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プジョー再建、中国頼み:東風から14%出資/長安と高級車開発 東南ア展開にらむ
http://www.asyura2.com/14/hasan87/msg/534.html
投稿者 あっしら 日時 2014 年 5 月 06 日 17:28:31: Mo7ApAlflbQ6s
 


プジョー再建、中国頼み
東風から14%出資/長安と高級車開発 東南ア展開にらむ

 欧州2位の自動車メーカー、プジョーシトロエングループ(PSA)の再建計画が動き出した。成否のカギは中国だ。中国自動車大手、東風汽車から14.1%の出資を受け中国生産の拡大や年6億ユーロ(約850億円)のコスト削減に取り組む。もう一つの合弁相手の長安汽車とは高級車を共同開発して世界展開する。欧州の名門は中国頼みで復活の道を探る。

 「新車販売が好調で今年から土曜日も出勤。忙しいよ」。中国内陸部の武漢市にある神龍汽車の本社工場。第1工場の製造ライン責任者の陳凡さんは笑顔を浮かべる。
 同社はPSAと東風汽車の合弁会社。本社工場には約1万3千人が働く。シトロエンの中型車「C4」やプジョーのセダン「408」などを生産する。
 昨夏には第3工場が稼働。2015年までに生産能力は年75万台になるが、「生産が追いつかない」。PSAアジア事業担当のグレゴワール・オリビエ副社長は手応えを感じる。


欧州危機で打撃

 両社は第4工場の建設で近く最終合意する見通し。神龍汽車のジャン・ムロ副総経理は「販売車種を広げ、多様化する中国ユーザーの好みに応える」と強調する。長安汽車との合弁を加えた中国の生産能力は20年には120万台強になる。先行する独フォルクスワーゲン(VW、年330万台)を追撃する。

 PSAはプジョーが1974年にシトロエンを吸収合併して誕生した。米調査会社IHSによると12年の世界販売台数は約300万台で世界9位。不振の引き金は欧州債務危機。ドイツ勢は欧州外での販売が5割超だが、PSAは6割近くが欧州。消費低迷の影響で12年には仏国内の工場閉鎖決定に追い込まれた。

 4月14日、PSAの最高経営責任者(CEO)に就任したばかりのカルロス・タバレス氏は再建計画を発表した。柱は年6億ユーロのコスト削減。東風と車体や部品を共通化。22年までに車種を現状の45から26に減らす。

 販売面でも連携が進む。2月半ばからPSAと東風の社員の混成チームが東南アジア各国に飛んでいる。行き先はマレーシアやベトナムなど。将来の進出に備え、どんな車が売れるか現地調査する目的だ。「アジア太平洋は協力の一歩にすぎない」(東風の徐平董事長)とロシアやブラジル進出も視野に入れる。
 PSAの弱点は高級車だ。プジョー、シトロエンとも価格帯は150万〜400万円程度。500万円以上の稼ぎ頭が少ない。「勝ち組」のドイツ勢は高級車が業績をけん引。VWの営業利益の4割はアウディが稼ぐ。


ゴーン流採用?

 そこで打ち出したのが高級車ブランド「DS」だ。北京国際自動車ショーでは、同ブランドの多目的スポーツ車や高級セダンを初披露した。中国市場向けのDSの開発・生産は長安汽車が協力する。「DSをPSAのアウディにしたい」。タバレス氏は強調する。

 タバレス氏の経営手法は「カルロス・ゴーン仕込み」との声が仏自動車業界に多い。タバレス氏は仏ルノー出身でゴーン氏の後継者との呼び声も高かった。ゴーン氏とたもとを分かちPSA入りしたが、再建計画はゴーン氏が日産自動車で策定した「リバイバルプラン」を参考にしたようだ。
 仏系証券のアナリストはタバレス氏を「目立ったことを好まず手堅く進める印象」と評する。再生計画のタイトルは「BACK IN THE RACE(レースに復帰する)」。自動車業界の世界競争から棄権しかかったPSAは中国をテコに再参戦を狙う。

