いったん退避してからパラメーターを確認する」。各種計器の数値を見たいというのだ。
 続いて32分、社長の清水正孝が「最低限の人間を除き退避すること」と命じた。清水は、つい1時間ほど前に東電本店に乗り込んできた首相の菅直人に、「撤退したら東電はつぶれる」とやり込められたばかりだ。
 33分、吉田は清水の命令を受け、緊急時対策室にいる各班長に対し、この場に残す人間を指名するよう求めた。
 34分、緊急時対策室内の放射線量について「変化がない」とのアナウンスがあった。
 格納容器上部、ドライウェルの圧力が残っているということは、格納容器が壊れたことと明らかに矛盾する。それよりなにより、緊急時対策室の放射線量がまったく上がっていないことをどう評価するか……。
 吉田は午前6時42分に命令を下した。
 「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後、本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」
 格納容器破壊は起きていないだろうが、念のため現場の放射線量を測ってみる。安全が確認されるまで、最低限残す所員以外は福島第一原発の構内の放射線量が低いエリアで待つ。安全が確認され次第戻って作業を再開するように。これが吉田の決断であり、命令だった。  

写真|福島第一原発で爆発音が聞かれたことで、対応に追われる福島県災害対策本部の原子力班
=2011年3月15日午前8時35分、福島市で、水野義則撮影
 放射線量が測られた。免震重要棟周辺で午前7時14分時点で毎時5ミリシーベルトだった。まだ3号機が爆発する前の3月13日午後2時すぎと同程度だった。吉田の近場への退避命令は、的確な指示だったことになる。
 ところがそのころ、免震重要棟の前に用意されていたバスに乗り込んだ650人は、吉田の命令に反して、福島第一原発近辺の放射線量の低いところではなく、10km南の福島第二原発を目指していた。その中にはGMクラス、すなわち部課長級の幹部社員の一部も入っていた。
 一部とはいえ、GMまでもが福島第二原発に行ってしまったことには吉田も驚いた。
写真|福島第一原発で爆発音が聞かれたことで、対応に追われる福島県災害対策本部の原子力班
=2011年3月15日午前8時35分、福島市で、水野義則撮影
吉田「20〜30分たってから、4号機から帰ってきた人間がいて、4号機ぼろぼろですという話で、何だそれはというんで、写真を撮りに行かせたら、ぼこぼこになっていたわけです。当直長は誰だったか、斎藤君か、斎藤当直長が最初に帰って来て、どうなのと聞いたら、爆風がありましたと。その爆風は3、4号機のサービス建屋に入ったときかどうか、そんな話をして、爆風を感じて、彼は入っていくか、出ていくかだったか、帰りに見たら、4号機がぐずぐずになっていて、富田と斎藤が同じだったかどうか、私は覚えていないんだけれども、富田と斎藤から後で話を聞いたら、ぼんと爆風を感じた時間と、2号機のサプチャンのゼロの時間がたまたま同じぐらいなので、どちらか判断できないというのが私がそのときに思った話で。だけれども、2号機はサプチャンがゼロになっているわけですから、これはかなり危ない。ブレークしているとすると放射能が出てくるし、かなり危険な状態になるから、避難できる人は極力退避させておけという判断で退避させた」

写真|記者会見で福山哲郎官房副長官(右)にアドバイスを受ける枝野幸男官房長官
=15日午前11時26分、首相官邸
 福島第二原発への所員の大量離脱について、東電はこれまで、事故対応に必要な人間は残し事故対応を継続することは大前提だったと、計画通りの行動だったと受け取られる説明をしてきた。
 外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。
 しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎない。
 所長が統率をとれず、要員が幹部社員も含めて一気に9割もいなくなった福島第一原発では、対応が難しい課題が次々と噴出した。
 まず、爆発は、2号機でなく、無警戒の4号機で起きていたことがわかった。
 定期検査中で、核燃料が原子炉内でなく燃料プールに入っている4号機の爆発は、原発の仕組みを知る世界の人を驚かせた。
 燃料プールは圧力容器や格納容器のような鋼鉄製の容器に守られておらず、仮に核燃料が自らの熱で溶けるようなことがあれば、放射性物質をそのまま直に生活環境にまき散らすからだ。しかも燃料プールには膨大な量の核燃料があった。
 後になって、4号機の燃料プールの核燃料は溶けておらず、爆発の原因は3号機から流入した水素と疑われることになるが、午前9時39分には火災の発生が確認され、米軍から回してもらった消防車で消そうとするなど騒ぎとなった。
――「注水だとか、最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした」
 2号機もおとなしくしていなかった。午前8時25分、2号機の原子炉建屋から白煙が上がっているのが確認された。45分には湯気が見られた。午前9時45分には原子炉建屋の壁についている開放状態のブローアウトパネルから大量の白い湯気が出ているのが確認された。午前10時51分には原子炉建屋で大量のもやもやが確認され、原子炉建屋の放射線量は150〜300ミリシーベルトと報告された。
 白いもや、湯気、白煙は、1号機と3号機が爆発する少し前に見られたことから、東電は原子炉格納容器内の気体が漏れ出す兆候として最も警戒していた事象だ。
 福島第一原発の西側正門付近で測った放射線量の時系列をたどると、爆発音が聞こえた午前6時台は73.2〜583.7マイクロシーベルトだった。それが所員の9割が福島第二原発に行ってしまった午前7時台に234.7〜1390マイクロシーベルトに上昇した。4号機が爆発していたことがわかり、騒然としていた午前8時31分に8217マイクロシーベルト、そして午前9時ちょうど、今回の事故で最高値となる1万1930マイクロシーベルトを観測している。

 吉田は部下が福島第二原発に行く方が正しいと思ったことに一定の理解を示すが、放射線量の推移、2号機の白煙やゆげの出現状況とを重ね合わせると、所員が大挙して所長の命令に反して福島第二原発に撤退し、ほとんど作業という作業ができなかったときに、福島第一原発に本当の危機的事象が起きた可能性がある。
 28時間以上にわたり吉田を聴取した政府事故調すなわち政府が、このような時間帯に命令違反の離脱行動があったのを知りながら、報告書でまったく言及していないのは不可解だ。
 東電によると、福島第二原発に退いた所員が戻ってくるのはお昼ごろになってからだという。吉田を含む69人が逃げなかったというのは事実だとして、4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調も東電もほとんど情報を出さないため不明だ。
 この日、2011年3月15日は、福島第一原発の北西、福島県浪江町、飯舘村方向に今回の事故で陸上部分としては最高濃度となる放射性物質をまき散らし、多くの避難民を生んだ日なのにである。(文中敬称略)
第1章2節「ここだけは思い出したくない」に続く
 

写真|原子炉格納容器の据え付けを終えたばかりの福島第一原発2号機(手前左)=1970年、福島県大熊町、朝日新聞写真部撮影
 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午後6時。福島第一原発2号機は、重大な危機にさらされていた。1号機、3号機でも手こずった原子炉格納容器のベントが、2号機では本当にどうやってもできなかった。原子炉の中心部である圧力容器の水蒸気を逃がす「SR弁」を人為的に開けて、圧力が下がったところで消防車で注水し原子炉を冷やす試みも、なかなかうまくいかなかった。
――― この後ぐらいに、要するに、SR弁がなかなか開かないというところから、夜に行くぐらいのころ、本店も含めてなのかどうかはともかく、実際の退避は2Fの方に行っていますけれども、退避なども検討しなければいけないのではないかみたいな話というのは出ていた?
吉田「出ています、というか、これは、あまりに大きい話になりますし、そこでうちの本店から言ってきたわけではなくて、円卓で言いますと、円卓がありますけれども、廊下にも協力企業だとかがいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです」
 「これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる」