 パリ=竹内康雄、北京=阿部哲也

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株主「3頭体制」火種に 創業家・東風・仏政府が各14%

 プジョーシトロエングループ(PSA)の株主総会が4月25日にパリ市内で開かれ、東風汽車と仏政府からの出資受け入れが承認された。PSAが新たに発行する株式を両者合計で10億5000万ユーロ(約1486億円)で引き受ける。PSAの財務体質は改善されるが新たな株主構成が次の火種となりそうだ。

 増資で議決権の4割弱を握る筆頭株主だったプジョー創業家の持ち分は14.1%に薄まる。東風汽車、仏政府は創業家と同率の株式を手にして「3頭体制」となる。
 PSAの技術やブランド力を海外展開に生かしたい東風。徐平董事長は「PSAのすべての技術を使える」と強調するが、PSAが受け入れるかは不透明。プジョー家も「今まで通り言いたいことは言う」と息巻く。
 何より不安視されるのが仏政府の出方だ。プジョー家は経営に重要な役割を担う監査役会議長のポストを手放し、オランド政権に近いとされる旧EADS(現エアバス・グループ)の元最高経営責任者(CEO)のルイ・ガロワ氏が就いた。
 仏政府はルノーの筆頭株主でもある。ルノーが人員削減や海外生産シフトを計画するたびに口を挟み、ゴーンCEOも干渉に手を焼いた。
 仏系証券のアナリストは「誰が経営の方向性を決めるのか見えない」と指摘する。タバレスCEOは「丁寧に議論すれば問題はない」と話すが、意見の不一致を不安視する声は消えない。

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東風汽車

 東風汽車 前身は1969年設立の第二汽車製造廠。中国では江沢民元国家主席も勤めた第一汽車集団(吉林省)と並ぶ名門企業として知られる。もとは軍用トラックの生産を担い、92年に仏シトロエン(現PSA)と合弁で神龍汽車を設立して乗用車に進出した。現在は日産自動車、ホンダ、韓国・起亜自動車、仏ルノーとも合弁事業を手掛ける。香港上場でグループの大半の資産を抱える東風汽車集団の2013年の売上高は372億6300万元(約6200億円)。

[日経新聞5月6日朝刊P.4]

 

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コメント
 
01. 2014年5月06日 20:21:44 : PzlJ2OLW4U
フランスの自動車メーカー、プジョー・シトロエンは、水と油ほども違う2つの自動車メーカーが合併して形成されたのである。今の若い人にとっては、生まれたときからプジョーもシトロエンも一緒だが、オールドファンから言えば全然違う。両社が合併した事実は、1974年から40年が経過していても受け入れていない「原理主義者」がいるくらいである。

フランス革命の頃にアルザス地方で始まったプジョーの家業。彼らのビジネスは鉄製品。コーヒーミルや自転車とか。ダイムラーがガソリン自動車を発明すると、ここのライセンスの下で生産されたガソリンエンジンを搭載する。同じフランスのパナールと並ぶ、事実上、世界最古の自動車メーカーである。

シトロエンは第一次世界大戦中、砲兵将校だったアンドレ・シトロエンが砲弾の大量生産を行ない、戦後自動車に転向した。1934年には世界初の量産型前輪駆動車7CV、11CVを発売し、それ以降「20年後の自動車を今、つくる」設計思想で知られた自動車メーカーである。

このシトロエンだが、1934年に過大な設備投資と新型車開発に伴う負債の膨張で倒産。創業者アンドレ・シトロエンは失脚し翌年死亡。会社はミシュランタイヤが引き継いだ。2CV、DS19、ID19など開発。しかし1960年代後半より過大な設備投資と新型車開発が負担となり、石油ショックの最中の1974年4月に倒産した。同時期に原子力開発に邁進したジョルジュ・ポンピドー大統領も白血病で死亡している。