写真|福島第一原発1、2号機の防護管理ゲートの北側の風景。津波で破壊されたがれきが散らばっている=2011年3月23日、経済産業省原子力安全・保安院提供
 2号機ではいったん13日に、格納容器から排気塔につながるベントライン上の弁を二つとも開け、いつでもベントできる状態にしていたのだが、14日午前11時1分の3号機の爆発で、うち一つが閉じて、開かなくなってしまった。
 午後4時15分に原子力安全委員会委員長の班目春樹から直接電話があり、ベントができないなら原子炉圧力容器のSR弁をすぐに開けろと言われた。が、これも作業を始めてから1時間たったが開かなかった。
 ベントの弁と同様、平素は簡単な操作で開くのだが、125ボルトの直流電源を供給するバッテリーが上がってしまったのか、うんともすんとも言わなかった。
 福島第一原発では、所員の自家用車からはずしてきたり、福島県内のカー用品店で買ってきたりして、12ボルトの自動車用バッテリーをかき集めていた。東電本店や、新潟県の柏崎刈羽原発などほかの発電所からも送ってもらった。それらを10個直列につないで120ボルトのバッテリーにして装着してみたがうまくいかない。
――「ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと」
 10個では電圧が定格より5ボルト足りないからと11個つなぎにすれば良いのではないか、いや、これは電圧でなく電流が足りないから120ボルトのバッテリーをもう1セットつくり、2セットを並列つなぎにしたほうがいいのではないか、と試行錯誤を繰り返したがなかなか開かなかった。
 このままSR弁が開かないと圧力容器内の圧力は高止まりし、消防車の低いポンプ圧力では、いつまでたっても炉に水を注ぎ込むことができない。
 早く水を入れて冷やさないと、炉はますます高温高圧になる。水が蒸発して水位が下がり、核燃料が水面から顔をのぞかせることになる。
 核燃料は水からむき出しになると、そこから2時間で自らが発する高熱で溶け落ちる。いわゆるメルトダウンだ。さらに2時間で圧力容器の壁を溶かして穴を開けてしまう。メルトスルーと呼ばれる事態だ。
2号機の状況をめぐるやりとり
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 吉田が口にした「チャイナシンドローム」とは、アメリカの原発がメルトスルーし、高温でどろどろになった核燃料が格納容器をも突き破り、接するものを次々と溶かしながら、重力により地球の中心に向かい、さらに突き進んでちょうど地球の裏側の中国に到達するという仮想の話を主題にした、ジェーン・フォンダ主演の米映画の名前だ。
 そこまでの惨事となるかどうかはともかく、打つ手がない以上、2号機はメルトスルーに向かっていく。格納容器が破られれば、プルトニウム、ウラニウム、アメリシウムなど猛毒の放射性物質が、生活環境に大量にばらまかれる。
 その際には膨大な量の放射線が所員を一気に大量被曝させるであろう。吉田は、となると、1号機と3号機も原子炉の冷却作業ができなくなり、3機ともメルトスルーするという恐ろしい事態が起きてしまうと思い、ある行動に出た。
写真|福島第一原発1・2号機中央制御室の当直長席で、機器データを記録する作業員=2011年3月23日、原子力安全・保安院提供
吉田「そうなると、結局、ここから退避しないといけない。たくさん被害者が出てしまう。もちろん、放射能は、今の状態より、現段階よりも広範囲、高濃度で、まき散らす部分もありますけれども、まず、ここにいる人間が、ここというのは免震重要棟の近くにいる人間の命にかかわると思っていましたから、それについて、免震重要棟のあそこで言っていますと、みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤に言ったのかな。一つは、こんな状態で、非常に危ないと。操作する人間だとか、復旧の人間は必要ミニマムで置いておくけれども、それらについては退避を考えた方がいいんではないかという話はした記憶があります」
 「その状況については、細野さんに、退避するのかどうかは別にして、要するに、2号機については危機的状態だと。これで水が入らないと大変なことになってしまうという話はして、その場合は、現場の人間はミニマムにして退避ということを言ったと思います。それは電話で言いました。ここで言うと、たくさん聞いている人間がいますから、恐怖を呼びますから、わきに出て、電話でそんなことをやった記憶があります。ここは私が一番思い出したくないところです。はっきり言って」
 ここで吉田がとった行動は、東電の首脳と、官邸にいる首相補佐官細野豪志に直接、2号機の惨状を伝え、所員の引き揚げを考える時期がきていると意見することだった。
 テレビ会議システムを使うと、緊急時対策室にいる所員全員に聞かれるので、廊下に出て、携帯電話で密かに報告した。
 退避命令に関しては、実は吉田は今回の福島原発事故の収束作業中、何度か発している。爆発や放射線被曝から所員を守らなければいけないと考えたときだ。
 例えば3月14日朝に3号機の格納容器の圧力が急激に上昇したとき、吉田はテレビ会議システムを使って、「何もできなくなっちゃうんですけども、現場の作業員、うちの社員、一回こちらに退避させてよろしいですか」と了解を求めたうえで、退避命令を出している。
 それが、今回の局面では、携帯電話で東電本店と官邸にこっそり伝えた。吉田の不安は極限にあったと言っていい。

写真|福島第一原発2号機の炉水位低下について記者会見で説明する経産省の西山英彦大臣官房審議官=2011年3月14日午後9時54分、東京・霞が関で、越田省吾撮影
――― それに対して、おふた方、武藤さんなり、本店側の人間に対して電話したときの向こうの反応はどうでした?
吉田「別にどうということではなくて、そういう状況かということなんです。それでOKだとか、そうではないとかいう話ではないんですけれども、私は、そういう危険があるよと、わかったと、そういう感じなんですね。私の行動としては、廊下にいた協力企業の方のところに行きまして、みんな、よくわからないでぼーっと見るなりしていますから、この人たちを巻き込むわけにいかないと思って、一生懸命やってきましたけれども、非常に大変な状況になってきて、みなさん、帰ってくださいと。退避とは言わないです。帰ってくださいと。帰っていただければというお話をして、あとはこっちに戻って来て、こっちも声なかったですよ。その時点で。あとは待つだけですから。水が入るかどうか、賭けみたいなものですから。それだけやったら、あとはほとんど発言しないで、寝ていました。寝ていたというか、茫然自失ですよね」
――― それは、SR弁がなかなか開かないとか。
吉田「開いたんです。開いたんですが、なかなか圧が下がらないところから、SR弁を開けるところはまだ操作ですから、何やっているんだ、どうなっているんだとなるんですけれども、SR弁が開いたにもかかわらず、圧が落ちない。そら、見たことかと。結局、サプチャンのほうが高いですからね。落ちないんではないかと。落ちないで、燃料がどんどん水位が下がっていっているなと」
 「もう一つは、あまり時間がなかったものですから、ポンプが、消防車の燃料がなくなって、水を入れるというタイミングのときに、炉圧が下がったときに水が入らないと。そこでもまたがくっと来て、入れに行けという話をしていまして、これでもう私はだめだと思ったんですよ。私はここが一番死に時というかですね」
写真|原子炉格納容器の組み立てが進む東京電力福島第一原子力発電所2号機=1970年
 午後6時、2号機のSR弁がようやく開き、しばらくして炉の圧力が下がり始めた。これで消防車による注水が可能になると所員は安堵の雰囲気に包まれた。が、喜びは束の間だった。
 午後6時28分、こともあろうに、消防車が燃料切れを起こして注水できていないとの報告が入った。SR弁が1時間半の格闘の末にようやく開き、炉が減圧し始めたのに、これでは燃料の軽油を補給するまで炉に水は一滴も入らない。
 所内には「最後これかい、って感じだなあ」との声が飛んだ。おまけに軽油を消防車への補給のため運ぼうとした小型タンクローリーがパンクで動けないとの情報も入った。
 緊迫の度合いを深めた福島第一原発で吉田は、官邸と東電本店に2号機の状況を報告した後、下請けの協力会社の人たちに福島第一原発から離れるよう勧め始めた。
――「寝ていたというか、茫然自失ですよね」
 東電本店も、福島第一原発の所員を福島第二原発に移動する手配を開始した。所員の数の確認をおこない、一度にバスで全員運べるかの計算も始めた。
 午後7時40分、「東電のバスはですね、マイクロが20人乗りが2台、中型が1台、30人乗り」「そのほかに構内のバスが7台ありますが、運転手は何人いるか、ちょっといま確認中です」と報告された。
 東電本店は、福島第二原発での受け入れ態勢づくりと、吉田が指揮を執る福島第一原発の緊急時対策室を、福島第二原発に移す作業も始めた。
 午後8時17分、福島第二原発の所長、増田尚宏は次のように知らせてきた。
 「2Fのほうは、えっと、1Fからの避難者のけが人は正門の脇のビジターズホールで全部受け入れます。そして、それ以外の方は全部、体育館に案内します」
 「緊対を我々の2Fの4プラント緊対と、えっと、1Fから来た方が使える旧の緊対と、緊対を二つに分けて用意しておきますんで、そこだけ、本店側は、その両方の使い分けをしてください」
 しかし、東電は結局、3月14日夜は福島第二原発行きを実行しなかった。
 社長の清水正孝は午後8時20分に「あのう、現時点でまだ最終避難を決定しているわけではないということをまず確認してください。えー、それでいま、あのう、しかるべきところと確認作業を進めております」と発言している。その、しかるべきところとの調整がつかなかったのだ。
最終避難について話す清水正孝社長
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 危機に立ち向かって原発事故を抑え込む、原子力災害抑止隊と呼べるような組織は存在しない。自衛隊は、国の平和と安全に重要な影響を与える事態や大規模な災害に対し、迅速かつ的確に対処し得るような即応態勢を維持、向上させているというが、関連機関との連携が前提で、自分たちは原発を制御する技術や知識を持っていない。
 原子炉を制御して事故を収束にもっていける者は、電力会社員以外にはいない。だが、福島第一原発が起きる前も今も、彼らの行動をしばる規定はない。しばることの是非が声高に議論されたこともない。

第1章3節「誰も助けに来なかった」に続く



写真|福島第一原子力発電所の免震重要棟で、報道陣の質問に答える吉田昌郎所長(白の防護服姿)。右は細野豪志・原発担当相(当時)=2011年11月12日、福島県大熊町、相場郁朗撮影
 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午前11時01分、福島第一原発の3号機が爆発した。
 分厚いコンクリート製の建屋を真上に高々と吹き飛ばしたところを無人テレビカメラに捉えられ、ただちに放映された、あの爆発だ。
――― 水が欲しいときっとなるだろうから、そうだったら、何はともあれ外との間のパイプラインをつくってしまえという指示をどこかで出したのかなと思っていたんですが、パイプラインを何でもいいからつくってくれと、そんなことまでは頭が動かないのか、それとも、言っても先ほどのように。
吉田「それはわからないです。私はこの中にいましたので、外からどういう動きをしていたかはちっともわからないんで、結果として何もしてくれなかったということしかわからない。途中で何かしてくれようとしていたのかどうか、一切わかりません」 
――― わかりました。私はそこまででいいです。
吉田「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」
――― それは誠にそうだ。結果として誰も助けに来てくれなかった。
吉田「後でまたお話が出ますが、消防隊とか、レスキューだとか、いらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかったということだけは付け加えておきます」

写真|爆発した3号機の原子炉建屋=2011年11月12日、福島県大熊町、相場郁朗撮影
 3月12日午後の1号機の爆発に続き、日本史上2度目の原発の爆発も、ここ福島第一原発で起きてしまった。
 外で作業にあたっていた人が怪我をした。当時、原子炉への注水は、3号機の海側にある逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を、消防車で汲み上げておこなっていた。その屋外作業に大勢がかかわっていた。
 また、自衛隊がちょうど給水車で原子炉に入れる水を補給しにきていた。作業をしていた6人は被曝し、何人かは怪我もした。
 福島第一原発では所長の吉田昌郎以下、所員の落ち込みようは激しかった。吉田はサイト、すなわち発電所のみんなの声を代弁し、午後0時41分、テレビ会議システムを使って、声を詰まらせて東電本店に次のように訴えた。
 「こんな時になんなんだけども、やっぱり、この……、この二つ爆発があってですね、非常にサイトもこう、かなりショックっていうか、まあ、いろんな状態あってですね」
 社長の清水正孝の答えは、次のようなものだった。
 「あの、職員のみなさま、大変、大変な思いで対応していただいていると思います。それで、確かに要員の問題があるんで、継続につき検討してますが、可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっと頑張っていただく」
 東電本店はヒトだけでなくモノの面でも福島第一原発を孤立させていた。
ショック状況を伝える吉田昌郎所長
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 福島第一原発では、いまや原子炉の冷却の主軸である消防車のポンプを回すための軽油も、中央制御室の計器を動かすのに必要な電気を発電するためのガソリンも、ベントなどの弁を開けるのに必要なバッテリーも足りなかった。
 所員はこれらの必要物資を、10km離れた福島第二原発、20km南のスポーツ施設Jヴィレッジ、場合によっては50km南の福島県いわき市の小名浜コールセンターまで取りに行っていた。
 東電本店は福島第一原発まで運ぶよう運送業者に委託するのだが、3月12日に1号機が爆発し、避難指示の区域が拡大してくると、トラックがその手前までしか運んでくれなくなったのだ。
 トラック業者だけでない。福島第一原発は、同じ東電の福島第二原発からガソリン入りのドラム缶をもらうときも、中間地点にあるコンビニエンスストア、通称「三角屋のローソン」や、ホームセンター「ダイユーエイト」の駐車場にそれぞれが運搬車で乗り付けて、引き渡してもらっていた。
 福島第二原発としては、福島第一原発に直接行ってしまうと、運搬車が放射性物質に汚染され、除染しないと乗って帰れなくなるからだった。
写真|3号機の中央制御室=東京電力提供
――― この注水の作業なんかについては、消防車の運転操作なんかの委託をしていた、日本原子力防御システムですかね、そういうところだとか、南明興産というところですね、こういうところも協力していただいている?
吉田「最初は協力してくれる」
――― 途中からは。
吉田「線量が出てから」
――― 線量が上がり過ぎて、その人たちの作業はできなくなったと。それ以降は、東電の。
吉田「自衛で」
――― その自衛消防隊の方だけでやっていたんですか。
吉田「はい。何人か奇特な方がいて、手伝ってくれたようなことは聞いているんですけれども」
――― それは。
吉田「南明さんとかですね。ほとんど会社としては退避されたような形で、個人的に手伝ってといったらおかしいんですけれども、そういうことは聞いております」 (中略)
――― 3月16日以降とかは、がれきの整理などのために、例えば、がれき撤去のための作業用の車両みたいなもの、ブルドーザーなり何なり、そういうものは届いていたんですか。
吉田「バックホーが数台もともとこちらにあったのと、間組さんがどこかから持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけれども、間組さんが線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」
――― これは何で間組なんですか。
吉田「たまたま、私もよくわかりません。そのときは線量が高いんですけれども、間組が来てくれたんです」
――― この辺周辺の撤去などの作業をしてくれたんですか。
吉田「それもやりましたし、6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です。なぜ間組に代わったかというのは知らない。結果として間組がやっているという状況だったので、たぶんいろいろお話をして、一番やろうという話をしてくださったんだと思います」
「どあほ」と叫ぶ吉田昌郎所長
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 東日本大震災発生当日の2011年3月11日午後9時44分、新潟県にある東電柏崎刈羽原発を1台の化学消防車が福島に向けて出発した。消防関係の業務を東電から請け負っている南明興産という会社の社員3人が乗っていた。
 交流電源をすべて失った福島第一原発で、原子炉を緊急に冷やすポンプがすべて使えない状態になっていた。吉田らが代わりに思いついたのは、消防車を使って外から原子炉に注水する方法だった。過酷事故時の対応を定めたアクシデント・マネジメント・ガイドには書かれていない世界初の試みだ。
 ところが、福島第一原発の消防車3台のうち、使えるのは1台だけだった。1台は津波にやられ、もう1台は構内道路がやられて1〜4号機に近づけないところにあった。
 消防車を操れる人間はもともとごく少数。それもそのはず、東電の社員は誰も消防車を運転したことがない。ホースを消火栓につないだり、ホースとホースをつなぐなどの消防車周りの作業もしたことがない。
 南明隊は到着するやいなや、あちこちにかり出された。
――「実質的な、効果的なレスキューが何もない」
 福島第一原発では、消防車から原子炉への注水の経路がめまぐるしく変わった。防火水槽やタンクの淡水を入れていたかと思うと、次は逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を入れる。その次は海の水を直接汲み上げて入れる。そのたびに消防車を動かし、ホースをつなぎ変えた。南明隊は途中、東電の要請で部隊増強を図った。
 消防車周りの仕事はたいてい屋外作業となる。そのため、常に高い値の放射線にさらされたし、1号機や3号機が爆発した時はがれきの雨に打たれた。
 吉田も気遣ってはいたが、なにせ彼らの代わりができる人間が東電にいなかった。
 一方、がれきの撤去作業では、一部のゼネコンが一肌脱いだ。
 福島第一原発では15日以降、各号機の核燃料プールの冷却が大きな課題になっていた。特殊な消防車で地上から放水することが考え出されたが、がれきが、各号機へ消防車が近づくことを拒んでいた。
 がれきは、1、3、4号機の相次ぐ爆発で発生したもので、がれき自体が高い値の放射線を発していた。
 それを人と重機を投入して片付けた。これもまた高い値の放射線量のもとでやってのけた。