このフランスの危機に立ち上がったのが、後に大統領になるジャック・シラク氏。フランス政府とプジョー、ルノー、ミシュランタイヤで1974年6月、シトロエンをどうするのか会議を行ない、プジョーの傘下に押し込んで存続させることに決定した。

プジョーはシトロエンの大型トラック、バス部門のベルリエがいらないというので、1977年に分離させてルノーに合併させた。その後、第二次石油危機が起きた。アメリカのクライスラーが低燃費の日本車に顧客を奪われ、警衛危機になった。そこで1960年代に強引に手に入れたイギリス、フランス、スペインの子会社を売却することにした。日本メーカーの買収を恐れるプジョーが、無理やり買収。これでプジョーの財務体質は一挙に悪化し、1982年にはグループごと倒産寸前の危機に直面したのである。

プジョーは自力ではどうにもならず、仕方なく創業家以外の人物を経営者に迎えた。銀行頭取のジャック・カルヴェ氏である。彼は工場を閉鎖し、新技術開発を停止し、プジョーとシトロエンのプラットフォーム、パワーユニットを統合した。本来、水と油ほど違う両社の設計思想を無理やり統合したのである。シトロエンは凡庸なプラットフォームになり、プジョーは後輪駆動を捨てた。これが後輪駆動のメルセデスやBMWに顧客を奪われる結果となったのである。よくシトロエン原理主義者が、「シトロエンをダメにしたのはプジョーだ。」と非難するが、プジョー自体も合理化の犠牲者であったのである。

それにしても1934年、1974年、2014年と、40年間隔で倒産の危機を迎えるシトロエン。やはり無理な技術統合で、天才技術者アンドレ・ルフェーブル氏の設計哲学を失ったことが、製品の魅力をも失わせてしまったと思う。彼の設計したシトロエンDSは、僅か1911ccから2347ccの直列4気筒OHVエンジンを積んでいたのに、1950年代から1970年代にかけて、西欧を代表する高級車と言われたのである。20年間に145万台も生産され、西ドイツではフランスに次いで2番目の販売台数を記録したのだ。当時、メルセデスは対抗していたが、BMWは遠く及ばず、アウディは消滅寸前のブランドであった。(註 アウディを再建したのは、ポルシェ博士の孫のフェルディナンド・ピエヒ氏である。)

1979年に巨額の費用を投じて買収したイギリス、フランス、スペインのクライスラー子会社は、結局何の役にも立たず、工場は閉鎖され、巨額のリストラ費用で経営を圧迫し、その影響が今日も続いているのである。このため、プジョー・シトロエンは、次々と他社との提携に走る。チェコではトヨタと合弁生産しているし、世界各国で三菱アウトランダーのOEM供給を受けて販売している。三菱アイ・ミーブもOEM供給を受けて販売していたが、全く売れずに中止された。

2012年に閉鎖されたパリ北東のオルネー・スー・ボワ工場。ここは1973年に完成した当時、最新鋭の工場であった。CXをここで生産していたが、写真があるので英語圏のシトロエン愛好家サイト、citroenetから紹介しよう。
http://www.citroenet.org.uk/miscellaneous/cx-factory/autocar.html
http://www.citroenet.org.uk/miscellaneous/cx-factory/cx-usine.html

●コストの高いハンガー式生産ラインである。年産10万台ないと採算に合わない。

さてプジョー・シトロエンが中国メーカーの資本参加を得て、何とか当面の資金繰りを確保したようだが、実はシトロエンは1968年にも倒産の危機に瀕していたのである。この時はフィアットが49%の株式を握ることで資金を確保したが、シトロエン経営陣は、フィアットの提案をことごとく却下し、これに怒ったフィアットが1973年、シトロエンの株式を売却して撤退してしまったのである。これがシトロエン倒産の直接の原因だとされる。上の文章を見ると、プジョー家は「今まで通り言いたいことは言う」と息巻いているそうで、いかりや長介じゃないが、「だめだ、こりゃ。」1973年のフィアットの激怒による株式売却の悲劇が、再び繰り返されるだろう。


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