写真|消防車による原子炉への注水=2011年3月16日、福島第一原発で、東京電力撮影
がれきの状況を話す吉田昌郎所長
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――― こういう爆発があって、例えば3月13日とか14日というのは、保安院の方というのはどうなんですか。
吉田「よく覚えていないんですけれども、事象が起こったときは、保安院の方もみんな逃げて来て、免震重要棟に入られたんです。それから即、オフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに全部出ていった。私の記憶がなかったので、先ほどDVD議事録を見ていたら、武藤が途中で大熊にあったときのオフサイトセンターから保安検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかったんです」
――― 来なかったんですか。
吉田「はい。私は記憶がないんだけれども、今みたいに24時間駐在で来られるようになったのは、もうちょっと後だと思います」
――― 保安院の方が来られると、例えば情報を得ようと思ったら緊対室に来ますね。
吉田「はい」
――― そのときというのは、所長に何かあいさつなりというのは、向こうからするんですか。そのまま本部の円卓の辺りにいるんですか。
吉田「我々別に保安検査官を拒絶するつもりもないし、来られるようなときに来られればよくて、彼らは保安院の制服を着ていらっしゃいますから、いらっしゃるということで、ごく普通に会議の中に入ってもらえばいい、という形で対応しています」
――― それは円卓に保安院用の席があるんですか。
吉田「もともとはなかったんです。そんな話があって、保安院の人に座っていてもらえという話をしたんです」
――― それはいつごろですか。
吉田「最初に武藤から電話があって、保安院さんが来るという話のときに、短期間で1回来られたかも知れないんです。14日ごろにね。そんな記憶もあるんです。ちょこっといらっしゃった。オフサイトセンターが福島に引き揚げるとなったときに、みんな福島に引き揚げられて、結局、16日、17日ぐらいまで、自衛隊や消防がピュッピュやっているときはいなかったような気がするんです」
――― サイト内に来られたとすれば、例えば保安院の事務所の方にずっといるわけではないんですか。
吉田「住むところは免震棟しかないわけですから、事務所には行きようがないんです。線量もあるし、被曝もあるしね」
写真|上空から見た福島第一原発の3号機(左)と4号機周辺=20日午前11時3分、福島県大熊町、本社ヘリから
 各原発には、原子力安全・保安院、今なら原子力規制庁に所属する原子力保安検査官が、常駐する制度になっている。
 東日本大地震発生時、福島第一原発内にも当然いて、地震後一時、免震重要棟に入っていた。だが、しばらくして南西5kmのところに福島オフサイトセンターが立ち上がると、そこへ移動した。
 2日後の3月13日午前6時48分、そのころオフサイトセンターに詰めていた東電原子力担当副社長の武藤栄が、吉田に、保安検査官が福島第一原発に戻ると連絡してきた。
 「保安院の保安検査官が、そちらに4名常駐をしますと。12時間交替で1時間ごとに原子炉水などプラントデータを、報告をするということになります」
 吉田は即座に「保安検査官対応!」と受け入れ態勢を整えるよう部下に指示した。
 保安検査官はその後しばらくしてやって来たが、3月14日夕方、2号機の状況が急激に悪化するとまたオフサイトセンターに帰ったとみられる。そして、15日朝、オフサイトセンターが原発から60km離れた福島市へ撤収すると、いっしょに行ってしまった。
――「みんな福島に引き揚げられて」
 一方、原発から5km離れたところにあるそのオフサイトセンターだが、原発事故があったら、10以上の省庁から40人超が集まり、原発や周辺自治体と連携して、情報を収集・発信する拠点になると定められていた。甲状腺がんを防ぐ安定ヨウ素剤の配布指示でも大きな役割を担っていた。
 それなのに、今回の事故では半数強しか来なかった。班が七つ立ち上がり、それぞれが班長の指揮のもと作業にあたることになっていたのだが、班長が3月末近くまで来ない班もあった。
 最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。
 これが多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。

第2章1節「真水か海水か」に続く



08. 2014年5月23日 09:07:22 : 7a485pUwzQ
・・・吉田所長のご冥福をお祈り申し上げます。
後のことは考えられずに、安らかにお眠りください。

残った我々は考えて行動して、犠牲になった方々に報いなければならない。

そもそも、こんなに危険なものに許可を出した政府は断罪しなけれはならない。
この原子力発電所は潜在的犯罪要因を含む公序良俗違反の何ものでもない。
地震大国の我国において、国家と国民に対する最大脅威と云ってもいい。

現政権は、多くの人が感じている危機の全面解決を担う気はないようだ。
我国の第一危機を蔑ろにして、架空の危機を作り政治エネルギーを消耗している安倍政権は完全に国家と国民から遊離している。
今からでも遅くはない。
心を入れ替える必要はないから、危機を救える人と交代するべきである。


09. 新鮮組 2014年5月23日 12:41:01 : hYT1ZzdBhtgo2 : PBOqMrEV6Q
朝日新聞社会部に拍手を送りたい。政治部は社会部を見習うべきだ。

10. 2014年5月24日 05:25:10 : ZvcGS9qUik
吉田さんが何を言っても無駄。
新聞が何を書いてもダメ。

阿部さんが激怒したんだろ?
なぜ?
国民を助ける気など無いのだよ。
福島の人も同じ。棄民だよ。

助かりたいなら、効果的なことを考えないと・・


11. 2014年5月24日 07:58:05 : RQpv2rjbfs
想定外の事故が起こった時、人間があてにならないのは、プラント関係者なら誰でも知っている。だから、万一の時大事故にならないようにシステムが自動実行する2重3重の安全措置と想定訓練を練にねっておくのだ。

事故が起こっても最悪の事態にならないような設備を作っておくのだ。まともなパソコンすらなかった40年前の原発が危険な訳はそこにある。電気がなければバルブが開かないなんてもってのほかだ。

爆発した3棟の建屋のうちブローアウトパネルが開いたのは1棟だけだったのを見ても、福一の安全対策は穴だらけだった。国民監視、完全公開のもと厳密な調査を行うべきなのに特定機密などと屁理屈を付けて責任を回避する原子力保安院の素人官僚は徹底的に処罰しなければならない、逃げるのとえばるのが得意な文系の官僚は日本を破滅させる。


12. 2014年5月24日 10:06:30 : 4J7EWvm3vs
たかが「発電」するだけの設備のために事故が起きれば何十万人もの周辺住民が避難しなければいけない?

おまけに広大な土地が汚染され半永久的に居住出来ず実質的に「国土を喪失」するのだ。

原発の再稼働や輸出や新設は冗談どころかバカ丸出しではないかね?

コストもバカ高い原発は即刻廃止すべきだ。

損保会社もリスクが高過ぎ危険過ぎるから原発の保険契約は絶対にしない。

電力会社の会計の損益と「国民の命や健康」を同じレベルで比較するなどもってのほかだ。

原発を廃止して電力会社が赤字になっても人は死なないし発電作業は継続出来る。

大多数の国民は何も困らない。

唯一デメリットは電力会社の株主が損失をこうむる程度だ。

こんなことは子供でも理解出来るだろう。ss


13. 2014年5月24日 12:55:17 : YoxzSwf7CQ
>>02
>「戦争に行かない者は死刑か懲役300年」って。原発事故の際に原発から逃げ出した…

東電に入った自分の娘だけは特別待遇でしょう。東電自体が言われなくともそうするか。www。


14. 山田隆 2014年5月24日 15:02:54 : 3ea.l7jC04f2k : ezKjFNrfto
ついに本性を現した
赤かぶ=スパイ・犯罪人小出裕章教信者=阿修羅管理人=推進派工作員


[32削除理由]:アラシ
15. 2014年5月24日 17:19:33 : 33BvqMZx5k

  原子力もアメリカの押しつけに他ならない。


  中国からのPM2.5も元を正せばアメリカの私利私欲で起きた現象である。


  いい加減に馬鹿な部落民国民(馬鹿な国民)目覚めたら。


16. 2014年5月24日 20:46:01 : 5rSxQD2bJ2

 《Atomospheric Chemistry & Pysics》という学会誌には、XeやCsの地球汚染の詳細なデータが
 掲載されています。Vol.12.p2313〜2343、2012

 分かっていたことですが、311から何度でも核爆発を繰り返しています。
 Xeのピークが何度でも計測されていることからも、世界の常識です。
 つまり、複数の核爆発時も、一週間後以降にも何度も臨界して危うかったときも、誰も救援に
 来ないで、自分らに押し付けられた・・・、殆ど死を覚悟してたんでしょうねぇ・・。

 菅さんが逃げるな・・・と怒鳴らなかったら、9割逃げる・・・どころか、9.9割も逃げたん
 でしょう。ZDFは福島のうそ二で、原子力ムラは菅さんに責任を擦り付ける歪曲報道で・・・
 といってましたし、
=============

  「現在の法律で、ひび割れがあっても安全上問題がなければ運転が可能」

★小泉内閣、配管などがヒビ割れた状態での運転許可を閣議決定「現在の法律で、ひび割れがあっても
安全上問題がなければ運転が可能」
現在もひび割れ運転は可能 原発の基準で政府が答弁書  
http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003012801000340.html
政府は28日、原発の設備や機器の損傷について「現在の法律で、ひび割れがあっても安全上問題がな
ければ運転が可能」
とする答弁書を閣議決定した。福島瑞穂衆院議員(社民)の質問主意書に答えた。  
東京電力はトラブル隠し発覚後、こうした状況での運転を認める「維持基準」が現在はないとして、
「どんな小さな傷があってもならないことが、現場の プレッシャーになったのが背景」との見解を
示した。電力業界もこれに同調、政府が提出した維持基準を盛り込んだ改正電気事業法が国会で成立した。  だが答弁書は、現在の技術基準の中にも維持基準の考え方は盛り込まれていると、実例を挙げて説明。
電力業界などのこれまでの説明に誤りがあったことを示した。2003/01/28 08:58 【共同通信】

実は、あちこちの原発は、配管も溶接部も、どこも、穴やひび割れだらけ・・なんです。
福島も酷かったので、前知事が反対運動をしました。
数十人からの告発文章を手にしていました。(これもZDFで放送・・・)

=============

▼ニューヨークタイムス

http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/asia/27collusion.html?_r=2&nl=todaysheadlines&emc=tha2

原発懐疑派はblackballing(排斥)し、 不都合なことはcover-up(秘匿)するなど、
nuclear-affiliated group(原子力関連グループ) に属する政治家、官僚、電力企業は
complicity (共犯)関係にある。彼らは規制レベルをwater down (下げ)し、手心加えた見返りに
decent from heaven (天下り)してto land cushy jobs(快適な地位)を得る。
一方電力企業はcompany errand boy(会社差し回し人)を政界に送り込み、
いわばascent to heaven(天上がり) してconviction(確信)を持って原発70%にするという
国家戦略を策定する。そしてhost communities 原発受容自治体)を税金を使って黙らせる。

これらの背後にいるのがbusiness lobby (経団連)だという。日本国家は中国以下のひどい国
というイメージだ。

流石、悪魔のアメリカ、原発を造らせておいて、パテントで稼いでおいて、最後には日本をこき下ろす・・

========== 

 チェルノブイリでは、ガンよりも、心臓病・脳卒中・糖尿病・免疫不全が常識。
 子供の甲状腺がん91人程度で騒いでいても、これからが修羅場でしょうねぇ・・・。


17. 2014年5月24日 20:50:55 : 5rSxQD2bJ2

 原発施設が、どこでも、格納容器でも、極めて小さい穴(目で見えない)や、見えるひび
だらけなのは、放射線が当たって、金属原子が振動するからですが、例えば、溶接部分です
と、異なる金属同士が並び、固有振動数が異なるので、結合が破断し、穴や亀裂が生じます。

 これで、再稼動できる法律・・・

 小泉君って、やっぱり親子でとってもおりこうさんなんだぁ・・・。

 騙されるB層が、情けない・・・


18. 2014年5月25日 07:00:24 : nX0mwnU08I
よくインターポールに逮捕されないな
日本の官僚たち

19. 小沢カルトはバカばかり 2014年5月25日 07:18:31 : 06DYzoEDvhFp6 : gDNK1tfuPg


吉田所長(東京電力取締役)が、ヒーローだというのは、メディアと政府と東京電力が、作り上げた虚像である。


福島第1原発にコンピューター・シミュレーションで15mの津波予測が算出されたが、根拠もなく、あり得ないと握りつぶしたのは、吉田自身である


設備を主管する原子力設備管理部は「そのような津波が来るはずはない」と主張し、建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策を講じなかった。


この時の原子力設備管理部の責任者は、吉田取締役である。


吉田はその後に、福島第一原発所長に転出したのである


福島第一原発の津波による停止事故、メルトスルー&爆発は、吉田自身が原因で招いたことである


福島第2原発も同様の津波被害に陥っていたが、壊滅的な事故を起こさなかった。


福島第一と同じく冷却機能喪失という事態に陥った第二でメルトダウンが起こっていれば、日本は復興云々どころの状態ではなかった。


しかし、所長判断でヘリを飛ばして、仮設電源を引いている


ヘリコプターで東電の資材センター(茨城県土浦市)からケーブル資材を運び込んだ。


100人を超える作業員が12日未明から2日間、夜を徹して敷設し、冷却に必要なポンプに電源をつなげ、津波で失われていた冷却機能を回復させた。

結果、福島第2原発では、重大事故が起こらなかった

アメリカのNRC(原子力規制委員会)の対日支援部長だったチャールズ・カストーの「実際の事故処理と危機管理の点では、福島第二原発の増田尚宏所長こそが本当のヒーローだ」と述べている

津波発生後の所長判断が明暗を分けた


紛れも無く、吉田が、福島第一原発事故を起こした当人である



[12削除理由]:アラシ

20. 山田隆 2014年5月25日 08:07:58 : 3ea.l7jC04f2k : ezKjFNrfto
「教は良い天気です。」→コンピューターを騙す為です。

2014/05/24、「小出裕章批判記事」と下記記事が阿修羅管理人=赤かぶによって削除された。

「小出信者赤かぶは小出拡散を止めよ」

これで、管理人は赤かぶであり、スパイ・犯罪人小出裕章教狂信的信者である事が明らかになった。
ここに、阿修羅管理人=赤かぶの記事削除行為に対し厳重に抗議すると共に、阿修羅管理人が赤かぶである事を明らかにする。

このコメント記事は現時点での阿修羅アクセス数トップ10スレッドにコピペした。この行為により阿修羅管理人=赤かぶは私の阿修羅IDを剥奪であろう。
残った圧倒的多数のスパイ・犯罪人小出裕章批判者達は、阿修羅でのスパイ・犯罪人小出裕章の復活を断じて許さないよう奮闘して頂きたい。

1,脱原発を実現しよう

2,再稼働を阻止しよう

3,「国費で避難運動」を起こそう

4,東電を解体しよう


21. 小沢カルトはバカばかり 2014年5月25日 12:10:40 : 06DYzoEDvhFp6 : Qd43nDT37U


吉田所長(東京電力取締役)が、ヒーローだというのは、メディアと政府と東京電力が、作り上げた虚像である。


福島第1原発にコンピューター・シミュレーションで15mの津波予測が算出されたが、根拠もなく、あり得ないと握りつぶしたのは、吉田自身である


設備を主管する原子力設備管理部は「そのような津波が来るはずはない」と主張し、建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策を講じなかった。


この時の原子力設備管理部の責任者は、吉田取締役である。


吉田はその後に、福島第一原発所長に転出したのである


福島第一原発の津波による停止事故、メルトスルー&爆発は、吉田自身が原因で招いたことである


福島第2原発も同様の津波被害に陥っていたが、壊滅的な事故を起こさなかった。


福島第一と同じく冷却機能喪失という事態に陥った第二でメルトダウンが起こっていれば、日本は復興云々どころの状態ではなかった。


しかし、所長判断でヘリを飛ばして、仮設電源を引いている


ヘリコプターで東電の資材センター(茨城県土浦市)からケーブル資材を運び込んだ。


100人を超える作業員が12日未明から2日間、夜を徹して敷設し、冷却に必要なポンプに電源をつなげ、津波で失われていた冷却機能を回復させた。

結果、福島第2原発では、重大事故が起こらなかった

アメリカのNRC(原子力規制委員会)の対日支援部長だったチャールズ・カストーの「実際の事故処理と危機管理の点では、福島第二原発の増田尚宏所長こそが本当のヒーローだ」と述べている

津波発生後の所長判断が明暗を分けた


紛れも無く、吉田が、福島第一原発事故を起こした当人である




[32削除理由]:アラシ

22. 小沢カルトはバカばかり 2014年5月25日 14:15:37 : 06DYzoEDvhFp6 : QhmTzSDPOw
。。

吉田所長=東京電力取締役が、ヒーローだというのは、原子力ムラであるメディアと政府と東京電力が、作り上げた虚像である。


福島第1原発にコンピューター・シミュレーションで15mの津波予測が算出されたが、根拠もなく、あり得ないと握りつぶしたのは、吉田自身である


設備を主管する原子力設備管理部は「そのような津波が来るはずはない」と主張し、建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策を講じなかった。


この時の原子力設備管理部の責任者は、吉田取締役である。


吉田はその後に、福島第一原発所長に転出したのである


福島第一原発の津波による停止事故、メルトスルー&爆発は、吉田自身が原因で招いたことである


福島第2原発も同様の津波被害に陥っていたが、壊滅的な事故を起こさなかった。


福島第一と同じく冷却機能喪失という事態に陥った第二でメルトダウンが起こっていれば、日本は復興云々どころの状態ではなかった。


しかし、所長判断でヘリを飛ばして、仮設電源を引いている


ヘリコプターで東電の資材センター(茨城県土浦市)からケーブル資材を運び込んだ。


100人を超える作業員が12日未明から2日間、夜を徹して敷設し、冷却に必要なポンプに電源をつなげ、津波で失われていた冷却機能を回復させた。

結果、福島第2原発では、重大事故が起こらなかった

アメリカのNRC(原子力規制委員会)の対日支援部長だったチャールズ・カストーの「実際の事故処理と危機管理の点では、福島第二原発の増田尚宏所長こそが本当のヒーローだ」と述べている

津波発生後の所長判断が明暗を分けた


紛れも無く、吉田が、福島第一原発事故を起こした当人である




[32削除理由]:アラシ

23. 2014年5月25日 20:31:45 : 8z0JTJjQpY
福島の鼻血どころの騒ぎじゃない日本(その6)
(1年以上前の投稿だが、いまやこれどころの騒ぎじゃない)


放射能にたおれる有名人特集(その7(61番〜88番))

【突然死、続きます、放射能のせいです。分かりますか。】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n41627
ヤフー知恵袋こたえ
ライター:pzsatさん(最終更新日時:6日前)投稿日:2012/3/9
.閲覧数:35311

(61)去年キャンデーズのスーちゃんが死にました。(62)そして今日山口美江です。どう考えてもおかしいでしょう。かなりの人間が心臓を患い始めています。周りに多いでしょう。
(63)天皇陛下も心臓を患っています。これらは決して偶然ではないのです。
実は、セシウムが一番溜まる場所が心臓なんです。そして心筋を痛めるのです。血管を細めるのです。
なんで心臓に集まるかというと体の中で一番逞しい筋肉でできてるからです。セシウムはカリウムと同じで筋肉を動かす。その原動力となって働くのです。しかも蓄積されるのです。普通のカリウムは逃げて行きます。しかしセシウムはどんどん貯まるのです。
セシウムが心臓でピコピコと多数の放射線をだすと、電離を起こすのです。そうすると心臓を動かす神経伝達信号の混乱も生まれます。
それとそのパルスと電離で心筋を痛めてしまうのです。遺伝子を壊したり細胞構造を痛めます。心筋細胞は長寿なのでより痛めつけられます。
原発事故が原因なんです。知らぬ間に沢山の人が心臓死してるのです。しかし
民主党出さないでしょう。データーを出すなと間違いなく行政統制しています。
こんな人も死んでいますね。ALICIAだって心筋梗塞です。矢張り、放射能でしょう。セシウムを食らい過ぎたのです。セシウムは血管と心筋に集まるのです。しかも心筋と血管の細胞交代はゆっくりなので、ダメージも大きいのです。其れはそうです。受け続けるのですよ。一秒間に何千パルスもビビビビと壊れない方がおかしいのです。
心筋に溜まるデーターあるわけ無いでしょう。疫学調査はされてないのですから、ロシアで疫学データは取ったけれど廃棄したのですよ。日本でも統計を操作するでしょう。いや統計を取らせません。日本の場合は今進行形ですから後から結果では話になりません、データー結果を待って色々言うのはNHKだけにしましょう。
日本では病理解剖をしない国で有名なんです。
(実際にホールボデイカウンターは簡単にトラックで移動できるのに移動させない措置を取りました。また今は使えるけど検査させない方法を採ってるのを知っていますか。反応時間で30分位かけないと計れないのを知ってて1分とかしか機械にかけないのです。勿論感度はあげています。米も同じですよ。本来は1時間かけるのだけど10秒です。感度はあげますが出てこないのです。何故β線は計れないので崩壊が少ないガンマー変換まで待つのですが待たないで感度だけ上げる詐欺をしてるのです。しかし時間がなければ計れないのですよ。分かりますね。
セシウムは心臓に溜まるのはもう常識です。心臓は筋肉の塊です。他にも肝臓、腎臓、膀胱などがやられるのです。流動するのです。
(64)なでしこジャパンのエース澤の良性発作性頭位目眩症も放射能の疑いがあります。何しろ放射線が身体の中で発射されてるのです。脳神経は微量のインパルスを受けてるのですが、放射線は雑音です。
(65)実際にベラルーシの住民の子供の学力は事故前に比べもの凄い落ち込みです。
其れは、そうです。年中頭の中でピコンピコン言ってたら駄目其れは頭が働きません。
大人では耳鳴り疾患が増えています。眼も悪くなります。視神経だのだめになります。匂いが嗅げないなどもあります。
放射能デマがあってもまあほとんど実害も損害もありません。しかしNHKの捏造の温暖化デマは莫大な国民負担をよんでいます。それより放射能の危険を軽視して被爆した場合(低線量でも)大変なことになります。だから気をつけるべきです。
★ところが日本ではいまその逆をやっています。風評被害という言葉を作って、しかも被災地応援とか、しかもわざわざ100ベクレルにしたり(食品調査をすると50ベクレル60ベクレル当たりに沢山の食品が存在する)にしたんです。
★また放射線は異常な精神状態も作るようです。今から異常な殺人事件が増える可能性もあるのです。
突発に耳鳴りが激しくなった人々も沢山居ます。放射線で音変換構造が壊れるのです。同じように目の視神経も放射線で死んでしまいます。多くの白内障緑内障が発生してます。
(66)さて、大問題がわかりました。原発避難後に沢山の老人が、色々の名目でこの2年で沢山死んでいるのです。NHKスペシャルの追跡番組で僅か17軒の家の住民の多くの老人が、心筋梗塞、脳溢血なのか卒中で、肺炎で死んでいます。
肺炎がなんで増えるか分かりますか。誤嚥性肺炎というので物凄い速度で日本の老人の平均寿命をどんどん下げるでしょう。
肺炎で肺細胞が壊れてしまうと完全に血液の酸素濃度は得られなくなって死んでしますのです。肺炎は死の病気です。一度真っ白になった肺はもう治りません。片肺になる場合はもう体が動かなくなり酸素ボンベが必要になります。
肺炎は色々の病原菌が肺臓で増える現象です。しかし肺には沢山の血液が行きます。勿論免疫細胞も沢山真新しいものが新手でそれらを攻撃して体の中で一番防御が堅いのです。
しかしその免疫細胞が放射線でやられたらどうなりますか。マクロファージT細胞B細胞など尽く放射線で殺されたり弱められるのです。
脳障害は神経障害ですから、これは放射線です。放射線は直にニューロンを破壊します。心臓病もこれも心筋に集まるのでそうです。特にセシウムは筋肉に集まりますしかも心筋に集まるのです。
しかも神経までやられたらそれは予後不良です。そして、放射線の物凄いのはどの放射線も同じですが免疫を破壊します。免疫が悪くなるその典型が白血病です。
(67)関東と福島で白血病は物凄い猛威を振るってるのですよ。白血病の前に免疫がおちるので、白血病発病の前に、風邪で死んだり、肺炎で死ぬ者も沢山居るのです。
白血病は老人では発病前に肺炎、多臓器不全、敗血症、心筋梗塞、老衰などの名目で死んでしまいます。若者が突然死の残りです。
そしてチェルノでも沢山の住民が避難先で死んだというのを知っていますか。多分まだ残ってるでしょう。ユーチューブにチェルノブイリで検索かけて見れば老人が言っています。避難先で皆死んだと、だから帰って来たというのです。
(68)(免疫が落ちる=老化と同じなんです。老人はどんどん免疫力が弱くなります。そして肺炎で死ぬのです。同じことを放射線で起こるのです。詰まり放射線は老化促進を起こすのです。)
(69)此処で吉田所長問題を問題に何故しないか大問題なんです。あれは食道癌の末期で発見されたのであって病原は前からあったと思うでしょう。
違います。原発の爆発とストレスで癌が急成長したのです。癌細胞を殺すのは免疫細胞です。それを叩いてしかも癌を発症させるのが放射線です。
そんなに原発の放射能が効くか効きます。原発とストレルが猛威で癌を誘発するのです。(70)王貞治さんがWBC日本の野球の監督になって僅か3ヶ月で癌になりました。あれは物凄いストレスです。世界一を取りに行くに監督になるとはそう言うことだと思います。
★放射線障害に一番出るのは、免疫機能の衰えなんです。だから今日本で色々の感染症で苦しむのです。今は世界一の規模で風疹が大流行してるでしょう。これから、新しい新型インフルエンザで日本国民の関東東京でなん%オーダーの死亡が起こります。
たった何ヶ月でそれでも末期に成るだろうか。なるんです。今原発作業員の追跡で5%以上の人が追跡不可状態なんです。勿論予後不良なんですよ。だって隠れる必要ないでしょう。
★嘘と思ったら【癌の再発】で検索かければ分かります。抗癌剤で完全に消えた癌があっという間に3箇月で再発片方の肺一杯の癌になってる或いは肝臓の殆どが癌の再発などです。勿論抗癌剤が免疫機能を完全に無くすからです。
放射線でも同じようなことがありますが、しかし抗癌剤ほどではないのは、放射線は放射を止めれば直ぐに回復する場合が多いですね。しかし原発の放射線は内部被曝になるので吉田所長になるのです。
(71)女優の天海裕希さん心筋梗塞になりました。これは心筋の環状動脈ですがセシウムは心筋に集まります。それから放射された放射線で破壊された可能性があります。病巣を進行させる可能性もあります。突然ですからありえます。
(72)東京都知事になった稲瀬知事の奥さん脳腫瘍です。此れ放射能の病気そのものなんですよ。どんな種類の放射線か分かりませんがセシウムなんでしょうか。他の放射能も考えられますが。
ソ連でもそれからイラクでも脳腫瘍が増えてるのです。矢張り東京は100万ベクレルを新宿で計測していました。
★問題は東京の被曝は福島の被曝の100倍するということです。車が走っています。
大型トラック観光バス、乗用車で放射能が積もらないで空中に浮遊してしまうのです。何時までも何時までも高濃度の放射能が飛ぶのです。
それがプルトニュームも飛び交いました。
つまり大変な被曝をした住民が多いのです。
(73)お笑いのボクサーしずちゃんの専属トレーナー梅津正彦さんも悪性のメラノーマで死亡此れも放射能のせいかもしれません。免疫が悪くなるのです。
(74)他にウイニー開発者の金子勇さん心筋梗塞で死亡、此れは放射能の可能性大です。
今流行ってる風疹も免疫系の弱いところを付いていますね。
新型インフルエンザがどうなるのか非常に気がかりです。

2013年8月26日
(75)坂東三津五郎(57歳)さん。すい臓ガンが見つかりました。早期発見でどうのこうのですがこれが放射能のせいなら、予後不良に確実になります。3年後位どうなりますでしょうか。放射能のせいならどうすることもありません。本質が放射能だからです。すぐ再発するのです。
セシウムの吸着性は異常ではないかというくらい吸着するのですね。だから毒性が高いのです。
しかも自然界に殆ど無い物質でセシウムのほとんど放射能ですからもうたまりません。全部が悪玉なんです。だから人体濃縮が被災地では起こります。
2マイクロから10マイクロもある被災地ではもう100万ベクレルから1000万ベクレルの放射能を土に含まれてるのだから絶対に被曝を防げません。
(75)2013年9月21日今度は声優の石田太郎さん非常に珍しいドラマ撮影中の突然死です。心臓麻痺はーセシウム毒の心筋麻痺の特徴そのものです。
(76)今度は坂東三津五郎膵臓癌だそうです。此れはもう肝臓から膵液が創りだされれて放射能も濃縮されての膵臓癌なんです。
(77)島倉千代子さんの場合はこれは乳癌からの転移です。一番転移しやすい臓器が肝臓なんです。ガン転移肝臓は方程式です。問題は転移ガンは、摘出すれば問題ないのです。なのになんで死んだのか分かりますか。老化なのかどうかわわかりませんが免疫力が弱まったのです。放射線でも免疫が弱まるので絶対は言えないのですが老化でも同じです。
(78)たかじん初期の食道がんしかし放射能で昂進したのか不明なれどどうでしょう。(お亡くなりになりました。)
メディアでは放射線は老人には影響しないとか言っていますが細胞分裂がそれほど盛んでは無いからと言いますが逆に細胞が攻撃される時間は長いのです。
だから痛めつけられるのは多いのです。問題の細胞分裂での遺伝子の変異はどうかといえば分裂の速度が老人は遅いのでそう変わらないということです。
一秒で変わるのと3秒で変わるのでは3倍です。老人の細胞抗体は若者の3倍時間がかかるなら同じでしょう。
(79)サザエさんのお父さん役の声優さんが突然死していますね。この突然死やはり放射線が影響しているはずです。
老人の影響は正確には分から無いのです。寿命と影響の差がわからないからです。しかし今までの平均寿命より福島に近いほど短くなるでしょう。統計に現れるでしょう。
どう現れるか95歳まで寿命が有ったのに78歳で死ぬんです。80歳の人が100歳まで生きれたのに82歳で死ぬんです。事実ですよ。
★今20歳の若者は45歳で死ぬのです。
これが現実なんです。しかも問題はそれを認識するまでに30年かかります。
此処で1960年頃俺の小学生時代ですね。かなりの同級生が癌で死んでいます。同年齢のものが50代で物凄い発生数です。1960年の放射線量は日本の平均が平米1000ベクレルです。ウランだのプルトニュームなどは1ベクレルから3ベクレルです。
ところが福島の場合は1万ベクレル。プルトニュームは測定ナシです。東京では新宿で80万ベクレルプルトニュームが数ベクレルです。まあ殆ど今の小学生以下は予後不良です。
(80)TBSの元アナウンサー山本文郎79歳寿命の様に見えるけど肺胞失血です。分かりますか放射線障害です。
(81)歌手の花村菊江さん。2011年こっちはくも膜下出血の予後不良です。これも放射線の可能性が強いです。
放射線障害で出血という現象が物凄く起こるのです。人間の構造体細胞壁を弱めるのです。
老人の方が放射線に弱いのかもしれません。統計に現れるからです。
(82)シャ乱Qのつんく10年ほどまえから喉がおかしかったしかし癌になってたわけではないが喉が弱かった其処に今回の大量な放射能です。喉頭癌は中々ならないものですが放射線では一番侵されやすい場所ですから放射線は癌になりやすいものによりなり易くなりますから癌促進作用が強いというべきです。45歳は早いです。
(83)安西マリアが突然の心筋梗塞ですね。もう心臓移植以外助からないでしょう。
セシウムは心筋に一番沈殿(蓄積)します。筋肉の塊であることとしかも細胞の寿命が長いからです。勿論筋肉が動くときにカリウムポンプが働くのですがその変わりにセシウムが蓄積するのです。
(84)物凄い数の人が心筋を痛めて突然死しています。実はあのバスの運転手が眠ったことになってるが実際は心筋停止の可能性が有るのです。
死亡しました心筋は再生しません。心臓移植か人工心臓しか有りません。
(85)国会議員の藤巻幸夫氏です。54歳です。若いです。膵臓炎からの出血死です。勿論これは100%放射能の放射線です。膵臓に集まったセシウムで膵臓細胞と血管壁がやられたんです。勿論心臓も傷んでいたでしょう。
(86)川島なおみ知っての通りの美人です。美人薄命ではないでしょうが胆管癌この癌は肝臓からの直接排泄と言っていいほど体の中の放射能が濃縮されて流れ出ます。胆汁になって食物の消化酵素として働くのです。詰まり高濃度に放射線が濃縮されるのが胆管です。放射能の影響でしょう。
蟹江敬三腹が痛くなったので調べると進行胃癌でした。やはり放射線が癌の進行を促進したのでしょう。胃癌の場合放射線で癌になったとはいえません。
(87)小林カツ代多臓器不全原因に放射線で内蔵細胞を壊してというパターンが考えられます。同じく佐野実彼の場合もそれが考えられます。周富徳彼は肺炎と言いますが胚細胞も内蔵も実際に放射線に弱いのです。どんどん死んでしまいます。これらをしかし放射線とする事はできませんが影響が有ることは確実です。周さんは10年ほど前から弱くなってるのですが今回の原発で命を肺炎ですから縮めたものでしょう。
(88)元相撲取りの魁傑この人の場合は間違いないでしょう。本当に突然死の典型例。虚血性の心疾患です。心筋壊死なのかインパルス不良なのか心筋梗塞なのかといえば多分心筋壊死ですよ。セシウム濃度によっての心筋が壊死するのです。ロシアでは非常に多いのです。

次いでに美味しんぼですがあれは沢山の事例がユーチューブに載っています。この知恵袋の相談にも沢山の事例が報告されています。
実際にはその途中の段階の凄まじい下痢嘔吐なども多かったのです。起こったのは小学生の低学年ですよ。また内蔵失血では水洗トイレで流れてる場合が有るのでわからない儘も有ります。
★いずれにしても急性期の爆発から2週間までの話です。あの時に鼻血を出してる場合は甲状腺癌が間違いなく発生します。下痢の子供もやはり将来甲状腺癌が発生します。恐ろしい話なんですよ。
★いずれにしても福島は今でも住むところでは有りません。また関東も住むべきではないのです。



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